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『待つということ』(鷲田清一、角川選書)相当以前から、読みたい本のリストに揚げていました。たまたま先日、ブログ友のけん家持さんのブログにこの本のことが登場したので、思い出して読みました。様々な局面の「待つ」が紹介されているほか待つことの時間経過による気持ちの変化について述べられてあるのは、新鮮でした。というのは、いろいろな“待つ”については当然ながら思いをいたすことはあるのですが“ひとつの待つ”にも、時間とともに変化するということについては考えたこともなかったから。やや理屈っぽくて読みにくいヶ所もありましたがとにかく最後まで読みました。そして驚いたことに巻末の最後の数行に待つことのすべてが凝縮されている文章に出会いました。以下に引用しておきます。 死の訪れを静かに待つひと、恋文の返事をじりじりと待つひと、バスの到着をいまかいまかと待つひと、合格発表を心細く待つひと、故国へ帰還する日を心待ちにするひと、刑期明けを指折り数えて待つ囚人、犯行少年の更生をじっと見守るひと、一年間一日も欠かさず張り込みをした刑事、ウェイター、棋士、釣り師といった文字通り〈待つ〉を仕事にしているひと・・・・・・。 そして、そのひとたちがたぶん例外なしにくぐり抜けてきた〈待つ〉のさまざまな局面。待ちこがれ、待ちかまえ、待ちわび、待ち遠しくて、待ち伏せ、待ちかね、待ちあぐね、待ちくたびれて、ときに待ちきれなく、ときに待ち明かし、待ちつくし、やがて待ちおおせぬまま・・・・・。 〈待つ〉のその時間に発酵した何か、ついに待ちぼうけをくらうだけに終わっても、それによって待ちびとは、〈意味〉を超えた場所に出る、その可能性にふれたはずだ。実は我がブログに「待つということ」について書くのはこれが三度目になります。最初は六年前→ここ二度目が三年前です。→ここ
2013/08/24
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知人のブログでロシアの推理小説家ボリス・アクーニンのことを知りました。面白いと紹介してあったので早速図書館の蔵書検索そして見つかったのがこの本作者は日本にも留学したことのある日本文学研究者で、三島由紀夫など現代の日本の小説をロシア語に翻訳して紹介している人物だという。筆名の“アクーニン”は日本語の“悪人”から採ったというからその茶目っ気が面白く何やら好感が持てるではありませんか。小説の主人公はエラスト・ファンド―リンという探偵既にこのシリーズでは7作を出版しておりロシアでは空前のブームを引き起こしているそうです。たまたまボクが読んだ「堕ちた天使-アザゼル」はそのシリーズの第一作でした。肩の凝らない推理冒険小説暑いときに寝そべって読むには最適です。
2013/07/19
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昨夜11:30に家を出て娘夫婦の車で千葉へ。4日に義母の七回忌がある。大した渋滞もなく休憩を含めて7時間半で千葉に到着ば。庭の植木の剪定をして、湊かなえ「夜行観覧車」を読んだ。夕方からスーパー銭湯に行ってマッサージをした。かくして一日が終わった。スマホからのブログ更新に悪戦苦闘。
2013/05/03
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先日、電車の中で時間つぶしに読んだ週刊誌に次のようなインタビューの記事があった。スペシャルインタビュー「舘ひろし」人生50歳からが面白い舘ひろし、名前くらいは聞いたことがあるが良くは知らない。今年63歳になるそうです。インタビューで舘さんが語っていることがとても興味深く、また共感するところも多い。以下に抜粋してみます。一見無駄に見える遊び心を失っちゃだめだよ(見出し)《前略》「人間は弱くて危ういものだと思うんです。でも、社会は無言のうちに効率や完壁さを求めるようになっている。だから、みんなが息苦しくなる」では舘にとっての遊びとはなんなのだろうか!「不確実なもの、不安定なものを楽しいと思うことかな。僕が面白いと思うものはたいてい不確実で不安定。馬の考えてることはわからないし、ゴルフは思い通りにいくことなんてないし、ラグビーはあの楕円のボールがそもそも不安定でしょ。 それに、人は揺れているもののほうが気になるんですよ。不安定なものこそ見たがる。じつとしている人形よりも、弥次郎兵衛が気になる。ハラハラするサーカスを観る。ジェームズ・ディーンに惹かれるのは、いつも芝居が揺れているから」《中略》「無駄に思えることを、もっとやってみるべきだと思うんです。それが予想外の刺激を生んでくれたりする」《中略》「こういうことこそ、実は僕らの世代が得意だったはず。信長の時代なら50歳が寿命です。それがいまや50歳からでもどんどん世界が広げられる。だったら楽しまないと。一見無駄に見える“遊び”への飢えと感覚を、これからもずっと持ち続ければ、面白い人生を送れると思う」恋をするだけで日常を変えられる(見出し)そんな舘が、人生に煮詰まってきた同世代に勧めるのは、「恋をすること」。気になる女性ができれば、男だって素敵になろうとする。これが変化を生み出すはずだ、と力強く言い切った。「男女の関係になるならないは、どっちでもいい。恋をするだけでいいんです。ただし、奥さんには内緒(笑)。バレないようにするのも、楽しかったりするんだから(笑)」以下は蛇足です(笑) 夫婦では同じ趣味を持たないようにするべきだ、が持論。“夫婦は一緒にいる時間を長くしたほうがいい”という意見には懐疑的だ。夫婦の会話も意識的に減らす。そのくらいの距離感が、夫婦円満をもたらすのではないかと笑う。「日本の女性は世界一優秀だと思う。昔、女子が“半歩下がれ”と教育されたのは、優秀な女子が下がってくれないと、男が前に出る幕がなくなるからじやないかと僕は思っているんです。ところが今は、半歩下がってはくれないでしょう。元々女性が強いんだから、こうなると男は勝てるはずがない(笑)。 西洋は逆。狩猟民族ですから、圧倒的に男が強い。獲物がなければ女、子供は死ぬ文化でしょ。レディファーストは、女性が本当に弱いから生まれた概念です。 ところが、日本は農耕民族。考えてみれば女性でも畑なら耕せる。男がいなくても生きられることに気付いた女子は男を見下す。だからそれを戒めるための“半歩下がって”だったのにそれがもはや機能しないんだから、男は辛いね。 全ての男性は、今後は熟年離婚に備えながら生きないといけないね(笑)」「週刊現代(4月6日号)」
2013/04/29
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太宰治「パンドラの匣」を読みました。ただし、パソコンで読んだのでこれが読書と言えるかどうか。(笑)一時代前の雰囲気が伝わる小説です。でも楽しく読めました。読むに至ったきっかけはブログ友のけん家持さんのブログパンドラの丘というのは何?この小説との関係はどうなのか?すべてはこのブログに詳しい。「パンドラの丘」
2013/03/01
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南方熊楠「十二支考」を読みました。正確にいえば、読みかけて途中でやめてしまったというのが本当のところです。上巻の半分くらいまでは読んだのですが知らなかった話が多く、半信半疑の内容もあり作者の博識ぶりもまた好ましく面白いことは面白いのですがなぜか読みすすみにくい、というわけで無理しても読むほどのこともあるまいと途中であきらめてしまったのです。決して本が悪いということではなくボクの理解力不足が原因なのです。読みにくい本を無理して読むのは止める仕方ないですね。
2013/02/07
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高峰秀子さんが女優であることくらいは知っている多分出演した映画も何本か見ているはずでも生い立ちとか個人的なことは何も知らないもちろん本を書いていることも知らなかった。この本を読んで彼女の生い立ちや私生活のことが垣間見られて高峰秀子という女優さんはこんな人だったんだとその一端がわかって少しうれしかったですねえ。
2013/02/01
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一昨日のブログに書いたロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ「悪党」を読み終えました。このシリーズ、相当のブランクがありあましたが読み始めるとスーザン、ホークとおなじみの登場人物が懐かしく楽しく読み終えました。
2012/12/19
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ロバート・B・パーカーの本を読んだという知人のブログを見て、ボクも急に読みたくなり図書館にリクエストをして2冊借りました。スペンサーシリーズを夢中になって読んだのは現役の頃の通勤の車中。あれから15年ほどご無沙汰。昨日の山歩きの行き帰りの車中で読んで面白さを思い出して夢中になり帰りのバスを乗り過ごしました。ビールやワインを飲む場面がこの小説の中では実によく登場します。午後からカミサンが出かけて留守雨が降り出したので畑にも行けずワインを飲みながら続きを読んでいます。人が読んだからと言って同じものを読みたくなり小説に出てくるからと言って飲みたくなったりいかにも単細胞ぶりを発揮しています。
2012/12/17
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中華飲酒詩選(青木正児著)本棚でほこりをかぶっていた書を引っ張り出して読んでいます。三人の詩人、陶淵明、李白、白楽天を中心にそれぞれの時代の詩も織り交ぜて編集してある。題名の通り、いずれも飲酒に関する詩で当然のことながら著者も大の酒好き。中国の詩人は古くからこんなにも酒礼賛の詩を作ったのかと感心するばかりであります。この本を読むうち、毎晩飲んでいる酒が一層おいしく感じるようになりました。 なおこの本を買ったのは4年前の10月のこと美術館に酒器の展示を観に行ったときでした。酒器に酔う―東アジアの酒文化こんなことが簡単にわかるのもブログの検索機能のお蔭です。検索はパソコンの最も得意とするところですねえ。最近は量こそ少なくなりましたがやはり飲酒はうれしく楽しいものであります
2012/12/05
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図書館に注文しておいたのが忘れたころに届きました。それだけ予約者が多かったということですね。 著者の南雲吉則さんは初めて聞く名前ですが義妹によると、医者でよくテレビに出ているという。内容はタイトルの通り、「一日一食」の薦め。主張については大いに共感するところがあり一日一食はとても無理だと思ったので昼食抜きの「一日二食」を実践してみることにしました。いずれにしても動機は不純遊び半分ですから気楽なものです。さあいつまで続くかそして効果はどうか続報をお楽しみに!
2012/10/23
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台風一過、朝から素晴らしい青空です。今回は義妹のところでお世話になっています。今日は休養日で、一宿一飯のお返し?にと午前中、庭の芝生の草抜きをしました。あとは図書館で借りて持参した本「信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦」を読んでいます。一万日連続登山とはとても考えられない話しかも定年後の60歳から始めたと言うからスゴイ。情けないことに、午前中の草抜きが腰に来て腰痛背筋を伸ばせないで腰を曲げたままで歩いています。
2012/10/01
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おわら風の盆今年もにぎわったそうですね。おわら風の盆に関連する本を読みました。高橋治「風の盆恋歌」川井美佳「風の盆絶唱」内田康夫「風の盆幻想」ブログ友“こっぱんさん”のブログを読んでボクも読んでみようと、思い立ったのです。そして読んだのが上記の三冊。上の二冊はどちらも心中を取り上げた小説。哀切な胡弓の音が響くところには悲しい物語がよく似合うのでしょうか。高橋治「風の盆恋歌」は石川さゆりの「風の盆恋歌」の原作となったらしい。内田康夫のはチョットコミカルなミステリーかの有名な「おわら風の盆」ボクはまだ見たことがありません。高橋治の小説がきっかけで一躍有名になり全国から観光客が押しかけるようになったらしい。その気になればTVでその片鱗を見るくらいは簡単にできるでしょう。それさへもしないのだから横着なもの(笑)というより、観光客が押し掛けるような所はどちらかというと遠慮しているのです。でも一度は見てみたい(笑)
2012/09/27
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“暑いときにはミステリー”、と言うわけでジェフリー・ディーヴァーの「スリーピング・ドール」読了同じ著者の「ロードサイトクロス」に続く二冊目犯人が射殺されて事件解決かと思ったがまだたくさんのページが残っているので変だなと思ったのです。実は、と言うかやはりというかこの後に意外な展開が待っていたどんでん返しというやつですね。ベッドに転がっての読書は消夏法の一つに違いありません。余談ですが、読むスピードも遅くなって貸出期間の2週間では足りず貸し出し延長の手続きをして読みました。読みたい本の予約や本の貸し出し延長の手続きがインターネットで家に居ながらに出来るというのもありがたいことです。ボクの読書はポルノから哲学までその時の気分で読むのでジャンルに一貫性はないが要は「面白ければいい」というのが読書に対する考え方
2012/08/29
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最近、早朝の畑仕事以外は家でゴロゴロ暑いときは無理をしないという消極的生き方夕食を待ちかねて冷たいビールを飲む活力源はアルコール、“命の水”です。これで毎日生きかえっております。暑さにはハードボイルドが合うような気がします。知人から紹介されたミステリーを読んでいます。「ロードサイトクロス」(ジェフリー・ディーヴァー)これではなかなかトルコ旅行のブログも進みません暑いときは水の中、明日はプールにでも行ってみよう。今日は珍しく、夕方になって庭に散水をしました。それから30分もしたらそれが呼び水になったのか雷と夕立が来て適当なるお湿りにあずかりました。
2012/07/26
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先日読んだ、黒田杏子さんの著書「俳句列島日本すみずみ吟遊」を読んで芭蕉の奥の細道を読もう、と思いました。すぐに図書館に頼んで読んだのがこれただこの本は現代語訳だったので次はぜひ原文で読みたいと思います。いまさら言うのもおかしいかもしれませんが芭蕉さんは知識も広く、しかも健脚でありホントに素晴らしい人物ですね。また、歩いて旅をするという行為に自分のお遍路やトレッキングの体験を重ね合わせ、共感するところが多い。そしてまだ訪れていない陸奥への旅愁を一層そそられることになりました。田一枚植えて立ち去る柳かな夏草や兵どものが夢の跡閑かさや岩にしみ入る蝉の声五月雨をあつめて早し最上川雲の峰いくつ崩れて月の山これら知っている句のできた背景を知ることができたのも収穫でした。
2012/06/21
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世の人の見付けぬ花や軒の栗(芭蕉)いま近所では栗の花が満開で独特の強い香りが漂っています。 黒田 杏子(ももこ)という人について日本中の桜を訪ね歩いた女性いつもモンペをはいている俳句を作る人以上の予備知識がありました。というより「しかありませんでした」。日本列島桜花巡礼日本列島残花巡礼四国遍路吟行西国三十三観音巡礼吟行坂東三十三観音吟行そしてあちこちの句会の選者などで日本中をよく歩いていることに感心しました。本は俳句の話題を中心に第一章 季語への旅第二章 達人対談-昨日・今日・明日第三章 おくの細道―その旅の記憶第四章 俳句列島日本すみずみ吟遊からなっています。後半の「第三章 おくの細道―その旅の記憶」が興味深く、芭蕉の足跡に旅心を誘われました。ボクは福島から青森の間には行ったことがなく余計に興味をひかれたのでした。まずは「奥の細道」を読んでみようと図書館に予約を入れたところです。最近、本を読むのに時間がかかるようになりました。それだけ集中力が無くなったのでしょうか。「このぶ厚い本をお手にして下さいました皆さまへ」で始まるこの本も、図書館の貸出期間を延長してもらってようやく読み終わりました。
2012/06/12
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雪男は向こうからやって来た角幡 唯介/著集英社「空白の五マイル」と同じ作者の本で紹介してくれたのも同じく歩友の○田さんヒマラヤで雪男探しをする(した)日本人たちを書いたノンフィクションフィリピンで残留日本兵の小野田寛郎を発見した冒険家・鈴木紀夫という人も登場する。小野田さんを見つけたのが鈴木紀夫という人だとはこれを読んで初めて知った。雪男に特別興味があるわけではないけれど「空白の五マイル」が面白かったこと標高3~5千mの大自然が舞台であることそこが多少縁のあるネパールであること著者自身も雪男探索を体験していることなどの理由で、最後まで興味深く読んだ。
2012/05/03
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この著者の作品は「森の聖者」に次いで二冊目アメリカのアパラチアン・トレイル3,500キロ(2,200マイル)を半年かけて歩くというすごい話。同じ歩人でも、ボクの体験などはまるで比べ物にならない。しかしスケールは違っても歩くということに関しては共通点があるもの。自然を楽しみながら連続して何日も歩く。同時に重い荷物を背負う苦も隣り合わせ。四国遍路やヒマラヤのトレッキングの体験と重ねながら読んだ。特に、お遍路体験とは妙に符合するところがある。3,500キロを一気に歩くのをスルーハイカーこれはお遍路では「通し打ち」何度かに分けて歩くのをセクションハイカーお遍路の「区切り打ち」に当たる。そして荷物は1グラムでも軽く、が合言葉お遍路でも「鉛筆一本でも軽く」と言う。長い道中、トレイルを横切る道路から街に出て食料の買い出しなどをするらしい。そういう時に食事などを応援してくれる人がいるこれなどは完全に「お接待」のアメリカ版だと思った。歩く楽しみとしては目標があること1000マイル、2000マイル・・・1000キロ、2000キロ、3000キロそして州境を越える数も・・・実に14の州境を越えるという。アメリカのアウトドアの歴史は自然保護の歴史そのものという言葉が印象に残った。
2012/04/14
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観世座発祥の碑(京田辺市)ウオークの途中で見つけた「観世座発祥の碑」のことをブログに書いたのが縁で瀬戸内寂聴さんの「秘花」をけん家持さんから紹介された。続いて歩友のMさんから杉本苑子著「華の碑文」を紹介されて読んだ。どちらも世阿弥の生涯を書いた小説「秘花」は読みやすく「華の碑文」は読みにくかった。能にも世阿弥さんにもこれ以上関心が湧かないのでこれでお別れすることにします。
2012/04/04
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予定していた里山保全作業が雨天中止になり昨日のブログに書いた大町桂月の随筆集を読む。まずは「層雲峡より大雪山へ」を選んで読みました3年前のボクの縦走と逆コースを歩いています。文語調の文章が歯切れ良く懐かしい感じがします。 余は大雪山に登りて、先ず頂上の偉大なるに驚き、次ぎに高山植物の豊富なるに驚きぬ。大雪山は実に天上の神苑也。いやホントに高山植物の多さに驚き感動したものです。あのときは写真を撮るのに夢中で集団の最後尾を歩きました。 山上の寒さは挙ぐる火に消えたり。鍋の飯も出来たり。下戸は先ず食う。上戸は酔うて陶然たり。十九夜の月出ず。火炎高く昇れるが、火炎の中に数十条の赤線直上し、その末火花となりて、半天に四散し、下界の煙火などには見られざる壮観を呈するに、酒ますます味を加う。天幕は張らずに敷きて、一同その上に臥(ふ)す。焚ける火が一同の掛布団也。酒を飲み、テントは張らず、火が一同の掛布団也とは、何とも豪放磊落極まれりの感があります。 雪田を踏み、砂礫を攀(よ)じて、二峰の中間に達し、東峰を後にして、西峰を攀ず。砂の斜面急也。五、六歩ごとに立ち留まりて、五つ六つ息をつく。山に登るに急げば、苦しくして、疲れ易く、持久力を失い、風景も目に入らず。さればとて、度々腰を卸(おろ)しては、路あまりに捗らず、疲れ切っては、休息しても、元気を恢復すること難し。疲れぬ前に、ちょっと立ち留まるだけにして、息を大きく吐き、腰を卸さずに、徐々として登れば、苦しきことなく、疲れもせず、持久力を失わずして、風景を味うことを得べし。口に氷砂糖を含まば、なお一層元気を失わざるべし、立ち留まること百回にも及びたりけむ。頂上に達して、始めて腰を卸す。山に登るに急げば、苦しくして、疲れ易く、持久力を失い、風景も目に入らず。たしかにその通り、山を登るときの気分を素直に表現しています。大町桂月なる人物に改めて感心しています。
2012/02/25
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Kさんの家で見かけた書ちょっと気なる言葉です。これは河井寛次郎です陶芸の原稿に書いたらしいそんな説明をKさんから聞きました。恥ずかしながら、河井寛次郎?聞いたことあるな、という程度。とりあえずWEBサイトで調べると有名な陶芸家とあり、山崎の美術館で作品を見たことを思い出しました。そして作品集の中にこれが見つかりました。続いてズバリ「手考足思」という詩文が『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ 』(講談社文芸文庫、2006)の中にありました。少し長いですがそのまま引用します。「手考足思」 河井寛次郎私は木の中にいる石の中にいる鉄や真鍮の中にもいる人の中にもいる一度も見た事のない私が沢山いる始終こんな私は出してくれとせがむ私はそれを掘り出したい 出してやりたい私は今自分で作ろうが人が作ろうがそんな事はどうでもよい新しかろうが古かろうが西で出来たものでも東で出来たものでも そんな事はどうでもよいすきなものの中には必ず私はいる私は習慣から身をねじる、未だ見ぬ私が見たいから私は私を形でしやべる 土でしやべる 火でしやべる木や石や鉄などでもしやべる形はじつとしている唄飛んでいながらじつとしている鳥そういう私をしやべりたいこんなおしやべりがあなたに通ずるならばそれはそのままあなたのものだその時私はあなたに私の席をゆずるあなたの中の私 私の中のあなた私はどんなものの中にもいる立ち止ってその声をきくこんなものの中にもいたのかあんなものの中にもいたのかあなたは私のしたい事をしてくれたあなたはあなたでありながら それでそのまま私であったあなたのこさえたものを私がしたと言ったならあなたは怒るかも知れぬでも私のしたい事をあなたではたされたのだから仕方がないあなたは一体誰ですかさういふ私も誰でしょう道ですれちがったあなたと私あれはあれで あれこれはこれで これ言葉なんかはしぼりかすあれは何ですか あれはあれです あなたのあれですあれはこうだと言ったならそれは私のものであなたのものではなくなる過去が咲いている今未来の蕾で一杯な今河井寛次郎のことをよく知らないボクにはこの詩の意味がいまひとつよくわかりません。ただ、『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ 』という随筆集陶芸の用語がたくさん出てくるので読みづらい部分が多かったのは確かです。しかし著者独特の比喩などが面白くなんとか最後まで読みました。巻末に、「河井に送る」(柳宗悦)という文章がありこれが河井寛次郎理解の役に立った。さらに、解説に変えて「時空を超えて」という寛治郎の娘、河井須也子さんの文章は圧巻であった。河井寛次郎という人を理解するうえでこれほどわかりやすいものはないと思いながら感動して読みました。調べてわかったことは手考足思の読みは“しゅこうそくい”かな?意味は手を動かして考え自分の足で歩きながら思いをめぐらせる※「手で考え、足で思う」はルドルフ・シュタイナーの言葉で私たちは、手で考え足で思うような境地に至るまで努カを続けてゆかねばならない。調べはしたものの理解が追い付かず消化不良のままブログを書いています。※何か所か、河合寛次郎と書いていてのは河井寛次郎が正しく、本日訂正しました。(2/23)
2012/02/22
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「雨を見たか」は髪結い伊三次捕物余話のシリーズしばらく読書から遠のいていたので図書館に寄った時に棚から選んだ本です。気楽に楽しく読むことができました。
2012/02/19
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朝日新聞夕刊のコラム「人生の贈りもの」で紹介された加藤則芳さんに興味を持ったまず著書「森の聖者」を読んでみた。「自然保護の父 ジョン・ミューア」というサブタイトルがついている。あとがきに次のように書いています。今まで、日本ではミューアの名はほとんど知られていなかった。これほど知られていなかったことが不思議なくらいアメリカでは著名なナチュラリストである。死後八十年たった今でも、ミューアの著書はさまざまな出版社から、繰り返し繰り返し出版されている。当然のことながらボクもミューアを知らなかったし著者の加藤則芳さんのことも知らなかった。この本はジョン・ミューアの伝記のようなものでミューアの業績や生涯については良くわかった。これはこれで大いにうれしかったけれどボクが知りたかった加藤則芳さんのことはこの本では残念ながら少しも分からない。ロングトレイルという冒険-「歩く旅」こそぼくの人生今日、この本を図書館に注文しました。
2012/02/14
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読むきっかけは、メルマガ【夕張希望の杜の毎日】この発行者が「最近、斉藤一人さんの本を読んでいる」という記事を見つけて読んでみる気になった。著者の斉藤一人という名前は初めて知りました早速、図書館で借りて読んでみました。著者は事業で成功して利益を上げている高額納税者独創的なことを言うおもろいオッチャンであるハウツー本の類であり、読み進めるのに抵抗があるしかし、観点がユニークでなるほどと思うところも結構あるそんな本でした。
2011/11/02
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3・11以来、国民の多くが関心を持つようになった原発日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士が書いた詩文「原子と人間」が話題になっています。1947年(昭和22年)に雑誌『PHP』3・4月号に寄稿したものだそうです。※ノーベル賞受賞はその二年後の1949年60年以上前に書かれていたこのような詩文をいま読んでみても、かなりの説得力を感じます。詩文はこちらのサイトでどうぞ!→ここです
2011/10/11
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あの人と私の間に子供が産まれたらいったいどんな子になるのでしょうこんな空想癖を持つ“わたし”が登場する前半は、幼稚園から大学まで一貫教育校の“わたし”と数人のエリート女子高生の物語。後半は、成人して社会人になった彼女たち中でも級友の一人と“わたし”の妹は娼婦になって登場し、二人とも殺されます。一流企業のOLが夜は娼婦に、いったいなぜ?現実にあった東電OL殺人事件を下地にした作品。意外性のあるストーリーの組み立てに感心しつつ最後まで読みましたが、内容はじめじめと暗く読後感はあまりよろしくありませんでした。
2011/08/23
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空白の五マイル(角幡唯介)― チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む ―面白い本に出会いました歩友の○田さんの紹介です。パソコンを修理に送り出した日に予約していた図書館に届きました。パソコンのない生活、今日で四日目たまたま外出もなく時間がたっぷりそしてなんとなく落ち着かない毎日です。いささかパソコン依存症だったのでしょうしかしこの本に救われています。もうすぐパソコン「空白の五日間」になります。ブログ友の皆様には、しばらくの間訪問・コメントご容赦願います。
2011/07/04
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『くじけないで』(柴田トヨ)白寿の処女詩集飾らない文章の中に豊かな想いがあふれているだれでも抱いたことがある想いだからわかりやすくスッと共感できるそしてほのぼのとした気分に包まれる90歳を過ぎて、100歳近くになってもこんな瑞々しい感性を持ち合わせているなんと素晴らしい人がいるもんですねえ。
2011/03/10
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五木寛之「親鸞」小説としてとても面白く一気に読んでしまいました。念仏ひとつで浄土へ往ける身分の高い低いは関係ない善人であろうと悪人であろうと同じように。以前に読んだ“歎異抄”を思い出しました。歎異抄の世界は不思議です。とても新鮮で、すごく親近感を感じますなのに、肝心のことはよく理解できないわかったようでわからないのです。読んだのはもう十年以上も前のことですその時、いずれもう一度読み直そうそう思っていた時期がやってきたようです。本棚を探すと見つかりました。梅原猛の『歎異抄』入門(梅原猛)『歎異抄』を読む(田村実造)歎異鈔(梅原真隆訳注)歎異抄のこころ(高史明)歎異抄講話(暁烏敏)こんなに読んでいたのかちょっとびっくりしています。
2011/03/01
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このところ、読書量が極端に少ないメモを見ると、昨年9月に「葬式はいらない」を読んで以来のことになります。ちょっと自分でも信じられないくらいです。昨日は妹の手術、どうせ数時間はかかりそうちょうど良い機会と知人に借りた本を持参五木寛之「親鸞」の上巻を読みました。親鸞には相当興味があったのでかなり興味深く読んでいます。
2011/02/09
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話題になった本はほとぼりが冷めてから読むのが普通です。年金暮らしになってからは、本を買うことは滅多にありません図書館にリクエストしても評判の本は順番待ち。でも今回は、近所の知人が貸してくれましたBook 1、2も、この方から借りて読みました。とても楽しく読むことが出来ました読書は楽しいのが一番です!少しミステリーの要素があり会話や比喩が面白かったですねえ最後の方は、早く読み終わりたいという気持ちとこの本とそんなに早くお別れしたくないそんな気持ちが混在していました。
2010/07/29
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「怒らないこと」-役立つ初期仏教法話-著者・アルボムッレ・スマナサーラ(スリランカ初期仏教長老)サンガ新書題名の通り怒らないことを推奨する内容本は次の4章からなる 第1章 「怒り」とは何? 第2章 怒りが幸福を壊す第3章 怒らない人 第4章 怒りの治め方以下の様な小見出しが並ぶ「怒りの人生」に喜びはない「正しい怒り」は存在しないどこまでも許してあげてください「怒る人ほど頭が悪い」という真理怒ったら「自分は負け犬」と言い聞かせる動物の世界でも、強いものほど怒らない「怒らないこと」と「甘やかすこと」は違う「自分は偉い」というエゴを捨てる相手の怒りには「智慧」で勝つどんな理由をつけようとも、怒ることは間違い怒るのは最低、怒っていては幸せを味わえないそういうことを諄々と説いている100%は無理だけれど、ある程度は理解できるしかし理解することと実行できることは別これはイカン、と思い当たることも随分ある。ボクの怒りに対する考えは以下の通りです。人間であるかぎり、怒りの感情を覚えることは避けられないあとはその怒りの感情に、自分がどのように対応するかそれが問題で、その判断が実に難しい怒りを直接相手にぶつけることから何かの方法で消滅させてしまうまで人により、場合により、怒りの程度により千差万別の対応が考えられる「直接相手にぶつけることだけはなんとか避けようと努める」ボクはせいぜいこのレベル、著者の推奨する態度には程遠い。
2010/06/30
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表題と同じのを含む10編の短編集先日の「1Q84」に続いて楽しい本に当たりました。酒飲みで不器用、だけど素直で善良そんな男たちが登場して感動させ、笑わせてくれる。作者は釣りが好きな人らしく、釣りの場面がよく登場する豊かな自然の中での物語に旅心を誘われます。
2010/03/05
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近所の読書好きのおじさんが貸してくれましたご本人は買ったばかりでまだ読んでいないそうです一風変わった不思議な小説でした外国のミステリーのような雰囲気が漂います青豆という変わった名前の女性など登場人物といい、筋書きといい一体作者はどこから思いつくのだろうそんなことに感心しながら読みましたとても楽しく面白く読めました本は面白くなければいけません面白くない本をガマンして読むなど愚の骨頂
2010/03/01
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神社の山茶花英推理作家、元騎手ディック・フランシス氏死去夕刊の記事が目にとまりました新聞をそれほど丁寧に読むわけではないなのに、先日のロバート・B・ パーカーといい昨日のディック・フランシスといい紙面の片隅の小さな見出しが向こうから勝手に飛び込んでくるある時期、この人の「競馬シリーズ」に夢中だったでも作者が騎手だったことは知らなかった通勤の車中が書斎代わりでよく本が読めた先輩のNさんとの読書談義も楽しかった
2010/02/16
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「大人げない大人になれ」(成毛 眞・ダイヤモンド社)題名につられて図書館から借りて読みました。「いちばん大事なのは楽しい人生を送ること。人生をクリエイティブで面白く生きたい人のために」と帯には 書いてあります。天邪鬼で人と違うことをすることに生きがいを感じるボクにはピンと来るところがあります。日頃自分のことを大人げないと感じているので、その自己弁護になるような内容かも、なんて都合のよいことを考えながら読みました。そのようなヶ所もたしかにあって勇気付けらましたが、逆に大人げない(子供っぽい)ところを失ってしまっている自分にも気づかされました。自分の生き方に自信も持ちましたが、チャランポランさにも気づかされたということです。
2010/02/08
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私立探偵スペンサーが活躍するハードボイルドに熱中した時期があったその作者ロバート・B・パーカーさんの訃報を今朝の新聞で見ました。ボクがハードボイルドを読むようになったのは50歳前に出会った本好きの上司・Nさんの影響でした。司馬遼太郎の小説を読むようになったのもやはりNさんの薦めNさんとは居酒屋でよく読書談義を交わしたものでした手帳に小さな字で読んだ本の名前や作者を几帳面にメモしておられた。そのNさん、今年は年賀状が届かなかったけれどお元気にしておられるのだろうか。
2010/01/21
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山田風太郎さんの随筆「死言状」の中の「私の漢字假名意見」というところにノー豆ってどんな豆でしょうと質問した女子大生の話が出てきますよく聞いて見るとそれは「納豆」のことであったというのです漢字を知らないという話になるとなぜかよく女子大生が登場します女子大生はバカや無知の代名詞みたいに言われてボクは個人的には気の毒なこと、と思っています。ついでにというわけでもないでしょうが著者は 「月代」これをどうしてサカヤキと読むのか「殺風景」という言葉の語源「甲板」の甲、なぜこれを「カン」と読むのか「甲板長」はコウハンチョウと読むのに「片男波」この意味と語源はといった疑問を呈しています。藁を打ってしめ縄を作りました。昨日、孫のナツキとケントがやってきました。
2009/12/30
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「利休にたずねよ」(山本兼一)ボクは、利休についても茶道についても興味も関心もなく当然のことながらまったくと言っていいほど知識もありません。この本は、小説とはいえ利休や秀吉の人柄や当時のお茶のことなどが良く描けています。先日、国宝の茶室・待庵を訪ねた折に歩友のHさんからお借りしたものです。ところでこの本で一番愉快だったのはイエズス会の宣教師の言葉です。「そうだ。なぜ日本人は、あんな狭苦しい部屋に集まり、ただもそもそと不味い飲み物を飲むのかね。がらくたに過ぎない土くれの焼き物を飽きもせず眺め、おたがいに白々しく褒めあうのかね。あんな馬鹿馬鹿しい習慣が、世界のどこを見まわしてもないことは、君たちもすでによく理解していることと思う。」なんとも痛快ではありませんか、ボクの想いを代弁しています。彼は秀吉の造った聚楽第の庭が人工的に造られたものだと聞いてこう言うのです。「自然が味わいたいのなら山に行けばいいのだ。」ボクも日本人ですから、こんなにはっきりとは割り切れませんがこれに近い考え方を持っているのは事実です。
2009/05/08
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本を読んでいたら“西諺”なる言葉に出会いました漢字と前後の文脈から、《西洋の諺かな》と推定できます。辞書を調べて読みと意味がわかりました西諺(せいげん):西洋のことわざ続いて先日覚えたばかりのカタカナ語「アフォリズム」が登場しました。「古くからのポピュラーなアフォリズムだった・・・」まだ一ヶ月と経っていないので、忘れてはいませんが日本人なのに、なぜこうもカタカナ語を使うのでしょう!
2009/04/23
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寓話「セレンディッポの三人の王子」を読みました。好きでないカタカナの話ですが今日のは仕方がありませんノーベル賞を受賞した日本の学者の誰かの話から“セレンディピティ”という言葉が最近有名になったらしい。このセレンディピティという言葉の元になったのが今回読んだ「セレンディッポの三人の王子」という寓話です。知人からそんな話を聞いて、読んでみました読後感は、「ミニ千夜一夜物語のようなもの」セレンディピティ(英: serendipity)とは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す。平たく云えば、ふとした偶然をきっかけに、幸運を掴むことである。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』興味のある方はこちらに詳しいです。ミツバツツジ(総称)が色鮮やかです。他のミツバツツジ類の多くは雄しべが10本なのに対し本種は5本であることが大きな特徴。上の画像のも、おしべが10本ありそうです。
2009/04/10
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田辺聖子さんの「人生はだましだまし」作者がこの本で提示する“アフォリズム”から気に入ったものを拾いました。※アフォリズム物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。警句。金言。箴言(しんげん)。(大辞泉)結婚は外交である。つまり駆引きと謀略に尽きる。人生には〈ナアナア〉ですます、ということが時として必要であるがその〈ナアナア度〉が一致するのが仲のいい夫婦である。悪妻を自認するのは一番始末に悪い悪妻である。さまざまな悪徳の上に、居直りという悪癖も加わっている。女に言い勝ってはいけない。収拾つけようと思えば。〈また電話するワ〉というのは最高の別れのメッセージである。達観、というのは、心中、〈まあ、こんなトコやな〉とつぶやくことである。好色な人は男も女も、人生、たのしそうに生きている。
2009/03/27
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田辺聖子「人生はだましだまし」という本を読んでいます。いきなり“アフォリズム”という語が出てきましたが悲しいかな、はじめて聞く言葉で意味がわかりません。広く知れ渡っている言葉なのか、特に説明もありません。仕方がないので辞書で調べました。物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。警句。金言。箴言(しんげん)。(大辞泉)ひとつカシコクはなりましたがなにも “アフォリズム” なんていわなくても日本語で済むと思いますけどねえ・・・・(カタカナ嫌いの弁)
2009/03/23
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奇縁まんだら(瀬戸内寂聴)作家の瀬戸内寂聴さんが、出会った有名小説家のエピソードや思い出をエッセイにまとめたもので毎週土曜日に日経新聞に連載されていました。マメな人がいるもので、知人のSさんはそれを丁寧にスクラップしてファイルしていました。今回、それを借りて読んでみました。(日経新聞社から単行本で出版されています。)内容はといえば、「へーそんなことが・・・」好奇心を満足させてくれる話がたくさん。作者の寂聴さんとの縁はもちろんですが取り上げられた作家同士の奇縁も紹介されていて実に興味深く楽しい読み物でした。特に興味深かったのは、色恋の話の多さです。小説を書こうというのですから自身の恋愛経験は必須なのでしょう。谷崎潤一郎の奥さんと恋愛、妻にした佐藤春夫妻の妹との不倫の末、自分の妻にした谷崎潤一郎丹羽文雄の、奥さん公認の?浮気癖宇野千代さんの3人の結婚相手は従兄弟の藤村忠、東郷青児、北原武夫さらに結婚相手以外の多くの男性遍歴有島武郎の人妻との不倫、心中有島武郎の弟、里美トンの放蕩書いている寂聴さん自身も不倫の経験者エッセイに登場する作家たちの恋愛問題はこのように数えればきりがない
2009/03/04
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『日本婦道記』山本周五郎武士の妻、娘、母を書いた短編集17編女性の、潔さ、清々しさ、献身、心意気、恋心そういうものを短いストーリーに見事にまとめているどの短編も胸にジーンとくる話ばかり感動で涙があふれました。(加齢と共に涙もろくなったかな)「時代がちがう」、「男尊女卑」、「古い道徳観だ」そういう見方も的外れではないと思いつつ、ボクは逆に今の世で失われてしまった古い価値観に感動しました。時代が変わろうとも、尊いものは尊い、美しいものは美しい「子どもが学校を休んだら、給食を家に届けなさい」そんな要求をする女性と対極にある女性たちの物語です。
2009/02/24
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『真珠湾攻撃総隊長の回想・淵田美津雄自叙伝』編/解説 中田整一(講談社)読むきっかけは、NHKのラジオ深夜便という雑誌ホウー、こんな人がいるのか、早速図書館へ。いわゆる戦記物にはそれほど関心はありませんが真珠湾攻撃総隊長で、戦後クリスチャンに回心かつての敵国・アメリカへ伝道の旅をしたという淵田美津雄という人物に興味が湧きました。信念があって、背骨に一本筋が通っているそういう生き方に感心しました。つい、現在の政治家と比較してしまうからでしょうか。当事者ですから当然といえば当然ですが戦争の場面が実にリアルに描かれていて読みながら興奮を覚えたところもあります。しかし、戦争は二度とごめんという思いに変わりはありません。《淵田美津雄》・真珠湾攻撃における空襲部隊の総指揮官・ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦で参謀・被爆直後の広島・長崎の被害調査団のメンバーとして現地入り・敗戦の幕引き、ミズーリ号の降伏調印式に随員として立ち会う・1949年、キリスト教に入信し以降昭和1966年に引退するまで日米各地で伝道活動に従事
2009/02/18
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『土に命と愛ありて』(島一春)本の帯には次のように記されています。農薬も化学肥料も使わない夫婦で歩んだ自然農法の道私たちの文明は、どこへ行くのか・・・・。戦後の化学肥料、農薬の潮流に危険を感じて、自然にぬかづき、大地の声に耳をかたむけて新たな農業を生きた、一組の夫婦の27年間の感動の記録。農業はもともと大自然と調和し、大自然のもとに成り立っているいとなみである。本書でとりあげた、須賀さんの体験を描くうちに、これが日本の戦後の農業のあゆみと悩みのすべてをあらわしていると思った。須賀さんを描くことで、自然農法を知ることができ、しかも日本の農業がかかえた問題もここにあると考えたのである。(著者)父のあとを継いで、家庭菜園で自家用の野菜作りをはじめて数年になります。農薬は滅多に使うことはありませんが、化学肥料は使っています。化学肥料を使うと土が目に見えて固くなるのが実感できます。だから出来るだけ化学肥料を少なくして、生ゴミ堆肥、市販の腐葉土畑の周辺で集めた落葉の堆肥などでカバーしているのが現状です。日常、実際に土をいじりながら漠然と感じていることがこの本を読んで確かめられた気がします。それは“自然の摂理”ということだと思います。要は自分が食べる野菜ですから、納得のいく栽培をすればいいそう考えて、これからも家庭菜園を楽しむことにします。
2009/02/14
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作家の五木寛之さんが鬱(うつ)状態になったとき1日のうち、なにか一つうれしかったことを見つけてノートに記録するそれを続けているうちに、いつの間にかうつ状態から抜け出せた。このノートを「歓びノート」と名付けた。今度は50代を過ぎた頃、またうつ状態になった。「歓びノート」を試したが、今度は効き目がない。そこでひらめいたのが「悲しみノート」1日のうちで最も悲しかったことを一つ思い出してノートにつけた。そして少しずつ楽になった今日読んだ本にこんな内容のことが書いてありました。本日のボクの歓びと悲しみ人が訪ねてくれることはうれしいもの午後、いとこが突然ぶらりと訪ねてくれたことがうれしかった。親しい人が亡くなるのは悲しいことです夜の外出から帰って、スリランカや中国旅行に誘ってくれた通称ママさんの訃報を聞いて無性にかなしかった。
2009/01/07
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先日友人との会話でシェラザードのことが話題に上りました。で、今日はその“シェラザード”に関するお話その1浅田次郎の小説に「シェラザード」というのがあります。ボクはちょうど二年前に義弟に借りて読みました。「昭和20年、2300人の命と金塊を積んだまま、豪華客船弥勒丸は嵐の台湾海峡に沈んだ。その引き揚げ話を持ち込まれた者たちが、次々と不審な死を遂げていく・・・・・。」というスリルにとんだお話でした。物語は沈没船引揚の話と沈没前の弥勒丸の航行が同時進行で進んでいく。終わり近くになって、航行中の弥勒丸の船内に、突然コルサコフの交響組曲・シェラザードが流れる場面が印象的でした。その2シェラザードというのは、子供の頃に読んだ「船乗りシンドバッド」や「アラジンの魔法のランプ」で有名なアラビアンナイト(千夜一夜物語)に登場する女性で、ペルシャの王様(名をシャーリャルという)に千一夜にわたって王様が退屈しない面白い話を語り続ける女性の名前ですね。そんなことはとっくの昔に忘れてしまっていましたが、一週間前に読んだ、「アラビアンナイトを楽しく読むために(阿刀田高著)」で、シェラザードという名前を思い出したというわけです。その3思い出しついでに、就職したばかりの頃に買った「バートン版・千夜一夜物語(大場正史訳)」を書棚に見つけました。途中まで読んだ記憶はありますがとても全部を読んでいないのはたしか。この本では“シェラザード”ではなく“シャーラザッド”となっていました。その4冒頭の友人が、コルサコフの交響組曲・シェラザードのCDを解説書付で貸してくれました。それをいま聴いているというわけなのです。豪華客船の客室にいる気分に浸りながら・・・。
2008/10/10
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