売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.06
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経済産業省繊維課長の山本健介さんに「お手間はとらせません」と言われて協力することになった中小繊維事業者の自立支援審査、その申請書類の多さにはびっくりでした。民間審査官は揃って過去3年分の決算書一式と自立事業計画書に悪戦苦闘、細かい文字に目が痛くなるのを我慢しながらの審査でした。

これまで産元商社やコンバーターの下請けをしてきた工場に、自ら販路開拓して海外、国内のアパレル企業に直接売り込む、あるいは直営店でエンドユーザーに販売する事業を計画しなさいというのですから、慣れない事業計画書を制作するのは大変、またこれを読んで採点する我々も大変でした。

各審査官チームが約50社程度の案件を採点すると、今度は上位得点事業者の経営者全員を面接、本気で自立事業に挑戦しようとしているのかどうかを見極める作業がありました。中には、日本のものづくりを活性化するための補助金なのに、工賃の安い中国に工場を建設して低価格テキスタイルやニットを生産しようとする筋違いの計画もあれば、工場の改修工事に充てるための補助金申請だなという怪しいものもありました。最悪なのは、ラグジュアリーカーを購入する資金にするのではという輩も。審査官はみな「税金を無駄にしないぞ」と、まるで税務署の取り調べのような厳しいチェックでした。

私のチームにも記憶に残る事業者が数社ありました。多くの事業者は単年度の申請でしたが、中には2年間継続事業に対する補助金要請をする経営者もいました。その一人が福井県坂井市の第一織物の吉岡隆治社長。これまでは主にヨットの帆に使う素材を内外に販売してきたテキスタイル会社が、ファッション用の素材として高密度ポリエステルをテコ入れし、海外トップブランドに売り込みたいという事業構想でした。




極細ポリエステル糸を密度濃く織ると中綿のダウンは表面に出てきませんが、中国製の中途半端な高密度風ポリエステルは中のダウンが抜けます。店頭で「この素材は絶対抜けませんから」と説明しておきながら、後日お客様からダウンが抜けてきたとクレーム、百貨店の売り場マネージャーと一緒にアパレルメーカーの営業担当がお詫びに飛んでいったなんてことはよくありました。が、第一織物の高密度ポリエステルは高品質、ダウンが抜けてくることはありません。

福井県の本社工場見学に行ったとき、吉岡社長から「我々の織物は味噌や醤油を作るのと同じ、手作りなんです。織機の写真は前から撮るのは結構ですが、背後からは企業秘密がバレるので撮影しないでください」と言われました。コンピューター制御の生産効率の良い織機を大量導入してはいますが、技術者が機械ひとつ一つに手を加えて生産効率よりも品質向上を優先している。これは尾州産地の中伝毛織やデニムのカイハラでも同じでしたが、優良メーカーは品質アップのため糸の送りを微妙にスローにしているのでしょう。




第一織物の申請を採択して2年の支援が終わり、3年目も吉岡さんが審査部屋に現れました。ドアを開けた瞬間、正直言って「またこの人か」、吉岡さんも「またこの人が審査官か」だったでしょう。今度は高密度ナイロンを開発すると吉岡さんは説明し始めます。意気込みはわかりますが、3年も続けて同じ会社、当然ハードルは高くなります。しかし、試作品を手に取って驚きました。これならヨーロッパのラグジュアリーブランドがきっと使いたくなる代物、私たち審査官は再び合格としました。ダウンジャケットで世界的ブランドに成長したモンクレールとガッチリ組むことになった素材がこれでした。

ヨーロッパの人気ブランドとのビジネスがスタート、第一織物の売上は海外80%、国内20%になりました。海外80%の中には広大な中国市場を攻める韓国アパレルブランドも含まれます。「韓国ブランドが使ってくれるのに、日本のアパレルさんは値段の話ばかり、(値段が高いので)一向に使ってくれません」、吉岡さんと見本市会場で顔を合わすたび愚痴られますが、経産省山本課長が自立支援事業で意図した製造業者が自ら海外に売り込んで成果を上げた代表的事例になりました。

吉岡さんがヨーロッパに商談に行くたび、ブランド側は毎回価格の話をするそうです。近隣の北陸合繊メーカーの中には同じ織機を使って同じようなテキスタイルをもっと安く提供している会社もあります。ブランド側は第一織物の微妙な風合い、触感の違いを十分理解した上であえて知らん顔して価格の話をする、優秀なMDなら普通の交渉術です。こういう場合、これまで多くの日本企業や代理店はビッグブランドの値引き交渉に応えようと電卓をたたきましたが、吉岡さんは「だったら他社に行けばいい」と強気の交渉をしています。

官民投資ファンドクールジャパン機構の社長時代、欧米輸出を計画している事業者に、「オマケしない姿勢を貫かなければクールジャパン事業とは言わない」と私は値引き交渉を突っぱねることが今後日本企業には重要なことと説いてまわりました。まさに第一織物はテキスタイル分野のクールジャパン事業者、おまけしない姿勢は立派です。

2013年末クールジャパン機構発足直後、初代内閣府クールジャパン戦略担当大臣だった稲田朋美さんに就任ご挨拶に伺いました。この日稲田さんはソマルタ(廣川玉枝デザイナー)のセカンドスキン(編みタイツ)を着用でした。大臣は福井県選出衆議院議員、だから福井県鯖江市の吉田産業が製造する経編ニットのタイツを愛用しているものと思ったら、大臣はソマルタのことはご存知でもそれが福井県の工場が製造しているとはご存知ありませんでした。「それは鯖江の会社です」、と説明したら飛び上がらんばかりに大喜び。鯖江の眼鏡をかけて歩く広告塔をなさってますから。

私は続けて「福井県には世界に通用する優れた繊維メーカーがほかにもありますよ」と、第一織物とモンクレールのこと、千駄ヶ谷にもショールームがあると申し上げました。数日後大臣から千駄ヶ谷のショールームに行きましたとメールが届き、写真が添付されていました。写真は、第一織物が独自に開発したオリジナル高密度ポリエステルのダウンジャケットを着た安倍総理と稲田大臣のツーショット。安倍総理が東北の被災地視察に出かける際、雨にも風にも強いこのダウンジャケット着用を稲田さんが勧めたそうです。

もうひとり、経産省自立支援事業の面接で記憶に残る経営者がいます。愛媛県今治市の渡辺パイル社長だった渡邊利雄さんです。申請書の自社紹介欄に某ブランド企業との取引があると記載があり、「この会社のどのブランドと取引しているんですか」と訊ねたら、「そこまではわかりません」。コンバーターが中間に入っていたのか、それともどのブランドの生地作りなのか関心がなかったかのはわかりませんが、これからダイレクトに販路開拓しようと補助金申請する事業者にしてはちょっと情けない。「ブランドの名前くらいちゃんと調べなさいよ」と私は叱りました。テキスタイル自体は良かったので私たち審査官は合格としましたが。




それから10年後、某都市銀行が今治でクールジャパンのセミナーをするというので、講師に呼ばれた私は渡邊社長に連絡しました。すると、私の話は聞きたいけれど、参加はしたくないとの返事、理由を聞いて驚きました。自立支援事業を進めていた当時、大手も含め金融機関の多くは不良債権処理で政府から資金援助してもらっていて、世に言う「貸し剥がし」がありました。当時渡辺パイルもこの銀行から冷たく返済を迫られ、資金繰りに大変苦労したそうです。あのタイミングで補助金が入らなかったら会社の存続はどうなっていたか。以来、この銀行のことが信じられず、いくら私が講師で今治に来ても参加しない、と。気持ちはわかります。セミナー後の会食では盛り上がりました。

自立支援の補助金を得て、渡辺パイルは意欲的に商品開発を行い、気がつけばシャネルやシュプリームからも注文が入るようになりました。今治の工場にお邪魔したとき、パリの直営店で購入した自社テキスタイルを使ったシャネル全商品10点ほど見せてくれました。シャネルを10点も正規価格で買えばそれなりの金額、テキスタイル販売で得た収益は消えてなくなりますが、それでも渡邊さんはその後も買い続けていました。

このとき、繊維産地が後継者問題で悩んでいる話になり、長女がロンドンのセントマーチン留学から、長男がニューヨーク修行から戻って二人とも家業を継ぐなんて「渡邊さんは恵まれているよ」と言ったら、非常に喜んでいました。それから約1年後、渡邊さんはあっけなく急逝しました。私が主宰する勉強会に長女の有紗さんが参加する話があり、渡邊さんから「娘をよろしくお願いします」と前日に電話をもらったばかりでした。訃報を受け取ったときは信じられませんでした。




いまは次女まで渡辺パイルに加わり、お子さん三人が渡邊さんの遺志を継いで高品質パイルを作っています。国の自立支援で救われた地方の中小企業が世界のトップブランド相手にビジネスを拡大、遺児たちがものづくりを引き継いでいる。渡辺パイルを見ていると、あのときの補助金は確かに役に立っていると実感します。補助金が全部このように成果が上がればいいんですが。


写真:テキスタイル見本市での第一織物ブース。
   第一織物本社工場。
   故渡邊利雄さん(左)と長女・有紗さん(右)。
   三兄弟揃って初参加した展示会のブースにて。





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Last updated  2022.09.06 15:52:13
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