三鷹、聞いたか、吉祥寺、二子玉川 and Shibata

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2019.02.14
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カテゴリ: TV

NHK BSスペシャル
中国“改革開放”を支えた日本人

40 。いまや中国は、 GDP 世界第 2 位の経済大国に発展した。実は、そのモデルとしたのが日本であった。政財界のトップから建設の現場まで、官民を挙げて改革開放を支援した無数の日本人たち。小松製作所や新日本製鉄などのケースを中心に、日中両国での取材から、知られざる秘話に迫る。




稲山嘉寛、土光敏夫、大来佐武郎 などは、誰もが知る人たちですが、
番組ではそのもとで働いた名もなき若手中堅の人たちを取り上げていました。

小松製作所のTQCや石油プラントの東洋エンジニアリングとこれまで
あまり知られていなかった話が興味深かったです。
そして、今も交流が続いていることも。






中国側では、コマツの指導を受けたエンジン製造の国営企業の工場長や

TQC、PDCAで、生産倍増です。

中国側の指導者としては 鄧小平 でしょうが、
実務を担った副首相の 谷牧 に焦点を当てていました。
ヨーロッパ諸国も視察しましたが、日本がモデルとして最適と鄧小平に進言した人物です。
日本からの技術資金援助交渉に尽力を尽くした谷副首相ですが、
日の丸はためく姿を見て、母親からは 漢奸 (売国奴)と言われたというのは
中国人の被害感情の大きさ根深さを象徴しています。





日清・日露、日中戦争と中国に多大な被害を与えたことを自覚している経済人が
当時相当いたことが、商売以上に中国の近代化に協力した要因と指摘していました。

今盛んに安倍やネット右翼が否定していますが、戦争を経験した人たちは
中国でいかにひどいことをしたかよく知っていたのでしょうね。

体制は違っても中国の安定が、東アジアの安定繁栄につながるとの信念です。

中国からの訪日調査団が、日本共産党と自衛隊以外はすべて調査対象として
その技術や管理を吸収したこと、当時の経済学者のほとんどが マルクス経済学者 だったこと
に驚いたことが、興味深かったです。

極端な貧富の差のない社会、国民のしあわせを優先する政策に感銘を受け、
資本主義では人民が苦しんでいるとの彼らの世界観に疑問が生じたとも述べています。

当時の日本は 世界で一番成功した「社会主義国」 でしたから、
驚くことはなかったのかもしれません。
日本は、モデルにするのに最適な国だったのでしょう。

大来佐武郎を外務大臣に起用した 大平首相 も紹介していましたが、
彼が中国でアヘン売買に関与していたことは、触れられませんでした。
軍隊の残虐行為に反感を覚え軍人嫌いだったなどの良い面だけです。


私が仕事で中国に関わるようになったのは1990年代ですが、
訪問した国有企業はまだ旧態然としていました。
わいろも横行していて、実入りの良い購買部長は人気で男性ばかりでした。

当時の広東省の成長率は25%。
訪問するたびにビルが増え、道路がよくなってゆくのを実感しました。
売り上げも倍々ゲームで生産現場に増産をお願いしましたが、
売りすぎとのお叱りも受けたほどです。

ただ当時の中国は組立産業中心で素材の品質は、まだまだでした。



*香港で一番好きだったホテルからの景色です。


2000年ごろには香港に住み、毎月事務所を構える上海に行っていましたが、
まだ香港と上海との差は、かなりありました。
上海の 5つ星ホテル は10件にも満たず、そのすべてに泊まってみました。
JALも国営企業と組んで5つ星ホテル( 上海中油日航ホテル) を運営していました。




今は、 上海中油陽光大酒店。


日中のGDPが逆転したのは2010年ですから、
まだ日本には余裕がありました。


改革開放は、長い間中国からいろいろなことを学んできた日本が、
初めて中国に技術を教えた事業です。
今も彼らは進んだ国々から貪欲に学んでいます。
他国から学ぶ姿勢 、それが改革開放の一番の成果ではないでしょうか。

経済協力とその意義を示唆するよい番組でした。
豊かになった中国の人たちにも見てもらいたいです。



PS:
番組でこんなやり取りを紹介していました。

中国側:豊富な資源が我が国の強みです。
大来顧問:ひとりあたりで見ればそうとは言えません


中国が豊かになるにつれて、大来の言うとおりになり中国は輸入国になりました。
卓見でした。







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Last updated  2019.02.14 12:19:05
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