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カウンセラーは教祖さま⁉
欧米の場合、キリスト教における「告解」の伝統があり、牧師や司祭ばかりでなく、弁護士も、精神医学や心理学カウンセラーも、みなその伝統を引いている。つまり「職業的な悩みの聞き手」があり、そういう人たちのために相談するのは恥ずかしいことではなく、また安全なことであるという社会通念がある。
わが国の場合、庶民層のための手っ取り早い市井カウンセラーの役割を果たしているのは実は新興宗教であり、さまざまの「巷の神々」である。そして、そういうものを嘲っているはずの、知性も高く、意志の強い政財界のトップたちの心の悩みの聞き手になっているのも、実はさまざまの教祖さまたちであることが多い。
中曽根元首相の場合は禅仏教の他に、「禅の友」であるということになっている四元義隆氏の影響があるようであるし、かつて福田元首相やその他自民党系の政治家が政治日程その他の決断に際して安岡正篤氏の「周易」(中国で周代に集大成された易学の原典)にもとづく判断を仰ぐことがよくあったことも知られている。
クリスチャンであった大平元首相の場合も、政治評論家の伊藤昌哉氏を通じて金光教の導師の霊感に頼ることがあったことを、『自民党戦国史』(朝日ソノマラ社)は述べている。
この場合の伊藤氏の方法は、心理学的に見れば正統派のカウンセリングと TM (超越瞑想)法を組み合わせたようなやり方であった、利害関係のない聴き手として、相手に言いたいことを言わせ、自分の方も相手に同化してその考えを引き出すのである。普通のカウンセリングと違うところは、結論は、相談する人(クライアント)の口から出てくるのではなくて、伊藤氏(ないしその背後にいる導師)が瞑想をしている時に、霊感的な心像として与えられたという点であろう。
その場合、「結論の正しさ」を保障するのはその前に相談の受け手のクライアントに充分に同一化し、状況を把握し、私心なしに相手の心の奥底にある本当の考え(それは日常的な些事や枝葉末節の考慮で覆われている)を引き出すということである。だからこそ得られる結論は結局、クライアント自身の考えにすぎないのであるが、この場合、相談を受ける受け手の私心が混入しないことが成功の条件になる。
問題は、一度そうやって相手に精神的影響力を及ぼす立場に立った場合、自分の利害がバイアスのかかった立場を相手に吹きこもうという誘惑に負けないでいられる人がどのぐらいいるか、ということである。
とくに最近気になるのは、そういう政財界の「不安の受けとめ手」がオカルト的になり、神がかり的になる傾向があることであり、先ほど挙げた人たちに見られるような品位や方法的な抑制がなくなってきているのではないか、ということである。
超心理学や密教のブームが、こんな人がという人までをかなりいかがわしい新興宗教の影響下に置いているという状況は、考え方によっては恐ろしいことである。
実はこういう状況はロシア革命前のロマノフ王朝の宮廷や、第二次大戦前のわが国でも見られたのである。そういう意味からは、指導者たちの心身の悩みや不安を受け止めるカウンセリングの役割は、場合によっては、国家や企業の存立そのものにかかわる「サバイバルの問題」になってくるのである。
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