全6件 (6件中 1-6件目)
1
それから5年が過ぎ、僕は日本に帰った。結局、久美には連絡をしなかった。久美からも連絡はない。きっと彼女は彼女の人生を歩んでいるに違いない。日本に帰ると僕は真っ先に恩師を訪ねた。「いろいろありがとうございました」「やあ、おめでとう。それでこれからどうするんだね」「私は企業で研究を続けていきたいと思います」「ふむ、まあ、それもいいだろう。醗酵の分野はこれまでもこれからも人の食生活の重要な位置を占めるのだからね」「できればフランスに戻りたいと思っています」「なるほど、フランスは農業国で酪農も盛んだ。また、世界的な食品メーカーもある。面白いのではないかな」「ありがとうございます」恩師とは様々な話で盛り上がり、時の経つのを忘れた。いつの間にか外は暗くなっている。「長々と失礼しました」「いや、僕は構わないよ。もしよかったら一杯やらないか」「すみません、折角ですが、これからいくつか用事もありますので」「そうかい、必要ならいつでも訪ねてきたまえ。あ、そう言えば、君への手紙を預かっているんだ。君がフランスから戻ったら渡してくれということでね」そう言うと、恩師は机の引き出しから一通の手紙を取り出し、僕に渡した。「ありがとうございます」差出人は、綾子だった。その名を見て、僕は何とも言えない気持ちになった。手紙を鞄にしまうと恩師の研究室を辞し、足早に駅に向かった。駅までの途中にある喫茶店で、手紙を読むことにした。入ってから気づいたのだが、そこはかつて綾子とよく来た喫茶店だった。座った席も、街路樹がよく見える彼女のお気に入りの席だ。運ばれてきたコーヒーを一口啜ると僕は手紙の封を切った。手紙を読み、愕然とした。(続く)
2010.04.29
コメント(2)
それからほどなくして僕はフランスに留学することになった。恩師の教授が、醗酵学の研究で最先端の研究所に推薦してくれたのだ。「あちらで博士号をとってきなさい、君を受け入れる機関は必ずありますよ」恩師の言葉に励まされ、僕は一人旅立った。ところで、フランスに立つ前日、水沢久美が突然訪ねてきた。すでに下宿を引き払っていた僕は、都内の安ホテルに投宿していた。「お客様です」フロントからの電話で降りて行くと彼女がいた。「どうしてここがわかったんだい」「あなたの研究室を訪ねたら、教えてくれたの」「そう」僕はその状況にとまどってしまった。だって、今この場で水沢久美と一体何を話せばいいのだ。「ちょっと出ない?」「いいけど・・・」僕は久美にひきずられるように街へ出た。「フランスに行くんですって?」「うん」「いいなあ」「いいかな」「いいわよ。私も行きたい」「いつかいけるさ」「いつかじゃいやだわ」「まあ、君ならいつでもいけるんじゃないか」「今あなたと一緒に行きたいわ」「え?」僕は思わず久美の顔を見た。「うそよ、うそ」「ああ、びっくりした。心臓に悪いよ」「でも半分本当」僕は彼女にからかわれているのだと思った。「いい加減にしてくれないかな、冗談きついよ」そう言って彼女の顔を見ると、意外にも目は真剣だった。「僕は明日発つのだし、あまり心を乱さないでほしいな」「私あなたのこと好きだったのよ、ずっと」「そんなこと今言われても・・・それに君のことを好きなやつ、たくさんいるじゃないか」「それとこれとは別」「・・・」「私待ってる」「待ってるって?」「あなたが帰るのを待ってるわ」「・・・」「連絡先教えてね、きっとよ。あ、あとこれ、お餞別」久美は一方的に言うと、僕の手に持っていた紙袋を預け、駈け出して行った。僕はあっけにとられ、ただ彼女の後姿を見送るだけだった。紙袋にはマフラーとお守りが入っていた。マフラーは手編みらしく、あまり見栄えのよいものではなかった。しかし、彼女の温かみが感じられた。(続く)
2010.04.26
コメント(0)
別れはいつか必ず来る。たとえ愛し合って結ばれた相手でさえ、いつかは別れる時が来るのだ。どこかで読んだ「死が二人を分かつまで」という言葉が繰り返し心に浮かんだ。彼女の心を読めないまま、いたずらに時は流れて行く。その頃僕は発酵学の研究が忙しく、ほとんどを研究室で過ごすようになっていた。乳酸菌を初めとする様々な菌を培養し、その変化を記録する毎日だった。必然的に彼女と会う時間も少なくなる。今のように携帯電話がある時代ではなかったから、連絡方法は彼女が下宿にかけてくる電話がすべてだった。僕が研究室にこもりきりなのを知ってか、それ以外の理由かはわからないが、彼女からの連絡も心なしか少なくなった。次に彼女と会ったのは、二人でミルフィーユを食べてからほとんど1ヶ月後だった。僕たちは、久しぶりに渋谷で会い、どこへ行くともなく青山通りを表参道に向かって歩いた。気のせいか彼女の顔は青白く見えた。とりとめもない話をしながら、僕たちは歩き続けた。気がつくと表参道を過ぎ、神宮外苑まで来てしまっていた。晩秋の神宮外苑は落ち葉で埋め尽くされている。「座らない?」「いいよ」彼女はどこか疲れて見えた。ベンチに腰かけると彼女は、歩いていた時の饒舌が嘘のように黙り込んでしまった。僕も黙っていた。きれいな秋晴れの日だった。舞い落ちる木の葉が映画の1シーンを思わせる。「今日は話があるの」「話って?」いよいよだな、と心のうちでつぶやいた。いよいよ彼女は彼女の進むべき道に戻るのだ。「これ以上一緒にいるとあなたに迷惑をかけるわ」(やっぱりね)僕は心の中でそう答えた。覚悟はできている。この時だけは水沢久美に感謝した。「迷惑って?」「それは聞かないで欲しいの」「そう」少しの沈黙の後、「わかってるさ」僕は言った。「?」彼女の顔に一瞬驚きの表情が浮かんだ。「いいんだ。僕もこれから忙しいし」「そう」彼女は足元に視線を落としたまま言った。「気にしなくていいよ」返事はなかった。見ると彼女は顔を覆って泣いている。なぜ、泣くのだろう。これから、人も羨む人生が待っているのに・・・涙の意味が今一つ僕には分らなかった。「じゃあ、ここで別れよう」男らしくさっぱりと去った方がいいと思った。彼女から返事はなかった。僕は立ちあがり、元来た方とは反対の赤坂見附に向かって歩きだした。彼女は顔を覆ったままだ。その姿に心が動いた。でも、このまま彼女の前からいなくなる方がいいのだ。彼女の幸せの邪魔をしてはいけないんだ。歩くうちに、悲しみが彼女への祝福に変わって行くのが不思議だった。(これでよかったんだ)僕は自分が少しだけ新しくなったような気がした。(続く)
2010.04.21
コメント(4)
お晩でごわす。犬親父でごんす。頭に浮かぶままに書いてみたが、一体どの地方の言葉でござろうか?わからんので、とりあえず犬親父語としておきますかな。時に、近頃仕事で海外企業の調査をしておりまする。まあ、世界にはいろいろな会社があるものじゃのう。調査と言っても、まずはインターネットでサイト訪問をするわけじゃが、それだけでも結構な情報が手に入るものでありますな。サイトを見るだけでも、何とはなしに海外旅行に行ったような気分になるところが面白いですなあ。というわけで、明日もオヤジはネットで海外旅行(気分)でござる。^^
2010.04.20
コメント(4)
その夜、僕は「生きる」を見ながら疲れに痺れた頭で考え続けた。そして、出た答えは、何も言わず今のままでいることだった。本当のことを知りたい気持ちはもちろんあった。だが、知るのも怖かった。久美の言ったことは多分本当だと思う。そして、本当のことを知ることは綾子を永遠に失うことだ。そのことの方がずっと怖かった。いずれその日は間違いなくやってくるのにだ。だから、(今はまだこのままでいよう。それに、ひょっとしたら彼女の気持ちが変わるかも知れないじゃないか)そう僕は決めた。オールナイトの最終が終わり、外へ出ると夜はすっかり明けていた。朝の光がひどく眩しかった。***それからも綾子との関係に変わりはなかったが、一つ違うのは、彼女との未来は始まりではなく、終わりに向かっているということだった。だが、彼女は相変わらずあっけらかんとして見える。「ねえ、ケーキ食べに行かない」「ケーキ?」「いいお店見つけたんだ。ね、行こう」「わかった」彼女に引きずられるようにして僕らはとあるケーキ屋さんに入った。そこは喫茶スペースがあり、好きなケーキを選んで食べることができた。「私、あれ」「あれって」「ミルフィーユ」「みるふぃーゆ」「そう、フランス語で『千の葉』っていう意味なの」「ふうん、じゃあ僕もそれ」「だめ、だめ、あなたは別のにして」「どうしてさ」「だってそれなら半分ずつ別のを食べられるでしょう」「ああ、なるほどね」彼女はそう言って僕の分まで頼んでくれた。そのもう一つが何だったのか、今ではもう思い出せない。覚えているのはミルフィーユが崩れて食べにくく、僕は皿中をパイ屑だらけにしてしまったことと、それを見て笑う彼女の笑顔だけだ。(続く)
2010.04.14
コメント(3)
「綾子は止めておいた方がいいわ」その言葉に僕はどう反応したらよいかわからなかった。「ごめんね、いきなり。でも、気になるから言うの。もしかしたらもう知っているかも知れないけど、あの子婚約者がいるのよ」「婚約者?」「やっぱり知らないのね」「なぜ君は知っているの」「私と綾子は小学校から高校までずっと一緒だったの」綾子が小学校から高校まで一貫の女子高から来たことは聞いていた。でも久美が一緒だったとは知らなかった。「そうなんだ」久美は小さくうなずいた。「婚約者っていっても、まだ、学生じゃないか」「綾子の家がすごくお金持ちだってことは知ってるわよね」「まあ・・・」「あの人たちって子供が幼い頃から、親同士が将来の相手を決めてることが結構多いのよ。綾子の他にもそんな子たくさんいたわ」「ふーん」そんなこともあるのかと、僕はどこか醒めた気分で久美の話を聞いていた。「本当はこんなこと言いたくなかったけど、何だか永井君がかわいそうだったから・・・」かわいそう?こんな話を聞かされる方がよほどかわいそうだ。「それはそれで仕方がないさ」僕は久美の言葉をさえぎるように言った。そして、「悪いけどバイトなんだ。君の忠告は有り難く聞いておくよ」席を立った。「永井君、待って」コーヒー代を置くと、久美が止めるのを振り切り僕は喫茶店を出た。速足で駅に向かう。いろいろな思いが込み上げて来る。将来のことなど考えたこともないが、綾子に対する気持ちはそれなりに真剣だった。でも水沢久美の話が本当だとしたら、これから先どう彼女に接したらいいのだろう。その夜バイトが終わった後、僕は一人名画座に行った。黒沢明の「生きる」がかかっていた。余命幾ばくもない主人公の姿がなぜか自分に重なってみえた。(続く)
2010.04.07
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1