JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.18
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カテゴリ: 海外旅行
そしてこのツアーの4日目・10月27日の朝の我が部屋からの光景。
時間は6:34過ぎ。
実はこの朝の4時00分にブルガリアのサマータイムは終了し、時間が1時間前にずれたのであった。
これまでの海外旅行で、旅の途中でサマータイムの開始、終了による時間のズレを
体験したことはなく、初めての経験で前日夜に我が時計を1時間前にづらしていたのであった。
来年のこの地のサマータイム開始は2020年3月29日(日)3時00分であると。
これにより日本との時差は6時間➡7時間になったのであった。
日本のサマータイム制度の導入は今の所ないようであるが。



そして6:30からの朝食を済ませ、部屋に戻り朝の陽光の差し込むソフィアの街並みを再び。



8時の出発に備えて早めにフロントへ行きチェックアウト。



ホテル入口部を内部から。



フロントカウンターを見る。



多くの漢字が並んでいる場所。



しばし、ホテル1FのCafe等の施設を散策。
羽ばたく人の像。



BARのワインボトルは朝から真赤にライトアップが。



浮世絵美人も。



ビュッフェ ギャラリー(BUFE GALLERY)。



そして、定刻の8時にホテルを出発し、ソフィアの南東約165kmにある
『プロブディフ(Пловдив)』へと向かう。
プロヴディフは、ブルガリア中部に位置するブルガリア第2の都市、およびそれを中心とした
基礎自治体であり、プロヴディフ州の州都である。その人口は2010年3月時点の推計
で376,103人であり、ブルガリアでは首都のソフィアに次いで2番目に大きい」と
車窓からのバスの車体にはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂の姿がラッピングされていた。



車窓右側には前面がユニークな外装のビルが。家具店(Мебелни къщи NIDO)の
ようであった。



"Cherni vrah" 通りを高速道路のICに向かって進む。
車窓からは山頂付近がやや白くなっている山の姿が。既に霜が下りているのか?



左側車窓奥のユニークな形のビル。



多くのトウモロコシ畑が車窓から。



山は既に黄葉が終わって枯れ葉が。



ソフィアの南東にあるイフティマン市にあった穀物&アルコール工場
『Almagest AD(Завод Алмагест АД)』。
穀物からエタノールを製造する工場のようであった。



高速道路"Trakiya"を進む。
山の裾野には靄(もや)が棚引いていた。



ガソリンスタンドのコンビニによりトイレ休憩。時間は9:42。



『Happy Bar & Grill』、ブルガリア&ソフィア の大手 レストラン&カフェ
のチェーン店とのこと。



"Tsar Boris III Obedinitel"通りのこれもユニークな形状のビル。
『Brilyant-Invest - Klon Plovdiv(БРИЛЯНТ-ИНВЕСТ - КЛОН ПЛОВДИВ)』は
婦人服の店であるようだ。



そして橋の袂にはキン肉マンの裸像が。



マリツァ(Марица)川を渡る。
バルカン半島最長で480 kmの長さを持つ河川。
トルコとギリシャの国境を流れアルダ川に
合流しギリシャ国内を流れエーゲ海に注ぐ川。



橋の出口側にも女性裸像が。



そして川を渡ると直ぐに『"Chifte" Ottoman Baths(Чифте Баня - Център за съвременно изкуство)』前を通過。
『CHIFTE BATH』は、16世紀に建てられたプロブディフの古いトルコ式バス。
「Chifte」(カップル)と呼ばれるのは、男性用と女性用の2つの入浴部門で構成されているため。
この有名なランドマークは、大通り「Tsar Boris III Obedinetel」と「Shest Septemvri」の
交差点にあった。



そしてすぐ先のロータリーでバスを降り『プロブディフ』市内観光のスタート。
旧市街への入口には円形の石碑とその前には遺跡が並べられていた。
古代ローマ時代の遺物のようです。フィリッポポリスと呼ばれるこの地の遺物であろう。
手前に植物をデザイン化したような文様が刻まれた石片が。
これも古代ローマ時代のものであろうか。
そして円形の石碑は何故か現代アート風のモニュメント。
横たわる人の姿が、骨格風に?表現してあったが。



『プロブディフ』旧市内案内図。
ブルガリア第二の都市であるプロヴディフはアテネやローマ、コンスタンチノープルよ りも古い、
6000年を有していると。ローマ劇場や円形競技場、地下遺跡エイ レーネーなど
多数の古代遺跡が街中に見受けられるのであった。
「7つの丘の街」とも呼ばれてお り、7つある丘は大きいもので250mほどの高さがあると。



ガイドブックより。



石畳の坂道・ "Tsanko Lavrenov" 通りを上って行く。
1896年に生まれ、1978年に亡くなったブルガリアの画家・"Tsanko Lavrenov" の
名がついた坂道。



大きな石が敷かれた石畳を。



右手前方に『聖ネデリャ教会(Church Saint Nedelya, PlovdivХрам "Света Неделя")』
が見えて来た。
色彩、文様、外観など、イスラム教寺院のような雰囲気。1832年に建造されたと。



直下から見上げた『聖ネデリャ教会』の建物光景。
ガイドブックには三身廊のバシリカ風の建築と表現されていた。



教会のファサードの扉には十字架が二つ両側に。



石碑。



『Свети Неделя』の文字が。



『聖ネデリャ教会』案内板。
ペトコ・ペトコフ・ボズ率いるブラツィッヒの巨匠によって1831~1832年に建てられた新しい、
完全に石造りの建物はその当時印象的であった。長さ 30m 、幅 25m (当時の市内最大の寺院)。
1894
年に 、地上 16m のドームが追加され、祝福されたキリストの像が描かれた。 
その後、建築家ミハイル・ネンコフのプロジェクト(  1877-1938  )で、古い鐘楼と低い鐘楼の
代わりに、高い鐘楼が建てられた。
1905
年に完成し、  1912 年に大きなフランスの時計が置かれた。
1910
年頃、教会の屋根の南側にある元の鐘楼と、内側のバルコニーに通じる階段の 1 つが
取り壊され、ポーチがガラス張りになったと。



『聖ネデリャ教会』を振り返る。



石塀の中の洒落た門。



石塀の外に張り出した出窓の建物。



そして煉瓦色の大きな建物が見えて来た。



『民族復興歴史博物館(Historical Museum - Exhibition Renaissance(Експозиция „Българско Възраждане”))』。



Експозиция ”Българско Възраждане”の文字が。



こちらも案内板。



1848年に建てられた豪商の家を利用した博物館。
博物館を手がけた大工ゲオルギの名を取り「ゲオルギアディハウス」とも呼ばれていると。
バルコニー付きホールなど、木の美しさを生かした見事な建造物で、現在はプロヴディフの
民族復興期の独立運動の歴史を展示する博物館になっているのだと。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.12.09 19:02:03
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