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そして近くにある「第ニはす池」に向かう。「マツバギク」の花も満開。そして「第二はす池」に到着。「皆様へこの公園付近一帯は、昔鵠沼の地名の由来と言われる「沼」が七つもあったそうです。しかし時代と共に埋められ、残された池はこの三つの「ハス池」だけとなりました。そのような貴重な場所を残そうと、住民が運動を起こし、長い間の努力が実って、現在の公園になりました。住宅地の中にあって釣りができ、自然が楽しめる公園は数少ないと思います。◯いつまでも全ての人々が安心して憩える楽しい公園である為に 次のことを守りましよう。1.ルアーでの釣りは危険ですので禁止です。2.釣り糸、ゴミは捨てずに必ず持ち帰りましょう。3.やたらに魚(コイ・プラックバスなど)を放流すると、生態系が崩れ絶滅する生物もいます ので、やめましよう。」こちらは「誠蓮(まことばす)」であると。福岡県の佐藤誠氏が食用蓮「備中」から作った品種で、「福岡八重蓮」とも呼ばれていると。お盆の切り花としてよく栽培されているのだと。しかし、今年も花数はかなり少なかったがこれからか?「誠蓮」は濃桃色の花弁は140枚前後、時に160枚ほどにもなる非常に豪華な八重咲き花。カワセミを撮しに来られたのであろうが、この時は・・・・。大きな鯉が悠々と。カモ(鴨)のツガイが仲良く早朝散歩中であった。そして葉の表面に浮かぶ水滴を追う。ハスの英名はLotus(ロータス)。ハスの葉に水滴が落ちると表面張力で水滴が丸く固まったり、葉の上から転がり落ちる様子を見かけることがあります。 この様に、水をはじくという特性を撥水性といいます。そして、この撥水性の効果をロータス効果と呼ぶのです。ハスの葉には超撥水性があるので、雨が降っても水滴は水玉となって転がっていきます。その時、葉の表面のほこりや小さな虫も一緒に転がします。 そしてハスの葉全体を掃除してくれるのです。この自浄効果があることで、ハスの葉は表面をいつもきれいな状態に保ち、汚れがないのである と。ハスの地下茎は蓮根(レンコン)。蓮根の中は空洞がある。 ハスの葉は、一番低い真ん中に水玉がたまる。その下に茎があり水玉を落とし込む仕掛けが出来ているのだ。養分・水分・水に含まれた空気が地下茎の蓮根まで運ぶ仕組みが出来上がっているのだと。 この管が詰まると閉塞し機能しません。ですから茎の管は4本だが地下茎の管は9本あるのだと。どこかの管が詰まっても他の管で頑張れるのだと。 この穴の構造と仕組みを作り上げたからこそ現在のハスが凛としてあるのだと。ハスの葉の葉脈が放射状に伸びて。そして「柳小路駅」まで戻り江ノ電で「藤沢駅」、JR東海道線で「茅ヶ崎駅」、JR相模線で「宮山駅」まで向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.25
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この日は6月20日(月)、「茅ヶ崎市の寺社旧蹟を巡る」の最終回に向かう。「鵠沼」にある「はす池」が開花を初めているとのネット情報から最初に立ち寄るこことする。「江ノ電 藤沢駅」に向かう。改札口。「江ノ電普通運賃表」。江の島電鉄とは鎌倉駅と藤沢駅の約10kmを結ぶ小さな路線で、江ノ電という名で親しまれている。だいたい1時間に5本程度、つまり12~15分に1本の割合で電車に乗ることができるのだ。下の写真には左手の、終点の鎌倉駅が写っていないが。藤沢駅~鎌倉駅まで15駅。腰越駅の先から稲村ヶ崎の手前まで海岸線を走る(―)人気の路線。早朝6:12発の電車を利用。ホーム正面には「花時計」が。「花時計」に上には江ノ島、相模湾、富士山の夕景写真が。乗車する二両編成の電車が藤沢駅に入線。既に表示等は「鎌倉」に変わっていた。そしてこの日は、藤沢駅から約3分で柳小路駅到着、下車して「第一はす池」に向かったのであった。藤沢市鵠沼藤が谷4丁目の早朝の住宅街を進む。徒歩で5分ほどで「第一はす池」に到着。一面に白い蓮花が咲き初めていた。満開には少し早いようであった。藤沢市鵠沼藤が谷4丁目4。7月の誕生花、幸福の花とも呼ばれる蓮の花、そして私の誕生日も来月7月。昨年は自宅から車で訪ねたのだが今年は電車で。鵠沼の地名の由来は、鵠(くぐい)とは白鳥の古名で、かつてこの辺りには沼が多くあり、鵠が多く飛来していたと言われているのです。 鵠の文字の左は「告」では無く「牛+口」であることを以前知ったのです。鵠沼藤が谷のここ第1蓮池の蓮は、「舞妃蓮(マイヒレン)」という種類。舞妃蓮は、昭和41年に御坊市の阪本祐二氏が、アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した、御坊市生まれの蓮とのこと。カモ(鴨)の巣が近くにあるのだろう。まだまだ蕾が多い場所もあった。「鵠沼のはす池と蓮について昔、境川が蛇行して流れていた際、洪水で川の流れが変わり、鵠沼の低地に幾つもの池や沼が残りました。それらの池には冬になると鵠(うぐい、白鳥)が飛来していたことから、鵠沼いう地名の由来になったとされてます。それらの名残のはす池は7つあったとされていますが、周辺開発と共に埋め立てられ、現在は第一はす池と第ニはす池の2つとなりました。第ニはす池周辺は昭和62年に桜小路公園として整備され、小田原城や鶴ヶ岡八幡宮より蓮を株分けしてもらい移植しましたが根づかず、平成4年に京都より誠蓮(まことばす)を移植し、植え付けに成功しました。第一はす池には昭和30年代前半まで白っぽい花の咲く蓮があったそうですが、ゴミの不法投棄や冬場の渇水で、いつの間にか枯れてなくなってしまいました。その後、鵠沼女子校(現鵠沼高校)が第一はす池一帯をグランド化する計画を発表しましたが、地域住民が池の存続を求めた結果、高校は池を残し、藤沢市に貸し出し管理をゆだねる事となりました。その際、第一はす池は造園しなおされ、ヨシやガマなどが水辺に植えられました。平成20年、第一はす池と第ニはす池に、特定外来種アゾラ・クリスタータ(水生シダ植物)が大繁殖し、赤い浮草は水面を覆いつくし、池の生き物の生態系を脅かす事となり、地域のボランティアが6年掛かりで駆除活動を行いました。浮草を全て取り除くには、障害となるガマやヨシ、枯れ蓮や雑草を刈り取る必要があり、第ニはす池については、作業により池の中央部のヨシが枯れ、誠蓮の領域が広がり、毎年多くの紅色の蓮の花が咲くようになりました。一方で、第一はす池にも蓮を復活させようと、赤い浮草がなくなった平成26年春に舞妃蓮(まいひれん)という品種を6ヶ所に植え付けましたが、殆どの蓮根は腐ってしまい、唯一タライの中に植えた2つ蓮根から3輸の花を咲かせる事ができました。翌年の春、タライの中で蜷局(とぐろ)状になった舞妃蓮の地下茎を第一はす池の泥に直植えすると、半年で91輸の花が咲き、念願の植え付けに成功しました。開花数は毎年30倍ずつ増え、昨年は3ヶ月間に約2700輪が開花し、ビーク時( 6 / 20前後)は数百輸の大輪が一斉に開き、名実ともに「はす池」となりました。」この案内板もそろそろ更新が必要。「舞妃蓮(マイヒレン)」案内。「舞妃蓮 マイヒレン (黄紅系一重大型)第一ハス池に咲く花は、昭和41年( 1966年)、阪本祐ニ氏がアメリカの黄蓮系「王子蓮」と日本の紅蓮系「大賀蓮」とを交配し、育て開花させた蓮の花です。昭和43年( 1968年)の春に蓮根が現在の天皇皇后両陛下に献上され、その夏に東宮御所で開花しました。昭和44年(1969年)、花の開閉があたかも女性の舞い姿のようであったことから、阪本祐ニ氏により「舞妃蓮」と名付けられました。別紙の写真は、「舞妃蓮」の花芽が水面に出てから開花し、閉じてゆく様子と時間です。 (撮影後藤妙子さん)」・花芽が水面に顔を出しました。 花芽が出てから、約3週間で開花を迎えます、但し、外気温、日照時間などに左右されます ので、3週間は日安です・開花一日目は、花弁が短く、お行儀良く並んでいます。閉じる時間も早くて、お昼までには 閉じてしまいます。・開花二日目になると花弁が伸びて、将に舞っている姿が見られます。 一般的に花蓮の品種比較に使用される花の大きさや形は、開花二日目の午前8時頃を 比較の対象とします。・開花三日目になると、花托の周囲を取り囲んでいる雄蕊(おしべ)が乱れます。 見た目にも美しさが失われてきます。・舞妃蓮の閉じる姿 一日目の午前11時半頃 二日目の午前11時半頃 二日目の午後四時頃花色は初日は淡い黄色で、全体に淡い紅色が乗り、赤、黄とも日を追うごとに退色していき、二日目以降、淡い黄色の爪紅状になる。屈光性のため、花弁がやや捩れる傾向があり、風に舞うように見える事から舞妃蓮の名が付いたと言われているのは上述どおり。蕾の先端がほんのり紅く、開花して1日目はピンク、2日目3日目は黄色に変化すると。開花直後の花。花片下部は薄い黄色に。展望台も出来ていた。花のエピローグに。ハナショウブ(花菖蒲)の花が一輪。ズームして。再び「舞妃蓮」をカメラで追う。ハスの花はよく見ると不思議な構造をしている。花の中心に、ろうと状の構造物がにょきっと突き出し、その周りをたくさんの雄しべが取り囲んでいるのだ。そして花びらを完全に失い・・・。写真の如く果期になると花床が肥大して子房の周りは大きな穴になり、蜂の巣状に見える。ここからハスの古名「蜂巣(はちす)」が生まれ、それが略されたのがハスの名の由来といわれる。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.24
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「御成橋」の名は、家康公が熱海を訪れた際、この橋を通って「御成り」になったことに由来し、橋には家康公が詠んだとされる「句」👈リンクが刻まれていた。「徳川家康熱海入湯句碑春の夜の 夢さへ波の 枕哉慶長9年3月3日 徳川家康」。「春の夜は短くすぐ明けてしまうのに、そのはかない夢にもこの地・熱海の波が現れて来てはかなく消えてしまったのだ」か。慶長9年(1604年)3月、家康は2人の子供、義直、頼宣を連れて熱海に7日間滞在、本陣今井半太夫の湯亭に逗留した。関ヶ原合戦前の慶長2年(1597年)3月にも訪れ、熱海の湯で天下取りへ心身の疲れを癒した。計2度訪れたと。 「あたみ桜」の案内板。「あたみ桜」は、明治4年( 1 8 7 1年)頃イタリア人によって熱海にもたらされたと伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に植栽されています。「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関東以西の暖地帯に自然分布するヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1カ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1~2週間)。市制40周年にあたる昭和52年4月には「市の木」に制定されました。今にも動き出しそうなタコの姿が。近づいて。再びブーゲンビリアの花を愛でながら川に沿って下って行った。糸川の清き流れを覗き込むように赤のブーゲンビリアが。「ドラゴン橋」のドラゴンは口を大きく開けて。「かつて赤線地区だった一帯のイメージを変えたかった」が、様々な橋のデザインの当初の目的の一つであった事を以前にネット情報から知ったのであった。再び「ドラゴン橋」から「糸川」の白き流れを背景に。「大塚実氏顕彰記念碑この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」として整備を進めてまいりました。この度、熱海梅園の改修計画へ私財を提供された熱海由縁の篤志家大塚実氏の協力を得て日本で最も早く咲く「あたみ桜」に統一し梅と同じ時期に開花する、常春熱海ならではの桜並木となりました。ここに糸川遊歩道を再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表すとともに、市街地内の憩いの場として多くの市民や観光客に利用される施設となるように、この遊歩道を永く守り育んでゆくことを誓います。」亀とマンボウのオブジェ。上部は波の姿か。「亀」さん。「桜橋」の手前には「坪内逍遥 歌碑」が。明治の文豪、坪内逍遥(つぼうち しょうよう 1895-1935)は、水口町の双柿舎に移るまでの約9年間、この糸川べりの荒宿(現在の中央町)に別荘を新築して住んでいたのだと。碑文には、「ちかき山に ゆきはふれヽと 常春日 あたみのさとに ゆけたちわたる せいえう」 と。今日が花のピークか。「黄一点」。「桜橋」まで戻る。「金糸梅」もこの時期は遠慮気味に。ベンチは蔓植物が独り占め。「金糸梅」に近づいて。「糸川」の」水面を覆い隠すが如くに。赤のカオス。そして「糸川橋 」の麓、これが「糸川あたみ桜 基準木」。アジサイも負けじと。「熱海桜」碑。「あたみ桜「あたみ桜」は、明治4年( 1 8 7 1年)頃イタリア人によって、熱海にもたらされたと伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に植我されています。「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西の暖地帯に自然分布するヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1ヶ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1 ~ 2週間)市制40周年にあたる昭和52年4月には、「市の木」に制定されました。」「糸川あたみ桜 基準木」案内柱。「糸川あたみ桜 基準木」を再び。今年2022年2月2日(水)早朝に訪ねた「糸川あたみ桜 基準木」の開花状況です。「糸川橋」から上流を見る。「糸川橋」の欄干には白きカモメの姿が。ズームして。緑の木、青い水、白い鳥のデザインが美しい。「HOTEL LIVEMAX(ホテルリブマックス) 」が対岸に。懐かしい文字「鎌倉御殿 Soap Land」と。「熱海なのに鎌倉?」。様々な色合いのアジサイが。見事な青のガクアジサイ。これぞパープルブルー。「ジャカランダ」も忘れないでと。「ノウゼンカズラ科中南米原産の落葉高木。ラッパ形で青紫や青藤色の花ガ多数集まって咲き美しい。シウンボクなど約50種がある。」そして駐車場の脇の民宿の玄関前にもブーゲンビリアが。ズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2022.06.17
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国道135号の横断歩道を渡り、「熱海渚橋(あたみなぎさはし)」越しに「熱海城」を見る。「糸川」に架かる「熱海渚橋」の遊歩道を渡る。今年の2月2日(火)に「第12回あたみ桜 糸川桜まつり」👈リンクの糸川沿いの糸川遊歩道のを訪ね「あたみ桜」の散策を楽しんだのであった。反対側の欄干を。円形のサイトグラスのある小さな白い橋。水族館でサイトグラスから魚を覗き込んだ如き姿や波の姿等一つ一つ違ったデザインで描かれていた。隣にあったのが「渚歩道橋」。こちらは、波の模様の欄干。上流に向かって左側の遊歩道を進む。前方に見えてきたのが「柳橋」。大きな波の姿が欄干の両側に。ザバーン!波をモチーフにしたダイナミックなデザイン。波頭には水鳥の姿が。「糸川」の流れ。「糸川」は、その源を静岡県熱海市の北部に位置する岩戸山(標高約700m)に発し、熱海市街地を貫流して熱海港に注ぐ、幹川流路延長2.9km、流域面積約3.4km2の二級河川。流域は、伊豆半島の東側に位置する熱海市の中央部に位置している。そして国道135号に架かる「糸川橋」。「糸川橋」から満開の赤のブーゲンビアリアを見る。ブーゲンビリア(Bougainvillea)は、オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木。和名はイカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)であると。原産地は中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。ブーゲンビリアという学名の由来には2説あるのだと。1つは1760年代にブーゲンビリアの花を発見したフランス人探検家、ブーガンヴィル(ブーゲンビル)にちなんで付けられた説で、もう1つは、フランスの植物学者フィリベルト・コマーソンが見付け、友人のブーゲンビルの名を冠したという説。熱海市の中心部を流れるここ「糸川」の御成橋から糸川橋間(約180メートル)には、川を覆うようにブーゲンビリアが植えられているのだ。このブーゲンビリアは、毎年5月から10月にかけて赤・マゼンタ・紫などの南国的な美しい色の花(苞)を咲かせてくれるのだ。糸川橋付近には川へ降りる階段があり、隠れた撮影スポットとなっているのであった。石段を利用して川へ降りてブーゲンビリアを見上げる。実は、この花のように見える部分は苞(ほう)といい、花を取り巻く包葉。その中心にある白い筒状の部分が花なのだと。その先には赤紫のブーゲンビリアが。赤に比べて葉がやや多いが。灯りの造形。赤紫&赤のブーゲンビリアの共演。再び赤のブーゲンビリア。そして「桜橋」へ。欄干には「糸川桜」が。ズームして。石の欄干部にも「糸川桜」が。川面を覗き込むように。花言葉も「情熱」「激しい愛」「魅力」などと、南国らしい華やかさ。そして次に「ドラゴン橋」に。頭部に近づいて。「ドラゴン橋」からの絶景。糸川遊歩道に架かる橋の中でも、一番人気の橋のようだ。骨格の如き欄干。「糸川」の白き流れを背景に。赤が水面に映り込んでいたが・・・。「ドラゴン橋」の袂に4基あった「瓦斯燈」。ズームして。現在、このガス燈は熱海市・建設課が管理、実際の運用/保守は熱海ガスが受け持つ。ガス燈の点灯時期は季節によって変わる。基本はタイマー点灯。熱海市内にはこのほか、熱海ガスの本社前に2基あるのだと。「瓦斯燈昭和63年四月吉日寄贈 熱海瓦斯株式会社」あたみ桜とガス燈のツーショットをネットから。 【https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20220616&d_seq=1748926】より。掌を拡げたが如きオブジェ。沢蟹の姿が。「新柳橋」へ。「新柳橋」の欄干のモニュメントには揺らめく柳の葉を見つめる若い男女の姿が。金糸梅とブーゲンビリアであったが・・・。花が糸川の川面に溢れ出るが如くに。手打ち蕎麦屋「鳳家(おおとりや)」の前には珍しいアジサイの花が。新種アジサイ 獅子王 に似ていたが。ヒラメのモニュメント。そして折り返し予定の「御成橋(おなりばし)」に到着。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.16
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「熱海警察署 中央交番」まで戻る。「熱海警察署 中央交番」の先にあったジャカランダ越しに熱海城を見る。ジャカランダ越しに熱海海岸も。国道135号沿いのビル群も。「熱海サンビーチ」に人の姿は全く無くここも独り占め。ここを訪ねるのは「熱海桜」👈リンク を見に来た今年の2月以来。そして「熱海桜」の木の下にあったのが「釜鳴屋平七夫婦像」。台座には「安政のころ、釜鳴屋平七はこの浜に起こった漁民一揆の先頭に立った罪に問われ八丈島へ遠島の途中大島で死んだ。人間平七の無私愛人の足跡が熱海の歴史を語っている。八十五歳 武者小路実篤」と。「釜鳴屋平七安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こりました。まぐろ網の権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元たちのひどいやり方に反対し漁民側に同情、網元から脱退、漁民に見方して解決をはかったが、争いは収まりませんでした。このため、平七は漁民二百五十余人と共にムシロ旗を立てて韮山代官所に押しかけ、平七は役人の制止を振り切って代官江川大左衛門に訴状を差し出しました。代表者平七ら七人は捕らえられ、首謀者とみらされた平七は島流しの刑を受け、文久三年十月(1863年)江戸から八丈島送りとなりました。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島におろされ、十一月四日三十五歳で亡くなりました。漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることができました。星露百余年、今なお大衆の心に生きる義人平七の魂はここに眠っています。」ズームして。さらに。「ムーンテラス」を再び。廻り込んで。「熱海ムーンテラス」碑。正面から。ズームして。「熱海ムーンテラス」の「恋人の聖地」 のモニュメントをズームして。熱海市の鳥「カモメ」をイメージしたデザインらしい。更にズーム。ヨットハーバーその先に熱海城。そして「スカイデッキ」を歩く。豪華クルーザー。プレジャーボートのうち、サロンクルーザー、メガヨット、ギガヨットと呼ばれているものの通称。一般的に25フィート(7.62m)以上の船舶で、サロンまたはラウンジ、トイレ、キッチン(ギャレー)、ベッドルーム、シャワーなどの「居住空間と居住設備」を備えたレジャー用のヨットやボートを現す言葉であるとウィキペディアより。熱海の高級マンション群を振り返る。美しい曲線美を楽しむ。再び山稜に立つ熱海城の姿を。左には「熱海後楽園ホテル」。再び「熱海城」をズームして。静岡県熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設。市街地や南熱海を一望できる熱海市内有数の絶景スポットとなっている。しかし城郭は歴史的に実在したものではない。更に「スカイデッキ」を進む。知床半島の事故を想い出したのであったが。曲線の造形を楽しむ。「熱海親水公園」を振り返って。石段を降りて国道135号に。正面に見えたのが「ホテル渚館」。静岡県熱海市渚町11−11。「ホテル渚館」前のジャカランダ。このジャカランダには大きな花房がついていた。ズームして。今年のジャカランダの花もこれが見納め。こんな光景を自分の眼で見ることが出来る日が来るのであろうか?【オーストラリアのジャカランダ】👈リンク。 そしてジャカランダの花吹雪も。【メキシコのジャカランタ】👈リンク。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.15
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こちらが「お宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)」の北側の入り口。「ジャカランダ遊歩道」案内板。「ジャカランダ遊歩道」。「ジャカランダ詳細世界三大花木(カエンボク・ホウオウボク・ジャカランダ)の一つで、いまでは熱海の初夏を告げるげる花となりました.街路樹がジャカランダなのは温暖な熱海だからこそ。本州ではめすらしい風景です。また、ジャカランダの日本での認知度は、海外のリゾート地への渡航者の増加に伴って広がりつつあります。熱海での開花は折しも傘の花開く雨シーズン。ラッパの形をした小さな青紫色の花がブーケのように熱海の梅雨空を彩ります。●形質 ノウゼンカズラ科の落葉高木~低木。葉は優美なシダに似た2回羽状複葉、花は藍色または 青紫色が基本でピンクや白色もある。落葉だが春先まで葉を着けることが多い。●原産地 南米の熱帯~亜熱帯地方原産で約50種が知られる。●分布 世界の熱帯、亜熱帯の乾燥地帯を中心に栽培される。国内では関東南部~沖縄まで 栽培事例あり。●生育特性 凍障害を受けない温暖な土地で、かつ日照の多い比較的乾燥地を好む.●開花特性 国内では花より葉が先行して出芽する。花数も相対的に少ないため樹冠全体が花で覆われる ことは少ない。」「ジャカランダ遊歩道」からの帰路は、国道135号に沿って設置されている、熱海の風景をテーマにした石碑を楽しみながら歩く。最初に「長谷寺山門」。熱海にも「長谷寺」👈リンク があることを以前知ったのであった。ジャカランダと椰子のコラボ。この花にはミツバチの訪花は確認出来なかった。「キバナランタナ」の花とのコラボ。さらに国道135号の遊歩道を歩く。「錦浦景勝熱海の景勝地の一つ。伊豆の玄関、魚見崎の南から約1キロメートルに及び断崖が続く名勝。(魚見崎~錦ヶ浦~曽我浦は約2キロメートル)太陽がのぼるとき、光が浦にそそいで眩しい五色の光となって輝くことから、京の錦織の名をかりて「錦ヶ浦」と呼ぶようになりました。熱海多賀火山の名残を残し、源頼朝、加藤清正などの歴史的人物に由来する伝説も残されています。崖の高さは80メートル。荒波が刻んだ兜岩・基盤岩・烏帽子岩・弁天岩など奇岩が並び、海上には初島や大島が浮かびます。」とネットから。「サンビーチ 花火大会熱海海上花火大会は、1952年(昭和27年)にはじまった歴史ある花火大会。夏だけではなく年間を通して10回以上も開催されている熱海名物です。会場である熱海湾は、3面を山に囲まれた「すり鉢」状の地形のため、海で上げる花火の音が反響し、 大きなスタジアムのような音響効果があり、花火業者さんも絶賛する日本一の花火打上会場です。 夜空に広がる花火や、水面に映る花火、そして、フィナーレを飾る「大空中ナイアガラ」の美しさは、瞬きを忘れるほど!心にずっと残る思い出ができる、熱海ならではのイベントです。」と。陽光があれば、青紫の花が更に耀くのであったが。以前に訪ねた「来宮神社 👈リンク来福・縁起の神として古くから信仰されている來宮神社。本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年、幹の太さは24メートルの大楠の御神木があり、パワースポットとしても有名です。幹を一回りすると一年寿命がのびると伝えられており、この木の生命力にあやかろうと長寿・病気平癒・健康祈願の参拝者が多く訪れます。また、願い事のある人は、思うことを誰にもいわず一回りすると願い事がまとまる、とも言われています。夜はライトアップされ、朝、昼、夜とそれぞれの表情が楽しめます。例大祭は毎年7/14~16に開催されます。」と。「貫一お宮の像」の手前の入り口。「熱海♨観光案内マップ」。「貫一お宮の像」の広場前が前方に。「お宮の松」案内。遊歩道にも巨大な「お宮の松」の絵が刻まれていた。更に歩道を進む。朝顔に似た花。「コンボルブルス」であろう。「梅見の滝」👈リンク熱海市の全国的に知られる観光名所である「熱海梅園」内にある、四季の移ろいが感じられる滝。「姫の沢公園」。「姫の沢公園」は、市街地中心部より北西約5キロメートルに位置し、四季を通じて花と緑を楽しんでもらうように造られた自然を基調とした総合公園であり、園内には、四季折々の花木はもとより、アスレチックコースなどが整備され、家族連れで自然に触れ合いながら一日中楽しむことができると。「金糸梅」とのコラボ。北側の「サンデッキ広場」への石段の横の壁前を通過。「貫一お宮」。「尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の名場面。主人公貫一とお宮の別れ場面に熱海海岸が登場し一躍有名になった。現在の像は昭和60年に建立された。」ここでもジャカランタと椰子のコラボを。「中山晋平記念館」👈リンク。「大衆音楽の普及に大きな役割を果たした作曲家中山晋平の業績を偲び、晋平が晩年を送った住居をそのままの形にて遺品とともに梅園内に保存されています。」まだまだ人の数が少ない熱海海岸、しかし早朝の為か?「大湯間歇泉」👈リンク「お湯が音とともに噴出し、周囲に湯気とイオウの臭いを立ちこめる大湯間隙泉。関東大震災により噴出が不規則になり現在は復旧工事にて人工間歌泉となった。」「熱海」と書いて、「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになった」と。石板絵画をさらに追いかける。「澤田政廣記念館」👈リンク。「熱海が生んだ芸術家澤田政廣。九十三年間の生涯における作品は、木彫、油絵、陶芸、書、リトグラフ等と極めて多彩であり、澤田芸術の集大成がここに展示されています。」「ブットレア」を再び。「伊豆山神社」。この「伊豆山神社」👈リンク は一昨年2019年2月に訪ねたのであった。「伊豆に流されていた源頼朝と北条政子が、ここで忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様として人々に親しまれているロマンあふれる神社です。」日本に住んでいるとなかなか見る機会のない花・ジャカランダ。和名は「紫雲木」。その名の通り青紫色の花が、ふわりと煙るように咲き誇っているのであった。宮崎市内にもジャカランダの並木があるようだが訪ねたことはない。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.14
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熱海のお宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。北側の「サンデッキ広場」への石段の横の壁。この作品の作者は??椰子の木と「ジャカランダ」のコラボ。見上げて。オレンジ色の「カンナ」の花。「アガパンサス」。「クジャクサボテン」の花であっただろうか。そして「アメリカデイゴ」。和名はカイコウズ(海紅豆)。カイコウズの名はあまり使われず、「アメリカデイゴ」と呼ばれることが多い。近づいて。初夏から初秋にかけて真っ赤な花を咲かせ続けるアメリカデイゴは、南アメリカ(ブラジル及び北部アルゼンチン)を原産とする暖地性の花木。日本へ渡来したのは江戸時代末期のこと。寒さを嫌うため日本で植栽できるのは、本州南部~沖縄にかけて。主に暖地の公園などで目にするが、九州などでは街路樹として利用され、鹿児島では県の木に指定される。なお、沖縄で県の花に指定されているデイゴは別種であるとのこと。アメリカデイゴに似ているが、葉の出る前に開花するのと寒さに弱い点などが、アメリカデイゴと異なるのだと。既に落下した花びら。アルゼンチンやパラグアイの国花であると同時に、鹿児島県の県木にも指定されているのだ。鹿児島県の県木としては、確かに南国ムードはあるものの、できれば県産自生の木を選んでほしかった気もするのであるが・・・。「アメリカデイゴ原産(インド・マレー半島)日本名(海紅豆(かいこうず)・海外から来た赤い豆、の意。)日本では沖縄県が北限とされています。沖縄県の県花になっています。」「アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)」の花。ズームして。アツバキミガヨランという名前ですが、蘭の仲間ではないと。「キング・プロティア」の蕾。開花すれば。「キング・プロティア学名 プロテア・キナロイデス分類名 ヤマモガシ科プロテア属樹高 1 m ~ 3m程度原産地 南アフリカ開花期 4月~ 10月花言葉 王者の風格 甘い恋プロテアは花の王様と賞賛される南国の常緑低木で、花名な自由に姿を変えることができるギリシャ神話の海神プロテウスが由来。南アフリカには多種類のプロテアが自生しており、中でもこの「キング・プロテア」は花が大きく優雅であることから南アフリカ共和国のシンポルであり国の花となっています。」再び「椰子」の木を見上げて。そして「貫一お宮の像」の広場に到着。和文と英文の案内板。「明治の文豪尾崎紅葉の代表作小説「金色夜叉」は、明治30年(1897)1月1日から5年半に亘り読売新聞に連載され、たちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こしました。ストーリーは、ヒロインの鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子、富山に見初められることに始まります。宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者・間貫一がいたにもかかわらず、それを承知で両親が富山の求婚を受け入れたことから繰り広げられる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌 熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限りが広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになりました。今日、国際観光温泉文化都市として、全国有数の観光地に発展を成し得たのは、丹那トンネルの開通と共に金色夜叉が大きなきっかけになったことは申すまでもありません。金色夜叉の主人公貫一とお宮の名は「可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・月が・・・月が・・・曇ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ」の名台詞と共に、歳月の移り変わりのもかかわらず、人々の記憶に残り、いつまでも愛されていくでしょう。紅葉は、35歳の若さで死去し、『金色夜叉』はついに未完に終わってしまいましたが、紅葉の死後、彼の残した『腹案覚書』をもとに、紅葉の高弟であった小栗風葉によって完成されたのであります。熱海市では毎年1月17日、作者を偲んで尾崎紅葉祭が行われます。貫一お宮のブロンズ像は、熱海市在住の日展審査委員館野弘青氏により製作され、熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に、昭和61年(1986)年1月17日熱海市に寄贈したものであります。平成元年5月吉日」そして「貫一・お宮の像」。「尾崎紅葉記念碑」。「尾崎紅葉」の写真。「尾崎紅葉(1867~1903)森鴎外等と並び明治を代表する文豪。胃癌のため35才の若さで惜しまれつつ世を去ったが、晩年、読売新聞紙上に連載した恋愛小説「金色夜叉」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れわたった。以来。熱海市は国際観光温泉文化都市を標榜し、全国有数の観光地として大きな発展をとげ、今日に至っている。熱海市民は、尾崎紅葉先生の業績に感謝するとともに、その遺徳を偲び「金色夜叉」の「来年の今月今夜のこの月を」の名科白で有名な貫一・お宮の別離の日、1月17日を記念日と定め、尾崎紅葉祭うぃ開催している。」心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が。「この像は、明治時代の新聞連載小説、尾畸葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現したものです。ニ人の心の擦れ達い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません。是非、この小説をご一読いただき、ニ人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけましたら幸いです。」台座には館野弘青(たてのこうせい)作と刻まれていた。角度を変えて。貫一の顔をズームして。お宮の顔をズームして。さらに。「「お宮の松」の由来。お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものである。この松は、江戸時代前期(1645年頃)、智恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれている。この松は、その姿が美しかったことから、「羽衣の松」とも呼ばれていた。1897(明治30)年から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、1919(大正8)年熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が建立された。この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、熱海の新しい名所となった。 また、この碑も女性的な感じから川端康成は、「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。1949(昭和24)年、キティ台風により道路が崩壊されたことにより道路の拡幅が行われ、海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等によりとうとう「お宮の松」は枯れだした。(初代「お宮の松」の樹齢はおよそ300年で、現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2メートルの場所にあった)。市では、市民皆様の協力を得て、二代目「お宮の松」の選定を始めた。その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定し、国際興業の社主であった小佐野賢治氏により寄贈を受け、小田原市の本多大四郎氏の所有する松を添松とし山種証券の山崎種二氏等の寄附並びに市内関連団体の多大な協力により、1966(昭和41)年現在の場所に二代目「お宮の松」として完成したものである。「お宮の松」の樹齢は、2001(平成13)年現在でおよそ95年、添松はおよそ75年になります。」「紅葉山人記念 金色夜叉の碑」。「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」と。「金色夜叉の碑明治の文豪尾崎紅葉の傑作「金色夜叉」にちなんで建てたものです。”宮に似たうしろ姿や春の月”・・・・・「終遍金色夜叉」を執筆した門弟小栗風葉自作自筆の句が刻まれた記念碑です。毎年1月17日にはここで尾崎紅葉祭が行われます」そして現在の「お宮の松」。「お宮の松」。「初代のお宮の松」。現在のお宮の松は昭和41年に植えられた2代目で、初代は排気ガスの影響などで枯れてしまったとのこと。2代目の脇に展示されている初代の切り株をみると相当大きな松の木だったことが分かるのであった。更に近づいて。更に進む。昨年に比べて比較的花のボリュームが少ない気がしたが。昨年の花付きの姿。今年の花に近づいて。「ブッドレア ブラックナイト」とのコラボ。別名は「房藤空木(フサフジウツギ)」。原産地は中国である。日本へは明治時代にヨーロッパで改良されたものが渡ってきた。ブッドレア・ブラックナイトはそうした園芸品種の1つである。特徴は花の色が濃い青紫色をしていることである。樹高は1メートルから3メートルである。葉は卵状の楕円形で、向かい合って生える(対生)。葉の裏面には毛が密生していて白い。開花時期は7月から10月である。細い枝を広げて円錐花序(枝分かれして全体が円錐状に見える)を出し、紅紫色の花をたくさんつける。花は上側に向いて咲くので下面には少ない。花はよい香りがする。花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。全体にサポニンを含み有毒である。」とのネット情報。以前、日比谷花壇大船フラワーセンターでも見た記憶があるが。振り返って。白百合と金糸梅。前方にユニークな形の石造りのオブジェが。小さな丘の上に。鍵穴の如き造形であったが、説明書き等はなかった。この作品名の判かる方は書き込みお願い致します。ピンクの百合の花。ズームして。更に進む。緑あふれる岸辺の空間。中心が淡いピンクの百合の花が群生して。鉄砲ゆりの「トライアンフェター」に似ているが中心の濃さが違うか。「銀梅花(ギンバイカ)」にも似た花であったが。ズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.13
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この日は6月10日(金)、今年も熱海海岸沿いを彩るジャカランダそして糸川沿いのブーゲンビリアを愛でにいつもの旅友と行って来ました。自宅を6時に出て茅ヶ崎に住む旅友邸へ。そしてこの日は私の愛車で熱海に向かったのです。順調に車は進み、7:45に熱海海岸近くの駐車場に到着。「ATAMI ジャカランダ フェスティバル 2022」が行われていた。5.28 Sat ~ 6.12 Sun ジャカランダライトアップ 期間中毎日 18:00~22:00 ブーゲンビリアライトアップ 期間中毎日 18:00~23:00そしてまずは熱海海岸沿いを彩るジャカランダの花の散策開始。駐車場前のジャカランダの花を見上げる。今年も5/28(土)~6/12(日)の間「ジャカランダフェスティバル2022」を開催。期間中は遊歩道をライトアップされると。「花が頭に落ちるとしあわせが訪れる」と言われる「ジャカランダ」の花。咲くか、咲かないか、その年になってみないと分からない花と。そんなちょっと気まぐれなジャカランダ。1990年に熱海市の国際姉妹都市、ポルトガルの力スカイス市から贈られた2本が、いまでは100本以上に。常夏の熱帯地域を中心に分布する世界三大花木は、いまでは熱海の初夏を告げる花となった。熱海の海沿いでは、この6月になると、お宮緑地からサンビーチにかけて、ラッパの形をした小さな青紫色のジャカランダの花がブーケのように空を彩るのです。熱海の景勝地、錦ヶ浦の山頂にそびえ立つ熱海城をズームして。「熱海サンビーチ」沿いの国道135号に向かって歩く。熱海市春日町の高台に立つ高層高級マンション「ザ・クレストタワー熱海」の姿。地上30階建、全320邸であると。手前の写真左のピンクの建物は「ゼファー熱海ビーチタワー」。熱海ビーチライン出入口の目の前に建つ、熱海で2番目に高いタワーマンション。ヨーロッパのリゾートホテルを彷彿とさせるカラーリングで熱海のサンビーチ沿いの建物の中でもひと際目を引く素敵な佇まい。眼前に相模灘を望む伸びやかな眺望の温泉大浴場には露天風呂もあると。海上花火大会の際は屋上が解放され、花火と夜景を肌で感じることができるのだと。熱海親水公園のムーンテラスを見る。熱海海岸への石段の横の壁には亀やマンボウの姿が水族館の水槽の中の如くに。後ほど訪ねた「釜鳴屋平七(かまなりや へいしち)夫婦像」の後ろ姿を見る。ズームして。ムーンテラス・恋人の聖地を正面から。国道135号沿いのホテル・ビル群。遊歩道のタイル絵・「熱海ムーンテラス」。こちらは「市の花 梅」。このジャカランタの樹には多くの花が。ラッパ状の花がたわわに。右手にあったのが「熱海警察署 中央交番」。「熱海サンビーチ案内図」。そしてお宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)がここからスタート。赤のブーゲンビリアもゲートフェンス上に。ズームして。「ブラシの木」の花も。「キバナランタナ」の花。原産地は南アメリカ。和名を七変化(シチヘンゲ)というように、花の色が黄色から橙色、赤色へと変化する。葉に斑が入っているので「フイリキバナランタナ(斑入り黄花ランタナ)」であろう。ジャカランダは、世界三大花木のひとつとされているノウゼンカズラ科の高木で、中南米が原産。世界三大花木とは、鳳凰木(ほうおうぼく)、火炎木(かえんぼく)、そして紫雲木(しうんぼく)の3つで、ジャカランダは、この「紫雲木」という和名を持つ木で、本来は、日本の桜・ソメイヨシノと同じく葉を落とした状態で花だけを咲かせるのだ。南米・アルゼンチンや、ヨーロッパ・ポルトガルなどでは、初夏になると房になった釣り鐘状の花が無数に咲き、ジャカランダが植えられた街が紫色に染まる風景写真をインスタグラムや観光案内などで見かけるのだが、その風景は圧巻のひとこと。房になった釣り鐘状の花に近づいて因みに、他の世界三大花木の「鳳凰木」👈リンク。「火炎木」👈リンク。2019年に訪ねたポルトガルでは、初夏になると青紫のジャガランダで街が紫一色に染まるのだと。さしずめ紫の桜といったところ。ポルトガルでは「ジャカランダ」の紫色の花が満開になる頃はちょうどイワシ祭りというお祭りの時期。賑やかなイワシ祭りと、ジャカランダの満開の花を見る為に海外からもたくさんの人が訪れるのである、というがコロナ禍が収まりつつ有る今年は??。こちらが、南アフリカの首都・プレトリアのジャカランタの並木。熱海のジャカランダは、残念がら花のボリュームより葉のボリュームが多いのだが。これも天候、土地の質等が微妙に影響するのであろう。熱海の「ジャカランダ」の花には多くの葉が同時にあり残念だが。「ブッドレア ブラックナイト」と。右手に「竹灯籠」。竹灯籠「まめっこ&あつおくん」。そして竹灯籠「駒犬」。「熱海市とカスカイス市」碑。「熱海市とカスカイス市カスカイス市はポルトガルの国際的なリゾート地であり、大西洋に面した美しい海岸線と街並みで有名です。熱海市とは、ポルトガルに柔道を伝えた日本人柔道家を通じた交流がご縁の始まりとなり、1990年7月に姉妹都市の締結を行いました。その時、記念に贈られたジャカランダは1999年に初めて開花して以来、カスカイス市と熱海市の友好のシンボルとして、市民や観光客に愛されています。」この鳥の名は?「ハクセキレイ」であろうか?お宮緑地(ジャカランダ遊歩道)を進む。熱海市の汚水マンホール。熱海市は、2017年に市制80周年を迎えたことを記念し、マンホール蓋2種類をデザインした。明治時代に熱海温泉を一躍有名にした尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の名場面と「お宮の松」、そして背景の夜空には「花火」を図案化したもの。今年はやや花の数が少ないか?ジャカランタの下にはベンチが。「カスカイス市・熱海市 国際姉妹都市提携記念樹木ジャカランダ(ノウセンカズラ科) 平成2年(1990)7月2日」。カスカイス市は、ポルトガルのリスボン県の都市。市内には、国際的なリゾート地であるエストリルを含む。また、2019年に訪ねたユーラシア大陸最西端の「ロカ岬」👈リンクへの定期バスがここカスカイス市から発着しているのだと。お宮緑地のこのジャカランダは平成2年7月にポルトガルのカスカイス市と国際姉妹都市提携を記念して植樹された木であるのだ。しかし今年の「記念樹木」には花がなかった。再び「キバナランタナ」。花の外側の色が黄色からピンク色へと変化。「キバナランタナ」と。そして「カシワバアジサイ」。近づいて。「サンデッキ広場」への階段横の壁の造形。石段横の黄色の「キンシバイ(金糸梅)」と「ジャカランダ」。石段の奥には子供とハートをイメージしたオブジェが。ラッパのごとき藤色の花。その形がファンファーレを吹くトランペットを連想させることから「栄光」「名誉」という花言葉がつけられたと。その神秘的な紫色は高貴な色とされ、王室をイメージするとも。南アフリカのツアーが最も人気が出るのがジャカランダの時期・10月。プレトリアでは街全体が紫色に染まり、まるで花のトンネルをくぐっているような気分に!。日本の桜の「青紫」版。コロナ禍が落ち着いて行ける日が来るであろうか。「サンデッキ広場」の植栽の間を歩くと左手にもベンチとタイル画があった。「和田山雪」の文字が。画家山本光一の作品。「AAY380タイムカプセル」碑。「AAY380タイムカプセルこのカプセルは昭和59年10月1日より昭和60年3月30日の間、熱海梅園開園百年等の記念すべき節目の年を迎え、この年を「明日へ向けての熱海観光元年」としATAMI ANNIVERSARY YEAR380(AAY380-熱海380記念祭)と名付け開催された数々のイベント等の記録を収納したものです。21世紀、市にとって最良の日に後継者により、オープンされますことを期待しここに設置いたします。」「熱海八景」碑。「熱海八景画家、山本光一は天保13年(1842)江戸下谷に生まれた。名は信敬。明治36年(1903) 10月6日、61歳で歿した。墓は臨済宗南禅寺派の月州寺(東京都台東区童泉2丁目2ー15)にある。山本家は代々江戸で儒学を教授していたが父素堂は二男て画もまたよくし、生歴を画家として終えた。光一の兄、学半も画家を志した。詳細は2人とも不明である。光一は熱海の風土が好きだったにちがいない。度々来遊して、明治21年には、「熱海梅園之図」と「改正熱海市街全図」を、翌22年には「伊豆の浦づたい」と題する絵入りの和綴本を刊行し、熱海の紹介に努めている。この「熱海八景色紙」は明治21年の刊。八景とは、かって成島柳北(1837 ~ 1884)が選んで話題となっていた景勝の地8ヵ所、すなわち梅園の春暁、来宮の杜鵑、温泉寺の古松、横磯の晩涼、初島の漁火、錦浦の秋月、魚見崎の帰帆、和田山の暮雪、を版画にしたのであろう。現今の風景と比べて興味津々たるものがある。今を去る90余年前の熱海である。 「1980年熱海八景色紙」より」英語にても。「ルリマツリ(プルンバゴ)」の花であろうか。 ・・・つづく・・・
2022.06.12
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昨日・6月5日(日)の朝は5時半過ぎに目が覚め起床。雨の心配がなかったので、車で10分ほどの場所にある「大清水境川アジサイロード」に向かう。藤沢市大鋸を流れる境川の両岸に植栽されているアジサイ。大清水橋から鷹匠橋までの約400メートルは、「大清水境川アジサイロード」と呼ばれている。地域住民が自宅の庭などで育てたアジサイを植栽したものであると。アジサイ(紫陽花)の別名には、こんなものがあるのだと。 ●七変化(しちへんげ):七変化とは、咲き始めてから時間が経つにつれ、色を変えこと からついた別名 ●四片・四葩(よひら):「花びら(正確にはガク)が四片あること」からつけられた名前 ●手毬花(てまりばな):丸く集まった装飾花の形から ●オタクサ :この名は、シーボルトの美しき恋心から生まれた名前。 1823年、長崎に渡来したドイツ人医師シーボルト。 植物研究にも情熱を注ぎ、とりわけ紫陽花に夢中になった。 ●刺繍花(ししゅうばな):手毬花と同じく、刺繍に見立てる。 刺繍から連想するのは、西洋紫陽花ではなく山紫陽 ●八仙花(はっせんか):「七変化」と同じ。さまざまな色合いに変化することから 名づけられた名前「大清水橋」を振り返る。斜面の草刈りも行われていた。この場所にひまわりを植えて平成16年度の「藤沢市まちづくり賞」を受賞と。今年もヒマワリの苗が植えられていた。ガクアジサイ。藤沢市民病院を見る。山の斜面には住宅がさらに広がっていた。こちらはこれからが見頃か。車で移動し「鷹匠橋」を見る。「鷹匠橋」。徳川時代に将軍が鷹狩りをする目的で、藤沢御殿が造られた。現在の藤沢市民病院の側であった。その関係で、藤沢の辺りには鷹匠も住んでいたと。このことから市民病院北東の境川にかかる橋は、『鷹匠橋』と名付けられているのだ。歴史を感じさせる橋名。藤沢市内にはもう一つの「鷹匠橋」がある。こちらは「伏見稲荷大社」に向かって進むと引地川に架かる橋であり「大場鷹匠橋」と呼ばれているのである。よって正確には「鷹匠橋」はこの橋のみなのであるが。構造種別:1径間PC桁河口からの距離:6.5km橋の長さ:33.5m有効幅員:11m 完成:1990年(H2)欄干には半透明ガラスにスミレとチョウを描いた洒落たステンドガラスの如き絵が飾られていた。近づいて。下を流れる川は横浜市との市境になっている「境川」。前方に藤沢バイパスに架かる「境川大橋」。「境川」の上流側を見る。「鷹匠橋」の欄干には同テーマの造形作品も。近づいて。白いスミレの花であろうか。別の場所のステンドグラス。「さかいがわ(境川)」。歩道にもタイル模様が。モンシロチョウの飛ぶ姿が微妙に異なるのであった。橋の袂の民家のあじさい。そして「境川」の上流に向かってアジサイ(紫陽花)を楽しみながら進む。ここ「境川」の西側の堤防上の道は「藤沢・大和自転車道」が。大和市下鶴間と藤沢市鵠沼海岸の間の一般県道で、境川サイクリングロードや境川自転車道と呼ばれる大規模自転車道。アジサイの「七変化」を楽しみながら進む。「アジサイは咲き始めは白っぽく、開花が進むにつれ、淡い色から濃い色へ濃淡や色が変化していくため、別名「七変化」とも呼ばれます。一般的に、土壌の酸度によっても花の色が変わり、酸性だと青寄り、アルカリ性だと赤寄りの色になります。日本は元々酸性土壌なので、赤色品種のアジサイでも庭に植えると、次第に赤紫色に変化。鉢植えでも、根酸(根から分泌される酸)の影響で土が次第に酸性になり、同様のことが起こります。色鮮やかな赤色を維持するには、土に石灰をまいて、土をアルカリ性に傾ける方法があります。なお、青紫色のアジサイに石灰をまいてもきれいな赤色にはなりません。青紫色のアジサイは酸性の土壌で鮮やかな色が出る、日本の風土に合った花木と言えます。」とネットから。「鷹匠橋」を振り返る。純白のアジサイも。帰路にあった「カシワバアジサイ」。そして濃い赤紫のアジサイ。この日に立ち寄った近くの「わいわい市」にあった変わったアジサイ。 ・・・END・・・
2022.06.06
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4月28日(木)に「茅ヶ崎市の寺社旧蹟を巡る」の4回目、茅ヶ崎市内のJR相模線の東側で松林通りの北側、そして室田1丁目、高田1丁目を歩いて来ました。その時の、様々な「花」の姿を新鮮なうちにアップさせていただきます。まずは我が家の最寄りの小田急線の駅までの途中にある民家の藤の花。紫色の花房がたわわに。手入れがよく、毎年、楽しませてくれるのです。そして茅ヶ崎市香川の民家のオオデマリ。ボール状の花を咲かせるのがオオデマリ。花が大きく鞠のようにまとまってつくことから名づけられたと。オオデマリはヤブデマリの花(ガク咲き)が、すべて装飾花(手まり咲き)になったもので、英名はジャパニーズ・スノーボール(Japanese snowball)と。八重咲きの美しいツツジ。ツツジの甘い香りが漂っていた。こちらは、1本のツツジの木に様々な色合いの花が。ツツジの花の特徴とも言えるのが、いろいろな色の花を一本の木から咲かせること。そして「成就院」の「なんじゃもんじゃ」の木の花。明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いにこのなんじゃもんじゃの木があり、 名前がわからなかったので「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちにいつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまったのだと。 「何でふ物ぢゃ」→「なんじゅうものじゃ?」 →「なんじゃもんじゃ?」と。本種は小葉を持たない単葉であることから『ヒトツバタゴ(一つ葉タゴ)』の和名がある。モクセイ科の植物。「単葉」とは。「単葉」は下の写真で丸く囲った部分が1枚の葉。単葉の樹木では、葉が落葉すると、枝と小枝(分枝)が残るため、これを維持するためのエネルギーが必要になるのだと。「複葉」とは。丸く囲った部分が1枚の葉で、四角で囲った葉を「小葉(しょうよう)」と言うのだと。「丸く囲った部分が1枚の葉」なのだと??複葉の樹木は、落葉すると、残すべき枝が少ないため、維持するエネルギーも少なくてすむと。複葉の樹木は、「10枚の葉をつけるなら、10枚で1枚の葉にしよう!そうすれば、小枝(分枝)要らずで、エネルギーを抑えることができるぞ!!」という戦略を取っているのだと。プロペラ型の白い花。すぐ散ってしまうのだと。「本堂」前には接ぎ木ではなく「実生(種)」から育てた多くの苗木が並んでいた。そして道端のアイリス、いや花しょうぶか。こちらは黄色の群生が。純白のツツジ。こちらも1本の木であっただろうか。ジャスミンの花。香りがとても良く、「香りの王様」とも呼ばれ、優雅で甘美な香りが特徴の花。マスク越しにも甘味な香りが確認できた。そして先日もアップした「白旗神社」の「辨慶藤」。花房の長さが特徴。そして純白の「義經藤」。「鯉の滝のぼり」の如くに。花言葉は「可憐」「歓迎」「恋に酔う」と。白藤は、古い時代から、歌にも詠まれた優雅な花。そして我が姓も「◯藤」。そして帰宅して我が家の花を。ピンクの芍薬(シャクヤク)。黄色の芍薬(シャクヤク)。花びらに網目状の模様があるのでアヤメであろうか。ドイツアヤメに似た色合い。そしていわゆる、アイリス。シラン(紫蘭)。オダマキ。 ・・・END・・・
2022.05.01
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そしてこの日の最後に訪ねたのが「白旗神社」。 神奈川県藤沢市藤沢2丁目4−7。「源義経公・弁慶公」の銅像。そして境内の奥にある「辯慶藤」を訪ねた。白旗神社は、奥州平泉で最期を遂げた源義経を祀る神社。伝承によれば、義経と弁慶の首は鎌倉の腰越の浜で首実検が行われた後、2つの首が白旗神社に飛んできたのだといいます。1m余りの花房を幾重にもつけ見事な「辯慶藤」。近づいて。昨年は藤棚の前には「芭蕉句碑」があったのだがこの日には見当たらなかった。「草臥亭(くたびれて)宿かる比(ころ)や藤の花」芭蕉の「吉野行脚」に収録されている句で、文化2年(1805年)3月江戸の俳人以足によって建立されたとのことであったが。背面に「東路(あずまじ)や華(はな)にくるまる鈴の音」以足の句が彫られていたのであったが。近くに移設されていて気がつかなかったのかもしれないが。そして白の藤の花「義經藤」は開花が始まったばかりであった。満開までは後1週間はかかるであろうか?よって満開は5月に入ってからか?その頃に再び!!そして我が家の近くの農家の畑には一面に「クリムソンクローバ」の赤い花が開花中。花の姿から「ストロベリーキャンドル」とも呼ばれています。「クリムソンクローバ」は、根に共生する根粒菌が空中のチッ素を固定し、土を肥沃にしてくれるので農家では「緑肥」として栽培しているのです。緑肥とは、作物を畑で育て、土にそのまますき込むことで肥料分になったり、有機物として土壌改良に役立つ草の肥料のことなのです。そして我が菜園の「クリムソンクローバ」です。そして「クリムソンクローバ」は蜜源植物であり、沢山の蜜蜂がやって来るのです。ここ数日、我が菜園の「クリムソンクローバ」の花には我が趣味の養蜂の西洋ミツバチが訪花し、羽音がブンブンと聞こえて来ているのです。そしてこれも我が菜園の桜です。花の名は「ヨウキヒ(楊貴妃)」。開花はソメイヨシノの花が終わる4月中旬から下旬のこの時期。蕾は濃いピンク色で花は淡いピンク色だが、花弁の先端や裏側は濃いピンク色になる特徴を持つ。奈良県の興福寺にいた僧侶がこのサクラを好んでおり、その僧侶とたまたま同名である唐の皇帝玄宗が楊貴妃を寵愛していたという故事にちなんで名付けられたという説もある。江戸時代初期から栽培されていた品種であるが、現在見られるヨウキヒザクラは東京の荒川堤で保護されていたものが、江戸時代後期になって全国へ広がったものとされるのです。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.04.27
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「引地川親水公園・藤棚の回廊」を後にして次に訪ねたのが、車で10分程離れた「大庭城址公園」。未だ駐車場は開門されていなかったので、ゲートの前に車を駐め石段を上る。「大庭城址公園管理事務所」。そして「大庭城址公園」の「大芝生広場」に向けて坂道を上って行った。「大庭城址公園」案内図。「公園の概要大庭城址公園は、藤沢駅から北西に約4km、市の中心を南北に流れて相模湾にそそぐ引地川沿いの大庭の地にあります.この地は古れて相模湾にそそぐ引砌Ⅱ沿いの大庭の地にあります。この地は古くから人々に大庭城山と呼ばれ、城址としての歴史性とともに、録の山として親しまれてきました.大庭城址公園はその特性を生かして昭和60年3月に供用を開始した広さ約12.6haの総合公園てす。主な施設としては、大芝生広場、チビッ子冒険広場、休息広場、館址広場、花の広場等があり、フジ棚のバーゴラや複合遊具、四阿等も設置されています.園内にはウメやツツジ、バラ、アジサイなどの花木の他、ソメイヨシノを中心とした300本以上のサクラが植栽されており、お花見の時期には大変販わいます。」「大芝生広場」。左手に「フジ棚のバーゴラ」があった。手前には紫色の薄いやや白っぽいフジに花が。そして奥には紫の色の増した藤の花が。振り返って。つかの間の陽光が。ズームして。その先あったのが「大庭城址公園 さくらの園」碑。そしてその先にも別の「フジ棚のバーゴラ」があった。こちらは濃い紫の藤の花が。振り返って。「休息広場」の方向に向かって歩くと、遊歩道には落下した八重桜の花が。「大庭城址」碑。「大庭城址大庭城は、平安時代の末期( 12世紀末)、大庭荘を本拠としておこった関東平氏の雄、大庭氏の拠点であったと伝えられますが、明らかな記録はなく、室町時代中頃(15世紀後半)になって、扇谷上杉定正の執事太田道灌が、本格的な築城を行ったとされています。その後、上杉朝良のとき、北条早雲によって攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれました。そして、天正15年(1587)、小田原北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、大庭城は、廃城となったようです。現在残されている土塁・空堀などの城址の構えには、小田原北条時代の改修があったものと考えられますが、雄大でかつ綿密に設計されていたことは、築山、裏門、ニ番構、駒寄などの地名からもしのばれます。」そして「大芝生広場」、「休息広場」の周りを一周し入口へ。「大庭城址公園管理事務所」前から「湘南ライフタウン城山住宅」を見る。そしてこちらは、4月22日(金)に訪ねた「端山藤園」。駐車場がない為、急いで前の道から写真を撮る。これぞ満開状態であった。花房も長く。満開の藤の花を独り占め。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.04.26
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昨日の早朝、雨が降っていなかったので車で15分ほどの所にある「引地川親水公園」にある「藤棚の回廊」を訪ねました。駐車場に車を駐め、花の終わった桜並木の下を「藤棚の回廊」に向かって進む。そして「藤棚の回廊」に到着。私の住む市の花は「フジ」。 市内の公園には多くの藤棚があり、4〜5月には長い房に紫色の花を咲かせ、夏には日陰を作り私たちに憩いの場を提供してくれるのです。昭和45年10月1日に市の花に決定したのです。約130mの長い藤棚を追いかけたのであった。陽光があれば・・・。クマバチの羽音が「ブーンブーン」と至る所から聞こえてきたのであった。黒い身体に黄色い毛が特徴的なクマバチは、サイズも羽音も大きくて、少し怖く見えます。クマバチは単独性の狩蜂なので、幼虫を育てるための毒針を持っています。しかし凶悪に見える外見に反して、めったに人を刺さない温厚な性格をしているのです。少なくとも、クマバチを一回り小さくしたような見た目をしているミツバチよりも、攻撃性は低いのです。素手で掴んだりしなければ、刺してくることはほとんどないと言われています。クマバチを見かけても、静かにその場を離れれば攻撃してくることはないと言われています。平安から鎌倉にかけては松の緑を背景として、そこに絡まって咲く藤の花の美しさが鑑賞の基準とされ、様々な所にそのような記述が見られる。例えば枕草子の84段には「めでたきもの」として「色あひ深く花房(はなぶさ)長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」とある。これを栽培する歴史も長く、庭の藤を愛でる言葉は万葉集にも見られる。強い日当たりを好むため、公園や庭園などの日光を遮るものがない場所に木材や竹、鉄棒などで藤棚と呼ばれるパーゴラを設置し、木陰を作る場合が多い。天蓋に藤のつるをはわせ、開花時には隙間から花が垂れ下がるように咲く。変異性に富んでおり、園芸品種が多い。一才藤(いっさいふじ)として鉢植えや盆栽用に流通するのは、樹高50 cmくらいの一才物のフジである。日本で有名なものに亀戸天神社(東京都)、牛島藤花園や長泉寺および久伊豆神社(埼玉県)、あしかがフラワーパーク(栃木県)などの藤がある とウィキペディアより。以下、写真のみとしますので藤の花をお楽しみください。「藤棚の回廊」が続く。そして旅友が送ってくださった同じ公園の別の藤棚の写真(4/21撮影)です。 ・・・つづく・・・
2022.04.25
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次に訪ねたのはこれも地元にある「日本大学生物資源科学部」の桜並木。空き地に車を駐め、向かう。途中民家の庭に咲く「アカバナトキワマンサク」の花。近づいて。そして「日本大学生物資源科学部」に入る小田急線の踏切。小田急線が通過。「六会日大前」駅方面を見る。ソメイヨシノの老木の並木も満開に。右手の「日本大学生物資源科学部グランド」の周囲も満開の桜に囲まれていた。左手には「日本大学藤沢高等学校」の野球グランドがある。「日本大学生物資源科学部グランド」の先には「日本大学生物資源科学部本館」。左手は日本大学藤沢高等学校・藤沢中学校・藤沢小学校の校門。ズームして。そして右側が「日本大学生物資源科学部本館」への校内道路。グランドの緑の人工芝が美しかった。更に構内道路を楽しむ。椿の花も。そして帰路に。この道路標識も以前はもっと難解であったが。そしてこの日の我が家の「庭梅(にわうめ)」の花。昨日は頑張って花はまだ散りだしていないが。 ・・・もどる・・・ ・・・花見おわり・・・
2022.04.04
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この日は3月29日(火)、近くのホームセンターに買い物に行った帰りに、市内を流れる「引地川」の円行公園近くの桜並木を訪ねました。これぞ満開!!の桜並木。ガードレールの上には桜のデザインが。川面を覗き込む様にソメイヨシノの桜の枝が伸びて。以下、説明はところどころのみに。400mほど桜並木の道を進んで次の橋を渡り対岸を引き返す。川の名は「引地川(ひきじがわ)」。橋の名は「柳橋(やなぎばし)」。円行公園の赤の椿の花。ユキヤナギ。寿命がつき、伐採されてしまった桜の老木。地面に近い場所の太い幹に。この場所が、早く咲きだすのは地温が高い事が理由とテレビで。カーブミラーに映る桜を楽しむ。大きな鳥が桜の花と戯れて。そしてスタート地点の「円行大橋」まで戻る。薄曇りで青空が見えなかったのが残念であったが。 ・・・つづく・・・
2022.04.03
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昨日夕方のテレビの天気予報では「九州~東海で夏日続出 3月として記録的な暖かさの所も 東京都心2日連続20℃以上」と。気温の上昇に伴い、我が家の庭、畑の花々も開花を始めています。4月下旬の陽気であると。これは、何の花でしょうか:クイズ1クイズ2そしてスイセンも開花を始めています。こちらは一昨日の雨に濡れて・・・。ヒヤシンス(白)。ヒヤシンス(紫)。ムスカリ。木瓜(ボケ)。そして今後も更に様々なスイセン、ニワウメが咲き出すでしょう。畑では、ブロッコリーの脇芽も開花を始めています。そしてクイズの回答です。クイズ1:チンゲンサイ(青梗菜)クイズ2:コウサイタイ(紅菜苔)、中国野菜です。
2022.03.16
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ご近所の庭に咲く「河津桜」が今年も満開になっていたので、昨日、楽しませて頂きました。樹齢20年程度のものでしょうか。見上げると、ミツバチの姿と羽音がブンブンと。既に若葉も顔を出していました。今年も鮮やかなピンクの花が青空に映えて。キンカン(金柑)もタワワに。ソメイヨシノの淡いピンクに比べ、はっきりとした明るいピンク色。オオシマサクラとカンヒサクラの交雑種ではないかと言われています。人間の手で作られた園芸品種ではなく、自然が作り出した偶然の産物です。静岡県の河津町で発見されたのが名前の由来です。そしてこちらは、ミツマタ(三椏)の花。ミツマタは早春に枝の先に花が咲き、その後に同じ場所から3本の枝が伸びます。そのため、ミツマタの枝は常に3本セットで先端が3つに枝分かれしています。この独特の枝ぶりから「ミツマタ」の名がついたといわれています。 沈丁花(ジンチョウゲ)と同じように花には花弁がなく、花弁のように見えるのは萼片である。 花にはよい香りがあり、黄色い色をしている。 花はボンボンのように密集しているが、よく見ると4枚の萼片を持つ花の集まりである。もう1本、別の場所にも。手前には白の枝垂れ梅も。白の枝垂れ梅とのコラボ。そしてこちらは、我が菜園の隅に植えた桜:楊貴妃(ヨウキヒ)。蕾もピンクの色が濃くなって来ました。今週末には満開を迎えそうです。
2022.03.15
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今年も、我が家の横の菜園の隅にある皇帝ダリアが満開を迎えています。秋の台風での強風で倒れかけている幹ものもありましたがそこにも多くの花が。ダリア属の植物は、メキシコから中米に27種が分布しており、茎が木質化する3種がツリーダリアと呼ばれています。皇帝ダリア(Dahlia imperialis、D・インペリアリス)は、そのなかでも特に茎が太くなり草丈が高くなります。皇帝ダリアは、日が短くならないと花芽ができないので、開花期が遅く11月下旬から咲き出します。近くに街灯や電灯があると日が長いと感じ、花芽をつけないとのこと。今年もよく成長し3~4mにも達しています。このことから「皇帝」と名付けられたとのこと。晩秋のこの時期、空にそびえて立つ姿は圧巻なのです。花はピンク色で直径約20cm程の大輪の花が茎の頂上につけています。細い茎を持つことから皇帝ダリアは別名「木立ダリア」とも呼ばれます。皇帝ダリアは、竹のように膨れた節のある茎を生やし、互い違いに生えた葉っぱと、8枚の花びらをつけます。花言葉は「乙女の真心」「乙女の純潔」など女性の心や気持ちを表すものばかり。見た目は強がっていても、中身は人一倍女性らしい方にぴったりな花かも??寒さに弱いため、霜が下りるとあっという間に葉っぱが黒くなってしまいます。冬になると球根だけが残って地上より上の部分が枯れます。そして翌春になるとまた新芽が芽吹き出すのです。先日、九州を旅した折に道路脇に咲いていた皇帝ダリアの八重咲き。八重の皇帝ダリアは 開花が一重の皇帝ダリアより遅いのです。これぞ皇帝「ダリア」の名にピッタリの花の姿だったのです。
2021.11.21
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今朝、天気が回復したので、自宅から車で10分弱のボサ菊畑に行って来ました。この畑では、毎年農家の方が咲かせてくれています。今年も満開で迎えてくれました。左のアパートにお住まいの方が羨ましい!!普通の小菊を剪定を重ねて、ドーム状に仕立てたもの。そしてもう一つが、品種改良により、勝手にドーム状に育つものです。現在は、後者の、勝手にドーム状に育つものが一般的だと聞いています。宿根草ですので、来春芽が出て来ますので、肥料を上げ、大きくなったら芽差しをし育てるのです。今年も、真紅、黄色、白の三色がカオス状態で。白色の列。黄色の列。近づいて。白の中にピンクの花も。見事な真紅の色合い。一株当たり1000個から2000個の小菊の花を10月下旬から11月上旬に咲かせてくれるのです。カップケーキの如しと学友からも。ハーフ&ハーフの花も。更に近づいて。農家の方のご配慮で、今年も畑の中に入れました。ありがとうございました。
2021.11.10
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我が家から直線距離で300m程度の場所、国道467号沿いに「JAさがみ わいわい市 藤沢店」があり、その向かいに「コメダ珈琲店 藤沢亀井野店」があり、その前に菜の花の如き黄色い花が一面の咲いていると趣味の養蜂の師匠からSMSで連絡を頂きました。昨日11/3(水)、平塚まで車で出かけた帰りに立ち寄って見ました。既に花のピークは過ぎていましたが、2反≒2000m2以上の広さで一面に黄色の絨毯が拡がっていました。交差点の先、左側が「JAさがみ わいわい市 藤沢店」、国道467号を挟んでその向かいが「コメダ珈琲店 藤沢亀井野店」。「葉」と「花」を撮して、帰宅してネットで調べてみるとこの植物の名前は「ネマクリーン」であるようだ。土壌の線虫抑制や窒素固定を目的として農業用に栽培されるマメ科の1年草、緑肥となる「ネマクリーン」。土壌のネコブ線虫(サツマイモ、ジャワ、アレナリア、キタネコブ)、ミナミネグサレ、ナミイシュクなど各種線虫の密度抑制効果があります。土中に窒素を固定するため地力増進効果が高く、窒素施肥量を減らすことができます。根群が土中1m近くまで深く入り、硬盤を粉砕するとともに有害線虫の生息域を狭めますので、減農薬効果もあります。夏から秋には黄色の花を一面に咲かせ、景観形成効果も素晴らしい品種です と。しかし、我が趣味の養蜂の「西洋ミツバチ」の姿は、菜の花とは異なり見つけることは出来ませんでした。ルピナスの花にも似てマメ科特有の蝶形花。緑肥として鋤き込むのは何時になるのでしょうか。 ・・・おわり・・・
2021.11.04
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昨日の我が家の庭の酔芙蓉(スイフヨウ)の花です。時間は14時過ぎ。朝には純白だった花が、昼を過ぎて淡いピンクに染まって来ていました。酔芙蓉の特徴は、朝白い花を付け、昼頃からピンク(赤)色に徐々に変化し、午後ピンク(赤)一色となる変わった花。 朝花が咲き、夕方には萎んでしまう一日花で、時間とともに酒に酔っているように見える事から「酔芙蓉」と名付けられているのです。そして2時間後の16時過ぎには一面のピンクに。そして前日に開花した花は、萎んで今にも落ちそうなのであった。こちらは、我が家の近くの金木犀の花。9月中旬に花がついていましたが、昨日は再び満開状態。ズームして。良い香りが辺り一面に。金木犀はモクセイ科の常緑小高木の一種で、元々は中国から渡来した花。その甘い芳香は秋の風物詩になっているのだ。金木犀の開花時期は9月中旬~10月下旬といわれますが、気温の影響を受け、気温が高いほど開花時期は遅くなると言われている。また、9月に一旦花が咲き終えた後、10月に新しい花が開花して下旬まで楽しむことができる2度咲きする樹もあるのだと。台風16号の通過時の気温低下も影響している可能性もあるのだと。
2021.10.06
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小出川の彼岸花の散策を続ける。二本の曲線の帯が。朝の陽光に輝く「曼殊沙華」。ヒガンバナ(彼岸花)の花言葉の一つに「情熱」が。三角形のコラボ。「小出川」沿いの田んぼの一部だけ既に稲が刈り取られた場所も。溢流で倒れ、水に浸かってしまった為急遽の対応か?この場所は例年と変わらぬ光景が。「ヒガンバナ(彼岸花)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。別名は曼珠沙華(マンジュシャゲ)、学名からリコリス・ラジアータとも呼ばれる。中国原産で、日本全国の道端や田んぼのあぜなどに群生し、秋の彼岸のころに、花茎の先に強く反り返った鮮やかな赤い花だけが咲き、夏の終わりに葉が伸びて秋に枯れるという、多年草としては珍しい性質を持っている。地下の鱗茎(球根)に強い毒性がある有毒植物であるが、かつて救荒作物として鱗茎のデンプンを毒抜きして食べられていた。」とウィキペディアより。「有毒植物として知られており、特に鱗茎に作用の激しいアルカロイドを約0.1%含んでいる。アルカロイドは、リコリン50%、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなどを多く含む。リコリンの語源はヒガンバナ属の学名「リコリス」に由来するもので、経口摂取すると流涎(よだれ)や吐き気、腹痛を伴う下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして苦しみ、最悪の場合は死に至ることもある。日本では水田の畦や墓地に多く見られ、人為的に植えられたものと考えられている。その目的は、畦の場合はネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、墓地の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって荒されるのを防ぐためとされる。モグラは肉食のためヒガンバナとは無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まないために、この草の近くにはモグラが来ないともいう。」とこれもウィキペディアより。川沿いの彼岸花の数には濃淡があるが、これぞ「栽培」ではなく「自然の姿」なのであった。この水田の稲も収穫間近に。今年の出来栄えは如何に?「実るほど頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂かな」!!いつまでもこうありたいが。いや既に「実る」ことには縁が薄くなったが・・・・。小出川には酸素も溶け込んで。2日前の濁水が嘘のように清き流れに。再び富士山の勇姿と彼岸花の咲く田園風景とのコラボ。富士山にズームして。この場所は溢流が激しかったのであろう。箱根・二子山の姿であろうか?秋の実り・稲穂と秋の花・彼岸花のコラボ。それぞれ6個の花それぞれに雄蕊と雌蕊がヒゲの如くに。雄蕊と雌蕊の間を赤い糸、いや蜘蛛の糸が。オシロイバナも負けじと。この場所には幾筋もの赤き帯が。風雨で倒れた稲も。小出川沿いの場所であり。溢流の勢いが激しかったのであろうか。小出川の堤防の外の畦道にも一筋の赤い帯が。再び赤のカーブを追う。畦道に咲くミニひまわり(向日葵)も満開。富士山と。彼岸花と。ミニ向日葵をズームで。富士山を再びズームして。長閑な風景をカメラで追う。これぞ日本の原風景なのであった。カメラの向きを変えて。大山の姿も。そして帰路に。この橋は「追出橋」。横の下流側の巨大な管は神奈川県企業庁寒川浄水場からの水道用管。相模川の寒川取水堰でとられた上水道用の水が横浜市の小雀浄水場へ流れている。水管橋の銘板横浜市水道局「小出川水管橋」昭和44年11月竣工三菱重工業株式会社横浜造船所小出川の上流側を見る。幟が立っているが花の数は少ない場所なのであった。そして帰宅しこの日の朝の我が家の花を。白の彼岸花。コルチカム(イヌサフラン)。植えっぱなしの球根であるが毎年この時期に。朝の酔芙蓉は純白で。コムラサキの実。花期が終わり、この時期になると、紫色の美しい実をつけるのです。 実は最初は緑色の実をしている。 しかし、時間の経過とともに、実の色は変化し、綺麗な紫色に変身。そして紫のサルビアも頑張っています。そしてこの日・9月21日(火)の翌日は「中秋の名月」👈リンク なのであった。 【https://www.pinterest.jp/chiisan1204/9%E6%9C%88/】より『富士山に繋がる帯は曼珠沙華』・・・・詠み人知らず ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2021.09.24
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この日は9月20日(月)、早朝に、車で20分ほどの場所にある『小出川彼岸花』を訪ねに行ってきました。旅友・そしてブログ仲間のSさんから、ここの彼岸花がピークを迎えているとの情報をいただき今年も訪ねたのでした。今年も小出川(こいでがわ)・「大黒橋」の近くに車を停め、しばしの散策の開始。「大黒橋」には今年も横断幕が。小出川は、神奈川県中央南部を流れる相模川水系の川で、これでも『一級河川』。藤沢市遠藤の笹窪谷戸に源を発し、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの脇を流れ、駒寄川(こまよせがわ)が流入し、茅ヶ崎市と寒川町の境界河川となる。新湘南バイパスとほぼ平行して茅ヶ崎市の西部を縦断し、千の川が流入した後、平塚市で相模川の河口付近に注ぐ河川。前日のゲリラ豪雨で小出川のこの場所も溢流したようで、堤防近くの彼岸花は水没したようで無残な姿と化していた。堤防の高い場所にある彼岸花が見事な姿で迎えてくれた。この付近はほぼピークの彼岸花。昨年も同じ事を書きましたが日本では秋の花として親しまれる彼岸花(ひがんばな)。別名、リコリスや曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、日本特有の「彼岸」の時期に咲く花として知られている。ネット情報に拠ると様々な名前が。彼岸花(ヒガンバナ)曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)剃刀花(かみそりばな)狐花(きつねばな)捨子花(すてごばな)毒花(どくばな)痺れ花(しびればな)天蓋花(てんがいばな)狐の松明(きつねのたいまつ)狐花(きつねばな)葉見ず花見ず(はみずはなみず)雷花(かみなりばな)レッドスパイダーリリーハリケーンリリーマジックリリーなどなど。彼岸花とはヒガンバナ科・ヒガンバナ属(リコリス属)に分類される球根植物。日本や中国に広く自生し、秋の彼岸の期間(秋分の日を入れた前後3日間)だけに花を咲かせることに由来して名付けられたと。9月頃になると赤や白、ピンクなど花を咲かせるのが特徴なのです。今年は開花が昨年よりは10日ほど?早いのであった。小出川 ”彼岸花”の案内板。この付近には白の彼岸花の数は少なかった。ズームして。彼岸花を楽しめる場所は、遠藤の小出川沿いの大黒橋~追出橋の間約3km。おまつりの本会場:遠藤会場 他、打戻会場、おおぞう会場、せりざわ会場(茅ヶ崎里山公園内)山口百恵の歌『曼殊沙華(マンジュシャカ)』👈リンク♫マンジューシャカ 恋する女は~ マンジューシャカ 罪つくり~♫この曲で初めて作詞の阿木曜子が「マンジュシャゲ」を「マンジュシャカ」と発音させたのであろうか。インドの古い言葉(梵語)では「マンジュシャカ」。音写して曼珠沙華。「天上の赤い花」という意味があり、おめでたいことが起こる兆しに、天から赤い花が降ってくるという伝説があるのだと。 川沿いの道を散策。右手には「道祖神碑」が。道端の彼岸花は朝の陽光に輝いていた。路面は湧き水が未だに。今年の「第14回 小出川彼岸花まつり」のパンフレットを通路脇の箱の中から頂きました。9月25日(土)とのことですが・・・・既に9月20日(月)のこの日は開花のピーク。パンフレットの裏側。スタンプラリーも行われるようであった。旅友のブログによると、地元の方々が前日は懸命に清掃作業を行ってくださったとのことであった。白の萩の花も今年も開花していた。ズームして。その隣には紫の萩の花も。ズームして。この先は仮設トイレ・ベンチも設置された休憩場所。柿の実も色づいて。ここにも「小出川彼岸花」の横断幕が。畑の温室越しに富士山の勇姿が。雪の全く無い富士山もそろそろ見納めとなるのであろう。富士山にピントを合わせて。彼岸花にピントを合わせて。これがデジカメでは限界か?小出川と富士山のコラボ。残念がら手前の彼岸花は溢流にやられていた。そして車に戻り、いつもの別の場所に移動した。ここは新道橋(しんみちばし)。この道は県立茅ヶ崎里山公園に行く道。流れる川はもちろん「小出川」。「小出川」の両岸には稲作田園が広がっていた。「小出川 彼岸花群生地」「小出川沿いの彼岸花(曼珠沙華)は、上流の里山などから大水により球根が流れ込み、古くからこの地域に自生していました。平成15年頃から流域の彼岸花保護団体が相次いで組織され。増殖・保全活動に努めています。開花期(9月下旬頃)には、上流の大黒橋から下流の追出橋まで両岸3キロが紅の帯に染まり、西方に望む富士や箱根連山を借景に、絶好の散策コースになっています。毎年、この時期に「小出川彼岸花まつり」を開催し、来場者を歓迎しています。」附近のご案内:宇都母地神社👈リンク 雄略天皇の時代( 466年)厳粛な祭祀が執り行われたと「日本総風土記」に 記されている延喜式内社。 境内に「民具・農機具資料館」(祭礼時等に開放)がある。 (これより北東方向1.5キロ) 盛岩寺 薬師堂 昭和文化館👈リンク 盛岩寺の薬師堂は、築90余年の旧商家を再移築した古建築で、昭和文化館として 活動をしている。 堂内の薬師三尊十ニ神将は、旧東光寺の本尊で、(明治4年廃寺盛岩寺に移管) 「堂の前」の名はこれに由来する。 (これより北西方向0.5キロ)収穫間近の田園には「鳥追いカイト鷹」が飛んでいた。この場所にも横断幕が。下流側には前々日の水位上昇を実感出来る姿が残されていた。この付近の溢流は僅かであったようだ。2本の赤い帯が。これぞ三密状態で。赤のカオス!!堤防上を上流にむけて歩く。ズームして。もっと先まで歩きたかったが。途中から引き返して。この日は水の流れも濁流から清流に変わって。白と赤のコラボ。既に蕾の株は殆ど無く。大山の姿もはっきりと。 ・・・つづく・・・
2021.09.23
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今年も、我が家の庭の『酔芙蓉』が毎日花を開き楽しませてくれています。遠く平安の頃から観賞され、人々に愛されてきた芙蓉の花。古くから栽培されているにもかかわらず、ムクゲと違って変異が出にくく、品種はあまり多くありません。その数少ない園芸品種の一つが『酔芙蓉』。『酔芙蓉』は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色に変わるのです。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれています。芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができますが、群生している名所となると寺の境内が多いでは。『酔芙蓉』となるとなかなか群生しているところは少なく、千本以上あるところは珍しいようです。『酔芙蓉』の花は短命で、一日花のはかなさに諸行無常の教えを悟り、蓮の花に仏教の縁を重ねるのは私だけでしょうか。この日・8月23日の朝、真っ白な花が咲いていました。時間は6:45。そして8:30過ぎには僅かに外側がピンクに染まりだしました。そして10:30前には花片全体が淡いピンクに染まり始めました。花びらがピンクに染まり、中心の円周上に濃いピンクの点が。時間は13時前。そしてすっかり酔った『酔芙蓉』。時間は15時過ぎ。そして花片も閉じかけて。時間は16時前。そして16:30過ぎには萎んで。酔い潰れている『酔芙蓉』の前には未成年で飲酒禁止の若者が群れを成して。酔い潰れた花の背中に突然の雨が。そして翌朝には酔いつぶれて二日酔い状態。既に地面に落下しているものも。この日の我が夕前につかの間の急な雨に、そして我が家の『酔芙蓉』も雨に濡れて。弱弱しい花片に雨滴が留まり、安らかに和ませてくれる『酔芙蓉』の花。自然の法則に季節も忘れず、既に秋の兆しに『酔芙蓉』の花は夏とも別れを告げる準備に。小さな蕾が少しずつ大きくなり、とある朝、命満ちて開花し、色を変化させながら、一日の寿命を終える『酔芙蓉』に何故か親近感を覚え始めた70過ぎの前期高齢者なのです。そして『酔芙蓉』👈リンク と言う歌のある事を今知ったのです。歌:島津悦子作詞:坂口照幸作曲:大谷明裕苦しまないでね 私のことで男が曇れば あとを引くいいの 最後の 逢瀬でも酔えるひと刻その刻だけをせめて私に 下されば花はひと咲き 酔芙蓉(すいふよう)男の好みに 女は合わす日陰の恋なら 尚更に帯はくれなゐ しじら織りどうぞその目に 残して欲しい今日を限りの 一夜咲き咲いて一生 越えもするあなたの接吻 火の接吻で女の命を 閉じらせて夜をこのまま 裂かれても肌のすき間に あなたが匂う夢の果てまで 一緒です花はひと咲き 酔芙蓉
2021.08.25
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我が家の横の菜園の朝顔の花です。スナップエンドウのネットを使って、タネを撒いて朝顔を育てました。紫の「キキョウ咲き朝顔」。こちらは「大輪咲き朝顔」。「曜白(ようじろ)大輪朝顔」。赤紫の地に白い筋模様が入った朝顔。小柄な青。こちらも「曜白(ようじろ)大輪朝顔」。「覆輪朝顔」。花弁の外周部が、白い帯状になる模様を指す。ピンクの大輪朝顔。「車絞(花笠)朝顔]。色地に、覆輪が花弁の中央近くまで流れ込み、星形の模様になる。流れ込んで模様がぼやけているものは花笠と呼ぶ。やや淡い青の小柄な朝顔。そしてこれは朝顔ではなく、我が庭の早朝の「酔芙蓉」。
2021.08.22
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昨日、自治会の会議が有り出席しましたが、その折、自治連合会会長のご自宅の前の川沿いの緑地に30年~50年(いや100年とも)に1回咲くか咲かないかの植物・「アオノリュウゼツラン」(青の竜舌蘭)が開花していると、その写真を見せて頂きました。今朝は、いや今朝も、6時前に目が覚め、雨が降っていなかったので、この花を愛でに車で行って来ました。車で10分弱で到着。刈り込んだ槇(まき)の木のように聳え立つ「アオノリュウゼツラン」の花。高さ5m以上の花茎が真っ直ぐ伸びていたのです。アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)とは、メキシコ原産でリュウゼツラン(竜舌蘭)の葉に黄色い斑が入っていない、灰緑色のキジカクシ科リュウゼツラン属の多肉植物であると。 普段は花を咲かせず、肉厚で鋭い棘のある大きな葉のみが叢生する。 数十年に一度、花茎を出しその先端から複集散花序を伸ばし何百もの薄黄色の筒型の花を咲かせ、結実後に枯れてしまうのだと。今朝は、下部の1/3程度が花を開かせていた。数十年に1度しか開花せず「センチュリープラント(世紀の植物)」と呼ばれていると。メキシコ原産の多肉植物でテキーラの原料となるアガベ属の1種。名前の由来にもなった竜の舌のようにとげとげとした葉が特徴で、一生に一度だけ花を咲かせて枯れてしまうのだと。花をズームで。残念ながら梅雨のエピローグに向かっている今朝であったが、今にも降り出しそうな曇天。青空であれば、もっと黄色が輝くのであろうが。株の根元には、名前の由来にもなった竜の舌のような葉が。この日のために、寒さに耐え、ここまで大きく成長してきたのであろう。しかし、葉はややお疲れ様で棘もあまり目立たなかったが。既に葉に溜め込んだ栄養をかなり使って開花を継続しているのであろう。枯れる前に、根元に子株を作り、子孫を作るのだと。「アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)」はリュウゼツランの一種。本来、植物の基本は葉に斑が入っていない物を指すため、リュウゼツランはこの「アオノリュウゼツラン」のことを指すが、斑入りの品種が日本に先に輸入されてしまい、斑入り品種が「リュウゼツラン」という名前を先に取ってしまったため、基本種である斑なし品種があえて「アオノ」を前につけた呼び名となった」のだとウィキペディアより。なぜ花は黄色なのに「アオノ」なのかと引っ掛っていたが、スッキリしたのであった。川の上の小さな公園を横断し、反対側から。我が趣味の西洋ミツバチの姿も確認できたが、花の中からなかなか出てこなかった。上部の開花はこれからだが、最上部が開花する頃には、下部の花は枯れてしまっているのだろうか。再びズームして。花を咲かせるために数十年蓄えた力を今一気に使っているという1回結実性植物。花が咲き終わると栄養を使い果たして長い花茎がすべてが枯れてしまうのだと。それぞれの花では雄しべが枯れ始めると雌しべが成長するという受粉に困難がある成長形態であり花が咲き出すのはまわりから、雄しべが咲くのだと。終わると中心の雌しべが咲くと。自然界は不思議で、一緒に咲くと受粉してしまうから、時間をずらして、自家受粉させないようにしているのだと。メキシコでは蜜や花粉を食べるオオコウモリが受粉を媒介しているのだと。午後6時以降夜間に大量の蜜を分泌しているとの観測があり、コウモリの活動時間と合致しているのだと。また下の写真の如くに数千という多数の花をつけるが、結実するのは上の方の2-3割の花で、残りの花は人工授粉をしても結実しないのだと。下の方の花は花粉をより多く供給するため、また花茎が折れた時などの保険として咲いていると考えられているのだと。一生に1度だけ花を咲かせて枯れていく珍しい花を人生最初にそして最後?に見られて大いに感動したのであった。咲いた後に枯れるはかなさも花の姿に垣間見え、とても美しい姿なのであった。私もこの「アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)」のごとくに最後に「もう一花咲かせて」と思いながらも既に蓄えるべきエネルギーが欠如しているのである。「一花咲かせる」という言葉は、その人の人生にとって、「大きな転機」を見迎えた時によく使われる言葉、よって既に「大きな転機」は縁遠く、私の辞書からは既に「一花咲かせる」は消滅しているのである。「もう一花咲かせて」の「一花」は、実は、「なでしこの花」のことをさしていることを以前テレビで知ったのであった。平安時代から、女性や子供の例えとして用いられてきた「なでしこ」。奥ゆかしく、慎み深い女性のことをさす「大和なでしこ」や、女子サッカー日本代表のことを「なでしこJAPAN」というほど、女性の象徴ともいえる花なのだったと。昔は「一花咲かせる」という言葉は、成功に向けて頑張る、輝かしい女性のための言葉なのであったと。そして呑兵衛?の学友から既にこのリュウゼツランから造る「アガベテキーラ(AGABE TEQUILA」の写真がLINEで送られて来ました。テキーラのアルコール度数は、35%~55%の間と法律で定められているとのこと。テキーラは、熟成の度合いによって名前(クラス)分けがされるお酒であると。・オロ:ブランコに他のクラスのテキーラをブレンドしたもの。・ブランコ:樽熟成期間 0〜2ヶ月。・レポサド:樽熟成期間 2ヶ月〜1年。・ アネホ:樽熟成期間 1〜3年。・ エクストラアネホ:樽熟成期間 3年以上。とネットから。早朝、往復30分の慌ただしい時間ではあったが、人生最後?の「アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)」を愛でる事が出来たのであった。まだまだ10日以上、花を楽しめるのではとも。そして帰宅後の我が部屋の前のユリ(百合)の花。こちらは、何もしないでも毎年大きな花を咲かせてくれるのだ。
2021.07.15
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「玉縄桜広場」の第一展示室内では「第十回『神奈川花の会』写真展」が行われていた。期間は2021年7月6日(火)~7月18日(日)。様々な花の写真が。「蓮の花」の写真を選んで撮影しました。美しい水滴の輝き。ガクアジサイ。そして6月2日に訪ねた「バラ園」👈リンク へ。「ロサ・ルゴーザ(ハマナス)」の花は終わり、オレンジ色の実が付いていた。実が梨に似ているのでハマナシと呼ばれ、それが訛ってハマナスだそうです。この実はジャム等で食べられると言うが。『バラ園』👈リンク の花はほぼ終わっていたが。グラジオラスの花。こちらにはバラの花が残っていた。「RoseGarden」。バラ園中央の休憩所には人は無く。「ノハナショウブ」が一輪寂しく。ハナショウブ「深山紫」。濃い紫、そして黄色が鮮やか。ハンショウブ園は既に夢の跡に。「ボタンクサギ」。ボタンクサギ(臭牡丹)と漢字の名前が可哀そう。この梅雨時から夏にかけて、ピンク色の小花がボール状にまとまって咲いている。その花姿は遠目から見るとアジサイっぽいかも。花にはかすかな芳香がある。葉っぱは大きな丸形で、先端が少しとがっている。色は濃い緑色で、もんだりこすったりすると一種独特なニオイがするのだと。そして白と黃の花壇。白いのは「サルビアファリナセア(工ポリューションホワイト)。黄色は??緑のトンネルは成長中であったが。瓢箪か?そして「グリーンハウス」を訪ねたがこちらは「早朝開園」の対象外になっていた。ユニークな花。「チョウキンレン中国雲南省に分布する物で、パナナに近い仲間です。黄色の花びらのように見えるのは苞葉で、本当の花はその内側にあります。「地面から湧いてきた金色の蓮」という意味で、「地湧金蓮(元は中国名)」と呼ばれています。」こちらは「ヒシバデイゴ、別名サンゴシトウ(Erythrina × bidwillii)の花。鮮やかな赤花で30cm以上の大きい穂咲きするデイゴ。花びら(花披片)は先が強く反り返っている。そして「グリーンハウス」前にも蓮の花鉢が置かれていたがここには人は少なく。「目川西」。「娃娃(あいあい)」。「白鷺」。「東巣鴨」。「???」。「大石23」。「大石25」。「大石9」。「インド白 27京都」。「目川西」。「サルビア ファリナセア ブルーサルビア」ラベンダーに少し似ている美しい青紫の花を長期間咲かせるのだ。「サルビア ファリナセア (レア) ペンタス」。ペンタスは、星形の花びらがロマンチックな雰囲気を感じさせる夏の花。朝顔の行灯螺旋作りが並んでいた。「ルドベキア プレーリーサン」。鮮黄橙色に中央が緑色の目で、コントラストが美しい花。近づいて。ヒマワリのような可愛いレモンイエローの花。そして出口へ。「またのご来園お待ちしております」。スイレン(睡蓮)、様々な蓮の花を楽しみカメラに納めたのであった。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉があるように、昔から蓮は聖なるもの、清いものの象徴とされているのだ。蓮は泥水のような池の中から茎を伸ばし、その先に花を咲かせるがこのことから古来より清らかさの象徴とされ、特に仏教では神聖な花とされて来たのだ。蓮の花には色ごとに意味があり、例えば白い花は煩悩にけがされることのない清浄な仏の心を表し、紅い花は仏の大悲から生じる救済のはたらきを意味していると。コロナ禍の中で、更にいろいろな事が起きている世の中。花を観て一瞬でも心が安らげば良いと出かけたが、まさに心洗われる早朝の時間であったのだ。 ・・・もどる・・・ ・・・完・・・
2021.07.14
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「日比谷花壇大船フラワーセンター」の蓮の花の鑑賞を続ける。「花火」。「八間 (やざま) 」。京都で育成された花ハス。「毎葉蓮(まいようれん)」まるで全部の葉から花芽が上がって来ると錯覚するくらい沢山の花が咲く、と言うのが名前の由来だと。花弁の先端の反りが印象的な蓮。「太空蓮」。「孫夫人(そんふじん)」。真ん中にある薄緑いろの部分は、すこしふわふわっとしていて花托(かたく)と呼ばれているところ。花托とは花床(かしょう)ともいう。花托の表面に見える丸いぽちぽちが、ハスの花の雌しべ。外側の濃い黄色のひらひらとしているのが、ハスの花の雄しべ。蓮の花は雄しべが短く雌しべに届かないので、自家受粉ができないと。よって、蜂、蝶等の虫たちにお願いしているのである。受粉が成功したら、雌しべの黄色のところは、茶色へと変わっていくのだ。「突然変異」。「素白蓮(そはくれん)」。「白雪姫」。ミツバチ嬢の姿が。「大賀蓮(おおがはす)」。「大賀蓮」とは、昭和26年、千葉市の東京大学農学部検見川厚生農場で、ハス博士といわれた故「大賀一郎」博士(当時関東学院大学教授)が、縄文時代に咲いていた古代ハスの種3粒を発見し、そのうちの一粒の開花に成功したもの。「黃鷺」。「魁秀(かいしゅう)」。「即非蓮(そくひれん)」。中国から来日した即非が日本に持ち込んだのが名前の由来となっている。「娃娃(あいあい)」。「榊原白花」。「大灑錦(たいさいきん)」。「輪王蓮(りんのうれん)」。王子蓮と金輪蓮を掛け合せた蓮です。1981年、東京大学緑地植物実験所にて作出。「祥隆紅蓮( しょうりゅうこうれん)」。「バージニア」。「玉繍(ぎょくしゅう)」。古くから親しまれ、江戸時代には広く普及していた蓮。白君子小蓮と同じく唐招提寺に伝わる蓮で、唐招提寺蓮の別名を持つと。「大使」。「金華山」。「紅陽(べによう)」。黄紅一重大型。王子蓮の実から内田又夫氏が育成したもの。黄陽より紅の濃い、爪紅の一重の黄紅蓮である。全体が黄色がかっているのは黄陽と同じであるが、紅の割合が多く、桜貝を思わせる色合いの蓮である。「アルバ・グランディフローラ」。「淡麗」。「彩の巧(あやのたくみ)」。「妙光」。「ローズプレナ」。「宮西」。「請所(うけしょ)」。「巨椋瑞光 ( おぐらのずいこう )」。「淀姫」。「赤大君子」。「金鳳展翅(きんぼうてんし) 」。「玉縄桜広場」ハス展示場を振り返る。放射状に美しく広がる葉脈。再び「大賀蓮」。 ・・・つづく・・・ ・・・もどる・・・
2021.07.13
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そして蓮の花の展示場である「玉縄桜広場」第1展示場へ。入口の「半夏生(はんげしょう)」。「半夏生」の名前の由来になっている説は2つあって、半夏生の「半夏」は「烏柄杓(からすびしゃく)」というサトイモ科の薬草で、この薬草が生える時期を「半夏生」と呼ぶようになった説と、「半夏」とは別の、「ハンゲショウ」別名カタシログサ(片白草)というドクダミ科の草が、その名の通り半分白くなり、お化粧(半化粧)をしているように見える時期なので、この時期が半夏生と言われるようになった説があるのだ と。「紫玉蓮(しぎょくれん)」花びらが葉に落ちて。蓮の実を宿して。「小酸仙(しょうすいせん) 」「白海蓮」?。「植松」。「大石寺」。「ロータス2013」。「艶陽天(えんようてん)」。「大石寺」。「寿星桃(じゅせいとう)」。「大石寺」。「天照爪紅(てんしょうつまべに)」。白い花の先端だけが紅をさしたように赤く、人々を誘っているかのよう。「西施」。「淡黃光 (たんきこう)」。「瑞姫(みずひめ)」。「西円寺青蓮(さいえんじせいれん)」。「東湖春暁(とうこしゅんぎょう)」。「悄英(しょうえい) 」 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.07.12
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今朝、7月11日、「日比谷花壇大船フラワーセンター」にて、睡蓮そして蓮の花が盛りを迎えている事を学友のLINE写真から知り、早起きして行って来ました。自宅から20分、早朝7時前に駐車場に到着し入口に向かいましたが、既に人の列が。ハスの花の開花のこの時期は、日を指定して早朝7時から開園するのでした。7月10日(土)・11日(日)は早朝開園の日だったのです。「日比谷花壇大船フラワーセンター」入口。65際以上のシニア割引で入場料は150円。入口で体温測定と手の消毒を行う。機械の上に手首を近づけると体温測定され、異常がなければ下部から消毒液が出てくるハイブリッド機器が置かれていました。そしてチケット販売機に150円を投入し入場券を購入。その先では、純白の蓮の花が迎えてくれたのです。ハスの花の中には神秘的な空間が広がっています。真ん中にある薄黃緑いろの部分は、すこしふわふわっとしていて花托(かたく)と呼ばれているところ。花托とは花床(かしょう)ともいいます。 そして、花托の表面に見える丸いぽちぽちが、ハスの花の雌しべ。外側の黄色のひらひらとしているのが、ハスの花の雄しべなのです。入口にある石のアーチは「かたぐるま」というモニュメント。そしてこちらはピンクの蓮の花。そして蓮の葉の中心そして周囲から水のシャワーが吹き出していた。「ハスシャワー蓮の茎には通気ロという地下茎(レンコン)に酸素を届けるための穴が開いています。その通気ロはそのまま葉の葉脈まで続いています。強引に水圧を掛けると、水が通気口を通って葉脈まで伝わり、最後には、ハスシャワーになリます。夏にはもってこいの遊びです。ハスシャワーをやるときは、なるべく大きなを選び葉の周囲をぐるっとハサミでカットしてあげると簡単にできます。●茎の利用いろいろハスの茎を折ると白い繊維を観察することが出来ます。白い繊維を藕糸と呼び、この繊維から織物を織ることが出来ます。ハスの茎の通気口を利用してシャポン玉をすることもてきます。葉の中心部に穴を開け、葉にお酒を注いで茎の方から飲む古代中国、三国志の魏の国由来のお酒の飲み方「象鼻杯」という習慣があり、茎にお酒を通して飲むことでハスの香りが加わるともいわれています。飲むときに大きなハスの葉と茎を持ち上げた姿が、象が鼻を高く上げた姿に似ていたことから象鼻杯と呼ばれたとされています。」葉の先端からハスシャワーが。反対側から。その下には茎にホースが繋がれて。「大船フラワーセンター 案内図」。薄黄緑の花の咲いた樹木。花は白く。「のりうつぎ”みなづき”」。そして最初に「スイレン池」を散策。水面に浮かんでいるように花が咲くのがスイレン(睡蓮)。葉に光沢があるのがスイレン(睡蓮)日差しが弱くなると花を閉じるその姿が、あたかも眠るようなことから睡眠の「睡」の字がついて睡蓮と名付けられたのです。「スイレン池」内には工夫された形状の噴水が。純白のスイレン(睡蓮)を見る。花の中央に西洋ミツバチの姿が。こちらはピンクのスイレン(睡蓮)。可憐な黄色のスイレン(睡蓮)の花が一つだけ。再び白のスイレン(睡蓮)の花を追う。花粉球を脚に付けて飛び去るミツバチ嬢。この近くに養蜂家がいるのであろう。葉にしがみついているアメリカザリガニを見つけた。葉を食べているのであろうか。そして「スイレン池」脇のひまわりの花。ズームして。 ・・・つづく・・・
2021.07.11
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梅雨の雨の中、我が家の庭のグラジオラスが開花しています。グラジオラスは花色が豊富で、あらゆる花色が楽しめ、花弁もフリンジ咲き、平弁咲き、反転弁咲き、受け咲きなどがあります。グラジオラスの名の由来はラテン語の「剣」という意味のグラディウスで、葉の形からきていると。日本へは江戸時代の末期に一度渡来しましたが、栽培がうまくいかずに明治になって再渡来し、その後に栽培が普及し、現在では切り花として年間を通じて作られていると。特に植え替え等はしていませんが、毎年花をつけて楽しませてくれます。グラジオラスの花言葉は「密会」、「用心」、「忘却」、「勝利」、「思い出」。夏の花壇を華やかに彩ってくれるグラジオラス。鮮やかな花色の2色咲きタイプ。華やかな色の競演を楽しめるのです。そしてこちらはゼニアオイの花。「ゼニアオイ」は、花を銭に見立てたという説と、種子が並んだ果実を銭に見立てたという説があるのだと。
2021.07.03
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この日は6月18日(金)、6回目の「古都「鎌倉」を巡る」の散策に向かいました。藤沢駅から江ノ電を利用して長谷駅に向かう。時間は6:30過ぎ。江ノ電は藤沢駅から鎌倉駅まで路線距離(営業キロ):10.0 km、駅数15を12分間隔で34分間で走るのだ。途中から海沿いに出て、車内からは美しい海や周辺の景色を眺めることが出来るのだ。乗車する二両編成の電車が藤沢駅に入線。既に表示等は「鎌倉」に変わっていた。そしてこの日は、藤沢駅から約3分で柳小路駅で途中下車して「第一はす池」に向かったのであった。徒歩で5分ほどで「第一はす池」に到着。一面に白い蓮花が咲き乱れていた。藤沢市鵠沼藤が谷4丁目4。7月の誕生花、幸福の花とも呼ばれる蓮の花、そして私の誕生日も来月7月。昨年は自宅から車で訪ねたのだが今年は電車で。鵠沼の地名の由来は、鵠(くぐい)とは白鳥の古名で、かつてこの辺りには沼が多くあり、鵠が多く飛来していたと言われているのです。 鵠の文字の左は「告」では無く「牛+口」であることを以前知ったのです。鵠沼藤が谷のここ第1蓮池の蓮は、「舞妃蓮(マイヒレン)」という種類。舞妃蓮は、昭和41年に御坊市の阪本祐二氏が、アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した、御坊市生まれの蓮とのこと。「鵠沼のはす池と蓮について昔、境川が蛇行して流れていた際、洪水で川の流れが変わり、鵠沼の低地に幾つもの池や沼が残りました。それらの池には冬になると鵠(うぐい、白鳥)が飛来していたことから、鵠沼いう地名の由来になったとされてます。それらの名残のはす池は7つあったとされていますが、周辺開発と共に埋め立てられ、現在は第一はす池と第ニはす池の2つとなりました。第ニはす池周辺は昭和62年に桜小路公園として整備され、小田原城や鶴ヶ岡八幡宮より蓮を株分けしてもらい移植しましたが根づかず、平成4年に京都より誠蓮(まことばす)を移植し、植え付けに成功しました。第一はす池には昭和30年代前半まで白っぽい花の咲く蓮があったそうですが、ゴミの不法投棄や冬場の渇水で、いつの間にか枯れてなくなってしまいました。その後、鵠沼女子校(現鵠沼高校)が第一はす池一帯をグランド化する計画を発表しましたが、地域住民が池の存続を求めた結果、高校は池を残し、藤沢市に貸し出し管理をゆだねる事となりました。その際、第一はす池は造園しなおされ、ヨシやガマなどが水辺に植えられました。平成20年、第一はす池と第ニはす池に、特定外来種アゾラ・クリスタータ(水生シダ植物)が大繁殖し、赤い浮草は水面を覆いつくし、池の生き物の生態系を脅かす事となり、地域のボランティアが6年掛かりで駆除活動を行いました。浮草を全て取り除くには、障害となるガマやヨシ、枯れ蓮や雑草を刈り取る必要があり、第ニはす池については、作業により池の中央部のヨシが枯れ、誠蓮の領域が広がり、毎年多くの紅色の蓮の花が咲くようになりました。一方で、第一はす池にも蓮を復活させようと、赤い浮草がなくなった平成26年春に舞妃蓮(まいひれん)という品種を6ヶ所に植え付けましたが、殆どの蓮根は腐ってしまい、唯一タライの中に植えた2つ蓮根から3輸の花を咲かせる事ができました。翌年の春、タライの中で蜷局(とぐろ)状になった舞妃蓮の地下茎を第一はす池の泥に直植えすると、半年で91輸の花が咲き、念願の植え付けに成功しました。開花数は毎年30倍ずつ増え、昨年は3ヶ月間に約2700輪が開花し、ビーク時( 6 / 20前後)は数百輸の大輪が一斉に開き、名実ともに「はす池」となりました。「舞妃蓮 マイヒレン (黄紅系一重大型)第一ハス池に咲く花は、昭和41年( 1966年)、阪本祐ニ氏がアメリカの黄蓮系「王子蓮」と日本の紅蓮系「大賀蓮」とを交配し、育て開花させた蓮の花です。昭和43年( 1968年)の春に蓮根が現在の天皇皇后両陛下に献上され、その夏に東宮御所で開花しました。昭和44年(1969年)、花の開閉があたかも女性の舞い姿のようであったことから、阪本祐ニ氏により「舞妃蓮」と名付けられました。別紙の写真は、「舞妃蓮」の花芽が水面に出てから開花し、閉じてゆく様子と時間です。 (撮影後藤妙子さん)」・花芽が水面に顔を出しました。 花芽が出てから、約3週間で開花を迎えます、但し、外気温、日照時間などに左右されます ので、3週間は日安です・開花一日目は、花弁が短く、お行儀良く並んでいます。閉じる時間も早くて、お昼までには 閉じてしまいます。・開花二日目になると花弁が伸びて、将に舞っている姿が見られます。 一般的に花蓮の品種比較に使用される花の大きさや形は、開花二日目の午前8時頃を 比較の対象とします。・開花三日目になると、花托の周囲を取り囲んでいる雄蕊(おしべ)が乱れます。 見た目にも美しさが失われてきます。・舞妃蓮の閉じる姿 一日目の午前11時半頃 二日目の午前11時半頃 二日目の午後四時頃花色は初日は淡い黄色で、全体に淡い紅色が乗り、赤、黄とも日を追うごとに退色していき、二日目以降、淡い黄色の爪紅状になる。屈光性のため、花弁がやや捩れる傾向があり、風に舞うように見える事から舞妃蓮の名が付いたと言われているのは上述どおり。蕾の先端がほんのり紅く、開花して1日目はピンク、2日目3日目は黄色に変化すると。開花直後の花。花片下部は薄い黄色に。花のエピローグに。蓮の葉の上の小さな水玉。ハスの花はよく見ると不思議な構造をしている。花の中心に、ろうと状の構造物がにょきっと突き出し、その周りをたくさんの雄しべが取り囲んでいるのだ。写真の如く果期になると花床が肥大して子房の周りは大きな穴になり、蜂の巣状に見える。ここからハスの古名「蜂巣(はちす)」が生まれ、それが略されたのがハスの名の由来といわれる。ここ数日が舞妃蓮の花見のピークか。そして近くにある「第ニはす池」に。こちらは「誠蓮(まことばす)」であると。しかし、花数はかなり少なかったがこれからか?濃桃色の花弁は140枚前後、時に160枚ほどにもなる非常に豪華な八重咲き花で、お盆の切り花用に栽培されていることが多いと。カワセミを発見したが、アツと言う間に飛び去ってしまった。そして再び「第一はす池」にもどる。そして花をズームで追う。この日は、カワセミを狙うカメラマンの姿は少なかった。今年の早朝の鵠沼・「はす池」の蓮花を楽しみ、再び柳小路駅に戻りこの日の「古都「鎌倉」を巡る」の6回目に向かったのであった。
2021.06.20
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さらに熱海・お宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。「ジャカランダ」はノウゼンカズラ科の低高木で、中南米原産。淡い紫・藤色に輝き、異国の情緒を漂わせる「ジャカランダ」。ここ静岡・熱海や宮崎・日南など日本の数カ所でも「ジャカランダ」の花で名所づくりをしているが、都内以南がおそらく開花の北限になるようだ。中心が淡いピンクの百合の花。前方にユニークな形の石造りのオブジェが。鍵穴の如き造形であったが、説明書き等はなかった。こちらは濃厚な赤紫の花。「ブッドレア ブラックナイト」。別名は「房藤空木(フサフジウツギ)」。「原産地は中国である。日本へは明治時代にヨーロッパで改良されたものが渡ってきた。ブッドレア・ブラックナイトはそうした園芸品種の1つである。特徴は花の色が濃い青紫色をしていることである。樹高は1メートルから3メートルである。葉は卵状の楕円形で、向かい合って生える(対生)。葉の裏面には毛が密生していて白い。開花時期は7月から10月である。細い枝を広げて円錐花序(枝分かれして全体が円錐状に見える)を出し、紅紫色の花をたくさんつける。花は上側に向いて咲くので下面には少ない。花はよい香りがする。花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。全体にサポニンを含み有毒である。」とのネット情報。以前、日比谷花壇大船フラワーセンターでも見た記憶があるが。「名称 ブッドレア ブラックナイト 花期 7~10月 花言葉 恋の予感」お宮緑地を管理されている方々の姿が。こちらは「ジャカランダ」が青空に向かって満開へのプロセスに。「コデマリ」に似た花。「銀梅花(ギンバイカ)」にも似た花であったが。そしてこちらが「お宮緑地(ジャカランダ遊歩道)」の北側の入り口。「ATAMI(熱海) ジャカランダフェスティバル」と書かれた横断幕が。椰子の木と支柱網門。昨日も書いたが、熱海市と姉妹都市関係(1990年~)にあるカスカイス(ポルトガル語: Cascais )は、ポルトガルのリスボン県の都市である。ユーラシア大陸最西端のロカ岬へのバスがここから発着している。2019年にポルトガル・ロカ岬を訪ねた際に絶壁上に立っていたロカ岬のシンボルの十字架のモニュメントにも同じようなよく似たカスカイスの紋章が刻まれていたのである。ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり 海始まるAQUI ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA」を刻んだ石碑であった。「お宮緑地(ジャカランダ遊歩道)」を引き返し再び「貫一お宮之像」前まで戻る。貫一の頭に留る鳩?の姿。「あれっ!! 貫一さんお頭の上に・・・」と驚くお宮の姿が。ラッパのごとき藤色の花。その形がファンファーレを吹くトランペットを連想させることから「栄光」「名誉」という花言葉がつけられたと。その神秘的な紫色は高貴な色とされ、王室をイメージするとも。南アフリカのツアーが最も人気が出るのがジャカランダの時期・10月。プレトリアでは街全体が紫色に染まり、まるで花のトンネルをくぐっているような気分に!。日本の桜の「青紫」版。行ける日が来るであろうか。熱海の風景をテーマにしたお宮緑地の石碑を楽しみながら歩く。「長谷寺山門」、熱海にも「長谷寺」があることを以前知ったのであった。そしてこの日に訪ねたのであった。「錦浦景勝熱海の景勝地の一つ。伊豆の玄関、魚見崎の南から約1キロメートルに及び断崖が続く名勝。(魚見崎~錦ヶ浦~曽我浦は約2キロメートル)太陽がのぼるとき、光が浦にそそいで眩しい五色の光となって輝くことから、京の錦織の名をかりて「錦ヶ浦」と呼ぶようになりました。熱海多賀火山の名残を残し、源頼朝、加藤清正などの歴史的人物に由来する伝説も残されています。崖の高さは80メートル。荒波が刻んだ兜岩・基盤岩・烏帽子岩・弁天岩など奇岩が並び、海上には初島や大島が浮かびます。」とネットから。「サンビーチ 花火大会熱海海上花火大会は、1952年(昭和27年)にはじまった歴史ある花火大会。夏だけではなく年間を通して10回以上も開催されている熱海名物です。会場である熱海湾は、3面を山に囲まれた「すり鉢」状の地形のため、海で上げる花火の音が反響し、 大きなスタジアムのような音響効果があり、花火業者さんも絶賛する日本一の花火打上会場です。 夜空に広がる花火や、水面に映る花火、そして、フィナーレを飾る「大空中ナイアガラ」の美しさは、瞬きを忘れるほど!心にずっと残る思い出ができる、熱海ならではのイベントです。」と。昨年訪ねた「来宮神社来福・縁起の神として古くから信仰されている來宮神社。本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年、幹の太さは24メートルの大楠の御神木があり、パワースポットとしても有名です。幹を一回りすると一年寿命がのびると伝えられており、この木の生命力にあやかろうと長寿・病気平癒・健康祈願の参拝者が多く訪れます。また、願い事のある人は、思うことを誰にもいわず一回りすると願い事がまとまる、とも言われています。夜はライトアップされ、朝、昼、夜とそれぞれの表情が楽しめます。例大祭は毎年7/14~16に開催されます。」と。「梅見の滝」熱海市の全国的に知られる観光名所である「熱海梅園」内にある、四季の移ろいが感じられる滝。「姫の沢公園」。「姫の沢公園」は、市街地中心部より北西約5キロメートルに位置し、四季を通じて花と緑を楽しんでもらうように造られた自然を基調とした総合公園であり、園内には、四季折々の花木はもとより、アスレチックコースなどが整備され、家族連れで自然に触れ合いながら一日中楽しむことができると。「貫一お宮」。「尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の名場面。主人公貫一とお宮の別れ場面に熱海海岸が登場し一躍有名になった。現在の像は昭和60年に建立された。」「中山晋平記念館」。「大衆音楽の普及に大きな役割を果たした作曲家中山晋平の業績を偲び、晋平が晩年を送った住居をそのままの形にて遺品とともに梅園内に保存されています。」「大衆音楽の普及に大きな役割を果たした作曲家中山晋平の業績を偲び、晋平が晩年を送った住居をそのままの形にて遺品とともに梅園内に保存されています。」「大湯間歇泉」「お湯が音とともに噴出し、周囲に湯気とイオウの臭いを立ちこめる大湯間隙泉。関東大震災により噴出が不規則になり現在は復旧工事にて人工間歌泉となった。」「熱海」と書いて、「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになったと。「澤田政廣記念館」。「熱海が生んだ芸術家澤田政廣。九十三年間の生涯における作品は、木彫、油絵、陶芸、書、リトグラフ等と極めて多彩であり、津田芸術の集大成がここに展示されています。」「伊豆山神社」。「伊豆に流されていた源頼朝と北条政子が、ここで忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様として人々に親しまれているロマンあふれる神社です。」この「伊豆山神社」👈リンク は一昨年2019年2月に訪ねたのであった。「ジャカランダ」と金糸梅のコラボ。「金糸梅」をズームで。「サンデッキ広場」から高層マンション群を振り返る。子供とハートをイメージしたオブジェ。その先には「熱海港防波堤灯台」と「初島」の姿が。ズームして。熱海から高速船で30分の初島(はつしま)の全景。初島は、ここ静岡県熱海市に属する島。伊豆半島東方沖の相模灘に浮かび、静岡県の最東端。古い文献などでは波島(はしま)、端島(はしま)、波津幾島(はつきしま)との表記もあると。熱海市本土から南東に約10 kmの位置にあり、人口193人、114世帯。住民のほとんどは島の北部に位置する宮の前地区に居住していると。「ホスピタリティーそれは、もてなしの心人を思いやる心・人を愛する心です私たちの前で手と手をとり合って下さいきっと愛が大きく翔くでしょう愛・・・・・・それは熱海の心です」と辛うじて判読。海岸を背にして「坪内逍遥の句碑」があった。「海なぎぬ 冬知らぬ里の やぶ椿 せいえう」碑のバックは藪椿であろう。山の上の「熱海城」とその下の海岸沿いに立つホテル群を見る。再び「ジャカランダ」と「ブーゲンビリア」のコラボを楽しむ。「ブーゲンビリア」も存在感を。青空に突き刺さる椰子の木の並木。「金宝樹・ブラシの木」もエピローグへと。形がブラシに似ていることから英名は「Bottle Brush」。「金宝樹・ブラシの木 【花種】 フトモモ科プラシノキ属 【学名】 カリステモン(美しいおしべ) 【原産地】オーストラリア原産 【開花時期】5月中旬~6月中旬 【花ことば】はかない花」そしてお宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の「ジャカランダ」散策もエピローグへ。「梅雨の時期は熱海の閑散期にあたるので、ジャカランダが新たな魅力になれば」と期待をかけて植え付けたを始めたのだと。熱海のジャカランダの知名度がだんだん上がってきており、「全国ネットのテレビ番組で取り上げられたことも多くなった」と。移民として南米に渡った日本人が、桐の花に似ていることから「桐擬き」と呼んで愛した花だと。なるほど筒状に咲く一つ一つの花は、我が家の前の畑に植えてある桐にソックリ。ポタポタと落花する様子も良く似ているのだ。以前撮った、我が家の前の畑に植えてある桐の花。色はやや薄いが。また,ハワイでは日系人が日本の桜に思いを馳せ,「ハワイ桜」や「紫の桜」と言われていると。「三密」以上の「過密」の「ジャカランダ」の花を最後に。そして「大漁桜」も花を終え。「大漁桜(たいりようざくら)花形:一重桜花色:淡紅開花期: 3月上旬誕生地:静岡県熱海市花色が桜鯛の色と漁の時期に因んでこの名がつけられたといわれています。全ての花に旗弁があり、熱海市では2月中旬ごろからら開花します。」2月中旬になれば・・・。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.06.11
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熱海のお宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。椰子の並木と「ジャカランダ」のコラボ。こちらは比較的花のボリュームが多い「ジャカランダ」。ラッパの形をした小さな青紫色の花。熱海市の汚水マンホール。熱海市は、2017年に市制80周年を迎えたことを記念し、マンホール蓋2種類をデザインした。明治時代に熱海温泉を一躍有名にした尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の名場面と「お宮の松」、そして背景の夜空には「花火」を図案化したもの。こちらは、今年の春先に熱海梅園の中にあったもの。市の花「梅」、そして熱海温泉の文化の象徴である「芸妓」を図案化したもので、こちらも熱海市市制80周年のロゴマークを配したもの。熱海梅園は、1886年(明治19年)に開園し、日本で最も早咲きの梅の名所として全国にその名を知られ、多くの観光客が訪れているのだ。また、芸妓衆が稽古をする芸妓見番で開演される「熱海をどり」、「湯めまちをどり華の舞」では、豪華な衣装に身を包んだ熱海芸妓による艶やかな舞を披露しているとのこと。赤のブーゲンビリアを背景に。再びヤシの並木との共演。「カスカイス市・熱海市 国際姉妹都市提携記念植樹」ジャカランダ(ノウセンカズラ科) 平成2年(1990)7月2日。カスカイス市は、ポルトガルのリスボン県の都市。市内には、国際的なリゾート地であるエストリルを含む。また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へのバスがここから発着しているのだと。お宮緑地のこのジャカランダは平成2年7月にポルトガルのカスカイス市と国際姉妹都市提携を記念して植樹された木であるのだ。「サンデッキ広場」への階段手前。石段横の黄色の「キンシバイ(金糸梅)」と「ジャカランダ」。「ジャカランダ」は、樹木が大きく生長しないと花が咲かないのだと。樹木が生長するには温度と日照等の必要条件があり、日本では冬を越せず生長できないので、開花が難しいと言われていたのであったが。「サンデッキ広場」の植栽の間を歩く。「温泉寺」の文字が。北側の「サンデッキ広場」への石段「アガパンサス」。真っ赤なカンナ。「アメリカデイゴ」。初夏から初秋にかけて真っ赤な花を咲かせ続けるアメリカデイゴは、南アメリカ(ブラジル及び北部アルゼンチン)を原産とする暖地性の花木。日本へ渡来したのは江戸時代末期のこと。「アメリカデイゴ原産(インド・マレー半島)日本名(海紅豆)日本では沖縄県が北限とされています。沖縄県の県花になっています。」この花の名は?この花の名も?近づいて。「キング・プロテア」の蕾。開花後のエピローグを迎えた花。「キング・プロテア学名 プロテア・キナロイデス分類名 ヤマモガシ科プロテア属樹高 1 m ~ 3m程度原産地 南アフリカ 開花期 4月~1 0月花言葉 王者の風格 甘い恋プロテアは、花の王様と賞賛される南国の常緑低木で花名は自由に姿を変えることができるギリシャ神話の海神プロテウスが由来。南アフリカには多種類のプロテアが自生しており、中でもこの「キング・プロテア」は花が大きく優雅であることから南アフリカ共和国のシンボルであり国の花となっています。」その下には「明治の文豪尾崎紅葉の代表作小説「金色夜叉」は、明治30年(1897)1月1日から5年半に亘り読売新聞に連載されたちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こした。 ストーリーは、ヒロインの鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子富山唯継に見染められた。しかし、宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者間貫一がいたにもかかわらず、宮の両親はそれを承知の上で富山の求婚を受け入れたことにはじまる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌 熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限りが広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになり、今日、国際観光温泉文化都市として、全国有数の観光地に発展を成し得たのは、丹那トンネルの開通と共に金色夜叉が大きなきっかけになったのは言うまでもありません。 金色夜叉の主人公貫一とお宮の名は「一月の十七日来年の今月今夜は、貫一は何処で此月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・・十年後の今月今夜・・・・」の名台詞と共に、歳月の移り変わりのもかかわらず、人々の記憶に残り、いつまでも愛されていくでしょう。 紅葉は、37歳の若さで死去し金色夜叉はついに未完に終わったが、紅葉の死後、彼の残した「腹案覚書」をもとに紅葉の高弟であった小栗風葉によって完成された。 熱海市では毎年1月17日、作者を偲んで尾崎紅葉祭が行われる。貫一お宮のブロンズ像は、熱海市在住の日展審査委員館野弘青氏により製作され、熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に、昭和61年(1986)年1月17日熱海市に寄贈したものです。」そして「貫一・お宮の像」に到着。「尾崎紅葉記念碑」。「尾崎紅葉(1867~1903)森鴎外等と並び明治を代表する文豪。胃癌のため35才の若さで惜しまれつつ世を去ったが、晩年、読売新聞紙上に連載した恋愛小説「金色夜叉」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れわたった。以来。熱海市は国際観光温泉文化都市を標榜し、全国有数の観光地として大きな発展をとげ、今日に至っている。熱海市民は、尾崎紅葉先生の業績に感謝するとともに、その遺徳を偲び「金色夜叉」の「来年の今月今夜のこの月を」の名科白で有名な貫一・お宮の別離の日、1月17日を記念日と定め、尾崎紅葉祭うぃ開催している。」「尾崎紅葉」の写真。心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が。貫一の右奥に熱海城の姿が。「この像は、明治時代の新聞連載小説、尾畸葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現したものです。ニ人の心の擦れ達い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません。是非、この小説をご一読いただき、ニ人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけましたら幸いです。」台座には館野弘青(たてのこうせい)作と刻まれていた。「「お宮の松」の由来。お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものである。この松は、江戸時代前期(1645年頃)、智恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれている。この松は、その姿が美しかったことから、「羽衣の松」とも呼ばれていた。1897(明治30)年から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、1919(大正8)年熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が建立された。この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、熱海の新しい名所となった。 また、この碑も女性的な感じから川端康成は、「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。1949(昭和24)年、キティ台風により道路が崩壊されたことにより道路の拡幅が行われ、海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等によりとうとう「お宮の松」は枯れだした。(初代「お宮の松」の樹齢はおよそ300年で、現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2メートルの場所にあった)。市では、市民皆様の協力を得て、二代目「お宮の松」の選定を始めた。その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定し、国際興業の社主であった小佐野賢治氏により寄贈を受け、小田原市の本多大四郎氏の所有する松を添松とし山種証券の山崎種二氏等の寄附並びに市内関連団体の多大な協力により、1966(昭和41)年現在の場所に二代目「お宮の松」として完成したものである。「お宮の松」の樹齢は、2001(平成13)年現在でおよそ95年、添松はおよそ75年になります。」細長い石碑は・・「紅葉山人記念 金色夜叉の碑」「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」。「お宮の松」。「初代のお宮の松」。現在のお宮の松は昭和41年に植えられた2代目で、初代は排気ガスの影響などで枯れてしまったとのこと。2代目の脇に展示されている初代の切り株をみると相当大きな松の木だったことが分かるのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.06.10
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この日は6月8日(火)、今年も熱海海岸沿いを彩るジャカランダを愛でにいつもの旅友、そして二宮に在住の先輩の3人で行って来ました。自宅を6時に出て茅ヶ崎に住む旅友邸へ。旅友の愛車に乗り換え、6:30前に二宮の先輩邸に向けて西湘バイパスで向かう。相模川に架かる湘南大橋を渡り西湘バイパスに向けて進む。二宮の先輩と合流し、再び西湘バイパスに向かう。東海道・国道1号の二宮交差点手前の看板には「東京2020オリンピック 聖火リレー開催」による交通規制のお知らせが。西湘二宮ICから再び西湘バイパスに入り進む。前方に箱根の二子山の姿が。国府津ICからは富士山の姿が見えたが、電柱が・・・。そして、西湘バイパスはリニューアル工事 のため、小田原IC以西(小田原IC~石橋IC)が昼夜連続・通行止めとのことで、一般道に進む。東海道との合流地点「山王堂」交差点に向けて渋滞中。小田原市民会館前交差点を左折し、国道138号を進む。右手に和菓子屋「ういろう本店」が。そして東海道本線手前の早川口交差点を左折し、国道135号を進む。石橋IC先から真鶴半島を見る。根府川手前の海には定置網と漁船の姿が。右手に、以前に訪ねた白糸川に架かる東海道線・「白糸川橋梁」👈リンク の姿が。「屏風岩隧道」。有料の真鶴道路(真鶴ブルーライン)には入らずに一般道・国道135号を進む。「真鶴隧道」。湯河原温泉入口交差点の先には「熱海ビーチライン」が左側にあったが直進。前方に白亜の高層マンション「熱海サニーハイツ」が姿を現した。そして「熱海城」、「熱海後楽園ホテル」、「ホテルニューアカオ」の姿が見えて来たのであった。そして「釜鳴屋平七夫婦像」近くのコインパーキングに車を駐め、この日の熱海の「ジャカランダ」の花の散策開始。時間は8:09。駐車場近くの「ジャカランダ」の花を見上げる。今年も6/5(土)~20(日)に「ジャカランダフェスティバル2021」を開催中なのであった。期間中は遊歩道をライトアップするとも。「花が頭に落ちるとしあわせが訪れる」と言われる「ジャカランダ」の花。「熱海サンビーチ」沿いの国道135号に向かって歩く。熱海市春日町の高台に立つ高層高級マンション「ザ・クレストタワー熱海」の姿。地上30階建、全320邸であると。手前のピンクの建物は「ゼファー熱海ビーチタワー」。咲くか、咲かないか、その年になってみないと分からない。そんなちょっと気まぐれな「ジャカランダ」の花。1990年に熱海市の国際姉妹都市、ポルトガルの力スカイス市から贈られた2本が、いまでは100本以上に。常夏の熱帯地域を中心に分布する世界三大花木は、いまでは熱海の初夏を告げる花なった。熱海の海沿いでは、この6月になると、お宮緑地からサンビーーチにかけて、ラッパの形をした小さな青紫色の「ジャカランダ」の花がブーケのように空を彩るのだ。そして「ジャカランダ」の実がぶら下がっているのを見つける。別の実をズームで。残念ながら手の届かない高さであった。タネの様子が気になってネットにアクセス。中身は薄い皮に包まれた状態の種がたくさん入っていると。種から栽培された記録「ジャカランダ日記1」👈リンク のページもありました。そして熱海海岸通りの「東海岸町」交差点角にある「熱海警察署 中央交番」が前方に。「熱海サンビーチ案内図」。投票日6月20日(日)の静岡県知事選挙のポスターも。お宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)がここからスタート。ブーゲンビリアもゲートフェンス上に。すでに芝生の上に落ちている「ジャカランダ」の花も。ジャカランダは、世界三大花木のひとつとされているノウゼンカズラ科の高木で、中南米が原産。世界三大花木とは、鳳凰木(ほうおうぼく)、火炎木(かえんぼく)、そして紫雲木(しうんぼく)の3つで、ジャカランダは、この「紫雲木」という和名を持つ木で、本来は、日本の桜・ソメイヨシノと同じく葉を落とした状態で花だけを咲かせるのだ。南米・アルゼンチンや、ヨーロッパ・ポルトガルなどでは、初夏になると房になった釣り鐘状の花が無数に咲き、ジャカランダが植えられた街が紫色に染まる風景写真をインスタグラムや観光案内などで見かけるのだが、その風景は圧巻のひとこと。房になった釣り鐘状の花に近づいて。因みに、他の世界三大花木の「鳳凰木」👈リンク。「火炎木」👈リンク。 2019年に訪ねたポルトガルでは、初夏になると青紫のジャガランダで街が紫一色に染まるのだと。さしずめ紫の桜といったところ。ポルトガルでは「ジャカランダ」の紫色の花が満開になる頃はちょうどイワシ祭りというお祭りの時期。賑やかなイワシ祭りと、ジャカランダの満開の花を見る為に海外からもたくさんの人が訪れるのである、というが今年は??。こちらが、南アフリカの首都・プレトリアのジャカランタの並木。熱海のジャカランダは、残念がら花のボリュームより葉のボリュームが多いのだが。これも天候、土地の質等が微妙に影響するのであろう。熱海の「ジャカランダ」の花には多くの葉が同時にあり残念だが。パームツリーと「ジャカランダ」。黄色の花は・・・。「キバナランタナ」。お宮緑地(ジャカランダ遊歩道 )を進む。「ジャカランダ世界三大花木(カエンボク・ホウオウボク・ジャカランダ)の一つで、いまでは熱海の初夏を告げる花となりました。街路樹がジャカランダなのは温暖な熱海だからこそ、本州では珍しい風景です。また、ジャカランダの日本での認知度は、海外のリゾート地への渡航者増加に伴って広がりつつあります。熱海での開花は折しも傘の花開く梅雨のシーズン。ラッパの形をした小さな青紫色の花がブーケのように熱海の梅雨空を彩ります。」多くの竹灯籠も並んでいた。白のカシワバアジサイ。竹灯篭「鳳凰」。木は大きいが花の数は・・。竹灯篭「かぐや姫」。竹灯籠に明かりをともす「竹かぐや」が開催されると・・・。 【https://www.facebook.com/168079290060949/posts/1169904323211769/】より ・・・つづく・・・
2021.06.09
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「鷹匠橋」から「大清水橋」までの約400mを歩き「大清水橋」に到着しこの橋を渡る。「大清水橋」から旧横浜ドリームランド併設のホテルエンパイア・現横浜薬科大の図書館棟(地上21階建て)が見えた。そしてその手前に「横浜水道境川水路橋」も見えた。下流に向けて右側の堤防斜面のアジサイ。「大清水橋」橋銘板。右手の上流側に見えたのが「横須賀水道路境川水管橋」海老名市社家の相模川から有馬浄水場経由で田浦配水池へ送水される有馬系統の導水管であると。以前は半原系統の導水管(φ500)も敷設されていたが、需要減少、水質悪化、施設老朽化などに伴い2007年(H19)に取水が停止され、2015年(H27)に系統と共に撤去されたのだと。 構造種別:1径間三弦トラス(1個のトラス構造で上弦材1本と下弦材2本の三角形構造) 河口からの距離:7.1km 橋の長さ:約57m 水管径:φ1000 完成:不明右手手前にあったのが藤沢市で設置した「河川除塵機」。フロートに繋がったワイヤーロープをウインチで引っ張って、浮遊ゴミを回収する装置のようであった。「大清水橋」から下流側を見る。正面に「藤沢市民病院」の建物の姿が。「藤沢市民病院」は昨年度と同様、新型コロナウイルス感染症対策の医療提供体制「神奈川モデル」の高度医療機関として重症患者の入院治療を中心に診療を行っているのだ。同時に中等症患者を受け入れる重点医療機関の協力病院として、コロナ陽性の中等症患者の入院治療も行っているのだ。そして往路と同様にアジサイの「七変化」を楽しみながら進む。「アジサイは咲き始めは白っぽく、開花が進むにつれ、淡い色から濃い色へ濃淡や色が変化していくため、別名「七変化」とも呼ばれます。一般的に、土壌の酸度によっても花の色が変わり、酸性だと青寄り、アルカリ性だと赤寄りの色になります。日本は元々酸性土壌なので、赤色品種のアジサイでも庭に植えると、次第に赤紫色に変化。鉢植えでも、根酸(根から分泌される酸)の影響で土が次第に酸性になり、同様のことが起こります。色鮮やかな赤色を維持するには、土に石灰をまいて、土をアルカリ性に傾ける方法があります。なお、青紫色のアジサイに石灰をまいてもきれいな赤色にはなりません。青紫色のアジサイは酸性の土壌で鮮やかな色が出る、日本の風土に合った花木と言えます。」とネットから。色の「七変化」をカメラで追う。アジサイ(紫陽花)の別名には、こんなものがあるのだと。 ●七変化(しちへんげ):七変化とは、咲き始めてから時間が経つにつれ、色を変えこと からついた別名 ●四片・四葩(よひら):「花びら(正確にはガク)が四片あること」からつけられた名前 ●手毬花(てまりばな):丸く集まった装飾花の形から ●オタクサ :この名は、シーボルトの美しき恋心から生まれた名前。 1823年、長崎に渡来したドイツ人医師シーボルト。 植物研究にも情熱を注ぎ、とりわけ紫陽花に夢中になった。 ●刺繍花(ししゅうばな):手毬花と同じく、刺繍に見立てる。 刺繍から連想するのは、西洋紫陽花ではなく山紫陽 ●八仙花(はっせんか):「七変化」と同じ。さまざまな色合いに変化することから 名づけられた名前「アジサイ」の語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である。そのほか、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。とウィキペディアから。前方に「鷹匠橋」が見えた。対岸のアジサイを見る。再び、色の「七変化」をカメラで追う。そして車に戻り帰路に。民家の庭先の「ガクアジサイ」。淡い紫が美しかった。そして帰路の道路沿いのアジサイ。八重咲きのピンクのガクアジサイ。緑のアジサイ。こちらも「アナベル」という品種でもう少しすると白いきれいな花色になるらしい。こちらは、既に純白のアジサイ。鎌倉・明月院の「明月院ブルー」に似て。そして道路脇の「タチアオイ」の花。紫のニンニクの花も。「インドハマユウ」であろうか?花茎先端に白い ユリ(白百合) のような花を多数付けていた ユリ目ヒガンバナ科ヒメノカリス属の耐寒性常緑多年草(球根植物)。そして濃い赤紫のアジサイ。そして「横須賀水道路境川水管橋」の下を潜り我が家に向かったのであった。そしてこの日に訪ねた近くの「わいわい市」にあった変わったアジサイ。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2021.06.07
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今朝は5時半過ぎに目が覚め起床。雨が降っていなかったので、車で10分ほどの場所にある「大清水境川アジサイロード」に再び向かう。藤沢市大鋸を流れる境川の両岸に植栽されているアジサイ。大清水橋から鷹匠橋までの約400メートルは、「大清水境川アジサイロード」と呼ばれている。地域住民が自宅の庭などで育てたアジサイを植栽したもので、毎年、アジサイ祭が開催されている。今朝は、前回とは逆に、ここ「鷹匠橋」から上流に向かって「境川」を左に見ながらアジサイを楽しむことにした。「鷹匠橋」。徳川時代に将軍が鷹狩りをする目的で、藤沢御殿が造られた。現在の藤沢市民病院の側であった。その関係で、藤沢の辺りには鷹匠も住んでいたと。市民病院北東の境川にかかる橋は、『鷹匠橋』と名付けられているのだ。歴史を感じさせる橋名。藤沢市内にはもう一つの「鷹匠橋」がある。こちらは「伏見稲荷大社」に向かって進むと引地川に架かる橋であり「大場鷹匠橋」と呼ばれているのである。よって性格には「鷹匠橋」はこの橋のみなのであるが。構造種別:1径間PC桁 河口からの距離:6.5km 橋の長さ:33.5m 有効幅員:11m 完成:1990年(H2)下を流れる川は横浜市との市境になっている「境川」。欄干には半透明ガラスにスミレとチョウを描いた洒落たステンドガラスの如き絵が飾られていた。下流側に見えたのが国道1号・藤沢バイパスの「境川大橋」 構造種別:1径間鈑桁 河口からの距離:6.4km 橋の長さ:36m 有効幅員:16m 完成:1961年(S36)右奥に見えたのが「藤沢市民病院」。「境川」の上流側を見る。「鷹匠橋」の欄干には同テーマの造形作品も。白いスミレの花であろうか。別の場所にも。そして「境川」の上流に向かってアジサイ(紫陽花)を楽しみながら進む。「アジサイ(紫陽花)」の美しい色合いの変化を表す「語彙力」が貧困ですので華やか、良い香り、芳しい、鮮やか、可憐......くらいしか。しばしは写真のみで。これから何色に変身するのであろうか。お色直し中でしょうか。この場所にひまわりを植えて平成16年度の「藤沢市まちづくり賞」を受賞と。カシワバアジサイの白い花。カシワに似た形の5~7つに深く裂けた葉、円錐形の花房が特徴的なのが、カシワバアジサイ。花だけではなく、秋の紅葉も美しく、長期間観賞できるアジサイ。そして「大清水橋」まで歩き橋を渡り反対側へ。 ・・・つづく・・・
2021.06.06
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この日は6月2日、JR藤沢駅近くに車で行った帰りに、藤沢市と横浜市の境を流れる「境川」沿いの「大清水境川アジサイロード」を訪ね、紫陽花(アジサイ)を楽しんで来ました。藤沢市大鋸を流れる境川の両岸に植栽されているアジサイ。大清水橋から鷹匠橋までの約400mは、「大清水境川アジサイロード」と呼ばれている。地域住民が自宅の庭などで育てたアジサイを植栽したもので、以前は毎年、アジサイ祭が開催されているのであるが。大清水中学校と清流高校前の境川両岸に、約800株のアジサイが植えられているのであった。地域住民、学校、家庭の三者連携により護岸にアジサイが植栽されたもので、2012年景観まちづくり賞を受賞しているのであった。ピンクのガクアジサイ。色合いのピークは来週か?紫陽花の色は、たくさんあります。基本は青、紫、ピンク、白ですが、同じ紫でも「赤紫」があれば「青紫」もあり、紫陽花の色はたくさんあります。それだけではなく、紫陽花の種類の中には、咲きはじめから終わるまでに何度も色を変化させる種類もあり楽しめるのです。しかし、黄色のアジサイは見たことがありません。若花は黄色っぽいですが。「アジサイを楽しむ会」が6月6日に開催されると。「鷹匠橋」を渡る。橋の欄干には蝶が舞うステンドグラスの如きガラス絵が。スミレの花か?反対側には白い花が。再び青のガクアジサイ。「鷹匠橋」を振り返って。この境川沿いの下流に向かって右側の道は「藤沢・大和自転車道」の一部になっているのだ。そして帰路の路端にあったアジサイに車を止めて。白のカシワバアジサイの姿も。そして、この赤は昨年、近くの店頭で見つけたもの。 ・・・END・・・
2021.06.05
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「グリーンハウス(温室)」を後にして、「本館」に向かって進む。広場の「ルピナス」を再び。「ヤマモミジ」の盆栽。「くろまつ」の盆栽。「紫陽花」と「ケイワタバコ」。「ハナショウブ園」の開花はこれから。今人気の「台湾パイナップル」か。「本館」近くにあった「クレマチス」。白の「ジギタリス」であろうか。ピンクの「シギタリス」。花の内側には、特徴的な斑点がある。「ネモフィラ」。「ネモフィラ」は森の妖精のような、澄んだブルーの花が愛らしい。青の「ガクアジサイ」。ホンアジサイは「移り気」「浮気」「高慢」というネガティブな花言葉を持つのに対して、ガクアジサイの花言葉は「謙虚」。そして「日比谷花壇大船フラワーセンター」にての最後に「アフリカのバラ」展が「本館」の2階で行われていたので訪ねたのであった。「本館」2階のフラワーセンターを訪ねた。入口の展示。全面の展示を正面から。「ケニア共和国」の国旗の中央にある「槍と盾」をデザインした敷物の上に色鮮やかなバラが展示されていた。ケニアで生息する「マサイキリン」3頭と色鮮やかなバラ。花に近づいて。左側のバラ。そしてその横には一輪挿しのバラが並ぶ。「バラ開発の最前線ケニアはイギリス・オランダ・インド・イスラエルなどから花のプロたちが集まり、3年後、5年後の流通を目指して、現地の生産者とともに新たなバラの開発を行っています。ケニアは世界でも有数のバラの産地バラは品種により好む環境が異なりますが、一般論としては、標高が高い島ほど大きな花をつけるとされています。テニアにある標高2000mほどの上地ては、気温が程よく安定しており、いくつもの品種のバラを栽培するのにうってつけの環境てす。」「栽培に適した気候ケニアは赤道地域に位置しますが、地方によって高度に大きな差異があり、蒸し暑い海岸から涼しい高地まで、多様な気候条件が存在します。1,500メートルを超えると温帯気候で、日中の気温は22℃~30℃、夜間は6℃~ 12℃てす。南の日は6℃~12℃です。雨の日は60~80日程度で、1年のほとんどはすばらしい日照に恵まれます。これは、温室を用いることなしに、高品質の花を1年中栽培できる理想的な環境です。ケニアの切り花産業ケニアからの園芸部門は.経済全体て最も成長の速い産業の1つであるとともに、観光と紅茶に次いて3番目に大きな外貨獲得産業てす。ケニアからの園芸産品の輸出の歴史は、独立前.当時英国の梳民地であったケニアが、東アフリカの財政運営に寄与することを求められていた時代にさかのほります。独立後も、園芸産業は、欧州向けの輸出が増え、輸出市場でのケニアの滋在能力が認められるのに伴い、成長を続けました。輸出が順調なのは、ケニアが1年を通して品質の良い製品を供給することがてきることによると考えられます。」。「カルーセル」。「シャポー」。後ろ側の展示コーナー。ケニア産の「マンダリンガーネット」と「セリコパラサイト隕石」のネックレス。「マサイ族の民族衣装(女性)」。「マサイ族の民族衣装(男性)」。こちらにも一輪挿しのバラが並んでいた。「トップギア」。「グッドタイムズ」。「ファイヤーフラッシュ」。「アテナ」。「ダウンタウン」。独り占めの空間と時間であった。 ・・・もどる・・・ ・・・完・・・
2021.05.21
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「シャクヤク(芍薬)園」を後にして「グリーンハウス(温室)」に向かう。広場の先に「グリーンハウス(温室)」が。広場の花壇には「パンジー」と「ルピナス」が。我が趣味の養蜂場にも、種から育てたルピナスを植え付けたが、この様に咲いてくれればと。以前に北欧に行った折りには野山に野草の如くに群生して咲いていた事を想い出したのであった。そして「グリーンハウス(温室)」正面に到着。入口右にあった「チョウキンレン」。「中国雲南省に分布する植物で、バナナに近い仲間です。黄色の花びらのように見えるのは苞葉で、本当の花はその内側にあります。「地面から湧いてきた金色の蓮」という意味で、「地湧金蓮(元は中国名)」と呼ばれています。」苞の付け根に見えるたくさんの小さな筒状の器官が1つ1つの独立した花であると。そして入口左にある最初の部屋に向かう。「サボテン・多肉植物」紹介コーナーが「グリーンハウス(温室)」内で開催されていたのであった。最初の部屋。「ストロマンテサンギア”マルチカラー”」。別名としてはウラベニショウとも呼ばれています。こちらはその名の通りに裏が赤いことからのようです。可愛らしい赤い花が密集して。この植物は??。次は「ハイビスカス室」。天上には日除け用の白いシートが。ピンク、オレンジ等様々な色のブーゲンビリアの花が。ブーゲンビリアにも様々な名前がついているのであった。「チェリー ブロッサム」。「レインボー ピンク ゴールド」。「サンデリアーナ」。「サン ディエゴ レッド」。「カリフォニア ゴールド」。「デュランタ」。近づいて。デュランタは藤色や白の小花が集まって房状に垂れ下がって咲く人気の熱帯花木。花は長い花期の間次々と開花し、花後には丸い果実を実らせ、果実は熟すとオレンジ色になるのだと。。「ミツバチについて知ろう」コーナーがこの日も。「養蜂とは」コーナー。「ルリマツリ」。涼しげな青色の花が魅力。プルンバゴの名前で呼ばれることもあります。ブラシの木(赤)・「アカバナブラシノキ」。ブラシの木(白)・「シロバナブラシノキ」。「コエビソウ」。朱色の苞が重なったユニークな形がエビのように見えて美しいですが、その間から出る白い花はあまり目立ちません。そして「つる性植物室」。「アルビフロラ」。「ソラヌム シーフォーシアヌム」。ナス科のつる性常緑低木で熱帯アメリカ原産。「バナナ」。「ソラヌム ウエンドランディー」。中央アメリカのコスタリカが原産です。常緑または半常緑の蔓性で、長さは3~6メートルに。葉は長さ20センチほどですが、全縁から羽状裂するものなど変化に富んでいます。夏、茎の先に花序をだし、淡い紫色の花を咲かせます。花はやがて藤色から白色へと変化していきます。「すいれん室」へ。「ホワイト パール」。純白な花弁に、生えそろった黄色の蕊が美しい熱帯スイレン。「セントルイスゴールド」。熱帯性、昼咲き、黄色、小中輪の園芸品種。熱帯スイレンは、花茎を水面より上に数cm伸ばして花を咲かせます。「エルドラド」。イエローベースの強めな品種ですが、よりシャープな印象を与えてくれます。ほとんど、おしべと、花弁の色彩が同色である点も本種の特徴。「グリーン スモーク」。スイレンの中でも最も特殊で独特の色合いの花を咲かせます。花は中心部分が緑っぽい黄色で外側にかけて青みがかってくる独特の色合いをしています。その神秘的な色合い故に非常に人気が高い。「ドーベン」。花弁の先にほんのりとブルーの入る白花種です。花は小さいものの非常に育てやすく、秋遅くまで咲き続けます。「ティナ」。明るい青紫色で、やや小ぶりな花ですが、非常に花つきが良く、小さな株のうちから絶え間なく花を咲かせてくれます。「ミセス G.H プリング」。熱帯スイレンのブリーダーとして有名なジョージプリングが夫人に捧げて命名した品種。花色はややクリームがかった白で、葉はわずかに茶色のドットが入り、葉裏もわずかに赤みを帯びる。「スター オブ サイアム」。濃い紫色の模様が明瞭な昼咲き性の熱帯スイレン。花は青紫色で、大きくはないが、葉だけでも存在感のあるスイレン。そして「花鉢室」へ。ここでは「サボテン・多肉植物」紹介コーナーが開催中であった。美しいサボテンの花の写真が。そして展示されているサボテンの花を追う。そしてサボテンの不思議な姿を追う。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.05.20
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更にバラ園の散策を進める。バラ園の北側を歩く。「Rose Garden」と書かれた小屋。「るる」。コーラルピンク色の丸弁咲きで、中輪サイズの花弁は裏が白っぽく表は濃い目のピンクという対比が美しい品種。「サンライト ロマンティカ」グリーンを帯びた丸蕾が開花につれ、中輪のロゼット咲きになります。サンライトの名の通り、光輝くような黄色の花色とクラシカルな花形、強い香りが魅力的。「エンチャンティッド イブニング」。たそがれ時の色あいをまとったような、幻惑的なラベンダー色のフリルがかった花弁は、中心に近づくほどに色濃く、裏弁にシルバー味をおびます。花付きが良く、房に次々と花を咲かせます。ブルー系の香りにフルーティな甘さのある強い香り」と評された、うっとりするような香り。「ニコール」。開き始めは淡くピンクを帯びます。数輪の房咲きで、花弁には軽くフリルが付きエレガントな表情を持ちます。「アイスバーグ」。20世紀を代表する名花で純白の花が数輪から大房に咲き、春から秋まで良く咲きます。 白の中輪の花が株一杯に咲かせる様は見事。白の「休憩所」がバラ越しに見えた。「フラウ ホレ」。真っ白な花が株いっぱいに咲きあふれ、ひらひらと散った花びらは雪化粧をしたように地面を覆う。花名はグリム童話の一つ、「フラウ・ホレ」に由来します。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.05.18
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「バレリーナ」。ピラミッドのような大きな房咲きで満開時は株一面が花で覆われ非常に見事。風景をつくる能力が素晴らしく、庭がぱっと華やぎます。「鎌倉」。鮮明な黄色で高芯剣弁咲き、四季咲きで棘が少ない品種。器の水面にはバラの花が浮いて。「ファビュラス!」。花名は「素晴らしい!」の意味。花の大きさ9㎝ほど、白いバラの品種。真っ白で花びらの数が多く、丸弁平咲きの花型が特徴。「カウンティ・フェア」。はっきりとしたピンクの半八重咲き花で、一輪一輪に派手さはないが、花壇用への植栽ではかえってそのシンプルさが生きてくるバラ。株姿が美しく、赤みを帯びた新芽などの調和も美しい。耐寒性もあり育てやすい品種。「桜霞」。淡いピンクからじょじょに赤みを載せていく半八重咲きのバラ。「ニコロ パガニーニ」。花色は鮮やかな紅色で、花付き・花持ちが良く、秋口に至っても色褪せない優良品種。緑と真紅のコントラストが大変美しく、フロリバンダローズでは珍しい、剣弁高芯咲。ここにも水に浮かんだバラが。「春の舞」。花色は、やや青みを帯びたピンク。中輪・丸弁の半八重咲きで、房状にたくさん愛らしい花をつけます。花つきが良く、育てやすい品種。「サラバンドゥ」。花の大きさ5~7cmほど、朱色のバラの品種。退色しない朱色で、半八重咲きの花びらの数は10~15枚。平咲きですぐに開ききりますが、花持ちがよく、房咲きになる。「ジャルダン ドゥ フランス」。輝きをもったサーモンピンクの花が房咲きとなりひとつの花束のように咲く姿が特別に美しい。一輪一輪は中輪ですが、房咲きで特にまとまって咲くので、ボリュームがある。花付きも良く何度も繰り返し咲く。「フランスの庭」の意味。「センティッドエアー」。リルのかかったラベンダーピンクの花弁からは、濃厚な香りが漂います。「香りに満ちた空間」の意味の通り、辺りに甘い香りを漂わせます。とげが少なく、扱いやすい。「オリンピックファイヤー」。オリンピックの聖火のように燃え立つ朱赤のバラ。「レーゲンスベルグ」。桃赤色の花弁の裏は白で、その対比が美しく、冷涼な気候では、その美しさが際立ちます。秋に本来の色を楽しめるバラでもあります。中心の黄金のしべと相まって大変に人目を引く魅力があります。多花性で次から次へと房咲きに咲きます。「花房」。日本作出のバラ。1981年に京成バラ園芸の鈴木省三氏が作出したフロリバンダ系統のオレンジ色のバラ。「パーマネント ウェーブ」。名前どおり花弁が大きく波打ち、濃いローズピンクの花色と相まってとても華やかな雰囲気を持っている品種。大房咲きで花持ちも良く、樹高はかなり高くなる。「いろは」花弁は、平咲きとなって現れる中心の白とにじむようにとけ合い、裏弁の白とも相まって、あでやかなコントラストを奏でます。「ほのか」。四季咲き、花色はアイボリーにローズ色の覆輪だが今は、淡いピンクで縁取りが少し濃いピンク。「アイスバーグ」。20世紀を代表する名花で純白の花が数輪から大房に咲き、春から秋まで良く咲きます。 白の中輪の花が株一杯に咲かせる様は見事。世界ばら会連合、略称(WFRS)で殿堂入りを果たしたバラ。「ゴールドマリー’84」。花弁の外側が、赤みを帯びた濃黄色で、丸弁平咲き、葉は厚く光沢があり、葉脈もはっきりしているため、花色とのコントラストもすばらしい。「ブラス バンド」。季節により花色に変化があり、春の一番花は赤みがかったオレンジ色、 二 番花以降はアプリコットオレンジの発色を見せます。波状弁の丸弁八重咲きで華やかな色調の花で株が覆われる様は大変見事。「マーガレット メリル」。非常に香りの良い品種として知られています。アルバローズのような、レモン香をふくむすがすがしい白ばらの香りが楽しめます。濃い緑の照葉で花との調和良く、上品な雰囲気。水面に浮かぶバラの花がここにも。バラの維持管理をされている係員の姿が。「新星」。ツンツンとした立派な剣弁が、名前の通り星の様でかわいらしい。柔らかめの黄色は、咲き進んでも退色が少なく、長く花色と花型を楽しめる。1979年、鈴木省三氏作出と。「パローレ」。花名の「パローレ」は、「ことば」を意味します。その最大の魅力は豊かにひろがるフルーティな強い香り。「コンラート・ヘンケル」(手前)。四季咲き性大輪種の赤バラ。「ピエール・ドウ・ロンサール」(後)花はクリーム色の大輪、花の中心に向かうほどピンクを増す。系統はつるバラに属し、生育旺盛で丈夫で大変育てやすい品種。一季咲きの多いつるバラでありながら、よく繰り返し咲きをし、秋までたくさんの花を楽しませてくれます。「アカベラ」。表弁の赤と裏弁の白のコントラストが美しい。花付きが良く香りがある。「宴」。濃く明るい赤色の大輪花。鮮やかな赤花ですがとても優雅な咲き方をする。「シティ・オブ・ヨーク」。白地におしべの黄色が良く目立って非常に美しく、さらに葉の美しさも際立つ二重に優れたつるバラ。「ホワイト・マスターピース」。白が基調、中心がクリーム黄色になる大輪花。弁が厚くゆっくり咲きます。蕾の状態で薄く緑がかるところも魅力。「ピンク・パンサー」。四季咲きで10~13cmほどの中輪~大輪のサーモンピンク色の花を咲かせ、仄かな芳香がある。半剣弁高芯咲きで花弁の数は約30枚。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.05.17
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先日、自宅から車で30分ほどの場所にある「日比谷花壇大船フラワーセンター」へバラ、芍薬を愛でに行って来ました。高校時代の友人から、LINEで開花情報を頂いたのです。駐車場に車を駐め、歩道橋から9時の開園を待つ人達。そして150円でチケットを購入し園内に。「大船フラワーセンター 案内図」。「園内開花情報」各種バラは満開であり、芍薬は終盤であると。「グリーンハウス 開花情報」。入り口を入ると、すぐに園芸種の花壇があり、その向こうの噴水の池に睡蓮の葉が浮かんでいた。入場してすぐの広場にある石のアーチは「かたぐるま」というモニュメント。園内正面の花壇。「スイレン池」には噴水が涼しそうに。白のスイレン(睡蓮)の花。濃いピンクのスイレンの花。花時計は9時過ぎを示す。「スイレン池」に沿って進む。ズームで花を追う。「玉縄桜広場」の「蓮」の花は1ヶ月以上先に開花。そして目的のバラ園入口に。「バラ園マップ」。バラ園には、約370品種・1200株のバラが植栽されており、春と秋の見頃の時期にはバラの香りが園内を包み込み、訪れた人たちを楽しませてくれるのです。この日は、コロナの影響で人の接触を抑えるために「一方通行」になっていた。入口からバラ園を見る。左手に「ロサ・ルゴーザ(ハマナス)」。「ジャパニーズ ローズ」と呼ばれ、日本を代表する野生バラ。皇后雅子様が、皇太子妃になられた時に、お印しとして定められた花である。濃いピンクの小バラが満開で迎えてくれた。「プリンセス・ミチコ」。美しい朱色の、優しい平咲き。大きな房になって咲き、樹は直立気味に高く伸びます。美智子皇后陛下が皇太子妃時代にディクソン氏から捧げられた花として現在も良く知られ、多くのばら園で植栽されています。「エグランタイン(マサコ)」。雅子妃殿下の名を冠したバラ。美しいソフトピンクの花はかなり大きめ。「プリンセス チチブ」。どこか金属光沢を感じるラベンダーピンクで弁端は濃い紫をおびたローズピンクの覆輪がかかり、秋は一層花色が冴えます。「イザヨイバラ」。「ボニー」。淡桃色丸弁平咲き、円錐状の大きな房。「ヘンリー ネワード」。明るいローズレッドのクラシカルな中大輪の花は開花につれ青みを増す甘く濃厚な香り。「フラウ カール ドゥルスキー」純白そのもの。1901年に発表されて以来、白つるばらの名花として100年以上愛されてきた品種。かつては不二(ふじ:ふたつとないの意)の名で親しまれた。「花水仙」。近づいて。一面の荊棘の薗。「オスカル フランソワ」。清らかに澄み切った白の大輪花は、フランス革命の時代を情熱的に生きた男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェの面影そのもの。「ブラック ティー」。紅茶のような花色で、独特な雰囲気を醸し出す薔薇、ブラックティー。その珍しい花色と存在感で、根強い人気がある。高温になると朱色に近くなるため、春バラよりも秋バラの方がより綺麗な紅茶色を楽しめる。「月光」。月光 (Gekko) は、ハイブリッドティー系統の剣弁高芯咲き。満月の日の月明かりは、こんな色合いなんだろうな・・と連想させるバラ。「ベルサイユのばら」。ビロードのようになめらかで、つややかな輝きを帯びた真紅の大輪花。「メイクイーン」。わずかにラベンダーを含むピンクで、オールドローズのように優雅なロゼット咲き。「ウェディング デイ」。咲き始めは淡黄色、のちに白に移ろう、色調変化の特に美しい小輪一重咲き。おしべが目立って美しいバラ。「ブリタニア」。白地にはっきりとしたローズ色の覆輪、半直立で樹勢強健、株もポリアンサローズの中では大型の部類。大きめの花で遠目からも目立つ。耐寒性もある。「アイスバーグ」。「アイスバーグ(氷山)」の名前の通り、透明感のある真っ白な半八重咲きの花弁で、ドイツ語で「白雪姫」の意味の「シュネービッチェン」とも呼ばれている。「ノヴァーリス」。花弁数: 80~ 枚、花径 9 cm。最強の青バラといわれるほど、青バラのわりに丈夫であると。「かぐや姫」。とても香りのよい品種。日本バラ会の1996年「香りの大賞}を受賞。「アライブ」。「生きて」の意味。元宝塚女優 瀬奈じゅんさんが命名したバラ。東日本震災復興の気持ちを込めて名づけられたと。「プリンセス・ドゥ・モナコ」。白とピンクの覆輪系のハイブリットティーローズの中でも、群を抜いて美しい「プリンセス・ドゥ・モナコ」。モナコ公国王妃となった、故グレース・ケリーに捧げられたこのバラは、その名前の通りとても存在感があり、上品で甘い香りがする。「ブルームーン」。木立性で10cm程度の藤色の花を咲かせる。四季咲き性で花形は半剣弁高芯咲き。強香でダマスクとティーの混在した、いわゆるブルーローズの香りがする。「トゥールーズロートレック」。丸弁の花びらの数は80枚と多く、シャクヤク咲きまたはロゼット咲きの花型。香りが強く、花茎が長いため、切り花としても人気の高いバラ。 ・・・つづく・・・
2021.05.16
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昨日.4月16日の午前中、片瀬に用事があり向かったが、その帰路に我が家から車で10分かからない場所にある「相州藤沢 白幡神社」に立ち寄った。「白幡神社」は、奥州平泉で最期を遂げた源義経を祀る神社。伝承によれば、義経と弁慶の首は鎌倉の腰越の浜で首実検が行われた後、2つの首が白旗神社に飛んで来たのだとの言い伝えが。正面に日本初のグラスファイバー製の「大鳥居」高さ8m、幅6mの明神鳥居で、昭和59年12月に建立された。地震対策のために軽量で耐久性のあるグラスファイバーを取り入れ、建設時には新聞、テレビ、週刊誌等で報道されたのだ。「手水舎」。今年の若竹が早くも取り付けられていた。「源義経公武蔵丸弁慶公之像」。この「源義経公武蔵丸弁慶公之像」は2019年(令和元年)10月竣工。源義経公没後830年の記念事業の一つとして建てられたのだ。馬に乗る「源義経公」。平安武将の大鎧を再現した見事な源義経騎馬像。鎧だけでなく、馬具・轡(くつわ)なども忠実に再現したのだと。お顔をズームで。そして「武蔵丸弁慶公」。武蔵坊弁慶が主君の義経を仰ぎ見る忠義の士の姿。新たに「枯山水の石庭」も造られていた。そして正面の石段の先に「白幡神社」👈リンク の「社殿」が見えた。そして、目的の「弁慶藤」を愛でに。手前に「芭蕉句碑」。「芭蕉句碑草臥て(くたびれて) 宿かる比や(ころや) 藤の花 文化二年建」。夕刻、いい加減歩き疲れた。そろそろ宿に入る時分、眼前に藤の花を見る と。文化2年(1805)に江戸の俳人以足によって建立されたと。」あと数日で満開か?60~70cmほどの花穂の最下部まで花が開くのである。鮮やかな紫色の花を咲かせていた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で人影はまばらだが、訪れた人々を癒やしてくれるのであった。小さな花が垂れ下がって咲く藤の花は、万葉集にも詠まれ、古くから日本人に親しまれている花。そして我が藤沢市の花。美しい花房からは甘い香りがし、紫や白の色合いは和洋どちらの庭とも調和するのだ。更に近づいて。別の角度から。廻り込んで。そしてこちらは社務所前の白の藤の花。「義經藤」。こちらは漸く一部が開花が始まったばかりであった。白い花を探して。今年「令和三年辛丑歳」の大きな絵馬。牛若丸が来年の干支である牛に乗り、楽しそうに横笛を吹いている姿。白梅・紅梅がめでたい彩りを添えていたのであった。「祈祷殿」「湯立神楽 舞台」。
2021.04.17
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我が家の近くを走る県道403号線・菖蒲沢戸塚線の街路樹の紅白の「ハナミズキ」が開花しています。以前は、交互に植えてある赤と白の「ハナミズキ」が開花し、楽しませてくれていましたが、次第に赤の「ハナミズキ」が枯れてしまい、現在は白の「ハナミズキ」がほとんどとなっています。ハナミズキは、ミズキ科の落葉花木で高さは10mほど。北アメリカ原産でアメリカを代表する花の一つ。ハナミズキが日本へ入ってきたのは明治時代。ワシントンにソメイヨシノを送った返礼としてやって来たのだ。白や赤のハナミズキの花は4月から5月にかけてが開花時期なのです。ハナミズキの花に見えているのは、実は苞(ほう)という葉の一種。中心にあるめしべのように見えるものが、花序(かじょ)という4mm程の小さな花が集合しているもの。ハナミズキの花びらに見える大きな苞は、ここに花があることを虫や鳥に教えるための役割があるのだと。まるで雪をかぶった樹の如し。ハナミズキは英語では「犬の木」を意味する「dogwoodドッグウッド」と呼ばれる。この語の語源には諸説あるが、一説には17世紀頃に樹皮の煮汁がイヌの皮膚病治療に使用されたためと言われ、他には、木製の串を意味する英古語の「dag」「dog」を作る材料に使われる堅い木であったことからとも言われる。ただし、イヌの皮膚病治療に使ったとされる「dogwood」は、同じミズキ科の植物でもセイヨウサンシュユと考えられており、ハナミズキとは異なるのだと。ハナミズキの花言葉には、「返礼」、「私の想いを受けとめてください」、「永続性」、「華やかな恋」という意味があると。ハナミズキの花言葉「返礼」は、日本が愛する花の一つである桜をワシントンDCに贈り、その返礼として贈られたのがハナミズキであることに由来しているのだと。そしてこの県道沿いでは少なくなってしまった赤の「ハナミズキ」。ハナミズキは白花が基本であり、当初は薄紅色の花が咲く品種を「ベニバナハナミズキ」と呼んで区別していたが、現在ではピンク花が主流になっており「ベニバナハナミズキ」という言い方はあまり聞かなくなって来たのだと。花が上向きに咲くことから、2階から見える位置に庭木として配置するのが良いとされていると。桜が終わった頃に咲いているのが長く楽しめるのがハナミズキの魅力なのです。街路樹で人気なのもそうしたことにも理由があるのです。一青窈の代表曲「ハナミズキ」👈リンク には誕生には秘話があると。アメリカ同時多発テロ事件時にアメリカにいた友人からもらったメールをきっかけにして一青窈は「ハナミズキ」の詩を書きあげたと。歌詞にはテロによって愛する人を亡くした人の思いを伝える意味もこめられているのだと。
2021.04.12
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我が家の庭の様々な種類の水仙(スイセン)が次々と開花しています。まずは「黄色花カップ」黄色の花弁にオレンジ色の口紅カップ小型水仙 FORTUNE「ピンクチャーム」花弁が白色、副冠が桃色の大カップ咲き。大輪で大型。花弁も副冠も大きくよく目立ちます。ラッパ水仙白、口紅水仙。八重の黄水仙白い八重の房咲き水仙「ホワイトライオン」「黄色シボリ」花弁に黄色と白のシボリ模様が入ってます。「オブダム」白花に黄色が混ざった八重咲「タヒチ」黄・黄色の八重咲き。大輪の大型。名前の通り明るい陽気な印象の花。ペチコート水仙「バルボコディウム 」
2021.04.04
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この日は、自転車で5分程度で行ける日本大学湘南キャンパス の桜を愛でに向かいました。残念ながら曇り空になってしまいましたが。小田急線の踏切を渡り日本大学湘南キャンパス内に。ここは、昔は右手にも桜の大木がありました👈リンク が、何年か前の強風で数本が根こそぎ倒れてしまった事もあり、一般道であることもあり全て伐採されてしまいました。左手は、「日本大学藤沢高等学校」の野球グランドが。その大木の切り株が残っています。右手に「日本大学生物資源科学部」の高層校舎。そして日本大学生物資源科学部のキャンパス内にある陸上競技トラック。観戦用のベンチに沿った桜並木。左手に「日本大学藤沢高等学校、中学校、小学校」の正門横の桜。右に折れ、「日本大学生物資源科学部」の高層校舎へ向かう桜並木の下を歩く。更に満開なれば、ピンクの色合いが増すのであろうが。こちらは五分咲きであろうか。陽光が欲しいのであったが。桜のトンネルの下を進む。太い幹に可憐に。観客席付き全天候トラック付きの人工芝サッカーグラウンドが右手に。その先の桜並木の奥が小田急線が通っているのである。人の数も少なく。しばし、上を見上げながら。再び人工芝サッカーグラウンドを振り返って。100mトラックを見る。この時期に、桜の下でサッカーの観戦が来年は出来るのであろうか?ややピンクの色合いが増して。14階建ての高層校舎・本館を見上げて。平日にもかかわらず、人っ子一人いないグランド。そして正門に近い場所には「オオシマザクラ」の巨木が。白い桜の花を見上げて。高層校舎の最上階には「日本大学」と。そしてUターンして再び桜のトンネルの下を歩く。しばし、桜のトンネルを独り占め。人工芝も学生が走る姿を待っているのであろう。独り占めが続く桜並木。大樹の幹に。真っ赤な美しい八重椿も。正面が「日本大学藤沢高等学校、中学校、小学校」の正門。ソメイヨシノの花をズームして。そして小田急線の踏切を渡って帰路に。そしてご近所の門の横の「源平桃」の花。1本の木に紅色と白色、紅白の絞りの花を咲かせる、八重咲きの花桃。3色の花が咲き乱れる様子を源平合戦に見立てて、その名がついたと。そして昨日3月30日の夕方の出かけた帰路に再び日本大学湘南キャンパスに立ち寄りました。既に満開のピークは終わり、散り初めていましたが。この日は、平日であり、春休みではあるが学生も登校しているので、学校関係者以外の「入構制限中」であり校内道路には入れなかった。
2021.03.29
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昨日、車で10分ほどの場所にある引地川の桜を愛でに行って来ました。八分咲きでしょうか、しかし翌日、翌々日が雨の天気予報でしたので。この付近の引地川の堤防の道路の手摺には桜の模様が。桜の花の姿が打ち抜かれていました。川沿いの道を上流に向かって進む。ソメイヨシノの桜。川面を覗き込むように枝が伸びて。引地川の穏やかな流れの上に。ズームして。開花直前の蕾。5月に入ればこの藤棚も美しく変身するのであろう。太い幹に三輪の花。朝の陽光を浴びて。引地川沿いを更に進む。そして湘南台356号線に架かる「柳橋」を渡る。「柳橋」から「引地川」の堤防上の桜を見る。そして対岸の道を下流に向かって戻って行った。こちらはオオシマザクラ。一重咲きの大輪の花を比較的多く咲かせ花弁の色は白色。白い花と緑色の葉が同時に展開する。葉が桜餅の葉に使われるためモチザクラ(餅桜)とも呼ばれるのだ。公園の椿の花も負けじと。多くの花がエピローグ(epilogue)に。そして再びソメイヨシノを追って。引地川も小さな蛇行を繰り返して。この付近は満開直前。太い幹から赤子のように咲く。こちらも。こちらは既に満開。そしてスタートした県道403号線・菖蒲沢戸塚線が見えて来た。「円行大橋」からの引地川両岸の桜並木を振り返る。そして数日後には、引地川の川面には「花筏(はないかだ)」の絶景が!!花筏(はないかだ)とは、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のこと。その花びらの動く様子を筏(いかだ)に見立てた言葉といわれます。
2021.03.28
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国道136号線に入り「南伊豆町」に入って行った。「南伊豆町」には伊豆半島最南端の岬・石廊崎があり、先端に石廊崎灯台にその先に石室神社がある。伊浜地区のマーガレットの生産量は全国の70%を占めると。そして波勝崎は南伊豆町の西伊豆側にあり、野生の猿が生息する岬であると。そして目的地の「南伊豆町日野(ひんの)」の交差点に到着しここを右折し車を駐める。休耕地を利用して作られている、日野地区の菜の花畑。地元ボランティアの方々や子供たち、観光関係者などが世話をしており、毎年1月下旬~4月上旬頃までは菜の花、8月にはひまわり畑が広がるのだと。約3万㎡という広大な敷地が黄色一色におおわれ、辺り一帯が菜の花の香りに包まれる様は壮観そのものであった。遊歩道も設置されており、花畑の中でSNS用の写真もばっちり撮れるシチュエーション。この菜の花畑では、毎年1組限りの結婚式が執り行われるとも。例年、多数の応募があるが、挙式できるのは審査で選ばれた1組だけと。一面の菜の花畑の中、純白のドレスが映えることマチガイなし。花は地元の皆さんが協力し、「元気な百姓祭」という活動で種蒔きをし育てているのだと。一面の菜の花畑の中に案内板が。「南伊豆町 元気な百姓達の菜の花畑」。この春は「元気な百姓達の菜の花畑」に、そして夏には「元気な百姓達のひまわり畑」となるのだと。この日も黄色一色の世界が拡がっていた。後方の標高145mの山の上からの景色も美しいであろう。山の名は??日野(ひんの)地区の青野川河川敷には黄色い菜の花が約3万m2、辺り一面に咲き乱れているのであった。残念ながら、ミツバチの姿は確認出来なかった。マスクのままでも菜の花の香りが一面に。いつまでもいたい空間。木道(ボードウォーク)も敷設されて。菜の花の中にポードウォークが設けられておリ、歩きなから思い思いに写真を撮ったり、ベンチに座ってボーっと眺めたり、角度を変え距離を変え菜の花を楽しめるのであった。外から眺めるのとは景色が異なるので、是非とも歩いて欲しいのであった。種蒔きはどの様に行われているのであろうか。「みなみの桜と菜の花まつり」として、主役の一つになっている花畑。思わず圧倒される規模。ズームして。一足も二足も早く、春の訪れを感じることが出来たのであった。横を流れる川は「青野川」に合流する「二級河川 鯉名川(こいながわ)」記念写真撮影用のステージも準備されていた。そして次に道の駅「下賀茂温泉湯の花」の駐車場に車を駐めて「みなみの桜と菜の花まつり」を訪ねた。英文名が変更になっているので気になって調べてみたら以前は・・・・。「Spa」⇒「Onsen」に変わったのだ。ネットで調べてみると「平成 26 年の標識令改正では、案内標識の表記は、日本語と英語によって行われるものであることを明確化することとした。また、「案内標識の英語による表示は、国土交通大臣が定めるところによるものとする」とした上で、具体的な表記方法は、別途、「道路の案内標識の英語による表示に関する告示」👈リンク(表- 1) において定めることとした。」と。例えば、「郵便局」という日本語に対して「Yuubinkyoku」と「Post Office」、「公園」という日本語に対して「Koen」 や「Park」といった表記が混在していたが、これを下記のごとく「ローマ字」⇒「英語」に統一したのだと。「第23回みなみの桜と菜の花まつり」は2月10日㈬~3月10日㈬の期間にて規模縮小して開催されていたのであった。「展示館」近くにあった生花。生花ももちろん「河津桜」と「菜の花」。ここ「観光案内所」は、南伊豆の旬が集まる直売所で、畑のものと海のものが地域最大に集まる場所であると。そして「青野川」沿いの「みなみの桜まつり」の散策のスタート。青野川沿いに2kmに続く桜街道。現在地は「B」。上空からは。 【https://amatavi.life/events/11541】より河津町の「河津桜」よりも開花が進んでいて、これぞ満開の桜街道。河津町の「河津桜」よりも人の数は更に少なかった。陽光も刺してピンクが輝く。青空を背景に。「青野川」の堤防の上にある桜街道。山間をゆるやかにカーブする青野川と、その両岸に咲く河津桜と菜の花が風情豊かで素晴らしい景観美なのであった。青野川沿い約2kmにわたり約800本もの濃いピンク色の河津桜が立ち並び、土手には黄色い菜の花が所々に咲いていた。ピンクと黄色、そして青空とのコントラストは美しく、これぞ絶景。ズームして。青空を背景に。振り返って。夜ライトアップされると、川面に映り込んで。 【https://izuhack.akao-hotel.co.jp/15】より菜の花の絨毯の上に。再び振り返って。「お花見人力車」が客を待っていた。九条橋20分コースで2,000円/人とのこと。ピンクの帯の曲線美が前方に。河津町の「河津桜」よりも樹齢が古いのではないかと。人の数も少なく。濃いピンクの花びらが、あたかもカオスの如くに前方に。今年も「裸婦像」に再会。「来の宮橋」から下流を見る。2本のピンクの帯が揺れながら延びて行く。ズームして。歩いて来た路を振り返って。旅友Sさんの姿が。川面にピンクの花が映り込んで。「カササギ」であろうか?川面に映るピンクの帯を追う。野生では花粉の媒介者となる虫の活動が始まる春よりも大幅に早く咲くと子孫を残せないため、本州の野生種のサクラには寒い時期に咲かない仕組みがあるのだが、カワヅザクラは本来は本州に自生しないカンヒザクラが交雑することによって花期が早まったと考えられている。極端な早咲きは野生では淘汰される不利な特質だが、カワヅザクラのような栽培品種ではその珍しい特質と花の特徴がむしろ好まれて接ぎ木などで増殖されているのだと。遊歩道の両脇には菜の花の黄色の帯も。菜の花とのコラボを追って。ズームして。穏やかな川面を背景に。「南伊豆町の歴史 石切丁場この前の岩山は採石場跡である。古来より伊豆半島は江戸や小田原、駿河などの城を築く時の石の供給地てあった。江戸が開けるに伴って石山が開発され、幕末に至っては品川沖の御台場建造に、さらに進んで明治維新後、東京と変わり発展を続ける中、建物の基礎、橋梁、道路の石畳等に大量に使用された。特にこの辺りの石は、良質できれいな伊豆の青石としてもてはやれ、木炭と並んて地域の大きな産業であった。寸法・ニ、七尺☓九寸☓五寸、重量・十四貫(五十ニkg)に切られた石は青野川を河口まて下り、大きな舟に積み替えられ、東京方面に運ばれた。近年、セメントの善及でその姿を消していった。」そして今年の「みなみの桜まつり」もこれが見納め。駐車場の端には竹灯篭が。夜になれば、美しい灯りが楽しめるのであろう。夜になると・・・、ネットから。 【https://digital.izu-np.co.jp/news/tourism/26741】より ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.03.05
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「河津町」の河津桜を堪能した後は、国道135号に出て「河津川」に架かる「浜橋」を渡る。「浜橋」には観光客、カメラマンの姿が。左前方に伊豆諸島の「利島(としま)」、「鵜渡根島(うとねじま)」が姿を現した。左手にあったのが「体感型動物園 iZoo(イズー)」。日本最大の爬虫類・両生類の動物園であるとの売り。静岡県賀茂郡河津町浜406-2。海岸の景色の良い場所の路肩に車を一時停車。下方に穴の空いた岩場が。ズームで。左から「利島」、「鵜渡根島」、「新島」、「式根島」をズームで。「新島」の姿をズームで。船の先に島の如く見えたのであったが・・・・???「小湊第2隧道」を通過。「小湊第1隧道」。「縄地トンネル」。山の合間から「大島」の姿が。「子安隧道」。「トンネル」と「隧道(ずいどう)」の呼称については、呼び方に違いはありますが、同じ意味であり、違いはないのだと。 古くは、「隧道」と呼ばれていたが、最近では、一般的に「トンネル」と呼ばれることが多くなっているとのことあった。「縄地」地区の真っ青な海が車窓から。遠くに「稲取岬」、「稲取温泉」の姿が。「尾ヶ崎ウイング」に立ち寄ると「尾ヶ崎ウイングより伊豆諸島を望む」案内板。「伊豆七島の覚え方」👈リンク をネットから。「おとに聞こえし神津島、みやけ、みくらは八丈に近い」お(大島 おおしま)と(利島 としま)に(新島 にいじま)聞こえ し(式根島 しきねじま)こうづしま(神津島 こうづしま)みやけ(三宅島 みやけじま)みくら(御蔵島 みくらじま)は、八丈(八丈島 はちじょうじま)に近い「伊豆七島」は江戸時代、伊豆諸島の主な有人島が、伊豆大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島の7島であったことに由来する呼称である。実際には、伊豆諸島には上記の7島の他に、青ヶ島、明治以降定住が進んだ式根島の2つの有人島がある。さらに、昭和40年代に無人島となった八丈小島、一時期定住者が存在した鵜渡根島・鳥島等もかつては有人島であったし、他に無人島もある。よって現在では「伊豆七島」と言う言い方は一般的には使われていないとのこと。伊豆諸島、アクセス方法、時間をネットから。調布飛行場から、大島、新島、神津島、三宅島に行けるようだ。羽田空港からは八丈島へ。その他に、熱海から大島、神津島、伊東から大島、下田から利島、新島、式根島、神津島に高速ジェット船やカーフェリーが出ているとのこと。「大島」。左から「利島」、「鵜渡根島(うとねしま)」、「新島」。鵜渡根島は新島の北方約4.5kmに位置する現在は無人島であると。面積は0.3km²。我が市の江の島の面積は 0.41km² であるので現在の江の島より小さい。ただし現在の江の島の1/3以上は埋立地であるので、本来は同じくらいの大きさか。島の名は島内に祀られている鵜渡根后明神に由来すると。伊豆諸島の「利島」、「鵜渡根島(うとねじま)」・・・・・・・の上空からの写真をネットから。我々が見ている方向は写真右から。 【https://blog.tan-w.net/archives/481】より同じく「利島」と「鵜渡根島」。我々が見ている方向は写真右から。 【https://twitter.com/geoign/status/1293191191949844480/photo/1】より 「鵜渡根島」平地というものがほとんどない無人島。 【https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25397014978】より「新島」、「式根島」「新島」にズームして。東京から南に約160km、静岡県下田市から南東に36kmの位置にある。行政上の所属は東京都新島村。サーファーや海水浴客などに主眼を置いた観光業、漁業などが盛んである。江戸時代から1871年まで、政治犯を中心とした流人が多く流されてきており、島で再度重い罪を犯した者は、絞首刑とされた。総勢で1,333人が流されたが、島人は彼らに暖かく接したという伝記が残されていると。新島の人口は約2000人強とのこと。「新島」の左側後方に「三宅島」、その右「式根島」都の間に「御蔵島」があるが、確認できなかった。天候によるものか、距離の問題か?標高30mほどのこの場所から見える水平性の距離は約20kmであり「三宅島」までの距離は90km以上あるので・・・・・。「式根島」。面積3.67km2、人口約550人。最高地点はしばしば北部の神引山(かんびきやま、98.5m、三角点)と言われるが、実際には島西北部に109mの標高点が存在する。式根島はかつて新島と地続きであったが、江戸時代の元禄大地震(1703年)の大津波によって新島から分離され、このため伊豆諸島は八島あるのに伊豆七島と呼ばれるとの伝説があるがこれは事実ではないのだと。同じく「新島」そしてその下に「式根島」。我々が見ている方向は写真左から。「神津島」。東京都心の南西178kmの太平洋上に浮かぶ神津島を中心に銭洲、恩馳島、祇苗島などの島々より成る。神津島の住民のほとんどは、神津島港(前浜)周辺に集中している。人口約1850人。同じく「神津島」。我々が見ている方向は写真右下から。 【https://colocal.jp/topics/lifestyle/tokyo-takarajima/20190306_123391.html】より前方奥に「爪木崎」が姿を現した。爪木崎須崎半島の東南端。白亜の灯台が立ち、俵磯と呼ばれる柱状節理の断崖など見事な海岸風景。その中には、爪木崎花園があり、四季折々の花を咲かせている。また野水仙の大群落でも知られているのだ。爪木崎で毎年12月20日から翌年1月31日までの期間開催されるのが、「水仙まつり」。冬期の爪木崎は、300万本ともいわれる水仙の花が咲き、あたりには、水仙の甘い香りが広がると。前方に「白浜海岸」そして手前に「竜宮島」等の岩の島が。「白浜大浜海水浴場」と「ホテル伊豆急」の姿をズームで。その前には蒼き海が拡がっていた。「爪木崎」の先端をズームで。「爪木島」と「爪木埼灯台」が見えた。「尾ヶ崎ウイング」下の岩場には白波が。「しずおか アダプト・ロード・プログラム この道は私たちがきれいにしています。」家の周囲や道路・公園・海岸など、美しい環境づくりをめざしてさまざまな住民活動が行われています。ところがごみの投げ捨ては後を絶たず、せっかくの活動が無にされてしまうことも少なくありません。アダプト・ロード・プログラムは、こうしたまちの美化につとめる住民活動と団体を、広くアピールし、みんなが参加しやすいようにとサポートする新しい仕組み」とのこと。「爪木崎」とその奥に「新島」を見る。「ここは白浜・須崎エリア」。「白浜海水浴場」前を通過。「白浜海岸」の蒼き海。「外浦海岸」の案内板。左手に人気の「みかん売り場」。そして下田の海が左手に。「稲行沢川」に架かる「新下田橋」を渡る。橋の欄干に4体の人魚が座っていた。西伊豆町の彫刻家・堤達男氏の作品だそうで、春・夏・秋・冬をテーマにしたポーズや表情の異なる4体が迎えてくれたのであった。「伊豆急下田駅」前を通過。昨年は南伊豆町の日野(ひんの)交差点にある「菜の花畑」を楽しんだ後に、ここ下田まで戻り「開国の歴史が残る下田を歩く」👈リンク のであった。「乳峯トンネル」を通過。「広岡トンネル」を通過。「下田第2トンネル」を通過。そして静岡県賀茂郡南伊豆町の「日野」交差点に向かって進んだのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2021.03.04
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