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弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」は会員制です。会員になるためには免許証(学生証、パスポート、健康保険証など公的証明)の提示と利用規約に署名と押印が必要です。たまに「堅いですねェ・・・」と嫌味を言われる事がありますが気にしませんし、身元を明かすのを拒否するする人がいますが、そういう方はスタジオ利用を断っています。スタジオに限らず、レンタル自習室や卓球場も同じです。会員制がイヤだという方は、他社を利用してもらっても別に何の問題もありません。飲食店なんかは誰でもOKですが、弊社は会員制なのでお客様は神様でもなんでもなく、こちらで選ばせて頂いているのです。そうしないと他のお客さんにも迷惑が掛かりますし、そんなトラブルに娘と2人のファミリービジネスなので時間が取れないのです。しょせん零細企業なので規模の拡大は全く考えてなくて、自分たちのメシが食えればイイや・・・というスタンスなので、良いお客さんしか来て欲しくないのです。だから誰も雇ってきませんでしたし、これからも誰も雇う事はなく娘と2人でやっていくでしょう。スタジオ会員数も2800人に達する勢いですが、別に数を追求している訳ではありませんし問題は中身で、会員になってもスタジオルールを守らない人には遠慮なくイエローカード(注意)やレッドカード(出入り禁止)を出しています。それで来なくなれば売上も減りますが、それ以上に会員数が増えているので売上全体が減る事はなく、しかも年々お客さんの質が良くなっているのです。正に「数(量)が質を上げる」というビジネスセオリー通りですが、これも1,2年では難しく、5年以上キャリアを積まないと「本当のところ」がワカリマセン。この辺が自分で事業をやっているビジネスの醍醐味(オモシロさ)で、会社に大きく依存しているメンバーシップ型のサラリーマンや、業者に丸投げやフランチャイズや代理店といった「他人任せの商売」では決して味わえないのです。ここがポイントで、こうなると仕事がオモシロくて仕方がなく、私のように土日関係なく旅行先でも年365日仕事をするようになるのです・・・(笑)。要はこういったサイクルにハマるように、自分独自のリズムを作るという事です。20代から40代の織物時代に比べたら肉体的にも精神的にも10分の1くらいの仕事量とプレッシャーなので、自分では仕事をやっているという自覚や感覚はあまりなく、半分遊びでヤッテいる感じです・・・(笑)。あと2年で70歳になりますが、この調子だと70代の10年間は楽勝で仕事を続けられそうですが、12年後には世の中も激変していると思われますし、自分も確実に老化していますので、70代はやはり褌のヒモを締めながらヤッテいこう・・・と(汗)。70代の10年間は同級生らの多くは老後ライフを楽しんでいるかも知れませんが、私は人生最後のビジネスチャンスだと捉え「勝負の10年」だと腹を括っています。7月に長年がん闘病生活が長った妻と死別して今は独身で、今更再婚にもマッチングアプリにも全く興味は無いので仕事に費やせる時間がタップリありますので、儲かるほど娘3ファミリー(総勢12人)を旅行に連れて行ったり、食事に連れて行ったり、この間みたいに一人の2週間の沖縄旅行でウインドサーフィンやジャズライブハウス巡り(セッションタイムでドラムを叩いたり)して・・・遊んで寂しさを紛らわせます。まぁしかし無用なトラブルを避けるために会員制にしているのは、大阪キタの高級クラブと同じスタンスです。大衆を相手にするキャバクラは会員制ではないのでトラブルに繋がる可能性があります。経営スタイルはそれぞれですが、要はビジネスなんて「儲けてナンボの世界」なので、赤字で倒産では人に迷惑を掛ける事になるので、それだけは避けたいというのが1番です。いずれにしても、弊社はリスクを最小限に抑えるために会員制にしているのです。まぁそんな音楽スタジオ経営者が不動産仲介業をするために宅建士を取った訳ですが(他にファイナンシャルプランナーと不動産コンサルティングマスターのトリプルホルダー)、それが結果的に日本唯一という事になります。別に資格を取ったからと言って客が増える訳でも収益が増える訳でもありませんが、法律知識がついた事によって様様な場面で適切かつ冷静な判断が出来るようになったかも知れません。単にミュージシャン上がりのスタジオ経営者と比べれば、この辺が経営に非常に役立っているのです。日本は法治国家ですから、やはり一般人でも法律知識が役に立つ事が多々あるのです。という事で、中小企業の生き残りの道は低価格戦略に陥らず独自色を出すしかないのですが、先日の船井電機倒産というショッキングなニュースがそれを証明していますが、やっぱり競争の激しい国内外含めた多くの競争相手がある「おいしそうな(儲かりそうな)業界」というのは中小企業が参入すべきところではない・・・のです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.31
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リハーサル音楽スタジオは基本的に都会型ビジネスで、人口が多く会社や大学も多い大阪市内や堺といった都会に集中しています。弊社「スタジオ0724」所在地の貝塚市のようなベッドタウンや郊外にある音楽スタジオは珍しいのです。そりゃそうです・・・貝塚市は人口が8.2万人(大阪市276万人、堺市81万人)と少なく、住人の多くはサラリーマンで大阪市方面に出勤していますから。住人の意識が普段の生活動線から「北方向」に向いており、まさか地元にスタジオがあるなんて思ってもいません。この生活動線が知らず知らずのうちに意識下に沈着してしまうという厄介なモノです。どこかに行くにしても「南方向」に行くことはウインドサーフィンくらいで、普段は殆ど「北方向」に行くことを前提としています。まぁそんな大阪市内や堺といった都会にあるバンドスタジオは地価が高い事もあって、併設の無料駐車場なんて殆どありません。それほど無料駐車場を設置するのにコストが掛かり、競争が激しい都会のスタジオの安いバンドスタジオ料金では全く採算が合わないのです。というか、都会にあるバンドスタジオの経営の実態は、ビルのワンフロアを借りて運営しているのが殆どで、家賃や保証金やスタッフの人件費を払うのが精いっぱいで、お客さん向けの無料駐車場を確保するなんていう余裕がないのです。弊社スタジオはそれとは真逆の自社の土地と建物を利用して、経営者自ら運営管理して毎日掃除もしているくらいですから損益分岐点は恐らく業界最低だと思いますので、客の回転率は別にして総合的に圧倒的な競争力があると思いますを。やっぱりどんなビジネスもそうですが、土地と建物の所有者である地主が本気を出してエンドユーザーと直接ビジネスをするほど強いモノはないのです。その反対に他人の物件を借りて従業員を雇うビジネスモデルは、コスト倒れになりがちです。弊社も先日購入した150坪の土地もスタジオ客だけに無料で駐車するだけなら全く採算が合いませんので、部外者に月極と時間貸しでレンタルする意向です。まぁ都会のスタジオはその辺のコインパーキングを探してくださいというスタンスで、お客さんは近くのコインパーキングを探すしかなく、そこから機材を運ぶしかないのです。駐車料金が発生しますし、コインパーキングが遠ければ運ぶのも大変です。しかし弊社スタジオ0724はそんな事が全くないのです。スタジオ0724には併設の無料駐車場があるのです。先日購入した150坪の更地がこれから整地などをして17台止めれる駐車場になり、将来的には20~25台止めれるでしょう。今回の設備投資がこれまで大阪市内のスタジオに通ってコインパーキングで困っていた泉州のミュージシャンを1人でも多く振り向いてくれれば・・・と思います。併設の無料駐車場があるだけで差別化になり、しかも近いというのが何よりです。という事で、日本の大手メーカーが何千億円も設備投資をして海外に工場を建てたりして大丈夫かな?と思う事が多々ありますが、それに比べれば弊社の今回の設備投資は規模は遥かに小さくなりますが、大企業比べて投資効率や精度が高いかも知れません。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.30
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弊社は本業のレンタル収納スペース「トランクルーム貝塚」(大阪最大級171室)を中心に、副業筆頭のリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」(泉州最大級4室)に次いで不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場と5つの事業で五毛作経営を娘と2人だけのファミリービジネスで回していますが、今回トランクルーム「本館」の近接地に150坪の土地を購入した事で、6番目の事業として駐車場(パーキング)を本格的にやっていきたいと思います。5番目の副業という事になりますが、あくまでも事業として捉えるのです。と言っても、メインはスタジオ客の無料駐車場という事になり、これから150坪もある土地の整地をして取り敢えず17台くらい止めれますが、最終的には20~25台くらい止めれそうなので、スタジオ(トランクルーム、レンタル自習室、卓球場)客だけでは勿体ないので、外部からの「月極駐車場」「時間貸し」の2つを進めて収益化を図っていきます。もちろん業者に任せず時間貸しの機械設備も導入せずに私一人で駐車場設計、集客、契約締結、管理運営まですべて駐車場経営できるのは、岸和田市東ケ丘町での10年の実績とノウハウがあるからで、更に15年間営んできた不動産仲介業でも他人のガレージ仲介をもう200件以上契約を締結してきた実績とノウハウもあります。本業のトランクルーム契約の傍ら、こういった副業の不動産仲介業でも地道に経験値を積み重ねてきた事が、今になって花が咲いた・・・のかも(笑)。単に更地を所有しているだけの素人では、なかなかソコまで直ぐには出来ないでしょう。何でも時間が掛かり、ボーっとしている間に、会社や他人をアテにしないジョブ型思考の人は一生懸命仕事をして着実に実力を上げてサッと追い抜いていくのです。まぁそれに被せた感じで、これまで岸和田市東ケ丘町での月極駐車場で10年間の実績とコネクションがある建替えやリフォームに関連する「工事車両」ルートにも力を入れていきます。他にも「不動産屋目線」で、いくつかの駐車場100%活用術のアイデアが浮かんでいます。これまで妻の介護もあったので100%力を出し切れてなかったのですが、これからはそういった時間が丸々浮いてきますし3人娘もすでに嫁いで孫6人もできましたので、これからは100%丸々自分の時間なので仕事と遊びにソロソロ「本気」を出していこう・・・かと(笑)。まぁ月極駐車場と時間貸し駐車場の仕事が増えたからと言っても、ランニングコストも掛かるのでスタッフを雇うなんて事はせずに、私のスキマ時間に非同期通信のスマホで片手間にやるだけの話で、これまでのようなスタジオ客の車の配台で時間を取られていたのが無くなったので、従来の仕事スタイルと殆ど何も変わりません。トランクルーム所在地の名越は1950年施工の建築基準法ができる遥か昔の5,600年以上経つ古民家集なので道が狭く、消防車も村中に入らないのがネックだけでなく、1軒の敷地面積が平均100坪以上あるにもかかわらず敷地内に車を止めるところが少ないのがウイークポイントで、法事で親戚が集まったり盆や正月に子供が帰ってきた時や友達が来た時に車を止めるところがないのに困るのです。ここに潜在需要を見出しました。特に3ナンバーの大きな車だと、道幅が狭くて村中に入って来れないのです。弊社も織物時代に工場火災があり、消防車が入って来れなかったので消火活動が遅れた苦い経験があったのです。村中に入る道幅が「あと20cm」広ければ・・・消防車が入って来れて、延焼を食い止めれて被害が少なかったのです(涙)。本当に残念でなりませんが、未だにその反省が活かされていないのか、今でも消防車が入って来れないのです。村の将来に大きく関わる事ですが、殆どの村人は認識していませんが、これは本当に大きな「たかが20㎝、されど20㎝」だったのです。まぁこの辺は車が出来る前からの農村地帯なので、牛車や耕運機が通れば良しという時代の名残りだったのですが、道路が拡張する事もなく昔のままなのが皮肉にも駐車場需要を生むのです。同じような事が今年6月まで運営管理していた岸和田市東ヶ丘町の月極駐車場で、野村不動産が50年前に開発した当時の高級住宅地ですが、モーターリーゼーション(車社会)が始まる前なので1軒に1台しかガレージがないのに注目し駐車場を始めたのです。名越も東ケ丘も「車社会という時代に追いついていなかった」のが、皮肉にも駐車場需要を生むキッカケになったのです。特に東ケ丘は高級住宅地という事もあって、用途地域は第1種低層住居専用地域という1番規制の厳しいところで(コンビニも自動販売機もない)、住民の意識も高く路上駐車が絶対許されない土地柄というのも駐車場需要の追い風となったのです。まぁ商売人としてネットでも検索できないような、こういったニッチマーケットを探る嗅覚が必要なのです。更に最近の盆やだんじり祭に参加している青年団や三十人組や若頭で町外からも多いので、彼らは車で名越まで来ているので多すぎると駐車場で困るのです。そういった意味で今回購入した土地は名越町内にあり盆踊り会場でもありだんじり小屋もある名越町会館にも近いので、そういった潜在需要を取り込める可能性が十分あるのです。40年前なら名越町内の者しか参加しませんでしたが、皮肉にもだんじり祭の「そういった変化」で駐車場の時間貸しの需要が生まれるのです。とにかく考えられるイロンナ事を列挙して、それに応じた戦略を練っていきます・・・(汗)。イニシャルコストが掛かっていますので、それを取り戻さなければ赤字に陥るのです。ここは商売人根性を前面に押し出して、ヤルときはヤル・・・と。という事で、大儲けが期待できない細々した駐車場経営というのを決してバカにせず、マジメに取り組めばきっと希望が持てるはずだ・・・と自分に言い聞かせています(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.29
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先日大学時代の親友が亡き妻の供養も兼ねて、はるばる関東から来てくれました。大阪で会社のOB会があったらしく、その帰りにうちに寄ったのです。大阪勤務時代の2年前にも来てくれました。今回は近くの居酒屋でゆっくり呑んで、うちに泊まってもらいました。2年ぶりでしたが、その前はもう40年近く会っていませんでしたが、一瞬で大学時代に戻るのも不思議ですねェ・・・彼と私は関西外大時代に、彼は少林寺拳法部、私は古武道部(林派糸東流空手)で、同じ体育会武道系クラブという事で仲が良かったのです。何回か彼の下宿に泊まったりもした仲だったのです。私は2年生の時に父の病気でクラブを辞めざるを得ませんでしたが、彼はそのまま続け主将になりました。当時の少林寺は体育会で1番人気のクラブで人数も多かったと記憶していますが、その多い部員全体をまとめるのは大変だったと思いますが、そこそこの試合成績を収めていたのには驚きです。今思い出すと笑い話になりますが、空手部、古武道部、柔道部、剣道部、少林寺拳法部、日本拳法部といった体育会の武道系だけの新入生歓迎会があり、文字通りドンちゃん騒ぎの中で酒を酌み交わすのですが、先輩らは我々新入生に「他の部の主将と副将が来るから酒を注いで返盃が来たら絶対飲まなアカンどォ・・・古武道部の名誉を懸けて」と念を押され、死ぬ思いで歓迎会に臨んだのを思い出します・・・(汗)。私はビール派で日本酒がダメだったのですが、数を稼ぐために(おちょこが小さいので)ビールを止めて日本酒に切り替えた戦略で臨みましたが、案の定途中で意識が薄れてしまい、帰りは歩けなかったので先輩の両肩につかまって足を引きずりながら・・・そして気がついたら翌朝先輩の下宿で目を覚ましました・・・(汗)。急性アルコール中毒の一歩手前だったのです。後に先にも、これほど酒を吞んだのが初めてです。正に若気の至り・・・です(笑)。またクラスメートが舞台俳優になるとかで、歌舞伎座に一緒に応援に行ったりもしましたねェ・・・大学2年の時に父親が心臓の手術をしましたが、体育会で献血をやっていたお陰で20人分の輸血を直ぐに用意でき、当日父親と同じ鮮血(私は父親と違う血液型)が20人分いるという事で彼にも手術当日に来てもらい非常に世話になったのです。父親は9人兄妹でしたし母親も4人姉弟でしたのでイトコも多かったらしく、手術当日に私の知らない親戚の人達がゾロゾロと沢山集まって頂いたのには驚きました。まぁ同じ武道系で思い出すのが、私が4年生の時に創部した学連加盟のウインドサーフィンクラブの同好会キャンプで知り合った極真空手同好会を創部したK君がいて、その彼が後輩で一押しだったのが現在正道会館最高師範の角田氏だったのです。一度食堂で角田氏を見ましたが、当時は痩せていましたがテーブルにいっぱい並べて食べていたのが印象的でした。やっぱり試合に勝つには相撲取りのように食べて体重を増やさなアカンのやなぁ・・・と思いました。まぁ当時の空手界は伝統派(寸止め)の全空連の大会では私の所属していた林派糸東流が世界大会や全日本大会で優勝したりしていた一方、フルコンタクト空手で極真会が大阪難波に現正道会館館長の石井さんが関西での普及に尽力して学内でも見かけましたが、自分で正道会館を創流した頃で、林派糸東流と極真会(正道会館)が同じ関西外大で同居?していた「歴史的瞬間」にたまたま居合わせたのです。これって、スゴイ貴重な経験だったのです。もちろん空手関係者以外、そんな事は全く気づきませんでしたが。まぁ久しぶりなので思い出話もあり、現在の仕事、健康法、家族の事、将来の事・・・山ほど話す事はありますが、そこはもう年も年なので11時には床に入りました。という事で、7月に家内が亡くなりましたが、以前から公私に渡るいくつかの計画がドンドン進んでいて、悲しんで落ち込んでいるヒマもない・・・というのが実情ですが、それでイイのだ。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.28
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長らく営んでいた織物時代は、細い糸(100番手)を使うハンカチから太い糸(5番手)を使うジーンズまで同じエアージェット織機で織っていました。普通はこれだけ差がある織物を織らない(織れない)ハズですが、弊社はパーツ(ヘルド、ドロッパ)を取り換えたりワープラインの調整で何とか織れるように工夫していたのです。技術・・・いわゆるテクニックを駆使していた訳です。邪魔くさいと言えば邪魔くさかったですが、こういった器用さをウリしないと年355日24時間エンドレス操業の月産20万mの織物工場を回せるほど注文が取れませんでしたし、なんか得体の知れない危機感みたいなプレッシャーがありましたねェ・・・なんなんでしょう・・・?これって。まぁそんな危機感から逆に器用貧乏になった・・・のかも知れません。不幸中の幸い・・か?とにかく多品種小ロット生産で、いつも織物現場がひっくり返っているような状態で多忙を極めていました。私が毎週金曜日に大阪本町の繊維街(船場)にある繊維商社や紡績や合繊メーカーを朝から夕方まで駆けずり回って注文を取って、それを現場にフィードバックする繰り返しです。フィードバックすると言っても私が織物設計をして筬番手を決め、サイジングと経通し屋に段取りするのです。経通し屋に1トンもあるビーム(縦糸巻)を積載量350㎏の軽トラックの荷台に積んで持って行くときは正に命がけで、ハンドルをフラフラ取られながら、こりゃ正面衝突をすれば相手の車とビームに挟まれて即死だなぁ・・・と(汗)。正に1から10まで自分でやっている事になります。その筬番手を決めるのが私の1番の仕事と言ってもイイくらいで、要は縮率が何%か?・・・これをこれまでの何百種類と織ってきた実績から割り出すのです・・・(汗)。これまで20年間で5,600種類の織物を織ってきた小数点第2位までの縮率表が、私しか知らない門外不出の極秘データだったのです。このデータをトランクルームオープン1年を経過するまで大事に保管していたのです・・・(汗)。もし筬番手が間違って織物幅が1cmでも長かったり短かったりすれば、1からやり直し(筬の作り直し)でその時点で20万円くらいの損害ですが、その筬番手を決めるのは従業員では荷が重すぎるので私が決めていたのです。そんな事を20年やって来て、儲かればそのまま家業を継続していたのですが、儲からなかったので廃業してトランクルームに転業したのです。自分は100%努力して、何で儲からないのか・・・?と、素朴な疑問を自分に何度も何度も投げかけました。成長期の子供が3人もいるので、今更方向転換は出来ないと思っていましたが。やっぱり・・・自分のヤッテいる事はオカシイという結論に至りました。努力の方向が間違っていたのです。しかし直ぐに方向転換が難しいので、子供が高校や専門学校を卒業するまで待とうと思いました。日頃から疑問を持つことは非常に大事で、何も考えずにダラダラと過ごすのは絶対NGというのは、父親の背中を見て学びました。子供の頃から父親は私によく「この60ローンは西ドイツ行きや」とか「このクレープはステテコになるんや」とか「これからは簡単な平織りばかりやってたらアカン、サテンを織らんと」・・・と殆ど繊維事情も知らない私に言っていましたが、「お父ちゃん、頑張っているんやなぁ」というのは伝わっていましたが。月1回伊藤忠に行って毎回高級寿司店で接待をして、必ずヒロタのシュークリームを手土産に買ってもらったり、大阪のパチンコ屋で勝ったのか、たまに大量のチョコレートを持って帰ってきたのが子供心に嬉しかったです。当時はチョコレートなんて高級品で食べれませんでしたから。まぁしかし努力の方向が間違っていたというのは個人の問題ではなく、繊維業界の問題に起因していたのです。SPA(製造小売り)という新しいビジネススタイルを古い体質の日本の繊維業界に持ち込んだユニクロが出現するまで、日本の繊維業界は長年沢山の業者がリスクを分散する形で「仮需」という大きなマーケットを実需に関係なく勝手に作っていたのです。例えば末端の本当の需要が1しかないのに、10も作っているのが繊維業界の実態なのです。だから繊維製品の廃棄問題が浮上しているのです。商社の言われるままに単に織っている(糸から布に)だけではダメで、せめて染色(加工)提案くらいは出来ないと織屋としての存在価値もなかったのです。もっと言えば、より川下のテキスタイルデザインやファッションデザインも提案できれば、付加価値がグンと上がって「引っ張りだこ」だったでしょう・・・そして普通に考えれば、ファッションの生地に占める付加価値の割合の少なさに驚愕します。ある時1m織って100~130円くらいを超える美味しい仕事(賃織り)が舞い込んできたのですが、探ってみるとヨーロッパの有名ブランドのレディスのサマースーツで1着20万円・・・という金額に、自分とこの利益に少なさに呆れ果てました。弊社の利益は1着分5m織って、利益(賃織なので粗利)はたった600円だからです・・・(涙)。なんやそれ?・・・バカにしてんのか?と言いたかったです。私はそんな繊維業界のカラクリを20数年前に見抜き、18年前にパッと廃業したのです。見抜いて・・・数年の準備期間を経て、パッと行動に移したのです。やはり経営者は行動力が勝負です。多くの人は分かっていながら(分かりたくない人も)ダラダラ・・・というパターンが多いと思います。そんな白い目で見られたユニクロも、今はもう世界のユニクロになっています。そんな織物時代の反省から、エンドユーザーと直接ビジネスをしたい・・・という強い願望を持って業者を介さないトランクルームに転業したのです。という事で、大なり小なり何か新しい事をやろうとすると、必ず邪魔が入るのがいつもの事ですが、私の場合幸いそんな事が少なかったと思います。小学生の頃に村のオッちゃんらを無視してだんじり鳴物の練習体系を作る、大学に学連加盟のウインドサーフィン同好会創部、最新エアージェット織機導入、古い習慣が残る村で長男でありながら親と別居、祖父の代からの家業の織物業を廃業(訳の分からない?トランクルームに転業)、トランクルーム内で音楽スタジオ(レンタル自習室、卓球場)・・・唯一スタジオの改修工事をしている最中に見学に来て、その後スタジオオープン後すぐに利用した客がイチャモンをつけてきましたが、やっぱりスタジオ客は全然違うなぁ・・・と褌のひもを締めたのがヨカッタのです。そんなクレイマー客はそれっきりで、他は殆どイイお客さんでホッと安心しています。まぁ陰でゴチャゴチャ言われていたかも知れませんが、そんなの無視、無視・・・でした(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.27
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弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」の会員さんが増えてくると、夕方から夜にかけてバンド予約で混みますので、駐車場不足という問題がここ1,2年多々ありました。スタジオは弊社「トランクルーム貝塚」「別館」1階にあり、別館前に2台と本館前に1台止められますが、その他に100m離れたところに7台駐車場を借りていますので、合計10台止めれるのですが、それでも台数がオーバーするケースも多く、時間を15分ずらすとか苦労していたのです・・・(汗)。というか、「乗り合わせで来てください」とか「軽四ですか?」といった駐車場の配車でいちいち調整して私の時間を取られるのがバカらしくなりました。経営者として、もっと他にやるべき仕事があるはずだと。要は時間の問題で、五毛作経営していると、この辺がシビアにならざるを得ないのです。この問題にメスを入れなければ・・・・とスタジオ会員数が2000人超えた2年前から真剣に考え始めました。元々構想的には5,6年前からあったのですが、まだまだ駐車場問題は気にするほどではありませんでした。ところが想定外にもスタジオ会員数が伸びて、あともう少しで2800人に達する勢いだけでなく、卓球場もレンタル自習室(テレワーク室)も会員数が徐々に増えてきたのです。嬉しい誤算ですが。そして「トランクルーム貝塚」「本館」北側の道を挟んだ近接地の土地所有者と直接2年前から具体的に売買交渉を始めたのです。道を挟んだ目の前の近接地・・・と言うのが大きなポイントで、離れていればメリットはないのです。それでも当初は簡単にはいかず、売って欲しいと言ってもダメだという回答でした。2年間の押しては引く、また押しては引く・・・といった粘り強気交渉の末、先方からついに「買ってもらえませんか?」というオファーが来たのです。ついに来た・・・という感じです。でも、私のウインドサーフィンとジャズライブハウス巡りの2週間の沖縄旅行があったので、私の「旅行から帰ってから、ボチボチ契約をしましょうか」で売主を少々焦らせたかもしれません。そして、それに応じて昨日ついに売買契約を交わして即金で購入したのです。地主さんから直接買い、仲介業者は介在していませんので仲介手数料も発生せず、非常にシンプルな取引で地主さんも喜んでおられました。これが私がただのスタジオ経営者だったら、不動産屋に仲介を依頼して値段交渉も自分の思うようにならず、仲介手数料も支払って・・・と大きなコストアップだったのです(一般的にはそうですが)。自分自身が宅建士を取って、不動産業者(会社)としての大阪府知事免許も苦労して取った・・・甲斐があったのです(涙)。まぁ、これでモヤモヤしていた駐車問題が吹っ切れました。まぁこの辺の売りと買いの呼吸・・・調整が難しいですが、そこは正式に大阪府知事の免許を持っているプロの不動産屋ですし、私自身は宅建士とファイナンシャルプランナーと不動産コンサルティングマスターのトリプルホルダーです。まぁこれで駐車場までの距離が従来の半分になりますので、お客さんにとって大きなメリットです。それと同時に「本館」から新しい駐車場まで軽四でもギリギリ通れるように、3,4年前から関西電力と交渉して電柱を弊社の敷地内に30センチほど移動した経緯も、用地取得に向けた私の戦略だったのです。近所の人は「何で移動したのだろうか?」と不思議がっていたと思いますが、あえて真意を語る事はしませんでした。このように「駐車場を作る」という目的のために、構想から足掛け5年間ほど秘密裏のうちに動いていたのですが、これってビジネスでは当たり前の事だったのです。何でも直ぐには出来ないのです。失敗や未達成も多いので、常に同時進行で20~30くらいの新しいプランを持って仕事をしてイイ加減なくらいです・・・(汗)。まぁしかし借金をしてまで土地を購入する気は毛頭なく、今回も手持ちの資金で購入し、これまで通り無借金経営を貫いています。無借金経営というのは無言の信用と信頼に繋がり、絶対閉店や撤退しないだろうと顧客に安心され、逆に借金があれば「いつ閉店や撤退されるか分からない?」と顧客に不安感を抱かれてしまいますから。150坪の土地を買っても、これから整地などモロモロの改修工事があり、とりあえず直ぐに駐車できるのは17台ほどですが、最終的には20~25台くらいは止めれそうです。トランクルームとスタジオのお客さんのための無料駐車場でもありますが、どうせなら「月極駐車場」と「時間貸し駐車場」にも力を入れていきます。トランクルーム所在地の名越は1950年施工の建築基準法ができる遥か昔の5,600年以上経つ古民家集なので道が狭く、消防車も村中に入らないのがネックだけでなく、1軒の敷地面積が平均100坪以上あるのに敷地内に車を止めるところが少ないのがウイークポイントで、法事で親戚が集まったり盆や正月に子供が帰ってきた時や友達が来た時に車を止めるところがないのに困るのです。更に最近の盆やだんじり祭に参加している青年団や三十人組や若頭で村外からも多いので、彼らは車で名越まで来ているので多すぎると駐車場で困るのです。そういった意味で今回購入した土地は名越町内にあり盆踊り会場でもありだんじり小屋もある名越町会館にも近いので、そういった潜在需要を取り込める可能性が十分あるのです。40年前なら名越町内の者しか参加しませんでしたが、皮肉にもだんじり祭の「そういった変化」で駐車場の時間貸しの需要が生まれるのです。将来的に駐車場がチャンと整備できれば、村中で何か緊急事態が起これば救急車や消防車やパトカーやヘリコプターや大型ドローンの「緊急の駐車場」として無償で提供するつもりです。まぁそういった努力によって税金分だけでなく、「6番目の事業」を成り立つようにしないと、不動産屋を15年もやっているなんて恥ずかしくて言えませんから・・・(汗)。これまでの五毛作経営(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)から、これからは駐車場事業が増えて「六毛作経営」・・・という事です。まぁ駐車場経営なんて現地に看板を設置しただけで、駐車場経営をバカにしているのかビジネスと思っていないのか、WEBサイトまで作る地主は殆どいませんし、不動産屋でも仲介手数料が安すぎるので真剣に取り組んでいませんが、そこはプロの不動産業者の自社物件として真剣に取り組み必ず収益を上げて見せます。土地の固定資産税分が丸々赤字では、不動産屋失格ですから・・・(汗)。一体何のために、18年前のトランクルームオープン時に集客に苦労し他社の織物工場で12時間肉体労働をしながら50歳の老体に鞭打って朝2時に起きて受験勉強を9か月続けて宅建士を取ったのか・・・と自分に言い聞かせています(汗)。まぁ、みんな手を抜いているから集客できないのであって、誰でも真剣に取り組めば活路を見出せるはずです。弊社は50年前に当時は高級住宅地として野村不動産が開発した岸和田市東ヶ丘町で月極駐車場(時間貸しも)を今年6月まで10年間も自社で運営管理してきましたが、「片道15分以内」という私のポリシーに反してちょっと遠いので現在売却の方向で考えています。興味のある方がおられたら、是非ご連絡ください(072-446-0798 info@sasatani.com 笹谷まで)。将来も収益が確実に見込めるんですが、管理を考えると費用対効果が低いので、思い切って切る(売却)という選択と集中の判断です・・・(汗)。アレもコレも・・・なんて、娘と2人しかいないでデキないのです。娘と2人だけで五毛作経営を営んでいますので、やはり物件が近くでないと管理面で支障をきたしますから。今回の物件は「トランクルーム貝塚」「本館」の裏(北側)の道を挟んだ場所で表玄関から歩いて20秒なので、何かあればスッ飛んでいけます。不動産仲介業でも他人の駐車場の仲介を15年してきましたので、駐車場ビジネスに関してある程度のノウハウがありますので、これを応用するだけで新しく始める駐車場経営に活かせるのです。本来の不動産仲介業ではあまり儲けられませんが、自社の事業となると俄然チカラが入るのです。既にいろんなプランがあり、それに沿って新しい6つ目の新しい事業を進めて行こう・・・と思います。まぁリハーサル音楽スタジオというビジネスは大阪市内や堺といった都会に集中していますが、弊社のような田舎にあるスタジオのメリットは無料の駐車場があるという事です。だいたい大阪市内ではまず有料のコインパーキングを探すのが先決で、そこからスタジオまで歩かねばならずアンプなどの機材があれば運ぶだけで大変です。その辺の大きなメリットが弊社にあるのです。という事で、駐車場を大幅に増やしたからと言って、急にお客さんが増える訳ではありませんが、長い目で見てイロイロと新しい展開が考えられるという意味で・・・絶対プラスの方向に向いている事だけは確かです。全国的に空き家問題がありますが、地元名越もご多分に漏れず空き家が増えてきて、私のところに「買って欲しい」という相談がよく来ますが、消防車などの大きな車が入って来れないという道路の問題もあるので難しく、何らかの収益が見込めなければいくら安くても買えないのですが、そこは今イロイロとアイデアを捻っているところです・・・(汗)。まぁしかし、今回の150坪の近接地の土地購入はスタジオ会員数の増加に合わせた絶妙のグッドタイミングでしたが、スタジオ会員数が伸びなかったり、トランクルームから離れていたり、半分の7,80坪しかなかったり・・・していればスルーしていたのです。如何にタイミングが大事か・・・と(汗)。そもそも8年半前にスタジオを始めていなければ、今回の土地購入なんて全くあり得なかったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.26
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旅行って、普段気づかなかった事が気づく・・・のです。そういう意味で日本と違った人種、言葉、貨幣、風習、文化・・・の外国旅行ほど「気づき」が多く脳ミソへの刺激になるのです。住んでいるところから遠ければ遠いほど、長ければ長いほど刺激になるのです。365日同じパターンの繰り返しでは脳ミソへの刺激が足らず、たまに旅行に行く事によってリフレッシュして脳ミソが活性化されるのです。先日の2週間のウインドサーフィン主体の沖縄旅行でしたが、イロイロ気づかされました。1週間ではアッという間に過ぎてしまいます。海外旅行でもコロナ前は最低でも8日、ハワイは1ヵ月も滞在していました。4,5日だと行き帰りに疲れるだけで、行かない方がマシです。仕事は私が現場にいなくても、旅行先から暇を見つけてリモートで出来るようにイロイロ工夫しました。ただクルーズ船のWi-Fiだけは衛星通信サービスでしたので高くつきましたが・・・(汗)。まぁ沖縄と言っても今回は南部の那覇市中心ですが、まず王将(中華料理チェーン)と回転寿司がないのに驚きました。大阪には沢山あるのにねェ・・・それと国際通りに溢れかえるクルーズ船の中国人観光客です。ちょうど中国版GWの国慶節と重なったようですが、恐らく夜になったら道を歩いている溢れかえる人の80%が中国人でしょうか。地元沖縄にしたらインバウンド需要が戻って、万々歳というところでしょう。それとホテルやコンビニの従業員の殆どがネパール人などの外国人労働者です。イヤ~、これには驚きましたねェ。地元沖縄人はどこで働いているんや?・・・と。そんなイロイロ驚きの連続の沖縄旅行でしたが、その他にもウインドサーフィンはやはり自然相手のスポーツですから、効率を考えればやはり大阪や和歌山のビーチでもっとやろう・・・とつくづく思った旅行でした。移動時間、潮の満ち引き、風向き、レンタル道具・・・などウインドサーフィンのコンディションをトータルで考えれば、スマホの風速情報アプリを見ながら自宅を拠点にマーブルビーチ、二色の浜、岬、浜の宮、白浜臨海浜の5カ所でやった方がコスパが断然イイのは言うまでもありません。それでも今回の沖縄旅行はリラックスでき、国際通りをウロウロするだけでも軽く1万歩も歩いていますので健康には良いでしょう。国際通りから一歩入った公設市場あたりをウロウロするのも、なかなか昭和的な沖縄ネイティブ感が溢れ出てオモシロかったです。まぁしかし冬はとてもウインドサーフィンは寒くてできませんので、国内ではせいぜい春から秋までで、12月~3月は関空から直行便が再開したら乾季のサイパンにでも行こうか・・・と。今回の2週間の沖縄旅行でウインドサーフィンショップの定休日に、ダイビングライセンスを取って青の洞窟に潜りに行こうと・・・パッと閃いたのは良かったのですが、予約を取ろうとするとショップ店員が「何歳ですか?」と聞くので68歳だという答えると「60歳以上は医師の診断書が必要です」という言葉に唖然としました。そんな事は想像もしていませんでしたから。ファミレスとか行くとシニア割引があって得をするのですが、こういったスポーツや遊園地のジェットコースターなんかは60歳以上は診断書が必要だったり、不可だったりするのです。ウインドサーフィンは年齢制限はありませんが、若い頃に強風荒波のオフショアーの漁師でも出漁しないマゼという悪天候で無謀にも海に出て行って2度遭難して死にかけていますから、そこは逆に遭難しても自己責任という厳しい世界です・・・(汗)。まぁ次回は必ず診断書を持って行こうと思いましたが、年を取ると可能性が狭くなるのだなァ・・・と改めて痛感しました。若い頃と違って、身体が明らかに老化するのです。この考えたくもない現実に抵抗しても仕方がないですが、せめて自助努力で実年齢よりも1歳でも2歳でも心身とも若くなるためには、身体を適度に鍛え頭も仕事を続けてボケないようにすることです。という事で、老後のイロンナ楽しみのアイデアが思い浮かびますが、それも元気で健康なうちに・・・という「期間限定」ですので少々焦ります・・・(汗)。アレコレ思っているうちにチーンと終了すれば、悔いが残りますから。そして今回の沖縄旅行はTシャツも持って行きましたが全く着ずに、やはりアロハの方が断然気持ち良く、ハワイで買ったアロハ3枚ではホテルの洗濯機を回すだけでは足らず、次回はもっと持って行こう・・・と(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.25
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先日ビルボードライブ大阪の角松敏生のライブに行きましたが、今度は12月の南佳孝&杉山清貴のライブチケットを取りましたが、単なるゲストなのでイイ席は取れませんでした。これからはドンドンとライブに行きまくりますので、会費を払ってでもよい席を取った方が得だ・・・とBBL会員になりました。音楽スタジオの経営者なので、チケット代は堂々と経費で落ちますから・・・(笑)。法人会員の年会費は22万円とチョッと高すぎますので、BBL会員(年会費3800円)にしました。これくらいの会費なら、年2回行けば元が取れるので・・・コスパ最高だったのです。数年前までは海外アーティストが多かったのですが、コロナを挟んで円安で呼べないのか殆ど日本人アーティストになったのが気になりますが、ソコはまぁイイでしょう・・・円安の影響が、海外アーティストが減っている要因になっているのです。今の1ドル150~160円の円相場で海外アーティストを招聘すれば、チケット代が2万円を超えて誰も来なくなる・・・というのが経営している阪神電車さんも怖いのでしょう。せめて1ドル125円くらいになってくれれば・・・海外アーティストも増えますし、海外旅行にも行きやすくなると思いますが。まぁしかし若い頃に聴いた音楽が財産・・・と年取ってからつくづく思います。だって当時のアーティストが現役でライブをやっている限り(バンドならオリジナルメンバー全員揃わなくても)、例え若い頃の100分の1の感動でもデキるのですから。年取ってから感動なんて、余りありませんから。人生後半になって、音楽でココロが豊かになる・・・という事です。やっぱり音楽が趣味で本当にヨカッタ・・・と思いますし、それをビジネス化(リハーサル音楽スタジオ)できた事にもう感謝しかありません(涙)。もうそれだけで、68年生きてきてヨカッタ・・・と。もう名誉もお金も女も何も要らない・・・というのは大袈裟ですが、それに近いモノがありますねェ・・・中高生の頃に小遣いを貯めてレコードを買い擦り切れるまで聴き倒し、大学生になってからコスパを考えレコードを買う代わりにオープンデッキを買ってカセットデッキにダビングして車でもどこでも聴けるようにし・・・そんな膨大な時間を勉強もせずに音楽に費やしましたが、それらの時間が年取ってから全て報われるのです・・・(涙)。特に浪人時代は親に「昼からビートルズ聴くで」と遠慮しながら親に言っても、文句ひとつ言わず許してくれたのが幸いでした。当時はまだウオークマンがない時代で、大音量のレコード鑑賞を親の目を盗んでこそッと聴けなかったのです。しかし何でビルボードライブかと言うと、フェスティバルホールとかに比べて小さなハコなので、アーティスト近いというのがココの1番のイイところでココに魅力を感じ、2,30年くらい前のクール&ギャングが毎年来ていたブルーノート時代から定期的に通っていたのです。その頃はミナミの鰻谷に吉本興業が経営していたアンコールというニューヨークから招聘したブラックミュージック専門のビルボードより少し小さめのライブハウスがあり、私はここに2,3年織物時代の取引先である繊維商社の接待も兼ねて毎週通っていたのです。今では考えられない事ですが、当時は飲み放題食べ放題聴き放題で3500円とは安すぎましたが、当時の円相場は1ドル80円くらいの超円高でしたのでバンドに支払うギャラも安かったのでしょう。ニューヨークで活躍しているファンク(ディスコ、R&B)バンドが多かったですが、客のどんなリクエストにも応える本場仕込みのエンターテイメントに触れて毎回チョー感激したモノです。私はアース、ウインド&ファイヤーとクール&ギャングを毎回きっちりリクエストしていました・・・(笑)。当時の吉本興業は千日前にデッセジェニーというディスコも経営していましたし、全国的な漫才ブームも終わった頃でイロイロと模索していたのでしょう。一興行企業として、頑張っているんだなぁ・・・という印象を強く受けました。まぁしかし先日の角松敏生にしろ、12月の南佳孝や杉山清貴といった1980年代に大活躍した日本人アーティストによるJポップがシティポップとか言われて世界的に見直されていますが、まさにその通りで、これからはビルボードライブ大阪に外国人観光客(特にアジアから)が大挙して押し寄せてくる予感がします。そうなるとチケット代の高騰も考えられますし、ゲストでは予約を取りにくいだろう・・・という事で、今回のBBL会員に早い目になっておこうというのが私の狙いだったのです。そして妻の介護でなかなか行けなかったビルボードライブ常連の杏里のライブも是非、是非行きたいと・・・と思っております。杏里も私から見ればまだギャルですが、もう63歳なので今見とかないと・・・(汗)。妻とつき合ってた頃に、車で杏里の曲を聴くとヤキモチを焼いていたのも懐かしいですわ・・・(笑)。まぁしかし今年シカゴのライブ行きそびれましたがオリジナルメンバーの平均年齢は78歳で、12月の南佳孝は74歳、杉山清貴は65歳・・・まだまだ頑張っている彼らの姿に元気をもらえます。それに比べれば、オレはまだ68歳・・・まだまだ頑張れると。という事で、大学生時代に1番よく行ったのが心斎橋にあったルイというライブハウスで、カーナビーツ(グループサウンズ)のアイ高野さんが店長をやっていて、よくチャーのダイヤモンドヘッドを目の前20cmのかぶりつきで聴いたものです・・・(笑)。小学生の時にグループサウンズの大ブームがあって、アイ高野さんのドラムを叩きながら「お前のすべ~て~♬(「好きさ好きさ好きさ」という大ヒット曲で)」なんてボーカルを取っていた姿がカッコ良すぎて、その本人が店の前でドンと立っていた姿が衝撃過ぎて、とても握手なんて出来なかったのです・・・(汗)。とにかく小学生の頃は、だんじり祭では青年団は昼間から酒を飲みエッチな歌(春歌)ばかり歌い、テレビではグループサウンズが好きとか抱きしめたいとか歌い・・・大人はなんてスケベなんだろうと思っていましたねェ(笑)。まぁルイの近くにジュークジョイントというフュージョン専門の小さなライブハウスもあり、大学の後輩のウインドサーフィンも教えた軽音部のベーシストがよく演っていましたねェ・・・ア~懐かし・・・(笑)。そんなこんなで、もう私の人生は音楽と切っても切れない関係なので、これからもライブにドンドン行き、スタジオ0724にも更に力を入れて行きますよ~「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.24
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「トランクルーム貝塚」の経営者の私はウインドサーファーです。45年前にウインドサーフィンを始め、当時一生懸命していたドラムや空手やだんじり鳴物よりもノメリ込み、大学に学連加盟のクラブを創部したほどで・・・未だに細々と続けています。なのでトランクルームの部屋に、ウインドサーフィンの道具一式が保管できるようになっています。現在主流のボードサイズは長さ220~240cmなので、本館1階は天井高350cmなので十分保管できます。もちろんセイルやマストやブームも一緒に保管できるどころか、床面積2.2畳でロフトもついていますので、まだまだ他にも保管できるのです。2tショートトラック1台分のモノが保管できます。トランクルームにウインドサーフィンが保管できるなんていう発想は、ウインドサーファーならではです・・・(笑)。芸は身を助く・・・ならぬ、趣味がビジネスを助けるか(笑)。空手(3つの流派)、ウインドサーフィン(大学に学連加盟のクラブを創部)、音楽(ロックを中心にR&B、フュージョン、ボサノバ、ブラックミュージック、Jポップ、クラシックまで)、ライブハウス巡り、ドラム(中学同級生とバンド)、ボンゴ(高校同級生とバンド)、トランペット(高校オケ部)、だんじり鳴物(大太鼓、小太鼓、鉦、横笛すべてOK)、左甚五郎研究、読書(ノンフィクション)、国内外旅行・・・と1つの事に拘らずに中途半端にイロイロと人生を楽しんできたお陰で、それがビジネスに役立っているのです。趣味も多く五毛作経営(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)をやっているせいか、68歳になっても常に仕事や趣味や遊びの事で頭の中がグルグル回っていて、ナンボでも新しい商売のアイデアやネタが溢れ出てボケているヒマがありませんし・・・(笑)。7月に42年連れ添った妻が亡くなって人生どん底の心境ですが、それほど落ち込まずにいられるのも仕事や趣味やファミリー(娘3人、孫6人)があるお陰です・・・(汗)。まぁ40代くらいまでは何とも思いませんでしたが、50代以降の人生後半のリスクヘッジとして仕事と趣味と家族というのが「突如としてクローズアップ」されるのです。これが今回の妻が亡くなったとかの突然の逆境でも、何とか乗り越えられるチカラになるのです。と言っても、50代になってから思いついたように2,3年で60歳以降も世間で通用するようなスキルを磨くことも、若い頃からの趣味でないと深みがありませんし、ましてや結婚して子供を作って育てる・・・なんて出来ませんから、私は26歳で結婚し29歳でサラリーマンを辞めて家業に戻って、仕事と子育てと趣味の3つを両立させながら42年掛かって今のポジションにやっと辿り着いた・・・と言うのが実感です。42年・・・振り返ると気が遠くなる年数ですが、その時々は必死ながら人生を楽しんでいましたので悔いはありません。これでヨカッタ・・・のだと(涙)。まぁ乗り越えようと思えば、変なプライドだけが邪魔なんですけどねェ・・・18年前のトランクルーム起業当初は集客に苦労し、一時的に1年半も他社の織物工場で1日12時間も現場で働いていましたが、社長でありながら工員をするためにはプライドを捨てる勇気と、他社でも通用する織物技術(機織り、タイイング、視力、織機技術者)がなければこの難局を切り抜けられなかったのです・・・(汗)。まぁしかし元相撲取りが経営するちゃんこ屋とか、○○が経営する○○屋というのが単に普通の人が店舗経営するより差別化になっている・・・という意味で、ドラマーが経営する「スタジオ0724」というのも差別化になっているかも・・・?或いは宅建士(ファイナンシャルプランナー、不動産コンサルティングマスター)が経営するトランクルーム貝塚(スタジオ0724)も差別化になっているかも知れません。また逆にトランクルーム業者が経営している不動産屋・・・というのも、泉州の不動産業界のネットワークを利用してトランクルームの集客(建て替えやリフォーム需要)に大いに役立っているのです。という事で、40数年前のウインドサーフィンのボードは長さが360~390cmもあり、マストも今のような2ピースではなく1ピースだったので長さが450cmもあったので、当然トランクルームには収納できなかったという事で、今のように道具の進化によってボードが軽く、短く、スピードが出るようになり、トランクルームにも収納が可能という「時代が見方をしてくれた」のです・・・(涙)。また天井高が3.5mもあるのもトランクルームは元織物工場で、エアージェット織機の上にルンバの10倍くらいの大きさの掃除ロボットが走行していたモノレールを設置していたからです。これこそ私は何の努力もしていませんしラッキー以外何物でもありませんが、子供の頃からおもちゃ屋の前で寝転んで泣き叫んで親を困らせたり、浪人や留年を許してくれたり、クラウンを遊びで乗り回したり、ウインドサーフィンで何度も死にかけたり(遭難して)、空手でケガをしたり祭りや盆踊りやディスコで夜通し遊び・・・そんなドラム息子でも全て許してくれた天国の父親と運に感謝しかないです(涙)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.23
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弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」の経営も8年半で会員数も2800人近くなると、イロンナ事が分かってきます。その1つに、たまにギタリスト(ベーシスト)の会員さんが、ストラップを忘れてくる場合があるのです。そんな事ってあるんですか?・・・というくらいギタリストにとって、ピックとともにストラップは必須アイテムです。しかし、たまにあるのです・・・そういう人が。ストラップを忘れたら、どうなるか?もちろんギターが弾きにくいのは当然ですが、本来の練習スタイルとは違って椅子に座ったりして弾くしかないのです。せっかくスタジオ練習しに来たのに、100%満足して練習したとはならないところが問題です。忘れたからと言ってストラップを自宅が遠ければに取りに帰る訳にはいきませんし、楽器店に買いに行けません。そこで考えました。スタジオにレンタル用(有料)のストラップを用意するのです。これで問題解決です。商売の基本はお客さんの問題解決ですから、単に「たまにストラップ忘れてくるなぁ」とスルーしているようでは商売人失格です。これをニッチマーケットと捉え、ビジネス化するのです。1回たった200円のレンタル料ですが、決してバカにしてはいけません。「ストラップがあって助かった!痒いところまで手が届くスタジオやなぁ・・・また来よう」という心理が働くのに期待しているのです。まぁメガバンク3行の普通預金の金利は0.020%で100万円を預けても1年後の利息は2,000円ですから、それに比べたらボロ儲けですが・・・(笑)。まぁスタジオ利用料金で利益を稼ぐのが本筋ですが、今回のギター・ストラップ以外に、以前から有料レンタルしているギター(ベース)、ツインペダル、レコードプレイヤー、小型ドラムセットも副収入になりますし、小型ドラムセットと和太鼓6台は「外部への持ち出し有料レンタル」もやって・・・スタジオ経営なんてトータルでの勝負なのです。本業のトランクルーム経営でも月額賃料で稼ぐのが本筋ですが、それ以外に有料の軽トラックのレンタル、スノコレンタル、除湿剤入替えサービス、LINEによる動画配信サービス、業務提携している大手2社の引越業者への紹介料といった副収入も競争力の一助になっているのです。特にトランクルームユーザーは年平均2,3回の利用なので「安くて安全であれば、多少離れていても問題ない」という考えから、弊社顧客の約半数は堺や大阪市内や海外在住の方なので、除湿剤入替えサービスやLINEによる動画配信サービスが有効なのです。商圏が広がった事によって、これまでトランクルーム業界では無かったこういった新しいサービスを提供できるようになったのです。現地看板だけの集客に頼っていれば、こういった可能性はなかったのです。要はビジネスは総合力の勝負なので、「小口の収入の道」を出来るだけ1つでも多く見つける事がポイントです。という事で、スタジオ経営をして会員数が500人くらいだったらこういった問題は見えてこなかったのですが、1000人超えたくらいからボチボチ目立ち始めました。ならば・・・レンタルしようかという流れになったのです。レンタル料金は1回たった200円ですが、こういうニッチマーケットも決して見逃さないスタンスが大事で、会員数も1000人を超えなければこういったマーケットがある事すら分からず仕舞いだったのです。要はステージによって見えてくるシーンが違ってくるので、できるだけキャリアを長くしてスタジオ会員数も多ければ多いほど経営が安定してくるのです。トランクルーム(18年前)も音楽スタジオ(8年前)も起業したての1年目では、無我夢中で何も見えなかった・・・という事です(汗)。2,30代の若者の創業者のスタートアップ企業なんか1,2年で結果を出す場合が多いですが、もう天才としか思えませんし、私のような68歳のジイサンには到底不可能な芸当なので、ジイサンはジイサンなりに地道に一歩一歩ユックリ歩くしかないですねェ・・・それがまだ通用する限り・・・(汗)。まぁ結局リーズナブルな利用料金で広範囲からスタジオ会員数をできるだけ増やす事が、商売を長く続けるポイントかも知れません。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.22
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普段から片足に1㎏(両足で2㎏)のアンクルウエイトを取り付けて、自然と下半身強化ができるように生活していますが、2代目が鉄粉(錘)が漏れて使えなくなりました。やはりモノには寿命があるのです。2023年3月に初めてアンクルウエイトを取り付け、1年半で今回の三代目 J SOUL BROTHERS ならぬ3代目アンクルウエイトです。もう3代目なので、ズレ(フィット感)や見栄えの問題とか解決済みで、快適に装着できています。これまでズボンの裾が膨らんでカッコ悪かったり、ズレて歩行に支障きたしたりしていましたが。やはりナンデモ経験です。ただ夏の短パンの時は丸見えなので、この時だけは勇気が要りますねェ・・・(汗)。透明のアンクルウエイトなんてできれば、即買いますが。68歳の老体をアンクルウエイトだけで20歳若返って40代になるなんてあり得ませんが、心身にとって考えられるイロンナ事を実践しています。100歳まで元気に生きるために・・・毎朝の15分ストレッチ、週一のボランティア空手、左手使う(箸、マウス)、1日2食(朝食抜きのプチ断食)、ウインドサーフィン(夏だけ)、車を控え極力クロスバイクに乗る、アンクルウエイト、目覚まし時計をしない(ストレス低減)、好きな曲をバックに両手両足の適度な運動のドラム(ストレス発散)、ダイエット(お菓子とアイスクリームを食べない)、6人の孫と遊ぶ・・・老後は適度な運動が、バランスの良い食事と共に寿命を左右します。家内が亡くなって洗濯や食事や掃除を一人でやっていますが、17年もの闘病生活が長かったので、その間に入退院を繰り返していましたのでもう慣れたものです。運動もしないで好きなモノばかり外食していたら寿命が短くなりますので、運動はイイとして食事に関してまだまだこれからの課題です。もうこれからは仕事よりも自分の健康に気を使う事が、周り回っていつまでも仕事ができる身体をキープでき気力も湧くのです。そう・・・モノゴトはバランスなのです。まぁしかしアンクルウエイトを外すと羽が生えたように足が軽くなり、ブルースリーのように華麗なキックができるような錯覚に陥りますが、この落差が何とも気持ちイイのです・・・(笑)。今思えばアンクルウエイトの原点は大学時代の空手修業時代に遡り、大学での空手稽古以外に何か鍛えられないか・・・?と、中学生の時に「柔道一直線」というテレビで主役が鉄下駄を履いていたのを思い出し、最初鉄下駄を履いていたのですが、これではどうも電車に乗れないという事で、靴底に1㎏の錘が入った運動靴を買って足腰を鍛えていたのです。その頃から空手を大学の道場だけの武道ではなく生涯武道として考え、道場だけでは強くならないと普段から自然に鍛えようと、今の若い子のようにタイパ(タイムパフォーマンス)を重視していたのです。まぁ4,50年前と同じ事をヤッテいる自分に苦笑い・・・です(笑)。という事で、100歳まで生きるのが目標ですが、決して単に長く生きる事だけが目標ではなく、問題は中身なのは言うまでもありません。その中身を充実させるために、こういったアンクルウエイトも1つなのです。昨年末からスーパーで買うお菓子やアイスクリームを止めただけ(お土産のスイーツは食べて100%制限しない)で8㎏も痩せましたが、身体が軽くなりこのダイエットをこれからも継続していくつもりですが、このように自分で考えた計画を1つ1つ実際に積み重ねていって・・・その先に健康を掴み取ろうとしているのですが、今回のアンクルウエイトで下半身を強化して人生最後の最後まで自分の足で歩けるようにしたいです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.21
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LINE友達がついに昨日2500人を突破しました。プライベートの友達や娘や孫ともLINEをやっていますがメインはやはり仕事で、特に「スタジオ0724」会員数の伸びが著しく、もう直ぐ2800人に達しようとしています。8年半前の1室からスタジオオープン時には「せいぜい200人集まれば・・・」とあまり期待もしていなかったのですが(現在泉州最大級の4室に増設)、そんな期待をはるかに裏切るほど泉州在住の大勢のミュージシャンがスタジオ0724を利用してくれている事に感謝しかないです・・・(涙)。織物時代の後半は数社の取引先である繊維商社との「B to B」でしたが、今はエンドユーザー直の5つのビジネス(トランクルーム171室、音楽スタジオ4室、事業用の不動産仲介業(貝塚市限定)、レンタル自習室9室、卓球場3室)で「B to C」なので、連絡ツールとしてのLINE友達の数がここまで増えたのです。ビジネススタイルが変われば、それに伴って連絡手段も電話からLINEに180度変わったのです。まぁ4/24に2400人ですから、100人増えるのに6ヶ月掛かっていません。仕事では新規顧客だけ電話での対応ですが、一度お客さんになればやり取りは全てLINEですから。と言っても、バンド予約はバンドメンバーすべてとLINE交換するわけではなくバンドマスター(代表者)とだけ交換して、私からのLINE情報をバンマスからメンバー全員に共有してもらっています。そうしないと、こちらの仕事量が増えて他の仕事ができなくなりますから。リアルタイムでしか対応できない電話は、私みたいに業者を排除した自社運営のエンドユーザー直の5つのビジネスを娘とたった2人で回している零細企業経営者にとってできません。非同期通信のLINEでないと、もう5つのビジネスを回せません。LINE友達2500人と言っても24時間ひっきりなしに連絡が来る訳ではありませんし、こちらの都合の良い時間に返信すればイイので、それほど忙しくないのです。ここが大事なポイントで、如何に織物時代のリアルタイムの電話対応は時間の無駄が多かったのかと。まぁそんな非同期通信が出来る時代になって感謝しかありません。知らぬ間にLINE友達が2500人になったのも驚きますが、LINEグループも16もあっただなんて驚きます。公私含めた人生のリスク分散という意味で、色んなグループに首を突っ込む・・・というのもアリです。もうリアルタイムで電話していた昭和のサラリーマン時代や平成の織物時代が懐かしく、そんな悠長な時代があったのだなぁ・・・と。電話の致命的な欠点は「聞き間違い」がある事で、これによって言った言わないのトラブルになる可能性がある事で、もうそんな次元の低い争いをやっている暇な時代ではないのです。15年前に不動産業界に入って直ぐに、電話1本のミスで何千万円の損害賠償をされたという先輩の失敗談を聞いて恐ろしくなりましたが、IT化の遅れた業界では金額の大小は別にして往々にしてあり得る事なのです。まぁ令和になってインターネットによるビジネスが加速化していますが、それに上手く乗っかる感じで仕事を進めないと生き残れません。私みたいな零細企業経営者でも、起業しても10年で95%が廃業倒産すると言われる日本の厳しいビジネスシーンでも生き残る事ができたのです(トランクルーム18年、不動産仲介業15年、音楽スタジオ8年)。まぁ1日24時間しかありませんし、仕事ばかりやっている訳でななくプライベートも楽しんでいますから。そりゃそうです。人生をより楽しむためには、ビジネスを楽しみながら効率よく回す・・・のがポイントです。もう20代の夜討ち朝駆けのサラリーマン時代の、早朝の6時台から満員電車に揺られて疲れ果てて出社して、疲れ果てて夜10時や11時に帰ってくるなんて・・・思い出しただけでも卒倒します(笑)。しかし、それも家族5人を養うために必死だったのです。20代だったから、そんな体力と気力があったのですねェ・・・60歳定年やリタイヤ後は2000万円貯金が必要だ(65歳以降は働かないのを前提にしている)なんてマスコミが勝手に吹聴しているだけの事で、それに洗脳されないように60代からの働き方は、低下していく体力や気力に応じて、これまでの経験や知恵を活かす事に尽きます。まぁしかし決してLINE友達の数を自慢している訳ではなく、友達の数が増えれば増えるほど毎日ほど投稿している私のVOOM(タイムライン)が案外見られている事に注目しています。とにかく情報量がハンパない時代なので、自分で事業している限り何も発信しなければ存在しないのと同じですから、LINEひとつとっても地味に発信する事で集客に繋がるのです。経営者の仕事は消化試合的な仕事ではなく、こういった集客を念頭に置いた「日々の種まき」に尽きます。私のデジタル戦略はブログを中心に、それをフェイスブック(10アカウント)、X(7アカウント)、インスタグラム、tikTok、そしてLINEといったSNSにリンクさせて発信したりYOUTUBEもやっていますが、LINEだけは知っている人とだけ繋がっているという「隠された強み」があり、これがLINE友達が多いほど良いという理由だったのです。という事で、18年前まで営んでいた織物業時代は電話中心のビジネスでしたが、多品種小ロット生産で年355日24時間エンドレス稼働でパートも含めたった10人で月産20万mも織っていたなぁ・・・と感心すると共に、遥か彼方の思い出になってしまいました。一人で現場も営業も経理も受け渡し(糸と織物)をやっていましたので、当時からDOSVのパソコンソフトを導入して何百種類もある糸や織物を管理していた事が非常に役立ち、それが今の5つのビジネスでもITに大きく依存する理由だったのです。まぁ時代が18年で完全に変わってしまった・・・と思う今日この頃です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.20
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昨日は大阪キタのビルボードライブ大阪に、青春時代に山下達郎やユーミンやスターダスト・レビューや高中正義やサザンオールスターズと共によく聴いた「角松敏生」のライブに行ってきました。私の青春の1ページの好きなアーティストです。洋楽ロックを中心にソウル、R&B、ブラックミュージックもよく聴きましたが、70年代後半のJポップもよく聴いたのです。いや~ヨカッタですねェ・・・角松敏生の12月にリリースされるニューアルバムの曲を前面に押し出したギタリスト色が濃いライブで、元T-SQUAREメンバーだったアルトサックスの本田雅人の演奏も光っていたライブでもありました。私の期待していた「Girl in the Box」はついに演奏されませんでしたが・・・(涙)。もちろん10代や20代の頃と違って、感動は100分の1かも知れませんが、68歳になっても未だ感動できるなんて幸せです。早い目に水間線に乗って出かけ、久しぶりに高島屋や大丸の紳士服売り場をのぞきましたが、コレだというファッションもなく、心斎橋筋をウロウロしました。金曜日だと言うのに「今日はだんじり祭でっか?」というくらいミナミは人でごった返していました。90%は外国人観光客でしょうか。日本人を探すのに苦労するくらいでしたわ。歩き疲れて昔よく行った心斎橋のエクセルシオール・カフェでビールを飲んでいると、「ここはハワイでっか?」というくらい私以外は全員外国人というくらい混んでいました。ミナミで暫らくウロウロしてから、ライブのあるキタの地下街を歩いているとミナミの正反対の外国人が10%くらいしかいませんでした。ミナミとキタの違いを肌で感じる事ができました。ネットやテレビや書籍で情報収集も大事ですが、こういった自分の五感でモノゴトを見るのも大事なのです。いつもの事ですが、ライブが始まる1時間前に会場に入って、たまたま偶然に同じテーブルに座った人たちと世間話をするのですが、話題はもちろん当日のアーティストの話で盛り上がりました。角松敏生の話題で知らぬ者同士が盛り上がるなんて・・・何年前の元シカゴメンバーのバンド「CTA」のライブでも同様でした。そしてライブが終わってから「一杯行きましょか?」と、近くのイタリアンバーでビールで乾杯。この流れがナントもオモシロい・・・のです(笑)。単に一人で行って誰とも喋らず、そのままスッと帰るのもイイですが、私はライブの感動をたまたま共にした人たちと仲良くしたいのです。同じテーブルというのも何かの縁ですから。という事で、昨日は結構ビールも飲み、ミナミからキタまで1万6000歩も歩きましたが、感動の方が上回って素晴らしい日を送れたと感謝する次第です。まぁ角松敏生も60代半ばで、まだまだ現役で頑張っている姿に元気を貰えました。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.19
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先日の沖縄旅行の最中に、かんさい情報ネットtenの浅越ゴエさんの「アナタの味方!お役に立ちます!」のコーナーで、一般男性のドラムチャレンジが弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」で行なわれました。と同時に、同じ男性が隣接する弊社「貝塚卓球センター」で、テーブルクロス引きにもチャレンジもされました。放映が終わると同時に、私の携帯に2,3日に渡ってバンバン電話が掛かってきました(事務所の固定電話から私の携帯に自動転送なので)。ゴールデンタイムで私もたまに見るほど人気番組なので、やはりテレビの反響はスゴイですねェ・・・(驚)。バカンス中でも仕事をするのは零細企業経営者の宿命です。公私混同・・・大いに結構、別に大した仕事もしていませんので、これくらいの事は何でもありません。バカンス中でも新規オファーは転送電話で受け、既存のお客さんとはLINEで予約を受け付けています。それどころか、いきなりトランクルーム(音楽スタジオ、卓球場)に来られてWEBドアホンを押す新規客や宅急便もスマホに連絡が入って会話もしています。そう・・・チャンスは絶対逃さないというスタンスが、スマホ(LINE)、小型PC、防犯WEBカメラ18台、WEBドアホン2台設置に現れています。まぁ浅越ゴエさんは知る人ぞ知る、私と同じ「宅建士(不動産業界の独占業務の国家資格)」の保有者で、収録前の雑談で盛り上がりました。初めての人との雑談って大事です。老若男女・・・どんな人とも喋れる能力が、私のように5つ(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)のエンドユーザー直の店舗ビジネスを展開している零細企業経営者には必須です。自分の器の大きさに懸かっていますし、初めての人と雑談できるには、自分に引き出しが沢山ないとダメですから。仕事だけで趣味もなく経験も浅ければ、仕事関係の人と家族だけしか会話できず、初めての人との雑談って出来ません。更に日本語しかできなければ、人生の可能性が狭くなります。逆に仕事だけでなく趣味があり、更に英語でもできれば一気に可能性が広がるのです。だから英会話学校が常に流行っているのです。当たり前の話ですが。B to Bの織物時代の営業でも雑談力が必要でしたが、それは20代のサラリーマン時代に新規開拓で年間1000人と名刺交換して培われた営業力で乗り切りましたが、40年経った今の5つのビジネスにもその経験が役立っています。逆にそのベースとなる20代のサラリーマン経験がなければ、織物時代で挫折してトランクルームに転業どころではなかったでしょう・・・(汗)。やはり人生って、結局は過去からずっと繋がってるのです。よく学び直しとかリスキリングとか話題になりますが、過去のベースがなければ、結局また戻って学び直す(経験し直す)しかないのです。現実的にはソコまで真摯に人生を考える人は少ないと思いますが。という事で、今回のテレビ取材はディレクターから弊社スタジオのWEBサイトと私のブログを見て電話がありましたが、そもそもWEBサイトがなくてブログもやっていなければ放映も何も無かった訳で、やはりインターネットの力はスゴイなぁ・・・と。ブログって地味ですが、コツコツと書いていると、いつか誰かが見てくれて仕事に繋がる・・・のです。いつか必ず・・・なので、殆どの人はブログを継続するのを断念したり諦めるのです。インターネット時代になってネット情報が良悪含めて溢れかえっているからこそ、テレビや新聞の信用性が高まっている部分もあり、テレビディレクターや新聞記者は「実名入りの個人ブログ」に情報を求めているのです。遊びでブログを書いている人は匿名なのでスルーされるだけで、私のように仕事で書いているブログは「責任を持った実名」というのがポイントです。私はもう織物業からトランクルームに転業してから18年間も書き続けていますが、その誰も出来ない地味な作業が生き残りのポイントなのです。ブログって誰でも出来そうで、結局殆どの人は継続デキないのです。もちろん、継続するための細かなノウハウがいくつかありますが。正に、継続は力なり・・・です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.18
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2週間の沖縄旅行は風が吹けば朝から昼は瀬長島でウインドサーフィン、夜はブラブラと国際通りのいくつかのジャズのライブハウスに通っていました。朝から晩まで、文字通り好きなコトをして過ごしていたのです。7月に家内が亡くなって悲しみのどん底に未だいますので、悲しみを紛らわす意味でこれくらいの自由は許されるでしょう・・・まぁ昼間のウインドサーフィンで疲れた身体をプロのジャズミュージシャンの演奏に酔いしれ、そこでたまたま飛び入りセッションのドラム演奏のチャンスが巡ってきました。私はロック出身のドラマーですので、最初は8ビートしか叩けませんよと断っていたのですが、その場の雰囲気や上手そうなセッションメンバーが私を招いてくださり、「それじゃ叩かせてもらいましょか」という流れになりました。ここで恥ずかしがっている場合ではないと、単なる遊びだからという軽いノリでサッとステージに向かったのです。ちょうどコロナ前のハワイロングステイで、ワイキキのライブハウスで飛び入りでドラムを叩いた時と同じノリです。ノリ・・・その場の雰囲気に合わせたノリが大事です。誰も採点なんかしませんし、下手でもノリで楽しむのが勝ちです。そんな朝から夜までウインドサーフィンとジャズのライブハウスで遊び倒していたかのように見えますが、実はキッチリとスマホと小型パソコンと電話で仕事も熟していたのです。コロナ前の毎年ハワイで1ヵ月のロングステイをしていましたが、もちろん沖縄と同じように仕事をしていましたが、時差が19時間もあるのでコッチの方が大変でした・・・(汗)。まぁ人間って、そんなに遊んでばかりではいられませんから。仕事もしたいのです。なので、遊びも仕事もできるワーケーションとして私的には沖縄がピッタリだったのです。ワーケーションというのは文字通り「ワーク+バケーション」の造語です。これからは風の吹くシーズンに年2回は沖縄でワーケーションをして、人生をより楽しもう・・・と。ワーケーションなんて2,30年前の織物時代は全くあり得ませんでしたが、工夫次第で出社しなくても(私がいなくても)稼げるシステムを構築できる世の中になったというのはスゴイ事です。この私の考えたシステムの大きなメリットは、サラリーマンのような定年に関係ない事で、高年収の医者や弁護士は定年がないとはいえ仕事を引退したら収入ゼロになりますが・・・全くそんな事が関係なく「少しの努力で死ぬまで稼げる」ことです。こうなると一般的に言われる学歴や定年なんて関係なく、猛烈サラリーマンには難しいとされるライフワークバランスを上手くプライベートも充実させて、仕事との両立で人生を謳歌できるのです。まぁ業者に丸投げの賃貸マンション経営はハシゴを外されればどうしようもありませんが、自分で事業をすれば何も関係ないのです。スペイン旅行で強く感じましたが、自分は一体何のために生まれてきたのか?・・・というのを真摯に考えると、苦しむために生まれてきたのではない・・・たまたま日本という恵まれた国に生まれてラッキーだったのです。このラッキーさを活かすために、もっともっと人生を楽しまなければ・・・と。という事で、これからの余生は沖縄旅行でのウインドサーフィンとジャズのライブハウスというのをセットにして人生をエンジョイできそうです。更にもっと沖縄を楽しむために、セッションでジャズドラムを少しでも叩けるように、自分のスタジオ0724で講師について習おうかな・・・と今まさに計画しているところですし、マーブルビーチや二色浜でのウインドサーフィン強化を祭に同じ村のウインドサーファーN君と話していたところです。名越には私を含め20代からウインドサーフィンをやっていた現役と元ウインドサーファーが5人もいますので(いずれも今は60代)、2,30年前にもやろうと言っていた「名越ウインドボーイズ」を結成しようか・・・と(笑)。一般的にはあまり知られていませんが、今は泉州のどこのだんじり祭も半分は自町ではなく他所から流入して「本来の地元の村祭り」とは言えませんが、こういう名越ネイティブからの視点や発想が本質的に地元を盛り上げるのです。まぁ具体的な目標(ウインドサーフィン&ドラム)を持つというのは強く、これが私の生き甲斐になっているのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.17
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2週間の沖縄旅行から帰って来て地元貝塚のだんじり祭も終わって、さぁジムでも行こうかと思いプログラムをネットで確認すると、ジョイフィット岸和田が来年2月に閉店するというニューズが目に飛び込んできました・・・(驚)。沖縄旅行に行っている時の発表なので正に寝耳に水ですが、8年ぶりに再開した時のジムの雰囲気から察すると「あ~やっぱりか」と納得です。8年前の退会した時はまだ流行っていてイケイケドンドンの賑わっている雰囲気でしたが、それから8年後の今は「これほど変わるのか」と心配するほど寂れていました。コロナを挟んだスポーツジム業界も過当競争に拍車を掛け、ますます経営が厳しくなっているのでしょう。まぁ仕方のない事です。ジョイフィット岸和田は通算で16,7年くらい営業していたと思いますが、フランチャイズの1店舗だったので、業界の再編の波に呑まれて無くなっても同業他社やジョイフィット24とか別の業態もあるので業界自体は何の影響もないでしょう。どんなビジネスでも言える事ですが、存在価値がなくなったら消えても仕方がない・・・という事です。だからみんな自社(自分)の存在価値を求めて、アレコレ努力するのです。ジョイフィット岸和田は元々コンビニのようなフランチャイズなので独自のノウハウはなく、立地条件に左右され強力な競合他社が現れれば客がそちらに流れてしまうという運命にあったのです。その点幸いにも、弊社主力のトランクルームと音楽スタジオは業界的にも大手FCが独占という訳ではなく大中小入り乱れた群雄割拠の状態で 、中小でも独自色が出せるというメリットが生き残りの秘訣です。弊社の事業用の不動産仲介業でも大手コンビニからの出店オファーがたまにありますが、相当緻密な計画に基づいて出店しても、採算が合わなければ1年以内に撤退という非常に厳しいパターンが多々ありますから。事業用不動産の仲介のオモシロいところは正にここで、自分も事業(トランクルーム、音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場)をしながら、他人の物件の仲介でイロイロ勉強をさせてもらっているのです。不動産仲介業の経験値を積み重ねる事によって、本業のトランクルームや副業1位の音楽スタジオの経営にフィードバックできるのです。まぁ平たく言えば「無くなっては困る・・・」と多くの客に言われる商売でないとダメですねェ・・・今回のジョイフィット岸和田の閉店で、そう強く思いました。生き残るのは難しいという事です。16,7年前のオープン時は「コナミの半額以下」という猛烈なアピールで、私も含め噂ではコナミ東岸和田から500人もジョイフィットに移ったと言われていました。しかしこれも理に適った戦略で、コナミのように「スタジオ」「マシンジム」「プール」の3つが揃っても3つともされる会員さんは10%もいないと思いますし、ここにフォーカスを当て「プールなしで半額」がヒットしたのです。私もコナミに10年くらい通いましたが、プールを利用したのはたった2,3回ですから。最近何かと話題が多いチョコザップも「マシンジム」に特化した無人管理の低価格戦略で、恐ろしい勢いで店舗数を伸ばしているのも納得の理由です。コロナで委縮したジムマーケットをライザップは上手に拾っているところが絶妙で・・・流石だなぁと感心します。まぁしかしそれが結局、会費がジワジワ上がり・・・同業他社が沢山増え、プールがあるコナミとそう変わらなくなった・・・というのが正直なユーザーの声でしょう。ビジネス・・・商売って難しいです。まぁ張り切っていた矢先の事で、出鼻をくじかれた感じですが、私は一向にめげませんよ・・・(笑)。せっかく再開して喜んでいたボディコンバットと筋トレマシンを止めるのは辛いですが、早速先手を打って昨日ジムに退会届を出してきました。というのは、今回の2週間の沖縄旅行で「もうジムは必要ないなぁ」と悟ったからです。今年68歳ですが、これから迎えようとする70代を見据え、ウインドサーフィンとドラムを更に追求しようかと思っているからです。これから春から秋にかけて、近場のマーブルビーチや二色浜で頻繁にウインドサーフィンをする事によって鍛えよう・・・と。沖縄での朝から昼はウインドサーフィン、夜はジャズのライブハウスでドラム演奏・・・このパターンは絶対オモロイと、私的にはドストライクだったからです。人生で「これだ!」と思う事は少ないですが、今回のウインドとジャズドラムにハマったのです。もう68歳ではなく、まだ68歳なのです。バカにしないでくださいよ・・・(笑)。これから年2回は、このパターンで沖縄のバカンスを楽しみたいと思います。その為には、これからは時間と金をこの2つに集中する必要があります。なので、ジョイフィットを早速退会したのです。まぁ何かトラブルがあった時に、直ぐに判断してサッと行動するというのは、仕事やプライベートでも大事です。グズグズやっていると、足元をすくわれ更に状況が悪化しますから。即断と行動ができたのはジムに通う事が目的ではなくウインドサーフィンをするための手段だったからで、ジムに通う事が生き甲斐(目的)の人にとって相当なショックだったでしょう。「これ一筋!」というのは確かに立派で尊敬に値しますが、現実問題として「それ」が無くなれば自分の存在自体が危ぶまれますので、そういった意味で「いくつもの目的や手段」をもってリスクを分散する事が生きる上での知恵です。だから私は今「五毛作経営(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、テレワーク室、卓球場)」をしてますが、更なるリスク分散を追求する意味で「新たな六毛作目」を2年前から着々と準備中で・・・近々公開できるかも知れません(笑)。まぁ実質1時間半ほどのジムワークに、往復の時間を含めると3時間も取られ、月額料金も9000円近く発生しますから、相当な時間と金のロスです。それなら毎朝の15分ストレッチで拳立て伏せを30回、スクワットを50回に増やせばイイのです。時間にして2,3分増えただけです。それに片足1㎏のアンクルウエイトも極力するように。それと両手両足の適度な運動であるドラム練習を毎日やる。スタジオのドラムレッスンを受講するのです。それと私が主宰している週1回のスタジオ0724でのボランティア空手を更に充実させ、糸東流空手の基本と型だけでなく、サンドバッグによるキックとパンチでストレス発散・・・を。今一緒に練習している空手仲間は元祖フルコンタクト空手の極真会出身なので、刺激になってちょうどイイのです。まぁ伝統派空手(寸止め)のウイークポイントである「実際に当てる感覚」をサンドバッグで少しでも補おう・・・と。全く違うスタイルの糸東流と極真会が一緒に練習しているなんて一昔まで空手業界的に考えられなかった事ですが・・・そこは旧習やタブーをブチ破った私のボランティア空手の成せる業です。旧習やタブーに縛られると何もできないというのは、私のこれまで68年間生きてきたストーリーが物語っています・・・(笑)。まぁ11月~2月は日本は寒くてウインドをやる気力が湧きませんので、将来的には関空から直行便が再開したら、その時期に乾季でトレードウインドがよく吹く新婚旅行でも行った妻との思い出のサイパンでウインドサーフィンをやりたいのですが。更にそれと、このジョイフィットにオープン当初からフラダンスで16,7年通っている小学校のクラスメートのYちゃんに「仲間と一緒に先生呼んでスタジオ0724使ったら安つくんちゃうん?」とオファーしているところです。転んでも?タダでは起きまヘンで・・・(笑)。という事で、老後はタイムリミットがありますので時間も金も浪費はNGで、効率よく残された人生を生きなければ充実感を得られません。人生の最後の最後まで楽しみ尽くし・・・「俺の人生はヨカッタ!」と心の中で叫んで死にたいのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.15
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妻が亡くなって49日が過ぎたので、そろそろ自分の好きなコトも出来るかなぁ・・・という事で、昨日まで2週間沖縄に昼はウインドサーフィン、夜はジャズライブを堪能してきました。ちょうど小学校のクラス会の翌日に出発し、だんじり祭りの前日に帰ってきたのです。どちらも外せません・・・から。まぁこんな事を娘や孫らに言うと、一様に「エ?ホンマかいな?」「危ないんちゃう?」「止めといたら」「ジイジ心配や」・・・です。まぁ天涯孤独だと誰も心配してくれませんが、誰かが気にかけて心配してくれるなんて幸せです。68歳のジイサンが一人で沖縄までウインドサーフィンをしに行くなんて、「オカシイでしょう?」「気でも狂ったんちゃう?」と思っているのしょうが。やっぱり年寄り扱いしているのでしょう。確かに。しかし、そんなコト関係おまへん。心配無用・・・楽しんできました。ウインドサーフィンだけでなく、夜はジャズのライブハウスです。国際通りには私の好きなR&Bやソウルがかかっているクラブもあったのですが、私でも行くのはチョッと躊躇しました。やはり年相応というか、ウインドで疲れた身体にズージャがちょうどエエのです。ココです・・・ポイントは。今回のゲレンデの沖縄空港近くの瀬長島という遠浅のテトラに囲まれた海でしたので、安全面では全く問題はありませんでした。ただ潮の満ち引きや風向きの問題でウインドサーフィンが出来ない日もあり、100%満足という訳にはいきませんでした。ホテルは沖縄で1番の繁華街の国際通りでしたので、暇つぶしにはサイコーでした・・・(笑)。ビーチまではモノレールもありますが、東京バス1本で20分くらいですので案外ラクチンです。これが海の近くのホテル以外に何もないところだったら、風がなければ暇で暇でシャーナイでしょう。朝から昼はウインドサーフィン、夜は疲れた身体をジャズのライブハウスで癒しセッションタイムでドラムを叩かせてもらったり・・・と昼と夜の時間を有効に過ごし、それなりに両立ができた最高のバカンスでした。ウインドサーファー的に言うと、昼も夜も1日中フルプレーニング・・・という事です(笑)。68歳のじいさんでも趣味さえあれば、「純粋な喜びや楽しみ」が脳をマヒさせるのか?体力以上に1日中遊び倒せるのです・・・(笑)。まぁこれが妻と一緒だったら・・・と思っただけでも涙がでますが。ある意味、今回の沖縄旅行は傷心旅行だったのです。旅行前日は小学校のクラス会で、帰った翌日からだんじり祭り・・・と自分で忙しい計画を練って極力悲しみを忘れたい・・・と。とにかく年末までの2か月半は自分的には公私含めた大きなプランが4つあり、かなり多忙を極めそうですが、正月にはユックリ出来そうです。まぁしかし、学生時代からウインドサーファー艇というロングボードを乗りすぎたせいで後傾ジャイブが身に染みてしまい、今のショートボードの前傾ジャイブが恐怖心が先立って出来ないという悩みを30年間も抱いていました。3人の子育ての忙しかった2,30代は海には行ってましたが、子供の水遊びが中心だったので風の吹かない遠浅のビーチでジャイブ(風下方向転換)どころではなかったのです。家内が17年前に乳がんになってからは、風が吹いてビーチに行こうとすると「行かんといて」と懇願するケースも多かったので、なかなか思うように行けなかったのです。今は42年ぶりに独身時代のように、思う存分ウインドに行けるチャンスが巡ってきた・・・という事です。物事はタイミングがポイントで、このチャンスを逃がす手はないと、今回のウインド特訓を成功させるべく先月からパワーとスタミナをつけるために、8年ぶりにジョイフィット(スポーツジム)での運動を再開したのです。より楽しく遊ぶためは、やはり身体のコンディションを整え体力も要りますから。ただ私のウイークポイントである4年前に脊柱管狭窄症の手術の後遺症が未だ残っていますので、強風でせいぜい2,3時間も乗ったら足が痺れてきますので、その時点で練習終了という時間制限があったのです・・・(汗)。ある意味、老体を労わりながらもギリギリまで鍛え・・・遊び倒すという難題?に挑戦しているのです(笑)。まぁ今回のウインドサーフィンですが、瀬長島に「BLAHAV151」というウインドサーフィンのレンタル&スクールの店を構える沖縄初のプロウインドサーファーである島袋プロ(息子さんもプロ)に道具のチョイスやテクニックのアドバイスで大変お世話になり、来年もまたウインドとジャズの組み合わせで沖縄に来たいと思います。やっぱりプロのアドバイスは違いますねェ・・・3年ぶりのウインドでしたが、ビーチスタートもコツを掴め、ジャイブもコツを教えてもらって恐怖心も無くなりましたが後半がまったくダメでした。これまでホームポイントのマーブルビーチで沖までフルプレーニングで行くと、そのスピードに恐ろしくなってタックをするかセイルをパタンと海に放り投げていましたが(急ブレーキ)、ジャイブ(=減速)という理屈が身体で理解できましたので、これからは恐ろしくなったら躊躇なく沖でジャイブにチャレンジできそうです・・・(汗)。しかし今回の沖縄は半歩前進でしたが、これからの大阪でのウインドと次回の沖縄旅行で更に半歩進めて、これからの自分のウインドライフを楽しみたい・・・と。ウインドサーフィンって基本は遊び(レジャー)なので、どちらかというとキッチリした練習体系というモノがなく、細かいテクニックの勉強なんてYOUTUBEを見るくらいしかなかったので、今回のように実際に教えてもらう事の方が遥かに勉強になったのです。この辺がドラムと全く一緒です。そしてこのクラブで魚釣りや三線とかで何かと他愛もない話で盛り上がっていた地元在住の大将が、なんとオールドファンならご存知かと思いますが、3,40年前の日本のウエイブライダー(波乗り)シーンを牽引し草分け的存在のひとりだった清田(セイタ)さんだったとは驚きです。当時ハイウインド(ウインドサーフィン専門誌)のウエイブ記事でしか彼の存在を知りませんでしたが、その彼が目の前の親し気なオッちゃんだったとは・・・(驚)。またエストニアから民族楽器のコンサートに来ているという方もおられたりと、ずいぶん国際的なビーチだなと感心しました。また60代になってからウインドサーフィンを始めたという東京のご夫婦は、奥さんが先に沖縄に移住して毎日ウインドサーフィンをやっている・・・と聞いてビックリ仰天。その他にも私と同じくらいの年齢の方で、1970年代のウインドサーファー艇の「木製ブーム」から始め(今はアルミかカーボン製)、大阪出身なのにウインドサーフィンの魅力に取りつかれ沖縄に移住してもう40年経った・・・なんていう方もおられ、このビーチに集まる人達をみていると人生のドラマを見ているようでした(笑)。人生って長く生きていると、不思議な場面に多々出くわすモノです。これがスティーブ・ジョブズの言う「未来に先回りして、点と点をつなぐことはできない」という事なのか。まぁ沖縄はリゾートとしてハワイに比べて治安が良いし物価も安く、何より日本の医療体制もシッカリしてアメリカより格段に安く信用できますので・・・魅力があるのでしょう。コロナ前にサイパンのマイクロビーチでウインドサーフィンをしたのですが、現地で2か月から6か月もロングステイされてウインドサーフィンを楽しんでいる60代から70代の団体(通称サイパン少年隊?)の何人か仰っていましたが、将来的には医療の問題でサイパン(アメリカ)から沖縄に変えようかというのも納得の理由です。国内旅行だけでなく、海外旅行に行くと、多くの自由に生きている人に出会い「もっと自由に生きよう」と気づかされますし、ホンと人生イロイロ・・・なんだなぁとつくづく思います。という事で、人生に悔いを残さない・・・ヤリタイことは元気なうちにやっておくために、今回のウインドサーフィンだけでなく、年末にかけてイロンナ企画が目白押しだったのです・・・(笑)。しかし今回の2週間のリフレッシュでモチベーションが更に上がり、それらすべて案件を年内にクリアしてやるぞ・・・と意気込むのでした(笑)。人間って、やっぱり休憩(遊び)が必要なのです。学生時代の文武両道ではないですが、大人になっても仕事と遊びの両立をしないと。まぁ考えてみれば2週間も一人で旅行できるなんて確かに遊び上手だと思いますし、仕事しかやってこなかった人にとって2週間のバカンスなんてどうやって過ごしたらイイか戸惑うでしょうねェ・・・(笑)コロナ前は毎年妻と1か月のハワイロングステイを楽しんでいましたが、洗濯機と乾燥機で毎日洗濯して持っていく荷物を少なくしたり、スーパーで食材を買ってコンドで料理して食費を節約したり、日本から米を持参したり、現地のスーパーで買う大量の水を運ぶカートを持参したり、スマホや小型パソコンを持参して部屋で仕事をしたり、コロナでクレジットカードによるマイルが貯まっていたので今回の沖縄旅行の20数万円のホテル代は無料だった・・・といったロングステイのノウハウを今回の旅行で活かしました。まぁハワイのロングステイでもカナダやアメリカのチョッと上の70代の友達はみんな仕事もするけど遊び上手でしたが・・・それが人生を楽しむコツだったのです。日本のマスコミは定年というキーワードを多用して「65歳以降は働かない」を前提にして定年後は2000万円必要だとか勝手に言っていますが(ある意味、子供の頃から受験受験~と50年間洗脳している?)、ジョブ型主体の外国には定年という概念があまりなく、働けるうちは働いて遊べるうちは遊ぼうというライフスタイルの違いに驚きますが、私のライフスタイルは誰に教わった訳でもありませんが完全に外国スタイルですねェ・・・(笑)。日本人は根が真面目で優秀な1億人超えの中央集権の自由主義国家で世界唯一の単一民族国家ですから(移民も昨今増えていますが)、そりゃマスコミや国も国民をコントロールし易かったでしょうが、今はインターネットで海外からバンバン情報が個人にダイレクトに入って個人が発信もできる時代なので、中国やロシアや北朝鮮のような社会主義の独裁国家と違って日本人はもう誰からもコントロールされる時代ではなくなっています。今回の2週間の旅行でブログにも載せきれていない人も含め沢山の人との新しい出会いがありましたが、ウインドサーフィンと音楽という「共通語」があったから直ぐに仲良くなれたので、それが「人生まだまだ楽しめるどォ」と思わせる要因だったのです。ある意味、人生は・・・旅と出会いです。亡くなった家内に17年前に乳がんになってから「何をしたい?」と聞くと、即座に旅行がしたい言われ、手術の翌年に来たのがこの沖縄でした。それからコロナ前まで毎年2,3回国内外の旅行に行っていたのも彼女のためでしたが、私自身も楽しかったのは言うまでもありません。今回の「沖縄で2週間のウインドサーフィンとジャズライブハウス三昧」は私のライフスタイルにこれから毎年組み込もうと思いますが、来年の沖縄ステイを更に充実させるために、地元のマーブルビーチを中心に二色の浜、浜の宮、白浜臨海浜でジャイブの練習に励み、スタジオでもう一度ドラムレッスンを学びなおしてライブハウスのセッションでもっと上手に叩けるようになれば・・・と思いますが、そのベースとなるのがジョイフィット(ジム)でのパワーとスタミナ要請を考えた筋トレマシンとボディコンバットと週1回のスタジオ0724でのボランティア空手だと。やっぱり趣味・・・イロイロ趣味があると、世界がパッと広がり人生楽しい。一口に趣味と言っても、キャリア年数が多いほど深みも増しますので若い頃からスタートした方が断然良く、定年になってからでは気力的にも時すでに遅し・・・かも知れません。そして趣味を充実させるために資金が必要なので仕事をする必要があり、それらすべてのベースになるのが健康というのは言うまでもありません。今回の沖縄旅行で人生観が変わったとまではいきませんが、ウインドサーフィンとライブハウス(ドラム)を旅行に絡めて楽しんでいこう・・・という方向性が決定づけられ、あとは一緒に楽しむガールフレンドを見つけるだけか?(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 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2024.10.12
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私は株に関してアレコレ考えるのが面倒くさく、長期保有だけで一切売買はしませんし興味もありません。しかし私の人生に於いて、最大の株の売買みたいな勝負に勝ちました。安く買って、高く売り抜いたのです。それは株ではなく、織物業時代の織物工場の1台1000万円のエアージェット織機20台とそれに付随する設備一式機械です。エアージェット織機の性能を100%活かすために新工場(現在のトランクルーム貝塚「本館」)まで建設しましたので、その建設資金までもバブル期に比べて30%ほど安くできて万々歳・・・という事になりますが、当時プラザ合意後の円高不況の真っ最中でその先の景気の動向は全く分からないという状況だったのです(汗)。それでもサラリーマンを辞めて2年目で、小さな子供2人抱えて今更サラリーマンに戻る訳にもいかず「行こう!」と決断したのです。確かにイチかバチか・・・という決断でしたが、当時繊維業界で1セット30万円以上もする高級羽毛布団ブームの兆しが見え始め、弊社がエアージェット織機を導入したらそのシャットル織機では織れない高密度織物の側地生産(後にダウンプルーフ加工)を伊藤忠から大量に注文が来るのが分かっていました。しかし、まさかエアージェット織機導入の翌年から空前の好景気に沸くバブル期に突入するなんて、夢にも思いませんでした。ウインドサーフィンで順風に乗っていたのが後ろから波が来て、それにも乗ってスピードに恐ろしく加速度がついた・・・という感じです。バブル前年の1987年にシェアが10%しかなかったトヨタのエアージェット織機を安く買い叩き、北京オリンピックの2年前(2006年)の好景気に沸いていた中国に20年間355日24時間エンドレス稼働で使い倒したボロボロのエアージェット織機を高値で転売したのです。北京オリンピックとリーマンショックは2008年の同じ年です。運が良かった・・・と言えばそれまでの話ですが、新品の最新鋭エアージェット織機と新工場建設で3割安く買って(建て)、20年間使い倒した中古織機を高値で売却となると〇〇〇〇万円も得した計算になり、単なる株の売買差益と金額が何桁も違い、個人保証もして自分の首や家族の生活も懸かっていましたので、絶対に「この勝負」に負ける訳にはいかなかったのです(汗)。多くの同業他社のようにバブル突入の1988年以降にエアージェット織機を導入したらイニシャルコストが30%上がり、あと2年無理して頑張っていたらリーマンショックの渦に飲み込まれて中古のエアージェット織機なんて売れなかったでしょう・・・(汗)。たった半年か1年早かっただけで命拾いしたのです・・・(汗)。不景気に他社ができない設備投資をして、翌年のバブル期には順調な織物生産体制に入っていましたので、他社より2歩も3歩も先に進んでいましたので機械の償却も早く、20年後には借金ゼロという状況だったのです。人より早く動く・・・というのがポイントで、陸上競技のようにビジネスにはフライイングというのはありませんし、早すぎて失敗するケースもあり難しいところですが、早い者勝ち的なケースが多々あります。学校教育のように横並び志向が染みついてしまい横の人が動いたから動くという半歩遅れでは、何をヤッテも成功しません。まぁ何か経営者の勘みたいなモノが働いたのだろう・・・と自分では思っているのです。運や勘は学校では学ばないところが現実のビジネスの難しいところでもありますが、私のような二流大学しか出ていない人間にとってチャンスなのです・・・(笑)。試験のように学校で習った事で世間を渡れるなら誰も苦労しませんしノイローゼになる人も激減するでしょう。考えてみれば1979年夏に始めたウインドサーフィンもそうで、翌年からくらいからボチボチ流行り出し2年後には世界的に大流行しましたが、これも早く始めたからこそ大学に学連加盟のウインドサーフィン同好会を創部でき、関西学連の創設メンバーになり、全日本選手権にも出場できて、創部者として学内外との交渉やレース運営のスポンサーとの交渉など創部者でしかできない貴重な経験がその後の私の人生に大いにプラスになりました。大学ウインドサーフィン同好会の創部の経験は今思うと「起業の予行演習」みたいなもので、それが20数年後のトランクルーム(不動産仲介業、音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場)起業に役立ったのは言うまでもありません。まぁこれが1年遅れていたら、同好会も誰かが先に作ったでしょうし、全日本選手権も関西予選を勝ち抜くことすら困難だったでしょう。そんなラッキー以外何物でもない何億円も掛かったエアージェット織機の購入と売却が上手くいき、銀行に借金も全額返済して身軽になったからこそ、その後トランクルームにスムーズに転業出来て・・・今があるのです。すべて連なっていて、1つでもこけていたら、歴史はひっくり返っていたか下方修正を迫られていたでしょう・・・(汗)。という事で、ちょうど1985年のプラザ合意による円高不況の時にサラリーマンから帰ってきて直ぐに親戚のエアージェット工場の現場で半年間タダ働きをして、「エアージェット織機まだまだだなぁ~(開発途上)」と感じ、浜松の廃業した織屋の中古のユニフル付自動織機(SOHC)30台導入してから織機の神様と言われていた清児の中野織布の工場長と森の鉄工所でたまたま偶然にも知り合って仲良くなり、教えてもらった改造ノウハウを1日1台づつ鉄工所に持っていって改造しましたが、結局「しょせん中古」という結論に達し、結局その2年後に最新鋭エアージェット織機の導入を決断したのです。やっぱり中古織機というのは長年のクセがついており、それを直すのは不可能と判断したのです。まるで人間と同じです・・・(笑)。まぁしかしエアージェット織機導入当初に末端価格が30万円以上の羽毛布団の側地生産を他社に先駆けて織っていましたが、そのうち屋内の同業者も参入しだし、更に中国からの輸入品も激増した結果、末端価格が1万円になってしまったので織工賃が全くでない状況になって国内生産がゼロになった経験を通じて、やはりエンドユーザー価格が高い商品(他社が参入できないモノ)を狙わないとダメというのを痛感しました。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.10
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今は店舗ビジネスでセルフ方式や無人店舗が増えてきました。コロナで大打撃を受けた音楽スタジオ業界でも無人化が進んでいます。景気に左右されないように、最新テクノロジーを使って最大のコストである人件費を減らそうという動きです。なんたって、1人雇うだけでも人件費だけでなくその他にも経費が掛かり、雇用条件などで様々な法的制約にも縛られ経営の足を引っ張ってしまいます。零細企業経営において、簡単に人を雇うより経営者自らの能力を上げてイロンナ仕事を兼業する(マルチプレイヤー)事の方が100倍重要なのです。弊社も5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)を娘と2人だけで営んでいますが、そのベースとなっているのは20年間の織物時代の現場と営業と経理などを全てやっていた仕事術です。弊社「トランクルーム貝塚」の建物の入口の扉の鍵(キー)は、18年前のオープン当初は普通のカギでした。当然お客さんがトランクルームを利用される時は、私が扉をキーで開ける必要があります。不動産仲介業にも力を入れていた頃でもあったので、物件調査や案内で外出していてもトランクルーム客があれば戻らなければなりません。「いちいち扉を開けにトランクルームに戻るのも非効率で邪魔くさいなぁ・・・」とずっと思っていたのですが、ある時「4桁のダイヤルキーだったらお客さんが勝手に開けてくれるだろう」パッと閃いたのです。これで、いちいちトランクルームに戻る必要はないだろう・・・と。客の動きと経営者である私の動きが同時である必要はなく、これからのインターネット時代にそんな消化試合的な仕事をしている場合ではないと当時考えました。まぁアナログの4桁のダイヤルキーなんて昔からあるもので、正にコロンブスの卵だったのです。その毎日変える4桁のキーナンバー(暗証番号)はいちいち電話で伝えるのは会員数が増えると物理的に多忙を極め難しいので、第一間違いが起こる可能性が高くなりますので、前日までのショートメールやLINEによる予約にして利用当日にキーナンバーを伝えるというスタイルに徹底したのがポイントです。これで大幅に時間的余裕が出来、より時間を有効に使う事が出来るようになり、私の生産性が飛躍的にアップしました。日本のサービス産業の生産性の悪さが世界的に際立っていますが、競争に勝とうと思えば業種によって「いちいち客の顔見て世間話でも・・・」なんていう古い発想を捨てなければ。いくら個人的にお客さんと親しくなって長話するようになっても、解約するときは情なんて関係なしにパッとされますから。私は毎日出社して事務所やトランクルーム内のどこかにいますが、荷物の出し入れは勝手にやってもらう事で、余った時間をトランクルーム以外の他の4つの仕事(音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)に振り向けられるのです。要はタイムイズマネー・・・です。管理人が駐在する有人管理ですが、出し入れはセルフ方式・・・というありそうでなかった画期的な経営スタイルだったのです。これが結果的に5つのビジネスにトータルでプラスに働くのです。そして3年前から4桁のダイヤル式のアナログから今のオートロックのデジタルに変え、予約は電話では聞き間違いもありLINEのみとしました。毎日4桁のキーナンバー(暗証番号)を変えているのですが、設定ミスで番号を間違えるとアナログキーを壊さないといけないというリスクがあり、そんなリスクのないデジタルの日本製オートロックを上手に後付けできる設置業者を見つけたのが幸いしました。中国製は沢山ありますがどうも信用できませんし、後付けというのと信用できる日本製という2つがポイントです。まぁ、何でもステップバイステップです。一足飛びには出来ません。オートロックによるセルフ方式の1番のメリットは人件費が掛からない事です。8年ぶりに再開したジョイフィット(スポーツジム)も殆どスタッフがいません。スポーツジム業界もコロナで大打撃を受け、チョコザップを代表として無人化がコロナを機に相当進んできた証拠です。艱難汝を玉にす・・・と言われるように、スタジオ経営においてコロナという禍を国の補助金に全く頼ることなく乗り越えた自信は大きいです。「貰えるもんなら貰っとこう」と補助金という一時的なカンフル剤に甘える事で何も自ら変ようとしなかった会社や個人事業主が多すぎますが、彼らより不景気に対する耐性は自らの創意と工夫と努力でコロナを乗り越えた我々の方が遥かに強いでしょう。不幸中の幸い・・・とは正にこの事で、コロナで転んでもタダでは起きなかったのです。音楽スタジオ業界もコロナを通じて、発表の場であるライブハウスの閉店が相次ぎライブの本数が激減したのと比例して、スタジオ店舗数が多い都会では閉店が相次ぐとともに、無人化のスタジオが増えてきました。この辺がスペース貸しの音楽スタジオとレッスン主体のダンススタジオとの大きな違いで、似て非なるモノです。もちろん防音と防振対策費用に大きなコストが掛かる音楽スタジオですから、そう簡単に新規参入はできません。まぁデジタル式のオートロックのアイデアが浮かんだのは、5つのビジネスを娘と2人だけのファミリービジネスだったからで、如何に人手を掛けずに仕事を回していこうか?・・・というのが原点だったのです(汗)。まぁしかし、単にオートロックにしただけでなく、防犯WEBカメラも18台に増設し、2台のドアホンもWEBドアホンにして、私が事務所に居なくても海外旅行中でも対応できるようにしているのです。という事で、音楽スタジオも対面のスタッフと仲良く喋って・・・てな従来のやり方では採算が合わない世知辛い世の中となりましたが、これはマーケット全般に言える事で、これまでのやり方では通用しないというインターネット時代の新しいビジネスシーンという事です。時代に合わせる、時代の波に乗る・・・とは、こういう小さな事の積み重ねでしょう。まぁ人間臭さで勝負という時代ではなくなった事ですが、なんだか寂しいですねェ・・・しかし現役でビジネスをやっている限り、これはこれで割り切る必要があり、いつまでも昔の残像を引き摺っていれば、娘からそのうちに「お父さんのやっている(考えている)ことは古いから、もうユックリしたらどうや?」と退場宣言を食らいそうです・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.08
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人生って、知らぬ間に○○になっている場合が多いモノです。一般的には知らぬ間に経営が傾いた、借金が増えた、太った、お爺さんになった、お婆さんになった・・・なんていうネガティブな事が多いです。努力もしていないのに知らぬ間に希望の大学に合格した、健康になった、彼女から告白された、売上が増えた・・・なんて事は100%あり得ません。努力をしても、なかなかそんな夢というのは叶わないモノです。まぁネガティブになるのは「何もしていない(努力していない、変えようとしていない)」からです。集客に何の努力もしていない、遊び呆ける、借金を減らそうとない、身分不相応な高級車を乗り回したり、運動と食事に全く気を付けなかったり・・・と、そりゃそうなります。弊社は本業がトランクルームで、副業が4つありますが筆頭は音楽スタジオです。つまり音楽スタジオでメシを食っている・・・とも言えるのです。副業の2番目以下の不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場は、とてもメシを食っているなんて言えません。堂々とメシを食っているなんて言えるのは、上位2つだけです。強いて言えば、音楽スタジオでメシを食っている・・・広義の意味で「音楽業界」でメシを食っていると言えるのです。音楽業界の日本の中心の東京でそんなことを言っても納得いきますが、大阪の片田舎の貝塚山手の名越の古民家集落の中でそんな事が言えるなんて・・・チョッと恥ずかしいですが(笑)。東京23区のタワマンのIT経営者から見たら、「こんなド田舎で、ナウい?リハーサル音楽スタジオをやっているなんて!」と腰を抜かすでしょう・・・(笑)。しかし8年半前に1室からスタートして今は泉州では最大級の4室まで増設し、会員数も2800人に迫る勢いです。8年半前は文字通り売上が全くゼロでしたし、音楽業界とは縁もゆかりも全くありませんでした。当たり前です。それをそんな事が言えるまでスタジオが育ち、知らぬ間に音楽業界でメシを食っていたのです。いや、まだまだスタジオ会員数が増えているので、成長し続けているのです。人生って、ホンと不思議ですねェ・・・これからは単にスタジオを貸すだけでなく、発表の場であるライブハウスとの関係強化を更に密にして、泉州の才能のあるミュージシャンをドンドン発掘してSNSなどでもドンドン発信していきたいと思います。それが泉州の軽音楽(バンド)文化の発展と底上げの一助になれば・・・と。あくまでもスタジオのインフラ事業者として黒子に徹するのです。まぁ単にスタジオを貸すだけでは能がなさすぎ、「+アルファ」という付加価値を生みださないと、強力なライバルが現れればそちらに客が流れてしまい私の存在価値がありません。私の高校時代のオーケストラ部はクラシックのコピーでオリジナルというのは今も昔もないのですが、軽音楽(バンド)というのはコピーだけでなく高校生でも自作自演のオリジナル曲というのも結構多く、私はコレに期待を賭けているのです。オリジナル・・・これはビジネスにも通じる発想で、単に学校で習ったとか受験勉強で覚えたという次元をはるかに超えたクリエイティブなワーク(脳ミソの訓練)なのです。まぁしかし、このゼロから一人で立ち上げ、8年半でここまで実績を残した自信はメチャメチャ大きく、何物にも代えがたいモノがあります・・・(涙)。自信なんて1億積んでも買えないモノで、コレが私の無形の財産なのですが娘に相続できないところが如何にも残念です。父親も持病(心臓病)を持っていた割に自信家だったのですが、私はそれを相続できませんでしたが、子供の頃から妹と比べて自由放任、好き放題にしてくれ・・・頑張れるステージを用意してくれたり、浪人や留年の経済的負担もしてくれたという意味で父親に感謝しています。私も娘にあまりアレコレ言わずに、親父のように自分の一生懸命働いている背中を娘に見せるだけです。まぁブログでは公表できない誰にも知られずに努力をしてきた・・・と言えばカッコいいですが、実際その通りだったのです(笑)。運とかもありますが、基本的に本人次第でビジネスなんて儲けたり自己破産したり・・・努力してもしなくても色んなパターンがあるのです。本人は一生懸命努力しても方向がズレていては苦労も水の泡になりますし、努力しなくてもたまたま時流に乗って上手くいった・・・と。ウインドサーフィンは風さえあれば海でも川でも湖でも屋外プールでも出来るのですが、沖で風に乗ってウインドサーフィンをしていると波やウネリに乗る事があるのですが、その時は加速度的にスピードが増し、異次元のスピード感に襲われます。自分が正しいと思っていた事が時流に乗るとそういう感覚に襲われるというのは、正しく流行する前にウインドサーフィンを始めて大学に学連加盟のウインドサーフィン同好会を創部した時や、織物時代にシャットル織機に変わる最新鋭のエアージェット織機を他社に先駆けて導入した感覚と似ています。ココです・・・ポイントは。流行る前にヤル事に意義があり、流行ってからではみんなと同じスタートなので、時すでに遅しです。キャロルキングのIt's too lateです。自分の感覚を頼りに新しいモノを見つけ、後にそれが世間で流行り出したら、自分は100m走で20m先からスタートするのと同じですから絶対有利です。大学でウインドサーフィン同好会の海での試乗会なんてしようもなら、女子学生がビーチにワンサカ押し寄せモテモテでした・・・(笑)。最新スポーツを先頭に立って旗を振る気持ちよさ・・・というのはこの事です。その沢山の中に女優の東ちづるさんが混じっていたような気がするほど、恐らく人生で最高のモテ期でした・・・(笑)。まぁしかし本業のトランクルームは別にして、音楽スタジオは8年半前にオープンし、コロナ期間中は臨時休業(補償金なし)で6か月も休み非常に苦労しましたがその甲斐があって、最近ライブの復活もあってようやく持ち直してきました。苦節8年半・・・とはこの事ですが、国に甘えない補償金なしのコロナで鍛えられ、京セラの稲盛会長が言われる筋肉質経営になったような気がします。まぁ18年前に家業の織物業からトランクルーム業界に飛び込んだのはイイですが最初から集客につまずき、翌年に宅建士の受験勉強をして合格してから業者の免許も取り不動産業界に未経験ながら飛び込みました。次に8年前に音楽(リハーサル)スタジオを始めて音楽業界に飛び、これで今同時に3つの業界と関わっている事になるのです。何も水泳の飛び込みをやっていた訳ではないですが・・・(笑)。という事で、日本の次の総理が私の応援する高市氏ではなく石破氏になりガックリしていますが、例え誰がなろうと中小企業の経営は誰も助けてくれません。自分しかないのです。もういつでも後継者の娘に交代できる体制を整えていますが、まだまだ元気なうちは前面に出ないでバックで支えようと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.06
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今年68歳ですが、まぁ年の割に元気だと思います。未だに趣味としてそれなりにウインドサーフィンや空手やドラムやだんじり鳴物(和太鼓)を楽しんでいますし、仕事は現役バリバリですから。高2の時にブルースリーの映画「燃えよドラゴン」に感動して大学で空手を始めましたが、今は週1回自分のスタジオでボランティア空手を主宰して、サンドバッグ相手に暴漢を想定して回し蹴りやローキックや後ろ回し蹴りの練習もしていますよ・・・(笑)。極めつけは、沖縄で2週間ウインドサーフィン三昧で、夜は国際通りのジャズのライブハウスのハシゴで夜のプレーニングをしようなんて・・・いう元気なジイサンは日本でも珍しいでしょう(笑)。元気があれば、何でもデキる・・・という訳ではありませんが、自分の好きなコトがそれなりできる事に幸せを感じます。仕事オンリーで遊びもせずに金を貯めても、年取ってから遊ぼうと思っても身体の自由が利かなければシャレになりません。そう、金と時間があっても、健康でなければ遊べないのです。健康とヤル気がセットなって、それがベースとなるのです。学生時代の勉強と部活の両立のように、若いうちから仕事を一生懸命しながらも家庭生活を守り寸分を惜しんで趣味も楽しんだりするのです。よく学び、よく遊び・・・が年齢に関係なく人生を充実したモノにしてくれるのです。人間、やっぱりバランスが最重要事項です。まぁしかし元気、ヤル気、気力、モチベーション・・・と言葉では何とでも言えますが、実際にそんなモノがどこから湧いてくるのか・・・?一体何故・・・と考えても、そんな簡単に分かるほど人生は単純ではありません。まぁ考えると、元々中学から陸上競技、空手、ウインドサーフィンなどの身体を動かすスポーツをイロイロやって来ましたが、私が41歳の時に泉州の地場産業だった家業の織物工場の経営者だった父親が持病の心臓病で急死してから長男である自分にあらゆるプレッシャーが全てのしかかり(急遽社長に就任)、子供の頃から重い糸や反物を運んできたせいでウイークポイントである腰痛が悪化したのをキッカケにジム通いを始め、織物工場は年355日24時間エンドレス稼働でしたが、葬式の日だけ従業員全員が参列しましたので1日だけ止めただけで、「何があっても絶対に工場を止めない!」というのが私の頭に信念として常にありましたので、翌日からもちろん24時間フル稼働で、人生で1番頼りにしていた父親の急死というショックを乗り越えて会社を順調に引き継げたのは、日頃から織物工場の要だった現場と営業を100%やっていたというベースがあったからだと思います。やはり何でもベース・・・地に足をついた基本が大事なので、その基本を日々の生活でキッチリ抑えている事がモチベーションに繋がり、49歳で転業した今のトランクルームや音楽スタジオ経営では借金もありませんので、この先少々の事が起こってもあまり心配はないでしょう・・・なにより無借金経営というのがポイントで、中小企業の倒産や個人の自己破産の原因はほぼ100%借金過多ですから。多くの不動産業者も営んでいる競争が激しい賃貸マンション業界も、よくある話ですが単に土地を持っているだけの素人の地主が業者の尻に火がついている100%歩合制の営業マンに「大家さん」とか「相続税対策」とか上手に持ち上げられ何もわからず業者に丸投げして業者にパッとハシゴを外されたら自分では何もできませんし、住宅ローンを抱えたサラリーマンなら「お前クビや」と言われたり、会社が倒産してしまったら、明日から家族が路頭に迷う事になります。ビジネスとしての賃貸マンション経営を考えるなら素人の地主でも宅建士くらいとって勉強し、サラリーマンでも社外でも通用するジョブ型を志向して、いつでも独立できるような気概を持てば大丈夫です。まぁ弊社は昔から事務員を雇ったことがなく、経理は経営者である父親がやっていましたが、私は現場と営業だけしかやっていなかったものですから、会社経営で1番大事な経理を1から始めたのが相当堪えたのです・・・(汗)。単純にこれまでの仕事の上に経理が上乗せされ、仕事量が大幅に増えたのです。早朝から夕方まで肉体労働を中心に働きながら、経理で脳ミソを使うという新たなルーティンはいくら40代前半でもシンドカッタのです。しかしそれも限界が来て、ついにベッドから起きると腰に激痛が走るようになり、寝たままの状態で小切手を切った事で「これじゃマズい!」と覚醒したのです。それから足掛け27年間イロイロとジム通いをしてきた事になります。最初はジャスコ「スペース」、熊取ひまわりドーム、コナミスポーツ、ジョイフィット・・・と試行錯誤しながら自分なりの運動を模索していきました。元々20代前半の空手やウインドサーフィンをしていた時期に、補強運動として和泉大宮にあったプロレスラーが作った本格的なボディビルジムに通っていました。いくら寸止めの空手といっても練習中に身体に突きや蹴りが当たっても耐えられるように筋肉をつけ、当時の体重別のウインドサーフィンのレースでは軽くて力があるのが有利だったからです。当時世界のボディビルダー界ではアーノルド・シュワルツェネッガーとかフランコ・コロンブとかが全盛期で、このジムで初めて高重量低回数のトレーニングとかの理論を実践で身をもって経験しましたし、50年近く前の話ですからプロテインもまだ日本製の明治が発売されていなかったので、通信販売で不味いアメリカ製を牛乳に混ぜて飲んでいました。今考えると、時代の最先端の事をヤッテいたのか・・・と(笑)。たまたまジムの会長が春木の親戚の叔父さんの会社の従業員だった時に叔父さんに非常に世話になったとかで、私に非常によくしてくれました。私は何もしていませんが、やはり日頃から人間関係を良好に保つことが、回りまわって自分の人生に幸運をもたらすのです。という事で、過去の自分の運動歴を中学の陸上部から今の68歳までを振り返ると、何も極めずにイロイロと中途半端にやって来てヨカッタ・・・というのが実感ですし、これが私のスタイルです。もちろんどの競技も一生懸命やって来ましたが、大した記録も実績も残せず途中で「こりゃダメだ」と諦め、ならば「ボチボチやろか」となって、未だに空手、ウインドサーフィン、ストレッチ、筋トレマシン、ドラム、だんじり鳴物・・・と長年ダラダラと続けているのです。まぁ多芸は身を助く・・・とでも言うのでしょうか(笑)。空手も最初はフルコンタクト空手の極真会をしようと思い浪人中に東京池袋の本部道場まで行きましたが(当時大阪支部がなかったので)、諸事情の理由で結局は関西外大体育会古武道部で林派糸東流空手を始め、その後地元貝塚の沖縄本部流盛道館に転向し、その後30年ほどブランクがあって50代になってから止揚会(沖縄空手)に転向しました。林派糸東流とたまたま出会ったのがポイントで、当時林派は全空連(寸止め)の全日本や世界大会で優勝などで最強軍団と恐れられ、週1回の出稽古で寝屋川道場の激しかった稽古に参加した思い出が今でもハッキリ覚えています。寸止めと言っても、実際には皮下脂肪2㎝くらいなら当たってもOK(黙認)というライトコンタクトでしたから。まぁ毎回死ぬ思いで気合を入れて道場の門をくぐり、後にも先にもこんな恐ろしい目は初めてです・・・(汗)。ウインドサーフィンも古武道部を辞めてから同好会として創部しましたが、レース志向で全日本学生連盟に加盟し、関西学連がなかったので他の5つの大学と一緒に結成したほど熱を上げて全日本選手権にも出場しましたし、当時最先端スポーツという物珍しさも手伝って同好会の説明会や海での試乗会に女子学生がワンサカ押し寄せて来た1番のモテ期でしたねェ・・・(笑)。この時「時代の波って、こういう事なのか?」と身をもって感じ、それから20数年後に織物業からトランクルームに転業した時と「同じニオイ」を感じたものです。この学校では決して学ばない「嗅覚」がビジネスにおいて大事なのです。まぁ結婚前の20代前半に硬派の空手と軟派のウインドサーフィンの両方を「同時に経験」していた事が、ある意味人間としてのレンジを広げたのかも知れませんねェ・・・(笑)。だいたいどちらか片方だけで精一杯で、両方やる人なんかいないですから。まぁしかし、もし才能があれば1つの事を追求して極めていったと思いますが、そうするとプロ野球選手によくあるように身体を壊したり「これしかヤッテこなかった(応用が利かない)」とメンタルをやられてしまったと思います。過ぎたるは猶及ばざるが如し・・・と言われるように、人生をトータルで考えるとヤリ過ぎはダメで、仕事や普段の日常生活でも偏らずバランス良く生きる事が大事だと思います。イロイロやって来たからこそ、常に逃げ道があり、その間に「次の戦略」が練れたのかも知れません。2か月前に家内が乳癌で亡くなり、今私は42年間連れ添った妻を失ったという人生最大の悲しみに陥っていますが、3人の娘ファミリー(孫6人)やこれまで積み上げてきた仕事と趣味という「逃げ道」で次の戦略を練っています。もう毎日妻の事を思い出したり車を運転していて妻が好きだったR&Bバラード曲が掛かったりするだけで涙が出てしまいますが、如何にこの悲しみから脱出してこれからの自分の「新しい道」を見つけるか・・・を(汗)。ひょっとして、新しい仕事を見つけるより難しいかもしれません。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2024.10.03
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