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8月31日、31日まである月は8月に限ったことではないのに、「さんじゅういち」という響きに物悲しさを感じてしまうのは、私だけでしょうか?昔のことを思い出すのは年とった証拠と言いますが、子供のころはもちろんのこと・・・ごたぶんにもれず大変な日でした31日という日は・・・夏休みというものに無縁になってからも、なぜかこの月の31日だけは、気だるくて元気が出せない日なのです。情け容赦なく日差しを浴びせていた太陽が少しづつ傾いていくにつれ、何か自分の体の中から精力が吸い取られていくようなそんな気がするのです。涼しくなるようで残暑がぶり返すこの時期、汗を拭き拭き恨めしそうに太陽を見やると、すでに手をかざすこともなく仰ぐことができる陽光に、そんなに頑張らなくてもいいよ・・・とついつい愚痴ってしまうのです。「む~ぎわらぼぅ~しは~♪どこい~いったぁ~♪」(麦わら帽子は何処いった)と歌ったのは、吉田拓郎でしたよね。(年代が分かってしまいそう・・笑!)いつもこの一節を思い出してしまうのが、私にとっての8月31日なのであります。私は吉田拓郎のように、うまく自分の気持ちを言葉や音符に表せないので、ただただこのフレーズを口ずさんでは、ノスタルジックな心情にひたるだけなのです。今年もやはりそんな8月31日を送っています。酒そば本舗開店記念セール中です!!
2005年08月31日
昨日はそばをエライ!と褒めたまではよかったのですが、ついつい調子に乗って自分のことまで褒めちゃった。今日読み返してみて・・・まづ赤面、そのあと顔面蒼白、冷や汗たら~り・・。今日は違った意味でのそばのエラさについて話題にしましょう。つくづくたいそうエライなぁ~と思うのであります。その前に皆さんは、忌み言葉ということをご存知でしょうか。私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。分かりやすい例を挙げれば、歴代の天皇のことを当時の人はどのように呼んだのか?その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのであります。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであったと井沢さんは言っておられます。・・・ナルホド!NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。前書きが長くなりました。「蕎麦考」(永友 大著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんは、さぞかし驚かれることでしょう。その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない・・ってなことにきっとなるんでしょう。では、どう呼んだか?幸いそばの葉の形が葵のそれに似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、エライというかナントいうか・・・!!ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。さて、果たして本当に”お上”は、「みは葵粥を所望じゃ・・・」などとおっしゃたのでしょうか?一方今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めといいますから、江戸は公方様の街、町人は誰にはばかることなく気軽に「おぉ~ぅ!そば食ってきなっ!!」なんて言ったんでしょうね。下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を挙げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。酒そば本舗開店記念セール中です!!
2005年08月30日
8月9日の日記でプランターでそばの苗を栽培していると書きましたよね。(8/9と10の日記もおもしろいですよ。オススメです!)そのそばが、1ヶ月あまり経ってずいぶん大きくなってくれました。中には小さな蕾をつけている苗、もう小さな白い花を開花している早熟の苗もあります。私の蒔いた種は早稲の品種だったのでしょうか?(そばなのに早稲という言い方はちょとおかしいかな・・・?)もともとそばは生育が早い作物で、昔からお百姓さんの味方と言われてきました。すなわち、痩せた土地にもしっかりと根を下ろし、稲のように手間隙がかからず、「そば七十五日」と言われるくらい早く実をつける。しかもその実は栄養価が高いことから、救荒作物として重宝されてきたのです。稲が不作で飢饉の年には、どれほどの人を飢えから救ってきたことか!エライぞ!そば!! それに自然はよくしたものです。ナント!そばの小さな花にミツバチがやって来ているではありませんか!!そんな小さな花に吸う蜜などあるのかい?ミツバチ君!あとでそのミツバチの写真画像を貼り付けますんでお楽しみに♪(すいません・・ブログ初心者なもので映像の貼り付け方が分からないんです。誰か教えてもらえませんか・・・) ↓↓↓お騒がせしました。なんじゃ、かんじゃ、やっていたら写真映像を貼り付けることができました!! エライぞ!店長!!・・・(自画自賛!)酒そば本舗開店記念セール中です!!
2005年08月29日
いやいや、何というか自分でもこのようなことになろうとは、夢にも思っていなかったのです。このようなこととは、そう、自分のブログを立ち上げて毎日何がしかの文章を書き込むなんて・・・ってことですよ。半年前の自分にとって、いや今にいたっても恐ろしいことでさえあります。おい!大丈夫かよ!?・・・ちゃんとやれるのかよ!?・・・ってもう一人の自分のささやきが聞こえてくるのですよ。でもつくづく考えさせられます。インターネットの力は凄いものがありますよね。このような稚拙な文ではありますが、一日に平均30人ほどの人が覗いてくださるんですから。初めは自分のブログのことで精一杯で、他の人のブログを覗きに行くなんて気付きもしなかった。少し余裕が出てきたということですかね、履歴をたどって自分のブログに来てくれた人のブログを見るようになったんです。そして、一人の青年と出会ったのです。出会ったというのは私の勝手で、彼にとっては迷惑なことかもしれませんが、彼の書いているものに共感したのです。(これも勝手に共感して迷惑なことかも知れませんが・・・)私の脳裏に、彼と若き日の私とがダブって写った、と言ったほうが正確かもしれません。今彼のブログにつなぐことができなくなりました。でも私は心配していません。きっと彼は重大な選択をしたのです。自分で決めた目標を達成するために、どうしても一時的に時間が必要になっただけなんだと。故人いわく、急がばまわれというではありませんか。まどろっこしいようでも回り道したことが、結果として自分の人生にとって厚みになっていた、と思うことがきっとあるに違いない。賢明な選択であったと思います。2006年の春4月に、彼のブログをまた見れることを楽しみにしています!!
2005年08月28日
昨日日帰りで東京へ行ってきました。幸いに台風11号は、私に恐れをなしたのか、はたまた、せっかちだっただけなのか、天気予報より早く関東地方を通過して房総沖に出てしまっておりました。JRも定刻ピッタシに、私を東京駅まで運んでくれたのでした。全くの無風、がんがん照り、暑かった・・!くたびれた・・!もっとも東京駅の八重洲口に隣接するビルが目的地だったものですから、東京へ行って来ました・・と言うよりは、東京駅へ行ってきました!?・・と言う感が強いのですが・・・最近JRを利用するたびに思うことなんですが、列車の中でノートパソコンを開いて、キーボードを打っておられる方を必ず見受けるようになりましたよね。それも一人や二人じゃないですよ。昨日は上越新幹線Maxときの車両の一階15列程度の中で、5人も見ましたよ!!時代は進む!頭の硬化は更に進む!!・・・感慨深いものがありますなぁ~。(大丈夫ですかぁ~!感心している場合じゃないんですけど~)当然インターネットに接続して、座席に座ってはいるけれど、WEB上を闊歩している人もいらっしゃるわけですよね。(うぅ~ん!・・正直に告白します。私は座席に座って駅弁食ってました。)でも褒めてやってください。そのWEB上に私はお店を出したのですから!! 酒そば本舗 開店記念セール中です!!JRの列車の中からも酒そば本舗にご注文される方が、きっといらっしゃる日のことを夢見て、亀の歩のごとくではあっても前へ進もう!!
2005年08月27日
昨日開店したばかりだというのに、店長としては大変気がかりなのですが、本日所要があって東京へ出向くことになりました。後ろ髪引かれるとはこのことです。しかもこともあろうに、台風とちょうど東京でハチアワセになっちゃうなんて、何とも言いようのない間の悪さ!・・・ではありませんか。JR電車大丈夫なんだろうな?・・・頼みますよ・・電車の中で箱詰めなんて、イヤですからね。お客様に声を大にしてお願い致します。店長留守の間も酒そば本舗をよろしくご愛顧くださいね!
2005年08月26日
祝 開店!!酒そば本舗が本日開店いたしました!!これまでにご協力とご支援をいただいたすべての人たちに、心から感謝とお礼を申し上げます。お客様にお誓い申し上げます。ご満足のいただける、うぅ~ん!ナルホド!!・・・とご納得していただける商品をご提供いたします。どこよりもお気軽にショッピングをしていただけるどこよりも楽しいお店になります。誠心誠意真心を持ってご対応させていただきます。酒そば本舗を末永くご愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。
2005年08月25日
この日記は続きモノです。8月19日の日記からお読みいただくと話の筋がつかめます。我ながらよくもまぁ~取るに足らないことを話題にして、4日間(今日も入れると5日間)も日記を書いたものだと思います。読者の皆さんは、そばの食い方なんぞどうでもいいだろうよ・・・とあきれかえっておられることでしょうね。この調子だと、とどまるところを知らないまま際限なくこのテーマで書き続けそうな気がしますので、いったんこのテーマに関しては筆をおくことに致しましょう。ただ、そば切りとしてそばが一般大衆に広く食べられるようになった江戸時代の初めより今日にいたるまで、結論が得られぬまま論じられてきたという一点だけは、間違いのないことであります。さしずめ、うまいものはうまく食いたいという、我がまま極まりない人間のなせる業・・・とでも言葉を濁して、たっぷりとつゆをつけて食べる派の私としましての結論とさせていただきましょう。
2005年08月24日
日本を代表する明治の文豪といえば、漱石と鴎外ということになりましょう。今日はその漱石より題材をとってみました。昨日は、大名人を無理やり引っ張り出して、つゆをたっぷりつけて食べる派にしてしまった手前、つゆをほんの少しつけてすする派にも著名人を紹介しなければ、片手落ちというものでしょう。そこで漱石の登場となります。正確には漱石の著した「猫」、そう「我輩は猫である」の迷亭先生にご登場いただこうと思うのです。高校生の頃は、漱石と鴎外の作品を意味もよく分からないままに無理やり読まされたものです。・・・そのわりには、よく覚えていたものですなぁ~。迷亭先生かクシャミ先生かは定かではなっかたのですが、図書館へ出向いて調べてまいりました。ありました!ありました!!迷亭先生がナントそばの食い方の講釈をしているではありませんか。「この長いやつへツユを三分一つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ。」「奥さん、ざるは大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数をかけちゃ旨くくえませんよ。」(仮名づかいは読みやすいように変えてあります)はたして漱石は、すする派だったのでしょうか?それともたっぷり派だったのでしょうか?・・・そして鴎外は?でも漱石は、若い時から胃潰瘍の持病持ちであったというではありませんか。さすれば、たっぷりとつゆをつけて食べる派の私としましては、そばといえどもよく噛んで食するにこしたことはないと思うのであります。
2005年08月23日
PART2で話題にしたごとく、ご批判がかくもあまたにあると言うことは、やはりそばの先にほんの少しつけてすする派が、正統派と言えるのでしょうか?つゆをたっぷりつけて食べる派をハッキリ宣言してはみたものの、雲行きの悪さに、少なからず不安にかられるのであります。しかし、忽然と思い出したのであります。強い見方がいらっしゃったことを!将棋を指さない人でも、大山康晴十五世名人のお名前だけは、お聞きになったことはあるでしょう。そう!この大名人が実はつゆをたっぷりつけて食べる派だったという記事をかって将棋雑誌で読んだことがありました。もう30年ぐらいも前のことでしょうか。大名人にもようやく陰りが忍び寄ってきて、中原さんにその地位を明け渡さんとしていた頃の記事であったと記憶しています。話はこうです。そこから更にさかのぼること数年、名人の全盛期のころの逸話のひとつ。名人と当時A級八段(確か後の将棋連盟会長丸田祐三九段であったと記憶しているのですが・・・)が、若い記者と連れ立って蕎麦屋に立ち寄った。そばを注文し注文のそばが来るまで、丸田八段がそばの正統派の食べ方について若い記者に講釈をしたというのです。名人は目を細めてその話に聞き入っていたそうですが、そばが来て食べる段になると、丸田八段の目の前でこれ見よがしにそばにたっぷりとつゆをつけて口に運んだ・・・というのです。棋士は商売柄自己主張が大変に強く、相手に迎合することを嫌う。盤上はもちろんのこと盤外でもいったん言い出したらあとに退かない・・こういった棋士気質について書いた記事だったと記憶しているのですが、さすがは大名人、並の人にはできないことですよね。はたして本当に大山名人は、たっぷりとつゆをつけて食べる派だったのでしょうか?残念なことに故人になられて久しいので、お聞きすることもかないません。これもまたかなわぬことですが、森内名人と羽生四冠にもお聞きしてみたいですね。でも結果は分かっています。一方がすする派なら、もう一方はたっぷり派に違いありません。ちなみに私も将棋を指しますが、悲しいことに、頭に金を置かれるまで自玉の詰みに気がつかない・・・といったレベルなのですよ。
2005年08月22日
そばにたっぷりとつゆをつけて食べる派をハッキリと宣言した私としましては、甘んじてご批判を受ける覚悟はできております。しかも、つゆは甘めの濃いめが好きなのでございますよ。(うっ!・・・言っちゃった!!)なんてヤツだ!そんなやぼったいそばの食い方あるものか!?そんなにたっぷりつゆをつけたら、そぼの香りが死んじまわぁ~!!俺なんざぁ~、最初のひとすすりはつゆなしでぇ~!!そばは噛むもんじゃねぇ!呑み込むもんだ!のどで味わうものですよ!!たいそうキビシイお声が聞こえてまいりますなぁ~・・・確かに昨日話題にした江戸っ子のいなせなお兄さん、かっこいいですよねぇ~。「勘定ここに置いとくぜぃ!」・・って、一度は言ってみたいセリフですよね。でも、わたしの場合には、「あっ!お客さん!お客さん!!これじゃ勘定足りませんよ!!」・・ってなことになりそうで、二の足を踏んでしまうのです。
2005年08月20日
さて、今日はそばの食べ方についてあなたは、そばにつゆをたっぷりつけて食べる派?それとも、ほんの少し先の方だけつけてすする派?そば切りが当時の江戸で大流行したというお話を昨日しましたよね。これに関連して江戸っ子気質をよく現しているたとえ話を本で読みました。これが大変面白い!!威勢よく暖簾をかきわけて入ってきた男が、「もりを一枚、急いどくれっ!」って注文する。蕎麦屋の主も心得たもので、さっと出す。ずるずる、ずるずる、ずるずるっと三口でそばをすすり終えると、「勘定はここに置いとくぜぃ!」って言葉を残してさっと表へ飛び出していった。当時の江戸っ子はせっかちで、見てくれのかっこよさ、気風のよさが身上でゆっくりしたのが性に合わない。でもそれがために痛い目に合うってこともずいぶんあったようです。長屋のご隠居さんが、最後に本音を言って愚痴ったという落語の噺、ご存知ですよね。これも負けず劣らず面白い!!臨終まぎわのご隠居に何か言い残しておくことはないか、と問いただしたら「最後に一度でいいから、つゆをたっぷりつけて蕎麦を食いたかった・・・」そばの食べ方は人それぞれ、その人がおいしいと思う食べ方が一番おいしいのではないでしょうか。ちなみに私は、たっぷりとつゆをつけて食べる派です。
2005年08月19日
一昨日は、私とざるそばの運命的(・・!?)な出会いについて、ご紹介しました。・・・でも私だけでしょうか?子供のころ、私のように食い意地が張っていたいないは別にして、蒸籠に敷いてあるスノコをめくってみた記憶のある人は、ずいぶんいらっしゃるでしょう?蒸籠といえば、皆さん不思議に思われたことありませんか?もりそば、ざるそば、せいろもり・・・こういったそばは、どうして蒸籠にもられて出されるのでしょうか?そばが今のように細く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めころなのだそうです。当時は「そば切り」と呼ばれて、大変人気があったそうです。当時のそばは、今と違ってつなぎに小麦粉を用いることを知らなかったために、めんが短く切れやすかったのです。ですから、いったん切ったそばを蒸籠にもって、しばらく蒸した後にゆでたというわけです。後に小麦粉をつなぎに使用する打ち方が一般に普及しても、蒸籠にもることは、そのまま残ったのでしょう。先人が苦労の末に生み出した知恵の名残り・・・それが今日の蒸籠もりに息づいているのですね。
2005年08月18日
日本では、そばは「そば」「蕎麦」と書けば、それが何であるか分からぬ人はいないでしょう。これが、そばの原産地である中国ともなると、ご案内のとおりかの国は漢字の国ですから、土地土地によりいろいろな文字の表し方があるのだそうです。それがまた、土地土地のそばの品種ともからみ合って複雑ったらありゃしない。蕎、蕎麦、烏麦、花蕎、伏蕎、華麦、落麦、省麦・・・・・そばはタデ科の植物であり麦とは違うのに、麦と表現しているところが面白いですね。また、内陸部のチベットやヒマラヤでは古くから苦蕎麦(今、日本でも話題になっている韃靼〈ダッタン〉そば)が栽培されており、このそばと区別するために普通のそばを「甜蕎(てんきょう)」「甜蕎麦(てんきょうばく)」とよんでいるのは、興味をひかれます。「甜」は甘いという意味なのですね。日本で広く栽培されているそばが、甘蕎麦と呼ばれる所以です。
2005年08月17日
子供のころ、親に連れられて初めておそば屋さんに入った日のことを今でもはっきり覚えています。おそば屋さんといっても、定食・丼・麺類一式取扱っている・・・そう食堂なんです。懐かしいですね。暖簾をくぐって中に入ると、だしの匂いがぷ~んと鼻をつく。お品書きを見て、何を注文しようか?天ぷらうどんも食べたいな、ラーメンも食べたいし、・・・カツ丼も・・・ってなことになる。幼かった私にもラーメン、うどん、そばは、どういう食べ物かは分かっておりました。でも、ざるそば?・・・いったいどういう食い物だろう?・・・そばには違いないだろう?・・・と思ったものです。「ざるそば?」自問自答を小声で発した時、店員さんが大きな声で言ったのでした。「はぁ~い!ざるそば一丁!!」それが、私とざるそばの最初の出会いだったのです。四角い蒸籠に盛られたそばを見た時、やった!ラーメンにしなくて良かったと内心にんまりしたものでした。てっきり二段になっていて、竹で編んだざるをめくれば、蒸籠の底までそばが盛られていると思ったのです。(食べ盛りだったんですね・・・お許しください)今でもハッキリ覚えています。おいしかった!!そして、ちょっとガッカリしたことも・・・
2005年08月16日
お盆ということで、昨日一足先にお墓参りに行ってきました。例年15日に行くと大変な込みようだったのですが、今年は一日の違いでゆっくりとお参りすることができました。墓前で手を合わせただけのことで、気持ちがすーっと落ち着いて行くのが感じられました。あせっても仕方がない。お店の準備できることは休み中も進めて、やり直しの部分は、17日から再スタートすれば、イイじゃん!!(ご先祖様のお導きかな?・・・今日はいつになく優等生じゃないか!?)12日に負った深手(ホントにやられた~!って感じだったんです)、もうだいぶ癒されてきました。心の傷は、気持ちの持ちようを変えていくしかしょうがないですものね。
2005年08月15日
まだ立ち直れないでいます・・・昨日負った傷は、痛かった!世間はまったくのお盆休みモード!当たり前って言えば当たり前、お盆も休みなしなんて、どこぞの店長さんだけよ~♪♪(・・って鼻歌うたっている場合かよ!)ただでさえ遅れているちゅうのに、やり直し!連絡できるの17日まで待てません!!っと言っても仕方ないか・・・というわけで、今日はあきらめモードなんです。
2005年08月13日
またまた、トラブル発生!みなさん、ごめんなさい・・・(><)””オープン予定8月20日頃っていつかどこかの店長が言ってましたが、(もう遥かずう~っと昔のことに思えるくらい、今が早く過ぎていく・・)25日に開店できればな~ってことになりました。がっくし・・・しょんぼり・・・はぁ~・・・こちらが誠実に対応しているつもりでも、相手はそのように採ってくれないってことよくあることですよね。・・って慰めてんのかよ~!自分を!!・・・(みじめ!)「楽天知命・・・」なんて、そんな余裕ありません。ちょっと今日は立ち直れません!
2005年08月12日
一昨日の日記でプランターでそばを栽培しているとご紹介しましたが、ひとつそばの苗のことで気付いたことがあります。そばの茎の色がどういうわけか赤いのです。そこで調べてみたのですが、「そばの赤すね」という言葉があるくらいですから、これは私の育て方が悪いのではなく、そばのもつ特徴であることが分かりました。それでは「そばの赤すね」の話の始まり、始まり・・・!昔々あるところに姉妹がいました。姉はムギ、妹はそばといいます。寒い寒い冬の日のことでした。姉妹は老母を背負って川を渡らなければならなかったのです。ムギは冷たい川を渡るのはいやだど言ったので、そばが母親を背負って川を渡ったのです。そばは冷たい水に長い間足をつけることになったので、そばの足は真っ赤になってしまいました。でもムギは川を渡らず長く畑にいたので、冬になると頭を上から踏まれてしまうのです。そばは早く熟れてしまって、冬になるともう畑にはいないのです。だから、頭を踏まれることもなかったとさ・・・。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2005年08月11日
今日は、私の好きな漢詩を紹介させてください。 月 独 村 霜 明 出 南 草 蕎 門 村 蒼 村 麦 前 北 蒼 花 望 行 蟲 夜 如 野 人 切 雪 田 絶 切最後の節は、「月明らかにして蕎麦(きょうばく)花雪の如し」と読むんだそうです。「きょうばく」の響きが、何とも心地よいですね。この詩は、唐代の白楽天が長安より故郷に帰ったとき(811年)の作と伝えられています。白楽天といえども人の子、郷里に帰った安心感・安堵感が行間にうかがえますね。その一方で、都での志が叶わぬままに郷里にもどった失望感が、詠わせた詩だともとれます。今をさかのぼること1200年、白楽天は月明に照らされた蕎麦の花をどのような気持ちで眺めたのでしょうか?あっ!忘れていました!昨日の問題の回答なんですが、・・・皆さんもうお分かりですね。蕎麦の花が雪のようだと言っているのですから、答えは、2 でした。
2005年08月10日
当奮闘記では、そばに関することについて、お店の運営上のドタバタについて書いていこうと思っています。っと言っても、そんなに題材ないんですよね~。そこで、そばについて「こだわり」のある人そばについて「うんちく」を語りたい人「こんなそば旨かったぞ!!」「こんなそば料理たべました!」って人「俺はこんな店をやってるぞ!しかもスイスイと・・」って人(うらやましい~!酒そば本舗も早くそうなりたい・・・!)ぜひお力を貸して下さい。お友達になってもらえませんか。そこで本日の話題皆さん知ってらっしゃいますか?そばの花の色は何色?1、深紅2、純白3、淡い黄色実を言うと今プランターでそばを栽培しています。7月の終わりに種を蒔いたんですけど今の調子でいけば、10月中旬~に開花の予定です。毎日の水やりがとても楽しみ~♪(これマジですから・・)今日の問題の答えは、この日記の明日の欄で発表します。楽しみにして下さい。(・・・ってことは、明日もこの日記を覗きに来てねってこと)
2005年08月09日
8月8日(月)は、記念すべき日になるハズだった・・・。末広がりの今日の日に、そう!賑々しくご開店!!いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!ご注文に製造が追いつきません!どうしよう!!なんてことを夢見ていたんです。意外とロマンチストなんだな~?(って言うか、ただ見通し甘いだけ)現実はキビシィー!このままの調子では、早くても8月20日以降になっちゃう。でもめげずに頑張ろう!!この間「楽天知命・・・・」なんてカッコつけた手前、憂えてるわけにいかないでしょ!
2005年08月08日
楽天にお店を出すのって、やはり大変・・・こんな当たり前のこと、はなから分かっていたはずなのに。思わぬことが次々と発生してきて、トラブル続き、おまけに陽気は、夏真っ盛り・・・気温はグングン上がるは、汗はタラタラ(内訳:冷や汗八分)、頭の中はグチャグチャ・・・もう~っ爆発寸前!喝!!(自分に気合を入れているのです)爆発は寸でのところで回避されました。話変りますけど、そもそも楽天ってどういう意味?織田信長の施策、楽市楽座がモチーフだったとお聞きするのですが、確か中国の四書五経の一つ、易経(間違っていたらゴメンなさい)の中に「楽天知命故不憂」なる一節があるんですって。「天を楽しみ命を知る。故に憂えず」って・・・がーん!!天命を悟って心を安らぎなさい、そうすれば憂いは解消されますよ・・って昔の中国の人はエライなあ~!ついでに、こんなすばらしい言葉を社名にした三木谷さんもエライ!まさに今の私に必要なのは、この「楽天」であることを再認識しました。
2005年08月06日
もう直ぐ出すぞ!と、今日も今までミーティングでした。今のところ8月20日頃の予定。とーってもおいしい!!!お蕎麦のお店です。「みなさんご期待くださーい。(って自分が)」ちょっとフライング情報そば粉、小麦粉・・・・素材にとことんこだわって・・・・・・・水を一滴も使わず酒で練った・・(ええっ!そんな蕎麦ありかよ!)しかも酒は北陸の銘酒・・・・贅沢きわまりない・・・・ちょっと出店準備でハイになってます。オープンに向けて準備を進めてきましたが、この期に及んで!ひどい!何で!クレジットカード決済が!楽天のクレジットカードシステムしか使えないってそんなこと早く言ってくれよ!しかも今から頼んでも楽天のカードシステムスタートに一ヶ月もかかる!うーん困ったというか、クレジット決済のないショップなんて・・・クリープを入れないコーヒーみたいなものじゃないか・・・!?ちょっと不愉快です。売上相当違うだろうな~(ドキドキ・・・)
2005年08月05日
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