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仙台市内の居酒屋で飲んで気に入り、ついに酒店で一升瓶を購入した。■関連する過去の記事 小僧街道踏切(大崎市岩出山)(2023年12月11日)
2024.10.31
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久しぶりに出会った。社会人になりたての頃に買って読んだ。何度か本棚を探して見当たらなかったが、引っ越しに紛れてなくなったのだろう。きのう、図書館で思いがけず目にしたので借りてきた。この表紙の感じ、そうそう、まさにこの本だ。収められている作品は、つぎのとおり。東北新幹線殺人事件 小林久三X橋付近 高城高七月・星の女 都筑道夫妻を愛す 高橋克彦瑠璃色の底 阿刀田高遠い春 藤雪夫人形たちの夜・秋 中井英夫(解説 山前譲)■小林久三他『仙台ミステリー傑作選』、河出書房新社(河出文庫)、1987年
2024.10.24
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かなり前になるが、仙台のロータリー交差点のシリーズで、東仙台五丁目、案内集会所のところを記事にした。・仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日)秋の休日、東仙台駅から歩いて県道(利府街道)を横ぎり、坂を登って細い抜け道を出ると、案内集会所の前に出た。そう、あのロータリーだ。ネコがのっそり歩いていた。■関連する過去の記事(松原街道を中心として) 何事もあわてずいそがずまず相談(シリーズ仙台百景 43)(2024年10月14日)=苦竹の梅田川沿い 平田神社(宮城野区原町二丁目)(2024年08月22日) 原町苦竹の道知るべ石(宮城野区原町三丁目)(2024年08月23日) 平田橋(宮城野区原町三丁目・五丁目)(2024年08月24日) 延慶の碑(平田五郎)の新しい説明板(利府町)(2024年08月17日) パルテノン神殿?(シリーズ仙台百景 42)(2024年01月06日) 遊んではいけません(シリーズ仙台百景 40)(2023年09月10日)=鶴ヶ谷カトリック墓地 比丘尼坂(2023年09月05日) 大須賀森(鶴ヶ谷カトリック墓地)(2023年09月04日) 御立場町(2023年09月02日) 小鶴城跡(2023年09月01日) 利府町の埋蔵文化財(2022年5月7日)=板碑、延慶の碑について 南口新設 変わるか岩切駅周辺(2016年2月14日) 七北田川の自転車道、中野小学校、日和山(2015年11月22日) 今日の七北田川(2015年9月13日) 平田五郎の力試し石のあった神谷川と平田橋を探して(2015年3月28日) 平田五郎と力試し石 画像です(2015年2月27日) 平田五郎と力試し石(2015年2月23日) 仙台のアイヌ語地名(2013年4月18日) 燕沢の地名を考える(再論)(2013年4月14日) 四野山観音堂(2013年4月2日) 多湖の浦と田子(2012年11月8日) 茨田踏切(2011年12月31日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 清水沼のこと(10年9月8日) 七北田川の自転車道を楽しむ(10年5月3日) 岩切城そして仙台市北東部の古城を学ぶ(07年9月4日) 松原街道(07年8月18日) 漂泊の旅 岩切「おくのほそ道」(06年11月4日) 燕沢の名前(06年3月17日) 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城(06年1月25日) 岩切の寺社をめぐる(06年1月3日) 彩雲?でしょうか(シリーズ仙台百景 34)(2011年5月3日) 富士宮やきそば(シリーズ仙台百景 31)(2010年10月17日) 一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) 仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2024.10.14
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梅田川に架かる苦竹橋(松岡街道、中原本通り)から川沿いに堤防道を下っていくと、左手(川側)に苦竹町内とプレートが貼られたプレハブがある。「何事も あわてずいそがず まず相談」その先で道は仙石線ガードをくぐり、新田大橋で梅田川を渡れば新田小学校や小鶴新田駅方面に至る。■シリーズ 仙台百景(こんな企画で100まで続くでしょうか) パルテノン神殿?(シリーズ仙台百景 42)(2024年01月06日) 止まる(シリーズ仙台百景 41)(2024年01月06日) 遊んではいけません(シリーズ仙台百景 40)(2023年09月10日) 旧代ゼミ前(シリーズ仙台百景 39)(2015年10月24日) ペデストリアンデッキのマーク(シリーズ仙台百景 38)(2015年6月2日) send i(シリーズ仙台百景 37)(2015年4月18日) 飲酒運転に、喝!(シリーズ仙台百景 36)(2011年9月24日) みんなのよい食プロジェクト(シリーズ仙台百景 35)(2011年5月14日) 彩雲?でしょうか(シリーズ仙台百景 34)(2011年5月3日) 耀け!!ベガルタ仙台(シリーズ仙台百景 33)(2010年12月26日) 太白トンネル(シリーズ仙台百景 32)(2010年11月23日) 富士宮やきそば(シリーズ仙台百景 31)(2010年10月17日) フェンスのメッセージ(シリーズ仙台百景 30)(2010年2月28日) 宮城刑務所(シリーズ仙台百景 29)(08年10月12日) 松森焔硝蔵跡(シリーズ仙台百景 28)(08年8月31日) 十一面観音堂(シリーズ仙台百景 27)(07年10月23日) 陸奥国分寺薬師堂(シリーズ仙台百景 26)(07年10月17日) 県民の森 鶴ケ丘口(シリーズ仙台百景 25)(07年8月26日) 一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) 風の環(シリーズ仙台百景 23)(07年7月7日) 冷やし中華の龍亭(シリーズ仙台百景 22)(07年6月29日) 県民の森(シリーズ仙台百景 21)(07年4月8日) 数字の練習ボード?(シリーズ仙台百景 20)(07年3月25日) 半田屋一番町に進出!(シリーズ仙台百景 19)(07年3月1日) 仙台百景画像散歩(その18 撮影成功!霊気のトンネル)(07年2月6日) 仙台百景画像散歩(その17 変な漢字の看板)(07年1月28日) 仙台百景画像散歩(その16 駅前東宝ビル)(07年1月13日) 仙台百景画像散歩(その15 空から見た仙台)(06年12月29日) 仙台百景画像散歩(その14 光のページェント)(06年12月13日) 仙台百景画像散歩(その13 東京スター銀行)(06年11月30日) 仙台百景画像散歩(その12 建設ラッシュ再来?)(06年11月10日) 仙台百景画像散歩(その11 E721系電車)(06年7月25日) 仙台百景画像散歩(その10 ワンコイン端末)(06年7月7日) 仙台百景画像散歩(その9 ヤギさんの看板)(06年6月19日) 仙台百景画像散歩(その8 キック治療?)(06年6月18日) 仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) 仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) 仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) 仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) 仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) 仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2024.10.14
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昨日(10月7日)臨時国会では代表質問の論戦があった。自民のいわゆる裏金議員の公認問題などが取り上げられていたが、立憲民主党の野田代表の質問の中にこんな一節があった。(a)石破総理は解散について、総裁選では予算委員会を開くなど信を問うべきだと言いながら、戦後最短の解散を行おうとしている。(b)総理就任前の一国会議員として解散総選挙に言及したのは、天皇の国事行為に踏み込む発言で断じて許せない。(a)については、新内閣成立後の早期解散が自民の一つの狙いであり、そのやり方を非難して見せて、石破氏の言行不一致を際立たせたいという小さな戦略だろう。国民民主党の玉木代表も、予算委を開くとの前言を翻したが、申し訳ないとか恥ずかしい気持ちはないのか、と質問している。(b)の点は、天皇専属の国事行為に踏み込むのは不当だというレトリックだから、いちおう憲法論議ということになる。石破総理の答弁は、総理に選出され条件が整えばとの前提を置いた上の発言なので国事行為に踏み込んだことにならない、と説明。それはそうだろう。野田氏の論法からすれば、総裁選で解散について言及した候補者全員が憲法違反になる。解散を「しない」判断も天皇専権のはずだから、早期解散すべきでないといった野党議員だって国事行為に踏み込んだことになる。そんなバカな話はない。野党がわが国の政治課題の本質論を避けて、表面的な難癖や印象づけで国民の目を集めようとするのは、いかがなものか。かつて総理を務め、民主党政権内部でも論議があった中、国の将来を見据えて社会保障と税の一体改革(消費税増税)に道筋をつけた野田氏のリーダーシップは大きく評価されるべきだと思っている。私が驚いたのは、その野田氏が、野党として総理や自民党の言動を非難するのはいいとして、軽薄にも憲法論を持ち出したことの、情けないほどの軽さ。自身が発案したのだろうか。■関連する過去の記事 なぜ今解散なのか(2014年11月17日)=安倍総理と野田氏
2024.10.08
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ラベル正面には、「紫黒米酒OMOWAKUHIME Light Feeling Sake 平安の武将が愛した娘 おもわく姫」と記されている。精米歩合90%、アルコール分8度。製造は蔵王酒造(白石市)、企画は多賀城市観光協会。そして、「多賀城市の古代米(紫黒米)を100%使用した低アルコールのお酒です。優しい甘味とキレの良い酸味が口一杯に広がります。」と記されている。美味かった。以下は、購入の際にいただいたパンフレットの内容を転記します。ほんのり甘酸っぱい想いがわく〈古代米美酒〉おもわく姫※お酒は二十歳になってから販売店・提供店 *株式会社 すずこう 宮城県多賀城市下馬2-11-14 TEL:022 (365) 8850*ネット注文も承ります https://suzukougift.base/shop古代ロマンに想いをはせて、心華やぐ芳醇なひとときを。史都・多賀城の地に伝わる、いにしえの恋物語。ヒロインの名は「おもわく」。歴史のかなたに咲いた、美しい恋をモチーフに生まれたお酒「おもわく姫」。淡い色合いと爽やかな香り。ほんのり甘酸っぱい舌触り、そこから広がる華やかな味わい。フレッシュな白ワインのようにフルーティーな、新感覚の日本酒です。新感覚を醸し出すのは、はるかな時を超えて現代によみがえった古代米。悠久の歴史と伝説の物語に想いをはせ、芳醇な酔い心地をお楽しみください。Brand ー Omowaku hime多賀城グルメブランド「しろのむらさき」のお酒。 多賀城を流れる野田の玉川には、伝説の架け橋があります。平安時代の武将・安倍貞任が、美しい村娘・おもわくに恋をして、彼女のもとへ通うために架けたといわれる「おもわくの橋」。別名「安倍待橋(あべのまつはし)」です。 そんな恋物語が伝わる当地では、古代から稲作が盛んに行われていました。紫の稲穂が特徴の品種「紫黒米(しこくまい)」を中心に古代米を育て、それを原料に誕生した新たなグルメブランドが、多賀城の「しろのむらさき」。そのブランドを牽引する古代米美酒が「おもわく姫」です。 古代米には、ポリフェノールの一種・アントシアニンやビタミン、ミネラルなどの成分が含まれています。精米歩合90%の「おもわく姫」は栄養素を豊富に含みつつ、古代米特有のフルーティーな酸味と香りが、爽やかで軽い飲み口を実現しています。 ストレートで味わうだけでなく、生レモン搾りや炭酸割り、グレープジュース割りなど、カクテルベースとしても楽しめます。フルーツとの相性が抜群なので、サングリア風のアレンジもおすすめです。(写真の解説)1:フルーティーで爽やかで軽い飲み口が特徴。2: 炭酸やジュース割り、サングリアなどお好みのアレンジで楽しめます。3: 現在も残る野田の玉川に架かる「おもわく橋」。Production ー Omowaku hime若き作り手たちの志が、伝統を未来へつなぐ架け橋に。 古代米の作り手は、多賀城高橋地区の由緒ある農家7代目を継ぐ食品開発者。古代米を醸すのは、宮城の老舗蔵元「蔵王酒造」気鋭の若き杜氏。伝統の継承と革新に挑む、若き志が架け橋となり、古代の恵みが新時代の日本酒として結実しました。(写真の解説)1:多賀城高橋地区の7代目農家により生産される古代米。2: おもわく姫と杜氏の大滝真也氏。3:一般的なお米に比べ、ミネラルやビタミンが多く含まれる古代米。4:宮城の老舗蔵元によって醸造される、おもわく姫。History ー Omowaku hime史跡からの出土品が物語る、古代みちのくの稲作。 多賀城は、奈良時代に陸奥国(みちのくのくに)を統治する国府として創建された北の都。現在、日本三大史跡に数えられる城跡は、およそ1300年もの歴史を誇ります。城跡出土品に記された「黒舂米(こくしょうまい)」 の文字が当時の稲作を物語り、グルメブランド「しろのむらさき」の誕生につながりました。(写真の解説)1:松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚の際、訪れている壷碑。2: 多賀城のほぼ中央に位置し、政務や儀式が執り行われた政庁跡。OMOWAKU HIMETagajo madeSake created from ancient rice grown in Tagajo.■関連する過去の記事(古代多賀城、多賀城碑) 国宝指定された多賀城碑(2024年09月16日) 日本三古碑と上野三古碑(2023年01月13日) 利府町の埋蔵文化財(2022年5月7日)=窯跡など 多賀城 命名の由来(2012年10月9日) 多賀城の遺跡認識(下)(2011年11月19日) 多賀城の遺跡認識(上)(2011年11月18日) 多賀城と4面サイコロ(2011年9月14日) 多賀城碑、壺の碑、日本中央碑について(2010年11月1日) 東北の道 概説(その1 古代)(2010年10月23日) 多賀城 壺の碑(08年9月15日) 日本の三古碑(07年8月22日)(多賀城の碑) 船形山神社の仏像と多賀城(07年8月30日) 加瀬沼から多賀城六月坂地区へ(07年4月16日) 多賀城跡の風景(07年2月19日) 多賀城の基礎知識(後編)(06年8月8日) 多賀城の基礎知識(前編)(06年8月7日) 岩切の寺社をめぐる(06年1月3日) 平泉への道(06年1月11日) 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城(06年1月25日) 古代東北の理解(06年5月31日)■関連する過去の記事(多賀城市) 多賀城緩衝緑地と砂押川災害復旧(2015年6月21日) 湊浜の昔(2015年3月15日) 末の松山と東日本大震災の津波(2013年10月19日) 多賀城市「下馬」の由来(2012年8月14日) かなり古い時代の岩 沖の石(2011年11月27日) 野田の玉川 歴史散歩(その1)おもわくの橋~大土手橋(10年5月4日) 野田の玉川 歴史散歩(その2)清水橋~おもわくの橋(10年5月4日) 野田の玉川 歴史散歩(その3)天神橋~せせらぎ橋(10年5月4日) 野田の玉川 歴史散歩(その4)天神橋上流の鉄道廃線跡(10年5月4日) 末の松山・沖の石(10年4月30日) 多賀城のあやめ(09年6月13日) 多賀城 壺の碑(08年9月15日) 加瀬沼から多賀城六月坂地区へ(07年4月16日) 多賀城跡の風景(07年2月19日)
2024.10.01
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