・・旅のあとさき・・

・・旅のあとさき・・

2022.10.26
XML
カテゴリ: 遺す
思春期に荒れてた頃からすれば もう20年以上になるけれど
カウンセラーに
「僕の後ろ盾になってください」と懇願したけど そこまで深くは立ち入れないよ・・と断られ
ワンワン泣いたそうだ 18の時
僕には より所が無いんです と

しばらくして それをカウンセラーから聞いた時には まったく釈然としなかった
学費も出しているし、食事にも気を使っているし 様子を気にして フォローもしているつもりだったのに
追い詰めているつもりはなかった

でも 今は理解というよりは 自然と分かってきたように思う。
信じて心から寄り添うことだったと

それまでも 寄り添いフォローしてきたと思っていた
『いったいこれからどうするつもりなんだろう?』とか
『このまま悩んで とどまるだけじゃ 将来が無くなるのに』とか
『なんとか助けるから がんばって乗り越えてほしい 頑張ってほしい』と

将来大学を卒業し ちゃんとした仕事にもついてほしいけれど
私が一方的に親に進路を決められたことの反動で 何も口を出さなかった 
見守った 
彼がいうがままに本人の希望のまま受験費を出した。 
展望もないいろいろな学部を受けて 合格したのが希望の学科ではなかった
もともと 小さい時からお受験関係に接していなかったし予備校へ行っていたわけでもないから 学部や大学選びのこと 本人は わからなかったろう 
友人との間で 受験についてのコミュニケーションもなかったろう
自主性を重んじるという放任だった

ただ 偏差値を見て よく聞く大学を軒並み受けて 軒並み受かった
ただ合格し選んだのが 希望の学科じゃなかった 大学でもなかった
入ってみてわかったらしい
で中退

それから 混乱したんだろう引きこもりながら 翌年の受験では実学(経理 財政 商学)の方を目標にして
ようやく 入学し吃音もあるのに ゼミもこなし卒業した

氷河期だったし年齢も26だったが新卒扱いで採用された
ま バリバリ営業するする仕事でなく 対人は任されなかったが 実用社員にはなれた
その分 最終電車で帰るほど残業続きの毎日だった

そうして 鬱になっていった。

偏差値だけではなく 社会性 世渡りとは言わないまでも 世間を知らせること
もちろんわかっているだろうと思っていたが
そこが 欠けていたと今は思う
ちょっと不安でも
わからなくても
知らなくても
あえて 他人に聞いたり 尋ねたり 輪に入り込んだり
そういうことが苦手だった
私たち親も 他人同然だったのか
一人ぽっちだったそうだ


先日の 初めて二人での買い物
嬉しかったって
いっしょにバスに乗って嬉しかったって

それから ちょくちょく私の部屋にきて 他愛のない話をしたり 風邪薬ある?と聞いてきたり・・
昨日は 眠れなかったようで 不安で辛いと
父さんの部屋に明け方来たそうだ
私が眠っている時間だからかな
夫の部屋につらさを訴えに来るなんて どうしたんだ?

親は味方だ と ほんとうに素直に感じてくれたのかな
幼い頃のかわいい笑顔を思い出す
壁にナイフを刺し 穴をあけ 怒鳴って荒れた彼ではない
死に分かれる前に 気持ちが通じあえててよかった





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.11.23 22:37:49
[遺す] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: