JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.05.22
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カテゴリ: JINさんの農園
次に訪ねたのが100m程の場所にあった「 宗円寺(そうえんじ) 」。
横須賀市久比里1丁目20−1。



寺の手前にあった民家の庭の 白の「カラー」の花
南アフリカ原産。 日本には江戸末期にオランダから渡来したと。
メガホン状のところがワイシャツの襟(Collar)の部分に似ているので「カラー」となった。
また、その形が、修道女の襟(カラー)を連想させるところからつけられた、とも。



1528年(享録元年)、臼井惣左衛門により開山。浄土宗の寺で本尊は阿弥陀如来
境内には庚申塔の他、石造文化財としては珍しい両面地蔵が見られる
本堂では、阿弥陀如来三尊像の他、釈迦の涅槃図を鑑賞することができる。
80歳で亡くなった釈迦を囲み、この世の全ての人間から動物までが嘆き悲しむ様子が描かれ、
天上には釈迦の生母・摩耶夫人が迎えに来ている と。



珍しい?白い涎掛けの石仏が並ぶ。



六地蔵を正面から。



中央の石仏は阿弥陀如来像であろうか?



寺号標石「 浄土宗 宗円寺 」。
眞宝山 慶西院 宗円寺



石柱門には「 度生圓通 」と。
度生:衆生を救うこと。
圓通:仏教の言葉で、仏菩薩のさとりはあまねく行き渡り、自在に作用するという意味。



「庚申塔」が並ぶ。



青面金剛像
六手合掌型。右手で三叉戟と矢を持ち左手で弓と輪を持つ。
正徳貳壬辰歳(1712) 相州三浦郡久比里村 」と刻まれていた。



建ち並ぶ庚申塔から少し離れたところに建つ、1基の庚申塔。
これは、1733年(享保18年)に建てられた庚申塔。
ちょうど享保の大飢饉の翌年に建てられているので、飢饉によって亡くなった人のための
供養の意味もあるのかもしれません。
この時すでに、この地の地名には「久比里村」とあります。地名の由来はわかりませんが、
久比里という地名はかなり昔から使われていたようです。



御影石の両面に浮き彫りされた10体の両面地蔵尊。



近づいて。
はてさて面妖な、どちらが表で、どちらが裏か。
両面地蔵尊越しに眺めた本堂。



鎌倉権五郎景政が片目で彫ったと伝えられる両面地蔵。



鎌倉景政(かまくらかげまさ)は、平景政とも称し、平安時代後期の武将。
後三年の役では源義家に従軍して、右目を射抜かれながらも奮戦したと。



どの両面地蔵も風化が進んでいた。



「失明した武将が刻んだ両面地蔵尊
奥州後三年の役において英雄の鎌倉権五郎景政も人問の極限の哀しみを神仏に託しては
自らを慰め世の中の盲人を救うために、来世の光明を願って一念発起、盲目の身にもめげず
両面地蔵を手探りで彫り上げたと伝えられ、眼病平癒の対象とされている。」



ここにも石仏が。



「南無阿弥陀佛」と刻まれた石塔。



入母屋造瓦葺の本堂



扁額「 真寳山 」。



内陣。





本堂前の天水桶。



ここにも六地蔵?



墓地を望む。





飯岡助五郎親分の父の墓 」。



飯岡助五郎親分の父の墓
「宝純院得譽義専称願居士」
講談や浪曲にも出てきた下総の国(千葉県飯岡)の大親分助五郎は、三浦半島で生まれ、
この久比里の土地こそ助五郎の父が居住していた所」



宝純院得譽義専称願居士 」と。



無縁塔。



再び本堂を見る。



無縁塔がここにも。



享保十二丁未天(1727)十一月二日 」と。



「文政元寅年(1818)」と刻まれた墓石。



歴史を感じさせる墓石が並ぶ。



そして「宗円寺」を後にして「夫婦橋」に向かって引き返す。



「夫婦橋」手前の路地を左に曲がり、「平作川」に沿って歩く。




ヒジキであろうか。



こちらはワカメの日干しであろうか。



近づいて。



その先にあったのが「 自衛隊久比里官舎 」。
海側には「 陸上自衛隊 久里浜駐屯地 」があるのだ。



地上4階建ての官舎が10棟以上並んでいた。




久里浜駐屯地は昭和14年(1939年)に旧海軍通信学校として開設されました。
その後、昭和25年に発足した自衛隊の前身である警察予備隊当時から続く自衛隊最古の駐屯地 。
駐屯部隊には昭和27年(1952年)から続く「通信学校」のほか、「通信教導隊」、
「(システム通信団)中央野外通信群」、「(東部方面後方支援隊)通信教育直接支援中隊」、
「(東部方面警務隊)第129地区警務隊」、「(東部方面システム通信群)第316基地通信中隊
久里浜派遣隊」がある。
令和6年3月に「システム通信・サイバー学校」に改編し現在に至る。とネットから。



「ここは、自衛隊官舎地区です。
自衛隊関係者以外の立ち入り及び車両の駐車をお断りしております。
​陸上自衛隊通信学校長」



「夫婦橋」に引き返すと、ここにも昆布が。
養殖昆布であろうか、辺りに磯の香りが広がっていたのであった。



久里浜地区周辺案内 」マップ。



現在地 」はここ。




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Last updated  2024.05.22 00:00:24
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