全9件 (9件中 1-9件目)
1
昨日まで葛城病院に脊柱管狭窄症の手術で入院していました。脊柱管狭窄症とは加齢など様々な原因で骨・関節・椎間板・靭帯などが肥厚し、神経が通る管(脊柱管)が狭くなることで神経の血行を阻害し症状が出る病気です。長年の腰痛(ヘルニア)の悪化で薬やブロック注射等あらゆる手を施しましたが効果がなく、ついに日常生活に大幅に支障をきたすようになり、泉州エリアで整形外科に定評があり自分もこれまで何回も掛かっている葛城病院での手術を決断しました。しかも執刀には手術には定評のある理事長にお願いしましたので、最初から大船に乗った気持ちでした・・・(笑)。結果、手術は成功しました。手術前の造影剤検査も含めて10日ほどで退院できましたが、なにぶん骨を削ってますので退院してすぐに元通りの身体に戻る訳はなく、リュック式ビジネスバッグとトレッキングポール(左右の杖)を買い自宅からトランクルームまでをボチボチ歩いて通っています。町内に仕事場があって本当にヨカッタと思います。まだ車の運転は出来ませんし、電車通勤はとても無理だからです。私にとって人生初の入院で、これほど健康体が大事だと思ったことはなかったです。病院食で血圧が上下とも30ほど下がり、やはり「食事だな・・・」と強く思い、これからの生活で食事に最も気をつけ、重いモノは極力避け腰を大事にしようと固く決意しました。しかし、この葛城病院の理事長のパワフルさに脱帽します。病床数240の病院のトップが自ら率先して患者の診察にあたり、しかも最先端治療(手術)を毎日行っているのです。患者にとって死ぬか生きるかという手術を毎日・・・信じられない気力と体力と技術をこの理事長は持ち合わせているのです(驚)。病床数240だと職員数が400人くらいいるはずですから、一般企業で言うとそこそこの中堅企業です。中堅企業のメーカーのトップが毎日現場に入っている感じです。しかも技術研究の日本のエキスパートなのです・・・(驚)。そんな企業(病院)って、日本で殆どないでしょう・・・少なくとも私は、そんなスゴイ経営者なんて他で聞いたことはありません。病院の理事長の一番大事な仕事と言えば、もちろん病院の経営です。それをキチンとこなしながら、最先端の手術を毎日執刀しているのですから、どう考えても正にスーパーマンです。患者にとって、神様仏様と言うくらい本当に尊敬に値する方です。この理事長に限らず、医者や弁護士という職業は人の命や運命を預かる本当に大変な仕事で、本当に頭が下がる思いです。テキトーに生きている自分が恥ずかしいくらいです。また、この理事長は単に手術をするだけでなく、毎朝病室に回診してくれています。私の場合、ほぼ毎日病室まで「どうですか?」と来てくれました。ホントに有難い限りです・・・(涙)。今回の腰痛とは、もうかれこれ30年以上の付き合いです。元々は織物時代(泉州の地場産業)に糸、織物、千切(ビーム)といった重いモノを子供の頃から毎日運び続けた結果です。特にシャットル時代の重い鉄製ビームの運搬には、1本肩に担いで運ぶのも真冬でも一瞬で汗が噴き出たほどです。目の前にある重い空ビームを「運べるかな?」と躊躇している間もなく、それを運ばなければ仕事が前に進まないという毎日が背水の陣的な状況でした・・・(汗)。これだけでも、1日最低3,4本運んでいましたから、腰への負担は相当だったと思います。とにかく父親は仕事に対して厳しく、父親は40代で心臓弁膜症の14時間にも及ぶ大手術をしましたが、2週間後にはもう自転車を杖代わりに這うようにして工場現場に入っていた姿を見せつけられると、「うちはコレでメシを食っているんや・・・」と言わんばかりの強烈なプレッシャーを感じたのを昨日の事のように覚えています。父親の手術や女性のお産に比べたら、今回の私の手術なんかは屁みたいモノでしょう・・・まァ肉体的に過酷な労働はこれだけに限らず、腰痛や難聴は織屋の職業病だったのです。という事で、人生最大の痛み(造影剤検査)と戦った甲斐があり順調に術後の経過が進み、次の旅行はセブ島だと病室で本やネットで呑気に研究していました・・・(笑)。そして今年は「ウインドSUP(ウインドサーフィンも出来るSUPボード)」も始めようと計画して、軽トラックの荷台にラック増設プランを完成していましたが、SUPボード自体15キロも重量がありますので諦めようと・・・(涙)。今回の入院生活で、今後の人生で残った時間や体力を考えると仕事や趣味に関して「選択と集中」していこうと思った次第です・・・(涙)。そして2か月後くらいには元気な自分を取り戻している自分を想像して、毎日歯を食いしばりながら会社への道のりを杖をつきながら、大幅スピードダウンしながらもボチボチ仕事に励んでいる次第です・・・そして、毎週火曜朝10時からAスタジオで行っているボランティア空手は、こういった事情なので当分お休みといたします・・・(涙)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.28
コメント(2)
同級生の多くは3年前の60歳定年で、ビジネスの第一線から身を引きました。私から言わせると、「そんな、勿体ない!」の一言です。60代はまだまだ元気です。何故なら、60歳以降も仕事を「現役」で続ける事のメリットがこれからドンドン出てくるからです。ただ、それも一般的には75歳くらいまでだと思いますが。75歳だと、心身共に60歳に比べ衰えがガクンと来るからです。逆に言うとガクンと来る前の、60歳から75歳までの15年間が人生にとって「刈り入れ時」で、実にオイシイのです・・・(笑)。もちろん60から75まで、なだらかな下りカーブになりますが・・・特に昭和36年4月2日以降に生まれた男性は、65歳からの年金支給になりますので、60〜65歳の5年間の少ない年金或いは無年金期間を如何に切り抜けるかが、ある意味人生のポイントかも知れません。30代40代はまだまだ経験値が浅く、子供が成長期なのでどうしても自由度が無くなります。定年10年前の50歳からの10年間が、60以降の人生を充実させるための「本当の勝負時」です。これをサラリーマンで言えば55歳の役職定年で仕事の第一線から外され年収ダウンでヤル気をなくしたり、更に60歳定年の更なる年収の大幅ダウンのダブルパンチで滅入っていては損です。サラリーマンなら会社の看板に頼らない本当の実力を養い、自分の決断に社運が掛かる自営業者や経営者なら5年から10年先を見ながら波や風の変化に対応しながら船の舵をしっかり持たなければなりません。マスコミ等でよく言われる「人生100年」というのはちょっと現実的ではありませんが、いずれにしろ人生90年くらいを目標にすれば、「60歳定年は単なる通過点」と言うのは理解できると思います。私は49歳の時に、家業の織物業から全く未知数のトランクルーム業に転業しました。最初の半年間は殆ど集客できなかったので他社の織物会社に1年半働きに行っていましたが、その間に取得した「宅建」資格で不動産屋も兼業することで難局を何とか乗り切りました。その後はネット時代に乗ってホームページからの集客が功を奏しました。それ以降の音楽スタジオや卓球場や自習室も、誰も雇うことなくネット中心に集客をしてまずまずの結果を収めているところです。特に音楽スタジオは4年で1400人の会員数になろうとしています。今考えると、もちろん自助努力は当たり前の事ですが、それよりもっと以前の若い頃からの経験やコネクションが功を奏しているように思います。言葉を代えれば、努力以前の「ラッキーさ」が救ってくれたのです。ラッキーと言っても、目に見えて利益を直接受ける訳では決してありません。話の中で、会話がスムーズに行くとかいう、そういうレベルです。言葉では表現しにくいですが、目に見えない何とも「不思議な力」が作用するのです・・・稼ぐ力は、もちろん最終的には「自分の力や人間性」というのは言うまでもありません。私の経験から例を言うと、「高校の部活(オーケストラ部)」「浪人」「サラリーマン」「ウインドサーフィン」「空手」「音楽(ドラム)」「親戚や友人」といった勉強と何も関係ないようなコネクションが、人生のピンチを救ってくれたような気がします。ホント、人生って不思議なものですねェ・・・と60オーバーになって初めて思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.21
コメント(0)
日本には第1~3次産業(農業、漁業、製造業、建設業、サービス業)まで、色んな同じビジネスや同業者は沢山あります。これが世界に広げると、これはもう無数に近い同業者があります。かつて弊社は泉州の地場産業だった綿織物業を長年営んできましたが、同業者が昭和40年代前半の全盛期には貝塚市から岬町まで約680社もありました。※それとは別に岸和田市から和泉市にかけては1000社も同業の綿織物業者や、泉佐野のタオルや泉大津の毛布があった。泉州の地場産業だった繊維産業(綿織物、タオル、毛布、ニット)は、恐ろしいほど数があったのです。貝塚市から岬町までの綿織物業者だけでも680社あったのが、現在もう「98%減」の12,3社しか残っていないようです。たった2%しか残っていないのです。日本でこれだけ減った地場産業ってあるのでしょうか・・・?現在弊社は堺市以外の泉州エリアの不動産屋の約80%が加盟している「大阪宅地建物取引業協会(大阪宅建協会) 泉州支部」には約400社ほど加盟していますが、10年以内に80%が倒産廃業で脱退しているようですが、それとほぼ同数の新しい不動産屋が新規加盟するというダイナミズムに満ちた業界と言えるでしょう。しかし弊社のように単に織物しか営んでいるところは倒産廃業に追い込まれ、残っている2%の織物業者は例外なく織物業を核として「多角化」で生き残っています。大阪市内でビルを所有して賃貸したり、売り先の繊維商社を買収したり、サイジング工場を買収したり、ニット工場を併設したり、商社のように海外から織物を輸入したり、リネンサプライ事業も始めたり、自動車関連のメーカーを買収したり、織物工場の一部を更地にして店舗に貸したり・・・ただイタリアの織物業者やユニクロのように(SPA)、糸からアパレルまで一貫生産して小売りまでしているところは見当たりませんねェ・・・日本の繊維業界の流通の一部を担っているだけに留まります。しかし、生き残りのキーワードは「多角化」です。弊社は糸の太さが細い糸(100番手)から太い糸(8番手)まで、用途はファッション衣料から資材まで、糸の種類は綿100%からポリエステルフィラメント(長繊維)まで、糸の混率は定番のT/C(65/35)から麻混まで、タテ糸も2種類まで・・・保有織機の性能の限界までありとあらゆるオリモノに挑戦してきました。これが1か月サイクルで切り替わり、過去に織って預かっている織物、現在織っている織物、これから織る織物(受注品)、オファーされた織物(見積中)といった4種類の織物と、それに使われる糸の種類の多さはいくらパソコンで管理していても、もう頭の中は常時パニック状態でした・・・(汗)。夢で織物設計したり、受注した工賃が採算の乗るかどうかも計算したりする夢なんか日常茶飯事でした・・・(笑)。これで年間355日24時間エンドレス稼働し、月産20万mも織物生産していました。まぁ一人で営業をしながら糸と織物の受け渡しをし、現場に早出の工員として入り、文字通り「多能工」として身体を酷使し頭がパ二クル一歩手前までオールマイティの仕事をこなしていました。と言うか、当時は「一人でどこまでできるのか(誰も助けてくれないし、誰にも頼れない)?」という自問自答の孤独な戦いでした。死力を尽くしたというのは、正にこの事だと思います。それこそ子供の頃から糸や反物を運んだり重いモノを持たざるを得ない過酷な肉体労働の長年の積み重ねで腰痛(ヘルニア)になり、シャットル織機の頃は夏は室温40℃湿度90%で冬は10℃の風綿が飛び交う工場環境で、また工場内の100デシベルの騒音で難聴になり・・・「もうこれ以上ムリ!」と身体も知らず知らずのうちに悲鳴を上げていたのです・・・(涙)。そこまで努力をしても廃業せざるを得なかったのは、もちろん私の努力不足もありますが、多角化できなかったからです。残念ながら織物だけ一生懸命頑張っても、所詮ダメだったのです・・・(涙)。この時の教訓が今に役立っています。「1つの事にいつまでも拘ってはダメだ(顔を上げて視野を広く)」と。私の場合、14年前に50数年続いていた家業の織物業からトランクルームへ全面転換して「別の道」を選んだ訳ですが。そりゃ文化芸術やプロスポーツ、老舗会社や研究職や一般サラリーマンでも「長年コレ(仕事、会社)一筋!」というのも言葉では美しいですが、世界一や日本一という超一流の人達は別にして、普通の人はそれだけでメシが食えたらヨシですが、食べていけなかったら残念ながら「副業」や「別の道」を探るしかない訳です。二刀流・・・大いにやるべしだと思います。ハワイ滞在中驚いたのは、多くの人が2つ3つ仕事を掛け持ちしていたのです。ハワイは全米一物価が高いにも拘らず時給が安いので、いくつも掛け持ちの仕事をして長時間働かざるを得ないのです。しかし、複数の仕事を掛け持ちすることによって、「順応性」が養われるという大きなメリットがあるような気がします。定年まで趣味もなく一つの仕事しかしなかったら、定年後にすることが無いのでガクンと来ます。ガクンと来ないように、社内で色んな仕事に携わるとか、転業するとか、起業するとか、副業するとか、趣味を持つとかすれば・・・「軟着陸」するのではないでしょうか。端的に言えば長い人生の中で「60歳定年」を最終ゴールと見るか、単なる通過点と見るかの違いだと思います。今大阪はインバウンド需要で沸いていますが、夜のエンターテイメントが少なく大きな機会損失をしていますので、昼と夜の「2毛作経営」でその需要を満たすべく努力をミナミやキタの人達がしているようです。関空の地元泉州でも夜のエンターテイメントがあれば、何も観光客がミナミまで行く必要がないのです。そこに我々泉州のミュージシャン達や地元関連業界の人間たちが知恵を絞るべきでしょうね。ソコ、ソコなんです。という事で、織物時代の「多能工」の経験を活かし、今トランクルームをしながら「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」「不動産屋」という5毛作経営をたった一人で経営していますが、何の違和感も無かったのです。従業員を雇えば誰でも出来ますが、これを「一人でする」のがキモだったのです織物時代のやり方を内容は変わりましたが、そのまま踏襲しているという感じですねェ・・・なので、2020年代のキーワードは「多角化(多能工)」でキマリ。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.17
コメント(0)
今日の読売朝刊の泉州版で、「使い方自由 貸し切り車両」「貝塚の水間鉄道 新サービス」という見出しがデカデカと出ていました。水間鉄道の車両を貸し切って、何かイベントをやってもイイという事です。ここでピンときました。水鉄車両を貸し切って、「音楽ライブ」をやってはどうか・・・と。既に関東の鉄道会社では「車両ライブ」というのはやっているようで、以前何かの機会で鉄道関係者に私の「水鉄車両内でバンドやったらどうや?」というアイデアを話した事もありますので、それが何処かで繋がっていったのかも知れません・・・?しかし、これって泉州のミュージシャンにとって朗報です。ミュージシャンにとって、発表する場(ライブ会場)が欲しいのです。地元貝塚でもこんなイベントが出来る事によって、多くのミュージシャンの励みになる事でしょう。という事で、地元で水間鉄道と言えば、小中学時代は水間線に乗って通学していましたし、高校時代は阪和線でしたが、大学社会人と水間線で通ってました。当然、今でもたまに乗っていますので、非常に愛着のある電車です。今は各駅無人駅ですが、私が中学校くらいまでは中継駅(単線の交差駅)である名越駅だけには駅舎があって有人駅でした。何故かと言うと、大正時代に南海本線から貨物車が名越駅まで入ってきていたのです(線路が繋がっていた)。貝塚市南部の木島葛城エリアは地場産業が日本一の綿織物業で、大阪市内の各紡績工場から南海本線を経由して貨物車で水間線に入り、織物の原料である綿糸が運ばれていたのです。昔はトラックのない時代で、祖父から近辺の織屋が名越駅まで牛車で糸を積み行ったという話を聞いた事があります。今考えると、当時の日本経済を引っ張っていたのが繊維産業である紡績会社でしたが、その製品である綿糸を運んだ先が町内の「名越駅」と言うのがスゴイと思います。何故かと言うと、名越の町内には2つの大きな織物会社があったからです。それほど大きな影響力があったのです。もちろん弊社と違いますよ・・・(笑)。話は逸れますが、南海本線の春木駅は今は準急が止まりますが、それも昔春木に親戚の繊維機械会社があり、それまで春木は各停しか止まっていませんでしたが、準急を止めさせたという話を聞いたことがあります。昔はそれだけ、泉州の地場産業であった繊維産業の影響力がスゴカッタという事でしょう・・・(驚)。まだまだ公表できない昔のオモシロい話が沢山ありますが、止めときます・・・(笑)。水間線は南海本線と連絡はありますが、JR阪和線と水間線の石才駅と近義の里駅との間に連絡がないのが残念です。連絡があれば、天王寺にも簡単に行けますし関空にも近くなります。開通が阪和線(1929年)より水間線(1925年)の方が早いので、阪和線が上を通っていますので改良工事にいくらかかるか分かりませんが、もし国会議員の誰かが一肌脱いで、この阪和線と水間線の連絡が出来るように尽力すれば、どれほどの人々が喜ぶ事でしょうか・・・それほど価値のある事業だと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.13
コメント(0)
不動産業界では物件(住宅、ビル)の立地場所が「駅から15分(徒歩)」限界説というのがあります。最寄りの駅から徒歩で15分(1200m)を超えれば、物件価値が下がる(人気がなくなる)という不動産業界の常識です。それに照らし合わせると、弊社「スタジオ0724」は名越駅(ローカル水間鉄道)から徒歩4分のところにあります。弊社「スタジオ0724」の会員数がもうすぐ1400人になろうとしていますが、その約50%が高校生(or元高校生)です。高校生は車の免許を持っていませんので、弊社スタジオへの交通手段は自転車、バイク、徒歩、電車か、親に車で送ってもらうです。そのうち水間鉄道で来られる比率が高いです。なぜなら名越駅から4分だからです。水間鉄道は南海本線貝塚駅(急行が止まります)との連絡があり便利です。貝塚駅から急行で泉大津駅まで9分(のぼりは羽衣駅まで13分、堺駅まで19分、難波駅まで31分 くだりは泉佐野駅まで5分、尾崎駅まで17分、みさき公園駅まで28分)と案外近いのです。最寄りの駅から近いから来られるのです。名越駅からギターを担いだ高校生ミュージシャンがゾロゾロ歩く姿が、もう名越の風物詩になっています・・・(笑)。驚くことに、和泉橋本駅(JR阪和線)から徒歩25分も掛かるのに歩いて来られる高校生も結構な割合です・・・(驚)。ちょうど和泉橋本駅とスタジオの中間に貝塚南高校がありますので、学校での練習に飽き足らない貝南軽音部の高校生らが放課後スタジオ0724で練習・・・というパターンが日常化しています。まァ特に暑い真夏なんかでも、重いギターを背負って汗を噴き出しながらやって来る姿に感動を覚えます・・・(涙)。やはり、高校生は若いです。この4分とか25分とか言うのは所謂一般的な不動産用語なので、実際は高校生でも早く歩けばもっと早く来れるでしょう。もちろん、南海本線やJR阪和線といった大手電鉄の駅近のスタジオならもっと便利ですが、当然土地の値段やビルの家賃も高いので、弊社スタジオのような安い利用料金設定は出来ません。高校生はシニアバンドと違って、値段(利用料金)に敏感です。特筆すべきは、電車にしろ自転車やバイクにしろ、弊社スタジオは案外「道順が分かりやすい」事です。和泉橋本駅からほぼ一直線ですし、40号線(中央線)の名越北の信号から南に曲がって一直線で500m進めば弊社の立て看板があります。という事で、駅から近いから高校生が多いという理由以外に1.安い利用料金<Aスタジオ(22畳)1500円/h、Bスタジオ(8畳)1000円/h>2.スタジオがキレイ(女子60%、男子40%)※温水ウオシュレット&暖房便座トイレ3.ミラー付の広いAスタジオでライブ本番のパフォーマンスの練習が出来る4.学校にも普通のスタジオにもないSNSに必須のフリーWiFi設置というのが考えられ、高校生に大人気の秘密だと思います。という事で、何故高校生に人気なのかという分析をしましたが、こういった物理的な要因の他に、普段都会では味わえないスタジオがある「名越の古い集落」の田舎の雰囲気を味わうといったノスタルジックな要因もあるかも知れませんねェ・・・(笑)。 にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.05
コメント(0)
昨今株式上場している大手企業はM&Aを繰り返し企業規模を拡大し、グローバル化した経済戦争を生き抜こうとしているようです。会社が生き残るために、ソコまでするか・・・?というのが、部外者の率直な意見です。社名が変わり、合併先との社員の交流や配置転換、海外転勤・・・ドンドン仕事環境が変わる。自分の営業成績や会社の業績が良くても、ある日突然M&Aの発表がされ・・・人生が一転。「イヤイヤ、会社の都合で俺の人生が変わって堪るか!」・・・と言いたいのが社員のホンネでしょう。自分の努力以外のところで、自分の人生を振り回されるほど悲しい事はありません。と言うか、そんな事で人生を狂わされるのも、普通に考えればオカシイはずです。会社、カイシャ・・・って一体何でしょう?大手の下請けの仕事をしている中小零細企業も、発注者側のM&Aやグローバル化の方向転換で大きな影響を受けます。弊社も4,50年間も売上げ14兆円もある大手総合商社の伊藤忠と直接委託生産(賃織り)を100%受託していましたが、バブル崩壊とグローバル化で伊藤忠の方向転換(繊維カンパニーの川下強化と事業投資強化)で祖業だった繊維原料ビジネスは殆どなくなり、弊社への発注が無くなりました。この時痛感したのは、業者任せ(下請け)のビジネスはダメで、転業したら繊維とは完全に縁を切って(これまでのコネクションを使わず)、全く新しい事業を自ら起業してエンドユーザー(消費者)と直接ビジネスしていこう・・・だったのです。昭和3,40年代の子供の頃に、ガチャガチャと24時間織機を動かしドンドン布が織り上がり出荷している様を見て、父親に「こんなけ織ってどうするん?」と質問すると、「西ドイツに輸出するんや・・・」との答えに「・・・?」と何かモヤモヤした気持ちを抱いたのを思い出します。「そんなに同じモノを織って、どうするんや(何になるんや)?」という素朴な疑問を抱いていたマセタ子供だったのです・・・(笑)。という事で、これからのネット時代は大企業と真逆の企業規模を出来るだけコンパクトにし、大手と競合しない分野で(ニッチマーケット)、ネットを駆使しエンドユーザー相手の小回りを利かすビジネスなら生き残れるだろうと思うのです。それがトランクルームであり、音楽スタジオ、卓球場、自習室だと思うのです。これの深耕策を図っていくのが、私のこれからの仕事になります。そして、これまでの経験上「管理」が一番の要だと思うのです。自分の「器」の範囲内での管理・・・これがキモです。どんな業界でも企業にしろ個人にしろ、これは共通の「心理」です。残念ながら不動産仲介業は、既に大手が続々と参入しており将来的には全国的でシステマティックなネット契約が主流になれば、零細企業の出番は少なると予想されます。出番があったとしても、年中物件調査やクレームで走り回わらなければようなヤヤコシイ物件ばかりで、費用対効果は薄いように思うのですが、唯一希望があるのはFPやコンサル資格を活かしたキメの細かいコンサルティング不動産仲介や、月極ガレージなど大手が見向きもしない手数料が少ない物件かも知れません。ただ弊社のように一人でボチボチ仕事をしても大手と同じ法定仲介料(3%)なので、日頃はそういった営業活動をする一方で、虎視眈々と何千万円以上の売買仲介も狙う姿勢も必要だと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.04
コメント(0)
今回のハワイ旅行を通じて、海外のシニア夫婦達の仲の良さを痛感しました・・・(驚)。毎年ハワイで会って一緒に遊ぶカナダ人夫婦も、それに繋がる数組のカナダ人やアメリカ人のシニア夫婦達やミュージックバーで知り合ったカップルの多くは羨ましいほど仲が良いです。一体何故なんだろう・・・?それは、皆さんの多くは「再婚同士」だったのです。そう、彼らはセカンドライフを文字通り楽しんでいるのです。別に再婚だったという事を隠すことも無く、堂々と「2番目の夫・・・」と会話の中で言います・・・(驚)。日本だったら現在の夫に遠慮して、他人にそんな事を絶対言いません。彼らは若い頃に意気投合して結婚し、その後上手くいかなかったら離婚。2度目は慎重に相手を選び(3度目はないと覚悟を決め)、熟年になってから再婚・・・そんな人生のストーリーが浮かびます。今の日本では世間体や相続問題など複雑な要因があり、私の周りでも離婚シングルが本当に沢山おりますが、残念ながらなそういったストーリーが順調に進んでいないようです・・・しかし日本も昨今、グローバル化や常識の変化や法整備の今後の変革で、シニアの婚活事情に変化がみられているとのニュースを見ました。日本も欧米の後を追っているというのを考えれば、5年後にはシニアの婚活事情が活発化している事でしょう。普通に考えれば、30~60代で離婚してシングルのままというのも非常に勿体ない話です。平均寿命を考えれば、残りのセカンドライフを楽しまないと何のための人生か分かりません。アメリカの離婚率が世界で2番目に多く、日本の離婚率の2倍というのを考えると(ロシア、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、日本の順)ビジネス的に考えれば日本のシニアの婚活マーケットは相当大きくなると期待できます。日本も欧米と同じように自由に再婚できる社会的インフラが揃えば、その経済効果が計り知れません。婚活マーケットだけでなく、結婚後の色んなマーケットも膨らむ可能性が高いです。海外旅行を通じて、例えばタイプーケット旅行ではゲイだらけに驚き、ホテル前はゲイロードで毎晩ダンスが繰り広げられ、私もその中に入っていると何か錯覚に襲われそうになりましたし、どのクルーズ旅行に行っても当たり前のようにLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の出会いのパーティがあった事に驚きましたが、それが世界の常識なんだと思いました。という事で、海外に行って外国人から我々日本人と大きく違った彼らのライフスタイルを垣間見ると、大きく衝撃を受けると共に改めて自分のライフスタイルを再考させられます・・・私は今年で結婚38年になりますが、このまま人生を終えたいと思いますが・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.03
コメント(0)
ハワイでの今回も自分の英語力の無さに落胆しながらも「来年までに絶対上手くなってやる・・・」と思いました。これまでの英語勉強方法を見直し、一つの方法としてスマホの英語アプリ(mikan)を先日から利用しています。と言うか、もう既にスキマ時間に使っていて「これはオモロイ!」と感心しています。5分や10分といった空き時間って、結構あるものです。熱中し過ぎて、1時間も英語の勉強をしたこともあります・・・(笑)。このアプリは現在の英語の実力に沿って、徐々にレベルアップするところが1番のポイントです。いや~便利な時代になりました。タダでこれだけ英語をひとりで勉強できるのですから、文字通り笑いが止まりません・・・(笑)。英会話教室も大打撃でしょうねェ。スマホの出現によって、どれだけ沢山のビジネスに大打撃を与えたのでしょうか・・・?私に限って言えば、スマホで済ませているのは、時計、水平器、騒音計、計算機、音楽、コンパス、メトロノーム・・・といった業界は死活問題でしょう。逆にそれだけスマホ関連の新しいビジネスが生まれているという事ですから、結果オーライという事でしょう。スマホに直接関連の無い、現在の私の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、自習室、不動産屋)は今のところ大丈夫ですが・・・(汗)。スマホはビジネスの単なる「ツール」としてよく利用しています。しかし、恥ずかしながら関西外大卒ですが、TOEIC400点レベルからのスタートです・・・(笑)。これが今の自分の実力ですから仕方ありません。何事も現状の実力や能力を知ってから、一歩一歩進んでいくのが一番の早道です。自分の実力や能力を知らなければ、スタートすら出来ませんから。5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室、不動産屋)をしながら、遊びや趣味(ウインドサーフィン、ドラム、空手、海外旅行、孫との遊び)も忙しいので、どれだけ英語を勉強できてどれだけ上手くなるか全く未定ですが、とにかく「絶対上達してやる!」という本当の意欲?に賭けるのみです・・・(笑)。カナダの友人に帰り際に「来年はもっと英語上手くなるさかい、待っといてや・・・」と言って、自分を背水の陣に追い込みました・・・(笑)。ただ身体のガタ(持病の腰痛)で、医者通いや行動スピードがダウンし足を引っ張っているのが気になりますが・・・(笑)。という事で、ハワイでの外人友との会話を昨年より少しでもレベルアップする為に、この英語アプリ「mikan」とTOEIC本「DUO select」と趣味の「洋楽」の3本立てで英語の勉強を進めていきたいと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.02
コメント(0)
あけましておめでとうございます。本年も私の拙いブログを宜しくお願い申し上げます。さて今年1月分から読売新聞に加え、日本経済新聞を毎月購読することにしました。朝夕刊含めて月額4900円(税込み)です。結構な金額です。読売新聞が朝夕刊で4400円(税込み)ですから、読売と日経2紙で月額9300円の出費です。これが高いか安いか・・・?私は「安い!」と判断して、定期購入に踏み切りました。零細企業経営者として日々の活字の「インプット作業」として、読売新聞、ネット、読書の3つを一生懸命していますが、これに日経新聞を加えた理由はネットで深い経済情報が得られないからです。そりゃ新聞社もWEB版ですべての情報をさらけ出せば、経営が成り立ちませんから。ネット情報にはフェイクニュースが混じっていますが、少なくとも4大新聞や日経新聞の記事は責任が伴いますし裏取りしていますので真実の情報が多いと思います。実は日経新聞を、約40年前の就職を控えた大学4年時にも取っていました。父親が購読していたのではなく、私が枚方までの2時間の通学時間に何もしないのは勿体ないので、日経を読むことによって少しでも就職に有利なようにと車中で読んでいたのです。最初はチンプンカンプンでしたが、毎日読んでいると不思議と何か世の中が段々分かったような気がしました。この時「木を見ながら森を見る」的思考の重要性を感じた事が、その後大卒後サラリーマンを経て織物業時代に委託生産(賃織り)に「何で弊社だけで月産20万mも織って、どこで消費されるのだろうか?」という織物業界のカラクリの疑問に繋がっていったのだろうと思います。しかし、この「感覚」は何故かパソコン操作とよく似ています。何かよく分からないけど、毎日パソコンをヤッテいるうちにボチボチわかってくる・・・(笑)。どちらにも共通することは、とにかく「ヤル(始める)」事です。私はパソコン教室にワードをたった1回60分習いに行ったきりで、あとは全て独学です。しかし大学の授業より、日経の方が役にたちました・・・(笑)。就職してからは、より突っ込んだ経済情報を入手する為に「日経産業新聞」と「日経流通新聞」の2紙を取って、難波の会社まで電車で1時間でしたが、早い目に家を出て敢えて各停に1時間半乗って(座って)2紙をジックリ読んでいました・・・(笑)。そんな地道な努力が功を奏して、新人ながらも営業活動にも年上の上司や得意先に何も臆することなく自信を持ってトークできた事が懐かしいです。朝読んだ経済記事を取引先との雑談にチョット挟み込む事によって、営業活動に弾みがつくのです。この時思ったのが「一般的な経済情報入手は新人も社長も同じ時間」だという当たり前の事実で、案外みんな情報を知らない(新聞を読んでいない)という現状です。40年前の社会人1年生の安月給で2紙の購入負担は重かったですが、当時の目標「営業成績を上げる」を達成できましたので、それはそれでヨカッタと思います。今また何故?日経新聞かと言うと、現状の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室、不動産屋)の更なる深耕策のヒントを探るためです。今はボーダーレス時代で、企業が全く異業種に進出するのが日常茶飯事ですから、第三者として冷めた目でその行動を分析するのがオモシロいです・・・(笑)。という事で、今年も仕事をまだまだ頑張るつもりで日経新聞を「深く」読んでいこうと意気込んでいる訳ですが、このサブスク月額4900円が吉と出るか・・・?にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.01
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1