JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.06.11
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カテゴリ: 海外旅行
ウルグベク・メドレセ。
ウルグベクは為政者でありながらも、天文学や詩吟、音楽、神学、歴史学などに通じ、
学問の高揚に努めていた。彼は教育の重要性を悟っており、1418年にこのメドレセを建築。
現存する中央アジアで最古の神学校。メドレセの扉にはウルグベクの格言
「向学心こそ、ムスリムになくてはならぬもの」、「信仰する人には、いつでも神の祝福の扉が
開かれている」と彫られているのだと。
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美しい装飾模様。
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美しい青のタイル。
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様々な模様の皿も土産物として。
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再び見事な装飾。
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アブドゥールアジス・ハン・メドレセ(Abdul Aziz Khan Madrassah)。
言葉が出ないほどの美しい装飾。




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中庭を別の場所から。
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美しい模様のタイルの土産物。
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タイルが剥げ落ちている場所も。
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この後、バスで昼食のレストランに向かうはずであったが、この日はフェスティバルが
開催中で有り、バスの乗り込みが制限されているとのことで、20分以上徒歩にて
昼食会場に向かうことに。
​​途中、夕方に訪れる事に変更されたナディール・ディヴァンベギ・メドレセが右手に。
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そして皆汗だくだくで、20分以上歩いて漸く昼食会場のイタリアンレストランに
到着したのであった。
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レストランはベラ・イタリア(Bella Italia)
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メインのピザ。
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昼食を終わったのは、14:30前。一端ホテルに戻り部屋で休憩し、再び観光と
夕食を楽しみながらの民族舞踊ショーに出直すことに。
レストラン近くまで来てくれたバスにてホテルに向かう。
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途中、この日の朝の散歩で訪ねたスタジアムが見えた。
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そして16:30ホテル出発で観光の再開。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセに到着。
イスラム教にしてはかなり珍しい(ある意味、偶像崇拝の教義に抵抗するかのような)顔の
描かれたマドラサとして有名とのこと。 
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二羽の鳳凰が爪で白い鹿を掴んで太陽に向かって飛んでいるタイル絵。
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太陽の真ん中に顔が描かれていた。
偶像崇拝を否定するイスラームの教義に反する絵であると。
​​神は万物を作ったのに、たかだか人間の手による創作物である像を拝むなど大変な冒涜行為、
というのがその理由であるのだと。
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ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ前の公園にはフェスティバルの看板が。
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こんな絵画も。
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17世紀の大臣ナディール・ディヴァンベギによって建てられたと。
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公園内にはロバに乗った妙に陽気そうな男性の彫像が。
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フッジャ・ナスレッディンという神学者の像。
神学者としてだけではなく気骨とユーモアに溢れ権力にも屈しなかった人物として、
ブハラではなかなかの人気らしい。日本で言う一休さんの如き人物か?
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我が体型から、親しみやすかった人物像も。
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フェスティバル開催中なので救護班も待機中。
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池の横にはシルクロードを進む老人とラクダの像が。
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ラビハウズ。
ハウズとは石垣でキレイに四角く取り囲んだ『池』のこと。これが町の中心の池、ラビハウス。
この周囲にマドラサやモスク、宿がかなり集中しているのでブハラ観光の拠点。


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埋められてしまい、現存するハウズは6つだけだと。
なお、水の都というワリには水がキレイでなく不衛生で、よく疫病が流行っていたと。
このラビハウズは1620年に作られた46m×36mの大きさの池で、『力ずくのハウズ』と
呼ばれていた。
なんで『力ずくのハウズ』などと呼ばれていたかと言うと、以下のような話があるのだと。
アブドゥールアジス・ハーンの大臣のナディール・ディヴァンベギが、今場所に大きな池を
作りたいと思い、地主のユダヤ人女性に土地を売ってくれるように頼んだと。
しかし女性が断ったため、ナディール・ディヴァンベギは彼女の家の下に運河を通させた。
すると運河の水が家を流し始めてしまったので、彼女は家を泣く泣く手放さざるを
得なかったのだと。
​​ 池の横にはラクダの像が。
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ナディール ・ディヴァンベギ・ ハナカ。
ハナカとはシルクロードを渡る巡礼が宿泊した巡礼宿の事で、日本でいえば寺の宿坊。
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカが現在もイスラム巡礼の宿坊。


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青を基調としたイスラム装飾で、コーランの言葉さえもカリグラフィーとしてデザイン化した
その装飾は17世紀のイスラム芸術の色を強く残しているのだと。
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枯れてしまった桑の大木にはコウノトリが2羽、羽を休めていたが、いつまで経っても
動かなかった。
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こちらにも1羽。
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バハウッディン・ナクシュバンディ通りを歩き観光を続ける。
通りの交差点にドーム型の屋根を付けた市場の一つであるタキ・サラフォン。 
市場の中では各種土産物を売る露天が商売をしていた。
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マゴキ・アッタリ・モスク。
マゴキとは「穴の中」の意味で周囲から一段低いところにあった。
アッタリは「薬草」のこと。かつて仏教やゾロアスター教の寺院であり薬草が
売られていたらしい。9世紀頃イスラーム教のモスクとなったが、いつしか
使われなくなって砂に埋もれてしまった。
1936年にソ連の学者が発掘して整備され、現在は絨緞博物館になっているのであった。
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発掘調査が完了した場所?。
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隊商のための取り引きの為の宿泊施設・キャラバンサライ「隊商宿」、浴場等が
発掘されたと。
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タキ テルパクフルシャンと呼ばれ、両替商や帽子屋などの集まりで、問屋街に近い
雰囲気がある小さなバザール。
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バザールの天井の照明もユニーク。
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kahkikat.stを更に進む。
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香辛料を売る店。
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4つ星高級ホテルのホテル アジア・ブハラ前を通過。
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ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ前のフェスティバル会場の舞台では
女性歌手が。


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ふっくらとしていて声量豊か。
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男性歌手も。
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                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.02.20 13:55:19
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