JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.14
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「鶴嶺参道歴史ひろば」の前、松並木側にあったのが「馬頭観音」像。




衆生を恐ろしい顔で叱り導く観音から馬の供養、交通安全の願いを込めた観音様。



「馬頭観音
馬頭観音は、馬の供養や無病息災の祈願をこめて造立されます。
本像は、真ん中に合掌した観音像、向かって右側に「寛政七年三月乙卯三月日」、
左側には「施主熊澤左四良」と刻銘されています。「寛政七年」(一七九五年)の銘から、
市域において古い馬頭観音であることが分かります。
砂岩を浮彫にし、自然石による光背形像です。
馬頭観音の形相の多くは「憤怒」を示しているものが多い中、本像は比較的穏やかな形相を
しています。
現在は欠けてしまっていますが、馬頭観音の特徴である馬の頭部が観音像の頭部に彫られて
いたと考えられます。
 像の大きさ
  高さ四十二cm✕ 幅十九cm✕奥行十二 cm」



そして次の目的地の「梅雲寺」に向かって西に進む。



民家の庭にあった黄色のバラの花の色合いが美しかった。



そして「梅雲寺」の山門前に到着。
神奈川県茅ヶ崎市下町屋2丁目14−15。



「山門」前のこの石碑には「三宝荒神の碑」。
碑の高さ一四〇センチ、幅四三センチ、厚さ一一九センチで、
表面には「難除三宝大荒神慈覚大師御作」、向かって右には「町屋山」左に「梅雲寺」、
その裏面に「明和元年(1764)甲申歳初冬三五第十三世海誉代」と刻まれているのであった。
「初冬三五」とは十月、三✕五=十五日 であると。数字の積や和が洒落として用いられて
いるのであった。



「掲示板
★満天星(どうだん(つつじ))の花はみんなで揺れる花。
★見るたびに 大きくなってく 孫たちよ ばあばは心 大きくなるよ。
★「和敬清寂」
 和ー互いに勧め合う
 敬ー身分に関係なく尊敬し合う
 清ー清らかな気持ち持つ
 寂ー動じない
★萬恩に生かさるる身の百恩を知る せめて一恩に報ぜん」



「山門」の扁額「美証門」。



その奥には「​ 摩訶般若波羅蜜多心経 ​」👈リンクが書かれた木版が。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度
一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即
是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不
滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無
眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識
界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦
集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波
羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛
倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿
耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是
大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚
故説般若波羅蜜多呪即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経」



墓参用の桶と柄杓置き場。



本堂前・横の天水桶と石灯籠。



「本堂」。
町屋山 大廣院 梅雲寺
宗派浄土宗
開山廣譽(こうよ) 梅雲
建立 慶長4 年(1599)
本尊阿弥陀如来
札所 相模国準四国八十八ヶ所 第42番
御詠歌 「春はなお梅のにほひにかくつちの 神も光をます鏡かな」
「本堂」には山難除三宝荒神かまつられ、この三宝荒神は、現在、秘宝のため開帳されていない。
江戸時代には、江戸で開帳したほどの信仰で、南品川にある海雲寺「千躰三宝荒神」とともに
関東では多くの参拝者を集め、有名たったと。
三宝荒神というのは、仏(仏陀)、法(仏陀の教え)、僧(教えの修行者)の三宝を守護する神で怒りの
相を示し、不浄を嫌い、清浄な火を愛すると言われ、火を燃やすかまどの神とされる神様。
かまどのある台所にまつれば、一切の災難を除き、衣食住に不自由しないと言われているのだと。



浄土宗 宗紋「月影杏葉 (つきかげぎょよう )」。



屋根の飾り瓦。



「墓地」。



墓地の西側・最奥にあった御堂。



五輪塔。



「内田徳十郎君之碑」と。
日露戦争に出征し、明治37年12月5日旅順要塞203高地の戦闘で戦死された陸軍軍曹
内田徳十郎さんの慰霊碑。享年23歳。明治39年12月5日に遺族らによって建立された。
同氏は東京体操伝習所(現在の筑波大学体育専門学群の祖)を卒業され、体操や銃剣術に
優れていたという。
碑高253㎝、幅126㎝、厚さ15㎝、台石40㎝。
碑正面:
「内田徳十郎君之碑
旅順之險稱為東洋無比焉日露之役我軍海陸攻之數月勝敗未決至於爾霊山之戰敵勢始衰
而我陸軍歩兵軍曹内田君實陣歿於此□矣夫武人之死孰非可貴而死於両軍勝敗将決之際
可謂死得其所也君既死中隊長上田中尉寄書君家中有君克恪勤従事慎重數有功爾霊山之戰
□小隊長廷身奮進突入敵壘以鼓舞部下遂陥之而身亦歿之語當時殉難之状可想児矣君諱
徳十郎相模高座郡鶴嶺村之人為亦右衛門君第六子以明治十五年一月二十二日生以三十七年
十二月五日歿享年二十三此日叙賜功七級金鵄勲章及勲七等青色桐葉章初君将應徴兵之選
以為凡為兵者不當不操練體□也因入東京體操傳習所卒其業已入營勇而機敏左善體操銃劔之術
常踰儕輩其數有功實非遇然也項君遺族将建碣請予表之予不敢辭以深感其忠勇也
 明治三十九年十二月五日 神奈川縣高座郡鶴嶺村長 出口直吉撰 山宮藤吉書  内藤岩吉刻」



六地蔵であっただろうか。



本堂の裏手にあった御堂。



「大師堂」。



「弘法大師像」(右)が「不動明王像」(左)とともに鎮座。



「南無阿弥陀佛」碑。



三面六臂の「馬頭観世音」。
この碑は、高さ六四センチ、幅二七・五センチ、厚さ一四センチで光丹形の砂岩?に厚肉彫りされ、
反花(かえりばな)角座に角の蓮華座を乗せた台座にまつられていた。
中央部に亀裂が入っていたが、下部に厚みがあり保っている。忿怒の馬頭で怒髪が大きく広がり
形相がすごい。三面のようだが正面と横の顔の違いが大きくアンバランス。
旧東海道沿いで馬も使われていたのでしょう。享和3年の銘。



庫裡であっただろうか。



五重石塔。



そして南に進む国道1号に出て西に進む。



左手にあったのが以前に訪ねた和菓子屋「でかまん本舗」。



進んでいくと前方に「新湘南バイパス」の高架が見えて来た。



左手の桜の樹々の下には、これも以前に訪ねた
「史跡・天然記念物「​ 旧相模川橋脚 ​」」👈リンク があるのだ。



沼田頼輔氏の『湘南古橋行』の 「漢詩」が刻まれた 石碑が見えた。



「下町屋橋」を渡る。



流れる川は「小出川」。



橋の欄干には海鳥の姿が。カモメであろうか。



「一級河川 こいで(小出)川」。



新湘南バイパスの高架下にあった連絡歩道橋を渡る。



折り返しの有る長いスロープの歩道橋。



歩道橋の途中から「史跡・天然記念物「​旧相模川橋脚​」」を望む。



「小出川」の下流方向を見る。



連絡歩道橋の欄干にも海鳥の姿が。



いつも、仕事で平塚の寺務所に行く際には、新湘南バイパスのここを降り国道1号に
右折するのであった。



長いジグザグの連絡歩道橋を渡り、更に国道1号を相模川方向に向かう。



そして「今宿」交差点を右折して次の目的地の「松尾大神」に向かったのであった。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2022.06.14 04:20:08
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