JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.19
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「八幡神社」を後にして北に向かう。







地蔵堂。



地蔵尊。



歴史を感じさせる石碑群が並ぶ。



「陸軍歩兵一等卒勲八等石井徳蔵墓」と刻まれた墓石。



墓地を望む。



右折して進むと見えて来たのが「萩園橋」。



「はぎそのはし」。「はぎぞのばし」ではないのだと。



「小出川」の下流側を見る。新湘南バイパスも見えた。



上流側。



「小出川」。



「萩園橋」を渡った後は「小出川」に沿って北に進む。



富士山の姿が確認できた。



ズームして。



大山の姿も。



道なりに進むと右手にあったのが「神奈川県立茅ケ崎養護学校」。



「神奈川県立茅ケ崎養護学校」の正門から校舎を見る。
神奈川県茅ヶ崎市西久保29−1。



「神奈川県立茅ケ崎養護学校」

特別支援学校。



「新湘南バイパス」の下を左折して高架下を歩く。



前方にあったのが「懐嶋山の碑」。その先には「茅ヶ崎JCT」の高架橋が見えた。



「旧跡 懐嶋山(ふところじまやま)」碑(えな塚)。
神奈川県茅ヶ崎市西久保。



「旧跡 懐嶋山
新編相模風土記日
  懐嶋山  松四五株立てる小丘也
  赤池川  四方萩園村境を流れる
  宝生寺  懐嶋山と号す本尊大日を歩んす
因ミニ源頼朝ノ妾比企氏丹後局懐妊ヲ政子ノ方ノ知ル処トナルニ及ビ兄能員ニ命ジテ
密カニ当地大庭庄懐島景能ノ邸ニ預ケ次デ桜屋敷ニ移ッテ男子ヲ安産。
三郎ト名付ケラレタ。文治元年六月十五日三郎七才ノ折鎌倉八幡宮ニテ頼朝ト親子ノ
対面アリ忠久ト名乗リ島津氏ヲ称シタ。三郎ノえなヲ埋メタ塚上ニ松樹ヲ植エソノ古株ハ
今モ地中ニ存スル。塚ノ東方一帯ヲ小字観音堂ト呼ビ阿弥陀三尊ヲ安置シタ御守堂ガアッタ。
              以上 懐嶋山ノ伝承ヲ記ス」



「旧跡 懐島山の碑

所として知られ、鎌倉幕府との関連などが、「吾妻鏡」や「新編相模国風土記稿」の書物にも
記録され、地名や伝承が残っています。
この碑の立つところは俗に「えな塚」といわれ、次のような話が言い伝えられています。
源頼朝の側室、丹後局は源頼朝の子を身ごもりますが、正室の北条政子に知られ、大庭景能の
邸に身を隠しました。やがて、西久保の桜屋敷に移った局は、男の子を生みました。その子は
三郎と名付けられ、三郎の(胎盤(胞衣(えな))を納めたところがえな塚と言われています。
三郎は、成長した後に島津忠久と名乗り、九州の島津氏の祖となりました。
この碑は近くの宝生寺が所有しており、この西久保地区が辿ってきた歴史を語る重要なものと
なっています。碑の文中にある阿弥陀三尊は国指定重要文化財としてこの宝生寺に安置されて
います。」



そして県道44号線・伊勢原藤沢線の地下道に向かう。



地下道の壁画を楽しむ。
平成28 年度から茅ヶ崎市とNPO 法人湘南スタイルとの協働事業(平成29 年度までの2 か年事業)
「落書き防止、抑制のためのアートペイント事業」を実施し、平成30年2月に第2期の西久保橋
東側地下道のアートペイントが完成した のだと。



製作者は1986 年生まれ、福島県福島市出身 佐川 友星氏



茅ヶ崎に残る河童徳利伝説をテーマに、自分のスタイルである抽象表現を組み合わせて描いたと。
トンネル中央の2 体のキャラクターは、『河童』と『おちょこ』をかけ合わせており、その両脇に
広がる抽象的なラインは、左手側が『光(おじいさんと馬のあおが過ごした希望ある日常)』、
右手側が『闇(酒に溺れ迷うおじいさんの精神世界)』をイメージしているのだと。



壁画として周囲の環境を見て感じ、色味や空気感を大事に描いた。
また、現場でのペイント中に、道行く地元の方々からのお言葉や会話の中からヒントを頂きながら
制作にあたったのだと ネットから。



そして県道44号線・伊勢原藤沢線への階段を上る。



県道44号線・伊勢原藤沢線に出る。



左に進むとあったのが2枚の案内板。



「民話 「河童徳利」伝承について
民話「河童徳利」は、昔西久保に住んでいた五郎兵衛さんという人物が、この西久保橋の上流に
ある間門橋(現在の大曲橋)のたもとで河童と出会ったことから始まります。馬の尻尾にかじりつ
いた河童は、村人たちに捕まりますが、五郎兵衛さんが河童を逃がしてあげました。そのお礼に
と河童からもらった徳利は、底を3回叩くまでいくらでもお酒が出るものでした。
五郎兵衛さんは朝から晩までお酒を飲み続け、すっかり怠け者になってしまいましたが、ある日
大切にしていた馬がやせ細っていることに気づき、徳利の底を3回叩きお酒が出てこないように
し、もとの働き者に戻りました。
西久保には遥か古来よりこの河童にまつわる伝説が民話として伝わっており、現在に至るまで多
くの人々に愛されてきています。」



「小出川流路の今昔
この西久保橋の下を流れる小出川は、昔は間門川や赤池川と呼ばれてきました。
河童徳利の民話など、小出川は古来より地域と共にあり、様々な恩恵を授けてきた一方で、
自然災害の猛威を振るってきました。
小出川は大正時代初期までこの西久保地域より少し西側を細かく蛇行しながら流れていました。
しかし、夏頃になるとしばしば水害が起きていたことから、上流と下流側で河川改良組合が
発足し、大正時代後期から昭和時代初期にかけて、ほぼ現在の流路とするための改修が
行われました。
この結果水害が減り排水路も安定したため、農業の向上にも繋がりました。」



このキャラは?



「小出川流路の今昔」。
昔はかなりの蛇行があったようだが。



「小出川」に架かる「西久保橋」、高架橋は圏央道。



圏央道の「茅ヶ崎JCT料金所」を見る。



圏央道の「茅ヶ崎JCT料金所」を見る。



「小出川」を見る。



この後に訪ねた「妙運寺」の案内が妙運寺第二墓地前に。



新湘南バイパス脇には電波塔があった。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.06.19 11:11:33
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