JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.05.08
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カテゴリ: JINさんの農園
そして再び南西に進むと右にあったのが「 壽光院 」。
神奈川県横須賀市15。



寿光院
常福寺の隠居所としての境外仏堂です。
墓地には、「三命地蔵」が祀られています。
これは江戸時代後期に、弁天丸の水主(かこ・水夫)の三人が遊ぶ金欲しさから、船の命とも
いうべき網や綱を売ってしまいました。三人は死刑に処せられる前、大変後悔し、罪滅ぼしにと
「この地にねんごろに葬ってくれれば、首から上の病気は何でも直します」と言ったので、船宿が
地蔵を彫って安置しました。
咸臨丸の副館長格としてアメリカに渡った、浦賀奉行所与力・浜口英幹の墓もあります。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ」



境内の 三命地蔵



「本堂」への参道の両側には墓石が並ぶ。



右手にあったのが「 地蔵堂 」。



二体の仏様が。
一体の地蔵菩薩坐像が祀られており、立膝姿の地蔵菩薩坐像は今まで数多くの石仏を見た中でも
珍しい物であり、その脇にはいつの物かわからないが青銅製の子育て地蔵が一緒に祀られている
のであった。
このうち、この石造の地蔵菩薩坐像こそが不思議な伝説を今に伝える「 寿光院の首切り地蔵 」と
呼ばれている地蔵菩薩なのである と。



立膝姿の地蔵菩薩坐像



青銅製の子育て地蔵



正面に 「南無阿弥陀佛」碑



正面に 本堂



墓地の中の参道の先に 宝形造瓦葺の本堂 が。



掲示板には「 常福寺佛堂壽光院 」と。



本堂内陣を見る。



中央に御本尊:阿弥陀如来。



ズームして。



本堂内陣の左側:観音菩薩。



ズームして。



本堂内陣の右側。
右脇侍の勢至菩薩は確認できなかったが様々な位牌が並んでいた。



ズームして。



墓地の奥に足を延ばした。



これが「 地蔵堂 」。



三命地蔵 」別名「 首切り地蔵 」。
石の地蔵さんと墓石が祀られていた。
時は元治元年(1864年)、江戸時代も終わりに近づいた第14代将軍、徳川家茂(いえもち)
の頃である。
伊豆からやって来た弁天丸という舟が浦賀の港に着いたとき、この舟には松五郎、岩吉、忠蔵と
いう三人の男が乗り組んでいた。この男たちは普段からあまり金回りの良い方ではないのに
遊ぶのが大好きで、この時も船主には黙って錨の綱を持ち出しては売り払い、その金を遊びに
使ってしまったのである。これに怒った船主は、この三人を盗人として浦賀奉行所に訴え、
たちまち浦賀奉行所の厳しい取調べが始まるや否や、この三人は自らの犯した罪をあっさりと
白状したのである。
所詮、盗んだものはただの縄。お咎めも大した事はなかろうと高をくくっていた三人であったが、
船にとっての錨の綱は命綱にひとしい物、その命綱を奪うのは命を奪うのと同罪であるとして、
この三人は死罪を申し付けられてしまったのである。
驚いた三人は慌てて命乞いをするがその甲斐もなく、浦賀燈明堂の首切り場へと引っ立てられて
首を刎ねられた。元治元年(1864年)3月21日の事である。
この際、この三人は再び故郷の伊豆の地を踏む事がかなわないことを大いに嘆き悲しみながらも、
「もし、我らをこの浦賀の地でねんごろに葬ってくれるのであれば、首から上の病は何でも治して
やろう」と言い残して首を刎ねられたという事である。
船主であった「師崎屋」(もろさきや)は、この三人の願いを聞いてやり、寿光院に地蔵堂を
作って「三命」と名付けお地蔵さんを彫り安置し手厚く葬ると、この地蔵菩薩は首から上の病は
何でも治してくれるとの評判を呼び、頭痛、耳や鼻や虫歯などに悩む里人が参詣する姿が後を
たたなかったという。
やがて医療も科学も発達して、それらの治療はすっかり近代医学の担うところとなっていったが、
今なおこの首切り地蔵堂には真新しい花と線香が供えられ、錫杖にかけられた千羽鶴が今なお
絶えることのない信仰を如実にあらわしているのである とネットから。



多くの墓石の中心に石仏が。



阿弥陀如来像であっただろうか?



無縁萬霊供養塔 と。



地蔵堂の裏手にあった「 美都(みつ)姫之墓 」。
美都姫は文化七年(1810)、幕府の命令で沿岸防備のために浦賀に来た会津藩士の家族。
身分の高い人といわれ、浦賀で亡くなった。 
数メートル後方に実家の墓があるため、この地に埋葬されたとのこと。
「小林  旧會津藩士 小林栄三郎
 明治十九年五月十四日 母 みつ  享年七十一」と。



「美都姫之墓」横にあった三基の無縁仏。



様々な墓石が。



墓地から本堂を見る。



そして「壽光院」を後にして、来た道を引き返し「浦賀奉行所 跡地公園」へと向かった
のであった。


                                 ・・・もどる・・・




                  ・・・つづく・・・













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Last updated  2024.05.08 05:39:09
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