全9件 (9件中 1-9件目)
1
四国88ヶ所のお遍路を始めたのは、1998年に淡路島へUターンして来て直ぐなので、1999年くらいからではないでしょうか・・・それから15年近く経って、ようやく結願が見えてきました。最初の頃は、夫婦で車でお参りしていたのですが、残りは、高知と愛媛の遠い所だけになったので、前回から、ツアーに参加する事にしました。今回は、31番~37番までのお参りです。実は、33番までは、既にお参りしていたので、今回は、3ヶ寺重なる事になりましたけれど、37番がとても遠いので、ツアーの方がいいと思ったのです。何しろ、夫が今年の夏に、後期高齢者になったものですから…(苦笑)31番 五台山 金色院 竹林寺聖武天皇は、行基に文殊菩薩をお祀りするにふさわしい唐の国の五台山のような霊地を探すよう命じました。行基は諸国を回った末、土佐の国に素晴らしい眺めの地を見つけ、お寺を建立し、文殊菩薩を刻まれてご本尊としたのです。ご本尊が文殊菩薩というのは、88ヶ所で、この竹林寺だけだそうです。五 重 塔昭和55年の建立。 高さ31.2m。総檜造り、鎌倉時代初期の様式。県内唯一の五重塔。しっとりとした境内竹林寺には、夢想国師が造園された素晴らしい庭園があるのですが、悲しいかな。今回はツアー参加。見学する時間がありませんでした。昼食は、高知市内の御料理処 希満里で。私たちが参加した淡路島のショーゼンツアーは、お食事がいいので人気があるのですが、えっ!?トマトサラダ 大きなお皿に、丸ごとトマトが出てきたのでビックリ!付属のスプーンで一口食べて又ビックリ!味付けトマトの中に、帆立やエビ等の海鮮が入っていて、遊び心いっぱいのサラダ料理だったのです。お味の方も、美味~☆これ一つで、幸せいっぱいになりました(^^)vチキンカツトマトソースがあっさりしているので、脂っこさがなく、美味しく頂きました。ムカゴ入りのご飯も、良かったですよ^^魚のシンンジョ入りお澄ましと共に…昼食後は、1番遠い37番から逆打ちでお参りします。高知市内から四万十市まで、延々とバスで走りました。37番 藤井山 五智院 岩本寺このお寺には、不道明王、聖観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩と、5体のご本尊さまが安置されています。5体のご本尊さまがあるのは、日本中でここだけだそうです。本 堂昭和53年に建てられた中の天井には、全国から公募した575枚の絵が貼りこめられています。マリリン・モンローもいますよ^^聖 天 堂珍しい形をした円形の堂で、歓喜天がお祀りされているそうです。35番 醫王山 鏡池院 清滝寺本 堂清滝寺は、723年に訪れた行基が、ご自身で薬師如来を掘り、ご本尊としたお寺です。高さ15mもある薬師如来。体内の108段を「戒壇巡り」する事で、厄除けのご利益があるとされています。私たちも入ってみましたが、ホントに真っ暗!どうか、ご利益がありますように…宿泊所に到着!お部屋の窓から見た太平洋です♪夕食は、月並みな懐石料理だったので省略。海の傍なので、塩分の入った塩辛い温泉で疲れをいやし、明日のお参りに備えました。***** つづく *****土佐龍温泉 三陽荘 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 31, 2013
夫が属しているボランティアグループのバス旅行で、砥峰高原へ行く計画があるとの事。以前から1度行って見たかった砥峰高原です。私も便乗をお願いしていました。所が、バスツアーの催行日は、運の悪い事に、27号と28号のダブル台風が、日本列島に近づいてきている23日(水)。秋雨前線が台風に刺激され、当日は、朝から雨が降っていました(涙)最初の見学先は、生野銀山でした。ここは、昭和48年に閉山。現在は、当時の模様を再現した観光施設として、一般公開されています。観光用に設置された「生野代官所」の門ここから入っていくと…手入れの行き届いた庭園の左側に、鉱山資料館があります。807年に開坑し、信長・秀吉・徳川幕府の時代を経て明治元年には政府直轄となり、その後は皇室財産にまでなった大鉱山・生野銀山。その栄光の歴史を、パネル展示などにより紹介しています。観音岩坑道入り口前に、観音さまの横顔に似た岩があります。長い年月を経て、自然に出来たものだそうです。鉱山師 ジャン・フランソワ・コアニエ明治元年に来日し、帰国する明治10年まで、明治政府お抱え鉱山師として、日本有数の近代鉱山としての発展の基礎を築いた人物。観光用抗道出口徳川時代の抗口を模して造られたもので、四ッ留という化粧木は、神前の鳥居を表しています。当時の人達が、如何に命がけで作業していたかが想像できます。金香瀬坑この石作りの抗口はジャン・フランソワ・コアニエが築造したフランス様式の抗口。ここから入って見学。坑内の気温は、年間を通じて13℃。上着がないと、少し寒い!狸堀江戸時代の坑道は、坑内作業者ひとりがやっと通れるほどのもので、岩肌にはノミの跡が今も重々しく残っております。この穴を這いながら掘り進んでいきました。座っていても、頭が天井に着くくらいの狭い所での作業唐蓑で風を送る手子この人は、毎日毎日、一日中空気を送っていました。女性も働いていたんですよ。坑内は、とても蒸し暑くて、岩を掘る粉じんがいっぱいの劣悪な環境。当時の人達の苦労が偲ばれます。近代の抗内 採掘作業をしています。人 車坑内で働く人たちの、入退抗につかっていました。エレベーター一番深い所までは、800m以上ありました。この囲いのないエレベータで上下移動します。ガイドさんの話では、抗夫さんの平均寿命は40歳代。どんなにか過酷な作業だったのかが思い計られます。敷地内のレストハウスで昼食。ハヤシライスが有名だとの事だったので、夫が海老フライ&ハヤシライスで、私は、ハヤシ・オムライスにしました。久しぶりのハヤシライスは、坑内を歩いた後だったので、美味しかったです。おかきの播磨屋総本店へ創業の家 生野総本店白いムラサキシキブが素敵♪茅葺きの母屋をレストラン専用に改修お買い物の後、ここでコーヒのサービスを受けました。向かい側では、水車が動いています。中を覗いてみると…なんと、お米をついていたんです^^このお庭を眺めながら、コーヒーを頂きました。そして、砥峰高原へ・・・日の光で銀色に輝くススキの穂の群生が見たくて、2日に奈良の「山の辺」のみちを歩いて以来、ず~っと島外に出ないで、体調を整えていたのですが、生憎の雨…平清盛やノルウェイの森のロケ地として有名な所。ハイキングコースがいろいろあるので、次回は、お天気の良い日にリベンジです。そう言えば、以前曽爾高原のススキを見に行った時も雨…私は、ススキには縁がないのかも知れません(涙) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 26, 2013
伊豆大島に甚大な被害をもたらした台風26号につづき、27号も日本列島を睨みながら、ジワジワとこちらに迫って来ています。直ぐ後には、28号も控えていて、どうか、もっともっと東に反れてって祈るばかりです。市内の公民館で、瀬戸の潮みず交流広場というのがあるのですが、その活動の一環として年2回園芸講座があります。先日、それに出席してきました。台所の生ごみ用のネット(古いパンストのつま先でも可)を使い、中に園芸用の土を入れて、好きな形に作ります。頭頂部には、西洋芝の種を蒔きました。胴体はペットボトルを利用。一週間後、芽が出てきました。どの子もボサボサ頭になりました^^そして、二週間後・・・先日の連休に帰って来ていた次女に、「アンパンマンに毛なんかないよ」って言われたので、短くカット!パンダ擬きちゃんには、リボンを結んでみました。そういえば、パンダにも髪の毛は無かったわね(^^ゞ大目に見て下さいね(苦笑)この子は、もう少し伸ばしてみて、髪型を遊んでみます。三つ編みにでもするかな。それともアトムカット?o(^^o)(o^^)oワクワク今年の夏は、体調がイマイチだったので、お庭の手入れは最小限しかしませんでした。お陰で、今の庭はお見せできるようなものではありません。でも、探してみると、結構健気に咲いていたんです。ムラサキシキブ百両(唐橘(からたちばな)シュウメイギク 白シュウメイギク ピンクホトトギス琉球アサガオ兎に角強くて繁殖力旺盛!撤去しても撤去しても、何処からか出てきます(滝汗)アズレアうっかりしていたら、お花は、もう終わりかけていました。アメジストセージフウセンカズラこれは、ローズマリーの一種だと思うのですが・・・ルリマツリピンク ノウゼンカズラジャスミン・ホワイトプリンセス名前の通り、可愛いお花です♪キャットテール白 オキザリスピンク オキザリスタマスダレ夏が長かったせいでしょうか、未だ咲いています♪ いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 22, 2013
今回の台風26号は、今年最強の台風だと言われていましたが、伊豆大島に大きなな爪痕を残していきました。TVニュースでは、途方に暮れた被害者さん達が映し出されていて、これから先の生活の事を考えると心が痛みます。それでは「山の辺のみち」の後編です♪ここは、「山の辺のみち」として、よく紹介される写真スポットです。檜原神社(ひばらじんじゃ)神殿も拝殿もなく 、「三つ鳥居(三輪鳥居)」があるだけ。大神神社の三の鳥居も、このような形の「三つ鳥居」だそうです。注連縄の鳥居を通して西方を眺めると二つの秀峰を持つ二上山が臨めますが、この日は生憎の曇り空だったので、写真にはぼんやりとしか写りませんでした。春分と秋分の日には、太陽が檜原神社背後の三輪山から昇り、西向こうの二上山に沈むのだそうです。大和の青垣大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる大和し 美わしと、古事記にうたわれています。奈良盆地は、遠くに見える生駒山地や矢田丘陵、すぐ手前の景行天皇陵、更に右手の三輪の山々など幾重にも緑の垣根に囲まれたようになっています。神山の 山邊真蘇木綿みじか木綿かくのみ故に 長くと思ひき・・・高市皇子・・・道端には、万葉歌碑が随所に立てられていて、古代ロマンの世界に思いを馳せる事が出来ます。酔芙蓉が咲いていました♪巻向の 山邊とよみて行く水のみなあわの如し 世のひと吾は ・・・柿本人麻呂・・・ザクロも・・・ぬばたまの 夜さりくれば巻向の川音高しも あらしかも疾き ・・・武者小路実篤・・・姫リンゴのような可愛い実おみかんも沢山成っています。ここは、果物の宝庫のようです♪黄金に輝く田んぼの向うには、三輪山が鎮座。この日は、10月2日。今頃は、もう刈り入れが済んでいる事でしょう。この辺り一帯が古墳群右を向いても、左を見ても古墳があります。この池の向うも、もちろん古墳。どなたのだったかは、忘れてしまいましたが(^^ゞ空が明るくなってきて、先ほど檜原神社から見えなかった二上山が見えてきました(^^)vこの柿、面白い形をしているでしょう^^長岳寺へ弘法大師が開基された真言宗のお寺です。大 門当時の総門で、「肘切り門」の異名があって、僧兵と刀鍛冶の伝説のある門です。鐘楼門※重要文化財日本最古の鐘門であり、弘法大師当寺創建当初の唯一の建物だそうです。楼門と鐘楼とを兼ねた建物は、とても珍しいものです。本 堂ご本尊の阿弥陀三尊や、多聞天、増長天などが安置されています。阿弥陀如来像は、玉眼を使用した日本最古の仏像です。石 仏古墳の石棺に彫刻されたとされています。可愛いシャムネコさんと三毛ネコさん、このお寺に住んでいるようです。私たちをお迎えしてくれましたよ♪高校生の頃、文芸部の人たちが、顧問の先生に連れられて、「奈良の山の辺のみちを歩いた」と聞いて以来、ず~~~っと一度行ってみたいと思っていた所でした。今回、半世紀以上過ぎてやっと実現!いにしえの人達も歩いた長閑な道を歩いて、古代に思いを馳せたものでした。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 17, 2013
最近、ブログをサボる事が多いのですが、更新した日は、やはりアクセス数が大幅に増えて何時も嬉しく思っています。ところが前回更新した日には、アクセス数が増えるどころか、反対に減っていました。不思議だな~多分、神社仏閣に興味のある人が少ないんだろうな…そう思っていたのですが、ブロ友のロゼさんのコメントで謎が解けました。私のブログが新着に載っていなかったらしいのです。そうなんだ…今回は、どうなんだろう…奈良の山の辺のみちは、ずっと以前から是非一度訪れたいと思っていた場所。今回(10月2日)、やっと実現しました。少し前に体調を崩していたので、もしかしたらキャンセル?体力には、ちょっと自信がなかったのだけど、もともと大好きな自然の中のウォーキング、途中で気分が悪くなることもなく無事完歩出来ました。「山の辺のみち」は、三輪から奈良へと通じる、史実に現れる日本最古の道。三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる道。その殆どが東海道自然歩道に指定されています。私たちは、JR三輪駅近くにある大神神社(おおみわじんじゃ)からJR柳本近くの長岳寺(ちょうがくじ)迄歩きました。大神神社の大鳥居駐車場で観光バスを降りると、目の前に聳えています。三 輪 山大神神社(おおみわじんじゃ)のご神体です。二の鳥居鳥居をくぐって神林の参道に入ると、気のせいか空気が凛として厳かな気分になります。昔は、この橋の下を流れる小川の水で身体を清めて、ご参拝したそうですが、今は、画面左手に見える祓戸神社で身を清めます。祓戸神社先ずここにお詣りして心身を清め、それから、ご神体を拝むのだそうです。前回の春日大社にも祓戸神社がありましたよね^^思いがけず、結婚式に向かう人たちに遭遇!「おめでとうございます♪」みんなで拍手をしてお見送りしました^^大神神社(三輪明神) 拝殿日本最古の神社のひとつとされています。春日大社より、ず~~~っと古いんです。拝殿の奥に三の鳥居・三つ鳥居があり、その奥には神体山・三輪山があります。三の鳥居は、両脇に小さな鳥居が付いた三つ鳥居だそうですが、ここでは見ることが出来なくて、後で檜原神社で、同じようなのを見る事が出来たので、その時にご紹介しますネ。巳の神杉神杉に出来ている「穴」は「女性の象徴」で、「巳」は「男性の象徴」穴の中には、ヘビが住んでいるそうです。 これらの象徴は子孫繁栄・五穀豊穣を祈願するもので、労力としての子供が欲しかった当時の人達にとっては、悲壮な願い事だったのです。ちなみに、今年は巳年だったので、新年の参拝客が凄く多かったそうです。大神神社に参拝後、山の辺のみちウォークを開始!磐座神社(いわくらじんじゃ)三輪山の麓には辺津磐座(へついわくら)と呼ばれる、神様が鎮まる岩が点在しています。そして、その中心がこの磐座神社だそうです。社殿はなくて、磐座を神座とする古い形式の神社です。途中、池の周りにはガマの穂が。まだ咲いているんですね。この日も、10月にしては蒸し暑い日でしたけれど・・・クリック!<拡大画像>駐車場近くの大鳥居と大和三山が見えます♪この見晴しのいい場所は、恋人の聖地になっているんですね。素敵な景色を眺めながらの愛の告白。いいですね~~~☆彡私には、まったく関係のない話だけど(苦笑)狭井神社(さいじんじゃ)玉砂利を踏む音を聞きながら行くと、向うに石階段が見えてきました。注連縄の鳥居の間から、古びた屋根が趣きのある拝殿が姿を現します。狭井神社 拝殿約2000年前、垂仁天皇の代に創祀されたといわれている古社で、昔から4月に鎮花祭(はなしずめのまつり)が行われることで有名でだそうです。鎮花祭りは、俗に「くすりまつり」ともいって、春の花の咲く頃に、いろんな疫病が流行ったので、それを鎮める為に行なったのが始まれではないかと言われています。ここには、三輪山への登拝口があります。登頂は有料だそうです。勿論、私たちは登りません。旅行会社から支給されたお弁当。ささやかですが、歩いた後なので、とっても美味しかったですよ^^玄賓庵(げんぴあん)世阿弥の作とも伝わる謡曲「三輪」の舞台となった、由緒ある古刹です。画像が多くなり過ぎるので、今回は、これで終わりにしますネ。続きは次回に・・・ いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 14, 2013
昨日(10月12日)は、洲本図書館2Fで、「孤高のメス」の作者の大鐘稔彦先生の講演会がありました。有名な先生だけあって、会場は超満員。のんびり開園15分前頃に行った私たち夫婦には、当然椅子がありません。後で立ったままでしたが、有意義な講演を拝聴しました。演題は、「患者を生かす医者、死なす医者」先生のご体験から、「患者にとって良い医者、良い医療」とは何かを考えさせられた内容でした。大鐘先生は、1999年から、私が住んでいる市内の僻地医療に従事されています。 【送料無料】患者を生かす医者、死なす医者 [ 大鐘稔彦 ]前回の奈良時代の続きです。興福寺の後は、鑑真和上の唐招提寺に行きました。度々の渡航の失敗にも屈しないで、6度目の挑戦で、やっと日本に渡来。その時には盲目になっていたと、昔学校で習いましたが、何故そこまでして渡来する必要があったのかは、恥ずかしいけれど、今回初めて知りました。当時、民衆は、重い税や労役に苦しんでいましたが、苦しみから逃れる唯一の方法は、出家して僧侶になり、「労役や税を免除される特権」を利用することでした。「坊主丸儲け」って、この頃からあったんですね(苦笑)その為、沢山の僧侶が無尽蔵に増えていきました。朝廷は、これではいけないと思って、僧侶は、資格がないと出来ない事にしたのです。でも、日本には、その「授戒」を行う事のできる高僧がいなかったのです。第9次遣唐使に選ばれた2人の留学僧「普照(ふしょう)」と「栄叡(ようえい)」が命じられ、鑑真和上に我が国の伝戒の師として弟子の紹介を懇請しましたが、弟子の中で手を挙げる者は一人もなく、鑑真和上ご自身が、日本へ渡航することを決心されたのです。754年聖武上皇は、今後授戒伝律は一に鑑真和上にまかすとの詔を出され、まずは東大寺大仏殿前の戒壇で聖武上皇を始め約400人の授戒が行なれました。東大寺で5年を過ごした後、759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開き、「唐律招提」と名付けられた鑑真和上の私寺として始まったのです。金 堂 ※国宝 奈良時代(8世紀後半)南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂。屋根の形が素晴らしいです♪中には、中央に盧舎那仏像、左右には千手観音と薬師如来が安置されていますが、千手観音の腕は、本来千本あったそうですが、解体修理の後、全部は入らなくなり、現在は、953本だそうです。クリック!<拡大画像>境内の見取り図です。クリックすると拡大図が見られます。金堂の西側にある戒 壇(かいだん)へ戒壇とは、僧となるための授戒が行われる場所の事です。創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの、火災により建物は失われました。 現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年に、インド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。講 堂※国宝 奈良時代(8世紀後半)天平時代の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。内部は、本尊弥勒如来坐像と、持国天、増長天立像の他、沢山の仏像が安置されています。向かって左側が講堂、右側が金堂正面には、礼堂の前に鼓楼が見えます。鼓 楼(ころう)※国宝 鎌倉時代名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。 ここから苔の綺麗なお庭を通り抜けて新宝蔵へ行きましたが、画像はありません。開山御廟(かいざんごびょう)鑑真和上の墓所です。御廟前には、和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。開山堂鑑真和上1250年御遠忌(ごおんき)に向け、寺が制作した鑑真和上坐像(国宝)のお身代わり模像が安置されてます。本物の鑑真像は見られませんでしたが、こちらは拝する事が出来ました。手前の何人かの人が立っている所には、松尾芭蕉句碑が立っています。鑑真和上坐像を拝した際に詠んだ句「若葉して御目の雫拭はばや」が刻まれています。右側が、経 蔵唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。左側は、宝蔵で、唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれています。 春日大社、興福寺、唐招提寺は、今までに何度も行った事がありましたが、今回、改めて講師の先生と回ってみると、気が付かなかった建物や知らなかった事等が沢山お勉強できて、日本史の面白さを再発見したツアーでした。来年には、舞台が京都に代わって、まだまだ日本史シリーズは続くようです。子供の頃には、大の苦手だった日本史。少しでも理解出来るようになればと思っています。帰りの車窓から撮った日没快い疲れの中、心は充実感でいっぱいになって帰りました。次回は、「山の辺のみち」の1部を歩きました。今までに行った事のない場所だったので、とても楽しみにしていたツアーでした。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 13, 2013
少し前の事になりますが、先月の21日に、日本史シリーズ・ツアーの4回目で、奈良へ行って来ました。その後、ずっと予定が入っていて、それをコナしている内にダウン!記録に残すのが遅くなりました。時間が経ったので、講師の先生に教えて頂いたことは、もう大分忘れてしまいましたけれど、パンフレットを見ながら思い出してみますね。最初の見学地は、藤原氏の氏神さまが祀られていた春日大社でした。駐車場を出て参道へ最初にお参りしたのは祓戸神社ここで身を清めてから参拝します。表 参 道春日大社の鹿は、神様のおつかいで、国の天然記念物です。南 門かつて藤原氏以外の人たちの参入門とされていました。現在は本宮の正門とされています。高さ12メートルの楼門で、春日大社最大の門。南門を入って、回廊へ・・・綺麗な釣燈籠がズラッと並んでいます。本 殿この奥に、よっつの神様が祀られています。●御祭神 第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)様 第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)様 第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)様 第四殿 比売神(ひめがみ)様 本 殿(左側)本殿には拝殿がなく、右側にある建物・参拝所からお参りしますが、残念ながら参拝所は修復中でした。社頭の大杉幹の周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年~1000年。700年昔の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれているそうです。槙柏(伊吹ともいう)上の大杉の根元から斜めに延びていて、直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、特に樹木を大切にされる春日の神様の託宣(古社記)によるものです。風宮(かぜのみや)神社風を司る神様です。西の風神というのは、 本殿を西風の害から守ると同時に、外敵を吹き払う攘災神的な神様であると伝えられています。 藤浪之屋(ふじなみのや)この場所は北廻廊の東角にあたり、かつては神職(禰宜)の詰め所でした。参拝の人達が「万燈籠」の雰囲気を体験出来るように、釣燈籠に灯をともして特別に公開しています。燈籠がゆらめき、幽玄の世界をかもし出しています。多賀(たが)神社生命を司る延命長寿の霊験あらたかな神様です。 その昔、俊乗房重源という人が、大仏殿を再建するときに寿命を頂いたという神様。 流石、沢山の人のお参りが絶えません。直会殿(なおらいでん)※重要文化財春日祭には、勅使・弁以下の直会の儀式が殿上で行なわれます。砂ずりの藤のところから、大杉のテッペンが見えますよ。避雷針が付いています。慶賀門(けいがもん)※重要文化財西回廊にある三つの門の中で南側にある門。他の二つの門と異なり天井板(格天井)が貼ってあります。かって藤原氏だけが通るのを許された慶賀門(けいがもん)、私たちも藤原一族になった気分で、その門から出ました。参道の両側に、ちょっと面白い石塔がありました。春日大社は、広い丘陵地に、平城宮を見下ろすように建っています。当時、藤原氏の勢力がいかに大きかったか想像できます。興福寺へ東金堂(とうこんどう)と五重塔※いずれも国宝藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。興福寺 国宝館へ阿修羅像に会いに行って来ました。※館内は撮影禁止なので、画像は、絵葉書を買ってきてスキャンしました。古代インド神話の阿修羅王は、帝釈天を向こうに廻して、荒々しい合戦を繰り返す悪神。ところが、興福寺の阿修羅像は、天界を暴れ廻る鬼神のイメージはありません。やや眉根を寄せた悲しげにも見える表情の奥に、何か激しいものが秘められているように思えます。この神秘な表情は、荒々しい心が仏の教化によって迷いから目ざめ、愁眉を開きつつある顔付きだといわれています。この後、鑑真和上の唐招提寺に行きましたが、その事は次回に…***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 8, 2013
初めに、前回の日記の1部を訂正させていただきます。奈良の山の辺を「18万歩」歩いたって書きましたけれど、実際は「1.8万歩」で、一桁間違っていました(^^ゞ18万歩って、一歩が60cm位で単純計算しても100km。1時間に4km歩いて25時間はかかります。淡路島から奈良まで日帰りで、そんなに歩くことは不可能。どうも失礼しましたm(__)m昨日は、福良学教室の現地巡りで、私の生まれ育った街の遺跡めぐりをしてきました。雨の予報が、タマに小雨が降る程度だったので助かりました。そして今日は、淡路島の太極拳の合同親睦会で、洲本まで行って来ました。この予定が終わった後は、お稽古の他は、殆どスケジュールを入れていません。当分の間、家でゆっくり過ごそうと思っています。私が今嵌っているトールの作品です。ニスを塗ってある為、フラッシュをたくと画面が光るので、ノーフラッシュで撮ったので、ちょっとぼやけていますが…洗面所の物入れのドアーを外して、お教室まで持って行って描きました。拡大してみました。上の画像がコンパクトカメラで、下のが一眼レフで撮ったのですが、微妙に色が違いますよね。実際は、両方足して2で割ったような色なんですが…この靴べらかけは、先生が見本に描いてくださったものです。玄関に置いてあった武骨なスツールにお化粧しました。ここに座って靴を履くと楽チンです(^^)v10月に入って初日の夕方、洗濯ものを取り入れていると、空には一片の雲も見当たりません。綺麗な夕日が見られるかも…そう思って、慶野松原まで行って来ました。約2.5kmに渡って約5万本のクロマツ林が広がる景勝地。子供の頃、よく泳ぎに来た所です。残念ながら、水平線の上に、少し雲がたなびいていました。段々下に降りてきます。もう少ししたら、海が赤く染まるのが見られる…と、期待いっぱいだったのですが、小島の向うに沈んでいきました。以前ここで、水平線に沈む素晴らしい夕日を見たことがあるのですが、時期が違っていたのでしょうね。でも、赤い縞模様のお日さまも、ちょっと面白いかも…お日さまが沈んだ後の、風力発電の風車のシルエット。夕日を撮り終えて、駐車場に向かいながら、折角来たのだからと、夏の間、海水浴場だった所の風景も撮ってみました。姉妹かしら?楽しそうに遊んでいます。こちらは、パパさんが子供を見守っています。なんだか、いい光景~~~☆彡あっという間に暗くなり、家に着くと真っ暗でした。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 6, 2013
前回の日記には、私へのお見舞いコメントをありがとうございました。以前の様に「元気いっぱい!」という事はありませんが、あれ以来、発熱もなく、昨日は日帰りで、無事に山の辺のみちを18万歩歩いてきました。今日は用心して、家で大人しくしています^^ごめんなさい。訂正させて頂きます(^^ゞ上に「18万歩」歩いたって書きましたけれど、「1.8万歩」の間違いです。18万歩って、一歩が60cm位で単純計算しても100km。1時間に4km歩いて25時間はかかります。淡路島から奈良まで日帰りで、そんなに歩くことは不可能。どうも失礼しましたm(__)m先月の29日、一緒にスイス旅行をしたアッチャン&エッチャンとの3人で、大阪・中之島の国立国際美術館へ、貴婦人を一角獣展を見に行って来ました。フランス国立クリュニー美術館の至宝・貴婦人と一角獣は、1500年頃に制作されたと推測される6連の連作タピストリーです。ジョルジュ・サンドが称賛したことで、一躍有名になったそうです。この作品が国外に貸し出されたのは、過去にただ1度、アメリカのメトロポリタン美術館だけでした。今回は、日本初公開です。私は、20年位前にパリへ行った時、クリュニー美術館で見た事がありますので、久しぶりの再会です♪最初の5点は、人間の五感を表現しています。「触 覚」背筋を伸ばし堂々と立つ貴婦人が、右手で旗竿を持ちながら、左手で一角獣の角に軽く触れています。「味 覚」貴婦人は、次女の捧げつ器から右手でお菓子を取り、左手に止まるオウムに与えています。「嗅 覚」侍女が支える皿から花を選びながら、花冠を編む貴婦人。その背後で、猿が花の香りを嗅いでいます。「聴 覚」侍女がふいごを操作し、貴婦人がパイプオルガンを演奏しています。オルガンの音に耳を傾ける一角獣と獅子。「視 覚」草地に腰を下ろす貴婦人の膝に、一角獣が前足をのせて寛いでいます。一角獣は、自らが写る鏡に見入っています。そして、最後の一点は・・・「我が唯一の望み」青い大きな天幕の前で、宝石を手にする貴婦人。侍女が捧げ持つ小箱から、宝石を選んで身に着けるところでしょうか。それとは逆に、身に着けていた宝石を外して箱に戻すところかもしれませんね。「我が唯一の望み」が何を意味するかについては、様々に論じられてきました。 五感を統べる第六の感覚である、「心、知性、精神」であるとも言われますし、銘文からは、愛や結婚といった意味が導き出されています。 宝石が象徴するものに対する貴婦人の身振りも、どちらとも解釈することができます。最後に残された大きな謎。 それは、連作の魅力をいっそう高めているのではないでしょうか。館内は、勿論撮影禁止。頂いたパンフレットの絵をスキャンし、説明文も引用させていただきました。石造りのお城の壁に架け、寒さ対策と装飾に使ったタピストリー。「これがホンとに織物?」と思える繊細な絵と色使いに圧倒され、うっとりとしたひと時を過ごしました。高精細デジタル画像のシアター展示室では作品保護のため、明るい環境で見る事ができません。ここでは、肉眼で見る事ができない細部まで観賞する事ができます。その後、館内のレストランで昼食パエリア・セット(1200円)コップに入ったスープを飲んだ後に、写真を写すのを思い出したんです(^^ゞせっかく明石海峡大橋を渡ったついでに、もう一箇所、美術館へ行きました。プーシキン美術館展(於 神戸市立博物館)・・・フランス絵画300年・・・ロシア・モスクワにあるプーシキン美術館から、フランス絵画の名作が来日しています。クロード・モネ 「陽だまりのライラック」フランソワ・ブーシェ 「ユピテルとカリスト」ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル「聖杯の前の聖母」フィンセント・ファン・ゴッホ「医師レーの肖像」アンリ・ルソー詩人に霊感を与えるミューズ」※画像は、パンフレットをスキャンしたものです。素晴らしい絵画鑑賞を堪能した後、近くで見つけたお洒落なケーキ屋さんで紅茶とケーキを頂いたのですが、ケーキが半分になってから写真の事を思い出したので、撮るのは諦めました。イチヂクのショートケーキに、素敵なティーコゼが被せられたポット。画像に残せなくて残念です(涙)お茶とお菓子を頂きながらの、その日見てきたタピストリーや絵画のお話は尽きず、気がついたら6時を過ぎていました。「次は、来年1月に来るターナー展を見に来ようね」そう約束して帰路に着きました。家に着いたのは8時半。素敵な芸術作品でおなかが一杯!夕食は抜きでした。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
October 3, 2013
全9件 (9件中 1-9件目)
1