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河野洋平・元衆議院議員の妄言。拉致被害家族は「あなたはどこの国の政治家ですか」
2020.06.26
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百田尚樹氏の「土井たか子は売国奴だった」という発言は、言いすぎだと僕は思う。 個々の政治家には、多様な功罪があり、ひとことで評価するのは、容易ではない。 日本社会党や土井たか子氏の功罪も、また同じで、戦後の日本の政治に大きな関わりを持った組織や個人の評価は、いろいろと議論がある。 それを承知で、僕は、自身のこのブログの中で、土井たか子や福島瑞穂、辻元清美のダブルスタンダードを、僕なりに非難してきた。 リベラル政治家として、恥ずかしい言動が、僕には(許されない)言動に映ったのである。 拉致問題に関しての土井たか子氏の言動は、信じられないぐらい(犯罪的)だった。 それは、歴史的な事実として、今さら消すことができないので、間違いない。そして、その背景には、彼女の(社会主義幻想)がある。 「社会主義国が、拉致するはずがない」と言うのは、あまりにも(幻想)に取りつかれた結果だが、当時の情報不足の日本では、 多くのリベラルたちは、多かれ少なかれ、(鉄のカーテンで守られた、隠蔽の多い『社会主義』)に、(洗脳)されていた。(もちろん、僕も同じ) 昔、土井たか子氏の日本社会党に、僕は相当長期間、末端党員として活動した事実があり、あの(山は動いた)マドンナブームの 参院選挙(1989年)では、リベラル躍進の一端を担ったという誇りすらあるのだ。 しかし、問題の多すぎる社会党には、多くの疑問も併せ持っていたのが現実で・・・社民党解体(1996年)を機に、戦線離脱したが・・・ 人生総括にあたっては自己批判の日々でもある。 以上を踏まえたうえで・・・この百田尚樹氏の非難は・・・(僕的には悔しいが)相当、的を射ている・・・と言わざるをえない・・・ 「過ちて改めざる、これを過ちと言う」・・・・・・ 土井たか子や福島瑞穂、辻元清美たちリベラルの面々の真摯な自己批判が聞けない限り、彼らの再生は無い、再出発は無い・・・と言い続けてきた。 「人権」「自由」「民主主義」を叫ぶリベラルにあっては、「真摯な反省」「誠実な対応」こそが、再生への第一歩だと、今も確信している。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 拉致問題で百田尚樹氏が「売国奴」と非難した政治家の名 2020-6-16
2020.06.25
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拉致関係・資料 今の北朝鮮に沈黙するリベラル層への憤り (当時、朝鮮総連に所属していた在日二世の呉文子(オ・ムンジャ)氏の 2019年1月に在日本大韓民国民団で行われた講演より)。 ・・・・最後にもっとも言いたいことがあります。かつて韓国が軍事政権だった時代、日本の左派や進歩的文化人が「韓国の民主化運動のために韓国民衆と連帯を組もう」と論陣を張り、世論を喚起していました。 しかし、その方々は北朝鮮の人権問題や暗部については「北朝鮮を貶めることだ」として関与しない姿勢を取っています。 脱北者の問題もしかりです。今こそ、北朝鮮の過酷な人権弾圧について、左右の対立を超えて民主化への連帯を深めていくべきです。今も、北朝鮮に帰国した友人・知人たちが厳しい監視と、激しい差別の下で呻吟している姿が浮かびます。 私は行ったことはないのですが、友人・知人が親族訪問で北朝鮮へ行っています。その話を聞くたびに、ひどい国だと思います。 なぜ、人権無視の国に対して左派や進歩的文化人が沈黙しているのか。 せめて、当時の南の民主化運動の盛り上がりと同様の運動が日本で起きてもいいのではないでしょうか。 これは、拉致問題にもつながる問題です。どんな理由があっても、拉致はあってはならないことです。その拉致問題に対しても左派や進歩的文化人が沈黙しているのは、ダブルスタンダードにほかなりません。 リベラルの真実が試されている・・・本物のリベラルか? 偽物のリベラルか? あなたたちの言う「人権」とは、いったい何なのか? が、厳しく問われているのだ・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 遺骨は横田めぐみさんと別人と政府発表 北朝鮮に抗議【北朝鮮拉致事件】 2004-12-8
2020.06.24
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拉致問題を否定したり(土井たか子)、見て見ぬふりをする(新社会党や社民党)人たちに、(非難のための非難)をする資格は無い・・・と、僕も激しく同意する。 拉致について、何の(実績)も無いから・・・と言うだけではない。社会党は、北朝鮮の労働党と友党であり、何度も(親交)を重ねてきた(実績)がある。 それだけに、彼らの罪は、極めて重い。社会党や社民党が、真摯な自己批判をした・・・という記憶が無いが、どうしたことだろう。 僕自身、その中にいたから、よくわかる。(社会主義幻想)に洗脳されていた、濁った眼では、真実と向き合うことはできなかったのだ・・・・ 小泉訪朝と日朝首脳会談で、独裁者(金ジョンイル)が、拉致を認めた時点で、この(社会主義幻想)から、目覚めるべきだった・・・ ところが、驚いたことに、その流れをくむ新社会党などは、北朝鮮のスパイ機関(朝鮮総連)を、いまだに民主勢力の一員として、党大会に招き、(挨拶)させている。拉致や強制収容所、公開処刑などの人権事犯には、見て見ぬふりを決め込んでいる。 なんという時代錯誤・・・・(洗脳)恐るべし・・・・だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――「何もやってない人が政権を批判するのは卑怯だ」。43年間拉致問題を放置した政治家とメディアに対する横田哲也さんの怒り
2020.06.22
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これは、2015年に、僕のブログにアップしたモノです。 再記するのは・・・当時から、リベラルの考え方が、どういうものであったかと言う理解に資すると思うからだ。 社会新報(社会党機関誌)、週刊新社会(新社会党機関誌)、赤旗(共産党機関紙)などでは、重要な人権問題である、「北朝鮮による拉致」は、ほとんど報道されてこなかった・・・・これは、リベラル陣営における致命的、決定的ともいえる(過ち)だった。 「過ちて改めざる、これを過ちと言う」・・・・ため息が出る・・・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――――――――あまりにも、お粗末!としか言いようがない。「拉致」か「憲法」かという二択の問題なのだろうか?どちらも大切だというのが、普通の考えだ・・・・社民党は、もともと、昔から北朝鮮よりの「活動」をしてきたので、今後は、拉致問題には、「反省=自己批判」のうえ、もっと真剣に取り組んでもらいたいと思っている。社会新報にも、拉致問題をどのように取り上げているのだろうか???福島さんの態度も、(大人げない)としか言いようがない。国会議員(国民の代表)なら、都合の悪いことも、しっかり受けて立つことが潔い態度だと思う。(都合の悪いことは、見て見ぬ振り)では、いつまで経っても、党の改革は望めないし、国民の信頼を得ることは、難しい・・・と思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2020.06.18
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2015年9月5日に、このブログでアップしたものを再記する。 許されない国家犯罪=拉致が、1970年代から、繰り返され、見逃され続けて、もう50年にもなる。何という長い年月が、過ぎ去ったことか!! 北朝鮮という、独裁国家による悪行は、我々の想像を、はるかに超えている。 この全体主義に、見て見ぬふりをする卑劣漢が、リベラルの一部にいて、未だに(人権)を叫んでいる・・・この(ありえない)現実には、思わず笑ってしまう。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 拉致された13歳の少女・横田めぐみさん。 北朝鮮による日本人拉致問題 もう38年にもなるんですね・・・・自分自身の問題として、サヨクは考えてほしいものです。 「赤旗」(共産党機関紙)にも「週刊新社会」(新社会党機関紙)にも、めぐみさんや蓮池さん、 曽我ひとみさんたちの名前が出ることは、ほとんどありませんでした。 人権を叫ぶ、この人たちの欺瞞的な活動を国民は、しっかりと見ていると ぼくは、思いますが・・・ 皆さんは、どう思われますか? (はんぺん) ------------------------------------------------------------------ 今から30年以上前の昭和52年(1977年)11月15日-----日本海に面した新潟の町から一人の少女が忽然と姿を消しました。 その日の朝、横田めぐみさんは、いつものように、お父さん、お母さん、双子の弟とにぎやかに朝ご飯を食べ、中学校へ出かけていきました。 そして、これが家族にとってめぐみさんを見た最後になってしまったのです。 めぐみさんが帰ってこない!!. その日の夕方、クラブ活動のバトミントンの練習を終えて帰ってくるはずのめぐみさんは、いつもの時間になっても帰ってきませんでした。 家族は、心配になって、必死でめぐみさんを探しました。警察も、誘拐や事故、家出、自殺などあらゆることを想定して捜査を進めました。 けれど、目撃者も遺留品さえも見つかりませんでした。 その夜、めぐみさんは-----. ずっと後になって出てきた証言によると、お父さんとお母さんが必死でめぐみさんを探していたとき、めぐみさんは北朝鮮の工作員に連れ去られ、40時間もの間、北朝鮮に向かう船の中の真っ暗で寒い船倉に閉じこめられていたというのです。 めぐみさんは、「お母さん、お母さん」と泣き叫び、出入口や壁などあちこち引っかいたので、北朝鮮に着いたときには、手の爪がはがれそうになって血だらけだったと言われています。 明るくて元気なめぐみさん. めぐみさんは、明るく朗らかな少女でした。家族にとって、まるで太陽のような存在でした。歌うのも、絵を描くのも大好きで、習字やクラシックバレエも習っていました。 めぐみさんがいなくなる前日の11月14日はお父さんの誕生日。めぐみさんは、お父さんにくしをプレゼントしました。「これからはおしゃれに気をつけてね」という言葉とともに。 家族の悲しみの日々. めぐみさんがいなくなった日から、家族の生活は一変しました。にぎやかだった食卓は火が消えたようになりました。 お父さんは毎朝少し早めに家を出て海岸を見て回りました。お母さんも、家事を終えると町のあちこちを歩き回り、めぐみさんの名前を呼びながら海岸を何キロも歩きました。 夜になると、お父さんはお風呂で泣きました。お母さんも、家族に分からないように一人で泣きました。どうしてこんな悲しい目にあうのだろう、もう死んでしまいたい、とも考えました。 そんな悲しみと苦しみの中、手がかりもないまま時は流れました。---それから20年後、平成9年(1997年)1月21日----- めぐみさんが生きている!. めぐみさんが平壌で生きているという情報が入ったのです。お父さんの滋さんとお母さんの早紀江さんは「横田めぐみ」の実名を公表しました。 新聞や雑誌が一斉に報道し、国会でも取り上げられました。 日朝首脳会談. 平成14年(2002年)9月17日、小泉総理大臣(当時)は北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長と初の首脳会談を行いました。滋さんも早紀江さんも、これでやっとめぐみさんに会えるという大きな期待を抱きました。 この日、金正日国防委員長は拉致を認め、謝罪したのです。しかし、北朝鮮からの情報は「横田めぐみ死亡」(5人生存、8人死亡、2人未入境)というショッキングなものでした。 納得のいかない北朝鮮の説明. けれど、これは北朝鮮が一方的に言ってきたことに過ぎません。北朝鮮からは、納得のいく説明や証拠がいまだに示されていないのです。 平成16年(2004年)11月、北朝鮮は、めぐみさんの「遺骨」を提出しましたが、鑑定の結果、その一部からはめぐみさんのものと違うDNAが検出されました。 決してあきらめない! あなたをとりもどすまで!. めぐみさんをはじめ、拉致被害者は、かけがえのない人生を奪われました。その家族も、激しい悲しみの中で今も大切な人の帰りを待っています。 拉致は重大な人権侵害であり、国家主権の侵害です。一刻も早く、拉致被害者を救い出さなければなりません。 早紀江さんはこんなふうに話します。 「帰ってきたら、大自然の中につれていってあげたい。北朝鮮では盗聴器や隠しカメラを恐れながら、間違いをしないように一生懸命頑張って暮らしていると思うので、北海道の牧場のようなところで、大の字に寝っころがって、「自由だよー!」って言わせてあげたいと思っているんです。」 あれから、38年たった今も、めぐみさんは北朝鮮に拉致されたままなのです。
2020.06.13
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「人権」「人権」と叫ぶ人たちが、目の前の人権事犯をスルーする。そんなことが、繰り返されてきた・・・(不都合な真実)に向き合う努力は、ネグレクトされてしまったのだ・・・・ 「北朝鮮が、拉致するはずがない」(土井たか子)発言は、(社会主義幻想)そのものだろう。社会主義は、理想社会だから、人権事犯などは、あり得ない・・・というわけだ。 何の裏付けも無く、予断と思い込みで、バッサリと切り捨てる・・・ことの恐ろしさ!!!! あの故美濃部東京都知事は、「社会主義の勝利は明らかである」「私は社会主義者だ」と言い切っていた。 人生総括を進めていく中で、過去を振り返り、自分たちの妄想に、何度も行き当たり、天を仰ぐばかりだ・・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――めぐみさん弟の横田拓也さん・哲也さん会見に反響。 主要紙が取り上げなかった発言とは... 2020-6-10
2020.06.12
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北朝鮮抗議決議も棄権!「山本太郎」の慢性パフォーマンス症 2016年1月21日号 掲載 週刊新潮
2016.12.14
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あえて、繰り返す新社会党批判 2016-9-7 (はんぺん) (新社会党批判を一発)・・・・ということで、8/30ごろ、皆さんにメールを送信した。しかし、どうも、ぼくは、まだ、すっきりしない。 その時、こう書いた・・・・ ・・・・「この『新社会党大阪NO,127』の8ページに、M氏の筆になる「拉致問題と日朝関係」があった。拉致被害者で、2002年の小泉訪朝で帰国した蓮池薫氏の兄で、家族会で頑張ってきた蓮池透さんの講演会の様子を報告している。これを読んで思わず笑ってしまった。 というのは、この北朝鮮による拉致問題がクローズアップされてから、もう何十年にもなるが、彼らの機関紙「週刊新社会」では、 拉致問題を正面から取り上げた記事が無く、さらに2002年に日本に帰国した5人(地村保志・富貴恵夫妻、蓮池薫・祐木子夫妻、 曽我ひとみ)の名前が掲載されたことが無いのは、どうしてか?と ぼくは、このMさんに何度も質問したことがあるからだ。 拉致問題に触れずに、見て見ぬ振りをしてきた彼らが、今回、「安倍批判」を始めた蓮池透氏を 都合よく紹介するなど、ご都合主義もいいところだ! 」・・・・と。 もう一度、この「新社会大阪NO,127」を読んでみた。 ぼくは、納得がいかない・・・・・ 蓮池透氏が市民講座で講演したタイトルが「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」とある。 そして、安倍首相が当時、「初めから、5人を北朝鮮に返さないと主張した」のではなくて、「最初は、5人は返さざるを得ない」と主張していたという蓮池氏の著書を取り上げている。 「5人を北に返す」という冷血な判断を安倍首相が、最初はしていた・・・というわけだ。安倍の最初の判断が、「返す」か「返さない」か?は、水掛け論になると思われるし、僕には、あまり関心がない。 僕が言いたいのは、その冷血な判断(=5人を返す)を、事もあろうに、主催者の一員である新社会党員(Miさん)が、主張していたということだ。 この記事を書いたMiさんに、僕が以前、(5人を北朝鮮に返さなかったことは正解だった)と主張する僕に対して、(いや、約束事だから、いったん返すべきだった)と強く主張したのは、このMさんだったのだ。 ということは、このMさんも、新社会党も、安倍首相と全く同じ「冷血な面々」ということになる。 違うだろうか? 論理的に考えて、それが正当ではないか? 安倍首相を「冷血な面々」というなら、自分たちも、同じく「冷血」だったということになるが・・・・どういう言い訳をするのだろうか? ぼくが、彼らを、ご都合主義だというのは、そういう事実を隠して、安倍批判に転じた蓮池氏講演を利用しようとする彼らの汚い根性だ。 (天にツバする)類なのだ。 安倍を批判するつもりで、実は、自分自身を批判していることになるというのが、わからないはずがないのだ。 それを承知で、批判しようとするMiさんの良心が、僕には、わからない。この文書を書いたのは、長年、学習会で、共に学び合った新社会党員のMiさん自身なのだ!!! 誠実そうな彼の裏の顔を見てしまった思いで、(組織決定?=結論ありき)に、安易に妥協して、真実をねじ曲げる姑息さに身震いした。 僕が、間違っているというなら、是非、Miさんからの釈明を聞きたいと思うが、多分、それは、無いだろう。(以前、機関紙の誤謬(北朝鮮は楽園だという)を指摘したことがあるが、中央本部に聞いてみると言いながら、まったく返答は無かった) そもそも、国際ルールを何度も踏みにじってきた北朝鮮を相手に(約束事)もなにも無いわけで、5人を北朝鮮にかえすなど、僕には考えられなかったが、かれら新社会党の人たちは、恥ずかしげもなく、「約束事だから、北朝鮮に返すべきだ」と強く主張していたのだ。 「冷血な面々」とは、まさに、北朝鮮に媚びを売り続けてきた彼らのことでは無いだろうか? Miさんに良心というものが、わずかに残っているのであれば、こんな「汚い報告」を書くのでなく、自分たちの「冷血さ」を自己批判するべきだと強く指摘したい。 新社会党は、僕が、長年指摘しているように、北朝鮮を正面から批判したことが無い・・・というか、都合の悪い事柄については、見て見ぬ振りで、やり過ごしてきた。核・ミサイル、強制収容所や公開処刑などの人権弾圧、拉致問題、あるまじき世襲独裁政治など、ことごとく、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で今日に至っている。 北朝鮮や朝鮮総連の別動隊の様相さえあると思うぐらい、その存在は突出している。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2016.09.07
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この件については、ぼくも強烈な思い出がある。新社会党の友人との会話だ。「一時帰国の5人を北朝鮮に返すべきではない」と主張した僕に、この友人は、何と言ったか? 「いや、当初の約束どおり、いったん北に返すべきだ、これだけ公になったのだから、北も、このまま拉致を続けることは出来ないハズだ」と。 くしくも、自民党右派の安倍晋三・中山恭子と全く同じことを言っていた。もし、北の思惑どおり、事が運んでいたら、どうなっていただろうか? 皆さんなら、どう想像されるだろうか?? ぼくは、この蓮池氏と同じことを想像するしかない。すなわち・・・・ 〈(安倍晋三氏は)地村さんたちには、最初、「とにかく一度北朝鮮に戻って、子供を連れて帰国するべきだ」という話をしたそうです。しかし、地村さんたちは、この申し入れを断固拒否したそうです。「一度、戻ったら、二度と帰国はできない」ということだったそうです。「私(安倍)他、政府の人間がたくさん同行すれば、変なことにはならないでしょう」と言うと、「みんなで一緒に行っても、突然銃をもった者が部屋に入って来て、我々を引き離そうとしたら、どうしますか? 安倍さんたちは、その場で何ができますか? 自衛隊も一緒に行ってくれるなら話は別ですが、」と言われ、結局、彼らの言うとおりにしたそうです。〉 北朝鮮のこれまでのやり方をみれば、この国が普通の対応をしてくるとは、どうしても考えにくい。いったん帰国させてしまえば、再出国が不可能だという理由は、いくらでも作れるだろう。それが、全体主義国、一党独裁の共産国なのだ。 この当時から、新社会党は、社会主義にまだ、一抹の幻想を持っていたということだ。(今でも持ち続けているが!) 日朝友好議員連盟の土井たか子氏は、何の検証も無く「拉致は、あり得ない」と陳情にきた有本さんの両親の手紙を朝鮮総連に渡したという。彼女の政治活動の中では、小選挙区制の導入に(意に反して)加担してしまった事とともに、この拉致問題への対応は、最大の失敗だったと僕は思う。 彼女は、2014年の死去に至るまで、相当、苦悩したに違いないと僕は、思いたい。 皆さんなら、どう感じられるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――「安倍さんは拉致被害者に北朝鮮に戻れと言った」身内の自民党ヤジ議員がポロリ! 安倍は「議員バッジかける」と否定 2016-4-5 伊勢崎馨 LITERA(リテラ) 「私が申し上げていることが真実であることはバッジをかけて申し挙げます。私の言っていることが違っていたら、私は辞めますよ。国会議員を辞めますよ」 今年1月12日の衆院予算委員会で、日本の内閣総理大臣である安倍晋三氏がこう断言したのをご記憶だろうか。 これは「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)元副代表の蓮池透氏の著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)への反論だった。 蓮池氏は同書で、安倍首相が実際は拉致被害者たちを北朝鮮に帰そうとしていたにもかかわらず、自分が止めたかのような嘘をついたと書いていた。この記述を、民主党(当時)の緒方林太郎議員が国会質問で持ち出すと、安倍首相はいつものごとく逆ギレして、「拉致問題を利用したことも、ウソをついたこともない」としたうえ、冒頭のような大見得を切ったのだ。 しかし、やはり安倍首相はウソつきだった。その証拠がなんと“身内”からも飛び出してしまった。 その“身内”とは、自民党所属の札幌市議・勝木勇人氏。そう、3月29日の札幌市議会本会議で安保関連法廃止を訴えた共産党の小形香織市議に対して、「精神鑑定を受けた方がいいんじゃないのか」という下劣で差別的なヤジをとばしたことが問題になっている議員だ。 このヤジは全国的な批判を浴び、ワイドショーでも取り上げられる事態とななった。4月4日に勝木市議は謝罪するに至ったが、自民党は勝木市議の処分も検討していると伝えられる。そんな品位の欠片もない勝木市議だが、実は今から13年ほど前の2003年1月30日、自身のブログに「安倍晋三官房副長官の話」という見出しでこんなことを書き込んでいた。〈(安倍晋三氏は)地村さんたちには、最初、「とにかく一度北朝鮮に戻って、子供を連れて帰国するべきだ」という話をしたそうです。しかし、地村さんたちは、この申し入れを断固拒否したそうです。「一度、戻ったら、二度と帰国はできない」ということだったそうです。「私(安倍)他、政府の人間がたくさん同行すれば、変なことにはならないでしょう」と言うと、「みんなで一緒に行っても、突然銃をもった者が部屋に入って来て、我々を引き離そうとしたら、どうしますか? 安倍さんたちは、その場で何ができますか? 自衛隊も一緒に行ってくれるなら話は別ですが、」と言われ、結局、彼らの言うとおりにしたそうです。〉 これは同年の1月14日に札幌で行われた「安倍晋三先生を囲む会」に出席した勝木市議が、この席で安倍氏自身が発言した内容として紹介しているものだ。つまり、当時、安倍氏は地村保志氏ら拉致被害者に対して「とにかく一度北朝鮮に戻れ」と言ったことを自ら認めて吹聴していたことになる。そして地村さんら拉致被害者がそれを拒否、結果日本に残ることになったことも。 この勝木市議のブログの内容と、蓮池透氏が著書で書いた“事実”は見事に一致している。 あらためて繰り返しておくが、蓮池氏は著書のなかで、「安倍氏が北朝鮮に戻るという拉致被害者たちを説得し、身体を張ってそれを止めた」というのは大ウソだと指摘し、安倍氏をこう批判している。「あえて強調したい。安倍、中山(恭子・拉致被害者家族担当内閣官房参与【当時】)両氏は、弟たちを一度たりとも止めようとしなかった。止めたのは私なのだ」 「世間では北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。(中略)安倍首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。弟を筆頭に拉致被害者たちが北朝鮮に戻ることを拒むようになったのを見て、まさにその流れに乗ったのだ。そうして自分の政治的パワーを増大させようとしたとしか思えない」 冒頭の安倍氏の「国会議員を辞めますよ」との発言の後も、蓮池氏は本サイトのインタビューで、同様の事実を指摘している「安倍さんには、あなたがいつ説得などしたのか? と訊きたくなりましたよ。本にも書きましたが、弟を説得したのは私であって、安倍さんじゃない。実際に電話のひとつもなかったんですから。当時、政府は5人のスケジュールをびっちりと埋めて作っていましたし、『一時帰国』を変更不可能なものとして進めていたのです。家族たちの間では『帰りのチャーター便はどうするのか?』と、北朝鮮に戻すことを前提に具体的な話し合いまでもたれていたのです。 また、政府はこうも言っていました。『今回は一時帰国だけど、次回は子どもも含めて全員が帰ってきますよ』と。安倍さんも一貫して、5人を北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた」 蓮池氏はまた、これまで著書に書いたり、講演などで語ってきたことはすべて自身の体験であり、それを否定した安倍首相こそ大ウソつきだと批判したが、そのことが勝木市議のブログによっても証明された形だ。 しかも、勝木市議は姑息なことに、自分のヤジ騒動をきっかけにブログのこの記述がクローズアップされた4月になって削除している。おそらく、これは自民党か官邸が命じて削除させたのではないだろうか。 しかし、後になってごまかそうとしてももう遅い。安倍首相はあれだけハッキリと国民の前で「ウソなら議員を辞める」と明言したのだ。総理大臣が国権の最高機関である国会で発した言葉は重い。安倍首相は国民との約束を守って即座に議員辞職をすべきである。(伊勢崎馨)
2016.06.12
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あまりにも、お粗末!としか言いようがない。「拉致」か「憲法」かという二択の問題なのだろうか?どちらも大切だというのが、普通の考えだ・・・・ 社民党は、もともと、昔から北朝鮮よりの「活動」をしてきたので、今後は、拉致問題には、「反省=自己批判」のうえ、もっと真剣に取り組んでもらいたいと思っている。 社会新報にも、拉致問題をどのように取り上げているのだろうか??? 福島さんの態度も、(大人げない)としか言いようがない。国会議員(国民の代表)なら、都合の悪いことも、しっかり受けて立つことが潔い態度だと思う。(都合の悪いことは、見て見ぬ振り)では、いつまで経っても、党の改革は望めないし、国民の信頼を得ることは、難しい・・・と思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ------------------------------------------------------------------ 社民系組織メンバーの「拉致より憲法」発言に家族会反発。 秋田街頭で隣で活動中、「被害者家族の思い踏みにじる」 2015-8-4 産経デジタル ------------------------------------------------------------------ 「拉致より憲法」 参院委で和田氏「家族の心踏みにじる」 秋田 2020-8-28 産経新聞
2015.09.05
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拉致された13歳の少女・横田めぐみさん。 北朝鮮による日本人拉致問題 (Abductions of Japanese Citizens by North Korea) もう38年にもなるんですね・・・・自分自身の問題として、サヨクは考えてほしいものです。 「赤旗」(共産党機関紙)にも「週刊新社会」(新社会党機関紙)にも、めぐみさんや蓮池さん、 曽我ひとみさんたちの名前が出ることは、ほとんどありませんでした。 人権を叫ぶ、この人たちの欺瞞的な活動を国民は、しっかりと見ていると ぼくは、思いますが・・・ 皆さんは、どう思われますか? (はんぺん) ------------------------------------------------------------------ 今から30年以上前の昭和52年(1977年)11月15日-----日本海に面した新潟の町から一人の少女が忽然と姿を消しました。 その日の朝、横田めぐみさんは、いつものように、お父さん、お母さん、双子の弟とにぎやかに朝ご飯を食べ、中学校へ出かけていきました。 そして、これが家族にとってめぐみさんを見た最後になってしまったのです。 めぐみさんが帰ってこない!!. その日の夕方、クラブ活動のバトミントンの練習を終えて帰ってくるはずのめぐみさんは、いつもの時間になっても帰ってきませんでした。 家族は、心配になって、必死でめぐみさんを探しました。警察も、誘拐や事故、家出、自殺などあらゆることを想定して捜査を進めました。 けれど、目撃者も遺留品さえも見つかりませんでした。 その夜、めぐみさんは-----. ずっと後になって出てきた証言によると、お父さんとお母さんが必死でめぐみさんを探していたとき、めぐみさんは北朝鮮の工作員に連れ去られ、40時間もの間、北朝鮮に向かう船の中の真っ暗で寒い船倉に閉じこめられていたというのです。 めぐみさんは、「お母さん、お母さん」と泣き叫び、出入口や壁などあちこち引っかいたので、北朝鮮に着いたときには、手の爪がはがれそうになって血だらけだったと言われています。 明るくて元気なめぐみさん. めぐみさんは、明るく朗らかな少女でした。家族にとって、まるで太陽のような存在でした。歌うのも、絵を描くのも大好きで、習字やクラシックバレエも習っていました。 めぐみさんがいなくなる前日の11月14日はお父さんの誕生日。めぐみさんは、お父さんにくしをプレゼントしました。「これからはおしゃれに気をつけてね」という言葉とともに。 家族の悲しみの日々. めぐみさんがいなくなった日から、家族の生活は一変しました。にぎやかだった食卓は火が消えたようになりました。 お父さんは毎朝少し早めに家を出て海岸を見て回りました。お母さんも、家事を終えると町のあちこちを歩き回り、めぐみさんの名前を呼びながら海岸を何キロも歩きました。 夜になると、お父さんはお風呂で泣きました。お母さんも、家族に分からないように一人で泣きました。どうしてこんな悲しい目にあうのだろう、もう死んでしまいたい、とも考えました。 そんな悲しみと苦しみの中、手がかりもないまま時は流れました。---それから20年後、平成9年(1997年)1月21日----- めぐみさんが生きている!. めぐみさんが平壌で生きているという情報が入ったのです。お父さんの滋さんとお母さんの早紀江さんは「横田めぐみ」の実名を公表しました。 新聞や雑誌が一斉に報道し、国会でも取り上げられました。 日朝首脳会談. 平成14年(2002年)9月17日、小泉総理大臣(当時)は北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長と初の首脳会談を行いました。滋さんも早紀江さんも、これでやっとめぐみさんに会えるという大きな期待を抱きました。 この日、金正日国防委員長は拉致を認め、謝罪したのです。しかし、北朝鮮からの情報は「横田めぐみ死亡」(5人生存、8人死亡、2人未入境)というショッキングなものでした。 納得のいかない北朝鮮の説明. けれど、これは北朝鮮が一方的に言ってきたことに過ぎません。北朝鮮からは、納得のいく説明や証拠がいまだに示されていないのです。 平成16年(2004年)11月、北朝鮮は、めぐみさんの「遺骨」を提出しましたが、鑑定の結果、その一部からはめぐみさんのものと違うDNAが検出されました。 決してあきらめない! あなたをとりもどすまで!. めぐみさんをはじめ、拉致被害者は、かけがえのない人生を奪われました。その家族も、激しい悲しみの中で今も大切な人の帰りを待っています。 拉致は重大な人権侵害であり、国家主権の侵害です。一刻も早く、拉致被害者を救い出さなければなりません。 早紀江さんはこんなふうに話します。 「帰ってきたら、大自然の中につれていってあげたい。北朝鮮では盗聴器や隠しカメラを恐れながら、間違いをしないように一生懸命頑張って暮らしていると思うので、北海道の牧場のようなところで、大の字に寝っころがって、「自由だよー!」って言わせてあげたいと思っているんです。」 あれから、38年たった今も、めぐみさんは北朝鮮に拉致されたままなのです。
2015.09.05
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