JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

東海道まち歩き (2)… New! オジン0523さん

ナツツバキ、フェン… New! 隠居人はせじぃさん

【100円ショップのピ… Gママさん

バイクのシートが裂… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2022.06.16
XML
カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

茅ヶ崎市平太夫新田にあった「新田八幡宮」を後にして、再び東に向かって歩き
「三島大神」に向かう、チョット道を間違えたが。



正面の信号の角にあったのが「三島大神」。
神奈川県茅ヶ崎市萩園1719番。



「神奈川縣指定村社 三島大神」碑。




境内には多くのタブノキの大樹が。



石灯籠(右)。



石灯籠(左)。



久しぶりに見る「両脚(四脚)鳥居」。



扁額「三島宮」。



「山宮藤𠮷翁㞢(之)碑」
山宮藤吉は明治から昭和時代初期の政治家で、萩園村に生れる。
鶴嶺村長、衆議院議員(3期)を歴任。



「橋石」。
小出川に架かっていたもので、番場川の橋といって親しまれたが、大正12年(1923年)の
関東大震災で崩壊したという「橋石」が安置されていた。
左側の石碑には江戸時代中期の「元禄十四年(1701年)三月」の記念銘があった。



「橋石
この巨石は、小出川に架かっていたもので、番場川の橋といって村人に親しまれていた。
大正十ニ年九月一日・関東大震災にあい、堤防と共に、ことごとく崩壊した。間もなく河川改修が
行われ、現在の荻園橋として装いを新たにした。
江戸時代中期に建造されたものと推定されるが、川巾四間・橋巾一間にこの巨石を使用した。
当時としては、相当な大工事であって、村人には大きな負担が課せられたであろう。それ故に、
此処が如何に重要な街道であったか想起される。
小さい方の石は、側面に「元禄十四年三月」の記念銘があり、貴重な橋に使用されたものと推定
されるので、村の中央を貫いている八王子街道の石橋の十字路にあったものと思われる。
何れも萩園の歴史を物語る重要なもので、後世に残すべくここに保存する。」



石碑群。



境内の左奥から拝殿、鐘楼を見る。



「三島大神」の境内の南西隅には多くの石碑が。



「鎮守の杜は心のふるさと」碑。



「震災記念碑」
「弎(三)島社殿改築㞢(之)碑」



石碑には下の如くに。
萩園集落の被害として住家140軒の過半が全壊、死者2名、負傷者10余命を出し、地面に
亀裂が走り、道路・橋梁・河川堤防など悉く崩壊したと記されていた。
また碑文を書いた山宮藤吉は萩園出身で、茅ヶ崎・寒川地域を代表する明治・大正期の
政治家であったとのこと。


   【http://www.histeq.jp/kaishi_28/HE28_001_017_Takemura.pdf】より

「徴兵加藤勝五郎招魂碑」
西南戦争に従軍し負傷、凱旋中の10月5日に病死した加藤勝五郎さんの招魂碑。
享年25歳。村民らによって明治12年10月に建立された。
碑高157㎝、幅103㎝、厚さ17㎝、台石15㎝。
漢字のみで。
「徴兵加藤勝五郎招魂碑(篆額)
明治十年西南之變相模髙座郡萩園村徴兵加藤勝五郎従役死明年十月正副戸長村用村民其其等及
小區内其其等憫其勞而不歸又嘉其平素有行将立招魂之碑于本村三島神祠傍先書其従軍之始終
與行状請余嘱銘之其従軍曰明治八年四月應徴入東京鎮臺營為一等卒十年三月隷陸軍少将
野津公發東京廿日始戰于肥後植木町爾後數戰于日向濛雨焦暑攀嶺伏澗被銃創幸活九月全軍
匝撃敵兵悉夷於是官軍凱旋五郎過西京得疾十月五日死齢廿五年八月之葬于大佛山其行状曰
父曰平三郎家貧以五郎僮于江島下坊時年十一事僧甚慎餘力習書算亦成及父歿還家與母兄居
時年十五家倍貧母恒病臥牀兄日外出傭作五郎毎日數次入輙省母出輙執来耜未曽見其少休也
如此者數歳母頼之得安東陽居士曰嗟五郎勤于家勞于國如此而天貧之又従而奪之何耶雖然人皆
知五郎恐其泯滅無傳相謀而不朽之蓋人之所為亦天也不可謂之不幸雖富且壽人聞其名則唾
而詈若斯者抑亦不幸之甚□耶銘曰克孝克勇公私咸敦奚怙形□令名維存故老追悼胥謀于村有欝
其社于招厥魂明治十一年戌寅十月本郡羽鳥耕餘塾師小笠原東陽造并書又篆
  鎌倉郡片瀬村秋元平治鐫」



「慰霊之碑」。



西南戦争、日露戦争、支那事変、大東亜戦争における萩園地区出身戦没者の英霊41柱
(西南役1柱、日露戦役5柱、支那事変2柱、大東亜戦役33柱)を祀る慰霊碑。
地元自治会によって昭和42年4月に建立された。
碑裏面に英霊名、戦没年月日及び享年が刻まれていた。
碑高230㎝、幅122㎝、厚さ20㎝、台石60㎝、基壇75㎝。



神楽殿。



「手水舎」。
「手水舎」の読み方はさまざま。神社本庁は「てみずや」、大國魂神社は「てみずしゃ」と
呼びますし、「ちょうずや」「ちょうずしゃ」と呼ぶところも多々あります。
また、手水舎は「水盤舎(すいばんしゃ)」や「御水屋(おみずや)」と呼ばれることも。
場所や地域によっては表記の仕方が変わることもあるのです。
「水盤」の文字は「顒若 ( ぎょうじょく、ぎょうじゃく )  」と。おごそかなさま を表すと。



そして「三島大神」の「拝殿」
祭神
 大山祇命(おおやまつみのみこと)
 誉田別命(ほむだわけのみこと)
 菅原道真(すがわらみちざね)
御利益
 海上安全、家内安全、厄災除け、学業・受験合格



唐破風下の 鳳凰の彫刻



龍の彫刻。



これも 鳳凰の彫刻。



「​ 東川斎桂山筆 源為朝図 ​」👈リンク 解説版。



「市指定重要文化財 第四一号
東川斎桂山筆 源為朝図
東川斎桂山筆(とうせんさいけいざんひつ) 源為朝図は、三島大神の社殿に保管されている絵馬で
ある。
絵馬の図柄は、源為朝が鬼島に渡り大暴れしたという『保元物語』にあるエピソードを取材した
ものであこと、画風や款記から、狩野派に師事した町絵師の東川斎桂山による制作であること、
また、奉納者や奉納年が天保七年(1836)であることが明らかになっている。本絵馬の奉納理由を
直接伝える資料は残されていないが、源為朝が疱瘡などの疫病除けのモチーフとされる例がある
ことから、図柄を広義の魔除けと捉えることができるほか、奉納された天保年間は飢饉や水害を
はじめとする不安定な世相に対する意識を反映したものと考えられる。
なお、東川斎桂山は、「金指桂山」「藤原美信」とも名乗り、江戸時代末期、没する弘化三年
(1846)までの間、相模国各地で活動し、本市をはじめ、海老名市、相模原市、平塚市でその作品が
確認されている。以上のことから、本絵馬は、江戸時代末期の茅ヶ崎における庶民の生活文化を
伺うことができ、また、当時の相模地域の民間における芸術文化の受容を知るうえで重要な資料で
あると考えられる。」



「東川斎桂山筆 源為朝図」。
絵馬の図柄は、源為朝が鬼島に渡り大暴れしたという『保元物語』にあるエピソードをもとに
描かれた。海辺で、弓の名手と知られた源為朝の弓を鬼が弾こうと奮闘している姿が
盛り込まれている。奉納年は1836(天保7)年。
東川斎桂山は、茅ヶ崎市をはじめ、海老名、相模原、平塚でも作品が確認されている。



「墨書の内容と位置関係」。


「拝殿」、「本殿」を見る。



拝殿横の「掲示板」。



「萩園 三島大神 縁起
御際神
 大山紙命(おおやまつみのみこと)
 山・海 兼備の守護神として祀られております。
鎮座地
 神奈川県茅ヶ市萩園1 7 1 9番地
由緒
 創建の時期は不明ですが、小田原北条氏のころ、荻園を治めていた家臣の篠窪氏と石川氏は
 村民ともどもあつく崇敬していたと伝えられています。
 江戸時代には真言宗満福寺が別当として管理していましたが、明治初期に明治政府の
 神仏分離政策によって神社として独立いたしました。
 今は、萩園地区(旧萩園村)の鎮守様として多くの人々に親しく祀られています。
催事
 初詣は、元旦・2日の2日間、御札などお分かちしています.
 例祭は、毎年7月(海の日)に浜降祭に合わせて奉行されます。
社伝等
1 .本殿及び拝殿:大正14年3月 再建
2.神楽殿    :昭和8年3月 再建
3.鳥居     :昭和8年3月 再建
                       鳥居中央の「神額」は天保10年3月とされている
4.幟      :大正4年9月 作製(山宮 藤吉書)
                       平成10年 複製作成
5.鐘楼及び鐘 :昭和50年 再々作製
6.手水鉢     :明治12年3月 作成
7.神輿殿          :昭和56年10月 新築
8.神輿     :昭和11年 中神輿新調
        :昭和25年4月 大神輿新調」

萩園 三島大神 奉納絵馬
茅ヶ崎市指定重要文化財「東川斎桂山 筆 源為朝図」
・種別:絵
・名称及び数量:「東川斎桂山 筆 源為朝図」1面
・所在地:神奈川県茅ヶ崎市萩園1719番地(三島大神社殿内)
・所有者:家教法人 三島大神
・文化財(絵画)の構造・品質及び形状
 【寸法】 縦119.4cm 横178.4cm  【材質及び形状】板絵著色
・重要文化財指定日:令和8年(2021)年2月18日
・重要文化財指定理由:
 本絵馬は墨書により、制作者、奉納者、奉納年月が明らかであり、当地域における
 江戸時代末期の生活文化をうかがい知ることができる資料である。

 制作者である東川斎桂山は、江戸時代末期に相模国各地で活動し、当市を含む各地に多数の
 作品を残していることから、本絵馬は、当時の相模地域における民間の芸術文化の受容や
 絵師の活動を知ることができる貴重な絵画である。
※拝殿扉が開く浜降祭・例祭日(海の日)、及び初詣【1月1日・2日】には、拝殿内左奥に
 掲示されており、拝観できます。」



次に「鐘楼」。



「鐘楼」、昭和五十年七月吉日。



「〇〇氏子中」と。



ここには文字はなし。



「神輿殿」。



神輿をネットから。


   【https://www.youtube.com/watch?v=B6Ye5_ODpis】より

そして「魯文の碑」。
『西洋道中膝栗毛』『安愚楽鍋』などで有名な明治初期の戯作者、仮名垣魯文の記念碑。



「魯文」の直筆が刻まれていた。その下に「印」。



「先生が父の故郷相模国
高座郡鶴嶺村萩園
の人和田氏偶草庵を訪問されし
かばななつかしさの余り
訪ふ人もあらしの庭の秋去りて
    春の日脚の時にあふかな
            萩園野崎末 仮名垣魯文
と書かれているのであると、学友から。



「魯文の碑
本名を野崎文蔵といい、文政十二年(1829)魚屋、佐吉の長男として江戸・京橋に生まれる。
父・佐吉は、萩園野崎一族の生まれであったので、魯文は幼少の頃、父の生家、野崎作右ェ門方で
育てられ、寺の小僧や農家の手伝いにやられた。性来、本を読むことが好きで、百姓仕事など
身が入らず、何処も長続きはしなかった。
江戸へ戻ってからも丁稚奉公などに出されたが、相変わらず本ばかり読んでいた。
十五歳の時、英魯文という筆名で戯作を始め、次々と新作を発表、明治八年横浜にて、
「仮名読新聞」を創刊、大衆新聞の始めで好評を博した。
その頃から、仮名垣魯文と改め、その名を知られようになった。
ある時、和田久徳氏の祖祖父が、その居を訪ねた折
訪ふ人もあらしの庭の秋去りて
    春の日脚の時にあふかな
            萩園野崎末仮名垣魯文
との一首を贈った。碑文はその直筆である。」

この解説文を読む前には、何故この場所に「魯迅」が・・・と思った自分がいたのであった。



「萬福寺」の文字が刻まれた石碑。



根元にも石碑が。



境内の北側・社殿の裏には「萩園自治会館」があった。



タブノキの大木。



「萩園東土地改良完成記念碑
本東地区面積は十四ヘクタールの耕地であり古来より未整理の耕地の為、現在の大型化した
農機具の使用に大変不便を感じ再三土地改良の計画がありましたが、実現されず今日に至り
今回、相鉄興産㈱、相模興業㈱二社の土地改良を前提とした砂利採取の契約が地権者全員の
同意のもと成立し昭和六十三年十月県の認可を受けて以来五年の歳月をかけて無事採取が
終了し、平成六年十一月土地改良区を設立し県・市・土地改良連合会等関係機関のご指導を
頂き県・市の補助により片側の側溝も整備することが出来ました。
地権者の皆様には長い間一致団結され理解あるご協力を頂き約十年の歳月を費やして事業は
完成致しました。
以上で土地改良事業が完成したことを記して記念するものです。」



そして神社前にあった「茅ヶ崎市広報板」。



2022年7月6日(水)に今人気の落語家・春風亭一之輔の独演会が開催されるようであった。



そして次に「小出川」の川沿いにある「来恩寺」に向かう。



「新湘南バイパス」の高架に沿って進む。耐震補強工事が行われていた。



そして橋の袂にあったのが「浄土真宗 来恩寺」。
「沿革
来恩寺は平成3年8月1日築地本願寺の湘南布教所として茅ヶ崎市矢畑に誕生いたしました
平成6年6月現在地の今宿に本堂が完成し移転
平成10年11月19日(獅子座流星群が地球に舞い降りた次の日)宗派に包括され 
湘南教会 来恩寺となり
平成12年8月18日神奈川県知事の認証を受け宗教法人「来恩寺」となりました
浄土真宗本願寺派 東京教区 鎌倉組に属します」と「来恩寺」のHPより。



「小出川」の下流を見る。



そして次の目的地に向かって田園地帯を北西に進む。



「萩園南土地改良完成記念碑」。



道端の角にあった石仏、道祖神であろうか。



畑の隅には紫のラベンダーの花が。



ズームして。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.06.17 13:38:10
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: