JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

フェイジョア、シナ… New! 隠居人はせじぃさん

小和田の浜道から浜… New! オジン0523さん

【ハンバーグ素材お… New! Gママさん

バイクのシートが裂… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2021.10.06
XML
カテゴリ: 海老名市歴史散歩
【海老名市歴史散歩】 目次

海老名市上郷1丁目28の住宅街を進むと右手にあった「石碑群」。
海老名市上郷1丁目28−12。



この丸い石柱は?「水神八大龍王」碑?



右から二番目は「庚申墳 文政二年己卯 村講中」。



三番目は「馬頭観音 天保十五甲辰年」。



こちらは??



舟形光背型「双体道祖神」。



???



???
以上、散在していた石像をこの場所に集めたのであろう。



そして「鳩川」沿いの道を進む。



上郷一・ニ・三丁目 下今泉一丁目の住居表示街区案内図。



右手の橋は「馬船橋」。



その袂にあったのが「上郷地蔵尊」。
海老名市上郷2丁目1。



近づいて。



地蔵尊とその横に石碑。
後ろには色彩豊かな千羽鶴が。



その先の左の空き地の奥にも小さな「祠」があった。



近づいて。
詳細は不明。



更に「鳩川」沿いの「相模三川公園」敷地内にある緑あふれる遊歩道を進んで行った。



「鳩川」とその先の「相模川」の間には広大な「相模三川公園」が拡がっていた。



橋が見えて来た。



「相模三川公園」内の緑地広場のベンチで食事を楽しむ女性達。



「鳩川」に架かる「さくら橋」。



その袂にあったのが「大藪稲荷神社」。
海老名市上郷1丁目21。



小さな社殿。



「大藪稲荷神社」の前は「神奈川県立相模三川公園わくわくランド」
広場では、水遊びも楽しめるのだ。毎時10分間ほど、ミスト状の噴水が散布されていた。
水が出てくると、子どもたちが歓声を上げて、広場に集まって来たのであった。



様々な遊具を楽しめる公園。



「神奈川県立相模三川公園わくわくランド」の東側の道路沿いにあったのが「大日如来堂」。



「大日如来堂」を正面から。



そして次に訪ねたのが「龍昌院」。
「不許葷酒入山門」と刻まれた石碑。



正面に「山門」。



「山門」に向かって進む。



「山門」前の能山雲元石碑。かなりの歴史を感じさせるのであった。



「龍昌院 坐禅会」のご案内。



「山門」を潜って境内へ。
酔芙蓉の花が咲いていた。



「本堂」。
曹洞宗の龍昌院は、上郷山と号す。
龍昌院は、能山雲元(元和6年1620年寂)が開山となり創建したと。
ご本尊は釈迦牟尼佛像。



扁額「龍昌院」。



墓地の前面にあった「開山 能山恵雲大和尚品位」碑。



この建物は?



「龍昌院」を後にして海老名市上郷1丁目の住宅街を南に進む。



200mほど歩くと左側にあったのが「有鹿神社中宮(あるかじんじゃちゅうぐう)」。
石鳥居の前の石碑には「有鹿之池(あるかのいけ)」と。
海老名市上郷1丁目12。



正面から。



「石鳥居」。



石造りの「有鹿神社中宮」は、新編相模国風土記稿に「天正三年四月別當総持院現住慶雄夢中に
神靈の告ありて、神祠の東北池中に於て、石一顆を得たり」と記載される有賀神社の神体が
出現した池の地である と。
水の流れはなかったが石造りの小さな太鼓橋があった。



中宮はかつて座間市入谷の諏訪明神付近(座間市入谷1-1568)にあったといわれ、衰退して
当地に遷座した。
安土桃山時代に御神体が出現した池(有鹿の池)は、ここにあったが現在は涸れている。
伝承では有鹿比女命が後述する有鹿の井戸で化粧をし、池の水面で姿見をされたという。
「有鹿の泉」から湧き出た水は鳩川の流れに通じ、そこから引かれた用水は「有鹿の池」
「有鹿の井戸」の水とも繋がり、本宮近くの海老名耕地に注ぐ。
有鹿の池から御神体が出現するのも当然の流れなのだ と。



更に150mほど進むと同じく左手にあった「三王三柱神社」。
海老名市上郷1丁目3。



社号標石「三王三柱神社」。



「社殿」。
三王三柱神社の創建年代等は不詳ながら、山王社として祀られ、当地の総鎮守有鹿神社を
守護していたといいます。江戸時代末期には、当地で武州三峯講・伊勢講が組織されたものの、
講中全員の参拝が叶わなかったことから三峯社・皇大神宮を勧請して創建、明治末年三社を
合祀し三王三柱神社と改めたといいます。



「内陣」。



「三王三柱神社御由緒」碑。
当神社は三王三柱神社と称す。山王明神社を基に三峯神社、皇太神宮の三社からなる総鎮守
有鹿神社の下 上郷の鎮守である。当神社は有鹿神社に西向、有鹿明神を守護す。
此地に存する有鹿井は、有鹿池と共に、有鹿明神に御縁深き社地である。
かくて、山王明神社の御創建は頗る夙く山王信仰に鑑み、鎌倉を下ることはない。
現に、江戸期、此地に鎮座することの確証が遺る。
新風土記稿及び延宝八年建立の、山王権現の文字塔に示される。江戸末、火難盗難除の為 
武州三峯講、又伊勢詣の為、伊勢講の組織を見た。講中全員の参拝を望めず、本社遙拝の為、
三峯神社及び皇大神宮の御創建となった。
明治末年、此地に鎮座する三社を合祀し、三王三柱神社と社名を改めた。爾来八十有余年を経、
当初の御社殿既になく、昭和初年造営の御社殿も老朽化す。
平成三年、かかる事態を憂慮し、上郷の氏子は、真心より浄財を以て、御社殿造営並びに鳥居、
玉垣、神社碑、敷石等、境内整備をなし、これを記念して石碑に刻む
平成三年三月上郷氏子中
有鹿神社宮司 謹書



「有鹿井
有鹿池から出現した神体石をこの水で洗ったので、有鹿の化粧井戸という。
いずれも、往古、有鹿森に湧く泉という。   有鹿神社」



これが「有鹿井」であろう。



境内にあった「道祖神」碑。



更に西に進んで行く。
道路脇にはケイトウの真っ赤な花と彼岸花が。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.05.18 18:43:58
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: