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家内の実家の墓所は墓石が8塔も並ぶ一等地にある旧家の墓所、家内と二人で毎年掃除をして来たのですが、五島列島新上五島町榎津郷にあり、大網元で大地主の旧家とは言え、私には義父母しか知らないのです。況して、義父母は旧家存続の為に夫婦養子となっている経緯もあります。それに加えて、どうも榎津郷では墓所は菩提寺所有では無く、各家が買い取り所有となっていますので、今後体力が落ちて滞在することが困難になった時は、墓所を寺に寄付するのか否かを含めて、どうするのか思案しなければなりません。兎に角、コンクリートと墓石の隙間から生えている雑草の刈り取りをして、今年は何とか墓所の清掃を終えることが出来ました。例年は、義父の実父の墓所も雑草除去を含めて清掃するのですが、今年は体力が落ちていることを実感、省略することとなりました。
2024.08.05
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2008年迄、家内共々空き家に出掛けて、夏の別荘生活を楽しんでいました。写真に残っているのは2007年夏、その2年後の2009年に国指定の難病である間質性肺炎にて鬼籍の人となってしまいました。それで独りになっても、別荘生活が楽しめる様に、畳が傷まない様に家の中に風を入れますし、庭の管理も欠かせません。雑草の刈り取りに加えて、低木は電池電動式のトリマーで丸く剪定して整えます。高木の方は3~4年毎に業者にチェーンソーで上枝を切って貰っていますので、薄暗くなることもありません。百年を超える豊後梅の古木は樹幹が腐って表皮のみで生命を保っていますので、支え棒をして生き永らえて貰っています。支え棒は家内の協力もあって設置したもので、観る度に懐かしく思い出されます。
2024.07.31
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新上五島町有川湾の入り口に頭ヶ島と髑髏島が見えています。その昔、遺体が流れて来たのですが、胴体は頭ヶ島に、頭部が小さな島に流れ着いたことで髑髏島と呼ばれているのです。頭ヶ島には、キリスト教文化遺跡としての世界遺産の中核となる、砂岩の友住石で建立されて頭ヶ島教会があります。新上五島町の空港は中通島の離島である頭ヶ島に橋を掛けて設営されましたが、長崎航空の運航で、福岡空港往復2便、長崎空港往復5便と便利な交通手段だったのですが、6人乗りで満席となる小さな飛行機ですので、運営が難しかった様でした。長崎空港からは所要時間30分に過ぎませんが、空港から直近の有川地区迄20分以上掛かりタクシー料金も3000円以上しましたので、地の利も良くなく、長崎大波止から高速船就航で、尚一層利用客が減ってしまい、運行会社は長崎航空からオリエンタルエアブリッジ(ORC)に引き継がれ、福岡空港線廃止、長崎空港往復2便だけに絞って運行して来たのですが、劣勢は明らかで閉鎖は時間の問題と思っていました。長崎からでも佐世保からでも高速船90分で有川地区に着きますので、その高速船就航で航空便の使命は終えてしまったのです。
2024.07.29
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新上五島町榎津郷にある家内の実家は空き家となっていますので、夏の別荘と捉えて毎年6月下旬から1ヶ月暮らすことにしています。もう榎津郷は老人ばかりの限界集落ですので、静かな生活がいとも簡単に叶えられるのですが、家を開けて風を入れませんと畳も劣化して住めなくなってしまうので、家内亡き後は私には何の権利も無いのです。しかしながら、住居の劣化は避けたいとの義務感から、管理世話をすることにしているのです。東京からは1000㎞西にありますので、日の入りは遅く、午後7時になっても暗くなりませんので、長い波止を夕涼みも兼ねて散歩していました。榎津郷は似首番岳とされる標高360mが横たわっていて、北風を防いでくれています。波止から南には長瀬と呼ばれる暗礁があって、その向こうには、海浜百選に選ばれた白砂青松の蛤浜が見えています。北方を観ますと、複雑なリアス式海岸が長く横たわっています。此処は西海国立公園の範疇には無いのですが、美しい海外線なのです。
2024.07.27
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空き家には2枚の油彩が掛けられて、1枚は蛤浜の引き潮情景、他の1枚は赤いガラス花瓶に差した紫陽花です。玄関から上がった8畳の客間は数年前に、畳床を含めて新しくしましたが、近頃はプラスチックを間に挟んで軽くて丈夫な畳となりましたので、其処を歩く際には反発力があってとても気持ちが良いのです。其処の壁には、赤いガラス花瓶に差した紫陽花の油彩を掛けて置きました。ガラス花瓶とは言え、元来が水を飲む大きな厚手のコップですので、何か安定性に弱点がある様に思えます。
2024.06.14
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新上五島町青方港桟橋対岸の高台にその姿を望める教会で、青方港を海岸に沿って北に向かって行きますと、大曾教会に行き着きます。九州本島外海地方の出津・黒崎・池島に住んでいましたキリシタン住民が弾圧を逃れる為に移住して来た子孫が住むとされています。1916年、鉄川与助の設計施工で建てられた旧教会は若松島の土井ノ浦に移築されている。現在の教会は、レンガ造りの重層屋根構造、内部は3廊式でリブヴォールト天井を持ち、外壁にはレンガの凹凸や色の違いを用いた装飾が行われていて、長崎県指定有形文化財に指定されています。此の油彩、我ながら出来の悪い仕上がりとなっていますが、教会を臨むアングルが悪いのかも知れません!
2024.06.13
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有川湾の奥に位置する矢倉岳は標高382mで付近の最高峰、有川湾を一望出来ますので無線塔が設置されていて、その無線塔整備の為の舗装道路が設置されていますので、頂上まで車で行くことが出来ます。其処からリアス式海岸が続く新上五島町を一望出来ますし、西海国立公園には入っていませんが素晴らしい景色です。眼下に広がっているのは標高360mの似首番岳、その奥には新上五島町の最高峰442mの番岳も見えています。有川湾に突き出ている半島は門松山で、私が空き家となっている家内の実家管理に滞在する榎津郷はその麓にあり、やはり眼下に見えているのです。今年も6月下旬に行くことにしています!
2024.05.26
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家内の従妹は10才私より年下ですので72才、健康を保っていると思っていましたが、5月9日にメールが来て、「大腸の直腸部に癌が見つかったので長崎の原爆病院で除去手術を行います」とのことでした。気に病んでいました処、5月18日には再度メール到来、「手術成功、繋がれていた器具類も全て外され、食事も摂り始めて3日目となり、明日退院となりますので五島に帰ります」と少し安心することが出来ました。72才ですから前期高齢者の分類となるのですが、高齢者となりますれば、何が起きても不思議ではありません。何とか、私も予定通り、6月末に五島行を敢行して、彼女の元気な様子を観つつ、家内の実家である空き家に風を通しつつ、夏季1ヶ月の避暑生活を送りたいものです。正面に見えるのは似首番岳、北風を遮ってくれますので、南に位置する榎津郷は冬でも温暖となります。
2024.05.22
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今年も、五島の空き家の管理をするべく、6月下旬から7月下旬までの1ヶ月滞在するつもりですが、何時迄続けられるか不安を感じています。2011年には、大学時代の親友に来て貰い、下五島を行脚して青春時代を懐かしんで、大瀬崎灯台まで行きました。1972年の沖縄返還前には、大瀬崎が奄美より西にあって日本領の最西端だったのです。200mを超す断崖が数㎞に亘って続く様は圧倒される景観なのです。その友も、今年遂に奥さん共々、介護施設に入居となりました。私も行く末が心配となっている近頃です。
2024.04.30
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元上司の葬儀が行われた初台教会の庭の階段を上った処に、ルルドの聖母と思われるマリア像が飾られていました。1858年、フランスのピレネー山中にある小さな村ルルド(Lourdes)に聖母マリアが出現、汚れた湧水が清水となり、奇跡を起こす聖水となった様です。日本では1899年、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、その聖水を持ち込んで、ルルドの聖母と聖水泉が五島列島の下五島である福江島西端にある玉之浦町の井持浦教会に作られました。日本で最初のルルドとなり、この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっている様です。五島列島には、江戸幕府の禁教令で逃れた隠れ切支丹が多く居住、明治時代に禁教令が解かれてカトリック信者となって、50近くのカトリック教会が建立されましたし、聖水泉はありませんが、単独ルルドの聖母が祀られています。家内の実家には従姉がシスターとしてルルド訪問して、購入したマリア像とロザリア、聖水が飾られています。家内の従姉は浄土宗の家系に生まれたのですが、キリスト教に改宗してシスターとして活躍、60余才で胃癌を発症しましたが、神に召される時が近づいたと言い、手術をすることなく嬉々として神に召されました。
2023.11.22
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今日は絶好の快晴で気持ちの朝を迎えていますが、14年前はそぼ降る雨の中、入院していた病院から家内の遺体が運ばれて来ました。中国大連生まれで、義父の南満州鉄道の中国への経営権引き渡し手続きの為、1年遅れの帰国、五島列島の榎津郷で19才迄育つことになりました。私と結婚してからも、よく新上五島町榎津郷にあって空き家となっている実家の世話をすべく、夏の五島を楽しみながら滞在してものでした。家内は幼児から熱を出す子で、帰国の際も連れて帰れるのか心配されましたが、何とか帰国後、当時開発された抗生物質ペニシリンで健康に治癒されることになりました。しかしながら、65才の老齢になりますと息切れが酷く、長期間の歩行が難しくなり、種々の病院で診察を受け、川崎市多摩病院で難病の「間質性肺炎」と診断されたのです。入院3ヶ月、退院後通院治療を受け、飲み難いステロイド剤を服用して病状の停止を図ったのですが、思いは通じず、14年前の今日、66才で鬼籍に入ることになりました。
2023.10.26
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榎津神社は、本来菅原道真公を祀る天満宮ですので、狛犬に加えて狛牛が据えられていますが、天神様こと菅原道真公が丑年生まれであったことが関係している様です。しかし、奥の院には金刀比羅宮の祠もあって時に応じては、別の神社に変身するのです。五島滞在中の7月15日は、八坂神社の幟を立てて、小さな山車を子供達が挽きずって、街中を徘徊した祇園祭を行ったのです。秋には、天満宮としての例大祭があるのですが、秋に滞在したことがありませんので、その様子は解りかねます。
2023.08.11
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隣家とは野面積みした石垣で隔てられているのですが、植物の根が入り込んで崩れようとしていますので何とか防ぎたいと思っていますが、なかなか上手く行きません。北側の石垣は竹の根が入り込んで、崩れてしまいました。野面積の技は、自然石をそのままのかたちで使い、堅牢で美しい石垣を積み上げる技で、穴太衆に伝えられていますが、適当な位置に積み上げるのは釣り上げ機も必要となる筈ですので、諦めることにしました。西側の石垣には雑木の根が入り込んでいましたので何とか手鋸で根元から伐採しましたが、根そのものは取り切れませんので、状況は悪くなる一方に思えます。毎年、伸びた枝を伐採して崩落を防ぎたいと努力したい所存ですが・・
2023.08.03
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新上五島町では、太い木材をゴミとして出すことは禁じられていますので、小さくして燃えるゴミ袋に入れて必要がありますので、高木剪定は厄介なことなのです。空き家の庭には、太いユスノ木が2本、梛木と鳥もちの木がありますので、これらの剪定は建設会社のチェーンソーで強く剪定して貰う様に委託することにして、見積費用の4万円を家内の親戚宅に預けて置きました。ユスノ木は漢字で「檮」又は「梼」と書きますが、神社仏閣に植栽されますので、通常庭木とはされることはないのです。どうも寺の庭園整備を依頼された業者が、余ったユスノ木や梛木を持ち帰ることなく、滞在していた家内の実家に植えて帰ってしまった様なのです。4~5年前にも業者に剪定を依頼して、その後高木に梯子を掛けて伸びた枝について鋸を使って枝剪定していたのですが、80才を越えて体力と平衡感覚の衰えを自覚して、業者に依頼することにしました。
2023.07.31
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空き家となっていた庭の草取りを一段落しますと、庭の全貌が見渡せる様になりました。庭の中核を成すのが、周囲を歩き回れる様に上面を平たく加工した岩で囲んだ池となっています。義両親存命の頃は、錦鯉がゆったりと泳いでいたのですが、空き家となって給水を止め、コンクリの漏水止めをした処に亀裂が入り水面低下、雨水頼りの古池となりました。池の築山には、石橋を渡っていけますし、其処には黒松が植栽されていましたが、枯れてしまい、代わりに花木の百日紅が植えられていました。周囲に植えられていた100年物の梅の古木も中が朽ちて、皮一枚となっていますので、昔家内と共に築山に支え棒を立てて寿命を延ばすことにしました。庭には立灯籠と雪見灯籠が配置されている他、石を積み上げた灯篭も見つけることが出来ます。立灯籠に至る踏石も、加工された黒色の厚い円盤が2ヶ所配置されています。平石に設置された雪見灯籠は、後になって義父墓が植えたと思われる大谷ワタリと良くマッチしている様に見えます。
2023.07.30
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五島列島は長崎市の北西方にあって、フェリーで3時間、高速船で1時間40分を要する海上に位置していて、将に北部九州となっていますのに、対馬海流の只中にあることから、熱帯・亜熱帯地方に自生する筈のガジュマルが繁茂していて、道路にも小さく丸い実が多数落ち撒かれています。ガジュマル(学名:Ficus microcarpa、漢名:細葉榕、我樹丸)は、亜熱帯から熱帯地方に分布するクワ科イチジク属の常緑高木。ガジュマルの名の由来は、幹や気根の様子である「絡まる」姿が訛ったという説がある。ガジュマルは、沖縄の地方名にあるが、由来は不明である。対馬海流は、九州西方沖から対馬海峡を通って日本海に流入する暖流で、所謂黒潮と呼ばれるが、それに東シナ海の中国沿岸水などが混ざり合った高温、高塩分、低栄養塩類の表層流で、対馬暖流とも呼ばれる 。
2023.07.28
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新上五島町榎津郷にて空き家となっている家内の実家を多少とも管理して来ました。榎津は大きな榎の樹がある港町と言うのが地名の由来なのでしょうが、大きな井戸の一角に樹齢1000年に達するかとも思われる榎があります。榎津郷は有川湾の奥に位置して、北風を防ぐ似首番岳に守られ、東風を防ぐ門松山もあって、冬季でも温暖な気候に恵みを得ることが出来ます。しかも、沖会い200mには竹の子島があって、天然の防波堤になっていると同時に、リアス式海岸の常として、水深が深く大型船も航行出来ますので、漁業が盛んであって時代は、海産物を佐世保に出荷させる集合地として栄えました。しかし、離島振興への公共投資にて、有川湾入り口にある有川郷、大きな防波堤を設備した港湾設備が設置され、わざわざ湾奥にある榎津郷に迄来る必要が無くなり、海産物集合地として役割が終わりを迎えて、住民も増えず若い世代は郷を離れた結果、限界集落となりつつあるのは残念です。気候が温暖で、近くに国立公園にありますので、老年世代の介護生活を送る様な経済特区申請をすることが、経済振興の一助になるのかも知れません。
2023.07.27
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蛤浜海水浴場は長崎県南松浦郡新上五島町にある海水浴場で、快水浴場百選や新観光百選の地にも選ばれていて、遠望しての対岸榎津やその奥に似首番岳が見える景色は絶景です。昔は名前の通り沢山の蛤貝が採れたことで、次第に砂に貝の粉が混じって驚く程白い砂浜となっていて、しかも満潮と干潮の差が大きく遠浅で、子供達が安心して泳ぐことが出来る人気のある海水浴場となっています。沖合1㎞程には長瀬と言う岩場があって、泳いで行くことが出来、私も30才代半ばにはビーチサンダルを両手に挟んで、岩場の藤壺を警戒して泳ぎ着くこともありました。そんな情景に感動してか、多分20才代の頃に描いた油彩が空き家に残されていました。
2023.07.26
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昨日は、大変な一日でした。五島の出発港である鯛ノ浦では午後1時半で日差しも強く暑い晴天でしたが、到着港である長崎市大波止は土砂降りでしたのでターミナルにて30分雨宿りすることにして、ゆっくり空港行きバスに乗って空港に行ったのですが、その雨宿りが災いして5分違いで4時半の飛行機に乗り遅れてしまいました。カウンター係員に聞きますと、次は最終便の8時10分発と言うことで迄待つこととなりましたので、夕飯を済ませてしまおうと、長崎のグルメちゃんぽんを野菜を多めにして夕食と取って、出発のアナウンスを待っていましたが、その飛行機の到着が遅れて8時半出発、羽田は10時半到着、最寄り駅の多摩センターに終電近くの0時半到着、タクシーで帰宅、シヤワーも浴びる気もしないのでTVで女子サッカーを観ていましたら3時半、東京では4時過ぎに明るくなりますので慌てて寝ることとなりました。添付写真は西海国立公園の白眉、若松瀬戸で最溢部に見えるのは若松瀬戸大橋(長崎は三菱重工の地盤ですので三菱製)、干満で海が南北に河のように激しく流れます。明石の渦潮程は大きくなりませんが、沢山の渦が生まれて消えを繰り返します!
2023.07.25
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デパートの食品売り場に、伊豆から海産物展示即売展を出店していました。久しぶりに、鯵のみりん干しを食べたいと買って来て、レンジで焼くことにしました。作り方は至って簡単な様子で、ネットでも紹介されています。うろこ・ぜいご・ひれ・わた・中骨を取り除き開く。塩を振り1時間後、鯵から出た水分を拭き取る。ビニール袋に漬けだれを入れ、開いたあじを漬け込む。1時間置いたら干物用の網で1~2時間程干す。本みりんを刷毛でぬり、ごまを振り、再度乾燥させてできあがり。それなりに美味しく賞味させて頂きましたが、どうも五島の鯵の桜干しを思い出してしまいます。新上五島町似首郷の義叔母は海産物の調理に長けていて、アワビの刺身は硬い身を透き通る様に切り揃えますし、きびなごの刺身は切迫の如く仕上げます。鯵は五島近海で沢山捕れますので、かまぼこは鯵のすり身で作られますし、新鮮な鯵の桜干しも絶品な仕上げとなります。九州の醤油は関東に比べて、塩味が薄く甘いので、桜干しには味醂とのマッチングが絶妙な様で、天日干しにも時間を掛けますので、美味しい干物となりますが、叔母も亡くなって15年も経ちますので頂くことも出来ませんので、懐かしい限りです。
2023.02.12
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NHK朝ドラ「舞いあがれ」によく五島列島が出て来て、病弱で母親任せだった舞と言う少女が健康になって自立するストーリが興味深いのでよく観ています。五島は風光明美な処も多く、福江島の大瀬崎断崖と灯台、中通島の蛤浜海浜、入り江に佇む木造の教会、等が紹介されて来ましたが、若松瀬戸はスケールが大きくて紹介出来にくいのか全容が出て来ません。しかし、若松瀬戸は西海国立公園の白眉と言われていて、風光明美なリアス式海岸を渦巻く急流が流れる様は素晴らしいものがあり、若松大橋の袂展望台から見える景色は絶景と言えます。1991年に若松大橋が完成するまでは、若松瀬戸を眺めるには、海上タクシー等で若松島まで渡り、高所の龍観山に上るより仕方が無かった様で、とても不便だった様です。
2022.11.28
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家内の実家は菩提寺で檀家総代を務めた、浄土真宗の家系なのですが、何故か6畳の居間にはマリア像が飾られています。少女にも見える石膏に着色したマリア像で、ロザリオを掛けられていますし、聖水の小さな小瓶も添えられています。家内の従姉は、浄土宗の家系を離れて、キリスト教に帰依して天草の崎津教会のシスターをしていて、布教活動の出版の編集責任者でもありました。私は会ったことはありませんが、三鷹在住時代には、シスターが東京に来ると、家内や子供達とも歓談していた様ですし、シスターは60才代前半に胃癌を羅称したのですが、手術も考えず、天に召される時が来たと喜んでいた堅固なキリスト教信者でありました。そのシスターは、多分研修の一環で、フランスのルルド遺跡を訪問したらしく、其処で買い求めたマリア像を堅固な浄土宗実家ではなく、文学青年でロマンチストであった義母の家が飾って貰うには良いと考えて置いていったらしいのです。ネットで調べますと、ルルドの聖母像は各種販売されていますが、家内実家にある様な少女像は見つけることが出来ません!
2022.08.31
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五島から帰京して2週間が過ぎました。一生懸命に空き家となっている家内実家の内外を世話を1ヶ月に亘って来たのですが、「去る者は日々に疎し」で言われる如く、確かに印象が段々と薄れている様に思われます。PCの保存画像に、15年前に実家での家内の写真を見つけました。お互いに齢を取り、髪を染めるのも止めて、ゆっくりと生活している様が出ていて、この1年後に難病を発症、2年後に亡くなるとは想像も出来ない様子です。殆ど同じ位置から撮った今年の画像、変わった物はテレビがCRTから液晶TVに、磨り減った畳表を新しくしただけなのです。此処に、夏の別荘と位置付けて、1ヶ月間強暮らしたのですが、やはり家内のいなくなった現実に「去る者は日々に疎し」の感は否めませんでした。
2022.08.09
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家内の実家は、新上五島町中央部に位置する榎津郷にあって多分築130年を超える民家で、家の土台や周囲下部の腰板には砂岩の五島石が使われていて、浸水や湿気から家を守る様に工夫されています。近頃は、土台もコンクリート製ですし、家の外板も対候性のある合板ですので、面倒な五島石が使われることがありません。此処の腰板は高さが1.5mも大きな五島石、隣家との隙間は実家の敷地、残念ながら隣家は敷地一杯に建てられていますので、外れている腰板を戻す作業スペースは確保出来ませんが、まあよくも建築許可が下りたものです。新上五島町の東部エリアの友住を含む崎浦地区には、石畳のような板石材に適した五島層群が広く分布している。五島層群は加工しやすい砂岩層が中心で、幕末から明治に海岸に露出する砂岩を採石する石材業が盛んになった。「五島石」と呼ばれ、石畳や石塀、家の腰板石などに利用されてきた。崎浦地域の集落では、五島石が暮らしに溶け込んだ独特の町並みを見ることが出来、迷路の様な細道、立派に積み上げられた石垣、そして家の腰まわりには厚さ5cm程度の板石が張り廻されている。動物からの被害を受けない為、或いは、温度湿度を調整する為に腰板を採用したのではないかと考えられている。その他、防火水槽、庭の敷石にも五島石が利用され、その独特な集落景観が評価され、2012年に国の重要文化的景観に選定されている。
2022.08.01
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ボロボロの物置小屋に、2008年7月に換装しました夜間電力利用電気温水器が滞在途中の7月中旬に故障してしまいました。修理可能か否か、EdiOn電気店に来て頂いて、チェックして貰いましたが、基盤に変調があって取り換えれば良いとのことで、製造元のMitsubishi電機に問い合わせして貰ったのですが、補用部品保持期間の8年を経過してしまっているので、修理は無理となって、Mitsubishi電機には代替製品は製作終了とのことで、Panasonic製品に換装して頂くことにしました。14年前には30万円で換装出来たのですが、今回のPanasonic製品は40万円、古いMitsubishi製品の引き取りには2万円が必要とのことで、42万円が必要となりました。電気温水器の寿命は約15年間と言われ、10年間が経つと故障しやすくなって、15年間をオーバーすると交換する目安になります。しかし、実際には20年間が経っても使える電気温水器もあります。思わぬ出費でしたが、現在は80才ですから95才となっている計算で、それ以上の老齢になっての五島行も出来るか否かは何とも判りませんので、寂しいことに今回の換装工事で最後と言うことになります。80才は母がリンパ腺癌で亡くなった齢、漸く追い付いた感があって、これからの余命は儲けものです!
2022.07.31
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新上五島町有川港から車で5分程にある「蛤浜(はまぐりはま)海水浴場」は白砂と遠浅のエメラルドグリーンの海が広がる景勝は、環境省が快適な海水浴場を選んだ「快水浴場百選」にも選定され、休憩舎、更衣室、シャワー等のサービス設備も整った快適な環境で海水浴が満喫出来ます。近くの丘の上から見ますと、遠浅の海浜であることが分かります。満潮時には松林ギリギリ迄海面があるのです。遠く対岸に見える家内の実家のある榎津郷、その奥に屏風の様に立ちはだかる標高360mの似首番岳を望むのがとても気に入っているのです。五島列島の海水浴場としては、下五島である福江島の高浜海水浴場や三井楽海水浴場が良く知られていますが、蛤浜には今では少なくなりましたが、今でも蛤が多数生息していてその貝の欠片で表面が白砂となっている美しい海浜で、驚く程の遠浅となっています。近頃ではスーパーで販売される蛤は殆どが中国産となってしまいましたが、昔は蛤浜で採れる蛤を中国に輸出しようとしたこともあった様なのです。
2022.07.30
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今年も新型コロナウイルス感染が爆発した状況ですので、昨年同様、五島行は諦めることになりました。家内の実家は、義母が亡くなってから、毎年夏の時期、2008年までは家内に付いて行き、2009年からは単独で、家の中に風を通し、庭の草取りや樹木の剪定を行って、劣化を防いでいたのですが、仕方がありません。そんな中、PCに保存してある、五島の写真を観ていましたら、オニヤンマのふ化の様子を撮った画像が出て来ました。2004年春のことで、未だ雨水が溜まった池には、塩辛トンボやヤンマのヤゴが沢山生息していたのです。その後、池のコンクリートの亀裂が拡大してしまい、水位が下がってしまったので、多分現在はこの様な風景が見られないのは残念です。2007年には、オニヤンマの代わりにマルタンヤンマが飛んでいた様に思われます。2年後、家内が難病を経て66才で鬼籍に入るとは、想像も付きませんでした!
2021.07.25
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結婚は1970年3月26日、東大構内で赤門横にあった学士会館別館、満州大連生まれで上五島育ちの家内が行ったことが無かった下五島が新婚旅行先となりました。福江島の最先端で数十mの断崖が立ち並ぶ大瀬崎、その突端の大瀬崎灯台は、奄美大島よりも西に位置して、沖縄返還前では日本最西端でもありました。難病を得、1年の闘病も空しく永眠となりましたのは、2009年10月26日、埋葬場所は静岡県の冨士霊園としました。春秋に、東富士自動車道から山名湖に行って、富士山を眺めるのが好きでしたから、富士の見える墓園でゆっくり休んで貰おうと思ったのです。速いもので、もう12年が経過、13回忌法要の時となりました!
2021.03.26
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今日は79才の誕生日、体力だけでなく、知力も衰えて、記憶の抽斗もガタガタで忘れ仕舞っていることも多くなりました。そんな中、ふと琴線に触れるお返しの年賀状が届きました。貴君の年賀状の写真が私の故郷の風景とそっくりなのに驚きました。今年も元気に行きましょう!彼はIHIの同期入社、柔道でもしていたのか、がっちりとした体躯でしたが、優しい性格でしたが、仕事業務はバリバリと熟す良い友人で、お互い種々の相談もする仲となりました。彼は奄美大島出身、阪大卒の秀才で、島を背負う様な逸材でもありました。不幸にして50才半ばで、最愛の連れ合いに先立だれる不幸に見舞われました。横須賀のお宅までお悔やみにも行ったのですが、沈み切っていて声を掛けることも敵わなかった悲しい記憶が残っていました。その後、私の複数の転籍で、お互いの勤務地も異なってしまい、年賀状の交換に止まっていたのですが、不幸を乗り越えて元気に暮らしている様子が窺えて、嬉しい限りでした。年賀状に添付した画像は下記の上五島の好きな風景の一つです。似首峠から見る奈摩湾の景色、湾の入り口には国防の目的で設けられた矢堅目と呼ばれる尖塔には灯台も設けられていて眼につきますが、昔は遣唐使の通路目標ともなっていた様で、我が家の居間にも油彩にして飾ってあるのです。多分、1970年頃で、峠付近には未だ人家は少なかった時代です。
2021.01.15
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台風10号は五島列島を直撃して、対馬海峡から朝鮮半島に上陸しました。猛烈カテゴリーから、強いカテゴリーに弱まっていましたが、直撃となりますと風速60m/sに晒されて、被害が予想されますが、東京にいる私は無事を祈るより方法はありません。新上五島町は、限界集落状態ですが、風光明媚な処なのです。海岸沿いを中心に住居地域が多数存在しますので、国立公園指定地域とは「なりませんが、西海国立の一部と考えても良いほどの風景です。湾の奥にある矢倉岳のマリンピア公園から観る景色、長い突堤の付け根で、海に突き出た丘とも見える門松山の麓に、家内の実家はあります。昨年は、五島滞在時に線状降水帯に遭遇、車道の暗渠から溢れて洪水が発生、車道近くのお宅では床上浸水、少し離れた家内の実家も浸水被害となりましたが、何とか床下浸水でとどまってくれたのは幸いでした!
2020.09.07
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6月末から8月末に変更したJAL事前予約航空券でしたが、コロナ第2波の蔓延は第1波を著しく越えて来ていまして、今迄感染者の少なかった長崎県でもクラスター感染が出て、五島では来島者に2週間自宅隔離を要請していると知らされ、今年は五島行を中止することにしました。政府では、コロナ蔓延中にも拘らず経済活性化を目論んで「Go Toトラベル」を推進中ですが、小池都知事は「今年は特別な夏、コロナに打ち克つことが最優先となり、郊外への旅行や帰省はお控え頂き、離れて暮らす家族や親せきをコロナから守って頂きたい」と要請、小池知事に従うことに致しました。JAL事前予約航空券はキャンセル料無しで、キャンセル出来ると先日確認してありますので、後刻連絡することに致しました。家内の実家は空き家ですので、家の内外の管理をしませんと、廃屋になってしまう恐れがありますが、来年春まで延期することにしました!相続権利の無い家内の実家、廃屋にならなくするのが義務と思い、毎年1ヶ月滞在していますが、ものは考え様で、「夏の別荘を確保している」と考えれば義務感は消え去ってしまいます。新上五島町は、限界集落状態ですが、風光明媚な処なのです。海岸沿いを中心に住居地域が多数存在しますので、国立公園指定地域とは「なりませんが、西海国立の一部と考えても良いほどの風景です。湾の奥にある矢倉岳のマリンピア公園から観る景色、長い突堤の付け根で、海に突き出た丘とも見える門松山の麓に、家内の実家はあります。
2020.08.07
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九州南部に大きな被害をもたらした大雨が、昨日は北上して、線状降水帯による大雨特別警報が長崎、佐賀、福岡の九州北部にも発令されることになりました。大体、一昨年までは「線状降水帯」、「大雨特別警報」と言う気象用語は無かった様に、思われるのです。梅雨前線に沿って、しとしと雨が続き、梅雨明けに大雨と言うのが、例年のことでしたが、地球温暖化によって、水蒸気循環が過大になって、梅雨前線に沿って大雨をもたらす線状降水帯が生成されると言う気象現象が惹起されることになったのでしょう!五島列島にある家内の実家は空き家で心配していますが、コロナ蔓延による五島行を自粛していますのでどうしようもありません。昨日の特別警報では五島は埒外となっていましたが、今朝の気象情報では、五島列島に線状降水帯が停滞していますので、昨年の様な暗渠河川からの洪水、浸水被害が起きているのでは懸念するばかりです。昨年は、空き家の石庭に30㎝程浸水して来て、床下浸水被害、広場を介して隣家は床上浸水被害で、電気製品が使用不可となりました。
2020.07.07
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今年は天候不順で、大雨特別警報が発令されたこともあり、山に登って美しい風景を堪能するには至りませんでした。有川湾の奥に位置する標高382mの矢倉岳山頂付近は「マリンピア山頂公園」として整備され、NHK電波塔や無線塔が設置されて、地域付近の電波事情を改善する役目も果たしています。此処から見えるリアス式海岸の美しさは「素晴らしい」の一言に尽きます。眼前下には、標高221mの榎津城山があり、コンクリート製の魚之目城が建てられていて、此処からの景色も何とも魅力のあるもので、頂上付近まで舗装されたアクセス道路が整備されています。榎津郷の神社の上に位置し、海岸脇の標高174mの門松山にはアクセスは無く、今ではイノシシと鹿の棲み処となっている様です。似首を見下ろしている番岳、標高368mの番岳を私は「似首番岳」と呼んでいますが、中腹には高圧電線が走っていて、舗装道路が整備されていますが、山頂までのアクセスは昔ながら登山道だけですので、登って景色を楽しむ人はいなくなっている様です。その奥には、新上五島町の最高峰、標高443mの番岳が見え、小串郷にあり、地元の方々も「北番岳」と呼んで区別している様です。此処の山頂までへは、舗装道路が整備され、「番岳園地」と呼ばれる公園として楽しまれている様です。山頂には四阿屋がありますが、少し下って、奈摩湾を見下ろせる位置には、遠見櫓が設置されて国防の一端を担っている遺構が遺されています。奈摩湾の対岸奥には、矢堅目と呼ばれ岩の尖塔があり、遠見櫓との狼煙交信等の手段を使い、武具で敵に対峙する体制が構築されていた様です。この辺りは、遣唐使船の航路でもあり、唐や高麗からの敵侵入を防ぐ、重要な国防地点でもあった歴史が納得されます。その奥にも山並みは北端の津和崎まで連なっていて、美しい限りです!
2019.08.18
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今年は、大雨特別警報が出され、暗渠に近い物置、庭、台所に被害を受け、物置に設置してある夜間電力給湯器への給水管が破損、復旧出来ないまま、元栓を閉めて、帰京しなければならないのは至極残念なことでした。それでも、畳敷きの居間への床上浸水を免れたのは、幸いなことでした。縁側下に友住で産出される五島石が敷き詰めてあったことが、効果があった様です。雨の日は、中2階の屋根裏部屋を掃除しましたが、依然はぎっしりと什器類が並べられていましたが、屋根瓦を取り換える際に散失させてしまったのは、立ち合いも出来なかったので、致し方無いことなのかも知れません。玄関に続く、客間と言うか集会場と言うべきなのか、10畳敷きの部屋の壁には、20年も前に義母に贈った、「赤い瓶に紫陽花」の油彩がぽつんと飾られていました。何とか、この夏の別荘生活を、来年もしたいものです!
2019.08.14
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7月27日は、鯛ノ浦港出港は朝8時、長崎大波止着は午前9時40分、長崎空港での予約便は午後2時50分で、3時間程の自由時間が出来ましたので、少し散策してみることにしました。大波止から坂を上って元県庁跡を見ながら、下って新地と呼ばれる中華街を目指しますが、開店には早すぎて閑散としています。確か思案橋近くの船大工町に、福砂屋本店があった筈と思い散策しますが、13年も経過した記憶に曖昧さがあって辿り着きません。仕方なくGoogle Mapのルート案内を使って、スマホの指示通りに進んで行きますと、混雑した住宅地の一角に、福砂屋本店に行き着きました。至って、小さな店で、自動ドアも装備されていない昔ながらの店でした。カステラの店は長崎に多数ありますが、老舗と言えば元祖とされる平戸の松翁軒、長崎の福砂屋、文明堂となるのでしょうが、昔ながらの味を頑なに守っているとされる福砂屋が、その筆頭に来るのでは思っているのです。店構えから、その気概が伝わって来る様な雰囲気が見えて、改めて伝統の味を守っているのだと実感出来ました。名古屋に住んでいる孫娘達に配送をお願いし、中華街に戻って、ちゃんぽんを食して、長崎空港行きのバスに乗車、帰京することとなりしました。
2019.08.13
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夏は花が少なくなる季節ですが、7月になりますと、道端に鬼百合と合歓の花が咲いてくれます。両方とも野の花で、生命力が旺盛の様で、鮮やかな色彩で、眼を楽しませてくれます。家の庭にも、クチナシやアガパンサスが咲き出して、蝶や蛾の青虫が活動してくれます。以前には、家々の玄関先にはブーゲンビリアが多く観られたのですが、人口が減って限界集落になってしまい、殆ど見かけなくなったのは残念なことです!
2019.08.11
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今回の五島行での一番の目的は、義母の25回忌法要をすることにありました。家の仏壇にある位牌は10人程度の戒名を記した薄板が納められていますので、義母の札を表にして、菩提寺に向かいます。住職は2代続いた寺の男系和尚ではなく、寺に婿入りした若い和尚で、読経も説法もあまり練れていない感がありますので、早く慣れて欲しいものだと思いつつ、何とか我慢し終わりとなりました。しかし、近頃は檀家数が減って寺の経営が困難となり、廃寺となる地区も多く、その地域での仏事や法要を引き受ける等、度量の大きさには感心する処があります。義父母の眠る墓は、墓石が13も並ぶ墓所にありますが、昔は家代々と言うより、個人用の墓石が多かった事情によるものなのでしょう。広い墓所は、雑草が生えない様に、コンクリート敷にしたのですが、施工が悪く、コンクリート隙間から、カラムシ等の雑草が生えて来て昔の土間での草取りよりも却って面倒になり、毎年の困りものとなりました。今年も、ごみ40リットル大袋4袋が必要だったのです。義母に可愛がって貰った、似首の姪2人が参列してくれたのは嬉しいことでした!
2019.08.10
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新上五島町は中通島と若松島で構成されますが、若松港では2年前から客船が通過する様になってしまい活気に陰りが見え、生活の為に小さなスーパーがあるだけで、日用雑貨や日用道具が買えなくなっているのです。中通島では数年前からスーパーが買い物バスを週1回運航していて、買い物弱者の手助けとなっているのですが、若松島にはその恩恵が届きませんので、何時も五島滞在の時には2回程、レンタカーで買い物のお手伝いをすることにしています。若松大橋を渡る直前に、小高い丘に展望台が設けられていて、西海国立公園の白眉である多島海を急流が縫って流れる若松瀬戸を観賞出来るのです。この画像は17年前のもので、今では木々が育って展望が悪くなっている筈です。若松大橋の袂では、北に南に急流と渦潮を観賞出来、流石は国立公園と暫くその姿を見ることが出来るのは素晴らしいことなのです。知人宅は、元病院と元薬局の大きな屋敷で、今は両方とも閉鎖となっています。知人は広い庭を利用して花畑や野菜畑を楽しんで暮らしていますが、買い物弱者の弊害が大きくなっていることが懸念されています。
2019.08.09
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似首郵便局に行きましたら、7月12日発行の記念切手「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がありましたので、購入しようとしましたら「差し上げます」とのことで、有り難く頂戴することにしました。特殊切手「世界遺産シリーズ」第12集では「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を取り上げました。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教禁教政策の下で、ひそかに信仰を伝えた人々の歴史を物語る12の資産で構成されており、今回は12の構成資産全ての写真を切手シート内に配置しました。そのお礼でもありませんが、青方から大曽郷を通って、冷水・矢堅目まで行ってみることにしました。数日前の特別警戒情報が出る程の大雨で、各所で土砂崩れによる通行止めが発生していますので、通り抜けられるか否か定かではありません。大曽教会から船崎郷を進んで行きますが、其処は狭い山道となります。途中、ごみ処理場の案内板があって、海岸に下っています。ごみ焼却場があって、都会にも負けない大型設備にもなっていて、親切にも職員が案内をしてくれました。新上五島町は人口2万人ですが、南北50㎞に亘っていますし、昔は5万人を超えた頃のゴミの量が出される面積なので、然るべき大型設備となる様です。丁度、対岸の祝言島との海峡を野母商船の太古丸が小値賀島に向かって進んで行く姿が見えました。
2019.08.04
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昨年まで係留されていた、榎津郷の船着き場が撤去されていました。昨年までは、船着き場にはクロダイが居つく漁礁となっていたのですが・・榎津港への客船寄港は、およそ15年前に隣の有川港止りとなり、郷の衰退と共に中止となりました。2年前までは、港ターミナルビルには、食堂や土産物店、世界遺産事務局もあったのですが、閉鎖されてしまいました。港に接続する大きな敷地は、テトラや木材の置き場になっているだけで、有効な使い道があるのでしょうが、賑わいが無くなってしまっているのは残念なことです。衰退する離島の限界集落の復興策も講じられることも無く、榎津郷の行く末には希望が感じられない状況となって来ていて、寂しさしか感じられません。日本国憲法第25条に規定する生存権を脅かす憲法違反ではないかと思うばかりです。第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
2019.08.03
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新上五島町では大きな蝶が飛び交うことが多いのです。クロアゲハ、カラスアゲハに加えて背に黄白色の斑紋があることで知られるモンキアゲハは目立ちます。これも良く見かける普通のアゲハやアオスジアゲハに比べて2~3倍ほど大きく、花の蜜を求めて飛ぶ姿は何とも魅力的に見えます。モンキアゲハ(紋黄揚羽、 Papilio helenus)は、チョウ目アゲハチョウ科に分類されるチョウの一種。日本最大級のチョウで、後翅に黄白色の大きな斑紋があるのが特徴である。インド、ヒマラヤ山脈、東南アジアと周辺の島嶼、中国、台湾を経て日本まで分布する。日本では関東以西に分布し、南方系の種類として位置づけられる。成虫が見られるのは4-10月頃で、その間に2-3回発生する。冬は蛹で越冬する。
2019.07.30
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新上五島町には、温泉はなかったのですが、1970年代に北魚目の小串郷曽根で温泉掘削に成功、宿泊設備のある国民宿舎として整備されました。適正な料金プランで地元の人達の会合の場所ともなり親しまれていましたが、過疎化と共に経営が立ち行かなくなり、多分7~8年前に、民間業者に売却され、設備を一新してMargheritaとしてオープンしました。1980年代には、奈良尾でも温泉掘削に成功、やはり規模は小さいながらも国民宿舎となりました。全国的にも、設備老朽化で国民宿舎の閉鎖が続いていますが、国営の悲しさ、従業員も公務員で経営意識も低い様で、設備の維持も疎かになり、人気を無くしてしまっているのは、仕方の無いことなのでしょう!今年3月には、奈良尾でもMargheritaに生まれ変わったと言うことでしたので、見学に行ってみました。規模は曽根のMargheritaに比べて半分以下ですが、奈良尾港を見下ろす高台にあり、こちらの方が眺望は良さそうでした。奈良尾港は、元来小奈良尾と言う海岸でしたが、港湾設備を整備されましたので、本来の奈良尾の家並みはMargherita入口アクセスから望むことが出来ます。受付カウンター横は、バーカウンターのある休憩所になっていましたが、注文出来るは飲み物だけ、簡単な甘い物を提供して、ゆっくりと茶談義でも出来れば良いのではと残念な感想しかありません。Margheritaの経営戦略は、地元優先ではなく観光客優先で、宿泊料金も高く設定して、世界遺産登録に乗じた訪問客の取り込みにあるのだと思われました。何とか成功してくれればと思いつつ、其処を後にしました。
2019.07.29
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世界遺産や国立公園を抱える新上五島町ではありますが、漁業不振と人口減少で過疎化が進み、訪問客が激減して、全国的に注目されることが少なくなりました。今回の台風5号と梅雨前線の連動によって、線状降水帯となって、7月19日に大雨特別警戒情報が発動され、全員避難指示となりました。近年。新上五島町が全国ニュースで取り上げられのは、珍しく各所の土砂崩れ状況がTVで中継放映されていました!しかし、指定された避難所は、暗渠で道路にした脇にありましたが、暗渠に適宜設置されたグレーティングからは勢いよく水が噴出して、濁流となって自動車でも危険となり、適切な避難所ではありませんでした。午前8時には、一旦雨が小降りとなったので、避難しなくても良いかと思っていました。しかし、又豪雨となり、暗渠道路から濁流となって襲い掛か、物置小屋で20㎝、その下流の台所では15㎝の床下浸水となりました。居間や客間は周囲を五島石で貼り巡らせてありますので、30㎝位までは床上浸水を免れそうですが、庭全体が池となり、何時まで増水が続くのか不安となりました。漸く、お昼頃に小康状態となり、庭の水が退いて行きましたので、ひと安心し、見回ってみますと、築山の岩下の土が流され、100㎏もある岩がずり落ちていましたし、浸水被害を受けた物置小屋は惨憺たる状況で、夜間電力給湯器への給水管に亀裂が入って水漏れがしています。水道屋さんも、各所の復旧工事で忙しく、手がまわりませんので、一段落したら、給水配管の復旧作業を頼むことにしましたが、物置は不要物の溜まり場で、給水配管のルートが分からず、不要物を廃棄処分しないと無理とのことで、断捨離宜しく、廃棄作業もお願いすることで、水道の元栓を閉じて帰京することにしました。
2019.07.28
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土地が3区分合計280m2で評価額が257万円、家屋は築100年を超えることから160m2でも評価額は16万円に過ぎません。土地は住宅地として1/6に減額され、課税標準額は43万円と記載されていて、家屋課税標準額は評価額のまま16万円、免税措置が土地で30万円以下、家屋で20万円以下とされていて、土地課税分だけでした。200m2以下の住宅用地では、固定資産税の価格(地価公示価格の70%)の1/6が課税標準額となります。又、200m2を超える部分が一般住宅用地として1/3の減額になります。都市計画税は、200m2以下が1/3に、200m2を超える部分が2/3に減額されます。3年前には固定資産税7000円でしたが、今年は5900円と年々の減額が著しくなりましたのは、離島で老人ばかりの限界集落ですので、土地価格が低落の一途となっているからなのでしょう。今回の納税処理は、家内の従妹が運営する新上五島町似首郷にある郵便局でして貰おうと、現金書留で郵送して一件落着となりました。それでも空き家管理の為、毎年夏の1ヶ月間滞在しますので、住民税の納付も必要かと思い、昨年から「ふるさと納税」をすることにしていますし、今年も近々、インターネットを使って1万円を納付するつもりです。
2019.05.10
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今年も後2週間となりました。ここ数日寒くて、我が家の掃除は遅々として進みません。ふと、今年の夏1ヶ月を掛けて、新上五島町の空き家を管理したのを思い遣ります。家の中は、不要な物の廃棄が進んで、雑物で溢れかえっていた納戸は片付いて、出入りが容易となりました。外板のペンキは水性塗料ですので、潮風で劣化しており、部分々はタッチアップして、劣化を防ぐ手立てをしましたが、未だ足りない様です。庭は草叢で雑草が伸び放題、灌木類も枝が伸びていましたので、電動トリマーで草刈りやら小枝の剪定を行うことにしました。しかし、高木剪定は何時も大変なので、4年ぶりに建設業者に業務用チェーンソーで5本剪定、枯れてしまいキノコが出ている根元伐採、を4万3千円で貰うことにしました。根元直径は35㎝を超えていて、伐採で庭内を歩き回るのが楽になりました。80才までは、運転免許を保持し、空き家管理をするつもりですが、その後の管理方法をそろそろ考えておかなければなりません。
2018.12.17
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ふるさと納税をした新上五島町から、ポイント有効期限が迫ったとのメールを受信しました。何時も新上五島町に滞在する際は、「五島うどん」、「あご出汁スープ」や「裂きイカ」等を知人や近所に配る位、沢山購入しますので、特に返礼品として欲しいものはありません。いつもお世話になります。ご寄附を賜り誠にありがとうございます。皆様の温かいお志が地域の活性化につながります。自治体よりご寄附の御礼として進呈しましたポイントの有効期限をお知らせいたします。ご利用可能ポイント数:50有効期限 :2019-10-19ふるぽホームページhttps://furu-po.com/上部の【マイページ】をクリック。お礼の品をリストから選択し、お手持ちのポイント内でお手続きください。引き続きふるさと納税サイト「ふるぽ」をよろしくお願い申し上げます。義父母が亡くなった際、義兄が相続をしていないまま、逝去してしまいましたので、私には何の権利も無く、朽ち果てない様に管理する義務しかありません。それでも、固定資産税を支払っていますが、限界集落となった空き家では、僅か7000円に過ぎませんので、周りの家々に迷惑が及ばない様に、毎年1万円をふるさと納税していて、寄付の積りでした。ふるぽホームページに入ってみますと、「寄付」か「返礼品」か選択する様になっていましたので、折角ですから地域活性化に寄与するだろうと「返礼品」を選択、つい先日ユーパックで届きました。独り住まいには、丁度良い量で、有り難く頂戴しました。
2018.11.23
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応接間に飾ってあったジャスパー磁器に気が付きました。多分、1975年にカナダへのガスタービン拡販出張の際に購入し、義父母に差し上げたものの様です。カナダへの初めての出張で、大英連邦の一員としての影響も大きく、英国製品が販売されていて、記念として購入したものでした。1975年の母の日の記念プレートの様ですが・・それにを皿立てを設え、飾って大切にくれていたのです!ジャスパーウェア (Jasper ware) は、イギリスのジョサイア・ウェッジウッドが開発した陶磁器の一つで、ウェッジウッド社の象徴、主力商品として発展し、現代でもさかんに生産されている。多くは表面に別色のレリーフ装飾が施され、質的には磁器に近く堅牢で実用性と装飾性が両立しており、また工芸品と近代工業製品の双方の要素を併せ持ち、きわめて広範に亘る用途の器物が製作されている。銅製のプレートも、同時に送った様で、Britsh Columbiaと刻まれてされていますので、Vancouverで購入したものでしょうか?本来は、Alberta州のCalgaryにある米加共同出資の天然ガスパイプライン建設検討事業体へのガスタービン拡販だったのですが、建設検討事業体も数年後に解散となり、残念ながら功を奏せずとなりました。それではと、米国への拡販に路線変更、1979年には、家族帯同で駐在してくれとの業務命令が下されることとなりました。
2018.08.08
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五島から帰京して10日経過しましたが、空き家の管理に忙しかったこともあり、流石に草臥れたからか、エアコンを24時間稼働させたまま、涼しい室内退避となっています。昨夜来の雨もあり、台風13号の影響もあって、気温が21℃を下回り、エアコンを久しぶりに止めました。五島も海の離島と言うことで最高気温が本土より数度低く、32℃が殆どでしたが、それでも台風一過の後は、晴天が続いて暑い思いをしました。庭の管理に引き続き、家の外回りでのペンキのタッチアップ、台風で壊れた簾の掛け替え、等に加えて、1年ぶりの寝具の虫干しは欠かせません。自転車の荷台、隣家敷地のブロック塀、等を利用しての虫干しとなります。暑い日中は、室内にいて、音楽鑑賞となります。壁には、1985~1990年頃に義母に送った、ダビングしたカセットが未だ60%程度残されています。しかし、CDラジカセのカセットデッキは、モーターが故障して聴くことが出来ません。CDドライブは未だOKで、聴くこと出来ますが、CD類は少ないので、数年前からiPod再生器を持ち込んで置きました。iPodには100曲以上のクラシックを収納しましたので楽しめますが、スピーカ性能が劣悪なのが玉に傷です。CDラジカセの大きなスピーカに接続出来ないか調べたのですが、どうもスタンドアローン機器の様で上手く行きません。それでも、優雅な夏の別荘生活がエンジョイ出来ましたのは、近所の方々の親切を頼りにしたお陰だった気がしています!
2018.08.07
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五島に滞在中の7月3日に台風7号の直撃を受けました。庭にある高木の枝が張ってトップヘビーでしたので、強風で倒れるのではないかと心配しましたが、枝が引き千切れる被害程度で何とか済んだのは幸いでした。翌朝、見てみますと、隣の家から瓦が相当数欠落して道路に転がっていました。この家は、多分明治時代の洋風建築で、外科医院だったのですが、買い取った家主が一切世話を診ないので、荒れるに任せていて、近所の迷惑となっています。落ちて来た瓦の破片で、夜間電力利用の給湯器のドレインラインの塩ビ管が割れて、道路に水がしたたり落ちていました。水道屋に行ってみましたが不在でしたので、修復テープを巻き付けて修復、何とか水漏れは収まった様でした。遠からず、その外科医院は倒壊することになるでしょうし、そうなれば空き家の台所は潰されることになりますが、補償に応じてくれる財力があるとは思えませんので、空き家の管理をする立場からは、大きな懸念材料となっています。考えてみますと、戦後に建てた台所部分は母屋部分とは堅牢さが違いますし、崩壊しましたら更地にすれば良いかとも思うことにしました!
2018.08.06
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リアス式海岸が続く土地柄なので、海岸近くでは砂も土も少なく、庭木を植栽するには、盛土をしなければなりません。家内の実家では、70年前に池のある石庭を造成し、その周りに木々を植栽した見事な庭ですので、何とか維持したいと思っています。しかし、盛土は精々20㎝程度ですので、根は深く入り込むことが出来ず、横に根を張ることで成長を続けるしかありません。その木々も大きくなり、日当たり競争に負けた木々は、倒れたり朽ちたりしてしまい、銀木犀、泰山木、黒松等は無くなってしまいました。それでも、生き延びた木々は枝が伸びて、トップヘビーとなって、台風などの強風で倒れてしまう懸念がありますので、5~6年ぶりに建設業者に依頼して、強い高木剪定をして貰うことにしました。モチノキと梛(ナギ)木槙(マキ)と梼の木(ユスノキ)直径35㎝の梼(ユス)の根元お陰で、倒木の懸念も無くなり、明るい庭に復帰しました。剪定して貰った枝類は、4tトラックの荷台一杯となり、搬送して頂きました!
2018.08.04
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