全44件 (44件中 1-44件目)
1
このブログの利用方法について質問があった。このブログはその時に思い付いた森田理論関連の投稿をしている。森田理論学習をもっと深耕してみたいという人向けに書いている。たくさんありすぎて、読みたい記事がどこにあるのかわからないという質問だった。毎日新しい投稿ばかり読むのは効率が悪いかもしれない。解決策の一つとして、「キーワードサーチ」にたとえば「純な心」とキーワードを入力して、「このブログ内」にチェックを入れればグーグルの検索で「純な心」の関連記事が全部出てくる。私自身も講話などをでテーマが分かれば、話のネタはこうして探している。
2014.02.28
コメント(0)
「良寛禅師奇話」第43段にこんな話がある。国上山の庵に泥棒が入りました。しかし庵の中には盗めるようなめぼしいものはありませんでした。仕方なしに泥棒は良寛さまの寝ている蒲団を盗み出そうとします。良寛さまは、すやすやとよく寝込んでいるように見せかけ、引きやすいようにわざと寝返りを打って、うまく盗ませてあげたのでした。その時詠んだ句がある。「盗人にとり残されし窓の月」布団がなくなり、さぞかし寒い思いをされたことであろう。文芸評論家の小林秀夫さんの鎌倉の自宅に泥棒が入ったことがあるらしい。その時「家には大した金がないが、持っていくならレコードの名曲版でいいものがたくさんある。それならいいだろう。」とこれを盗ませた。良寛さんと同じ対応かと思った。ところが泥棒が退去した後、すぐに警察に電話したため、やがて強盗は逮捕されたそうだ。これは小林氏だけではなく、普通の人すべての対応であろう。良寛さんと普通の人はどこが違うのだろうか。良寛さんは物質的な欲望は極限までそぎ落とした生活をされていた。すると何もない良寛さんの家に来て、盗みを働かざるを得ない泥棒の身の上のことがかわいそうになるのである。また冬寒いとき一束の薪のありがたさが分かる。その日食べるものがあることを感謝するようになる。戦後の日本人は、消費は美徳のもとに家電商品をはじめ家にはいきらないぐらいのものを買い集めて物質文明を謳歌してきた。今では都会で夏にクーラーがない生活をしている人がいるだろうか。冬にこたつや暖房のない生活をしている人がいるだろうか。冬に冷たい水で顔を洗っている人がいるだろうか。それらがあるのが当たり前になると、ありがたみは湧いてこない。感謝することはできない。むしろないことが苦痛になってしまう。森田理論では感性、五感を大切にという。でも欲望にどっぷりと浸かった生活の中にいると感性や五感は十分に発揮されないのだということを自覚すべきではなかろうか。感じから出発するといっても感性が鈍ると、自分が何をどう感じているのか全く見当がつかなくなってしまうのである。感情が沸き起こらない人間は恐ろしい。
2014.02.28
コメント(0)
森元総理の真央ちゃん発言が物議をもたらしている。「あの子は肝心な時にはいつでも転ぶんですよ。」森田理論学習をされている人はどう思われているだろうか。これを題材にして議論しても学習になると思う。森さんは真央ちゃんがメタルをとると思っておられたのだろう。それがショートでミスをしてメタルの可能性がなくなって自分がイライラされたのだろうと思う。そのイライラはそのままイライラしておればよいのである。こういうイライラは感情の法則1で時間とともに消え去る。イライラをそのまま表現するとどういう結果になるのかわからなかったのだろうか。森さんはオリンピックの役員なので発言内容は全世界に広まってしまう。それと森さんは、結果優先の人だと思う。森田とは違う。森田理論学習ではプロセス、過程を大切にする。努力即幸福である。結果を優先するということは、「かくあるべし」で対応することである。結果が悪ければ、他人を平気で批難、説教、指示、命令、叱責、怒りの言葉が出てくる。我々は反面教師として学べばよいと思う。
2014.02.27
コメント(0)
ところが強迫観念の人は事情が異なる。それは吠えかかる犬の恐怖に耐えないで、一時逃れの目先の安心を得ようとして、その犬を見ないように顔をそむける。その時本人の注意はどこに向かうか、といえばただ自身の不安の状態、すなわち自分の胸騒ぎ、脱力の感とか、さむけや震えということだけに集中し、心を奪われ、現実の対象を忘れ、自分の恐怖、不安の結果がどうなるかということが恐ろしくなる。これは恐怖を恐怖するということである。脳の立場でいうと、偏桃体で不安や恐怖を感じるのは普通の人と一緒である。ところが顔をそむけた結果、記憶として残されることは全く違う。自身の不安や恐怖に襲われた状態、自分の胸騒ぎ、脱力の感と身体の違和感が記憶されることになる。次に同じような状況に遭遇するとどうなるのか。犬を観察して、追い払ったとか逃げたという貴重な経験は記憶されていない。記憶としてあるのは、その時の恐怖心や体の違和感である。それらが予期不安となって走馬灯のように頭の中を駆け巡るのである。もはや吠えかかる犬は眼中にない。気持ちの内向化が起きているのです。対象物から目を背けて、自己の不安、恐怖、違和感を取り去ることに専念しているのである。本末転倒である。さらに悪いことに、そういう経験を繰り返すと、以前の記憶がさらに強化されて、新しいパワーアップされた不安感、恐怖心、違和感として記憶されるようになっていることだ。すると寝ても覚めてもそのことばかりが気になり、逃れようとしても逃れられず、悩みもだえるようになるということです。これは意識の外向化が起こらず、ひたすら内向化されたことによる。逃げてもよい。でもまずは恐怖心を排除しないで向き合う。恐怖心を受け入れるという段階を踏む必要があるのである。
2014.02.27
コメント(0)
森田先生の名著に「神経質の本態と療法」がある。180ページに人が犬にほえかけられた時の話がある。これを脳科学の立場から考えてみたい。普通の人は、仕方なしにまずその犬を見つめて自分の態度を決める。この時には、その犬の一挙一動に対して、逃げるとか、立ちすくむとか、あるいは犬を追い払うとか、自然に臨機応変の態度になっている。脳の立場でいうと、不安や恐怖心は偏桃体で感じる。偏桃体が刺激されないと恐怖心は出てこない。偏桃体が刺激されないと危険な目に合う。最悪命を落としてしまうことがある。魚以上の生物には偏桃体が備わっている。すぐに危険に対処できるようになっている。つぎに人間の場合には、犬に立ち向かったという貴重な経験は、大脳新皮質の前頭葉に送られて記憶される。そしてまた同じような状況に遭遇した場合、その記憶に基づいて経験を活かすことができるのである。逃げたほうがいいとか、危害はないから放っておくとか、棒切れで追い払ったほうがよいとか判断できるのである。臨機応変に対応できるようになる。この場合仮に逃げたとしても自己嫌悪する必要はない。むしろ逃げることによって生命の安全が保障されることがある。
2014.02.27
コメント(0)
横浜高校野球部監督の渡辺元智監督は、指導者は教え子を「敗北」させることに躊躇してはならないという。それは貴重な「負ける練習」の機会なのである。横浜高校には100名からの野球部員がいる。仮に甲子園に出たとしても15名までである。人選は実力やチーム編成で選ぶしかない。それを親に頼まれたり、練習熱心な子の情にほだされたりして選んでいると、チームのムードが悪い方向に一変するらしい。高校野球の敗北は人生の敗北ではない。チーム内でのレギュラー争い。ポジション争いなど競争には事欠かない。これを経験することは、「負けに耐える心」「恥に耐える心」「かっこ悪さに耐える心」を鍛える。子供のころから負ける練習を積んでおけば、大人になって困難な状況に追い込まれても、それを跳ね返して乗り越えられる力がついてくる。失敗が生きてくる。集談会でも、人間は3000回の失敗を重ねて大人になっていくのだという人がいる。我々神経症で苦しんでいる人は、失敗を回避してきた人が多い。つまり事実に向き合わずに、逃げてきたのだ。失敗の経験なく、失敗に学んでこなかったのだ。その時はなんとか切り抜けてきたように思っているが、そのつけは大人になって味わうことになった。免疫力がついていないので、誰でもあるように失敗やミスを自分の人生を左右するような大げさな問題にしてしまう。問題に向き合うことをしないで、すぐにあきらめたり、自己否定したり、人に頼る。その結果不安や恐怖心が増長されてきた。予期不安で手も足も出ない人間になってしまった。失敗してもすぐに逃げてはいけない。せめてその原因を捕まえたい。失敗をしたらすぐに謝る。失敗を自分の人間性と結びつけない。誰でも失敗はある。失敗を糧にして、それを乗り越えた人が最後に成功する。失敗の原因を探って次に活かす。失敗を乗り越えると自分を成長させるのだという視点に立ちたいものだ。
2014.02.26
コメント(0)
南洋の土人は、昼間から椰子の木陰で昼寝をしています。そしてお腹が空くと、海に魚を捕りにゆきます。のどが渇くと、椰子のジュースを飲みます。そんな生活をしている人を見て、現地の日本企業の人が、いい若い者が昼間からごろごろしていてはダメじゃないですか。きちんと働いてお金を貯めないと将来困りますよ。うちの工場で働きませんか。お金を貯めるとどうなるんだ。定年後に、南国に別荘を建てて、悠々自適で暮らせるようになります。今俺はそれをやっているんだよ。(オーケストラ指揮法 高木善之氏の本より 289ページから)
2014.02.25
コメント(0)
先週の「情熱大陸」は星野源だった。音楽家、俳優、文筆家である。只今33歳。武道館でのコンサートを成功させたが、その前にクモ膜下出血で倒れ2度の開頭手術をしている。星野源は少年時代、いじめにあっていたという。それが原因でパニック障害を発症した星野は、精神安定剤を服用するような日々が続いたという。高校生になってもその症状は治らず、学校に行けなくなり、家も出れなくなった。そして、いわゆる不安神経症を患う。星野源は森田理論の適応対象者だったのだ。ひどく追いつめられた高校時代、星野はクレイジーキャッツの『だまって俺についてこい』という一曲に出会う。“そのうちなんとかなるだろう”という歌詞に救われたという。「当時の自分は完全に絶望していて、俺はこれから完全に狂ってしまうんだと思ってたときに、『そのうちなんとかなるだろう』ってあの声で歌われたときに、これを信じるしかないというか。(中略)自分にとっては、物凄い命綱みたいなもんだった」と語る。植木等の歌で救われたというのがユニークなところだ。森田理論をこね回すよりもスッキリと自分の胸に収まったのかもしれない。また一足の草鞋を履くより、2足の草鞋でもよいのではないかという。歌手として、俳優として、文筆家として大活躍である。興味のあること、好奇心のままにいろんなことにどんどん挑戦しているところに共感が持てた。
2014.02.25
コメント(4)
タモリと赤塚不二夫の人間関係は面白い。お互いを思いやる優しい心には舌を巻く。赤塚不二夫は都心の自宅マンションはタモリに住まわせ、自分は木造の二階の家に引っ越して、「おそ松君」「天才バカボン」などの漫画を描いていた。赤塚氏は「タモリは今まであったことのないすごい才能を持った男だ。彼のような男に下積みの生活をさせたら時間がもったいない。彼の才能にはこれがいいのだ。」と常々言っていたそうです。そのうちタモリは日本で知らない人がいないくらいのタレントになりました。「笑っていいとも」今年3月で終了するそうですが31年も続いたそうです。反対に赤塚不二夫は売れなくなってきました。そんな時タモリがやってきて、今度会社を設立することにしたので顧問になってくれといったそうです。顧問料として毎月30万円ほど振り込んできたそうです。赤塚氏はタモリのウソは見抜いていました。周りの人に言っていたそうです。「タモリは架空の会社を作って、俺に顧問料を振り込んでくれているんだ。」でもタモリから振り込まれたお金は決して手を付けることはありませんでした。「タモリのような芸人という職は、いつ売れなくなるかもしれない。その時のためにこのお金はとっておかなくてはいけない。」またタモリは赤塚不二夫に「あのベンツを1千万円で売ってくれないか」とか、「あのキャンピングカーを500万円で売ってくれないか」とかお願いしたことがあるそうです。これは実際に欲しいのではありません。お金で困っている赤塚不二夫を傷つけないようにお金を回してあげていたというのです。二人は取っ組み合いのけんかをしていたそうですが、心奥深くではお互いに信頼しあっていたことがよく分かります。うらやましい人間関係です。もともと赤塚さんという人は不思議な人です。所有欲というものがほとんどない。自宅にも多くの人が勝手に寝泊まりしていたというのです。みんなと毎日宴会をやることが楽しみだったというのです。それも各自とっておきのかくし芸大会をして大いに笑っていたというのです。人間味があるというか、あるがままの自然な生き方を実践していた人です。型破りだけれども魅力いっぱいの人です。昨年の7月17日と5月19日も赤塚さんの投稿がありますのでご覧ください。
2014.02.24
コメント(0)
今日は山口県防府市の防府天満宮の梅まつりに行ってきました。梅はほぼ満開でした。白と赤の梅の木がありました。天気も良く多くの出店にも大勢の見物客がいました。梅まつり特設ステージではたくさんの郷土芸能の出し物がありました。ドジョウ掬い、南京玉すだれ、傘踊り、ササラ踊り、傘回し、手品などです。そして我々のスーパーチンドンひまわりも大忙しでした。そのほか、私は皿回しを練習しました。なかなか難しいですがコツがあるようです。早く皿回しができるように練習したいと思います。
2014.02.23
コメント(0)
面白い実験がある。ビギナーのゴルファーに3秒以内にパットを沈めるように言うとなかなかうまく入らないそうだ。いくらでも時間をかけてもよいといったほうがよく入ったという。ところがベテランゴルファーは時間無制限にするよりも、3秒以内に時間制限をしたほうがよく入ったそうである。次の実験は、スイングに集中するとともに、スピーカーから流れる音の数を数えることを指示して気を散らすようにした。ビギナーゴルファーは入りが悪くなった。しかしベテランゴルファーは逆の結果となった。ベテランはスイングに集中するとパットの精度が低下し、気を散らせば精度が上がるというのである。これはベテランにはパットを沈めるということに意識を集中させるということが、思いのほか逆効果をもたらしているということである。「なぜ直観のほうが上手くいくのか」によると、ベテランの運動スキルは脳の無意識の部分によって実行される。そのために、動作順序を意識して考えることが妨げとなり、パットの精度に悪影響を及ぼすのだ。時間制限を設けるのは、スイングについてあれこれ考えさせないようにすることなのだ。気を散らす方法も同じ意味がある。人間の意識的注意は一度に一つのことにしか集中できない。そういう状況を作り出してやればよい。時間を無制限に与えると、ボールのライン、芝目、カップまでの距離と角度を読み、体の動きなどいろいろのことに意識が分散して、考えなくてもよいようなことまで詳細に検討する。気になることはなんとかして解消しようとするのである。つまり意識化が起こるのである。無意識だったらなんでもなく簡単にできたことが、意識化されたことによって集中が分散され体の動きに変調をきたしたのである。症状で悩んでいる人は、気になることにとらわれて常に意識化された状態である。それを無意識化させてゆけばとりあえず、泥沼からは這い出すことができる。森田理論は意識化されたとらわれを無意識の領域に忘れ去ることを目指しているのである。
2014.02.23
コメント(0)
開催日 3月23日(日)時間 14時から16時30分会場 岡山国際交流センター 8階イベントホール 岡山駅より徒歩3分です参加費 無料内容 比嘉千賀先生講演「森田療法による生老病死への対応」 伊丹仁朗先生講演「ガン・難病への森田療法の応用」申し込み方法 往復はがきで3月15日までに申し込んでください。その際下記のことを書いてください。1、 第6回心の健康セミナー申し込み2、 氏名3、 住所4、 電話・fax5、 同伴者名会場定員の関係で100名になり次第締め切りとなります。毎回定員オーバーとなっています。参加希望の方はお急ぎください。申し込み先 すばるクリニック郵便710-0253 岡山県倉敷市新倉敷駅前2-29 電話・fax 086-525-8699
2014.02.22
コメント(0)
落合博満選手のバットはミズノの久保田さんが作っていた。1995年(平成7年)シーズン終了後、40歳を超えた落合選手が岐阜の工場にやってきた。久保田さんが作ったバットを2本持っていた。その2本を並べて一本のバットのグリップが細いという。計測すると0.2ミリ細かったそうだ。久保田さんは落合さんに聞いた。「私の中では、0.2ミリの誤差が許せない理由が十分に理解できません。どうしてダメなんでしょうか。」落合選手はバッティングのメカニズムを丁寧に説明してくれた。バットは強く握ってはいけない。ボールがバットに触れた瞬間に、ギュッと握りしめる。その時バットのグリップが細いと手の中でグリップが遊んでしまう。ゆるんでしまう。だからダメなんだ。落合選手はバットは棒のように使っていけない。鞭のように使うのだ。グリップを絶対に強く握ってはいけない。バットが下に落ちるぐらいソフトな握りでよい。また落合選手はその工場内で木目が乱れて、見た目のよくない素材に「なんでこんなにいい顔をしたのがだめなの」といったそうだ。このヒントは1978年に来日したピート・ローズ選手が語っている。彼は、みんなが喜んで使っている3ミリの木目で固い材料のバットではなく、10ミリの幅の木目で柔らかいバットを使っていた。ローズ曰く。広い木目のバットを使うのは、ボールとの接触時間が非常に長いからである。ミート時の一瞬の判断でボールを左右に打ち分けるためにはボールのツキが長い柔らかいバットを使う必要があるのだ。落合選手も同じだ。落合選手は、長い選手生活の中で自分の感性、感覚を大切にしてこられたのがよく分かる。理屈や理性ではない。自分の五感である。こうゆう人が森田理論でいう感じから出発するというのである。見習いたいものである。(匠道 講談社刊参照)
2014.02.22
コメント(0)
浅田選手に聞いてみたい。ショート終わった時、1位キムヨナ74.94、浅田真央55.51の16位。その差は実に19.43。もうメダルの可能性はない。普通ならもう投げやりになるところだ。私ならフリーはキャンセルするだろう。日本人はフリーのテレビ中継は目を背けた人も多いことだろう。浅田選手自身も、朝のフリーの練習は上の空だったという。でも、浅田選手はフリーでは自己最高の演技を見せてくれた。ジャンプはすべて成功させた。浅田選手はうれし涙を流していた。私は完ぺきな演技に感動した。そして世界中の人が涙した。何がそうさせたのだろう。どういう気持ちの変化があったのだろうか。どうしてもよく分からない。森田理論学習に通じる目に見えない何かを感じるのは私だけであろうか。
2014.02.21
コメント(4)
良寛さんにこんなエピソードがある。地蔵堂という地域に伝わる話である。この町を大きな川が流れている。渡し船があり、権三という船頭がいた。良寛さんを一人乗せた時、「この坊さんは世間から生き仏と崇められているが、どんな人間か試してやろう」と思った。船をわざと揺らしたところ良寛さんが川に落ちた。権三がしばらく見ていると泳げない良寛さんが溺れそうになった。仕方なく権三は手を貸して船の上に助け上げた。良寛さんは、向こう岸につくと涙を流して「助けていただいてありがとう。権三さんは命の恩人だ」といったという。普通他人から無礼千万なことをされると、怒りがこみあげて相手を非難するのではないだろうか。今なら裁判に訴えるという人がいても不思議ではない。私はこの話を聞いて思った。良寛さんには無意識の信念として、人間に対する信頼感があったのではないか。人間は人に対して悪事を働くことはないはずだ。困った人がいると力を貸したり、助け合うのが人間の本来の姿である。という性善説でもって行動されていたのではないか。こういう無意識の信念を持っていると、目の前の出来事を、常に前向きに良いほうにとらえるのである。そしてその連鎖が生まれる。次から次へとプラスの出来事が自分の周りに引き寄せられてくるのである。こういうプラスの無意識の信念はどうしたら生まれるのだろうか。3つあると思う。1、 今に生きることである。忌まわしい過去の出来事に悩んだり、これからのことに取り越し苦労していると今がおろそかになる。今現在に集中しないと、観念的になり、是非善悪の価値判断に意識が向くようになる。するとマイナスの無意識の信念が作られてくる。2、 自分、他人、物の存在価値を意識して、利用したり活用することを心がける。森田理論学習でいう事実を受け入れて、自然に服従する態度を作り上げることである。「かくあるべし」で現実や事実を否定、拒否、抑圧、無視していると、マイナスの無意識の信念が出来上がってしまう。3、 自分中心に生きることである。自分の感情、気持ち、意志に反したことはしない。好きか嫌いか、快適か不快か、楽しいか苦しいか、そうした感情から出発することである。感情を素直に表現する。他人の意向ではなく自分の意志を第一に打ち出して生活する。良寛さんは過去や将来のことに思い煩うことなく、今現在を大切にされている。欲は最低限度に抑えて、どんな理不尽なことでもそのまま受け入れている。普段は詩や短歌、書道をたしなみ自然に溶け込んで生活されている。
2014.02.21
コメント(0)
ソチオリンピック男子2人のりボブスレーで日本は30チーム中28位だった。ボブスレーというそりに乗って、1700メートルの距離を時速130キロから155キロで、約1分で滑り降りる。この競技は、「スタートダッシュ」「パイロットの技術」「ボブスレーの性能」で決まるそうだ。日本ではどの点を取ってみても後塵を拝している。競技人口も少なく、遠征費用などは自前というのが響いているのかもしれない。ヨーロッパではBMW、フェラーリ、マクラレーンなどのメーカーがボブスレーをつくっている。1台700万円もするボブスレーを選手の体型に合わせて作っている。日本でボブスレーを製作している企業はなく、今まで現地で外国製をリースして競技に臨んでいた。中古車とF1の車両が勝負しているような状態だった。上位に食い込むことは夢のまた夢であった。そんな中2012年5月東京都大田区の町工場の人たちがボブスレーの製造に立ち上がった。もともと下町の町工場とはいえそれぞれの分野で高い技術を持っている。その技術はロケット、航空機、防衛部品、産業機械などに活かされている。そういう人たちが一致団結して仕事の合間に無償で手分けをして作り始めたのだ。1号機は12月に完成してテスト走行が行われている。そこそこのタイムだったが改善点もあった。翌年には2号機、3号機と作られたが、ソチオリンピックでは不採用となった。規格や操作面の難しさが露呈したようである。でもあきらめることはない。まだ始まったばかりの挑戦である。大田区の町工場の人が立ち上がった関係で、NTTぶららや全日空などがスポンサーに名乗り出た。ソチの次は韓国の平昌である。ぜひとも日本製のボブスレーで上位に食い込んでほしいものである。
2014.02.20
コメント(0)
明日早朝から競技が始まる。午前0時から4時30頃まで。各選手もうすでにどんな演技をするか決まっている。その演技構成に応じて得点は出ている。それが確実にできるかどうか。あるいはミスがあるかどうか。加点をもらえる演技ができるかどうか。ここで本当の勝負が決まる。練習ではほぼ7割から9割の確率でミスなくできる人ばかりだろう。後は無心になりきるかどうかだと思う。ちょっとしたところが勝負の分かれ目となる。キムヨナ、コストナー、村上佳菜子、リプニツカヤ、ソトニコワ、浅田真央に注目している。出場30選手である。メタル獲得は運が絡んでいると思う。
2014.02.19
コメント(0)
「やる気」「モチュベーションを高める」ということを脳科学の立場から解説している人がいる。池谷裕二さんである。池谷さんによると、脳に「淡蒼球」(たんそうきゅう)という部位があるという。淡蒼球は人間が意識して動かすということはできないという。淡蒼球を活性化するためには外からの刺激が必要です。その刺激は4つほどあるという。1、 体を動かす。森田理論学習でも、行動や実践することによって新しい感情が発生するといいます。最初はイヤイヤシブシブでも行動すると、弾みがついて「やる気」に火が付くということは皆さん経験されていることと思います。2、 マンネリを打破して違うことに手を出す。初めてのことを体験すると、その体験は重要事項として海馬を通じて脳に蓄えられます。この時海馬は淡蒼球などに働きかけてうまく事態に対応するように指令を出します。ところが同じ経験を何度も繰り返すと、わざわざ海馬に情報は届かなくなります。無意識の行動ができるようになっているのです。するとマンネリ化が起きてしまうのです。飽きてしまって「やる気」が起きなくなるか、歯磨きのように習慣化するかのどちらかになります。マンネリの打破には目先の変わった刺激を与えてやることが大切なのです。森田理論学習では同じ仕事や趣味に没頭しないで、30分から1時間ぐらいで切り上げて別のことに手を出すことを勧めています。3、 行動して目標を達成したら報酬を与える。これで「やる気」モードになることは容易に理解されることと思います。自分で自分にご褒美を与えるようにすると、テグメンタという脳の部位を活性化させます。テグメンタからはドーパミンという快楽物質がでて淡蒼球に届けられます。つまりテグメンタはダイレクトに淡蒼球を活性化させます。4、 強い欲求を持つ。他人の思惑ばかり気にしていると、自分の気持ちや意志を見失いがちになります。自分中心の生きたかをして、自分の感情、気持ち、意志を優先させていると、自分の潜在意識に沿った情報集め、行動の好循環が始まります。ボクシングの世界チャンピオンは、「世界チャンピオンになりたい」という強い意志を持った人以外の人がなることはないそうです。自分中心の生き方を体得すると「やる気」を高め、「モチュベーション」が維持できます。うつ病以外の人で全く「やる気」が起こらないという人は、以上4点を意識して生活を見直してみてはいかがでしょうか。
2014.02.19
コメント(0)
専業主婦の人は毎日の食事の支度は大変だと思う。でも考えようによっては森田の貴重な実践の場になると思う。家族に喜んでもらうために、栄養のバランスを考えて材料をそろえ、腕によりをかけて料理する。それも1カ月単位ぐらいで献立のプランを練って、真剣に取り組んだとすれば神経症は克服できるのではないかと思う。でもこれは人によってはとてもハードルが高いと聞いている。現実はコンビニのおにぎり、弁当、調理パン、菓子パン、カップ麺、レトルト食品、スーパーの冷凍食品、いろんなお惣菜、ファーストフード、宅配、ファミリーレストランなどでの外食などに押されて見る影もない。昔の主婦は、「食事の支度ができるまではなんとか家に帰ろう。」「出かける用事があるから、その前に準備をしておこう」「仕事で疲れたけど、家族のためにせめて食事は作ろう」「早く出かけるから、朝早く起きて作っておこう。」という気持ちがあった。最近の主婦は、「時間がない」「余裕がない」「忙しい」「疲れている」が口癖だという。だから、毎日毎日台所に立つことは考えただけでもストレスがたまる。朝はゆっくりと寝ないと疲れが取れないので、食事は作る気にならない。もっと寝ていたい。そのために夫や子供のためにすぐ食べられるようにものを数多く取りそろえ、また冷蔵庫などにたくさんストックしている。そもそもイヤイヤ食事の準備をするということはしたくない。そんなときは出来合いの簡単なもので我慢してほしい。その代わりやりたいという気持ちや気分が高揚してきたらちょっと凝った料理を作ってあげようと思う。それまではあり合わせのもので我慢してほしい。でも考えてほしい。料理はやる気になるかどうかにかかわりなく、イヤイヤでも家族のために毎日作らないといけないものなのではないのか。家族の健康を預かっているものの使命ではないのか。気分によって作ったり、全く手抜きをするということはあってはならないと思う。すると家族の健康はないがしろにされてしまう。でもこれが日本の若い人たちの現状だそうです。最近は女性がフルタイムで働いて、旦那が主夫をすることも多い。いづれにしても同じである。食事つくりはまたとない日常実践の場である。森田では行動はイヤイヤしかたなく、ボツボツとはじめるものだといいます。食事を作ることはまさにそのようなことです。それに加えて掃除、洗濯をなどの日常茶飯事を丁寧にこなす人は、家族に喜ばれ、生きがいが持てて、素晴らしい人生を送ることができると思う。
2014.02.18
コメント(2)
形外会の記録182ページより早川さんが、「私どもはいま、生きても困る、死んでも困ると思っている」と言われた。これに対して森田先生曰く。「死ぬのは恐ろしい。生きるのは苦しい。」これを言い換えれば死を恐れないで、努力しないで人生を思うがままに、目的を楽々と成し遂げたい。ということになる。これが神経質の特徴である。これは神経質者の心理をよくあらわしていると思う。生の欲望を発揮して、自分のなれるできる限りの最高の人間になりたい。でもそのために努力することはイヤだというのである。死は恐ろしい。これは誰でもそうだ。でもよく考えると死が恐ろしいという反面、よりよく生きたいという「生の欲望」が強いのが神経質である。その欲望に従って努力精進してゆけばよいのだが、努力はしんどいからパスしたいというのも神経質者の特徴だ。その方向に向かうと、心が内向化して、消極的、退廃的生活に陥る。別の言葉でいえば「かくあるべし」に支配されてしまうようになる。ロッククライミングをみて思った。決して岩下をみてはいけない。恐怖で身体が固まってしまう。常に上を目指す。手をかける位置、クサビを打ちこむ場所を適切に判断して慎重に登っていくしかない。前進を止めると死しかない。我々でいえば社会的な死しか待っていないのである。ぼつぼつでもいい。イヤイヤでもいい。前進していないと、すぐに体と心は衰えていく。衰えてきたとき、これではいけない。やり直そうと思っても、限界を超えてしまうと、もうやり直しはきかない。体力なりエネルギーが枯渇しているからである。このことを心して、ボツボツと生活したい。
2014.02.17
コメント(0)
イチロー選手のグラブはミズノの岸本さんという人が作っている。2006年5月初めて製作したグラブ6個をもってシアトルにとんだ。イチローが6つのグラブに手を通していく。「だめです」とは言わなかったがすべて「違います」といったという。「ストレスを感じます。手を入れたら、とくに手首やひじにストレスを感じます」とも言ったそうだ。イチローの要望を聞いて少しずつ修正していった。50個から60個は作り直したそうだ。2007年夏のオールスター戦の直前になって、ようやく受け取ってもらえたそうだ。「感触が良かったからシーズン後半でも使ってみます」といわれたそうだ。イチローはグラブに対して「軽くて、やわらかく、よく開く」という要望を出している。その研ぎ澄まされた感覚をすごく大事にしているのである。感性に合わないものは使わない。たとえわざわざ日本からグラブを持参したとしても、相手に対する思惑よりも、自分の感性と真摯に対話しているのである。イチローは年間10ダースのバットを注文している。どういう基準で選んでいるか。「まず感覚的に重く感じるのはダメなので、そういうバットは省いていく。」そして次にバットの音を聞く。「割と高い音が出るものが気持ちがいいので、まずはそれを選り分けます。」そして最後に試し打ちをするのです。まっさらなバットで試合に臨むことはない。試し打ちの段階で練習用のものと試合用のものを選別していくという。つまりグラブにしろ、バットにしろ道具を選ぶのは五感をフル活用しているということだ。森田理論学習でも確認恐怖の人は五感を信頼できないという。そして不安が解消するまで確認行為を繰り返す。五感をもっと信頼してあげるべきだとつくづく感じる。「匠道(しょうどう)」講談社刊参照。
2014.02.16
コメント(0)
男子フィギア羽生選手が金メタルを獲得した。明方、4時ごろだったので、そのごろ起き出して観た。2回ジャンプを失敗したので、その時点でパトリック・チャンの優勝かと思っていた。ところがパトリック・チャンもジャンプを失敗したり、細かいミスを何回かしていた。パトリック・チャンが演技をするときは、途中まで失敗してくれるように必死になって祈っていた。これが偽らざる本音だった。パトリック・チャンは曲をかけての試合前の練習の時に、通しで練習しないで、気になる部分練習をしていた。羽生選手は通しで練習していたようだ。部分練習は確実にできないところを、再度繰り返して自信を持たせるために行うものだ。それはできない時は必要な練習だが、本番直前では意識をその部分に引きつけることになる。本来は意識していることを無意識状態に持っていき、自分の感覚や感性に任せるということが逆効果となって出てくるのではないかと感じた。フィギアはジャンプのミスは命取りというイメージがあるが、決してそうではない。プロ野球の打者は10回のうち7回失敗しても、3回成功すれば一流打者といわれる。フィギアの選手はジャンプの転倒はマイナス1点だが、4回転した後のミスはそれだけだ。4回転は認められるという。だから、ジャンプの失敗にとらわれてはいけない。うまく着氷すればよし。ダメでもともとの気持ちがよいような気がする。ジャンプの失敗で、投げやりな演技になることが、最も恐ろしい。羽生選手は、練習の時から失敗は想定内。演技の中でここで何点、あそこで何点という予測を立てて、やる前からすでに自分なりの試算は済ませてあるという。だからミスに振り回されずに、気持ちを立て直して、確実にできるところでは取りこぼしがなかったのだろうと思った。
2014.02.15
コメント(0)
明治天皇の玄孫で日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏の息子でもある竹田恒泰氏が8日、ツイッターで口を開いた。 竹田氏は、「予選落ちしてヘラヘラと『楽しかった』などと語った選手」を問題視し、負けた際のコメントとして「思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない」としている。選手の発言くらい自由でいいのでは、との反論には「日本は国費を使って選手を送りだしています。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません」と返す。竹田氏は「国費」に重きを置いているようで、仮に自身が国費で何かする場合には「成果が出せなくて、いい思い出になりましたなどとは、絶対に言わない」とも話しているという。私は、こんな発言が選手にプレッシャーを与えて、選手を追い込んでいると思う。努力して国内予選を勝ち抜いてきただけでも賞賛に値する。一発勝負で世界の強豪相手に、必ず勝てるほど甘いものでないことは誰にでもわかる。無茶を言ってはいけない。今までも国のために何が何でも勝たなければならないと、悲壮な覚悟で臨んで失敗した選手はたくさんいた。また、勝つために薬物に手を出す選手もいた。ある国では将来の生活を保障されたり、法外な副賞を与えられたりするという。その反面、メタル候補がメタルをとれないとパッシングは目に余るものがある。まさに国賊扱いされる。選手はたまったものではない。この心理は自分のイライラを選手にぶっつけているのである。もう少し選手の立場に立ってもらえないだろうか。オリンピックの楽しみは、自国の選手が活躍するだけではない。我々人類が到達した今現在の運動能力の最高演技を世界の人に見せることではないのか。そのために世界中から選ばれた人たちが一堂に集まっているのがオリンピックだ。その演技に対して感動をもらえるのがオリンピックの醍醐味であると思う。
2014.02.14
コメント(2)
動物園で飼育されているライオンやシマウマをアフリカの草原に戻すとどうなるか。ライオンは獲物をとることができずに餓死するだろう。シマウマはその日のうちに肉食獣の餌食になるだろうという人がいます。アフリカにすんでいるライオンは、毎日必死になって食べ物を見つけて追い回しています。その能力と気力があります。アフリカにすんでいるシマウマは肉食獣に食べられないように群れを作り、神経をピリピリと緊張させて生活をしています。毎日必死になって生き抜いており、子供を育てています。動物園のライオンやシマウマは、人間の見世物になり、その代り餌をもらって生活しています。次第に緊張感はなくなり、自分の力で生き抜くんだという気力は骨抜きにされています。一見安全で楽のように見えます。動物は思考することがないので、心の病にかかることはありません。ところがこれが人間だと大変なことになります。そのうち胃潰瘍や神経症を発症してしまいます。人間も基本的には、お金さえあれば人に依存して生きていくことができます。安全を確保して基本的生活欲求を満たすことができます。しかしそういう生活がいきいきと生きることにつながっているのでしょうか。生きがいがない、楽しいことが何もない。何のために人間は生きているのだ。こんなに苦しい思いをするのだったら死んだほうがましだ。などと考えるようになるのではないでしょうか。いくら煩わしくても、日常生活に真剣になって取り組んでいくことが大事なのではないでしょうか。神経症を治すために、森田理論学習ではまず日常茶飯事を丁寧にする。雑事に真剣に物そのものになって取り組むことを提案しています。そういう生活の土台を作ったうえで、認識の誤りを是正していくことになります。
2014.02.13
コメント(0)
2014年2月のソチオリンピック。日本はフィギア団体戦で5位だった。メダル候補だったのに意外な結果だった。これは満を持して送り出した浅田真央選手が3位に終わったことも一因だったかもしれない。浅田選手はソチオリンピックでは体調、モチュベーションとも申し分ない状態だという。ところがオリンピックの重圧に苦しめられて、緊張感で体が思うように動かないのだという。ソチを自分の競技人生の集大成と位置付けているために、最高の結果を残したいという気持ちが強すぎるのかもしれない。一瞬の迷いが競技を左右してしまうのである。無心になって淡々と今まで練習してきたことをそのまま出すというのはとても難しい。むしろストレスはあって当たり前。多少ストレスがあったほうが良い結果がでることが多い。重圧を抱えたまま、最後には自分の体の動きを信じる。無意識に体が覚えていることを信頼する。途中で「もしうまくゆかなかったらどうしよう」という気持ちは沸き起こらないのではないかと思うが、意識を捨てて無意識の演技に身を任せることができるのか。これが勝敗を分ける大きな分岐点ではないのか。日本人は大きな大会に普段の力を出せずに涙を呑むことが多い。特に短期決戦、瞬発力を要求させる競技に弱いような気がする。これは意識を封印し、無意識の感覚に身を任せることができないことからくるのかもしれない。そうだとすると、ただ単に練習だけを繰り返すのではなく、たとえばイチロー選手など無意識の大切さを認識しているアスリートを臨時コーチに招いて、無意識を信頼する方法を伝授してもらうことではないだろうか。緊張感から解き放されて、普段の力をそのまま出せば、浅田選手は個人競技では金メダル候補だといわれている。浅田選手は大きな大会で修羅場を何度も経験している。いつものように平常心になって、無意識の演技ができることを期待している。
2014.02.12
コメント(0)
ジャイヤント馬場さんは61歳で亡くなっている。60歳までリングに上がっていたそうで。59歳の時こんな話をしている。「自分から技を仕掛けるなんて、動作がのろいですし、力もそんなにありませんから、もう無理なんです。そこで相手の技をなんとか利用しないと通用しないんです。昔の武道書なんかに川のこちらから向こうまで投げ飛ばしたとかの話が出てきます。僕にはよく分かる。たとえば、その川を飛ぶだけの力のある人が向かってきたときに、その人の力を利用すると、川の向こうまで飛んで行ってしまうこともあるでしょう。ですから、僕がこうやって構えてますでしょう。相手が左足を出さなかったら絶対に投げられないということがあるんです。ところがその人が左足を出したとたんに、ふっと左に引っ張ると、その人は簡単にこけますよ。左足を出したときに右へ投げようとしたって絶対に投げられないんです。」森田先生もこれによく似た話をされています。柔術で組み合っているとき、自分からは技をかけたり、動きださない。相手の動きに合わせる。どこまでも相手の動きについていく。いつまでもそのスタイルを貫いていると、ついには相手が根負けしてしまう。また相手が不用意に動けば隙ができる。その隙をちょっとつけば相手は簡単に負けてしまうことがある。これは勝とうとして自分から先手を打って仕掛けることとは大きく違う。相手をよく観察して、相手の変化を見極めることだと思う。相手の動きを利用して、それを後押しして戦うということだろう。ダーウィンは、進化の過程で力のあるもの、経済力のあるものが生き残ったのではない。変化に素早く対応してきたものが生き残ってきたのだといわれています。我々は「かくあるべし」を前面に押し出して行動をとりがちです。「かくあるべし」を捨てて、変化に対応する態度を磨いてゆけば、万事うまくことが運ぶということです。意地を張らずに変化対応力を磨く、というのも森田理論学習に出てきます。
2014.02.11
コメント(0)
ミスを放置すると、プロの演奏家というのは、能力のない指揮者と決めつけて、極めて厳しい態度をとるのだそうです。「あの指揮者はミスも分からない。耳が悪い。指揮者としての適性に欠ける。」などといわれだすともうだめです。能力のない指揮者はすぐに消えてなくなります。高木さんは、どうしたらよいのか正解はよく知らないといいます。高木さんの場合は、アイコンタクトで、間違えた人をちらっと見て、「違うよ」と心の中で声をかけるのだそうです。相手はプロですから、誤りは自分で分かります。相手も目礼して、「すいません。次は注意します」と心の中で返事をします。その間ほんの一秒です。ミスは指摘ではなく、この確認が大切なのです。そしてアイコンタクトがうまくいったとき、そのミスを忘れることが大切です。相手を許してあげることです。何回か練習をしていると間違いがなくなります。最後まで間違う人は、休憩時間などに「ちょっとこちらへ来てください」と軽く声をかけて、さりげなく「ここの音どうでしたか」と声をかけます。ほとんどの場合、「間違ってました」とか「勘違いしてました」となるそうです。これは私たちも応用できそうですね。他人を「かくあるべし」で誤りを指摘したくなったとき、ストレートにこうしなさい、ああしなさいと指示命令してはいけないということです。自分の意見はしっかりと持つことは大切ですが、相手の気持ちや事情を無視してはいけません。双方の落としどころはその中間あたりにあるんだということを認識して、調整を図るということが大切だということです。
2014.02.10
コメント(0)
「オーケストラ指揮法」高木善之さんの本はとても面白かった。オーケストラの指揮者は毎年200名ぐらい生まれるそうだが、プロの指揮者はとても狭い門となる。必要な資格は次のようなものがある。1、 少なくとも一つの楽器がプロとしての演奏ができること。カラヤン、バーンシュタインはピアノだったそうだ。2、 スコア(総譜)が読める。1ページ30段あるそうだ。これは練習や訓練でできるそうです。3、 ミスを聞き分けられる。オーケストラの中の一人のミスも聞き逃さないだけの耳がなければなりません。これも長年の練習訓練でできるようになるそうです。4、 絶対音感能力。基準音(たとえばドの音)が分かっているとき、他の音を聞いてその音が言い当てられなければなりません。5、 音楽理論、音楽史、音楽解釈に精通していること。6、 指揮者は指導力だけではなく、人間的な魅力が必要です。具体的にはやさしさ、温かみ、包容力、寛大さ、前向きの姿勢、個性、夢を持っていることなどです。その上でプロのオーケストラの団員がミスタッチをしたとき、指揮者としてどう対応するか大きな問題です。まずプロの演奏家はプライドの塊のようなものです。でも人間である以上ミスはつきものです。これを見て指揮者が名指しで指摘したり、演奏を中断して注意すると大変なことになります。プライドを傷つけられたその団員はやる気をなくするし、注意がたび重なるとそのオーケストラから煙たがられて、二度とお呼びがかからなくなるというのです。しかし、ミスを指摘して失脚するなら、ミスを見逃してやればよいのかというとけっしてそんなことはありません。
2014.02.10
コメント(0)
森田理論学習では、感じから出発して理知で調整するということを言います。このことを岩井俊憲さんがうまくまとめてくれています。岩井さんは人を観察していると4つのタイプがあるという。1、 主張的行動をとるタイプ 相手を傷つけないで、自分の要求を聞き入れてもらうように努力する人。これが森田理論学習でいう感じから出発して理知で調整ということです。精神拮抗作用、不即不離も同様の意味です。森田理論学習ではまず自分の感情、気持ち、要望を前面に打ち出します。次に周囲の状況を観察して双方の折衷点を模索します。これが基本となります。2、 非主張的行動をとるタイプ 相手を傷つけないようにするために、自分の主張を抑圧する人です。自分の感情を抑圧する人です。腹が立っても表面的には我慢したり、耐えたりします。ところが無意識の部分でそのイライラは蓄積されてゆきます。そういう状態が長く続くと感情はその働きを止めてしまいます。無気力、無関心、無感動な人間になります。3、 攻撃的行動タイプの人 相手を傷つけてでも、自分の意見や主張を押し通そうとする人です。自己中心的な人です。「かくあるべし」で他人を支配しようとする態度です。他人は自分の思うように動いてくれませんので、さらに指示、命令、強制、脅迫を強めるようになります。ワンマン社長や亭主関白、教育ママなどに見られます。4、 復讐的行動タイプの人 相手を傷つけしかも自分の要求はあきらめてしまう人。相手の力が大きくて、いつも自分の気持ちを抑圧、否定していると、ついに自分の気持ちを表現することをあきらめてしまいます。その気持ちは心の奥底でたまり続け、無意識のうちにそれを解放させようとします。頭の中では相手に嫌がらせをしたり、復讐することばかり考えるようになります。織田信長に非難され続けた明智光秀のようになります。
2014.02.09
コメント(0)
初一念というのは意識していないと見逃してしまうという特徴がある。見逃してしまうと、感じから出発するということができなくなってしまう。また、初一念の次に出てくる初二念、初三念で対応していると、相手の言動ばかりに意識が向いてしまうので、自分の感情、気持ちに意識が向いてゆくことがなくなる。何をしたいのか、自分が何を感じているのかが分からなくなってしまうのです。どうしたら、初一念をたくさん感じて、大切にすることができるようになるのだろうか。「やりたいこと」が見つかる3つの習慣 古川武士氏の著書にそのヒントがあった。1、 忙しい日常生活の中に、穏やかな無の時間を作り出す。1日10分ぐらい座禅や瞑想時間を作る。風呂に入った時でもよい。通勤電車や徒歩時間を瞑想時間にする。五感をフルに活用して、今の感情を味わうようにする。2、 体を動かすことで、理性をオフにして直観優位の状態を作り出す。マラソンやウォーキング、ヨガ、ストレッチなど一人で行う運動を行う。3、 忙しい日常から解放されて、自分と向き合う時間を持つ。海外旅行に行く。国内旅行に出かける。近くの温泉に行く。登山に行く。ドライブに行く。森林浴、神社仏閣めぐりをしてみる。4、 理想の状態や人を疑似体験することで、その感情を味わう。あこがれている人や尊敬している人になりきってみる。真似をしてみる。理想の家を訪ねてみる。新車に試乗してみる。ホテルのラウンジやバーなどで雰囲気を味わってみる。5、 自分の意見や思いを誰かに話すことで、あいまいなイメージが、具体化されたり、新しい気づきが生まれる。傾聴のプロに聞いてもらうことも有効である。6、 静かな非日常空間に身を置くことで、深く自分と向き合う。一人で過ごせる場所で新しい気づきが湧いてくる。部屋を暗くして、自然音を聞いたりアロマで異空間を演出して非日常を演出する。初一念は忘れないうちにメモしたり、日記に書いたり、言葉に出してしゃべってみるなどで意識化するとよいと思う。そして気づきを実践するとさらに新しい感情が湧いてくる。初一念はその気にならないと捕まえられないということは意識したほうがよいと思う。
2014.02.08
コメント(0)
大作曲家と紹介したことがあったが、ペテン師だった。お詫びいたします。本人は楽譜は全くていっていいほど書けないらしい。ピアノもほとんど弾いたことがないという。耳が聞こえないというのも嘘らしい。すべてが、演出だったらしい。私も交響曲1番「HIROSHIMA」は何度も聞いたが、ベートーベンやマーラーのようにグットくるものがなかった。何回も聞いていると、だんだんよさが出てくるのかと思っていた。でもNHKもなんでこの人に騙されて特集を組んだのだろうか。日本中の人をだまして堂々とテレビに出続けていたのが悔しい。
2014.02.07
コメント(0)
高木さんを見ていて驚くことがあります。夫婦でなんでも双方が納得がゆくまでよく話し合いをするということです。双方が自分の主張を述べて、納得するべき点、妥協すべき点を見つけ出すのです。実行実践はその話し合いの結果に基づくのです。そのやり取りを子供たちが見ているのです。さて高木さんの子育てで心がけているのは次のようなことです。1、 子供は純白である。 お金がないことや勉強ができないことを悪いことと考えたり差別することを子供にうえつけ、いじめや自殺に追いやっているのは大人たちではないでしょうか。2、 事実だけを知らせる。それ以上のことは言わない。3、 自分で考えさせる。親の考えや判断を押し付けないようにしています。4、 任せる。自主性、判断力、行動力はこうして身に付くのです。5、 結果について話す。やってみてどうだったとよく話をします。6、 ほめない、叱らない。どうしてこうなったのか、今度はどうしたらよいのか考えることが大切です。7、 食べ物の好き嫌いについて。食べ物の好き嫌いは、人間の好き嫌いなど他の好き嫌いにも大きく関係することが分かってきました。出来れば好き嫌いはないほうがいいのではないかと思います。高木さんの家ではなんでも食べるそうです。つまり子供を批判、指示、叱責、強制、脅しで接するということがないのです。事実を大切にして、自分で考え、自立する子供に育てているのです。すごい大人に成長できるだろうなと思います。
2014.02.07
コメント(0)
高木さんの家ではあまり新しいものを買い与えません。娘が小学校に入る時、母親は自分の古い皮製の筆箱を出してきて「これはお母さんが小学校の時から大切に使ってきた宝物なの。これを買ってくれたお父さん、加乃のおじいちゃんは、お母さんが小学校のときにお亡くなりになったの。お母さんはこれを形見としてとても大切にしてたのよ。お前が大切に使うんだったら、あげようか」と話しました。娘は「うん、大切に使うからちょうだい」といって、それをもらいました。ある日担任の先生から電話がかかってきました。「お宅のお子さん、古い筆箱を持ってますね。きょうそれがクラスで話題になりましてね」先生の話によると、男の子が娘に「お前の筆箱、古いやないか、僕のはこんなんやで」と自分のピカピカの筆箱を自慢したのです。他の子も集まってきて、娘の古い筆箱のことをはやし立てたそうです。それに気づいた先生が、とっさになんていおうかと迷っていると、娘は、「ねっ、古いでしょ。いいでしょ。これはお母さんが子供のころから大切に使っていたんだって。おじいちゃんの形見なの。私も大事に使って、私の子供にこれを上げるの。」といったそうです。周りの子供たちは一瞬シーンとなり、そしてしばらくすると男の子たちが「ふーん、ええな」といったそうです。どう対応しようか、右往左往していた先生はそれをみてショックを受けたそうです。自分を大切にする人は、自分の持ち物、自分の時間やお金、他人の言動も大切にする人だと思います。森田理論学習では、物の性を尽くすといいます。
2014.02.07
コメント(0)
またこんなこともあったそうです。娘は生まれた時から頭に10センチぐらいのアザがあり、そこだけ髪が生えていません。娘にそのことを知らせています。「加乃は生まれた時からアザがあって、そこだけ髪が生えていないんだよ」とよく見せます。普段はそこは髪で隠れています。高木さんの家では事実を話すだけで、そこにいい悪いなどの余分な意味をつけません。小学校に入学してしばらくして担任の先生から電話がかかりました。「お宅のお子さん、頭にハゲがありますね。今日外へ出た時風が強くて、髪の間からハゲが見えましてね。周りの子供たちが「あ、ハゲやハゲや」と騒いだんです。私はとっさにどうしようかと迷ったのですが、お宅のお子さんは「見て、私ね、生まれた時からアザがあってね、ここだけ髪が生えないの」と言って、自分で髪を上げてみんなに見せて回ったんです。そしたらみんなも「どうして」とか「もういっぺん見せて」とかいって何べんも納得するまで見たんです。するとあとは何も言わないんです。驚きました。これだといじめは起きないですね。普通の親はいじめを心配して、部分かつらなどをつけさせるのではないでしょうか。大人でもそうですね。かつら業界が毎日のようにテレビコマーシャルを打っても経営が成り立っていることからもよく分かります。でもそうしてハゲを隠そうとすればするほど、逆効果になっているということをどう考えているのでしょうか。ハゲを受け入れて、ハゲのまま生きることはつらいですが、その人の人間性とは何ら関係がないことをよく考えてみるべきだと思います。
2014.02.07
コメント(0)
高木善之さんの「オーケストラ指揮法」より転載です。森田理論学習の参考になります。 末娘の加乃さんの話です。小学校に入学すると「近眼ですからメガネをかけるように」いわれたそうです。メガネを買ってやると「よく見える、よく見える」と大喜び。ところが、初めて学校にメガネをかけていった日のお昼、先に帰ってきた兄が、「お母さん、今日学校でね、加乃が「メガネザル、メガネザル」って言われてたよ」と告げました。母親はいじめられているのではないかと驚き、いろんなことを考え、心配したそうです。「加乃はメガネをかけて帰ってくるだろうか」「学校であった事を話すだろうか」「明日からメガネをかけるのを嫌がらないだろうか」「これがいじめにつながらないだろうか」ところが娘はメガネをかけてニコニコして帰ってきたそうです。そして早速、「お母さん、聞いて。今日ね、メガネをかけていったでしょう。そしたらね、みんながメガネザルとかパンダとかいろんなことを言ってくれたの。楽しかった。そしてね、こんどみんなで動物園に行こうってことになったの。いいでしょ。やった」と嬉しそうに話したというのです。下手をすると、いじめられたように受け取り、意気消沈して、「もう学校にいきたくない」と言い出すこともあると思います。加乃ちゃんは、隠すということをしません。正々堂々とあるがままの自分を認めることができるのです。神経症で悩む我々が目指していることです。
2014.02.07
コメント(0)
長嶋茂雄氏がこんな話をしている。「僕は34歳ぐらいから、最後の最後まで自然体、つまりあるがまま、なるがまま、その心理状態をどうやって持ちこたえるかということを自問自答しているんです。つまり来た球を打つ。ところが2割7分、8分とか、まだ力のない選手は読みがどうだとか、あの球がどうだとか、バットがどうだとか、そういうものを気にする。これは僕から見るとまだまだマイナーなのね。頭でっかちなんです。大事なのは無の状態。無色透明、ああいうものが打席でぽんとできたら一番強い。」また将棋の羽生善治さんと対談したとき、ピント閃いたものがあったという。「羽生さんは過去の名人といわれる対局を頭に叩き込んでいる。ところがそんなことは羽生さんクラスの将棋指しはみんなやっている。そういう人たち同士が勝負に臨むとき大事なのは、直観力だという。だがこの直感力は名人のデータを叩き込んでいることで乱される。羽生さんが言うには、私は今それを捨てている最中なんですという。」この話は森田理論の「純な心」に関係する話だ。練習では理詰めで試行錯誤してもよい。むしろそうして技術を盗み、真似て自分のものにする。そして練習段階では100回やって90回は間違わないでできる段階にまでもっていく。出来るようになるまで血のにじむような努力を重ねる。しかし試合になると、一旦それらの意識、理屈、理性、理論は捨てる。無の境地になり、自由自在に直観力を働かせる。目の前の変化に無意識に体や頭が素早く反応していく状態にしておく。試合では、常に森田理論学習でいう初一念から出発する。そうしないと勝負に勝つことはできない。実践では初二念、初三念では役に立たないのである。
2014.02.06
コメント(0)
他人の言動に対して、不安や恐怖を感じる。それはいい。でも、怯えたり逃げたりしていると、相手はますます調子に乗っていじめたり、批難したりやりたい放題の状態になる。自分の不安や恐怖の感情を言語化して、自己表現していけば相手に響く。相手を責めるよりももっと効果が期待できるのである。また相手を叱責するエネルギーを自分の感情を味わうことと、表現することだけに集中できるので、無駄なエネルギーを使い果たすことがない。相撲でも恐ろしさのために、つい引き落としなどの技をかけるとその力を利用されてすぐに土俵を割ってしまうことがある。アフリカの草原でも、ライオンに追われた動物が逃げれば逃げるほど追い掛け回される。ある時、ライオンに追われた小動物が体を反転させ、歯をむいて最後の戦いを挑もうとした。勝手の違ったライオンはすぐにはとびかかることができなくなった。しばらく付近をあてどもなく動き回っていた。学校や会社のいじめなども、いじめられて恐ろしがって怯えていると、ますますいじめがエスカレートしてしまうという。自分の感情としっかり向き合う。自分の気持ちや意志を持つ。自分の気持ち意志を表明することは大切なことだと思う。
2014.02.05
コメント(0)
石原加受子さんの「もう他人にふりまわされない」という本に無言電話の話がある。無言電話を受けた人にとって電話の主が誰か分からないのは不気味なものです。相手がある程度分かっても、もし知らない誰かと思うと気持ちが悪い。かける人は相手の反応によって随分違うそうだ。たとえば、相手が・怒って対応する・平静にこたえる・やさしい言葉をかける・黙ってすぐ切る・怯えるなどによって違う。かけた人は、相手が嫌がって興奮してくればくるほど喜ぶそうだ。・相手が怒るとすごく愉快。勝ったって感じ。また怒らせたくなってまた無言電話をする。・「無言電話は止めてください」といわれると、もっとかけてやろうと思う。・「どなたですか」は、言い方による。相手が少しでも私を訝っているような気配があると、脈があるなと思う。・「もう君とは終わったんだ」といわれると、相手に何の影響も与えていない。気にもかけていないんだと思うとむなしくなる。相手が自分中心に淡々と答えると、かける側も案外激しい感情は湧いてこない。・やさしい言葉をかけられたら、堂々と会う勇気はないから、また電話をするでしょうね。・無言電話だと分かるとすぐ切られる。何度かけてもすぐ切られると、そのうちかけるのが馬鹿らしくなる。・怯えて対応する。これは最高。相手が怯えているというのは最高の報酬となる。気持ちがすっきりして愉快になる。目的達成だ。相手の攻撃に対して怒りや恐怖や怯えで対応すると、相手への攻撃をさらにエスカレートさせる。つまり無言電話を何回もかけるようになる。無言電話の話から学ぶことは何か。
2014.02.05
コメント(0)
次に栄子さんのお父さんについても考えてみました。自分の子供のころから口やかましい父だった。夕食が説教になることも多かった。子供たちが自分の思い通りにならないと、すぐに大声で怒鳴りつける、そんな父だった。お父さんは私の気持ちなんか興味ないんだと思っていた。建設会社で現場監督をしていた父は、砂や土で汚れた仕事着で帰ってきて、そのまま食事をすることが多かった。それも嫌だった。今では盆や正月には実家に帰るが、父とは今でも他人行儀な付き合いしかしていない。矢口氏は、お父さんに感謝できることと謝りたいことを、思い出して整理してみることを提案した。それができたら、形だけでいいから、電話してお父さんにそれを伝えてみてくださいといった。栄子さんは気が進まなかったが電話した。すると不思議なことに電話した向こうでお父さんが泣き出したそうだ。もちろんうれし泣きである。秋山さんは人間関係に悩んでいます。子供だけではなく、夫婦、親子の関係に共通しているのは、いつも相手を批判的にみて、言動として表面化しているということです。「かくあるべし」でいつも相手を責めたり、否定している人は、たとえ相手が好意的であってもそれを好意的には受け取ることができなくなってしまいます。そういう癖がついている人は自分のことをいつも被害者として認識しています。相手が信じられなくなり、悪循環が繰り返されるのです。人を信じられると強く実感していれば、「信じられる」人の言動になじんでいるため、信じられる人に関心を抱き、信じられる人と付き合い、信じられる関係を築きます。人を信じられないと強く実感していれば、信じられない人の言動になじんでいるために、信じられない人に関心を抱き、信じられない人と付き合い、信じられない関係を築きます。これは無意識の実感、無意識の信念といいます。得られない、他人は自分を評価してくれないと思うとその通りになる。無意識にそう思っていると結果はその通りになるのです。他人中心から自分中心の生き方に変えることで解決できると思います。
2014.02.04
コメント(3)
「鏡の法則」という本がある。55万部を売り上げたと聞いている。今年41歳になる秋山栄子さんの悩みとその解決について書かれた本だ。秋山さんは、小学校5年生の一人息子、優太が学校でいじめられていることに悩んでいた。野球のチームでは仲間外れにされていた。それを夫の先輩である矢口さんに相談した。矢口さんは心理学の勉強をした人だった。矢口さんはこう切り出した。あなたの子供さんがいじめられています。考えられる原因は、あなたが大切にする必要のある人を責めてしまっているということです。そういう人間関係で生活していると、いじめられたりいじめたりすることがいつも身の回りに起こるようになるのです。感謝する必要のある人、それも身近な人を、あなた自身責めてはいませんか。ご主人はどうですか。尊敬していますか。秋山さんは考えてみました。トラックの運転手をして家族を養ってはくれている。それには感謝はしている。でも自分は4年制大学を出ているが、夫は高卒である。教養がなく、思慮も浅い、本も週刊誌ぐらいしか読まない。優太には夫のようになってもらいたくない。優太がいじめられていることは、夫にグチっぽく話します。ただ主人のアドバイスは受け入れられないので、ちゃんと話したことはありません。
2014.02.04
コメント(0)
キューリー夫人の生き方は、「生の欲望」の発揮という面では大変参考になる。1867年生まれ1934年67歳で死去されている。森田正馬先生は1874年生まれで、1938年64歳で死去されているからほぼ同時代を生きた人であった。ポーランドで生まれている。頭脳明晰であったが、8歳の時母がなくなっている。兄が一人、姉3人の5人兄弟の末娘として生まれた。勉強をしたかったが家計が苦しく、姉の勉学の支援のため住み込みの家庭教師などをしていた。15歳の時にパリに出て本格的に勉強を始めた。27歳の時ピエール・キューリーと結婚。1902年苦労の末、夫とともにラジウム塩の単離に成功。ノーベル賞を授与されている。その研究室はジャガイモ小屋と家畜小屋を足して2で割ったようなところだったという。経済的には相当困窮していた。生活費を稼ぐため、研究だけに没頭してはいられなかった。それなのに、ラジウム発見は医療にも役立つものであったため、特許をとるとか、権利を確保すれば億万長者になれるはずであったが、それをあっさりと拒否している。何も特許を取らず、研究の成果、調整方法は余すところなく公開した。キューリー夫人のすごいこところはこれだけにとどまらない。1914年第一次世界大戦が勃発。負傷兵がたくさん出た。銃弾や破片などが人体に食い込んでいる場合、それまでは手探りの手術が行われていた。彼女は放射能については詳しかったが、エックス線の専門家ではなかった。にもかかわらず、彼女は自動車にエックス線投射設備と発電機を搭載して、自ら運転免許を取得して戦場を駆け回っている。彼女が設置したレントゲン設備は、病院や大学など200か所。また公的、私的の車を手配し、改造して20台の移動レントゲン車を作ったという。また、自分の貯蓄の相当額を戦債購入に充て、さらにノーベル賞を含む数多いメダルを寄付しようとしていたという。自らは、多年にわたる放射能研究のため白血病で亡くなっている。詳しくはピアニストの娘であるエーヴ・キューリーさんが、「キューリー夫人伝」で詳しく紹介されている。興味のある方は読んで見られるとよいと思う。
2014.02.03
コメント(0)
森田理論は行動療法だという人がいます。症状は横に置いて、苦しくてもなすべきことをなしてゆけば症状はなくなっていくという考え方です。これは生活の発見会が発足後30年ぐらいこのことばかり言っていました。でもこれだけで、症状を克服することは困難です。2014年2月号の体験記でそのことに触れられています。「単に行動面だけで恐怖突入していると、その都度勝つか負けるか、できるかできないかの突撃の繰り返しになってしまう。身も心もボロボロになっていった。そして自分の努力が足りないからと自分にムチ打ち、できないのは、自分に原因があると劣等感にさいなまれた。」私は森田理論の行動・実践というのは大切だと思います。神経症で苦しんでいるときは意識が症状ばかりに向いています。その悩みを横に置いて、生活に目を向けて、雑事に手を出す。規則正しい生活を心がける。これができるだけで、どん底から抜け出すことができます。でも残念ながら、それ以上には進むことはできません。息苦しい生活、重苦しい人間関係は改善することはできません。行動・実践という土台をかためたうえで、次のステップに進むことが重要です。ここでは2つのことが重点課題になります。まず認識の誤りを自覚して、修正していく。認識の誤りは、認知行動療法でも指摘しているように10項目ぐらいあります。これらについて学習する必要があります。森田理論学習で特に大きな問題になるのは、「かくあるべし」という思考パターンです。「かくあるべし」を少なくしてゆくためには、どうしても事実をよく見て、事実を受け入れていく態度を身につけることです。一口で言ってしまえば簡単ですが、とても大きな壁となって立ちふさがっています。これは集団で取り組まないと自分のものにすることはできません。生活の発見会の集談会に参加するというのはその一つの手段です。もう一つの重点課題は、他人本位の思考、行動を、自分本位の思考・行動に切り替えるということです。特に対人恐怖の人は、自分の感情、気持ち、意志、欲求を抑圧、否定して他人に合わせる傾向があります。これが自分の生き方を不自由にしていることに気づくことが大切です。これを改めて、いつも自分の感情、意向から出発する。そういう学習を深めて、そうした態度を養成していくことが大切です。こうした取り組みを続けると、自分を大切にする、自分の感情を大切に扱う、事実を事実として過不足なく見られるようになると思います。その先に、もやもやしていた雲が一挙になくなり、燦々と太陽が降り注ぐ世界が開けてくるものと思います。
2014.02.02
コメント(0)
2014年2月号に「発見会がだんだん遠ざかっていく」という記事があった。この方は32年も森田理論学習してきた人だ。本当の意味で森田理論を理解、習得したという実感はない。集談会も昔の盛況はどこへやら、5人も集まればよしという状態だ。今や集談会に行くのが苦痛なのだ。たびたび欠席しているという。機関誌も廃刊になった。その方は森田とはどのような生き方をしていくことなのか、どのように学んでいけばよいのかよく分からない。明確な学習方法が、発見会では示されていないように思う。これは発見会の会員の本音かもしれない。私は思う。たかが森田理論。されど森田理論。森田理論には神経質性格を持ち合わせて、不器用にしか生きられない人の宝の山が隠されている。それはありきたりの学習では掘り当てることはできない。では普通の人は掘り当てることはできないのか。そうともいいきれない。ほとんどの人が学習しているもう少し下に宝の山が豊富に眠っているのである。もう少し掘り進めれば確実に手にすることができる。そのためには、まず宝の山を手にしている人とお近づきになることである。生活が森田的に精練されている人、森田理論を本当に深めている人に学ぶことである。そういう人が発見会におられる。そういう人を見つける作業がとても重要だ。つぎに森田理論学習は早晩大きく形を変えるとみている。つまり、各地集談会というよりも、ネットを使った広域学習会のような形をとるものが出てくる。残った数少ない集談会は20名以上で安定するだろう。そこを拠点にして年に何回かは顔を突き合わせて学習をする。普段はスカイプ(?)などを利用した自宅学習もできるようになることだろう。世界中の人と学習するようなことになるかもしれない。森田理論には普遍性があるので、消滅することはない。現在はその過渡期だろうと思う。森田理論は、体系だった理論となっていないというのはその通りだ。今は森田理論のキーワードが独り歩きしているバラバラの状態だ。それが森田理論学習に自信が持てない大きな原因だと思う。体系化した人たちがその考えを持ち寄り、さらに確固たる理論体系にまとめ上げて提示すべき時だと思う。その作業が遅々として進まないのが問題だ。
2014.02.01
コメント(0)
山田洋二監督の「小さいおうち」をみた。戦時中、山形から東京へ女中として住み込んだ人の話であった。ちょっと涙が出る場面があった。山田洋二作品は、「幸福の黄色いハンカチ」「たそがれ清兵衛」「武士の一分」「母べい」「おとうと」「東京家族」「男はつらいよ」などを見てきた。共通するのは、生きるのに不器用な人、時代の波に翻弄されて不本意な生活を余儀なくされる人、自分の思いが遂げられない人、家族の人間関係がぎくしゃくしている人が出てくる。山田監督は何を訴えたいのだろうか。私は次のように感じる。人間だれしも問題や課題を抱えている。生まれた時から過酷な運命を背負っている人もいる。時代のうねりの中で問題や課題を抱える人もいる。それらは自分一人の力ではどうしようもない、理不尽な重荷を背負わされる人も多い。このどうにもならない時代や運命に翻弄されるのが人間の宿命なのではなかろうか。その中でのたうち回り、なんとか生を紡いでゆく。逆に言うと、食うのにも困らない、経済的にも裕福だ。良い仕事についている。自然災害にも遭わない、戦争や争い事にも無縁だ。家族も多く仲が良い。そんな人が果たして何人いることか。仮にそんな人がいたとしても、幸せな人生であるとはいえない。問題や課題を抱え、頑張ったからと言って状況が好転することは少ない。断ち切れない思いをたくさん抱えて、やむなく一生を終えてしまうことが多い。それが生きるということですよ。でも簡単に人生を投げてしまってはいけない。寿命が来るまではのろくてもいいから一歩、また一歩と前を向いて歩まなければいけない。人間の幸せということを考えた時、課題や問題を抱えて、立ち向かうそのプロセスの中にこそ幸せはある。私はそんなことを教えてくれていると思う。森田先生が教えてくれた、努力する中に幸せはある。いい言葉だ。
2014.02.01
コメント(0)
全44件 (44件中 1-44件目)
1