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TBS「アンチヒーロー」は最終回を残すのみ。◇予告には《全伏線回収》とあります。それは、つまり…志水(緒形直人)の冤罪が晴れるだけじゃなく、ほんとうの犯人も明らかになるってことよね!真犯人が明らかになるとすれば、すでにドラマに登場してる人物なのかしら??◇ちなみに明墨(長谷川博己)の推理はこうです。伊達原はイラついていた。清水さんを拘留してはいたものの、起訴するだけの十分な証拠は出ていなかった。このままでは証拠不十分で清水を逃がすことになる。それでは西千葉建設の横領事件の真相も遠のいてしまう。伊達原にとって、それだけは絶対に避けたいことだった。ならば、清水が犯人だと示せるような証拠を作ってしまおう。そう考えた伊達原は、科捜研の担当者に指示を出して鑑定結果を書き換えさせた。しかし、じつは伊達原(野村萬斎)の真の目的は、「検察の点数稼ぎ」とか、「横領事件の真相解明」とかじゃなく、「真犯人の隠蔽」だったかもしれません。だとしたら、その罪はもっと重い。真犯人を逃がすために別人に罪を着せたってこと。◇一方で、緋山(岩田剛典)がほんとうに殺人犯だったのかも、まだハッキリしてない気がします。白木(大島優子)は、返り血の付いた作業着を伊達原のもとへ持ち込んだけど、あれって本物なの?あれ自体が明墨の仕込みなのでは??もし緋山が殺人犯じゃないとすれば、そちらにも真犯人がいるってことですが…白木は、明墨を裏切ったと見せかけて、じつは二重スパイをやってる可能性がある。倉田(藤木直人)も、伊達原を裏切ることになるのは間違いない。緑川(木村佳乃)と瀬古(神野三鈴)も、伊達原を裏切ることになりそうな予感。明墨は逮捕されましたが、実際には伊達原のほうが包囲されつつある!ってことじゃないかしら?
2024.06.10
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フジ「アンメット~ある脳外科医の日記」。第9話の終盤の長回しシーンは、熱愛中とも噂される主演2人の、まるでドキュメンタリーのようでしたが…最後のセリフで、いっきに突き落とされました。えええ~っっ?!やっと想いを交じわらせて、たったいま泣きながら抱きしめたのに!…そんなことあります???#杉咲花 #若葉竜也 #アンメット pic.twitter.com/3cRkzuLZBz— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 10, 2024 ◇今季も、前季と同じく、やたらと記憶喪失のドラマが多く、前季の「ONEDAY」とか、今季の「くる恋」「9ボーダー」とかは、おおむねファンタジーと割り切って楽しめるけど、前季の「たとあな」や今季の「アンメット」は、どうしてもリアリティの真偽が気になるのよね。とくに「アンメット」の場合は、医師が原作を書いた医療ドラマだし、リアリティにこだわってるとの触れ込みだし、ただのファンタジーとは片付けられない。NHKのドラマなら、特設サイトに解説が掲載されることもあるけど、民放のドラマはそこまでやらないし、リアルとファンタジーの境目は判然としません。◇もちろん基本的にはフィクションだと思う。深夜まで詳しい日記をつけて、その膨大な日記を早朝から読み込んで、脳外科医としての仕事をそつなくこなすって、さすがにそんなことは、現実的にはありえないだろうし、前日の記憶を失なっていく人が、練習や訓練を重ねる意味があるのかって疑問もある。でも、その一方、「記憶を失っても強い感情は忘れない」「記憶を失っても自転車の乗り方は忘れない」みたいな話が出てきたりするので、それなりに根拠はあるのかな?とも思ってしまう。てんかん薬の増減によって、記憶障害が出たり、認知障害が出たりって話も、なんらかの実例にもとづいたエピソードだろうし、今回のように、直前の記憶すら失なってしまう場面も、実際の症例があってこそなのかもしれません。◇命や健康だけじゃなくて、記憶や感情など人間の本質を揺るがす疾患を扱うのが、この医療ドラマの特徴ですが、記憶喪失のリアリティについてはともかく、篠崎絵里子の脚本は上手く出来ててドラマとしては面白い。また、同じフジの「Re:リベンジ」もそうですが、大病院経営にまつわる権力の暗部についても描かれてますね。◇これまで主役級では見たことのなかった若葉竜也が、とても個性的なキャラを発揮してるのも魅力的。朝ドラ「おちょやん」のときは、ほとんど印象にも残らなかったけど、今作では彼の個性がとてもよく活きてる。ちくっとします!月10ドラマ『アンメット』制作発表会見杉咲花&若葉竜也、朝ドラ『おちょやん』コンビが再共演✨️新ドラマ出演の経緯明かす「電話でプレッシャーかけられて(笑)」#杉咲花 #若葉竜也 #アンメット pic.twitter.com/eVLPQXIN2r— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) April 15, 2024若葉竜也の出演を熱望したのは、NHKとWOWOWで共演を重ねた杉咲花だった、…という話なので、2人の交際報道もまったく驚きじゃなかったし、なんなら、すこし予測してましたw杉咲花はもともと演技が上手ですが、今回は過去作にも増して演技がイキイキしてる。きっと撮影が楽しくて仕方ないのでしょうね。視聴者の側も、2人のコンビをもっと見たい気持ちは強まってる。原作は連載中とのことなので、続編も期待できる?杉咲花、若葉竜也と熱愛報道に関係者は「ああ、やっぱりね」このまま結婚も、唯一の心配事はhttps://t.co/tIAgFout8F主演ドラマ「アンメット」で共演する若葉竜也と熱愛が報じられた杉咲花。もっとも、業界関係者は2人の交際について気づいていたそうだ。#デイリー新潮— デイリー新潮 (@dailyshincho) June 3, 2024
2024.06.11
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NHK「燕は戻ってこない」第7話。格差社会のなかでは、人間への差別感情も増大する。千味子(黒木瞳)は、リキ(石橋静河)のことを「違う人種」と侮蔑します。実際、西側ヨーロッパの代理出産は、ウクライナなど「別人種」への搾取によってるしね。搾取する側の人間は、その内実を見ないように普段は蓋をしてます。不快な実態を目の当たりにする嫌悪感や罪悪感から、なるべく目をそらして生きるためですよね。もし搾取しながら、「才能のない人間は搾取されて当然!」「努力しない人間は搾取されて当然!」と、それを平然と正当化できるならサイコパス。しかし、千味子のなかには、自分の加害性を意識させられることの嫌悪感もある。だからこそ、「1000万円は産んだあとに消えてもらうためのお金」「産んだら速やかに目の前から消えてもらう」「こちらとは二度と交わらない」…と吐き捨てるように言います。◇千味子は、リキのことを「どうしようもない人間」だと侮蔑しながら、その人間に「私たちはすがってる」という事実を嫌悪してる。そして悠子(内田有紀)に対して、「この先、あなたと加害者の絆を背負っていく」と言います。それがまさに《搾取》の加害性ってことでしょう。◇一方、わたしが気になったのは、バレエ教室の「貴大くん」という生徒のことです。基(稲垣吾郎)は、毎年予選どまりの彼に、留学のためのスカラシップを取得させようとしてる。そして躊躇する母親に対しては、「親が普通だからといって、子供が努力を放棄する理由にはならない!」「子供は遺伝子の奴隷じゃない!」と叱咤激励します。◇たしかに言ってることは正しいけど…代理出産までさせて自分の遺伝子を残そうとする人間が、それを本心で言ってるかは疑わしい。ほんとうに貴大くんの才能を信じるがゆえなのか。それとも、ただ教室の実績や名声を挙げるためなのか。かりに貴大くんに将来の展望がないとすれば、スカラシップを取得して海外留学しても、お金と人生を無駄にするだけです。基には、生徒のその後の人生まで請け負う意思があるのかどうか。たんに教室経営のコマとして利用してるだけなのでは?ある意味では、それも《搾取》の一種かもしれません。ドラマ10【#燕は戻ってこない】第7回のご視聴ありがとうございました基(#稲垣吾郎)の元に帰ってきた悠子(#内田有紀)。リキ(#石橋静河)を裏切り秘密を暴露してしまう!?りりこ(#中村優子)の家での新生活はー?次回もお見逃しなく👀‼️本編は見逃し配信中です⏰https://t.co/Uv7kIzBlTW pic.twitter.com/qxwiFq9Q3X— NHKドラマ (@nhk_dramas) June 11, 2024
2024.06.12
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新海誠の映画「君の名は。」には、隕石によってできた糸守湖が描かれます。一般に、「糸守湖のモデルは諏訪湖だ」と言われてきたのですが、新海誠自身は、「最初期のイメージは(長野県小海町にある)松原湖や大月湖」だったと述べていました。昨夜NHKで放送された、「ネーミングバラエティー・日本人のおなまえっ!」を見て、ようやくその謎が解けた気がします。なんと「長野に幻の湖が存在した!」というのです…。◇ときは平安時代。西暦887年、五畿七道の地震によって、北八ヶ岳が山体崩壊を起こし、千曲川がせきとめられた結果、現在の小海町や南牧村あたり一帯が、水深130mもの巨大なダム湖になったというのです。その1年後には一部が決壊して、水深は50mほどに減ったそうですが、それでも、そこには100年以上ものあいだ、幻の湖が存在しつづけたそうです。現在の研究者たちは、この湖のことを「古千曲湖Ⅰ/古相木湖」(または南牧湖/小海湖)と呼んでいるようです。まさに、新海誠のいう「松原湖」は、この巨大湖の名残りなのです!そして、松原湖の周囲には、消えた湖の堆積土砂による広大な平野が残され、人々の暮らしと、水運のもたらす経済が育ったのです。◇話はそれだけではありません!長野は内陸県であるにもかかわらず、「本海野」「海瀬」「小海」「海の口」「海尻」など、海にまつわる地名が多いのですが、それらは、ここに幻の巨大湖が存在した痕跡なのであり、のみならず、「海野」「海瀬」「新海」「新津」などの苗字が多いのも、同じ理由からなのだそうです。…新海?!そうです!森岡浩によれば、もともとは「新開(新しい開墾地)」を意味する苗字に、あとから「海」の字を当てたものだそうですが、これもまた、その幻の湖に関係する苗字だったのです!!◇映画「君の名は。」に出てくる糸守湖は、隕石によって生まれたという設定ですが、実際には、地震による山体崩壊が生んだものがモデルだったのです。そして「新海」という苗字のルーツをたどれば、新海誠が、湖や、雨や、竜など、水にまつわる物語を作りつづけるのは何故なのか、その理由もはっきりと見えてくる気がします。おそらく新海家の一族は、地震で突如生まれた巨大湖のそばで生きた人々なのです。◇(追記)新海誠の娘はFoorinの新津ちせちゃんですが、新海誠も、本名は「新津」なのだそうです。新海家ではなく、新津家だったのですね。むろん「津」とは "港" の意味ですから、これもやはり海(=巨大湖)に関係した苗字です。なお、長野県佐久サク市には「新海神社」があるので、新海という芸名はここに由来するのかもしれません。また、長野県と海とのかかわりでいうと、海人族(ワダツミ)に連なる阿曇氏が穂高神社に祀られている…というのも気になるところです。▶映画「天気の子」を民俗学で読み解く◇ついでに余談ですが、松原湖には、畠山重忠にまつわる竜の伝説があります。重忠の母(三浦義明の娘)は、源頼朝に仕えた息子を守るため、松原湖に入水して竜へ身を捧げたとのことです。(もともと彼女自身が竜蛇だったとの説もあり)彼女の墓は、いまは松原湖に水没しており、湖面が下がったときにのみ少し姿を現すそうです。…もともと長野には、諏訪のミシャグジ神 ≒ 建御名方タケミナカタ神を中心に、多くの竜蛇伝承がありますが、一説によれば、口噛み酒(ミサク)もミシャグジ神に関係しているそうです。上述の新海神社が祀っているのも、「興波岐オキハギ」という神様で、これは建御名方の子、もしくは甲賀三郎の子にあたり、いずれにしても蛇神/竜神です。別名を「新開ニイサク」「御佐久地ミサグチ」とも言うらしいので、これまたミシャグジ神に関係しているかもしれません。(追記はここまで)https://t.co/zFI5tXugXo pic.twitter.com/Tn6dlM6ZrT— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 11, 2022 話は変わりますが、番組では、「鬼滅」がらみで、鬼のルーツにも迫っていました。ざっくりいえば、鬼というのは修験者(山伏)なのですね。奈良の都の人々は、紀州沿岸の山地に潜伏する修験者たちを、「鬼」と呼んで恐れたようです。この地域には、「鬼」のつく地名や苗字が多いのです。役小角の弟子だった前鬼・後鬼の子孫も実在します。実際、修験の人々は、日に焼けた異形の赤ら顔で、目は爛々と輝いて野性味にあふれ、超人的な身体能力を持ってましたから、しばしば「鬼」「天狗」などと思われたのでしょうね。しかも、金属や水についての高度な知識をもっていたし、朝廷の権力さえ脅かす対抗勢力だったかもしれません。中央政権に統合しきれない鬼たちは、討伐(鬼退治)の対象になっていったのでしょうし、平安朝の嵯峨天皇は、紀伊の修験者たちを統合するためにこそ、空海の密教を利用したのかもしれませんよね。
2021.02.26
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アガサ・クリスティ原作、ヒュー・ローリー版「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか」。とても洒落ててカッコいいドラマだったけど…あまりに話が複雑すぎて理解しきれないよ!!!つーか、必要な描写を端折りすぎてるし、細かい部分を誤魔化してる気もします。原作を読んでなければ、事件の詳細を理解できないのでは??これだからサスペンスドラマはストレスが溜まるのよね。じゃあ見るなよ、って話だけど…(^^;しかも、今回のNHK版は、字幕翻訳にもミスがあるように思います。◇翻訳が疑わしいのは、最終盤で、ボビーとフランキーが、料理人だったチャドリイ夫人宅を訪れたシーン。(チャドリイは旧姓で現在はプラット夫人です)サヴィッジ氏について尋ねた次のやりとり。ボビー「彼はミルハウスによく来ていたんですよね」プラット夫人「グラディスに聞いて。私はひとつ聞いただけ」この「私はひとつ聞いただけ」というセリフが、どうも意味不明なのよね。英語の音声は聞き取りにくいけれど、わたしの耳には「I saw him there for once」と聞こえるし、そうだとすれば「私はいちど会っただけ」と訳さねばならない。このやりとりは、「なぜエヴァンズに(遺言書の署名を)頼まなかったのか」という核心にかかわる部分なので、このセリフが意味不明じゃ真相が理解できないでしょ。◇なぜサヴィッジ氏は、遺言書の署名をグラディス・エヴァンズに頼まなかったか。それはグラディスが「本物のサヴィッジ氏」の顔を知ってたから。遺言書の署名に立ち会ったのは、たぶん共犯者のロジャーだよね。プラット夫人は、署名のときに「いちど会っただけ」なので、ロジャーのことをサヴィッジ氏と思い込んだ…というトリック。(逆に、サヴィッジ氏の死体を確認したのはグラディスだけ)だとすれば、やはり上記のセリフは「私はいちど会っただけ」と訳すべきでしょ。◇前にも書きましたが、わたしは、CBCの「アンという名の少女」のときにも、NHKの翻訳にはミスがあったと思ってる。マシューがマリラを呼ぶときに、二人称を「姉さん」でなく「おまえ」と訳していたのです。原作の「赤毛のアン」では、マシューが兄でマリラが妹なのだけれど、CBCのドラマ版では、マリラが姉でマシューが弟に変わってました。姉に対する二人称を「おまえ」と訳すのは不自然ですが、字幕制作者は、そのことを考慮せず、おおかた原作の翻訳に準拠したのでしょう。こういうミスは、もちろん翻訳者の責任でもあるけれど、NHKのプロデューサーや演出家の責任でもある。要するに、内容を理解した上でチェックをしてるのかってこと。じつは誰も内容を理解せずに、漫然と海外ドラマを放送してる可能性がある。ここからは詳細なネタバレです。今回のミステリーの複雑さは、たんに登場人物が多いだけでなく、姿を現さない人物の名前を混乱させるところにあります。たとえば上記のチャドリイ夫人も、再婚してプラット夫人に変わってましたが、ほかにも名前が変わってしまう人物が3人います。第1に、崖から落ちて死んだ男性は、ケイマン夫人の兄「アレックス・プリチャード」とされるのですが、この名前は嘘の証言にもとづいているので、本当はサヴィッジ氏の友人「アラン・カーステアーズ」です。第2に、ニコルソン院長の妻「モイラ・ニコルソン」は、じつは主犯の「ローズ・テンプルトン」(テンプルトン夫人)なのですね。再婚して姓が変わっただけでなく、偽名なのでファーストネームも変わっています。第3に、タイトルになっている「グラディス・エヴァンズ」は、主人公ジョーンズ邸の家政婦「グラディス・ロバーツ」(ロバーツ夫人)です。この人も結婚して姓が変わったのでしょうね。◇結論から先に言っちゃいますが…主人公のボビー・ジョーンズ(♂)は、「モイラは美人だから犯人じゃないっ!!」と思ってて、かたや相棒のフランキー(♀)は、「ロジャーはハンサムだから犯人じゃないっ!!」と思ってる。そして怪しげな学者がいちばん疑われる図式(笑)。でも、結果的には、「モイラとロジャーの共犯だった」というオチです。つまり、男は美人に甘いし、女はイケメンに甘いよねって話。そんな男女がバディを組んで事件の謎解きに挑み、最後はめでたく結ばれるハッピーエンドになってます。…以下、時系列に並べた事件の経緯です。1.モイラがサヴィッジ氏を服毒自殺と見せかけて殺害。ローズ・テンプルトン(のちのモイラ)が、船上で資産家のサヴィッジ氏に接触して誘惑。その後、ローズはロジャーと共謀し、サヴィッジ氏の遺言書を書き換え、料理人のチャドリイ夫人と庭師のアルフレッドに署名させる。(女中のグラディス・エヴァンズには署名を頼みません)そして翌日にサヴィッジ氏を殺害したと思われます。ただし、ロジャーは「自殺に追い込んだ」と話してます。(どうやったら自殺に追い込めるのか知らんけど)いずれにせよ使用されたのは抱水クロラールですね。2.エンジェルが転落事故死に見せかけてアランを殺害。サヴィッジ氏の自殺に疑念をもったアラン・カーステアーズは、ロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)に接触して、遺言書の謎を解こうとしていたのでしょうね。でも、モイラに雇われたエンジェルによって崖から突き落とされた。ボビーは崖下で瀕死のアランを発見し、「なぜエヴァンズに頼まなかったのか」との最後の言葉を聞き、所持品の「写真」「キーホルダー」「万年筆」を確認します。そこに現れたロジャーは、ボビーが去ったあとに、モイラの写真をケイマン夫人の写真にすり替えたのですね。モイラに雇われたケイマン夫人も「死体は自分の兄だ」と嘘の証言。3.エンジェルがモルヒネ入りのビールでボビーを殺害未遂。ボビーも、ケイマン夫人を死んだ男(=アラン)の妹だと信じ、彼が死に際につぶやいた言葉を伝えてしまいますが、このせいでエンジェルから命を狙われることになる。移動遊園地での仕事中には、少年たちから「雇用主からの差し入れ」とビールを貰いますが、致死量のモルヒネが入っていたために死にかけます。ブエノスアイレスからの仕事依頼も偽造でした。ボビーの友人ノッカーまでもがエンジェルに襲撃される。4.エンジェルが首吊自殺に見せかけてトーマス医師を殺害。トーマス医師はロジャーのことを疑って調べてたらしい。しかし、エンジェルが彼を殺害。警察はそれを自殺と断定。ボビーは警官に「自殺は不可解だ」とうったえますが、警官は「不可解な自殺もありうること」と諭したうえで、資産家のサヴィッジ氏の自殺も不可解だったと言います。5.ロジャーが兄のヘンリーを拳銃自殺に見せかけて殺害。ロジャーは「カインとアベル」の話をしてましたが、もともと兄のヘンリーとは仲が悪く、当主のくせにモルヒネに散財するのも憎かったらしい。あらかじめ拳銃で兄を殺したあと、爆竹音を銃声に偽装してアリバイを作ったようです。◇以下は、2人による謎解きの手順です。ボビーは、宿のキーホルダーや宿台帳から、崖で死んだ男がアラン・カーステアーズだと知り、彼が資産家のサヴィッジ氏の友人だったことも、2人が映った写真から知ることになります。フランキーも、海陸軍クラブが引き取ったアランの荷物の中に、サヴィッジ氏からの大量の手紙を見つけ、サヴィッジ氏とローズ・テンプルトンとの恋愛を知ります。ただ、その時点ではローズが誰なのかを分かってません。…その一方で、ボビーとフランキーは、ヘンリーの妻と恋愛関係にあるニコルソン博士が、モルヒネ中毒のヘンリーを入院させようとしてると知り、さらにニコルソン博士の営む精神病院の周辺で、モイラやケイマン夫妻やエンジェルの姿なども見かけ、ニコルソン博士への疑惑をどんどん強めていきます。とくにボビーは、モイラ・ニコルソンから怪しげな電気療法のことを聞き、妻のモイラも何らかの被害者だと思い込むわけですが、これこそが最大のミスリードになります。…なお、ボビーは、トミー(=ヘンリーの息子)が使っていた万年筆を見て、それがサヴィッジ氏から貰ったものだと知りますが、これがミスリードになったか、真相につながったかは微妙。◇そして、最後の事件は以下のとおり。6.ロジャー&エンジェルがボビー&フランキーを殺害未遂。ボビーとフランキーは旧テンプルトン邸(通称ミルハウス)に監禁され、ロジャーとエンジェルに電気ショックで殺されかけますが、間一髪のところで仲間のノッカーに救出されます。電気療法を悪用したのはニコルソン博士ではなく、その妻のモイラ(=ローズ・テンプルトン)と、彼女の一味であるロジャーやエンジェルだったわけです。つねにボビーとフランキーを守ってくれるのは、黒人のノッカーやアラブ系の使用人ですね。彼らは忠実な善人として登場する形になってる。7.モイラがボビーを殺害未遂。ロジャーがロバーツ夫人を殺害未遂。ボビーは最後までモイラを被害者だと信じてますが、もともとモイラをいぶかしく感じていたフランキーは、彼女がボビーの紅茶に抱水クロラールを入れたのを暴き、モイラの正体こそローズ・テンプルトンなのだと見破ります。そのころ、ボビーの家では、家政婦のロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)が、ロジャーによって殺されかけるのですが、ボビーが駆けつけてロジャーを取り押さえます。そして収監されたロジャーからすべての真相が語られます。◇いろいろツッコミどころはある気がしますが、個人的に最大のツッコミどころは、車の偽装事故を見破るほど明晰なニコルソン博士が、なぜモイラのような女と結婚し、彼女の正体がローズ・テンプルトンだとも気づかず、片方では他人の妻と恋愛関係になり、妻の犯罪には気づかぬまま、護衛として雇ってるエンジェルの犯罪にも気づかず、不倫相手の義弟であるロジャーの犯罪にも気づかず、ケイマン夫妻の犯罪にも気づかないのかってこと。周りの人間が犯罪者だらけだよね。ちなみに、この間抜けなニコルソン博士を、脚本・演出のヒュー・ローリー自身が演じてました。なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ] 楽天で購入
2024.03.28
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カンテレのドラマ「エルピス」。視聴者のなかには、「政治家の息子が犯人」みたいな予想もあるっぽいけど、わたしは、そんなありきたりな話じゃないと思う。◇瑛太が演じる謎の男は、政治家の息子じゃなくて、「本城建託の息子」という設定のようだし、かりに彼が何らかの裏事情を知っているとしても、おそらく真犯人ではない…というのがわたしの見立て。第一、ドラマのモデルとされる足利事件は真犯人が見つかってないし、飯塚事件にいたっては、再捜査はおろか再審請求さえ通っていません。したがって、この物語は、最後まで真犯人にたどり着かない可能性もある。◇一般に、現実の冤罪事件ってのは、たぶん「真犯人隠し」よりも、権力の「不祥事隠し」の側面のほうが強いのだろうと思う。つまり、世間的な関心の高い重大事件において、地元の警察が、人事への配慮や点数稼ぎなどのために、強引な捜査や証拠のでっちあげなどを行った場合、それを起訴した検察、そして有罪判決を下した司法なども、いわば共犯関係になっていくわけだし、さらには、選挙地盤からの要請を受ける形で、政府判断で死刑執行を強行して幕引き…なんてところまで権力の共犯関係が連鎖しかねない。そうやって、地元警察から中央政府にいたるまで、権力側の「不祥事隠し」の共犯関係が連鎖していくと、冤罪報道や真犯人捜査に対しても隠然と圧力がかかるのでしょう。そんな闇のカラクリを暴き出すことこそ、このドラマの最大の主題なのだろう…とわたしは見ています。単純に、「政治家の息子が殺人犯」なんて話は、ちょっとリアリティに欠けると思いますし、そこらのミステリー小説の読みすぎじゃないかしら?◇なお「本城建託」という地元企業が出てきたので、今後は、この企業と麻生太郎モドキとの癒着の構造が、殺人事件とはまた別の闇を浮かび上がらせるのかもしれません。佐野Pも、ここからの話が《後編》になるとツイートしてましたし。たとえば、福岡の麻生グループの、セメント会社や学校法人なんかがモデルの可能性もありますよね。ただでさえ福岡はヤクザが多いから、企業体&ヤクザ&地元警察の、三つどもえの組んずほぐれつとか、色々ありそうだし。◇ってなわけで、第6話まで来ました!!いやー、ヤヴァすぎ…リアルすぎて手に汗握った。てっきり事件追及の主体と思われたBONBONチームは、あっさり解散してしまって、ゴードンは経理部に異動!セクハラプロデューサーは子会社に出向!報道復帰した長澤まさみは、忙しすぎて取材できない!もしかして、今回のマスコミの粛清劇って、佐野PがTBSを追い出された経緯に重なってます?梶原善は、ただのチョイ役で終わりなの?(T〇T)◇…とはいえ、事件は世間の注目を浴びたのだから、ほかのメディアも取材に乗り出すはずだし、トンズラした目撃証言者もメディアに追われるはず。金を振り込んでいたアサベ商事の実態も解明されるに違いない。しかし、今のところ、瑛太の周辺を嗅ぎまわってるのはゴードンだけ。そして、麻生太郎モドキを疑ってるのは長澤まさみだけ。なので、今後は、その情報を池津祥子と共有していくかが焦点になる。セクハラプロデューサーも子会社で底意地を見せてくれるかも。そして、わたしは、鈴木亮平が最終的に味方に転じる可能性についても、まだ希望を捨てていませんっ!!!つーか、ホリプロと東宝、キスしすぎwww◇ところで、脚本の渡辺あやは、ゴードンのことを、「ひとりでハアハア言ってるところが、必死な大型犬みたい」と言ってました。それって、まさに三船敏郎のことなのよ!三船敏郎の魅力って、あの目力もさることながら、まさしく「ひとりでハアハア言ってた」とこなのです。やっぱり目力ゴードンって、三船敏郎なんだわ。…それはそうと、長澤まさみの歌った「贈る言葉」。意外に上手なのでビックリしました。でも、こちらのデュエットを聴くと…(長澤&サチモス) やっぱり二人ともヘタwwドラマよりもゆったりしたバージョンですね。◇同一マネージャーの新旧タレント共演wwなんか笑える。
2022.12.01
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赤楚衛二×錦戸亮「Re:リベンジ」第7話。なんとも不思議なドラマだと感じてましたが、今回もまた予想に反するえげつない展開!乃愛ちゃん、こういう役なのね…TBS「恋つづ」の天堂先生だけでなく、日テレ「Dr.チョコレート」の唯ちゃんも逆手に取ってる??どんな結末へ向かうのか分かりませんが、よくもわるくも目が離せなくなってる。◇赤楚くん演じる天堂海斗は、いまや権力に目を眩ませたダークヒーロー。その意味では「白い巨塔」の財前五郎みたい。しかし、財前と天堂では、もとのキャラがだいぶ違う。人物の類型はほぼ真逆じゃないかと思います。財前の場合は、はじめから野心の塊だったし、およそ正義や善からは遠い人間で、他人の苦しみを何とも感じないサイコパスでした。それに対して、赤楚くん演じる天堂海斗は、当初から野心をもってたわけじゃなく、事実誤認や復讐心にもとづく正義感に駆られて、はじめて権力を志向しはじめた人ですよね。正義感も強いし、他人の痛みに共感できる善人だけれど、端的にいえば《アホなダメ男》なのです。◇日テレ「こっち向いてよ向井くん」でも、赤楚くんは《善人だけどダメ男》という役だったし、NHK朝ドラ「舞いあがれ!」の貴司くんも、おおむね《善人だけどダメ男》だったと思う。さらに、TBS「ペンディングトレイン」の優斗も、どこかしら《正義感の強いアホ》っぽかったのです。本作では、そのダメっぷりやアホっぷりが許容範囲を超え、もはや笑えない次元の「悪」にまで達してる。ある意味、赤楚くんは、新しいジャンルというか、今までにない人物類型を確立してるかもしれません。◇海斗は、視聴者を困惑させる主人公だし、通常のドラマのセオリーを逸脱してます。でも、それがとてもリアルでもある。悪意が「悪」を生むのではなく、誤った正義や愚かな善意が「悪」を生む。人間の「悪」って、そういうものかもしれません。たとえ悪意がなくても、弱くて愚かな人間が《器以上の力》をもってしまうと、結果的に「悪」になってしまう。これって、政治にも経済にも、科学技術にも言えることだと思います。
2024.05.24
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実写版「岸辺露伴は動かない」。第9話目になる《密漁海岸》を見ました。映像は、先日放送された映画版をしのぐほど美しかったけど、内容はあいかわらずのナンセンス!これまでになくツッコミどころが満載でしたw◇前半のテーマは医食同源。というよりも「薬毒同源」ですね。毒をもって毒を制すれば、毒にも薬にもなる。食材や生薬の探究に貪欲なのは、イタリア人よりも中国人のような気がするけど、ナポリ出身のトニオさんは、あらゆる食材をイタリア薬膳料理にしてしまう!…そして後半のテーマは密漁者の捕獲。アワビの密漁法を記した古い指南書が、じつは密漁者を死に追いやるための罠だった…という話。密漁者も、密猟者も、そうやって捕獲すりゃいいのね!なお、露伴先生が溺れるシーンで使われたのは、能「阿漕あこぎ」の謡だったらしい。伊勢神宮御用の禁漁区だった阿漕ヶ浦の話です。https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_070.htmlクライマックスで流れる謡は、能の演目「阿漕」をアレンジしたもの。渡辺監督は「歌詞自体も漁師が禁漁区で漁をしてひどいめにあってしまうというもので、音楽の菊地成孔さんがアレンジして作って下さいました。露伴が墓場に着いた時に流れるのは法華経です」と会見で説明していた。「#岸辺露伴は動かない」 #密漁海岸 クライマックスで流れる謡は?#高橋一生 #トニオhttps://t.co/lbuanvhRcq— シネマトゥデイ (@cinematoday) May 10, 2024 1.密漁海岸は加賀の潜戸?阿漕ヶ浦があるのは三重県津市ですが…巨大アワビに襲われた密漁者たちの死体が漂着し、その遺骨が大量に転がってる岩場には、大きな風穴(海食洞門)と小さな鳥居がありました。そこはまるで、島根半島の「加賀の潜戸くけど」のようです。加賀の潜戸は、水子供養の霊場だったと思われる賽の河原で、古代の海人族わだつみの聖地ともいわれてます。小泉八雲や水木しげるを惹きつけた加賀の潜戸。水木しげるは、境港で死体が漂着する話もしてる。>> 水木しげると小泉八雲と国引き神話。>> 水木しげると境港と一畑薬師。…そういえば第5話の《背中の正面》も、松江の「黄泉比良坂よもつひらさか」がネタ元だろうと思うけど、岸辺露伴に出てくる怪異譚って、じつは島根県に取材してることが多いのかもしれません。そこから察すると、露伴先生のモデルは、幸田露伴よりも小泉八雲じゃないのかしら?…島根県といえば、出雲大社の御神体は「巨大な九穴アワビ」との説があります。同じような「九穴の貝」の伝承は日本各地にあって、それを食べれば不老長寿を得るといわれてる。今回のヒョウガラクロアワビも九穴の貝だったのかな。九穴って、人間の男性と同じ数だけど、密漁者を食い殺したアワビが九穴になるのかもね!2.ヒョウガラ列岩は明神礁?ヒョウガラ列岩に棲息してたのが、ヒョウガラクロアワビだったわけですが…ヒョウ柄って、そんな大阪のおばちゃんみたいな岩があるの?そのヒョウ柄の岩に張りつくから、クロアワビも保護色でヒョウ柄になるってか?映像を見たところは、どこがヒョウ柄なのかよく分かりませんでしたが。◇なお、ネットで「列岩」を調べてみましたが、日本の場合は、明神礁みょうじんしょうのベヨネース列岩しか出てこない。たぶん列岩というのは、海底火山で隆起した岩礁群なのだと思います。ちなみに、海人・海神わだつみは、新海誠「天気の子」や山崎貴「ゴジラ-1.0」に関係しますが、明神礁は、本多猪四郎の初代「ゴジラ」に関係します。初代ゴジラのモデルになった事件は、1952年に明神礁の噴火で遭難した第五海洋丸と、1954年にビキニ環礁で被爆した第五福竜丸だからです。(前者は海上保安庁の測量船、後者は遠洋マグロ漁船)3.蛸とアワビの吸着力。巨大なアワビが顔に張りついて死にかける場面は強烈!そんな危機を救ったのがアワビの天敵の蛸たこ。実際、タコの8本足の吸着力は、アワビを引き剥がすほどに強力なのだそうです。日本沿岸に棲息する蛸だけに、ヘブンズドアの命令も日本語で話が通じるのかしら?つーか、蛸にヘブンズドアが出来るなら、アワビにだって出来るでしょwついでに六壁青蛙ムツカベアオガエルにも!◇蛸はアワビを退治してくれましたが、そのまま蛸が顔に張りついたら死んじゃうよね。それもヘブンズドアで乗り切ったのかな。…とにもかくにも、アワビ成分入りの蛸料理を食べたおかげで、初音さん(蓮佛美沙子)の病はすっかり快癒したらしく、美味しそうなクロスタータ(イタリアのタルト)を作ってくれました。あれって、絶対グレープフルーツのジャム入りでしょ!そうでなきゃ頭の腫瘍はどこ行ったの?どうして食べても何の反応も起きないの?オチがなさすぎww大量のジャムを使うクロスタータ!
2024.05.11
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セクシー田中さん問題。日テレと小学館から報告書が出ました。日テレhttps://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-1.pdfhttps://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf小学館https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf1.事前の合意についてそもそも「原作に忠実に」という意向が、小学館と日テレ双方で合意されていたとはいえない。それを証明する文書はなく、双方の主張も食い違います。「原作に忠実に」という条件は合意されていない。バカな漫画ヲタクどもは、「ドラマは原作に忠実に作るのが当然!」などと主張してますが、ドラマは「原作を改変するのが当然」です。そもそも「漫画原作に忠実なドラマ化」とは何か。・漫画の絵をそのまま映像にすることですか?・コマ割りをそのまま絵コンテに置き換えることですか?・生身の俳優が漫画のキャラになりきることですか?・漫画1話分の物語をドラマ1話分に置き換えることですか?・全話分の物語を10話分のドラマに置き換えることですか?どの観点から考えても、「原作に忠実なドラマ化」など不可能です。むしろ改変こそがデフォルトだと考えねばならない。さすがの芦原妃名子も、そこまでバカじゃなかったので、ドラマ化に「改変」が必要なことは理解してました。日テレの報告書より。◇むしろ、それより問題だったのは、9・10話の「脚本家交代」についてなのですが、これについては、合意らしきものがあったとはいえ、【原作者→小学館 →日テレ】という伝言の過程で、その意思が徐々に薄められて及び腰に伝えられ、契約書にも明記されないまま、脚本家にはまったく伝わってませんでした。その曖昧な伝言ゲームが、のちに双方の不満を募らせて、ネットでの炎上騒動へと発展する結果になった。社員Xには口頭で伝え…社員Yにはメールで伝えたものの…社員Xは十分に認識しておらず…契約書にも記載されなかった。以下は日テレ側の認識。2.SNSの対応についてつぎに、炎上への対応について。まずは一般的な話としてですが、SNSで誰かに何かを言われて死ぬくらいなら、そもそもSNSをやるべきではありません。たとえば星野源の問題でもそうですが、滝沢ガレノが何かを書けば、そこに乗っかる人間が大勢いるし、それに対して星野源や新垣結衣が何かを書けば、そこにまた乗っかる人間が大勢います。そのような炎上騒ぎに対して、どちらが正しいとか間違ってるとか言っても仕方がない。SNSとはそういうものだと考える以外にないし、それに耐えられなければSNSをやるべきではありません。芦原妃名子もSNSはやっていませんでした。もともとSNSの危険性を警戒していたのかもしれません。しかし、脚本交代の件にかんしては、わざわざXのアカウントをあらたに開設して、一時的ながらSNSでの発信をしてしまったのですね。そして、それが結果的には仇になった。◇SNSにかんして、日テレと小学館では対応に違いがあります。日テレは「表現の自由」を尊重するとして、相沢友子のSNSにタッチしなかった。相沢友子の情報発信への対応。日テレの報告書より。小学館も、当初は同様の対応だったようですが、芦原妃名子の強い要望に応えて、ブログとXでの情報発信に協力し、さらに炎上騒動が拡大して以降は、対策委員会を招集するなどして、芦原妃名子の情報発信に対して、何らかの干渉をしようとしたフシがあります。芦原妃名子の情報発信への対応。この小学館の対策委員会の設置は、芦原妃名子の自殺のトリガーになった可能性もある。そこで「攻撃」という言葉が使われたかもしれないからです。◇バカな漫画ヲタクどもは、「日テレは相沢友子のSNSを削除させるべきだった」などと主張してますが、それは間違った考えです。未成年の子供ならともかく、成人した大人で、しかも表現を生業とする人間が、どこでどんな表現活動をしようと、それは個人の「表現の自由」の範疇であって、企業がいちいち干渉すべきことではありません。むしろ問題なのは、小学館の対応のほうです。たんに個人どうしの喧嘩なら、わざわざ企業が口を出す必要はないはずですが、あえて小学館が対策委員会などを設置したのは、それにともなうSNSでの炎上騒動が、小学館と日テレの両企業にとって不都合と考えたからでしょう。しかし、だからといって、企業が個人の表現活動に干渉などをすべきではない。◇もちろん、小学館の対応が、芦原妃名子の「表現」を侵害したとまでは言えないし、かりに何らかの干渉があったにしても、それが自殺の引き金になったとまでは断定できないし、かりに引き金になったとしても、そのことで殺人罪に問えるわけでもありません。そもそもSNSを使ってほしくないのなら、別途、その旨の契約が必要なのだと思いますが、ごく一般的な考え方として、SNSをやるかやらないか、そこでどんな発信をするかは、個々人の「表現の自由」の範疇であって、そこで誰と喧嘩をしようが、その結果、傷ついて自殺をしようが、それも表現者である作家個人の責任の範疇と言うべきです。作家を孤立させないということと、個人における「表現の自由」に干渉するということを、けっして混同すべきではありません。3.キャラ設定についてこれは、わたしの想像だけれど、小説であれ、漫画であれ、原作者がもっともこだわるポイントは、おそらく「キャラ設定」なのだろうと思う。ドラマ化にともなうキャラ設定の変更は、視聴者の嗜好や俳優の特性に合わせたものでしょうが、たしかにキャラの設定を変えれば、おのずから登場人物の行動原理が変わり、それによってストーリーとその意味合いも変わります。したがって、原作者の意向と齟齬が生じやすい部分だと思う。◇今回のように、原作者が脚本監修(プロットの修正)をする場合であっても、キャラの設定にかんしては、ストーリーにも影響する問題なので、契約前の段階で合意に達しておくべきだと思います。テレビ局と出版社は、この点をいかに調整すべきかについて、あらかじめ様々なケーススタディをしておくべきだし、合意のためのフォーマットを作っておくべきでしょうね。
2024.06.06
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プレバト俳句。金秋戦の予選はじまりました。お題は「ピアノ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇いちばん好きだったのは、篠田麻里子の句。秋の夜 黒鍵のエチュードに挑む(添削前)黒鍵のエチュード 秋の夜を挑む(添削後)曲名のカギカッコは要らない気がしたので、勝手に消しました。すみません。全体の黒のイメージが素敵です。ショパンの曲はひたすら技巧的な練習作品だけど、半音階で奏でる曲想のなかから、夜の憂いも立ち上がってくるようでお洒落です。添削前と添削後、わたしは、どちらでもいいかなぁ…。というより、それぞれ味わいが違う気がします。添削前のほうは、散文的ではあるけど、季語が主役として立ってる。添削後のほうは、曲名の印象が強くなるので、ちょっとサスペンスフルになってる気がします。動詞の「挑む」にかんしても、添削前のほうは、たんに「技術的な練習」という意味合いだけど、添削後のほうは、「夜を挑む」という表現が、なにか別の意味合いを生み出してる気もするし、ショパンの曲はBGMのようにも見えてくる。◇キスマイ横尾。休暇明 アルトのビブラート 太し「変声期」を詠んだ句だとは思いませんでしたけど、夏休みを過ごした若者の逞しさみたいなものが、なんだかとても眩しくて羨ましい。◇キスマイ北山。五指跳ねる秋や 英雄ポロネーズ(添削後)読んだだけで「英雄ポロネーズ」が聴こえてくるようです。物悲しい秋じゃなくて、敢然として躍動的な秋というのも、なかなか素敵です。◇岩永徹也。色のなき風や ボカロのラブソング(添削前)色なき風や ボーカロイドのラブソング(添削後)無味乾燥な秋風とボカロのサウンドを「並置」した句。デジタルサウンドでアナログな世界を描いた音楽作品のようにも読めます。一方、先生の言うように、古代・中世の季語の世界と、近未来的な技術の世界とを「対置」した句だととらえると、また見え方が違ってくる。時代をこえて双方が響き合ってるようにも見えてきます。そういうコントラストを詠むのなら、添削後の形のほうがいいですね。◇パンサー向井秋日和 猫眠るため在るピアノ(添削前)猫眠るためのピアノよ 秋の日よ(添削後)季語を「秋日和」にしたかった気持ちが分かります…。でも、添削後のように、あえて「秋日和」とは書かずに、読んだ人のなかで秋日和を感じる仕掛けにするほうが、正解なのでしょうね、きっと。◇皆藤愛子秋渇き ピアノに映る 二重顎(添削前)二重顎 映せる秋のピアノ 嗚呼(添削後)「秋渇き」という季語を使おうとして、そこから発想した場面なんだろうなと推察します。それだけに、この季語を最後まで捨てられず、かえって足を引っ張られてしまったのでは?いずれにしても、だいぶ川柳的な味わいの句。先生が言うのとは逆に、むしろ添削後のほうが滑稽味と自虐性を増してる気がします…。◇千原ジュニア鍵盤図 弾く兄の背や 秋の暮(添削前)鍵盤図 弾く兄の背に 秋の暮(添削後)表現としては、たしかに添削後のほうが上ですが、あまりにわびしさが強くなりすぎて、なんか辛いです…(笑)。添削前のせいじの背には、まだしも逞しさがあるけど、添削後のせいじの背には、もはやわびしさしかない(笑)。◇森口瑤子ちゑさんの 被爆ピアノや 秋はきぬうーん。なんかもう句として出来過ぎてるのか、それとも自分の体験の引き出しが無いからなのか、なんの言葉も出てきません…。五指跳ねる 英雄ポロネーズ弾く秋
2020.10.30
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NHKの「ライジング若冲 天才かく覚醒せり」を見ました。2017年の「眩~北斎の娘」のときは、朝井まかての原作があったけれど、今回のドラマに原作はなく、源孝志の作・演出ってことです。空から舞い降りてくる「黒い雁」を、赤や緑のハート模様の「白い鳳凰」が受け入れる対幅に重ねて、若冲と大典とのBL風の物語を描き出す、という趣向でした。◇そのボーイズラブの真偽はともかく、売茶翁の営む茶店(オープンカフェ)が、若冲や大典だけでなく、円山応挙や池大雅らも集うような「芸術サロン」だった、という事実はかなり興味深いものだし、今後、国内外で、この上方の芸術サロンの存在に関心が高まって、江戸時代の芸術についての研究が、さらに進んでいくことになるかもしれませんよね。◇ただ、今回のドラマは、ボーイズラブ以外の部分については、さほど踏み込んだ歴史的解釈はしておらず、わりと無難に史実をまとめただけ、という感じもします。彼らの交流が、どんなふうに影響し合い、それぞれの人生や作品に何をもたらしたのか。その部分の突っ込みには、ちょっと甘さを感じました。とくに疑問を感じたのは、「仏」と「神」が混在していたことです。つまり、仏教と道教との関係が曖昧でした。◇大典は、みずからが禅の境地を得るために、若冲に対して「仏を描いてほしい」と懇願します。しかし、若冲が生き物の姿に見出したものは「神気」でした。これは同じものでしょうか?鳥や蛙、魚や虫には表情がないから、喜怒哀楽もない、と人間は勝手に思ってる。しかし生き物である以上、欲も愛もある。それを外界に「気」として放ってる。この発想は、あきらかに道教的です。いわゆる神仙思想、あるいは老荘思想です。そもそも「若冲」の名の由来にもなった"大盈は冲しきが若きも 其の用は窮まらず"というのも、老子の言葉でした。◇このドラマは、禅僧である大典との関係を軸にしながら、最後に「釈迦三尊」を中心に据えた「動植綵絵」を、相国寺に寄進するところまでを描いています。その結果、おもに仏教(禅)とのかかわりが、クローズアップされているようにも見えます。しかし、若冲の絵の本質は、仏教ではなく、むしろ道教のほうに近い気がします。ちなみに「動植綵絵」は、明治の廃仏毀釈のときに皇室へ移り、寺には「釈迦三尊図」だけが残ったようですが、そもそも「釈迦三尊図」というのは、若冲の大作を寺に置くための建前として、「動植綵絵」に添えられただけのものにすぎない、という気がしないでもありません。作品のメインは、じつは「釈迦三尊図」ではなく、あくまで「動植綵絵」のほうではないでしょうか?そして、それは、仏教的な「理知」の世界ではなく、道教的な「生命」の世界だと思うのです。◇売茶翁は、それこそ道教の仙人みたいな恰好をしていましたが、まさに彼の煎茶こそが、老荘思想の精神を如実に示していましたし、それは同時に、茶の湯(=禅)に対する批判でもありました。売茶翁は、若冲の「動植綵絵」を目にしたとき、「あんたの絵の腕はもはや神の領域や」と言いました。しかし、同時に、「こういう絵は仏のためにこそ描かれるべきや」とも言いました。ここでも「神」と「仏」が混在しています。これらは同じことなのでしょうか?それとも、彼らは神仏の融合を目指していたのでしょうか?
2021.01.06
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セクシー田中さん問題。いろいろと議論が進展しています。まずはプレジデントオンライン。西山守の記事です。~芦原さんを苦しめたのは「原作改編」と「SNS炎上」のどちらか~これまでの関係者の発信を読み解くと、ドラマは最終的に全て芦原さんの監修が入っていた。「原作が尊重されなかった」と主張しているのは第三者だけではないか。https://news.yahoo.co.jp/articles/00423158fe0253207d329fbb4b63232794eb7741つまり、ドラマ版「セクシー田中さん」は、双方に想定以上の労力を強いたとはいえ、たえず原作者による修正が加えられたことで、結果的には「原作に忠実」な形で放送されてる…って話。たしかに、この事実は重要です。一部の漫画ヲタクは、「改変されまくりのドラマ版はつまらなかった!!」などと言ってるようですが、それは事実上、芦原妃名子の仕事を否定してることになる。◇最終的に、ドラマが「原作に忠実」な形で放送されたなら、プロデューサーは当初の約束を守ったことになります。…もちろん、いくつかの未解明な部分についての説明責任は残ってますが。それは大きく以下の7点です。1.なぜドラマ化は許諾されたのか。そもそもドラマ化に消極的だった芦原妃名子は、なぜ日テレによるドラマ化を許諾したのでしょうか?いちどは矢島弘一の脚本によるドラマ化を断り、まだ連載も途上だったのに、なぜ三上絵里子プロデュースのドラマ化には応じたのか?その時点で相沢友子の脚本起用は決まっていたのか?これについては、日テレよりも、許諾側の代理人たる小学館が説明すべきだと思います。2.なぜ木南晴夏は5月からダンスレッスンを始めたのか。原作者がドラマ化を許諾する1か月前から、木南晴夏はダンスレッスンを始めていたらしい。これについては日テレから説明するほうが早いでしょう。小学館と口裏を合わせていた可能性もありますが、たんに日テレやホリプロの勇み足だった可能性もあるし、これもまた業界の慣例だったかもしれません。3.プロデューサーは脚本家に何を伝えて何を伝えなかったのか。相沢友子は「初めて聞く事ばかり」とコメントしましたが、具体的に何を指してそう言ってるのかはハッキリしません。さすがに「原作に忠実に」という条件すら知らなかった、…とは考えにくいです。もし、そうなら、第1~8話も修正どころでは済まなかったはずだから。逆に「原作に忠実に」という条件が共有されていたなら、第1~8話の修正は想定内の作業だったといえます。実際、相沢友子も、第1~8話については「自分が書いた」と言ってるだけで、原作者による修正についてはとくに言及していません。一方、終盤の脚本を原作者に交代する可能性については、あらかじめ脚本家に伝えられていたのでしょうか?原作者側から、その可能性を通告されていたにもかかわらず、実際にそんな事態になるとは予想せずに、プロデューサーが相沢友子に伝えてなかった、…ってことも考えられる。その場合、相沢友子にとって脚本交代は青天の霹靂で、大きなショックになったろうと想像されます。そのあたりの事情は三上絵里子が説明したほうがいい。4.相沢友子のインスタ発信は妥当だったのか。相沢友子が、脚本交代の顛末をインスタで明かしたことが、騒動の発端になってしまったわけですが、わたしは、昨日の記事にも書いたとおり、暴露したその行為自体が悪いとは思いません。その種の「不満のぶちまけ」は、ほかの作家や脚本家もやってることだし、あくまで個人の表現行為の範疇であって、べつに日テレ側が制止すべきことでもないはずです。まあ、それについても、三上絵里子なりの見解を示せばいいと思いますが。5.なぜ脚本交代の経緯を小学館から説明しなかったのか。終盤の脚本交代に至るまでの経緯をくわしく説明したのは、小学館ではなく原作者自身だったわけですが、それは何故だったのか。日テレとの窓口は小学館だったのに、なぜか世間の矢面に立ったのは原作者自身だった。その理由については、代理人たる小学館が説明すればいい。6.なぜ芦原妃名子はSNSの文章を削除したのか。脚本交代に至る経緯について説明した文章を、芦原妃名子は亡くなる前に削除したのですが、これは本人の独断だったのか。それとも第三者による何らかの関与があったのか。それについて事情を知る人がいるなら説明すべきでしょうね。7.なぜ連載は休止になったのか。小学館によれば、今回の事態が起きる前から休載は決まっていたとのこと。これについても、自殺の動機を知る手掛かりの一つかもしれないし、代理人たる小学館が説明すればよいと思う。◇…ってことで、じつは三上絵里子が説明すべきことは、さほど多くありません。実際のところ、日テレのプロデューサー陣には、これといった契約違反もないし、目立った過失も義務違反もないのかもしれません。◇次に、Yahooの猿渡由紀の記事です。~原作ものの映像化と改変、最近のハリウッドの例を見る~小説やノンフィクション本、コミックが映像化されることは過去にも今にも数えきれないほどあるハリウッドでは、傑作の中にも、駄作の中にも、原作に沿ったものもあれば、大きく改変されたものもある。実際のところ、ある程度改変されることのほうが多い。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4f16e5b6d5bcb5bd82c97339e4057e5e105b08f9ハリウッドの優れた映画が、かならずしも原作に忠実なわけじゃない…という話です。まあ、常識的に考えて、オスカーにせよ、カンヌにせよ、原作をそのままトレースしただけの映画が高評価を得るわけがない。漫画ヲタクを喜ばせる映画と、映画ファンを唸らせる映画は、かならずしも同じではない、ってこと。◇次に、Yahooの徳力基彦の記事です。~「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために~おそらく重要な分岐点は、12月27日に一部メディアが、相沢氏のコメントを引用し「最終回で消化不良を起こした視聴者が続出」という内容の記事を掲載したことです。この記事は残念ながら、ライブドアなどのポータルサイトにも転載されており、それなりの人数に届いてしまったようです。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3ed6b751c16a1baee29f72a36e2de6bc79653899じつはSNSでの怒りの連鎖に着火したのは、ひとつのネット記事だったのではないか?…という話です。この問題については、明日以降に言及できれば、と思います。
2024.02.10
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初デート上出来茄子上手く炊けた 吊橋の下は万緑初デート 初デート彼の団扇を借りたまま6月6日のプレバト俳句。お題は「初デート」。◇梅沢富美男。吊橋の下は万緑 初デート初デートの吊橋万緑に揺れる(添削後)形式面でいうと、中七で切ったら季語は下五に置くほうがいい。この句の下五は、映像というより説明っぽく見えてしまう。一方、フジモンと先生が疑問を呈したのは、「緑が茂ってるのは橋の下じゃなく橋の周囲では?」…ってこと。まあ、吊り橋の位置によっては、眼下に緑が広がる場合もあろうし、客観的事実としては周囲に緑が茂ってても、吊り橋に立ったときの主観的な印象として、眼下の緑に圧倒されることもあるでしょう。ただし、万緑とは「見渡すかぎりの緑」のことだから、下だけに限定するのなら、むしろ「深緑」「青葉」などを使うべきかな、…という考えもありうる。◇フジモン。初デート上出来 茄子上手く炊けたボツかなあ…と思ったけど掲載決定でした。女性の視点で詠んだとのことで、俵万智の短歌みたいな内容。モノローグ的というか、日記っぽい。関西では「煮びたし」を「炊いたん」というのね。二句一章と考えると、前段は結果の説明とも見えるけど、全体をひとつのセリフと考えれば、公開録画当たった 浅蜊開いたと同じような作風だといえます。おうちデートで料理を振る舞い、「上手く炊けただけでも上出来!」と、自分に言い聞かせてる感じ?ただし、作者の説明によると、彼に料理を振る舞ったのではなく、外デートからの帰宅後に自炊した場面らしい。◇清水アナ。初デート 彼の団扇を借りたままこれはフジモンとは逆に、デート中の話ではなく、帰宅後の話のように読めてしまいます。帰宅後も借りたままだったという意味なら、上五は原因の説明になるけど、彼の団扇を持って歩いたという意味なら、初デート 君から借りた白団扇のようにも出来るし、あるいは破調の17音で、初デート 君に借りた団扇の風のようにも出来ます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥きゅんです!🫰#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/AilKA0T6Of— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) June 5, 2024 ナイツ土屋。2位だったけど空気感がオシャレ!広告写真みたいなカッコよさ。 辻本舞は、独特の色彩が絵本みたいでファンタジックね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.10
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紅白帽脱いで焼きたて林檎パイ 来ぬ君を金木犀の香に赦す 待ち合わせカフェが満席初冬かな ハチ公を挟み会えずの冬隣 夕月夜名の無き猫と君を待つ 背にホルンケース秋寂ぶのハチ公前 伝言板くせ字も愛し秋うららプレバト俳句。お題は「待ち合わせ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇小倉優子。紅白帽脱いで 焼きたて林檎パイこれが今週の1位。子供が帽子を脱ぐとすぐに、焼き立てのパイが登場するのが微笑ましくて可愛い。小倉優子は、「チョークののび太」のときもフジモンっぽかったけど、今回もやっぱりフジモンっぽい作風だと感じます。◇そのフジモン。背にホルンケース 秋寂ぶのハチ公前今回はこれが一番よかった。破調といえば破調だけど、安定したリズムだし、秋寂ぶだけど、芸術の秋らしい上質感もある。句材もいいし、季語の使い方も手練れてます。小倉優子が "フジモン風" なのに対して、フジモン自身は、ちょっと作風が変わってきていて、かなり渋味を感じさせるようになりました。金秋戦の句もよかったし、村上より早く永世名人になりそうな予感もある。◇神谷明采。来ぬ君を 金木犀の香に赦す兼題から、とりあえず竹久夢二を引っぱってきて、金木犀の甘い香りをかぶせて大正歌謡風に仕立てた感じ?発想の手順は、いかにも東大生っぽいけど、最後の「香に赦す」のところに独創性が出てて面白いのですね。◇薬丸裕英。待ち合わせ カフェが満席 初冬かな待ち合わせのカフェは満席 冬はじめ(添削後)これはあきらかに添削のほうが上ですね。上五を「約束の」とかにすれば、字余りにしなくても済むとは思いますが、まあ、口語的な上六のほうが味わいがあるかもしれません。かりに原句の「かな」を活かすならば、切れを入れずに、満席のカフェに待ち侘ぶ初冬かなってな感じでしょうか。◇梅沢富美男。伝言板 くせ字も愛し 秋うらら秋麗や くせ字愛しき伝言板(添削後)これもあきらかに添削のほうが上。三段切れにしろ、助詞「も」の使い方にしろ、季語の効果的な使い方にしろ、永世名人にしては迂闊なミスというべきですが、まあ、他人のミスにはすぐに気がついても、自分のミスにはなかなか気がつきにくいのでしょうね。◇キスマイ宮田。ハチ公を挟み 会えずの冬隣ハチ公を挟み 冬隣の苦笑(添削後a)ハチ公を挟み 冬隣の不覚(添削後b)本人の説明によれば、待ち合わせた相手がハチ公像の反対側にいたのに、不覚にも気づかなかった、ってことらしい。しかし、説明を聞かずに読むと、反対側にいた赤の他人も、自分と同じように約束をすっぽかされている、…という状況に見えなくはない。とくに(添削後a)などは、そういうふうに読めます。かたや(添削後b)は、読んだだけでは状況を掴むのが困難で、「冬隣の不覚」という字面を見た瞬間は、二人ともうっかり薄着で来てしまった!…みたいに思える。ためしに、君何処いずこ ハチ公前の冬隣人混みのハチ公像や 冬隣としてみました。◇千原ジュニア。夕月夜 名の無き猫と君を待つ名前なき猫と君待つ夕月夜(添削後a)まだ名前なき猫と待つ夕月夜(添削後b)本人の説明によれば、屋外の待ち合わせで野良猫と一緒にいる状況らしい。しかし(添削後b)を読むと、野良猫というよりも、まだ名前をつけてない飼い猫と一緒に、家の中で誰かの帰りを待ってるように読めるし、じつは、原句であれ(添削後a)であれ、そういう誤読が可能です。おそらく助詞の「も」を避けて、あえて「名もなき」とせず「名のなき」としたのでしょうが、それだと「名前をつけてない飼い猫」と誤読されてしまう。やはり野良猫だと明示するためには、「名もなき猫」とすべきなのだろうし、(「名前もないし家もない」という意味です)さもなくば、はっきり「野良猫」と書くべきだと思います。ためしに、待ちぼうけ 名もなき猫と夕月夜野良猫や 君を待つ間の夕月夜としてみました。
2021.11.01
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NHK「ブラタモリ」の境港・米子編を見ました。水木しげるの生誕100周年にちなんで、鳥取県の境港市にスポットライトを当てていました。この土地は、現在は「弓ヶ浜半島」(=鳥取の尻尾)の一部になってますが、もともとは砂洲で出来た島だったらしい。その名も、なんと夜見島よみのしま!今から1200年ぐらい前、つまり、奈良の終わりから平安の初めごろに、砂洲が拡大して米子地域と陸続きになったのです。弓ヶ浜という名前も、「砂浜の形が弓のようだから」と思われがちですが、その別名は「夜見ヶ浜」です。夜見の語源は、いうまでもなく「黄泉よみ」。というよりも、古代日本語の「ヨミ(黄泉)」が、もともと「夜見」「闇」から転じていると言うべきかもしれません。ちなみに、弓ヶ浜半島は、島根半島の側とは繋がっておらず、幅200~600mほどの「境水道」が鳥取と島根の県境になっています。水木しげるも漫画に描いていましたが、この境水道の南側と北側とでは地形がまったく違います。弓ヶ浜半島が低く平らな土地であるのに対して、島根半島は急峻な山地です。弓ヶ浜半島。境水道を挟んで島根半島の東端部分に向かい合っている。1.国引き神話もともと島根半島の周辺は、神話の世界ですよね。半島の西の付け根には出雲大社があり、海へ突き出した部分には、日御碕神社、佐太神社、美保神社が並んでいる。今回の番組も、まさに「国引き神話」を彷彿とさせる内容でした。…まずは、島根半島の成り立ち。今から2000万年前に、日本列島となる部分がユーラシア大陸から離れ、さらに1500万年前に、フィリピン海プレートの沈み込みによって日本列島全体が隆起。その後のさらなる圧迫により、島根の沖合で断層が隆起し、これが島根半島の原型になったらしい。たぶん最初は島だったのでしょう。…かたや、出雲国風土記に書かれてある「国引き神話」では、八束水臣津野ヤツカミズオミツヌという神さまが、朝鮮半島と、隠岐の島と、能登半島のそれぞれから、あまった土地を綱で引っ張ってきて 現在の島根半島を作ったのだとされています。http://www.route54-shinwa.gr.jp/prof/p_his.htmhttps://www.mapple.net/articles/bk/18942/実際、島根半島から見ると、西側200kmあまりに朝鮮半島があり、正面の50kmほど沖合に隠岐の島があり、東側200kmあまりに能登半島があります。半島の付け根にある三瓶山と大山に縄をくくりつけ、ものすごい怪力で、三方から土地を引き寄せたのですっ!2.漂着する砂~神々と妖怪すでに現在の島根半島は、出雲と松江の2箇所で砂洲が繋がり、本州と陸続きになっています。前述のとおり、境港の砂洲も幅200mのところまで迫っている。番組のなかでも解説されていましたが、島根半島が本州と砂洲で繋がる原理は、離岸堤が海岸と陸繋砂州(トンボロ)で繋がる原理と同じ。つまり、海流が内側に回り込んで砂が堆積するのです。事実、米子市の皆生温泉地区にある離岸堤とトンボロの形が、現在の島根半島の形にそっくりでした!西側の砂洲が出雲、中央の砂洲が松江、東側の砂洲が境港。ちなみに砂洲の根元部分にあるのが三瓶山(西側)と大山(東側)。◇しかし、この土地に流れ着いたのは砂だけではないはずです。神さまが土地ごと綱で引っ張ってきたというのは、さすがに神話的なファンタジーだと思いますが、たとえば朝鮮半島や隠岐の島や能登半島からは、海流に乗って漂流民が流れ着いたのかもしれません。また、ご承知のとおり、西側の出雲(稲佐の浜)には列島の神々が流れ着くのだし、東側の境港(水木しげるの故郷)には妖怪たちが流れ着くのですよね。島根半島の東端にある美保神社は事代主神を祀っていますが、それも漂流の神であるヱビス神の別名なのであり、ある種の妖怪というべきヒルコ神の別名でもあります。3.松江の小泉八雲現在の境港市はかつて「夜見島よみのしま」だったのですが、一般に「黄泉の国」があると考えられているのは、むしろ松江市ですね。それこそ『岸辺露伴』の六壁坂の話じゃありませんが、松江市の揖夜いふや神社にほどちかい黄泉平坂(=平境ヒラサカイ)こそが、黄泉の国との「境界」なのであり、そこを黄泉醜女という妖怪が追ってくるのです。小泉八雲も、松江市でこそ多くの怪談話を収集しました。おそらく「夜見島」が陸続きになる以前は、松江の砂州にこそ多くの神々や妖怪たちが漂着したのでしょう。ちなみに松江市の神魂かもす神社は、出雲国造家の起源だとされています。砂州の北端にあたる大橋川沿いの石屋古墳では、最古の埴輪も発見されています。砂州の南端には、かつての出雲国庁があり、勾玉造りの拠点もありました。トンボロ形成の原理から考えれば、おそらく最初に中央の松江地域の砂洲が作られ、その次に西側の出雲地域の砂洲が作られ、(宍道湖の誕生は約1万年前だとされています)最後に東側の境港の砂洲ができたのではないでしょうか。それにともなって、大社おおやしろの立地が、松江から出雲へ移転したのかもしれません。 ⇒ 「歴史探偵」出雲の回でもこれに関連する話題が出ていました。先の神話によれば、神さまが島根半島を引き寄せる際、三瓶山にくくりつけた綱が出雲の砂洲になり、大山にくくりつけた綱が境港の砂洲になったとされています。おそらく神話的な記憶のなかにも、それらの土地が新しいものだという知見は残っていたのでしょう。◇ところで、こうした砂洲はあくまで黄泉の国との《境界》でしかありません。はたして「黄泉の国」そのものはどこにあるのでしょうか?それは、神々や妖怪たちを運んでくる日本海であり、あるいは、隆起した島根半島全体を覆っている森でしょう。とりわけ島根半島の中央部分は「闇見くらみ」と呼ばれています。古代の神さまが隠岐の島から土地を引いてきたという部分です。その突端には、小泉八雲や水木しげるも訪れたという加賀の潜戸かかのくけどがあります。日本列島に「浦島太郎(山幸彦と海幸彦)」や「かぐや姫(竹取物語)」などを伝えた、いわゆる海人ワダツミ族の聖地だとされています。きっと彼らこそが黄泉の国の住人だったのでしょう。
2022.08.29
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NHK歴史探偵「平安のスーパースター 空海」を見ました。今年は空海の生誕1250年にあたるそうです。大河「光る君へ」も平安時代が舞台ですが、空海が活躍したのは平安初期で、藤原道長や紫式部よりも200年ほど前の人です。774 - 835:空海966 - 1028:藤原道長970? - 1014?:紫式部北海道から鹿児島にいたるまで、さまざまな空海伝説が3000ほどもあるそうです。しかし、その真偽はかならずしも定かでない。ぶっちゃけ、かなり嘘っぽい(笑)。番組では、富山県上市町の護摩堂にある弘法清水を取材してました。いわく「空海が杖で地面を突いたら水が湧いた」ってやつ。空海は、ふつうなら10年はかかる唐での修行を3ヶ月で終え、日本人ながらも中国密教の正統な伝承者になったほどだから、さぞかし超人的な能力の持ち主だったのでしょう。しかしながら、地面を杖で突いただけで水が湧いたりはしないよね。そもそも空海が入唐する前の29才(西暦802年)のときに、ほんとに富山なんぞへ行ったかどうかも疑わしい。◇番組では言及しませんでしたが、こうした真偽の怪しい伝説に関連して、よく知られたものに、いわゆる《大同2年伝承》の問題がありますよね。たとえば、「大同2年に神社仏閣が創建された」「大同2年に鉱山が開坑された」「大同2年に火山が噴火した」「大同2年に温泉が湧いた」「大同2年に鬼が退治された」…などの伝承が日本各地に存在しており、その多くが空海や坂上田村麻呂の事績と結びつけられる。しかし、考古学的には、ほとんどデタラメっぽい。大同2年:円仁や空海、坂上田村麻呂に関連した伝承で、この年号がよく使われる。空海が日本に帰国した年がこの年と言われることも多いが、史実としてはっきりとしない。東北各地の神社の創建に関する年号はこの年とされる。茨城県の雨引千勝神社の創建はこの年である。早池峰神社、赤城神社なども同様である。また福島県いわき市の湯の嶽観音も、この年の3月21日に開基されたとある。清水寺、長谷寺などの寺院までこの年に建てられたとされ、富士山本宮浅間大社も、大鳥居の前に堂々と大同元年縁起が記載されている。香川県の善通寺をはじめとする四国遍路八十八ヵ所の1割以上がこの年である。各地の小さい神社仏閣にいたるまで枚挙にいとまがないほど、大同2年(807年)及び大同年間(806 - 810年)はそれらの創建にかかわる年号である。阿仁鉱山や尾太鉱山が発見された年号にも使われている。高根金山、吹屋銀山をはじめとする各地の鉱山の開坑も、大同年間や大同2年とするものが多い。那須連峰の茶臼岳旧火山の噴火、尾瀬ケ原の燧ヶ岳の噴火、蔵王刈田岳の噴火、秋田駒ヶ岳の噴火もこの年である。会津磐梯山の噴火は大同元年だが、その噴火を鎮めるために、大同2年に山麓に恵月守が建てられたといわれる。日光の男体山で旱魃を静めるために勝道上人が祈祷したのもこの年である。三湖伝説で八郎太郎が大災害を起こすのもこの年である。八溝山や森吉山、気仙郡などの鬼退治もこの年と伝えられている。山形県の肘折温泉に伝わる「温泉之縁起」史料の中に、大同2年あるいは大同年間に温泉が開かれたという記述がある。江戸時代の安永年間に相原友直が仙台藩の風土を記した『平泉雑記』の「田村将軍建立堂社」では、田村麻呂建立とされる仙台藩内の堂舎21ヶ所を挙げ、それらの観音は「大同2年」のものが多く、悉く信用が不足していると述べている。それらの記述を受けて1955年に堀一郎は、研究対象の寺院の地区を東北地方に広げ、12社をあげ研究している。https://ja.wikipedia.org/wiki/807%E5%B9%B4史実では、大同2年(807年)の前後に、坂上田村麻呂や空海にかんする次の事績があります。延暦17年(798年)坂上田村麻呂が清水寺を建立。延暦21年(802年)坂上田村麻呂の蝦夷征討によりアテルイが降伏。弘仁14年(823年)空海が真言宗を立教。しかし、かつては、「坂上田村麻呂による清水寺の建立」も、「空海による真言宗の立教開宗」も、大同2年(807年)の出来事と考えられたらしい。中世では清水寺の建立を「大同2年」と説くのが一般化していた。謡曲の『田村』、『花月』、室町物語の『田村草子』では全て大同2年は清水寺の建立に関わる年号とされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/807%E5%B9%B4大同2年、唐で恵果阿闍梨から伝授を受け真言宗第八祖となった弘法大師空海は、京にのぼって平城天皇から真言宗宣布の勅許を得たとの記述が『金剛峯寺建立修行縁起』に登場するそうです。ただ通説では、大同4年7月に太政官符が下るまで空海は太宰府に留め置かれたり和泉の槙尾山寺に滞在したりしていて、上洛していないことになっています。また大同2年11月8日、大和の久米寺で『大日経』を講讃したとされていますが、これもあくまで伝説であるとして学術的にはスルーされているようです。とはいえ、伝統的にはこの「大同2年説」が最も重視されていて、実は高野山でも、明治39年(1906年)に金堂で「弘法大師開宗1100年記念法要」が厳修されたといいます。http://ww35.tiki.ne.jp/~komyoin/buddhism-and-society202310.htm◇今回のNHKの番組では、空海伝説が日本各地に残っている原因として、のちの高野聖による布教活動を挙げてました。つまり、彼らこそが、デタラメな空海伝説を日本中にばらまいたってこと。でも、たぶん高野聖だけじゃなく、山伏の影響もありますよね。奈良時代の南都六宗が「都市仏教」だったのに対し、平安時代の密教が「山岳仏教」だったこともあり、それは修験道の形成に大きく関係してるはず。簡単にいえば、山の神々を仏教へ統合する神仏習合の過程で、修験道が体系化されていったのだろうし、その結果、日本各地の山伏たちも、密教の伝道者として活動したにちがいない。◇土着の神々への信仰が、仏教のシステムを借りることによって、概念化され、体系化され、歴史化されていったなら、山伏や高野聖のような密教系の勢力によって、作為的な「正史編纂」が行われた可能性もあります。古事記や日本書紀の場合もそうですが、つねに正史というのは権力者に都合よく記述される。おそらく日本各地の「大同2年伝承」も、なんらかの権力側の意図によって作られたのだと思う。はたして「大同2年伝承」が、口承史なのか文書史なのかは分からないけれど、たとえば経典を学んだ密教僧にとって、土地の歴史を文書化するぐらいは容易だったはずです。◇とくに坂上田村麻呂が平定した蝦夷の地域において、デタラメな歴史は作り放題だったはず。大河ドラマ「光る君へ」でも、都の人々の識字率の低さを紫式部が嘆いてましたが、蝦夷の人々ならなおのことだったろうし、そもそも歴史を記述する文化すら存在しなかったでしょう。おそらく蝦夷の土地の歴史記述は、坂上田村麻呂による平定以降に始まったのだと思う。蝦夷の人々にとっても、仏僧が土地の縁起や由来を文書化してくれることが、ありがたく思えたのかもしれません。たとえ、それが権力側に都合のよい捏造だったとしても。◇おそらく「大同2年伝承」は、すべての歴史を「大同2年に始まった」とする神話であり、逆にいえば、それまでの土着の歴史を、すべて「なかったこと」にするような捏造だったでしょう。それはちょうど、「ビートルズからすべてが始まった」とか、「はっぴいえんどから日本のロックが始まった」とか、そういう神話と同じ発想のものであって、過去の歴史を「なかったこと」にしたがる人たちは、いつの時代にも存在するのだろうなと思います。NHK 総合 04/17 22:00 歴史探偵 平安のスーパースター 空海 📱NHKプラスで配信予定💻 #nhkgtv #歴史探偵 https://t.co/oZhNQOGYK1— NHK総合 (@NHK_GTV) April 17, 2024
2024.04.21
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萌音は、一見するとドンクサそうに見えるけど、じつは、とても運動神経がいい。…ということにわたしが気づいたのは2019年。TBSの「関口宏のフレンドパーク」に出てるのを見たとき。つまり「恋つづ」の番宣のころです。ああいう、ゆる~い遊びやゲームでも、タレントの勘の良さとか、運動神経の良さって、けっこう分かりますよね。◇萌音は、どのゲームでも、すぐに器用にコツをつかんで、とても上手にやっていた。サラッと、簡単そうに。見ていて「勘がいいんだなあ…」と思いました。だんだん分かってきたことですが、彼女は、子供のころからミュージカル教室に通って、バレエやら何やらのダンスをいろいろ踊ったりして、いまでも脚が縦に180度開くほど体が柔らかい。そして、このたび発売されたエッセー集を読むと、もともとお父さんが陸上の選手で、彼女もその血を受け継いで足がとても速く、運動会ではたいてい1等賞だったとか、リレーにも選ばれていたとか書いてある。◇小柄な見た目からは想像できないけれど、彼女の度胸の良さとか、頭の回転の速さというのは、おそらく「体の動かし方を知っている」というところから来ている。そういう面は、かなり大きいと思う。一方、妹の萌歌はというと、姉のように足が速いかは分からないけど、すでに水泳4種目が泳げることは知られているし、「平泳ぎなら永遠に泳げる」とも言ってたので、やっぱり運動神経は良いんでしょう。追記:萌歌も「意外に足は速い」とのこと。紅白リレーなどにも出てたそうです。◇一般には、姉妹とも読書家で、どちらかというと文学少女的なイメージが強いし、とくに萌音のほうは、役柄のうえでも地味キャラを演じることが多く、たぶん今後もそれは変わらないだろうけど、じつは二人ともけっこう肉体派なのです。◇そういう意味では、ヨーヨーもろくに出来なかった漫画オタクの由貴ちゃんとは素材が違う…。でも、まあ、なんだかんだで、由貴ちゃんも歌とか絵とか文章とか、いろんなことが器用に出来た人だとは思いますが。
2021.10.03
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NHK大河「鎌倉殿の13人」。ついに北条政子の演説が描かれました。◇なぜ彼女の言葉は、坂東武者たちを奮い立たせたのか。それは、「頼朝さまの御恩」うんぬんの話じゃなくて、結局は、「西のヤツらにまた馬鹿にされてもいいの?」ってことだったようです。その呼びかけへの脊髄反射が、それまでの内部矛盾をすべて帳消しにして、ほとんど勢いだけで朝廷打倒へ向かっていく。現実の歴史なんて、所詮はそんなもんよね。◇鎌倉幕府は、まともな政治体制じゃなかったんだと思います。関東発祥の新選組が、内ゲバだらけのヤンキー集団にすぎなかったように、関東に拠点を置いた鎌倉幕府もまた、内ゲバだらけの広域暴力団にすぎなかった。三谷幸喜は、2つの大河ドラマで、その内実を暴いたといえます。◇頼朝が生きてるあいだは兄弟どうしの殺し合い。頼朝が死んでからは御家人どうしの殺し合い。…そして、義時が執権になったあとも、口先では「頼朝さまの遺志を継ぐ」と言いながら、実際には源氏の血筋を容赦なく根絶やしにしていたし、さらに、口先では「北条のためだ」と言いながら、実際には父を追放し、姉妹の子や孫を殺害し、あげくには妹の実衣まで殺そうとしていました。頼朝の恐怖政治にも、ほとんど大義名分なんてなかったけれど、義時の恐怖政治にも、やはり大義名分なんてなかったと思う。ただ、そのつどそのつど言いがかりをつけては、目についた政敵を次々に粛清しつづけただけで、その矛盾した統治理念はロジックが破綻しつづけていた。いってみれば、それは田舎ヤクザのあてどない内部抗争だった。◇にもかかわらず、なぜ承久の乱において御家人たちは団結できたのか。…これは、あくまで三谷幸喜の解釈だとは思いますが、第一の理由は、妹の実衣を救うために政子が尼将軍になったから。第二の理由は、彼女がある種の「関東ナショナリズム」を焚きつけたから、です。べつに、亡き頼朝さまの御恩が、「山より高かったから」でも「海より深かったから」でもない。源氏の血統と遺志を受け継ぐなんてのは、あくまで後世に語り継ぐためのタテマエにすぎない。むしろ、このときに政子が持ち出したのは、親方の「頼朝さまの遺志」じゃなく、亡き兄「宗時の野望」だったというべきです。その野望を御家人たちにも植えつけたわけですね。坂東武者の世を作る!そのてっぺんに北条が立つ!たしかに、追討の院宣が出た時点で、執権=北条義時の名は、清盛、義経、頼朝に並んで歴史に刻まれるべきだったし、これまで埋もれがちだったことのほうが不思議だと思う。トキューサが、追討令を「記念に欲しい」と言ったのも無理はありません。記念に取っておけば、そのうちプレミアがつくかもしれないような文書だし、追討の院宣って、それぐらい歴史的価値があるといえる。けれど、幕府の歴史を正当化していくためには、やはり北条の名前を目立たせすぎてはいけないし、朝廷を打ち負かす大義名分も、あくまで「頼朝さまの遺志に報いる」って建前でなきゃいけない。そのためにも、政子の演説は、「山より高い」だの「海より深い」だのって話にしとく必要がある。そのシナリオを書いたのは大江広元だったわけですね。大江広元は、義時を生かすためにこそ、最後の最後に義時の意思に背いた形になりましたが、政子は、そのカンペさえも無視して、関東武士の短絡的なヤンキー魂に火をつけたのでした。
2022.12.11
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磯田道史が、読売新聞で富雄丸山古墳のことを書いてます。▶磯田道史の古今をちこち「もう1人の埋葬者 破格の謎」◇奈良の富雄丸山古墳の話は、NHK「古代史ミステリー」第2週にも出てきましたが、卑弥呼(3世紀)よりも後で、倭の五王(5世紀)よりも前、すなわち「空白の4世紀」に造られた円墳です。前方後円墳ではないので、たぶん大和政権の王墓じゃないはずですが、それでも直径109mという国内最大級の円墳です。きっと「丸山」という地名も、この円墳に由来するのでしょうね。◇この円墳には、頂と麓に、すくなくとも2つの棺がある。磯田道史は、頂の棺の埋葬者は「記紀神話に出てくるレベルの王権の功労者たる豪族」麓の棺の埋葬者は「盾持ち人のような祭祀の女性」…だと推察しています。そして注目すべきなのは、祭祀の女性を埋葬したらしき麓の棺のほうです。足元に「9本の竪櫛」があり、棺を封じる粘土に「蛇行剣」と「盾形銅鏡」が貼りつけてあった。◇一般に注目されているのは、巨大な「蛇行剣」と鼉⿓⽂の「盾形銅鏡」のほうですが、磯田道史が注目してるのは、むしろ「9本の櫛」です。日本書紀によると、イザナギは、イザナミのいる黄泉国から逃げ帰るときに、8人の黄泉醜女に櫛を投げつけたとされてます。(櫛の歯の一本一本がタケノコに変わったらしい)磯田道史の推測は、9本の櫛は「イザナミ+8人の醜女」の分ではないか、(あるいは、それにちなんでいるのではないか)…ってことですね。◇一般に、黄泉国の出入口は、島根の出雲にあったと考えられますが、その出雲には「8」という数がよく出てきます。そもそも「八雲立つ出雲」といわれるし、そこは八百万の神々が集う土地でもある。怪物の八岐大蛇ヤマタノオロチは、八人の娘を食べて、八つの頭と尾をもってる。そして秋田では、八岐大蛇が八郎太郎になったんじゃないかと思います。黄泉醜女も、やはり八人なのですね。◇一方、棺の外側に貼りつけてあった蛇行剣は、日本最古かつ最大のものであり、長さが2.37mという東アジア最大の鉄剣です。蛇行剣は西日本各地で見つかってますが、もともと、それらは、ヤマタノオロチから抜き取った「草薙剣」に由来する、…との説があります。蛇の体内から抜き取ったために、ぐにゃぐにゃに曲がっているのかもしれません。クサナギという語も、じつは「草薙」の意味ではなく、「臭蛇クサナギ」「串蛇・奇蛇クシナギ」の意味ではないか、との説があります。この場合の「ナギ」は、鰻ウナギの「ナギ」と同じ語源で、すなわち蛇のことだというわけです。◇草薙剣(≒串蛇剣)は、スサノオが八岐大蛇の尾から抜き取り、のちにヤマトタケルの東征のために授けられました。スサノオも、八岐大蛇と戦う際に、クシナダヒメの姿を「櫛」に変えて頭に挿しました。櫛になったから「クシナダヒメ」だという説もある。ヤマトタケルの妻オトタチバナも、夫の身代わりとして入水し「櫛」の姿で葬られています。いずれにせよ、女性の櫛には、男性を守護する霊力があったのでしょう。
2024.04.10
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ドラマイズム「滅相も無い」。萌歌の泣き演技w異様に滑舌わるいの面白すぎるんだけどw古舘寛治とは何度目かの共演だよね。◇TBSの「ペントレ」にも、タイムリープの穴が出てきましたが、今回もまた穴が出現する話です。それがどこに繋がってるのか分からないけれど、世界から姿を消したい人たちに利用されてる。謎の教祖様は、それを仲介しています。◇第2話の染谷将太は、妻と娘を残して穴の中へ消えたと見せかけ、じつは穴に入らなかったらしい。要するに、「初恋の彼女と駆け落ちしたのでは?」と思わせるようなオチでした。穴に入るにせよ入らないにせよ、世の中から姿を消したい人はたくさんいて、教祖様は彼らに手を貸しています。◇なお、仏教用語の「滅相」とは、文字どおり滅びるときの相です。人生にも、物事にも、栄枯盛衰の諸相があり、その最終段階にあたるのが「滅相」になります。しかし、現代社会にはまともな「滅相」がないので、教祖様はそれをコーディネートしてあげてるのでしょう。向こう側で誰かに会いたいと願う人もいる。向こう側へ行きたい人は行けばいいし、こちら側に残るとしても、人知れずどこかへ消えればいい。これは、昔でいえば「出家」に当たるのかもしれません。いわば、駆け込み寺への逃避ってこと。実際のところ、中世までの日本の寺社は、無縁の人々のアジールとして機能してた面がある。去年の大河「どうする家康」にも出てきましたが、戦国時代になると、そうした寺社は都市機能をもった自治体にまで発展し、朝廷や幕府や諸大名に拮抗するほどの勢力でした。いわゆる「一揆」とは、農民や衆徒の反乱の意味である前に、そのような自治機能をもった寺社勢力の意味です。オウム真理教のサティアンも、そのような寺社の現代的な縮小版だったといえる。『どうする家康』第7回 “家康”松本潤、一向宗の寺へ潜入 “空誓”市川右團次と出会う #どうする家康 #松本潤 #市川右團次 @nhk_ieyasuhttps://t.co/Oyum2V27ON— クランクイン! (@crank_in_net) February 18, 2023 寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 (ちくま新書) [ 伊藤正敏 ] 楽天で購入 寺社勢力 もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版117) [ 黒田 俊雄 ] 楽天で購入 僧兵=祈りと暴力の力【電子書籍】[ 衣川仁 ] 楽天で購入
2024.05.04
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NHK「燕は戻ってこない」第3話。第1話にも、ゆで卵や、お弁当のたらこや、ペットショップの子犬が出てきたけど、今回も、卵の割れる音ではじまり、卵焼きを食べさせるシーンがあり、春画の話をしながら子羊を食べまくる。なぜ「蘇州夜曲」が演奏されたのかは、いまいち分かりませんでしたが…。◇5月12日の読売新聞に、「卵子凍結」についての記事が出てました。しかし、ネットでは一部しか読めません。その代わりに、去年のNHKの記事から抜粋しておきます。卵子凍結では一度の採卵でなるべく多くの卵子を回収することを目指すため、卵子の発育と排卵を促す排卵誘発剤(錠剤や自己注射)を使用して、両方の卵巣で複数の卵子を育てます。一般的にホルモン剤は頭痛や倦怠感やむくみなどの副作用がある場合があります。採卵の前に細菌感染を防ぐために膣の消毒や洗浄を行い、それから卵巣内に細い針を刺して育った卵胞を回収します。麻酔から採卵までの時間は15分ほど。“社会的適応による卵子凍結”は保険適用ではなく自由診療のため、費用は各クリニックによって異なります。エリさん(仮名)が行ったクリニックではおよそ40万円かかりました。採卵した全ての卵子が胚移植に使用出来るわけではありません。採卵しても卵子が凍結に適さず変性したり融解する際に破損したりしてしまう可能性があるからです。凍結未受精卵子を用いた胚移植で子宮内に着床する確率は17~41%。さらにそこから流産や死産などの原因によって、卵子1個あたりの出産に至る確率は4.5~12%です。卵子凍結には限界があり、必ず妊娠や出産できるわけではありません。卵子凍結をしたことで「かえって出産が先送りになるのではないか」という懸念も日本産科婦人科学会は示しています。https://www.nhk.or.jp/minplus/0029/topic127.html要するに、卵子凍結には多額のコストがかかるだけでなく、確実に子供が作れるわけではないし、高齢妊娠における合併症などのリスクもある、ということ。◇第3話には、ロシアとウクライナの話も出てきました。代理出産は世界各地で広がっているのですが、全世界の4分の1以上を占めるまでに伸びているのがウクライナなのです。ヨーロッパ、特にドイツやイギリスの富裕層からの注文を受け、ウクライナの女性たちが出産のための代理母を務めているといいます。その報酬は赤ん坊1人を産むことで2万2,000ドル(約300万円)とのこと。こうしたクリニックを経営している側は政府や議会に対して相当な賄賂を配っており、「こんな美味しいビジネスは止められない」とうそぶいています。さらに、ウクライナでは赤ん坊や小児売買の闇市場も隆盛を極めている模様。ゼレンスキー大統領もウクライナへの資金援助を拡大するバイデン大統領も、戦争の裏側で広がる、こうした闇ビジネスには目をつぶったままです。https://www.mag2.com/p/money/1344838なぜロシアやウクライナで代理出産がおこなわれるのか?第一の理由は、「白人の卵子にしか需要がない」からだと思います。黒人やアジア人の卵子には需要が少ないのでしょう。その結果、最貧の白人国であるロシアやウクライナが搾取の対象になる。そのような国だからこそ戦争してるのだ…ともいえます。国が代理出産を合法化するということは、外貨や賄賂のために自国の女性の身体を売る、…ということなのだと思う。第三者の女性に産んでもらう「代理出産」。倫理面での課題から禁止する国が多い中、合法化した数少ない国にウクライナがある。世界中のカップルから依頼があり、生まれる子どもは年間約2000人と言われる。日本にもあっせんするエージェントが複数存在し、その話を総合するとウクライナで生まれた日本人の子どもは60人以上いる。https://toyokeizai.net/articles/-/612506売春や代理出産にかぎらず、あらゆる労働について言えることですが、いくら合意に基づく契約とはいえ、その背景にあるのは、つねに「富める者が貧しい者を搾取する」という構造です。貧しい国の貧しい家に生まれ、教育も受けられなければ、身体を売る以外にない。代理出産王国のロシアとウクライナ「女性搾取ビジネス」~高柳聡子・早稲田大非常勤講師(ロシア文学・フェミニズム論)の話~旧ソ連圏での代理出産は、女性の搾取や自己決定権といった複雑な問題を抱える。背後には貧富の格差があり、欧州の人々は、自国では法的・金銭的に難しくても、ウクライナなどでは驚くほど安い。スラブ系のウクライナ人などは同じ白人との感覚もある。ソ連崩壊後の混乱の中、旧ソ連圏では一部の女性が外国人らを相手に売春せざるを得なくなった。代理出産は売春とは違うが、人権侵害につながることも少なくない。https://www.tokyo-np.co.jp/article/307703燕は戻ってこない/桐野夏生【1000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.05.15
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NHK「皇室が守り続けた“いのちの美”」を見ました。伊藤若冲と円山応挙のことが取り上げられていました。正月時代劇の「ライジング若冲」を見たとき、中川大志の演じた円山応挙は、ただ"語り部"として登場しているだけかと思ったけど、あらためて考えてみると、あれって応挙の物語として見ることもできますね。◇円山応挙は、農家の出でありながら、若くして狩野派に学び、やがては天皇の御所造営に食い込むまでになり、現在につづく「円山派」の基礎を築きました。 かなりの出世を果たした「やり手」です。しかし、彼の経歴のなかでいちばん重要なのは、狩野派に学んだ後、絵師のとして大成するまでの、独自の修行と幅広い交遊の期間なのですよね。まさに、あのドラマでは、その時期の応挙の姿を描いていました。彼は、狩野派の保守性に飽き足らず、当時の町人文化に交わって庶民的な画風を吸収し、その一方、西洋玩具屋に働いては、異国の近代文明にも接し、いわゆる「眼鏡絵」を作ったりしながら、遠近画法や写実画法にも取り組みました。京都に生きた応挙は、江戸の北斎より二回りほど年上ですが、やはり西洋近代の息吹を浴びていたと思います。応挙が売茶翁のオープンカフェに出入りしてたのも事実で、「蓬莱山図」「竹林七賢図」など道教っぽい作品も多いし、仙嶺だの、洛陽仙人だのと名乗ったりもしている。大典顕常が応挙の絵を誉めることもあったようです。ちなみに、若冲のパトロンは大典顕常でしたが、応挙には円満院祐常や三井家のような大パトロンがつきました。◇円山応挙や伊藤若冲は、それまでの伝統的な様式美が覆い隠していたものを、近代的な写実主義によって剥ぎ取ってしまったわけですが、応挙の場合は、若冲ほどには過激ではありません。若冲の写実性は、ある種のポルノグラフィに近いところがあります。世俗的な欲動と、近代的な力動にまかせて、ちょっとグロテスクなものまでが露わになっている。下品で、暴力的で、悪趣味。かりに狩野派が、能のわびさびであるならば、若冲の絵は、歌舞伎のどぎつさにも似ています。◇これに対して、円山応挙の場合は、伝統から革新までの技法に学んだ集大成的な様式によって、 パトロンの需要と、時代の要請に、わりと穏当なかたちで順応したのかなと思う。若冲が内的衝動の人だったとすれば、応挙はあくなき技法の探究者だった、ともいえます。ドラマでも、そのように描かれていました。名前を変えるたびに技法も変えていたのではないでしょうか。
2021.02.13
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NHK「歴史探偵」の北斎特集を見ました。これといって新しい情報はなかったけど、久保田一洋の話のあと、長野・小布施の「穀平味噌」に残っている、応為が小山岩治郎に宛てたという手紙が紹介されました。そこに描かれている手の指の形が、いかにも応為らしい特徴的なタッチでした。
2021.04.28
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NHKスペシャル「古代史ミステリー」を見ました。第1集のテーマは邪馬台国です。1.纏向遺跡いちおう九州説にも配慮して、佐賀・吉野ケ里遺跡の石棺墓のことも取り上げてたけど、やっぱり近畿説のほうを重視してた感じ。建築木材の年輪から伐採年を測定できるのね!奈良・纏向遺跡で使われた木材は、西暦231年に伐採されたものだと判明。卑弥呼が魏に使者を送ったのは239年だから、その8年前に宮殿が建設されたってことかしら?箸墓古墳の築造も240~260年ごろと分かってて、これも卑弥呼の埋葬が247年とする魏志倭人伝に合致する。2.倭国乱魏志倭人伝に書かれた「倭国乱」について、2021年のETV特集「誕生ヤマト王権」のときは、戦争の頻発を示す証拠は少ない、と言ってたけど、▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202103290000/今回は、西の邪馬台国と東の狗奴国が対立してたこと、さらには、鳥取の青谷上地遺跡で見つかった大量の人骨に、金属の矢じりが刺さってたり、埋葬もされず捨てられてることを取り上げました。3・連合政権2021年のETV特集でも、邪馬台国は平和的な経済連合だった、との話でした。水害の多かった時代だからこそ、災害が起こりにくい大和を中心に小国が連合した。今回も、気候変動と食糧難の時代に、卑弥呼が連合国家を束ねる存在になった、との話。4.親魏倭王卑弥呼は、連合国家を束ねるべく魏の後ろ盾を得た、とのこと。つまり、中国の三国志時代に乗じて、魏・呉・蜀のパワーバランスをうまく操ったのね。具体的には、海上から魏を攻めようとした呉に接近しつつ、それを魏と交渉するための外交カードに利用した。その証拠に、邪馬台国は魏から金印をもらってますが、列島各地では呉からもらった鏡も出土してる。5.大陸系の技術中国の三国志時代には、大量の難民が朝鮮半島経由で日本に押し寄せた。彼らははるか東に理想郷の「蓬莱」があると信じた。なお、鳥取の青谷上地遺跡の人骨の9割も、DNA型が縄文系&大陸系の混血だそうです。こうした大陸系の人々は、鉄器などの軍事技術や、風雨に強い盛土などの土木技術をもたらしたので、邪馬台国は、狗奴国の勢力圏にまで進出することができた。その証拠に、前方後方墳の多い東日本でも、前方後円墳が見つかりはじめてるそうです。◇◇◇番組はドラマ仕立てになってて、歴史を学ぶ生徒役には、NHKにも重用されつつあるっぽい(?)原菜乃華。歴史館の館長役には、なぜか歴史再現ドラマの役が多い(笑)前川泰之。そして、邪馬台国を束ねてたのがシシドカフカで、狗奴国を束ねてたのが宍戸開でした。西のシシドと東のシシドってこと?シシドカフカが弥生顔で、宍戸開が縄文顔ね。でも、狗奴国の人々は、アイヌみたいに顔に入れ墨をしてたらしいけど、ゴリゴリの縄文人ってわけでもなく、赤いパレススタイルのおしゃれな弥生土器を使ってた。◇ドラマでは、卑弥呼が、連合国の首長たちと会議するシーンもありました。でも、魏志倭人伝によれば、彼女は侍女や弟にしか姿を見せなかったらしいよね。手塚治虫の「火の鳥・黎明編」では、姉がアマテラスで、弟がスサノオみたいになってる。女王というよりも、伊勢神宮の斎王みたいな存在だったかもしれないし、実在しない神様だった可能性もあるのでは??魏志倭人伝に書かれてる「卑彌呼」の名は、当時の日本語に漢字を当てたものだろうけど、意味としては「日見子」なのかなと思ってました。そのほうがアマテラスっぽいし。実際は「日巫女」「姫御子」などの説があるようです。◇鳥取の青谷上地遺跡の人骨も、なぜ殺されたのかが判明してるわけじゃありません。当時から大陸系との混血が進んでたようですが、最近の東大の研究によれば、むしろ山陰地方は現在も「縄文度」が高いのよね。▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202304050000/もしかしたら外来系の人たちが、土着の出雲王権に迫害・虐殺されたのでは??…なんてことも思ったりする。◇次回の第2集は「ヤマト王権・空白の世紀」です。#NHKスペシャル #古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」3/24(日)夜まで見逃し配信中▼https://t.co/1w51Qyl93f邪馬台国の女王・卑弥呼。最新研究で迫る外交戦略とは?未知の古墳のAI調査や、大規模実験も交え、謎に迫る。出演 #シシド・カフカ #前川泰之 #原菜乃華 #宍戸開 #濱正悟 ほか— NHKスペシャル(土曜夜10時 日曜夜9時) (@nhk_n_sp) March 17, 2024
2024.03.20
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NHK「燕は戻ってこない」第5話。Xのツイートを見てると、視聴者のあいだでドラマへの反応が極端に割れてる。どのレベルで《倫理》をとらえるかが違うからです。◇社会良識や法規範のレベルで《倫理》をとらえる視聴者は、代理出産そのものの異常性に抵抗感を抱いてるので、「エージェントが偽装離婚や偽装結婚を勧めるのも異常!」「クライアントが主人公に行動制限を強制するのも異常!」…と考えるわけですが、当事者どうしの義理や契約のレベルから《倫理》を考える視聴者は、「大金を貰うんだから契約義務をちゃんと果たすべき!」「主人公の行動は身勝手すぎて共感できない!」…と思うわけですね。おそらくNHKの制作者側は、前者のような視聴者を想定してるでしょうけど、その意図とは裏腹に、後者のような視聴者も一定の割合で存在します。とくに、(これは吾郎ちゃんがクライアント役を演じてるせいですが)後者のような視聴者は旧ジャニヲタに多いようです。ジャニー喜多川問題における山下達郎の態度もそうだったけど…ジャニヲタの価値観ってのは、社会良識や法倫理よりも「恩義」のほうへ寄っていく傾向があり、それが一定の規模でジャニヲタ世論みたいなものを形成するのよね。もちろん、そういう発想は、なにもジャニヲタにかぎった話ではなく、たとえばヤクザ業や風俗業の場合も、あるいは悪徳業界のブラック企業の場合もそうだろうけど、そのなかで生きている人たちは、社会良識や法規範よりも、内部の「契約」「掟」「義理」のほうを重視します。その内部の人間関係においては、社会良識や法規範に反するかどうかが問題にされなくなる。契約違反のことする主人公にいらつくわ。#燕は戻ってこない— さとぴー (@satopy1971) May 28, 2024 主人公リキに1ミリも共感できないドラマ…#燕は戻ってこない— mika (@hugomika1) May 28, 2024 主人公浅はか過ぎるだろ…てか、避妊くらいしようぜ…大金貰うし依頼者は人生かけてるのに責任感なさすぎる…#燕は戻ってこない— 華凛 (@krn_pika_rp) May 28, 2024 #燕は戻ってこない主人公の女がちょっとやばない??代理出産なんやからそら母体は大事にせなあかんわけで飲酒しないとか勿論他人とセックスしないとかは守るの普通なんじゃ…?北海道いくな!はちょっと制限しすぎじゃない?てなるけど。。ビッチの代理母怖すぎるてか稲垣吾郎ちゃん演技いいな— 🍑🎀古美屋·kein·珠李(こみやケインしゅり)💜 (@sado_peachmoon) May 28, 2024 #燕は戻ってこないたとえ違法でも悪事でも、その世界の仁義ってもんがあんだろ。この後も、りきのクソっぷり見せられるの嫌な気分になるだろなぁ— lavender (@lavender1073472) May 28, 2024 守秘義務とはなんぞや。あっちこっちで喋りすぎだろ、リキ。てゆか、なぜ避妊をしないのだ。なんでいつも生なのだ。#燕は戻ってこない— 莉央 (@Rio_Grande_5656) May 28, 2024 つーか、避妊してないのかよ。ダメじゃん。リキはバカなの?この後不幸になったとしても、仮に殺されたりしても何も言えなくなっちゃうじゃない、今のリキの行動は。#燕は戻ってこない— みう (@Miu_t3) May 28, 2024 うーん今回のリキ見ていると、リキの今現在の立ち位置は、(運や世情もあるけど)今までのリキ自身の生き方によるように思えてきた。不安定になるのも憤るのもわからなくはないけど…契約したのに、避妊無しでするの無知で無責任すぎる。#燕は戻ってこない— りんごろ📎 (@wa_go_roku) May 28, 2024 ◇ちなみに、奇しくも朝ドラでは、社会的地位を得るための結婚をしたヒロインが描かれましたが、このドラマでも、偽装結婚をした主人公が期せずして「世間的な評価」を得ます。地元の友人が主人公に一目置くようになって、親族までもが主人公の手柄を褒め称える。一時的とはいえ、大金だけじゃないメリットがそこに生まれてる。意外に、離婚したあとになっても、そういう世間的な評価は、いわば武勇伝のように維持されるかもしれません。もしかしたら、代理出産を異常とは考えない人々にとって、セレブとの偽装結婚もひとつの誘惑になりえるのでは??
2024.05.29
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宮崎吾朗/ジブリ/NHK「アーヤと魔女」を見ました。あまりにも唐突な終わり方だったので、なんだか放り投げられた感じです…世間の子どもたちは、あの終わり方をどう思ったのか分からないけど、大人としては、あまりにも未回収なことが多すぎて、思わず謎解きをせずにはいられません!◇冒頭のシーンで、バイクにまたがったアーヤの母親は、黄色い車(シトロエン2CV)に追われており、後ろにミミズをぶちまけて逃げおおせました。あの黄色い車は、かつて彼女がマンドレークやベラ・ヤーガとともに、「Earwig」(ハサミムシ)というロックバンドで活動していたころに、3人で乗りまわしていたのと同じ車です。車のナンバーは「MYA-13W」。(Mandrake/Yaga/A●●●-13Witchの意味かもしれません)現在、その車は、マンドレークの屋敷のガレージに置かれています。アーヤは、その車のなかから、Earwigの「Don't disturb me」というレコードを、もち出したのです。ラストシーンでは、アーヤがベラ・ヤーガに、「黄色い車でピクニックに連れてって」と頼んでいます。ちなみに原作での主人公の名前は「Earwig」ですから、彼女の母親は、バンドの名前をそのまま娘につけたのです。◇アーヤの母は、孤児院に次のような置手紙を残しました。仲間の12人の魔女に追われています。逃げ切ったら、この子を返してもらいに来ます。彼女は、黄色い車に追われていたわけですが、あれを運転していたのは、おそらくベラ・ヤーガです。マンドレークは男性ですから、アーヤの母をふくめて13人の「魔女」がいるわけですね。かりにマンドレークが、カリスマ的なロックスターだったのだとすれば、(どう見てもジョン・レノンにそっくり!)13人の魔女仲間とは、取り巻きのグルーピーだったのかもしれません。そのうちの一人(アーヤの母)が抜け駆けをして、マンドレークの子供を身ごもってしまい、ほかの魔女仲間から追われる身になったのではないかしら?だとすると、マンドレークは、アーヤの父親である可能性が高いし、マンドレークとベラ・ヤーガは、「アーヤが誰の娘なのか」を承知のうえで引き取った可能性がある。ベラ・ヤーガがアーヤに厳しいのは、かつてミミズをぶちまけてきた宿敵の娘だからであり、マンドレークがアーヤに甘いのは、ほかならぬ自分の娘だからなのかもしれません。ラストシーンで、アーヤの母が娘を引き取りに来たのは、彼女が「12人の魔女仲間」から逃げ切ったからだと思うけれど、しかし、そこには宿敵ベラ・ヤーガがいるのです…。屋敷の周囲には、クリスマスツリーがあり、屋上には「Don't disturb me」のイルミネーションが飾られています。◇ちなみに、Earwigの「Don't disturb me(邪魔するな)」の歌詞はこうです。あぁ悪魔は冷えた竃の中で灰をかぶりアカギレ裸足の娘が泣いているいつまで待てば夢の王子様が白馬で迎えに来るのさ…これは「シンデレラ」のことでしょうか?お城の塔では玩具に囲まれて青ざめた顔で王子は引きこもり百個の鍵を部屋の扉にかけて女はママしか知らないあぁ愚かな王子、あぁ醜い娘よあぁ扉は開けるためについてるのさ…これは「ラプンツェル」のことでしょうか?◇宮崎吾朗の「山賊の娘ローニャ」もそうだったのですが、「シンデレラ」も、「ラプンツェル」も主人公の少女が、悪い大人(親)の呪縛を乗り越える物語になっています。山賊の娘ローニャは「わたしは山賊にはならない!」と宣言します。少女たちは、親世代の「悪」をけっして引き継がないのです。シンデレラやラプンツェルに登場する大人たちは、少女にとっての「模範」ではなく、むしろ悪しき「反面教師」です。それらは少女の成長物語なのですが、少女が大人になる、ということは、けっして「親世代と同じ」になることではない。むしろ、親世代とは違う道を選ぶことなのです。そこには、悪い大人(親)と同じような生き方をしない、という強いメッセージがあります。たとえばラプンツェルにとって、塔の内側は、けっして安息の空間ではなく、生きる屍にされてしまうような恐ろしい場所です。塔の上には、鐘ではなく、死人の生首が吊るされているのかもしれません。だから、外に出るためには、みずから扉を開けなければならないのです。アーヤはそれを、軽々とやってのけます。
2020.12.31
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NHK大河「青天を衝け」第28話。いわゆる「神回」だったと思います。ほかにもそう呼ぶべき回はあったけれど、あえて、この第28話を「神回」と認定したい。◇いよいよ新政府へ出仕するという大きな転機。実質的な明治編の始まりになる回です。裏を返せば、ここから先は完全な近代劇なので、もはや大河ドラマの本流に反し、完全に時代劇ではなくなってしまう。普通に考えるなら、それは大河にとって大きなハンデとなるはずです。しかし、むしろ面白くなっている。とくに大きな事件が起きるわけでもなかったけど、何故こんなにも味わい深くて、面白いのだろう。◇大倉孝二の演じる大隈重信とのコントに笑い、草彅剛の演じる徳川慶喜との対話にじんとしました。そして、きわめて効果的に差しはさまれる回想シーン!!この作品では、ひとつひとつの回想に深い意味があって、それが絶妙なタイミングで蘇ってきます。なぜ千代は平九郎にあんなことを言ってしまったのか。平岡が栄一に託した希望とは何だったのか。無謀にも馬で走る慶喜を追いながら、大声で「渋沢栄一です!」などと名乗った意味は何だったのか。そういうことの一つ一つが、必然的な因果として思い返される。よくある民放のクソドラマのように、たんなるお涙頂戴と埋め合わせのための回想ではありません。回想シーンとはこうあるべき、ということを学んでほしいですね。◇そして、わたしとしては、朝倉あきが美しいのもうれしい。朝倉あきが松坂慶子になり、大倉孝二が高橋英樹になるのでしょうか?…ちなみに大隈邸は、朝ドラのときよりもだいぶ広い感じがします。早稲田大学のサイト によれば、明治元年から4年までの大隈邸は、5,000坪もある広大な築地の屋敷(いわゆる築地梁山泊)で、その後、有楽町→神田→飯田町→早稲田へと引っ越したそうです。
2021.10.02
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GyaOの無料動画がサービスを終了するそうです。わたしはネットのサービスに疎くて、GyaOを利用したのはわずか1年ほどだったけど、最後に安田公義の映画をたてつづけに観れたのは収穫でした。◇それまで、森一生や三隅研次や田中徳三は観たことがありましたが、なぜか安田公義の映画をまったく観たことがなく、その名前を意識したことすらなかったのですが、GyaOの無料動画で、「大魔神」の第一作を観て、その美しさに驚嘆し、さらに「眠狂四郎」や「座頭市」のシリーズ作品を観て、わたしの評価は揺るぎないものになりました。どのシリーズにおいても、安田作品のクオリティは、他の大映の職業監督を上回っていると思う。◇とはいえ、安田公義については、ネットにも詳しいページが見当たらないし、Wikipediaの記述もなんだか物足りないのですよねえ…。ひとたび、海外の映画祭で上映されたり、映画評論の権威が取り上げたりすれば、それに追随して国内のシネフィル気取りも、さぞかし口を揃えて褒めるようになるのだろうけど、今のところ、本格的に評価しようという動きはどこにもないし、ネット上にも、熱心なファンと呼べるような人は見当たらないし、まして全集が発売されたりする気配もありません。◇実際、一般的には、三隅研次のほうがはるかに評価が高い。三隅研次は、たしか90年代ぐらいに海外で紹介されて、そのときに蓮實重彦の言及などもあったので、急速に評価が高まったのだと思う。まあ、たしかに、三隅研次は個性的な作家ですけども、わたしが観た範囲内でいえば、三隅の作品にはけっこう当たりはずれがあるし、むしろ演出家のとしての力量は、安田公義のほうが安定して上回ってると思う。それどころか、安田公義の演出力は、溝口健二さえ上回るんじゃないかと思うのです。◇ただ、残念なことに、安田公義が撮ったのは、チャンバラとか怪獣とかオバケなどの通俗劇ばかりで、いわゆる《芸術映画》と呼べるものが見当たらないのですね。三隅研次でさえ「釈迦」のような大作に取り組んだのに。三隅研次の評価が高いのは、そのシャープな個性もさることながら、ただチャンバラのような通俗劇を撮っただけでなく、「剣三部作」のような文芸作品や、「釈迦」のような大作を手がけたことが大きいのだと思う。ちなみに、三隅の「釈迦」は商業的には成功したようですが、お世辞にも出来がいいとは思えません。むしろ駄作です。それに対して、安田公義が評価されにくいのは、通俗的な題材にしか取り組まなかったからでしょう。もしかしたら、彼自身が、あまり芸術的な大作などを好まなかったのかもしれませんが、もし「雨月物語」や「羅生門」のような題材に取り組んでたら、さぞかし世界的な傑作として評価されただろうと思う。◇もちろん、芸術的な映画を作るためには、何よりもすぐれた脚本が必要ですが、わたしの観たかぎり、安田公義の作品は、どの脚本家と組んでいても一定の水準を維持しており、物語に安定的な深みがある。たとえ通俗的な時代劇でも、脚本が無駄なく引き締まっているし、エログロ的な題材においてさえ、ある種の文学性を湛えています。それは、彼がたんなる職業的な演出家であるのみならず、脚本家との連携にも長けていた、ということでしょう。あるいは彼自身が脚本制作にも関与していたのかもしれない。安田公義の作品は、怪物・妖怪・チャンバラのような題材ばかりなので、なかなか傑作と呼びにくいのも事実ですが、すべてが名作・佳作と呼ぶに値するものだし、わたしに言わせれば傑作も含まれると思います。◇ところで、安田公義の作風には、師匠にあたる山中貞雄からの影響があるはずです。ただし、山中貞雄や小津安二郎のような軽みには欠ける。なので、コメディには不向きで、ある程度の重みがある題材のほうに向いている。実際、多くの作品が、きわめて制御された手法で、抑制された表現に徹しています。その意味では、むしろ溝口健二の個性に近いと思う。溝口健二の場合は、世界的な巨匠としての評価が確立しているけれど、実際には、けっこう当たり外れがあるし、そもそも宮川一夫のカメラがなければ、その世界的な評価があったかどうかも疑わしい。これと似たことは、じつは小津安二郎にもいえる。そもそも野田高梧の脚本がなければ、現在のような小津の評価はなかったかもしれません。ただ、溝口健二が女優の演出に長けていたのに対して、安田公義の女性描写はやや紋切り型で、むしろ田中徳三のほうが、女性は魅力的に見えます。その点で溝口健二に比肩し得るのは、川島雄三でしょうか。
2023.02.11
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朝ドラ「らんまん」の終盤で、きっとまた丈之助が登場すると思うのだけど、それはやっぱり、シェイクスピア全集を完成させたときでしょうか?◇牧野富太郎と坪内逍遥が同じ長屋に住んでいた、…ってのは、まったくのフィクションだと思うけど、長田育恵がそういう設定にした理由はいくつか考えられる。両者が同時代の人物で、しかも同時期に東大に通ってたし、長田育恵が坪内逍遥に詳しいってこともあるから、《馬琴も絡めて万太郎&寿恵子&丈之助の話を描く》というアイディアが、まずあったのでしょう。…でも、それだけじゃないかもしれない!最近になって知ったのだけど、じつは文学研究者としての坪内逍遥は、矢田部良吉の影響を受けていた可能性があるのよね。だとすれば、…丈之助は、田邊教授とも無関係ではない!ってことです。◇女子教育を批判した小説「くされ玉子」は、坪内逍遥の門下である嵯峨の屋おむろの作品でした。だから、わたしは、坪内が矢田部に批判的だった可能性も否定できない…と思っていたのよね。直接的に矢田部を攻撃したのは、そのあとの須藤南翠の小説「濁世」のほうですが。…ところが!文学者としての坪内逍遥は、むしろ矢田部良吉の後継者に位置づけられると言っていい。◇矢田部良吉は1882年に、外山正一や井上哲次郎とともに「新体詩抄」を発表しました。これが日本で最初の近代詩集とされています。このなかで矢田部は、シェークスピアの「ハムレット」の一節も翻訳している。その3年後に、坪内逍遥は「小説神髄」で次のようなことを書いています。>日本の短歌や長歌はいっときの感情しか表現できない。>それに対して、西洋詩(ポエトリー)は、>むしろ小説に似ていて「人世の情態」まで写すことができる。>だからこそ、矢田部良吉らは『新体詩抄』を著したのだ。実際の文章はこちら(抜粋です)↓小説は美術なりといふ理由我が国の短歌・長歌のたぐひは、いわゆる泰西の詩(ポエトリイ)と比ぶるときは、きはめて単純なるものなるから、わずかに一時の感情をばいひのべたるに止まる。ポエトリイは我が国の詩歌に似たるよりも、むしろ小説に似たるものにて、もっぱら人世の情態をば写しいだすを主とするものなり。我が短歌、長歌のたぐひは、いはゆる未開の世の詩歌といふべく、けっして文化の発暢せる現世の詩歌とはいふべからず。さればこそ過ぎにしころ外山、矢田部、井上の大人たちが、ここに遺憾を抱かれつつ『新体詩抄』一部をあらはし、世に公けにせられたりき。坪内逍遥は、矢田部良吉の導入した近代詩を、自身の小説論の基礎に置いていたといえます。つまり、坪内逍遥の近代小説研究やシェイクスピア研究は、矢田部良吉の先行研究から影響を受けていた。このことを長田育恵が知らないはずがありません。かりに坪内逍遥と矢田部良吉に違いがあるとすれば、それは日本の文化に対する考え方ですね。矢田部良吉の場合は、国字を改良してローマ字に置き代えるとか、ちょっと過激な欧化主義者だった面があるけれど、坪内逍遥の場合は、小説の近代化をはかりつつも、どこかしら「馬琴愛」を捨てきれなかった感がある。長田育恵も、坪内逍遥のことを、「古い日本を抱きしめながら新しい日本へ向かおうとした人」と語っています。(再々掲ですw)かりに牧野富太郎が、「本草学を抱きしめながら近代植物学に取り組んだ人」ならば、さしずめ坪内逍遥は、「馬琴を抱きしめながら近代文学に取り組んだ人」かもしれません。追記:岐阜新聞の記事には、牧野富太郎と坪内逍遥の交流について書かれているようです。https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/260259有料記事なので中身は読んでませんが、おそらく記事の写真から察するに、シェークスピアのロミジュリに出てくる「マンドレーク」を、坪内逍遥が「曼陀羅華」と訳したことに対して、牧野がツッコミを入れたんじゃないでしょうか?
2023.09.06
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赤楚衛二×錦戸亮「Re:リベンジ~欲望の果てに」。第9話。もう最悪です。想像を絶する最悪っぷり…。最悪という以外の言葉が見当たらない。こんなドラマ見たことない。主人公の海斗は、もはやクズというよりクソ!そのうえアホ!!闇堕ちしたとたん、なにも葛藤が無くなるってのも、ちょっと不自然な感じはするけどね。いくらアホだからといっても、すこしは良心の呵責ってものがあるでしょ。でも、ここまで堕ちてしまったら、もう海斗に更生の機会はなさそうです。◇大友のつぶやいた、「天堂記念病院はずっとそうだ…」というセリフ。だれが権力を握っても、結局は同じ過ちが繰り返されるってこと?海斗の父親もそうだったのでしょうか?秘書の高村なら、そんな父親の過去も知ってるのだろうね…でも、大友だって、善なのか悪なのかよく分からない。どんどん予想を裏切ってくるから。ドラマのタイトルには、「リベンジ」の前に「Re:」がついてるので、いわば「リベンジ返し」ってことだと思うけど、これはもしや悪人どうしの報復合戦で、どこにも救いなんかなくて、最後に虚無感だけが残るようなイヤミスなのでは?…って気もしてくるのよね。
2024.06.07
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TBS「最愛」が終了。加瀬はまったくノーマークでした…(^^;真田家の陰謀でもなければ、警察がらみの事件でもなければ、たんなる加瀬の突発的な犯行。あるいは、ほとんど事故だったってこと。視聴者のなかに膨らんだ妄想は宙に浮いて、やや肩透かしを喰らった形です…(^^;◇中盤あたりでは、「真田家が最大の黒幕!最後には梨央が母を殺すのでは?!」とまで考えたのだけど、そんなひどい話じゃなかった(笑)。まあ、脚本や演出は、中だるみも尻すぼみもなく、一貫してスピード感と緊張感を持続していたし、映像も美しかったし、プロデューサーも含めて、ほとんど女性ばかりのチームでしたけれど、今後への期待を高めさせる作品になりました。ただ、同じ考察系の「天国と地獄」もそうだったけど、最終回は、劇的なカタルシスよりも、視聴者のなかに肥大しつづけた考察と妄想が、宙に浮いてしまうような呆気なさがある…(^^;欲をいえば、もっとカタルシスが欲しい…実際、視聴者の妄想を肥大させた色々な伏線は、ほとんどミスリードだったので、矛盾してるとまでは言わないけど、未回収のまま放置されたものが多いです。◇以下、未回収ポイントを整理します。1.なぜ旧札の1万円だったのか。記録に残ってるのは8年前からの不正だけど、実際には、17年以上前から裏金を溜め込んでいたと考えるほかありません。2.なぜ梨央は芝池公園へ行ったのか。梨央と渡辺昭を芝池公園に引き合わせたのは後藤だろうけど、梨央が誰からの連絡を受けて、なぜ公園に行ったのかは謎です。3.優のスパイ活動。姉を守るために後藤を監視していたとは言うけど、梓とも加瀬とも連絡が途絶えた中で、どうやって社内のパソコンをハッキングしたのかも、どうやって後藤の攻撃を阻止するつもりだったかも謎。結果的には、まったく無意味な活動だったように思えます。4.橘しおりの両親の離婚。事件とは無関係?たまたま時期が重なっただけ?5.橘しおりの真田家への怨恨。自分の人生を狂わせた合宿寮の娘が、自分とは真逆の栄光を掴んでいることへの逆恨み?6.青木菜奈の「被害者じゃない」発言。渡辺康介に襲われたあとも薬物仲間であり続け、渡辺康介との堕落した関係を抜け出せず、その後は渡辺康介が失踪したショックに苦しみ、小瓶を保管しながら15年のあいだ告訴できずにいたってこと?7.優が記憶をなくした日。事件とは無関係?◇8.梓の関与。そして、いちばん大きな謎は、やはり「梓が何をどこまで知ってたのか」ってこと。後藤の不正を知ってたのは間違いないけれど、加瀬の犯行を知ってかどうかは謎。赤いペンにかんしては、たまたま梓が部屋に落としたペンを、加瀬が拾って、そのまま公園で落としたように見えます。だとすると、梓は、加瀬の犯行を知らないはずです。ただし、あとで気づいた可能性はあります。…刑務所に収監された梓は、後藤や加瀬の罪まで負わされかねない状況ですが、あくまで「自分の罪を自分で負う」とうったえる後藤に対して、加瀬は、梓を捨て置いて、いまも逃走を続けています。もともと梓は、優を山梨の学生寮に隔離したときから、優と達雄の犯行についても、加瀬の共犯についても、知っていたかもしれません。そして、それ以降、加瀬と梓のあいだには秘密の共有があったかもしれません。梓が出頭して以降の加瀬の行動についても、二人のあいだに何らかの合意があるのかもしれません。優のスパイ活動についても、加瀬と梓が裏で操っていたと考えるほうが自然だと思う。◇9.加瀬の逃亡。加瀬は、池尻の防犯カメラには映っていましたが、なぜか芝池公園の防犯カメラには映っていませんでした。運転手から連絡を受けて駆けつけ、渡辺昭を殺して、びしょ濡れになりましたが、足跡痕は残っていたものの、行きも帰りも防犯カメラに映っていないし、目撃者にも見つかっていません。最後の渋谷ウィングプラザでも、大勢の刑事たちの追跡をすり抜けて逃げおおせました。犯行を決定づける証拠を何ひとつ残さず、いまもなお世界のどこかに身を隠しつづける加瀬は、ルパン三世、もしくは透明人間並みの逃亡の達人!!渋谷ウィングプラザの入り口付近で、桑子が別人を確保するシーンがありましたが、あれこそルパン三世並みに変装した加瀬だったのでは…?今日の夕飯何食べようかな…
2021.12.19
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テレ朝「警視庁アウトサイダー」が終了しました。最後はけっこうイイ話だった。それぞれの事情が絡み合ってて、思ったほどの巨悪や極悪人は存在しなかった感じ。視聴率は、最終回が2桁越えということで、テレ朝サスペンスとしては及第点ってところ?◇脚本は、わりにしっかり構成されていた。ただ、サスペンスにはありがちだけど、登場人物の名前がかなり覚えにくくて、それがちょっと事件の構図を分かりにくくしていた。架川、蓮見、水木という、メイン3人の名前でさえ覚えにくいのに、…蓮見の実父が梶間で?…兄貴がわりが羽村で?…水木の実父が有働で?…架川の先輩が藤原で?そのうえ、当麻とか、椛島とか、折原とか、小山内とか、信濃組とか、鷲見組とか、誰が誰で何が何だか終盤までよく分からなかった。せめて登場人物の名前と顔が一致すれば、さぞや視聴者の考察も盛り上がったろうに、ちょっと前提が分かりにくすぎたかなと思う。まあ、蓋をあければ、警察内部とヤクザの癒着はあったものの、思ったほど複雑な構図ではなかったし、前半に「18箇所も刺すのは女」というフラグもあったから、もし視聴者がこぞって考察していたら、かえって真犯人の推理は、容易にすぎたのかもしれません。◇事件の内容が分かりにくかったのは、やたらにネタドラマ的な演出のせいでもあって、たぶん、警視庁捜査一課の最終シリーズみたいに、《サスペンス面》と《ネタドラマ面》の、ほどよい両立が狙いだったとは思うのだけど、とくに序盤の数回は、堤幸彦のパロディと思しき木村ひさしの演出が、あまりにもガチャガチャしすぎて、一話完結のストーリーでさえ何が何だか分からず、ネタとしても空回りしてる感がありました。むしろサブの演出家のほうが落ち着いてましたねwとはいえ、後半になるにつれ、観てる側もだいぶノリと小ネタに慣れてきて、西島秀俊の下手なコメディ演技も、それ自体をネタとして笑えるようになりました…(^^;テレ朝ネタ。#はぐれ刑事純情派 #警視庁捜査一課長 #遺留捜査 #警視庁アウトサイダー https://t.co/IkuUdJ6dJr pic.twitter.com/pWyDCFf6hk— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2023 ◇ちなみに、西島秀俊の俳優デビューは、1992年の「はぐれ刑事純情派」第5シリーズだそうです!そして翌93年に、彼は、石田ひかりの「あすなろ白書」にも出てるんだけど、わたしは、萌歌のツイートを見るまで、それを知らなかった!「あすなろ白書」って、石田ひかりと筒井道隆のほかに、誰が出てたのかまったく思い出せないし、たぶん、あのドラマをまともに見てなかったんだな…。つーか、わたしには、そもそも、冬吾以前の西島秀俊の記憶がほとんどない…(笑)。— 上白石 萌歌 (@moka_____k) February 13, 2023柴門ふみ×北川悦吏子明日ならハクション。◇さて、わたしのお目当ては、もっぱら萌歌だったわけですが、もともと手脚が長くて見栄えがするので、それを活かした刑事の役はハマってたと思うし、とんちんかんな天然キャラも合っていました。ちなみに萌歌は、日テレの「バンクオーバー」でも、刑事の役で華麗な蹴りを見せていたwそういえば水木ちゃんは、架川と蓮見を「尊い関係」と勘違いしてましたが、その誤解って、ちゃんと解けたんだっけ??◇萌歌については、カムカムで「姉の兄」だった濱田岳との共演も、それ自体、ひとつのネタだったのですが、それ以外に、長濱ねるとの「親友共演」もネタ、野波麻帆との「東宝シンデレラ共演」もネタ、石田ひかりとの「妹女優共演」までがぜんぶネタww石田ゆり子が、デビュー前に水泳選手だったのは有名ですが、妹のひかりも水泳をやってたみたいだし、萌歌も、過去作品ではすでに水泳3種目を泳いでるし、姉の萌音は、父親に似て陸上での活躍が多かったらしいけど、やっぱり運動神経がいいから水泳もできるとは思う。なので、石田姉妹と上白石姉妹は「水泳姉妹」でもあります。それを踏まえて、母と娘にバタフライを泳がせれば完璧だったのだけど、(萌歌の残りの4種目目はバタフライです)スタッフはそこを見落としていた可能性が高い!!adieuネタ。 アデュー♪左が親友。右が三代前のシンデレラ。水泳姉妹の妹共演。 小ネタ的には、「エッて言うな」とか「エモ散らかし」とか、カフェオレの欧陽珈琲とかもじわじわ笑えたので、カフェラテ個人的には、最後に萌歌が「ラヴイズオーヴァー」を熱唱すると期待したのですが、それも叶わなかったです…(^^;そこらへんが、テレ朝はまだまだだな。欧陽菲菲— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 15, 2023 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 23, 2023
2023.03.03
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NHKプラスで「東北ココから~東北古墳調査最前線」を見ました。東北地方のローカル番組ですが、先日のNスペ「古代史ミステリー」を補完する内容。とくに狗奴国にかかわる話だったように思う。簡単にいうと、東日本の《弥生系》勢力も《続縄文系》勢力も、ヤマト王権の影響を受けていて、交易もしてた!…みたいな話です。以下は、番組内容のメモ。1.東日本の《弥生系》勢力福島県の会津盆地では、弥生時代から稲作がおこなわれていて、そこは北陸と郡山盆地をむすぶ交通の要衝だった。その証拠に、木製の農具が出土した湯川村の桜町遺跡(3世紀ごろ)では、在地の土器だけでなく、北陸系の土器や北関東系の土器が出土してる。…会津盆地にある杵ガ森古墳は、3世紀末~4世紀初ごろの初期の前方後円墳。形は約6分の1スケールの「箸墓類型」で、箸墓古墳の時代から半世紀の隔たりしかない。やはり会津盆地の大塚山古墳は4世紀末の築造で、ヤマト王権から授かった三角縁神獣鏡や、ヤマト王権が朝鮮半島から輸入した鉄の製品が出土。埋葬された豪族はヤマト王権と対等な関係だったらしい。郡山盆地からすこし南下すると…須賀川市の団子山前方後円墳(4世紀中頃)では、2種類の円筒埴輪を交互に配置してる。その様式は山梨や静岡の前方後円墳と同じ。須賀川市の東にある小野町でも、在地の首長を埋葬したらしき前方後円墳が発見された。東海地方から東北南部の山間地にいたるまで、ヤマト王権の影響を受けた文化が共有されてたってこと。ただし、番組を見てても、弥生人が東北南部まで進出したのか、縄文人が稲作や古墳文化を取り入れたのかは分かりませんでした。徐々に混血が進んだのかもしれません。◇2.東日本の《続縄文系》勢力新潟市の角田浜妙光寺山古墳(4世紀前半)も、やはりヤマト王権の様式であろう前方後円墳。その近くの遺跡で出土したのは、続縄文文化と古墳文化の特徴を合わせた折衷土器。鉄や米を得るために海産物などと交易してた可能性がある。さらに新潟市からすこし北上すると…胎内市にある城の山古墳(4世紀前半)は、楕円形の円墳ではあるものの、副葬品の構成が近畿地方の古墳と同じだった。中国製の盤龍鏡、翡翠の勾玉、鉄製の太刀、高度なデザインの靫ゆき(=矢を入れる革製の筒)が出土。◇日本最北にある前方後円墳は、岩手県奥州市にある角塚古墳。5世紀末~6世紀初につくられてる。近くにある中半入遺跡は、その角塚古墳をつくった人々の住居跡で、馬の歯が出土してるのだけど、儀式として馬の生贄を埋めるのは大陸文化の影響っぽい。なお、魏志倭人伝には「馬無し」と記述されてるので、日本へ大陸の馬が移入されたのは、4世紀末~5世紀の「倭・高句麗戦争」以降のこと。それから半世紀ほどのあいだに、東北へも馬がもたらされて交易・運搬に利用された。東北地方から中央へ輸送された産物は、鎧のひもや馬具などに用いる大型動物の革など。◇6世紀中頃に仏教が伝わると、日本の古墳時代は終わります。今、全国で #ヤマト王権 の謎を解き明かす発見が相継ぐ東北でも新発見が!!古墳時代の最新調査研究から知られざる東北の姿を解き明かす!東北ココから古代史ミステリー 東北古墳調査最前線#NHKプラス で配信中!https://t.co/T6iNnp5ujo— NHK仙台放送局 (@nhk_sendai) May 11, 2024
2024.05.14
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まめ夫について。いちおう昨日は、最終回の感想を書いてみたのだけど、いまひとつ自分の中でしっくりこなくて、なんだか内容を読みきれていない感じがある。この物語の中にも、なにがしかの構造を見て取るべきじゃないのかな、という気がしてならないので、考え直してます。◇2人の女性の死があります。第1話で、母つき子の遺骨を持って歩いていたら、布団が吹っ飛んだ話。第6話で、軟禁状態に置かれて交渉しているうちに、かごめが死んでしまった話。2人の亡くなった女性は、ともに同性愛者だったかもしれません。その人生の謎を解くことが、ひとつのテーマになっている。◇しかし、関係性という点で見れば、母つき子に相当するのは八作であり、マーさんに相当する女性がかごめであり、父の旺介に相当するのがとわ子です。つき子と八作は、書いた手紙を出さないまま、本当の気持ちを相手に伝えないまま、心のなかの恋人と生きつづけた人です。八作の北海道旅行はそのことに関係している。しかも、彼らは、本命ではない人と結婚して、そこで子どもを作り、やがて離婚した人でもあります。マーさんとかごめは、恋愛もせず、結婚もしないまま、最後まで一人で生きつづけた女性です。父の旺介ととわ子は、相手にとって自分が「最愛の人」「本命の人」ではないと悟って、離婚後の時間を生きながらえている人です。◇主人公のとわ子は、かごめとの関わりのなかから八作の心の内に気づき、マーさんとの関わりのなかから母つき子の心の内に気づきます。つまり、2人の女性の謎を解き明かす中で、自分が失った母と恋人の本心を知るまでの物語になっている。そして、じつは自分が父と同じ人生を歩んでいると知るまでの物語です。また、娘の唄は、自分の未来は祖母のつき子と同じかもしれないと思っています。祖母と同じように、何らかの妥協の人生を生きることになるだろうと予感している。しかしながら、マーさんと会った唄は、それが何らかの妥協であったとしても、人生はひたむきでなければならないと思い直すのですね。彼女もまた、ひとりの女性をとおして祖母の人生の意味を知ることになる。これらが、たがいに反復的な構造をなしています。◇一方で、この物語の登場人物は、全員が例外なく、1:1の「つがい」として生きることに失敗しています。これは全体に通じる最大のテーマです。そもそも、考えてみれば、実際に「つがい」として生きることができるのは、ごく少数の人たちなのかもしれません。確率的にいって、組み合わせというのは、それほどうまくいかないからです。理想的な組み合わせは、ほぼありえない。このドラマでは、理想的なカップリングに失敗した人たちが、もはや「つがい」として生きるのではなく、1:2(かごめの幽霊:とわ子&八作)とか、1:3(とわ子:八作&鹿太郎&慎森)とか、さまざまな数的組み合わせのバリエーションを織りなしながら、あるいは万華鏡のようにそのつど関係性を組み替えながら生きている。けっして確定的な結論は出ていないけれど、その可能性をいろいろに探った物語だといえます。追記。「3度の結婚と離婚を失敗と考えるのではなく、 その必然的な「矛盾」を肯定するために、亡き母は3人の妖精を遣わした」…という以下の考察が一番面白かったです。RS:『まめ夫』の元夫たちは“妖精”?とわ子の矛盾を肯定する生き方Presence I (feat. KID FRESINO) Presence II (feat. BIM, 岡田将生)」Presence III (feat. NENE, 角田晃広)」Presence IV (feat. Daichi Yamamoto, 松田龍平)」Presence V (feat. T-Pablow)Ils parlent de moi~プロムナード編 feat. マイカ・ルブテMorning feat. グレッチェン・パーラトAttachments feat. LEO今井Ils parlent de moi~ほろ酔い編 feat. マイカ・ルブテAll The Same feat. グレッチェン・パーラト & BIGYUKI"
2021.06.18
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NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第2弾。第4話「ザ・ラン」笠松将(12月27日)第5話「背中の正面」市川猿之助(12月28日)第6話「六壁坂」内田理央(12月29日)今回は、たんなる一話完結ではなく、3つのエピソードが「六壁坂」という共通項で結ばれていました。もちろん泉京香も全編に登場。キャスティングは申し分なかったし、脚本もよく出来ていたけれど、演出も含めていちばん良かったのは、第5話の「背中の正面」かな。⇒ 前作でもそうだったけど、あまり原作にこだわらず自由に脚色したほうが上手く行くのですよね。一方、「ザ・ラン」と「六壁坂」の演出では、原作に引っ張られつつ、過激な表現を抑えた結果、やや映像表現が中途半端だったのが残念。京香さま、脚長すぎっww ◇第5話「背中の正面」の脚色上の独創は、伝説の「比良坂ひらさか」「かごめかごめ」「黄泉醜女よもつしこめ」を結びつけたこと。一見すると、地名や苗字に見られる「平坂ひらさか」は、平らなのか、それとも傾いてるのか分からない不思議な言葉。でも、もともと「ヒラ」という和語は、文字どおり「ひらひら薄っぺらい」という意味なので、水平なのか傾斜してるかは関係ないのでしょう。おそらく昔の日本人は、突き出た崖のように割れ落ちそうな土地を「ヒラ」と呼んだ。追記:「開けた土地」「拓かれた土地」の場合もあったかも。そして、それが傾いていれば「平坂ひらさか」だったろうし、断層のような場所であれば「平境ひらさかい」だったはずです。もし、このように不安定な「平坂/平境=比良坂」が、ことごとく黄泉の国へ繋がっているのだとしたら??…日本神話に出てくる「黄泉醜女よもつしこめ」は、イザナギを黄泉の国から追いかけてきた妖怪です。イザナギは、カグツチの出産によって妻のイザナミが死んだのを悲しみ、⇒ ちなみに竈門炭治郎の先祖はカグツチと思われます!はるばる黄泉の国まで彼女に会いに行ったのですが、その変わり果てた姿を見てしまったために、黄泉比良坂よもつひらさかで黄泉醜女よもつしこめに追われるのですね。ここに「見るタブー」と「振り返りのタブー」があります。…そして、童謡の「かごめかごめ」は、いうまでもなく《後ろの正面》についての歌です。もし、これが「振り返りのタブー」を警告しているとしたら??ちなみにブドウかタケノコかモモを投げれば黄泉醜女から逃げ切れます!◇かたや「ザ・ラン」と「六壁坂」の演出には、やや不満があります。第6話の「六壁坂」では、露骨な血の描写をかなり抑制していた。出血シーンをモノクロームにしていたし、器に注いだ血液もコーヒーにしか見えなかった(笑)。血が吹き出たり、止血のために縫ったり焼いたり、血を飲んだりする場面にも、あきらかな躊躇があったし、どうにか穏当な表現にしようという配慮が感じられました。たしかに、このエピソードは、あえて出血描写がなくても成立するかもしれないし、いっそ、ばっさりとカットしてもよかったと思う。なんにせよ、中途半端にボカす演出がいちばんよくない。中途半端な表現にした結果、何がやりたいのかよく分からない映像描写になっています。本質を突き詰めれば、もっと明瞭なスペクタクルに出来たはず。…第4話の「ザ・ラン」では、窓ガラスを割るシーンや転落するシーンが不明瞭で、後付けの「心臓麻痺で死んだ」という説明も不可解でした。かりに転落シーンを避けたいのであれば、夜の虚空に吸い込まれるファンタジックな描写にするとか、ウォーターフロントのビルから隅田川にでも落とすとか、いろいろやり方はあっただろうと思います。ドキドキのヘブンズドアー!コーヒーにしか見えないw前作の第1弾がDVD化されています。
2021.12.30
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赤楚衛二×錦戸亮「Re:リベンジ」第8話。先週までの赤楚くんは、「アホ」「ダメ男」って感じでしたが…今週は、まごうことなき「クズ」になりました。よくもあんな立派なクズになれるね。あそこまで完全無欠なクズになりきれるのも、一種の才能でしょうか??世の中、「弱い善人」と「強い悪人」は多いけれど、「強い善人」ってのはなかなかいないし、「弱い悪人」じゃあ救いようがない。そして、赤楚くんが演じてるのは「弱い悪人」です。つまりは、救いようのないクズ。あまりのクズっぷりに、一周回って笑えるコメディになってる??でも、ああいうクズって世の中にたくさんいるよね。もはやお前に人の上に立つ資格はない。(=全国民の総意) ◇全11話らしいので、まだ残り3話ありますが、最後はやっぱり父親との関係に戻るのかな。でも、どんな形で終わるのかは予想できません。いまや、いちばん目が離せないドラマです。
2024.05.31
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NHK大河「光る君へ」。母の仇だった道兼があっさり死んでしまい、道長もあっさり頂点を極めてしまったので、意外に展開が早いし、今後の見どころはどこにあるのかしら?…と懸念もしてたけど、第21話の「枕草子・爆誕」は、やはり神回のひとつだったと思います。越前へ旅立つ前のまひろ&道長が、10年越しにキスをするピュアラブも素敵だったし、ききょうの中宮定子に対する百合の感情が、推し活の文学作品へ結実する描写も尊かった。◇清少納言の「枕草子」誕生については、史記 → 枕詞 or 四季 → 枕もとの草紙みたいな説だったのかな、と思います。枕草子の跋文には、宮の御前に内の大臣の奉り給へりけるを「これに何を書かまし、主上の御前には『史記』といふ書をなむ書かせ給へる」など宣はせしを「枕にこそは侍らめ」と申ししかば「さば得てよ」とて賜はせたりし…と書かれてるのですね。わたしなりに意訳すれば、中宮定子さまに伊周が献上したものをお見せになって「これに何を書いたらよいかしら?帝は《史記》という本を書いたのだけど…」とおっしゃるので、わたしが「あちらが《史記=敷き》を書いたなら、こちらは《敷き妙への枕》でしょ!」とシャレを申し上げたら、定子さまは「なら、あげる!」と下さった。…みたいな感じ?◇ドラマでは、「あちらが《史記(=敷き)》なら、こちらは枕詞でしょ!」とききょうが言い、「あちらが《史記(=敷き)》なら、こちらは四季でしょ!」とまひろが返したのですね。そして、まひろが示唆したとおり、ききょうは四季にかんする随想をつづり、床に臥せってばかりいる中宮の枕元に、文字どおり「枕」の草子として届けられた。◇ちなみに「枕草子」は、春夏秋冬の話にはじまるわけですが、ファーストサマーウイカという芸名も、本名の「初夏ういか」からつけられたらしい。知らなかった!「ファーストサマーの夜には蛍のおほく飛びちがひたる」ってことよね。(…ちがう??)今回も、まひろとききょうの毛筆草書のシーンがありましたが、習字をやってたのもキャスティングの理由なのかしら?ご視聴ありがとうございました。この撮影の時期は、CMや他の番組で定子さまをお見かけする度、涙するほどでした。枕草子のシーンは紙と細筆に向き合い何時間も稽古しました。写真は空き時間にひたすら書いていた練習のもの。10年習字習ってて良かった😂 #光る君へ #清少納言#枕草子 pic.twitter.com/Tx1OvymUrL— ファーストサマーウイカ (@FirstSummerUika) May 26, 2024 次週からは越前編で、松下洸平が宋人の役で登場するようですが、国際情勢が絡んでくるのも興味深いところです。
2024.06.01
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『純情きらり』再放送。いよいよ桜子の本領が発揮されつつあります。亡き父にも愛され、味噌彦やキヨシにも愛され、もちろんテレビの前の殿方にも愛され、そして斉藤先生にも愛されてしまう桜子。じつは桜子は、この物語のなかで、徹頭徹尾、終始一貫してモテモテなのです。15年前の本放送のときにも、同じようなことを書いたのですけど、ここで、あらためて、「笛子の弱さ」問題について書こうと思います。◇いまのところ、物語のいちばんの【暗黒面】を担っているのは、池鉄をはじめとする河原家の名古屋人のように見えますが、それはあくまで表向きのことにすぎません。じつは、ほんとうにドロドロしているのは、有森家における「姉妹間の嫉妬問題」なのです。はじめて視聴している人も、うすうす気づきはじめてると思うけど、器量良しの杏子が先に嫁いだあたりから、この姉妹間の嫉妬問題が、水面下でうごめいています。何を隠そう、『純情きらり』の最大の【暗黒面】とは、この「モテない姉」と「モテる妹」の問題なのです。◇かつて父はこう言いました。笛子は、ああ見えて弱いところがあるんだよ。何かのときは、お前が力になってあげなさい。父は、笛子の「弱さ」を心配していました。※桜子は頑丈なので、さほど心配いりません。笛子は、その弱さゆえに、虚勢を張って生きています。だからこそ、いまいち女性らしさや細やかさにも欠ける。笛子は、長女として厳しく躾られて早くに母を亡くし、父も亡くして、社会的にも経済的にも有森家を支えて、結局のところ全部を背負っています。戦争に備えて、ひとりで竹槍を振り回している。そこに彼女の不幸があります。彼女自身が十分な幸福に恵まれていないので、他人にまで幸福を分け与える余裕がないのです。何かにつけて桜子にきつく当たったり、杏子の不幸も省みずに、無理やり嫁がせたりするのは、彼女自身が柔らかな幸福で満たされていないからです。※もしも父が生きていたら、杏子は河原家へ嫁がずに済んだはず。つまり、笛子の「弱さ」とは、 世間的な常識や価値観を打ち破れないところであり、そのため自分の人生を進むことに臆病なところであり、ついに自分の幸福をつかめないまま、最後まで《嫉妬》の中で生きていくほかないところです。でも、これって、一般的な女性の弱さそのものですよね(笑)。このことが後々の物語にまで尾を引きます。
2020.08.07
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迎え梅雨紙端に滲む友の文字 虹の下クレヨンの箱踊り出す 天王山黒ずむ袖に薄暑光 薫風や隣の君と教科書を 消しゴムが白き水面にボウフラを 密やかに鉛筆昇てんと虫 初夏の光のインク硝子ペン5月9日のプレバト俳句。お題は「文房具」。◇雲丹うに。天王山 黒ずむ袖に薄暑光鉛筆に黒ずむ袖や 夏休み(添削後a)鉛筆に黒ずむ袖や 晩夏光(添削後b)原句は、受験生の句ではなく、品評会に挑む職人の句にも見えるし、柔道などのスポーツの句にも見えます。先生の(添削後b)は良い出来だと思います。◇山本里菜。迎え梅雨 紙端したんに滲む友の文字迎え梅雨 借りたノートに滲む文字(添削後)作者の説明を聞いても、あえて「紙端」の語を選んだ理由がわからない。紙の端に書き添えられた文字は、友人からの意味ありげなメッセージに見えます。先生の添削に異論はないけど、個人的には「借りたノートの字の滲む」としたい。◇清水アナ。カンペ握りしめる初ロケは立夏初ロケは立夏 カンペを握りしむ(添削後)原句の「握りしめる」は、連体形と読めば一句一章、終止形と読めば対比的な二句一章です。添削句のほうがリズムに定型感があり、意味も明瞭だし、語順的にも正解だと思う。ちなみに助詞「は」を避けるなら、「立夏の初ロケ」とも書けますが、この場合は「初ロケの日は立夏だった」という感動を、強調して書くだけの必然性があるでしょうね。なお、季語の「立夏」には日付の意味と期間の意味があるけど、清水アナの句は「立夏日」という印象を受けます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ほぼ才能アリだった…!?😭#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/phTsxuAu8n— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 7, 2024◇河野純喜。薫風や 隣の君と教科書を教科書を忘れた君と 風薫る(添削後)これも先生の添削でいいと思うけど…強いて言うなら、中七で切って下五に季語を置く形式なのに、助詞「と」で繋がって見えるのが難点。実際のところ、「君と風」が薫る…という解釈も不可能じゃない。その場合は助詞「と」の意味が変わって、「You & Me」の距離感を描いた句ではなく、「You & Wind」の香りを描いた改作になる。かりに「君と風を嗅ぐ」と他動詞にすれば、中七は切れずに繋がるけど、季語になりません。ちなみに、最近の日本語では、「香ってみますか?」みたいな他動詞的な用法もあるけれど、https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/123130さすがに「風薫る」は他動詞じゃないので、「君とともに風を薫る」という解釈は不可能です。季語を名詞にすれば、教科書を忘れた君と夏の風のような切れのない一句一章にできますが、やっぱり「You & Wind」の意味になってしまう。原句のように「You & Me」の意味にするなら、教科書を忘れた君とゐる五月とでも書くしかないでしょうね。◇内藤剛志。虹の下 クレヨンの箱踊り出す季語は「虹」で夏。だいぶファンタジックな作品で、それを許容できるかが評価の分かれ目になる。…上五「虹の下」の是非。虹と子供がどちらも遠くに見えてるなら、この写生にはリアリティがあるけれど、実際は、子供が近くにいて虹は遠いのだから、子供たちが虹の下にいる…というのは虚構でしょう。もちろん、幻想を書くのが悪いわけじゃないし、端から端まで見える巨大な虹を目の当たりにして、「自分たちが虹の下にいる」みたいな感覚に襲われることもあるだろうから、まったく現実味のない描写とも言いきれない。…下五の擬人化の是非。子供たちが箱をガチャガチャしはじめて、箱の中のクレヨンが動き出したことの比喩でしょうが、「クレヨンが踊り出す」ではなく、「箱が踊り出す」との表現が妥当かどうか。まあ、これも幻想句としてなら許容範囲かな。とはいえ、前回の「本職」の句は合点がいかなかったし、たった2回の査定で特待生との判断は不可解です。◇ゆりやんレトリィバァ。消しゴムが白き水面みなもにボウフラを消しかすはボウフラみたい 子どもの日(添削後)消しかすはボウフラみたい 夏休み (添削後)季語は「孑孑/孑々ぼうふら」で夏。作者によると、「消しカスがノートに(散らばると)ボウフラを(思わせる)」という内容を直喩で書いたようですが、それを「消しカスがノートにボウフラを」と省略するのは、文法的に不可能。読み手からすれば意味不明。かりに子供の俳句だったら、「消しカスがボウフラみたい!」という発想や観察眼は褒めたい気もするけど、大人の俳句としては珍奇な詩情としか思えず、関西大文学部卒という学歴を考え合わせても、ウケ狙いなのか本気なのかいまいち判別がつかない。季語が比喩なので、先生の添削では「ボウフラ」の片仮名表記を直さず、もうひとつ別の季語を置いて解決してます。それはそうと…作者が最後に提示した推敲案、消しかすはボウフラみたい 初鰹は、ビート文学みたいで激烈に面白いwマイナス100点満点で一発特待生にしたいです。◇千原ジュニア。密やかに鉛筆登るてんと虫季語は「天道虫」で夏。形容動詞「密やかに」の是非が問われます。掲載決定でしたが、わたしならボツ!天道虫がひそやかに登るのは当たり前!音を立てて昇る天道虫がいるんなら持ってこい!!なお、先生によれば、A: 天道虫が密やかに登るB: わたしが密やかに見るという2つの読みが可能とのこと。たしかに、「密やかに登るてんと虫(を見る)」の省略と読めば、どちらの動詞に掛かるとも解釈できる。でも、実際にそう読ませたいのなら、芭蕉の「閑さや」と同じように、上五を「密やかや」と切るんじゃないかしら?◇梅沢富美男。初夏はつなつの光のインク 硝子ペン初夏のひかりのインク 硝子ペン(添削後)倒置法の比喩で、「硝子ペンのインクは初夏の光のようだ」と読める形なのだけど、作者がそれを明確に意図したかどうか怪しいwおおかた17音に収めてみた結果、たまたまそういう形になっただけじゃなかしら?内容的には、比喩を使って硝子ペンの特徴を説明しただけとも言える。なお、添削句は平仮名で透明感を表現してます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.13
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ドラマ10「燕は戻ってこない」第6話。春画家りりこが最高だったww好きなだけエッチして堕胎するのも女の権利ってこと。どこかの政治家の言う「産む機械」じゃあるまいし、カテーテルで受精だけさせられるなんて人間じゃない。選民意識まるだしのバレリーナ母子は、気の済むまでバレエ馬の種付けでもやっとけ!と。◇まあ、父親不明とはいえ、かけがえのない命に変わりないから、産む、という選択も否定しません。どうせ滅多なことじゃDNA鑑定なんてしないんだし。もし一卵性じゃなくて二卵性だとしたら、北海道と沖縄のボンクラ双子の可能性もあるけれど、そんなこたあ知ったこっちゃない。このまましらばっくれて、1000万円もらってトンズラすればいいのよね。内田有紀もこのまま再婚するのはやめて、北海道と沖縄のボンクラ双子を、何も知らないバレリーナ母子に育てさせとけばいいのよ。むしろ「ざまあw」って感じ。◇そもそも「貸し腹」契約なんてのは、それ自体が非合法な奴隷契約も同然なのだから、およそ人間が守るべき正常な契約とは思えない。精子や卵子だけならともかく、お腹(=子宮)は臓器なのだから、あきらかな「人身売買」に該当するはずでしょ。法倫理的にいうならば、人身売買契約を守れ!と強制するほうが非道です。偽装結婚や偽装離婚の件もふくめて、契約そのものの正当性が問われるのだし、不当な条件下で人権が侵害されたならば、契約の履行や守秘義務なんぞよりも、人権保護と公益通報こそが優先されるはずです。たとえば「相手方に奴隷となることを約束させる」旨の契約は、強行規定である民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」に反するため無効となります。https://yell-lpi.co.jp/column/contract/art0059/人身売買は、歴史的に、女性に対する暴力や性的搾取について使われる傾向があります。人身取引は、国際組織犯罪防止条約人身取引議定書において国際組織犯罪として定義されている言葉で、日本政府やILOなどの専門機関により使用されています。また、同議定書において、性的搾取、強制労働、臓器売買などを幅広く含むと規定されています。https://www.worldvision.jp/children/trafficking.html人身取引とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/2752/第三者から精子を提供してもらって子どもをもうけることは、日本でも長年行われてきています。しかし、負担や危険が大きい卵子の第三者からの提供は、国内ではほとんど行われてきませんでした。この間日本では、臓器売買事件が二件明るみに出て、移植法違反として起訴されています。ですが生殖補助医療に関する法律はなく、精子、卵子、受精卵の売買は、法的には禁止されていません。https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1600【#燕は戻ってこない】作家・桐野夏生さん「自己責任という言葉ができてからは、本当に何でもかんでも自己責任になってしまいましたね」今夜は、第6話が放送されましたhttps://t.co/aBjYOpIWWZ🔼【読む】原作が出版された当時 #クロ現 は桐野さんにインタビューしました— NHKクローズアップ現代 公式 (@nhk_kurogen) June 4, 2024
2024.06.05
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NHKの日曜美術館「美を見つめ、美を届ける」を見ました。第1週は、辻惟雄『奇想の系譜』。第2週は、高階秀爾『名画を見る眼』。どちらも1960年代末~70年代初めに書かれた美術史の著作。◇辻惟雄は、伊藤若冲とアンリ・ルソーに《奇想》の共通性を見出してて、さらに華園力という精神科医は、若冲の絵を「自閉スペクトラム特性」の観点で語ってました。自閉症スペクトラムは細かいところに注目して全体を見ないっていう特徴があります。これを「細部への焦点化」というんですけども、全体を俯瞰するように総合的に見るんじゃなくて、細かいところだけに焦点を当てて集中するという見方をすることがあります。若冲も、やはりそういう特性を持っていたのではないか。たとえば「南天雄鶏図」というのがあります。主題は鶏でしょうけれど、背景の南天と同じ密度やエネルギーをもって強調されているので、背景と主題の差があまりないんですね。南天の実にしても一つ一つがかなり細かく描き分けられていて、中には実の一つが熟しすぎて、ちょっと黄色いところが出ている。そういうところまで描き分けてるんですね。そういう「細部への焦点化」というのがはっきりと見られます。もう1つは「反復繰り返し」と言いまして、驚異的な集中力をもって同じことを繰り返していく、というのも特徴なんですね。そういうのが若冲の作品の中に垣間見られるということが言えます。この説明を聞いて、若冲とルソーの秘密が分かったというより、「アストリッドとラファエル」の描写に合点がいきましたwなるほど自閉症スペクトラムって、そういうことなのね。伊藤若冲『動植綵絵 南天雄鶏図』江戸時代(18世紀) 皇居三の丸尚蔵館皇居三の丸尚蔵館にて「皇居三の丸尚蔵館 開館記念展 皇室のみやび―受け継ぐ美―」が開催されます。2023年11月3日(金・祝)~2024年6月23日(日) pic.twitter.com/QHfsc0539A— 美術ファン@世界の名画 (@bijutsufan) October 10, 2023華園力は、「伊藤若冲:創造性の地下水脈としての自閉スペクトラム特性」という論文を2019年に発表して、若冲の絵画表現に《特定の発達特性をもつ人との共通性》を指摘し、以降、《認知特性とアート表現の関わり》を研究してるとのこと。以下の論文もあるようです。アート表現に認められる自閉スペクトラム特性─創造性の源泉として─自閉スペクトラムがヴィジュアルアートの表現に及ぼす影響を、その行動表現型や認知表現型の特徴との関連から分析した。伊藤若冲を主とした自閉スペクトラム特性の強いアーティストたちの作品を取り上げ、そこにみられる特有の表現を、細部への焦点化、多重視点、表情認知の弱さ、反復繰り返しという4つの徴標から読み解き、背景にある認知特性や神経基盤について推考した。さらに、ヴィジュアルアートにおける創造性に自閉スペクトラム特性がどのように関与しているのかを考察した。https://arcmedium.co.jp/products/detail.php?product_id=2862◇一方、高階秀爾は次のように書いてます。絵画の歴史には、時に奇蹟としか言いようのない不思議が起こることがある。様式の発展とか時代の動きなどというものとはまったく無関係に、思いがけない傑作が、まるで別の星の世界から突然やってきたかのように、われわれの目の前に出現する場合がある。印象派以前と以後の様式の断絶は、エキゾチズムの影響(具体的にはパリ万博の影響)ですよね。同じことは音楽の印象派にもいえる。日本の北斎らが、西欧近代の影響を受けて遠近法を取り入れたのとは裏腹に、西欧の印象派の人たちは、遠近法を否定して、二次元表現の可能性を追求しはじめた。平面で三次元世界を再現する西欧絵画の伝統を放棄した。これは東欧やアジアやアフリカの影響ですよね。あくまで非西欧世界の絵画は、平面芸術=デザインの可能性を追求してきたわけだから。◇しかし、辻惟雄が言うところの「奇想」や、高階秀爾が言うところの「奇蹟」は、印象派が西欧美術の伝統を破ったこととは意味合いが違う。若冲やルソーの特徴は、むしろ異常なまでに微視的なリアリズムであって、アジアの伝統的な様式美をも、印象派の潮流をも逸脱するような偏執症的な過激さです。The Sleeping Gypsy https://t.co/mYjeLUSpDQ pic.twitter.com/LW9KIj8cIT— Henri Rousseau (@artrousseau) February 9, 2024 The Dream https://t.co/bRn83FNLo1 pic.twitter.com/Nq9LhTmoXi— Henri Rousseau (@artrousseau) April 10, 2024◇なお、第1週の対談では、曽我蕭白の「群仙図屏風」が取り上げられ、さらに画狂老人・北斎漫画の関連で、「狂(アナーキー)」と「漫」についても触れられたのだけど、そのテーマが第2週で掘り下げられなかったのは残念。重要文化財《群仙図屏風》1764年 文化庁蔵今日の蕭白研究はこの作品から始まったと言っても過言ではない!さらには、近世美術史のバイブル・辻惟雄著『奇想の系譜』の原点ともなった蕭白の代表作。何としてでもご覧ください!#蕭白#群仙図屏風#江戸絵画#奇想#愛知県美術館#前期展示 pic.twitter.com/O3JEWwzfbc— 曽我蕭白展 公式 (@shohaku2021) October 9, 2021
2024.06.10
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CBCとNetflixによる「アンという名の少女」は、シーズン3で中断したまま、制作が止まっています。一部では《先住民問題》を扱ったことが、打ち切りの原因ではないか、とも噂されています。◇しかし、先住民問題を扱うのは、当初からの既定方針だったはずです。たとえば、すでにシーズン1の第5話では、学校を無断でサボっていたアンが、ひそかに「イギリスとカナダの歴史」という本を読み、偶然ページを開いたサスカチュワン州の歴史を学んでいます。これは、あきらかに、その後の伏線です。また、シーズン2の第2話では、下宿人のダンロップが、ダイアナのピアノ伴奏で、アリス・ホーソーンの「The Friends We Love」という曲を歌うのですが、わたしが気になっていたのは、アリス・ホーソーン(=セプティマス・ウィナー)が、じつは「10人のインディアン」の作者でもあったということです。この曲のもともとの歌詞は、インディアンの子供がひとりずつ消えていく恐ろしい内容です。◇今年の5~6月にかけて、カナダの先住民寄宿学校の跡地において、子どもの遺骨や墓が大量に発見されたそうです。先住民寄宿学校というのは、事実上の強制収容所だったのですが、まさに「10人のインディアン」で歌われているような、恐ろしい歴史が存在したことが裏付けられつつあります。ブリティッシュコロンビア州では182の墓と251人の遺骨が、サスカチュワン州では751もの墓が見つかったそうです。彼らの死因については報じられていません。https://www.tokyo-np.co.jp/article/115351近年のカナダ政府は、こうした歴史の調査に積極的に取り組んでおり、それを一般に公表したうえで、公式な反省や謝罪も行ってきました。カナダ政府も、CBC公共放送も、けっして歴史を隠蔽しようとしているわけではありません。したがって、「アンという名の少女」の制作打ち切りの背景に、負の歴史を隠蔽しようとするカナダ側の意図があるとは考えにくい。むしろ、下記の年表を見れば分かるように、制作中止が発表された2019年の時点でいえば、米側(トランプ政権)のほうが後ろ向きの姿勢を示していました。まさに、この時期、米政府とカナダ政府の方針にズレが生じていたことが分かります。20082009201520172018201920202021スティーブン・ハーパー首相が過去の先住民への扱いを謝罪。真実和解委員会(TRC)が発足。米オバマ大統領が先住民族への過去の暴力や虐待を認めて謝罪する法案に署名。ジャスティン・トルドーが首相に就任。TRCが最終報告書を発表し、当時の政策を「文化的なジェノサイド」だったと認める。ドナルド・トランプが米大統領に就任。CBCで「アンという名の少女/シーズン1」が放送、Netflixで世界配信。CBCで「シーズン2」が放送、Netflixで世界配信。米トランプ大統領が先住民族への差別発言で抗議を受ける。CBCの社長が、Netflixとの共同製作をやめると発言。CBCで「シーズン3」が放送。Netflixで「シーズン3」が世界配信。NHKで「シーズン1」が放送。ジョー・バイデンが米大統領に就任。先住民寄宿学校の跡地で大量の子どもの遺骨や墓が発見される。NHKで「シーズン2」が放送。NHKエンタープライズで「シーズン3」までディスク化。トランプ政権からバイデン政権に変わったことは、CBCとNetflixの関係にも変化をもたらすかもしれません。かりにドラマの制作が再開されることになれば、より一層、過去の負の歴史に向き合う必要が強まるでしょう。ちなみに、モンゴメリの「赤毛のアン」は、村岡花子が1952年に邦訳して以来、とりわけ日本において高い人気を誇ってきました。朝ドラの「花子とアン」も、その関連作品だといえます。したがって、「アンという名の少女」がNHKで放送され、それが日本で反響を呼ぶことは、大きな意味をもちます。原作の評価と同様に、ドラマの評価も多くを日本に負っています。◇話を戻しますが、先住民に対する残虐な同化政策を推進したのは、カナダ初代首相のジョン・A・マクドナルド(保守党)でした。プリンスエドワード島のシャーロットタウンにも、彼の銅像があったそうですが、抗議を受けて先ごろ撤去されたとのこと。なぜシャーロットタウンに彼の銅像があったのか分かりませんが、(1864年のシャーロットタウン会議を記念したものかもしれません)モンゴメリの「赤毛のアン」原作には、アヴォンリー村の住民のほとんどが保守党支持者だったとあります。おそらく当時は彼の政策が広く支持されたのでしょう。なお、シーズン1の第6話では、マリラたちが首相演説を聞きにシャーロットタウンに出かけていますが、ドラマの時代設定に重なる1896年ごろには政権が交代していて、自由党のウィルフリッド・ローリエが首相に就任しています。◇北米で先住民寄宿学校を運営していたのは、キリスト教会でした。ただし、それはアヴォンリーの人々が信仰していた長老派教会ではなく、ケベック州のフランス系住民などが信仰していたカトリック教会です。北米においては少数派のキリスト教徒たちですね。その本部は、いうまでもなくバチカンです。カトリック教徒は、イギリス系よりもフランス系・スペイン系の白人に多いので、北米大陸においては北部よりも南部のほうに多く、さらに北米大陸よりも南米大陸のほうに多いわけですが、彼らはしばしば黒人や先住民に対して残虐な政策をとっています。もちろん、長老派のようなプロテスタントの人々も、黒人や先住民に対して差別的だったとは思いますが、どちらかと言うと、保守的なプロテスタントは、異人種・異民族に対して距離をとって生活する傾向が強く、そのぶんだけ黒人や先住民に対しても暴力的になりにくく、また奴隷制への依存も小さかったために、プロテスタントの多い北部地域は、カトリックの多い南部地域よりも、早い時期に奴隷制を終わらせることができました。これに対し、カトリックの人々は、なまじ黒人や先住民との生活圏域が近いだけに、しばしば残虐にもなりやすいし、また混血もしやすいのです。北米よりも南米のほうが混血割合が多いのはそのためです。古代からの歴史を考えてみても、ヨーロッパ北部に住むゲルマン人やアングロサクソンに比べて、地中海沿岸にすむラテン人のほうが、はるかにアフリカ人やアラブ人との生活圏域が近かったし、そのぶんだけ奴隷への依存度も高かったのです。
2021.12.25
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先週のNHK俳句で、「一物仕立て」についての解説がありました。講師は櫂未知子。いわく、一物仕立てとは、「季語そのもの(だけ)で一句を詠むこと」だそうです。…わたしはいままで、 ワンカットの句:一物仕立て ツーカットの句:取り合わせだと形式的に理解していましたが、(つまり「切れ」の有り無しだけで見分けていた)そういう単純な認識では間違いなんですね!…(^^;たとえワンカットの句であっても、一物仕立てとは言えない句が沢山あるっぽい。◇いままでの自分の記事を見直すと、わたしは以下のような句を「一物仕立て」と見なしている。1.海苔篊のりひびの等間隔に暮れかかる(フルポン村上)2.縦横に斜めに子らの昼寝かな(梅沢富美男)3.遠足のリュックの底にチョコの染み(森口瑤子)4.春愁をくしゃと丸めて可燃ごみ(梅沢富美男)5.永らえて短夜をなほ持て余す(梅沢富美男)6.しまったとじわり汗ばむ三尺寝(中村ゆりか)7.扇風機持つ手甘噛む仔猫たち(しょこたん)8.夏立ちぬ バタークリーム強情で(梅沢富美男)9.とぅるとぅるの求肥に透けている苺(千原ジュニア)10.寅の尾へ迷路をたどる年賀状(フルポン村上をわたしが添削)しかし、すくなくとも3,6,7,8などは、季語そのものを詠んだ「一物仕立て」とは言えないし、そのほかの句も、ちょっと微妙かもしれません。◇まあ、こういう誤解によって、句の評価や作り方まで変わるわけではないけれど、とりあえず、これを機に過去の記事を訂正しておきます…。ちなみに、わたしは今のところ、 2カットの句:取り合わせ/二物衝撃だと形式的に認識してるのだけれど、これが正しいのかどうかも、正直よく分かりません。↓こちらのサイトによると、https://weekly-haiku.blogspot.com/2009/05/10_10.html形式上はツーカットだとしても、実質的に一物仕立てといえる句があるらしい…たとえば、以前のプレバトでも、1位になった丘みどりの次の句がありました。夏の雲 サイドミラーにひしめきぬこれを見て、上五でカットが切れていると思う人はいるはずです。でも、この句は、実質的にはワンカットの一物仕立てです。《上五》と《中七・下五》は、《主語》と《述語》の関係にあるわけなので、上五はじつは名詞止めで切れているのではなく、たんに主格の助詞「が/の」が省略されているにすぎない。にもかかわらず、こういうときに「夏雲や」と切れ字を使う人さえ見かけます。そうなると、完全にカットは切れるわけですが、それでも意外と違和感なく読めてしまったりする自分もいます。(^^;そういう句がはたして容認されるのかどうか、ちょっと判断がつきかねるのですが、とりあえず、いまのわたしなら、丘みどりの句は「夏雲の」と直します。
2022.02.03
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わたしは、前回のプレバト俳句「肉まん」の回(1/27放送分)で、名人3人の句について「句またがりではあるものの、破調とまでは言えない」みたいなテキトーな書き方をしたのですが、これには理由があります。どうやら句またがりには2通りの定義があるらしいのです。◇夏井先生は、「中七の途中で意味の切れ目があるのが句またがり」だと言ってますが、これに対して、Wikipediaには、「文節の終わりと句の終わりが一致しないのが句またがり」だとする小池光の定義が紹介してあって、国語辞典なども、そのような定義を採用しています。わたし自身は、いままで、あまり厳密に考えてきませんでしたが、自分の過去の記事をあらためて見直してみたら、ほとんど後者の定義で「句またがり」の語を使っていました。つまり、句またがりには、1.切れの句またがり2.文節の句またがりという2通りの定義があるのですね。なお、文節というのは、僕はね、明日のね、朝ね、バスでね 、東京にね、行くよ。というように区切れる単位のことです。◇たとえば、堀未央奈の《独立の夜やゴッホの星月夜》の場合、[どくりつの] [よるやゴッホの] [ほしづきよ]どくりつの、よるや。ゴッホの、ほしづきよ…と、文節の位置はズレていませんが、切れ(句点)の位置が中七の途中にあってズレています。夏井先生ならこれを「句またがり」と呼ぶはずですが、小池光はこれを「句またがり」とは呼ばないのでしょう。※なお、小池光は「句割れ」と呼んでいたようです。逆に、フルポン村上の《卒業や階段に階段の影》の場合、[そつぎょうや] [かいだんにかい] [だんのかげ]そつぎょうや。かいだんに、かいだんの、かげ…と、文節の位置が「かい/だんの」のところでズレていますが、切れ(句点)の位置は上五の終わりでズレていません。松尾芭蕉の《海暮れて鴨の声ほのかに白し》もこれと同じで、[うみくれて] [かものこえほの] [かにしろし]うみ、くれて、かもの、こえ、ほのかに、しろし…と、文節の位置が「ほの/かに」のところでズレています。この句に切れはないので、切れの問題ではありません。小池光ならこれを「句またがり」と呼ぶはずですが、夏井先生なら、もしかすると「破調」と呼ぶのかもしれません。◇切れというのは句点(ピリオド)に相当するものですが、Wikipediaによれば、シェイクスピアなどの英詩の場合も、句読点の位置が《行ぎょう》を跨ぐことを「句またがり」と呼ぶのであって、つまりは切れの位置こそが重要であり、文節は関係ないようです。そう考えると、むしろ夏井先生の定義のほうが本来的であって、小池光のような辞書的な定義が特殊なのだなと思う。◇そのうえで、2つの考え方のどちらが正しいというべきか??わたしがそれを決める資格はありませんが、はたして どちらのほうが便利な定義なのか でいえば、これは圧倒的に夏井先生の定義のほうが便利です。というのも、この定義にしたがえば、次の4種類の定型くずしを、スッキリ明快に分類できるからです。1.字あまり/字たらず:定型を基礎にした字数の過不足2.句またがり :切れのズレ3.破調 :文節のズレ4.自由律 :文節のズレ+総数17音の逸脱※この定義が正しいと言いたいわけじゃありません。でも、明快だし便利だと思う。その一方、小池光の定義にしたがうと、2~4の分類がひとつずつ下にずれるので、自由律の定義が出来なくなってしまうし、切れのズレを言い表す概念もなくなってしまいます。※前述のとおり、小池光は切れのズレのことを「句割れ」と呼んでいました。◇なので、わたしも、夏井先生の定義にしたがおうとは思うのですが、そうすると、前回の名人3人の句は、すべて「破調」だということになります。冬の路地裏に昭和が捨ててある(立川志らく)白鳥の波紋や 御御籤をひらく(フルポン村上)肉饅どさどさ 黄さんの手真つ赤(中田喜子)フルポン村上と中田喜子の句は、「破調」であり、なおかつ「句またがり」でもある。…ただ、村上の句にかんして言うと、たかだか1音ズレただけで、あえて「破調」と呼ぶ気はしないし、志らくの句についても、もともと「路地裏」という語は「路地」+「裏」の合成語なので、そこで切ろうと思えば切れないこともないし、そうすればリズムもさほど崩れないし、これも、わざわざ「破調」と呼ぶ気はしませんでした。もっとも、辞書的な意味における「破調」とは、字余り・字足らず・文節のズレをすべて含む広い概念なので、これらを破調と言ってぜんぜん間違いではないはずだけど、わざわざ「破調の句ですね」と言うほどでもないかなあ、って感じ。さっきの村上の「階段」とか芭蕉の「海暮れて」の句も、あえて「破調の句」に分類するのは、ちょっと気が引ける。となると、やはり「句またがり」とだけ言って済ませておきたい。まあ、そこらへんは程度の問題というか、たんなる感覚の問題というか、わりとテキトーな分類です。◇追記:この記事を書いた直後、たまたまNHK俳句で「句またがり」の解説がありました。講師は片山由美子。いわく、句またがりとは、・ひとつの言葉やフレーズが、上五から中七へ、あるいは中七から下五へまたがってること。・破調とまたちょっと違う。あくまでも五七五のなかで行われるもの。・音楽でいうとシンコペーションみたいなもの。ズレる、ひっくり返る、弱拍が強くなる感じ。・違和感によって強調されるポイントが逆にはっきりする。それがシンコペーションの効果。…と、これまた独特の解説でした(笑)。芭蕉の句についても、 海暮れて ほのかに白し 鴨の声とすれば成立するのに、あえて、 海暮れて 鴨の声 ほのかに白しとしたのは、ひっくり返して遊びたかったのだ、と。そのうえで、以下の3句のうち、○が句またがりで、×は句またがりではない、とも。○ むさしのゝ空真青なる落葉かな(水原秋桜子)× 山又山山桜又山桜(阿波野青畝)○ さくら咲きあふれて海へ雄物川(森澄雄)これを受けて、ゲストのいとうせいこうも、 近松門左衛門の浄瑠璃でも、よくリズムを変化させる。 大夫はそれを読みにくいと嫌がるが、聴いてるほうは飽きない。などと話していました。片山由美子の解説は、いつもボヤッとして要領を得ないのですが、今回も、論理的に納得するのはかなり困難でした。でも、話としては面白かったです。
2022.02.05
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テレ朝「日曜の夜ぐらいは…」が終了。思ったほどの波乱万丈もなく、あっという間に最終回を迎えてしまった感じ。しかし、最後は、単純にハッピーエンドのめでたしめでたし…でもなく、そこから先の展開をあえて描かずに、主人公の希望を思い巡らせるだけで終わりました。カフェ経営で生活ができるようになったわけでもなく、この先ずっと経営が上手くいくかどうかもわからない。6人の関係がずっと良好でいられるかもわからない。またバカ父やバカ母が金をせびりに来ないとも限らない。◇この終わり方は、はじめは自分の幸福を信じられなかった主人公がようやく前向きな希望を思い描けるまでに変化した…という意味でもあるけれど、逆に、うがった見方をすれば、じつは脚本家自身も絵に描いたようなファンタジーは信じきれていない…ってことの表れでもあると思う。おそらく岡田惠和は、祈りのような気持ちで書いていたのでしょう。そのせいか、どこか痛切な印象もあった最終回でした。◇もし続編があるのなら、カフェ経営のなかで起こるいろんな難題や、6人の擬似家族的コミュニティのその後の展開を、悲喜こもごもに描いてもいいんじゃないでしょうか。なんなら「渡鬼」みたいにシリーズ化するとか(笑)。…ちなみに、最終回の矢田亜希子はなかなか良かったなあ、と思います。彼女のキャラに合っていて印象に残りました。このシーン、矢田亜希子がどこにいるのか最後まで謎だった… 野原に椅子おいて座ってる人って …います?(笑)
2023.07.05
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ここのところ、由貴&七瀬の共演とか、萌歌&裕貴の共演が続いてたから、なんとなく2人にも親近感をもってたけど、「やっぱり裕貴くんは川口春奈とお似合いなのでは?」…なーんて勝手に思ってたのよね~(^^;斉藤由貴&西野七瀬山田裕貴&上白石萌歌川口春奈&山田裕貴でも、そういえば「ハコヅメ」で共演してたよね~。本人もいうように、たしかに西野七瀬のほうが、ちょっと年上に見えていた。ちなみに…このシーンはまったく覚えてなかった!— moca (@izoneee112) July 5, 2023西野はスピード結婚タイプらしいけど失敗するそして 2023年が1番大変な年 大丈夫か #西野七瀬 #山田裕貴 #交際報道 pic.twitter.com/Z2YdoXfolM— あ。 (@abcdefghi_1017) July 5, 2023
2023.07.05
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乳房切除す母よ芒の先に絮 黒ぶどう甘やか母の背にほくろ 発熱の母月光の車椅子 薄月夜母の電卓スタッカート 母の背は硬く娘を待つ秋夜 秋湿り添い寝の母の生返事 手羽を煮る小さき背中や秋彼岸 門付けの母に背負われ蚯蚓鳴くプレバト俳句。お題は「母の背中」。句材はどれも面白かったのだけど、形式的に理解しがたいものが多かった。◇馬場典子。秋湿り 添い寝の母の生返事秋の蚊帳 母の背中の生返事(添削後)個人的には、これがいちばん良かったと思うけど、残念ながら6位の予選落ち。母のけだるい態度を季語に託しましたが、逆に「季語が近すぎる」との理由で減点。添削句のほうは、出来の良し悪し以前に、実体験ではない創作になってるので、添削というよりは改作ですね。◇森迫永依。薄月夜 母の電卓スタッカート星月夜 母の電卓スタッカート(添削後)星流る 母の電卓スタッカート(添削後)ぎりぎりの4位で予選通過。下五「スタッカート」の比喩の是非です。ぼんやりした視界の中に、音響だけを際立たせる意図だったのでしょうが、こちらは「季語と噛み合わない」との理由で減点。たしかに「スタッカート」には明朗な印象があるので、情景も明るいほうが響き合うとはいえる。つまり、馬場典子は季語に寄せすぎて減点。森迫永依は季語との対比を狙って減点。この査定に同意するかは人それぞれでしょう。◇森口瑤子。黒ぶどう甘やか 母の背にほくろ黒葡萄あまやか 母の背にほくろ(添削後)これが2位でしたが…まず疑問なのは、葡萄の季節は秋なのに、なぜ母親が裸なのか?ってこと。なおかつ、作者は「母のほくろが色っぽかった」と言うけど、もしブヨブヨふくれた醜いほくろだと解釈したら、葡萄まで不味くなりそうです。いずれにせよ、字面だけでは、取り合わせの意図が分かりにくい。◇犬山紙子。発熱の母 月光の車椅子これが3位でしたが…中七に意味の切れ目があるとのことなので、一方に「発熱した母」が寝ていて、他方に「冷たい月光に照らされた車椅子」がある、という解釈になるはず。しかし、作者の説明によれば、発熱した母は車椅子に座ってる、とのこと。それなら二句一章に分けるべきではない。調べは崩れますが、その内容に則して書くならば、月夜の車椅子に発熱の母のような一句一章になるはずです。◇キスマイ千賀。手羽を煮る小ちさき背中や 秋彼岸手羽を煮る母よ 厨のちちろ虫(添削後)手羽を煮る母よ 時雨の過よぎる窓(添削後)これは予選落ち。季語「秋彼岸」の是非ですね。ジュニアが言ったように、「亡くなった人の好物が鶏の手羽だった」と解釈すれば納得できるかもしれません。しかし、仏教的な通念からすると、「彼岸」と「肉食」は似つかわしくないし、どうも季語のミスマッチ感が否めない。なお、添削について一言いえば、現代の台所にコオロギなんていないし、もしいたならば、たんなる駆除対象です。◇清水アナ(Twitter)。秋の暮 出発ゲートへ向く母よ秋の暮 出発ゲートへ向かう母(添削後)くるりと背中を向けた瞬間だったのかな。そう考えると、原句の「向く」と添削の「向かう」では、やや映像が異なるのですが、それでも「向く」を使うのはちょっと難しい。助詞も「へ」or「を」で迷うところ。動詞「向く」には「を」を使うのが一般的だけど、母が旅立つのか迎えに来たのかが分かりにくくなりますね。/10月5日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しい!!!!#プレバト #俳句 #MBS #TBS pic.twitter.com/9630BpN0qZ— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 29, 2023◇中田喜子。母の背は硬く 娘を待つ秋夜母の背は硬し 吾を待つ秋夜の背(添削後)5位の予選落ち。第一に、主語の問題があります。形容詞「硬し」と動詞「待つ」の主語が、どちらも「母の背」であるのなら、母の背の硬く娘を待つ秋夜と一句一章になるはずですが、作者の説明によると、形容詞「硬し」の主語は「母の背」で、動詞「待つ」の主語は「母」のようです。つまり、主語が違ってるのに後者を省略している。そのうえ「硬くあり」を省略して、連用形のように「硬く」と切ってるので、同じ主語による「硬く待つ」との誤読につながる。主語が違うのなら、娘待つ母の背硬し 秋の夜と書けば済む話です。…第二に、主観の問題があります。この句は第三者の視点で書かれてますが、作者の説明によれば、母の背が「硬し」というのは客観写生ではなく、娘(=自分)の主観なのだと。第三者の視点で書かれてるのに、なぜ娘の主観が入ってくるのか…って話です。作者としては、「帰りの遅い自分を待つ母の背中は怒っていた」という主旨で詠んだらしいのですが、字面からは、「娘を心配して待ちわびる母の背中は年老いて強張っている」としか読めません。かりに「娘」を一人称にして、連用形と誤読させる「硬く」を終止形にすれば、我を待つ母の背硬し 秋の夜と出来ますが、それでも「硬し」が怒りの描写だとは読めない。なぜなら、俳句は客観写生と解釈するのが基本だからです。なお、添削では、一人称の「吾」に直して余った2音分で、なぜか「背」を2度重ねていますが、ただの音数合わせとしか思えないし、下手すると「もう一人の背中」と誤読されかねません。◇立川志らく。門付かどづけの母に背負われ蚯蚓みみず鳴く門付けの母よ 真昼を鳴く蚯蚓(添削後)最下位の予選落ちです。これまた主語の違う動詞を連用形でつないでいる。たしかに日本語は一人称の主語を省略できるけど、散文で「母に背負われミミズが鳴く」と書いてみれば、まるでミミズが母に背負われているように見えるはず。たとえば、門付けの母が子負えば蚯蚓鳴くのような形なら主語の問題は解消されます。◇春風亭昇吉。乳房切除す 母よ 芒すすきの先に絮わたこれが1位でしたが、なかなかの問題作!上7字余りの三段切れです。ほぼ自由律と言っていい。作者は「ちぶさ」と読ませていますが、医療的な読み方なら「にゅうぼう」なので、その場合は上8の字余りになります。一概に否定はしませんが、あえてこの形にする必然性があるのかどうか。…より具体的にいえば、真ん中に「母よ」の呼びかけを入れる必然性があるのか。その是非が問われるところ。たとえば、乳房切る母と芒の先の絮とすれば定型17音になるし、乳房切りし母 芒の先に絮とすれば句またがり17音になります。また、下五の「先に」が不要だと考えれば、乳房なき母や 芒の絮揺れるのようにも出来ます。なお、俳句の動詞は現在形にするのが基本ですが、この句は手術の現場を描いてるわけではないので、手術前なら「乳房切る」、手術後なら「乳房切りし」「乳房なき」となるはずです。
2023.10.09
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カンテレ「トキコイ」第3話。時空賊マギー&キケロが登場?!通常なら「Maggy & Cicero」という綴りになるけど、張り紙では「MAGI & KIKERO」になってる。どう考えても「MEGU & KAKERU」の別名よねw◇常盤廻めぐ&井浦翔かけるは、転生した芳山和子&ケン・ソゴルと思ってましたが、時間の辻褄合わせをするべく犯罪者になった??実際、クローン技術を使えば、過去人と未来人の自由恋愛も可能になりますね。過去へ来たときの挨拶。…カップルの強盗といえば、ボニー&クライドのことも思い浮かびます。1930年代のテキサスの殺人強盗犯。彼らをモデルにした、1967年の映画の邦題は「俺たちに明日はない」。ちなみに、1965年のゴダールの「気狂いピエロ」も、やはり殺人強盗をした男女の逃避行の話で、ライオネル・ホワイトの原作には、未来がなく《あるのは現在だけ》とのセリフがあります。でも、マギー&キケロは、現在だけに縛られることなく、過去から未来までを自在に飛び回るのね。なお、ボニー&クライドを題材にした曲はたくさんあって、映画が公開された1967年には、ジョージー・フェイム(英)の曲がヒットして、翌1968年にも、ブリジット・バルドー&セルジュ・ゲンスブール(仏)やマール・ハガード(米)の曲がヒットしてます。2003年にはビヨンセ&ジェイZの曲もある。ビヨンセはテキサス出身だから地元のネタですね!アントワーヌ・デュアメルの美しいテーマ曲。
2023.10.25
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TBS「A-Studio+」杉咲花の回で、萌歌との親交について話がありました。やはり出会いは2019年の「いだてん」だそうです。共演シーンはなかったけど、撮影終了後の打ち上げのとき、花ちゃん推しだった萌歌がアタックして、ライン交換して自宅まで遊びに行ったとのこと。ちなみに、橋本愛も「いだてん」以来の仲だそうです。今夜の #Aスタプラス ゲストは #杉咲花 さん🌸#笑福亭鶴瓶 は映画『 #市子 』から#戸田彬弘 監督と #若葉竜也 さんに取材実は“植物が怖い?”🪴意外な弱点を若葉さんが告白🤭出演オファーは監督からの直筆手紙?✉️映画への熱い思いが語られる!さらに大好きなアーティストからサプライズが🥳 pic.twitter.com/eRjuMMsjpW— A-Studio+ (Aスタプラス、Aスタジオ) (@a_studio_tbs) December 1, 2023今年のWOWOWドラマ「杉咲花の撮休」第1話で2人は共演。演出は、なにかと萌歌に縁のある松居大悟。一方、第5話には橋本愛が出演してて、こんどの萌音の映画を撮った三宅唱が演出してます。『杉咲花の撮休』上白石萌歌、光石研、橋本愛らメインキャスト発表 主題歌はChilli Beans.が担当(動画あり)https://t.co/XGyHjiNfpN#杉咲花の撮休 #杉咲花 #上白石萌歌 #光石研 #橋本愛 #ChilliBeans— ぴあ 音楽編集部 (@OngakuPia) December 20, 2022このドラマの放送前には、NHK「土スタ」の杉咲花の回で萌歌のコメント出演がありました。↓そのときの記事にも書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202207120000/もかはなの共通点はおもに音楽。#上白石萌歌 #杉咲花 https://t.co/phm22gqznN pic.twitter.com/0CZEMGI0r8— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 25, 20232人でandymoriの聖地「ハンサム食堂」にも行ったっぽい。ベトナム料理と言ってたけど、正確にはタイ料理屋です。雑誌「popeye」7月号で女優、歌手の上白石萌歌さんがハンサム食堂のオススメ料理紹介してくださいました、ありがとうございました🙏さてどの料理でしょうか?是非チェックしてみてくださいね👍 pic.twitter.com/hgP6fNxTRe— 🇹🇭西荻タイ料理 ハンサム食堂 (@handsomedelica) June 10, 2020 本日の「行きつけ教えます!」ゲストは女優の上白石萌歌さんでした!〝20歳の私へ〟と当時10歳の上白石さんが書いた手紙✉️を披露!!その内容は…番組公式Instagramで❗️行きつけ店は、杉並区にあるタイ料理〝ハンサム食堂〟さんのパッタイでした。 pic.twitter.com/8Xl9qfwIps— 【公式】『ノンストップ!』 (@nonstop_fujitv) December 22, 2020萌歌がandymoriを聴きはじめたのは、おそらく萌音が「明るい夜に出かけて」に出演した2018年。オールナイトニッポンのSPラジオドラマです。この物語の題材になったアルコ&ピースANNのED曲が、andymoriの「夢見るバンドワゴン」でした。【豪華キャストが登場】#ANN 50周年スぺシャルラジオドラマ「明るい夜に出かけて」が4/16(月)に放送!菅田将暉さんや上白石萌音さん、山下健二郎さん、花江夏樹さんのほか森山良子さん、春日俊彰さん、欅坂46のメンバーの出演が決定。詳細は放送でご確認くださいね!https://t.co/Z49fSLYvOf pic.twitter.com/jHo23LB2eF— radiko (@radiko_jp) April 2, 2018以下はニッポン放送「good‐night letter」での姉妹の会話。萌音:萌歌ちゃんはandymoriを誰に教えてもらったんですか?萌歌:姉です。https://www.allnightnippon.com/mone/mone_blog/20180604-20997/小山田壮平が九州出身なのもあり、萌歌は姉をも凌ぐ《andymori/小山田壮平推し》に。◇杉咲花の《andymori推し》が判明したのは、それより3年前。2015年の「しゃべくり007」出演時です。ラジオDJをする夢を語り、andymoriの「クラブナイト」を選曲したのですね。2017年には《自分の感情に素直になりたいときに聴く3曲》として、奇妙礼太郎「白鳥のおもちゃ」RADWIMPS「お風呂あがりの」andymori「ジーニー」を挙げてます。以下は、そのときのインタビュー。andymoriは、解散してから好きになったバンドです。小山田さんの歌詞はとてもロマンティックなんです。すごく共感できる言葉がたくさんある。この「ジーニー」という曲のイメージは夕暮れです。私は、日が暮れる時間帯のオレンジの光やゆっくりと空気が流れる感覚がすごく好き。そんな時間に、ふと頭の中に流れるのがこの曲。大事な人のことを想って歌っている歌で、自分も同じだと思えた。好きなアーティストのアルバムは全部聴きたいって思う方ですが、自分の感情と重なる歌と出合えるのは、なかなかないこと。https://ananweb.jp/news/144309/2018年にはラジオDJの夢が実現して、TOKYO-FMの番組「Flower TOKYO」を担当。実際にandymoriの曲をかけまくってたようです。ざっと確認したところ…25 Nov 2018「青い空」31 Mar 2019「ナツメグ」14 Apr 2019「投げKISSをあげるよ」12 May 2019「ユートピア」02 Feb 2020「ゴールデンハンマー」16 Feb 2020「ジーニー」14 Mar 2021「誰にも見つけられない星になれたら」03 May 2020「Peace」25 Apr 2021「兄弟」22 Aug 2021「革命」12 Sep 2021「ハッピーエンド」26 Sep 2021「サンシャイン」…などを選曲してました。そして、萌歌もこの番組を聴いてたようです。上白石萌歌ちゃんも花ちゃんラジオ聴いてるのアツイ〜!!!このおふたりすごくすごく音楽の趣味合うと思うので、是非とも萌歌ちゃんもラジオゲストに来て欲しい〜💐andymori対談してください…✨ #杉咲花のFlowerTOKYO pic.twitter.com/tNmzjHGtNn— yu (@hana_7991) October 7, 2019萌歌も、2021年からJ-WAVE「LOVEFAV」を担当して、RADWIMPS、andymori、奇妙礼太郎はよく選曲してたし、ゲストに小山田壮平を招いての対談もありました。今夜のGYAO! #LOVEFAVゲストは小山田壮平さんです!andymori時代から崇拝していた小山田さんをお迎えできて本当にしあわせでした。💐J-WAVEにてこのあと22:00〜!GYAO!の独占配信もあります。https://t.co/93b16jClwz pic.twitter.com/Pfef9qHLom— 上白石 萌歌 (@moka_____k) August 7, 2021ちなみに、下の記事にも書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202203240000/このころに水嶋凜が「直ちゃんは小学三年生」に出演してて、その主題歌が小山田壮平の「恋はマーブルの海へ」だった。萌歌との対談のなかでも、小山田壮平はドラマの話をして、この主題歌を流しました。◇そして、今年のドラマ『杉咲花の撮休』では、萌歌のギター弾き語りでandymoriの曲を演奏するシーンが。以下は、撮影時のエピソードを語ったインタビュー。杉咲:劇中で萌歌ちゃんが弾き語りしたandymoriの「16」という曲は私も大好きだったのですが、これには奇跡的な裏話があって。脚本が上がった頃はどの曲を弾き語りするのか決まっておらず、松居監督のなかで「16」を歌ってもらいたいと思っていたそうなんです。そして萌歌ちゃんとの顔合わせで、彼女が持参した楽譜ノートの1ページ目も、なんと「16」が書かれてあったという。――それはすごい偶然ですね!杉咲:あの弾き語りのシーンを撮った時に、とても深いところで萌歌ちゃんと繋がることができた気がしたんです。萌歌ちゃんは歌っていて、私はタンバリンを叩きながら、ただただずっとお互いの目が合っていて。それだけで、「なんて儚くて尊い時間なんだろう」と感じて、泣きそうになってしまいました。https://telling.asahi.com/article/14834783なお、ハンサム食堂がきっかけかは分かりませんが、萌歌はタイ料理にもハマってて、TOKYO-FMの「adieu LOCKS!」でもタイ料理愛を語ってます。ちなみに「adieu LOCKS!」は来週が最終回!今日の授業はゴールデンウィークに何も予定がないという生徒のために、私、上白石萌歌が好きなことをたくさん詰め込んだ理想の休日プランをみんなに提案したいと思います!!…18時からタイ料理を作ります。だから、スーパーに買い物に行きます。スーパーで色々と買う物があるだろうから、40分ぐらいいるとして、19時ぐらいにお家に帰って、タイ料理を作り始めます。何作ろうかな~。この前、よくある調味料で、トムヤムクンをお家で作ってみたんですよ。すごく美味しかったからトムヤムクンを作るでしょ。あとは生春巻きも作るでしょー。ビーフがあったらパッタイも作るでしょ!あとは空芯菜も作ろうかな。4品作るとしたら、頑張ったら20時半にはできるから、友だちを呼ぶなり、お姉ちゃんを呼ぶなりして誰かと一緒に食べます。https://www.tfm.co.jp/lock/girls/moka/index.php?itemid=20800私、タイ料理が本当に大好きで、行きつけのタイ料理屋さんがいくつかあって、そこで注文するリストがあるんですけど…!生春巻き、エビのすり身トースト、トムヤムクン、パッタイ、プーパッポンカレーとグリーンカレーはいつも頼むリストにあって、全部頼まないよ!?『今日はこれとこれかな~』みたいな感じで頼んでいます。あと『ラクサ』ってわかりますか?エビベースのスープで、すごく濃厚でちょっと辛くて、そこに中華麺かご飯を入れたりすることもあるのかな?とりあえずヌードル系なんですけど、すごくスパイシーでエビの香りも感じられておいしいんですよ~!なので、今言った私の大好きなタイ料理の本場をぜひ食べてみてほしい!!https://www.tfm.co.jp/lock/girls/moka/index.php?catid=173&page=3もともと萌音もタイとのかかわりがあって、最初はバンク君ことティティ・マハーヨーターラックとの共演。2017年のNHKBSプレミアム佐賀発地域ドラマ『ガタの国から』です。本日鹿島市エイブルホールで、NHK佐賀発地域ドラマ「ガタの国から」プレミアムトークショー開催。上白石萌音さん、ティティ・マハーヨーターラックさんがゲストに来られています。間もなく開演です。 https://t.co/qBfOe4w0wH pic.twitter.com/rxkmzBw0c0— エイブル (@kashimacc) July 2, 2017そして去年は「せかくら」のロケで初めてタイへ行き、バンク君に再会してタイ料理を堪能しています。https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=17421タイ料理って基本的にエビだね。生春巻き、エビのすり身トースト、トムヤムクン、パッタイ、プーパッポンカレー、グリーンカレー、ラクサ。 #adieulocks #上白石萌音 #上白石萌歌 pic.twitter.com/E863ngp6Xk— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 2, 2023 大河「いだてん」つながり。#杉咲花 #橋本愛 #上白石萌歌 #Aスタプラス https://t.co/BggeAe5rSY pic.twitter.com/gLsIi5zhYC— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 3, 2023 WOWOWドラマ「杉咲花の撮休」のインタビューをプレイバック🌸🩵VOL.1 杉咲花 × 松居大悟 https://t.co/gQicMQqBWuVOL.2 杉咲花 × 今泉力哉https://t.co/FjVAGqZ1mHVOL.3 杉咲花 × 三宅唱https://t.co/KywAmc6GTP#杉咲花 さん pic.twitter.com/jDzRkeQeBL— 装苑ONLINE (@fashionjp) December 1, 2023 上白石萌歌、花澤香菜の“娘”に J-WAVEの新感覚ドラマに出演(写真 全8枚)https://t.co/26yBGfGIOy#上白石萌歌 #稲葉友 #花澤香菜 #村上航 #松居大悟 #ラジオ #JWAVE #本折最強さとし #鈴政ゲン #竹田海渡 @moka_____k @lespros_inaba @hanazawa_staff— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) June 19, 2020
2023.12.02
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二階堂ふみ×チェ・ジョンヒョプ「Eye Love You」の最終話です。そもそもミン・ハナさんは、どうやって侑里もテレパスだと知ったんだっけ?予知能力者だから?それとも遠隔テレパスなの?◇ミン・ハナさんが、「テレパスの恋人はかならず死ぬ」とか、「33秒見つめ合ったらテレパスは消える」とか、そういう法則を勝手に信じこみ、自作の絵本に描いたのはいいとしても…その迷信を、登場人物の全員が信じてしまう…ってのはどうなの??しかも、いちばん狂信してたのは、よりによって大学院の教授(=杉本哲太)だよねw生物学的な裏付けでもあったのかい!◇ちなみに、アイヌの「オハイヌ」(空聞き)ってのは、ほんとうに実在する習俗らしいのだけど、そのオハイヌの幻聴能力が、星空の下の「33秒」の見つめ合いで消える…みたいな伝承があるのかどうかは、ネットで調べてみても確認できません。…むしろ、この「33秒」とやらで思い出されるのは、ほかでもなく、あの統一教会の教義なのよねえ。◇どこかで聞いた話だけど、統一教会には妙な数的法則にこだわる教義があって、たとえば教祖たる文鮮明の再臨を、意味不明な周期的ロジックで説明するらしい。そして統一教会は、なぜかしら「3の倍数」を特別視するらしく、> 3は原理数> 三数は安定と調和の数> 三数は天の数、三数は完成数> 神は三数的存在…みたいな考え方があるようなのです。参考:統一教会において3は「原理数」、「三位基台(さんみきだい)」っていう重要な教義もあります→https://t.co/1LGcsubRQw silent hill 「サイレントヒル」はコナミ発売のゲームで映画化もされ、娘シャロンを宗教団体から救うために母が奔走するホラー映画 →wiki https://t.co/SZH0r1wEoc— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) July 17, 2022これはおそらく、キリスト教の「三位一体」から来てるのでしょうけど…こういう妙なロジックに疑念をもつ人は、たぶん統一教会の信者にはならないでしょうね。しかし、今回のドラマの登場人物みたいに、謎のロジックでもすんなり受け入れる人は、統一教会の信者になる資質があるかもしれないww3の倍数 その1。3の倍数 その2。3の倍数 その3。いかにもテキトーな数式。アイヌ伝承のでっちあげ?サブリミナル的な刷り込み?よりによって、このドラマの最後は、「日本人女性がソウルで韓国人男性に抱きつく」というクライマックスを迎えたので、もしや統一教会のメディア戦略なのでは?!…みたいな疑念が思わず頭をよぎったのでした。◇Twitterには「#eyeloveyouファンミ 」みたいなタグが見受けられますが、韓国系アーティストや韓国ドラマに関連して、そうしたファンミーティングが付きものだとすれば、そこが統一教会の勧誘の場になってる可能性は否定できません。かりに統一教会系の団体主催ではなく、一般のファンが主宰するイベントだとしても、そこに教団の勧誘員が潜り込む可能性は十分にありうる。TBSがどういう姿勢でいるのか知りませんが、すくなくとも報道部はそこまでを注視する必要があるし、必要に応じて注意喚起をする責任も負うはずです。ソウルにて日本人女性が韓国人男性に抱きつく。べつに、わたしは嫌韓なわけじゃないし、日本人と韓国人が恋愛するのも自由だし、統一教会にかんしても、基本的に信教は個人の自由だと思うけど、法外な献金をむしり取られるような顛末には、気をつけないといけませんよね。◇◇◇なお、中川大志くんは、今回も、大学時代からヒロインをずっと見守るだけの、なんだか可哀想な噛ませ犬の役どころ!でも、最後はミン・ハナさんとの恋を匂わせたので、こちらは日本人男性&韓国人女性のカップルに??ちなみに、そういう組み合わせって、統一教会でも認められるのかしら?
2024.03.27
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