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「よそ者のことを、富山では 「たびのひと」 と言う。何十年住んでいても出身が違うだけでそう言う。大学から関東や関西へ行って有名人になった人が、いつまでも地元でちやほやされるのと同じしくみだ。よそ者、ということを考えない日はなかった。(P10) これが、まあ、ほとんど書き出しですが、九州から富山に移住(?)して、今では アキオちゃん と呼ぶ配偶者と、10歳になる 佳音ちゃん という女の子と三人で、まあ、そこそこ平和に暮らしているお話です。
まあまあ元気、というのは一応通院しながら病気をコントロールしているということで、二年に一度くらいは再発もある。
肌のハリや髪の艶がなくなっていくように、病気も少しずつ鮮度を失っていくと感じている。麺類でいえばコシがなくなるというか。病気そのものの主張が弱くなるというか。でも他人から見たらわからない。激しく見えることもあると思う。特に妊娠中は予防のための炭酸リチウムや向精神薬が中止されて、大変やった。
中略
発病したときは「そううつ病」だったのが、今は「双極性障害」に名前も変わった。初めて躁状態になったときは、なんかどこか、自分の奥の方で力をためて準備していた病気が躍り出たみたいだった。病気は強くて真っ黒で弾力があって、その勢いであたしを乗っ取ろうとしていた。気持ちの悪い病気の粒が、体の中から表面に出てきておはじきみたいにざらざらするのを感じた。あたしの皮膚には、さまざまな大きさの目が無数にあって、脳に映像が伝えられることはないのに、たくさんの目が開いて、あるいはこれから瞼を押し上げて開こうとしていると思った。神社でしか目覚めない目、台風のときだけ開く目があって、耳には聞こえない周波数の音だけに反応して目覚める目があって、生きているそろばん玉みたいなそれらの目を意識するのを狂っていたというのは簡単だが、あのときは、これでわかったと思った。うまく言葉にできないけれど、気がつくとというのはそういうことではないだろうかと今でもちょっと思う。(P11)
というわけで、身体的、精神的不調と付き合いながら暮らしている 「花ちゃん」
の独り言小説ですが、あの時の 「なごやん」
もまた、なんと富山に暮らしているという偶然の再会で、作品は急展開するかと思いきや、別に何も起こりません。
まあ、それが 絲山秋子
というわけで、読んでいる方も、何か事件が起こったり、人の生き死にのドラマが盛り上がったり、男女関係がややこしくなったりというふうな、まあ、ありがちな 「おもしろさ」
どこにもありません。あるのは、なんとなく蔓延してるコロナの世相ですが、それとても、とりわけ騒ぎ立てて書かれているわけではありません。もちろん「双極子障害」という今では、はやり言葉のようになっている病気や、その病像についてのカミングアウト小説というわけでもありません。 花ちゃん
の独り言は、ただ、 「わかること」
の、ちょっと手前で、うまく言葉にならない 「わからないこと」
に、じっと、辛抱しながら 「ことばあそび」
を楽しんでいる(?)、いや、苦しんでいる(?)風情で続いていきます。
干していた寝袋を回収に行くと、海を背にした佳音が両手をひらいて、腕を広げた。 作品は 2019年4月 にはじまった 花ちゃん の日々の独り言の記録ですが、 2021年10月 、コロナ騒ぎのなか、家族でキャンプにやってきた海岸での 花ちゃんと佳音ちゃん のこの会話で記録は終えられます。
「お母さんもこうやってみて」
小さかったころの「抱っこして」のポーズみたいだ。あたしが真似したら祝福を与える怪しい宗教家みたいやんと思った。
「なにこれ?」
「お日様が当たると、気持ちいいでしょ?」
たしかに、掌のくぼんだところに朝の光が当たっている。小さくてあたたかい温泉を載せているみたいだった。
「滝とか、風に向けても気持ちいいんだよ」
「くぼんだところって、握手しても触らないとこだから、敏感なのかな」
「焚火にあたってるみたいね」
これが受け止めるってことなのか、とうっすら思った。(P250~251)
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