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本日より、国内小旅行。どこへ行くかなー? 気の向くまま、足のむくまま。1週間程度かな?又、バックパック背負って。役立つなー、バックパック。お! 金がない! 貯金下ろさねば! でおろそう。知らないうちに、絵文字が増えましたねー
2006.05.20
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久しぶりの、亜州の星次郎でござんす。え? 何故、星一郎じゃないかって?そりゃー、この世の中、イチローってのは、有名なのが多すぎるじゃござんせんか?イチローは、誰でも知ってまさーね。党首討論とかの、二人も純一郎に、一郎でっせ。次郎は、お猿さんか、飛びます!って言う次郎程度だから、星次郎にしたのでござんす。 で、話は、それじゃー、ござんせん。肝心な話でござんす。 お国から、飛脚便が届きやした。 何と、側用人直々の半切紙でありやした。 「貴殿より、俸禄返上したい旨、貴殿の上司より報告を受け申し候。誠に残念である。しかし、決意は固いとも聞き申した。現在、諸国修行中とのこと。貴殿の腕前、当藩にとって、無くてはならないと存ずる。修行完了した折には、又、召し抱えたいと存ずる故、いつでも、申し立てを受け申す所存である故、備忘申しつけ候。」 と言うような、内容でござんした。ありがてぇーことでござんす。しかし、あっしは、もう渡世人。武士には戻れませんや。 渡世人になって見ると、武士の時には、見えねー物まで見えて来やした。この気ままな、流れもんの旅を、どうして捨てられやしょう。あの管理、規律ばかりの武家社会へ、どうして、戻れましょうや。やっぱり、だめでぇー。 弘法大使は、唐で修行してきた。そして、あんなにも影響及ぼす札所を作った。普通の武士であった、山田長政は、シャムのアユタヤ王朝で活躍した。 あっしにも、何か出来そーじゃー、ありやせんか! 夢を捨てちゃーいけやせん! やると決めたら、やるのが、武士でござんす。渡世人と、なりは変わっても、心は武士。魂まで変わりやしやせん! 脱藩の罪もなく、俸禄返上が認可され、88ヶ所お遍路参りも、無事完了しやした。次は、ちぃーせー、日本を離れて、世界ってーとこへ飛び出してぇーもんでござんす。 応援して下せぇー、素人衆の旦那さん方!
2006.05.19
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昨日は、夕方、雨も上がったので、かさを持って、川崎まで歩いた。夜の会食の為です。大森から、2時間もかからないで、行けるのですねー!電車に乗っていると、距離の感覚が分からないけど、歩いて見ると、よ~く分かります。川崎では、何とかシンフォニーとか言うビルの中のお店に行きました。個室で、静かに話をする事が出来て、料理も含めてよろしかったですよ。ただ、同じ姿勢が良くないのか、とても疲れます。会食の時に体調が悪くなる傾向が強いと分かって来ていたのですが、やはり、そうです。楽しい会話でも、そうなのです。おかしいですねー?食事終えて、駅へ向かうとき、何となくふらつく感じでした。すぐに治りましたが・・・。
2006.05.19
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9月から、中国語の語学留学するので、メールで、とある大学に問い合わせを行った。翌日には、すぐに返事が来て、本日、申込書を書き、スキャナーで画像にして、内容のチェック依頼を出しておいた。便利だねー! 部屋に居たままで、色んな事が調べられるし、手続きまで出来そう。便利すぎる。一歩一歩、歩いて廻る、お遍路は、別世界ですね。どこに留学するかは、寧夏さんを見習って、内緒にしておきます。今夜は、川崎で会食。と言っても二人だけなので、どっかの居酒屋でお話をするだけ。早めに退職した、元重役の方です。川崎まで、歩いて行こうと思っていたが、生憎の雨。残念だなー! 最低1万歩は歩きたいのに、普通の生活してたら難しい。
2006.05.18
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四国歩きお遍路に出かける前は、不眠症に悩み、枕を変えたり、ラベンダーのアロマオイルを使ったり、色々と、工夫して見たが、仲々、改善されなかった。しかし、四国お遍路中は、一夜、心を悩まされて眠れない夜があったが、それ以外、7時間以上、ぐっすり眠れた。四国から、帰ってからも、良く眠れている。考えて見るに、 1.4月初旬で仕事を辞めた。これが大きいのではないか? 朝から晩まで、パソコンと睨めっこ。結論のでないような物事に対して、どうしたら良いか?など、頭を悩ます。又、何の考えもなく、指示さえ全く出せないアホな上司に、上司面をされる、などなど、ストレスが溜まる一方であった。 2.歩いて、疲れて、身体が睡眠を要求二つ目は、やはり運動であろう。毎日、6時間から9時間も歩いていたら、眠らねば持たない。身体が睡眠を要求し、21時頃には、まぶたがくっつく。今の所、結論として、不眠の原因として、「心は疲れていたが、身体は疲れていない。」、と言うことになる。学生の頃、試合の前日眠れずにいたら、「人間、必要な睡眠は、自分で取るものだ。気にせず、布団の中で、横になっていろ!」、と大先輩に言われた事があった。そんなものなんだろうな、と、思っている今朝であります。
2006.05.18
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昼時、通る度に、いつもいつも、長い列が見える、ラーメン次郎。サラリーマン時代は、昼食に30分も待つなんて考えられない。従って、見ただけで、一度も入ったことなし。よって食べたことなし。本日は、病院の予約を、精神内科の所、神経内科を予約してしまい、歯医者さんまでの時間がたっぷりある。因みに、精神内科は、精神病(どぎつい言い方なので、心療とかとも言う)神経内科は、脳梗塞とか、そう言った診療。何故間違えたか、不明。アホヤなー!で、ラーメン次郎。大盛を頼んだら、「ほんとに食べられる? うちのは麺多いよ!」と言われて普通盛りに変更。確かに、多い。普通の店の大盛よりまだ多い。それで、値段が600円。野菜も山盛り。チャーシューは、分厚い。味も良し。これでは、並んでいるはずだ。しかし、並んで35分。席について待つこと10分。食べて15分と、約1時間いたが、女性客はゼロ。店内を見回したが、「女人禁制」とは書いてない。何でかなー?ここは、量を売り物にしているのか、雰囲気も女性がゆったり食べるようなお店ではない。食ったらすぐに出なければならないし。イヤー、腹いっぱいで、身動き出来ん。と言うことで、ネットカフェに入り、これを書いている所であります。
2006.05.17
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昨日、一昨日にて、山手線ウォークを実施。四国お遍路と比べるには、距離が短すぎるが、大きな違いを感じる。 一番大きいのは、誰も挨拶しないこと。無視、無視、無視。四国お遍路中、どこで、どなたにあっても、会釈、挨拶してくれた。先方から挨拶してくれる方も多かったし、こちらが会釈して、無視された記憶はない。 しかし、山手線。会釈して、全く知らん振り。こちらも意地になって、何パーセント位、挨拶を返してくれるか、会う人会う人、会釈を繰り返した。二日間で、百人以上に挨拶したであろう。 そして、挨拶を返してくれたのは、巣鴨近くでのおばあさん。秩父西国など、札所廻りをしているらしく、僕の姿に親しみを感じたらしい。 そして、幼稚園児の遠足の皆さん。「変わった格好してる人がいる!」、とか言って、挨拶した。たぶん、それだけかなー? 高校生は、男子も女子も、全く無視された。おじさん、おばさんも、全く無視。お姉さん、お兄さんも、同じく無視。 四国に比べると、違うねー。ほんとに違う。お遍路さんが、何故、リピーターとして、1度だけでなく、2度、3度と廻るのか、それは、一つの理由だけではないだろうが、四国の方々の、親しみを込めた人情も、大きな要因であろうと思う。 四国の皆さんに、改めて、「ありがとう!」、と言いたい。
2006.05.17
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明治神宮で、外国人女性二人に、写真を一緒の撮って良いか、聞かれた。と言うより、かなり強引に一緒に撮られた。イタリア女性二人組だ。そう言えば、高野山でも写真を要請された。たぶん、菅笠に頭陀袋が、外国人には珍しいのだろう。髭ずらだし。南参道付近での出来事でした。 南参道を出て、左手が原宿駅。原宿散歩しようと思ったが、小雨は降ってるし、又、写真を要請さえても、面倒なので、即、通過。線路脇をずっと歩いて、渋谷へ。ハチ公と反対側を通過。さらに線路沿いを進み恵比寿。 渋谷恵比寿目黒への道は、恵比寿ガーデンプレイス行きの歩く歩道に乗って楽チン。そこから、線路の反対側へ廻り、目黒方面へ。そしたら、すごいいい匂いがした。この花だ。 何の花ですか? 強烈な甘い匂いですぞ! そして、思い出の目黒駅へ。そして、又もや、思い出の五反田へ。さらにさらに思い出の大崎へ。目黒~大崎は、思い出通りなのである。目黒川沿い。 大崎から、品川へは、御殿山を通らねばならない。山手線には、思い出が多すぎる。四国お遍路のような訳には行かない。 両足に、大豆三つ作って、二日間で完了。正味歩き時間は、11時間、7万4千歩でした。
2006.05.16
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カプセルホテルは、安くて、サウナ、風呂は良いが、夜更けから朝方まで人が出入りし、生姜紅茶飲む、お湯さえないので、それが困る。 それで、5時半には、チェックアウトし、歩き出す。従って、おばあちゃんの原宿を、散策する機会なし。別の機会に来る事にした。 大塚、池袋、目白、高田馬場、新大久保、新宿、代々木までやって参りました。代々木から原宿の間に、明治神宮がある。北参道から南参道を歩くと、原宿に出る。ちょいと寄り道して、明治神宮へお参り。 都会の真ん中とも思えない静けさ。なのであります。 まずは、大塚、池袋。池袋は、やはり大きい街だ。 目白に高田馬場。目白の田中御殿はどこにあるか分からず。新大久保まで快調 しかし、両足の親指と人差し指(言いのかな?)の間にマメが出来て大きくなる。歩きにくい。バンドエードにて応急処置。そしたら、歌舞伎町に出た。夜から、先ほどの朝まで、賑わっていたはず。今は、出勤客か、ホテルから出て来た人たちだ。 新宿、代々木です。 次が、今いる明治神宮。北参道入り口です。 本殿です。 参拝者ですが、言葉を聞いていると、中国の方が多いですね。驚きました。西欧系の方もいます。日本人より、外国人が多いです。さて、まだまだ、先は長いですぞ!
2006.05.16
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有楽町まで、前回記載しました。 その後、東京、神田、秋葉原、御徒町、上野、鶯谷、日暮里、西日暮里田端、駒込、そして巣鴨まで来ました。 29駅中、16駅を制覇。2泊3日の予定が、1泊2日で完了しそうです。 さて、東京駅。オランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたとの駅。赤レンガで、確かに、アムスの中央駅に似ているが、真似した東京駅の方が立派だと思う。 神田、御徒町、秋葉原、ここは、色んなお金を使いたい誘惑が沢山ある。しかし、ひたすらわき見せず歩く。 御徒町から上野。アメ横です。おおトロ、中トロのでかいかたまりが、千円。刺身の大好きな僕としては、1万円ほど買いたい所であるが、見るだけで、我慢。買っても、置くところがない。そして上野駅。 次が鶯谷。ここは、ホテルが沢山ある。それもキンキラ。そう、ラブホです。カップルで降りたら、絶対に目的は、あれだ、と思われる。それも大方当っているのではないだろうか? このカップルもそう? 鶯谷駅です。 日暮里、西日暮里、そして田端と駅の間が近い。品川-田町間の半分位だ。 次が駒込。そして本日の終着駅、巣鴨。おばあちゃんの原宿。明日たっぷり見て来ます。 今夜の宿は、カプセルホテル、3800円。サウナ入り放題。です。アパートへ電車とバスで帰った方が安いですが、時間がもったいないので、泊まる事にしました。(初めからその予定でしたが、価格次第)
2006.05.15
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ただ今、銀座です。並木通りを歩いて有楽町駅を通り越しました。大森駅、大井町駅、経由歩いて来ました。 そして品川駅へ向かう途中、思い出の御殿山ヒルズがあります。良く泊まったなー。彼女は、もう子持ちの奥様だ。どこに暮らしているやら・・・。品川プリンスホテル。ここにも泊まった。そして品川駅。それを通り越すと、パシフィックホテル。ここにも泊まったなー。懐かしい。 田町駅は、わが社のオフィスがあるところ。皆さんに会うのは嫌なので急いで通り過ぎる。分かりにくいですが、間違いなく、田町駅です。浜松町駅、新橋駅は日テレ側、有楽町駅です。 四国お遍路に比べると、楽ですねー。平坦だからかなー?でも、靴を変えたら、もう豆が出来ました。食えない豆です。もう、しばらく頑張ります。
2006.05.15
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さて、朝食も食べたし、今から、準備して、山手線一周の旅に出かけます。今回は、2泊3日の予定。そして、食べ物、飲み物、などの心配なし。どこにでも売っている。PHSもつながらないことなし。宿も、カプセルホテルなら安いし、どこにでもある。菅笠は便利なので、被って行こうと思うが、ちと恥ずかしい。きっと、みんな、振り向くか、見て見ぬ振りして、見られるだろうが、実用を考慮して、使用することとする。問題は靴。歩きに使用可能な靴は、4足ある。どれを使うかによって、たぶん、足の痛さが変わって来るのだろうが、それも、安物だからなー。悩んで、選んで出かけます。それでは、又、後刻。
2006.05.15
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暇だなー! あんなに歩いていたのに、体が鈍る。大森駅まで歩いて行って来たが、往復して、プラプラしても、8900歩のみ。こんなの、歩きお遍路中なら、1時間ちょっとで超えてしまう。四国お遍路が予定より早く完了したので、時間がある。そこで、秩父お遍路でもしようかと、調べて見たら、6~7日間必要とのこと。それは、ちょっと無理。20日(土)には、茨城へ行き、21日(日)には、群馬へ行く予定がある。4日程度で行ける所はないか?三浦半島一周はどうか? 100キロ以上ありそう。 →断念。で、山手線一周はどうか? ん? たったの34.5キロ。アパートから、品川駅まで、おおよそ、10キロちょっと。往復するとすれば、約55キロ。おー 調度良い距離だ。あちこち迷いながら、見学しながら、排気ガス吸いながらだから、まぁー、2泊3日で、どうかな?よし! そうしよう! 明日から、山手線一周の旅だ。29の各駅の写真を、このブログで紹介しましょう。
2006.05.14
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本日は、完全休養日。 ゆったりだなー。それでも、洗濯して、退職手続きの一覧表作成して、中国語学留学の手続きを、チェックして、結構何やらやっている。それから、21番札所:太龍寺の、納経を忘れてしまって、今、宅急便で送る為に、手紙を書いています。せっかく行ったのに、納経を忘れるなんて、何とアホなことか。太龍寺に電話して、宅急便で送っても、納経してくれると確認を取ってあるので、まぁ、送ればいいのですが、お賽銭は余分に必要ですよね?午後は、雨もあがっているし、散歩を兼ねて、宅急便を出すのと、床屋へでも行って来るかなー?
2006.05.14
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狭いながら、我がアパートに帰って参りました。高野山の高室院→高野山バス→ロープウェイ→南海電車で難波駅→御堂筋線で新大阪→新幹線ひかりで品川→京浜東北で大森→歩いて我が家へ。朝の、8時15分に出て、15時には着きました。どなたかが、ブログで書いていましたが、今朝、高野山にいたのかなー?と言った感覚です。まして、一昨日は、汗を流しながら、ゴール前の女体山を登っていたのが信じられません。過ぎ去った日々は、すぐに過去になってしまうものです。はてさて、高野山行きまで含めれば、40日間。この日数と費用の効果はどこに現れるのでしょうか? あるのかないのかさえ、今は分かりません。でも、自分の部屋は落ち着きますね。ほんと。又、すぐ出かけろ! と言われたら、ちょっと、少し待ってよ! と言いたい。ですが、少し落ち着けば、又、どこかへ行きたくなるのだから、不思議なものです。
2006.05.13
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5月12日(金) 大窪寺のすぐ近くの八十窪。部屋の窓からの朝の景色。美しく爽やかで、心が洗われるようです。 100円バスで、高速バス乗り場まで行く。高速バスで、大阪の難波駅へ。難波駅でおりてから、南海電車駅まで行くのに一苦労。歩いて15分以上かかった。 そして、一路、高野山へ。終点でロープウェイに乗り換える。すると、前に座った、外国人の女性から、写真を撮っていいか? と聞かれた。白衣、輪袈裟、数珠、菅笠、金剛杖、こう言う姿は珍しいのでしょう。断る理由もないので、OKした。代わりに僕も撮らせて貰った。この方です。ギリシャから来て、高野山に数日滞在し、京都へ行くとのこと。 一の橋から、歩いて奥の院へ向かったが、有名な方々のお墓が沢山ある。上杉謙信、武田信玄、伊達政宗、石田光成、明智光秀、その他、多くの武家のお墓があるのには驚く。 高野山を焼き討ち、一網打尽にした、あの織田信長の墓まであるのには、驚きを超える。本能寺で燃えた、信長の体の一部でも残っていたのだろうか?高野山でも、信長のお墓を置くことを許さず、信長の墓であることが判明したのは、昭和にはいってからであると言います。しかし、他のお墓と比べれば、あの信長のお墓とは思えない程、小さい。こんな感じです。 高野山の本堂です。この中に、弘法大使様は眠っておられます。 宿は、高野山の真ん中辺にある、高室院。本日は、僕のみで、貸しきり状態。ここでは、最低価格の、9500円。高いねー! 儲けるねー! これにはお墓より驚き。9500円から、2万円だと、案内所で言ってました。僕は最低価格の宿坊をお願いした。夕食は、下記。5500円の、民宿の方が、豪華な食事である。 明日、6時から、お勤めと言っていたが、一人だから手抜きするのだろうな、きっと。楽しみだ。
2006.05.13
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5月11日(木) 本日は、88番札所:大窪寺へ行くのみ。気持ちは余裕しゃくしゃく。雨であるが、宿の隣の長尾寺へゆっくり、お参りする。 その後、お遍路を楽しみながら、いつもよりゆっくり歩く。雨で休む所もないので、1時間半歩き続けて、お遍路交流サロンへ着く。ここで一休み。 すると、案内の方が、住所と名前を書いてくれるか? と言ってきた。ただで休ませて貰っているし、お茶も飲ませて貰っているので、きちんと書く。その名簿を見たら、笑顔美人は一昨日、足摺であった人は昨日、ここに立ち寄っていた。お茶の2杯目を飲んでいたら、下記の「任命書」を貰った。 おお! いつの間にか、「四国88ヶ所遍路大使」に任命されていた。四国遍路文化を、多くの人に広める役目を仰せつかった。責任重大だぞ! あとは、かなりきつい登り坂道を、味わいながら登る。こんなお遍路道。 この頃は、雨もあがり、若干、霧めき、修業の山のような雰囲気になってきた。そして、下方に見えるのは、瀬戸内海に浮かぶ、小豆島のようだ。 で、大窪寺までの、道のりであるが、その前面に女体さんが横たわっている。その女体さんを、避けて、迂回して行く道と、女体さんを乗り越えて、行く道がある。 若干、迷った。禁酒、禁煙、禁女は、継続中。しかし、やはり女体は乗り越えねばならない。なんとも、最後のお寺さんの前に、女体が、堂々と横たわっているとは・・・。大使様も、考えたものよ。煩悩を、目的地の前に、横たえておくとは・・・。 この女体、仲々、くびれも厳しく、勾配もきつい。雨も止み、涼しいはずであるのに、汗があふれ出る。女体制覇は難しい。女体制覇には、ひたむきな努力と、テクニックが必要であることを感じる。そして頂点を越えた辺りに、下記の看板があった。見えますか? 女体さん。 むむ、正しくは、女体山、でありました。女体さん、と書くと、何やら、紛らわしい。その女体山の降り勾配もきつく、ひとつ間違えば、転がり落ちそう。 そして、着きました。大窪寺。 こうして、見事、88ヶ所、全ての札所を、38日間で廻ったのであります。 めでたし。めでたし。 ただ今、大阪ナンバ駅に向かう高速バスの中。高野山へ向かいます。大窪寺では、接続出来ず。今夜の高野山も接続出来ないかも。
2006.05.12
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5月11日(木) いよいよ、本日が、最終日。結願です。満願成就です。 結願とは、日を定めて催した法会・修法の終了すること。と言うことのようです。法会とは、多くの僧俗を集めて仏の教えを説き聞かせる会合修法とは、密教で、加持祈願などの法。 上記の内容からすると、僕の場合、結願とは言えないなー。 ただ、お遍路さんが、88ヶ所の札所廻りが、完了すると、結願と言っているようです。 最終日と思うと、嬉しい気持ちもありますが、何故か、寂しい気持ちもあります。何でかなー? 普段の生活と全く異なる、生活をずっと続けて来ており、それが、普段の生活に戻る。それが嫌なのかなー? 家には一度も帰らないで、2年間お遍路さんを、続けていると言う方もおりました。700万円とか、800万円使ったとか言うことですが、普通の人には、まぁ、こう言う、お遍路さんのようなことをずっと出来る人は少ないし、本日は、お遍路さんを、味わいながら、歩くことにします。
2006.05.11
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5月10日(水) 本日も頑張ったどー!大雨の予想が、小雨パラパラ。よって、高松に泊まり、栗林公園でもじっくり見ようと思ったのであるが、予定変更。歩く、歩く。 で、残りは、たったの二つ。明日が、結願(ケチガンと読む)となる。明日は、88番目の、札所の近くに泊まり、翌日、高野山に向かう予定。 今日は、二つも山を越えたので、かなり疲れた。しかし、不整脈は出ていない。健康になったのかなー? 少なくとも身体はお遍路始める前に比べて、格段と逞しくなったはずだ。しかし、心は?あまり、変わってないと思うけどなー? 札打ちした写真を掲載します。 83番札所:一宮寺 84番札所:屋島寺 ここへの登りは結構きつい。屋島寺からの降りの途中、壇ノ浦がよく見える。平家が・・・。 85番札所:八栗寺 ここも、又、のぼりが結構きつい。下りもきつい。 86番札所:ここは平地
2006.05.10
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歩き遍路の費用は、概ね、一日、1万円あれば十分である。(野宿しない場合) 早い人で、35日、普通40日から50日、ゆっくりの人で、60日程度かかる。したがって、費用は、40万円ほど、必要と言うことになる。 この現金を持ち歩くのは、少々、気になる。又、大体が民宿か、宿坊のような宿に泊まる故、カードでの支払いも不可。よって、途中で預金を引き去るのが好ましい。 で、銀行ですが、都市銀行は、ほとんど見かけなかった。三菱東京UFJも、三井住友も、見かけたことなし。都市にあるのは、四国の地方銀行が見かけられた程度です。 しかし、郵便局は、どこにでもある。小さな部落のような村にもある。しかも作りもりっぱだ。 郵政民営化など、小泉さんが推進しているが、東京にいれば、郵便局なんて、あってもなくても全く、不便でも何でもない。手紙なんて、滅多に出さないし、貯金も銀行で問題なし。宅急便は至る所にある。 今回、四国を廻ってみて、郵政民営化が進んで、利益損益の問題で、地方に郵便局がなくなってしまったら、地方は困るだろうなー、と、素直に感じたものだ。 僕も、郵便貯金のカードを持って来て、今回は、郵便局にお世話になっている。郵便貯蓄を利用することで、出発して、本当に良かったと感じている。
2006.05.10
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10日(水)、11日(木)、12日(金) この3日間で、88番札所まで行ける。余裕を持って行ける。栗林公園など、観光しながら行ける。 早いなー。日にちの過ぎるのは。 36日間が過ぎて、残り3日間。 しかし、ラスト3日間は、予報によれば、雨らしい。
2006.05.09
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5月9日(火) 36日目 坂出から高松にかけて、紅、黄、黒、青、白の五色を冠した峰がある。標高400~500mの台地。5つの色は、そこで採れる土の色や風物などから命名されたとのこと。 本日は、その内、白峰と青峰へ登って来た。白峰には、81番札所:白峰寺、青峰には、82番札所:根香寺がり、お参りした。 白峰寺への道は、結構きつい。5月に入り、気温も上がっている。4月に着ていたジャンパーは当然脱ぎ、ベストも脱ぎ、長袖シャツのみであるが、それでも、暑い。汗がポタポタと滴り落ちる。 そんな時、お遍路さん用の、休憩所があった。そこからの眺めが素晴らしい。坂出方面が見える。 そこから、道を間違えて、30分もきつい登りを登ってしまった。気がついた時は、疲れがドバッーと出た。クソ!と思っても、自分が悪いので仕方ない。実は、この朝、山へ行くので、食料を買おうと、コンビニを探しに、やはり30分以上歩いている。1時間半は、ロスしている。 しかし、正しい道なら、1歩歩けば、1歩目的地に近づく。汗は、500ccも流れ、もう干からびるぞ! と思った頃、白峰寺に着いた。 その後は、多少の登り降りはあるが、気持ち良いお遍路道を歩く。ちょっと、ピンボケになってしまったが、こんな道です。お遍路5回目の、昨夜の方も絶賛していた、お遍路道。後であったアメリカ人、イギリス人3人組も、素晴らしい道だと、大喜びのお遍路道であります。 そして、青峰にある、根香寺。 青峰からの降りの景色も素晴らしい。瀬戸内海が一望できる。しばし、見とれる。 反対側を見れば、高松市の全貌が見える。一緒にいた人は、夜来れば、函館の夜景より綺麗ではないか? と言っていました。 本日、泊まりの宿も、見つからずに、余分に歩いた。本日は、ロスデーです。
2006.05.09
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5月8日(月) 今日も、頑張りました。お遍路を始めて、初の一日5万歩突破。頑張りました。足裏は、相変わらず痛いが・・・。 讃岐と言えば、うどん。うどんといえば、小麦。と言う理由からか、ここは麦畑が多い。これを見て下さい。一面、麦畑です。 そして、歩いている途中、ずいぶん安い、駐車場があるなー! これって、洒落で、書いているのかなー? と思った。しかし、隣は極、普通の丸山さん。え! と言うことは、「五円」さんって人がいるのですねー! 驚きです。どうせなら、「五億」とかって、名前の方がいいよね、現代では。名前にインフレ率、掛けられないから、五円貰った人は、大変だ。 で、札所、5ヵ所も行きましたので、写真掲載します。 76番札所:金倉寺 77番札所:道隆寺 78番札所:郷照寺 79番札所:天皇寺 80番札所:国分寺
2006.05.08
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5月8日(月) 第35日目 まず、善通寺、宿坊の夕食です。普通の民宿と変わりません。 そして、朝。 5時半から、お勤めがあります。住職さんからの説法、般若心経を唱えたり、その他、諸々で、途中、眠くなるも、完了まで、45分ほど、必要とした。 しかし、その後、昨日、説明した、下記の二つを見せてくれた。 「戒壇めぐり」、と、 「瞬目大師」昨日、800円と、500円、合計、1300円を出して、ゆっくり鑑賞させていただいたもの。今朝、見せてくれるなら、昨日、見なくてもよかったのに! 50年に一度しか、ご開帳しない秘伝だから、まぁ、いいか、と納得。これらも、全て入れて、5800円だから、テレビはなくても、安いものである。 宿坊に泊まる楽しみは、説法だ。
2006.05.08
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5月8日(月) 四国の旅に出るのに、荷物は出来るだけ、少なく工夫した。 髭剃りも持たず。よって、今は、ひげ面となった。 我ながら、格好悪い! やだ! と思うのである。どうせ、ひげ面なら、濃い方が、良いと思うのであるが、どうも、気に入らない。真面目なサラリーマンやっていたので、毎朝、きっちり剃っていたから、ひげ面は、自分でも始めて見る。 改めて、鏡を見ても、う~ん、とても格好良いとは言えない。しかし、中途半端は、もっと格好悪いので、このままとする。 1センチほど、伸びたろうか? 髪の毛は、切らなければ、どんどん伸びるが、腋毛や、あそこの毛は、切らなくても、適度な長さで、それ以上、伸びない。(これ、自分の基準。 まさか、伸びる人、いませんよね? ) 髭はどうなのだろうか? 臍の辺りまである髭は、見たことない。途中で、成長、止まるのかなー?
2006.05.08
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5月7日(日)雨は、大した事はなかった。 出釈迦寺から甲山寺は、30分少々、甲山寺から善通寺まで、20分少々。本日は、1時間程度の移動のみ。 善通寺の宿坊に宿泊する故、札打ちの前に、宿へ入る。12時ちょっと過ぎ。部屋にテレビがない。ゆっくりと日曜日のテレビを見ようと思ったが、残念。時間があり過ぎ。昼寝するも 30分で起きる。 それから、札打ちに。 さすがは善通寺。弘法大使の誕生地。他の霊場に比し、参拝客の人数が全く異なる。参道にも、お店が立ち並ぶ。お遍路姿の人よりも、観光客のような方のほうが多い。 ここには、他の霊場にはないものがある。 「戒壇めぐり」 800円真っ暗な闇の中(通路)を左手で、壁を伝いながら進む。「南無大師遍照金剛」と一心に唱えながら進みなさい、と言われる。 暗闇の通路を通り抜けると、中央広間へ出る。そこには、弘法大使とそのご両親、四国88ヶ所霊場のご本尊様がまつられている。そして、驚くことに、弘法大使様の、声を拝聴出来るのである。 おごそかなお声で、「人生はかけがえのないもの。皆さんが健康で、幸せな生活を送ることが、私の願いです。」、と言うような事を、おっしゃられていました。 「瞬目大師」 500円御影堂奥殿に安置される弘法大使の御尊影が、瞬目大使と呼ばれている。通常は、これは秘伝扱いで 安置されており、見られないものであるらしいが、50年に一度、公開されるとのこと。説明役の坊さんも、初めて見たと言います。 明日の朝、5時半から、お勤めです。早起きせねばなりません。 74番札所:甲山寺 75番札所:善通寺 真言宗善通寺派の総本山 参道には、沢山のお店がある。ふーてんの寅さんのような方が売っている。 札打ちが済んで、納経をしようと歩き出したら、おばあさんから声を掛けられる。うどんの、ご接待があるから、行きましょう、と。遅めの昼食を食べたばかり出し、夕食は5時半からだから、気は進まなかったが、ご接待は、必ず受けるものと言われているので、同行させて頂いた。 おいしく頂きました。 明日は、朝5時半から、お勤めがある。早寝で、早起きせねばならない。宿坊に泊まると、説法を聞かせてくれたり、お勤めがあったり、普通なら、体験出来ないことが出来るので、嬉しい。テレビなどなくとも、ま、いいか、って思う。
2006.05.07
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「四国出来るだけ歩き遍路」に出て、1ヶ月が過ぎた。この間、ほとんど夜の9時過ぎに寝ているので、いつも見るテレビが見られない。土曜の夜は、「エンタの神様」、見て、「恋のから騒ぎ」、見て、笑って寝る。これが、週末の、ささやかな楽しみであり、あのバカらしさが、リラックスさせてくれる。それで、本日は、移動キロ数わずか、数キロ、ほとんど休養日。よって、昨夜は、エンタ見て、恋から見て、と楽しみにしていたのである。♪が、エンタが始まる前から、眠くて、眠くて、エンタが始まって、10分も経たない内に眠りについてしまった。「ありゃー!」、と目が覚めたのが、3時。5時間熟睡。その後、眠れず、ブログを見ていた。もう、残念でありました。早く寝て、見たいテレビ見られず、夜中に起きているって、ほんとおかしな生活ですなー。しかし、本日は、久しぶりに、「所さんの目がテン」を見た。オープニングのアホらしい、コントが面白いのだ。雨、しかも強い雨、の予報のはずだったが、今、外は、曇り。なんだよー! これなら、昨日、あんなに頑張らなくてもよかったのに・・・。連休も、本日が最終日。皆さんは、? ? ? ? ? ?などなど、楽しめたでしょうか?
2006.05.07
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5月6日(土) 実は本日、ゆったりした一日にするつもりで、ホテルを8時出発と言う、お遍路さんとしては、非常に遅い出発にした。 しかしながら、実際は、非常に頑張り、宿には、17時過ぎ。札所の受付最終時間まで、歩き続け、4万歩を超えた。 何故ならば、明日が雨で、しかも強い雨予想なので、今日中に頑張っておこうと決めたのである。そして、明日の朝は、宿にお願いして、朝ごはんの後、部屋でゆっくりさせて貰うことで了解済み。 明日の宿の、弘法大使の誕生地、真言宗の三大零場の、善通寺へも、昼頃到着しても、部屋へ入れてくれることを確認済み。 明日は、日曜日であるし、雨でもあるので、たったの4~5キロ歩くのみ。カレンダー通りの休養日となる。 ラクチンだ。休養日前の気分も気楽。 68番札所:神恵院69番札所:観音寺 同じ境内に二つの札所がある。珍しい。納経も、同じ場所で、2箇所分、行ってくれる。 70番札所:本山寺財田川んほとりを、4キロほど歩く。途中地元の方で、教師を3月に退職された方が話しかけて来る。歩き遍路に興味があるようで、色々と聞かれた。でも、一人で廻る勇気がなさそう。仕切りに、一人で大丈夫か? と心配していた。 71番札所:弥谷寺近くに行ってからの、登りがきつかった。おまけに階段が多い。足裏が痛くて、歩くのが辛い。次に札所へ行く途中に、お遍路さんよう、休憩所があった。こう言う場所があると、ありがたい。特に雨の時など、休む所がないと、歩き続けねばならないし、昼食も食べられない。72番札所:曼荼羅寺 73番札所:出釈迦寺 本日の宿は、出釈迦寺のすぐ下にある、坂口屋。結構大きな旅館であるが、今夜の客は、僕だけ。風呂は、目の前が沼。大きな温泉のような風呂に一人。食事も部屋にはこんでくれる。 連休、昨日まで、大忙しだったらしいが、本日はばったり途絶えたらしい。お陰さまで、僕は、気分よし。
2006.05.06
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5月4日(木)に宿泊した時の出来事。 食堂で、6名の客で、夕食を食べていた。ご主人と、女将さんも加わり、お遍路の話題で、盛り上がっていた。客は男性ばかりで、変に気を使わなくても良いので、雰囲気よし。 食事も終わる頃、遅れてご夫婦がやって来た。奥様は、やけに若い。不倫のお遍路さんかと、間違うほどの歳の差に見える。 まぁ、あの純真無垢と信じたい笑顔美人が、お遍路の途中で年寄りとくっつく様を、身近で見て来たので、然もありなん、と感じた次第であります。 しかし、その人が言い出した言葉に、一瞬、食堂の空気が凍りついたようであった。 宿のご主人 :「30キロも歩いて、疲れたでしょう」男性 :「いや、大した事は、ないのですが、貧血気味で、それが気になります。」男性 :「実は、抗がん剤を服用しているので、それが影響しているのです。」男性 :「こう言うこと、言って良いのか・・・。実は、末期癌なんです。」一同 :「・・・」、無言。 もうあちこちに転移していて、駄目らしい。 ご主人 :「そんな状況なのに、あなたは明るいなー、そうは見えない」この言葉に、食堂の空気も緩み、癌の話になった。 「びわの種」が癌を治すって、民宿:とうべやのご主人に教えて貰ったので、それを話すと、彼曰く、「そんなのは、100種類以上ありますよ、何が効くかなんて、分かりはしない。」と。 食事は終わっていたので、途中で抜け出してきたが、明るい顔で、明るい声で話していても、気が滅入ります。生きてこそ、ですね。何があっても。と思わされます。 癌の末期であると言うのに、歩きお遍路を、しかも、それに比べれば、大した事ない、僕の病気なのに、僕よりも多く歩いている。相当の精神力なのでしょう。 見習わねばならないと思うけど、自分がそうなったとしたら、同じように、出来るかなー、と、考えると、とても、信じがたいほどの、頑張りである。 凄いなー、と、ただただ、感心している。 僕より、だいぶ早く出発したと思うが、88ヶ所の最高峰、雲辺寺で、追い付き、お二人に出会った。連休で多くのお遍路さんがおり、座る椅子がなかった。それを見ていたお二人は、自分達が、それだけの重大な病気を持ちながら、僕に席を譲ってくれようとした。 何とも、素晴らしい、思いやりではないか。ただただ、感服している。そして、これだけ強い精神を持っていたら、自力で癌を克服するのではないか? と思った。是非、治って頂きたいものと、願うものである。
2006.05.06
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5月5日(金) 65番札所:三角寺は、愛媛県66番札所:雲辺寺は、徳島県67番札所:大興寺は、香川県 昨夜は、65番と66番の間、愛媛県に宿泊。愛媛県最終日であった。雲辺寺は、徳島県側にあるが、66番に組み入れられている。 煩悩が一つ消えたので、良く眠れた。工程もゆったりなので、気持ちも楽。8時頃出ようと思ったが、やることもないので、7時半には出発。 88ヶ所最高峰の、雲辺寺への道を登り始めた。そしたら、こんな看板がありました。こんな所でする人がいるから、こう言う看板を出さざるをえないのでしょうね。犬の看板は良く見かけるが、こう言うには見ないねー! さらに登っていくと、こんなのが、お迎えしてくれました。どうも、気持ちいいって、感覚を与えてくれない生き物ですねー。可愛そうですが。 民宿:岡田から、の舗装道路を外れて、急な坂道のお遍路道を登っていく。汗が、顔から、ポタポタと滴り落ちる。それさえも気持ちいい。最近は、お遍路道を歩くと、気持ち良いと感じる。息が切れてもだ。 1歩1歩、歩けば、少しずつ、目的地に近づく。約2時間と少しで、徳島県、66番の雲辺寺に着いた。 そして、今度は、900m以上の高度から、一気に下りだ。遍路道は、気持ち良い。そして、相変わらず、ツツジが、雰囲気を盛り上げてくれる。 山道を下ってから、さらに舗装道を、1時間以上歩いて、香川県最初の札所、67番の大興寺に着く。 この近辺に泊まる予定であったが、PHSが繋がらないし、まだ14時で時間もあるので、足を伸ばして、観音寺市まで、行くことにした。そして、この通り、ブログに接続できたのであります。
2006.05.05
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5月4日(木) この日は、朝早い出立とした。出来れば会いたくない人たちがいたからだ。調度、具合良いことに、連休であり、宿が朝食を準備してくれない。 5時45分、今までで、最も早い出発である。 早朝、三島の道路を歩いていると、地元の方が、バイクで、一緒に三角山に登らないか、と声を掛けてくれた。昨夜の寝不足と、昨夜から良い気分でなかったから、この語りかけは嬉しかった。 足摺の娘さんとでも、会えないかなーと願っていたが、このおじいさんとの歩きの方が、ずっと良かった。年齢、76歳という森屋さんと言う方であるが、毎日、三角山に登っているとのこと。急坂では置いていかれるほど、健脚である。この方です。三角寺にて、記念に撮らせて貰いました。地元では有名な方のようです。三角寺には、山門に鐘楼がある珍しいものです。 三角寺をで、会いたいと思っていた、足摺の娘さんたちに会った。三島では、別のホテルに泊まっていたらしい。挨拶して、先に三角寺を後にする。 途中、三島が良く見える。製紙会社の町のようで、大きな煙突から、白い煙か蒸気が吐き出されている。 さらに歩くと、オオボケ、コボケと言う、地名の看板が出てきた。おもろいなー、と写真を撮ってみました。 そうこうしていると、正午過ぎに、宿についてしまった。朝早い出発であった為、余裕にありすぎる到着だ。しかし、正午なのに、お風呂の準備は出来ているし、洗濯機の使用も無料。 ゆったり、風呂に入り、昨夜は入りそびれてしまった、旅の垢を落とした。そしてジーパンも含めて、全て、洗濯も完了した。 あの、笑顔美人と中年男性、そして、足摺の娘さん達には、もう会わないだろう。彼らは、先に行ったし、今後、電車に乗る予定もないので、会う可能性はゼロ。ここ数日は、悩まされた。こっちの勝手な想いで悩まされただけであるが、取り合えず、一つの煩悩が消えた。 本来なら、彼らがいなくなって消える煩悩でなく、いてもいなくも、このような煩悩があってはいけないはずであるが、何とも、はや、情けないお遍路さんであるものだ。 今の予定で行けば、5月12日(金)、満願成就することになる。
2006.05.05
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5月4日、出発から31日目。やはり山の中はPHSが通じない。 止むを得ず携帯から概要のみ。 地元のおじいさんに、三角寺まで連れて行って貰う。声を掛けてくれたのだ。 途中、野草、石、280回も回ったお遍路さんのことなど、 色々と教えて貰った。 正午には宿に着き、風呂に入り、選択もしてゆったりしている。 若いご隠居と笑顔美人の娘さん、足摺の娘さん、ここ数日、かってに 悩まされた方々は先に行った。もう2度と会わないだろう。 、 皆さん、頑張って回っているので、満願成就して、幸せになって欲しいものであります
2006.05.04
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ちょっとした事なのに、眠れない。22時に床に着いたが、全然眠れず、23時に起き、ブログを見たりして、安定剤を、いつもより余分に飲む。そして、うとうとしながら、ようやく眠りにつくも、4時に目が覚め、もう眠れない。忘れもしない、調度、3年前の、5月8日、上海で、いきなり動けなくなって緊急入院、血圧が、200以上に上がってしまい、それ以来、治療を続けているのである。今から、思い起こせば、倒れる前は、ほとんど休みなし、多くの案件を抱え、張り切って仕事をしていた。病気になるなど、全く、徴候なしと思っていた。しかし、眠れない、夜中に起きて。紹興酒を飲む、いらいらする、階段を登ると息切れするなど、明らかな徴候があったようである。眠れないのが、最も大きく影響するような気がする。歩き遍路に出てから、良く眠れるようになったが、昨夜はダメだった。如何に、心の迷いが克服出来ていないか、よく分かる出来事である。遺憾なー。もっと、心を安らかに、何があっても、許せる、何があっても、動揺しない柔軟な強い心を持ちたいものである。本日は、二つの峠超え。寝不足で大丈夫かなー?少し、心配であるが、ゆっくりゆっくり、行こう。 眠くなったら仮眠でもして。
2006.05.03
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5月3日(水) 亜州の星次郎でござんす。 初めから涙でござんす。 全く、何と申しましょうか・・・。 もう会いたくないと思った、ご隠居と娘さんと又、会ってしまいやした。 10回目。もう驚きを超えて、怖いほどでござんす。もう、あの二人で、一緒に旅を続けて、6日目になりやす。ご隠居と言ったって、まだ、若けー、ご隠居でござんす。 しかも、隣の部屋でござんす。 あっしが、部屋で書き物をしておりやしたら、「ごめん下さいまし」と言う声が聞こえやす。宿の仲居さんかと思って、顔も上げず、「どうぞ」といいますと、あの笑顔美人が、外に立っているではないですか? 参りました。 驚きました。あっしの、邪魔はしないで欲しいでは、ありやせんか! 心が乱れます。 ご隠居と、娘さんは、同じ部屋で、お泊りでござんす。ほとんど襖一枚の隣でござんす。気になりやす。いやいや、そんな事は、あっしには関わりがねーんでござんす。布団被って、寝てしまえばいい事で、いつものことじゃ、ござんせんか! しっかし、まさか、まさか・・・ もう会いたくねー、と、思っていたのに、又、会うとは。しかも隣の部屋とは・・・。 気になるんでござんすねー。笑顔がねー。 いやはや、まったく・・・。 こう言うのも試練と言うものでござんしょうか?大使様が、与えた試練とおもい、超越した心で接しやしょう。
2006.05.03
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5月3日(水) 本日は、すご~く、余裕のある日。 と言うのも、宿が取れない為に、ゆったりせざるを得なかったのであります。それでも、宿に宿泊の皆さん、7時過ぎには、出発なので、僕もつられて、7時半に出発。この時間でも、最終出発者でした。 それで、すぐ近くの、宝寿寺へ。わずか5分もかからずに到着。 62番札所:宝寿寺 次が、また、2キロもない近場、20分ですぐに着いた。 63番札所:吉祥寺 次は、少し遠い、と言っても、3キロちょっと。その途中、鯉のぼりがチラホラと見える。歩き遍路を始めた頃は、桜ばかり目についたが、もう鯉のぼり。時は流れています。 40分で、64番札所:前神寺へ着きました。 これで、本日の札打ちは完了なのですが、3万歩程度は歩きたいので、そのまま歩く。すると、カラス2羽VS蛇の戦いが、畑の中でありました。カラスの方が、圧倒的に有利です。蛇は、鎌首上げて、対抗するものの、一羽が尻尾を攻め、一羽が頭を攻めています。 暫らく、見ていましたが、蛇も段々弱って来ました。助けてあげる義理もないので、写真撮って、立ち去りました。蛇が見えませんね? 中萩駅から電車に乗って、伊予三島で降りました。ワンマン電車です。1万円しか持っていなくて、運転手券車掌さんも、細かく出来ない。困ってしまって、ワンワン、じゃなくて、困ってしまっていたら、ある駅で、留まってくれて、両替してくれました。如何にも田舎の電車ですねー。 都会では、そう言う訳には行きません。 明日、明後日は、三角寺山、そして、標高921mの、雲辺寺山へ登り、その付近に泊まるので、PHS無線が届きそうもない場所。 従って、ブログは休みになりそうです。淋しいなー。何たって、今は、ブログが友達、いや、ブログが恋人だからね。そう、○○さん、△△さん、◇◇さん、その他、皆さんが恋人なのです。 いや、明日の朝まで、大丈夫。
2006.05.03
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5月3日(水) 「出来るだけ歩きお遍路」、も、30日目となりました。それだけ、宿泊したことになりますが、ある法則を見つけました。 それは、「お年寄りほど、他人の話は聞かず、自分の経験のみ、話す。」と言う法則です。勿論、例外はありますが、どうもその傾向です。 何故でしょうか? きっと、経験豊富なので、自分の経験を話したいのだろう、と最初は思っていました。しかし、始めての歩き遍路の話にしても、そうだし、自分の経験していないことでさえ、持論を曲げずに、話し出すことさえある。 と言う事例より考えるに、先が短くなると、他人のことなど、関係なしに、自分の事を話したくなるのであろうか? と。 昨夜も、足摺の若い女性と話しているのに、そばに来て、どかっと座り、全く関係ない話をしだす、御仁もいた。 「人の振り見て我が振りなおせ」、と言われるが、聞き上手になりたいものだ、と思う。沢山話せば、信頼されると言うものではない。無言の説得と言うのだってない事はないのだ。 でもなー、この法則、仏様のような笑顔を持つ、おばあさんに出会ったりすると、「年齢と会話の法則:例外編」、を作りたくなる。
2006.05.03
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5月2日(火) 久しぶりの、亜州の星次郎でござんす。今日も、色んな人との、出会いがござんした。 何と、笑顔美人との、8回目の遭遇。もう会えないだろうと思っておりやしたが、何ででござんしょうか? こんなに会えるのは、何かがあるのでござんしょうか?怖いくれーでござんす。 横峰寺で、札打ちも済み、納経も済んで、少し休んだし、さて、そろそろ、下山の頃か、と三度笠に手を取りかけた時、笑顔美人の相棒が、山門をくぐって来たのでござんす。 「お嬢さんが、あとから来るので、元気付けてくんなせー。」、とそのご隠居が言うのでござんす。その、ご隠居、3~4日前より、笑顔美人とずっと一緒に旅をしておりやす。 (チッキショー! 女装の芸人の真似でござんす) そのご隠居一行は、5~6人の、若けー、娘さんを引き連れておりやす。あっしには、信じられねー。 いや、羨ましいのではござんせん。 何? 嘘こけ! だって? いやいや、全く羨ましくねーかって言えば、そりゃー、少しはそう言う気持ちはねーでもねーでござんすが、旅はやっぱり一人が、よござんす。 食いてー時に食って、休みてー時に休んで、気にいりゃー、いつまでも空を眺めていたって、誰―も、文句は言やーしねー。それが、誰かと、一緒に歩いてみなせー。腹減っただの、小便してーだの、喉が渇いただの、足がいてー、肩がいてー。きっとうるさくって、たまんねー。 ま、それはそれで、人それぞれの生き方であって、あっしには関わりはねーのでござんすが、5~6人の娘さんの中に、あの足摺岬で、一緒の宿に泊まった娘さんもいるのでござんす。つい2日前に会ったばかりで。3回目でござんす。しっかし、いつの間に、ご隠居後一行様に合流したのか で、もう旅支度はしたし、山門で、笑顔美人を待っておりやした。来た、来た、鼻歌を歌いながら、やって来やした。「お待ち申しておりやした。」と言うと、何故か、ちっとも嬉しそうな顔をしてくんねーのでやす。 それより、連れはどこにいるのか、気にしているようでござんした。邪魔したなー、と、「それでは、又、どこかで会いましょう」、と言って、そそくさと立ち去ったのござんした。 何とも、情けなーような、気持ちでありやす。 8回会ったので、末広がりで、よござんした、と、思いながら、山を降りやした。これで、もう、会うこともなかろう、と。 そうしたら、次の香園寺でも、又もや会ってしまったのでござんす。もう、会いたくねー、気持ちでありやしたが、「星次郎さ~ん!」と呼ぶので仕方ありやせんや。 9回目といやー、良いのか、悪いのか?でも、もう会うことは、ありはしやせん。会いたい気持ちがねーですから。 挨拶だけしやした。何故なら、ご隠居が、そばにぴたりと寄り添い、はよーせい、と言うような仕草をしているからでござんす。嫌な世の中になったじゃーござんせんか! そんで、まだまだ、あるのでござんす。笑顔美人とご隠居が立ち去ったあと、足摺岬で同宿の娘さんがやって来たのでござんす。4回目の遭遇 旅の宿へ早めに入り、一番風呂でゆったりして、夕食を食べていると、その娘さんが、入って来やした。5回目の遭遇でござんす あっしには、関係ねーことでござんすが、全く、良く会うものでありやす。そんなことに、惑わされず、「同行二人」、金剛杖さえ持てば、一人じゃーねー。先祖供養、家内安全、健康回復、健康増強、商売繁盛を祈って、お遍路を廻りとーござんす。 なんやら、愚痴なのか、独り言なのか、訳分かんねー、話になっちまった。勘弁しておくんなせー。
2006.05.02
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5月2日(火) 黒瀬湖畔の京屋旅館、温泉であるし、見晴らしも良い。料理もおいしい。そして、夕食時に写真を撮って、本日の朝、綺麗にプリント(言葉入り)したものを頂いた。とても良い思い出となりそう。 そして、値段も、入湯税含めて、5400円。ここもお奨めですねー! 朝、霧雨模様の中、横峰寺を目指す。結構、きつい坂道を、2時間半もかかって、登った。疲れた! 霧から雨模様で、写真も見難い。 この横峰寺で、又々、出会いがありましたが、別掲します。登りは、京屋旅館から、車道を登ったが、降りは、お遍路道を通った。晴れでも、雨でも、お遍路道を歩くのは、気持ちいい。 台風で、がけ崩れがあり、お遍路道は通れないと、お坊さんから言われたが、登って来る方もいるし、奥の院と言うのも見て見たいので、お遍路道を降りる。ありました、「奥の院」 そして、やはり2時間半ほどで、香園寺へたどり着いた。この札所、他の所とずいぶん異なる概観である。又、本堂と大師堂が、同じ建物にある。今までで、初めて。下記が外観です。明日もゆっくりです。
2006.05.02
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5月1日(月) ゴールデンウィークが始まり、宿の予約が困難になって来ました。いつもは、前日、若しくは、当日の午後一番までに、電話を入れて予約していました。歩き遍路さんは、概ね似たような予約を行っているようです。 無論ながら、きちんとスケジュールが決まっていないと、安心できない、御仁もいらっしゃいますから、全て予約している方も、極、まれにはいますが・・・。 特に、5月3日と4日。自分のペースで歩いて、調度良い宿が、予約で満室。スケジュールを変えるしかない。しかも、早くは出来ない。遅くせねばならない。 と言うことで、普通でもゆったりなのに、益々、ゆったりの工程になってしまった。 本日は、宿に荷物を置いて、54番札所:延命寺へ行く。その後、61、62、63を廻る予定であったが、明後日に変更。 延命寺へ行く途中、城のような建物があった。何だろう?どうも、高校か、住宅の模様。こんな城のような建物を建てる人がいるのですねー。 電車で、伊予小松へ移動。60番札所:横峰寺への坂道を登る。山は、写真のように、新緑。緑でも色んな緑がある。数えたら、10種類以上。自然は、色んな色を、作り出すものだと、感心する。こんなに沢山の色を、プロの画家は、どうやって描くのだろうか? フーフー言って、休もうかと思った頃、黒瀬湖に着く。黒瀬ダムが作った人造湖だ。案内書。 本日も、会わないだろうと思われる人にあった。京都から来ている、おじいさんの二人。電車車であったが、今回で3回目。昨日の、イギリス人とアメリカ人の3人組。黒瀬湖への道を汗だくで登っていたら、彼らは、涼しい顔で降りてきた。 何れも、ちょっと雑談して、別れたが、同じ人に会うのは、珍しい。笑顔美人の7回には、敵わないが・・・。 宿は、黒瀬湖を見下ろす、最高の場所にある、京屋旅館。その夕食です。 朝、早く起きて、カーテンを開けて、夜明けの黒瀬湖を撮りました。 以上です。
2006.05.02
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5月1日(月) 今朝、もう、哀しい物語を聞かされました。 少し、遅れて朝食に行ったら、自分の経験からしか、話をせず、他人の言うことは無視する、よくいる頑固爺さんは、もう朝食も終わりかけて、お茶を飲んでいた。そして、すぐに部屋に戻った。 ゆったりした気持ちで、朝食を食べ始めると、年のころ、う~ん、どうだろうか?ずいぶん幅が広いが、30~40歳と思われる、人が隣に座った。穏やかな態度と、穏やかな顔つき、話もゆったりしている。 何故、お遍路しているか、との話になり、彼は、語り始めた。 小さな会社を経営していたが、肺を侵され、入院を余儀なくされた。会社は倒産、そして、退院してみれば、妻も子供もいない。唖然としたとのこと。 妻と子供さん、どうしたのか? と、聞きにくい事を聞いたら、別の家庭を作ったとの答え。要は、入院して、会社が倒産していた時に、男を作って、逃げ出した訳であります。 何もしたくない、気持ちで、引きこもっていたが、これではいかんと、秩父の札所巡りを行ったところ、頑張らねばと言う気持ちになったとの事。 それが、きっかけで、四国のお遍路も始めたらしい。 人間、辛いことは、誰でも、多かれ少なかれあると思うが、こう言う話を聞けば、自分など、幸せな生活だなー、と思わざるをえない。 屈託のない笑顔で、話してくれていたので、傷も癒えて、生活していると思われる。元気に頑張って、幸せな生活をして貰いたいものと、願います。 今朝の話でした。
2006.05.01
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4月30日(日) あんまりお奨めでない、民宿:上村を出発。歩いて1分の、円明寺へ行く 和気駅から電車に乗って、桜井駅まで。宿泊施設の関係上、53番から54番でなく、59番から、逆打ちをすることにした。よって、桜井駅から、59番札所:国分寺へ。お大師様と握手が出来ます。 次に、58番札所:仙遊寺へ向かう。ここは、昨日は全くなかった、お遍路道がある。急坂であるが、何故か落ち着く。何故、歩きお遍路が良いのか、少しだけ分かる気がした。自然を楽しむ、自然は癒し効果があるのではないか、と感じる。舗装道路を歩くのと明らかに異なる故。 五郎兵衛坂、も、通りました。この説明、五郎兵衛さんも、ちと可哀想かな?と思いました。漁師にとって、魚に逃げられたら、怒るよね。死活問題だもの。 58番札所:仙遊寺 57番札所:栄福寺 56番札所:泰山寺 55番札所:南光坊 本日は、日曜日、少しゆっくり「するつもりでしたが、結局、3万歩も歩きました。
2006.05.01
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4月30日(日) いやー、本日は、色んな人に会った。 58番札所では、外国人が3名、「般若心経」を、本堂、大師堂で、唱えていた。それが、終わると、何と、僕が昼食を食べている、木陰の椅子の所へ来るではないか 「こんにちは!」、と愛想良く、挨拶をしてくれた。なんだ、日本語しゃべれるのじゃないか、と、一安心して、「一番からずっと歩いているのですか?」って聞いた所、「日本語ちょっと」、との答え 仕方なく、得意の英語で、話しかけたら、何と僕より、ずっと英語がうまい。当たり前だった。イギリス人と、アメリカ人二人の三人だった。日本語ちょっとなのに、「般若心経」、は、きっちり読めるのだから、大したものです。 で、次に、足摺岬の民宿で一緒だった、若い女性を会いました。あの、笑顔美人とは別の人です。ずっと、歩いていたようです。ペースは僕の2倍程度なのでしょう。電車、バス併用の僕と、又、会うのですから。 で、驚いたのは、笑顔美人。な、なんと、又、会ったのであります。遠くから見て、すぐに分かりました。今度は、笑顔美人も、ちと遠くからでも、僕だと分かったようで、大きく両手を広げて、挨拶してくれました。 そして、手を差し伸べて、握手を求めてくれたのであります。男性から女性に握手を求めてはいけないと教えられていましたが、女性から求められたら、握手しなさいとも教えられていました。よって、遠慮なく握手した次第です。あったかかったな。 しかし、驚きなのは、足摺岬へ行く途中で、追い越されて1回。彼女が、休憩しているとき、追い越して2回目。僕が昼食して、おばさんと話している時に、追いつかれて3回目。翌日、追い越されて4回目。岩屋寺の打ち戻りの時で、5回目。浄瑠璃寺で会い、八坂寺まで一緒で、6回目。そして、本日で7回目。 何かの縁があるのでしょうねー! でなければ、こんなに会わない。驚きました。と思って、メルアド教えて貰って、送りました。 が、返事がありません。 それはそうと、本日会った時、一昨日、八坂寺で会った男性と一緒に歩いていたのです。う~ん、これも縁か? あれも縁か? ガクッ っと、うな垂れる。
2006.04.30
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4月29日(土) 民宿:天菊のご主人は、仲々、話好きで世話焼きだ。民宿の親父としては上の部類。義理の兄が、癌で手術したと話したら、びわの種が、癌に効くと、自分で作ったと言うびわの種の粉を数か月分頂いた。お接待だからと。 本日は、西林寺でも、草もちを、お接待で頂いた。繁多寺では、おばさんにお茶を、おばあちゃんに、パンと菓子パンを頂いた。途中、歩いていて、道に迷った時に、道を聞いたおばあさんに、冷たいものでも持っていきな、と、自販機で、お金を入れようとしたので、申し訳ないので、気持ちだけ頂いた。本日は、親切な方ばかりと出会った。 そう言う事もあってか、朝の7時半から、夕方の17時半まで、10時間、ばっちり歩いた。 何と、4万8千歩。26.7キロ。多分、今回最高でしょう。良く、頑張りました! しかし、本日は、道後温泉から、松山市内を通過したので、昨日とは打って変わって、コンクリの道路ばかり。やはり、お遍路道の山道が懐かしい。可憐なお花も見たい。土は足にもやさしい。本日は、踵が痛くて、階段を降りにくい。 で、写真も、札所のみです。 西林寺浄土寺 繁多寺 石手寺 太山寺 道後温泉には、足湯があったが、ゆったりすると、歩く気になれないので、横目でにらんで通り過ぎた。 松山城も昨年行ったので、横目で見ながら、歩き去る。 と言うことで、今夜は早めに寝ます。では。 上記、昨日、入力したのに、何故か、登録されてません!おっかしいなー?
2006.04.30
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4月29日(土)ちょっと無理し過ぎたのか、今まで全く痛くなかった、腰が痛くなった。舗装道路を、28キロ近く歩いたから、腰に響いたのか?踵は、前から痛かった。どうも、靴の選び方を間違えたようだ。軽い靴が良いと思って選んだが、靴底も薄い。中敷も入れたが、まだ、十分でない。本日は、日曜日でもあるし、歩く距離を減らして、ゆっくり歩こう。円明寺近くの、民宿:上村に宿泊しているが、団体さんと一緒でうるさい。女将さんの態度もよろしくなく、昨夜の、民宿:天菊と、大きな相違。民宿:上村は、お奨め出来ない。お茶もなし、浴衣もなし、タオルもなし、おまけにお湯までくれない。値段は、一般的な、6500円。民宿:天菊さんは、5500円で、全てが上回る。色んな、お宿があるものです。さて、朝食です。
2006.04.30
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一昨日、宿が一緒だったお遍路さんは、何と、半年で3周、札打ちするとの事で、今が、3回目らしい。55歳で、昨年の11月後半に始めて、今が3回目でほぼ半分。一日、平坦な道路ならば、50キロは歩くと言う 凄いなー! とても真似出来ない。最初の頃は、泣きながら歩いていたそうです。あちこち痛いし、辛いし。きっと、言えない、凄く辛いことがあったのでしょうね。明るい顔して、話していましたが・・・。歩きお遍路をしている方々は、たぶん、いや、きっと、理由があるはずです。しかし、それをお聞きするチャンスは、非常に少ない。出来れば、聞いて見たいですね。きっと参考になると思うのですが・・・。
2006.04.29
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4月28日(金) 朝から、晴天です。この空を見て下さい。いい事がありそうなこの空です。そして、ほんとに、良いこと、あったのです。(最下段参照)あんまり、気持ちいいし、時間もあるので、路傍の草花の写真を撮りながら歩きました。(花の写真は、別掲。) 遊さんが、良く言ったと言う、久万スキーランドの看板もありました。この横を通って、三坂峠に向かいます。 峠を越えて、チラホラと家の見える所へ降りてくると、山の合間に、段々畑が見えて来ます。 上の写真、周りがトタンか何かで、囲ってあるのが、分かりますか?ここも猪が出て、何でも食べてしまうらしいです。地元のおばさんに聞きました。猿も出るそうです。被害が大きいらしく、大変ですねー、地元の方は。 さらに、歩くと、浄瑠璃寺です。 そして、山門を入ると、何と、笑顔美人が、ニコニコして、そこに立っているではありませんか! 驚きました。多分、明日には会えるのではないか? とは思っていましたが、全く、想定していなかったもので、言葉が出ません そして、次の八坂寺まで、お話をしながら、一緒に歩いて行きました。 八坂寺です。 この笑顔美人のお嬢さん、49番まで行って、温泉に泊まりましょうよ!って言ってくれました。 しかし、僕は、八坂寺の近くの民宿を予約しています。それを言うと、そんなのキャンセル出来ますよ、お遍路さんは、今から、予約するのだから。と、さらに、誘ってくれたのであります。 こんな嬉しいことが、ありましょうや。もう心は、民宿キャンセル、温泉、と踊っていたのであります。 が、「あっしは、亜州の星次郎」、であることを思いだしたのでありやす素人衆と関わりをもたねーのでありやす 残念ながら、お嬢さん、あっしは行かねば、ならねーのでござんす! と、三度笠を目深にかぶり、くるっと後ろを向いて、「又、どこかで、お会いしやしょう!」と、歩き出したのでござんす。無宿人、渡世人はつれーのでござんす。 後ろを振り返るりてーのは、山々なので、ござんすが、それが出来ねー。名前と、出身地は、教えてもらった。ただ、それだけでござんす。もう2度と会えねーかも知れねーのに・・・。 涙・・・ポロ。
2006.04.28
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4月28日(木)本日は、工程的に余裕があったので、道端の花を見つけたら、カメラに納めながら、歩いた。普段の2倍近く、時間が掛かったが、沢山あるものである。そして、綺麗で可愛らしい。 花の写真を羅列します。残念ながら、花の名前は一部しか、分からないので、記載出来ません。 沢山、ありますねー! 驚きです。まだ、ありました。気にして、歩いて見ると、本当に多くの花が咲いています。いい季節です。自然と、くちびるに、微笑が浮かんで来ます。今回は、お花祭りでした。
2006.04.28
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4月27日(木) 44番札所、45番札所への札打ちが完了したので、半分を廻った事になる。 出発前は、持参物、靴、体調、スケジュール、その他、諸々、心配していた。しかし、普通のお遍路さんに比べて、歩行距離は少ないとは言え、24日間も、歩き続けられた。 3年前の発病時には、信じられない出来事である。途中、不整脈も出て、弱気になったが、慌てずゆっくり歩いている内に、問題なく、本日など、24キロ、絶好調で歩くことが出来た。本当に有難いことで、感謝したい気持ちで一杯である。「南無大使遍照金剛」である. 以上は、体調であるが、内面的には何が変わったのか? 何にも変わっていないように思う。歩いている時に、何を思っているか? 父母や家族、小さい頃のこと、会社のこと、お付き合いした人のこと、などなど、いつも、そんな何かを考えている。綺麗な人が通れば、降り返ってみたい気持ちが湧き起こる。 遺憾なー! もっと、鳥の鳴き声に答え、木々のささやきに耳を澄ませ、爽やかな風、青い空、そして、恵みの雨にも、感謝しながら、無心で歩く・・・そんな歩き方をしながら、多くの人が、幸せな生活が出来るよう、祈る・・・ 邪心を捨てて、仏心に少しでも近づけるようになりたいものであります。 単に歩いているだけでは、何にも変わらない。どうすればいいのかも分からないが、少なくとも、気の遠くなるような、数十億年と、数百億年と言う、大宇宙の中で、生を受け、生きて歩いていける事に、感謝しながら、あと、半分歩きたいと思う。
2006.04.28
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4月27日(木) 本日は、44番札所から45番札所へ行き、又、同じ道を戻って来るルート。これを、「打もどり」と言います。打つとは、以前、説明しましたが、昔は札が木や紙で出来ていて、これを打ち付けた為に、お参りするのを「打つ」と言い、霊場を札所と言う。 順打ち、逆打ち、打戻り、などの言葉がある。 道を戻るので、順打ちよりも、多くの人に会う。この日、思いもよらない人に会った。足摺岬で、抜きつ、抜かれつで、何となく知り合いになった、笑顔がとても、印象的なお嬢さんだ。遠くの方から、僕は彼女を認識できた。歩き方に特徴があるからだ。 近くに行くまで、僕であることが分からなかったようであるが、近くで認識してくれた。数分しか話は出来なかったが、相変わらず、笑顔が、素敵だ。 こちらまで楽しくなってくる。良いなー、ああ言う笑顔は。又、どこかで会いましょう!って言って、分かれた。 明日か、明後日、きっと会うはずだ。 久万高原の宿から、2キロで、44番札所:大宝寺がある。 写真 大宝寺を札打ちした後、裏山をすぐに登る。この坂が急で、朝一番から嫌になるほど。しかし、その後は、多少の勾配はあるものの、気持ち良い、お遍路道。 そしたら、こんな生き物がいた。気持ち悪い! 裏返してみたら、もっと派手!気持ち悪い! そして、宿を出てから、5時間。岩屋寺へ着いた。結構遠かった。車で来ても、駐車場から、15分ほど、急坂と260段位の石段を登らねばならない。 沢山の、石仏もあった。 そして、その打もどりの時に、会ったのが、笑顔美人でした。次回、会ったときは、写真を撮らせて貰おうと思っています。許してくれれば。
2006.04.27
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4月26日(水) 徳島から初めて、四国も、もう23日目となった。 しかし、セブンイレブンを、一つも見ていない。四国へは進出していないのですね? 僕は、バークレーバウチャーと言う、色んなレストランが加盟している、券を、1万5千円分ほど、持参しました。しかし、全く使えません! 東京では、沢山のお店で使えるので、大変便利なのですが、全国的には、セブンイレブンと、ファミレスの、あれ どこだったかな? う~んと?ありゃー、出て来ない 脳の回路がこんがらかってしまった それで、そう、そのファミレス位しか、使えないのです。 ずっと、使えそうにない。
2006.04.27
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