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http://umedayoko.cocolog-nifty.com/blog/ まんねりしてきたし、機能に不満もでてきたので、こちらに引っ越すつもりです。 今後ともよろしくお願いします。
2009年02月12日
住所はここ10年ほど、メールアドレスは10数年、まったく変わっていないのだけれど、気分転換とニーズに伴ってときどき名刺をつくりかえる。 今回のは過去最高にお気に入り。こういう写真を加工したものは、以前はばかみたいに高かったのに、今はずいぶんと安くなった。 上が表で、下が裏。著作なんて昔はプリントしていなかったけれど、永谷脩さんに「あやしいヤツと思われなくていいぞ」とアドバイスされたことがある。 それでも最初の頃は取材の現場に女なんて私ぐらいだったから、すぐに覚えてもらえたし、メジャーリーグにきてからもそう。ともかく90年代前半はライター不足で、ナンバーでもなんでも私がNFLまで書いていた。情報が不足していたせいか、「週刊ベースボール」も「ナンバー」しかなく、どちらも私がほとんど書いていたから、選手もよく読んでくれていて、「ああ、梅田さんか」とすぐに話が通った。 でも、最近はライターの数も増えたし、日本人大リーガーも数も増えた。野球界以外の人と知り合う機会も増えた。あやしい人物という印象をあたえないよう、名刺にも気くばりするようになった。 しかも、私の場合、アメリカ人にもわかってもらえる名刺にしておきたい。日本用とアメリカ用でつくっていたこともあるのだが、取材現場ではそれなりに集中したいから、混乱は避けたい。 社会人になって最初の名刺は角が丸いもの。女性は角が丸いもの、という規則があったのだ。へんなの。 フリーになってすぐは肩書きがわからなくて(笑)、名前と住所と電話番号だけのシンプルなものを作った。何しろ東亜燃料のOL(といっても、3か月しか働いていないから、職歴と名のるほどのものでもない)からいきなりの転身だったから、「フリーライター」なんて名のるのも本もののフリーライターに悪いような気がして・・・。 「スポーツライター」という言葉も今ほど一般的でなかった。 友だちからは「フリーターっていうんでしょ?」とも言われたが、それは違うんじゃない? だから、肩書きなしの名刺が長くつづき、アメリカに拠点を移した1990年、お世話になった編集者がつくったプロダクションとマネージメント契約していたから、そこで名刺をつくってもらった。 高田馬場の駅から徒歩1分。元「サンデー毎日」の編集者たちだったから、そこの下請け仕事が定期的にきた。鳥越俊太郎氏が編集長をやっていた時代。 これが大大大失敗。 「Weed」という会社名は、「雑草のごとく」という意味でつけたはずだが、アメリカ人にとっては「マリファナ」という俗語なのね。 たしか知り合ったばかりの夫も「すごい社名だなぁ」とあきれていたし、ぎょっとする人が多かった。 日本では誰もそんなこと指摘しなかった。学校でちゃんと教えてほしいわぁ。
2009年02月11日
もうじき野球シーズンがはじまる。 10年以上つづけていた夕刊紙のコラムが終わったし、「月刊メジャーリーグ」も季刊紙になってしまった。 このブログは身内向けの雑感中心にして、それとは別に、コアなスポーツファンのための「メールマガジン」を発行していけたら、とプランしている。 タイトルはシンプルに、”WEEKLY CHICAGO SPORTS (仮題)‘ シカゴ五輪はどうなっちゃうのか、それからカブスとホワイトソックスのネタ、ごくごくローカルなアイスホッケー&フィギュアスケートの話題・・・。 そんなかんやシカゴから新鮮なネタをお届けしていきたいと準備中。 というのも、せっかく長時間インタビューにさいてもらっても、雑誌はページがかぎられてしまっているから、全部を載せることができない。 つい先日もプロデューサー兼ライターのひろのちゃんから、「載せられなかった分はニフティのウェブマガジンのほうに載せますから」と言われ、「オッケー!エージェントのほうにも連絡しておくわ」と返事はしたものの、はたと困った。時間がとれるかどうか。 バブル期に大量の仕事をこなしていたときは、まだ子供2人が小さかったから母に手伝ってもらったり、チャイルドシッターや雑用のアシスタントの週何回か来てもらっていた。 アシスタントの主な雑用は電話をとること。新聞や雑誌を切り抜いて資料用のスクラップを作ること。それから大事なのはインタビューのテープおこし。もちろんインタビューするのは私だがこれを全文、つまり一字一句を文字にしておいてもらうと、いいとこどりして原稿にすればいいから時間の節約になる。それに他にはない貴重な資料となり、あとあとまで何かと原稿に生かせるものなのだ。 でも、今は留守番電話やEメールがあるから、電話番なんて必要なくなった。 本当に便利だ。 「みのり伝説」みたいだが、私がライターになったばかりの頃、ファクスはまだもっていなかった。 新聞社の原稿は記者席からファクス。週刊明星とかの連載は毎週バイトくんが都心からわざわざ国分寺まで約1時間半、せっせと原稿を取りにきてくれたもの。今では考えられないレトロな話だ。 今はシッターもアシスタントも雇っていない。実収入が減っても人件費が減ったから、身入りは私の場合いつの時代も同じ。 これは占い師とか霊感が強い人によく言われるのだが、私の場合は経済的にあまり苦労しない、いつでも必要な分だけ入ってきて、そのまま流れていく。たまらないらしい。(苦笑) 出産で120万円ぐらいかかると、ぽっと一口120万円の仕事が入ってきたりしていた。 だから、最近はテープおこしにしても、(正確にいうとテープじゃなくて、ICレコーダー)一字一句ではなく、自分でざっと聞いて必要なところをピックアップし、そのまま原稿に書いてしまっている。 本当はテープおこししたほうが助かるんだけど。 なんとか時間がつくり、自分でテープおこしするかなぁ。そしたら、長女が「私がやってあげる!」と言ってくれた。 気持ちはうれしいけど、なんといっても生粋のアメリカ人。漢字はぱーである。「だいじょうぶ。パソコンなら漢字がでるもん。けんちゃんの日本語はわかりやすいし」 試しに頼んでみたら、英文タイプにはなれているから、早い早い。すぐにできちゃった。しかも、けっこうちゃんと日本語になっている。 これから文章を整えて、ムックが発売になった後(ネタは重複しないから、別にいいのかな)アップしてもらおう。
2009年02月09日
四大陸選手権。デビッドはまたまた呼ばれて、行ってしまった。前は国外の競技会に呼ばれてしまうと、その間はほぼ音信不通だったのに、今はiphoneをもっていますから。 ホワイトソックスとカブスの動向は1年中、どこにいても、ホッケーのマイナーリーグでプロになった息子の試合中だろうと、たえず確認している男なのだ!(笑) それから、アメリカにもmixiみたいなソーシャルネットワークがあって、スケーターとコーチ同士いつもこれで連絡をとりあうような形になっている。ブログではなく、メールやチャットや写真や動画が中心。 ミライ・ナガス選手のコーチでもあるシャレーン・ワンは去年の夏、自宅のパソコンの調子が悪く、ややこしかった時期があったけれど、このソーシャルネットワークなら外からアクセルできたから、便利だったみたい。 そういえば、未来ちゃんはあの頃から足首をいためていて、シャレーンもクチキ先生もそれはそれは心配していた。 がんばりやだから「練習を休め」と言っても休みたがらないのだ。 デビッドの兄のジミーの妻、ジェイミーがカナダ育ちで、シャレーンと幼友だちなのだ。同じ先生に習っていたそうで、ジェイミーとシャレーンは教え方や話し方がとても似ていて、姉妹みたい。アメリカ人とはやはり違っていて、性格もしゃべり方も謙虚で、かわいらしい感じ。 さて、ジャッジというのは時間がないようであるらしく、ホテルでの一人暮らしが退屈なのか、昨日はデビッドと生徒同士がチャットしていた。国際的だなぁ。 話題はもっぱら生徒の一人、シャレーンが車の仮免許をとったこと。もちろんシャレーン・ワンとは別人。 シャレーンといえば、うちの長女より1歳半上なだけだが、アメリカでは15歳からジュニア免許というのがとれて、高速はだめとか制限つきで一応は運転ができる。 恐ろしい。 小さい頃からよく知っているので、あのシャレーンが・・・という思いが強い。 母親似の美女で、スタイルも抜群なのだが、典型的なアメリカ人なので、練習のときめったによけない。だから、よくぶつかる。 日本みたいに混んでいるリンクじゃないのに、excuse meを連発しながら、よくぶつかる。 一人っ子なので、大切に育てられたらしく、性格はとてもいい。 村主章枝さんが五輪の年にラフマニノフを滑っていたら、普通よけると思うのだが。当時まだティーンエイジャーの手前だったシャレーンの頭にそれはなかったみたい。幸いぶつからなかったけど、はたで見ていてハラハラしてしまった。その時は新横から他にも来ていたので、目を丸くしていたもの。 デビッドにもそれが頭にあったらしく、「シャレーン、きみはExcuse meを連発しながら、あちこちに車をぶつけるんじゃないだろうな?」 と懐疑的だった。シャレーンも負けてはいない。「私のママは弁護士だし、パパは警察官だから、大丈夫よ」 これは本当の話だが・・・。何が大丈夫なのかしら!? うちは日本式で、18歳までは運転させたくない。それに多少は高くついても、日本のドライバースクールに入れて、しっかり習ってもらおうかと思っている。 アメリカのドライバースクールは個人経営で、基本的な車の動かし方しか教えないから。なのにあんな簡単に免許を取らせてしまうのだから、怖い、怖い。 事故が多いわけだ。
2009年02月06日
あなたの天職がわかる最強の自己分析 せっかく献本してもらったが、2月はあかん、読む時間が作れないので、先に紹介だけさせてもらうわ。 私が大好きだった治おじさん。父の弟。治おじさんは10歳からそこらで母親に死なれ、同じ頃、たまたま読売巨人軍が山口県まで遠征にきた。そして、川上哲治にサインを頼んだら断られたそうだ。治おじさんはそんなこと忘れていたが、横でそれを見ていた父はずっと恨みに思っていて(笑)、アンチ巨人になった。 そんな父の影響をいちばん受けているのは、他ならぬ私なのだが・・・。 せっかくヤフオクで玉木宏さんの広告をたくさん手に入れたが、やっぱり読売新聞の宣伝だけは壁に飾る気になれなかったもの。 治おじさんは2年前、がんが再発して亡くなった。自分の会社で働いていて気分が悪くなり、自分で車を運転して病院にいったのが金曜。そのまま入院して次の週の水曜には帰らぬ人となったのだ。 この本の著者はその治おじさんの娘、つまり私のいとこが書いた。 中をぱらぱらめくったら、囲みのコラムとか、書き込みできるシートがたくさん載っていて、とても丁寧につくった本だとわかった。めくるだけなら簡単だけれど、作るほうは大変だったはず。 ま、これは編集者の労作だわね。 しかし、私が就職活動するとき、こういう本があったら助かったかも。 考えてみると、私はあまり自己分析ってしない。1日が24時間あったとして、8時間は睡眠として、あとのほとんどの時間、野球のことを考えている時間が長いんじゃないかな。その次が子供たちのこと。さらに、仕事関係者のこともいろいろ考え、企画を思いついたりしたらメールする。 親のことは正直いって電話をかけたり、かけようと思うときぐらいしか考えていないかも。 夫のことは・・・ご飯の献立を考えるとき、「何を食べたいかな?」とほんの数分ぐらい思い浮かべるけど、あとは正直いってほとんど頭から消えている。地下で仕事していて、「タオルをとって」とか2階から言われたときぐらいか。 でも、自分のことはそれ以上に考えていないと思うな。もちろんゼロではないけれど、せいぜい一日にほんの数分、「やせたいなー」とか、「図書館に行きたいなー」とか考える程度。「昼に何を食べようかな」と思うことはあっても、それは「昼ごはん」であって、「自分」のことを考えているとは言えないのでは!? ああ、先々こういう仕事はやってみたいから、こういう企画書をつくり、リサーチして、資料を集めておこう、なんて考えることはある。でも、それは「仕事」であって「自分」のこととは言えないと思う。 なんやかんやいっても、22歳に社会に出てから、ずつと好きなことを仕事にして、ときどきはテレビやラジオにも出たりして(それも星野仙一氏や長島茂男氏と。身にあまる光栄でした)。やりたいことは全部好き勝手にやらせてもらってきた。 億を稼いでいたことはないが、車1台(軽ね!)(笑)ぐらいならいつでもキャッシュで買えた。 その一方で、決してハンパではなかった。こと仕事にかんしては、やくざチックなほど、いつだって本気モードだった。世の中や読者が何を今ほしがっているか、ぎらぎらとした思考回路でアンテナをはり、あれやこれや思いをめぐらせる癖がついてしまっている。・・・とまあ、私にしては珍しく自己分析。商売柄もあるのか、もう20年以上、自分のことは2の次にして、取材対象者のことばかり観察して、分析したり、インタビューしたりしている。 そのうち時間ができたら、この本でじっくり自己分析してみようかな。
2009年02月02日
2月が近づくと、いつも感じるのだが、1日30時間ほしい!2月だけでもいいから。 野球の開幕にそなえて、やっておくべき雑用が山積みになるし、原稿もあるし、税金申告にも時間をとられるし・・・。最近はとくにそう。ジムに行くと3時間ぐらいあっというまに過ぎてしまうので、2月は絶対に2時間未満にしなきゃ。 ブツとして今いちばん私がほしいものはこれ。玉木宏さんの声で励ましてくれる体重計。いいなぁ。お茶漬けを大量に買って応募しますか。
2009年01月30日
今にはじまったことではないが、商売柄、Eメールも電話もたくさんいただく。 最近は皆さん、Eメールにもなれて、わかりやすい要件を題名に書いてくれるので、助かる。「詐欺師」からとか読む必要がないEメールというのも、世の中にはたくさんあるもの。あとニフティはスパムメールとか受信拒否とか、ふるい分けてくれるようになり、とても便利だ。 うちの実家にも「オレオレ詐欺」もどきから、電話がかかってきたりするらしいが、私は女ばっかり3人姉妹の長女だよ。誰も「オレ」なんて言わないから、ひっかかるわけがないでしょう。うちの親はそこまでぼけちゃいない。 さて、もう何日もまともに夕食をつくっていないような気がする。 上の子がだいぶ漢字を習得したので、本を見ていろいろ日本食を作ってくれるようになった。外食と違って、ダイエットとか健康を考えた料理を並べてくれるのがありがたい。 ときどきまだ「お湯に注意報」とか、へんなことを言っているし、大会の要綱とか長いものになるとまだ苦手みたいだが、料理本の手順というのは、同じ漢字ばかりが使用されているからね。下の子も食べ物関係の日本語はたくさん覚えた。 2月10日(予定)に「PASSION2009フュギュアスケート男子シングルフォトブック 」という本が出版される。 私もお手伝いしているので、ゲラをチェックしたが、いやはや、濃いのなんの。まるで新採点システムみたい。エレメンツがびっしり。 ライザチェックのページをみると、最初のリード(見出し)も悪くはなかったのに、もっといいものに訂正されていた。人物紹介の域を超えて、私が伝えたいと思ったライザチェックの真意と素顔。それを2度めのリードのほうがよりキャッチーに描いてくれている。 たかだが2行のリード。されど2行のリード。 ライザチェックのジョニー・ウィアーへの微妙な思いも、この本だったらスキャンダラスではなく、冷静に受け止めてくれるという信頼感があったから、書くことができた。 写真に重点のおいた書籍の場合、一部のスター選手をのぞけば、さほど長い行数をさけない。だからこそ、1語だって無駄にすることはできないのだ。 文章がでしゃばりすぎてはだめ。 とはいえ、スケートファンの見る目も育ってきているから、書き流してはだめ。 それで採算がとれるほど、出版ビジネスは甘くはない。 他のライターは人それぞれ、また違うポリシーがあるのかもしれないが、私の場合は人物紹介の原稿を頼まれた場合、「光」と「影」の部分をできるだけ原稿にもりこむよう、工夫をこらしている。 コピーライターの商品宣伝とは違うのだから、1行目から最後の行まで、べたべたと美辞麗句で神のようにほめたたえるのではなく、悲しい経験とか改善すべき欠点とか、ネガティブな要素もちょっぴりバニラエッセンスのように埋め込む。そのすることで「光」の部分がよりクローズアップされると信じているから。 さて、これが一段落したから、春までにもう1本、集中して仕上げてしまいたい本がある。スケート本ではないけれど、スケート本のほうも進行中。 今のほうがバブル期より、じっくりゆっくり好きな仕事に取りくむことができているような気がして満足。料理はあまりしなくなったが、その分ソーイングはやっていますよぉ。 スケートドレスを作るついでに、同じ布でエアロにもおそろいを着せてみた。 今年こそ「焼き鳥」ではなく、「火の鳥」を滑ってくれ!・・・という願いと憤り(苦笑)と祈りをこめて。 私が米国の拠点を移した1990年も、不況だったから経験ずみ。 あのとき元気だったのは、プロスポーツ・インダストリーぐらいだった。 オバマ大統領はこういう時代だからこそ、アートや文化に力を注いでいくべきだという信念をもっていて、公立学校で美術や体育の授業数を増やす方針だとか。 戦争で消滅した国はあっても、不況でつぶれた国はないのだから。
2009年01月28日
http://amary-amary.com/ballet/dance/dance16_calc.html このホームページはおすすめ。カロリー計算が簡単なのだ。 スポーツジムもダイエットも過去最高につづいています!
2009年01月25日
初恋(スマイルBEST)/宮崎あおい[DVD]「ママー、日本は‘お湯に注意報’ってのが出ているんだって。何それ?」「・・・・お湯じゃなくて、‘オオユキ注意報‘だよ」 お湯が雨の代わりにふってくるとでも思ったのだろうか? 3億円事件のことを書いたら、このDVDをすすめられた。 普段はなかなかDVDって見る時間がとれない。というか、DVDプレーヤーがこわれたままだ。 今ちょうど領収書を整理しているところだから、パソコンでDVDを見ながら単調な作業をすすめる。主演は宮崎あおい。やっぱり表情の引きだしがたくさん備えもっている。 血わき踊るサスペンスではなく、最初から結末は見えてしまっているのだけれど、全体にレトロな詩情があふれ、いい映画だと思った。 共犯者と待ち合わせる国分寺跡。高校のときは自転車でよく通った。そこから府中刑務所にでると、高校への近道だった。
2009年01月24日
以上、現場からでした。 私のブログが炎上するのは、私自身に問題があるからだと指摘されたけど、「ブログ炎上」ってつまりどういうふうになることを言うのでしょうか? 「ブログ炎上」でヤッフー探索してみたけど。いまいち答えが見つからない・・・。 大昔、「スポーツライターQ&A」という掲示板をもっていたときは、たしかに議論が白熱したことがあった。 このブログでは一時期、akemi64(楽天ブログへの登録名。ハンドルは毎回かえていた。ご苦労さま)という人から、子供のこととか、しつこく嫌がらせを書き込まれたことがある。 でも、削除しちゃった。どこの誰かわからない人だし。プロバイダはsbcglobalだったから、日本在住の人ではなさそう。 そういうのって「ブログ炎上」って呼ぶのかな?違うと思うんだけど。どなたか教えてくださったら、すごく感謝します。 火事は保険かけてあるけど、他の場所で私のことを批判するのは自由ですよ。どんどんやってください。 批判されなくなったら、ある意味、おしまいですから。 ただ申し訳ないけど、私がそれを気にするとか、落ち込むとか、そういうことはないのです。20代のとき、そういう感情は卒業しました!今はオバタリアン世代なので。 私が落ち込むときは、もっと違うとき、違う場面なのですよ。女の子だもん。(「アタックNO1」ふうに) この本で安藤キャスターはご自分の現場での評判の悪さを何度かさらっと書いている。あくまでさらっとね。 大統領取材の裏話とか、すごくよかった。 シャウティングしてブッシュ大統領からコメントをとったり、オペラで上機嫌の総理大臣を単独インタビューして、同業者からぶーぶー文句を言われている。 同業者から好かれようと努力しながら、報道なんかできるものか! 私も野球場では何度か経験している。あれはガードが堅くって大変。大統領が始球式にくると、セキュリティがむちゃくちゃ厳しくなるのだ。 オバマ大統領はシカゴホワイトソックスで、始球式をやる予定だ。 そのままいっきにシカゴ五輪開催をもりあげていくのか、忠実にレポートするつもり。
2009年01月23日
NHKためしてガッテン健康料理かんたんレシピ集(1)NHKためしてガッテン健康料理かんたんレシピ集(2)NHKためしてガッテン健康料理かんたんレシピ集(3)NHKためしてガッテン健康料理かんたんレシピ集(4) 今週は忙しい。 今日もラジオに生出演する。 オバマ大統領がらみの話題が多い。 「ためしてガッテン」という番組は、日米を往復する飛行機の中で何度か見た。 たまねぎドレッシングにはまっている。 びんに切った玉ねぎを入れ、しょうゆとみりんと酢と砂糖と塩をサラダ油を加え、一晩以上おくだけ。 サラダはもちろん、豆腐に玉ねぎごとかけて食べる。すごくおいしい。 野球がオフのときは、ジムとかヨガクラスに通うことにしている。 血圧が147前後の時期があったけど、運動をはじめたらすぐに正常値になった。 意外に思われるだろうけれど、私はちゃんとダイエットに取り込んだことがなかった。 信じられないだろうけど(しつこい)(笑)、昔はがりがりだったし、24時間仕事に追われていたから、食事なんていつも記者席で出前か弁当をかっこんでいた。 日本にいたときは車をもっていたけど、電車で動くことが多かったから。 そのせいで、食べるのが異常に早く、強く意識しないとすぐに早飯してしまう。 子供ができてからは、数分の隙間をぬって、不規則に仕事していた。あれがよくなかったのだと思う。 アメリカはほっかほっか弁当なんてないから、外食はピザとか、そんなのばっかりだったし。記者席も最初の頃はプレス飯が無料だったし。ハードに働いているわりに、車社会だから歩かないし。腰痛とメニエールをやったから、運動できなかったし。 元旦からカロリーノートもつけているんだけど。 体重って増やすのは簡単なのに、減らすのは大変なのねぇ。 3キロはすぐにやせたけど、その後は一進一退。 ノートはともかくカロリーブックは買わなくてよかったかも。今はヤッフー探索に「そばサラダ」「カロリー」とか打ち込むと、すぐにカロリーがわかるのねぇ。便利だわ。
2009年01月21日
クリーブランドで全米選手権開催中。 ノービス女子はもう終わった。コングラチュレーションズ! 1.キリィ・ベガ 2. メアリー・ベス・マーリー 3.ニナ・ジャン フリーの1位はソルトレイクシティのアンジェラ・ワンだったけど、彼女はショートでトリプルサルコーをミスしてしまった。 この3人はショートから2つトリプルを入れることができたのが強み。 やる前からこの3人がトップ3だとわかりきっていた。 他はやっとダブルアクセル組。ダブルアクセルが確実でない選手も今年は残っていたから、それほどスーパー・ハイレベルではなかった。 キリィはミネソタ育ちで、ともかく小さくって愛らしい顔だちの子。昔はそんなに上手じゃなかったけど、11歳のときダブルアクセルを飛ぶようになってからぐーんとのびた。 去年もノービスで優勝候補だったけど、ショートで最下位だったのがひびき、リジョナルで勝ち残れなかった。プログラム構成は去年と同じだけど、トリプル2つの精度は増した。 メアリーはシカゴ育ちだから、昔からよく競技会で当たっているけど、やっぱりそれほど上手じゃなかった。小さい頃からのコーチが出産することになり、今のコーチに変えたらグーンと伸びた。 午前中いっぱい練習して、その代わり午後は夕方5時まで学校にいるという変則スケジュール。中学より上は選択制だから、スケートにあわせた授業の取り方ができる。 前の2人は13歳組で、ニナ・ジャンだけ下の世代。この子はホームスクーリングで、早くからダブルアクセルを飛んで、ジュビナイル、インターメディエイトの頃からトップを走りつづけてきた。 ヒューストン育ち。 日系のアンジェラもヒューストン出身だし、日本のノービスBのチャンピオン、宮原さんもここで育ち、日本に帰ってきた。 とくにいい先生がいるというより、コロラドとかニュージャージのほうで練習している子も多く、あちこちでよくヒューストン組をみかける。 アメリカって都市ごとに「産業の権威」が分散されているようなところがあり、ワシントンは政治、ロサンゼルスは映画、ニューヨークは金融、シカゴは穀物取引、ナッシュビルはレコーディング・スタジオなんてところだが、ヒューストンはずばり医療なのよ。 日本から留学にくる医療関係者は多いけど、永住組は少なく、アンジェラのママも「日本国籍の取り方なんて誰も教えてくれなかった!」と話していたことがある。 ノーラン・ライアンとか、NBAの取材であのへんはよく行った。 ごぐ普通のスーパーマーケットでも医療関係が充実していて、歯につめるセメントまで売っていた。ちょうどNBAファイナルで滞在していたとき、あまりにたくさんの妊娠テスターが売っているので、1つを買って試してみたら「プラス」と出てびっくり仰天したことがある。それが1994年。 下の子のときは中国人の鍼の先生のところに通っていて、いつもどおり脈をはかってもらったら、それだけで「あれ、妊娠されましたね」と言われた。 東洋医学の神秘だわ。 全米選手権に話をもどすと、ジュニアはショートを終ったばっかり。ここも上位はずらずらっと東洋人が並んでいる。 ディーディーはフリップとルッツの飛び分けに悩み、安定感に欠くので、エリー・カワムラかな、という気がしている。この子も両親が日本人で、小さいときから上手だった。 ここもショートのトップ3が頭2つ分ぐらいぬきでている感じ。トリプルはサルコーとトウが確実、トリプルルッツもショートから入れてきた。 もう1人、去年のノービス1位、メリッサがいるけど、身長がどんどんのびていて、調整が大変みたいだ。
2009年01月20日
私の場合「常識知らず」と批判されても仕方ないほど、知識が偏っている。ほんと、そう言われも、何も反論できませんでしたとも。 たまにはこういう「衝撃犯罪と未解決時間の謎」(日本テレビ「スーパーテレビ・情報最前線」/近藤昭二編著)本も読まなきゃね。「3億円事件」のことは何度かテレビのドキュメンタリーで”ちら見”したが、なにしろ時間がないものだから、通しで見たことがなかった。 言い訳になるけど、私の20代なんか仕事仕事仕事・・・で、特に日本でプロ野球を取材していた頃は、選手やコーチや裏方や同業と飲みにいくのが仕事の一部だったりしたから、1日24時間あっても足りなかった。30代は子育てと野茂とマイケル・ジョーダンに明け暮れてしまったし。 グリコの事件のことは少し記憶にあるけど、高槻が舞台だったのか。大阪といえば竹園旅館と堂島ホテルと甲子園と大阪球場と藤井寺と神戸グリーンスタジアムとをタクシーで往復していたから、他の場所はぴんとこなかった。 去年は2回、合計10日ぐらい関西大に行ったから高槻駅も少し詳しくなったけど。 さて、いちばん最初の章で書かれている3億円事件である。私が4歳のときだから、当時は何も記憶していない。10歳のときV9巨人が星野仙一がストップしたあたりから、新聞を読みはじめたもの。その翌年に3億円事件は時効を迎えていたらしい。 都立府中高校に進んだので、ときどき校門の外でテレビクルーを見かけた。3億円事件はまさにその道路で起きたわけで、その関連番組のこともあったし、単なる刑事ドラマの撮影だったりもした。 何しろ学校の目の前が府中刑務所で、当時は灰色の壁がそびえたっていたから(卒業後にパステルカラーに塗り替えられた)、ドラマの撮影にはもってこいだったらしい。神田正輝とか光いっぺいなんてのも見かけた。 あまりにも犯人がつかまらないから、教員たちもアリバイを調べられたりしたそうだ。午前9時すぎの事件だったから、まさに授業中。刑事さんが生徒たちに「○○先生はその時間、ちゃんと授業をしていましたか?」なんて聞かれたらしい。 警察のローラー捜査で、私の家も隣近所もみんな刑事が聞き込みにきたそうだ。この本を読むとジュラルミンケースに残っていた土が、国分寺市の恋ヶ窪あたり。私が卒業した国分寺1中のあたりだ。なーるほどね。 しかし、この本を読むと、どう考えても「立川グループ」のA少年が犯人なのでは?という気がするのだけれど。現職の警官の息子だから、違反しても免許を返してもらったりしたこともあったらしい。鑑別所から移されるときに脱走してきた息子を自宅にかくまったのも、父親だったとか。 その自宅がまさに土から絞り込まれた地域の中にあったと書いてある。それじゃあ、私と同じ中学出身だったのかしら? その少年は事件の5日後に青酸カリで自殺してしまったそうだ。 結局は脅迫状にはってあった切手の唾液からでた血液型と少年Aのはあわなかったため、シロを判断されたそうだが、複数犯だったら?「立川グループ」ってそう犯罪をやってきたわけだし。 怖い。怖すぎる。ぞぞっとした。 いくらワルガキだからって、どうして青酸カリなんて手に入ったのだろう。 これも本には書いてある。Aの父親を詰問したところ、「自宅の地下にイタチがでて困るので、その駆除のために知り合いから手にいれた」と説明し、納得されたようだ。 たしかに国分寺市は東京にしては田舎で、私が生まれたばかりの頃は畑も林もたくさんあった。武蔵野台地だったから水田はなかったけれど、鶏を育てている農家はまだ残っていたけれど。藁ぶき屋根とか、そろそろ消えはじめていた頃。 小学校のとき、理科で蚕を育てることになり、桑畑を探しまわったりした。それもどんどん減っていたから、さがすのは大変だった。 でも、イタチなんて見たことがないし、いたとしても隣近所で駆除に悩んでいる人なんて、いなかった。聞いたことがない。 ましてや非行をくりかえしていた少年が家にいるというのに、天井裏に青酸カリを置きっぱなしにしたりするものかしら? 本当に自殺なの? さすがは日本テレビ取材班というべきか、そこらへんはまったく突っこんでいなかった。 日本テレビといえば、読売グループ。そこまでは無理よね。 警察っていろいろ不祥事がつづいたから、今は少しは浄化されたけど、昔はそれはそれは権力をもっていたわけなのだ。 檀一雄の「火宅の人」でも、バイクの無免許運転でつかまり、コネをつかって無罪放免される場面がでてくる。 そんなに遠くない昔、巨人のスター選手が交通事故を見逃してもらい、「現代」が被害者をインタビューして、巨人の広報が激怒。スポーツ新聞の記者たちに絶対に記事にしないよう、強制したことがあった。 巨人の親会社は読売新聞だから、警察とのコネクションはそれはそれは強かったのだ。 戦前は「特攻」がそれこそ”拷問”したりしていたのだが、その特高制度を作ったボスが経営不振だった読売新聞を買い取って社長になった。 警務部長として関東大震災後の混乱や、共産主義者の活動の弾圧、また米騒動の鎮圧を指揮した人なのだから、反発した退社した記者も大勢いたそうだ。 でも、プロ野球(巨人軍)の基礎をつくりあげた大人物ではある。渡辺社長より何倍もましだった。 とまあ、世間一般の常識にはうとい私だけど、意外や意外、ひとつの世界を突き止めておくと、いろいろ”つながり”や”広がり”を展開するものなのですね。 「アドルフにつぐ」を読んでいたら、星野監督夫人の祖父がちらっと登場していたし。 学生の頃ちっとも勉強しなかったから、NHKの連ドラで直江兼次なんて名前を目にしても、どういう偉人なのかさっぱりわからない。 でも、直江兼次が「あぶさん」で語られているのは、記憶しているもの。あぶさんて息子に「影虎」なんて名付けるだけあって、戦国時代の武将ものが好きみたい。 私は嫌いだった。(笑)漢字ばかりで名前を覚えるのが面倒だった。 世界史は世界史でカタカナが多いところが嫌いだった。 うちの子は漢字がだめなので、もちろん戦国武将なんて興味なし。 ただ「織田信長」だけは、「それ織田先生のずーーーっと先のおじいさんだよ」と言ったら、「へー。そういえば、織田くんに似ているね」なんて感心していた。
2009年01月17日
なんだか幸せすぎて、とても眠れそうにない。(寝て起きてから書いているんだけど)。びっくりしたー!まだ心臓がばくばくしている。 実は私もうちの子も玉木宏さんのファン。「のだめ」の頃はそうでもなかったんだけど、着物姿がよいのよね。ミスタードーナツのポスターを見てうっとり。「篤姫」の坂本竜馬は涙ものだった。あまり竜馬っぽくなかったけど、そこがよかったりして。 あと食べるときの顔がすごくよいの。そのせいか、食品関係のCMでよく起用されているみたい。 ヤフオクとかで、いろいろ集めている。えへへ。 永谷園のお茶漬けを買うと、抽選で当たる目覚まし時計も応募したのだが、見事にはずれだった。でも、あきらめられない。 玉木さんの声で起こされたら感動ものだよね! ヤフオクでときどき見かけるけど、2万円ぐらいになるので、さすがに迷っている。 迷っていたら、いきなり「菊田さん」という言葉が玉木さんの口から聞かれて、びっくりするやら、感動するやら。 おもわず、「ははははい!」と返事してしまった。 うちの子はもう目をまるくして固まってしまい、その後はずっと画面にくぎづけだった。 「ラブシャッフル」というドラマを見た人は覚えているかも。 玉木さんふんする”うさたん”(笑)が、菊田という苗字の精神科医(男性だけど)と知り合い、その人が自分にへんなあだ名をつけようとするので、「菊田さん!」となった。 残念ながらその1回だけ。あとは「先生」なんて呼んでいて、ちょっとがっかり。DVDになったら買うべきかなぁ?ドラマ自体いまいち面白くなさそうだけど。うーん。「菊田さん」だけに迷うわ。 このときぐらい「菊田」という苗字に感謝したことはないわ。 これはアメリカ人には発音しにくいので、子供はあまり好きじゃなく、「パパったら”クワン”とかにしてくれればよかったのに」と文句を言っていたこともある。 でも、玉木さんは”クワン”とは言わなかった。将来的にはわからないけど。 もう満足したから、目ざまし時計は買わず、やっぱりポスターや雑誌の切り抜き系に重点をおくことにしよう。↓こういうのとか、ヤフオクで買った。
2009年01月16日
たくさんあった原稿もなんとか一段落。とってもいい気持ち~。次にかかるぞ! さて、10月2日は何の日? 手帳のカレンダーにしるしがついていた。4月14日ー20日にIOCが現地調査を行い、10月2日、コペンハーゲンの総会で、2016年の五輪開催地が決定するのだ。・・・やれやれ。 1次選考を通過した4都市は、東京・マドリード・シカゴ・リオデジャネイロ。 4つの候補のうち、2つが私のホームタウン(家がある)なわけ?世界にはたくさん私が行ったことがない都市があるのに。 北京の後それほどアジア、イギリスの後マドリードとつづくとは思えず、やっぱりシカゴかリオが有力だと思うのだが、正直シカゴになってほしくない。アトランタ五輪のことを考えると、どうも喜ぶ気になれないのだ。 今でも十分なんだか忙しいのに、五輪なんて開催されたらどうなってしまうの? 東京より福岡のほうが通過する可能性があったと思うのだが、神宮のあたりにいろいろ作られるってのもねぇ。 国内選考で敗れた福岡は東区のアイランドシティが予定地だったって・・・。うわー、これもなんか聞いたことがある地名だわ。(「健ちゃん、福岡五輪だったら徒歩5分やね」by ミッキー) なんだか妙に五輪と縁があるみたいで心配になる。決まったりして。 そういえば、夫はノーテンキにも「シカゴ五輪!いいじゃない。ミッキーにも出てもらおう」「ボランティアか何かするわけ?」「きまっているじゃない。スケートだよ!」「・・・・・・」 他にも似たようなことを言うスケートママがいた。 シカゴ市民の認識ってこんなもの!?だよね。 2016年は夏の五輪だよっ!
2009年01月11日
うわー、時間の感覚をなくしていた。 昼も夜も原稿書き。 まだ終わらない。のどがアレルギーっぽいので、あまり人と話をせず、ラジオとインタビューのために温存するようにしている。医者にいったらステロイドくれたけど、きくのかしら? いとこのさっちゃんが本を出すそうだ。 http://plaza.rakuten.co.jp/raising/
2009年01月07日
今年もよろしくお願いします。 私と子供たちの元旦はこれ。ユニバーサルスタジオについたのは夜明け前なのに、ものすごい人。でも、楽しかったです。スケートやる子供たちは朝が強いから、私はついていくのが大変。
2009年01月01日
昨夜未明、大沢樹生が死にました… もうじき2008年が終わる。 5年前と比べたら、少しずつ状況はよくなってきた。 いつも子供たちからパワーをもらっている感じ。 前からほしかった海に近いセカンドハウスと黄色の車を買うことができた。 どたばたと縁があり、同じ日に中古の家と車を購入することになった。どちらもローンではなく、一括購入したから銀行口座はすっからかん。 前日までそういう予定ではなかったから、衝動買いもいいところ。夫は入院中だった。事後報告(事故報告?)になったが、反対しなかったし、驚いてもいなかった。友人たちもだいたいそう。ただ笑っていた。私ならそういうこともやりそう・・・・と思っていたらしい。 編集者の友人から、「そんなまたぁ、カタギの買い物とは言えないですよ」と苦笑いされてしまった。 でも、危険だからよい子はマネしないでね。安くしてくれたとはいえ、家も車も大きなブツではあるから、じっくり考えなきゃ。 古い家だから、手も入れなきゃ。でも、母は新しく買った家を気にいっていて、身内への電話では「4件の中で、この家がいちばん暮らしやすい!」なんて話していた。 父は年のせいか、妙に涙もろくなっていて、「ミッキーとマリアのおかげだなぁ」と喜び、電話のむこうで泣いていた。少しは親孝行できたかな? ほんと、子供たちのおかげなのだ。 あの日のことは話せばながーーーーーくなるから、いつかまとめて書くつもりだけど。 シカゴの家もそのままだから、身内の方や友だちはいつでも遊びにきてください。 さて、私は光ゲンジのファンでもなんでもなかった。 プロ野球選手のオフ企画で運動会を取材したとき、彼らがゲストだったから、いろいろ話したりしたけど。まだデビュー前だったから、メジャーな存在ではなかったのだ。 「週刊明星」なんてのがあって、私は野球関係の連載をもっていたから、少しは芸能界とつながりがあった。編集者と行くのも、ふらっと芸能人が入ってくるような店ばかりだった。 90年からアメリカ在住なので、今はもうそういう接点はなくなってしまい、私の芸能情報は90年でぴたっと終ってしまっている。 そうそう、唯一の例外がSMAPで、最初の写真集をアリゾナで撮影したりしていた。なんでもSMAPは光ゲンジのバックとか、付き人を下積み時代にやらされていて、光ゲンジからこれではだめだ、と学ぶものが多かったとか。 だから、とても裏方のスタッフを大事にするそうだ。 さて、この本は涙なくしては読めない。きれいで、強くて、美しい親子の物語だ。 子供に障害があると、逃げ出してしまう父親って多いのに・・・・。逃げ出すまではいかなくても、母親におしつけて自分は外に女をつくっちゃうとか、スピリチュアルにはまって題目を読み、障害児を突き飛ばして現実逃避しちゃうとか。 あるいは田辺聖子著「ジョゼと虎と魚たち」みたいに、車椅子の娘を面倒くさがり、両親共に逃げだしちゃうとか。 もちろん父親と母親で力をあわせて子育てしている家庭だってある。でも、全部が全部そうではない。たいていはどちらか一人が逃げ出してしまう。現実は厳しく、汚い。なかなかテレビにでてくるような美談のドキュメンタリーって、成立しないものなのよ。 著者の大沢氏は離婚するとき、いったんは息子を手放した。後に呼び戻して一緒に暮らしている。 なかなかできることじゃないよ。でも、えらい!・・・とは感じなかった。 大沢氏は父親としての義務でも、運気を高めるためでも、なんでもない。自分の願望で息子と暮らす道を選択したんだのだ。そして、この息子からものすごいパワーを授かっている。障害をもつ子供を売りものにした本だなんて、私はまったく感じなかった。 人は誰だって何かしらの役目をもって生まれてくるものだと、最近つくづく思うのだ。 そして、家族ってのは「希望と再生の歴史」そのものなのだ。
2008年12月31日
氷上の光と影 とてもいい本。もうじき全日本なので、改めて読み返してみた。ドキュメンタリーの原作にそのまま採用されそう。 新採点システムが生まれる舞台裏が、あらためてよみがえる。 単なるルール変更だと思ったのに、新たなドラマのはじまりにつながるとは・・・。 それにしても、日本て天皇誕生日がクリスマス前に移動していたのね!びっくりしたわ。 某ムックの取材&インタビュー。野球だったら国籍問わずなのだが、フィギュアスケートはできるだけ海外選手の記事を主に受け持つことにしている。 日本のスケート選手の取材を自分から営業することはめったにない。理由は2つあって、まず気持ちのうえで、選手との距離間がむずかしいから。 むこうは長女と友だち感覚だったりするから、私のこと「おかあさん」とか「ママ!」って呼ぶ。まあ、本当だから、それはいいんですけど。取材の日は玄関のドアをあける瞬間から、気合を入れまくっているので、顔つきが違っているはず。アメリカに行ってからスーツは着なくなったが、やっぱり開幕戦はネクタイをしめるようにしている。丸エリのTシャツやぐっと胸のあいたブラウス姿の記者が最近は増え、つくづくゼネレーション・ギャップ。私のライター生活1年目は星野中日の1年目だったから、星野監督が血気盛んで、そんなところまで目を三角にしていた。いい経験だったと思うけど。 あれはつい昨日のことのようなのに、私も選手から「おかあさん」と呼ばれる世代になっちゃったのか。 もう1つの理由は、フィギュアスケートを一生懸命やっているライターはまだまだ数が少なく、原稿料とかも安く、経費も厳しいから、つぶしあいっこをしたくないのだ。 そこは野球とは違う。 中庭健介選手の体調は万全とはいえないけれど、3回転アクセルまでにおさえているせいか、悪くはなかった。4回転を入れて詰めた練習をすると、腰痛とかがでてしまうらしい。それでも、夏の間は普通にしていても腰が痛かったというから、だいぶ回復している。体調は日替わりみたい。日によっては神のように元気だ。 新コスチュームを試しているせいか、もともと細身だったのだが、さらに引きしまった感じ。 ウェストなんて鉛筆の芯みたい。というか、焼き鳥の串のような細さだ。色も茶色だから、なんとなく焼き鳥ふう。ふわふわとした軽い布が上体にまとわりつくデザインで、そこもなんとなく焼き鳥のタレみたい。 でも、肩のところの飾りがソルジャーふうで、曲のイメージにもぴったり。手首の飾りも近くでみたら、凝っていた。 トリプルはふわっと高く、やっぱり格が違っていた。 ダイエットしたのかと思ったら、大はずれ。 後で聞いたら、体重は2キロ増えたとのこと。たしかに筋力トレーニングがうまくいくと、2キロぐらいは簡単に体重は増える。 話題は主にトレーニングのことで、かなり本格的に飲めりこんでいるのがわかった。インタビュー終わってからも、「あれ、もう?」と言って、逆にいろいろ大リーガーたちのトレーニングについて聞かれた。 来年の振り付けのこととか、たくさんプランをもっていて、まだまだ現役をつづけてくれそうだ。詳しくは原稿に書きます。なんか焼き鳥を食べたくなった。帰りの車で「焼き鳥に似た色のコスチュームだったね」と言ったら、うちの子に「全然違うよ!」とすごく怒られた。怒らなくたっていいのに。
2008年12月24日
不肖・宮嶋青春記本のタイトルがいまいちダサいので、期待していなかったのだが、読んでみたら中身はとてもよかった。 私とは畑が違うから不肖・カメラマンと一緒に仕事をしたことはない。文春とか「フライデー」とか仕事先も時期もかぶさっているので、共通の仕事仲間は多いのだけれど。 ともかくこの本にはモラルをこえて、犯罪とちゃう?社員証を偽造して潜入取材とか・・・。でも、語り口がさわやかなので、読後感はとてもいい。 事件ものと違って、スポーツ取材は人間関係の切り捨てではなく、じっくりとことん付き合っていかなくてはいけないから、取材章なんて偽造できませんわ。 ただ共通しているのは優等生では報道なんて、絶対にやっていかれないという点。 花田編集長は「人から嫌われるのがマスコミの仕事」というのが持論だった。 人から好かれよう、尊敬されようなんて色気をだし、画策するようになったらアウト。 芸能人とは違うのだ。大事なのは人から好かれ、人気を高めることではなく、スクープをとってくることであり、いい文章を書くことなんだから。 だから、女子アナの登場はきわめて異色だった。とはいえ、うらやましいと思ったことなんて一度もない。あの仕事の悲哀はこの本でも触れてあった。 私が尊敬している同業の先輩は、仕事はむちゃくちゃなことやるけど、冤罪で苦しむ一般人のニュースなんて目にすると、そっと募金したりしている。もちろん公にはせず、そっと。思い入れがあったら公平な報道なんてできなくなるけど、やっぱり人間だもの。苦しんでいる人がいたら、助けたいよね。 同じ「フライデー」でも編集部が私にふってくるのは、もっと平和な企画ものだったから、ゆるいといえば、ゆるい。かなりゆるい。楽しかった。 たとえば、・ブルワーズに移籍した野茂投手の近況をやりたいから、と言われ、フォトグラファーと2人で乗り込む。ブルワーズの球団専属アナウンサーはボブといって、映画「メジャーリーグ」の登場人物。野茂もあの映画は大好きなので、それでいっちゃえ! ボブに話しをふると、大のりき。練習の後でいいっちゅうのに、外野で走り込んでいる野茂にむかって、「おーい!ひでーお!」 こんなの私がやったら、ひんしゅくもの。あわてた。がしかし、野球殿堂アナの強みだ。 野茂は「どうしたんだろ?」と首をひねりながら、外野からこっちまで走ってきてくれた。ボブが耳打ちすると、「なーんだ、しようがないなぁ」という顔をして、私とフォトグラファーの前でボブと肩をくみ、にっこり。ぱしゃ! とりあえず他誌とは違う写真が撮れたから編集部も満足。私は外野から名前を呼ばれた野茂が首をかしげた表情とか、「なーんだ」という顔をしてみせたのが、うれしかった。マスコミにもどこにも出ない素顔とか本音の声に立ち会うことができる。それがこの仕事の喜びだと感じているからだ。 この本で野球選手がでてくるのは、阪神タイガースの掛布と岡田の下半身スキャンダルのところだけ。 あー、なつかしい!あれにはまた裏話がいろいろあるのだが、さすがにそこまでは宮嶋カメラマンは把握していなかったようだ。 でも、私がそれを文字することはたぶん一生ないだろう。 そりゃー選手といっしょに飲みに行ったりするのだから、20年もこの仕事をやっていれば、誰だって女性ネタはいくらだってストックがあるはずだ。 Iがまだ独身だった時代、女優といっしょにブルズの試合を観戦にきていた。もちろんフォトグラファーは2ショットをぱちり。 写真週刊誌から電話がかかってきて、200万円までなら出す。 もちろん出さなかった。モラルなんて頭になかった。私の仕事場に(あるいは生活圏内。このパターンがなぜか私の場合は多いようだ)のこのこやってきたのは、むこうなのだ。彼らだってこそこそ逃げ隠れする様子はなかった。だから、200万円で売ろうが、実際はそれほど大問題にはならなかったと思う。 ただこれは私の師匠が教えてくれたことなのだけれど、スキャンダルを売ってしまったら、それっきりに終わってしまう。それぐらいなら貸しを作っておいたほうが、これから5年も10年も商売していけるではないの。 だから、私はそのフォトグラファーに言った。「私だったら週刊誌には売らず、きれいにプリントアウトしてI本人にプレゼントしますね。無言のプレッシャーになるもの」。 その会話を偶然そばで聞いていたのが、漫画家のI先生。「梅田さん、そういうやり方ってカタギとは思えませんよ。こわすぎます!」 師匠の教えは正しかったと思う。20年以上この仕事をやってきて、1回も選手の下半身ネタを売らなかったから、”貸し”のストックはたくさんたまったもの。 無言のプレッシャーをあたえてしまうのか、あまり取材拒否にあうことがないなぁ。もちろん例外あるけど、たいていは時間が解決してくれるものだ。
2008年12月22日
野球がオフのときは週2回ペースで病院通いに付き添う。 待ち時間に「女優 上・下」を読む。すばらしい。 渡辺淳一氏の恋愛小説を読んでいいと思った記憶がないけど、自伝ものは全部好きだ。 気にいった文章を抜き書きしておく。「だが、富国強兵一筋に走っていた当時の日本で、新劇に金を投じようなどというスポンサーなど、いうわけもなかった。新しい芝居が莫迦にされようとも、演劇を続けていくためには、舞台そのもので黒字にしていかなければならない。財政や文化人に頼っていては駄目だ。」「芸術という独善におちいるより、ある程度の通俗のなかで、幅広く息長くやっていくほうがいい。そうするより新劇の生きていく道はない。」「他人のいうことをあまり気にせず、何を言われても平然としていられる。厭なことをいわれて怒っても、次の瞬間けろりと忘れて別のことに熱中できる」「‘あの男がこんなことをいっている’抱月がそういって、自分たちを揶揄した記事や、芸術座のことを批判している文章を見せても、読もうともしない。 のんびりときくだけで、抱月がその部分を、声を出して読んでも、‘へえ・・・・・‘とつぶやき、‘それ、書いた人、馬鹿ね’の一言で片づけてしまう」「抱月が、須磨子の我儘をある程度、大目に見ていたのは、須磨子を愛していたこともあったが、同時のそのわがままの裏に、なにごとにも打克って生きていく逞しい才能を認めていたからでもあった」 自分のことふりかえっても、雑誌とかに写真や記事がでて、うれしかったのは最初の3回ぐらいだったな。たしか共同通信による短い受賞記事がほぼ全新聞。それから、スポーツ新聞とか夕刊フジかな。人間て感覚がすぐに麻痺してしまうものだ。 辛口の記事も少なからず傷ついたのは、最初の3つぐらい。「朝日ジャーナル」と「朝日新聞」と「本の雑誌」だったかな。 結局のところ、傷つくことでしか、人間の心は成長しないものだから。 大手マスコミがとりあげてくれたから、仕事がいっぱいきてラッキーだったと思っている。今では考えられないほど、若い書き手が不足していて、雑誌が山のように創刊された時代だったから。「朝なま」にでたり、アンアンの表紙になったり、スーツの宣伝広告にでたり、へんなこともやっていたなぁ。 自分の収入なんてまったく理解していなかったし、何かものを買うとき値段なんて気にしなかったし、沖縄ぐらいまでなら思いつきで飛んでいたし。 私だけじゃなく、マスコミ全体がバブリーで、それが当たり前の感覚であった。 でも、不思議とあのころに戻りたい、とは思わないなぁ。 「女優」に話をもどすと、恋愛小説としてもすばらしかった。 私が働きはじめたときは、まだ現場に女が少なく、女扱いもされていなかったから、それはそれはそれは数多くの女性問題を見聞きしてきた。 エモやんが深夜にトーク番組をもっていて、「野球選手にとって女性は食べ物みたいなもの」と発言していて、納得がいったもの。(今はもうああいうむちゃくちゃなトーク番組はつくれないだろうな。星野仙一がゲストのときとか、大笑いした) それはそれで仕方がなかったのだと思う。 ただ大部分に共通しているのは、たいていが本妻も愛人もまったく同じタイプの女性で、自分的にはあまり見分けがつかず、よく頭がパニックしてしまったこと。 男ってなんでああ、代わり映えしないタイプと付き合いたがるんだろう。 松井須磨子は島村抱月の本妻とはかなり違っていて、まちがっても私は関わりたくないタイプの女性だ。でも、とても魅力的に描かれているし、島村抱月がどうしてあそこまで惚れこんでしまったのか、納得できる。 まれにみる純愛物語だと思った。
2008年12月20日
「待ち」がひとつ解決した。無事に発送されたそうなので、中庭健介選手は全日本で新コスチュームを披露できそうだ。 さっきのつづきだけど、私は麻生総理大臣て嫌いじゃない。 それに好き嫌いは別として、今の日本は誰が総理大臣になってもそんなに簡単には救えないと思うのだ。 たしかに司法試験に受かったぐらいだから、橋下大阪府知事のほうが漢字は知っているのだろう。でも、私はこの人が嫌いだ。頭がいいとは思えないもの。こういうタイプが権力を手にすると、勘違いしちゃうから本当に厄介だ。 あんなの選ぶぐらいなら、江本孟紀にやらせてみたらよかったのだ。 いろいろむずかしいところはある人だが、ともかく正義感は強い。 関係ないけど、江本さんと中庭さんはエージェントが同じ会社だなぁ。 いちばん嫌いなのは石原慎太郎都知事だ。 日本を変えていくのは政治家じゃなく、国民一人一人なのではないかなぁ。 オバマ大統領じゃないけど、みんなで変えていかなきゃ。 徳川家だって家康の後はぼんくらの殿様もいたみたいだけれど、まわりがしっかりしていたから長くつづいたのでしょう。
2008年12月19日
とりあえず自分に何ができるか考えてみたのだが、私が給料を辞退したところでたかが知れているし、政界や経済界に進出したところで足をひっぱるだけ。だから、今できる仕事を少しずつがんばって社会貢献するしかない。 日本のテレビを見ながら、こんなことを考えていた。 私はテレビって年に数回しか見ないのだが、たまたま髪染めにチャレンジしていたのよ。いつもはヘアマニキュアに行くのだが、あれは2-3時間かかるから、とても時間がとれない。 あ、白髪の話ではなかった。それに、つまらないことでいがみあっているような場合ではないのだ。そんなことをしていたら取り残されてしまう。今のアメリカがいい例でしょう。 前にも書いたけど、麻生総理大臣の政策とかを批判するのはいい。じゃんじゃんやればいいと思う。でも、漢字が読めないとか、カップヌードルの値段を知らないとか、そういうことで叩くのはどうかな?。 そんなに悪い人ではないと思うのだが。 五輪いったのだし、スケート場だって自宅の近くにもっているのだし、家が金持ちなのは罪ではない。不況になったのだって、麻生総理のせいなわけ?悪い政治家はたくさんいたではないの。中曽根とか。 ブッシュ大統領のほうがよっぽど困った人物である。夫がそういう人のパーティーだかイベントだかに招待され、演奏したこと自体は誇りに思うけど。誰も靴をぶつけなかったのはやっぱりセレブの集まりだったからなのでしょう。(うちのはセレブではないと思うけど) 西武がアイスホッケーを休部させた。 いうことは、またまたリンク閉鎖問題が再燃するはず。 今川知子さんとまた共著本を出す話が煮詰まってきたから、必ず実現させるつもりだ。 マニー・ラミレスとか大リーガーたちがよく言っていることなのだが、アメリカにスポーツというものがなかったら、犯罪者の数は10倍以上に増えていたはずだ。 子供や若者のエネルギーって想像をこえるものがある。いい方向に伸ばしていけば、たくさん儲けて多額の税金もはらってくれるから、国全体が豊かになるはず。 逆のほうに若者のエネルギーが注ぎこまれてしまうと将来は暗く、アメリカ人はそのへんがわかっているから、勉強と同じぐらいスポーツを大事に考えていて、一流大学になればなるほど、入学のとき勉強以外の分野での功績を求めてくる。 だから、スケート場だけではない、他のスポーツ施設も不況だからといって、簡単に閉鎖してはほしくないのだ。 個人的なことを言わせてもらうと、私の子供たちは日米両国籍だから日本のスケートリンクがなくなろうが、ダメージはゼロに等しいのだ。 私はスポーツライターとしてはセミリタイアしているから、好きな仕事以外はもうやらないつもり。財産欲とか、名誉欲とか、もともと希薄なほうだ。でも、すごくいい時代にスポーツライターになったから、そこそこは稼がせてもらった。それでもう十分だ。これからは家族と友だち中心に生きていくつもり。 もし雑誌や新聞が世の中から消えてしまったら、庭に畑でも作ってなんとか食べていく。 働ける人間はそうやって生きていけばいいのだ。 未来を背負う子供の教育や福祉を削減していくのはだめだ。 ミセス・サンティーが日本のリンクが次々と閉鎖されていると聞いたとき、「恥」とか「知性を侮辱する行為だ」という言葉を使っていた。 私がアメリカに拠点を移したのは、1990年。日本はバブル景気にわき、逆にアメリカは不況のどん底だった。でも、スポーツ産業だけが元気で、どんどん業績をのばしていった。グッズや入場料の売上だけではなく、子供を健全な方向に導く役割を果たしたのが、後になって役だったのだ。 まー、中にはジョージ・ブッシュみたいなのも育ってしまったけれど。
2008年12月19日
【送料無料!&数量限定っ!】47%OFFのハンドミキサーはコチラ♪【今だけお得なオマケ付き!】バーミックスにも負けない機能性 貝印 マルチブレンダー DK5033【送料無料!】 相手の心情を悪くしないように、あれこれ気を配った上での催促(英文)メールをこの3か月で何回書いたかなぁ? 英語だからミッキーとあれこれ工夫して書いた。が、この3週間ほど返事がなーい! 全日本はもう来週・・・。 それはそれとして、ひさしぶりにヤッフー・オークションで壁にかける絵と玉木宏の宣伝を落札。玉木さんてモノを食べるときの顔がすごくいい。ミッキーは某たかおくんに似ていると言う。 ともかくフレームに入れて飾っちゃおう。 長年愛用していたバーミックスがだめになっちゃったから、新しく日本製を購入してみた。これがすごくいい。大根おろしも簡単にできるようになった。 それと「フィギュアスケートの魔力」を20冊アマゾンで購入。 いろいろインタビューが入っているため。 新書はかさばらなくて便利なのだ。 だいたい野球関係の取材のときは名刺がわりに「スポーツ・エージェント」をあげて、スケート関係のときは「フィギュアスケートの魔力」をあげる。 といっても私は日本の選手はあまり取材しないようにしているので、(やるときはやりますが、在アメリカですから)外国人選手をインタビューするときはフィギュアスケートのムックをあげることにしている。 ムックのほうが写真がいっぱいだから、日本語が読めなくても喜ばれる。だいたい日本の雑誌のほうがいい紙を使っているし、印刷技術もたしかなので。 岸本葉子さんのエッセイを読むと、会社勤めしていて本を出した時代、まわりの人の反応が不思議なものだったことを思い出した。 ほとんど口を利いたことがない部長クラスの人が、自分も週刊誌に昔のったことがあるといって、その週刊誌をわざわざ会社まで持ってきて見せてくれたり。企業マンの「趣味」みたいなコラムだった。 世間で広く思われているほど、本を出したからって儲かるわけでもなんでもない。儲かるのはごく一部のベストセラーだけ。雑誌に原稿を書いているほうが、よっぽど経済的にはまし。 「フィギュアスケートの魔力」だって、持ち出し取材だった(単行本なんてほとんどみんなそう。だから、編集者が雑誌の仕事とからめたりする)から、執筆と取材と打ち合わせにかかった時間を時間給にしたら、赤宇すれすれだと思う。 でも、この本を書いて本当によかったと思っているし、今川知子さんと知り合えて、つくづくよかったし、他にもたくさんの出会いを呼び寄せてくれた。 「また続編を書きたいね」とよく話していて、来年には実現しそうだ。 新採点前に書いた本だから、今読むとそこらへんの情報が古いのようね。 インタビューにでている選手たちもまだ今みたいなブームになる前だったから、この本のことはよく覚えてくれていた。まだ誰もエージェントがついていなくて、のどかな時代だったなぁ。太田選手は引退・・・。お疲れさま!
2008年12月19日
なんかこう、次から次へとあわただしい12月。 せっせと原稿を書いたり、銀行やポストオフィスに行ったり、電話したり、インタビューしたり、企画書をおくったり、打ち合わせしたり、はりこんだり、買い物したり、食べたり、送迎したりしているのに、次から次への用事がおしよせ、いっこうに終わらない。 年末年始は大阪のマンションなので、旧知の方はぜひ連絡をください。 来年は今年ほど日本とアメリカを行ったりきたりせず、アメリカ国内におさえたいものだ。 12月はなにも私一人が忙しいわけではない。だから、「待ち」の時間もある。 頼んでもなかなかリスポンスが帰ってこないのも、この時期。世界中でみんな忙しいのだ。 Tくんはこのブログを読んでなさそうだしなぁー。催促メールをだすか。 絶対に読んでいないのは、NJの衣装デザイナーだわ。いろいろ形や文章をかえて催促メールしているのに、返事なし。全日本まで間に合うのだろうか?Dちゃんに頼もうかしら。Dちゃんも漢字は苦手なので、ここは読んでいるわけないし。 おめでたいニュースもあった。 全日本ジュニアチャンピオンになった今井遥選手が師事しているのが、杉浦幸江先生。遥ちゃんの優勝であわてたみたいだけど(笑)、ハワイで予定どおり結婚式。こればっかりは予定変更できないでしょう。 お相手もスケートとは縁が深い人だ。 ミッキーまで「杉浦先生が結婚したのって、あの釣りの人?」というぐらい、杉浦先生は生徒にさりげなく交際をオープンにしていた。「私は江戸っ子ですから」というだけあって、裏表がなく、気風がよかった。私も私の家族も杉浦先生がお気に入りだったし、信頼していた。夏は生徒さんとシカゴの家に泊まってもらい、合宿したりもした。釣りショップも必ず足を運んだ。 気取ったところはないけど、センスがよくて、それでいて、スタミナは抜群で、疲れ知らず。スケートの先生は風邪に強く、体力がないと務まりませんから。 介護問題が起こらなければ、うちの子はずっと杉浦先生に習っていたと思う。 でも、まあ、ミッキーはスケート運だけは強いらしい。親の都合でふりまわされるたびに、「スケートはもうやめかな?」と思うのだが、行く先々で結局またスケートがあり、いい先生とめぐりあうのだ。 ショートの振り付けなんて、実は浅田真央選手と同じ人物だったりして・・・。NHK杯のキス&クライを見て思い出した。タラソワじゃなくて、アシスタントのズィラのほう。 これは私が頼んだのではなく、出張している間にシカゴでコーチが頼んだ。最後の日だけまにあったから私も見に行き、振り付けの光景をビデオで撮影するように言われ、小切手を支払った。格安料金(?)であった。実は某所でこのときのビデオは公開中。それはもうズィラはエネルギッシュかつチャーミングな女性で、振り付けにしてもいろいろ思うところがあった。とても書ききれない。 先生ばっかりすごすぎて、うちの子の実力がともなわず、大会申込用紙に書き込むのが恥かしかったぐらいだ。まさかココ・テイラーの名前を書くわけにいかないし。 それとアメリカの先生の名前を書くと、いやがらせのメールがいったりするから。本当に一部の人のせいで(やった人の名前はわかっているんだけど。別な理由でスケートから距離をおいてしまった)、日本人がめためたに評判落としてしまうのだ。 あ、ズィラは英語は話せませんよ! フリーの振り付けは石原美和先生。弟の津留泰先生がミッキーのメインのコーチで、日本に滞在しているときとか、泰先生がアメリカにきたときレッスンを受けている。 これがまた書ききれないほど、面白いできごとの連続なのだ。 妹が全日本ジュニアのテレビ放映を録画してくれた。 新採点に対応していくのは大変で、ジュニアのときから選手たちは背中や足の痛みで泣かされている。そういう苦労を知っているから、演技を見ていると、じーんとする。 そういえば、昔は10月にアメリカのリジョナル(ブロック)に出ないと、「あー、日本だとレベルが低いからでしょ?やっぱりアメリカは世界でいちばんハイレベルよね」と言われ、「そんなことないよ。日本のほうの子供のほうがレベルが高いんだから。でも、10月はプレイオフがあって、私はスケートママをやれないから」なんて会話がよくあった。彼らの意識はAmerica as No.1だから。最近はあまり言われなくなった。 野茂英雄が大リーグ関係者を震撼させ、日本のプロ野球への評価をひっくりかえしてしまったように。 浅田真央、おそるべし。
2008年12月18日
あー、原稿がたてこんでいると、つい本を読んだり、ブログなんて書いちゃう。 たてこんでいないときは、ミシンの前にいる時間が長く、パソコンなんて開かないんだけど。 日本人向け古本屋で田辺聖子と佐藤愛子をみつけるとたいてい買う。(ブックオフというところがせこいが) 資料性のある本しか最近はアマゾンで買わなくなってしまった。 小説はもともとめったに買わない。同じ本を繰り返し読むのが好きだから。 それから岸本葉子さん松原惇子さんを見つけると買う。これは田辺さん佐藤さんと違って、自分ではよく理由がわからないのだ。 しいていうと、読みやすいから? 松原さん主催のSSSの会は、希望者を募って共同墓地を購入してしまった。自分と違う(できない)生き方をしている人だから、かえって方向性がみえてくるようなところがあるのかもしれない。 自分と同じような生き方をしている人の本なんて読んでもつまらない(あまりいないような気もするけど) ここ10年ぐらい、中古マンションの購入を考えていたせいもあるかも。 お2人の本はとても参考になり、さんざんなめるように読んだあげく、結局のところマンションは買わなかった。 それとは関係なく、やっぱり次もブックオフにいったら、また本は買ってしまう予感。 資料本ももちろん読む。「フィギュアスケートデイズ」の長光先生のインタビューがよかった。おじいちゃんおばあちゃんに育てられた高橋大輔選手は、お年寄りにやさしい。クロアチアで見知らぬおばあちゃんの後ろをゆっくり歩いているから、何かと思ったら、ちゃんと横断歩道を渡れるかどうか心配で見ていたんだとか。 前十字靱帯といえば、近所のスポーツジムのトレーナーも手術になり、6週間も入院していた。もっともそのうちの4週間はリハビリだそうだ。はやっているのか?
2008年12月12日
名門「トリビューン」が破産とは・・・。知り合いはたくさんいるのにな。 ボブ・グリーンやメリッサ・アイザックソンやサム・スミスなど。彼らの仕事ぶりから学ぶものは大きかった。 子供のときは巨人以外の情報を入手するのが困難だったから、週刊ベースボールは隅から隅までなめるように読んだし、スポーツ新聞はせっせと駅の売店に行って購入し、切り抜きを作っていた。 考えてみるとまったく勉強もせず、そんなことばかりに熱中していたから、大人になってこういう仕事についたのも運命だったのかなぁ。 一時期は「シカゴ・サンタイムス」と「シカゴ・トリビューン」と「USAトウディ」に加えて、日本から届くスポーツ新聞を毎日せっせと目をとおしていたのだけれど。 インターネットが普及する前は3日とあけず、図書館に通い、アメリカ人の地方紙に目をとおしていた。(スポーツ・セクションのみ)。 がしかーし、今は「サンタイムス」だけ。あとはインターネットでささっと目をとおす。日本のスポーツ新聞なんて開くのも面倒だし、ネットでもめったにアクセスしない。 だって、どこも同じ内容ばかりなんだもの。 昔はあんなにドキドキわくわくしながら、スポーツ新聞を開いたのになぁ。 今は取材経費は厳しいわ、取材規制はかかるわ、ライターの力量は決して落ちていないと思うんだけど。 だいたい私は大ぜいでスター選手を囲み取材したり、イタリアのワインや洋服をせっせと選手に貢ぐとか、性にあわない。地味なネタをじっくりと追いかけ、仕事も人間関係も楽しみ、そこそこ食べていけたら、十分に幸せなのに。だから、90年から大リーグ取材をはじめたのに、私が興味もつとなんだかブームになっちゃうのよね。 これは編集者からもよく言われる。 短大のときのミニコミ紙「星野新聞」だって、当時の星野仙一氏は全国区ではなかった。だから、私のことをおもしろがり、「出資するから、本格的にやってみない?」なんて声をかけてくれたのだと思う。ブレイクしたのはその3年後。 大リーグもそう。 NBAだってそうだった。ま、シカゴに住んでいて、マイケル・ジョーダンに興味をもたない人はいなかったけど。日本では数年遅れでブレイクした。 フィギュアスケートだって、企画の段階では「そんなマイナーなスポーツをどうしてまた急に」という感じだったのに。 でも、だから、仕事につながっているのだから、運命に感謝!なんかそういう守護霊とか、ついていらっしゃるのかしら?
2008年12月09日
熱血ポンちゃんが来りて笛を吹く感想をアップしたいのだが、なかなか時間がとれない。 年末年始は関西ですごすプランがあるので、それまでにやっておくべきことが山ほどある。 それにしても、日本のテレビを見ていたら、まだ殺害犯と確定したわけでもないのに、犯人扱い。ご近所の人が「姪の友だちが追いかけられたことがある」「気持ちが悪い」なんてコメントしている。B2の障害者手帳をもった人に対し、「気持ちが悪い」なんてテレビ局もよく放映するなぁ。いったい何を伝えたいのか、意図がわからない。 犯人と確定するまで、どうして待てないのだろう?これが報道合戦なのか・・・。 サリン報道で少し反省したのではなかったの? エイズだとカミングアウトした人のこと、「ニュースステーション」の久米キャスターが「しかし、ホモがエイズになったからといって、自業自得という気がしますよね」とコメントしたときも驚いたけど。 他の国だったら、大問題になっているはず。 「週刊文春」は星野仙一が公式ホームページを閉じたというだけで、バッシング記事。 バッシングするなとは言わない。でも、もうちょっと金と時間をかけた記事を読者に提供すべきなのでは? それこそバブル期にはイタリアのカバキを取材するというだけで、湯水のような経費をつぎ込んでいたのに。 つくりがチープだから、雑誌が売れないのか、売れないから広告が減り、つくりがチープになっていくのか・・・。
2008年12月08日
アメリカが風邪をひくと、日本がくしゃみをする。 あるいはアメリカが風邪をひくと、日本が肺炎になる。 しみじみと実感してしまう言葉だ。 かつての大ベストセラー、近藤紘一著の「サイゴンから来た妻と娘」シリーズにも、同じニュアンスのことが書かれていた。近藤さんは産経新聞の記者。ベトナム戦争が現場で取材し、ベトナム人女性と結婚して、連れ子も養女にした。 ベトナム戦争でベトナムが負けなかった要因の1つに、食糧が豊富だった点があげられていた。長引く戦争で見たところボロボロに傷ついていたけれど、日本の終戦まぎわと違って飢餓の危機がなかった。果物がそこら中でとれる自然の恵みが幸いした。 やっぱり国内の食産業を守るって大切なことなのでは?否、何も食産業に限ったことではないのだ。 アメリカがここまで弱くなったのは、人件費が安いからといって工場を東南アジアに移してしまい、結果として失業者が増えてしまった。汗水を流して働くことの尊さを忘れ、マネーゲームに明け暮れた。 いちばん信頼できるものは、やっぱりお金ではなく、友人であり、家族であり、生きがいなのではないかなぁ。
2008年12月05日
ピーター・ラビットは2月なので、それまで少しバレエのことを勉強しておこう。 いっぱいビデオみた! この鈴木晶著「バレエの魅力」はおすすめ。 この本で熊川哲也をはじめて知り、自伝「メイド・イン・ロンドン」を読んだ。 触発されて「フィギュアスケートの魔力」の企画書を書き上げたのだっけ。編集者にみせると、「そんなマイナーなスポーツ!それより大リーグでしょ」といわれ、私も好きだからせっせと書いたものだけれど。 今川知子さんと知り合い、共著という形にしたら、すぐに企画がとおった。 トリノ五輪の前年だったっけな? あれから、いろいろなことがおきた。私って本当に仕事運はいいなぁ。
2008年12月04日
熊川哲也さんは故障中は演出家やナビゲーターとしても活動するそうだ。 招待されちゃった! バレエのピーターラビットって、どんなふうなのか、今からとても楽しみ。 http://www.k-ballet.co.jp/topics/performance.html
2008年12月03日
Dr.きたみりゅうじのSE業界ありがち勘違いクリニック 勘違いといえば、大笑い。 先週だったか、夫にYさんのアドレスをきかれた。 Yさんにはうちの犬を預かってもらっている。 犬=子供と同じぐらい大事。私は自分の手帳の重要人物リストにYさんの連絡先は書き込んでいる。 だいたい夫からYさんの連絡先をきかれるのは、これがはじめてではなく、2度も3度も4度も聞かれ、そのたびに教えるのだが、なくしてしまうらしいのだ。 これがYさんではなく、20年以上前の初体験の相手だったら、すぐに電話番号がでてくるだろうに(たぶんね)・・・。彼らしいといえば、彼らしい話だ。 それでなくとも12月は年末進行だし、学校の用事は多いし、子供は熱をだすし、私はパニックしていた。が、ともかく携帯の番号は教えた。 そして、夫はYさんに電話した。ところが、かけた相手はYさんではなく、なーんと宮地陽子さんだったとか!最初はまったく気がつかず、5分ぐらい話してから、夫は「私は宮地ですけど」と言われたらしい。 こういうドジをやるのは、非常に私らしいといえば、私らしい話だ。反省。 がしかーし、5分も話してからやっと気づくってどういうこと!?宮地さんとは本当に長い付き合いなのに。 「パパらしいよねー!宮地さんの話し方ってすぐわかるのに!」とうちの子は大笑いしていた。 結論。どっちもどっちだ。
2008年12月01日
Bolero / 熊川哲也私には年齢の近い妹が2人いて、2人ともごくフツーのOLを経て、ごくフツーの専業主婦になった。つまり3姉妹というわけ。3人ともそれぞれ2人ずつ子供がいて、それぞれ東京をはなれたところに家を建てたりしたので、あまり会う機会はない。 東京は実家を残すのみ。 でも、Eメールが発達してからは、ごくごく気軽に連絡をとれるようになった。 私の夫以外、つまり妹のだんなさんは2人とも、パソコンにプロフェッショナルなのだ。メモリなんかも簡単につけてくれる。うちの母いわく、自分のことは自分でやるから実家にいても、まったく手がかからない亭主なんだとか。「どうして、あの子たちのところのだんなさんは手がかからず、働いている香子のところに、いちばん手がかかる人がきちゃったのかしら?」とこぼすこともあった。 タオルにしてもつかったら、そこらへんにほおりだしたまま。新聞も読んだら広げたまま。夜中の3時に2階でギターをひく。それでいて、家事の手ぬきに理解があるかといえば、ノー。彼いわく、私って部屋をごちゃごちゃさせているから、すごーく彼の友人から評判が悪いそうだ。はいはい。 話をバレエにもどす。すぐ下の妹のブログを何年も読んでいて、やたらとバレエの話題がでてくるので、てっきり長女のRちゃんが習っているものだとずっと思い込んでいた。 熊川哲也のビデオも送ってくれたし、有名な先生からレッスンをとっている。 ところが、ある日、とんでもない勘違いに気がついた。 バレエを習っているのは、娘ではなく、私の妹本人だったのである。40の手習い?少なくともOLを結婚退職するまで、バレエのバの字も関心がなかったはず。 これには驚いた。 ともかく妹は高いチケットも手にいれて、せっせと公演にも通っているらしい。 熊川哲也が前十字靭帯を断裂したときは、がっかりしていた。 復帰はしたものの、またすぐに半月版をやってしまったし。 前十字靱帯は清原和博の取材のとき、いろいろ勉強した。それこそ清原は日本中、アメリカ中のスポーツドクターをさがしたもの。 あそこの部分は膝の関節と関節の間だから、血管があまり通っていない。だから、治癒力が弱く、現在スポーツ医学において最大の難関といっていいはずだ。 日常生活レベルなら回復するのだけれど、ダンサーとなると・・・・。かなり前途はかなり厳しい。 でも、熊川には時間がかかってもいいから、復活してもらいたいのだ。あの跳躍は他のバレエダンサーとはまったく違う、まさに他の追随を許さない空間技術だ。 ビデオは何本がもっている。ジぜルとボレロとカルメンとコッペリアは絶対におすすめ。大袈裟ではなく、価値観が根本から変わってしまう。私も機会あったらぜひぜひ生で見てみたい。
2008年11月28日
耳鼻科にいったら、風邪ではなく、アレルギーがでてしまっているとのこと。鼻ではなく、のどにきてしまうことが1年に一度ぐらいある。ラジオの本番があったから、マスクをして、ひたすらのどを温存。レポートは問題なしだったので、フォトグラファーに電話して、打ち合わせと雑談をしていたら、またまた咳がとまらなくなってしまった。 あー、面倒。 今から12月前半までがいわゆる「年末進行」でいちばん忙しいのに。 といっても、全盛期と比べたら大した量ではないから、とりあえず薬を飲んで寝たり、沢村貞子著「わたしの献立日記」を読んだり。 ドタバタしているのを見て、長女が「夕飯は私がつくってあげるよ」と言ってくれて、まかせた。 できたものは・・・「スイートポテトパイ」の山であった。
2008年11月26日
のどが弱いので、扁桃腺がはれる手前でなんとかおさえようと、耳鼻科にも行って来た。 なんとかおさえられたかなぁ。 でも、だるかったし、声もでなかった。ラジオの仕事が入っているときは、あれやこれやあせるのだが、なかったから、薬を飲んでひたすら寝ていた。 やっと声がでるようになったから、知り合いのカメラマンの写真を催促。なんとOくんが自宅にきていて、もうできあがっているというではないか。Oくんにも電話口にでたので、「酔っ払う前に写真をおくらせてよ!」と言ったが、「もう酔ってます」とのこと。 案の定、写真は送られてこなかった。(その後、送られてきたが) 全日本ジュニアに行っている友人には、「15位までの順位を教えてね」と頼んであった。だって、15位に何人入るかで、来年の枠が決まるんだもん。(私の計算が正しければ、来年は西から10人、東から15人。今年は7人と18人だったから、なんぼかまし) この部分につけたし。上位15人の数だけではなく、表彰台にのった選手の人数におうじた数字もたされるそうだ。去年は西からは0だったけど、今年は村上佳奈子選手が入ったため、来年の枠は10人ではなく、13人ぐらいになるらしい) そうそう、スケートネタといえば、デビッド・サンティーが殿堂入りした。ぱちぱちぱち。 彼の生徒は今年は一人も全米にはすすめなかった。去年ははじめて2人、ジュニアとノービスでおくりこんだのだけれど。 今年はシニア女子のメーガン・ハイアット、シニア男子のオサドロがリジョナルを通過したが、セクショナルで2人ともボロボロだった。 メーガンは来年からコロラドの大学に進学が決まっている。 去年ノービスで全米4位になったアンジーは、コロラドに引越し、レイチェル・フラットと同じトム・Gにコーチを変えた。 リジョナルの予選ではフリーで105点を叩きだし、びっくりした。セクショナルはそんなに悪い出来ではなく、フリーでは2位だったが、ショートのミスで泣いた。トータルで5位。 コロラドに引越してすぐ、質の高いトリプルルッツとループを飛ぶようになった。が、5位では先にすすめない。 コロラドにいい選手が集まってしまうから、ここのセクショナルだけハイレベルになってしまった。 日本だと前年度にその地区から何人がベスト15位に入るかで、人数枠が決まるのだが、北米ではノービスより上のクラスになると、どこでもトップ4だけ。 東や西のセクショナルをみると、ダブルアクセルだけで、トリプルはない子が上位に食い込み、全米選手権デビューへの切符をつかんだりしている。 アンフェアといえば、アンフェア。アンジーのお母さんがまたカッカしている様子は目に浮かぶようだが、それがフィギュアスケートの残酷さでもあり、底知れぬ吸引力でもあるのだと思う。 なんて考えたら、全日本ジュニアを制したのは今井遥ちゃんだった。たしか8歳の頃、魔女の宅急便を滑っていたっけ。 ノービス最後の年、ダブルアクセルができるようになると、急成長した。でも、一朝一夕で伸びたのではなく、その前から1日中でもリンクにいるような子だった。 ノービスから参加の毛間内かれんちゃんもがんばったみたい。 その昔、田臥が無名時代にパトリック・ユーイングと進研ゼミのCMにでたことを彷彿させる。 かれんちゃんもチョコレートのCMで荒川静香さんと共演しているからね。
2008年11月25日
私の話 これは重たく、暗く、悲しい物語だ。 とはいえ、この作者はこういう切ない材料も巧みに料理する実力派なので、読後感は決して悪いものではない。 でも、作家志望者は読まないほうがいいかも。 誰も悪くないんだけれど、それだけにぐさっと胸をえぐるものがある。それはもう涙がでそうなほどに。 むかしむかし、鷺沢萌さんは世代が近く、デビュー作も1年違いで出ているから、文壇コラム(!)なんかで取り上げられることもあった。 美貌にも才能にも恵まれた彼女と私では、最初のスタートから雲泥の差があった。 私の小説をほめる評論家はめったにいなかったが、鷺沢さんは前から見ても後ろから見ても、ぴっかぴっかの天才だった。 強く推薦してくださった故・江藤淳さんもパーティーでお会いしたとき、「あなた、稼いでいるねぇ。それもいいけど、ちゃんと小説も書きなさいよ」と苦笑いしながら忠告してくださった。 そんなに稼いでいただけではないのだが、文芸賞デビューして早々にスポーツライターに転進なんて、前例があったわけではないから。 純文学=清貧。 たしかに私は才能や学歴や財産といったものに恵まれなかったわりには、それほどお金や仕事では苦労した経験がない。(他の局面では自殺してもおかしくないほど、苦労していますけど!) とはいえ、だからといって、自分のやってきた仕事や人生を卑下しているわけではないのだけれど。 ともかく邪道だったから、文壇バーみたいなところに顔をだすと、いつも「ちゃんと小説を書いているのか?」と説教されていた記憶がある。中上健二さんとか、山際淳司さんとか。やさしい人たちでしたけどね。 江藤先生夫妻は私の父には後で、まったく違う内容のことを話していた。 鷺沢さんはちゃんと純文学の王道を進んでいた。とはいえ、そうかたっくるしいものではなく、音楽でいうと中島みゆきみたいな路線。小説は硬派だったが、エッセイは180度違った魅力に満ちていて、どちらも達者だった。 私はわりと熱心な読者だったと思う。実際、小説なんて書くよりも、読むほうがずっと楽なのだ。 途中で何度か「露悪主義」という言葉を使って、自分を非難しているけれど、露悪主義じゃない小説家なんて生存するのだろうか。 韓国籍だということを一生隠そうとしていた祖母。その祖母が亡くなるとき言い残した言葉もすごい。悲しすぎる。 姉が「こんなことは言いたくないけど・・・」と前おきしてから、「ひとりの人間が、これまでの長い人生の中でずっとずっと守り続けてきた物を壊す権利は、誰にもないと思うよ、私は・・・・・・」 というくだりも、むごい。 彼女はそれを真正面から受け止め、苦悩し、そして、それをまた作品に昇華していく。 この本の最後の一行は、ぐっと胸にくる。 たしかに戸籍という書類上で、彼女は家族をつくることに失敗したのかもしれない。けれども、世界中に血のつがらない彼女の家族はちらばっているはずだ。
2008年11月24日
イギリス式お金をかけず楽しく生きる! イギリスへの旅行者ってリピーターが多いような気がする。日本人もアメリカ人もそう。 一度行くとすっかりはまってしまうイギリスフリークの友人が何人かいる。アマーリアの母親もその一人だが、彼女の場合は2代前がイギリス人だというから、自然かな。 私はイギリスへ行ったことないし、行く予定もなし。野球がない国なんて・・・。 でも、この本は面白かった。 前にたまたま「イギリスの家を1000万円で建てた!」という、この人の本を読んで不思議と面白かったから、この本も手にしてみた。 だいたいあの本にしても、どうして私が手にしたのか、最初はよくわからなかったのだ。なのに、惹かれるものがあった。 私も身内もイギリスふうの家なんて興味ないし、そもそも注文建築なんて建てる予定も予算もない。 家なら過去に3回買い、そのうち2戸を今でも所有しているけれど、全部が中古だったもの。 fix upといって、古いけど土台がしっかりした家を買い、修理しながら住んでいく。面倒ではあるけれど、他に選択肢がなかった。 夫婦共に自由業者だと、安いアパートでも契約に苦労する。これは日本でもアメリカでも同じなのだ。 ところが、この「イギリス式お金をかけず楽しく生きる!」という本を読むと、彼女が紹介するイギリス人の生き方というのがまさにこれではないの。 筆者は23歳にして築25年の中古マンションを1000万円で購入し、自分なりに改装して暮らしやすくして、10年後には1200万円で売却する。 まさにfix up! 家の代金がそれぐらいだと、長期ローンを組めば家賃とそう変わらない支払い額になるのだ。 貯金はできなくても、家賃の代わりに返済していけば、その家を売ることもできる。家賃だったら払ったらそれっきりだけど。 2冊読んでわかったけど、私がひきつけられたのは、イギリスとか、家とかではなく、この筆者の吸引力と人生観にあったようだ。 「中古物件にこそ住む楽しみがある」というのが筆者の持論。うちの場合は別に趣味で中古物件を選んだのではないけれど。「家事を趣味にするイギリス式満足生活」とか、「家事で2キロやせる」とか。 こういう内容の本を読んでいると、子供に話したら大笑いされてしまった。 人はどうも自分にはないものに惹かれてしまうらしい。 とくに本。 考えてみると、私は一人暮らしの女性が書いたエッセイが大好き。自分自身、とても一人暮らしには向いていない性格だから、惹かれてしまうようだ。
2008年11月20日
ドン・ワカマツと報道されていたけど、「ダン」と呼ばなきゃ本人が気がつかないよぉ。本名はドナルドだけど、登録名はずっとDonだった。 でも、まあ、日本語英語には慣れているから、大丈夫か。 私とは一目あったその日から、浅く長い付き合いがつづいているのだが、ああいうあたり、民族の血というのは引かれあるのだろうか。 うちの子たちでも、そういうところがある。スケートリンクでも学校でも仲がいいのは、不思議とアジア系の子ばかり。 ダン・ワカマツは自分で話していたけど、クリスティ・ヤマグチとは幼な友だち。 葛谷スカウトの仲介で西武ライオンズ入りしかけたことがあり、実現しなかったが、東尾修ファミリーとは家族ぐるみの付き合い。 理子ちゃんがフロリダの大学に通っていたとき、ゴルフをしたりしていた。 ダンもゴルフにはかなり自信をもっているのだが、当時から理子ちゃんはうまかった。 それでふと思い出した。東尾さんがまだ現役だったとき、何人かで焼き肉を食べにいき、そこへ理子ちゃんもふらっとやってきた。 そのとき出た話。 まだ小学生か中学生だったけど、当時からゴルフはうまく、ライオンズの優勝ご褒美ハワイ旅行で、渡辺久信はまるで歯がたたず、ぼろ負けしていた。 東尾さんいわく、理子ちゃんは清原には初恋に近い気持ちをもっていて、自分よりゴルフがへたなナベのことは下に見ているようなところがある、と。 人の縁てわからないものね。 私だってあのときダンと結婚していたら、今頃イチローの上司夫人?(笑) まあ、そんな馬鹿話はさておき、ワカマツ監督ならイチローも城島もうまくやっていけるはずだ。テキサス・レンジャーズでも大塚晶則ファミリーとはバケーションも一緒にすごすほど仲良かったもの。
2008年11月18日
同じ年齢のオジー・ギーエンが監督になったとき、少なからずショックだった。 一応ドナルド・ワカマツは1歳年長。大昔、ちょっとデートしたことがある。といっても深い付き合いではなく、広岡達郎氏と長嶋茂雄氏がタグくんだ会社がバンクーバー・カナディアンズというマイナー球団を買収したことがあり、取材に行ったらキャッチャーがワカマツだった。 彼のほうも日本に興味があったのだろうし、広岡さん長嶋さんのことも知りたかったみたい。バンクーバー観光に付き合ってくれた。 私は野球場とホテルを往復するだけで、めったに観光ってしないのだけれど。あのときは別。 その後、西武の葛谷スカウトに紹介したりもしたのだけれど、ワカマツは打力が弱くて、メジャーには定着できなかった。91年だけ18試合メジャーの試合にでているのは、あのときホワイトソックスにチャーリー・ハウというナックルボーラーがいて、正捕手のカールトン・フィスクは打撃優先だったから、捕りたがらなかった。だから、ハウが先発するときだけ、ワカマツがマスクをかぶったのだ。 静かな情熱家だし、勉強家なので、コーチや監督のほうが向いているはずだ。ハンサムだし。 しかし、あのドナルドがイチローの上司になるとはね!
2008年11月17日
ワタクシ的に椎名誠作品でいちばん好きなのは、後にも先にも「哀愁の町に霧が降るのだ」。正直デビュー作の「さらば国分寺書店のおばば」を読んだときは、ぴんとこなかった。 おばばの店といえば、30メートルぐらい離れた耳鼻科にせっせと通っていたのだが。国分寺書店のような古本屋は好きだったけど、長時間いるとくしゃみが出そうになる。 私は筋金入りのアレルギー性鼻炎だから、今でも日本に帰ると、せっせと同じ耳鼻科に行く。当然のことながら、その医者は会うたびに老けていたが(むこうも同じことを私に感じていたであろう。中学生だったのに、子供まで連れて・・・)、10年ぐらい前から劇的に若返り、あっと声をあげそうになった。。 が、しかし、ふと奥をみたら、老医者がいて、同じ顔をしていた。あー、息子が後をついだのね、と納得がいった次第。 あれあれ、閑話休題。 「岳物語」も2番目ぐらいに好きだったけど、なにしろ近所すぎたので、話がリアルすぎて・・・。 「哀愁の・・・」はその点、距離感があったし、作品としても椎名誠氏の魅力がぎっしりと詰め込まれていた。 90年からアメリカに拠点を移すとき、この「哀愁の・・・」上・中・下巻は持っていったほど好きだったが、残念ながら第一次水害のとき没してしまった。 木村晋介弁護士は「哀愁の・・・」では、「おとうちゃん」的な役割を果たす重要なキャラクターだった。 この「キムラ弁護士の友情原論」(タイトルはいまいちだね)でお父ちゃんは椎名誠を熱く語り、さらに森瑤子との出会いについても触れている。うれしくなった。
2008年11月16日
本の雑誌血風録昔に読んだかもしれないが、文庫になっていた。 いい本、いい作り手、いい書き手、いい時代だったとしみじみ実感してしまった。何年かぶりに「本の雑誌」関連は読み返したが、出版界や私個人に与えた影響は思いのほか大きかったわ。 ナンバーが創刊になったばかりで、故・設楽敦生氏が椎名誠さんに会いにくるくだりは涙。設楽さんがいなかったら、今のナンバーはなかったと思う。 今では考えられないが、雑誌がじゃんじゃん創刊され、ライター不足が嘆かれていた時代でもあった。ライターとして食っていくなんて、今の100倍ぐらい簡単だった。 もちろん短大出て、OLしていた私はそんな業界のこと、まったく知らなかったけれど。「本の雑誌」は愛読していた。ものすごく吸引力のある雑誌だったから。 「死○●ね角川商法」なんて特集記事は今だったら、問題があるのではないだろうか。 平和だったし、愛情があふれていたから、そういう毒舌も許されたが、やっぱり今だったら受け入れがたいかも。 私が短大のときミニコミ誌「星野新聞」なんて作ったのは、やっぱり「本の雑誌」の影響が大きかったのだと思う。ミニコミ座談会のときは、ほめてあった。 そのまま就職して、10月の終わり、「星野新聞」に自分で連載していた小説が賞をもらい、12月に本になり、ベストセラーにもちょこっと顔をだした。 「本の雑誌」からの取材はなかったけど、2ページ丸ごと私の著作にさいていて、驚いた。辛口だったわぁ。出版される前だったから、まだ「文藝」に掲載された3分の一しか読んでいないうちに評論していたから、ちょっとピントがずれていた。 いわゆる「読まず評論」というやつ。 椎名さんは「さらば国分寺書店のおばば」を出したとき、「ストアーズレポート」の編集長で、取締役で、次期社長という話もあった人だった。これを読むと、会社内での反応は無視か厭味だったらしい。 私は国分寺在住者とはいえ(笑)、下っ端のOLだったから、立場はだいぶ違う。やっぱりほとんどの人が最初は無視だったから、気がつかれていないのかと思ったけど、そのうち週刊誌の紹介記事とか、ロッカーの扉にはられたりするようになった。 部長と課長には話してあり、「マスコミの取材を受けるときは、一応断りをいれてね」ということだったが、あまりに数が多かったので、「とくに問題なさそうだから、いちいち断らなくてもやっぱりいいです」となった。べつにテレビにでまくっていたわけじゃないが、(朝から生テレビとか、ちょこちょこは出ていたけれど)それぐらい出版物があふれている時代だったのだ。 でも、お局といわれる人たちの反発は相当なものだったらしく、全員にくばるおやつを私のところだけぬかすようになったり、机にむかって「本を出すってことは印税とか入るんでしょう?会社以外の収入があるのはまずいんじゃないんですか?」なんて、ぶつぶつつぶやいている人もいた。 それは東亜燃料という会社で、銀座の東劇ビルの15階だかにあったけど、今でもあるのかなぁ。マガジンハウスのすぐ近くなので、そっちは行くけど、東劇のほうに行くことはなくなってしまった。だいたい国分寺からだと通勤に2時間あまりかかり大変だった。 養う家族がいたわけじゃなし。親戚一同誰も自由業者はいなかったから、不安もあり、親は猛反対したけど。 退社して2月はプロ野球のキャンプめぐりの仕事を受け入れた。星野中日の1年目、落合博満の移籍1年目だった。 それからはずっと同じ仕事をしつづけている。 アメリカに拠点を移したり、結婚したりもしたけど、基本的に仕事は変わらない。
2008年11月15日
パンチパーマの猫 今日は午後、カブスのケリー・ウッドがテル・コンファレンスに応じる予定。これは電話回線上の記者会見。登録してあるメディアに通達がきて、指定された電話番号に電話してパスワードを入れると参加できて、もちろん質問もできる。 そのうちピネラ監督もやるはず。 これはインターネットが広まる前から、行われていた。 よって頭が疲れない読書を心がけている。この本はママ友だちのおすすめ。「ちょっと読んでみてよ!」 と言われたのには、非常にわかりやすい理由があった。 群ようこさんの母親は43歳のとき離婚。その後で調理師の資格を取り、フルタイムで働くようになったら、きれいなったそうだ。プロポーズする人も泊まっていく人もあり。娘はプロポーズされたことないのに母親ばかりモテまくったという、群ようこ節は健在なり。「そんな母にやもめの男性たちが、わんわん集まるようになったのである」(「パンチパーマの猫」より引用) 言うまでもなく、ママ友だちも私も、その数行がぴっかり光って見えた。 ところが、現実は甘くない。 母親にプロポーズしてきた男性は、成人していない女の子がいる、借金がある、老いた母がいる、といった事情がある人ばかりだったそうだ。 やれやれ。現実はこんなものか。「私と死別したら、うちのだんななんて、この条件にあてはまりそう」と言ったら、ママ友だちは「その発想って逆じゃない?」と笑っていたけど。
2008年11月14日
つい先日、若い記者と話していて、「ジャンボ仲根って誰ですか?」 なんていうから、「スポーツ新聞の記者だったら、あぶさんぐらいは読破しておけば?」 と説教口調になってしまった。ばばあになった証ですな。でも、ほんとにばばあだから、いーや! 今は手元にないけど、野村南海を激励するため、あぶさんの母親がトラックで、寒ブリを差し入れするシーンなんて、よかったな。 ブリといえば、だんなはブリ大根が好き。よく作る。 それといつか試してガッテンという番組を飛行機で見たのだが、ブリの照り焼きを作るときは、小麦粉で衣をつくったほうが断然においしく焼けるようだ。 以前は醤油とみりんに20分ぐらいつけてから、焼いていたが、今は小麦粉をはたくだけ。 フライパンに油をしき、強火でささっと焼く。そこでいったん油を捨て、ブリもキッチンペーパーの上において、フライパンの油もふきとってしまう。このへんは万年ダイエッターの私流。ここで油気はとりさったほうが、味をよくしみるようだ。 フライパンに醤油とみりんと酒をいれて、煮立たせ、さっき焼いたブリをもどして、からめる。 試してみてください。”おいしい”というより”うまい”という感じ。小麦粉をはたくと、ブリのうまみが外に逃げないし、ぱさぱさとしない。 あとブリ料理で最近はまったのは、「ブリしゃぶしゃぶ」。超簡単。鍋に水をいれ、酒も少しいれて、煮立たせるだけ。あとは鍋だから、野菜とか豆腐をいれ、刺身のように切ったブリを泳がせ、ポン酢をつけて食べるだけ。 絶品であった! 写真はブリとまったく関係がない、遠足用のお弁当。
2008年11月13日
横溝正史自選集(vol.5)小中高生のとき、読んだ本を最近はやたらと読み返している。 結末や感動しどころがわかっているから、頭が疲れない。 しかし、横溝正史シリーズが映画になった頃、私はまだ中学生で不倫とかなんとか、まったく意味がわかっていなかったから、ストーリーを理解できていなかったなぁ。 生まれたときから知っている知人(わけあって友だちではなくなった)の子供が、薬物中毒でリハビリ施設に送り込まれたと聞き、やや驚く。 マリファナに驚いたのではなく、年齢に驚いたのだ。その子の年齢は14歳。うちの長女より半年上なだけ。 かと思えば、ボーイフレンドとラブラブで、「トリプルができるようになったら、彼のところにお泊りしていい」という約束を母親と取り付け、本当にトリプルを飛んでしまつた子とか。彼女も14歳。健全でいいかも。 やっぱりアメリカの子供って、よくも悪くも、たくましいわ。
2008年11月11日
フィギュアスケート日本男子fan book男子本。インタビューはどれもこれも、じーんとくるものばかり。 そういえば大阪で今川知子さんも、うちのコーチも、肝心なことは口が堅いので、高橋大輔選手のけがのことにはまったく触れていなかった。 わかっていたけれど、私もそのことに触れなかった。 スポーツの現場にいて、いちばんつらいのは自分が叱られるとか、同業ともめるとか、そんなことは正直あまり気にならない。たいてい一晩寝たら忘れてしまう。それよりも、予期せぬケガに直面してしまうときが、いちばんつらいのだ。取材ってある意味で、選手への憑依だから、気持ちがどよーん。 私自身メニエル病にかかって突発的な難聴に襲われた時期があり、ラジオのレギュラーもあるのにこれはまずい、と思った。 そのとき、唇の動きを読むトレーニングの先生についた。フィル・ジャクソンとか野球のコーチでも、そういう特技を身につけている人がいたから、好奇心もあった。 その後、メニエルは完治してしまったが、日本語か英語なら唇の動きで何を言っているのかがわかり、わりと便利なのだ。逆にいやな思いをすることもあるけど。 ピッチャーなんかだと、それがわかっているから、たいていグラブで口を隠しながら話す。野茂なんて絶対にそう。 スケートの先生は隠し事が少ないのか、リンクサイドでも口の動きを隠さない。 うちの13歳は県大会は1位だけど、内容がよくなかった。しかもドジなことに携帯をなくした。(まあ、私は日本で3つ、アメリカで2つもっているから、これを機会にしぼろうと思う。iphoneは買わないけど。) 本番前にブレードがはずれそうになり、カタカタいったから、豊先生の判断でダブルアクセルは1つにしたそうだ。トリプルサルコーは2つ。飛びやすかったなんて言っている。(なのに、ステップオーバーしていた)(苦笑)。 j.comが12月に放送するそうで、インタビューも受けていた。 中国に行っていた泰先生に「ダブルアクセルがぐちゃぐちゃになった。でも、トリプルサルコーは自信がある」なんて言い、「ダブルアクセルができないなら、もうレッスンはしないよ」と叱られたらしい。 ゆっこちゃんは模範演技で、ショートを披露した。 そうそう、全日本にいくための枠について、ここに書いておこう。私もすぐに忘れちゃうから。 それぞれのブロック(アメリカでいうリジョナル)を勝ち残った選手が、西日本か東日本(アメリカでいうセクショナル)にいき、そこで勝ち残ると、全日本(ナショナル)に出場できる。 ブロックもそうだけど、西日本や東日本から何人が全日本にすすめるか、それは前年の成績で決まる。トップ15人に同じ地域から何人が入るか、それで出場枠が決まるのだ。 たとえば、去年は西日本から全日本ジュニアに9人が進み、15位内に入ったのは3人だった。(15人に入った人数)÷15×21で出た数字に、最低枠の3人を足す。そして、四捨五入→出場枠。 こういうルールがあるそうだ。 だから3人を15で割ると、0.2。これを21倍すると、4.2になる。これに3を足して、四捨五入すると7人。 だから、今年の西の枠は7人で、東は18人。 開会式のとき、JGPファイナル進出をきめた選手の出場免除が発表され、6人が全日本ジュニアに行けることになっていた。 夏前からわかっていたことで、国際試合出場者は8人もいた。 ともかくトップ15に入ることを目標にしていた。15人に入らないと、来年のブロック枠が減ってしまうからだ。ショート6位と聞いたときは、驚いた。とおしでプログラムを見たのは、今年に入ってから全部で5回ぐらいしかなかったから。 個人競技ではあるけれど、地域全体のレベルがあがらないと、枠が広がらない。アメリカだとノービスより上はトップ4が次に進むというルールになっているのけれど、日本のルールのほうが理にかなっているような気がする。
2008年11月10日
定本岳物語 「岳物語」といえば、不滅のロングセラー本で、教科書にも載った名作。この本はその続編もあわせて2冊分を1冊にし、さらに椎名誠氏が加筆し、渡辺岳くん本人が本音を暴露している。 激怒したし、傷ついたし、親子関係もうまくいかなくなってしまったそうだ。椎名さんはそれについて逃げも隠れもしていない。 とても考えさせられた。 椎名誠さんとは面識ないが、「本の雑誌」では2度ぐらい取り上げてもらった。一度なんか2ページにわたって、私のことばっかり。文章は達者だが、小説はまだ前半しか読んでいないけど全然だめ、という内容だった。(ぽりぽり) 実は私の生家と椎名一家はむちゃくちゃ近所で、共通の知人が多く、椎名さんが有名になる前から、最寄り駅や本や生協では何度か、お姿を拝見している。 岳くんもそう。この本にも書かれているように、茶髪にしたり、ともかく暴れん坊で、あの時代、国分寺みたいな田舎では、めだつ存在だった。 別に椎名家のストーカーをやっているつもりはないが、椎名さんとこは子供を2人ともアメリカにおくりこんだから、その後もいろいろ・・・。アメリカの日本人社会って狭いわけですよ。 ともあれ、この「定本」はヒット企画だと思うし、やっぱり「岳物語」は名作だとしみじみ感動した。 やっぱりスポーツと同じで、どんな作品にも生みの苦しみは付きまとうのだ。椎名さんはそうした業みたいなものにも向かい合い、きちんと作品として昇華している。 それにしても、いろいろ考えさせられた。 うちの子も小さい頃は「書いてーーー!」というタイプで、今でもそうだから、シカゴの日本人情報誌なんかだと写真を載せたりしているのだが、将来的にはどうかわからない。 昨日もグーグルで自分の名前なんか探索して、「私のことが書かれている!」と喜んでいた。が、日本語はやっぱり漢字がだめだめ。親子ネットというソフトをいれているから、閲覧できないページも多い。 何を書かれているから知りたいから英語にしてくれ、というから、翻訳ソフトを教えたのだが、これがまたぐちゃぐちゃ。 先生からのメールも、漢字がまじっていると、「わかんないよー」になるし。 また公文でも通わせたほうがいいのかしら? が、しかし、この定本を読むと、日本語なんて読めないほうが気楽かもしれない、という気もしてきた。
2008年11月08日
のだめカンタービレ(#21)今さらだけど、「のだめカンタービレ」の21巻。美しすぎます。文章も絵も・・・。ノートに書き写しておきたいフレーズもいくつか。 1巻から読んでいるけど、どんどんよくなっていく。この巻の終わり方なんて、もう憎い!の一言に尽きる。早く続きが読みたい。残念ながら作者は産休中。続きよりもこの巻をまず繰り返し読んで、味わいつくしたくなる。 音楽家の卵たちの繊細な葛藤と心理描写がすばらしい!涙がでそう。 前回「人は傷つかないと成長しない」と私は書いたが、のだめも千秋も傷つきあいながら、成長していく。 古典的な漫画のように、卑怯な手を使って意地悪するライバルというのが、まったく登場しない。 登場人物はシュトレーゼマンのように欠点こそあれ、みんな善人なのだ。 そこがまたいい。読後感がすっきりさわやか。 現実の世界では、ライバルの選手が海外で合宿して、いいコーチについたりしないよう、ネットで調べて、面識もないのに国際電話してくる親なんてのも、存在するわけ。 あることないこと言いふらしたり。 そうかと思えば、自分がアメリカで習ってきたスピン・コンボを○○ちゃんが盗った!と怒ってみたり。 でも、私は昔ほどは心配しなくなった。せっせとアンフェアなことに労力をつぎこんでいる人って、上達するわけじゃないから結局はつづかず、やめていってしまうからだ。 結局ネガティブな感情というのは、ネガティブなものしか生まない。だから、窮地にぶつかったら、ぶつかったで、その状況を楽しんでしまうしかないのでは? 3年ぐらいしたら、私はスポーツじゃないテーマの本も赤裸々に書いてみるつもり。 たぶんそれが私に課せられたお役目だと思うから。世の中には同じ悩みをかかえた人間がご万というはずだ。
2008年11月07日
山村美紗のパートナーによる伝記もの。 これを読むと、京都人をかなり理解できるようになるはず。もちろんそれだけではなく、人間の凄味と深味がつめこまれている。 途中まで読んでいたら、八王子の自動車教習所がつぶれたというニュース。大昔、私が運転免許をとったところだわ。1983年ぐらい? 実践短大は日野駅の近くにあり、八王子自動車教習所はその隣の駅、豊田駅に隣接していたと記憶している。私はスクーターで通っていたし、あそこの生徒はたいていあそこの教習所に通っていたはず。 当時はベンツとか送迎とか、あの頃はなかった。まー、当時の私じゃベンツもカローラも区別がつかなかったけど。 その後、別な自動車教習所を経営する人の娘ってのに知り合ったが、やっぱり超がつくお金もちだった。まだ20そこそこだったが、ベンツなんて簡単に買っていたし。 性格もいい子だった。交通事故で大きな傷を残してしまったが、そういうこともプラスに変えてしまうポジティブさをもっていた。 プロスポーツの現場でもたびたび感じることだが、「正と負の法則」って日常生活にも通じる人類不変の法則なんだと思う。あと「栄枯必衰」?
2008年11月06日
これはさっき自分用につくった。リバーシブルになっているので、あたたかい。型紙は「クライ・ムキのリラックスウェア」から。この本は絶対におすすめだ。ロックミシン愛好家にとっては神さまだから、知らない人はいないだろうけど。 大阪に行っていた長女は、帰宅するなりパソコン叩きまくり。最終グループに入ったから、最終グループの子たちと友だちになり、それはそれはとっても楽しかったそうだ。英語と日本語でメールを書きまくっていた。ドイツ語を話す子もいたとか。 何しに行ったのかしら。 その反面、健康で好きなことをやれることの素晴らしさを実感した3日間でもあった。 アメリカの経済問題が騒がれているので、親も友だちもそれはそれは心配してくれる。なんとなく心配ではあるが、住宅ローンをもってないし。 私がアメリカを拠点に移した1990年も、日本企業がバブリーな時代で、アメリカ経済はぼろぼろだった。 テキサスの田舎で、「オレは日本が嫌いだから、電気製品も買わない。全部パナソニックだ」なんていうおやじと出会ったのも、あの頃。「パナソニックって日本の会社だよ!」と言ったら、ショックうけていた。 名誉欲とか金銭欲とか薄いほうだから、私は仕事の上で大成しないのかな。 20代のすごく早い時期に、好きな仕事で、そこそこ食べていけるようになったせいか、これ以上のものを望む気にはなれないのだ。 あ、でも、島耕作で募集している新会社名は応募するつもり。(笑)100万円あったら、3か月ぐらい休めるもん。 ただなかなかいい案を思いつかない。子供は「Hatushibarは?」なんて言うけど、いまいちだよね。 私はfirst grassなんて直訳を考えたのだが、グラスはマリファナの俗語だから、会社名にはまずいわ。 いっそ初芝にこだわらず、Nomomaxとか、アメリカ人にアピールするものがあると思うけど、もうスニーカーの名前であるもんね。 なんかないかな。
2008年11月04日
図書館や古本屋に行くと、ついのぞいてしまうのは「田辺聖子」という名前の本棚。つい先日も新たな発見をしてしまった。 1996年に出版された「手のなかの虹」。 私は1990年からアメリカを拠点にしているせいで、90年から95年の情報が欠落している。なぜ95年が区切りかというと、野茂が大リーグでデビューしたため、日本から山のように雑誌が送られてくるようになり、ウィンドウズ95なんてのも出回るようになったためだ。 その前までは主婦友どうしで、誰がいちばん早く松田聖子の再婚を知ったか、はりあったりしていたのだ。 だいたい私か宮地陽子さんがマスコミの仕事をしているせいで、日本の情報はわりと早く入ってきたが、SMAPとか知らなかったものなぁ。仲良くしているカメラマンがアリゾナでSMAPの写真集を撮影したりしていたが、そういう話を聞いてもぴんとこなかった。 話を田辺聖子に戻すと、この本は「私の身辺愛玩」という副題がついていて、写真がどっさり。もちろんエッセイもどっさり。田辺さんのコレクションがまたすごくて、豪華本といっていい。「ハイミセス」という女性史の連載をまとめ、改題したもの。 「ハイミセス」なんて手にする機会はない。よかった。本にまとめてくれて。涙がでそう。どのページをめくっても、田辺ワールドがあふれている。
2008年11月03日
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