全22件 (22件中 1-22件目)
1
ちょっと古いけれど、昨年2011年10月10日 の読売新聞の見出しー『「全員検査」親心に配慮』放射能拡散の影響で、甲状腺がんの罹患率が高まることはチェルノブイリの追跡調査でも明らかだけれど、新聞のこの書き方はいったいどういう神経から許されてしまうのか、わざわざ読みたくなくなるような見出しをなぜ通してしまうのか。‘親心に配慮してやりましたよ’、目線はずいぶんと高いところにある。‘配慮する必要はないのだけれど、みんながあんまりうるさいので仕方なくそうしてやったんです。’-「全員検査」のカッコはそれを表している。わざわざやる必要もないのに全員に検査をしてやっている。ありがたく施しを受けろ、と。で、記事を読む限り、そのような意図は見受けられない。当初三年後に検査開始としていた計画を前倒しした、とある。高校生や子供の親が不安で気が変になりそうだから、検査を受けられることでひとまず安心した、福島県は「保護者の不安を少しでも和らげるのが最大の目的」、保護者の切実な思いを踏まえ、三年前倒しした、と言う。福島県の応答が上の通りであるのなら、それはそれで問題である。確かに親は心配だ。三年後は、臨床試験的には正しくても、細やかな医療という点では配慮に欠ける。統計にのっとって三年後に検査したら、甲状腺がんは有意に増加する数値を示しました、やはり統計は正しかった…と書いたところで、ケアが遅れた被害者はモルモットとされただけで法令整備の時間のなかでさらに症状は放置されてしまう。過去の公害訴訟の事例を見ればわかるし、当局は当然そういう知識だってあるはずだ。ではなぜこんな高飛車な見出しを書いたのか?記事では行政、市民双方の意見をある程度反映させているのに。それは、記事を書いた記者ではなく、それにこのような見出しをつけた編集部の責任者が、被害者ではなく、行政の肩をもっているからだ。さらには広告主であった東京電力への配慮からだ。東京電力への配慮が行政擁護の直接的な動機なのかもしれない。(同じ2011年10月10日の総合紙面の3面で‘チェルノブイリは被害認定 甲状腺がん福島は「発症率低い」’の見出し。これもまた記事本文と見出しに食い違いが。どうなっているのだろうか、編集部は?)検査には莫大な予算がかかる。国や東京電力の補償がどうなるのかも不安だから、そのあたりに配慮しておおっぴらにこれから前向きに検査をすべきだ、と書ききれない。。まともな編集者なら、検査を前倒しにしたこと、被害者がとりあえず安心はしたけれど、結果に対しては極めて不安であること、あるいはその結果が正しいかどうかさえわからない、そういう目線で見出しも書かれるのが良識的なジャーナリズムではないのか。見出し次第で受け取る側の印象も変わる。「甲状腺がん不安ー検査前倒しへ」まともな神経をもっていればこんな見出しが書かれるのでは?読売の見出しは、記事本文を精読させないように配慮に配慮を重ねたレトリックである…こんなことがずいんと続くものだから、新聞を読むのが苦痛になってきました。読むべき鮮度の高い記事が、特に3.11以降、少なくなりました。そういうわけで、『コボちゃん』目当てで購読し続けた読売は来春から東京新聞に乗り換えます。さようなら、読売新聞。ジャイアンツファンでもなかったし。新聞が、‘リアル’を再び伝えられる日は戻ってくるのでしょうか?2012年1月23日。3か月たっても状況は変わっていないので載せました。
2012.01.23
コメント(0)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1689172.htmlhttp://www.the-top-tens.com/lists/singers-perform-london-olympics-opening-ceremonies.aspアメリカンポップスがすでに斜陽で水平線の向こうへ沈もうとしている傍ら、ユーロビートやクラブミュージックがまだその野性を眠らせてはいないイギリスでこの結果。確かに、コアな音楽ファン、玄人はだしの愛好家たちではないが、それならなおいっそう、ここまで受容されているユーラシア大陸の端っこに飛び出た半島の音楽を、差別論者たちはなんというつもりなのか。パクリ?冗談じゃない、そもそもポップスはクラシックやジプシーや黒人霊歌やみんなパクってきているのだ。そしておそらく、コアな音楽ファンと玄人はだしの愛好家たちは、半島に息づく「裾野」の音楽のクオリティにもやがて圧倒されるだろう。
2012.01.12
コメント(0)
Pentangle ペンタングル / Pentangle 輸入盤 【CD】新宿のとある界隈にH***** Cafeという、音楽バーがある。先日、会社の同僚と打ち合わせした後、テーマが音楽だったということもあり、音楽の聴ける店に行こうかと、音盤の置いてある店が点在する界隈へと、二月の夜気に息が白くなる路地裏を何度か曲がりながら歩いていった。何軒かあるなかで、同僚の一人がここが気になる、というのでふらっと足を踏み入れたのだが、そこは偶然にもかつて大学時代の友人に案内されて入ったことのある店だった。扉を開け、壁につるされたギターと、L字型のカウンターが記憶を呼び戻す。まだ時間も早かったせいか、店内には客の姿はなく、ぼくら三人はカウンターのコーナー周辺に着地した。最初はあれやこれや、1軒目の店で食事しながらしていた話に継ぐように、昔の音楽の話をして、そのうちになんとはなく、マスターがかけていたThe BandのレコードからBob Dylanの話になり、レコードは棚から次々に出され、そのひとつひとつがBob Dylanの曲で、二つ置かれたターンテーブルでそいつらはつながっていった。ぼくはOld Crowのハイボールを頼んだ。二杯飲むうちに耳に入ってきたのは、スティール弦を張ったアコースティックギター二台が、ラグライムやブルーグラスやジプシーミュージックを聴くときに心に届く、草の匂いのする、そして木の枝がはじけるような弾き方で紡ぐ、耳に小さくはじける炭酸の泡のように刺激が心地よい音だった。翌日、同僚に、あれは何というバンドでしたか・・・とたずねて送ってくれたメールによると、「スコットランド民族音楽系の得意なジョン・レンボーンとブルースやジャズっぽいのが得意なバート・ヤンシュという二人のアコギストが中心になって作ったバンド。」だという。知らなかった。音楽の奥深さというものが、ポピュラーミュージックにここまで揺るぎがたく刻みこまれているのを身にしみて感じたのはこれがはじめてかもしれない。マスターの、修行を続けるように(!)、とのメッセージを胸に秘め、べつに秘める必要もないのだが、この年になって改心するには少々の荒行も必要だとは思いながらも、あまり無茶のできる立場でもないので、せいぜい先人の知恵と経験を汲ませていただきたい、とぼくは心の底から乞い願う。もうひとつマスターの語った箴言とは、ミュージシャンがとりあげたカバー曲が何かを知るべし。ポピュラーミュージックとは、その歴史の根底に民俗音楽や、コマーシャリズムとは縁遠いけれど、その人のポートレイトのように、生まれ育った土地の匂いや風景、風の吹くようすなどが封じこまれた音の様相が、功名心や下心や衒いもなく声や楽器で歌われたものがあって、どこかで層をなしている、そういうものなのだということが、いまごろわかったのだ。
2011.02.06
コメント(0)
【21%OFF】[CD] オジー・オズボーン/トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐきのううっかりOzzie Osbourneにはまってしまった。妻にそそのかされたのだ。Black Sabbathしから知らなかったから、Randy Rhoadsなる天才は、死後20年たってこのものぐさの耳に届いたわけである。Ozzie Oもあんな事故に居合わせてよくぞ立ち直れたものだ。生きてこられただけでも不思議なくらいである。年代の違う3篇が盛りこまれた伊藤政則のライナーノーツも短編小説中の手紙のようで読みごたえがあった。彼らのAmerican Tragedy。
2010.12.27
コメント(0)
http://www.ymasuo.com/top.htmご縁があって、3ヶ月ほど前に20数年ぶりに増尾好秋さんのギターをライブハウスで聴いた。長い間アメリカでプロデュース業をされていたので、プレイヤーとして久々に活動を再開されたのだが、お店で売っていたMasuo/Mays名義のアルバム、I'm Glad There Is Youはとてもいい。増尾さんとピアニストBill Maysのデュオなのだけれど、スタンダートを弾いて甘く流れず、無理もしない。無理もしないが、無駄もない。経験豊かな音楽家ふたりが語らう音はまるでほんとうに言葉を交わしているかのように納得させられる。いいなあ。そして彼がプロデュースした海老原淳子さん。http://www.rose.sannet.ne.jp/missjune/index.html日本人ジャズボーカルはこれまで英語の発音が気になって歌がうまくても、入り込めない人が多かったが、海老原さんは歌がうまい上に、発音がとてもナチュラル。声の質も天からの賜物ですね。いつかポップスのスタンダードも歌って欲しい。バート・バカラックとか。2011年3月27日(日)には栃木県足利市の市民プラザで故郷足利でデビュー25周年のコンサート。じつは増尾好秋さんは海老原淳子さんのライブで聞かせていただきました。
2010.12.23
コメント(3)
Art Pepper アート・ペッパー / Living Legend 【CD】 受験生だったころ、毎朝午前5時にテープレコーダーのタイマーをしかけた。東の空が夜の深い暗闇からかすかに青みがかってくる時間に、この曲が流れる。受験生といっても、翌年、高望みも祟ってひとつも合格しなかったのだから、たいした自覚もなく、また目の前に控えている大学受験というハードルがどれほどの高さか測るものさしを持とうともせず、ましてみずからの能力などまるで、というわけではないにしろ、ほとんど見極めていなかったに違いない。それゆえ、毎朝回りだすカセットテープの音楽は、目覚ましというよりは、不安と、そしてなにひとつ明確な志もないまま、受験という幻想に浸っていたころの伴奏曲のようなものだった。小学校五年生のときに、英語学習のためと、親が買ってくれた懐かしいLL式カセットテープレコーダーの再生ボタンを押しこんで、アナログタイマーで電源が朝五時に入るようにして床に就く。それは、勉強のためといいながら、じつのところ明け方の、青みがかる空にこの曲が流れることだけを夢にみたのである。明け方に目を覚まし勉強に励む自分は幻想であって、いつまでも現実に追いつかなかった。Shelly Manneのシンバルが静かに時を告げ、Hampton Hawesのピアノが遠い朝を予感させる。Charlie HadenのベースがハイポジションのF音でその兆しをつなぐ。やがて夜明けの緞帳をゆっくりとあげるように、ベースのF音は2オクターブを下降して、E音で夜の底にたどりついたころ、Art Pepperのアルトサックスが乾いた木の葉が枝でこすれあうように、(おそらく真冬の、弱い、しかし鋭く澄明な)朝日をひらめかせる。雨の歌なのに、僕とってはいまでも明け方の歌。Rainy Day という印象だけが、言葉に託されて、いまでもその音は冬の朝日の音にしか聞こえない。若さは誤解に満ちているが、亡霊のようなかそけき幻想もここまで生きながらえてきたのだ。
2010.12.05
コメント(0)
愛用のポメラオレンジが盗まれてしまいました。しかも勤め先で・・・腹をたてても戻ってこないが、でもヤフオクででも売っぱらちまったちみ、夜道で転ぶぞ。というわけで、不注意をくやみ、だれかを糾弾したいのにできないまま、謹慎中なのであります。キングジムの方、なぜにパスワード設定くらいつけてくれなかったのでしょう。とほほであります。
2010.11.08
コメント(3)
オムニバス/青春歌年鑑 演歌歌謡編「1960年代ベスト」これまで演歌、昭和歌謡をうかつにも通りすぎてきたのはわれながら盲点だったとしょげてみたところでしかたない。石原裕次郎の『夜霧よ今夜も有難う』がスピーカーから流れる。メロウな、とろけるようなヴェルヴェットヴォイスにたちどころに恍惚とさせられる。これまでこの曲は聴いていた。そう信じていた。それがじつは聞いていたのはカラオケルームでのことだったと気づいたのはついこの間のことだった。裕次郎のこのトラックこそは地上にも比肩するもののないほどの奇跡、男声歌謡のひとつの極致だ。聴き進み、圧倒されもう一度かけてみる。そう、裕次郎の美麗極まりない歌唱はしかし、神々しいまでに肩の力が抜けている。さらにもう一度かけてみる。そうすると聞こえてくる。このトラックが裕次郎の声を徹底的に美味しく聴かせるために録音からミックスダウンまで、中低音をまるでシフォンケーキを作るかのようにやわらかくも腰のある仕上がりにする職人の芸がつぎこまれていることを。聴くのなら、よくばってそのほかの本人歌唱の名演名曲を!
2010.10.26
コメント(2)
後期ロマン派までのクラシック曲に使われるのなら、Dies Iraeというタイトルは、磔刑にかけられたキリストの受難を悲嘆し、人間に救いを齎(もたら)すはずであった‘神の子’イエスが、ピラトのわずかに兆した慈悲をも無に帰する民衆の声によって、またたくまに残虐の限りを尽くされて犠牲になるその日を悼み、心ある人はユダのように何も救いの言葉をかけられなかったみずからの裏切りを後悔し、以降、信者たちはその一点に、その神の子の虐殺の日を起点として刻みつけられた現在にいたるまでの呪詛に対し、同じくほとんど呪詛に近い感情をほとばしらせる、厳粛な曲となるべき主題である。ペンデレツキ:怒りの日、ポリモルフィア、他価格:1,800円(税込、送料別)ライナーノーツに沼野雄司氏が書いているように、ペンデレツキの経歴は「ある意味で20世紀後半の音楽史を象徴するものといえる。」しかし、その直後にカッコ付きで「ポーランドの「雪融け」以降、新しい音楽の旗手として華々しいデビューを飾った後、70年代にはいち早く前衛から「転向」。」と、沼野氏はそこにペンデレツキ自身の闇をも照らそうとしているようでもある。転向とは、ある時代には裏切りと同義語であった。何か、禍々しさと、気高さと、言いようのない神聖な暴力性-それはクロソウスキーの描く、アンビバレントな二つの価値の両極に振れる、大きな振幅-救罪と奈落の底を見せつけられる拷問にも似た感覚を、音楽という体験によって身をもって知らされるものなのだ。しかし。なんという秘匿された、抗いがたい禁断の快楽であろうか。それを紐解くことは、まずもって不可能に違いない。
2010.10.23
コメント(2)
【送料無料】Terri Lyne Carrington / Mosaique Project / Mosaique Project ~ジャズと生きる女たち 【CD】たまたま東京JAZZのチケットが手に入って、9月5日東京国際フォーラムでこのMosaique Projectを観て聴いてきました。しばらく前に、内田樹センセの著書『こんな日本でよかったね』だったか、「これからはフェミニンな社会主義です」というようなことが書かれていました。マッチョな資本主義の生み出した数々の弊害を質的に変えてゆくには、フェミニンな社会主義へ緩やかに移行することだよ、と。先生の繰り出すcombining(現代音楽用語だと思います。美術でも使うのかな?そもそも美術が発祥かもしれず)、つまりふたつの異質なものを同時に同じ場所で提示することによって衝突の効果を生み出すことですが、この、フェミニンという、丸く柔らかな概念と、社会主義というこちらは四角く生硬な概念を、手際よく結びつけてしまう荒技に、新鮮な驚きを覚えたものです。さて、東京JAZZのチケットが手に入ってから知ったことですが、このMosaique Projectは女性だけのバンドです。そして少し前にYouTubeで偶然みつけたEsperanza Spaldingという、アフロヘアーでキュートでタイニーでハッピーなベーシスト、それもダブルベースを操りながら、わりとアーバンで同時にアーシーな歌をうたう(外来語ばかりでごめんなさい、イヤな感じですね(苦笑))、しかもダブルベースを弾きながら歌う、このガゼルのようにしなやかでバネのありそうな女性がメンバーと聞いて、まずはそのパフォーマンスを体験するのがめあてでした。ところが、このユニットを一聴して際だっていたのはその強さでした。強さというのは争って勝つための強さではなく、争わないための強さです。他者を圧倒する強さではなくて、他者を引きこむ強さ。引きこむのだが、引きずりこむのではない自立した自我の呈する輪郭。こういった強さが揺るぎない軸としてバンドを貫いているのは、リーダーであるドラマーのTerri Lyne Carringtonによるところが大きいのですが、それでもバンドは萎縮することなく、ひとつひとつのパフォーマンスにじぶんたちの役割をきっちり適応させながら、音楽としての完成度を可能な限り追求してるように見えました。彼女たちがパフォーマンスを最高のものにするための不文律はかけひきや譲歩や牽制です。それに形容詞を付するなら洗練されたモダニズムです。ジャズという音楽は1950年代から60年代にかけてビバップと呼ばれる流儀が全盛となり、ミュージシャンはみずからのアドリブを振りかざし、切った貼ったのバトルを繰り広げました。刺激的でスリリング、一発勝負の即興演奏ですから、やり直しはききません。たいへんな緊張感、もしくはイマジネイションにすべてを託すがゆえの恍惚と忘我と疾走感が全身を貫くのでしょう。そのせいかどうか知りませんが、何人もの若いミュージシャンが夭逝し、ある者は薬に溺れて表舞台から消えてゆきました。Miles Davisもクスリに頼っていたJohn Coltraneを戒めたというのは有名な話で、そのMiles自身もかつてクスリに溺れていたことがありました。当時黒人が置かれていた社会的状況から薬物に依存する者が後をたたなかったということはあるにせよ、常にBlueNoteやVillage Vangardなどのジャズクラブで毎夜毎夜、弱肉強食のバトルを繰り広げる日々に、彼らのアドリブのアイディアはとてつもなく多様になっていくいっぽうで、とうぜんその裏ではアイディアの枯渇と消耗もあったに違いありません。・・・・ステージは左から、ピアノ、ベース、ドラムス、アルト&ソプラノサックス、トランペット。ヴォーカリストが登場するときはその楽器で形作られた弧の中心、矢をつがえるあたりに立ちます。各楽器がその役割を果たしつつ、センターにいるヴォーカルは、あるときは語り部のように中心にいて語り、またあるときは楽器の一つとして、女性たちのポリフォニックな語りのなかに居場所を見いだします。ビバップの時代にはマッチョであったジャズという音楽のバトルフィールドが、50年の時を経るうちにひとりひとりのミュージシャンの存在によって化学作用を引き起こし、変化してきました。この日、パフォーマンスとして切り取られた2010年現在のひとつのアンガージュマンの様相とは、フェミニンな語りの場、音楽に語らせるものとして生成する音の場であったわけです。耳を澄ましてごらんあそばせ。
2010.09.14
コメント(2)
アルバムという音楽ソフトの形態が完全無欠であるわけがない。ましてアナログレコードからCDに変わったときに、それまで収録時間が45分からせいぜい長くても50分くらいだったものが、74分まで拡張されたのだから、その影響はおおいにあったはずだ。音楽会、というかコンサートというか、ライブというか、そういった音楽の実演演奏(堅い・・・。)に行くにつけ、思うのは、時間の長さである。とにかく長い。フランス料理みたいに飽きさせない方法はないものか?あらためて評価するならば、クラシックのコンサートは、演奏会の比較的成熟した形式であろう。NHK交響楽団をはじめ、新日本フィルハーモニックや読売交響楽団などの定期演奏会をプログラムで見ると、メインディッシュである、たとえばチャイコフスキーのピアノコンチェルトのような大曲がでかでかと書かれている。しかし、クラシックのコンサートに行ったことのある人ならばわかるように、このような大曲以外にも、前菜あるいはスープのような小品がメインディッシュの前に演奏される。それは料理と同じように、味覚という、感覚器官のうちでも言語化しにくい感覚器官の能力を、最大限発揮するために、ストレッチのような舌馴らし必要であることと似て、音楽も、メインプログラムの前に耳馴らしして、聴覚と音楽を受け入れる神経をある程度開いておく必要があるのである。メインディッシュが供される前に、味覚が目覚め、しかし食傷させないような組み合わせでプログラムは構成されなければならない。とはいえ、クラシックの名曲は、メインディッシュとしてのボリュームがかなりあるから、やはり重い。なんとかならないものか。居酒屋メニューみたいなものにはしてもらえぬか。話は映画になるけれど、かつて二番館と言われた映画館には、その映画館が組み立てたプログラムがかけられていた。それはたとえば、「バルト海沿岸の監督たち」とか「女優田中麗奈」とか「東南アジアの傑作アニメ」とかいうふうに、シネコンではとうていあり得ないようなプログラムである。これはロードショウの終了した映画を低料金で流通させるシステムがあったからであり、それ以前に、大衆娯楽として始まった映画が、成り立ちからして低料金で提供されるべきものだという二番館の支配人たちの矜持があったからに違いない。映画と接するニーズが徐々に醸成されていった地盤があったからである。もちろん商売であるから、こういった二番館は今で言う薄利多売に甘んじざるをえず、そのためには暇に飽かせて二番館のプログラムをぴあとかでチェックして、一日に二軒ハシゴできるような人々の住まう、学生街が立地としては最適だし、環境としても文句ない。ヴィスコンティ特集など企画したら、3本で朝から晩まで映画を見続ける。それもその当時の料金で500円とか。1枚のCDに収録される演奏時間が長くなり、多くのライブパフォーマンスもあくびがでるほど長くしまりがない。逆に映画は単位時間当たりの制作コストが高いかわりに、観客をどれだけ驚かせるかがパフォーマンスの尺度であるかのように、ここ一発で新鮮な刺激を与えようと策を練る。したがって特定のシーンの単位時間に莫大な金がかかる。その証拠に、映画宣伝で無邪気にも「このシーンのCG製作だけで**億円!」と威張り散らしたりする。もちろん、そんな映画ばかりでないが、産業化された映画の多くは、予算を刺激の強さのために集中しがちである。(集中と選択、とか言うらしいが。)一因には聴衆の欲深さがある。音楽も、映画も、文学も、みな産業構造の中に多かれ少なかれ組み込まれて、採算を重視するようになった。なにも、金を取るのが悪いわけではない。ただ、コストとその回収というサイクルが、パフォーマンスの質を落としていはしないかと危惧するだけである。一定時間会場に根を生やして、予定されていアプログラムが終わると疲れているのに、もう十分なのに、「元を取ろう」としてアンコールを要求したりとか。それも一曲ならず二曲も三曲も・・・TIME IS MONEY、時間で音楽や映画や文学を買う。そんなことあっていいのだろうか・・・。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆突然だが、私はいまサントリーホール・ブルーローズ小ホールにいる。(前の文章は数日前に悶々として書いていた)8月23日 月曜日Suntory Foundation for Arts'Summer Festival 2010- Music Today 21 -[指揮・ギター]佐藤紀雄 [演奏]アンサンブル・ノマド演奏された曲目はすべて日本初演コンサート会場でポメラを開いて書き出すのは初めてのことだが、通信機能もなく、何の音も発しないこの電子文具はたいへんお行儀がよい。KINGJIM デジタルメモpomera何も音がしないことに感動すら覚えて、パソコンが、たちあげられるたびに発する、奇矯な起動音に耐えてきた自分がいたことに改めて気づき、あわててその労をねぎらいたくなる。(もちろん、ポメラを開いてキーボードを叩くのは休憩時間と曲の合間の楽器の入れ替えのときだけです。)さて、いま前半の部が終わり、15分間の休憩に入ったところ、会場からは、作曲家の湯浅譲二さん、松平頼暁さん、池辺晋一郎さんほか、作曲家や音楽家、音大生などが観客の多くをしめる人の群れがホールの外へ出ていくところ。前半は、ジャン=リュック・エルベ「交替/地形図~エレクトロニクスとアンサンブルのための」・・・ライブエレクトロニクスも使って音が会場を`散歩’するクリストフ・ベルトラン「サトカ」・・・上行または下行するパッセージでひらひら音が舞いながらも螺旋状のテクスチュアを織りなしてゆくジョナサン・コール「遺された灰」・・・静寂のノイズミュージックあるいはノイズそのもの。ただそれはノイズが、風が木々の葉をざわめかせるものであり、波頭がくずおれる音であることに限りなく等しいとしてである。後半が始まった。(これを書いている私は、一部分は会場にいて、それ以外は後半を聴き終えて会場を出、地下鉄と私鉄を乗り継いで家にたどり着いている。)後半最初はジョルジュ・アペルギス「シーソー」・・・言葉にできないくらい複雑で、そこから得られる神経への刺激はシンプル。造形、そしてその断続的な音のかたまりの連なりーそれは何かこの世ならぬ動物のかたまりが、目の前を行き過ぎるよう。シーソーとは人を食ったネーミングだが、シーソーでありまた走馬燈のようでもある。マルトン・イレーシュ「トルソIII」・・・既存の楽曲の断片化された音がふたたび音空間を構成することができるのか。。。作曲家はそう問いかけながら作曲したというが、発せられた音楽は、もしくはサウンドは、音の抽象絵画ともいうべき独特の配置と構成をもって耳に届く。空白のかわりに休符で、色彩のかわりに楽器固有の音で。横で聴いている妻がいうように、たしかにこんな場所にいつでもいられる人は幸せかもしれない。ここには選ばれた音があるからだ。現在の前衛音楽において、それに対する賞賛の言葉としての`名曲’という語彙が消えつつある。いやとっくに消えてしまっている。もしかしたら初めから無いのかもしれない。でもそんなことはどうでもよくって、今日私がここで耳にした音は、芸術品に対する工芸品のような造形美をもっている。ただし、工芸品でありながら実用性はかけらもない。しかし、問われているのが意匠であるとするならば、現代音楽が表出する意匠は、工芸品が身に帯びる意匠に通ずるものがある。そこには、選ばれた音、採集した音、拾ってくるか掘り出してきたかした音が、熟練工の手で、人間の手に収まりやすいように加工されて並べられる。収まりやすいというと少々語弊がある。いやたいへん語弊がある。工芸品にはもともと日用品として生まれ持った機能性がまず第一の属性としてある。そういう意味で`手に収まる’ものである。一方で音楽はどうか。生い立ちからいうと、神事に用いたりや労働歌であったりもしたが、もっとも重要な機能としては舞ったり歌ったり、要するに身体と関係した音の発生であり、多くは喜びや生命力礼賛のエロス的表現であった。サントリーホールで、発せられる音を聞いているうちに、ある感覚が、私の聴覚的思考の上に静かに羽をたたみながら降り立った。一言でいうならそれは日常性、もしくは人間的自然である。聴いている音楽が音素の集合であるということ、そのことに自然な知覚的認識を覚えると同時に、目の前で、作曲技術、演奏技術の粋を集めて発せられている音が、まごうかたない前衛でありながら、じつは具象を、日常を、再現しようとしているものに聞こえてきたのである。そこにある音が、そう、シュヴィッタースの創るオブジェのように、古今東西、悠久の時間をつうじて、生成変化し続ける物事の変容そのものから取り出され、再構成されたものであると。私は作曲し、演奏した音楽家に対して賞賛の拍手を捧げたが、名曲を聴かせてくれたとは思えなかった。そういう思いをこめた拍手ではなかった。名曲に対して打たれた両手の声はなかったのである。そこには、静かに壁に掛かるオブジェが、そこでさらしている姿以上でもそれ以下でもないことと同様、すべての音はそこで発せられる音であることで自足する宇宙であったのだ。
2010.08.27
コメント(2)
Paul Giger / Chartres (ECM NEW SERIES 1988)降霊術・・・Paul Gigerがシャルトル大聖堂の伽藍のなかで深夜1時からバイオリンを弾きはじめ、夜が明ける前まで発した音がこれだ。夜も更けて、さまよう亡霊たちが聞き耳を立てる教会の静寂が、音楽家とエンジニアたちをつつみこむ。彼は1本のバイオリンを持って佇み、用意してきた曲あるいは単なるモチーフのみをもとにして弦に弓をあてる。大聖堂の4箇所で、それぞれの場所の残響という音の影に存在を反映させながら、バイオリンがその恩恵を時空に削りだす。その音が何かを表しているわけではない。何かを伝えようとしているわけでもない。彼は、霊と交信し、交信は肉体を通して音へと姿を変える。これを書いている私は、赤坂のビルにいて昼休みのラウンジのソファに座っているが、じつはいつも、誰にも気づかれないように、霊と交信している。音を出すかわりに、言葉を闇の奥から引きずり出して、そいつらをなぶるのだ。床の石材は犠牲者たちを守る墓であり、冷房の空気は霊魂の温度である。
2010.08.21
コメント(2)
輸入盤CD スペシャルプライスSuper Junior スーパー・ジュニア / 3集: Sorry Sorry - Version C 輸入盤 【CD】Super Juniorは日本で言えばジャニーズ系のポップスユニットになるんでしょう、ヒップホップとユーロ系テクノをぶつけたような打ち込みのイントロが音圧をあげると、総勢13人(東アジアの国ごとにメンバーが変わる)の男の子たちが、ダンサブルな音に合わせて機敏なシャクトリムシのように体を動かし始めます。そして、`Sorry, sorry, sorry, sorry'と歌い出したら、蠅が手をするような振り付けで群舞し、続けてハングルで、メカメカメカマジョ、ネケネケネケパジョ、パジョパジョポリョベイベ、ショティショティショティショティ、ムニプショプショプショ、スミマキョマキョマキョ・・・。たとえようもなくタイトで不思議な音韻の連打、その呪文のような言葉とリズムの魔力、無機質なサンプリング音。意識が音の図形に絡めとられながら落ちていく・・・韓国では、1997年の財政破綻ののち、IT立国をめざしてインフラ整備を急ピッチで進めました。それと同時に高速ケーブル網にのせるコンテンツとして音楽を無料で流通させたことが、その後の音楽配信の芽を摘み、音楽を聴くことに対価を支払わなくなる悪習を醸成してしまった、と事情に詳しい人に聞きました。それでも音楽が生き残っているのは、ポップスに生きる力が宿っている証拠でしょう。それどころではなく、彼らの音楽は力強く、楽曲の完成度、アレンジの巧みさ、どれをとっても生命力、生を楽しもうという力に満ちていて、無視しようと思っても、そこが明るく輝いているのだからどうしようもありません。もうひとつK-POPを輝かせているのは、ダンス、コリオグラフィーです。Sorry Sorryのビデオクリップを見て金縛りにあったような電撃が走り、しばらく痺れが抜けなかったものだから、なにかいいわけを探しにYouTubeのなかをごそごそひっかき回してみました。すると、オレンジ色のたくさんの人々のサムネイルに目が止まりました。タイかフィリピンあたりの監獄か感化院なのでしょう、少年の囚人たちがオレンジ色のつなぎを着て、というかそれしかないのですが、何百人もいがぐり頭で、その人数では気の毒なほど狭いグラウンドに集合し、何かを待っています。やおら音圧の降臨とともに、モーセが海を渡ったときのように(そんなもの見てないから知りませんけど)、全員がきちんと整列して待っていたその何列ものオレンジ色の数珠が割れ、フォーメイションを形成します。そしてクルアーンの鳴り響くメッカのごとく、`Sorry sorry sorry sorry・・・’気がつくとオレンジの群は例の蠅ダンスを舞い始めています。一糸乱れず、あるいはより正確に言うならばダンス本能の命ずるがまま、オレンジ色の群れは呪文の波動を受けて、無数の細胞が集まった一つの生き物のように蠢動します。聞くところによると、Super Juniorは中国やベトナムでも人気のあるユニットで、コンサートツアーにも出かけているとのこと。Super Junior Mというのは、中国向けのユニットで、MはMandarinのMです。調べてみたら、この監獄はByron Garciaといい、収録された地獄でホトケダンスは、じつは犯罪を犯すに至った少年たちを更生させるために試みられているプログラムなのだそうです。どうりで!そしてもちろんのこと、このプログラムは成果を上げていて、きっとありていに言うならば集団生活の規律、ルールを守ること、一人勝ちしないこと、さぼらないこと、人に観ていただくという意識、運動能力の向上、根気・・・このような心がけの醸成や効果が期待できるのでしょう。けれど、それよりもなによりも、エイジアン・ヒップホップ・ダンスの霊にとりつかれて踊る彼らには怖いものなどなさそうに見えます。恍惚とした表情さえ浮かべて踊る彼らの肉体は、その瞬間に捧げものとなり、ケチャのようなカタルシスを生むのです。ぼくらの住むアジアの豊かさ。
2010.07.22
コメント(2)
いつも長くなってしまうので今日は短く。夏に鳴く蝉のように短く。といっても何を書こうか決めずに書きはじめてしまいました。若い頃に限らず、時間があって縛りがなければ、どこへ行くとも決めずに、行けるところまで行ってみようと思うことはありませんか?時間があって縛りがない日常などもはや望むべくもありません。いつでも仕事なんかやめちゃって放浪することくらいいつでもできる、と高をくくっていたのは若かったからなのでしょう。でもそんな気持ちは抑制はできても捨て去ることなんかできません。アメリカの、休符のような空虚を旅するならこれかな。トランジスタラジオとガレージつきで旅する気分です。Brian Blade ブライアン・バラード / Mama Rosa 【CD】そして一緒に本を持っていくならこれ、サム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』。
2010.07.06
コメント(0)
[韓国音楽]少女時代-ミニアルバム 2集-願いを言ってみてレディー・ガガやマドンナといった北米のセックス・シンボルである女性たちは、映像上の表現が開放されていくにつれ、露出が過激になり、ビデオクリップのなかでは肌の露出にとどまらず、頻繁に粘液のイメージが使われます。一昔前に、パンツをはいたサル、という名の書籍がありましたが、北米のセックスアピールがパンツをとっくの昔に脱ぎ捨ててしまっているのにくらべ、KOREAN GIRLS' POP(長いので以下KGPとします。諜報機関みたいですが…)パフォーマーたちのセックスアピールは、粘液までたどり着きません。下着までも届いていません。これは韓国のメディア表現倫理がそこまで許していないことが大きく貢献していることは間違いないでしょう。その前提であっても、手かせ足かせがあればそれなりに適正な表現を行うのが人間の常であって、倫理委員会から放送禁止の告発を受けるぎりぎりまで表現を追及するものの、映像表現上のドレスコードが(ありがたいことに)おそらくおへそはOKとしているおかげで、われわれもKGPの人気ユニット‘少女時代’(ソニョシデ)の美脚とおへそを武器にした映像に触れることができるわけです。でも、KGPの美形パフォーマーたちがいくらその見事な脚線やウェストラインを露出しても、不思議なのはそれがどうやらエロを狙っているのではない、ということなのです。たぶんそうです。いくらお尻をぶいぶい振っても、小ぶりな胸をぶんぶんさせても、それがエロではなく、お尻のかわいさ、揺れる胸の楽しさであることがKGPの美学であり、節度であり、いけてる部分であるに違いない。これ、北米ショウビジネスの影響下で作られていることは明々白々であるけれど、じっさいに現われてきたヴィーナスたちは、粘液表現によるセックスアピールではなく、ボディパーツのフェティッシュ、トルソに宿る美の審美的表現に自分を捧げていることにある種のアジアを感じます。とはいっても、少女時代をはじめとしたKGPのパフォーマンスにエロティシズムが微塵も感じられない‘健康的’な表現であるなどという、不健全なことをいうつもりは毛頭ありません。人間からエロスがなくなることはない。彼女たちのパフォーマンスでも、エロスはブラウン運動のように、休みなく、きらきらとした軌跡を描いて動いています。エロティシズムはあるのだけれど、その裏にファラスによる性表現の支配、男性による表現上の奴隷としてのエロティシズムはアメリカにはいまだに深く根を張っていますが、KGPにはそのファラスの呪縛から離れてそれが存在しています。書き方を間違えました、それははじめからファラス=ロゴス(PHALLUS=LOGOS)が支配的な力学の場ではなかったのです。K-POP(複数形の`S'は付けないようなのです)の男性グループ、女性グループそれぞれの楽曲を聴いてみると、コーラスに頻繁に異性の声が添えられています。女性には男性、男性には女性。そこには生殖行為が二つの性の間で営まれるものであるという厳然たる事実のうえに立ち、ヨーロッパ・アメリカ、とりわけ<白人>と自他ともに認める人々に深く根付く、優生学的な序列への欲望と指向、あるいは`嗜好’からはいつもこぼれ落ちてしまう、性のそれぞれのありかた、同性愛という性も当然含めた異なる性への尊厳が見えてこないでしょうか? 芸能界だからそういうきれいごとばかりではない、割り切れることばかりではない、という向きもあるでしょう。でも欲望をメディアにのせるのがひとつの使命でもある芸能界が、まるで無意識のようにコンテンツにそのような表現を託しているのを見ると、あながち恣意的だとばかりは言えない気がします。ナチスドイツで史上稀に見る人間の尊厳への侮辱と暴力が炸裂した地獄の十数年間ー。じつはそれに先立つ100年以上前から、すなわちヨーロッパが帝国主義、覇権主義にとりつかれていた植民地時代に、みずからを過つことのない測定器として自認する彼らは、現地の`野蛮人’や`未開人’、`発展途上国人民’と自分たち優秀な<白人>が違うことを、当時の科学的根拠・尺度をもって証明しようと試み、`実践’さえしました。現地人の血が`優秀’な<白人>の血に混入することを忌避して、「血の選別」を植民地各国で展開したわけです。政治経済の覇権主義と併走するように拡大していったのは、人種差別、民族浄化という癌細胞でした。アメリカ合衆国アラバマ州で、合衆国最後の異人種間結婚禁止条例が廃案になったのは2000年のことです。(これらのことは、『白人とは何か?』(刀水書房)の数章に書かれています。)ずいぶんシビアな話になってしまいました。美脚を惜しげもなくひらめかせるガゼルのようにしなやかな女の子たちを礼賛するつもりでしたが、いったいどうしちゃったのでしょうか?アジアから新たな女神が喜びをもたらすのでしょうか?期待しましょう!
2010.06.23
コメント(2)
[枚数限定][限定盤]THE SUN/佐野元春 and The HOBO KING BAND[CD+DVD]【返品種別A】‘いままできみはずっとひとりで、戦ってきたんだろう?話したいことは山ほどあるけれど、ここで暖かいお茶でもどお?’『The Sun』に収められている「レイナ」からの一節です。詩人であり、ぼくの母校でいまは教鞭も執っている佐野元春、2004年の傑作。・・・傑作と呼ぶのに違和感を感じるくらい、美しく、音楽への愛情、生きることへの慈しみ深い眼差しにあふれたアルバムです。配信で音楽が断片化したり、CDを聴いているとときどき、そこまでこてこてに濃くしなくても、とか、70数分の尺を埋めるために無理しなくても…という思いを禁じえないこともけっこうありませんか? かつて、LPレコードの時代には1枚60分を超えるものは皆無に等しかったころにくらべると、15分以上も長く収録曲を盛り込まなければいけないという売り手側の事情を介して、技術と受け手の欲深さに支配されている音楽の転倒した苦悩を音の裏側に感じずにいられません。まして、音楽評論家が、‘国内盤のほうが海外盤よりボーナストラック1曲お得’とか書いているのを読むと、忙しいのはわかるけど、ナスやきゅうりのセールじゃないんだからさあ、とこぼしたくもなります、長年の音楽好きとしては。余計なことを書きました。この『The Sun』というアルバム-ひさびさにアルバムという言葉がしっくりとくるCDに出会ったのを素直に喜んでしまいました。発表されてもう6年にもなるんですね。でもこれはまさにアルバム、音楽がさまざまなシーンから成り立ち、それぞれに被写体があり、それをファインダーから覗く眼差しがある。時代はもちろん音楽と詩に反映されているし、それが時代の大きなうねりのなかにあることもあれば、レイナのようにたった一人で戦ってきた女性の小さな、しかしその人の生きてきた軌跡にひとり眼を落としていることもある。ジャズピアニストのKeith Jarrettが、「ある曲をジャズミュージシャンとして演奏するには、その歌の歌詞を十分知らなければならない」という趣旨の言葉を残しています。ジャズミュージシャンが、たとえばピアノでアドリブを弾いて曲の深みを引き出していくとき、歌手もいないのに、ピアニストが歌詞を知らなければいけない、というのはとても示唆的ですね。このアルバムの歌詞、それは詩として、様々な大きさの木々の蔭を写すように、日常と日常を生きる人間ひとりひとりの姿をふたたび邂逅させるような仕事だったのでしょう。そして彼のこの当時のバンド、The Hobo King Bandは佐野元春の言葉と音楽に、それ以上足したり引いたりできない絶妙の筆をふるって、言い換えるなら音楽としての完成度の高さ、ポピュラーミュージックのすばらしさを職人技で練り上げ、作り上げています。佐野元春が歌を作り、そこにバンドが料理人の厨房のように技の限りを尽くして味わいを加えていく・・・。出来上がった音楽には、素材のおいしさににうなづいたり、相槌を打ったり、ときには遊び心や気のきいたトッピングを施したりと、一言では表しきれない、でもシンプルな詩情がとけこんで心のとても切ない部分がふるえるようです。ギターのリフや何気なさげなコードストローク、コーラスの声の張り、全体のバランス、ときにルーズな間、そして著者である佐野元春の肉声、こういった音楽の呼吸をよく聴いてみてください。声や楽器の息遣いが表現として自然に音楽に統合されているのに惹きこまれていきます。これほどリラックスしていながらも、ナチュラルな凛々しさにあふれた音楽にはあまりお目にかかったためしがありません。これは日本に暮らすぼくらに届けられた、音楽のギフトです。ありがたいと思います。
2010.06.20
コメント(0)
【送料無料】Keith Jarrett / Charlie Haden / Jasmine 【CD】Keith Jarrettにデュオアルバムが少ないとは、このアルバムのライナーノーツを読むまで気づきませんでした。一方のCharlie Hadenは、ライナーノーツによれば、デュオの名手で、たしかに僕の知る限りでもずいぶんあります。Keithが書いています。Charlieの自伝映画『Rambling Boy』の取材か何かで、会った二人が、三十年前のアメリカン・クァルテット以来、ほんとうに久しぶりに演奏してみようという話になったそうです。そして2007年の3月、Charlieの奥様でプロデューサーのRuth Cameronとともに、CharlieはKeith Jarrettの自宅へ招待されました。ちなみにいまやスタンダードにさえなって、Stan Getzの遺作『People Time』Disc2のトップを飾る`First Song (For Ruth)`のRuthは奥さんのお名前です。仲がいいんですね。自宅スタジオのピアノはアメリカン・スタンウェイでちょっとファンキーなんですけど・・・、とKeithは書いていますが、ピアノの音だけでなく、Keithが座って弾いている椅子がきしむ音が聞こえたりしています。制作会社が手配する録音ならスタッフがあれやこれや考えて雑挟音を入れないよう、手を尽くすはずですが、そんな準備もそこそこにして、とてもintimateな状況で録音されていることが、音を聴いていても伝わってきます。Keith Jarrett キース・ジャレット / Koln Concert 【CD】ソロピアノの奇跡とも称される『Koln Concert』が、本人の都合でコンサートをキャンセルし、その日のうちに再度ブッキングされて収録された産物であったように、Keithはここでも一回性というジャズ特有の特徴のために、多少の不都合は閑却しています。ただ、それだけではなく、この録音は彼らの音楽がいまこの時代、この時期に演奏されたもので、Keithがライナーノーツに書いているように、「音楽もそしてそれを聴くことも死に瀕している」いま、こうでもしないと音楽は作れない、こうすることで少しでも音楽を生き返らせることができると信じて演奏に臨んだのです。このアルバムにはその失われてゆくかもしれない音楽の、懐の深い音が記されています。
2010.06.02
コメント(0)
Bungee Price CD20% OFF 音楽Prince プリンス / Parade 【CD】最初のPrince体験というと、'Kiss'でした。そのころアルバイトをしていた酒屋で、有線放送から聞こえてくるのを耳にして洗礼を受けました(懺悔のようだな・・・)。短いギターのカッティングに続いて、カエルをふんづけたような、'Oooo...!'という鳴き声。それまでは気持ちが悪くてしょうがない、もっとも好みとは遠いミュージシャンだったのです。でもことPrinceに限っては、多くのファンがこの同じプロセス、つまり、嫌悪から崇拝へと一夜にして宗旨変えするらしいのです・・・。Prince・・・プリンス、という名前は本名で、そのなにやらエゲツないステージパフォーマンスや爬虫類を思わせる身のこなしやらの印象から、理解よりも誤解に彩られがちですね。しばしば、亡くなったマイケル・ジャクソンと比較されたけれど、彼のようなポピュラリティとはどうもまた違った個性を持っているようです。ファンの間では、その名前とその気高さ・・・というよりは、特異性から`殿下’なんて呼ばれたりもします。彼の音楽については、佐野元春や亡くなったMiles Davisはじめ、さまざまなミュージシャンから賞賛され、一目おかれているクリエイターでありながら、このごろはラジオとかではめったにかからなくなっちゃいました。ラジオはかつて貴重な試聴メディアでした。それだけでなく、FMファン(そういう名の雑誌もありました)は、エアチェックっていって、カセットテープなどにラジオの放送を録音するのが二十年くらい前までは流儀でした。その頃は、かなり骨太な番組があって、一曲紹介するにも、DJはそのアーティストの音楽的な背景やその楽曲の録音にいたるまでのエピソード、聴きどころなどいろいろと興味深い解説をしてからやおらおごそかに(?)曲をかけました。けれど、プロモーションがオンエア楽曲全部にしかけられるような仕組みになってからというもの、楽曲を言葉で掘り下げるような番組が少なくなりましたね。FMがいまはおしゃべりになっちゃって、ザッピングしても70年代の深夜放送みたいにしゃべってばかりで音楽があまりかからない。JASRACなどの著作権管理が徹底したのも影響しているのか、FMが音楽のための電波から変容してしまったのは少し残念です。それはともかく、Princeが1986年に発表したParade: Music from the Motion Picture "Under the Cherry Moon"です。もともとUnder The Cherry Moonという映画の音楽でもあったこのアルバム。コンセプトアルバムともいえるのでしょう、ともかくその運びのすごさ! 天下一品、奇想天外、奇々怪々です。次々と繰り出される楽曲、パフォーマンスが、その個々の完成度の高さに加えて、万華鏡にように、あるいは殿下の住まう御殿の部屋部屋のように(2006年のアルバム『3121』は御殿の部屋部屋の写真入り!)、姿を変え趣を変えてたたみかけます。一曲目の`Christopher Tracy's Parade'から`New Position’へのつなぎでもうそのエキセントリシティは全開、シンプル&インプレッシヴです。このあたりの音色と音の強度の組み合わせは、現代音楽にも通ずるような実験性を帯びています。「音価と強度のモード」を作曲したオリヴィエ・メシアンが知ったら、’実践音価と強度のモード’として注目してくれたーかどうかはわかりませんが、少なくとも実現こそしなかったものの、のちのPrinceのアルバムで、ライナーノーツを武満徹に依頼する話があったと聞けば、メシアンから少なからぬ影響を受けたこのジャズ好きの詩人作曲家が興味を持ったのも頷けます。ところが、販売が前作『Around The World In A Day』にくらべて芳しくなかったということで、世間一般の評判だけでなく、このアルバムそのものの価値までが軽視されてしまうようになりました。販売を最優先する音楽産業のほうから見ればそうなのでしょう。また、一般的に言えば、その傑出した音の造形と、一聴するだけだとエログロばかりが目立ちがちなパフォーマンスとが、ポピュラー音楽としては度を超してアヴァンギャルドでありすぎたために、受け入れられにくかったとしても無理はないかもしれません。ただ、一般的に言えばです。話は飛ぶけれど、もう20年くらい前かな、原宿にあった`Keystone Corner’というジャズ中心のライブハウスに、Charlie HadenのQuartet Westを聴きに行ったときのこと。1st stage最後の演奏が終わろうとして、じゃーん、みたいな感じでリタルダンドしたバンドの音が、シンバルの残響に吸い込まれて消えていこうとしたとき、ピアノのAlan Broadbentが、ほんの1小節ほど、Gustav Mahlerの「さすらう若者の歌」の一節を右手で弾いた。気づいた人も居たんだろうけれど、この、第一交響曲のモチーフにも使われたフレーズに、第一交響曲の虜になっていたぼくは、ちょっとばかり嬉しくなって、ピアノの前から立ち上がり、ステージを降りて、てくてくとホールを横切り、地上へでる階段を昇ろうとしたピアニストに、「ねえ、マーラー弾いたでしょ?」と声をかけたのです。すると、品よくカットされた口ひげを笑顔にゆがめて、「え、わかったの!?」と返してきました。それからしばらくの間、階段の途中で万華鏡のように千変万化するマーラーの音楽について楽しく話をしたあと、「それでいうとPrinceの曲もね、あのアレンジの巧みさと完成度の高さにはまいっちゃいますよね!」と言ったところで、ピアニストは一呼吸おいて、あれはさ、アレンジャーのおかげなんだよ・・・。ああ、なるほどそうなんですね、といいながらじつはちょっとばかりショックを受けてたじろぎました。Princeの才能ではなく、アレンジャーがみんなお膳立てしたからなのか・・・。でもそれは考え違いでした。いまにして思えば、当時彼が有能なアレンジャーに協力してもらっていたこともそれはそれで実力なのだったと思います。The BeatlesにGeorge Martinがいなかったらどうなっていたか、現実に起こっていることのすべての要素は、欠くことのできないもの、いや正確には欠くことの不可能なものなのですね。あるときそのような力がそこに集まった、ということなんです。そして、ピアニストはその15年後ほどあとにグラミー賞をジャズアレンジメント部門で受賞しました。ですから、Princeについていた優秀なアレンジャーのことも、知っていて当然の立場にいたわけです。その後、Princeは傑作を次々と発表したあと、レコード会社との確執でいったんはPrinceという名前をシンボルマークに変えてしまったり、結婚と離婚、宗教へ傾倒したころからスランプに陥り、R&B、Soul Musicにに回帰していきました。Princeといえば代名詞のように引き合いに出されるPurple Rainがロックミュージシャンとして、ボーカリストとして、ギタリストとしてのPrinceであるとするなら、その後サイドメンを含めて、鉄壁のエロでリリカルなダンスミュージックの星雲をミネアポリスの上空に運行させていた、80年代から90年代初頭にかけての黄金期の始まりは、このアルバムであったに違いありません。
2010.05.17
コメント(0)
Bungee Price CD20% OFF 音楽John Coltrane ジョン・コルトレーン / My Favorite Things +2 【CD】最初からジャズのCDのことばかり書いているけど、ジャンルにこだわるつもりはないです、ぜんぜん。とはいっても、マニアというほどでもないからトリビアっぽいこともあまり知らず、好事家をうならせるようなこともじつは書けません。じゃあ、今回は何だろう?・・・とここまで引っぱっておいて、じつは今日もジャズでした。あはは。で、今日はちょっと趣向を変えて、こんな人からあんなこと聞かれたら、何を薦めますか?、ということなんですけど、たとえばこういうような・・・後輩かなんかで、音楽系のサークルとかには入っていなくて、でもちょっと人よりアンテナの感度の良いワコウドがいたとする。彼または彼女は、ことあるごとに、「**さんはどうしてたくさん本を読むんですかぁ?」とか、「星を見ていると気が遠くなったりしませんかぁ?」とか、「先輩、腹上死ってどういう死に方なんですかぁ?」とか、ストレートでウブな言葉を発する生き物だとする。ある日、サークルの帰りとかにまたしても「ねえ、**さん、ジャズってどこがいいんですかぁ? どういうところがおもしろいんですかぁ?」。そらきた。ここは先輩だからいっちょ、ジャズってのはなあ、ミュージシャンどうしの一騎打ちなんだよ!熱いんだよ!バトルなのさー!なんてことをつい口走りそうになるんですが、今日は酒も入っていないし、ま、ちょっとこんな風に切り出してみてもいいかなと。「ねえ、わたしのお気に入りって知ってる?」「やあだ、せんぱあい、ニューハーフみたあい!」なんて言われるかもしれないので、ま、言われたら言われたで、相手が女の子だったら、かわいいなあ、よしよし、と含み笑いを浮かべておいて、「ええとね、そうじゃなくって曲名なんだよ。古い映画だけど、『サウンド・オブ・ミュージック』って観たことあるよね?」というと、おおかた答えは三種類、えー、わからなあーい ーそらあかんな、そこはおかんに聞いてこんとあ、サイモンとガーファンクルでしょ! ーそらちゃうで、サウンド・オブ・サイレンスや、サイレンス!知っています。ジュリー・アンドリュース主演で、第二次大戦時に実際にドイツで活躍し、ナチス台頭後はアメリカに亡命したトラップファミリーの波瀾万丈の家族史を脚色したミュージカル映画でしょ?監督はロバート・ワイズでしたね ーよう知っとるな。たこ焼きおごってんか?ということで、もし、ジャズが聞いてみたい、でもジャズっていったい何なの?、というワコウドが目の前に現れたら、すべてをさしおいて、これ、泣く子も黙るJohn Coltraneの『My Favorite Things』を薦めます。いいから聴いてみるべし、まずはタイトル曲だけでもいい、聴いてみるべし。なぜか。だって『サウンド・オブ・ミュージック』はみんな知ってるから。でも知らない人もいますな。そういうときは道ばたであっても、電車のなかでも、すべり台の上でも、まずは歌ってあげましょう。♪ほら、どこかのCMで流れていたあれ、あれですって!京都へ行きたくなっちゃう気分になるあれですよ!無事、後輩の彼または彼女がメロディーを思い出してくれたら、えへん、と咳払いをひとつしておきましょう。「この、邦題‘わたしのお気に入り’って歌を、ジャズやる人たちは、自分だったらこんな風にも歌えるよ、じゃあぼくコーラスつけるね、せーの!ってな風に歌うんだな。歌うの。歌がまずあって、それを口ずさみ始めるとさ、飾りをつけたり、音をのばしたり逆に遅らせたり、それからほら、カラオケなんかで、ハモりたくなったら旋律とは違う風に歌うでしょ?ジャズってそういうことなのよ。」それはもう、秋の木の葉が黄金色にひらめきながら舞うように、ソプラノサックスが空気に映った秋の色彩を音符で縫いとるわけで、音となってぼくらの前で軽やかに舞踊る精霊が身体を翔けめぐり、快感が宿るのです。ピアノソロのあとに今度は、ソプラノサックスは突風になって上昇すると、天つ風が雲の通ひ路を吹き飛ばし、隠れた乙女の姿を求めるかのごとく、渦を巻きながら空高く歌う、そのジャズワルツの美しさよ!泣く子も黙るJohn Coltrane師も、この曲では怖くありません。むしろ可憐と言ってもいいくらいです。Coltraneはあとで何度もこの曲を録音しているので、まずは1960年録音の『マイ・フェイバリット・シングス』(原題:My Favorite Things)を聴いてください。そうしないと怖い目に会うかもしれませんよ!
2010.04.29
コメント(0)
ジャズっぽい、ということだと、ピアノ、ウッドベース、ドラムスで構成されるピアノトリオだけれども、アルトサックス、エレクトリックベース、ドラムスのトリオだとどんな音、どんなインタープレイができるのか想像できますか?ピアノトリオでは、なんといっても楽器の王様であるピアノの役割が重要です。まずピアノは12音が完全に鍵盤(キー)と一対一に対応しているのですから、無駄がありませんし、五線譜にもよくなじみます。作曲家がピアノで作曲するのもよくわかります。さらにメロディー、和音、リズムを、その楽器一台の機能性から導きだせます。クラシックの世界でも、ソロのために書かれた作品では、圧倒的にピアノ曲が多いのも、たいへん機能的で、多彩な表現が可能なこの万能楽器の完璧な機能性に負うところが大きいわけです。しかし、別の見方をすれば、クラシックピアニストの中村紘子が`蛮族’と称してまで自嘲したピアノが、王様ではなく独裁者であったとするなら、あるいは何にでも口出ししてしまう、ある意味、ちょっと鬱陶しい存在であることも否めないよね、というのなら、ジャズのトリオのほかの形を考えたときに、まったく違う性質を持った音楽ができてくるのではないでしょうか? ピアノを除いてしまったら、ジャズっぽさ、`大人のおしゃれな音楽’の代表のようなピアノトリオは存在しなくなり、ピアノの代わりに、たとえば、この`Three Guys’のようにアルトサックスが入ったら、音楽でどういう言葉を交わすのでしょうか?さて、理屈ではそうであっても、簡単にうまくいくわけではありません。ふつうの、楽器をうまく演奏できるだけの人なら、ピアノのように和音を豊かに響かせることのできる楽器の特長に拮抗しようと、自分の楽器の存在を強調したり、ほかの楽器もピアノだったら埋められるはずの隙間がすぐに空いてしまうので、何とか埋めようとついつい音をくりだそうとしたりするでしょう。ところで、このトリオのアルトサックスはLee Konitz。クールジャズと言われるムーブメントで頭角を現した白人ジャズマンです。古くはMiles DavisのBirth of the Coolにも参加し、Gerry Mulliganがホーンアレンジメントを手がけた、テンションとシンコペーションでくらくらする`Israel’でも、マイナーブルースのコード進行なのに平行調のメジャー音階を使ってしらっと才気ばしったソロを聴かせています。ドラムはPaul Motian。ピアノトリオの最高峰としていまでも信奉者の多いBill Evansトリオのドラマーです。なにしろBill Evansトリオの黄金期は、ジャズにおけるベース奏法と役割の常識を覆したScott LaFaroも在籍していた(自動車事故で不慮の死を遂げるまで)わけでして、そのふたりとともに新たなピアノトリオ像を作り上げてしまった類まれなドラマーなのです。パイオニアというのは、後の世代に大きく花開く要素をすべて含んでいるものですが、このトリオがもたらしたインタープレイで、トリオのそれぞれの楽器の音が対等で、従来のピアノだけが引き立つピアノトリオとは異なる楽器どうしの会話とか対話とか議論とかの質が一気に高まったことは間違いありません。とはいっても、三人がベストだと思います。そして、ベースのSteve Swallow。ドラムのPaul Motianが`引き算するドラマー’と言われるように、ジャズの対話に音を加えていこうとする従来の考え方から、相手の音に耳を傾け、要らない音は何か、を追求したのであれば、Steve Swallowは、ベースラインの鉄則である絶えずコード進行とリズムをキープする役割に、和音楽器としての役割を加えました。また、時折リード楽器にハーモニーを添えるように歌ったりもします。Steve Swallowはセミアコースティックのベースギターをよく使いますから、ダブルベースの音よりも軽く、とはいえソリッドボディーのエレクトリックベースのように電気的な増幅だけで太った音でもありません。いちど彼らの音を聞いてしまうと、ここにピアノを加えることはできないことがよくわかります。想像すらできないくらいです。そもそもピアノなど入れるつもりもなかったのですから、こんな仮定そのものがナンセンスなのですが、ジャズのトリオの緊密な音世界は弦楽クァルテットにも比されるくらい対話性が高いのですね。つまりこれで十分な、充実した音楽であること、そしてまさしくジャズであることを見事に聴かせてくれます。そしてそこに生まれた音は、隙間を聴かせる音楽、引き算の音楽になりました。
2010.04.22
コメント(0)
Reunionの包装をほどいたのは、JR大森駅のホームだったような気がする・・・というか、どういうわけか、このCDを手にとるたびに自分が大森駅のホームで、たぶん初夏、6月くらいだったのでしょう、少し汗ばみながら、キャラメル包装をぴっと破いているところが想起されるのです。プロデビューを飾ったPat Methenyが、最初に加わったのがGary Burtonのバンドで、本人にとっても特別な思いがあるようです。そのためかここでのPat Methenyは師匠に敬意を表して、いくらか襟元をただしている・・・ような気がします。トップギタリストとしての地位が、いま(2010年)のPat Methenyの、いささか偏狭ともいえる方向性と、ときおり見せる過剰でなにか老いにいらだつようなフレージングにくらべて、Reunionでの彼は初期Pat Metheny Groupのみずみずしさをたたえています。とくにソロの`入り’。語りはじめからよく歌っています。しかもタイトル曲ではとことんアドリブのニュアンスにこだわって、つんのめってしまったのか、コード進行を4小節間違えて先走りそうになってさえいます。でもそんなことはよくありました。ジャズだから、巨匠と言われる人たちでも、一拍多かったり、コード進行を間違えてもほかのメンバーがうまいこと合わせてくれたりするものです。別に気にしないし、むしろスタジオ録音でもアドリブはライブだ!という空気が伝わってきます。1983年頃だったか、横浜教育会館で、まださほど知名度の高くなかったころのPat Metheny Groupの公演では、Straight on Redで、のっけからメロディの音をはずしてしまい、あ、やばい、2フレット間違えた!、と気づいたことさえも隠さずに、顔を真っ赤にしてギターにしがみつくようにして弾いていたPat Methenyを思い出します。それにしても、ヴァイブラフォンという楽器が加わるだけで、アンサンブルがアイスティーのように涼しげで香りもミントが混じるようにひんやりします。5曲目の`House on the Hill'、1分51秒でギターとピアニカみたいな音の楽器が(ハーモニカなのかな?)ユニゾンを奏でるところ、2分54秒でヴァイブラフォンが金属的な輝きをたたえて語りだし、久しぶりにあった友人と昔のこと、いまの状況、考えていることを、表情豊かに話しているかのように繰り広げられるソロは、このアルバムのもっとも美しい瞬間でしょう。彼を支えるメンバーは、聞き役に回って、絶妙のタイミングで、絶妙の声音で、相づちを打ちます。Gary Burton の紡ぎだすメロディは、コードの森に風が吹き、光が射し込んで、日だまりになったり、暗がりをかすかに照らしだしたり、木漏れ日が地表の落ち葉に模様を描くよう、それだけでなくジャズという音楽が引き出す音の表情の豊かさを教えてくれます。このアルバムの聞き所は、もうひとつ、とりあげられた曲がすばらしいこと。メンバーのPat Metheny, Mithcel Formanに加え、Vince Mendozaが書いた2曲と、Polo Ortiが書いたと2曲の都会的なバラード、または夜想曲、ノクターンと呼ぶべき楽曲が際だっています。Will Leeがソリッドボディのベースの魅力、そして色気を存分に発揮して、これらの楽曲の全体をモダンな音にまとめています。Gary Burton:vb, Pat Metheny:g, Will Lee:el-b, Peter Erskine:ds, Mithcel Forman:p。
2010.04.17
コメント(0)
こちらの商品は輸入盤です。WEATHER REPORT/8:30 (2CD) : ウェザー・リポート/8:30それまでにも何度か聴いていたのだけれど、記憶に残っているのは制服を着た高校生たちがジンライムをすすりながら、京都の「しあんくれーる」で聴いたときのこのレコード。当時はたしかにまだアナログレコードであったに違いなく、リクエストして'NOW PLAYING'のアクリルスタンドに置かれたジャケットも31.5センチ四方のダブルジャケットだったはずです。アメリカではコンサートの始まる時間が8時半と相場が決まっていたために『8:30』と名づけられたWeather Report黄金期のライブアルバムは、夜空を背景にこれから始まるコンサートに胸をときめかせる男女が、開演前のホールの周りを取り巻いて待っているイラストがジャケットに描かれていていました。なんとなく大人っぽい、すこし背伸びしたくなるジャケットにやはりときめいたりしたわけで・・・。で、われら横浜から来た修学旅行の高校生たちは、さまざまに胸をときめかす諸般の事情をうっちゃってまでして、暮れなずむ京都の町を、買い物と称して新京極を通りすぎ、河原町にあるジャズ喫茶を目指したのでありました。その晩、高野悦子も聴いたはずのオーディオシステムから聞こえてきたのは、鳥がジャングルの木々の間をすり抜けながら飛ぶように、16分音符の間を舞い踊るBlack Market。ベースはウーファーからツイータまでも鳴らしてしまうジャコ・パストリアス・・・・しあんくれーるの夜からわずか7年後にライブハウスのガードマンにどつかれて不幸な死を遂げることになるこの希有な才能は、Teen Town ではドリブルで敵のプレイヤのウラをかいてボールを運ぶサッカー選手のよう。ウラをかかれたほうはあっと声を上げるまもなく、人間がほんらい持ち合わせているはずのリズムに抱かれ、それを彼のものとも自分のものとも判然としないままにウラをかかれた喜びに身を浸す。そんな感想を持ったかどうだか、旅の恥かもしれないけれど、すばらしいよ、ジントニックはサイダーみたいだし。Joe Zawinul:kb, Wayne Shorter:ts & ss, Jaco Pastorius:el-bそしてPeter Erskine:dr。たった四人なんだね。そのメンバーの誰もが`ふつうの弾き方’をしない、天才で奇人ばかりのユニット。それでもA Remark You Made では広い音楽的風景に、それぞれの音が息づいている。変態サックスとも揶揄されるショーターもここでは美しく朗々と、ノスタルジックに、やがて朝日の兆しに消えてゆく明けの明星のようにきらめくソロを聴かせる。電子楽器を変幻自在に操るザヴィヌル博士のピアノは3分8秒から、そしてショーターの牧歌をはさんで4分25秒あたりからドビュッシーが弾いているかのような色彩感が、ほかのメンバーの紡ぐ織物の上に輝く。ジャコはそこからエンディングへ至るまで、上行下行を繰り返す長いスラーにフレットレスベース独特の響きを湛え、深々とした二声のバッキングが静かに轟きながら暖かく音の風景の大地を形作る・・・ジャコはややもするとテクニックがとりざたされることが多いけれど、ほんとうにすごいのはここで聴かれるようなベースワークなんです。その場を照らす光が、青みがかっていたと思ったら、金色にきらめいたり、木の葉を透かしてうつろう影を、ほんの一音で呼び醒ましてしまう瞬間、沈む夕陽の匂いまでも。★付箋文★雑誌Jazz Lifeの四コママンガでそれぞれの変人ぷりが笑いのめされてしまうほどの`大人のパラダイス’は、今年その歴史を閉じる厚生年金会館での来日公演(たしか1980年だった)も、Weather Reportという、不思議な名前のユニットが年代ものの古いホールをも楽園と化してしまったのでした。 いまはあまり聴かれなくなったPat Methenyの『Off Ramp』に収録されている優しい`Jaco’。コーラばかり飲むPMとアルコールに溺れたJacoがどんな風にお互いの音楽性を理解し合えていたかはJoni MitchelのShadows and Lightsに残されている。これもまたすばらしいメンバーが参加していて、よく撮っていてくれたと、それだけでも感動を覚えてしまう。そう、あれはまだBirdland がまだManhattan Transferにカバーされていなかった頃だった。
2010.04.15
コメント(2)
全22件 (22件中 1-22件目)
1