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2014年02月27日
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カテゴリ: ヒーリング

さて、エジプト後の私のデトックスの話、
抜けた今となっては、前の感覚が全く嘘みたいに感じます。
それを今さらあれこれ書くというのは
自分が何を捨てたかゴミ箱の中身を他の人に見せるようなものですが
何人もの方に楽しみにしています、とありがたいお言葉を頂いたし
もしかして、少し前の私と同じようなところにいる方もいらっしゃるかもなので
またうだうだと綴って参りたいと思います。
(ほんと、うだうだという感じなのですよね〜

エジプトから戻ってくる飛行機の中では
胃腸がちょっと重たい感じがするぐらいで
特にトイレにかけ読むようなこともなく
平和にNYに戻ってきました。

JFKに着いてから、タクシー乗り場の係の方が
「どこに行きますか?』と私たちに声をかけてきたのですが
おさむは振り払って無視してスタスタ歩いていったのには、笑いました。
エジプトでは、あちこちで人が群がってきて、しつこい勧誘があったので
無視して歩くしかなかったわけですが、NYに戻って直後は
まだその感覚が残っていて、勧誘でもないのについ無視してしまったのです。
(係の方は首をかしげていましたが)

NY戻ってきてから、2、3日は、少し下痢は続いていたものの
それほど苦しい感じではなく
レイキのクラスもいつのもようにこなし、キネシオロジーのセッションも
普通通りにやっていました。
3日目に、体調を整えておこうとセッションをやったら
エジプト最後の日に食べた、えびに回虫がいてそれが当たったことが判明。
おさむも同じように下痢が続いていたし
感情的なものは、特にないと感じていたので
その時は、身体の機能的な調整だけ行いました。

ところがその夜から、胃痛、吐き気、ひどい下痢になり、
これはセッションをやったことで、身体が一気に毒を排出しようとしているのだなあと
明日、セッションができないかも、と急遽
次の日に予約が入っていた方を別の日に振り替えてもらいました。
幸い、一晩寝たら、次の日には下痢や胃のむかつきはあるものの、少し落ち着いてきました。

しかし、その日、急に気持ちが落ち込んで、もやもやした感覚になりました。
私は普段、感情的に落ち込むようなことはほとんどないのですが
なんと言うか、むなしい感じで、やる気が湧いてこないのです。
なので、起き上がって、ただネットサーフィンをしていました。
私はいつもおさむに「時間ができたら、ダラダラしてみた~い♪」
などと言っていたのですが
ダラダラする時って、エネルギーがないので
ダラダラが楽しいと感じないものなのですね。
それで、普段はほとんど見ないサイトなどをあれこれ見たり
何時間もネットサーフィンをやっているうちに
たまたま(ではないのでしょうが)ある日本のドラマに行き当たりました。
おさむとたまにアニメなどを見たりはしますが、一人で日本のドラマを
見たりすることも普段はないのに
この時はなぜか何も考えず、それを見ていました。
私が見たドラマは「Mother」という松雪泰子主演のドラマで
ドラマのストーリーとしては、親から虐待を受けている生徒
を助けたい、その子の母になりたいとその子を誘拐し
逃げる教師という物語でした。

これを見て、初回からドーンと落ち込みました。
子供の虐待はもちろん、生活のために苦しい思いをしながら
子育てをするシングルマザーにも、またそれを守る社会でない日本の現状にも
やるせなさや深い悲しみを感じて、さらに私の中のもやもや感は
さらに大きく膨らんできました。
もし私がこの松雪と同じ場面に出会っても、この子を助けることはできないのだろう
という無力感も感じていました。

後から思えば、この日の私は
無意識に奥に眠っていた感情を感じきろうとしていたのだなあと。
感情は充分に感じなければ、潜在意識に残ったままになります。
以前、ご紹介した「マネーゲームから脱出する方法」にも書かれてありように
新たな意識へ変換させるためには
自分の中に持っている感情をとことん感じきるというのは
ヒーリングのプロセスの一つです。
(キネシオロジーのセッションでは感情を感じることなく
手放すこともけっこうありますが)

もちろん、その時はヒーリングのために感情を感じようとは思っていなくて
落ち込むのがわかっているのにも関わらず
ドラマの続きを見ないではいられないという感じでした。
幸い、次の日は普通の休みの日だったので
そのままドラマを見続けました。
そして、むなしさ、悲しみ、無力感、ギルティ感、絶望、憤りという感覚を
次々に感じていました。
そしてその感情に思いっきり浸っていると
どうして今、こういう感覚や感情が湧いてきているのかが、だんだん見えてきました。
それは今回、私がエジプトで感じたこととリンクしていました。

それはエジプトの子供たちでした。
エジプトでは、どこに行ってもしつこい物売りや勧誘がありましたが
その中で子供たちからの勧誘もありました。
これまでもペルーやメキシコなど、子供たちが物を売りに来る場面には
よく出会いましたが、たくましいなあ、という思いぐらいで
そこにそれほど大きな悲しみなどは感じませんでした。
でも、ここエジプトの子供たちは
物を売るためなら人をだましても、嘘をついても
人が嫌がっても構わないという大人の男たちのエネルギーそのまま持っていて、
それがさらに満たされていない子供たちの内面を感じさせました。
この子たちが、これから安心して満たされた生活を送ることができる日は
来るのかしら?
そんな思いがかけめぐりました。
必死で食い下がってくる子供たちに対して
何か買ってあげたいという気持ちはあっても
彼らが売っているのは、私にとってはゴミにしかならないものばかり。
こういう場面では、おさむはスタスタと歩いていくし
私がお金をあげたりするのを、いい顔をしないのはわかっていたので
私もその思いを抑えて無視して歩いたのですが
何度も引き返して、あの子たちにお金を渡そうか
という衝動にかられていました。
そんなことをしたとしても、何も根本的な助けにはならないことも
よくわかっていましたが
何かいてもたってもいられない感覚になるのです。
それで、ああ、まだそんな感情が私の中にあるのだということが
わかったのですが、旅の間は、そのことはおさむにも言わないままでした。

そして、それが旅から戻ってきて、エビに当たった身体のデトックスとともに
その感情が出てきたのでした。
その日の夜にキネシオロジーのセッションを
おさむに手伝ってもらいながら行って
出てきたのは、前世のエネルギーもありましたが
最も大きかったのは集合無意識でした。
私たちの社会では、社会の弱者、悲しい出来事、悲惨なこと
そういったニュースがあふれていますが
それはつまりは、人々の意識の中にそういう意識が
多く共通してあるということなのです。

私は普段、社会の悲惨な状況やニュースなどは
なるべく見ないようにしていました。
以前は、そういうものばかり見ていた時期があったのですが
そういうのを見ても、けして楽しい気持ちにはならないですし
そんなものを見て気持ちが落ち込みより
自分が今、できることにフォーカスした方がいいと思っているからです。
そういう情報にアクセスしなくなってから
悲しみや社会の不幸さに意識がフォーカスすることも
ほとんどなくなりました。
でも、このエジプトの子供たちを見た時に
けして、私の中にあった悲しみが
なくなっていたわけではなかったことがわかりました。

そして私が落ち込んだのは、まるで、その子たちには未来はないかのように
つまり、その子たち自身に力がないかのように感じてしまったからでした。

いつもの私はどんな人にも無限の力があることを知っています。
セッションをやっていてわかるのは
どんなに今、苦しい状況にいる人でも
そしてどうしたらいいか全くわかっていなくても
その人の身体(本質)はすべてを知っていて
どうやったらその状況から抜け出せるのか、
何を変える必要があるのかを、毎回私にクリアに見せてくれるのです。
どんな人にも、その人が全くわかっていない力が眠っていることを
叡智があることを、無限の力があることをいつも感じるのです。

でも、その子たちを見た時に、私は
今が例え、この子たちがハッピーな状況ではなかったとしても
いずれ、それを越える時が来る、今はそのためのプロセスである
そんな風に感じることができませんでした。
相手には力がない、ということは私自身にも力がない
ということを意味します。
私たちの本質はすべて一つだからです。
「苦しい人たちを見ても何もすることができない私」
に陥ってしまったのです。
私の感じた無力感はそこから来ていました。
それと同時に出てきたのは
こんなに不幸な子供たちがいるのに
私はこんなに恵まれて幸せである、というギルティ感。
よくクライアントさんへのセッションでも
自分だけが幸せになることへのギルティ感など出てきますが
実はそれは全くの幻想なのです。

自分が見るように世界はできています。
不幸な世界という見方をすれば、不幸な現実しか見えてきません。
いや、そうはいっても、世の中には悲惨な事件がたくさんあり
恵まれない子供たちがたくさんいる、と思われる方も多いですが
すべては私たちの意識が先にあり、そしてその現実ができてきます。
お金がないという現実があるから、豊かさを信頼できなくなる
のではなく、豊かさを信頼していないから、お金がない
という現実ができます。
それと同じように、世界には恵まれない子供たちや
不幸な人たちが多い、この社会は悲惨である
という意識を持った人が多いから
そういう現実が生まれてくるのですね。

そんなことはとっくの昔によくわかっていたことなのに
なぜか、このデトックスが始まってからの2日間の私は
いつもの自分ではなく
やるせなさや無力感に支配されていました。
そこからすぐに抜けることもわかってはいたのですが
胸に湧いてくる感情は止められないのですね。

そして、その集合無意識や前世とのつながりを切り
そういう感情のすべてをクレンジングしました。
その後、すぐに私のもやもや感は嘘のようになくなって
いつもの私の意識に戻りました。
過ぎてしまえば、一体、あれは何だったんだろう?
と夢の中にいたかのような感じでした。
それですべてのデトックスは終わった、と思っていました。
(でも終わっていなかたのだ〜〜

と、文字制限になったので、分けてアップします~~





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最終更新日  2014年02月28日 11時08分13秒
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