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義母の影響もあって、文学少女だった家内は結婚した時に持参して来た書籍の中の2冊が高村光太郎の智恵子抄保存版でした。読書は途切れない習慣で、亡くなる直前でも宮本輝氏等の書籍は何冊も読んでいました。其処で、亡くなった家内の遺影は文学に関連のある処で、撮ったスナップ写真から作ることにして、色々探してみましたが、外国でも良いかとライン河の河下りで撮った写真から作ることにしました。丁度、ハインリッヒ・ハイネ作詞で知られるローレライ(Loreley)を背景にした船上のスナップ、カメラ目線になっていますが、この写真から抜き出して調製することにしました。1997年4月、ライン河の河下りとアムステルダム国立美術館にあるレンブラントの「夜景(Nights Watch)」を観賞して楽しもうと計画した旅行でした。
2023.12.17
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連日の雨模様で、気分が落ち込んでいますので、ふと高校時代を思い出しています!前途程遠し、思ひを雁山の暮の雲に馳す有用な人材も、致し方なく歴史の波に飲まれてしまう悲劇は多々あるのです。此の一節を含む平忠度の都落ちの様子を、古文授業で教えて頂いたのは杉並高校の森教師、東大国文科卒の英才でした。平忠度は平安時代の平家一門の武将。平清盛の異母弟。正四位下・薩摩守。1144年伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男として生まれる。母は藤原為忠の娘。紀伊国の熊野地方で生まれ育ったと言われ、熊野別当の娘であった女を妻とした様です。源平合戦での一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄と戦い41才で討死したが、「文武に優れた人物を」と敵味方に惜しまれたという。戦後、忠澄は忠度の菩提を弔うため、埼玉県深谷市にある深谷駅南口の清心寺に供養塔を建立している。歌人としても優れており藤原俊成に師事した。平家一門と都落ちした後、6人の従者と都へ戻り俊成の屋敷に赴き自分の歌が百余首収められた巻物を俊成に託した。『千載和歌集』に撰者・俊成は朝敵となった忠度の名を憚り「故郷の花」という題で詠まれた歌を一首のみ詠み人知らずとして掲載している。
2023.05.15
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芥川賞2作品と近頃話題となっている防衛問題が載せられていますので、文藝春秋3月特別号を購入してみました。佐藤厚志氏は書店勤務の41才、受賞作「荒地の家族」は、東日本大震災後、コロナ感染症が猛威を振るう中、亡くなった親友の人生を思い出しつつ、そのトラウマが鈍化して行く様を綴っていますので、その感覚を共有出来そうです。私も家内を亡くして14年経ちますので独り住まいと成って久しく、その悲しさは明らかに鈍化しているからです。井戸川射子女史は高校国語教師の36才、受賞作「この世の喜びよ」とクラシック宗教音楽のタイトルとも思えるのですが、ショッピングセンターの喪服売り場担当の女性の淡々とした平凡な暮らしを綴っていますが、やはり「この世の喜び」は感受出来ないのです。例を見ないような二人称に依る文章語りが新鮮とされて受賞に至ったものと思われましたし、言葉遊びと言う形態が選者の心を掴んだのかも知れません。しかし、文藝とは幅広い人生や生活する様を、哲学を持って過ごして行く姿と捉えて描きだしてくれる素晴らしい文藝だと、改めて実感することとなりました。
2023.03.07
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昨日は文化の日、晴れの特異日とされていますが、実際に天心には雲一つ見えない快晴となり、錦秋見物に近くを散歩しようかと思っている内に午後になってしまいました。近頃は読書すると言う文化的な所業がとても少なくなってしまいましたが、「読書は、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えて貰うことである」は若い頃から肝に銘じている箴言なのです。折角ですから、哲人ショーペンハウエルの箴言を読むことに致します。哲人で偉人であったゲーテよりも40才年下なのですが、高く評価されていた様です。1 富は海水のようなものだ。飲めば飲むほどに渇きをおぼえる。2 孤独は優れた精神の持ち主の運命である。3 卑しい人たちは、偉人の欠点や愚行に非常な喜びを感じる。4 運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。5 孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならない。6 男同士は本来、互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である。7 なんびとにもせよ、まったく突如として、人は生きているのである。8 あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ。9 人生の幸福にとって、人柄こそ、最も本質的に重要なものである。10 天才は平均的な知性よりは、むしろ狂気に近い。11 善、愛、高潔な行為や愛の業ができるのは、他人の苦悩に対する認識にほかならない。12 幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる。13 人は通常、金を貸すことを断ることで友を失わず、金を貸すことによって友を失う。14 謙譲は、平凡能力の人間には誠実であるが、偉大才能の人間の場合には偽善である。15 人は、生涯の最初の40年間にて本文を著述し、続く30年間にて、注釈を加えていく。16 読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである。17 世間普通には、難しい問題の解決にあたって、権威ある言葉を引用したがる。18 永遠は一瞬の中にある。19 我々は、他の人と同じようになろうとして、自分の4分の3を喪失してしまう。20 才人は誰も射れない的を射る。天才は誰にも見えない的を射る。
2022.11.04
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この書籍はヒューストン滞在中に購入しました。その本屋はBrown Book Shopと言う店で、ヒューストン中心街の片隅1219 Fannin St.にあって、理工学専門書から一般書籍が置いてあって、テキサス州隋一との定評がありました。理工学専門書としては、天然ガスの採掘からガス処理、パイプラインに関する書籍を購入しましたが、IHIの図書館にも無い物でした。しかし、中心街も再開発されてニミッツ野球場や各種展示会場になっていますので、別処に引っ越しとなった様ですが、今は住んでいませんので何処なのか知る由もありません。滞在中、スペースシャトルColumbiaの活躍もあって、1980年刊行のCosmosと言う、天文学者セーガン著作を購入したのです。カール・セーガン(Carl Sagan, 1934年11月– 1996年12月)は、米国の天文学者・作家。NASAにおける惑星探査の指導者。惑星協会の設立に尽力。核戦争というものは地球規模の氷河期を引き起こすと指摘し、人間が居住可能になるよう他惑星の環境を変化させる「テラフォーミング」、ビッグバンから始まった宇宙の歴史を“1年という尺度”に置き換えた「宇宙カレンダー」などで知られる。セーガン博士 『ペイル・ブルー・ドット』1990年に、ボイジャー1号が約60億キロ離れたところから撮影した地球の写真は、"Pale Blue Dot"(薄青い点)と呼ばれ、人類は偶々生存を許されたことになるだけで、好き勝手に地球を汚す権利はなく、地球環境を謙虚に守る手立てが見えないと、悲観的な見方で終わっています。
2022.10.30
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歳を取ると言うことは残念な事象で、物事を理解する知識力が減退するだけでなく、記憶力も劣化して昔のことを思い出すことが出来ません。書棚に死蔵されている、或る理学書を取り出してみました。今年のノーベル物理学賞は量子もつれを解明した科学者が受賞しましたので、ふと昔友と共に自主輪講した書籍を取り出してみたのです。工学部には在籍していて基本はニュートン力学なのですが、連続から不連続の定量へと自然法則の新しい解明法を知ることも、理工学者には必要と考えたのです。輪講した場所は、本郷東大前にあってセイロン風カレーを供してくれた喫茶「ルオー」だったのか、渋谷の喫茶店「田園」だったのか定かではありません。加えて、何処迄読み進んだのかも判らず、第1章The Physical Basis of Quantum Mechanics、第2章The Schroedinger Wave Equation、第3章Eigenfunctions & Eigenvalue迄は、多少の書き込みがあるのですが、その内容に記載されている物理展開法に付いて行けません。でも確かに、量子力学の基礎となるシュレディンガーの波動方程式まで読み進んだのは間違いないと思うことで、寂しくその書籍を閉じることにしました。
2022.10.25
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少し刺激的な「WGIP 日本人を狂わせた洗脳工作」と言うタイトルで、戦後占領したGHQの洗脳工作を解説した力作です。WGIPはWar Guilt Information Programの略語で、GHQの「戦争の罪悪感を植え付ける宣伝工作」のことを言い、太平洋戦争に敗れた日本を2度と米国に対抗出来ない大人しい国にしようと洗脳工作で、戦前の日本を次の様に糾弾したのです。-アジア諸国を侵略し暴虐を尽くした-帝国憲法は戦争賛美-天皇を元首とした軍事独裁国家其処で、天皇を政治不参加の象徴にし、非武装中立として戦力不保持とした平和主義、国民主権を詠った新しい憲法を押し付けて、極東裁判では従来には無い「平和への犯罪」論理でA級戦犯を極刑にして、政治・軍事要人の再登場を阻止することになりましたのはよく知られていることなのです。そうした洗脳工作を経て、1951年9月8日、日本国と48ヶ国によってサンフランシスコ平和条約の調印により、連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復しましたが、不可侵条約を不当に破棄して参戦したソ連は調印を拒否したままで、未だに平和条約は結ばれていないのが現状です。同期生は「あとがき」に次の様に記しています。丁度書籍の校正を終える頃、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、日本の週刊誌ではプーチン大統領を狂人扱いしている処も出て来ました。ここで思い出したのは、アメリカのフーヴァー大統領がルーズベルト大統領を「太平洋戦争は、狂人(Madman)ルーズベルトの‟戦争したい“と言う希望から起きたもの」と断じて、近衛首相の和平提案を袖にした等を初めとする幾つかの事実によって戦争責任にも求める考えに理がある部分もあります。しかしながら、米民間情報局(CIE)が目論んだWGIP工作も、朝鮮戦争勃発によって後方支援と兵站(Logistics)を日本に要請することになり、齟齬が生じることになります。その後は日米安保条約に依る従属国として、日米軍事同盟を強化する方向に変質することになりました。
2022.04.13
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東京新聞の12月18日朝刊に、露伴の小説「蘆声」の舞台となった旧中川水辺公園、彼が頻繁に釣りに出掛けたことを紹介して解説しています。代表作の「五重塔」を発表、作家として地位を確立した幸田露伴は、現在の墨田区東向島に移り住み、酒屋の別荘だった建物を「蝸牛庵」と名付けて、妻と3人の子供、書生等と賑やかに暮らした。小説「蘆声」は、その当時を回顧するスタイルで描かれている。遠い記憶を辿ってみますと、小学校6年生の国語の授業で、有島武郎の「一房の葡萄」を読まされたのを記憶していますし、多分中学校の国語授業で幸田露伴の「五重塔」を読んで感想文を書くことがあったのでしょう。そうで無ければ、脳細胞が劣化しているとは言え頭の片隅に残っている訳はありません。「五重塔」は、主人公十兵衛の天才的な腕、不屈の精神や職人魂を称賛している小説のようにみえます。十兵衛の、恨まれようが何をされようが、自分の類まれなる才能を思う存分発揮したい、という自信や向上心は素晴らしいとは思います。それに彼は、おそらく皆さんがイメージする、頑固で融通が利かない職人気質のモデルケース。ですが、建築現場では、コミュ力が低いと仕事になりません。大工だけでなく、左官など多くの職人が迷惑を被ることを、悪い意味で証明しているのが十兵衛なのです。
2021.12.20
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一昨日深夜の強い雨で、夜来戸がガタガタと音を立てる程風雨の声がしたので、翌朝観てみますとは落ち葉が一面地面を覆っていました。落ち葉とは言え、未だ干からびていませんのでとても綺麗で、拾ってみることにしました。思い起こしてみますと、家内は齢を取っても文学少女で、よく種々の本を読んでいて、読み替え途中に、草木の栞を挟んでいたのです。綺麗な落ち葉、萩の小枝、等散歩の途中で見つけた自然のものが中心でした。そんな趣味を真似しようかと思って、小冊子の間に挟んで置きました。
2021.12.09
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彼の代表作とされる「武蔵野」に続き、27才で書き下ろした「忘れえぬ人々」は、人生の過ごし方を考えさせてくれる不思議な作品です。独歩は1907年に肺結核に羅症、しかし皮肉にも、前年に刊行した作品集「運命」が高く評価され、独歩は自然主義運動の中心的存在として、文壇の注目の的になりましたが、不幸にして36才で夭折となりました。簡潔な短編であることもあり、全文では無いのでしょうが、私の高校時代の国語教科書に掲載されていたのです。多摩川二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中程に亀屋という旅人宿がある。丁度三月の初めの頃であった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、沙無きだに寂しいこの町が一段と物寂しい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。・・・七番の客の名刺には大津弁二郎とある、別に何の肩書きもない。六番の客の名刺には秋山松之助とあって、これも肩書きがない。大津とは即ち日が暮れて着いた洋服の男である。やせ形な、すらりとして色の白い処は相手の秋山とはまるで違っている。秋山は25か6と言う年輩で、丸く肥えて赤ら顔で、目元に愛嬌があって、何時もにこにこしているらしい。大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの田舎の旅宿で落ち合ったのであった。・・・美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手にしゃべって、現今の文学者や画家の大家を手ひどく批評して十一時が打ったのに気が付かなかったのである。・・・大津は故ゆえあって東北のある地方に住まっていた。溝口の旅宿で初めてあった秋山との交際は全く絶えた。ちょうど、大津が溝口に泊まった時の時候であったが、雨の降る晩のこと。大津は独り机に向かって瞑想に沈んでいた。机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの『忘れ得ぬ人々』が置いてあって、その最後に書き加えてあったのは『亀屋の主人』であった。『秋山』ではなかった。小説「武蔵野」で知られる作家・国木田独歩(1871~1908)が今年、生誕150周年を迎える。独歩は小学校時代を山口県岩国市で暮らし、20才前後の2年間、柳井市で過ごした。独歩は千葉県生まれ。裁判所職員となった父は山口県内の各地で勤務した。東京専門学校(現・早稲田大)に進むため上京したが中退し、92年には柳井市に住む。独歩は柳井市を離れた後、大分県の私塾で教えた。94年に東京へ行く途中に1ヶ月程柳井に滞在後は、東京で新聞社の記者などをしながら作品を次々に発表、36才で神奈川県にて亡くなった。
2021.12.01
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我が家の書棚は随分貧相になりましたのは、長男夫婦を緊急避難して同居させるべく、書棚の一つを潰すべく、Book-Offに1000冊以上を売却したことに依ります。そんな状況ですが、残された書棚には、開高健の釣魚大全が残されていました。東京新聞28面に「竿と筆 文人と釣りに行く」で、開高健と日光白根山の丸沼で釣行する紀行が紹介されていたので、書棚を調べましたら偶然残されてたのです。40年前の米国滞在中は、家族を連れて、湖や海浜でよく釣りに出掛けたのです。発端は息子二人を夏キャンプに入れた処、湖での釣りを教えられたので、種々の湖やメキシコ湾海浜で釣りを楽しむことにしたのでした。特にガルベストン島のメキシコ湾海浜には、種々の釣り桟橋が設置されていたのです。其処では、高級魚とされるクロダイやヒラメが釣れましたので、よく出掛けたものでした。
2021.11.20
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劇画作家のさいとう・たかを(本名・斉藤隆夫=さいとう・たかお)氏が9月24日、84才で膵臓(すいぞう)がんのため亡くなったと報道されました。笑いを伴わないシリアスな漫画は劇画とされ、小池一夫原作・小島剛夕画の「子連れ狼」(こづれおおかみ)は時代劇であるのに、「ゴルゴ13」は現代国際情勢の中で狙撃者が活動するハードボイルド編、1968年11月から「ビッグコミック」にて連載中、超一流のスナイパー・暗殺者ことデューク東郷の活躍を描く劇画で、単行本(SPコミックス)の刊行数は単一漫画シリーズとしては世界一となる202巻を数え、シリーズ累計発行部数は3億部を突破して2021年7月にギネス世界記録に認定されている人気劇画なのですから、作家の斉藤隆夫氏の力量は偉大なものがあります。作品のほとんどには狙撃の依頼者がいて、コードネーム:ゴルゴ13(英称:Golgo 13)ことデューク東郷に特殊な依頼ルートを経由して接触する。ゴルゴ13は個人的ルールにそぐう場合にそれを請負、ひとたび請け負ったならいかなる困難があろうと完遂する。これが、概ね一話完結の物語として発表されている。私が初めてこの劇画を知りましたのは、1980年に駐在員として米国滞在中、日本からの出張中、機内で読むのに持参したものを頂戴したのが発端で、国際貿易の只中にいた実情にマッチした劇画だと、面白く拝読したのでした。
2021.10.17
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久しぶりに、読んでいて楽しい書籍に出会いました。著者はフィンランドのカンキマキ(Kankimaki)女史、執筆当時の2010年はアラフォーの40才世代、フィンランド出版会で名を挙げ、日本の皇室来訪の際は接待役を仰せつかる程の名士となっていました。偶然、枕草子の英訳版The Pillow Book of Sei Shonagonを知ることで、その随筆に夢中になって関連書籍を出版することを思い付き、フィンランド出版会にその由を申請して、2010年春に1万ユーロの助成金を得ることに成功して、日本行きを、春に3ヶ月、秋に3ヶ月の京都滞在を決行します。Amazonで購入して届きましたら、500ページで細かい文字で書かれている大作ですので、読了できるか否かは、甚だ心許ない感じがしている処です。未だ、春の京都行に差し掛かった処で、60頁少々ですが、もう清少納言に対する畏敬の念が吐露されているのです。セイ、世紀の変わり日までに、平安京は長安と共に世界で最も開花された文化中心地になった。そこに美意識と美が息づく宮廷文化が生まれた。これは中世ヨーロッパとは昼と夜程にも違うものだった。その当時、ヨーロッパを支配していたのは、デンマーク人、サクソン人とノルマン人で、戦争と遠征を行い、血に染まった後進的な国と言う暗いイメージを作り出し、900年代のヨーロッパの学識者や詩人は片手の指で数えるほどしかいない。アラビア文化圏では「千夜一夜物語」が書き留められ、アメリカ大陸ではマヤ文明が花開いていたが、代わって平安時代の宮廷では、独自の詩情豊かな世界が広がっていた。著者は、この本を「文学的な趣のある自伝紀行文学」と規定し、書き上げるのに3年を要したとされています。
2021.09.29
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昨日深夜NHKの「100分de名著」で、2015年ノーベル賞作家のアレクシエーヴィチ女史の「戦争は女の顔をしていない」が取り上げられていました。第二次世界大戦中、過酷な戦場の一つになったといわれる「独ソ戦」。ソ連側だけでも死者は約2700万人といわれています。この戦争で特筆すべきは従軍した女性兵士が100万人を超えるということです。そんな彼女たちの苦悩や悲しみ、希望や絶望を「証言文学」という方法で克明に描ききった本が「戦争は女の顔をしていない」。すると、人間の記憶と言うのは奇妙なもので、破壊されつつある脳内から「アブラモヴィチ」と言う名前が、曳き出されて来たのです。「Abramovich, G. N. The Theory of Turbulent Jets. 1963 MIT Press.」と言う会社の図書室で見つけた書籍で、高温の排気流が台風等でどのような挙動を解析するのに使ったのでした。その頃、降雨量が増えて来て、東京都下水道局では排水ポンプで洪水を防ぐ方策を改善計画していたのですが、ディーゼル駆動で傘車を介する排水ポンプでしたが、ディーゼルは数日おきに慣らし運転しませんと潤滑油が切れて使えない不便さがありましたので、保守整備の簡単な電動掛けの大型ポンプにして、商用電源喪失の際でも、電源供給出来るIM1500ジェットガスタービンを非常用電源装置にする計画で、強みは毎月1回の慣らし運転で良いと言うことでした。建屋も新しくすると言うので、下水道局から依頼され、村田政真設計事務所に行き、ガスタービンの運転に支障の無い様に助言するのが業務でした。ガスタービンの排気は400℃を越えますので、それが一部でも吸気道に入りますと運転性能に支障を生じますので、何とか防ぐ必要がありましたので、斜め上から風速40m/sが吹き降ろしても、吸気道入口に干渉しない様に排気口を5m嵩上げすることで解決することが出来ましたし、その後は羽田空港行きのモノレールで、空港への地下トンネル直前、右側に見える新しい建屋を何時も感慨深く眺めたものでした。
2021.08.15
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珠藻(たまも)刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)の崎に舟近づきぬ人間の記憶と言うものは、よく分からないもので、高校の古文の授業で出て来た万葉集の一節を、何の変哲も無い旅の唄の様ですが、よく覚えています。15~20才は知識欲が旺盛で、記憶力が発達する時期の様で、紫式部の「源氏物語」、Oscar Wildeの「幸福な王子(Happy Prince)」、Thomas Mannの「十戒(Das Gesetz)」、Paul Verkaineの「秋の歌(Chanson d’automne)」等の一節は未だ記憶の抽斗から取り出すことが出来ます。尤も、近頃は脳細胞も破壊されつつあり、アルツハイマーの気もありますので、その内忽然と消えてしまうのかも知れません。処女(をとめ)達が美しい藻を刈る敏馬を離れて夏草の茂る野島ヶ崎に舟は近づき、今宵は其処に廬(いほり)して、仮の宿りとします。柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が詠んだ八首の旅の歌の内の一つ。「敏馬(みぬめ)」は兵庫県神戸市灘区岩屋町。「野島(のしま)」は淡路島の北端。歌の内容としては、「美しい藻を刈る敏馬を離れて夏草の茂る野島の崎に舟は近づきました。」との、自身の旅の様子をそのまま表現しただけのものにも読めますが、前半の柔和な景色から後半の夏草の茂る野島へ近づいてゆく心の動揺が感じられます。おそらくは夏草が茂って荒れ果てた野島の地に上陸しようとする不安なこころの動揺を、歌を詠むことによって鎮めようとしたものなのでしょう。
2021.08.06
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加藤周一の「三題噺」に触発されて訪れたのは、20才代のことで、もう50年以上も前のこととなります。1.「狂雲森春雨」一休宗純の晩年の恋人盲目の森女との「官能人生」2.「詩仙堂志」 石川丈山の隠棲生活を「日常人生」3.「仲基後語」 富永仲基の独創的な思索の生活を「知的人生」三者の孤独な人生の極限の姿を、見事に豊かに書き分けられていた記憶がありますし、読んでみたらと知人に貸した積りでしたが遂に戻って来ず、我が家にはありません!石川丈山は、徳川家に仕える譜代武士の家に生まれ、大坂夏の陣に参加、軍令に反して抜け駆けをした為、家康に賞されず、浪人となり妙心寺に隠棲した。元和3年(1617年)林羅山の勧めによって藤原惺窩に師事し儒学を学び、文武に優れると評判になり、病気がちな母を養うために紀州和歌山の浅野家に仕官し、浅野家の転封に従って安芸広島に赴き、13年後、母が死去し引退を願い出たが許されず、強引に退去し京に出て、寛永13年(1636年)に相国寺の近くに睡竹堂をつくり隠棲した。更に、洛北に凹凸窠(詩仙堂)を寛永18年(1641年)に建てて、終の棲家と定め、洛東の隠者・木下長嘯子の歌仙堂(三十六歌仙の肖像を掲げていた)に倣って、中国歴代の詩人を36人選んで三十六詩仙とし、狩野探幽に肖像を描かせて堂内四方の小壁に9面ずつ掲げた。そのため凹凸窠は詩仙堂の名で知られるようになった。この画像はネットからの借り物で、著作権有無は確認しておりませんので、問題あれば削除となります。作庭に長じたとも言われ東本願寺枳殻邸、一休寺酬恩庵の作庭を手がけたとされ、詩仙堂の庭も見事な庭となっています。
2021.05.19
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南大沢イトーヨーカ堂前の路上で、古書展が開かれていました。本屋には目的も無く訪れて、物色するのが好きですので、数軒の古書店を尋ね、その中から朝永振一郎氏の「鏡の中の物理学」を定価の半値200円で購入しました。この書籍は、科学研究を目指す若者達への啓蒙書となっていて、専門用語や数式を使わずにその本質を解説することにあるのです。1. 鏡の中の物理学科学すると言うことは、奇妙に思われる事柄を追求するのが本質で、人間を幸福にするとか悪いものだから止すとは別物である。2. 素粒子は粒子であるか光線も電子も粒子に似た性質を持ったある素粒子の流れであり、場と状態ベクトルの考えを上手く合わせるのが素粒子論となる。3. 光子の裁判判事と弁護人の裁判と言う形式で、光子は入射光線から分かれた2成分の何れにも入って行くと性質を持っている。従来の常識的な粒子論と現在の非常識な素粒子の本質が、透徹した筆致で描き出しているとされていますが、初めての読者には簡潔過ぎて分かり難くなっている様な気がしてなりません。私の読書力と読解力が縮退を起こして、その論理展開に追いて行けなくなったと言うことなのかも知れません。齢を取りますと、肉体だけでなく精神的にも、衰えてしまう様です!
2021.04.16
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平家物語を題材にした歴史編、弁慶を模したマタギの弁太が主人公、一方の主人公である、平清盛、源頼朝、源義経は権力欲に憑りつかれ部下の生死は何とも思わない冷酷なリーダー役として、描写されています。心優しい弁太が、性悪女のヒノエを更生させ、妻として愛して幸せに暮らす様子が、この編の救いになっていて、手塚治虫のストーリテラーとしての優れた力量が感じられます。平安時代の終わり、奥州マタギの弁太は、浚われた許嫁を追って、京の都に出て、牛若という少年に出会い、家来になります。やがて都は、平清盛が病死して、騒然とした世の中になって行きました。牛若は成長して義経と名を改め、平家との合戦準備の為、奥州藤原氏に身を寄せますが、其処で弁太の許嫁が死んだとの報が入り、弁太は悲嘆にくれますが、義経が気晴らしに地元の夏祭に参加することを助言、其処で盗癖のある性悪女のヒノエに見初められ、仕方なく夫婦となり、盗癖被害に2度も会いますが、心優しい弁太は許して、ヒノエもすっかり改心してまともな妻に変身して幸せに暮らします。そんな折、平家討伐の勅宣が下り、義経は弁太に戦いに参加する様に命じ、既に愛妻となっていたヒノエを残して、源平合戦に挑み、壇ノ浦での平家滅亡となります。後鳥羽上皇の元に身を寄せて任官を待つ義経、恨む弁太だが、縁を切ることが出来ない。上皇に、義経を鎌倉に寄こせと言う頼朝、さもないと都に攻めのぼると脅迫。頼朝に屈して義経を斬り捨てた上皇、弁太たちと共に都を逃げ出す義経。訳がわからず腹を立てる弁太、だが平泉に戻ってヒノエと暮らせと言われて付いて行きます。平泉に戻り、ヒノエと再会する弁太。元の木こりの生活に戻りますが、そんな日も長くは続かず、鎌倉の圧力で義経の敵になった奥州藤原氏に包囲攻撃されます。弁太は丸太を手にすると、取り巻きの兵士に殴りかかり、愛妻のヒノエを背負って敵を倒しながら逃げる弁太、この二人がその後どうなったか、歴史には何も書かれていない。
2021.02.22
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「クォ・ヴァディス」はポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチの代表的小説で、これに因り1905年ノーベル文学賞を授与されました。「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」 を意味し、新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節からの引用でもある。 この言葉は、聖ペテロの運命を決めたばかりでなく、その後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとして作中のクライマックスで用いられている。この小説を知る発端となりましたのは、高校時代の社会科の授業で、担当教諭は嘗て文学青年だったらしく、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」、トーマスマンの「トニオ・クレーゲル」等、授業そっち抜けで、文学の面白さを語り出すのでした。その中にシェンキェヴィチの「クォ・ヴァディス」もあって印象深く覚えることとなりました。又、1951年にアメリカで、壮大なスケールのスペクタクルとして映画化されました。監督はマーヴィン・ルロイ、出演はロバート・テイラー、デボラ・カー、ピーター・ユスティノフ、レオ・ゲン。他にもエリザベス・テイラーがカメオ出演しており、無名時代のソフィア・ローレンが奴隷役としてエキストラ出演している。アカデミー賞では作品賞の候補を始め7部門(助演男優賞は2人なので8候補)となったが、監督賞や脚本部門では候補になれず、受賞もなかった。暴君ネロを演じたユスティノフはゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞でも助演男優賞の候補となっている。
2020.12.24
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日本のマスコミは、政権にすり寄る姿勢があからさまになって、啓蒙的立脚を忘れて危機にあると思い、「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」と言う書籍を購入してから、随分経ちますが、未だ読み進めていません。どうも年取って、読書力が減退しているのが主因かも知れません!望月衣塑子女史は、菅官房長官の記者会見で、敬遠されながらも舌鋒鋭く切り込む東京新聞の記者は青臭いジャーナリストとも言えましょうが、世に本当のことを知らしめる啓蒙的精神がある様に思えるのです。一方の佐高信は、これ又権力批判に溢れた評論家で、切れ味鋭い政治論評で知られる硬派ジャーナリストの典型です。近頃は無批判に政府に迎合するマスコミばかりで、世を啓蒙するべきジャーナリズムの役割を放棄している様に思えるので、読んでみようと購入したのですが、全編が対談集となっていたので、落胆しての積読になりつつあります。対談集はその場限りの発言が多く、推敲が不足していますので、論拠が不明な処も多くて不満、対談集書籍は敬遠しているのです。啓蒙的な論客であった吉本隆明氏についても、我が家では対談集は殆ど積読状態になってしまっています。その内、気が向いたら気軽に通し読みしてみる積りです!
2020.11.20
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トーマスマンの十戒Das Gesetzは次の様な冒頭文で始まります。Seine Geburt war unordentlich, darum liebte er leidenschaftlich Ordnung, dasUnverbrüchliche, Gebot und Verbot彼の生まれは不規則だったことから、秩序、特に確固たる戒告とか禁止とかに忸怩たる思いもありながらも、残念なことに愛することになりました。19才のドイツ講義でのTextで、何処まで読み進んだか、記憶の抽斗には残っていませんので判然としませんが、此の冒頭文は60年経った今でも思い出すことが出来ますが、講師の氏名も思い出すことは出来ません。この作品は第2次世界大戦の最中の1944年に刊行された小説で、1961年の講義時点では古典としては分類されていなかったのでしょう。旧約聖書の出エジプト記第2章には次の様に書かれています。レビの娘を娶った。女は身ごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、3月の間隠していた。しかし、隠しきれなくなったので、パピルスで編んだ籠を取り、子をその中に入れ、ナイル河の岸の葦の中に置いた。その姉は、彼がどうされるのか知ろうと、遠く離れて立っていた。時にパロの娘が身を洗おうと、川に下りて来た。葦の中に籠のあるのを見つけ、開けてみると子供がいた。「この子はヘブル人の子供、ヘブルの女に乳を飲ませる様にしてください。その報酬は払います」として、成長を見守ることにした。成長した子は、パロの娘に連れて行かれ、その子となり、モーセと名付けた。
2020.08.28
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文芸春秋2020年6月号は「コロナ後の世界」が特集でした。種々の自称論客が、愛国主義の観点から自説を述べていますが、その中にあって、フランス人のエマニュエル・トッド氏が「新型コロナはグローバリズムへの審判」として寄稿しているのが気になりました。グローバリズムの恩恵を最も受けたのは高齢者、最も犠牲になったのは若い世代です。死者が高齢者に集中しているのは、あたかも「グローバル化の中で優遇されて来た高齢者を裁く為に神がウイルスを送り込んだ」と見えなくもありません。低リスクの若者世代に犠牲を強いることで、高リスクの高齢者世代の命を守ったからです。今回、体験したのは行政を担当する「知的指導層」が、知的に崩壊しているのかを曝け出しました。政府の対策は朝令暮改で、唖然とするしかない無能ぶりでしたが、あてにならない政府の下でも、自発的に、自律的に正しく行動出来たのは、「文化的な力」のお蔭です。と言うのも、コロナ禍では、「全体主義」「独裁主義」の体制が成功し、中国式の監視管理こそ感染症対策として有効だとの議論が支配的だからですが、しかし、文化的な豊かさと社会に内在する潜在力こそが、本当の意味で最良な対策となって来るのです。今回、新型コロナの被害が大きかった先進国が直ぐに取り組むべきは、将来の安全の為に、起こってしまった産業空洞化を克服すべく、社会インフラを再構築すべく、国家主導で投資を行うことです。それに加えて、医療体制を確保すべく、医療産業を保護する措置も採るべきでしょう。グローバリズムは、諸国に跨るサプライチェーンを構成して、効率的な経済体制を享受して来たのですが、コロナ禍で諸国との交流が途絶えますと全く機能しないことが明らかとなりました。やはり、今回の騒動で、グローバリズム体制に加えて、最低限のサプライチェーンは自国内でも賄えることが必須と言うことを如実に教えてくれたのだと思われます。
2020.07.12
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先日出して来たカミュの「異邦人」を書棚に仕舞いに行きましたら、その横にグレアム・グリーンの「権力と栄光」があるのに気が付きました。革命で荒れるメキシコ、カトリック教会も非合法となり、すべての司祭が銃殺されるか国外逃亡する中、逃げ遅れた一人の司祭。追われる神父を歓迎できない人々にとってもつらいけれど、神父にとっても苛酷。そもそもこの神父、酒は飲むし、日課はなおざり、私生児までいる破戒僧。それなのに聖職者たる信仰心を断ち切れない葛藤が哀れ、遂には捕えられて、処刑をされるのだが、それまでは死が怖い、もっと生きたいと願っていた心が、最後彼の心は「落ち着いていた」と描かれている。もう一人権力に屈して妻帯したヂョセ神父がいい対比になる。「権力と栄光」(The Power and the Glory)は、1940年に出版されたグレアム・グリーンによる長編小説ですが、読んだ記憶がなく、所謂「積読」の書籍となっていた様です。1960年代、孤狸庵先生と呼ばれて、新聞に剽軽小説を連載していた遠藤周作が、キリスト教弾圧を主題とする「沈黙」を発表したことに、何故と思いつつ「私の影法師」(現在絶版で検索出来ません)と言う随筆集を読んで、彼が敬虔なクリスチャンで、グレアム・グリーンやモーリアックに触発されたと言うことが分かったのです。遠藤周作はこの作品を賞賛し、「沈黙」を書く際に大きな影響を受けたと語っている。グレアム・グリーンも「沈黙」を読んで「サンデー・テレグラフ」の書評欄でベスト3の一つとして挙げている。
2020.04.16
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新型コロナウイルスに依って、感染者爆発が発生、多数の死者が出ていて、収容出来ない情勢が起こっている状況は、アルベール・カミュの小説「ペスト」に酷似するとされて、読み返す人達が多くなっていると、報道されています。時宜を得たTV番組「百年の名著」で、1時間半に総集して、小説「ペスト」が奉仕と連帯感に依って、パンデミック病理に立ち向かい克服するですが、遂には羅症してその立役者の一人が死亡すると言うストーリーを紹介、カミュが洞察した未来はどうであるべきだったのかを解説していて、「ペスト」を読みましたのは、50年以上も前のことで、すっかり記憶の抽斗から忘れていましたので、興味深いものがありました。書棚を観てみますと、「異邦人」、「シジフォスの神話」の仏語版が死蔵されていました。これらは、会社の行き帰りに、晴海通りにあったイエナ書店と言う洋書店で購入したもので、既に50年も経過しています。これらは、カミュ20才代の著作、流石最年少でノーベル文学賞を受賞した逸材であったことが頷けます!カミュの著作は「不条理」という概念によって特徴付けられている。カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことで、不条理な運命に目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼び、人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生むとする。カミュの文学は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義等、不条理な暴力との闘いだった。それに対して、彼は一貫してキリスト教や左翼革命思想のような価値観に依存せず、「父」としての「神」も、代理人としての「歴史」も拒否しつつ、生の意味を探し求めた。彼は絶えずあらゆるイデオロギーと闘い、実存主義、マルクス主義と対立した。ソビエト全体主義に対する批判はコミュニストたちと対立させ、又実存主義の提唱者サルトルと絶交するに至った。彼の著作のヒューマニズムは、歴史の最悪時期における経験のなかで鍛えられたものであった。
2020.04.12
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昨日、郵便局に行ってみましたら、星の王子様の記念切手が2種類販売されていましたので、封書用切手シートを840円で購入して来ました。84円シートは、主に原作のイラストをストーリーに沿って配置したデザインとしていて、作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ氏が自ら描いた絵が並べられていました。我が家にある「星の王子様」朗読CDのジャケット、未だ最愛のバラを世話して自分の星で暮らしている情景です。地球から、自分の星へ帰るに際し、体を軽くする為毒蛇に噛まれるシーンが最終の絵、自分の存在価値を悟った精神だけとなってしまうと言う物語でした。発売は昨年2019年12月だったのですが、何の経緯があって、発売されてのかは分かっていません!
2020.03.05
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第2次大戦後に、フランスの哲学者サルトルやぼボーヴォワールが展開した哲学的見解で、ポンティやカミュ等も実存主義運動を展開しましたが、元来実存主義者とは「人生に目的を持たず不条理に現実存在している」ことを批判する呼び方でもあって、マルクス主義との哲学闘争に後塵を拝し、「実存主義」のレッテルを貼られることをあからさまに拒絶する様になって、次第に下火となりました。生きる哲学としてのマルクス主義も、新自由資本主義との経済競争に敗れてしまって、哲学不在の時代となりましたが、ドイツ哲学や観念論、現象学、解釈学を踏まえて、実存哲学から抽出したものを抱合した「新実存主義」がフランスではなくドイツから提唱されている様です。新実存主義とは、「心」と言う乱雑そのものとしかない包括的用語に対応する、現象や実在はあり得ない見解とされて、種々の反駁をされている未完の提言である様です。世界は、あらゆるものを抱合する1個の対象領域でも、あらゆる事柄を抱合する1個の事実領域でもなく、「あらゆる意味の場から成る意味の場(Field of Sense : FOS)」として理解すべきである。新実存主義では、「心」は自然秩序(宇宙)にも世界にも属さない。「心」は、しかるべきFOSに位置を占め、容易にその存在を受け入れることが出来るのだ。「心」と言う語で表される一つは存在しないとし、実存主義と心の哲学を繋ぎ、精神の自由を取り戻す為の存在テーゼとしていますが、未だ反駁や議論は続く様な気がします。
2020.02.10
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近頃、頭脳が硬くなって、得手だった応用数学も敬遠してしまいますが、新聞広告で岩波現代文書の中に、小平邦彦氏の「幾何への誘い」が宣伝されていましたので、Amazon経由で購入してみました。小平氏は、日本初の数学界のノーベル賞とされる、フィールズ賞の受賞者で日本数学界のレベルを引き上げた功労者でもあります。文書構成は、第1章 図形の科学と平面幾何 第2章 数学としての平面幾何 第3章 複素数と平面幾何 となっていて、複素函数論へ幾何学展開されているのに驚かされます。読み頃は、第1章で、三角形の公理定理、平行線の公理、円の公理が分かりやすく記述解説されていて、本書の分量の半分以上を占めていて、読み応えがあります。円錐曲線を構築したフランスの天才パスカル16才の時に発見した定理、フォイエルバッハの定理については、詳しく記述されていて、興味が尽きません。ギリシャの哲学者プラトンが、創始した学院の入口には「幾何学を知らざる者は入るべからず」と言う額が掲げられて、論理の訓練として重視されていたと言うのも分かる様な気がして来ます。複素函数の幾何学表示はドイツの天才ガウス(Gauss)が、創意工夫したされた世界ですが。この章は記述解説も少なく、読み進めるのには難しい様に思われます。しかし、幾何学の面白さと知識展開での重要さを知る意味では絶好な書物の様でした!
2020.01.25
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東大駒場の図書館長であった岸本英雄氏が、ショーペンハウエルの箴言「読書は他人にものを考えて貰うことである」を紹介していた記憶があります。読書は他人にものを考えて貰うことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的に辿るに過ぎない。更に読書にはもう一つ難しい条件が加わる。即ち、紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者の辿った道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。そうは言いましても、知識を高めるには、やはり読書と言う習慣は欠かせないもので、諸人の論じた見識を取捨選択しながら、自分の辿るべき道筋を見極めることが出来るのだとも思えますが・・しかし、この頃は知識力が減退して、それに応じて読書量が大幅に減って来てしまいましたので、読書力が低下して、なかなか読了出来なくなりました。これは、私が読了した中島敦の短編集と交換した、知人の所蔵していた「ケルト神話の世界」、ヨーロッパ文明の根幹とも言われ、ローマ文明とも拮抗したケルト文明を論じたものですが、11月末から1月経ちますが、未だ上巻の半分しか読了していないのです。多様な考えを受け入れなくなる、頑迷を旨としてしまう老齢化が加速しているのかも知れません!
2019.12.30
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文芸春秋は3ヶ月連続で、悪化した日韓関係を特集、今月号は韓国でもベストセラーになった「反日種族主義」の著者の内の3人を呼んでの対談記事でした。「反日種族主義」は日本でも文芸春秋社から発刊されていることもあり、文芸春秋社は社内を通じて悪化する日韓関係を追求している様です。非学問的な歴史観が韓国に生まれ定着してしまったのかを考えたときに見いだされたのが、韓国の歴史と文化に根差した「反日種族主義」でした。種族主義とは聞きなれない言葉ですが、同一の主張の人々がまるで種族・部族のようになり、意見の合わないものとは対話せず力ずくでも排除しようとする非寛容な心性を指します。この反日種族主義が韓国には蔓延(まんえん)しており、それが日韓の関係を危機に陥らせている根源である-と著者らは言います。朱益鐘氏は、「6章を担当、1965年の国交正常化と請求権問題を執筆、関係を結んだことで、今更徴用工や慰安婦への補償は出来ないと主張しました」とのことです。金容三氏は、「反日が非科学的な迷信に基づくものであるかを、風水鉄杭問題を取り上げて、金泳三政権が親日清算の名の下で行われたことを暴露しました」とのことです。鄭安基氏は、「日帝時代の朝鮮人陸軍特別志願兵について調査報告をし、彼等が強制動員の被害者として単純化し歪曲されて来ました」とのことです。しかし、3著者共、「こうした反日種族主義を言うのは、慰安婦問題に意義を唱えるのと同じく非常に危険です」とし、韓国内では相当のバッシングを受けているらしいのです。国際的にも合法であった日韓併合を不法な植民地支配とし、日本と共に敗戦国扱いであるのに日本企業を戦犯企業と名指して謝罪と賠償を永久的に展開し、我田引水に歴史を捏造して、徹底的に反日教育を展開し続ける韓国とは、信頼出来る隣国関係を持続することは不可能なのだろうと思わざるを得ません。しかし、捏造した歴史教育を打破して、真の歴史を学ぼうとする芽生えが生じて来ているのは小さな希望とも思われると期待している処です!
2019.12.06
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先日、晴海での音楽演奏会の際、知人のアパートで中島敦の小説集を読み終わったので差し上げますと言いましたら、「代わりに!」と言って頂戴した書籍です。もう、1週間も経ちますのに、5章構成の内2章までしか読み進んでいません。嘗てヨーロッパの2/3はケルト人のものであり、農耕に於いても産業に於いてもローマ人より進んでいた。古代ケルト文明は、秘儀、冒険、天変地異、神々との闘い、宿命の恋など、その豊穣にして波乱万丈の物語があった。南ヨーロッパ地中海沿岸のローマ帝国とは、軍事的にも拮抗していた様ですが、シーザー率いるローマ軍に、ガリア戦記で「来たり、見たり、勝ちたり!(Veni, Vidi, Vici!)」と壮絶な戦いではあった様ですが、遂に制服されるに至ります。その後、ローマ帝国がキリスト教を国教と定めてからは、キリスト教文明によってケルト文明は封印されることになりましたが、人々の意識根底には残されているとされます。ケルト神話には、地中海系の神話とははっきり区別される固有の特色がある。神々を人間の姿で表すことが出来るとは考えていなかったと言う事実である。ギリシャ・ローマ人が神々を人間の姿で描いたことは、形而上的思考の未発達な粗野な精神を証明している様に思え、真のケルト芸術は非具象的で、複雑な抽象的思考を表現しているのである。翻って、日本でも聖徳太子以降、仏教を国教と定め、仏像や仏画を信仰の対象としていますが、日本古来宗教とされるか否かは議論の余地もある神道では、具象では無く、抽象である気がしていて、ケルト文明と似ているかと思いつつ読み進めて行くことにします。遅々としていますが、Amazonで「ケルト神話の世界下巻」を予約購入することにしました!
2019.12.02
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文芸春秋11月号は10月号に引き続き、最悪の日韓関係を掲載しています。対決か協調か-橋下氏と舛添氏対談反日種族主義と闘う-李栄薫氏何故韓国が敵対国か-文正仁氏橋下氏は韓国克服派、舛添氏は韓国譲歩派として、「原則は被害国が被害を受けた自国民に補償」と国際的に認められると言う。舛添氏は、「韓国での徴用工判決」、「日本の韓国ホワイト国除外」、「韓国のGSOMIA破棄通告」と、双方が罵りあう状況に驚きます。橋下氏は、「戦後の自虐史観を教育されましたが、日韓併合や竹島問題の現実を知り、韓国の主張はおかしいと感情的に鬱積していたのが、徴用工判決で一気に爆発した。」と、請求権は日韓請求権協定で解決済みなのに厚かましいと言う論調になる。最終的には、国際司法裁判所(ICJ)の判断に依る解決が望ましい。どのような判決でもお互いに尊重し、国民の反発が一時的にあっても突破して行く日韓の政治に期待します。李栄薫氏は、韓国の反日メカニズムに迫った本は、先頃辞任したチョグク法相が「吐き気がする」と非難した途端にベストセラーになりました。韓国社会では、政治、司法、メディアに至るまで、嘘や迷信が平然と語られ、反日が繰り返されています。今の日韓対立は韓国によって発生している問題で、解決は日本でなく、韓国がすべきなのです。文正仁氏は文在寅の告げ口外交の急先鋒として、「日本は輸出規制を解除せよ」、「金正恩はカリスマ性のある素晴らしい人物」、核心は文在寅‟被害者中心主義“と安倍‟国家主義”の決定的な落差」と、上から目線論調に余念がありません。結局、日韓関係は実質的に破綻しており、断交に向かって突き進んでいるとみる他は無さそうでした!
2019.10.21
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江碧鳥逾白山青花欲然今春看又過何日是帰年広く知られる律詩の「春望」と共に高校の漢文教科書に載せられている、有名な杜甫の「絶句」で、次の様に読める唐詩です。江(こう)碧(みどり)にして鳥(とり)逾々(いよいよ)白(しろ)く山(やま)青(あお)くして花(はな)然(も)えんと欲(ほっ)す今春(こんしゅん)看々(みすみす)又(また)過(す)ぐ何(いず)れの日(ひ)か是(こ)れ帰年(きねん)ならん揚子江の水は青々とし、飛ぶ鳥はますます白く、山は緑になり、花は燃え出さんばかりだ。今年の春もみるみる過ぎ去ろうとしていて、何時になったら故郷に帰る日が来るのだろう・・。高校1年生の漢文試験時には、「この絶句の魅力は何処か?」と言う問いでしたが、「碧と白、青と赤と言う色の対比」と言うのが正解だった様ですが、当時の私は正解に達しなかったと記憶しています。大型連休が過ぎて、躑躅が盛りとなって春爛漫ですが、この唐詩を読みますと、自分の老齢が講じて来ることを自覚しますし、大学同期生もポチポチと鬼籍に入り出しましたし、私が何時まで人生を過ごせるのかと寂しい思いに駆られてしまいます。
2019.05.07
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昨日は会社時代の先輩宅にお昼のお呼ばれをし、特上ビフテキを頂きました。昔話をしていましたら、米国駐在時代にメキシコへはガスタービン拡販の為、ヒューストンから多数回出張した際、お世話になった当時の事務所長であった中村保氏が、「ヒマラヤの東」3部作を刊行、2004年に秩父宮記念山岳賞、2008に英国王立地理学協会バスク・メダル賞、を受賞すると言う快挙を成し遂げていることを知りました。「チベットのアルプス」と言う完結編が中村氏から寄贈された本があると言うことで、早速貸して頂き、読んでみることにしました。中村氏は登山先輩から得て座右の銘としている「登山家は読むこと、登ること、書くことの三つが揃って一人前と言える」は、全ての人間に言えることで、面白そうです!処で、先輩はステンドグラスを多数製作していて、気に入った作品を持ち帰ってくださいとのことで、25㎝角で青色が映えるステンドグラスを頂戴することにしました。これまで、4個も頂いているので、恐縮はしたのですが・・今朝、ガラス戸に掛けてみますと、空色と温色の配色が素晴らしく、何故かシャルトルブルーを思い出しました。世界遺産であるシャルトル大聖堂には行ったことは無いのですが、青を駆使したステンドグラスはシャルトルブルーと言われていて有名なのです。数百年掛けて経年変化した青色が微妙にオリジナルから変化した様子が、歴史を物語ると言うことなのかも知れません。
2019.04.27
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先日、NHKEテレ「100分で名著」番組で、万葉集の解説があった折、東歌の「多摩川に・・」が紹介されていました。万葉集の中でも、で、東国の風景を描きつつ、訛りもそのままで、率直に詠んだ和歌がありますし、又、万葉集には、九州沿岸の守りについた防人が詠んだ歌が収録されています。巻第14に、「東歌(あずまうた)」と銘打って、武蔵、相模など東国12国の歌として、230首が撰定されています。防人(さきもり)の歌は、巻13、14にも含まれていますが、巻20には最も多く含まれているとのことです。東歌の中で、東京都に関する歌は下記の2首が撰定されています。3373 狛江市 調布市多摩川に曝(さら)す手作さらさらに 何そこの児(こ)のここだ愛(かな)しき3377 府中市武蔵野の草は諸向(もろむ)きかもかくも君がまにまに吾(あ)は寄(よ)りにしを防人の歌では、防人見返り峠のある「よこやまの道」が歌われています。多摩市、稲城市、町田市赤駒を山野に放し捕(と)りかにて 多摩の横山徒歩(かし) ゆか遣(や)らむ特に多摩川を詠んだ歌は、「さ」と「こ」が重複して転がる様になっていて、リズム感の塊にも思えます。覚えているのは、多分高校の教科書に載せられていたからなのでしょう。万葉集以後、勅撰の和歌集は、貴族文化の象徴と化してしまうのですが、万葉集を勅撰した大伴家持は、広く国民の歌として纏めた功績は非常に大なるものがあります。
2019.04.24
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個人や自国の利益ばかりを追求する、新資本主義が世界を吹き荒れています。中国も共産主義と言う万民庶民を豊かにする教義から逸脱して、新資本主義と変わらない国家資本主義を展開中ですから、何処に居ても安寧の場所はありません。明治以来の日本の政治経済の発展の歴史を学ぶことで、難局打開出来ないかと、授業やゼミを展開しているのが、知性・知識の殿堂とされるハーバード大学の日本史教室の様で、数々の提言が傾聴に値すると思われるのです。得てして、自国の良い処ばかり教えて愛国教育を施す。これでは「偽りの誇り」と「実体のない品格(Empty Diginity)」を持つ国民だけになってしまう。こうした動きが日本、米国だけでなく、ヨーロッパ、中国、韓国等に広がっていて、非常に危険な兆候です。日本には負の歴史に向き合う勇気を持ち、テクノロジー、環境政策の強みを生かし、高齢化社会問題を解決して、世界から更に尊敬される国になって欲しいのです。明治維新で、坂本龍馬、西郷隆盛は脇役で、大久保利通、木戸孝允が主役、主役の彼等は「西洋と日本のギャップ」に直面し、そのギャップを埋めようと必死に努力する明確な目標があったのですが、現代の日本には明確な目標がありません。日本の指導者は、江戸時代のサムライの考え方を受け継ぎ、「得た富は国民に分配されるべき」と考えたことで、明治以降、資本主義国家となりましたが、指導者は武士の精神を持ったサムライのままで、貧富の格差がそれ程拡大していないのです。世界は渋沢栄一に学ぶべきで、彼が理想として掲げていたのは、倫理的な責任感を伴った株主資本主義です。三菱の創業者岩崎弥太郎は個人が利益を追求して独占する資本主義に傾倒していて、渋沢とはしばしば対立しました。勝者と敗者の格差を助長する経済システムは、人々から支持されず、正当性を失います。貧富の格差は危機的状況で、早く彼の考えに目を向けるべきでした。日本の経済発展モデルはアジア諸国の模範となったのは、「教育水準を高めれば、社会や経済を良い方向に、短期間に実現可能」と証明してくれたからです。それには、仏教の影響が大きく、仏陀の信仰順位は1に知識、2に善い行い、3に信仰です。一方キリスト教やイスラム教では、1に信仰として、何より優先されるのです。仏教国の方が知識獲得に熱心なのは、その為です。世界に知性と知識を提供し、学校や病院を設立支援する等、既に実践して来たことを拡大し、日本は世界の良き模範となって欲しいのです。
2019.04.19
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著者と言うか対談者2人は外務省で、実際に外交の最前線で活躍したことで、分析と見識には傾聴に値するものがありますが、政治は一寸先が闇と言われるごとく、予測通りにはならないことも、散見されます。例えば、米朝会談については、「北朝鮮側は今後も核兵器を持ち続ける。それを米国がどう言う形で認めるかは交渉の余地を残す」としているのですが、会談は決裂となりました。中国の習近平は、「構造改革を断行すべく、憲法を改正し、国家主席の任期延長を可能にした」と是認していますが、大学関係者から「自分の名前を憲法書き加えて、自らを美化すると共に、国家主席の任期を廃止するなど、権力を私物化している」とのあからさまな批判が出て逮捕者続出、先行き注目です。EV自動車は、対応が早い中国が「脱石油」として開発を急いでいて、その将来性高いとしていますがますが、寒冷地にはEVは不向きで、HVが適正思われてなりません。火力発電では熱効率30~50%、原発では30%で、電気エネルギーを得たのに、そのまま暖房用の熱として発散させるのは無駄遣い、やはり暖房は加熱したエンジンに送風機を当てて利用するのが適正だと思うのです!かの有名なマルクスは弁証法的唯物史観論を展開する過程で、共産主義到来を予測した。-社会の発展は、物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる。-生産力が発展すると、従来関係に矛盾が生じ、その矛盾で生産関係が変化する。-生産力や生産関係は、個々の人間の意図や意志とは独立して変化する。-政治的上部構造は、経済的下部構造に規定される。(下部構造が上部構造を規定する)-今ある形態が生産力の発展を助けず、その足かせとなる時に革命がおきる。しかし、資本主義国では共産革命は起きず、封建主義国のロシアや中国で起きることになりました。予測は殆ど当たらないと考えるのが妥当の様です!
2019.04.01
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NHKBSの「温故希林」と言う番組をよく見ていましたが、古物専門家へは、結構きつい発言をしたのですが、嫌みも無く正鵠を得ていたこともあり、楽しく観ていました。今回の遺書ともされる著書は、文芸春秋の編集者が対談コメントを纏めたもので、話し言葉で綴られていますので、読みやすくポジティブな生き方に感心させられます。61才で乳癌発症、70才で全身に転移するも、75才で逝去するまで、仕事を続けて淡々と生き抜いた人生観を、第1章生きること、第2章家族のこと、第3章病のこと、第4章仕事のこと、第5章女のこと、第6章出演作品のこと、と生きる為の全ての観点からコメントされているので、ポジティブで示唆に富む書籍となっていますので、一読することをお薦め致します。人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前、私自身は、人生を嘆いたり、幸せについて大袈裟に考えることも無いんです。何時も「人生、上出来だわ」と思っていて、物事が上手く行かない時は「自分が未熟だったのよ」でおしまい。お金や地位や名声が無くて、傍からはつまらない人生に見えたとしても、本人が好きなことが出来ていて「ああ、幸せだなあ」と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いていますよ。どの夫婦も、夫婦となる縁があったと言うことは、相手のマイナス部分が必ず自分の中にもあるんですよ。それが分かって来ると、結婚と言うものに納得が行くのではないでしょうか。時々、夫や妻のことを悪く言っている人を見ると、「この人、自分のことを言ってる」と、心の中で思っています。けだし、話言葉ではありますが、名言に溢れていました。
2019.02.13
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ふと、高校1年生で教わった漢文を思い出しました。唐の時代、李白、杜甫とも並び称される晩唐の詩人の杜牧が作った七言絶句、春たけなわの時期ですので、厳冬の時期には相応しくありませんが・・江南春望 こうなんしゅんぼう 作者 杜牧 とぼく千里鶯啼いて 緑紅に映ず せんりうぐいすないて みどりくれないに えいず水村山郭 酒旗の風 すいそんさんかく しゅきのかぜ南朝 四百八十寺 なんちょう しひゃくはちじゅうじ多少の楼台 煙雨の中 たしょうのろうだい えんうのうち晩唐の詩人杜牧の時代から、約300年遡ると、江南の地には南朝の歴代王朝があった。国力は不安定だったが、貴族的な仏教文化が大いに栄えた。そのような南朝は、唐代の文人にとって憧れであったことも、この詩の空気のなかにある。悲しいことに、このような美しい風景は、今の中国にはない。水も空気も限りなく清らかな天然の美から、現代の私たちはどれほど遠ざかってしまったことだろう。漢詩好きとしては、ひときわ感傷的にならざるを得ない。中国だけでなく、日本でも海岸や河川がコンクリート護岸で固められ、自然の中で親しみつつ生活出来る風景はめっきり少なくなりました。毎年訪れる五島列島も海岸がコンクリート護岸やテトラポッドで埋め尽くされ、海は磯焼けで海藻や魚が激減してしまっています。
2019.01.22
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新進気鋭のジャーナリスト堤美果女史の「日本が売られる」は、米国追従の自由資本主義の国家経営に対する凄まじい告発書となっています。水が売られる-水道民営化土が売られる-汚染土再利用食の選択肢が売られる-食品表示消滅農地が売られる-農地法改訂森が売られる-森林経営管理法海が売られる-漁業法改訂労働者が売られる-高度プロフェッショナル制度医療が売られる-国民保健消滅老後が売られる-介護の投資商品化アメリカ政府は、圧倒的新本力を有する大企業の意向を受け、「食をコントロールする者が人民を支配し、エネルギーをコントロールする者が国家を支配し、金融をコントロールする者が世界を支配する」と、石油業界に準じたモデルが農業・食品業にも適用してプロジェクト化し、それも、「今だけ、カネだけ、自分だけ」と言う自由資本主義のビジネス論理を邁進させたのです。少しでも多く儲けたい巨大グローバル企業は、TPP、EPA、FTA、RCEPと国際社会の規制をなぎ倒しつつ、自らは自国補助金や規制でしっかり守るのですが、対米追従の日本政府だけは規制や補助金防壁を自ら崩して自国産業を丸裸にしているのです。やはり日本政府が推進している、大企業が富めば、国民全体がその利益の一部を享受して、やがて豊かになると言うTrickle Down政策は幻想に過ぎない様なのです。著者があとがきで希望する、「人間本位の経済施策」を取り戻す必要がありそうです。企業の四半期利益では無く、100年先も皆が健やかで幸福に暮らせることの方に価値を置き、ユネスコが無形文化資産に登録した、「協同組合」やグローバル企業とは一線を画した「卸売市場」と言う考え方が、強欲資本主義から抜け出す尊い羅針盤となること、人間を大事にする未来を選ぶ自由を手放さないことを願って止みません。マスコミも報じてはいるのですが、断片的であり、その場限りで系統性がなく、余程留意していませんと見逃してしまうので、この書籍は一読の価値はある様です!
2018.11.05
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昨日は気持の良い秋晴れ、昔を思い出して喫茶店で読書してみようと、持参して堤未果女史著の「日本が売られる」を持参して、高円寺まで行ってみることにしました。井の頭線の「永福町」駅前のバス停で、「高円寺」駅行きのミニバスを待つことにしました。通りの向こう側に、バスターミナルが見えますが、昔から中野の実家に行く時によく利用していましたので、懐かしい感じがしました。ミニバスは、松の木町の住宅地を通り、五日市街道から青梅街道を通り抜けて、高円寺駅南口に到着、賑わう商店街を5分程歩いて抜けていきますと、名曲喫茶ネルケンに着きます。静かで窓際が明るい、気持ちの良い喫茶店ですので、窓際に席に座り、昼食用のマーマレードトーストと濃いコーヒーを頼んで、読書を始めます。僅か300ページに満たない新書版ですが、「日本政府が米国に追従して、日本の全てを売り渡している」との告発本、マスコミでも報じられていない情報も多く、「日本の未来は危うい」と思いつつ、中々進みません。1時間経過し、100ページ程読んだ処で頓挫、高齢となりますと読書スピードも遅くなり、集中力も持続出来なくなる様です。諦めて帰ることにして、ミニバスに乗り、五日市街道の大法寺バス停で降り、永福町駅まで歩いて行くことにしました。長男夫妻が14年住んでいた、善福寺川沿いのアパート群は取り壊され、更地になっていました。氾濫の多かった地域ですので、大きな貯水槽を建築中と思いきや、更地にしたままで掘り起こしてはいないので、どの様な計画なのか分かり兼ねます。今回は、前回の散策距離は半分の2㎞程度、膝の痛みも発生せず、「永福町」駅に着くことが出来ました。
2018.10.31
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手塚治虫氏の遺作漫画は第2部の始めで絶筆となって、絵コンテのみが残されています。第1部は1960年代の学園紛争の中、それとは無縁であった老齢の教授が、「この世が美しいと言う処まで世の中を謳歌出来る」との悪魔と契約して、若者に変身して活躍、遂には妙齢の女性を誘惑しては捨て去り、国外逃亡となる処で終わる。第2部は、それから数十年経って帰国し、その女性に会い、後悔の念に駆られている処で、絶筆となっていますが、どの様な展開を見せるのかは、興味の湧く処です。多分、原作の「ゲーテのファウスト」と同じく、その女性に悪魔との契約を解いて貰うことになるのかも知れませんし、オリジナルストーリーとするのかは、何とも判断し兼ねます。ネットでは、次の様に紹介されています。手塚治虫は生涯で3回、ゲーテのファウスト物語を基にした漫画を描いた。1作目は戦後間もない20才頃に描いた児童向け赤本漫画「ファウスト」で、2作目は虫プロ社長を辞めた直後、42才頃に描いた「百物語」である。「ネオ・ファウスト」は3作目に当たる。「ネオ・ファウスト」は、1987年から「朝日ジャーナル」にて連載されたが、1989年の手塚の死により未完且つ絶筆となった。終盤になると絵コンテのみが掲載され、そのまま絶筆になったことを物語っている。収録されている最後のページは絵コンテのまま「先生の側近に三人のおもしろい者たちをはべらせます」「誰なんだ」という台詞で終わっている。その3人が一体誰を指すのかは謎のままであるが、手塚はその後の展開を作り上げていた。それは、作中に登場する左翼活動家・石巻の精子が新生物となり、地球環境を壊滅させるという内容である。また、物語中盤で球体に入った女性が登場するが、これは人間ではなく「地球の存在そのものを表す生命体」として登場する予定であった。
2018.10.25
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新聞広告を観ていましたら、Dancyu11月号の第1特集「おにぎり」、第2特集「塩を極める」となっていましたので、本屋に行って買って来ました。浜に残され乾燥したホンダワラ等の海藻に付いていた藻塩が日本の塩の原点と言われ、その後海砂を利用した塩田や枝に海水を掛ける塩田が開発されましたが、1972年にイオン交換方式採用で、塩田はほぼ全廃されました。しかし、2002年専売方式から完全自由化に移行したことで、日本各地で様々な塩が作られる様になりました。毎年新上五島に滞在しますと、元祖「五島の塩」を買って来ますが、250gで540円とかなり高いのですが、知人に差し上げましたら好評なので、何時しか習慣となりました。45gの小さな袋でも、結構な値段でもありました。残念ながら、上記の他に新上五島町の各地域で作られる五島の塩がランクインしておらず、料理のプロが選ぶベスト10は次の様にランクされていました。1. 天草 通詞島の天日塩2. 対馬 浜御塩 藻塩3. 高知 室戸 深層海水塩4. 下関 最進の塩5. フランス フルール ド セル6. イギリス マルドン シーソルト7. 与那国島 黒潮源流塩8. 高知 黒潮美味海9. 愛媛 弓削塩10. フランス ゲランド グロセル
2018.10.16
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1950年代後半に、国語として漢文読み下し文を必修科目があった高校時代を過ごしましたので、中島敦の小説は漢文を活性化し駆使したものとして魅力を感じていました。1942年に33年の短い一生の中で、珠玉の典雅な作品を残した中島敦は、持病の喘息が悪化して夭折してしまったのですが、その様な仕事をする作家は、歯ごたえの無い口語体文章が時代情勢から考えますと、もう出て来ることは無いのでしょう!趙の時代、都邯鄲に、紀昌と言う男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。当今、弓矢をとっては、名手・飛衛に及ぶ物があろうとは思われず、その門に入った。5年を掛けた日々の基礎訓練を経て、写術の奥義を会得し、師をも凌ぐ力量に達してしまいます。そこで、師飛衛は弟子紀昌に、「この道の蘊奥を極めたいと望むならば、霍山頂きの甘蠅老師がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射の如きは殆ど児戯に値する」と諭す。気負い立つ紀昌を迎えたのは、羊の様な柔和な目をした、しかも酷くよぼよぼの爺さんであった。「一通り出来るようじゃな、だが、それは所詮、射之射と言うもの、好漢未だ不射之射を知らぬと見える」と弓不要の芸道の深淵を見せたのです。9年の間、紀昌は甘蠅老師の許に留まった。山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変わったのに驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂は影をひそめ、木偶の如く愚者の如き容貌に変わっている。旧師の飛衛は、「これでこそ天下の名人だ。我らの如き、足下にも及ぶものでない」と感嘆して叫んだ。甘蠅老師の許を辞してから40年の後、紀昌は静かに、誠に煙の如く静かに世を去った。その40年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かったことから、弓矢を執っての活動などあろうはずも無い。その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の弦を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。僅か、文庫本で10ページの小編ですが、古来伝統となっていた漢文脈を活性化しつつ、それを駆使出来た最後の例の一つなのかも知れません。
2018.08.13
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本棚を階段踊り場に戻し、およそ200冊の専門書を再び収納しましたが、英文の参考書も30冊あって、学生時代から会社に入っての新人の頃は、勉学に勤しんでいたのだと思われ、改めて20才代には知的探求心が旺盛だったのだと再認識しました。その途中、教養学部時代と選民学科時代の教科書一部を懐かしく観ていました。解析概論 高木貞治著 岩波書店高等数学教程第5巻 スミルノフ著 共立出版図学 須藤利一著 創元社機構学講義1&2 渡辺茂 共立全書基礎伝熱工学 ギート著 丸善出版機械振動論 ハルトック著 コロナ社機械製作法1&2 菊池庸平著 コロナ社材料力学上下巻 鵜戸口英善著 日本機械学会ジェットエンジン理論 ステーチキン著 コロナ社解析概論は幾何学講義で使われ、高等数学の基礎から学ぶのに最適でした。高等数学教程12巻ありますが、第5巻は代数学講義で使われ、行列を学びました。図学は、投影法を学びましたが、製図特にハッチングが斑で困りました。機構学講義は、米で学んだ教授が講義開始に際し、ドアを閉めて締め出され困りました。伝熱工学では、定差方程式による解法が印象的でした!振動学は、世界に知られた名講義、新幹線の架線振動解析には感心させられました。機械製作では、特に試験で、スチーム暖房器の鋳造方法を問われたことを思い出します。材料学では、梁理論が印象的で微分方程式の解法を習得、他講義への参考となりました。ジェットエンジン理論は、卒業設計で有効に利用、圧縮機やタービン設計が出来ました。多分良く調べますと、教科書は未だあったのでしょうが、上記出版書は記憶に残っている教科書だったのです。
2018.08.05
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専門書を所蔵する書棚を整理する必要に迫られ、およそ100冊全て並べてみましたが、専門の流体機械やジェットエンジン・ガスタービン以外は理解出来そうに無く、知的理解力は減退と言うより破壊されてしまっている様です。その中に、小冊子岩波全書が見つかりました。-特殊函数 犬井鉄郎著 岩波全書252-流れ学 谷一郎著 岩波全書136-気象力学 正野重方著 岩波全書24620才代には、興味深く講義を聞いていた様に思うのですが、55年以上経過しますとどうにも理解出来なくなったのは、残念なことです。特殊函数では、「常微分方程式の解法を予備知識として仮定、大学理工学部2年程度の学力を出発の水準と思って差し支えない。これによって初歩的読者にもSelf-Containedの形になっていることを期したい」流れ学では、「ドイツ語のStroemungslehreの訳で、飛行機の速度進歩に伴われて、音速に近い流れ、或いは音速を超える流れの研究も書き加えることとした」気象力学では、「流体力学および熱学の知識を基にして、大気の状態やそこに起こる現象を系統的且つ定量的に説明し、大気の状態変化を把握し、正しく予報するのが目的である。気象力学は一般流体力学より出発したが、今日では独立な分科として発達している」後期高齢者となっては如何様にもし難く、知的好奇心に溢れた若き日を思い返すだけとなりました!
2018.07.30
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NHK出版新書「人工知能の最適解と人間の選択」では、人工知能AIの社会進出に肯定的に捉えています。人工知能AIの社会進出が、寧ろ本当の人間の価値を浮かび上がらせると言う期待を抱き、もはや止めることの出来ない潮流の行く末を今後も取材し続けたい。自己研修機能ディープラーニングを持つAIは、人知を超えた最適解を提供して、将棋では名人棋士を凌駕し、組織人事や裁判でも活用され、政治の世界でもAI政治家の到来も予測しています。しかし、不世出の将棋棋士である羽生善治氏は、それに懸念を示しています。人間には学習出来ないブラックボックスが人工知能AIには存在することになり、社会が人工知能AIを受容する中で、AIが人間には受け入れ難い危険な判断をする可能性もゼロでは無い様に思うのです。それに対して著者は、次の様に結論付けるのですが、至って曖昧で論点の整理が出来ない段階で余りにAIの社会進出にポジティブであり過ぎる様に思われるのです。英国オズボーン氏の論文「雇用の未来」で示した様な懸念が現実のものになりつつあり、仕事がAIに置き換わる可能性や、AIが企業や国家に有利に働く様にプログラムされ、従業員や市民の選別や誘導、操作に利用される事態も静かに広がっている。多様な価値や立場を尊重するAIの実現には、私達自身の議論への参加が求められていて、その問いに向き合い続けなくてはいけない筈だ。
2018.03.23
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芥川賞「おらおらでひとりいぐも」を読んでみようかと、掲載されている文芸春秋を久しぶりに購入しました。著者の若竹千佐子さんは63才の恐ろしく高年のデビューで、冒頭の東北弁が読みにくいのですが、何となく心地よさが感じられました。著者の10才上の74才女性を想定し、過去、現在、未来を縦横無尽に展開しつつも、未来に希望を託するストーリ、自分でも愕くほど、読書力や読書スピードが劣化していることが分かってしまい、情け無い限りでした。途中を端折って何とか読了、受賞の言葉が掲載されていましたので、転載します。人にはそれ抜きにして自分を語れない「時」があるのだと思う。私の場合、夫の死だった。悲しかった。それでも、私は喜んでいる私を見つけた。悲しみは悲しみだけでなく、其処には豊穣があると気付いた。このことを書かずに死ねないと思った。子供の頃からどうしても捨て切れなかった小説家の夢、機は熟したので、あとはただ書くだけだった。私の先にある老い。独り孤独を生きることの痛みと喜びを知る老女を描いた。完成した時、涙の向こうに「やったね」と笑っている夫の顔が霞んで見えたのです。私も連れ合いを亡くして9年経ちますが、仕事を辞め、余暇とも思われる趣味と散歩、年1回の家内の実家管理等、に明け暮れる日常で、趣味の一つである油彩も煩わしい手間が面倒になって此処数年は一枚も描かない自堕落の生活です。一念発起する女性は強いものだとつくづく思い知らされることとなりました。
2018.02.21
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五木寛之著 「百歳人生を生きるヒント」 日経新書著者は、ローマの哲学者セネカの言葉を90代の人達に贈るとしているが、日本の僧釋月性が漢詩で読んだ「人間到る処青山あり」として、良く知られる言葉でもあります。著者は現在85才で、人生百才時代を迎えるにあたり、過去への懐古と将来の展望を込めて50才代から90才代までの生活のあるべき姿を提示するのです。70才代への提言として、著者は「腹八分」と言うことを以前から薦めます。伸び盛りの十代までは、腹十分でしっかり育つ二十代に入れば、腹九分で良い三十代は、腹八分で基準四十代になると、少し控えて腹七分五十代では、腹六分、以下十才増える毎に一分ずつ減らし六十代で、腹五分七十代に達すると、腹四分八十代で、腹三分、一日あたり一食半九十代で腹二分百才代で、腹一分と言うのは酷でしょうか?80才代では、現在頻発し問題とされる孤独死を社会の歪みとして悲観的に考えるのではなく、本来、人間とはそう言うものではないかと言うことを振り返ってみる必要がありますとし、資金的な経済不安に対しては、若い時から貯蓄しなさいと勧めるのですが、85才の自分のザル感覚を反省していると自戒します。そして、90才代には「君は至る所で死を待ち受けよ」とし、思い悩むのを止めて、先ず今日一日を生き抜く覚悟をしなさいと提言するのです。平易な文章で、200ページ足らずの新書版ですので、読み応えはありませんが、生きて行くヒントにはなりそうな気がします。
2018.01.28
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著者の山内氏、佐藤氏共に保守の論客ですが、現在厄介な独裁者とされる指導者について、宗教、思想、パラダイム原理に基づいて、その行動形態を冷静に分析していて、一読の価値がありそうです。特に、佐藤氏は神学研究科卒業ですから、宗教基盤について論じるのですが、普通の論客には見られない観点からの分析は、正鵠を得ている様な気がします。取り上げられ分析される5人の指導者は、米国のトランプ氏、北朝鮮の金正恩、ロシアのプーチン氏、トルコのエルドアン氏、イランのハメネイ氏ですが、否定的見解は見られず、現在悪の権化とされ国際社会から強い制裁を受けている北朝鮮の金正恩についても、客観的にその行動基盤を分析するのです。米国のトランプ氏については、近頃批判の的とされているエルサレム首都問題では、プロテスタント長老派の彼として当然の帰結で、アラブ諸国の支援を受けて、イランとの対決姿勢を強めるだろうと、事前に分析しているのです。とりわけ、ロシアのプーチン氏については絶賛、教養や知識の広がりや深さは、他の指導者とは較べるべくも無いとしています。ロシアには、悲劇的や様々なマイナスの歴史はあるが、それらも含めてロシアであり、それぞれの時代の中で解決すべき点は解決して行こうとする姿勢は妥当と評価するのです。韓国の様に、日本に依る朝鮮戦略の史実を無限遡及的に、「悪無限」として、現代日本を常に批判するのは、生産的でないと処断分析しています。しかし、悪の指導者の代表格とされる中国の習近平氏は本書に含まれないのは不思議に思われますが、最終章で記載されている「少し時間を置きたい」と言うのです。何故ならば、習近平氏は中華覇権主義を奉じ、2016年10月には別格の指導者「核心」に位置づけられ、益々その体制が強化されて行きますが、現状は比較的に安定していて変化は無く、任期10年を延長する様な事態を見守りたいのと趣旨の様でした。
2017.12.14
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近頃は、社会保障制度予算の急拡大と共に、「搾取する」老人階級vs「搾り取られる」若者階級・勤労者階級という構図が問題となって来ました。世代間の闘争とも見える切実な課題ですが、人間不信と自己嫌悪を克服することで、それを打開出来るのではないかと言うのが著者の主張です。老人階級の生き方としては、「孤独を楽しむ」ことを、次の様に推奨します。人生は、青春、朱夏、白秋、玄冬と、4つの季節が巡って行くのが自然の摂理です。玄冬なのに青春の様な生き方をしろと言っても、それは無理です。老いにさし掛かるにつれ、体も思うように動かず、外出もままならず、訪ねて来る人もおらず、何もすることが無く無聊を託つ日々、世の中から取り残されてしまった様で、寂しいし不安だ。孤独な生活の友となるのが、例えば読書で、外出が出来なくなっても、誰にも邪魔されず、古今東西の人と対話が出来る。視力が衰えて、本を読む力が失われても、回想する力は残っている。残された記憶を元に空想の翼を羽ばたかせたら、無辺の世界が広がって行く。歳を重ねるごとに、孤独に強くなり、孤独の素晴らしさを知る。孤独を楽しむのは、人生後半の充実した生き方の一つだと思うのです。現状、日本が抱える難問を逃避する傾向にあると懸念し、思考停止を警告しています。日本人の様に、知識水準の高い国民がどうやって難問に立ち向かうのか、世界中の人々が固唾を飲んで見守っている問題があります。一つは、使用済み核燃料の処理で、他の一つが、超高齢社会の行方で、どちらも戦後の日本で素晴らしい成果を上げながら、時間の経過と共に、その存在が社会の重荷になっている。しかし、それらから目をそらし、とりあえず棚上げにして、「充実した毎日」を過ごせれば良いと現実から逃避し、美味なパンを求め、日々サーカスに興じることになります。老人階級としての生き方を、日本のあるべき姿を模索しつつ、次の様に提唱するのです。超高齢社会を生き抜くには、どうも「高齢者産業」も拡充で、「日本と言えば、高齢者をケアする製品やサービスで右に出るものが無い国」と言うブランドを確立したら、世界中が日本を見る目をガラリと変えるのでは無いでしょうか?そうした働きかけが、「嫌老社会から賢老社会」へのターニングポイントとなる時代に私たちは立っているのかも知れません。
2017.09.29
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