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「……凄い甘えだね。雅は一人で何でもできるでしょう」「そうやって、突き放されるのも嫌だ。寂しいもん」 亜季は返答に困った。時々こうして露骨に甘えてきたりするが、通常はぼんやりしていて、人を寄せ付けない感じすらある。むしろ突き放すのはいつも雅のほうだ。勿論、接客時は笑顔だが、時折こうして見せる寂しそうな表情に亜季は心が揺れるのだ。「……寂しくないよ。いつも隣にいるから」「ありがとう。流石、教育係」 その弾んだ声を聞くと、このまま離れられない気がしてしまう。 神様は亜季に試練を与えたのだ。 亜季は入社してすぐに松田に誘われて愛人になった。松田には同じ会社で働く有能な奥様がいるが、性癖が違うので満たされず、週に二回は亜季を誘った。 それにくわえて松田の直属の部下である長谷川とも関係を持っている。長谷川も男性だ。 週に三日は待田と長谷川に使われる。残りの四日は自分の為に使いたいものだが、二人とも曜日を固定せずにいきなり呼び出すので、今の亜季に自由はなかった。この乱れた人間関係のせいで生活のリズムが狂い、遅刻ギリギリの出社になるのだ。 こんな状態で、この三角関係がよく表沙汰にならないなあと亜季は感心している。それか暗黙の了解なのか。二人が同じ日を指定したことは一度もなかった。(変な関係だ。清算するには、この職場を辞めるしか手立てはないだろうな) 亜季は最近よくこう考えていた。半年前までは性癖が同じであり、別段嫌いでもないので付き合っていたが、最近は名を呼ばれると不快な感覚がする。 それには雅の存在が大きかった。 亜季が入社してから半年後にふらりと現れた新人バイトは髪の毛が茶色で明らかに規定違反なのだが、松田が「似合うから許す」と特別待遇で採用したのが吉沢雅だった。 バイト仲間に紹介されたとき、緊張した様子もなく、逆に力が抜けたような感じでいた。「吉沢です。よろしくお願いします」 ぺこりと下げた頭に、皆が注目したのは言うまでもない。規定違反の茶色い髪に、なんとピアスまでしている。「松田マネージャー。髪とかピアスとか、いいんですか?」 既存のバイトが尋ねると松田は頷いた。「吉沢はコスメ売り場の担当にするから、客層にあわせて今時の子でいいのよ。お客が親しみを持つような店員がいてもおかしくない。むしろ、これからは必要だわ」 確かに客層が学生中心なので、客層に合う、今時の容姿の店員がいたら注目されるだろう。 しかし既存のバイトは今まで髪は黒一色・ピアス禁止の規定を順守してきたので、皆が松田の説明に納得しがたい表情をしている。 その中に亜季もいた。亜季が注目したのは皆と同じに容姿が先だったが、履いている靴に驚いた。先の尖ったストリートシューズで、トリプルモンクストラップだ。一見しただけで高価な靴だとわかる。しかもそんな靴は販売の立ち仕事に向かないとさえ思う。 制服のクレリックのシャツにグレーのボトム姿には意外な組み合わせで、亜季は自分が無難なローファーを履いていることに気後れさえした。「吉沢の教育係は、水元。よろしくね」「はい」 亜季は松田と昨日も夜を共にしたが、そんな話は聞いていなかった。しかし指名された以上はやらなければならない。これは仕事だ。「吉沢、挨拶なさい。今日から水元に色々教えて貰うのよ」「はあ」 気の抜けた返事に、亜季は『大丈夫かな、この子』と不安を覚えた。「水元亜季です。よろしくお願いします」 亜季から歩み寄り、右手を差し出そうとして、ふと歩みが止まった。目線が合うのだ。「わ。身長が同じだ」 他の子達も驚いている。「凄い、偶然」 松田も気付いて興味を持った。「吉沢、身長は何センチ?」「百六十五センチです」「水元は?」「百六十四センチだったと思います」 その答えに皆が「一センチの差か」と驚きの声を挙げた。「こんな偶然もあるのねえ。後姿で判別するには髪の色か。まあ、早速仕事を始めて貰いましょう。頼むわよ、水元」「はい」 松田に一礼して「じゃあ、行きましょう」と雅に声を掛ける。「はい。よろしくお願いします」(眠そうな声だけど、きちんと挨拶ができる子なんだな) 二人が連れ立って歩きながら、亜季は気になっていたことを聞いた。「年は、いくつですか?」「二十三です」「あ、同じだ」「え。年上かと思っていました」 雅の反応に苦笑する。亜季は初対面では年上に見られがちなのだ。落ち着いた物腰と大人びた表情が、人にそう思わせるのだろうが、雅はその逆で童顔なので年下にみられやすい。「あ、そうなんだー。同じ年なんですね」 雅が安堵しているのを見て亜季は直感した。『この子とは上手くやっていけそうだ』と。 亜季が雅に売り場の取り扱う商品や、値札の貼り方等を教えていたら飲み込みが早い。聞けば雅は、以前にもスーパーでバイトをした経験があり「流れが同じだから早く慣れそうです」と、何とも心強いことを言った。 実際にレジの操作もすぐに覚えて、接客も真面目に取り組んでいる。相手は学生なので、わざと親しみやすくタメ口で話したりもするが、お客には好評のようだ。雅の周りに人が集まり、色々と話し込む姿が見られた。「流石ね。経験者は何も教えなくて済むから手が掛からなくて助かるわ」 松田が雅を誉めていた。それを聞きながら亜季は『人に押し付けたくせに』と呆れた。「すぐに時給を上げないとね。他所の店に職場変えされたら困るわ」 このお店では能力に応じて時給が変動する。 しかも上司の推薦があれば社員への昇格もあるのだ。 亜季が狙っていたのは正にこれだ。バイトから始めて、頑張れば社員になれる。それでこのお店で働こうと決めたのだが、枕営業をする羽目になるとは思いもしなかった。「今日は裏通りのカフェで待ち合わせね」 松田が小声で亜季に告げると、そそくさとバックルームに入っていった。(この生活を、止めてしまいたい) 相手に対して愛情がないのに付き合うのは苦痛だと気付いた。悩む亜季を救うのが後輩の雅とは、このときは予想すらしなかった。 4話に続きます。長くてすみません…●雨の日はあかん●動けないですね…台風はもう消えたかな。●拍手をありがとうございます●励みになります、ありがとうございます!
2008/06/03
「面倒だから外に出したらいけない?」「泥棒が目をつけて『レジを開けろ』と迫ったらまずいでしょう。防犯の為に中にしまうんだよ」雅が前傾姿勢でレジの鍵を合わせて起動させると、売り場にいた客がちらちらとレジのほうを見始めた。「あ、何だ。結構、人がいるね」 雅と目が合ったお客が嬉しそうに微笑んでいる。それを横目に亜季が襟を指で弾いた。「ちゃんと襟元を締めな。鎖骨が丸見え」「そう?」 襟元のボタンを掛けようとしているが、なかなかできない。「鏡の前じゃないと掛からない」と不器用なことを言うので「もう」と亜季が雅のネックレスをシャツの中に入れた。 互いの顔が近い。頬に息がかかり雅は少し慌てた。「近いよ」「仕方ないでしょう?」 亜季が手際よく第一ボタンを掛ける。「ありがとう。後は自分でやるよ」「そう? 見物されそうだから早くしなよ」「ふーん。ね、亜季サン。今日は良い香りがする」「ああ。……貰いものの香水」 レジにまだお客が来ないのをいいことに、二人は私語を続けていた。「合わないかな?」「そうでもないよ。爽やかな香りだから合うと思う」亜季は『思うじゃなくて』と心の中で呟く。もっと何か言えないかなと期待しては、はぐらかせれているのだ。 水元亜季はこのお店で吉沢雅より半年先輩で、雅の教育係としてコンビを組んでいる。二人とも二十三才でフリーターだ。 亜季は繁華街から離れた県境の辺りに親と住んでおり、雅は隣町で一人暮らしだ。 二人とも電車通勤で通勤時間は雅のほうが短い。だが、二人揃っていつも本気の走りで従業員通用口に駆け込んでくるのだ。「亜季サン。俺、顔が腫れていない?」 雅が襟元のボタンを締めながら、上目遣いで亜季を見る。「は、どうして。まさか熱でもあるの?」 亜季は雅の頬や首筋を眺めた。赤らんでいるのかと心配したのだ。「昨日、寝る前にジュース飲んだから」「……それは、『むくんでない?』と聞くべきでしょう」 正しい日本語を使わない雅に、亜季がお尻を軽く叩く。「ああ、そうか。で、どう?」「言われて見れば頬がパンパン」「うわ。そんな顔をお客さんに見せたくないな。俺、売り場の商品整理でもいい?」「ダメだって! 僕達はコンビなんだから」 亜季が雅を引っ張ってレジに立たせた。「おねがいしまーす」 可愛い声がする。見れば女子高生が三人も並んでいた。「お待たせしました、すみません」 二人はお辞儀をして雅がレジを担当し、亜季が商品を袋に入れるサッカーの担当をする。この二人見たさに来店したお客は一言でも話がしたいのか、目を輝かせて二人の隙を伺う。「ありがとうございます」 先に袋を渡した亜季に、早速食いついた。「何時から働いているんですか?」「僕ですか? お昼過ぎからですね」「そうなんですかー!」 はしゃぐ女子高生に、雅が首を傾げた。「お客様。お会計は二千八百五十円です」「あ! はいっ!」 女子高生がキラキラ光る長財布から一万円札を取り出す。爪にお花をつけている割に器用で、雅は微笑んだ。 お釣りを渡して「ありがとうございます」とお辞儀をすると、女子高生は嬉しそうだ。「吉沢さん。下の名前は雅さんですよね?」「はい。お客様、覚えて下さってありがとうございます」 にっこり微笑むとお辞儀をする。「また、来て下さいね」 小さく手を振ると女子高生は頬が赤くなる。 そして口を押さえながら恥かしそうにレジを去っていく。こんな感じが二十分も続いた。「亜季サンとレジに立つと、きりがないな」 ようやく波が過ぎて安堵すると、雅はそう悪態をつく。「人を呼ぶのは雅だろう」 トップを短く切って全体的にシャギーをいれた髪型の雅は、見た目が派手なのだ。お客に見えないところで亜季が、また雅のお尻を軽く叩いた。「何で?」 口を尖らせる雅に亜季が苦笑した。「なんとなく。叩きたいお尻だから」「ああ、そう」 すっと流してしまう雅に、亜季は肩すかしを食らった気分だ。亜季の心中を知らず、雅は引き出しから雑誌を取り出した。「この雑誌に載ってからだよね。お客さんが急に増えたのって」 雅が手にしているタウン誌の取材を受けたのは一ヶ月前だ。『話題の店員サン・ということで、取材をさせて下さい』と言われ、二人とも短大を卒業してから就職もせずにここでバイトをしているのが後ろめたいので、開口一番に断ったが、松田に掴まり、写真を十枚ほど撮られてインタビューもされた。「ご自分のウリは何ですか?」「ウリ? 自信のあること? なら、髪の毛かなー。セットに三十分かかるし」 平然と答えた雅の耳を松田が引っ張ったのは無理もない。「セットに時間がかかりすぎ! だから遅刻するのねー?」「痛い、松田さん! 違いますよ、ギリギリまで寝ていたいんです!」「社会人として許されないわよ!」 二人がバタバタしている最中に、今度は亜季が「僕も、四、五十分はかかりますね」と答えるので松田の怒りを煽った。 タウン誌には平手打ちされた吉沢と水元の写真は載らずに済んだが、まるでホストクラブ調に金の額縁の中にそれぞれの顔が収まった状態で特集のページができていた。派手な演出は読者の眼を惹いた。 顔が売れた二人は見事に客寄せ効果を発揮して、コスメ売り場の売り上げは上々だ。「忙しくなるのは歓迎だけど、そのうち一人でレジをやれと言われそう。俺は亜季サンがいないと何もできないから困るな」甘えん坊の3話に続きます。ぽちっと押してくださると励みになります。注文しちゃった♪届くのが楽しみ~
2008/06/02
「もう、あなた達! 一緒に住んだら?」 今日も遅刻寸前で慌しくお店に駆け込んできた黒い髪と茶色い髪の二人を、フロアーマネージャーの松田が事務所で叱りつけた。「二人で住めば、どちらかが早く起きて、片方を引っ張って来られるでしょう?」「はあ」 気のない返事をしたのは茶色い髪のほうだ。 まだ眠いのか額に手を当てて俯いている。「こら、吉沢雅! 眠るんじゃないわよ! 人が説教をしているのに目の前で寝るとは、本当にあなたはいい度胸をしているわね」 オネエ言葉を駆使する男・松田が怒りを露わにする。それを見て、黒い髪のほうが隣の茶色い髪の雅を肘で突いた。「起きている?」「うん」 気の抜けた返事をすると足元がふらついて、隣の水元亜季にぶつかった。「顔色が悪いわね?」 ようやく松田が気付いた。「どうしたの、吉沢。体調が悪いの?」 先程とはコロリと変わり、不安げな声で雅に尋ねた。「体調は万全です。ただ、走りすぎました」雅は駅からこのお店まで全力疾走をした後で立たされたので、眩暈を起こしたのだ。「……走りすぎましたって? 駅から、ここまで? 三百メートルはあるわよ、一体何をしているの!」「走らないと、遅刻になるので」 正直な返事に松田は呆れ果てた様子だ。「その遅刻癖を何とかしなさい! 今より五分でも早く家を出ることはできないの?」「すみません。気を付けます」 雅が素直に頭を下げたので、黒い髪の亜季もつられて頭を下げた。「お店の近くに住むことを検討しなさい!」 松田が延々と叱り続けていると、副店長が現れた。「何ごとだい、松田くん。ドアの向こうまできみのオネエ声が聞えているよ。あー、きみ達が原因か。今日も遅刻したの?」「いいえ、間に合いました」 何故か二人の声が揃った。「あはは、気が合うねえ。しかも身長が同じだから、お人形を並べて見ているようだな」「副店長、面白がらないで下さい! 私はこの子達に、毎日血圧を上げさせられているんですよ」 松田が目を三角にして副店長に訴えるが、彼はお気楽な性格のようだ。顎に手を当てて、廊下に立たされた生徒のような二人を眺めて目尻を下げている。「いや、実に面白い。だから、きみの売り場は予算を達成するのだな」「あ、はあ?」 松田が二の句を告げないでいると、副店長は二人に早く売り場に入れと指示を出した。「副店長! 甘すぎます」「仕方ない。あの二人は雑誌に載っちゃったんだから。実際にあの子達を見る為にわざわざお店に足を運ぶお客さんがいるんだよ?」「まさか!」「おや。お客が店に物申す<お客様の声>を読んでいるかい? あの子達に会えて嬉しいだの何だのと、非常に解読しづらいギャル文字が多いんだよ。だから、一分一秒でも早く、売り場に立たせたらいい」「……だからこそ、毎日遅刻ギリギリセーフでは困るんです」 松田が溜息をついて、二人の後を追った。ここはJRの駅前に建つ地上七階のファッションビルだ。駅前という立地条件の良さで学校帰りの学生が客のメインになる。お店側も学生をターゲットに絞り、ファッションビルならではの個性的な売り場作りで異色さを打ち出していた。 一階はアクセサリー売り場。二階がコスメ売り場で、三階は安価なソファー等のインテリアを扱い、四階は本屋とCDショップ、五階と六階はメンズ・レディースの服や靴、雑貨を扱い、七階はカフェだ。正に学生向けの大型専門店と言える。この構成を知らずに来店する客はスーパーと間違えたのか「食料品売り場は何処?」や「お土産屋さんは何階?」と聞く。客から見れば駅前に建つ店なら食料品やお土産等があって当然だが、それに耳を貸さずにあえて異色さを打ち出して成功した。 また、学生相手なので店員は全員二十代と決められている。勿論、店長クラスは団塊世代で待田のようなフロアーマネージャー等の管理職は三十代だが、店頭には立たない。お店を盛り上げるのは他所とは違う選び抜かれた商品と、売り場の若い店員の魅力だ。中でも二階のコスメ売り場にいる、同じ背の男性二人の評判が良い。「ようやく来た! これでお昼に出られるわ。吉沢ちゃんと水元サン、後は頼むわよ」 レジに立っていた宇佐美が二人とハイタッチをして、バックルームに入っていく。レジは売り場の中央に二台ありカウンター式だ。 通常は一台だけ稼働させておき、ピーク時は二台目も稼働する。「あー。静かだね、今日は。さすが平日」 レジから見るコスメ売り場は人がまばらに見えた。シャンプーやコンディショナーの並ぶ奥の棚や、セルフと呼ばれる担当員が付かない化粧品コーナー、それにダイエットグッズも扱うこの売り場は広い。百円のヘアピンから一万八百円のスリムローラーまで品揃えは豊富だ。売り場の構成はドラッグストアに近いが、薬剤師を置かないので薬は扱わない。「また叱られたね。でも僕も早く起きられないからなあ」 亜季がぼやくと雅は笑顔になる。「最近、早く制服に着替えられるようになったよ。最高記録二分ってところかな? お蔭で遅刻にならない」「雅はそれに味を占めて危ない橋を渡るんだな。僕も人のことは言えないけど」 出社したら先ず制服に着替えて、事務所で個人登録カードをスキャンする。これはタイムカードと同じ要領だ。遅刻寸前で駆け込んでも以前より早く着替えられるようになったから平気だと雅は胸を張る。「雅、レジを開けて。ぼんやりしていると、また並ばれちゃうぞ」「そう?」 雅が制服のクレリックのシャツの襟元を外してネックレスを取り出す。そこにレジの鍵が仕込んであるのだ。2話へ続きます。ぽちっと押してくださると励みになります。
2008/06/02
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