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トールペイントを習い始めて、丁度1年が経ちました。まだまだ初心者の段階を乗り切れず、筆運びが上手く出来ませんが、都合よく歳のせいにしています(^^ゞ久しぶりに、最近の作品を載せたいと思います。先ずは、ティッシュボックス3点です。やっと薔薇の絵を描かせて頂きました。でも、この薔薇の描き方は初心者用で、本当の描き方は、もっと難しいのです。出来上がりに気をよくして、娘たちの分も作る事にしました。Aちゃん、Hちゃん、早い者勝ちだよ。上の3点の中から、好きなのを選んでメールで知らせてね^^我が家のトイレは、脱衣所の横に2個並んでいたのですが、数年前に一つだけ撤去して脱衣所兼洗面所を広くしました。そして、押し入れをリフォームして、二つ目のトイレにしたのですが、扉をそのまま使っているので、お客様は、トイレとは気が付きません。トールで標識を作ってみました。入れる文字は、いろいろ考えたんですよ。お手洗い、厠、WC、REST ROOM、TOILET等など…アメリカでは、TOILETは便器の意味だそうですが、イギリスでは、REST ROOMは、意味通り休憩所の事。考えた結果、やっぱり、日本語のトイレ⇒TOILETにしました。絵の拡大です。ニスを塗った後に写したので、光ってちょっと分かりにくいのですが…離れて写したらこんな感じ。標識がなければ、ただの押入れです。今まで、右上にあるように、「Restroom」の標識を貼っていたのですが、なかなか意味が理解されなかったのです(苦笑)昨日(6/29)、あわじオープンガーデン交流バスツアーがありました。豊岡地区のオープンガーデンを見学してきたのですが、お庭のお話は、次回という事で、今回は、お庭見学の前にあった、ボードペイントと寄せ植えの実習です。とよおかオープンガーデン実行委員会のお世話で、実習が始まりました。こんな手作りボードを用意して下さっていました。ボードの右上に貼られている二つの丸は、暗くなると光るんです。それを中心にして、ステンシルでお花を描きます。描き終わったら、多肉2種とリシマキア オーレアを入れました。帰宅して、玄関横の壁に取り付けました。築80年以上経つ、古い我が家にも似合ってくれました。表札になってくれたかしら… いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 30, 2013
昨日のブログで、名前の分からなかったお花は、フルーミントさんとふーちろさんが、名前を教えてくださいました。ヘメロカリスネット検索で調べてみましたら、ヘメロカリスは初夏から夏にかけて次々と花を咲かせる多年草で、日本にはニッコウキスゲやノカンゾウ、ヤブカンゾウが自生し、古くから親しまれています。と書かれていました。そういえば妹が、この黄色の花の苗も一緒に持って来て、「ニッコウキスゲのような花が咲く」って言ってたのを、すっかり忘れていました(^^ゞブルーミントさん、ふーちろさん、教えて下さってありがとうございました。バラ作りに興味を持ち出して4年目。今年は、みんなに自慢したい位綺麗に咲いてくれました。トルコ旅行に行く前に、急いで撮ったバラ達の写真が、ブログで紹介されないまま、今までSDカードに残っていました。もう、一か月も過ぎてしまいましたけれど、記録の為にUPしたいと思います。今年咲いたバラで、未だ紹介していなかったバラ達です♪アンネの思い出エルモサラベンダー・レースオールド・ブラッシュガブリエルクイーン・オブ・スエーデングラハム・トーマスクリック!<拡大画像>コーネリア&ダイアナーシャルロットシャンテロゼ・ミサトダブル・デライトチャールス・ダーウィンテラコッタニュー・ウエーブクリック!<拡大画像>バレリーナバレリーナピンク・アイスバーグブラック・スワンムタビリスモリニューラ・フランスリッチフィールド・エンジェルクリック!<拡大画像>雪あかり朝 雲粉 粧 楼緑 光名無しさんゲイシャこれだけは、先日やって来た新入りさんです。青い月さんの所で一目惚れ。購入先を探していましたら、彼女がリーズナブルなお値段の苗で売られているお店を教えてくださいました。なんと、743円というお値段にも拘らず、蕾がいっぱい付いたしっかりとした大株の苗が届いたのです。以来、毎日可愛いお顔を見てホッコリしています^^青い月さん、ありがとうございました。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 27, 2013
日本各地で大雨が降っているようですね。大きな被害が出ない事を、みんなでお祈りしましょうね。ここ淡路島は、ありがたい事に雨足はそんなに強くなくて、水遣りが助かる程度の降り方。植物たちもイキイキしています。5月下旬のトルコ旅行で、春のお庭の様子がブログにUP出来ずじまいでしたので、遅まきながら、本日ご紹介します。クリック!<拡大画像>メインガーデンから木製のアーチの向うを覗いたところ。旅行に行く前に撮ったので、まだバラたちが綺麗に咲いています。左端の矮性アルセア(タチアオイ)は、まだ蕾でした。クリック!<拡大画像>1年前の庭のミニ改造で、モッコウバラやユキヤナギを撤去した後は、こんな感じになりました。アーチの左側にはローズ・ポンパドール右側にはレッド・カスケード来年には上まで届く事でしょう♪そして、イナバの物置の壁にはマダム・イサク・プレールで、奥のタンクの壁にはロココが咲いています。ベンチの足元には、友人のキーコさんから頂いたカンバニュラ(ホシキキョウ) が、綺麗に咲いてくれました。ちょっと大きく育ち過ぎて、パンジーや踏み石なんかが埋もれてしまいましたが。涼しくなったら株分けをしなくては…· レヴィピンク昨春、佐渡島へ行った時に買ってきたものです。レヴィピンク今、スカシユリでお花が残っているのはこれだけ。ブライト ダイアモンドこれも、一緒に買ってきたのですが、ブライト ダイアモンドお花が痛んできたので、昨日、全部の花柄を摘みました。このオレンジ色のスカシユリと、黄色のスカシユリは、同級生のアッチャン(一緒にスイスへ行った)から頂いたものです。もう、お花は終わっています。絵手紙教室が先生のご都合で終わり、最近、奇跡の星のボランティアへも行っていないので、彼女とは、最近滅多に会うチャンスがないのですが、偶々、明日一緒にランチの約束をしました^^大好きなテッポウユリは、綺麗に咲いて、私たちの帰国を出迎えてくれたのですが、クリック!<拡大画像>今は、もうお花がありません。百合に似たこのお花…淡路の妹が沢山持って来てくれたのだけど、なんていう名前なんでしょう???株全体はこんな感じなんですが…国道の法面一面に広がったイワダレソウの中で、現在、次々と可憐にさいています♪イワダレソウのアップです^^次回は、これも更新しそこなっていた、今春に咲いたバラの花です。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 26, 2013
やっと梅雨らしくなってきました。今年の梅雨は男性的。曇り空が多いので、庭仕事がやりやすく助かっています。淡路島でも、一斉に田植えが始まり、車で走っていると、水が張られた田んぼに緑の苗が揺れ、清々しい感じがします♪久しぶりに、庭のお花たちをご紹介しますネ♪アガパンサスが咲き始めました。クリック!<拡大画像>国道のガードレールに際に、ズラッと植えています。写真ではちょっと分かりませんが、電柱の向う側にも、それから、私がカメラを持っている場所の反対側にも。アガパンサスは、世話要らず。別に特別な手入れをしなくても、毎年涼しげなブルーのお花を付けてくれるんですよ(^^)v昨春、白モッコウバラのアーチの歴史というブログを書いたのですが、そのアーチは、今春にはアブチロンで綺麗に覆われました。ブロ友のROUGEさんから頂いた朝雲とのコラボです^^朝雲さんは、2番花というよりも、次々とずっと咲いています♪淡路の薔薇友のMさんから頂いたストレプト・カーパス寒い冬を越して、又咲き始めました♪昨春、タキイからお迎えした矮性アルセア コンフォート4色買ったのですが、八重咲きの豪華で存在感のあるお花で、薔薇の花が少なくなった庭を彩っています。クリック!<拡大画像>ただ、花壇に植えたのがちょっと失敗!矮性種で背丈が高くならないはずが、結構伸びてしまいました。どうも、我が家の草花は、私に似て、大きくなりがちみたいです(^^ゞ蝶々の様なお花のガウラ。今年も、国道の法面でヒラヒラと舞っています♪ベルガモット花の形からタイマツソウの別名の別名があります。赤、ピンク、白、紫などがありますが、我が家のはピンクだけ。花を観賞するだけではなく、葉や花をティーとして利用することもできるハーブとしての一面も持っているんですよ。アリストロメリア雑草のように強いお花ですよ。可愛いお花を繰り返し咲かせてくれるのですが、増え過ぎるのが難点かも…八重咲きのムクゲ近所の方に枝を頂いた挿し木しました。桔梗昨秋、奇跡の星の植物館の鉢花交換券で頂いてきたもの。冬に枯れたと思っていましたら、春に芽が出て、涼しげな花が咲き始めました(^^)v日々草晩秋に鉢あげして、お部屋で冬越し。又花が咲き始めましたよ(^^)vヘデラでハート型を作り、足元にはサフィニアを植えたのですけれど^^ヘデラ…未だちょっと貧弱ですよね(^^ゞあまりお水を遣らない方が、甘くて美味しいトマトが出来るのだとか。そこで、梅雨対策の雨よけ用の覆いを奮発しました。中は結構広いので、入って収穫できます。でも、これを設置するのに、ツーセットで、2980×2=5960円かかりました。収穫出来るのは、トマトが旬になって、価格が下がってから。これから毎年使えるのだけど、安い時の6千円分のトマトって、2人では食べられないよね(苦笑) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 25, 2013
文字オーバーで引っかかったので、今日は、二つに分けて更新しました。6月22日の日記の後半です。次の見学は、薬師寺です。興福寺と並んで「法相宗」の大本山です。天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願する為に、発願されたお寺です。本来の薬師寺は、藤原京にありましたが、平城京遷都で、現在地に移されました。金 堂昭和51年再建されました。一見四重の建物のように見えますが、二重の建物で、上・下層とも裳階(もこし)と言う庇状のものが設けられていてとても美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。金 堂(反対側)中には、薬師三尊像<国宝>白鳳時代が祀られています。とても美しいお姿に圧倒されます。この素晴らしい仏像を火災から守るため、金堂の中央部分は鉄筋コンクリート造りで、防火シャッタ―が付いています。そして、周辺部は木造建築になっています。<館内は撮影禁止>西 塔(さいとう) 兵火で消失したのを、昭和56年に約450年ぶりに、当初の白鳳様式をもって再建。一見、六重の塔のように見えますが、各重に裳階(もこし)の付いた三重塔です。西塔のの再建直後に、友人と訪れた事があります。当時の名物管長・高田好胤氏にお目にかかった、嬉しい思い出があるんですよ^^東塔は解体修理中でした。大 講 堂弥勒三尊像(重要文化財)白鳳~天平時代が祀られています。国宝ではないので、防火シャッターは付いてないそうです。大 講 堂こちらも館内は撮影禁止だったので、外から仏様を写してみました。玄奘三蔵院伽藍玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。昭和17年に南京に駐屯していた日本軍が、土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見。昭和56年に薬師寺にご分骨、平成3年、玄奘三蔵院伽藍が建立されました。又、平成12年、平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」が、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にあり、見学してきました。<ここも撮影禁止>東 院 堂(国宝)8世紀初めに、吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、建立されましたが、火災で焼失。現在の建物は、13世紀に再建。堂内には、聖観世音菩薩像(国宝)白鳳時代がお祭りされていますが、私たちが行った時は、何処かの博覧会に貸し出されていてお留守。代わりに、兄弟仏像が安置されていました。回 廊東院堂の前にあり、複廊式(壁の反対側にも回廊がある)になっています。平山郁夫画伯の大壁画を鑑賞後、集合場所に戻っていると、今の時期には珍しい萩の花が咲いていました。昼食場所に入口には、ノウゼンカズラの花が咲いていました。この日本史学習シリーズは、現地について直ぐに昼食。前回も今回も11時の昼食でした。その後、一気に見学をして帰路につくのです。前回は、ビックリしましたけれど、効率を考えると、その方がいいのだと思うようになりました。でも、今回はバイキング。地元の食材を使った、野菜中心の健康的なメニューという事でしたが、これだけ頂くと、お腹いっぱいになりました。アイスクリームやスイーツ、果物類は、全部横目で眺めるだけ(苦笑)そういえば、先日のトルコ旅行の、朝食と夕食は、すべてホテルのバイキングでした。バイキングの時って、写真に残すのが難しいですよね(^^ゞ
June 22, 2013
今月の10日(月)、5月から始まった日本史を学ぶ2回目のバスツアーに参加しました。前回は、飛鳥時代の政治を学びましたが、今回は、飛鳥時代の文化でした。頑張ってお勉強した事を記録しますので、興味のない方はスルーして下さいね。最初の見学先は法隆寺飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築で、日本で最初に「世界遺産」として登録を受けた場所です。南 大 門(国宝)法隆寺の玄関にあたる総門で、室町時代の建設です。五 重 塔 & 中 門(両方国宝)中門には、この写真でも分かるように入口が2つあります。右側は、金堂への入口で、左側は五重塔への入口だという説もあるそうですが…、中 門(国宝)重厚な扉の左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものだそうです。中門の深く覆いかぶさった軒やその下の組み物・雲斗雲肘木そして、卍崩しの高欄、人字形割束は、飛鳥建築の粋を集めたものです。金 堂(国宝)<飛鳥時代>法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂時期的に、修学旅行生がいっぱいいました。彼らは、サッと来てサッと帰るので、それを見過ごしながらゆっくりと見学しました^^五 重 塔(国宝)7世紀末に建てられ、法隆寺では金堂に次いで古く、日本最古の塔燈 籠桂昌院が子息の徳川綱吉の武運長久を祈願してこの燈籠を建立されました。中台に徳川家の家紋「三つ葉葵」と桂昌院の実家・本庄家の家紋「九目結紋」が並んでいます。自分の実家の家紋を三つ葉葵と同等に並べるなんて、桂昌院の力がどれほど強かったかが想像できます。日差しを避けて、これも国宝だという廻廊で、講師の先生から、説明を受けています。金堂、五重塔の両方の屋根の庇は、とても深くて美しいのですが、重さで垂れるのを補強する為、庇を支えるための支柱を後付けしたそうです。金堂に付けた支柱元禄の修理で、彫刻なしの支柱を龍の彫刻付の支柱に取り替えました。台風3号が近づいていた為、天気予報では、午後から雨の予定でしたけれど、青空が見えています。夢 殿<奈良時代>聖徳太子が住んでいた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。そして、その中心となる建物がこの夢殿です。名前の由来は、聖徳太子が夢殿で三経の注釈書を作成中、難解点が出る度に夢の中に仏が現れて解説を受けたという説話によるものです。ただ、聖徳太子の夢殿とは焼失した前の夢殿だそうです。法隆寺は、所有する国宝建造物は18。そして建築ばかりではなく、国宝の彫刻も17件も所有する凄いお寺なんです。文字オーバーで引っかかったので、二つに分けて更新させて戴きます。***** つづく *****
June 22, 2013
今まで空梅雨だと思っていたのですが、やっと本格的な梅雨が始まるようです。でも、台風4号が不気味にこちらを窺っているので、近づくにつれ、梅雨前線を刺激しないか心配です。私のブログのジャンルは、一応は園芸。でも、最近ずっと園芸の事は書いていませんでした(^^ゞ庭の薔薇も、トルコへ行く前に撮っていたのですが、旅行記を優先したお陰で載せずじまい。今年の薔薇の記録なので、その内載せたいとは思っているのですが。で、今日は、久しぶりにお花の写真・アジサイです。季節の花を優先しました^^今日、数えてみましたら、庭と国道の法面とで、大小合わせて約50株のアジサイがありました。薔薇が終わった後に、庭を彩ってくれています。この写真は、1週間位前に撮ったものです。先日の久しぶりの雨で、お花が大分傷み、翌日、何本かバッサリと剪定を済ませました。今年は、どういう訳が、例年になくアジサイの花の痛みが速い様な気がします。他の方はどうなのでしょうか???クリック!<拡大画像>ニュードーンをバックに、左から山アジサイ、紅、名無しさん、墨田の花火みんな、挿し木から育てました。墨田の花火15年前に、私が淡路に帰って来た時、大阪の妹が鉢植えで持って来てくれたもの。今では、私の背丈位もあります。墨田の花火は、挿し木も含めて、5株あるのですが、アルカリ土壌のせいでしょうか、みんな、ほんのりとピンク色をしています。ブルースカイ以前、あわじ花山水で一目惚れしてお迎えしたものです。ブルースカイ我が家の土壌の関係で、青いアジサイがみんな赤系になる中で、これは、名前の通り綺麗な青色です(^^)vエンドレスサマー名前のように、夏から秋にかけても花芽が出来て花が咲きます(^^)vエンドレスサマー昨年、ブロ友のROUGEから頂きました。やさしい素敵な色合いです♪てまり てまり一昨年、奇跡の星の植物館友の会のお誕生日プレゼントで頂いたものです。これから咲き始めるところですね^^てまり てまり名前のように、まん丸な形をしています。土壌調整でピンクにもなるそうですが、薄い水色なのも嬉しいです♪フェアリーアイこれも、てまり てまりの前の年に、お誕生日プレゼントで頂いたものです。土壌調整で、赤や青に変わるのですが、フェアリーアイ我が家では、青いお花の中に、フェアリーアイ2~3輪、ピンク系が混じっています。ヤマアジサイ“紅(くれない)”咲き始めはピンクっぽい白で、咲き進むにつれ赤色に変化していきます。ヤマアジサイ“紅(くれない)”カシワバアジサイ スノーフレーク咲き始めは素敵なのですが、咲き進むと、お花の重みで下を向き、樹形が見苦しくなります。剪定でいい形にするのが難しいので、お花が終わったら、可愛そうだけど撤去の予定です。ゴメンネm(__)mその後には、多分バラさんが来ることでしょう(苦笑)左側がカメレオン ホバリア・ホベラ私の好きなアジサイなのですが、うっかり、お花のアップを取り忘れていました(^^ゞ今朝慌てて撮りに行ったのですが、時すでに遅し。お花が痛みかけていて、アップには耐えられません(滝汗)これ以降のアジサイは、みんな挿し木から育てたので、名前は分かりません。留守の多い私でも、アジサイなら、挿し木した鉢に、ビニール袋を被せて、日陰に放っておくだけでいいので、簡単に根付くのです。今年は、フェアリーアイを集中的に挿し木にしようと思っています。これは、青いアジサイを差したのですが、庭に植えると、赤になってしまいました。とても大きなお花の集まり♪元気印の色ですね^^これも本来なら青色の筈なんだけど…赤紫の中に、こいピンクが混じっています。本来のアジサイらしく、色合いの変化くグラデーションのあるアジサイ。こういうのも大好きです~~~☆彡これも、青いアジサイを挿し木したのですが、変なむらさきになってしまいました。こちらは、何とか青色を保ってくれています、尖がった花びらの小さな花の集まりがいいですよね。アジサイは、簡単に挿し木で増やす事が出来るし、夏の水遣り以外は手間要らず。毎年綺麗なお花を付けてくれます。それに比べると、バラは結構手間暇かけないとダメなんですよね。それなのに、それなのに、少しずつ、アジサイさんがバラさんに占領されていく我が家です(苦笑) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 19, 2013
トルコの歌、今回はこれです。♪ Mustapha (ムスターファ) ♪ 1960 Ya Mustapha, Ya Mustapha Che`ri je t'aime,che`ri je t'adore Como la salsa del pomodore Che`ri je t'aime,che`ri je t'adore Como la salsa del pomodore ※ Ya Mustapha,Ya Mustapha Ana ba habak,Ya Mustapha Ya Mustapha,Ya Mustapha Ana ba habak,Ya Mustapha Thala Ya Mustapha Ya ebn Sarhane Guib taamira agami, we` lef aal guirane Wamma yigui ke`fo,ke`fo Yeshrab aala ke`fo,ke`fo Wamma yigui ke`fo,ke`fo Yeshrab aala ke`fo,ke`fo ※Repeat Tu m'allumai avec une allumette Et tu m'as fait perdre la te^te Puis quand ta me`re, elle est partie Un bon cafe`,tu m'a servi ※Repeat Ya Mustapha, Ya Mustapha Ya Mustapha, Ya Mustapha Ana ba habak, Ya Mustapha Sabaa se`nine fel Attarine Del wa'ti guina "Chez Maxim's" 歌を聴きながら歌詞をなぞっていくと、少し違った箇所がありますが、ご容赦くださいね。トプカプ宮殿観光の後には、エジプシャン・バザールに行きました。入口から中を眺めた所。人・人・人・・・まるで、神戸のルミナリエ見物の様な人の列(滝汗)その昔、この市場がエジプトからの貢物を集め、設営されたことにちなんで、エジプシャン・バザールと呼ばれているそうです。先に行ったグランド・バザールと比べると、食料品や家庭用品などが豊富。イスタンブール庶民の台所で、生鮮食料品や香辛料が、ところ狭しと並んでいます。通称スパイス・バザールとも呼ばれているそうですが、私は、人ごみの他、このスパイスの匂いも苦手。マタマタ早々に退散しました(^^ゞボスボラス海峡クルーズアジアとヨーロッパを分ける南北約31kmの海峡を、景色を眺めながら楽しむクルーズの旅。ガラタ橋ヨーロッパサイドの旧市街と新市街を結ぶ橋。橋の上では、沢山の人たちが魚釣りを楽しんでいます。金角湾から出航してガラタ橋を潜り抜け、ボスボラス海峡へ小さな船出♪最初は、左舷のヨーロッパサイドの眺めを楽しみます。(船は、陸と違って左側通行のようです)丘の上には、左から、ブルー・モスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿巨大な客船が停泊しています。船の名前は、COSTA DELIZIOSAイタリア船でしょうか・・・午前中は、もう一艘泊まっていました。この船で、地中海クルーズが楽しめるのでしょうね。ドルマ・バフチェ・ジャーミー「ジャーミー」とは、モスクの事のようです。ドルマ・バフチェ宮殿かってのスルタンの居城私たちは内部を見学しませんでしたが、バロック様式とオスマン様式を折衷させた、壮麗な宮殿だそうです。私たちの船を追い抜いて行ったのは、海上ポリスかな???チュラーン宮殿19世紀に建設されたオスマン帝国の宮殿小ぶりながらも、オスマン帝国後期の豪華絢爛ぶりを垣間見られる瀟洒な宮殿現地ガイドさんが通われたという中学校。可愛いですよね♪海峡に浮かんだ水上レストラン有名人もお忍びで来る高級レストランなのだとか。ここでも、魚釣りの人々が…ボスボラス海峡沿岸では、至る所で魚釣りを楽しんでいました。ルメリ・ヒサール1452年、メフメット2世が、コンスタンチノーブル攻略の為に築いた要塞。アジア側のアナドル・ヒサールと向かい合うように建てられ、海上封鎖でビザンチン帝国への武器や食料の運搬を阻止したとか。第2ボスボラス大橋この橋を潜ってUターン。今度は、左手にアジア側を見物アナドル ヒサールちょっと分かりにくいのですが、右側の白い建物の後ろに見える要塞。また、海峡沿いの建物は、海に面して玄関を作る伝統的な別荘・ヤルキュチュクス宮殿先ほどの大型客船が出航したようです。次の寄港地は何処なのかしら・・・ベイレルベイ宮殿右手に少し見えるのは、第1ボスボラス大橋乙女の塔(クズ塔)かって刑務所や灯台として使用され、現在は人気レストランになっているそうです。この塔には、今回は省略しますが、名前の由来となった悲しい伝説があります。前日まで続いた晴天は終わって、この日は薄曇り。紺碧の空をバックにした写真は撮れませんでしたけれど、甲板の上で心地よい風に吹かれて、西洋と東洋の両方の風を感じるクルーズを楽しみました。最終日は、バス移動はありませんでしたが、その分、徒歩での観光が多くて、歩行数は17500歩でした。トルコ旅行記は、これでお終いです。長い間お付き合いありがとうございました。上のYouTubeのムスターファは、坂本九ちゃんが、悲しき60歳の題名でカバーしています。これ、歌の内容から、ずっとトルコの歌だと思っていたのだけど、ブログに載せるにあたって調べてみましたら、なんとエジプトの歌でした(滝汗)どうしてトルコって歌詞なんでしょう???青島幸男氏が適当に作ったの…(苦笑)今でこそ、トルコ旅行をする人が沢山いますが、まだ海外旅行が個人的に出来なかった1960年代に、イスタンブール、ウスクダラ、ムスターファ等のトルコの歌が、日本で流行っていたのです。私たちにとっては、その頃のトルコは、決して行く事のない、遠い遠い異国の国でした。でも、そのトルコの国では、明治の中頃、和歌山沖でエルトゥールル号が遭難した時、日本人が助けてくれた話を、学校の教科書に、以来ずっと載せていたそうです。このエルトゥールル号遭難事件は、日本人よりもトルコ人の方がよく知っているそうです。トルコ人はとても親切で、助けてあげても恩返しは期待しませんが、親切に されたら必ず恩返しをするという国民性だそうです。何だか嬉しいですよね^^
June 17, 2013
魅惑のイスタンブールは、見どころがいっぱい!とても2回では載せきれないので、この後、もう一回載せたいと思っています。前回のリンダさんのコメントに、「トルコの歌なら、ウスクダラでしょうか」とあって、そう言えば、ウスクダラなら、私も1番くらいは歌詞を覚えていました。懐かしく思い、YouTubeで探してみました。 Üsküdara gider iken, aldýda bir yagmur. Üsküdara gider iken, aldýda bir yagmur. Kâtibimin setresi uzun etegi çamur. Kâtibimin setresi uzun etegi çamur. Kâtip uykudan uyanmis gözleri mahmur. Kâtip uykudan uyanmis gözleri mahmur. Kâtip benim ben kâtibin el ne karýsýr. Kâtibime kolali da gömlek ne güzel yarasir Üsküdara gider iken, bir mendil buldum. Üsküdara gider iken, bir mendil buldum. Mendilimin içine de lokum doldurdum. Mendilimin içine de lokum doldurdum. Kâtibimi arar iken, yanýmda buldum. Kâtibimi arar iken, yanýmda buldum. Kâtip benim ben kâtibin el ne karýsýr. Kâtibime kolalý da gömlek ne güzel yarasýr.ブルーモスク見学の後は、アヤソフィアでした。ビザンチン帝国の最盛期を統治していた皇帝ユスティニアヌス1世によって、537年に完成したキリスト教の大聖堂です。キリスト教のモザイク画。イエス・キリストと聖母マリアにコンスタンティノープルを献上するコンスタンティヌス1世(右)アヤソフィアを献上するユスティニアヌス1世(左)ちなみに、前回のYouTubeの歌にあったように、コンスタンティノープルは、イスタンブールの前の名前です。アヤソフィアは、反乱の放火での焼失や、度重なる地震による倒壊から再建を繰り返したそうですが、オスマン帝国時代にメフメト2世がモスクへと改修。モザイク画はモスクになった際に漆喰で塗りつぶされてしまいました。でも、壊さないで塗りつぶしたお陰で、キリスト教とイスラムが教が共存するという珍しい場所となりました。ふたつの宗教が混ざり合っているといえば、昨年行ったスペインのアルファンブラ宮殿や、コルドバのメスキータを思い出しました。2階に上がって全体を見下ろしました。建物が大きいので、観光客が蟻のように見えます。洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれたイエス・キリストのモザイク画。キリスト像だけをアップイエス様は、どの位置に立っていても、ジッとこちらを見て下さっていてくれます。2階は回廊になっていて、下を見ながらグルッと回る事が出来ます。バスの車窓から6匹ならんだ子ヤギ(?)の彫刻が可愛かったので思わずパチリ!次は、トプカプ宮殿です。中庭に入ると、可愛い王子さまがいました^^何かイベントでもあるのかしら???15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設約400年にわたって、スルタン(オスマン帝国の皇帝)の居城だった所です。つまり、1472年に宮殿の運営がはじまり、1856年に宮殿を他へ移すまでの間。日本では、室町時代から江戸時代の終わり頃迄でしょうか。敷地面積が70万平方メートルという途方もなく広大な宮殿。今回は、ガイドがなく、自由行動で見学した為、詳しい説明は出来ませんが、かっての帝国の繁栄と、スルタンの豪華な生活ぶりが想像できる素晴らしい装飾の数々に、ため息の連続でした。上の3枚の画像は、暖炉だと思いますが、これは、蛇口が付いているので、礼拝前に身を清めた所でしょうか???タイルの間美しいイズニックタイルにおおわれています。黄色はサフラン、青はコバルト、赤はサンゴを原料にしています。以後の画像は説明がありませんが(出来ない)、みなさんも、その時の私の気持ちになって、この素晴らしい装飾の数々をお楽しみくださいね。ここからの4枚の画像は、美しいトルコ絨毯です。ここからは、繊細な模様のタイルの数々イスタンブールの観光は、まだまだ続きます♪ウスクダラは、江利チエミさんの歌で覚えたような気がします。
June 15, 2013
さて、いよいよ最後の観光地・イスタンブールになりました。私たちが帰国した日に、イスタンブールで始まった反政府デモ、終結するどころか、全国的に拡大しているようです。イスタンブールには、沢山の観光客が来ていましたけれど、今は、観光どころではないでしょうね。イスタンブールに関する歌と言えば、大抵の人は、庄野真代の「飛んでイスタンブール」が思い浮かぶ事でしょう。でも、私の世代ではこれです。バックミュージックを楽しみながら、旅行記を読んでいただけたらと思っています。Istanbul was Constantinople Now it's Istanbul, not Constantinople Been a long time gone, Constantinople Now it's Turkish delight on a moonlit night Every gal in Constantinople lives in Istanbul, not Constantinople so if you've got a date in Constantinople she'll be waiting in Istanbul Even old New York was once New Amsterdam Why they changed it I can't say People just liked it better that way So take me back to Constantinople No, you can't go back to Constantinople Been a long time gone, Constantinople Why did Constantinople get the works? That's nobody's business but the Turks Istanbul イスタンブールは、オリンピック誘致に向けて、至る所で工事をしていました。まるで、東京オリンピック前の東京の様に…でも、道の両側の法面や、中央にあるグリーンベルトなんかは、綺麗に管理されていて、雑草が生い茂っている我が町の国道筋なんかは、是非見習って欲しいと思ったものでした。バスで移動していると向うの方に、スペインで見た水道橋のようなものが見えてきました。ヴァレンス水道橋ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建設が始まり、378年に完成したもの。現在は使用されていません。過去と現在を対比するように、交通量の多い道路を跨いで建っています。バスを降りて、スレイマニエ・モスクへ行く道中の風景お鍋の修理屋さんです。お店の構えも、文字が読めないのだけれど、何だか素敵!イヤホンガイドに安心して、私たちの事なんかお構いなしにズンズン進んでいくガイドさんに置いて行かれないように気を付けながら、歩きながら急いでシャッターをきりました(滝汗)ガイドさんの話では、カフェテラスの奥の建物は、由緒あるものだそうですが、何だったのかは、ちょっと思い出せません(-_-;)スレイマニエ・モスクへ着きましたが、沢山の人たちが入場するのに並んでいます。毎日のように大型客船が着岸するので、船からの観光客が、ワンサと押し寄せてくるのです。礼拝の前に、身を清める所です。オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主、スレイマニエ大帝が造らせた寺院で1557年完成。入り口の上にある素晴らしいカリグラフィ入るのに、女性は髪の毛が見えないように、スカーフを被りました。クリック!<拡大画像>ドーム装飾とシャンデリアの灯りが美しい内部正面にあるのが、ミフラープ。床にズラッとあるオレンジ色の部分に各人が座り、ミフラープの遥か向うにあるメッカに向かってお祈りするのです。ガイドさんに教えて頂きながら、私たちも、ここで礼拝の真似事をしました。又、街並みの風景を楽しみながら歩いて・・・イスタンブールの巨大市場・グランドバザールへ出入り口も沢山あって、迷子になりやすいので、集合場所は、この1番ゲートゲートの装飾が美しいのでアップでもう一度。中はこんな感じ。4000もの店が、迷路のように立ち並んでいます。面白い品がいろいろあって、見るだけでも楽しいのですが、兎に角、買い物客というよりは、観光客がもの凄く多い!!!田舎に住んでいる私は、人ごみに酔って、早々に退散しました(^^ゞローマの大競技場跡・ヒッポドロームには、3本の柱が建っていて、これは、テオドシウス1世のオベリスク遥かエジブとのカルナック神殿からローマ皇帝によって運ばれたものです。ブルーモスク正式名は、スルタンアフメット・ジャミイアスマン朝14代スルタンアフメット1世の命により、1616年に完成した巨大モスク。大きなドームと鉛筆型のミナレットを持つトルコを代表するイスラム寺院です。ミナレットは、全部で6本あって、これは、世界でも珍しいそうです。ブルーモスクの愛称の由来は、内壁を飾る青を主体とした美しいイズニック・タイルから。現在、殆どのタイルは剥れ落ちてしまいましたが、大ドームを支える柱の一部に、今でもオリジナルのタイルを見る事が出来ます。沢山ある素晴らしいステンドグラス上手く撮れませんでしたが、ズームで写してみました。私たちはイスラム教徒ではないので、大ドームの下までは入れませんでしたけれど、施された修飾は、どれもこれも美しく、首が痛くなるほど見入ってしまいました。ブルーモスクからアヤソフィアに行く途中、シューシャイン・オジサンを見かけました(*^。^*)この日は、長い移動がなかった分、観光が目白押し。1回では載せきれないので、続きは次回に…ちなみに、最初のYOUTUBUの歌・イスタンブールは、江利チエミさんも歌っています。
June 13, 2013
カッパドキアと言えば熱気球。雄大な景色を鳥になった気分で上から眺めるのをとても楽しみにしていたのですが・・・残念ながら、私たちが参加していた旅行会社は、当分の間、安全を取ってバルーンツアーの催行を中止したそうです(涙)せめて、下からでも気球を見たいと思って、早朝部屋から出てみました。午前5時30分頃、お日さまが顔を出しました。振り返って、反対方向を見ると・・・クリック!<拡大画像>気球が次から次へと大空に舞い上がっていました。命知らずの人たちが、いっぱいいるんですね~遠くからズームで写したので、あまりハッキリとは写っていません。近くから見ると、もっとカラフルで壮観なのですが…観光5日目も、カッパドキアです。カッパドオキアって、想像以上に広大な所でした。先ずは、ギョレメ野外博物館へカッパドキアでは、4世紀頃から多くのキリスト教徒が住むようになっていましたが、9世紀頃からイスラム勢力が強くなり、それから逃れる為に、岩を掘って洞窟に教会や修道院を造りました。その中心となった場所がギョレメでした。修道僧の修道院があった所尼僧の修道院があった所ギョレメ谷には30以上の教会があって、各教会の天井や壁には、素晴らしいフレスコ画が残っています。以前は、内部の撮影が出来たそうですが、残念ながら、今は撮影禁止。ノーフラッシュと書かれていてもフラッシュを使う人が多い為、壁画予防する為の措置だとか…これは、外側の壁に描かれていたので、撮影はOKでした。上の画像とこれは、暗闇の教会の入口の壁画暗闇の教会内部に入るには、別料金(8リラ)が必要な為、なんとなく入らなかったのですが、帰って調べてみると、名前の通りに太陽に照らされていなかった為、キリスト像や受胎告知、ベツレヘムへの旅、最後の晩餐などのフレスコ画がとても綺麗に残されているそうです。8リラをケチるんじゃなかったわ(-_-;)素敵なカップルに出会ったので、写真を撮らせて頂きました。この穴の中で鳩を飼って、その糞を肥料として使っていたそうです。暑い日でしたけれど、黄色い花を見ると、ちょっと元気になります♪こちらの花は、涼を誘ってくれます^^野外博物館を出た所にも壁画があったので、バスの中からパチリ!外の壁画は風雨に晒されているので傷んでいますが、洞窟内部の壁画は、みんなとっても綺麗に残っているんですよ。今回、内部の写真は撮れませんでしたが、一部の不心得な人たちの為に、他の人たちが不便を感じている事は、最近よくありますよね。昼食会場に向かっていると、何と富士山が見えるではありませんか!!!エルジェス山(3916m)独立峰で、富士山そっくりの形をしていますが、富士山よりも140m高いんですよ。昼食会場からは、ギョレメの谷の大パノラマが見渡せます。クリック!<拡大画像>左手の方には、ウチヒサルが見えます。ウチヒサルへお土産やさんが、ズラッと並んでいます。観光場所に行くと、どこもこんな感じ。「3つの要塞」という意味を持つウチヒサルは、カッパドキア一帯で、最も高い所にある村。中心にある岩山は、敵の侵入を防ぐ城砦として利用されていました。朝ホテルを出る時、3人のイケメンさんがお見送りしてくれました^^陶器工場見学の時の、足蹴りロクロの実演です。一品物の素晴らしい陶器が沢山陳列されていましたが、買いませんでした(^^)vトルコ絨毯店へ織り子さんたちです。気が遠くなるような、細かい作業をしていました。そして・・・絨毯の展示即売が始まりました。もう…素晴らしい絨毯が目白押し♪でも、幸か不幸か我が家には敷く場所がありません。写真だけを撮らせて頂きました^^カイセリ空港から17:40発のトルコ航空で再びイスタンブールへ翌日は最終日、イスタンブール観光です♪バスの走行距離:70km歩行数:9500歩***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 11, 2013
観光4日目は、コンヤを出発し、カッパドキアに向かいます♪カッパドキアは、アナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯。数億年前のエルジェス山の噴火によって造られたもの。火山灰と溶岩が数百mずつ積み重なった末、風雨に打たれて浸食されていき、固い部分だけが残って、不思議な形の岩が残ったのだそうです。到着後の最初の観光は、カイマルク地下都市キリスト教徒が、アラブ人の迫害から逃れるために造ったと言われています。地下都市は、カッパドキアに300以上あると言われていますが、その中でもここは、多い時には5000人以上暮らしたという巨大なものです。※上の画像と後の画像の色合いが違うのは、上の1枚はノーフラッシュで、後はフラッシュを使った為です。内部は、地下8階まであって、私たちは、地下5階まで見学しました。大きな石の上にある穴は、香料を潰すためのすり鉢の様な役目をしたものです。ワイナリーもあります。壁が凹んだ所にワインを入れた瓶を保存したのだとか。昼食は、洞窟レストランで。ハーブの効いたヨーグルト風味のスープ<よく出てきました>インゲン豆の煮込み料理<インゲン豆の料理も多かったな~>テーブルの手前に沢山のカメラが置かれているでしょう?添乗員さんが、順番に記念写真を撮ってくれています^^カッパドキアは、ワインの産地。金賞を取ったという特選赤ワインをオーダー<グラスワインで15リラ>お酒が苦手な私でも飲みやすくて、美味しく全部いただいたので、夫がびっくりしていました(苦笑)ニジマスの塩焼き今まで、ニジマスは、あまり好きではなかったのだけど、不思議なくらい美味しく頂きました。そろそろトルコ料理に慣れてきたのかも知れませんね^^デザートは、タピオカ入りゼリーいよいよ奇岩観光の始まりです♪デヴレント渓谷ここのラクダ岩とも呼ばれている岩が有名。 ラクダ岩 デヴレント渓谷の岩の上部に開いている穴は、キリスト教徒の隠れ家跡。パシャバーの谷不思議な地形です。パシャバーは、キノコ岩が林立する奇岩観光のハイライトです♪カッパドキアといえば、大抵の人は、この風景が目に浮かぶと思うのですが…煙突に似たこれらの岩は、その中に妖精が住んでいたという伝説から、「妖精の煙突」とも呼ばれています。教会だった所ここは、中に入ることができました。旧教会の窓から見た風景です。ギョレメ・パノラマという絶景ポイント。遠くには、ローズバレーが見えます。名前通り、雄大な素晴らしい眺めでした。トルコ名物の伸びるアイスクリーム「ドンドゥルマ」実演付きです^^<於 ギョレメ・パノラマ>なんて可愛い荷車!お店の前にチョコンと置かれていたのだけど、売り物かしら???スリー・シスターズ(三姉妹)ユルギュップ入口の高台にある展望スポットにあります。「親子岩」とも呼ばれているそうです。クリック!<拡大画像>ウチヒサルカッパドキア一帯で、1番高い所にある小さな村。この写真は、遠くから望遠で写しましたけれど、翌日は、もっと近くまで行きました。バスの走行距離:230km歩行数:9100歩翌日も、カッパドキア観光です。カッパドキアは、想像以上に広い所でした。*****つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 9, 2013
2009年に中国の黄龍で素晴らしい石灰華段を見て感激したのですが、トルコにも同じようなのがあると聞いて、以来、ずっとトルコに行ってみたいと思っていました。クリック!<拡大画像>それは、パムッカレの石灰棚です。長い年月を経て凝結した温泉の石灰分が、不思議な風景を作り出しています。国内有数の温泉保養地で、珍しい石灰棚は、世界遺産に登録されているのです。クリック!<拡大画像>パムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味。将にお城のような景観です。向うに見えるのは、パムッカレの村夾竹桃が真っ青な空に映えています。実際、毎日ずっと晴天続きで、最近の日本では見かけられないような紺碧の空。トルコには、薔薇の他、夾竹桃もよく見かけました。遠く上の方に、沢山の人がいます。行ってみると・・・ここは、石灰棚の上を、裸足なら、歩いてもOKな所でした。殆どの所は、立ち入り禁止になっているのですが…ちょっと温めの温泉水が溜まっていて、それぞれに感触を楽しんでいます。前日のレッド・スプリングの足湯は入りませんでしたが、ここには、ちょっとだけ入ってみました。何だか、子供に返ったような楽しい気分♪クリック!<拡大画像>こちら側は、立ち入り禁止の所ですが、現在温泉が枯れつつあるので、温泉水は流れていませんでした。石灰棚と隣接して古代遺跡・ヒエラポリスがあります。そこのアンティーク・プールで楽しんでいる人々。プールの底にはギリシャ・ローマ時代の遺跡がごろごろしていて、その上で遊べるなんて、なんという贅沢!ヒエラポリスは、紀元前190年に始まった都市の遺跡。「ヒエラポリス」とは「聖なる都市」という意味だそうです。途中のトイレ休憩の場所で、珍しいスィーツ(5リラ?)を頂きました。ちょっと変わったヨーグルトの様なものに、はちみつとケシ粒がかかっています。あまりお味を期待していなかったからでしょうか、結構美味しく頂きました(^^)v昼食は、トルコの湖水地方にあるエイルディル湖の湖畔で、トルコ風ピザの昼食です。食事の画像はありませんが…(^^ゞガイドさんが、「今日の湖の色が綺麗でよかった!」って言われていましたが、お天気が好かったからでしょうね^^エイルディル湖は、吸い込まれそうな綺麗な色をしていました(^^)v延々と続く小麦畑。トルコの食糧需給率は100%なのだとか。やっとコンヤに到着。イスラム神秘主義・メヴラーナ教の総本山です。カラタイ神学校13世紀中ごろに、カラタイ宰相によって造られた神学校。現在は、陶器博物館になっていて、内部は、美しい陶器モザイクで飾られています。<中は撮影禁止>美しい浮き彫りスタラクタイト(鍾乳石飾り)で飾られていて、芸術的価値の高い門。メヴラーナ博物館一般公開されているにも関わらず、まだまだ宗教的色彩が残っているのでしょうか、女性はスカーフで髪の毛を隠さなければ入れません。<ここの中も撮影禁止>メヴラーナ博物館(違った角度から)施舞教団として知られるメヴラーナ教広大な敷地内には、霊廟の他、僧院、修行場などもありましたが、現在は博物館として一般公開されています。施舞の人形右掌を上(アラーの神)に向け、左掌は下(死者)に向けて、クルクルと旋回しながら、無我の境地になって踊ります。 踊りの様子をyoutubeで見つけました。コンヤでの今夜のホテルはデラックスホテル(^^)vユッタリ伸び伸びと身体を休めました。バスの走行距離:423km歩行数:12500歩次回の観光は、カッパドキアです♪お楽しみに…***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 6, 2013
最近のトルコは、ちょっと騒がしいようですね。反政府デモは、私たちが出国した翌日から始まったみたいです。滞在中は全然そういう事が感じませんでしたけれど、そう言えば、ガイドさんが、今の首相はイスラム色の濃い政治をしていると言われていました。でも、国民の95%がイスラム教徒だそうなので、反対はないと思っていたのですが…二日目は、エフェソス遺跡の観光です。私がトルコへ行くと行った時、福良学教室でお世話になっている歴史好きのOさんが、「トルコで1番感動したのは、エフェソスの遺跡だった」と言われたので、歴史が苦手な私ですが、楽しみにしていました。実際、広大な敷地に、見どころいっぱいの遺跡が点在していました。現地ガイドさんの話では、シュリーマンは、爆薬を使った為、彼の発掘した遺跡は、損傷が激しいのですが、ここは、丁寧に掘られたので、綺麗な状態で保存されているのだとか。シュリーマンという人は…( ̄Д ̄;) ガーンエフェソス遺跡の事を書こうと思って気が付きました。いっぱい写真を撮ったのですが、殆どの物は、一体何の写真なのか分からないのです(滝汗)以前、スペインへ行った時は、建物などの写真を撮った後に、それらの名前を小さなメモ用紙に書いて、一緒に写真を撮っていたのです。でも、エフェソスは、観光客が半端じゃなく多く、それも、東洋人が殆どだったので、日本人グループは目立たないのです。写真を撮っているだけでも、ガイドさんを見失いそうで、とてもメモる暇なんてありませんでした。急きょ、図書館でるるぶと地球の歩き方を借りてきました(^^ゞ本の写真と照らし合わせて名前を探し、本に載っていないものは、ネット検索で調べました。最後まで分からなかったものもありましたが、もし、間違った名前を書いていたらごめんなさいね(汗)エフェソスは紀元前12世紀に、ギリシャからやって来たイオニア人によって建設されました。この町の黄金期は、ローマ帝国支配下の紀元前130年頃で、約10万人が暮らしていたと推定されています。又、キリストの死後、使徒ヨハネが、聖母マリアを伴って移り住んだ所でもあります。ヴァリウスの浴場紀元前2世紀に作られたハマム(トルコ風呂)奥に見えるのがオデオン(音楽堂)手前の列柱はクレテス通り塀の上にヒツジの像が並んでいます。バジリカ(礼拝所)プリタネイオンの柱1世紀の頃のギリシャ語とラテン語が書かれています。プリタネイオンとは、紀元前3世紀に建てられた市議会場です。メミウスの碑メミウスとは、ポントスからポンペイを奪還したローマの独裁者スッラの孫のこと。紀元前1世紀に建てられたものです。ドミティアヌス神殿1世紀、ローマ帝国のドミティアヌス帝にささげられた神殿。勝利の女神ニケのレリーフザクロの花ニケのレリーフの横には大きなザクロの木があって、オレンジ色の花を付けていました。ヘラクレスの門沢山の観光客…私が迷子になりそうになったのが理解できるでしょう?(苦笑)大理石で舗装されたクレスト通りヘラクレスの門からセルス図書館まで続く通り。クリック!<拡大画像>柱の土台には、ギリシャ語が彫られています。トラヤヌスの泉トラヤヌス帝に献上された泉。手前は水道、奥の池は鏡としても使われていたそうです。モザイクのテラスクレテス通りの片側には、美しいモザイクのテラスがあります。この辺りは豊かなローマ人の豪邸が並んでいた所です。ハドリアヌス神殿裕福な市民クインティリウスが、皇帝ハドリアヌスに献上した神殿大理石の公衆トイレ前の細い水路の水で、お○リを洗っていたそうです。ガイドさんの話では、当時裾の長いフワッとした服を着ていたので、お○リを見せることなく用が足せたそうです。そうそう、現代のトルコ式トイレも面白かったですよ^^セルスス図書館エフェソスのシンボル的存在。2世紀に、この地を統治していたセルススを偲んで彼の息子が建立。娼館への案内図大劇場約24000人収容できたトルコ最大級の円形劇場。紀元前3世紀に完成後、ローマ時代に増築されたのだとか。港へ向かうハーバー(アルカディアン)大通りハーバー(アルカディアン)大通りの逆方面から大劇場を望むポンペイに行った時にも思いましたが、2000年かそれ以上も前に、こんな高度な文明があったのですね。それに比べて私たちの国は、まだ生まれたばっかりの赤ん坊だったのではないのでしょうか???観光後、カラハユットのレッド・スプリングへ。温泉のお湯に鉄分が多く含まれていて、赤い色をしているのが名前の由来。市営温泉・クルムズ・スの源泉温泉の池が段々状になっていて、まるでパムッカレ石灰棚の小型版の様です。沢山の人たちが、足湯を楽しんでいました♪パムッカレのホテルへ夕食後、外のプールサイドでベリーダンスショーがありました。その後、屋内の温泉プールに入り、観光で疲れた身体を癒しました。バスの走行距離:435km歩行数:11800歩翌日は、石灰棚で有名なパムッカレ観光です。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 3, 2013
私がトルコを旅行中、日本では10日も早く梅雨入りしたとの情報が入りましたが、本当に梅雨???今日もカンカン照りの好天気です。長期間留守にしていた庭は、目も当てられない酷い状態。毎日、花柄摘みをしたり、水仙などの枯れた葉の除去。それに草抜きやら散った薔薇の花びらの除去等々…やらなければならない事が山積しています(滝汗)今日も、先ほど(午後3時頃)まで作業をしていたのだけど、目がクラクラしてきたので、諦めて家に入りました。旅行は楽しいのだけど、今の時期は止めた方がいいみたいですね。来月初旬には、国内旅行を計画しているのですが、帰ってきたら、庭がどうなっていることやら。今から気が重いです。それでは今回からトルコ旅行記を始めます。5月24日(金) 22:30発のトルコ直行便で、13時間のフライト後イスタンブールへ。着いた時は、翌日の朝5時35分でした。観光バスに乗り、マルマラ海沿いを西へ走り、トロイ戦争で有名なトロイに向かいました。最初のトイレ休憩の場所。アメリカもそうでしたが、高速沿いのガソリンスタンドの奥に、カフェ、売店、トイレがあります。初日の空の色は、真っ青!雲一つなく、幸先の良さを予言しているかのようです(^^)v途中、昼食になりました。世界3大料理のひとつといわれるトルコ料理初体験です♪テーブルに置かれていたのは、不思議にも、食後に食べるであろうデザート。お皿にチョコンと乗っているのは、マロングラッセとオレンジの切れ端。海外旅行をしていて何時も困るのは、食事の時に飲み物をオーダーしなければ、お茶もお水も出てこない事。アルコール類はあまり好きではないので、飲み物選びが大変です(汗)今回は、フレッシュ桃ジュース(10トルコリラ)を注文。美味しかったです(^^)vちなみに、1トルコリラ=60円でした。ハーブの効いたヨーグルト風味のスープ串に刺したものは、鶏肉のケバブ鯖のオリーブオイル焼きお味の方は?う~~~ん。少し慣れる必要がありますね^^ショッピングセンター内(?)でお食事をしたので、その後の自由時間の買い物後には、チャイ(トルコ風紅茶)この時は、1.5リラでしたけれど、ある所では1リラである所では3リラ。値段があってないような感じでした。ちょっと不思議に思ったのだけど、考えてみると、日本で飲むコーヒーだって、料金は千差万別なんですよね~バスごとフェリーに乗り、ダーダネルス海峡を渡ります。(約1時間)フェリーが出た港を振り返ってパチリ!やっとトロイ遺跡に着きました。これまでの走行距離は345kmバスを降りて、最初に目に飛び込んでくるのは、トロイの木馬トロイ戦争(紀元前1200年頃)の時に使われたものが1975年に実物大に復元されました。階段を上がって、内部に入る事が出来ます。ホメロスの詩「イリアス」に出てくる伝説の都市と信じられていたトロイ。ところがこれを、実在の都市と信じ続けて資材を投げ打って発掘を続けたのが、ドイツの考古学者シュリーマンでした。そして、1970年、ついに遺跡を発見したのです。ごめんなさい。1870年の入力ミスでした(^^ゞ教えて下さったelmoさん、ありがとうございますm(__)mこの地に初めて集落が出来たのは紀元前3000年頃。その後、紀元400年までの3400年間、繁栄と没落が繰り返されてきたトロイは、古代エーゲ海交易の中心地でした。クリック!<拡大画像>その軌跡を今に伝える遺跡は、古い都市の上に新しい都市が建設されていて、9層にもなっている珍しいものです。クリック!<拡大画像>ところが、シュリーマンが発見して、ドイツに持ち帰った財宝は、すべて消息不明のまま。クリック!<拡大画像>現地ガイドさんの話では、彼は、財宝を見つけた途端、雇っていた人達を全部家に帰らせて、財宝を独り占めして、急に姿を消したそうです。彼女は、彼の批評はしないで、淡々と事実だけを話していましたが、トルコ人は、彼の事を何て思っているのでしょうね。私は、今までシュリーマンて、偉大な人だと思っていたのですが、この話を聞いてイメージダウン。ストロベリーキャンドルに似た花遺跡からは、牛さんたちが草を食べている長閑な風景が望めます。トイレ休憩をしている間、お店の前では、度々こういう光景が見られます。これは有料?それとも、お客様を連れてきてくれたお礼なのかしら???観光後、150km走って、エーゲ海沿いのリゾート・アイワルクへ。大きな満月が見えました。お部屋のベランダから見たエーゲ海。まだ海開きをしていない様で、閑散としていました。この日の、バスの走行距離:495km(東京・大阪間の距離?)歩行数:9500歩次は、エフェソス遺跡観光後、石灰棚のパムッカレへ行きます。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 3, 2013
昨日、トルコ旅行から帰国。夕食後にブログを書いていたのだけど、又もや最後の方になって突然消えてしまいました(泣)入浴後、改めての更新です。1年で1番薔薇の花が咲き乱れる5月。うっかり、薔薇の最盛期に旅行を入れてしまったドジな私。案の定、帰ってきた我が家の薔薇たちは、花柄と散った花びらに塗れていました(苦笑)でも、訪問先のトルコでは、薔薇の最盛期を迎えていました(^^)vオスマントルコの時代から、薔薇を神様からの授かりものとして大切にしてきたトルコ。至る所に薔薇の花が咲いていました♪旧市街のブルーモスクとアヤソフィア博物館の間にあるハマム(トルコ風呂)1556年に、当時のスレイマン大帝の妻ヒュレム・スルタンによって造られ、1910年までは実際に使われていました。そして、2008年に再度ハマムとして生まれ変わるべく改装が始まり、一昨年、トルコでもっとも豪華ななハマムのひとつとしてオープンしたのです。小さな白いつる薔薇の飾りが素敵です♪スレイマニエモスクの前の庭。各コーナーに薔薇が植えられています。カッパドキアでのホテルの前道路の中央分離帯にも、薔薇が多いです。こういった赤色の背の低い薔薇をよく見かけました。では、トルコで見かけた薔薇の数々をご紹介します(*^。^*) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 1, 2013
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