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日露戦争従軍碑
」👈リンク
明治三十七年(一九〇四)に始まった日露戦争に、泉区上飯田町柳明からも従軍したのであろう。
柳明神社の境内に明治三十九年に地域の人々や「子供中(こどもちゅう)」によって造立された
「日露戦役従軍之碑」と刻まれた碑が立っていた。
碑には、柳明から従軍した「桑原林蔵、石井治三郎、羽太喜兵衛、石井広助、石井元太郎、
石井佐市、石井庄太郎」の六人の名前が刻まれている。
この碑にある石井広助は、村長、県会議長等を勤めた石井仁左衛門の子息である。
明治三十七年に乃木大将の第三軍に属し、小隊長として旅順(りょじゅん)攻撃に参加し、
銃弾に倒れた。享年二十八歳の時あった。
境内の御神木・欅。
境内の石塔群。
角柱型文字「奉再興山王大権現」塔・・「寛政十一己未年」(1799年)と刻まれていると。
笠付角柱塔庚申+三猿?。
???
???
「観音堂」を見る。
扁額「南無十一面観世音菩薩」。
内陣。
鍵のかかった扉の奥に「十一面観世音菩薩」が納められているのであろう。
「六地蔵」
「観音堂」の前に、「當寺本尊十一面観世音」と刻まれた石塔があった。
「宝暦十庚辰霜月吉日」(1760年)と刻まれていると。
台石には「大石寺」と彫られていた。
側面には「鎌倉郡二十四番札所 上飯田村 鎮守 大百権現 十方施生」とある。
碑文から、当時は、大石寺と呼ばれ、鎌倉郡観音三十三か所の二十四番札所になって
いたようである。
「西国・坂東・秩父観音百か所めぐり」だけでなく、当時は、「三浦郡観音三十三札所」
「鎌倉郡観音三十三札所」などのように、郡単位の観音札所めぐりも、盛んに行われていた。
「観音堂」。
角柱型文字「堅牢地神塔(けんろうじしんとう)」。
横浜市泉区上飯田町4579。
台座には「柳明中」と刻まれていた。
堅牢地神(けんろうじしん)は、仏教における天部の神の1 つで大地を司る。
通常は女神であるが密教では男神と一対とする。十二天の一である地天と同一視される
向きもある。
堅牢地天、堅牢地祇、あるいは単に堅牢と呼ばれる場合もある。大地女神として、地の堅牢と
神の不壊とに解釈される。つまり大地を堅固ならしめる神である。また仏法が流布される処に
赴いて、その仏・如来の法座の下にあって警護するという。
南大山道/北八王子道/東神奈川道道標、1861(文久元)年
上飯田町4572から宅地造成のため移転したのだと。
「柳観音堂」の裏は「柳明会館」が。
そしてネットには柳田国男の「 水曜手帳
」👈リンク に「柳明」に村についての
記事があるのだと。
・・・ もどる
・・・
・・・ つづく
・・・
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