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2019.10.29
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村上春樹「アフターダーク」(講談社) ​「2004年《本》の旅 その5」
​​作家 村上春樹 が作家生活二十五周年と銘打って、新作 「アフターダーク」(講談社) をこの秋(2004年)発表しました。
 近頃の本屋さんは売れるとなると、何万部、何十万部の売上を計画しているようで、同じ本が山のように積み上げられるコトになるのですが、あれは一体なんでしょうね。大体、小説を書いているような人が、まぁ商売上の都合はあるにしてもデビュー~周年なんておかしくないですかね。なんか演歌の歌手みたいですね。ブツブツ・・・
 とかなんとか言いながらチャッカリ買って読んでいるんだから、まぁ批判に性根が入っていないですね。​​  
 その上
​あぁ ​「風の歌を聴け」(講談社文庫)​ から二十五年経つんだ。​
​  とか、なんとか感慨にふけったりするわけですから、出版社の広告が、なんというか、ちゃんとツボにはまっているんですね。
​ いい年をしたおっさんが二十歳過ぎに読んだデビュー作以来、 ​「 1973 年のピンボール」(講談社文庫)・「羊をめぐる冒険(上・下)」(講談社文庫)​ から始まって、
​​「出たら、買う。」​
 ​ で、二十五年読みつづけた相手なんだから嫌いじゃないんでしょう。でも
​​「一番好きな作家は?」 ​​
​  と聞かれてもこの人の名前を出した事は一度もないから、その次くらいの作家だったし、今でもきっと、そうなんでしょうね。​
 ​​ ​​​​彼を超人気作家にしたのは 1987 に大ブレイクした 「ノルウエイの森(上・下)」 ​(講談社文庫) という作品だと思うのですが、多分、百万部を超える勢いで売れたと思いますよ。小説がそんなふうに売れるという ​​
​「異常な出来事!」 ​​​
の始まりの作品かもしれませんね。赤と緑に統一された印象的なその装丁が功を奏したわけですが、今となっては、経済成長の頂上のような 1987 という時代と強く関係する現象だとは思うんですけどね。​​​
 作品の内容は互いに自意識過剰な男女が、相互理解の不可能性を確認しあった結果死んじゃうような話で暗いこと限りなしなんですが、とにかく流行りました。まあ、ケチをつけるようなことを言ってますが、そこには、やはり大勢の人の胸を打つものがあったんでしょうね。かくいうぼくも、嫌いじゃありません。
​​ その後、この作家は 地下鉄サリン事件・オウム真理教事件 に強い関心を持つわけですが、小説で彼が描こうとしてきたこととこの事件への関心がジャスト・ミートしていたんだと、今となって気づくのですが、ちょっと、遅いですね(笑)
 ボク自身 も結構ショックだった事件なのですが、 彼の小説の登場人物とあの事件の登場人物たちとの共通性が、たしかにあったんじゃないでしょうか。彼が、小説の登場人物としてしか描きようのないと考えてた人間が現実に姿を現したことに対する驚きというんでしょうか。​​

 今、急に思い出しましたが、 ブルーハーツ の名曲 「月の爆撃機」 の中に
♪♪ここから一歩も通さない
 理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない  ♪♪
 ​ という歌詞がありますが、ご存知でしょうか。
​​​ 誰にでもあるにちがいない、他者が立ち入ることの出来ない 「心の奥」の領域 を唄っている名曲ですが、 村上春樹 が描く小説の登場人物たちはほとんど例外なく、この 「心の奥」の領域 から、ボク達が生きている生活の向こう側、あるいは壁向こう側の世界へジャンプすることで窮地を脱したり、心の奥の謎を解く場所にたどり着いたりしてきたのではなかったですかね?​​​ ​​​
​​​​​​​ それは 深い井戸の底 からであったり、偶然 転がり込んだ地下道 からだったり。 ブルーハーツ の歌の主人公が、 月に向かって飛ぶことで、黒い影となった爆撃機のコクピット に乗り込み、誰の目にも見えない宇宙の果ての世界に脱出して行くのとよく似た 小説世界 村上春樹 は描きつづけてきたとボクは思いますね。​​​​​​​
 主人公達は荒唐無稽な設定の中で、決して、冷静さや優しさを失わず淡々とその世界を生きていくのです。しかし、実際の生活の中で、ボク達は月に向かって飛ぶことを試みたり、心の底にどこかへの抜け道に通じる井戸があることを期待したりしません。 だからこそ人々は小説を読み、ロック・コンサートに出かけるのわけでしょ。
 もしも、本当に 「〈私〉の重さ」 ゼロ にして空を飛ぶことを試す人がいたとしたら?そして、それを信じない人たちを爆撃し始めたら?サリン事件が作家に問い掛けた事はそういうことだったのではないでしょうか。​​

​​​​ 新作 「アフターダーク」 センスがあって音楽が好きでお人よしの男の子 と、 語学に堪能で少しエキセントリックなの女子学生 のウィットとユーモアに溢れる、この 作家 らしい会話を中心に描かれています。彼らはおたがいに、礼儀正しく、優しく、親しく、穏やかな人間関係が作品の世界を作っています。 彼ら の周りの登場人物の多くはいい人たちで、いつもの 「村上ワールド」 の住人たちです。​​​​ ​​
​ しかし、二人に限らず小説に登場する誰もが 「ここから誰も通さない」所 から向こう側について触れようとしません。何だか、出口なしのニュアンスがとても強い作品なんです。​
 作品を読みすすめながら、読者のボクは、小説そのものが深く傷ついている印象を持ちました。何ごとかが終わってしまっていて、もう始まりようがないような世界に、作品が閉じ込められているように見えるんです。
​​ それが、当然であるかのように主人公たちは恋に落ちることも出来ないし、互いに抱きしめ合って安らぐことも出来ない。 「ここ」 から逃げ出していくほかどうしようもない感じがしてきます。何だか、作家自身が困ったところに来ているんじゃないか、そんな感じですね。とても 25周年 をノンキに寿いでいる作品とは、ボクには思えませんでした。​​
​ ボクはここで悪口を言っているつもりはないのですが、小説を読んで 「幸せ」 になりたい人にはすすめられませんね。
​「やれやれ・・・」​

 にもかかわらずボクは彼の次の作品も読むにちがいないわけで、何がうれしいんでしょうね、困ったもんです。( S )2004・11・11 ​​​​

​​​​​​  追記2019・10・26
​村上春樹​ のこの作品も 2004年 なんですね。案の定、世評は芳しくありませんでした。彼は、この5年後 「1Q84」 を書いて復活(?)します。
 ぼくはこの二十年位の社会の変化と、小説作品の 「質的」 な変化に何か相関するものがあるんじゃないかという興味を最近持っています。ノベール賞のあとの ​大江健三郎​ や、たゆまず書き続けている ​古井由吉​ が忘れられているかのような文学シーンには、本屋さんが煽って、その結果、 「読者」 に媚びているかのような作品がまかり通っています。 「作家が喜ぶほめ方」 を募集する企画までありました。もう、どっちもどっちなのかもしれませんが 「作品」 はどこに行くのでしょうね。
2004年 に出た、この作品の題名が 「アフターダーク」 であることは、ちょっと考えてもいいというそういう興味です。​​​​​


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最終更新日  2023.05.23 16:11:52
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