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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★虫干しを兼ね宝物公開 左京区・真如堂(真正極楽寺)では、虫干しに合わせて寺宝を公開する恒例の「宝物虫払会」が、七月二十五日に行われた。虫払会は土用の間に一日だけ実施している恒例行事。ふだんは目にすることが出来ない境内の宝蔵に納められている貴重な掛け軸や巻物など約二百点を年に一度、「土用」の風を通している。一例:室町時代、応仁の乱の様子などを描いた「真如堂縁起絵巻」(重文)の江戸時代の写本、室町時代の東福寺の画僧兆殿司が描いた「涅槃図」や、江戸時代の絵師・狩野山雪の「寒山拾得」のほか、狩野探幽の水墨、真如堂の歴代貫首の肖像画など、古美術品がずらりと並らび、参拝者は僧侶の説明を受けながら、名品の数々を間近に鑑賞出来る。※安倍清明奉納極楽往生の「秘印」の授与と暑気払い「びわ茶」の接待などがある。 下記URLヤフーのおいないブログで関連参考画像をご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2009.07.26
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★右京区嵯峨・野宮神社が夏の風物詩「茅の輪」を正面入り口の黒木鳥居に飾り付けられ、茅の輪や小柴垣の香りが、すがすがしい雰囲気を醸し出している。境内入り口にある小柴垣は、黒木鳥居とともに源氏物語の「賢木」(さかき)の巻に描かれ、神社のシンボルとなっている。新しい小柴垣は、古くから使われてきた香りの高いクロモジの枝を使用し、鳥居の両側四メートルを囲った。半年間のけがれをはらう六月三十日の「夏越の大祓」を前に、地元で採ったカヤで直径約十メートルのカヤの輪を作り、黒木鳥居に据え付けた。カヤの輪をくぐると、夏の間病気をしないとされる。
2009.06.21
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【葵 祭 シリーズ】 ★葵祭を締めくくる行事「献茶式」が五月十七日、上賀茂神社で行われた。 神前でカツラの枝とアオイの葉を烏帽子に飾った神職らが神前でお祓いをした後、本殿の御籍舎で茶道家元が濃茶・薄茶を点てて本殿に供えます。(今年は表千家家元)表千家、裏千家一年交代にて、御神前に東と西の二神に献茶する神事です。境内には茶席が設けられ、青々とした緑の木々の元で茶を味わえる。 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★緑薫る嵐山公園では、平安時代の優雅な船遊びを再現する嵯峨・車折(くるまざき)神社の「三船祭」が毎年五月の第三日曜(今年は十七日)に、嵐山・渡月橋上流の大堰川の川面で催される。 大堰川の船遊びは八九八(昌泰元)年の宇多上皇の御幸に始まるとされ、船上で詩歌や舞楽が披露される風流な祭。 「三船祭」と呼ばれるのは、その昔白河天皇が行幸の折、和歌・漢詩・奏楽に長じたものを三隻の船に乗せて船遊びを楽しんだ故事からきています。 この故事を復元し、昭和初めから車折神社の祭礼の神事として営まれている。 中の島公園で神職や稚児らが御座船に乗り込み、上流に進むと竜頭船(管弦楽)や長唄船・小唄船・俳諧船などさまざまな船三十余隻が続き、各船では今様や舞踊、献茶などの諸芸が奉納され、扇流船二艘からは十二単衣姿の女性たちが色とりどりの扇子を川に浮かべる「扇流し」など、多彩な芸能を披露する「奉納船」は、車折神社の御座船、雅楽を奏でる竜頭船、献茶する鷁首(げきす)船など三艘が浮かび、奉納行事が厳かに営まれる優雅な祭礼である。 まるで平安の時代絵巻の中にいるかのような優雅さです。見物客らはボートに乗ったり、川辺から王朝絵巻を堪能し、王朝風情を楽しむ。 ★松尾大社で四月二十六日の神幸祭(おいで)で船渡御をした六基の神輿が各御旅所へ納まり、五月十七日の還幸祭(おかえり)で唐橋の社に六基の神輿が勢揃いし「さしあげ」の後、松尾大社に還幸する。葵と桂で本殿や神輿などを飾り付け、神職の冠をはじめ、祭りの関係者も冠や烏帽子に葵と桂を付けるところから、古来から「松尾の葵祭」別名「松尾の国祭」と言われている。下記URLヤフーのおいないブログで関連参考画像をご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2009.05.17
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】新緑の洛北・大原の里を彩る恒例の「大原女まつり」が五月十六日から三十一日まで、大原地区一帯で開かれる。 紺の着物とかすりのまい掛けに赤いたすきをまとった伝統の衣装で大原女に扮し、大原地域の文化遺産や豊かな自然にふれあうという素朴な京の思い出づくり。 一般参加も出来、女性のみ衣装を無料で一日貸し出し、着付けサービスも行う。衣裳の貸し出しは定員二十名で期間中毎日行われる。そのほか、十六日、十七日にはシソ苗植えを体験する催しなどがある。植えた苗は保勝会が育て、秋に特産のしば漬けにして参加者に届けられる。いずれも無料で先着順で事前申し込みが必要。※二十四日午後一時から時代ごとに変化する衣装をまとった恒例の大原女時代行列が新緑の山里を練り歩く。 下記URLヤフーのおいないブログで関連参考画像をご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2009.05.16
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】下京区・市比売神社で五月十三日、いちひめ祭(斎矢神事)が商売繁盛や厄よけを願って十二本の矢を放つ神事「試し弓」が営まれた。 試し弓は、平安時代に、藤原経清と源義家が同神社境内で行った弓矢の勝負が始まりとされる。 毎年この日に行う春季大祭と併せて実施している。 直垂烏帽子姿で、約五メートル離れた的を目がけて六本ずつ矢を放ち、大きな音と共に矢が次々と的に突き刺さる。 この後、「いちひめ雅楽会」が雅楽演奏と舞を披露した。
2009.05.13
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】左京区・吉田神社境内の山蔭神社で五月八日、包丁刀とまなばしだけでタイとコイを切り分ける「式包丁」が料理店関係者や国内外の観光客が見守る中、厳かな儀式が奉納された。式包丁は、山蔭神社が創建された五十年前から始まった儀式。吉田神社の創建者藤原山蔭は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています料理に携われる事に感謝し、料理、飲食、包丁の神である藤原山陰に奉納される。笙や篳篥の音色が鳴り響いた後、平安時代から続く料理の流派、生間流式包丁は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています。手を触れずに包丁だけで魚をさばく古式ゆかしいものです生間流の料理人たちが、舞のようなゆったりした動作で、包丁刀とまなばしで、優雅さと勢いを表すというタイとコイを、順に切り分け最後に豪快に包丁刀を振りおろした。
2009.05.08
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【今 日 の 催 し・話 題・出 来 事・情 報】 §京都非公開文化財特別拝観§ 普段は公開されていない寺院や文化財、美術品を拝観できる「春季非公開文化財特別拝観」が五月一日からゴールデンウイーク中五月十日まで、京都市内十四カ所で始まる。 今春は心光院(左京区)、智積院(東山区)の密厳堂と大師堂などが初めて公開される。心光院は重要文化財「阿弥陀三尊像」を初めて公開する。柔和な顔立ちをしている本尊の阿弥陀如来像は平安時代後期の作。高さ一.五メートル。顔や胸の一部が黒っぽく光っているのは、制作当時に金箔が貼られており、その下地の漆といわれている。脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は高さ一メートル。江戸時代初期に作られた。正座から立ち上がろうとする時の「跪座」と呼ばれる座り方をしている。三尊像は一度も修理されておらず、制作当時の姿が伝わるという智積院の大師堂は江戸中期に建てられ、真言宗の宗祖弘法大師をまつる。◆実相院(左京区)の書院は初公開。江戸後期の画家・岸駒が描いた戸棚の地袋あ豪華という。 ◆妙心寺(右京区)三門と塔頭の三寺院も公開される。退蔵院は名勝「狩野元信の庭」、麟華院には長谷川等伯や狩野永岳の障壁画、麟祥院は海北知雪の襖絵などがある。 そのほかの公開社寺は ◆上賀茂神社本殿(北区) ◆下鴨神社本殿、南禅院、岩倉具視幽樓旧宅(以上左京区) ◆知恩院三門(東山区) ◆仁和寺金堂・観音堂、高山寺茶室(以上右京区)拝観料 一カ所につき 大人 八百円、 中学高校生 四百円。
2009.04.30
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】京の夏の風物詩「鴨川納涼床」(登録商標)の組み立て開始!!京都の夏の風物詩として数えられ、江戸時代から広く親しまれている「鴨川の納涼床」が、五月一日の皐月の床開きに向けて今年も早々と、二条~五条間の鴨川西岸・みそそぎ川の上に工事のつち音が高まって、急ピッチで組み立てが始まり、相次いで姿を現し、川辺には早くも初夏の雰囲気が漂って来た。今年は九十六軒が床を出し、和風ブームもあって木組みの柱が増えている。期間は九月末までで、六月の本開きに先駆けて、五月と九月は大半の店で昼食時間にも営業を始め、京都観光を楽しむ観光客らで昼夜ともに賑わいそう。 下記URLヤフーのおいないブログで関連参考画像をご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html まで 。
2009.04.24
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】一部予告した京都御所の特別公開が今日から始まった。一九五九(昭和三十四)年のご成婚パレードで両陛下が乗られた儀装馬車の京都初公開もある。儀装馬車は普段は皇居にあり、今回初めて京都に持ち込まれた。全長四メートル、高さ二メートルで、漆で塗られた溜色(あずき色)の車体に菊の紋章が入っている。今回は、京都御所の新御車寄に展示され、近くにはご成婚パレードの映像を映す大型ビジョンが設けられた。例年の一般公開では見られない御所北側部分の皇后宮常御殿や初公開の若宮・姫宮御殿も見学できる。 ※(四月八日付けブログを参照下さい)
2009.04.23
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月十九日、本尊・釈迦如来立像(国宝)のほこりを払う「御身拭式」が営まれた。約八百年前、後堀河上皇のきさきの母の生まれ変わりの牛が死んだ時、釈迦の体を拭ったとされる白い布で、きさきが経帷子を作り、牛に着せて火葬すると、往生したという言い伝えにちなみ、牛が死んだといわれる四月十九日に法要を営んでいる。式は読経の最中に太鼓と鉦の音がなり、導師が厨子に上がって釈迦如来立像に一年間たまったほこりを丁寧に払った。続いて西芳寺(苔寺)の水に香を溶いた香水に浸した白い木綿の反物で、立像の頭から足までふき取った。拭ったあとの白布を往生浄土を望む参拝者に授与するようになったものです。※ 式で使った反物は死出の旅路にもたせる経帷子(きょうかたびら)の起源であるともされています。事前に申し込んだ人が経帷子に仕立てるという。
2009.04.20
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★府下山城町綺田(かばた)の「蟹の恩返し」の物語で知られる蟹満寺で四月十八日、カニに一年間の感謝をし、商売繁盛や豊漁を祈願する「蟹供養放生会」が営まれた。 平安時代後期の今昔物語などに記される「蟹満寺縁起」は、カエルを飲み込もうとしていたヘビに、父が「放したら娘を嫁にやる」と言ったためヘビに迫られた娘が、自分がかって助けたカニによって救われた、という話。 国宝の釈迦如来坐像を安置する本堂前で琴と尺八が演奏された後、観音堂で山伏や僧侶計九人が護摩を焚いた。祭壇にはタラバカニ二匹を供え、読経が響くなか、全国のカニを扱う関係者や水産業者らが約三百匹のサワガニを次々と放した。 ★東山区・浄土宗総本山:知恩院で四月十八日から開祖法然の遺徳を偲ぶ忌日法要「御忌大会」(ぎょきだいえ)が始まった。 御忌は、法然が八十歳で死去して約三百年後の一五二四(大永四)年に始まったとされる。戦国時代から続く「法然忌」とも呼ばれる知恩院最大の法要で、命日の二十五日まで連日、ご詠歌の奉納や音楽法要などが続く。法然は一月二十五日に亡くなったが、本来は一月に営む法要が一八七七年から四月になった。全国から集まった僧侶や壇信徒たちの唱える念仏が、国宝・御影堂に響き、法然の遺徳を偲んだ。 十八日の逮夜法要では、約百人の僧侶が内陣を歩き回りながら念仏を唱える「笏念仏行道」が営まれ、堂内を埋めた約千人の参拝者が手を合わせていた。夜からは、三門上層の仏堂で「ミッドナイト念仏in御忌」があり、僧侶らは仏像の前にろうそくをともし、朝まで厳かな雰囲気の中で念仏を唱える。
2009.04.18
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】京都では華麗に咲き誇るサクラの時期に併せて、さまざまな桜まつりが行われている。美しい桜と優雅な祭典を同時に楽しむことが出来る絶好の機会。 ∞∞ 日本に京都があってよかった ∞∞★伏見区の真言宗醍醐派総本山・醍醐寺で毎年四月第二日曜日(今年は十二日)、豊臣秀吉の「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が行われる。慶長三(一五九八)年春三月十五日に、豊臣秀吉が秀頼や北政所や淀君、諸大名ら総勢一〇〇〇人を集めて、盛大な花見の宴を開いた故事をもとに、当時の威容の再現を、と一九五一年から始まった恒例行事。太閤役を先頭に、桃山時代の装束をまとった約二百人の行列が、三宝院唐門を出発、ほら貝などの音色に合わせながら、桜の馬場の桜並木など約一千本が咲き競う境内を金堂なでをゆっくりと練り歩き、特設舞台の舞樂・狂言の観賞や野点を楽しむなど、桃山時代の花見絵巻を今に甦らせる。 ★北区・今宮神社の摂社・疫社の祭礼「やすらい祭」は、毎年四月第二日曜日(今年は十二日)に今宮・玄武・大神宮社の三神社で一斉に行われる。やすらい祭は桜の花を愛で、落花を惜しんで、病魔を退散させ、五穀豊穣を祈願する花鎮めの祭礼。紫野や上賀茂地域で民衆の平安を祈る。平安時代、花の散る頃に疫病がはやり、これは疫神が花とともに飛散するためと信じて花の精を鎮め、無病息災を祈願したことに始まる、「やすらい花」とも呼ばれる。。 京都三大奇祭の一つで、鬼を従えた行列が、笛や太鼓の音に併せて踊り歩く。 「いんやすらい花や」「ヨーホイ」の掛け声とともに、赤熊(しゃぐま)を振り乱して鬼たちが舞います。そして、笛、鉦、太鼓にあわせて行装の一団が囃し、花に宿る精霊が悪霊を誘いだし朱色の花傘(風流傘)に閉じ込めながら各町内を練り歩きます。この傘に入ると魔よけになるといわれ、一年の無病息災を願った。 ★北区・上賀茂神社で四月十二日、優雅な雰囲気の中で行われる、平安時代の雅の世界を再現する「賀茂曲水宴」が催される。 曲水宴は、中国から伝わり、平安時代に宮中や貴族の間で盛んになった。 上賀茂神社でも一一八二(寿永元)年に初めて行われた。 平成六年皇太子殿下御成婚・平安建都千二百年・上賀茂神社第四十一回式年遷宮の際、奉祝記念事業として「賀茂曲水宴」が復活した。境内の庭園「渉渓園」を流れる小川の流れに合わせて即興で和歌を詠む。 始めに昨年、斎王代を務めた女性が今年の歌題を発表。続いて、衣冠や華やかな女房装束に身を包んだ、六人の歌人が、鳥型の杯「羽觴(はしょう)」が小川を流れる間に、歌を短冊にしたためた。雅楽が流れ、香をくゆらせた庭園で繰り広げられる優雅な遊び。冷泉家時雨亭文庫の披講や裏千家による野点席が設けられる。 『かもぜんざい』の無料接待がある。(なくなり次第終了) 下記URLヤフーのおいないブログで関連参考画像をご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html まで
2009.04.12
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★京都市とパリ市の姉妹都市提携五十周年を記念して昨年十月から二ヶ月間、パリ市プチパレ美術館で開かれた展覧会が、上京区・承天閣美術館で「相国寺 金閣 銀閣名宝展-パリからの帰国」の題目で、パリで展示され、好評を博した書画や茶器の公開が四月十一日から始まった。九月六日まで。国宝四点をはじめ百三点を展示する。初公開の「大瀑布図」は、銀閣(慈照寺)に参拝した江戸期の画家・円山応挙が、縦三・五メートルの大画面に迫力ある筆致で滝や岩を描いた。同時期の伊藤若冲が、永代供養のため相国寺に寄進した「釈迦三尊像」は、極彩色で仏の姿を表わしている。★右京区・大覚寺で華道・嵯峨御流の一年で最大の生け花展「華道祭」が始まった。嵯峨御流派の始祖、嵯峨天皇の即位千二百年を記念し、全国から寄せられた約二百点の優雅な作品で魅了している。嵯峨御流は嵯峨天皇が、大沢池で舟遊び中、キクを花瓶に挿したところ、華道の基本である「天地人」の配置となったことから始まったとされる。大沢池の周辺と船上では茶席が設けられ、十二日は献花式や舞楽奉納式が営まれる。四月十三日まで。
2009.04.12
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】下京区・西本願寺では、御影堂が十年の月日をかけて「平成の大修理」が施されていたが、この程完成した。春の陽光にきらめき大甍が白銀に輝き、一歩踏み入れば、天井から吊下がる六角菱灯篭もピカピカに。表を張り替えた参拝者が座る外陣だけでも四百四十一枚敷き詰められた畳が香り、正面には荘厳な厨子が見える。御影堂は一六三六(寛永十三」)年に建立され、宗祖・親鸞の五十年ごとの遠忌に合わせて大小の修理が行われてきた。国内最大級の木造建築。南北六十二メートル、東西四十八メートル、高さ二十九メートル。大きな屋根には約十一万五千枚の瓦が使われている。一九一三(大正二)年、国の重要文化財に指定された。「平成の大修理」は一九九九~二〇〇八年に行われ、総工費は五十五億円余。四月一日には、御動座法要が営まれる。
2009.03.12
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★上京区・宝鏡寺は尼門跡寺院で通称「人形寺」の名で親しまれている。 三月一日より宝鏡寺雛祭と春の人形展が 四月三日まで開催される。寛永二十一年(一六四四)、理昌尼王(後水尾天皇の皇女)が入寺して以来は尼御所となって「百々御所」とも呼ばれ、尼門跡寺院として皇室から内親王を住職に迎えた歴史を持つ。父の天皇が折々に娘へ贈った数々の人形や調度品は、公家文化の美を伝えている。歴代皇女ゆかりの人形を多数所蔵して毎年春秋に公開して、「人形供養祭」を行う。春三月は雛祭りを中心とした人形展。特に皇女和宮ゆかりの人形が展示される。 光格天皇から江戸時代後期に贈られた直衣姿、濃紫袴姿の有職雛は、若々しい夫婦の姿。緋色ではなく、若い女性が着用する濃紫袴の女雛はとても珍しいという。また、幕末に皇室から将軍家へ嫁いだ数奇な人生で知られる皇女和宮の持ち物だった桜の螺鈿細工が美しい文箱や、伝来の愛らしい賀茂人形、花嫁行列なども展示されている。本堂では和楽器の演奏、島原太夫の艶やかな舞が奉納される。※ 家庭で不要になった人形を持参すると、人形の供養をして引き取ってくれる ★保津峡に春の訪れを告げる、冬の間(十二月三十日~二月末日)運休していた「嵯峨野トロッコ列車」が春風をきって三月一日から再開し、動き出した。八つのトンネルをくぐり、保津峡の雄大な渓谷の景色を乗客に楽しませながら、旧山陰本線のトロッコ嵯峨~トロッコ亀岡間七.三キロを一日八往復走ります。 ■運賃:六〇〇円(片道) ■ 祝日を除く水曜日休み。
2009.03.01
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】京都名物 JR京都駅ビル「第十二回大階段駆け上がり大会」が二月二十一日開かれ、健脚自慢の参加者たちが、駅ビル名物の七階分にあたる高低差約三十メートル、計百七十一段の最上部まで駆け上がって、団体と個人でタイムを競う珍しい競技。今年は十八歳から六十五歳までの二百八十四人が四十五歳以上と女性を含む四人一組の一チームを組み、合計タイムと個人タイムを競った。早い人は二十秒少々で駆け上がった。多くは途中で息が切れ、最後は這うようにゴールしていた。ユニークなイベントで参加者は目の前にそびえるビル七階分の大階段を前に気合十分、多くの見学者からは大きな声援が送られて、頂上のゴールに向かって猛然とダッシュしていました。この模様は来月7日午後6時からKBS京都テレビで放送されます。
2009.02.22
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★一年の商売繁盛と家運隆盛を願う「初えびす」が一月八日から十二日まで東山区の恵美須神社で始まった。 九日の「宵ゑびす」は笛や太鼓の囃子が流れる境内では、千両箱や米俵などで飾った縁起物の吉兆ざさや福をかき集めるという熊手などを買い求める人でにぎわった。福の神「えべっさん」の誕生日の一月十日に、福をあやかろうとする庶民の願いで、ゑびす祭が始まった江戸時代、西陣や室町の呉服関連のだんな衆がひいきの芸者を連れて社参したのが起源と言われている。 九日の宵ゑびす・十日のゑびす大祭と残りゑびすの十二日まで境内で福ざさ授与がある ★東山区・京都国立博物館で天皇陛下即位二十年を記念し、京都御所で歴代天皇がはぐくんだ宮廷文化の全貌をひもとく特別展「京都御所ゆかりの至宝-甦る宮廷文化の美」が一月十日から開幕し、二月二十二日まで開館(月曜休館)。平安遷都から明治維新にかけて天皇の住まいとなった京都は、美術や文学、信仰などさまざまな面で日本文化の中心となってきた。今回の特別展では、京都御所や宮内庁に伝わる品をはじめ、天皇の下賜品や御所建物に付属する障壁画の名品などを一堂に集めて展覧。御物八件、国宝七件、重要文化財二十二件を含む約百三十件で宮廷文化の奥行きと広がりを紹介する。★上京区・茶道表千家の初釜が一月十日から家元茶室「不審庵」で始まった。千宗左家元が濃い茶を練り、京都各界の招待者が一椀を飲み回して子雨まじりの冷え込みの中、新春の風情を楽しんだ。初釜は家元・不審庵内の茶室残月亭と九畳敷で行われ、干支の丑にちなんだ当代永楽善五郎さんの交趾(こうち)の水指や四代江岑作の茶杓「遅牛」などの道具を取り合わせて濃茶を煉り、床には、千家再興の基になった「小庵召出状」と、三代元伯宗旦筆の「春入千林処々鶯」の軸が掛けられ、結柳と曙椿が初春のめでたさを告げていた。京都での初釜は十四日までで、約千百人が参加する予定。
2009.01.10
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★北区・上賀茂神社で一月七日、正月に白馬を見ると邪気がはらわれるという故事にちなむ「白馬奉覧神事」が営まれる。神職が神前に七草粥を供えて祝詞が奏上されると、白い神馬が現れる、これは祭神の御覧を仰ぐためで、神馬に大豆を与えて国家安泰や家内安全を祈願する神事。白馬総覧は宮中で一月七日に行われていた白馬節会を模して神事化した。普段は近くの京都産業大学の馬術部で飼育されている白馬「神山号」が、この日は境内の神馬舎で参拝者に公開される。 ★新春香る 底冷えの厳しい京都・花街で裾引きの正装、頭には稲穂のかんざしを挿した舞妓、芸妓が各歌舞練場に日本髪に黒紋付き姿で、あでやかに着飾って勢揃いして、今年一年の技芸向上を誓う恒例の「始業式」が一月七日、四花街(祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町)の各歌舞練場で行われた祇園甲部では昨年の売花奨励賞や、技芸が優秀な舞芸妓、成績優良のお茶屋の表彰式が行われた。式に続き、京舞井上流家元の五世八千代さんがお祝いの地唄「倭文」を舞い初めた。 「おめでとうさんどす」「おたのもうします」の挨拶が交わされ、決意を新たにし、お茶屋の女将さんからお神酒などをいただいて新年をことほいだ。先斗町では「梅の栄」、宮川町ではその年の勅題に合わせた舞などを舞い初めとして披露される。(上七軒は一月九日に行われる。)
2009.01.07
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★日本三大梵鐘の一つで、約七十トンもある大晦日の「除夜の鐘」で、NHKから日本最初に鳴り響く、京都東山・知恩院で十二月二十七日、一足早く「除夜の鐘の試し突き」が行われた。 本番で呼吸を合わせるために、十七人の僧侶たちの親綱を担う一人が、子綱を持つ十六人と呼吸を合わせて背中から倒れるように、ダイナミックに「エーイ、ヒトーツ」「ソーレ」という掛け声と共に一体となって直径四十五センチ、長さ四メートルもある檜の撞木(シュモク)につながれた子網を引き、その反動で親網を持った僧が仰向けに綱にぶら下がるようにして打つ度に、重い音色が師走の街に響き渡り、その躍動感あふれるつき方でおなじみ、年の瀬のムードいっぱいの古都・京都です。 ★知恩院の大鐘は、京都東山・方広寺(大仏殿)豊臣家滅亡の因となった鐘、奈良・東大寺の梵鐘と共に日本三大梵鐘として有名。国の重要文化財に指定されている。 江戸時代の一六三六(寛永十三)年に鋳造され、高さ三.三メートル、口径二.八メートル、厚みも約三十センチあり、重さは約七十トンに及ぶ。 鋳造から三百七十年余たって「梵鐘の老齢化」が進んでいる。★その大鐘を撞く撞木も五十センチほど短くなり、十二年ぶりに平成十八年新調された。撞木のスケールも半端ではなく、長さ四.五メートル、直径〇.五メートル、重さは推定三百五十キロ。芯の部分をのぞいたうえで、これほどの太さの木材を国内で調達するのは難しく台湾産の直径二メートルの杉を使って、水に浸し樹液を抜くのに十年、乾燥させるのにもう十年、合わせて二十年の月日を要する。★この大鐘を吊るす大鐘楼も一六七八(延宝六)年の建立で、三百数十年にわたって七十トンの重さに耐えて、硬い欅の柱は建立以来一度も取り替えず色合い、痛み具合も全てが歴史を物語っている。 ※大晦日の日は午後十時四十分から一月一日午前零時半ごろまで百八つの鐘を鳴らし、新年を迎える。
2008.12.27
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 伏見稲荷大社では新春を迎えるための恒例行事「大注連縄張り神事」が二十六日営まれた。しめ縄は長さ八メートル、直径約二十センチで、長さ約一メートルの稲穂が五十束ほどが垂れ下がっているのが特徴。重さは約六十キロで、毎年南丹市(旧美山町)の農家が作り、奉納している。 大きさは西日本一といわれる。 御祓いを受けた後、神職たちが十六人がかりでしめ縄を持ち上げ、はしごを使って高さ約四メートルの位置にある金具に掛けた。最後にウラジロ、ユズリハ、紙垂をしめ縄に結びつけ、本殿正面に飾り付けられると、境内は迎春ムードがぐっと高まった。 しめ縄は境内外約三十社の末社でも張り替えられ、年内中には稲荷山の三千五百基の塚にも張られる。正月三ヶ日の初詣は約二百七十万人ほどで全国第四位の人出が予想される。
2008.12.26
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】師走の京の彩る島原の「太夫道中」が十二月二十三日、下京区・烏丸通高辻東の日航プリンセス京都の車寄せからロビーまでの約百メートルを豪華な打ち掛けをまとった司太夫と振袖太夫の二人の太夫が独特の「内八文字」の足さばきで練り歩く。道中の後には江戸期に栄えた花街・島原でかって行われていた師走の伝統行事「餅つき」が披露される。(一九八九年にいったん途絶えたが、二〇〇一年に十二年ぶりに復活、その後毎年島原愛好家グループにより実施されている) 江戸時代、客人にもちをふるまうため、揚屋の餅つきを太夫が手伝ったのが始まりとされる迎春のもてなし行事で、きらびやかな衣装をまとった太夫が、自ら杵を持って餅をつき、優雅な手つきで丁寧に丸めて参加客に振る舞い、観光客らを魅了した。
2008.12.24
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】東、西の両本願寺で十二月二十日、年末恒例の「すす払い」が行われる。本願寺中興の祖・蓮如の時代から約五百年続き、一年間を無事に過ごしたことに感謝する行事。堂内は、吐く息が白くなるほど冷え込んだが、かっぽう着やマスク姿の僧侶や全国から集まった門信徒たちが、竹の棒や特大のうちわを使って、堂内にたまった一年間のほこりを払い出した。☆ 西本願寺の阿弥陀堂では早朝から、大谷光真門主が長さ四メートルのほうきを左右に振ってほこりを払うしぐさをしたのを合図に、約五百人が竹の棒で一斉に約六百五十畳ある堂内をたたき始めた。 ☆ 東本願寺の阿弥陀堂でも朝から、門信徒ら約百六十人が横一列になって約四百三十枚の畳をたたき、白く舞い上がったほこりを大きなおちわで外へあおぎ出した。最後に大谷暢顕門主が大きなほうきで「寿」の字を宙に書いてすす払いを締めくくった。
2008.12.20
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】京・丹波町下山の尾長野地区で十二月十四日、祗園・八坂神社本殿に飾られる正月の「大しめ縄」つくりが始まった。 同地区にある八坂神社の分社「尾長野神社」が、一九七〇年から毎年、近くの「神撰田」などで収穫した米を奉納。地元産の稲わら約百キロを使って、大小十四本のしめ縄を作る。わら束を長く継ぎ足し釣り糸で固く縛った縄を三本作り、より合わせて一本のしめ縄にする。本殿用の三本が最も大きく、長さ約四メートル、胴回りは約一メートル。三匹の大蛇のような稲わらの束を力一杯、寄り合わせながら約八時間かけて大小計十四本のしめ縄に住民約三十人が一日がかりで仕上げた。 仕上がったしめ縄は二十二日に奉納され、二十七日、二十八日に祇園・八坂神社本殿に飾られる。
2008.12.16
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★東山区・三十三間堂境内、後白河上皇が造営した法住寺には忠臣蔵・大石良雄が仇討ちの祈願をした身代わり不動が祀られており、四十七士の木像を安置する。毎年十二月十四日の討ち入りの日に義士をしのんで「義士会法要」が営まれる。境内では、討ち入りそばの接待、書院では宮川町の舞妓のお点前による茶会が行われ、本懐を遂げて散った義士たちの思いをはせる。★赤穂義士が討ち入りを果たした十二月十四日、大石内蔵助が討ち入り前に山科の地に隠せいしたとされる、ゆかりの山科区一帯では三十四回目となる「山科義士まつり」が開かれ、区民が時代装束の義士の衣装に身を包み四十七士らの行列約二百人がまちを勇壮に練り歩き、「忠臣蔵」の世界へいざなった。毘沙門堂で出発式をしてから瑞光院(討ち入り後に切腹した赤穂義士四十六士の遺髪塔がある)・山科区役所・岩屋寺と義士列を、最後の勝ちどきを上げる大石神社まで当時を思い出して雄々しく練り歩き、忠臣蔵の勇壮な雰囲気が年末の京都の風物詩として漂った。
2008.12.14
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「京都 嵐山花灯路」 嵯峨・嵐山 諸行無常の響きあり 王朝絵巻ほうふつと・・・ 嵯峨・嵐山の自然 文化遺産をほのかに 照らし出す 「灯りと花の散策路」 平成十八年十二月十二日(土)~ 二十一日(日 ) 点灯時間/午後五時 ~ 午後八時三十分 《灯りと花の路》 嵯峨・嵐山の自然、水辺空間、竹林や歴史的文化遺産、景観などを生かし、日本情緒豊かな陰影のある屋約二六〇〇基の露地行灯の「灯り」とボリューム感のある生け花作品の「花」で総延長約五.二キロの散策路を演出し、「思わず歩きたくなる路」を創出。 《水上舞台-王朝絵巻と幽玄の世界》 渡月橋上流に嵐山三船祭で使用される二艘の竜頭船・鷁首船を浮かべ、水上舞台で雅楽を披露し、時空を越えた平安の王朝絵巻と幽玄の世界を演出。 《嵯峨・嵐山古典文学の香り》 二尊院境内に、源氏物語・小倉百人一首・平家物語・向井去来など嵯峨・嵐山ゆかりの古典文学を紹介したパネルを展示。 《あざやかな巨大提灯群の競演》 今年八月、愛宕古道街道灯しで使われた手作り大提灯が大覚寺大沢池のほとりを照らし、大小さまざま、形のユニークな和製提灯の灯りが楽しめる。 《嵐山音楽回廊》 雅楽演奏やクラシックコンサート、大道芸、民俗音楽んど多彩な催しで、賑わいと憩いのひと時を散策の合い間に楽しめる。 《竹林の小径一帯のライトアップ》 野宮神社から大河内山荘に至る散策路両側の竹林をライトアップし、幻想的な情景を演出。 《渡月橋一帯のライトアップ》 渡月橋と山裾、水辺など周辺一帯をライトアップし、雄大で美しい夜の自然景観を演出。 《小倉山灯りの小径》 百人一首でおなじみ小倉山の東側、落柿舎から二尊院に向かう小径をライトアップ。 幾多の歴史に彩られた風雅な趣を映し出す。 《いけばなプロムナード》 灯りと花の道沿い十カ所に大型花器によるボリューム感のある生け花作品を展示。 期間中、周辺寺院・神社・文化施設での特別拝観や開館・催しなど多岐にわたって催される。《 大 覚 寺 》真言宗大覚寺派大本山。元は嵯峨天皇の離宮跡。境内の東側に広がる大沢池は、中国の洞庭湖を模して造られ、平安時代の林泉式庭園で、桜や楓の季節もよい、観月の名所でもある。建立:八七六年。《 二 尊 院 》本尊に釈迦・阿弥陀の二如来(重文)をまつる天台宗寺院。慈覚大師円仁が開基し、応仁・文明の乱のあと法然の弟子湛空再興。参道は「紅葉の馬場」と呼ばれる。建立:八三四・八四七年。《 落 柿 舎 》 蕉門十哲の一人として名高い江戸時代の俳人、向井去来の閑居跡。庭にあった四十本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくしたのが名の由来。芭蕉が晩年当庵で名作「嵯峨日記」を著した。《 常 寂 光 寺 》 小倉山中腹の静寂な寺域は、天台四土最勝の浄土である常寂光土に遊ぶかのようであることから寺号となった。山門から仁王門、本堂、多宝塔へと続く参道は、秋には紅葉のトンネルとなる。山腹からの市内一円の夜景が見事である。建立:一五九六年。《 野 宮 神 社 》平安遷都後、伊勢神宮の斎宮の選ばれた皇女が」一年間ここに籠って精進潔斎をする習わしがあった。付近に産する竹を「野宮竹」という。祭神は天照大神。嵯峨野巡りの起点でもある。建立:八〇〇年頃。《 大 河 内 山 荘 》百人一首で著名な小倉山の山麓に、昭和初期の名優・大河内傳次郎が、三十年の歳月にわたりこつこつと創り上げた風光明媚な借景庭園で、嵐峡の清流をはじめ、古都の霊峰がたなびく雲のように眺められる。《 天 龍 寺 》臨済宗天龍寺派の大本山。一三三九年夢窓国師を開山として創建。室町時代には京都五山の第一位。日本で最初に史跡・特別名勝に指定され、一九九四年世界文化遺産に登録された。《 宝 厳 院 》大本山天龍寺の塔頭寺院庭園「獅子吼の庭」。嵐山を借景とした広大な敷地の回遊式庭園。春は桜や新緑、秋は紅葉と自然をそのまま活かした美しい景色が広がる。特に秋には紅に染め上げる境内一帯ををライトアップ。《 時 雨 殿 》小倉百人一首は、藤原定家によって編集されたと伝承される日本を代表する古典文学。「時雨殿」は小倉百人一首をテーマに、最先端のデジタル技術と伝統的な物との融合を、楽しくわかりやすく体験学習できる施設。平成十八年一月に開館。《 法 輪 寺 》和銅六年(713)に元明天皇の勅願により、行基菩薩が創建の古刹。日本随一の虚空蔵菩薩の霊場。その霊験は「今昔物語」などに記述される。「十三まいり」の寺として知られる。舞台から、京都市内が一望できる。
2008.12.11
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】本格的な冬の到来を告げる京の師走の行事「大根焚き」のトップを切って十二月六日・七日と右京区鳴滝・三宝寺で始まった。日蓮の命日が新暦の十二月初旬に当たることから、毎年十二月の第一土、日に行われている(今年は六日)。この日に御符とともに煮込んだダイコンを食べれば罪や汚れを落とすとされ、「厄落としの大根炊き」と親しまれている。境内には大きな鍋で大根と嵯峨豆腐の揚げを煮込み、湯気が立ち上がる中までしみこんだ熱々のダイコンを味わいながら、訪れた参拝者は健康を祈願した。大根焚きは共に振舞われるゆずご飯とともに中風封じにも効果があるとされる。
2008.12.06
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】関西で最も多くの初詣(正月三が日間、全国で四番目・今年は二百五十万人)に人が訪れると見込まれる伏見稲荷大社で、客に授与する新春の縁起物「福かさね」を作る迎春準備が十二月三日から始まった。境内の儀式殿で赤いはかま姿の神楽女たちや神職が、来年の干支の丑を描いた絵馬や五穀豊穣を祈る稲穂などを組み合わせていき、長さ約六十センチの破魔矢にあたる守矢、境内にあるお稲荷さんの神木のスギの葉を使った「しるしの杉」、稲穂、絵馬、短冊、の五つを重ね合わせた縁起物、「福かさね」をセットにしていくと早くも迎春ムードが漂った 福かさねは正月までに三万組が用意され、大晦日から二月の初午の日まで一個三千五百円で授与される。
2008.12.04
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∞∞ 師走の京都・夜の名所スポット ∞∞恒例ローム本社のイルミネーション十一月二十七日、今夜点灯!! 半導体のローム本社では毎年実施している"光の並木"イルミネーション、約六十万個の電飾が点灯されると、構内一帯のケヤキ並木を彩り、幻想的なムードを醸し、沿道周辺がまばゆいオレンジ色の光に照らし出され、ひと足早いクリスマス気分に初日から賑わった。 点灯は十二月二十五日まで毎日午後四時四十五分から十時半まで。 約六十万個の電球を沿道や公園のケヤキ並木に飾り、「シンボルツリー」に見立てた高さ約十メートルの二本のヤマモモの木にはローム製の白色発光ダイオードをあしらった三万五千個を使ったネットをかぶせて飾りつけ,国道九号線(五条通)沿いに装飾された(ちなみに私の住むマンションの11階の部屋から眼下を見下ろすと並木道一面が光のファンタージでこれから一ヶ月間は特等室になります、毎日午後4時45分の点灯の瞬間を見て歓喜しております)
2008.11.27
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】京の師走の風物詩・顔見世の「まねき上げ」が十一月二十五日、南座正面に上がった。顔見世のまねきは、江戸時代から続く習わし。古式を伝えるまねきが残るのは、全国でも南座だけ。出し物の名場面を描いた絵看板や松飾りで装った正面に、五十八枚のまねきが華やいだ雰囲気に次々に高々と揚げられ、年の瀬ムードを盛り上げた。古都・京都の師走の訪れを告げる京の年中行事「當る丑年 吉例顔見世興行」が十一月三十日、鴨川四条大橋畔、南座で開幕する。 今年の顔見世は源氏物語千年紀にちなんだ新作舞踊劇「源氏物語」など多彩な演目で、東西の名優が一同に集う夢の競演!歌舞伎の豪華祭典!!五年ぶり出演の玉三郎が仁左衛門や海老蔵と共演、例年にも増して一層華やかな舞台になりそう。 初 日 十一月三十日(日) : 千穐楽 十二月二十六日(金) 開演時間 昼の部 午前 十時半 : 夜の部 午後 四時四十五分 観劇料金 特別席 / 26.250円 ・ 一等席 / 24.150円 ・ 二等席 /11.550円 二等席B / 9.450円 ・ 三等席 / 7.350円 四等席 / 5.250円
2008.11.25
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】左京区・浄土宗禅林寺派の総本山・永観堂(禅林寺)で、屋内外の紅葉を約六百五十基の照明で彩る「もみじのライトアップ」が行われ、十一月八日から三十日まで「秋の夜間特別拝観」として境内を一般公開する。今秋は、イロハモミジやヤマモミジなど約三千本の紅葉を六百五十基のライトで照らすが、消費電力削減のため、照明器具の数を昨年より百五十基減らし、四百六十基はLED(発光ダイオード)照明を導入して、従来の明るさを保ち、電力消費量を約四割減らすことにつながった。日が落ちると、御影堂や、山の斜面に建つ多宝塔や画仙堂、水面にモミジの映る放正池もライトアップされ、闇夜に浮かび上がり、庭園を神秘的に演出し、辺りを幻想の世界に誘う。見ごろは十一月下旬から十二月上旬にかけて。夜の特別拝観は午後五時半~九時まで。拝観料 中学生以上 六百円。
2008.11.08
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★祗園をこよなく愛した有名な情熱の歌人、吉井勇(1886~1960)が詠んだ「かにかくに祗園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」の歌碑の前(祗園新橋・白川がせせらぐ巽橋のたもと)で、毎年十一月八日に「かにかくに祭」が営まれる。故人の遺徳を偲んで、ゆかりの人や舞妓さん、芸妓さんたちが歌碑に黄菊白菊が献花され、野点の釜がかけられ、抹茶や蕎麦の接待があり、深まり行く秋に祇園ならではのゆかしい行事です。この歌が彫り込まれた石碑は東山三十六峰の形になぞらえたもので、吉井勇の古希を祝ったのが始まりで昭和三十年代に建てられた。★伏見稲荷大社で十一月八日、秋の実りを感謝し、神を天に返す「神送り」の一環で、農耕の神を祀る「お稲荷さん」の伝統行事として親しまれている晩秋恒例の「火焚神事」が行われた。本殿での祭典の後、神苑祭場に設けられた三基の火床に、起こされた忌火で収穫したばかりの稲わらが焚かれ、全国の崇敬者から集まった約十万本の火焚ぐしを火床(縦三メートル、高さ一.五メートル)に神職が次々と投げ入れると約五メートルまで炎が燃え上がり、万福招来や家内安全を祈った。★京都の冬の代表的味覚の一つ「千枚漬」の漬け込み作業が立冬の七日、最盛期を迎え、老舗や大手メーカーで、本格的に始まった。各店ではカブラを削る小気味良い音が響き、甘い香りが広がった。千枚漬は、立冬の頃に冷え込みとともに甘みが増す聖護院かぶらを漬けた品が最良とされる。法衣姿の職人が専用のカンナで薄切りしたカブラを、塩をふりながら樽に重ねて、昆布や調味液で調え、本漬けをして重しを置くと一週間ほどで仕上がる。来春まで作業は続く。大手メーカーでは来春までにカブラ約五十万個を漬け込む予定。 各店が独特の味付けで漬けるので、微妙に味わい深い京都の冬の代表的な漬物。
2008.11.08
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】京都 南座・吉例東西歌舞伎顔見世興行に出演する歌舞伎役者の名前を板の看板に書き入れる「まねき書き」が、十一月六日から始まった。今年は、歌舞伎の名跡・片岡仁左衛門家の墓がある妙伝寺で今回で十二年目となる勘亭流の名手、書家・川勝清歩さんが、縁起かつぎとつや出しのための清酒とニカワを混ぜた墨汁をたっぷりと筆に含ませ、根本から筆先までを使い、長さ百八十センチ、幅三十三センチ、厚さ三.三センチのひのきの板の上に力強く滑らせる筆太の勘亭流で、襲名披露する「中村錦之助」はじめ、出演する人気役者の名が黒々と躍った。 まねきは、江戸時代中ごろに始まった庵の形の看板。「勘亭流」と呼ばれる筆太で内側へ丸く曲がった独特の字体は、大入りを願う縁起で古式をとどめる。「まねき上げ」は開幕前の二十五日朝に人気役者五十七枚のまねきが南座正面に揚げられる。 今年の顔見世は十一月三十日から十二月二十六日まで
2008.11.06
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★伏見の城南宮では十一月三日、平安時代の王朝絵巻を再現した優雅な歌会「曲水の宴」が開かれる。琴の音色が響く庭園で、曲折した遣水(ヤリミズ)と呼ばれる小川のほとりに座った歌人が短歌を披露し、観客はひとときを雅な世界に酔いしれる。清流にのぞんで朱の杯を流し、その杯が流れてくるまでに詩歌を作り杯を巡らす曲水の宴は、中国古代に始まったとされ、日本では奈良時代から平安時代中期まで宮中で特に盛んに開かれていた。 城南宮では毎年、春・秋二回開かれて、その都度歌題を定め、色鮮やかな狩衣や小袿(コウチキ)の平安装束をまとい、公郷や女官に扮した七人の歌人が短歌を短冊にしたため、遣り水を流れてくる杯の酒を飲み干し、王朝文化に思いをはせ、紅葉の中で繰り広げられる優雅な雰囲気を醸し出す一大王朝絵巻です。 源氏物語の中で光源氏が舞った「青海波」の舞楽が披露された後、今回の歌題の、千年紀を迎えた源氏物語の第七巻にある「紅葉賀」を、平安装束をまとった歌人が、酒を入れた杯が小川を流れる間に短冊に歌をしたため、優雅に和歌を詠んだ.★左京区一条寺・狸谷不動院で、十一月三日、「狸谷不動尊秋祭 」が行われる。平安京が桓武天皇によって東西南北の魔界封じがされていた、その東北の鬼門を鎮護するよう祀られたのが狸谷山不動院です。本尊は悪鬼退散に霊験あらたかなタヌキ(当て字で「咤怒鬼」)不動明王。立教開山にちなむ秋季大祭で、山伏・稚児らによる山内お練り行列のほか、山伏による柴灯大護摩供が行われます。山伏が参拝者の鞄・財布・衣類などを護摩の炎で加持してくれます。
2008.11.03
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★織田信長・信忠父子をを祀る北区・建勲神社で十月十九日、恒例の「船岡大祭」が営まれる。大祭は戦火で荒れ果てた京都の復興に尽力した信長を偲び、太平の世を願う祭りで、信長が始めて上洛し、天下統一への一歩を踏みしめた一五六八(永禄十一)年十月十九日にちなんで毎年開かれている。神事では、信長が桶狭間へ出陣する前に舞ったとされる仕舞「敦盛」が奉納された後、長篠の合戦にちなんで火縄銃の三段撃ちなども実演。古式炮術流儀保存会の会員九人が、拝殿前の石段から秋空に向かって火縄銃の空砲を打ち鳴らす。甲冑姿の会員が「火ぶたを切れ」「放て」などの合図で引き金を引くと、身体を揺さぶるような轟音が船岡山にこだまし、戦国時代に思いをはせていた。その他、キリシタン衣装を付けてポルトガルギターの奉納や舞楽の奉納がある。 同時に神社が所蔵する信長一代記で重要文化財の「信長(しんちょう)公記」(十五巻)も特別公開される。 信長公記は信長の側近・太田牛一が信長の上洛した一五六八年から一五八二年本能寺の変までの十五年間を、一年一冊ずつまとめた自筆で価値が高い軍記。 ★日本での競馬発祥の地と伝わる上賀茂神社で十月十九日、平成十七年に復活した約八百年前から行われていた騎射の一種「笠懸」(かさがけ)神事が、伝統的な騎射を継承する「武田流弓馬術」(神奈川県)により奉納された。笠懸は、日本書紀にも登場する日本古来の弓馬術で、地上に伏せて攻撃してくる敵の顔面を狙う実践的な騎射で、疾走する馬上から的を狙う。約五メートル離れた四十センチ四方の的を射る遠笠懸と地面低くにたてられた二十センチ境内の参道西側の芝生に約百八十メートルの直線路を設け、武者装束姿の騎手九人が順に南端からスタート。北端でUターンして駆け抜ける間に、馬場の左右両側に設けた大小五つの的に向けて射手は馬から身を乗り出す形で矢を放つ。 ※上賀茂神社では、建保二(一二一四)年、後鳥羽上皇の行幸の際に行われたとの記録が「賀茂旧記」に残っているが、いつまで行われていたは不明。
2008.10.19
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】上京区の本門法華宗大本山・妙蓮寺で宗祖・日蓮上人の命日に遺徳をたたえる「御会式万灯会」が十月十二日・十三日の夜に行われる。万灯会は室町時代に始まり、江戸中期から途絶えていたのを一九九五年に復活した。光の回廊のように約二百数十枚の絵画をつないだあんどんは、毎年全国の著名な画家から日本画や浮世絵、書などが寄せられる。今年も約百三十人の作品が集まり、約二百七十点の自筆作品が奉納された。本堂を囲むように設置され、夕闇が深まるとともにライトアップされると、それぞれの絵や文字がステンドグラスのように色鮮やかに暗闇に浮かび、本堂を彩る様は幻想的で参拝者の目を楽しませる。十二日夜はバンド演奏が行われる。
2008.10.12
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★左京区洛北八瀬・秋元神社で十月の体育の日の前日(今年は十二日)に、八瀬に伝わる珍しい伝統芸能「赦免地踊」が八瀬童子会によって行われる。暗闇の中に武者や鳥、魚などの赤紙で作った透かし彫りの切子型灯籠を頭にのせ、着物姿の八人の女装した少年たちが行列し、音頭取りの太鼓に合わせて静かに踊り、八瀬八幡宮の摂社・秋元神社に奉納する。八瀬は、皇室との関わりが深く、江戸時代中期には朝廷領となり、税が免除され赦免と呼んだ。八瀬の租税免除特権をめぐる比叡山との争いから八瀬を守った江戸幕府の老中秋元但馬守に対する報恩のため、一七〇〇年代初めに「赦免地踊」が起きたとされる。京都市の登録無形民俗文化財となっている。 ★「馬の神様」として知られる伏見区・藤森神社で十月十二日、全国の神社で騎馬術を披露する「倭式騎馬会」(東京都)が、武具を身に着けたままでの演武を奉納する。倭式騎馬会は日本古来の馬や馬具を修練し、各地の流鏑馬神事で奉納している。馬の神様を祭る藤森神社でも、三年前の創建千八百年奉祝祭の時に、日本の文化遺産を奉納されたことがある。メンバーたちが大よろいや胴丸などの甲冑に身を包み、流鏑馬を披露する。馬上で太刀を振り回し、巻きわらを切る馬術も見せる。★平安~鎌倉時代に流行した歌謡(今様)を、当時の歌合せの形でゆかりの後白河上皇に奉納する「今様歌合せ」が十月十二日、上皇ゆかりの東山区・法住寺で催された。後白河法皇が愛好した「今様」を雅な平安風俗で再現し、平安装束の狩衣を着た歌人が独特の声で今様を詠み、白の水干、緋袴の白拍子姿の舞人が優雅に舞う。「今様歌」は平安中期に起こり鎌倉時代にかけて流行した新しい歌謡。短歌形式のものや七・五の十二音の句四句からなるものなどがある。白拍子・傀儡女(くぐつめ)・遊女などにより歌われたもので、貴族の間にも流行しました。「今様歌合わせ」は、承安四(一一七四)年九月一日から十五日間、毎夜法住寺で行われた。後白河法皇愛好の今様の歌を保存し、復興するための行事で、法皇陵に参拝した後、阿弥陀堂で法要が営まれます。その日に出された課題から今様歌一首を歌人が即興で作り、平安貴族の装束に身を包んで今様を再現する様は、実に雅やか。しばし時を忘れてのタイムスリップ 。
2008.10.12
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★右京区花園の妙心寺塔頭・東林院で毎年、春と秋に催される、庭に配されたろうそくの明かりを楽しむ夜間特別拝観「梵燈のあかりに親しむ会」が十月十日から十九日まで(十日間)開催。 午後六時から九時まで。 拝観料 五百円 本堂前の庭園「蓬莱の庭」で、住職が手作りした瓦製の灯ろう「梵燈」六十台や竹筒百本のほか、古瓦などにろうそく四百本を立てて火がともされ、秋風に炎がゆらめく中、梵燈や灯籠からもれるあかりが枯山水の庭石や石仏、こけむす庭や木々を柔らかな光に包み、幻想的な雰囲気を醸し出し、幽玄の世界へと導く。秋はろうそくの炎などで禅語の文字を庭に浮かび上がらせる趣向が凝らされている。今秋は禅語「日々是好日」との文字の形に明かりが並べられたり、岩や苔の上に置かれたろうそくが風に揺らめいた。「庭を見て、禅語の通り何事にもとらわれず、さらりとした心で人工的ではない、自然の明かりに安らぎを感じて過ごしてほしい」との住職からのメッセージ。
2008.10.10
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【今 日 の 情 報 : 歳 時 記・催 し・話 題・出 来 事】★京の夏の風物詩・川面にファンタジー山紫水明の地・京都にとって、鴨川の清らかな流れはなくてはならないもの。その美しさは盆地を囲む山々の眺望と相まって素晴らしい景観を創り出し、魅了する。毎年八月の盛夏に、鴨川の三条~四条間の河川敷で「鴨川納涼」が開かれ、特設ステージでは数々のイベントが楽しめる。ステージイベントの一環として、ライトアップされた鴨川で昔ながらの友禅流しを再現する恒例の「友禅流しファンタジー」が五日・六日の夜、三条大橋~四条大橋間の鴨川で行われ、色とりどりの反物が川面に映える。友禅流しは友禅染の工程の一つで、のりや染料を川の水で落とす作業。この伝統的な技法を後世に伝えようと、若手職人が川に入り、赤や青、ピンクなどの色鮮やかな反物を投げ、川面に浸して洗う作業を繰り広げた。
2006.08.05
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【今 日 の 情 報 : 歳 時 記・催 し・話 題・出 来 事】★清水焼き団地陶器まつり山科区・清水焼団地で七月十八日から恒例の「陶器まつり」が始まった。昭和三十七年、五条坂や清水付近の陶磁器業者が山科に集団移転したことで清水焼団地が造られ、陶器まつりは昭和五十年から始められている。今年で三十二回目。約百店の各窯元や問屋が清水焼・京焼など約五十万点、陶芸品や高級食器から日用品、斬新なアイデアの作品などが市価の三~五割引きで売られている。 二十日まで。午前十時~午後九時まで。
2006.07.19
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【京 の 季 節 の 花 便 り】 「蓮の寺」として有名な右京区花園・法金剛院で恒例の「観蓮会」が開かれている。 ピンクや白色の華麗な花が見頃を迎えている。 夏の強い日差しを受け、輝く大輪の花を咲かせている。中国やインド原産の約八十種類のハスが名勝の苑池や鉢に植えられている。 早朝に美しく咲くので開門時間を早めて午前七時に観蓮会を開いている。 「かんかん照った後は数日したらよく咲く」と住職は話す。 七月三十日まで。 【祇 園 祭 シ リ ー ズ】 祇園祭の宵山の七月十六日の朝、山鉾巡行の無事を祈る献茶式が八坂神社であり、不審庵表千家の而妙斎家元が抹茶を神前に奉納する神事。 「祇園さんのお献茶」として一九四六(昭和二十一)年に始まり、表千家と裏千家が一年交代でお手前を披露している。 太鼓の音を合図に本殿で儀式が始まり、家元が霊泉「八坂の神水」を用いて濃茶と薄茶を一服ずつたて、神職の手で神前に供える。そばにある別棟の能舞台では長刀鉾の囃子方が奉納する祇園囃子が響き、荘厳な祭り情緒が漂った。 御献茶式には京都の茶道関係者だけでなく、全国から茶人が集まる。 約千枚の参列券が発行されているが、参列できるのは先着の百五十人程度のみ。 そこで、神社境内とその周辺に拝服席・副席・協賛席の茶席が設けられる。
2006.07.15
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【今 日 の 情 報 : 歳 時 記・催 し・話 題・出 来 事】★半年間の厄と汚れをはらい息災を祈る夏越の祓い(水無月祓)が六月三十日、京都市内の各神社で行われる。 茅の輪をくぐったり、紙の人形を川に流して、残り半年間の無病息災も重ねて祈る。 主な神社では多彩な催しを行う。神社に伝わる和歌を唱しながら茅の輪くぐりや交通安全祈願のため、車を通り抜けさせる直径五メートルのジャンボ茅のを設置したり、境内の小川で人形流しや人形を浄火で焼くお焚き上げなど、又和菓子の「水無月」を無料でふるまう神社もある。 ★京都では六月三十日に和菓子「みな月」を食べる習慣がある。 昔、天然の氷雪を氷室に蓄え、六月三十日にその氷を宮中に献上していた。 一般には夏季に氷を得ることがかなわず、形を氷になぞらえて麦粉で作っていたが、徳川時代中期に至り小豆を混え三角に切り、現在の形となった。 悪疫を防ぎ、災難をも除くためとし、広く洛の内外に用いられたもので、「みな月」は京都独特の名物である所以でもある。最近では三角を基幹として色んな形が出てきた。
2006.06.29
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】 上京区・臨済宗相国寺派大本山・相国寺で六月十七日、無意識のうちに犯している罪を懺悔する法要「観音懺法」が営まれた。 観音懺法は、室町期に相国寺を開いた夢窓国師らによって始められ、足利義満など歴代将軍の邸宅だった「花の御所」でも行われていた。 太鼓やシンバルのような楽器「はつ」を合図に、約二十人の僧侶たちが古式ゆかしく読経を始めた。 室町期の画僧・明兆筆の白衣観音像をはじめ、三十三幅のさまざまな観音像の軸が掛けられた方丈の中を練り歩き、約四時間にわたり相国寺独特の節回しの声明を唱えた。
2006.06.18
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】 ★東山区の真言宗智山派総本山・智積院で六月十五日、宗祖弘法大師・空海の誕生日(六月十五日)と宗派の中興の祖覚鑁(かくばん)の誕生日(六月十七日)にちなんで祝う「青葉まつり」が毎年この日に営まれる。 金堂での慶祝法要に続き、全国各地から集まった山伏約五十人による護摩供は、ほら貝が鳴り響く中、点火した護摩壇に無病息災などの願いが込められた護摩木が投入され、炎と煙が立ち上がる前庭で行われた。雨の中、風を受けて燃え上がる、壮大な炎は必見。 同時に国宝の障壁画(長谷川等伯筆)や緑がまぶしい名勝の庭園の無料公開。
2006.06.15
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】 ★左京区鹿ケ谷・法然院で江戸時代初期に活躍した筝曲の始祖、八橋検校の三百二十二回忌法要が、命日にあたる六月十二日に左京区・法然院では聖護院八ッ橋総本店が営む「八橋忌」と検校の菩提寺でもある金戒光明寺塔頭・常光院(通称・八橋寺)では井筒八ッ橋本舗の「八橋祭」がそれぞれ営まれた。 検校は目が不自由だったが、筝曲を習って自ら八橋流を創始し、名曲「六段の調べ」を作るなど近世筝曲の祖ともいわれている。 法然院の八橋忌は、琴と尺八の箏曲、舞妓らの舞の奉納のあと歌舞伎役者・坂田籐十郎さんが検校の遺徳を偲び典雅に長唄「島の千歳」をきらびやかな烏帽子姿で舞い納めた。 検校の墓がある金戒光明寺参道(聖護院通り)で、現在の京土産の代表でもある「八つ橋」は、八橋検校を偲び琴の形にして作ったとされる。
2006.06.13
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】★右京区嵯峨・二尊院で六月十日、鎌倉時代の歌人・藤原定家をしのんで法要と和歌披講する「小倉山会」が催された。小倉山会は、冷泉家時雨亭文庫が毎年催し、定家を遠祖とする歌道の宗家・冷泉家十五代当主らが、今年の題「橘」で寄せられた和歌から十首を選び、読経の後に冷泉流の節回しで披講し、参列者が唱和した。詠み上げた声が、本堂から新緑鮮やかな境内に響き亘った。披講後、定家の墓があるという小倉山を遙拝する旧跡や冷泉為家の墓などを訪れ、歌道の先人に思いを巡らせた。【京 の 季 節 の 花 便 り】★右京区花園の妙心寺塔頭・東林院で十二日から、恒例の「沙羅の花を愛でる会」が始まる。梅雨空の下のしっとりとした庭の緑深いコケ一面に、地に咲くかのように上を向いて散った無数の白い花が鮮やかに浮かび上がり、境内に落ち着いた雰囲気を醸し出し、その風情を堪能できる。庭には高さ十五メートルの樹齢三百年のナツツバキ(沙羅)の老木が植えられており、梅雨の時期に白い花が開くが、一日限りで散るはかなさや、幹が根元から二股に分かれていることなどから、仏教の聖木「沙羅双樹」になぞらえて親しまれ、「平家物語」の一節「沙羅双樹」をしのばせる。毎年開花の時期に合わせて公開している。六月三十日まで。 午前九時半から午後四時。 有料 一.五七五円(抹茶付き) ★左京区岡崎・真如堂で、ナツツバキ(沙羅)の花が梅雨の時期に咲き、見ごろを迎えている。本堂前の二本の木は、現在(六月中旬)青々とした葉をバックに開花している 釈迦が入滅した場所に植わっていた木になどらえ、「沙羅」とも呼ばれている。 参道を挟んだ向かい側では、釈迦ゆかりの菩提樹も米粒大の薄黄色の花を鈴なりに付け、甘い香りを漂わせている。★右京区嵯峨・鹿王院で、江戸時代初期に作られた本庭に沙羅双樹の木が凛とした姿で立つ。梅雨にはいると濡れた苔庭に白い花が咲くが、開花間もなく花が散る光景は何ともいえず趣深い。 六月中旬~下旬まで。
2006.06.11
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】東山区・清水寺の「舞台」(国宝)の床板が女性客のハイヒールに泣いている。二年前に張り替えられたばかりの床板だが、最近直径一センチほどのくぼみがあちこちで目立つようになってきた。年間に約四百万人が拝観する「清水の観音様」は、どんな信仰をしていても受け入れる「普門示現」の菩薩さま。舞台は広さ百九十平方メートルで、縦五.五メートル、横0.三メートル、厚さ0.一メートルのヒノキ板約五百枚が敷き詰められている。十五~二十年ごとに張り替えられ、最近では二〇〇四年に十五年ぶりに新しくなったばかり。くぼみが目立ち始めたのは二十年ほど前からで、近年になってハイヒールより更にヒールが細い「ピンヒール」を履く女性が増え、深いくぼみが目立つようになったという。雨が降ると水を含んで床板が柔らかくなり、へこんでしまうことから年二回、水をはじく撥水剤を表面に塗り、毎朝掃除機を掛け床を掃除しているが、限界があるという。
2006.06.07
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】 町屋からこぼれる明かりで通りを照らす「都ライト」が六月二日、西陣、上七軒かいわいで点灯され、風情ある町並の通りに面した格子から、光が穏やかな影を浮かび上がらせ、情緒ある町のたたずまいを楽しむ。 上七軒では、格子からもれた黄色や赤い明かりが舞妓さんの足元を照らし、花街に趣をそえた。 点灯は四日まで。 午後六時から九時まで。 ※ 失われていく伝統的な京都の景観や地域の生活文化について考え、格子の内側に照明器具をすえ、通りを照らす催しを昨年から始めた。
2006.06.03
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】 ★洛北・貴船神社で六月一日、「貴船祭」が行われる。 かっては四月と十一月の両月に行われていた貴船御更衣祭に起源する。 特に四月の祭は、その昔参拝者がいたどり摘み競争を行っていたことから、俗に「いたどり祭」とも呼ばれた。 乙女舞・御神輿発興祭・奥宮例祭・お千度詣・出雲神楽奉納がある。 ★六月八日、國の名勝・平安神宮神苑が一日無料公開される。 西神苑の白虎池の岸辺には、日本古来の品種の花菖蒲、約二千五百株が群生し見頃を迎えている。
2006.06.02
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】 ★京丹波町下山の尾長野八坂神社(祇園・八坂神社の分社)の近くの田んぼ約四十アールで五月二十八日、田植え神事「八坂神社御田祭」があり、早乙女姿に扮した女性八名が豊作を祈願し田植えをした。 恒例の行事で、神事などに用いられる稲の苗を植える祭礼で、収穫した米を奉納するほか、稲穂は祇園祭のみこしの飾りに、稲わらは八坂神社の正月のしめ縄に使われる。 厳かな雅楽の演奏が流れる中、白装束に赤いたすき、すげがさ姿で「神せん田」に入り、横一列に並んでゆっくりとした調子で一本ずつ苗を手で植えた。 稲の邪気を払う獅子舞が披露され、地元の丹波八坂太鼓による稲に力を与える勇壮な太鼓演奏を奉納した。 ★西京区大原野の十輪寺で五月二十八日、平安時代の六歌仙の一人、在原業平をしのぶ法要が新緑のモミジが映え、鳴り響く三弦と声明に「業平忌」が営まれた。 業平は五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。 業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。 本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の法要で、住職らが三弦を奏でながら般若心経や天台声明を唱えた。 業平が好んだと云われるカキツバタや日本舞踊、書の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。
2006.05.29
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【今 日 の 情 報 : 催 し・話 題・出 来 事】左京区・三千院では知らない内に重ねた日々の悪行を仏に懺悔して、心を清める恒例の「御懺法講」(おせんぼうこう)が毎年、五月三十日に営まれる。 御懺法講は一一五七(保元二)年に後白河天皇が宮中で催したのが始まりとされる。雅楽演奏が流れる中、儀式が僧侶の声明に合わせて進むことから「声明懺法」とも呼ばれ、仏教音楽の伝統を今に伝えている。伝統法要は境内奥の宸殿で行われ、導師の門主や赤い法衣姿の僧侶約十人が笛や琴などの音色が響く中、座ったり殿内をゆっくり回りながら、一時間半にわたって独特の旋律に乗せて唱える「声明」の調べが、緑深い境内におごそかに響きわたる。
2006.05.28
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