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2021.12.02
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カテゴリ: 海老名市歴史散歩
【海老名市歴史散歩】 目次

そして次に「正覺寺」の北側にあった「浄久寺」を訪ねた。







「浄久寺」の「山門」そして奥に「本堂」。
海老名市門沢橋4丁目11−1。



「掲示板」には「ご先祖さまと共に生きる」と。



「郷土かるた「は」」
「長谷川氏 墓石ずらりと 浄久寺」。



「長谷川山 隆崇院(りゅうそういん)」。



「浄土宗 浄久寺」。



「南無阿弥陀佛」碑。



赤い頭巾、涎掛けの石仏。



「本堂」
浄久寺は、「新編相模国風土記稿」では、山号を長谷川山隆崇院、増上寺(東京都港区芝公園)
の末寺とされています。
平安時代後期作と考えられる本尊・木造阿弥陀如来坐像、墨書から寛保3年(1743)に造立
されたと考えられる法然上人坐像などが安置されています。
法然上人坐像の胎内からは安政6年(1859)、文久元年(1861)の納入経や関東大震災で
破損した仏像を修理した文書などが納められていました。
長谷川正成(?~1638)が寛永2年(1625)に門沢橋他に1751石の所領を得て、門沢橋村を
本貫地としたことから菩提寺として浄久寺を建立し、然誉知全(?~1617)が開山したと
伝えられています。
このことから1625~1638年の間に創建されたと考えられますが、境内に慶長19年(1614)と
刻まれている墓石があることや、境内にある歴代住職の墓碑の筆頭に「開山・然誉上人得阿大求
智全和尚 元和三年(1617)二月十九日」と刻まれている。
正成が門沢橋村を所領地とした1625年よりも前に然誉上人は亡くなっており、時期的な矛盾が
生じる。そのため、それ以前から寺は存在し、長谷川家の菩提寺になった時から、寺名などを
変えたことも考えられる とネットから。



扁額「浄久寺」。



「水子地蔵尊」。
「水子子育地蔵菩薩」と書かれた幟が手前に。



「水子地蔵尊」に近寄って。



お顔をズームで。



「長谷川家 石造宝篋印塔群」。
池波正太郎作「鬼平犯科帳」の主人公長谷川平蔵の本家筋にあたる長谷川家の墓塔として
15基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が残っているのだと。
第2代正成から第11代正岱(まさたけ)までの当主の宝篋印塔があるが、途中5代と10代の
宝篋印塔が見当たらない。一番古い宝篋印塔は慶長13年(1608)のもの。海老名市教育委員会が
立てた説明板には、「別の寺院に葬られた記録のある人の名前や、複数の名前が刻まれたものが
あること、長谷川正成が門沢橋村を所領地とする以前に亡くなった人の名前も見受けられること
から改葬等の際に建立された宝篋印塔もあると考えられています。」と記されている。



「海老名市指定重要文化財 浄久寺長谷川家石造宝篋印塔群
寛永ニ年(一六ニ五)に慕府旗本の長谷川正成が門沢橋村を所領地として与えられたことから、
浄久寺が長谷川家の菩提寺となりました。以来、慕末まで長谷川家代々の当主とその家族が
葬られて、墓塔として宝篋印塔が建立されてきました。
台座に被葬者の没年代と法名・俗名が刻まれており、長谷川正成以降、正 まで八人の当主と
その家族が葬られたことがわかります。
別の寺院に葬られた記録のある人の名前や、複数の名前が刻まれたものがあること、長谷川正成
が門沢橋村を所領地とする以前に亡くなった人の名前も見受けられることから改葬等の際に建立
され宝篋印塔もあると考えられます。
宝篋印塔は、江戸時代に慕府旗本の墓塔としてよく用いられ江戸時代中期(十七世紀)には盛んに
造られました。このため、数基単位で建立されている例はよくありますが、大形のものを中心に
十五基もの宝篋印塔が建立されている例はあまり多くありません。
また、市内でこれだけの数の宝篋印塔が現存しているのは浄久寺だけであることから
市指定文化財となりました。」



長谷川正成の宝篋印塔基礎正面には「頓證佛果 為前筑州大守空誉浄久居士 菩提円満也」と
刻まれていた。
境内にある長谷川氏の名残は、これら石像宝篋印塔だけなのか、本堂などの建物および付属施設
にも長谷川氏の家紋が見当たらない。「丸に五つ割り卍」が使用されているのであった。



「海老名市指定重要文化財 浄久寺木造阿弥陀如来像
この木造阿弥陀来坐像は、浄久寺の本尊として長谷川正成が寄進したものと伝わる仏像です。
平成七年(一九九五)の海老名市史編さん仏像調査により平安時代後期(一ニ世紀)の定朝様の
仏像であることが初めて明らかになりました。
像高は五十ニ・一センチで割矧ぎ割首造、眼には後補の玉眼が入っていますが、元は彫眼と
考えられています。丸く穏やかな面相、ゆったりとした体、浅く整えられた衣表現など
平安時代後期に興隆した定朝様式の特徴がよくでています。一部後世に補修されているものの
海老名市内で確認されているものとしては最古の仏像であることから市指定文化財と
なりました。」



「浄久寺木造阿弥陀如来像」。



そしてこの日の最後に「浄久寺」の近くの西側にあった「渋谷神社」を訪ねた。
海老名市門沢橋4-11-14。



社号標石「村社 澁谷神社」。



石鳥居の扁額は「澁谷神社」。



狛犬(阿形像)(右)。



狛犬(吽形像)(左)。



「手水舎」。



「鐘楼」。



「梵鐘」。



「社務所」。



海老名市指定重要文化財の「本殿」。
渋谷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期の創建ではないかと推定され、神寿稲荷と
称し、門沢橋村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治7年渋谷神社と改称して
います。社号の渋谷は、庄名(寒川町から海老名市にかけて)より付けたものです。



見事な龍の彫刻。



「海老名市指定重要文化財 渋谷神社 本殿
渋谷神社は、江戸時代に神寿稲荷(稲荷社)と称し、旧門沢橋村の鎮守であった。
現在の渋谷神社に名称を改めたのは、明治七年である。江戸時代の延宝七年(一六七九)鋳造の
鐘を鐘楼にかけていたので、その成立は同時代初期に遡ると思われる。勧請の年代は不詳で
あるが、古社であることは間違いないと思われる。
本殿は、間口四尺の一間社流造りの建物で、覆殿内部に安置されている。建築年代は、本殿内に
ある棟札から、寛保元年(一七四一)と推定される。また同じ棟札から、作者が地元の工匠で
あることが判明している。
母屋は、正面両脇の小壁に上り龍や下り龍の彫物をはめ、頭貫の木鼻は、正面を獅子と獏の彫物、
背面は象鼻と絵様木鼻である。また中備には、草花を彫った蟇股を置くなど、小規模な建物ながら、
彫物装飾を効果的に用いた造りとなっている。
当本殿は、斗栱の形式、虹梁の絵様や、木部と彫物すべてに当初から彩色が施されている点など、
十八世紀の中ごろの特長をよく示しているうえ、保存状態も良い。また、当時としては彫刻を
多く用いるのは珍しい。
以上のように、本物件は、十八世紀前期の標準的な遺構として貴重であり、保護の価値があると
認められるため、市指定重要文化財に指定したものである。」



内陣。



「木鼻」には獅子の彫刻(右)。



「木鼻」には獅子の彫刻(左)。



「宝物殿」。



「本殿」を横から見る。



「社務所」。



境内の下部は「防火水そう」になっているようであった。



「海老名市 街区案内図」。
現在地は門沢橋一、ニ、四、六丁目の角地が接する場所。



そして県道22号線・横浜伊勢原線に出て右折すると200m程でJR相模線「門沢橋駅」に
到着したのであった。



「時刻表」。17時台は約15分間隔で運行中であった。



そして終点のJR茅ヶ崎駅に到着。
JR東海道線との連絡橋には「相模線100周年」記念のポスターが。
「相模線は神奈川県の北と南を結ぶ重要な路線となっています。
お客さまに支えられ、相模線は100周年を迎えることができました。
引き続きJR東日本相模線をよろしくお願いいたします。」と。



「相模線は雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も
沿線のみなさまに支えられ1 00年間走り続けることができました。」



「いつも ありがとう」。



そしてこの日は、9月30日に緊急事態措置及びまん延防止等重点措置が解除されたこともあり
久しぶりに茅ケ崎市内に住む旅友Sさんの行きつけの店でビールを。
約1.5時間楽しんで、20時前に引き上げて茅ケ崎駅へ向かう。



茅ケ崎駅北口から続くペデストリアンデッキには、手形モニュメントが飾られていた。
こちらは、茅ヶ崎市出身・プロ野球の中日ドラゴンズで活躍し、茅ケ崎市民栄誉賞を受賞した
山本昌広氏。



2度のスペースシャトル搭乗を経験した土井隆雄氏。
学生時代、茅ヶ崎の実家で過ごし茅ヶ崎市民栄誉賞受賞。



歌舞伎俳優の12代目市川團十郎氏。
明治29年、現在の茅ヶ崎鉄砲道付近に別荘"孤松庵"を建てたのは、9代目市川團十郎。
その由縁で手形を残したのは、12代目市川團十郎氏。



2009年12月20日にソユーズTMA-17に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)に約5ヶ月間滞在。
2010年6月2日地球に帰還した野口聡一氏。
小、中、高と茅ヶ崎市内の学校を卒業し、茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞。



そして茅ヶ崎市出身の若大将・加山雄三氏。



茅ヶ崎駅の駅舎内に。



祝​​ 相模線開業100周年/ 祝​​ 茅ヶ崎 出身加山雄三さん復帰おめでとうごさいます!​
9月28日より茅ヶ崎駅相模線発車ベルが「海その愛」へ!!



そして上野東京ライン19:12発で帰路についたのであった。



この日の海老名市内の散策ルート。



そしてこの日の歩数は47000歩超え。
この日も頑張りました。




次は「高座郡寒川町」に挑戦する予定なのである。

                              ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・海老名市 完・・・





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Last updated  2022.05.18 19:15:38
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