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北大路魯山人の陶芸作品に焦点を当てた展覧会。焼き物の歴史を魯山人の作品と重ねて展示してあり、とても分かりやすい内容になっていた。また唐津、萩、織部、志野などそれぞれの焼き物の種類別に魯山人の作品との対比があり、魯山人が様々な焼き物を研究し、作品を作り上げたことがよく理解できた。どの作品も美しく、やはり魯山人は美の巨人だと思う。また、荒川豊蔵が発見した志野焼の成果を自分の手柄として横取りしたり、傲岸不遜な性格で様々な悶着を起こしたりしたことも分かる。敵も味方も多かった人物だったのだ。魯山人は陶芸家でもある割に、土をこねるのが嫌いだったらしくろくろを使って作陶するのではなく、古来の壺の型を石膏で取って、作るなど、結果として素晴らしいものができればよかったという破天荒さもあった。私が好きな魯山人の作品は、椿の絵付けがされた大鉢なのだが、今回も何点か展示されていてうれしかった。単純に描かれた赤い花と緑の葉っぱとの対比が美しい。魯山人周辺の陶芸家たちの作品も多く、見ごたえがあった。特に素敵だったのは、川喜多半泥子の「たつた川」という粉引茶碗だ。小ぶりの茶碗にもみじの葉が何枚か単色で描かれている。派手な絵付けではなく、ひっそりと描かれ器も小ぶりで愛おしい。八木一夫の「春の海」という壺。前面には春の草花。後ろから見ると腹を膨らませたフグだったという実に面白い作品。イサム・ノグチの人を食ったような花入れも面白かった。尾形乾山の皿や長次郎の赤楽、黒楽茶碗も見ることができた。魯山人を中心に焼き物の概要を学べる素晴らしい展覧会だった。
2019年08月22日
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静物画が好きだ。目前の対象物を平面の画面に再現しようと昔から多くの画家が挑戦し続けてきた。この作家が描くクッションや器などもその一つの結果だ。ものを取り巻く、空気や光を2次元の画面に取り込んでいる。クッションの模様など、まさに浮き出ているようで見入ってしまうと、目を離すことができなくなる。鶴首の壺はガラスケースに展示されているものを描いたらしい。背景の光景やガラスの反射などがきらめき、どれが実体の壺なのか分からなくなる。残念ながら、映像のコーナー。10分ほど挑戦したのだが、結局、立体的に見ることができずなんだか分からなかった。
2019年08月18日
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まず、第一会場入り口の大乗寺襖絵のコーナー。スターウォーズのイントロダクションとおなじノリの解説に笑った。応挙の登場によって、狩野派が主流だった京都の画壇が一挙に変わったということだが、具体的にどう変わったのか具体的にはよくわからない。粉本主義が、写実主流になったのか。孔雀は狩野派ではこれほどリアルに描かれていなかったのか。勉強する必要がありそう。今回の見せ場は大乗寺の襖絵をまるまる運んできたことだろう。あの金箔の襖絵の迫力はすごい。応挙以外の画家の数多く展示されており、それなりに素晴らしい絵ばかりであるが、もうひとつインパクトに欠ける展覧会であった。
2019年08月18日
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ミュシャの展覧会も昔から何度も出かけていて、数年前、国立新美術館でスラブ叙事詩の大作群を見た際、まさか日本で見ることができるなんて!これでもうミュシャは見納めだなと思っていました。だから今回のBunkamuraもいいかなと気が向かなかったのですが、渋谷に出たついでについふらふらと立ち寄ってしまった展覧会。混雑ぶりには少々辟易しましたが、それでも、また新たな発見があり、予想に反して楽しむことができました。まず、長年ミュシャを見てきましたが、今回Q型方式という言葉をはじめて知りました。その視点で見るとこれもQ、あれもQ、みんなQ。Qのリングのツタやらユリの花やらの装飾のバリエーションの多さも見ていて楽しめました。その後、ロックのアルバムのデザインに取り入れられたり、山岸涼子らのマンガに影響を与えたりと、思わぬ展開を遂げて展覧会は終了。結論。やはりミュシャは良い!
2019年08月17日
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ポーの一族を呼んだのはいつ頃だったろうか。連載開始時期にはさすが少女漫画雑誌はリアルタイムでは読んでいない。萩尾望都を知ったのは、高校生の頃読んだ「11人いる!」であり、それから、さかのぼって「ポーの一族」を読んだのだった。「11人いる!」は、それまで少女マンガって読みにくいと思って敬遠していたのが、俄かに萩尾ファンになった記念の一作。「ポーの一族」、今でこそゴシックホラーなる分野があるが、当時はそんな言葉も知らなかった。ただただミステリー仕立ての吸血鬼一族の話をおもしろく読んだ記憶がある。今回、原画を見ながら、ようやく物語を思い出してきた。しかし、観客の95%が女性。しかも私と同世代かやや上の方々ばかり。こんな展覧会も珍しい。会場では宝塚の歌声がずっと聞こえてきて、頭に「ポーのいちぞく」という言葉が刷り込まれてしまった。WOWOWで録画したビデオを見よう。
2019年08月17日
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油絵から日本画家へ転向。そして、やまと絵作家から、モダンな作品を描いた山口蓬春の軌跡がよくわかった。ちらしになっている「望郷」のシロクマの絵は有名なのだそうだが、私は初めて見た。日本画なのか、イラストなのかよくわからないが、とにかく楽しい絵だ。ペンギンがいるバージョンといないバージョン。東山魁夷に送ったものと中村歌右衛門に送ったもの。北極のシロクマと南極のペンギンは同時には存在しないのかと初めて知った次第。お気に入りは、「夏の印象」。この作品を初めて見た時、これが日本画かと驚いた記憶がある。もう何十年も前のことになってしまった。でも、何度見ても、涼しげな画題。幻想的でもある。朝顔が好きになったのも、この絵の影響かもしれない。 リアリズムを追求した作品も素晴らしい。アジサイなどもううっとりする美しさ。写実と幻想の混在。この画家、輪郭線を描かないんだと発見。いい展覧会だった。 8月19日まで
2019年08月15日
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塩田千春という作家は、10年前、越後妻有の大地の芸術祭で初めて知った。「家の記憶」というテーマの作品。古民家一軒の内部を縦横無尽に黒い糸を張り巡らしたものだ。その前の日大芸術学部の脱皮する家も印象深かったが、「家の記憶」の黒い糸はある種、禍々しさまで感じたことを覚えている。だから、今回の展示では、焼けたピアノやいすを黒い毛糸を張り巡らした「静けさの中で」という作品が、大地の芸術祭を思い起こし、インパクト大であった。廃墟、死、静寂。しかし、不思議な音楽が聞こえるような気がした。反対に、最初の赤い毛糸で鉄枠の船を覆った「不確かな旅」。会場に入るとまさに異空間・異次元の世界に飛び込んだような感じだった。張り巡らされた赤い糸の間を抜けると、昔見た映画「ミクロの決死圏」のように動脈の中を歩いているような気分になってきた。周りの赤い毛糸は毛細血管のように思えた。こちらはどちらかというと生のイメージ。しかし、どぎつさ、生々しさが漂う。心温まったのは、新作の「小さな記憶をつなげて」だ。高層ビルから眺める都会の光景を借景に、人形の家のように小さなさまざまな道具が赤い糸で結ばれている。どんな小さなものでも、誰かの何がしかの記憶がある。それを大切にしようとする意思のようなものを感じた。もうひとつ、「時空の反射」という作品も素晴らしかった。黒い糸の空間につるされた白いドレス。鏡が使われていて、本物なのか偽物なのかよくわからない。真実っていったい何だろうと問いかけられる。死とは生からさらに広大な宇宙に溶け込んでいくもので、恐れる必要はない。と悟りを開いたような塩田千春。その思想の一端に触れてまさに魂がふるえた。
2019年08月14日
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楽しい展覧会でした。あの絵本がこんなコラージュでできていたのかとか 原画を見てよく分かりました。やはり現物を見るのと見ないのでは 大きな違いです。 有名なスイミー。うちの職場にもこの絵本があって、先生方がよく読み 聞かせをしています。この原画は、実際に絵本で使われたものと かなり異なっています。理由は不明ですが、説明がなければ分かりません。 レオ・レオーニをはじめて知ったのは、「あおくんときいろちゃん」かな。 シルヴァスタインの「僕を探しに」とごっちゃになっていたのですが、 この展覧会で思い出しました。(ちなみに絵本作家では、イタリアのイエラ・マリも好きです。) 青と黄色が混じってしまい、緑になってしまい差別されるというテーマには、やはり深い理由があったそうです。レオ・レオーニの絵本以外の様々な作品も展示されていました。平行植物シリーズの油彩やブロンズ像。「向月葵」、これはやはり「ひまわり」と読むのでしょうか。グラフィックデザイナーとしての作品も素晴らしいものが多く、満ち足りた気分で美術館を去りました。
2019年08月03日
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