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2015.5.3 海の公園・・・だと思う。異種動物間の愛情通勤の行き帰りに、三毛猫がいる。ジュンを得る前からだから、齢は13年以上は間違いない。その当時は、よぼよぼで痩せこけた老犬がノーリードでその三毛猫のいる周辺をうろついていた。あるとき、三毛猫がその老犬にすり寄ってゴロゴロしているシーンに出会った。・・・・ エッ!と、気持ちが癒やされた。今日もその三毛猫が待機していた。たまに、かまってほしいのか目が合うとニャーニャー鳴く。さて、暇つぶしにスマホで見た記事。【これぞ運命】野良イヌを保護したら “生後10日の子ネコ” がくっ付いてきた!「子と親をなくした2匹が巡り会ったのではないか」と獣医師私にしてみれば、愛犬を亡くした親と、飼い主を亡くしたポメ。記事と似たような状況。異種間の動物の愛情。昔々、NHKで「タモリのウォッチング」という番組があった。ワニに捕まり、川に引きずりこまれようとしている鹿(の一種)の子供。カバが現れ、その子鹿をワニから救う。30年くらい前の番組を記憶している。今では、ネットでそんな異種間の心温まる映像をよく見かける。人の世界は・・・ISのテロ、異種どころか我が子への虐待・・・「惜しみなく愛は奪う」という言葉の意味は、この歳になっても理解が混沌としているが、自らの命・他人の命を奪う宗教は邪教である。動物を見習った方が良い。* ジュンの闘病記8と反省はなかなか著せない。
2015.04.01
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2013.6.9 福浦ヘリ基地そして里親になるジュンに許しを乞わなければならない。「里親」になることに決めた。ジュンの写真とかぜにはるるさんが描いて下さったジュンと、お骨を傍らに、 ペットのおうち を探っていた。昨日、「飼い主死亡につき里親様募集します(代理投稿)」の募集条件を見て、プライバシーをそこそこさらけ出して勤務先から応募した。帰宅後PCを開いたら、励まされるメッセージ。メールのやりとりは深夜におよび、今日「見合い」もせずに決定した。元親は甘やかしたらしく、「お姫様」状態。ジュンとどっこいどっこい。私もしばしばジュンを「ヒメー!」とか「お姫様」と呼んでいた。ジュンの生年は2002.2。・・・13歳。彼女は里親募集では推定年齢が多い中、2002.1.7 生まれ。ジュンと私が果たせなかった20歳齢を目指す。ルビーちゃん。心臓に若干支障があるとのことだが、一病息災!いざとなったら治療費捻出で酒・タバコはやめる。土曜日に迎えに行く。日曜日は一緒にジュンとたどった花見かな。
2015.03.31
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2013.1.3 横須賀・貝山高齢者と里親「里親」とは本来、人を対象にした制度だが、今では「里親募集」は犬猫などのペットを対象にしたものが主流のようで、この用語の使い方に異論を唱える方々の意見もネットで散見する。「里親」に求められることは、その愛情力のみならず心身の健康、そして、経済力。 全面的な責任能力。実の子供への虐待事件がこのところよく報道される。「人の子供」への責任は何倍も何倍も重い。比べることは不遜ではあるが、ペットへの責任も考慮せざるを得ない。一緒に生活して「互いの豊かさ」を求める姿勢は同じだから。里親制度さとおやせいど里親とは、児童福祉法(昭和22年法律第164号)に基づき、家庭に恵まれない児童を自分の家庭に預かって養護することを希望する者で、都道府県知事が適当と認めた者、里子とは里親に委託された児童をいう。(ネットから 以下略)なにげにネットニュースを見ていたら、こんな記事があった。高齢者とペット 飼い主の病気や入院で行き場失い…安心して飼える仕組みを この記事のリンクは不可でした。産経新聞からです。シニア世代にとって、ペットを飼うことは心身の健康維持につながる。しかし、飼い主の病気や入院で飼育が困難になり、行き場を失うペットは少なくない。高齢化が進む中、シニアが安心してペットを飼うための仕組み作りが広がっている。(平沢裕子)(以下略)「民家で飼われていた約60匹の犬。飼い主には最後まで責任を持つことが求められている」暇にあかして数多くの「里親募集」や「一時預かりのブログ」に目を通す。里親を求めるボランティアの条件は高齢者には厳しいが、中には犬の推定年齢と平均寿命を鑑みているボランティア団体もある。たとえば、人がペットの世話のできる平均寿命とペットの平均寿命20年。ペットの推定年齢が5歳なら里親希望の方が60歳なら、75歳まで「責任をもって最後まで看取ることができるか」である。先のことは誰しも分からない。予見できることは、ペットのエサ・オヤツ代のみならず晩年の医療費と自らの医療費がどうなるのか。生き物への責任は重い。
2015.03.29
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野島公園のバーベキューで古いPCにろくに整理もされず、ファイリングされていたジュンの写真。以下は2009年の野島でのバーベキュー時のもの。スナック「おいしい香り」の常連が40名くらい集合。ジュンはノーリード。もちろんつまみ食いはしない。マスターが仕入れた高級な食材を与えられても食べない。コンロ周辺から離れることもない。可愛がって抱っこしてくれる人たちで満腹だったのだろう。 メモ散歩の健康への効果はけっこうあったようだ。ジュンに逝かれてから歩くことも、これといった運動もしていない。一駅前で降りて歩くのだが、ジュンがいないとつまらない。さみしくて釣りに行く気もおきない。ジジーのボランティアグループ「助さん」からの依頼は少ない。ネットで「里親募集」のサイトを探る。単身高齢者OKの募集は極めて少ない。介護保険料の納付通知だけが積極的に届く。まだまだ元気なうちに・・・と、新たなボラを申し込む。「一時預かりと里親さん宅への搬送」簡単な返信があったが、10日位前突然携帯が鳴った。誰から? ・・・・ 里親ボラさんからの搬送依頼。先週土曜日、里親さん宅へ「トライアル」でボラ主催者さんと届けた。 しつけの方法やらもろもろの注意事項を伝授していた。私はジュンにはあそこまで厳しくはできなかったし、知らなかった。里親さんはフローリングをカーペットタイルに改装済。黒ラブ+柴のミックスと思われる**ちゃんはハイテンション。里親がまだ見つからない有名ブロガの「飯のためなら何でもするずら」のユキちゃんみたい。(岡山在?) トライアルを経て、実の里親さんになってくれることを信じている。ドッグレスキュークラブ・東京
2015.03.28
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2008.10.24 ジュンの笑顔ジュンのとっておきの笑顔一世代前のノートPCから、ジュンの写真ファイルを抜き出した。この写真はデスクトップの背景にしていたものだ。いつも元気を与えてくれた。カメラを向けるとジュンはいつも顔をそむけた。数少ないジュンのカメラ目線の笑顔。写真では表現しきれないジュンの活力に満ちた笑顔は私の頭の中のアルバムにある。
2015.03.26
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2014.1.4 ジュン犬がいる風景ジュンが2歳ぐらいの頃だったか、夜の散歩を終え自宅マンションはもう目の前。すぐ近くの公園には誰もいなかった。こっそりリードを外した。ジュンは喜び勇んで、広場をぐるぐる円を描き走り回り喜ぶ。これには私も自分のことのように嬉しかった。それからである。なんとかジュンをノーリードで散歩したい。夜の散歩が多いが、できるだけ人と車の往来の少ない散歩コースを探した。散歩後、テレビを観る。ジュンとの生活の中で、いつしか犬のいる風景を注目するようになっていた。映画、ドキュメンタリー、ドラマ・・・東南アジアや南の島ではほとんどの犬は人の生活の中で放し飼い。やせた犬が自由に闊歩している。一方、「先進?文明社会」の中ではつながれている。私の幼い頃、昭和20-30年代は名古屋の下町でも放し飼い。犬は皆おとなしいものだった。あるとき飼い主の分からない犬が数日間、うろちょろしていた。私は一度だけの経験だが、「犬獲り」が車でやってきてその黒犬を捕まえた。犬は恐怖と観念からか脱糞していた。惨めだった。哀れだった。前後を確認して、人がいないのを確認してリードを外す。人影を見つけたらリードをつなぐ。ジュンには「車道に出ちゃだめだよ」と言い聞かせ、散歩道でリードを外す。ジュンはおのずと私に寄り添い、時には遅れ時には先を行く。先を小走りして、「ちゃんと始末してね」と排便する。毎回挨拶する人は分かっているので、次第にそのままノーリード。そのうち犬がだめな人、好きな人は遠目でも分かるようになってきた。好きな人はジュンを触りたがったり、「抱いてもいいですか」と諒解を求めてくる。中には勝手にジュンに別の名前をつけ、呼んだりする。あるときは、後ろから「すいませーん」、「うちの子にわんちゃんを触らせていただけませんか」と声をかけられたこともある。小さな子供から触らせて下さいと申し込まれたことも多々あった。シャイな子が親に頼んで「さわらせて」ということも多かった。すべて私には嬉しくジュンは自慢の娘だった。犬を怖がる大人・子供の存在は認める。しかし、私はそんな人を情けないと思う。犬アレルギーのひとはしょうがない。私は登山で熊に出会ったことはないが、カモシカや雷鳥、岩雀、サンショウウオ等生き物に出会ったときは嬉しかったのだが・・・人を最優先にする社会だが、害のない生き物に先入観で怖れを抱かれることにいささか残念な思いがする。ジュンとの散歩で2度ほど「青大将」に出くわしたことがあった。私は蛇が苦手である。犬が苦手な人の気持ちは、私が蛇を怖れるのと同じなのかしら。さて、犬のいる昔の風景。忠犬ハチ公の2つめの銅像が先日お披露目された。あのころ、ハチは大型犬で放し飼いにもかかわらず地域の人から愛されていた。いい時代だった、と思わざるを得ない。東大 赤門に設置されるそうな
2015.03.24
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2012.12.2 ジュンジュンの闘病記 71月25日(日) ヘリ基地へ。フリースケットで抱いて1週。 腹水が流れ出るので、医院へ相談。明日止まっていなければ 処置することに。 砂肝3羽分ぺろり。今思えば、私はアホな飼い主だった。病の愛犬を散歩に連れ出すなんぞ。ジュンの歓心を得んがために・・・腹水が溜まるのは投薬の副作用だったのでは?「闘病記」の最後に反省を記したい。以下、闘病記7へ*********************************明日でジュンに先立たれてから1ヶ月になる。随分長い時間が過ぎたように感じる。仕事をしていなければ、外出することもなく引きこもっていたかも知れない。散歩-ウォーキングすることもなく、食事も乱れがち。仕事先に向かう足が重い。ジュンの闘病記を書き残すことは無意味に思えるが、「登山」と同じで、もうじき山頂。いつか、自分で書いたこのブログを読み返して思い出に耽ることもあるかも知れない。1月26日(月)砂肝2羽分食べる。17:00過ぎ帰宅。腹水で ペットシーツが血混じりで濡れていた。 それでもヘリ基地へドライブ。散歩不可。 小便数回。1月27日(火)朝、砂肝・肉缶を食べる。17:30帰宅。 ジュンは不自由ながらも寝室から出迎え。 元気づけられる。 砂肝3羽。ビーフステーキも少し食べる。 腹水は止まった。安心。1月28日(水)朝、砂肝・肉缶・カリカリ少々食べる。食欲旺盛 17:30帰宅。ジュンは必死で玄関にお出迎え。 嬉しくて思わず涙。 手羽元⒉羽。軟骨部も食べる。腹水孔は完全に塞がれた。1月29日(木)朝、肉缶少々のみ。食欲減。 帰宅後ヘリ基地へドライブ散歩。ほとんど歩けず。 砂肝⒉羽+アジの開き半分食べる。1月30日(金)朝、砂肝1羽・ジャーキーかけら・肉缶とカリカリ少し。 帰宅後、メロンパンの底周りの甘いところ1個分。 雪・雨で外出中止。砂肝・アジ・肉缶 食欲復帰。1月31日(土)砂肝2羽分だけ。水を大量に飲むが尿・便がでない。⒉月 1日 (日)朝、砂肝1羽分+もも肉1/4。午後、侍従側沿い~ ヘリ基地をドライブ。抱いて散歩。 16:30 アジ少しもも肉残り。その後もジャーキー カリカリ、ホームパイを食べる。 20:00 砂肝⒉羽。食欲復帰⒉月 ⒉日(月)朝、砂肝1羽/ジャーキー・肉缶。軟便あり。 ウェットタオルで拭き取り。 帰宅 寝室入り口に敷いたマットに排便あり。 排泄にほっとする。メロンパン底の甘いとこ。 砂肝。⒉月 3日 (火)砂肝1羽・肉缶2。帰宅後医院へ。薬。 メロンパン底甘いとこ。~ ヘリ基地へドライブ。 夜、砂肝⒉羽・もも肉。 23:20 大便。⒉月 4日 (水)朝、砂肝・もも肉。 帰宅後いつものメロンパン。 夜、砂肝4羽分。夜中尿便あり。⒉月 5日(木)砂肝⒉羽・肉缶。排便あり。夜、砂肝⒉羽。⒉月 6日(金)免許更新のため仕事休み。とり軟骨をかみ砕いて 与える。ヘリ基地へドライブ。 ジュン夜泣きが激しい。苦しいのか!? ベッドに上げて一緒に寝る。排便なし。⒉月 7日(土)疲れたのか午後まで寝入る。起床後、ジュンは 砂肝は顔をそむける。とり軟骨は食べる。 肉缶少し。 22:15小尿 22:40排便 ジュン お座りの姿勢で首を落として不調。 ⒉月 8日(日)ジュン食欲なし。午後ヘリ基地へドライブ・抱っこ散歩。 18:20嘔吐、吐瀉物なし。脱糞。尻周りが汚れシャンプー タオルで拭き取り。その後、ジャ-キーを食べる。このころから、ジュンの食欲と排便に気をもむようななった。尻周りが汚れウェットタオルで拭き取ることは、苦痛でも何でもなく、ただ安心感を私に与えた。暖かくなる時節までもってほしかった。このころは私も「覚悟」を決めはじめていたのだろう。それでもまだまだあきらめなかった。以下、ジュンの闘病記 8へ***********************************小泉八雲の「怪談」の中の話だったと思うが。ある男が妻を看取るときに後添えはとらない約束をする。しかし、約束を違え後妻をめとる。その後の顛末は・・・ 淋しさを紛らわすために「里親募集」のサイトを開き、手放さざるを得なくなった方々の事情や、ボランティアの里親希望者への厳しい条件を読む。高齢・単身、後見人選定では私はもうあきらめざるを得ない。せめて、里親への搬送・一時預かりだけでもと、さるボラ団体に申し込みを入れておいた。メールで簡単な返信があったが、所在地やメンバーなど詳細は不明。へたに所在地を明かすと、犬が捨てられることが多いので理由は理解する。先週水曜日に突然携帯が鳴る。登録されていない電話から。名前を明かさず受信したら、搬送依頼だった。三多摩地区から藤沢まで。環七、第三京浜が予想以上に渋滞し、午後に到着。里親さん宅はすでにフローリングの床に、カーペットタイルを敷き犬が滑らないよう準備していた。黒ラブと柴のミックス。ボラさんはしつけ方やら注意事項・・・時間をかけて丁寧に説明する。ペットショップではここまではできないだろう。まったく敬服した1日だった。里親さんもトライアルではあるが、そのまま犬のいる充実した日々を過ごすことになるだろう。
2015.03.23
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2013.1.4 福浦のヘリ基地丘へ別れと終活ジュンを看病している頃、トキオの「山口達也と愛犬じゅのんの16年間」を観た。(2月14日放送の天才!志村どうぶつ園。) 番組の中で、彼は「もっとジュノンにしてあげることがあったのでは」と自然に涙を流しながら語っていた。私も2代目コロを亡くしたとき同じ思い、「もっともっと何かを・・・」。11歳の6年生の時である。その頃は人とか犬とかを忘れ、「死」を考えた。「死別」を考えた。最も死に向かいやすい職業。軍人。戦争映画では同僚を亡くした兵士が泣く。上官はその事態を冷静に受け入れる。上官はあまりにも多くの悲しみを乗り越えてきたのだろう、と思った。こんな番組も観た。『中居正広の「終活」って何なの?ー僕はこうして死にたいー』 2月21日(土) フジテレビ2時間特番 「乳がん」を宣告されても、治療には応じず自然にいきたいとかたくなに意思を貫く女性。インタビュー中にも急な激痛におそわれひっくり返る。手術、放射線治療、化学療法・・・彼女はすべてを拒絶し、自然の宿命を待つ。頻繁に襲う苦痛にもかかわらず。番組終盤で医師が「緩和治療」について、苦痛を和らげるのも治療の一部と解説しする。ジュンにしてあげられたことは何だろう。ジュンに苦痛が襲っているだろうことは類推できる。しかし、ジュンはのたうち回ることもない。⒉月の中旬。私はジュンの治癒が不可能なことを悟り始めていた。ジュンとの13年間。コロと死に別れてから54年目。あのときの反省からジュンとは思いっきりしたいことをし、ジュンの望むことを推し量り、楽しく過ごしてきた。ジュンの写真をめくり、彼女の残してくれた笑顔で癒やされる。「ジュンにもっとしてあげられたことはなんだったのだろう」
2015.03.17
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2011.9.25 一番のお気に入りの写真ジュンの闘病記 6 腹水の抜水せめてもの慰みは毎朝晩、食事を摂ってくれること。ジュンの腹水は次第に大きくなり、歩行が困難になってきた。長時間散歩は無理だが、毎晩車で好きな福浦のヘリ基地丘へ。岸壁で夜釣りをしている人たちの様子を見ながら足を延ばしたことも。ある晩、「2日前に亡くして泣き明かした。」という、初老の釣り人に声をかけられた。以下、闘病記6へ********************************ジュンは仔犬の頃、フィラリア病のペレットを与えたら飲んだ。と、思ったら私に分からないよう、こっそりはき出していた。で、すり鉢で粉末にして水に溶いてスポイトで無理矢理飲ませていた。今回は5種の薬剤を粉末にして、蜂蜜水に溶かして飲ませていた。肝臓薬、抗生物質、利尿剤、胃腸薬、消炎剤正月明けには「ニカショウハーブ」が届いたので、これと併せて飲ませるようにした。10日からは手帳にメモを残すようにした。1月10日(土)午前中、福浦ヘリ基地へ散歩。夜、侍従川沿いを散歩1月11日(日)福浦に車を停め、海の公園のフリーマーケットへ散歩1月12日(月)図書館まで散歩。夕方、六浦駅周辺を散歩。1月13日(火)ジュン元気が無い。福浦へ車で散歩。手羽元は食べる。1月14日(水)薬を10日分医院へ。ヘリ基地へ車で。散歩1月15日 (木)雨 散歩中止。ジュン、ストーブの前に陣取るようになる。1月16日 (金)福浦ヘリ基地を散歩。ジュン食欲旺盛。1月17日 (土)福浦ヘリ基地へ。SDカリカリを購入。1月18日 (日)釣り例会。帰宅後、ヘリ基地・岸壁を散歩。1月19日 (月)小水多便。ヘリ基地では100m位でストップ。 食は旺盛。砂肝2.5羽分。1月20日 (火)ヘリ基地へ。抱いて散歩。食欲旺盛。多便。砂肝2.5羽分1月21日 (水)雨、散歩中止。食旺盛。多便。1月22日 (木) 朝、SDカリカリ+肉缶。夜、砂肝3羽、手羽元2本。 腹水でお腹が異様に膨らんでいるので24日に処置する ことで医院と話。1月23日(金) 雨で散歩は中止。食欲は旺盛。1月24日(土) 9:15 入院-腹水抜水。16時頃迎えに。 腹水中に出血が見られたので、エコーで調べたら 腫瘍らしき影と、空洞が認められるとのこと。 万事休す。しかしジュンは元気!帰宅後、SDカリカリ 1時間後砂肝も食べた。1月25日(日) ヘリ基地へ。フリースケットで抱いて1週。 腹水が流れ出るので、医院へ相談。明日止まっていなければ 処置することに。 砂肝3羽分ぺろり。今思えば、私はアホな飼い主だった。病の愛犬を散歩に連れ出すなんぞ。ジュンの歓心を得んがために・・・腹水が溜まるのは投薬の副作用だったのでは?「闘病記」の最後に反省を記したい。以下、闘病記7へ
2015.03.16
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2013.1.5 金沢七福神巡りで。シーサイドラインのホームにてジュンへのお守り、ジュンからのお守り数年前、ネットで「ペットお守り」が売られていることを知った。「お守り」は買うとか言ってはいけないそうで、私も縁起物ゆえ違和感を感じていた。「授かる」と言わなければならないそうで。お守りは「気休め」と言っては身もふたもないが、「神は自ら助ける者を助く」というのは真実だろう。いつだったかは忘れたが、ジュンを連れて遠征散歩を兼ねて自宅から鎌倉の鶴岡八幡宮まで授かりに出かけた。行きは釜利谷の山を登り鎌倉天園まで、授かってから帰りは電車。いつも散歩バッグとハーネスに付けていた。ジュンのおかげで色々なところに出かけた。今はジュンから私へのお守りを首に提げている。
2015.03.15
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2013.1.3 ジュンの闘病記 5投薬を始めてから二ヶ月。薬の副作用だと思うが、ジュンのお腹が膨らみ腹水が溜まりはじめたようだ。それでもジュンは朝晩ご飯を食べてくれ、薬も大人しく飲んでくれた。17:30頃帰宅の日々。ジュンは相変わらず散歩を要求。私は晩ご飯前の散歩では腹が空くので、菓子パンを食べてから。ジュンもご相伴。特にメロンパンが好きだった。それも、底周りの堅くて甘い部分だけ。食べてくれるのはいつにも増して嬉しかった。散歩コースは次第に短く、車で夜のヘリ基地横丘に向かうことが多くなってきた。以下 闘病記5へ***********************************ジュンは心の中を読み取る天才だった。私が暗い気持ちを抱いているのは良くない。あえて、アホになり陽気を装うようになった。それでも不安がよぎる。「早く良くなってまた鎌倉天園へいこう。」と抱き上げる。留守番中も暖かく過ごすために、ベッドの大きさに合わせたホットカーペットを購入し、下に敷いた。年末、4回目の検査に医院へ。H26.12.27 血液生化学検査GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 → 111U/L 117(11/24) ←97U/L(10/25) ←43U/L(9/26)GOT/AST(肝障害 筋肉の壊死)17~44 → 27U/L1 29U/L1(11/24)← 52U/L1(10/25) ← 52U/L1(9/26)GPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 68U/L 29U/L (11/24)← 88U/L(10/25) ← 88U/L(9/26)ALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1309U/L 1248U/L(11/24) ←1597U/L(10/25) ←1591U/L(9/26)CRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 1.8mg/dl 1.8mg/dl (11/24) ← 1.7mg/dl(10/25) ←9.26は7mg/dl(9/26)投薬を始めてから三ヶ月。 効用はほとんど認められない。ネットで犬の肝障害の項目を調べる日々。「ニカショウ」というハーブを見つけ、獣医に相談。獣医は納得してくれ、また漢方の「小柴胡湯(ショウサイコトウ)」も紹介してくれ、年末年始の救急連絡先を教えてくれた。ジュンに、「がんばるね-」とかけられる声は、治る見込みが無いように聞こえた。小柴胡湯については人用であり、帰宅後調べたが投薬は辞めた。せめてもの慰みは毎朝晩、食事を摂ってくれること。ジュンの腹水は次第に大きくなり、歩行が困難になってきた。長時間散歩は無理だが、毎晩車で好きな福浦のヘリ基地丘へ。岸壁で夜釣りをしている人たちの様子を見ながら足を延ばしたことも。ある晩、「2日前に亡くして泣き明かした。」という、初老の釣り人に声をかけられた。以下、闘病記6へ
2015.03.15
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2013.1.3 横須賀・貝山公園ジュンへの狂犬病予防接種通知ジュンへの狂犬病予防接種の案内が届いた。例年ははがきだったが、今年は封書。いつも届くたびに、小学生の頃の「コロ」を連れて行くときのことを思い出し笑いして、回想にふけっていた。私自身が幼い頃、母が予防接種で連れ出すために嘘をついて外出しようとしたとき。コロとジュンと私を較べていた。ジュンは素直だった。あのころの私とコロはひたすら逃げた。コロは直感で前年の予防接種の時を思い出したに違いない。コロをなだめすかして、会場の小学校の前まで来たときひたすらに帰ろうとする。ぎゅっと抱きかかえ、はがきを出して順番を待つ。ジュンはけろっとしていた。それでも、晩年の数年は注射針が刺さった瞬間は悲鳴をあげるようになった。今年はもうない。
2015.03.14
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2014.1.4 向こうがヘリ基地 ジュンも私も海が眺望できるここが好きだった。それでもその頃のジュンは、まだまだ連日散歩を要求してくるほど元気だった。休日には急坂は抱っこしながらも、大楠山へ出かけたくらいである。以下 闘病記4へ************************11月24日、3回目の検査に医院へ。 今度こそ。H26.11.24 血液生化学検査GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 →117(悪化) 10.25は97U/L 9.26は43U/LGOT/AST(肝障害 筋肉の壊死)17~44 →29U/L1 (良) 10.25は 52U/L1 9.26は 52U/L1 改善GPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 43U/L (良) 10.25は 88U/L 9.26は 88U/L 改善ALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1248U/L 10.25は 1597U/L 9.26は 1591U/L 改善CRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 1.8mg/dl 10.25は 1.7mg/dl 9.26は 7mg/dl 投薬を始めてから二ヶ月。薬の副作用だと思うが、ジュンのお腹が膨らみ腹水が溜まりはじめたようだ。それでもジュンは朝晩ご飯を食べてくれ、薬も大人しく飲んでくれた。17:30頃帰宅の日々。ジュンは相変わらず散歩を要求。私は晩ご飯前の散歩では腹が空くので、菓子パンを食べてから。ジュンもご相伴。特にメロンパンが好きだった。それも、底周りの堅くて甘い部分だけ。食べてくれるのはいつにも増して嬉しかった。散歩コースは次第に短く、車で夜のヘリ基地横丘に向かうことが多くなってきた。以下 闘病記5へ***********************************以前からちょくちょく訪問させていただいていた「Photo USMさん」のブログ。Wander Photo Life Photo USMさんのブログ 中国の写真を興味を持って閲覧させて頂いておりました。今日は「あー!」という記事が書かれていた。愛犬ホープ君の嘔吐。奥様の看病、ホープ君の看病。USMさんが、気丈に希望を持ち続けられることを祈ることしかできない。* コメント欄がないので諒解も得ず、写真も張らせていただきました。お許し下さい。
2015.03.13
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2013.5.18愛想のいいジュンジュンとの散歩では、臭い取りやら排泄、マーキング歩速の違いでリードでは不便を感じるようになってきた。それで、散歩コースを長くするようになってから伸縮リードに換えた。ジュンは同類のおいぬ様より人が好きなようで、犬好きの人が関心を持って呼ぶと、尻尾をふりふり飛びついていく。そんなときはストッパーを外してリードを伸ばす。あるときは学校か塾帰りの小学生がジュンを見つめ無言でジュンを抱き上げたことがあった。私は不気味さを感じ、また挨拶無しの行為に少し腹が立ったが、しばし抱きしめるのを容認した。また、足をのばして追浜のアーケードを散歩しているときは前方から来る少し知的障害があるのかなといった男性が両手を左右に広げて通せんぼをする。それで私にジュンを抱かせてくれというサインを目で送ってきたこともあった。ジュンを連れて駅で定期券の更新をしているときにはいつのまにか後ろでしゃがみ込んでジュンを相手している太めの女性がいて、気がつけば「可愛いですね」と挨拶してくることもあった。ジュンは見知らぬ人たちと私の間を潤す、かけがえのない存在だった。平日日中は孤独にさせてしまった。その反動で人恋しかったのかも知れない。
2015.03.12
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2014.01.13ジュンの闘病記 3私はまだまだ楽観的だった。しかし、獣医は「肝障害治療は難しい」と・・・このとき、彼は恢復は不可能と察していたのかも知れない。以下 闘病記3へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一ヶ月、投薬を続けて、10月下旬にまた検査を受けようと5日分乃至10日分の薬をもらいにジュンを連れながら通院した。1回目の検査後はなかなか食事を取らず、悩まされた。食事を取らずに薬だけでは余計悪化するかも知れないから。特に好きだったオヤツ類。ささみのジャーキーはあまり食べない。砂肝ジャーキーを細く切って与えたら食べる。ステーキ肉を焼いて与えたが食べない。スーパーで砂肝を買い、4mm位にスライスして焼き、甘だれで仕上げ、与えるときは甘だれを私が軽く舐め取り、これを与えたら2-3羽分を食べるようになった。次第に食が進むようになり、たまに「チキンの肉缶13歳以上用」も一握り食べるようにはなった。連日、砂肝ではさすが飽きる。もも肉や手羽元を炒めたり煮てほぐして与えた。ジュンは手羽元の軟骨がとりわけ好きなようだった。10月25日、再検査に医院へ。H26.10.25 血液生化学検査GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 → 97U/L 9.26は43U/L・・・悪化GOT/AST(肝障害 筋肉の壊死) 17~44 → 52U/L1 9.26は 52U/L1・・・変わりなしGPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 88U/L 9.26は 89U/L・・・ほとんど変化無しALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1597U/L 9.26は 1591U/L・・・悪化CRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 1.7mg/dl 9.26は7mg/dl これは若干改善薬効が効かないのか?獣医は「薬が効いていないのかあるいは進行を抑えているのかは判断できない。」と話す。私も分からない。誰も・・・ただジュンの罹病とその治癒への責任は私にある。獣医の話には納得した。その理由は、6月頃からジュンに白内障進行防止剤ライトクリーンを朝晩、点滴していたからである。それでもその頃のジュンは、まだまだ連日散歩を要求してくるほど元気だった。休日には急坂は抱っこしながらも、大楠山へ出かけたくらいである。以下 闘病記4へ
2015.03.11
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2012.11.17寂しさを紛らわす一つの手段。ジュンとの楽しかった思い出が多すぎて、ブログを書くのにあれもこれもと、頭の中が混雑している。ジュンがいる生活の中で、最高に感激したことは数多くの思い出の中で、なんだろう?・・・・ジュンが伊豆で犬かきで泳いだこと。伊豆富戸のカワハギ釣り 2009.08.06今は亡き釣りの大先輩IZTさんに、彼が若い頃から通った伊豆富戸へカワハギ釣りに誘われた。彼もかつて犬を飼っていて、私のジュンにもお気遣いいただき、ペット宿泊可のペンション(IZTさんは先代からの上客)から仕立て船へのジュンの同乗の諒解まで手配していただいた。富戸へ向かう車中、いろいろな話をした。「昔、蛸がバカ釣れしたときがあり、愛犬に与えたら、もっともっととせがまれ、与えすぎて病院へ」・・・「高くついた」「大手の輸出入業務の下請けをしていたが、会社の解散を余儀なくされ、社員への退職金などをせしめたこと」「若い頃は登山をしていたこと」趣味が似ていて話が弾んだ。・・・・・・・ペンションに到着したら、好奇心旺盛なジュンは勝手に1Fを駆け回る。他の客はなくペンションの夫婦も大目に見て下さった。翌日はペンションの主人とIZTさん3人とジュン。漁港に向かう。リードをつないでいれば、こんな「奇跡」には遭遇しなかった。ジュンを陸に残し、まずタックルを船に積み込む。船のオオトモ寄りに降ろしているとき、ペンションのご主人が「ジュンちゃんが海にはまった!」 と。私の後を追い、跳び乗ろうとして落ちたのか?気が動転し、不安を抱いてジュンを探しに戻る。頭の中では「腹打ちして、気絶?!プカーンと浮かんでいる光景を浮かべた」私自身小学生の頃プールに飛び込み、よく腹打ちして痛い思いをした経験があったから。船縁からジュンを探したら、なんと犬かきで岸壁に向かって泳いでいる。これが一つ目の感動しかし船べりから海面は、はるかに深く手が届かない。岸壁にたどり着いても高さが2~3mあるので陸に上がることはできない。海に飛び込もうかと思っていた矢先、船長が「たも網ですくってもいいか」 と。「お願いします。」と平身低頭、お願いする。しかしジュンは船首の先を泳いでいる。無我夢中でジュンを呼び寄せてみた。「ジュン、こっちにこい!」ジュンはUターンしてこちらに犬かきで向かってくる。ジュンはこんな状況でも、冷静に私の声を聞き届けていた。これが二つ目の感動。ジュンへの最高の思い出。
2015.03.10
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2014.1.13 釜利谷にてところが昨年9月中頃から、吐瀉物はないのだが、吐く仕草の回数が目立つようになり、ようやく獣医の門をたたいた。以下、闘病記2へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ1ヶ月ぐらいで治癒するだろうと、ノー天気に考えかかりつけの動物病院へ診察に出かけた。H26.9.20 診療費明細から 1.皮下注射、点滴 2.血液一般検査・CBC 3.血液生化学検査 4.X線検査 5.超音波断層検査(産科領域を除く) 6.内服薬朝一に出かけ、夕方ジュンを引き取りに。21項目からなる血液生化学検査表を示され、以下の5点の指摘を受けた。GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 → 43U/LGOT/AST(肝障害 筋肉の壊死) 17~44 → 52U/L1GPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 89U/LALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1591U/LCRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 7mg/dl獣医からは困った顔で、もっと詳細に検査するにはCTスキャンが・・・近いところではマーサ動物病院に装置があるが、麻酔を・・・ジュンの年齢と、この検査結果では麻酔をかけた途端・・・私が麻酔を怖れていることは、ジュンが抜歯した頃から彼は承知のはず。しばらく投薬して、1ヶ月後再検査をお願いします。私はまだまだ楽観的だった。退室するとき、獣医は「肝障害は難しい」と・・・このとき、彼は恢復は不可能と察していたのかも知れない。以下 闘病記3へ* 昨晩はしっかり寝た。玄関でジュンがお出迎え。 夢を見た。 夢の中で、これは夢だとわかっているが、いつまでも続いてほしかった。
2015.03.09
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2013.6.9 海の公園にてジュンがまだ仔犬だった頃。食卓の向かいに椅子から跳び乗って、私と目線を水平に合わせた。しばし目を合わせた後、「これ、そこに乗ってはだめ。」と手を伸ばそうとしたら、目を合わせたまま横飛び。「へへーん。捕まらないよ。」小憎らしくも、可笑しかった。そのとき、昔のある事柄を思い出した。有楽町で降り電子機械工業会の会合に向かう途中、英会話の勧誘をしている女性がチラシのはがきを差し出した。「まあ、受け取ってやるか。」とはがきを取ったら、彼女は魚を釣るように、はがきを離さず私を引き寄せる。え!?しばらく勧誘の話を聞き、さよならした。イヌは飼い主に似る―あなたとイヌのいい関係22の法則 (王様文庫) 文庫 – 2002/9 利岡 裕子 (著) 今ではアマゾン・マーケットプレースで¥1で出ています。表紙裏扉には「おどろいたことに飼い主の方が、犬に合わせて自分を無意識に変えて、愛犬と寄り添っていることもあります。いったい、なぜ犬はこんなにも人に影響されるのでしょうか?あろうことか人までも、愛犬に影響を受けるのはなぜでしょう?」ジュンのおかげで些細なことに苛つくことは無くなった。知的障害児(とはいっても20歳前後)のプールでの介添えボランティア(昨8月に退いた。)も、ジュンがいなければ4年間も続けられなかっただろう。
2015.03.08
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はじめに私の気まぐれ更新ブログを閲覧していただいている、「かぜにはるる」様にお礼申し上げます。早々と愛犬ジュンの絵を描いていただきました。正式なご了解を得ておりませんが、プリントアウトし、お骨とともに飾っております。一筆一筆の線がジュンの様々な表情の記憶を呼び覚まします。来年の納骨の時に添えようと存じます。重ねてお礼申し上げます。「&#私の生きる道2&#&」かぜにはるるさんのブログです。闘病記1 徴候今思えば、あのとき医院へ診察に出向けば、まだ救われたかも知れない。2年ぐらい前の休日長距離散歩の時のこと。レギュラーコースの大道から山道~釜利谷緑道~金沢文庫駅に向かう途中、農協横の有人野菜販売所で柿やら野菜を買った。店のおばさんとハクビシンが家の天井を荒らすとの話などを伺っている間、新たにお客さんが来て私に、「わんちゃん、震えているよ」と。一時的な震えで、その後は治まってしまった。その後も何回か「震え」が起こることがあったのだが、歳のせいだろうと安直に受け止めていた。ところが昨年9月中頃から、吐瀉物はないのだが、吐く仕草の回数が目立つようになり、ようやく獣医の門をたたいた。以下、闘病記2へ2014.3.3 ジュンは「不二屋のホームパイ」が好きだった。 袋を開けても喜ばない。自分で袋を破って舌で吸い取ることが好きだった。飽きたときにはベッドの下へ、へそくっていた
2015.03.06
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今年の年賀状は久しぶりにジュンの写真を貼り付けた。そして、愛犬家バカ丸出しのコメントを添えた。 「 愛犬は今年14歳になります。犬年齢では私を超えたかな?老々愛護で、休日には金沢/横須賀/逗子/鎌倉/三浦半島をいたわりながら、ゆっくり・ゆったりウォーキングしています。 」年賀状の原稿を創っているときは、こんなに早くジュンとの死に別れが来ようとは夢にも思わなかった。この数年は、長距離散歩時の長い階段の上り下り、盛夏で地面が熱くなる時間帯は日陰を選び、また抱いて散歩した。昨9月頃から投薬を始めてからも、ジュンの恢復を信じて大楠山にも出かけた。朝晩、薬を飲ませるときには、ノー天気に「早く良くなって、また鎌倉天園へ行こう。」と、楽天的なことを自らにも言い聞かせていた。ジュンはごはんより、おやつより何よりも散歩へ私を駆り立てた。ジュンから私への「老々愛護」だったのかもしれない。いまはジュンとの明日がなくなり、ただただむなしい。2012.11.25 釜利谷西 関東学園横の長い階段上にて
2015.03.04
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H23.3.19 BW:5.1Kgこの年の秋には大手術が・・・・3へ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011年のある日、本屋で立ち読みをした。イヌを長生きさせる50の秘訣 危ないドッグフードの見分け方とは? 肥満犬を走らせてもやせない理由は? (サイエンス・アイ新書)その中に乳腺腫瘍の項目があり、あわててかかりつけの獣医にとんだ。以前からジュンのおなかを撫でると、シコリがあったからである。H23.9.23 BW:4.8Kg (体重)手術で除去することになった。乳腺は血管が集中しており、はなはだ困難な手術らしい。母乳が血管を通り乳房に蓄えられることが良く理解できたが・・・医師との話でいで、再発を避けるためにも子宮も摘出することにした。H23.10.1 手術 血液検査、レントゲンジュンを入院させた当日はこんなブログをアップしている。 [ポカーン] 2011.10.01 退院するまでには [愛犬ジュン] 2011.10.3 短い間なのだが、待ちにまった退院日 [大切な家族の退院] 2011.10.4 エリザベスカラーをつけざるを得ないジュンは可哀想だが、それでも散歩に出かけた。手術後の抜糸は1回では治まらず、15日に終えている。私の父の7回忌を控え、名古屋に帰るので、ジュンとお風呂に入りシャンプーしたことも記されている。 [ジュンが呼ぶ声] 2011.10.20 腫瘍の検査結果も良性でホッとしている。この先、定期的に健康診断をしていれば・・・・と、今は後悔している。H24.8.25 BW:4.5Kg 内服薬 とある。H24.9.10 BW:4.55Kg ユニバーサル・メディケート・シャンプー と記されているので、皮膚病だったのかも知れない。 ジュンの健康手帳から 3 (終わり)ジュンの闘病記へつづく。2013.6.8 野島公園にて アサリ獲り
2015.03.03
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投薬3ヶ月になるが改善の徴候なく、それでも観音崎公園の山の中を散策H19.2.8 歯の検査 BW:5.05Kg 自宅で歯垢・歯石をチェックしたら右犬歯ががたつくので 慌てて診療に行く。要抜歯になってしまった。H19.3.1 抜歯:犬歯と前臼歯2本、歯石除去 その後、犬用の歯磨きガム「グリニーズ」の存在を知り、 毎夜就寝前に夜食として与えるようになった。 いまでは無麻酔で歯石除去できるようになっているようだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この手術の記事は「ジュンの抜歯手術」 に記した。H19.5.26 フィラリア検査 BW:4.55KgH20.5.27 フィラリア検査 BW:4.42KgH20.11.5 皮膚 アカルスH20.11.13 皮膚 アカルスH20.11.20 皮膚 アカルスH20.12.10 皮膚 アカルス 完治このいきさつは「ジュンの脱毛 イヌニキビダニ症」 に記してある。当初は人の軟膏を塗っていたが、症状が改善されないのでかかりつけの医院へ。その場で患部に器具をこすりつけ、顕微鏡で見せてくれた。帰宅してからネットで調べたら、不治の病!?ジュンは幸い完治した。H23.3.19 BW:5.1Kgこの年の秋には大手術が・・・・3へ続く
2015.03.02
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2012.11.25 大道から釜利谷への山道でジュンの散歩デビュー ジュンにはできるだけ言葉を掛けるよう心がけた。ジュン、ごはん。ジュン、散歩に行こう。ジュン、車道に出ちゃだめだぞ。ジュン、こっちに行こう。・・・・しかし、しつけについてはトイレだけ。お手やお座り、伏せなどなにも教えなかった。芸なんぞは不要である。散歩は本来朝夕の2回が望ましいが、仕事があるので帰宅してからの夜しか連れ出せなかった。仔犬の頃は近隣を20-30分。ジュンは出会う人、誰にでもしっぽを振って愛想を振りまく。関心を引こうと誰にでも尻尾を振る。あるときは、おばさん否、妙齢の女性から「あなた、気をつけていないと、このわんちゃん誘拐されてしまうよ」と、注意を受けるぐらいだった。また、「これでは番犬にはならないわね」と、古くさいことを言われたこともある。最寄り駅方面へのショートコース散歩では、仕事帰りで疲れてむすっとした顔をした人たちが、愛想を振りまくジュンを見てニコッと顔付きを変えるのが私には嬉しかった。ジュンも同じだったと思う。20150225記
2015.02.28
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2012.12.9 福浦ヘリ基地の丘でおよそペットという存在は病を訴えることはできない。飼い主は目に見える外傷などには対処できるが、体内疾患については、うんちやおしっこで判断するぐらい。ただし嘔吐した場合はビビって獣医に行くか電話で相談する。ここまで書いて人間も多くの場合、自分が病に罹っていることに気がつかないことが多い。・・ことに気がついた。私自身もう10数年健康診断なんぞはしていない。ん。ジュンとの生活が始まってからは健診は不要だった。ジュンとの散歩のおかげで、風邪とかもあまりひかなくなったし、医者にかかったのは昨春の歯医者ぐらい。さて、かかりつけの動物病院からいただいた健康手帳に簡単な「健康管理メモ」が残されている。ジュンの健康管理履歴をこのブログで再整理記録しておきたい。H14.2. 埼玉県比企郡にて茶の母から生誕(父が黒みたい)H14.4下旬 私のところへH14.5.11 2回目のワクチン注射で近所の獣医さんへ BW:1.95KgH14.8.31 狂犬病接種とフィラリア検査 BW:3.2Kg *BW:体重H14.10.12 股関節レントゲン検査 BW:3.3Kg これは部屋でぴょこたんして歩行したため、驚いて受診したもの。H15.5.31 ワクチン接種とフィラリア検査 BW:3.95KgH17.6.4 ワクチン接種とフィラリア検査 BW:4.25KgH18.2.22 歯石除去 ある愛犬家から「麻酔」を受けたらそのまま逝ってしまった。 という話を聞いていたので、念押しして除去していただいた。 犬用歯磨きは購入して不定期にしていたが、いやがるのと 口が小さく内側は私の指が入りづらいので・・・H18.8.2 フィラリア検査 BW:4.85KgH19.2.8 歯の検査 BW:5.05Kg 自宅で歯垢・歯石をチェックしたら右犬歯ががたつくので 慌てて診療に行く。要抜歯になってしまった。H19.3.1 抜歯:犬歯と前臼歯2本、歯石除去その後、犬用の歯磨きガム「グリニーズ」の存在を知り、毎夜就寝前に夜食として与えるようになった。いまでは無麻酔で歯石除去できるようになっているようだ。以下 次回2へ
2015.02.28
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2014.3.8小学生の頃、雑種の犬を飼っていた私は「夜泣き」することはよく分かっている。ジュンも私も1日だけの忍耐と夜泣き。さて、ペット可のマンションでの初日は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰途してから何をどうしたのかはよく覚えていない。カリカリご飯をお湯でふやかし与えたはずである。ケージ内にはトイレ用のプラトレイにペットシーツを敷き、ベッド代わりのブランケットも横に置いたと思う。今夜はジュンの夜泣きで寝不足になるだろう。ボチボチ寝る時間。ジュンをケージに入れると外に出たがり、ピョンピョン跳び上がる。80cm近い高さがあるのだが、ひょっとすると飛び越えるかも知れない。ジュンは居間のケージに、私は寝室へ。・・・すぐに悲しそうに泣きはじめる。私はといえば、母犬・兄弟犬と引き離した後ろめたさが襲ってくる。甲高い鳴き声で近隣からクレームが来るのも不本意である。小学生の頃の「コロ」は夜通し泣き通した。 翌日は隣家のおばさんから嫌みを言われた記憶がある。えーい! 抱き上げて寝室に連れてくる。私はベッドに横になる。ジュンは簡単にベッドに跳び乗る。猫ではないが、布団の中に抱き入れた。背中を向けて眠り始めたら、ジュンは私の背中に体を寄せて寝入る。親兄弟から引き離され、ぬくもりを求めて体を寄せる。せめてもの私の罪滅ぼし。その日から13年のジュンとの生活が始まった。このペット可のマンション占有部はジュンの犬小屋となった。なにせ、私がいる時間よりジュンが留守居する時間の方が長いのだから。20150225記
2015.02.27
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まだジュンはそばにいるような気がする。独りで部屋にいた方が平静である。人と話をすると思わず嗚咽し、言葉が出ない。孤独感はむしろ3年前のジュンの大手術で10日ぐらい入院したときの方が大きい。昼過ぎ、ジュンを乗せてペットセレモに向かう。職員の方にあらためて説明を受け、祭壇の前で焼香。火葬の間、写真が飾られた多くの納骨棚を見学し、遺族が残したノート(子供達のメモ・画が圧倒的)を見たり・・・変わり果てたジュンの遺骨を骨壺に納め、またお守りにと求めた骨ペンダントに残った歯や小さな骨を納めた。動物病院へ死んだ旨とお礼の電話を入れ、鈴木さん宅に向かう。ジュンの先輩、ドンちゃんが出迎えてくれる。当年16歳。「ドン」という名の由来は飼い主のお母さんがクリスチャンだから。白内障と耳が遠くなっている。が、元気。「骨壺は?」と言われ、運び込んで線香をあげていただいた。横は私が言い出して、初めて野島に潮干狩りしたときの写真。ジュンが鈴木さんの前に陣取っている。鈴木夫人は今日は勤務で不在。それでも私の事を気遣っていただいていることはひたすら感謝。2時間ほど滞在してジュンと一緒に帰宅した。
2015.02.25
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眠れない。もう20年近くになるが、母の葬儀の時は伯父たちはお棺の周りに横たわり夜を明かした。(実家で葬儀をした。)ジュンは私のそばで眠っている。おきてくれれば・・・ウイスキーのお湯割りは10杯目。眠れないので、ジュンという宝を得るまでのいきさつを昨日の続きでUPします。20150225・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、それなら私が断ってやるから連絡先を教えて・・・ブリーダー:1日だけ待って。で、私のジュンの略奪婚は始まった。・・・・・・・・・・・・・・・・先にジュンを見つけた大阪の愛犬家。航空便で送ってほしい。ペット取引のホームページでは航空便での送致はよく見かけた。しかし、ジュンのブリーダーは航空便での送りつけには抵抗感があったようだ。翌日「そちらに譲り渡します」との連絡をいただいた。メールではネット上とは別の写真も送付してくれた。2001年4月頃だったと思う。引き取りはゴールデンウィークにしたいと、前受金を振り込んだ。3ヶ月くらいは親犬と一緒にいてほしい。(できれば、しつけもね)大きめのケージ、ペットシーツとそのトレイを買い込む。いよいよ引き取りに向かう日、NGSさんに同行を依頼した。横浜から埼玉・比企郡までは随分時間がかかった。ブリーダーさんは豪邸。ジュンとその親犬・兄弟犬(雄1)は人懐っこく大歓迎で出迎えてくれた。しばらく四方山話。ブリーダーさんは同年配かちょっと上。自動車部品会社の営業部長をしていたが、リストラで退社した。ワクチン注射はできるが、資格がないので違法だしと尻込みするが無理強いしてお願いした。同行していただいたNGSさんは機転を利かして「母犬の臭いのついているタオルか何かがあったらいただけませんか」と依頼してくれたが洗濯してしまった後。ご飯はサイエンスダイエット。カリカリご飯は水かお湯で軟らかくして与えて下さいと数日分をいただいた。後部席に座るNGSさんにジュンを預け、さあ横浜へ。高速に乗り帰途を急ぐ。「ワー!」・・・・テッシュ、ティッシュとNGSさんが騒ぐ。車酔いでジュンが嘔吐する。ブリーダーが別れを惜しんで餌を与えすぎたんではという。今思えばその場でワクチン注射を依頼したのが原因だったのかも知れない。結果、ボックスティッシュはすべて使い切り何とか帰り着いた。小学生の頃、雑種の犬を飼っていた私は「夜泣き」することはよく分かっている。ジュンも私も1日だけの忍耐と夜泣き。さて、ペット可のマンションでの初日は・・・続く。2012.11.17 横須賀・立石公園駐車場にて
2015.02.24
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