原爆投下の責任は、天皇ヒロヒトだったことを忘れるな!! 敗戦の決断が遅れて・・・原爆、ソ連参戦を招いたことだ。 ヒロヒト(裕仁)の戦争責任は、限りなく大きいのだ・・・!!!! 2021-8-7 (はんぺん)
8/6
の深夜、NHKの報道番組(原爆投下)について、見入った。
原爆投下の評価が、日米では、大きく異なっている・・・ということは、昔から知られている。
日本では、戦争の勝敗が決定的であった時点での非人道的兵器=原爆投下は、許されない・・・という(被害者意識一辺倒)のモノであったし、アメリカ側は、なかなか敗北を認めようとしない、天皇制政府に、早期終結を迫るためにも必要だった・・・というモノだった。
日本の全権を実質的には、陸海軍が掌握していた(天皇制日本)では、敗北を認める早期終戦は、見向きもされなかったし、陸軍指導者たちは、 1 億総玉砕を主張していた。
一部の講和派は、中立条約を締結していたソ連(スターリン)を仲介とした(講和)に期待していたが、これも間抜けな認識で、当時のソ連指導者たちは、中立条約という国際ルールなど意に介せず、ヤルタ会談以後、日本侵略の準備に邁進していた・・・
戦後の原水爆禁止運動は、( 2 度と繰り返しません)(ノーモア・ヒロシマ、ノーモア長崎)で、進められ、若い頃の僕は、なんの違和感も無かった。
しかし、ようく考えてみたら・・・・あの時、広島に、長崎に原爆が投下されなかったら、当時の日本は、 1 億総決起の総力戦に突入せざるをえない状況であったことが、当時の指導者たちによる戦後の発言で、明らかにされている。
(1億
総玉砕)の結果は、考えるだけでも恐ろしい。多くの国土、社会、文化の破壊を伴うことだろう。そういう認識は、誰でも容易に考えられることだったが、戦後の平和運動、原水禁運動では・・・見て見ぬふりをされてしまったのだ。
戦争終結を早めるためにも原爆投下は必要だった、やむを得なかった ・・・というのは、間違っていない。一方的な中立条約破棄による、ソ連軍の満州・千島に対する軍事行動を併せて、日本の絶対主義的天皇制に鉄槌を下せることになったが、終戦の決断は、この(原爆)と(ソ連参戦)が、決定的な(後押し)をすることになったのだ・・・
被爆の惨状、多くの広島・長崎の人々の(むごたらしい惨禍)を報道で接するたびに、人類の(過ち)に、心が痛むが、 その現実をもたらしたヒロヒト(天皇)については、戦後運動の中では、スルーされてきたのだ。
こんな(偽善)が、許されてはならない・・・と考える。
よく宣伝されるのが、(天皇は平和主義者だった。東條英機(陸軍)に利用された)というモノだったが、何をバカなことを言うか!!!
1941 年の開戦の詔勅を発したのは、ヒロヒト(裕仁)だった。多くの国民の死の原因を作ったのは、ヒロヒトだった。 この男の手は、血にまみれていたのだ。
そんなウソに洗脳された戦後の日本人からは、天皇の戦争責任を徹底的に追及する声が上がらなかったのだ。
かくて、戦後日本の天皇制は、戦前とは(形を変えて)、我々の前に登場している。週刊誌を飾る皇室報道には、(親しまれる皇室)が、大々的に宣伝されて、 洗脳が、続いている。
彼らなりの(国体)が、維持強化されている・・・というのが、今の日本ではないだろうか?
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
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