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この日は郡山ホテル満室で新白河駅前に宿泊し、仕事の都合でホテルに待機している
同僚を迎えに行く。
新白河駅前には松尾芭蕉の銅像があり句が記されていた。
江戸を出てから二十日あまりたち、芭蕉も旅を続ける覚悟が出来たことがうかがえる句。
『心もとなき日数(ひかず)重なるままに白河の関にかかりて旅心定まりぬ。』 と。
同僚と合流し郡山へ向かう途中、白河小峰城の文字を発見。
慌ててカーナビをSET。駐車場に車を止め徒歩にて向かう。
阿部家・結城家の資料を展示した「白河集古苑」の脇を通り城内へ。
遠く白河小峰城の三重櫓が見えた。
更に進むと、芝生で寛ぐ叔母ちゃんから現在は入城できないと。
2011年3月11日に発生した東日本大震災により、三重櫓の崩壊には至らなかったものの
数箇所の石垣・曲輪が崩壊、または積み重ねがゆるむ被害があったと。
曲輪上にあった白河バラ園や公園・石碑等も崩壊し、震災以後は本丸への立ち入り禁止
となっているのだ。
なるほど正面の石垣は完全に崩れている事が解ったのであった。
2011年秋から修復工事が行われているが、完全な復旧には5年程かかる見込みで
あると叔母ちゃんから。
白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、
5月1日、大半を焼失し落城したとのこと。
1991年(平成3年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が当時の史料に基づいて
復元されたのだ。
白河城の三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では
最初のもので、数少ない木造復元天守の一つであるとのこと。
公園内部の道路脇には復旧状況を説明するポスターが掲げられていた。
戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしており、中に入り柱をみると
弾傷が確認できるよのことであったが残念ながら。
復元された三重櫓と前御門の写真。
日本100名城のスタンプをもらうべく白河集古苑に戻る。
入り口の白砂の中に石碑等が展示されていた。
石碑は2つあり、右が「松涛山記碑」といい、「あづまや」について記されたもの。
左が「むら尾花句集」で、1687年に松尾芭蕉が詠んだ句
「ほととぎす まねくか麦の むら尾花」と記されていた。
アームストロング砲(複製)。
新政府軍が使用したイギリス製アームストロング砲。アメリカの南北戦争が終わると
幕末の日本へ売却され、戊辰戦争で使用されたもの。
白河集古苑入り口と後ろの白河小峰城石垣。
そして再び郡山の現場に戻ったのであった。
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