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40過ぎるとなかなか痩せない。これはよく聞く話で身をもって体験した。ジョギングを1年続けようが夜は米を抜いて炭酸水を飲もうがカーヴィーダンスをやろうが何をやっても続いているのに痩せない。それでも諦め悪くがんばっていてたがつい最近、入ってはいけない領域にまできた。もう、私はこのまま太くなっていくだけなんだろうか。。そんな思いが混沌と私をとりまく。だが、そんな私も1週間で3KG以上痩せる出来事が。地味なダイエットをを踏み倒す勢い。その名もマイコプラズマダイエット。ああ、あの恐ろしい日々。あなたは痩せたいですか?過酷な思いをしてでも痩せたいのなら私がすぐに飛んでいって菌をうつして差し上げます。夏休みの終わりに私たち家族は能古島にキャンプも行った。楽しかったキャンプのあと、iphonの画面は割れるし、体の調子もおかしい。私をとりまく全てが狂い始めていた。そしてそれはキャンプのオプションについていたバナナボートによる筋肉痛で首が回らないとか腰が曲がらないとかそんな類のものでもなく体調が明らかにおかしい。熱を測った。38.5度はあった。普段から35度台の低熱の私が38度超えるともうフラフラである。休みはあらかじめ予定していた用事のためにとっていたがその用事もキャンセルし、病院へ。かかりつけの病院の対応が最近悪いので病院を変えた。初めてのところだ。ここならよさそうだ。看護師さんも先生も優しいl。病院で熱を計ると39.0あった。病院からは漢方薬と解熱剤が処方された。しかし、これがなかなか効かない。熱はどんどん上がる一方だし、カロナール(解熱剤)で下げても一時的なもので数時間たてばまた熱が39.5に戻る。その繰り返し。人間、熱があると何故悲しくなるのだろう。重い病気の方が読んだらイライラするかもしれません。ごめんなさい。でも、高い熱があるとマイナスな気持ちになるのは事実です。私は必要以上に自分の行く末を想像しては涙し、このまま死んでお葬式を挙げ、自伝書の発行を友人に託すところまで想像、旦那と子どもの傍に霊となって現れるところまで想像しては涙。悲しいテレビを見ては涙。どうやら高熱は私の涙腺を破壊したようだ。そんな状態でもカロナールで熱が下がった時は良くなった気がして洗濯など回すのだが、何故かこんな時に限り、お風呂から組み上げる水のホースが暴れ洗面所が湖になりかけたり、その湖にそびえたつタオルの棚の足がこんな時に折れたり予定外の生理痛が襲ってきて私の腰を激痛に陥れたり、私は色んな「いじめ」に会いながら高熱と戦った。下がらない熱。解熱剤を飲めば一時的には下がるが汗びっしょりで目を覚まし、やっと眠れたと思えば今度は咳で目を覚まし、そして次は寒さで目を覚ます。そして寒さが収まったころ割れるような頭の痛さで目を覚ます。もう、これはただの風邪じゃない。ずっとその繰り返しで眠れない。翌日また、同じ病院へ行った。先生は私に「時間をください」と言った。昨日から熱が出たばっかりだからすぐには治りませんよ。少しずづ下げていくんですと言う。先生、私はすぐに直して欲しいんですよ、それが患者の願いといえば贅沢でしょうか。心でそう思った。そして先生は私に咳が出てないか効いてきた。咳が出てますと言うとああといって感染系ですねといって抗生物質と解熱剤を処方された。しかしそれでも下がらない。何も変わらないのだ。そのとき、ふと頭によぎった。「マイコプラズマ肺炎」セイイチロウが3週間前にマイコプラズマ肺炎にかかった。ググってみたらマイコプラズマの菌は3週間潜伏するという。どうやら、今がちょうど発症の時期にあたる。そうか、私、マイコプラズマ肺炎なんだ。それからマイコプラズマをネットで調べた。なかなか治らない、咳がひどいなど今の私の症状にぴったりなコトが出てくる、出てくる。耳が痛くなったり、足もしびれてきた。全身の倦怠感。マイコプラズマにより、中耳炎を引き起こす人もいるらしい。私の耳も定期的にジンジンしてきたので心配して耳鼻科に行ったが何事もなかった。熱が出て、もう8日がたとうとしていた。私は知人から頼まれていた仕事もあったのでその仕事を休むわけにもいかず、なんとか解熱剤で下げてその手伝いの会社に行った。旦那は猛反対したが、納期のある仕事なので無責任に離れるわけには行かなかった。でも、周りの方に病気を移しても迷惑だし、悩んだが薬を飲んで熱を下げ、マスクをして会社には通った。不思議と会社ではしゃんとしていて家に戻るとグッタリする。そんな私を気遣ってか旦那はずっと家事をしてくれた。普段は家事は頼めばしてくれる程度の夫。でも私が病気になると率先して家事をしてくれる。それが、どれだけありがたいことなのか。今回、本当に助かった。そしてそんな時に今度はセイイチロウまで具合が悪くなった。なんてこと、不幸は連鎖するのか。しかし、かかりつけの小児科へセイイチロウを連れて行った時に私はふと思った。そうか!もとを正せば子供の病気。小児科でみて貰えば治るかも。そして先生に相談して診てもらった。一発だった。出された薬で熱がさっと引いた。続いて咳もとまった。なぜ、このことにもっと早く気がつかなかったのだろう。最初に出された内科のアジスロマイシン(抗生物質)ではまったく効かなかったのに小児科で出されたミノマイシン(抗生物質)ですぐに効いたのだ。先生いわく最初に内科で出されたアジスロマイシンはマクロライド系の抗生物質だが今のマイコプラズマにはなかなか効きにくいらしい。マイコプラズマは本当にきつかった。もうインフルエンザが可愛く思える位。そうね、例えれば、インフルエンザの3倍きついかな。何がきついかといえば熱もそうだが咳。咳が本当にきつかった。もし、長引く咳の風邪をひいたと思ったらマイコプラズマを疑って欲しい。そしてこの手の感染症は小児科が強い!こればかりは経験しないとわからない。そして、病気により体重が3Kg痩せた。体調が戻って三日ほどたつがまだその体重はキープしている。痩せたいとは願ったがまさかこんな過酷なダイエットになるとは・・・・。でも、あんな苦しい思いをして、たった3KGしか痩せないんだねって旦那は言う。私20代なら6Kg痩せてのかな。。。なんて邪な思いが脳裏をよぎる。いやいや、1KG痩せるだけでも大変なこの年齢。マイコプラズマはもうゴメンだがおかげさまで軽くなりました。
September 15, 2014
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今年の春にもとキャンディーズのスーちゃんが亡くなったニュースを見ていたら自分で発見できる乳がんの触診のやり方があっていた。なにげに自分でその通りやってみたら左胸の下あたりに何かがあることに気付いた。気のせいだ、何かの間違いだと自分に言い聞かせたがお風呂のとき試してもやはりソイツはあった。決定的な判断は翌朝目が覚めた時触れてみた瞬間だった。あきらかに違和感があった。指先に残るその触感は胸の触感と違い、明らかに「コリっ」としていた。自分のなかで確定したのですぐに診断できる医療機関を探したがどこも2週間先だの紹介状がないなら別途5000円だの高額でしかも、遅いところで一ヶ月先しか検査できないという。こっちは焦ってしょうがないというのに。いろいろ探してみてひとつだけ、大きな病院で翌週の頭には診断できるところがあった。少し高額だが、命にかかわること。すぐに申し込んだ。私は当日まで不安な時間を過ごした。年齢も年齢だし、ガン家系だからあり得ない話ではない。しかしいろんなことを想像して涙する日を1日だけ過ごしたら翌日から考えることに飽きたのか考えても仕方ないと思ったのかなるようになると思い、考えないようになった。検査の日が来た。最初、マンモグラフィで乳を挟まれた。それはそれは想像を絶する痛さだった。悲鳴を上げるのをこらえながら私は重大なことを思い出した。ワキの処理が甘かった。脳裏にはそればかりがよぎった。しこり→心配→悪性だったら、でもその前にワキが。。ワキが。。どうも、脳の思考回路までいかれてしまったらしい。それは激痛だからなのか、もともとおかしいのか。何が大事なのか、人と思考がずれているようだ。しかしおかげでその痛みにこらえることができた。次なる試練はエコー検査だった。ヌルヌルとしたゼリーを胸とワキに塗られマイクのようなものでなでるように調べられる。モニターを見ながら真剣に調べる検査技師の手前ワキがくずぐったいので吹き出しそうだ。私は検査技師にそれを見破られまいと心境を隠すのに必死だった。それが終わったと思うと、医師からレントゲンや画面に映った物体が大きいので調べる必要があると言われ、針を刺す検査も勧められた。了承はしたものの、内心ドキドキだった。「ガツン」左胸に一瞬の痛みが走った。これはこらえられる範囲だった。検査は10日後の金曜日に分かります。と言われたカレンダーを見ると13日の金曜日だった。「ジェイソン・・不吉な・・」私はそう呟きそうになった。そして10日後、医師から結果は良性だろうと判断された。それから半年後の定期検診の日が来た。しかし残念なことに、そのしこりが育ち、3センチを超える位成長し切除する手術を勧められた。旦那をはじめ、親や話した友人や知人は皆心配そうに「手術がんばって」といった。私はその意味が手術台に上がるまでわからなかった。局部麻酔だし、痛みはないだろうし私は何もしないから何をがんばればいいというのか。良性だし、心配ないはずだがいや、私も逆の立場だったら同じことを言うのだろうか。しかし、1時間ほどの日帰り手術だしなあ、皆大げさな。。と思っていた。当日、病院に着くと、熱をはじめ、血圧だの酸素値だのいろんな検査をされたあと手術室に向かった。「37.1分、少し微熱ですね」と看護士は言ったが普段が35度台なので実は微熱ではないと思ったが具合は悪くなかったので黙っていた。大きなシルバーの自動ドアを抜けるとテレビや映画で見るような薄緑の世界だった。個室で着替えた後、手術室に入った。思ったより手術室は小さかった。そして横になった手術台も小さめだった。ここでも全身に心電図の装置をつけられ、両手足を軽く縛られた。なんだか不安になってきた。看護士さんに思わず「すみません、これは暴れまわるほど痛い手術なのですか?」と聞いてしまった。看護士さんらは笑いながら「大丈夫ですよ、手術台が小さいから落ちないようにしてるだけですよ」と言った。そして目の前にタオルかけみたいな白布の目隠しを置かれた。ほっとした。なぜなら見上げた天井のお花のようなたくさんのライトに自分の姿が映るからだ。担当の医師は若く、面白い先生。「Gさん大丈夫ですか?」とニヤニヤして聞いてた。「心の準備をしてて下さいね」と言って立ち去ったあと何が起きるのか怖くなってきた。医師が二人、看護士が3、4人のなか手術は始まった。姿は目隠しで見えないが声ははっきりと聞こえるので想像力は倍に広がる。麻酔はしているもののなんか感覚がある。おまけになんか焦げ臭い。え?焦げ臭い?目隠し布の向こう側に煙がたっていた。レーザーで焼いて処理するのせいなのか?目をつぶれば恐怖は倍になってやってくる。そう、これは歯医者の感覚に似ている。麻酔を打ってはいるものの、神経があるとこを切られたら怖いという恐怖だ。現になんだか、痛くなってきた。キリキリとした感じ。しかし私の恐怖とは無関係に白い布の向こう側では和やかに手術が進んでいる。時には笑い声さえ聞こえてくる。「ああ、おれ、指がやけどしそうだよ、水用意しといて」だとか研修の医師にやり方を見せてる感じだとかどうやら医師にとっては「簡単な手術」扱いなのだろう。しかし、しかしである。映画やドラマの世界の手術は患者は眠らされている。もしくは意識がない。盲腸の手術の時は全身麻酔だったから恐怖はなくとも呼吸困難で目が覚めた。だけども、今回、私は意識がある。意識がありながら胸の辺りを切り刻まれグイグイ引っ張られているのだ。「先生、ちょっと痛いです」私はとうとうそういった。先生は麻酔を1本追加した。あまりにも恐怖なので何か他のことを考えることにした。しかも上半身だけの手術と聞いていたのに心電図を付けるため下半身も看護士に見られたので恥ずかしかった。しまった、もっときれいな下着つけときゃ良かったとか次回手術することがあれば新しい下着を準備するべきだとかどうでもよいことを考えることでこの恐怖感から逃れようとしていた。それでもなんだかギリギリしてきた。え、もしかして痛いの、これ痛みかなそう思ったがぐっと我慢した。そしてグイグイ、ポンっと何か音がなった気がした。いや、実際音は立ってないが体のなかでそんな感覚が走った。それと同時に先生が「Gさん、取れましたよ~」と明るい声が聞こえてきた。「はい、音がしたのでそんな感じがしました」と私が答えると手術室は医師やら看護士達のワっと明るい笑い声が響いた。「ええ?音がした~」そんな感じでなんだか楽しそうに見えた。術後、何か質問ある?と聞かれ入浴やら食事やらのことを聞いたが本当は「タバコはいつから」と聞きたかった。大きな声で言うのが恥ずかしかったので看護士にそっと先生に聞いてくださいと伝えると先生は大きな声で「Gさん、タバコは病院出てからすぐにすえるよ~」と言った。他の看護士から「タバコやめてなかったんですね」と言われた。先生に以前聞いて局部麻酔だから大丈夫と聞いていたので禁煙していなかったが全身麻酔をする人は合併症をおこす確率が高くなるので手術をするとわかった時点で禁煙した方がいらしい。よかった。局部麻酔が効いて。先生がこれでしたと切除した腫瘍を見せてくれた。「うわっ」思わず大きな声が出た。手術では一度も悲鳴を上げないのを私の美徳としていたがそれを目にしたとき、心にたまっていたものが一気に流れ出たように感じた。目にしたものはまるで牛の角切りステーキの脂のようだった。3センチちょっとある四角い立方体だった。しかも固そう。「こんなに大きかったんですか?ろいうことは、これを取ったので50g位痩せますかね?」ととぼけて見せる私に「いや、痩せんよ。軽いけん」医師は笑いながらそう言った。先生の言うとおり、準備を含め1時間で手術は終わった。そして入院することもなく、休むこともなくそのまま歩いて帰れた。しかし、夜になりなんだか違和感を感じた。見ると左胸が腫れていた。赤ちゃんの断乳中のときのパンパンに腫れあがるあの痛みに似ていた。心配になり病院に電話するとさっきの医師が出て説明された。「野球ボールのように腫れてきたり、出血していたらまずいですがその状態ですと大丈夫でしょうがご心配ならハンカチで10分位押さえてみてください。」そう言われた。翌日になると腫れはひいていった。安心しているのもつかの間、翌々日に鏡をみて初めて気付いた。左胸の下が内出血で真紫になっていた。さすがにビビったが痛くはなかった。その翌日には左胸の上が黄色、下が紫だった。それをみて征一朗は「美味しそう」と言った。どうやら彼の小さな脳では「黄色いおっぱい」→カレー、「紫のおっぱい」→ブルーベリージャムを連想したらしい。翌日、検診のため病院へ行った。医師に胸を見せると「あら!内出血しましたね」と驚いていた。しかし問題はないらしく、1か月もすればこの色は消えるという。腫瘍の検査結果はまだ先のようだが、体はピンピンとしているので多分大丈夫だろうと思う。局部麻酔の手術は怖い。ガンバレは精神的な戦いをガンバレと意味していたいたのか。意味がやっとわかったと旦那に言うと「そうやろう、だからみんなガンバレっていうんだよ」とそう言って笑った。
November 30, 2011
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昨日、子供の学習参観だった。涼しい風が教室をかけめぐっていて、去年の暑い汗ダラダラの参観と違い過ごしやすい時間だった。授業がひととおり終わったので廊下に出て教室の中のセイイチローを見ていたら知らない女性が目の前に現れた。「あの、私、○○です」聞き覚えのない名前に一瞬困惑したがすかさず「こんにちは」とあたりなさわりない言葉を返した。幼稚園のころから、よくそうやって声をかけられる。向こうは子供を通してこちらを知ってるのだが、私が相手を知らないことが多い。すると、この前は息子がお邪魔しました的な事を言ったのでああ、あなたはもしかしてと思い「カタツムリもらってくれた○○さん!ですね」と私は言った。そう、今から一ヶ月前あたりに、セイイチローがでかいカタツムリを拾ってきた。私がアサリ以外の軟体系は受け付けないことを知っているセイイチローが気をきかして玄関に友人を呼んでそのでかいカタツムリをその男の子にあげたのだ。私はナメクジ以外にもカタツムリもダメ。あの、ツノと艶やかな身体がダメである。画像はさることながら絵本や教材などにに親切にもリアルに描かれたカタツムリもダメだ。こと軟体系に関しては想像力がより働きかける。「もらってくれてありがとうございます、助かりました。私、軟体系、本当にダメなもので・・」というとそのお母さんは「私もダメですよ。だから餌あげたら、サッと蓋かぶせますよ」って言った。え?一瞬耳を疑った。そのお母さんは私に言った。「まだ、生きてます」あ、あれから一ヶ月以上たつのにまだ生きていたか!しかも餌をあげて飼っていたとは。ご自身も軟体系ダメと言ったけど子供の為に餌を上げ続けていたのか。私はその方に深ぶかと頭を下げた。「すみません。。」いや、迷惑な話だっただろう。私が見たくないためにカタツムリを拒否し征一朗から泣くなくその子に渡り、そしてその母親が育てていたのだ。そして私は恐る恐る聞いた。「すみません、ちなみに餌とは何をあげるのですか」「きゅうりやにんじんです」以外に普通だな。でも想像したらおかしかった。その方は、子供のために毎日、カタツムリのかごをあけてはきゅうりを与えすかさず蓋をしめていたのか。その勇気と努力と愛情に一票。授業が終わった。私は懇談会に出席するか迷っていた。いったん、お手洗いに行き、教室に戻ろうとした時窓から涼しげな風の向こうにその方とお子さんとセイイチロウの3人が校門のところにいるのが見えた。ほほえましい姿だった。私はそのまま教室に戻り、懇談会に出席した。一ヶ月前の電話口ではわりと冷たい印象に思えたが今は、自分の気持ちを犠牲にしても子への愛情たっぷりな素敵な母親に見えた。でも、私には真似できない。せいぜい、人間の掌サイズの大きなヘラクレスの幼虫を素手で持ち上げ世話することでしか虫やセイイチロウに愛情を示せれない。そう思いながら、今日も玄関で死んでいた団子虫を外に向かって投げ捨てる私であった。
July 8, 2011
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前回の日記にも書いた我が家の家電友引き。とどまることを知らず、次々と現れる不幸。前回の日記で、最後に命のともしびを燃やしたオーブンレンジは遅く帰ってきた旦那のグラタンを焼いた仕事を終え、ひっそりとこの世を去った。私達はその現実を受け止めたくなく、何度もコンセントを抜いたり入れたりしたが戻ってこなかった。エアコンに引き続きこのような家電の負のスパイラルに巻き込まれ私は悲しみにくれていた。そしてその時間さえ、与えるのが惜しいのか運命は次の不幸を準備していた。翌日、ネットショップでどのオーブンを購入するか悩みこれだ!とキーボートボタンを押そうとした時に小学校から連絡があった。セイイチローくん、肩が痛いといって青くなって保健室にいます。喘息ではないと思いますが心配ですと担任の先生から連絡がありすぐに迎えにいった。保健室へ着くと泣き喚いたあとのセイイチローが青くなって横になっていた。保健室の先生たちが小児科へ連絡してくれていたが、あいにく昼休みでどこも開いてなかった。仕方なく、予約だけいれて一度帰宅した。しばらく横になってたセイイチローはだんだんと良くなってお腹がすいたと言いだした。突然のことだったので何も用意してなかったから仕方なく、味噌ラーメンを二人で食べた。こんな病人にラーメンはないだろうと思ったがラーメンを食べたあと、今までの状態が嘘のようにすっかり元気になった。その後、小児科へ行ったが、原因不明のまま、様子をみましょうということになった。その後、なんともなく「キツネにつままれる」感じだった。もっとも家の場合キツネでなく「貧乏神に包まれる」といった感じだが。そのごたごたでオーブンレンジ問題はいったん、闇に葬られた。その夜、旦那が帰宅した。その1件を話す前に「会社がヤバイ、失業しそうだ」といった。ふと気が付いたら貧乏神が増えていた。おそらく、双子だったのだろう。うす笑いさえ、聞こえてくる。うちのめされ、オーブンレンジは諦めた。それどころか、辞めるなら次のところを探すか私がフリーデザイナーをやめ、共働きをしなくてはいけないのか。おまけに暑く、眠れない夜を過ごした。とりわけ、職安で旦那の職業を探したらいくつかあったので少しだけテンションも上がった。だが、オーブンは旦那が落ち着いてからにしようと思った。ママはしばらくパン焼けないからねとセイイチローに言うと悲しそうだった。安いレンジならいくらでもあるけどそう何度も買い換えるべきものでないし、買うならちゃんとしたオーブンレンジが欲しかった。だからしばらく買わないって決めた。幸い、夏だからあまり温めなくていいしご飯は食べる分だけ炊けばよいし、解凍は二日前から冷凍室から冷蔵庫に移動させておけば解決する。そう、困る事なんてないのよって自分に言い聞かせた。オーブンレンジなんていらない。しばらく我慢しよう。そう決心した。次の日、小学校の広報委員をしている私はPTA新聞のデザインを任されていたので学校側との最終確認を頂く大事な日だった。出かけようとした10分ほど前から、突然の雷雨。雨風とともに激しい雷。傘差しても意味ないほど。その瞬間、電話が鳴った。「大丈夫ですか?」とお仕事中に関わらず広報委員のKさんから連絡が入った。「時間を夕方に変更すれば、学校まで送ってあげれるのですが」とありがたく言われたが、こちらの都合で学校側の約束を変更していけないと思い「大丈夫です、何があっても行きますからお仕事に集中されて下さい、私は大丈夫ですから」と伝えた。そしてレインコートと傘を持って玄関を出た。正直、雷に打たれる覚悟は出来ていた。打つなら打ってみろてきな、打たれも多分私死ないだろうし、かえって感覚が鋭くなり天才になれるかも。もしくは死んでも家族に保険がおりるし。でも、打たれて死んだら広報委員困るだろうな。せめて入稿してから打たれた方がいいかなと思いながら歩いた。すると、雷は遠のき、激しかった雨はしだいに落ち着き学校に着いたころにはすっかり止んでいた。力が湧いてきた。思い出した。私、逆境に強いんだった。反撃にかかろう。私の中に強い心が生まれ、なんでも乗り切れる気がしてきた。エアコン取り付け工事は午後から予定だった。学校との打ち合わせが終わり定刻通り業者さんは来てくれた。しかし雨の為、屋根上にある元の室外機を外すのに足元が濡れて滑り台状態で危険だからという理由で中止された。いくらなんでも1個人のエアコン工事の為に死人を出すわけにはいかない。仕方なく待望のエアコン工事を1日延ばすことになりがっかりした。ああ、落ち込んでる旦那をさらに崖から突き落とすだろうな。この日をどんなに待ち望んできたことか。それから1時間後だろうか。仕事をしていて何気に、貧乏神のうすら笑いを感じた。振り向くと洗濯機のあたりが変。床が神々しく光っている。いや、違う。水漏れだ。洗面所は水浸しだった。私は思わずつぶやいた。「洗濯機、お前もか・・・」前々から分かっていた。気付いていたのにまだ使えるって信じていた。洗濯機は半年前から脱水時に大暴れで時には数センチ前進していた。少量ずつ洗うことで一命をとりとめていたがその努力も忘れ、いつのまにか大量を洗い始めていたので怒ったのか、激しく前進する日々が続いていた。オーブン買う前にこちらなのか。一体、どこまで苦しめられれば気が済むのか。私は床を拭きながら、見つめながらちょっとだけウツになりそうだった。しかし、良く見るとホースの差し込み口から水が漏れている。どうやら原因は「洗濯機の前進のしすぎ」だった。その日は10センチほど前進していた。そのせいで差し込み口が緩んでいた。手で回すと口はしまり、水漏れしなくなった。どうやら救われた。その救いに気付いたあたりに広報委員のKさんから差し入れが届いた。うちの諸事情を知ってか慰めてくれたのだろう。昼間の心配の電話といい、なんてお優しい方。私は人には恵まれているなって心が温かくなった。差し入れのロールケーキは甘く優しく私の心を癒してくれた。その夜はさほど暑くは感じなかった。きっと感覚がマヒしてきたのだろう。旦那も長袖のヒートテックを着用して寝てるし二人ともデザイナーで感覚が財産なのにこの感覚すら、やられてきたのかなってぼんやり思った。なんか、どうでも良くなってきた。貧乏神がここで学校を開くぐらい増えても私が教壇にたち、できの悪い貧乏神は廊下に立たせてやろうかって思うくらいだ。そう思って翌日の朝前から欲しかったオーブンをアマゾンで格安でみつけてしまい気がついたら「1クリックで購入」ボタンを押していた。確認画面も出ず、「ありがとうございました」と返ってきた。キャンセルすることもできたがこれも運命だと思い、なすがままにしてみた。すっごく欲しかった分が今まで見た中で一番安かった。まあ、どうにかなるだろう。エアコン、テレビ、オーブンの買い直しに旦那の失業疑惑。しかしこれも不幸と思えば不幸だが考え方を変えれば新しい家電に囲まれ、モチベーションは上がるし今よりもっといいところに転職できるかもと希望的観測をすることもできる。「ピンチはチャンスの裏返し」ピカチュウのサトシはそう歌っていた。それが脳裏に駆け巡る。「諦めたら試合終了だ」スラムダンク安西監督の名言が脳裏を駆け巡る体重計に乗った。1kG痩せていた。なんかちょっとテンションあがってきた。その夜、会社に残り、仕事を続けることになったと旦那は言った。とりあえず、ほっと胸をなでおろした。激しい雷雨や凍りつく冬も身を焦がす夏もひとときの間。うちの貧乏神もそろそろこの家に飽きてくるに違いない。貧乏神は私の心が産んだ偶像。デジタル放送に伴いどうせ買いかえるなら大きなテレビが欲しいって思ったから暑い夏を乗り切るのに古いエアコンでは電気代がかかりすぎるって思ったからミスターマックスの新規オープン日にスチームオーブンレンジに心をときめかせたから旦那のお給料上がってほしいって思ったからすべてその心の欲求から生み出した悪魔がイタズラしたのだろう。「少しの心の緩みから引き起こる連鎖する不幸。」そう自分の名言に酔いながら台所の床をはわいていると前から使いづらいと感じていたチリトリがリアルタイムでパキッと割れた。
July 2, 2011
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今年は例年より一ヶ月早く潮干狩り。まだまだ寒い。上着をきておかないと風邪ひいてしまいそうな寒さの中今年二回目の潮干狩り。1回目は日曜にセイイチローと一緒だったのでセイイチロウが気になってしょうがなかった。まだまだ7歳の彼はこの寒さの中、水着で入ろうとするので上着をきせて浜辺にいるように言っておいたのに無邪気に私を追いかけ粘土質の砂にはまりぬかって動けなくなり「ママー」と叫び、転んではビショビショになり寒いと凍えた。風邪をひかないよう一度上がって着替えさ海に入らないよう言った。それでも海で捕獲する私のそばに来たがる。仕方ないので浜辺に近いところで掘ると面白いように獲れた。翌日の夜バター焼きにしたらすごく美味しかった。例年より早く獲ったせいか、アサリがデカい。それで火がついたのか、物足りなかったのか翌日ソワソワしてひとりでも行きたくなったが仕事が終わらず行けなかった。だが大潮の今時期、逃したくなく、この寒い中悩んだが仕事を片付け、昨日夕方1時間ほど獲りに行った。一人で気兼ねなく獲るつもりだった。浜辺では数人潮干狩りをしていて日曜よりうんと少ない。チャンス!そう思い、一人で作業開始。思うようにはいかなかった。海の中にジャブジャブ入って獲ろうとしたが砂が粘土質のように重く重なり、手を突っ込んだところにアサリがいない。しかたなく、浜辺近くで掘るといるわいる。アサリどころか赤貝までいる。だが、砂が重いのでまるで畑仕事のようにクマデをふりあげ一心不乱に探す私はまるで業者のよう。アサリにとり憑かれた変人。集中しすぎてまるで仕事。時給700円みたいな。。一人でくるとやはりむなしい。潮干狩りは楽しくあるべきだ。誰かと話しながら獲るべきだ。分かっているのに手がとまらない。寒いし、疲れるし気分悪くなってきて作業終了。約1時間過ぎで獲れた大物アサリは54個。赤貝5個。スーパーで買うと900円くらいかな。。やっぱり時給700円(笑)にごった海水をペットボトルにつめてるとおじさんたちがそれは何に使うのかと話しかけてきた。おじさんたちも沢山獲っていたので話してると外海の方の岩場で水を汲むと綺麗だよって教えてくれた。ここには二つの海がある。内海では潮干狩りに適し外海は波がすごい。その岩場にたまった水はすごく綺麗。その水をくみ上げ自転車に乗って帰っているとさっきのおじさんたちがいたので「お水汲めました。すごく綺麗です。教えて頂いてありがとうございました」ってお礼を言って帰ろうとしたら最後に「お疲れさま!」と言われた。ってやっぱ、仕事かよ!!
April 21, 2011
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久々に実家に帰ってきた。私の実家は静かな山の梺にある。バスは1時間に多くても2本、ないときすらあるのこの癖所は車がないと暮らせない。山のふもとにあるので1年中空気が綺麗。雨上がりは山のグリーンが際立つ。夜の星空は何の明るさにも邪魔されず真っ暗の中に星が光り、福岡市よりも数段に綺麗に見える。今はもう整備されてしまったが、家の前には柿畑があった。子供のころこっそりかくれんぼをしたり、雪が積もれば畑のちょとした坂のところでソリ遊びをして楽しんだ。学生時代は送り届けた友人から真っ暗闇に移る柿の木の不気味さがが「スラム街みたいだ」と言われたこともある。時折バス停までの抜け道としてこっそり通っていたこともある。私はここで30年近く育った。幼い頃は近所のにわとりに追いまわされ、公園なんてないから柿畑や川、小学校やお宮が遊び場だった。そのお宮の側に数ヵ月前からここににつかわしくない程お洒落なカフェができた。長い坂の頂上にあるお宮の側にある素敵な外観。アーチをくぐり、白い扉を開けると店内は白壁と木で温かみのあるお洒落な内装。通る度に気になり、姉といつか入りたいねと話していたがとうとう、旦那とセイイチローと入って見た。私は梅ジュースのソーダ割り、セイイチロウはアセロラのソーダ割り、旦那はアイスコーヒーを注文した。梅ジュースのソーダ割りが新鮮で美味しい!気さくで感じのよいスタッフの方は素敵な笑顔で話をしてくれた。オーナーは福岡の方で、カフェをだす土地は探してたもののなかなか見つからず、たまたまこっちにきた時には道を間違えてここに辿りつき、気にいって決めたそうだ。わたしはこの場所を選んでくれて、なんだか嬉しかった。そうしてるうちに2組のお客さんがきた。なにやらランチの予約をするために隣町から来た模様。どうやらこのど田舎の素敵なカフェは少しずつ広まっていっているようだ。ランチは1日限定20食らしい。雑貨コーナーもある。ケーキも美味しそうだ。今度は小学生のころの仲間と行きたいと思った。昔の話に花を咲かせて。cafe le Cing(カフェ ルサンク)福岡県久留米市山本町豊田2332-1http://www.le-cinq.com/
May 17, 2010
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帰りの車の中、後悔の嵐だった。「ああ、貰っとけばばレンタカー修理代になったのに」と旦那が嘆いていた。私は車の中で始めて詳しい状況を聞いた。え?あの四駆に轢かれそうだったの?タイヤが目の前を轢いたの?相手はあなたが見えなかったんだ・・状況を聞けば聞くほどがっくりくる。旦那は「人が良すぎる」と私に言った。私も人が良すぎたなー。迷惑料一万円貰っとけばよかったと後悔した。でもでも、やっぱり私も悪い。だからあのお金は要らなかったんだ。二千円も貰ってるし私は自分にそう言い聞かせた。「ここでお金を全額受け取っていたら自分達がそうなったとき同じ目にあうよ。1万円受け取らなかったからきっとレンタカーが修理代が1万円で安く済むかも知れないよ」と旦那に言うと旦那は「わからんやん、3万円になるかもしれないだろう。そうなったらどうするの」と嘆く。どんよりとした車の空気と窓ガラスで仕切られた向こう側の空は青く、そしてうだるような暑さだった。レンタカーの期日は明日だし、気分を変えてこのまま北九州の恐竜博物館まで行こうかと旦那は言った。そうね、電車で行きなおすと交通費またかかるしねと言ったがなんか又、嫌な予感がした。行きはこのまま旦那が運転していくと、疲れと精神的に落ち込んでるから事故を起こすかもしれないし帰りは私の運転でぶつけるかもしれない。考えを整理したかったので一度久留米の実家に寄ることにした。このまま福岡に帰るより休憩を置いたほうがいいと思ったからだ。母に電話したあと、よく考えると時間が足りない。旦那はそのまま北九州へ行ったほうが良いだろうという。母に「やっぱり、そっちには寄らない」ともう一度連絡すると非常に残念そうにしていてご飯の用意とかしたというので北九州へ行くのをやめて実家に寄る事にした。旦那がひどく落ち込んでいるので事故でもおこしたら怖いと思い私が運転を変わった。でもその方がもっと怖かった。私の運転が危ないことは旧友の中でも有名だ。高速に乗ると緊張し妄想が襲う。途中で眠くなったらどうしようとか。なんか同じ風景を繰り返すと吸い込まれそうな気がして怖い。「俺はもう寝る」と後部座席に回った旦那がそう言っているにも関わらず私はしきりに話しかけ、なんとか眠らずに高速道路をきりぬけることが出来た。ドライブインで会社と母へお土産を買った。阿蘇に行ったわけでもないのに「阿蘇チーズケーキ」を買った。私の勤務先は皆様、甘くて美味しいものが大好きだからこの際、どこに行ったろか関係ないだろう。実家に着くと母に一部始終を聞いてもらった。そして美味しいものを食べさせて貰い旦那やセイイチロウは喜んだ。私は先ほどの汚れた衣服をここで洗った。少しでも早い時間に洗ったほうが取れるだろう。大量の台所洗剤の原液を衣服にかけこすったら取れてきた。ファンデーションは衣服にびっしりついていた。今は人間関係がこじれた方から仲が良い時にお土産に頂いていたものだったのでその人の恨みなのか嫌がらせなのかと思うほど所々にびっしり付いていた。念入りに洗ったことで汚れは綺麗に落ちた。それを見ていた旦那が「お金というより手間がかかるね」と苦笑した。旦那は旦那でほかのものについた汚れをティッシュでふき取ってくれていた。いろんなものが割れていた。でも、そろそろ捨てようかと思っていたものばかりだったのでふんぎりがついて良かったのかもしれない。化粧ポーチも駄目になっていたので母がかわいいポーチをくれた。私は人生に恩を売った、きっといいことがあるに違いないよと自分にも旦那にも言い聞かせた。母もうなずいた。「きっとこの先、あんた達にいいことが起きるよ。そこで目先のお金を貰ったとしてもこの先、自分達が同じ目にあうかもしれないよ。それで良かったとよ。」母はそういった。いい事を言うな、やっぱり母だなと思ったが二週間後に姉から聞いた言葉はあまり同情心がなく、おかしいなと思ってよく聞いてみたら「バックを人に足で踏まれたらしいね。」と言った。母は車でなく人に踏まれていたと思ってたらしい。巨人が踏まない限りそんな状況にはならないだろう。母は何を聞いてそんな勘違いをしてその言葉を言ったのだろうか。そしてそれからだろう。ちょとした運が私についてきた。朝の勤務時間に信号でひっかかる事がほとんどなく仕事先でもいいことが起きた。何回引いてもあたらなかったスーパーのくじ引きで当たったり、日常生活でちょとしたいい事が起きるようになった。会社の人たち事件を話すと私なら三万円は貰ってるとか笑われたが一人だけ「こっちも悪いからそれは貰えないよね」と言った人がいた。今ではこの出来事は旦那と私の中では笑い話になりつつある。気になったレンタカー修理代は予定の額より安くも高くもなく二万円だった。後で知ったがあの時、あの時間帯で鳥栖から福岡までの間で事故があり通行止めになっていたらしい。もし、あの時バック事件がなければ私達はそのまま北九州方面に走り、事故に巻き込まれたかも知れない。もしかして助けられたのかも知れない。そう思った。今思えば、車をぶつけたことも車に引かれたことも何かの教訓だったのだろう。私達はそんな苦い思い出も忘れ又来年はどこに行こうかと来年のキャンプに期待を寄せている。
August 10, 2009
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私の夏休みのはじまりは熊本県の山鹿にある奥矢谷渓谷キャンプ場きらりでスタートした。雨を心配し、素敵なキャンプ場についた途端に車をぶつけるなど様々なアクシデントをぬぐうかのように楽しいウォータースライダーやぽっちゃりとして目がつぶらでかわいい10歳の男の子「博士」と出会ったり美味しいバーベキューや朝ごはんで満喫したはずだった。旦那がチェックアウトしてる最中私はトイレに行きたくなり、道路の脇の広いアプローチに荷物を置いてトイレに行った。旦那に荷物を見て置くように言ったが嫌な予感がしていた。そういう時はすぐにどうにかするべきなのだと改めて思った。私がトイレから戻ると知らない女性と旦那が私の大きなバックから色々出して何かを話していた。慌てて駆け寄るとバックの中のものが色々出され私の下着まで観賞できる。そしてバックの中は一面肌色に染められていた。一瞬何か分からなかった。何が起きたのか??よく見るとそれはリキッドファンデーションだった。化粧ポーチがグチャグチャになり衣服やあらゆるものにびっしり付いている。旦那に問うと「車に轢かれた」という。そばには大きな四駆車があった。誰かまだ乗った状態だった。どうやらその女性が運転していたらしく旦那がバックの整理をしている時に目の前寸前をこの大きな車のタイヤが横切り、バックをズカンと踏んでしまったらしい。一瞬バーンと何か破裂する音が聞こえたそうだ。旦那の手からほんの何センチか前をこの車が横切ったのだから下手すると旦那も轢かれていたかもしれない。怒った私の旦那が窓を叩き「おい!何やってんだ」と叫び運転していたその奥さんが慌てて出てきたようだ。「本当に申し訳ありません、連絡先を教えて下さい」彼女は謝っていたが私の頭は真っ白だった。バック、衣服、中のいろんなものがファンデーションだらけポーチの中の化粧品はバキバキに折れている。後で知ったが買ったばかりのセイイチロウの浮き輪も破損。どうやら破裂音の原因はこれらしかった。私のペンケースも破損。化粧品関係ほとんど破損。ただ、不思議なことに貴重品バックは別にしていたせいか踏まれておらずカードや通帳関係は全て大丈夫だった。ペンケースの中の大事なものも無事だった。どうやら化粧品ポーチを一番上に置いていたため衣服関係は駄目になっていたが貴重品は守ってくれていたみたいだ。しきりにその女性が誤るのが私は自分もその場所に置いていたことが一番悪いと思った。たとえ道路でなくともアプローチだから車が横切らないとは言えない。しかし旦那がいるにも関わらず確認をせずに横切ったその方も不注意だ。下手したら旦那を轢いている。でも私はそのときは旦那が車に轢かれそうだったという詳しい状況を知らなかった。だから私の旦那もいたのに荷物を守れず何をしていたのかと思った。だからその女性が連絡先を教えて下さいと言ったがいいですと断った。しかし女性は「また化粧品を買いなおさなきゃいけないでしょうから」といい、一万円を渡してきた。一瞬私の中の悪魔が「一万円あればレンタカー修理代になるじゃん」「どうせ、ファンデーションはもらい物だし、洋服は洗えばなんとなるしさ」と囁いた。「いやいや、ここに置いたあなたが悪いのよ。バックは階段の上に置くべきだったのよ、ましては貴重品バックもあったんでしょ、不注意よ」私の中のまともな天使がそう押し切った。悪魔と天使が葛藤している中女性の謝る声が耳に何度も響いてくる。この人、帰りの車の中、ご主人に怒られるんだろうな。楽しかったはずのキャンプが一瞬で嫌なものに変わるし家族も嫌だろうな。そう思った。「いいえ、いりません。」私も旦那も断った。「私もここに置いていたのが悪いですしキャンプに来たのに嫌な思いをして帰られるのは気の毒です」と言った。しかし、奥さんは「私の気が治まらないので受けとって下さい」としきりに言う。ここは頂いたほうが相手もすっきりするだろうと旦那が言い、私に任せるという。「じゃあ、気持ちだけ少し貰いましょう」と言った。その半分貰おうかと言おうとしたが万札以外には二千円しかないのでというので二千円で結構ですと言った。これで足りるのですかと奥さんは言ったがそれで十分ですといい、二千円を頂いた。
August 10, 2009
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目が覚めたのは何時だったのだろう。早朝だろうなと周りの状況から感じ取った。それぞれのテントでは朝ごはんの支度をしているようだ。周りから聞き取れる声でそう感じた。夜と違い、山の朝は涼しい。テントを空けるとすがすがしい光景が目に飛び込んできた。木々の緑に朝日がさし、風が爽やかな空気を運んできた。そんな中、私とセイイチロウはカブトムシを探しに出かけた。案の定、どこにもいなかった。夕べ、となりの騒がしい若者のテントにカブトムシのメスがいる!!と大騒ぎしていたのが聞こえたが、カブトムシはどうしてここには来てくれなかったのだろう。世の中の無情を感じた。いろんなとこを歩いているといろんな光景が目に入る。グループで来ている子供の団体が朝からせわしく蒔を燃やし朝ごはんを作っていた。このグループは夜遅くまでケビンで大騒ぎしていた。12時近くまで小学生が騒いでても誰も注意してなかったことからきっと学校の行事ではなかったのだろう。昨日の騒いでいた若者も、もう起きていた。さすがパワフルである。まだ寝てる旦那をたたき起こし朝ごはんの支度にとりかかった。蒔がないので炭で飯ごうをたいた。炭焚きのご飯でおにぎりをつくり、余った野菜と塩で漬物やサラダをつくり、持ってきた即席味噌汁を食した。美味しい。簡単でシンプルな朝ごはんなのにシチュエーションが変わるとこんなに美味しいんだ。炭がまだ消えないのでお湯をわかし、コーヒーを入れた。これがまた美味しかった。ある程度片付けを済ませチェックアウトまで時間があったのでまたウォータースライダーへ出かけた。すると昨日の博士がいた。「おお、また会ったね」と博士はいった。博士のそばに中年の女性がいた。世話をやいていたので一目でこの方が博士のおばあちゃんなんだと分かった。挨拶をして「いろんな事知っててすごいですね」と言うと「この子は本ばかり読んでて変な知識ばかりなんですよ」と苦笑いをしていた。博士とはまたお話をしたりセイイチロウと三人で競争したり遊んでいるうちに時間が迫ってきた。博士に「もう、帰らないといけないからごめんね」というとあっさり「うん、じゃあね」と言ったが寂しそうだった。しかし、もういちど、高いところから滑って帰ろうと思い一度上まで上ってスライダーを降りてくると博士が次のターゲットであろう若いお姉さま方の浮き輪ボードに体を浮かべ幸せそうにしていた。うん、あんた、どこでも生きていけるよ。プールから引き上げ着替えてチェックアウトした。旦那がチェックアウトの手続きをしている間に私はトイレに行きたくなり大きな荷物とやバックを置いて旦那に荷物をみておくように伝えてからトイレにいった。そのときにとても嫌な予感がした。道路ではないけどもレンガの広い場所に荷物を置いたからだ。そしてトイレから帰ってくると予感は的中した。私の荷物の周りに旦那と知らない女性がいてバックからいろいろ取り出している。下着まで見える。何、何がおきたんだ??私は旦那とその女性に近づいた。そしてそこで目にした光景を見て唖然とした。
August 10, 2009
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ウォータースライダーで元気になった旦那とセイイチロウとバーベキューの支度をはじめた。炭をおこし、お肉や野菜を焼いた。なにせノンアウトドアの私たちですからバーベキューのやり方がうまくいかない。肉はすぐ焦げるし串は燃えるしハンゴウの中の米は焦げていたそれでもやはり炭で焼いたお肉は美味しかった。だいぶ慣れてきておいしく頂けるようになった。ビールを飲みながらコテージでぼーっとしていた。斜め上の広場では若者がバーベキューをしていた。男女8人くらいいるのにいま一つ盛り上がってなかった。なぜだろうと問う私に旦那はおそらくコンパじゃねえの?と言っていた。キャンプにコンパ??いきなりですか?誰かカップルがいる感じでもなかった。たしかに静かすぎる。会話がないかんじだった。斜め下のテントには4人家族がいた。5時位の夕食の準備の時からその家族は四人で薪を燃やしていた。その後そこを通るたびにその家族は何かを焼いて食べていた。通っても通っても何かを焼いていた。はじめはハンゴウを次は肉を次はシイタケをその次は焼きおにぎりだった。4時間ほどたって暗くなり私たちが花火を終え寝る準備をしていた時もまだ何か焼いて4人で食べていた。よく食べる家族だなと思った。食事が終るとセイイチロウと虫探しを始めた。いくら探し回っても虫一匹みつからない。何も採れなかった。カブトムシはいったいどこに?仕方ないからそのまま花火をした。広い草原で花火は綺麗に広がった。その夜はすごく寝苦しかった。暑いし。2時間くらい寝てからだろうかやたらと外が騒がしかった。騒がしくて目が覚めた。どうやら先ほどの盛り上がらないコンパ連中に火がついたのか今頃になって一気に盛り上がっている。若者だから夜中に騒ぐのは仕方ないがうるさくて眠れない。セイイチロウも何度も目を覚ます。眠れなくなったのでコテージに出て残ったビールをあけた。隣で騒ぐ若者には旦那が注意しにいったら意外と素直に聞いてくれた。やっと静かになったので寝ようとしたがまた寝付けない。旦那は頭が痛いといい先にテントに入った。寝付けないのでシャワーを浴びに管理棟へ行った。空を見上げると一面の星空だった。福岡から遠く離れ、こんな山の中で全くいつもと違った時間をすごす、そんな時間が私にとって必要な時間だったのかもしれない、そう思った。翌日おこるであろう悪夢に気付きもせずに。
August 10, 2009
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奥矢谷渓谷のキャンプ場のメインイベントのウォータースライダーのその上には深い滝壺がある。深さは約2M以上あるらしく、水はものすごく冷たい。その滝壺より1.5Mくらい上から勇気ある者だけが滝壺に向かって飛び降りていた。眺めてるとそうでもないがそこから飛び降りようとすると恐怖だった。だけど怖いもの見たさでそこから飛び降りたい気持ちもあった。飛んだら何か変わりそうな気がして。(そんなはずはない)飛び降りる場所は二つあった。そのどちらかから交互に飛んでいる。思い切ってそこに立つとああ、高い。やはり高い。岩からのぞく滝壺は青く緑がかっていて深そうだった。ここに立つ度にいろんな想像力が私を襲った。もしここから飛んで足がつって泳げなかったらとかコンタクトレンズがショックで飛んでしんまったらとか飛び込んでそのまま沈んでしまったらとか・・・いろんな思いがあったが思い切って飛んだ。ザッブーン、コンタクトをしているので水の中では目を開けなかったがなにさま足がつかない深さなので慌てて水面上に出る。でも、気持ち良かった。何か吹っ切れた感じ、達成感というか。たくさんの子供や若者が飛び降りる中飛び下りているオバサンは私一人だった。周りを見渡すとママ達はみな服を着てカメラを持って木陰で休んでいた。私だけ?旦那も飛び降りた。あわてて泳いで陸にあがろうとしていたが平泳ぎが苦手な夫はクロールで陸まで泳いだが最近肩を壊しているため無茶な泳ぎ方だった。溺れるかと焦った。「博士」は滝壺まではこなかった。彼はいつも三段階あるウォータースライダーの中くらいのところで一人遊んでいた。博士とは前回の記事に書いた通り10歳くらいのぽちゃりとした男の子で私に声をかけてきた子のこと。「それ水着なの?」博士は私のTシャツを掴みながら訪ねた。「そうだよ」「ふーん。ねえどっちが早いか競争しようよ。」彼は何度も私と競争したがった。男の子なので頭から滑ったりする。何度も滑ってるうちに太ももから滑るとかなりのスピードが出ることがわかった。セイイチロウはひとりで嬉しそうに滑ったり、パパと遊んだりしているので私は「博士」と遊んだ。博士は物知りで少し変わっていた。「世界で一番早い車のエンジンは何か知ってる?」とか「もうひとつのタイタニックって知ってる?」とか「赤い炎と黄色い炎の違い」など私が知らない話ばかり聞いてくる。聞くと博士は東京の子で夏休みに祖母の家にひとりで預けられるらしい。そして親は預けたまま東京に戻るそうだ。彼は小学1年生の頃から本ばかり読んでいるという。だから雑学の知識が半端でない。そりゃ同級生とは遊びたがらないだろう。というか相手にされないのかもしれない。ちょっと可哀そうに感じた。私が一番上のスライダーに行こうとすると博士は理由をつけて行きたがらない。はちが飛んでくるから嫌だとか。理由は分からないが中段から下のスライダーしか滑りたがらなかった。博士と競争しようとすると博士は「話をしようよ」といい大人顔負けで知識自慢話を永遠とするのだった。将来はどんな大物になっているであろう。あまりにも話がわからないので旦那を捕まえ話をふると博士の大人顔負けのマニアックさに旦那は驚き苦笑していた。寒くなってきたのでまだ遊びたそうな博士に別れをつげ私たちはテントに戻った。
August 9, 2009
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涼しげな森林の中そびえたつグリーンのテント村にはいろんな家族がいた。私達の近隣には4人家族や若い男女グループなどがいた。少し離れたところには大きなケビンがそびえたつ。そしてここのメインイベントでもあろうウォータスライダーがありそこではたくさんの子供や若者が滝つぼに飛び込んだり、三段階のウォータースライダーを楽しんでいた。旦那がぶつけた車は相手が石だったので保険にも入っていたため2万円程で済むであろうとレンタカーの方は言っていたそうだが私達にとっては痛い二万円。しかしこんなしょっぱなから落ち込みたくはないのでとりあえず、忘れよう、帰ってから落ち込もうとしょげる旦那をなだめ、プールで楽しむことにした。旦那がやらなくても私がぶつけたかもしれない。ここに至るまでの山道は急で細かったからもし私が運転していたら何かやらかしたかもしれない。荷物をテントまで運んだ。テーブル付のコテージにテントの中には電灯まである。私が子供のころや若いころに行ったキャンプ場のテントはごつごつした地面にブルーシートを引いたものだったのでなんて便利になったものだと思った。外には電源まである。管理室からバーベキューセットや炭、カセットコンロをかりてきたがあまり意味がなかった。なぜならば各テントごとにブロックがありそこに網さえあればバーベキューも可能でありカセットコンロ用にもってきた鍋は小さくてコンロの上に立たなかったからだ。キャンプ初心者だから仕方ない。今まで連れられていったキャンプは数回あるが自分で計画してキャンプに来たのは初めてだった。気をとりなおして水着に着替えウォータスライダーへ。旅の恥はかき捨て。その言葉のとおり私はこの体型のくせに亡き姉から10年以上前にプレゼントされたハワイ産のレインボーカラーのビキニを初めて着用した。もちろんその上にTシャツを着て。またこの水着が外人用なのか股上が深くとてもそのままで着こなす勇気がなかった。ウォータースライダーは思ったよりすごかった。三段階に分かれており一番上はスピードが出て楽しかった。ここでは子供に返り何度も何度も滑った。先ほどの勇気ある水着を着用していたため私はとある子供を弾きつけてしまったようだ。「水着あがってるよ」お尻のあたりがめくれてる私の水着を指摘してきたのはポッチャリとした10歳の男の子。ここでは博士と名づけよう。どうやら博士からナンパされたようだ。つづく
August 9, 2009
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お盆休みに有給を使い、久々に長く仕事を休んだ。仕事の関係上、金、土が休めないため日~木、そして土日と休みをとりセイイチロウの幼稚園最後の夏休みを共にすごしたかった。なぜならば、フリーで仕事をしていた時は夏休みであろと幼稚園の園外保育に夕方まで預けていた為今年が彼にとって初めての夏休みでもあり幼稚園で最後の夏休みでもあるからだ。私に代わって旦那がフリーで仕事をしているので彼は自由が利く。ってことで私の休みに合わせ彼も夏休み。忙しい職場の空気を読まずに一人夏休みへ(笑)第一弾はキャンプ。熊本県の「奥矢谷渓谷キャンプ場きらり」へ。この日のために何度も天気予報を調べたりキャンプ場をピックアップしたりレンタカーを押さえたりキャンプ用品を買ったりワクワクして準備していたにも関わらず朝から小雨が。。しかも降水確率60%。キャンプ場に連絡すると翌日の変更は予約がいっぱいで変更できない。私の休みは限りがある。レンタカーは延長はきくけど変更はきかない。キャンプ場事態を変更はできるけどどうしてもそこに行きたかった。旦那と話し合った上、二人の決断は「行こう、どうにかなる」。そして出発。計画していた出費では旦那が勘違いしてETC専用車にしてなかったので高速代もまともにかかるだろうと予測していたがそこのレンタカーは全てにETCがついていたらしくETCが使えた。車ももってないくせにクレジットカードを作るときにETCカードまで作ったいたのでこのカードが無駄にならずに済んだ。普段車に乗らない私達は都市高速までETCが使えたことに感動。昼食に玉名インターでラーメンを食べた。ここのラーメンがまた旨い。満腹になり出発。すると先ほどの雨がうそのように快晴。ラッキー、そしてETCは福岡姪浜から-熊本の菊水インターまで950円!!!(多分)やったーと思いつつキャンプ場へ直行。キャンプ場へつくとチェックインの時間より早かったが親切なことにもうテントに入ってよいという。ラッキー!!そしてテント近くまで車うぃ移動してよいですよと管理人が言ってくださるので良かったねーといいつつ車の移動は旦那に任せ、私はレンタル用品を選んでいた。バーベキューセットなどを借りテントに向かうと森林の中にコテージつきの広々としたテントがあった。気分爽快に草むらに足を踏み入れ私は自分のテントに向かった。これから楽しい二日間をあれこれ考えながら。テントに着くと旦那が車の中から何か叫んでいる。何?パクパクしている口の先から読み取れた言葉は「ぶつけた」グレーの空模様は素敵な青空へ。そして私達の顔色も真っ青に変化を遂げた。続く。
August 9, 2009
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日前、観葉植物と同じ鉢の片隅にに不気味なキノコが生えていたことに気がついた。その異様な姿は時をさかのぼった。昔の彼氏が広島に帰っていた不在中に私は彼の家に掃除に行った。その時に発見した、生ゴミの袋から異臭とともに30センチほど成長したキノコの姿が私を釘づけにし言葉にもならない恐怖が私を襲った。それをこの15年近く忘れていたのだが観賞植物の片隅に生えたキノコを見て突如思いだした。あまりにもキモイので思わずすくって窓から捨てた。そしてそのキノコは翌日玄関の近くで干からびていた。それから数日、またもや同じキノコがこれでもかというほど黄色く、そして数を増やしてきた。無数に広がる小粒のキノコS。数で勝負ってか。私は無言でそれらを土ごとすくい、今度はビニール袋につめてゴミ箱に捨てた。それから数日の間、ヤツは姿を見せなかった。良かった、ちょっとほっとして観賞植物から目を離していた。しかし、昨日の朝、セイイチロウが「ママ、この黄色いのなあに?」と聞いてきた。もしや。。観葉植物は一階の玄関ににつながる階段に少し広い場所に置いてある。私がドアを開けてその観賞植物を見下ろすと二階からでもハッキリと分かるほどの原色の黄色のキノコが小指ほどの大きさで顔を出していた。あまりの自己主張のすごさに呆れ今度は抜かずに観察することにした。5時間後、私が出掛けようとした時にそのキノコに異変があることに気づいた。何かが違う。そう、大きくなってる。ええ?こんな短時間で成長するものなんですか?驚いたが忘れて出かけることに。そして約4時間後、外から帰って鉢を除くとなんとヤツはカサを開きかけていた。ええ??こんな短時間でこんなにでかくなるのか!!!あまりの急成長に不気味さを感じ、思わずシャメを撮る。そして二時間後、キノコはカサを開いていた。気になって寝れなかった。どうしよう、明日になって30センチくらいに成長していたら。ああ、変な胞子をまかれたらどうしようとか妄想は膨らみ、何か生まれてたり多数に増えていたら・・などと旦那と話しながら眠りについた。朝方、黄色いキノコはさほど大きくはなってなかった。時間がないから気にせずそのまま会社に行った。会社でもその話になり、皆で、それは食えるのか、数時間でそんなに成長するのならキノコ栽培は儲かるのかなどど話していた。そして帰宅の時間になり、そのころになるとあの不気味なキノコを見るのが楽しみに変わっていた。玄関のドアをあけ、まっさきに観葉植物を見た。あれ?いない。「キノコは?」私が二階にいる旦那い叫ぶと「萎れて死んだ見たい」見ると朝の勢いはどこへやらヤつはしぼんで縮んでいる。えええええええ???あなたの存在意義は?あなたはなぜ生えて来たのですか??あまりの成長の早さとはかないその黄色いキノコのその人生に人間の悪徳政治家の一生を垣間見た。早く萎れてくれてほっとした。しかし、あんなに不気味な存在に感じたキノコに早くも情が移ったのか彼の勢いある人生、そして先細りのはかない人生になんだか虚しさと残念な気持ちになんだか複雑な気持ちで私はキノコを見つめた。
June 29, 2009
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先日、疲れを癒すために地元の温泉に行った。そこは天然温泉と岩盤浴で有名でとても綺麗な施設で食事もできて1日楽しめる場所。セイイチロウは最近温泉が大好きで冬の寒さで公園に行けない休日などは銭湯や温泉に連れていくのが最近の私の楽しみである。しかしながら、節約生活をしてるのでそうしょっちゅうは行けないわけでその日は我慢しようと思い、近くのショッピングセンターのゲームコーナーに連れて行った。子供が遊べるスペースは30分で500円!高い!温泉にいけるではないかと思いその辺の100円ゲームでちょっと遊ばせて帰ろうと思っていたらセイイロウ、味をしめてあれもこれもやりたがり、結局800円の支出。ああ、それならば温泉にいっときゃよかったなあと思っていたら今度はお腹すいたと言い出しまたまた出費。最近外でも働いているのでまあ、週に一回しかゆっくり遊んであげれないからたまいはいいかと思った。セイイチロウは「ママ、なんか欲しいものがあったら買っていいよ」といっちょまえな口ぶり。見渡すとバーゲンがあってるではないか。最近まともに子供服買ってないなと思い思わず見つけた可愛いパーカーを購入。すっげー可愛いので一目ぼれ。それで満足のはずだった。しかし家路についたのが3時前。すっごい中途半端なのでじゃあ、公園に行こうかと促すと「せいちゃん、温泉に行きたいかも」と言い出した。来週でいいじゃないと言うと泣きそうな顔でどうしても行きたいという。そうね、私も疲れてるしと思い最近評判の波葉の湯までわざわざ、地下鉄、バスを使い行ってきた。おお、これは良い!少し白濁したお湯はまさしく温泉。しかも広いし、深い露天風呂もあるし個別の五右衛門風呂みたいなものもある。セイイチロウも大喜びで二人でゆっくりお湯につかった。とても幸せだった。ああ、疲れが取れる。セイイチロウはこの日2回もママを間違え他人の女性に抱きつこうとして笑われ、「かわいい~」と言われ恥ずかしいと私に泣きついてきた。マジなのか作戦なのか私にはわからない。しかしその姿に癒された。そして喜びもそれまでだった。どうやら私の贅沢はこの時間までがタイムリミットだったらしい。着替えのとき気がついた。自転車の鍵がないことに。しかもスペアもとうの昔に紛失。ポケットを裏返そうがバックをひっくり返そうがどこにもない。ここから先は不安の時間をさまよう。私にリラックスという幸せは与えられないのか。今までの幸福感はなんだったのだろう。自転車の鍵がないということは駅におきっぱなし→翌日にでも駅の監視のおっちゃんにシールを張られ、持っていかれる。→2000円の徴収。もしくは20分も自転車を抱えて家まで運ばねばならない。そして新しく鍵を付けなければならない。それも切断して取り付けだから結構かかるだろう。不安の闇が私をまとう。駅に着いた。自転車はあるものも鍵はない。駅に問い合わせても先ほどの温泉に連絡してもまったくない。駅員がありましたと言ってきたのはまったく違うカギだった。どんよりとバスで帰る。旦那に話し、落ち込んだ私を見てじゃあ、あとで一緒にとりに行こうと言ってくれた。セイイチロウは一部始終見ていたのでいつもならママと寝ると言ってきかないのだがこの日は「せいちゃん一人で寝れるからね」といって気を遣ったのかすぐ寝付いてくれた。ちょっと大人になってくれているようだ。夜中二人で自転車を取りに行った。灯油を運ぶ貨車をひきずりつつ。どう考えても普通じゃ考えられない形状で後輪を貨車に乗せ家まで運んだ。その様は自転車泥棒さながらでどういう形状で貨車に後輪が乗るか10分以上考えた上、途中落ちたりして何度も何度もやりながらなんとか力を使わず運ぶことができた。途中でパッコンパッコン音が鳴り始めた。どうやら旦那の足元から聞こえてくる。そのうち、それが靴底から聞こえてくることにきづいたとき、靴底は旦那の足元から離れた。「貧乏まっしぐら!!」旦那はそう叫んだ。靴底が取れた旦那は片足だけが低くてひょこひょこなりながら歩いた。不幸だったが面白かった。なんか笑いながら運んでいると10代に戻った気分だった。翌日、自転車屋に連絡するとひきとりにお金がかかるというので一人で運ぶことにした。ここから20分ほどある距離をまた運ぶのか。貨車にのった自転車は3分で車輪が落ちた。それを悪戦苦闘しながらとうとう紐でくくりつけ灯油缶の貨車にくくりつけて自転車まで運んだ。幸い車が少なかったので助かった。自転車屋さんに着くと店主から「工夫されてきましたね」と感心された。かかったお金は1890円。意外と安かった。5000円くらいするかと思っていた。カギ切断に10秒。取り付けに5分もかからなかった。さすがプロである。今回鍵は3本もつけてくれた。もう、二度となくさんめーと心に近い灯油缶の貨車を後ろカゴにのせてカチャカチャ言わせながらもスムーズに自転車を漕げるのにささやかな幸せを感じた。
February 6, 2009
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記事を書くのは久しぶりである。お客さん関係、ちょっと知ってる人などあまりにもいろんな人に知られすぎて本音記事を書くの忘れていた日々だったが最近さぼっていたせいか皆さんはたぶん足が遠のき読んでないと勝手に判断しこれは本音で書かせていただく。まあ、見られてもかまわない。私はこういう人だと知ってもらった方がいいのかも知れないし。先週のこと、福岡市内のやや、新しめのお風呂屋さんでセイイチロとお風呂。ジャグジー、檜風呂、スチームサウナなどで気分よくした私は久しぶりに外食を提案した。いつもなら、もったいないからと言う旦那も今日はいいよとOKしてくれて近くの生ビール300円の店で待ち合わせ。外食と言っても安い居酒屋。そのかわり気軽に飲めるし少々、子供をみてなくても大丈夫な感じの店。はじめは席の後ろがわにいたお客のお子さんがセイイチローと遊んでくれていたので旦那と二人で飲んで食べお酒も回り、気分よくなってきたころその子供が帰り、セイイチロは一人になった。はじめは見ていたが騒いだりする子ではないのでだんだん旦那と話に夢中になり放置状態。これは親として反省するところである。セイイチロは一人でトイレに行ってかえってきてチョロチョロし始めた。ちょっとヤバいからそろそろ帰ろうかということになり靴を履いていたところ隣の酔っ払い顔つきはヤクザのようなガラ悪いおやじが絡んできた。旦那に「親がそんなんだからこんなバカな息子になるんだよ」と言ってきた。旦那「は?なんすか?」もう、やめなよ、引きとめようとする相手側の奥さんを無視しなお絡み続けるオヤジ。あ。。やばい、私は見たことないけど旦那切れたら怖いらしい。警察ざたになったらどうしよう。もう、帰ろう、と促し早めに支度していたら「こんなバカ息子、親のしつけが悪かったい」旦那「すみません。。」と謝った。しかしなおセイイロウにも絡むおやじ。男「親がこうやけん、こんなバカな息子なんだよ、将来もみえとるね」ひきつるセイイチロウ。その瞬間ブチッそういう音が耳元に聞こえるのは本当らしい。最もこんなくそ酔っ払いに切れるのはパンツの紐位で十分だろう。「うるせーんだよ、このクソ親父、引っこんでろっ!!!」しかし切れて捨てゼリフ吐いたのは私であった。その瞬間、店はシーン。静まり返った。オヤジとその奥さんは固まり店中の客も固まった。私はそのまま言い逃げしレジに向かった。店員が半笑いで「大丈夫ですか?」と聞いてくる。「あの人おかしいですよ」と私。店員「あのお客さんおかしいですよね、さっきもうちの店員に絡んでました。私「まあ、子供を放置していた私達も悪いんですけどね」店員「いやいや、あのくらい、どうってことないですよ」とやりとりしていたころ置き去りにした(←私最低)旦那がそのオヤジにヘラヘラとした態度で謝り丸くおさめようとしていた。そしてその横に泣きっつらのセイイチロ。これに懲りずにまた来てくさいねと店員は言ったが誰がいくかと思った。その帰り旦那は大爆笑でなぜ、あの場面で切れる?と言った。切れる場面ではないだろう、もともとこっちが悪いし酔っ払いだから適当にあやまっときゃいいんだよと言った。でも結果的に私のせいで拍子抜けし「面白かった」そうだ。私も言うつもりはなかった。むしろ旦那が切れることが心配だった。しかし、いかなる理由でもあの形でセイイチロウの悪口をいわれると違う自分が出てくることが分かった。普通なら謝ってあなた帰りましょうとそそくさに帰ろうとするのが妻の役目。私は馬鹿なんだろうな。まあ、結果的にはオヤジはだまったわけだしよしとしとこうかとの結論におわったがせっかくの気分が台無しであった。周りの客はおかしかっただろう。切れるのがオヤジでもなく旦那でもなく妻の私だったから。ただの酔っ払い相手にきれるか普通。でもセイイチロウだけは「ママ、ありがとう」てきな態度で私の手をきゅっと握った。
January 18, 2009
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芸家の友人の教室に遊びに行った。 以前より随分と内装が変わっており、もう一人の友人と二人で改装したらしい。随分と古い建物だがいい感じに変わっていた。初め退屈ぎみだったセイイチロウも陶芸家が持ってきた粘土でクワガタなどを作り出してからは楽しいらしく三時間以上粘土で遊んでいた。大人三人とセイイチロウで粘土でカブトムシやら山椒魚に似たシェンロン(ドラゴンボールの)やら創作物を作り出したら止まらなくなり皆、雑談しながら粘土遊びをしていた。ここで思ったのだが私はセイイチロウの要望通りクワガタやカブト虫を作るのだが陶芸家Hは絶対に作らない。自分の捜索の化け物(ダンザムと称する)を作り続けセイイチロウにかっこいいだろうと言うがセイイチロウは無視。あくまでもカブトムシクワガタしか遊ばない。ここではっきりとデザイナーと芸術家の線が引かれる。私(デザイナー)はお客様の要望に沿い友人(陶芸家)は自分で気に入った作品しか作らないしかしそれでも何個も作り続け、どんどんミニサイズをつくりつづけた。そして小指サイズのダンザムを作ってやっとセイイチロウに認められる。セイイチロウはミニサイズが好きなのだ。しかしそれらダンザムはセイイチロウによってその後ヘラで見事に切られた。他の6匹のダンザムもヘラで切り刻まれた。哀れ、ダンザムよ・・・その光景を見ながら、人の道はその性質にもよるものだとなんとなく納得。芸術家は忍耐と強い信念が必要であると確信した。私は芸術家にはなれないようだ。間のKはそのどちらとも造っていた。しかもかなりウマい。彼女はデザイナーの素質もありながら元調理師で今は主婦である。私は彼女を学生時代からセンスがいいと思っていた。皆、自営業関係者なので税金や申告や政治に対しての苛立ちを話ながら手は団子侍やらクワガタやら可愛らしいものを作っていた。そのうち段々とリアルになりグレードアップして、ヘラクレスカブトムシの足の節など細部にこだわっていた。日々の忙しさを忘れ損得を考えない学生時代を思い出し何かに打ち込む楽しい時間を過ごせた。帰りセイイチロウはバスの中疲れてぐっすりだった。
September 7, 2008
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私は不器用だ。折り紙すらきちんと折れない。ビーズアクセサリーはイライラして続かない。茶碗洗いの片付けさえも旦那に笑われる。要するにきちんとできない。事務的な要素を必要としたものはずさんだ。パンを作るので「seichanさんはパン作りするから不器用なはずがない」といわれるが全く見当違いである。だから子供の散髪はしても旦那には手を出さずにいた。結婚前のパートナーの方々の髪は切ってたことがあり上手いといわれたがピンとこなかった。しかし、半年前からの節約生活になってから美容室代をケチり私がカットしてあげることに。でも無難に長めに長めに。しかし三日前に切ったはずの髪だが昨夜初日の職場実習から戻った旦那が「暑い、お願い、もっと短くして」と言った。え、不器用だし、ぜったいトラ刈りになりそうだから無理だよ。。と思ったがま、失敗しても整髪料でなんとかなるかなと思い、セイイチロを寝かしたあとカット開始。短髪ははじめてで指先からはみ出た髪をカット。整髪料で髪をたてるらしいので立てたときのイメージで整えていく。やってるうちに楽しくて仕方なくなった。出来上がりはバッチリ。自分でも驚いたが旦那が「うまい、文句なし」「美容師になってても成功してるよ」と言ってくれた。何故か分からないがカットしてる時に次にどう切ったらよいのか誰に教わることもなくわかる。うーん、生前は床屋か美容師だったのかな。楽しくなってきたので研究して旦那やセイイチロをもっとかっこよくしよう。そして浮いたお金は私の美容室代にしよう。なんて自分だけいい思いをしようと企んでいる私であった。髪は女の命。(自分の)髪はプロに切って欲しいゼヒ!
July 16, 2008
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昨日の目の炎症はだいぶ落ち着いてきたが一応病院へ行った。しかし午後は休診だったので本日もう一度行ってみるとやはり雑菌が入り結膜炎になっていた。しかも両目ともだった。昔、行ったことのある眼科で相変わらず、ロカビリ風の先生がかまえていた。その時の日記ついでに視力も測ってもらい、片方が0.3、片方が0.1らしい。昔より落ちている。まあ、軽い結膜炎だったということでおそらく、慣れない大掃除で雑菌が付着したのだろうということだたった。皆さんも気をつけてください。【アウトレット品】【オリヒロ NLティー100% メグスリノキ茶(1g×25包)】[この商品は6個お買い上げのお客様は送料無料です!]めぐすりの木茶24包[この商品は6個お買い上げのお客様は送料無料です!]【池田模範堂】 ムヒのこども目薬こどもアイスーパー 15ml 【医薬品】
April 25, 2008
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昨日の目の炎症はだいぶ落ち着いてきたが一応病院へ行った。しかし午後は休診だったので本日もう一度行ってみるとやはり雑菌が入り結膜炎になっていた。しかも両目ともだった。昔、行ったことのある眼科で相変わらず、ロカビリ風の先生がかまえていた。その時の日記ついでに視力も測ってもらい、片方が0.3、片方が0.1らしい。昔より落ちている。まあ、軽い結膜炎だったということでおそらく、慣れない大掃除で雑菌が付着したのだろうということだたった。皆さんも気をつけてください。【アウトレット品】【オリヒロ NLティー100% メグスリノキ茶(1g×25包)】[この商品は6個お買い上げのお客様は送料無料です!]めぐすりの木茶24包[この商品は6個お買い上げのお客様は送料無料です!]【池田模範堂】 ムヒのこども目薬こどもアイスーパー 15ml 【医薬品】
April 25, 2008
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今朝はあまり早く起きれなかった。というのは昨夜、実家から取り寄せたマックを開き、実家時代に作っていた作品を8年ぶりに観覧していたからだ。とても懐かしい再会だったのでつい深夜まで見入ってしまった。今朝はセイイチロとほぼ同時に目を覚まし、バタバタと朝食をとっていたころに一件の電話が。隣の大家さんだった。大家さんが頂いたワカメがおいしいけど一人で食べきれないから取りにきてくれという話だった。ああ、たぶん行ったら長くなるだろうなあとおもいつつセイイチロを残し、大家の下へ。大家さんは隣の敷地に広い一軒家に一人で住んでいる。さあ、おいでといわれるように門は開いておりチャイムを押すまでもなく玄関の戸は開いていた。薄暗いその玄関の向こうから大家は現れた。この大家さんは毎回あうごとに髪型が変わる。おかげで外で大家さんと気づかない日もあった。時には茶髪のショートヘア。時にはパーマヘアなど。かつらをいくつかお持ちのようだ。今日は普通に白髪まじりの地毛のようである。メガネの奥はくっきりとした二重で若いころは美人だったのではないかと今日思った。大家さんはいまだにセイイチロの名前を覚えずゆういちろうちゃんなどという。暗闇の中から大家さんはちょこっと顔を出し、微笑み外から台所側に回ってくれと言った。植木などの植物をくぐり抜け、砂利が敷き詰められた駐車場側を回ると大家さんの台所側に行き着く。大家さんは待ってましたといわんばかりにマシンガントークを始めた。しかし、頂いたワカメと出来立てのアサリ汁をいわゆる物質を抱えたままさっさと帰るわけにはいかず、そのまま聞いていた。大家さんは永遠と「引越しした隣の家の汚さ」を語るのであった。ホコリがたまってよく病気しなかったとかトイレはきれいにしないとお金が逃げていくとかドキッとするよなことをマシンガントークで語り続ける。大家が貸している家なので修理に数百万とかかることも。ホコリがすごかった、トイレが汚い、床がぬけそうだと何度も繰り返して話す。大家さんが私に何か渡すときは話を聞いてほしい時。いい人なのだが話し出すと長い。ああ、旦那の出勤時間が近づいている。セイイチロも幼稚園に送り出さねばと思いつつ、人がいいのでつい聞いてしまう。一通り話すと、落ち着いたようで忙しいときにごめんねとやっと切り出されたところで「ありがとうございました」と帰ってきた。でも、大家さんはとても料理がうまく、頂いたアサリ汁はとてもおいしかった。ぱっくりと開いたアサリ貝は「話を聞いてくれてスッキリ、ありがとね」と私に語りかけるように口を開きっぱなしだった。。税別1万円以上のお買いものとご一緒に♪【一円市場】カリカリわかめふりかけ(しそ風味) 2袋※合計1万円以上(税別)お買い上げの方対象商品。お一人様、1回1商品でお願いいたします。【080424UP10】【送料無料~春だけの限定未冷凍直送!!】『超特選活アサリ貝』(北海道風連湖産) たっぷり1.5kg詰:1粒40-60g前後の超特大サイズ厳選水揚げ後、砂出しをした状態で漁師直送にて冷蔵出荷いたします!4月中旬以降の出荷を予定しております。
April 23, 2008
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最近、セイイチロが幼稚園に行きたがらない。なにやら、なぜ、自分が延長保育に預けられるのか理解できないようだ。通常は17時半には迎えにいくようにしているが(前は18時ギリギリだった)それすらいやなようで仕方ないので生活スタイルを変えることにした。朝4時または5時に起きて仕事。セイイチロをいつもより1時間早く起こし8時半には幼稚園へ。旦那は9時に職業訓練学校へいく。2時半にお迎え。夕食を早めにし、早く寝てもらい、私の時間を作る。そう思えば、延長保育代5000円も浮く。必要なときだけ1日預かりをしてもらう。そう考えた。すると朝、起こさないのにセイイチロは早く起きたので早速実践。旦那と、セイイチロの弁当、朝食完了。よし!しかし旦那が8時50分には出るのでバタバタ幼稚園に連れて行った。ところが、幼稚園から帰ると旦那がなにやらむっとしてる感じ。俺の弁当は?と聞かれ、テーブルを見るとセイイチロの新幹線くん弁当がある。どうやら旦那の弁当を幼稚園に持っていたみたいだ。やばい。何食わぬ顔で弁当箱を変え、ご飯を多めについで渡したが、不服らしく、今日は他に何か買うわ、といわれた。幼稚園に電話して間違えたので全部食べさせなくて良いですからと伝えたら先生からフフフと笑われてしまった。ん、出だしからしくじってしまったようだ。幼稚園からは少なめに入れるようにと指示があったのに大人用てんこもりを渡してしまった。だが、一日のはじまりが1時間早いとなんだか気分もよく集中するようだ。さて、いつまで続くやら。なぜか、私の仕事は夕方あたりから忙しくなりぎみなので。 毎日持って行きたくなる♪(和雑貨)◆モダンな菊のお箸セット【送料無料】福々竹 小判弁当箱
April 22, 2008
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某日、友人一家が中国に旅立った。友人のご主人は1年前から単身赴任で先に上海に住んであったのでご主人の留守をいいことにしょっちゅう遊びに行き、お互いの子供を遊ばせ寝かせて自分たちは飲んでいるという光景が度々あった。子供同士がすごく仲良しで、はじめに図書館でであった時から兄弟のように遊んでいてほんとに最後まで仲良しだった。友人Uは美人で魅力的な女性であったがそれまでの生き方も環境も価値観も全く違っていたのにすごく息があっていた。お互いに仕事をしたいママとして年齢を重ねても女でいたいママとして子供を大事に思う気持ちは普通のママとしても仲よくなっても足を去っていくママ友の中で彼女だけはとても仲良くしてくれた。旅立ちの日の数日前、初めて子供を預けて二人だけでカラオケ、食事に行った。そこで彼女は私のある部分の核心をついたことを言った。私は涙がでた。このひと、私のことよく見てたんだだなって。彼女は上海に引越し、新しい世界が待っているだろうし新しい友人も増えると思う。私は変わらず日本で暮らしているが彼女と過ごした約2年の月日は忘れないと思う。旅立ちの日、朝から観葉植物をもらいにいったり彼女とお茶をしたりして時間をすごした。空港に見送りに行く途中、セイイチロに「Tくんに今まで、ありがとう、中国にいってもがんばてね」と言わせるように練習させたが言葉がからみ、ぜんぜん言えなかった。空港でもわずかの時間の中でTくんにそういうようにセイイチロにしむけたやはり言おうとしなかった。でも目を見るとうるんでいる。子供ながらにわかるのか。T君をみるとやはりT君も潤んでいる。3歳、4歳児の彼らにも別れはわかるのか。彼女たちが搭乗口を去り、1時間後に飛行機は飛び立った。私は黄色い傘を持ち、小雨の中、飛行機が飛び立つのを見守っていた。すると1件のメールが。彼女からだった。「福岡で1番の友達でした、今までいっぱいありがとう」と書かれていた。その数分後飛行機は飛び立った。それまで一人で遊んでいたセイイチロに「ほら、T君、いっちゃうよ」というとセイイチロがダッと走ってきて窓にへばりつき「T君、今までありがとう、中国へ行ってもがんばってね」とはっきりと言葉にして自ら何度も叫んでいた。セイイチロなりに解釈したのだろう。きっとT君の心に響いたと思うよ。あれから数日がたつ。今日も彼女からもらった観葉植物にお水をあげて1日が始まった。
April 15, 2008
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ブログに何を書こうかと電車の中で考えてた。仕事のことでも書こうかな、それとも新しいパンを作ろうかと。ブログから遠のいていると何を書いたらよいのかたまに悩む。ところが私の脳裏がそれを察知したのか朝方おかしな夢を見せてくれた。しかもかなりリアルに。ドラえもんとノビタが出てきた。なにやら未来デパートからサンプルが届いてるらしかった。それは「イメージしたものになりきれるサプリ」みたいなもので私は「明るく楽しくなりたい、はしゃぎたい」といった。でも何故だかミュージシャンをイメージした。ヒップホップとかダンス系とか。カッコよく踊りたかった。ドラえもんはこれがいいよとあるサプルを私に渡した。ところがドラえもんから渡されたサプリを飲むとなんと私はハードロック歌手のイメージになっていく。ヒゲが伸び、筋肉がつき、胸までがなくなっているではないか。しかも一瞬ではなくリアルにゆっくりと過程まで体で感じた。腕に筋肉がついていくのもリアルに感じ、胸がなくなっていくときは胸が痛かった。出来上がったロングヘアの筋肉モリモリのすばらしい肉体のロック歌手の男であった。当然胸がぺったんこになったのでつけていた下着をとった。そして何故かランニングを着ていた。ドラえもんは「背が高くなったね」と私に言った。ドラえもんが低い場所にいるからだよと長身ではない旦那を気遣ってドラえもんにそう言った。私の足元をみると女座りになっている。長い間、女でいたからこういう習性はなかなか取れないねと私は笑いながらアグラをかいた。ダンサー系で楽しい時間をすごすイメージをしたのにロック歌手の男になってしまったのでどうしようかと思ってたらとりあえずのび太くんが男物のパンツを貸してくれた(しかも私の旦那の)それを履き、じゃあ一泊でも外出してみようかという事になったが突然、不安が私を襲った。「ドラえもん、この体は何時間で戻るの?」「8時間だよ」「今日はそばにいてよ、何の副作用があるか分からないし」そういうとドラえもんはサンプルの箱をぐるぐると回し説明書を探し始めた。未来デパートから届いたその箱にはどこにも説明文が書いてなかった。すると横からのび太くんがきて(このときのび太は旦那に変わっていた)これ、あけちゃおうよと未来デパートから届いた本物の箱をいきなり開封した。中にはびっしりと「○○になれるサプリ」が入っていた。ドラえもんが言った。「よし、今から居酒屋にこれを売りにいこうよ。すごく高く売れるよ」と旦那に変貌したのび太くんとうれしそうにしていた。その時、私の目覚ましが鳴った。夢は突然消えた。ああ、私、男になったまま、女に戻れないまま目が覚めてしまったみたいだ。続きはどうなったのだろうと気になって仕方ないがあまりにもバカバカしくおかしいので起きてすぐブログを書いた。
March 29, 2008
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喪中につき新年のご挨拶は控えさせてもらいます。ですが今年もブログは更新していくのでここにきてくれる皆さま、今年もよろしくお願いします。ということで今年はゆっくりと実家ですごすことが出来た。結婚して旦那の仕事の都合上、家族そろって実家に2日以上滞在することは出産の時以外なかったものだ。母が駒の作り方を教えてくれたので姉、旦那、息子と皆で作ったが姉は脱落。くるくる巻きになった駒の残骸はなぜか別ものに変化してセイイチロの遊びものになっていた。駒を作り始めたらはまってしまい、旦那もはまり共同作業で駒をせっせと作り上げた見本はすばらしい駒でよく回るのだが私たちの作る駒はイマイチよく回らない。その修正をひたすらやり、たぶん実家ですごした1/3は駒つくりに精を出してに違いない。あまりにも駒に集中していたので母から祖母を台所に連れて行くよう言われたのにすぐにいくことができなかった。それで姉が祖母を台所に連れて行こうとしたのだけど祖母と廊下で転倒してしまい仕事上、大事な腕を痛めてしまった。肝心の祖母は倒れ慣れてるせいかどうもなってなかった。この騒動に母は激怒し「あんた達は役に立たない」とすごい剣幕で怒っていた。私が手に駒をもっていたのでもちろん、指摘され、激怒された。誤る以外は何も言えなかった。年末から友人と会おうと思っていたので帰る日を1日ずらしたが友人には会うことが出来きなかったのは残念だった。だが、母と近くの温泉に行ったり小学校の校庭で凧揚げしたりと本当にゆっくり出来た。ご飯があまりにもおいしくて少し太ってしまい、ジョギングがてらに走ろうと思い、小学校の校庭を5、6周走るつもりが12周走ってしまった。帰りのバスの中、旦那がある大事なことに気づいた。駅前に自転車をとめっぱなして例年によると4日には自転車回収作業があるという。かなり焦った。二台持っていかれると4000円ではないか。節約も無駄になってしまう。しかし駅につくと自転車はありなぜか二台並べて置いてあった。シールが貼られていたものの残されていた。ほっと胸をなでおろした。
January 7, 2008
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一ヶ月前、旦那は研修、約1週間ということで大阪に行った。それから一ヶ月かかっても戻ってこれなかった。こちらも生活していて、大阪でも生活の二重生活が始まり、生活費もばかにならなかった。いつ帰るのか未定ということだったので彼は辞めて帰ってきた。私の方も相方が苦しいらしく支払いが遅れてくる次第でどうなるうちの家計。そんな中でも何かにつけ「無職」というキーワードで遊んでいる私たち。絵本を読んであげても「この中に黄色いセーター着てる人は何をしていますか?」と読むべきところを「この中に無職の人がいます。何をしていますか?」などと半分苛めで笑いながら親子で絵本を読んで寝る。さて、来年はどうなるのでしょうか。幼稚園を保育園にして外で働こうかとも考えた。職業的に残業がかなりあるのでそれは無理だ。それに親の都合で子供の環境をガラっと変えるのも考え物だ。幼稚園、せっかく慣れてるし。本人も変わりたくないと言っている。だとするとバイトでもしながら今のフリーの仕事を続けそして旦那にもがんばってもらう。もしくはフリーの仕事をすごくがんばる。それしかないかな。バイトか、何をしようかいな。パンやでバイト?それもいい。違う職業をかじるの面白いかもしれない。なんて暢気なことをいってる場合ではないが生活するうえで節約していくことに喜びを感じている。とりあえず、コンセントは全て抜き、クリーニングはすべて自宅で洗う。ポイントカードを有効する。幼稚園の預かり保育のお弁当は手作りに食事も外食なぞしない。などと細かいことをしていったらつもり貯金がたまってきた。ま、冬があればかならず春は来る。これは神様から試されているのだ。修行、修行。てことで今年はいろいろあった。姉の死、子供のぜんそく入院、旦那の失業。まあ、そのほかにも書ききれない細かいことはたくさん。来年はいいことがありますよーに。
December 27, 2007
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なんとも言えない、誰も怒れない嫌な感じ。洗濯物にティッシュが入っていた。。全ての衣類を包み込み私の怒りを増殖させた犯人は衣類の一番下にあった。彼はもう、姿を消し、空になったビニールケースだけが私をあざ笑っていた。私は一枚、一枚、はたいてティッシュを落としたが洗濯する前になぜに、気づかなかったのか自分に腹ただしい、一日のしめくくりだった。
December 1, 2007
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昨日、友人と久しぶりに飲み、二人でワインを二本あけた。帰ってきて気分が悪く、吐き気がして吐いたあと、これは絶対に二日酔いに間違いないと思い、水をがぶのみお風呂に入ったら眠くて寝てしまい熱湯で目が覚めそのまま寝ぼけて着替え、何を思ったのかワックスを髪につけドライヤーをかけようとしたようだ。ところが、なんかワックスの伸びが悪くおかしいと思いながら髪の毛につけた瞬間、目が覚めた。ワックスと思った代物は歯磨き粉だった。翌朝、目が覚めると二日酔いではなかった。その話を友人にすると、なぜそんなに強いのか自分は年のでせいかまだ二日酔いだと言っていた。前回、彼女と飲んだときも安い酒をチャンポンしたせいか翌日恐ろしい二日酔いで水を詰め込んでも即座マーライオンのごとく胃からもどされ飲んではシャー、飲んではシャーと胃の洗浄に近いというか胃うがい?と思われるほどのひどさで、散々応えたはずなのにまた飲んでしまい、しかも前回よりも強くなっていた。そもそも酔うと記憶がとぶという経験はなく寝ぼけると記憶がない。昔、泊り込みで職場の友人の家で寝ている友人の前髪を私が見つめながら引っ張っていたという経験もあるらしいが私には全く記憶がない。酔うと記憶がなくなるのではなく寝ぼけると記憶がない。寝ぼけると恐ろしい行動をするようだ。以前もガラスドアに正面衝突したことがあるくらい。通常の酔っ払いの記憶がとぶことに匹敵するのであろう。お酒ではないんですけどね。
December 1, 2007
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ここのところ、続けていろんな友人に会い食事をしたりして気づいたこと。私は食べ過ぎていた。去年に比べればトータル3キロは落ちているが目標まで程遠い。スリムな友人達は私よりも食べない彼女たちは皆私よりもはるかに動いている。そして皆、私より露出している。→人に見られるのを意識できる。クーラーを切る。→汗をかく。味付けが薄い。→穀物をたくさん食べなくなる。スリム友人Yさん美人で子持ちなのにボインでスリム。はたから見たら本当に羨ましいけど本人はまだ痩せたいらしい。普段から美に気を使っているがやはり野菜食を心がけている。スリム友人Kさん二人目出産で出産前より十数キロ痩せたらしい。以前よりさらにスリムになり美しい。無農薬野菜にこだわり、野菜食が殆ど。薄味を心がけている。よく動く。スリム友人Hさんさわやか。着物が似合いそうな日本美人。アウトドア派。二人目出産後、特に気を使ってないらしいが見てたらやはりよく動くし忙しいのであまり食べない。スリム友人Sさん同級生なのに若くて昔から可愛いというか顔なんかちっちゃくて美人。全体的に小作り。動物で例えればリスといった感じ。一緒にバイキングランチに行ったが必要以上に食べない。食べ物の選び方、並べ方にセンスを感じる。お皿をたくさん使うので見た目に満足し必要以上に食べ過ぎない。私はバイキングに行くと目移りするのと貧乏性でたくさん食べ過ぎてしまう。それでもだいぶん「必要なものだけ!!少量ずつ」と心がけているがやはりSさんに比べて食べ過ぎている。ということでいろんなダイエット法で一時的に痩せても生活の見直しをしなければ戻ってしまうし続かないと改めて思った。特に最近ビールが美味しいので気をつけなければいけない。だが、今日はダンナが休みでビアガーデンに行く予定。ああ、頭で分かっていてもなかなかね。
July 27, 2007
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店舗設計の学校の同級生は未だに続いていて今年で13年になる。当時はまだ何人かいたが徐々に離れて行き残ったのは男女合わせて6人位だが一人ずつ結婚し、ひとり離婚し、最後の一人が5月に籍を入れた。個人的には連絡をとりあっていたりするけども全員集まるのは年に1回か二回位。恋愛関係は一切ない(はず)その誰かに恋をしたものはいつの間にかメンバーから消えていった。こんなに長く続く友人達なのに誰ひとりカップルにならなかったとは。だから続くのか。今回の結婚祝いの主役Hクンに加え急遽、ご主人の転勤が決まり群馬にいってしまうサッチャンのために飲み会は開かれた。この数年間、幹事役を買ってでてくれていたサッッチャンの代わりに今回は私が幹事。幹事なんて10年ぶりくらいな気がする。これまで、誰かに決めてもらうのが楽で幹事役は避けていたが本当はこういうことを決めはじめると妙にはりきってしまう。日時決め、店決めも不思議にスムーズにいった。決めるのはなんだか楽しかった。頭はいろいろと悩ませたが。しかも今回はさっちん夫婦、私もダンナと子供参加、Kちゃんのご主人(私の前の学校からの友人で17年の知り合い)と顔ぶれがいつもと違い、おまけに飲み放題ときたものだからいつになく大盛り上がり。Kちゃんダンナの友人K君はもうかれこれ17年知っている。当時はこんなに長く続くとも思っていなかったし個人的に仲良かったわけでもない。だがふとしたことがきっかけでよく連絡を取るようになりこれまた私の友人Kと結婚したものだからこんなに長い付き合いになった。人生って不思議。K君が目の前にいたのでダンナとKクンで話が盛り上がった。懐かしい話からマニアックな話まで。K君来て早々私に言った。「お前は決して老けていない。ただ、横に広がっただけだ、1、2ミリ位」「そうそう、領土拡大したからね、面積増えたけん」とこんな会話が続く。それをダンナも聞いていて苦笑していた。席も8人席に11人だから距離が近くて、だから話もよく盛り上がっていた気がする。離れてるとあまり盛り上がらない気がするので合コンなどは狭い場所ですればいいと35歳に既婚子持ちになって初めて気づいた。最近落ち着き気味だったメンバーもこの日はよく飲み、喋り久々にこんなに楽しい飲み会に行った気がする。遠くに行くさっちんの為に前の日から徹夜に近い作業で手作りアルバムを作成。というか未使用の既存のフレームがあり、布を貼り付け台紙を張替え、一枚一枚和紙をカットしコラージュして目次に彼女との歴史を書きあとは皆の寄せ書きカード&昔の写真が1枚1枚入るように設定した。が、私の努力など誰も気づかなかったというよりも本人にきづかれないようテーブルの下で何を書こうかと皆頭を悩ませそれどころではなかったようだ。中学生のような発想の寄せ書きは皆、コソコソテーブルの下で書いていて書いている内容が皆中学生並みの言葉や絵で笑えた。男の子は皆「早く帰ってこいよ~」みたいな大きな文字で落書きっぽい書き方、女は細かい字でちまちまと。ああ、学生っぽい。それがとてもいい。主役の陶芸家Hが頼んだとおり懐かしい写真を持ってきてくれたからこれまた盛り上がり、飲み会はなんと7時半から12時過ぎと5時間近く続いた。これ全部1次会。時間が時間だったから二次会はなかったものの本当に楽しい時間だった。と同時にさっちんが群馬にいってしまう寂しさとこの飲み会は次回はもうあるのだろうかとふと寂しくなった。皆それぞれ変わってないようで成長している。人生にいろいろあったのは人それぞれでそれぞれいい顔になっている。この集まりがずっと続いたらいいのになって思った。友人の付き合いは宝だと亡くなったレイカ姉が私に教えてくれたように私も皆を大事にしたいと思った。
July 22, 2007
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最近、幼稚園に行きだしてさらにパワーアップしてセイイチロの体力はUPし、お休みの日は一苦労。もうヘトヘトだ。朝から公園、昼食後また今度はどこに行く?攻撃でまた公園。早めの夕食後、今度はどこにいく?で公園か散歩。まあ、このせいか休みの日は夜は7時半くらいから8時にかけて寝るようになった。幼稚園でたくさん遊んだ日は7時~8時位、タイミングを逃すと遅くても9時までには寝るようになった。下手すると食事後にお風呂も歯磨きもしないまま寝てしまうこともあるので気をつけなければいけない。先日なんか三輪車でお散歩中に寝られた。フラフラで頭がグリングリンしていて危うく三輪車から転落しそうになった。仕方ないので抱っこして三輪車をおしながらかなり遠出していたのでバスに乗った。この3歳児を片手に抱っこ、三輪車片手押しがどんなにつらいか。そのときは夕食後のお散歩は遠くまで行かないと心に決めたものだ。昨日のこと。午後からある公園で遊んでいたときに地元ローカルテレビ局のレポータが二人ほど来られてていろんな方にインタビューをしていた。私はセイイチロと砂場遊びをしていてなるべくみつからないように遊具の下であそんでいた。でも何を質問されているかは気になっていた。セイイチロが砂場遊びに飽き、そろそろ帰ろうかというときに滑り台で遊び始めた。ふと見るとそのレポータが私の方にやってきた。しまった。。。こんなことならばもうちっとマシな服装、メークをしとくべきだったと思ったものだ。質問がきた。「ここ二日位福岡で黄砂がすごいらしいですが何か影響はありますか?」ときた。コンタクトをしてるけど目がかゆいなどといっていたらカメラを回していいですか?といわれた。あれだけ、たくさんの方々に聞いてあったから私の答えなど、どうせボツに違いないと思いいいですよと答えた。いつも思うのだがレポータはカメラが回ってないときと回りはじめたときと質問をくるっと変えてくるのはなぜだろう。用意していた答え以外のことをいきなり聞いてくるからちょっと焦る。が、どうせボツだろうと思いその場かぎりの答えを返した。私は黄砂が吹いてることも気づかなかったしそのニュースも知らなかったからだ。レポータがカメラが回ってなかったときには言わなかったくせに「知らなかったのですか?」と知ってるくせにとぼけて聞いてきた。びっくりしたがその場かぎりの答えを言った。インタビューが終わり、この答えで良かったのですか?というとバッチリでしたと言われた。本当か?あんな答えでよいのか?そのば限りのバカ主婦の象徴たるものだった。どうかボツになりますように。今朝6:50からその番組「朝デス」でそのコーナが始まった。あら、ボツ企画でなかったんだ、しかもオスギも出てるしと思って何気なくみていたらそのコーナー始まって二番目に私のアップが。。。。顔がパンパンでしまりがなくにやけたブサイクな顔。となりにちょこんとセイイチロ。このセイイチロのおかげでいろんな人にバレてしまう。ああ、なんてこと。そんなときに限り誰にも一言も話していなかったのに友人から「今日出てたでしょう?知り合いが見てたらしいのよ」とメールが来た。前も某雑誌で劇団手伝いでちんどんやをしたときにその妖怪メークでピアニカを吹いているところを撮られててバレるはずないのに小学校からの旧友にバレたことがある。こんなとき本当に恥ずかしい。逆にバッチリメークでテレビに出たと宣伝したときはあまり見られてないものだ。人生、どこで何が起きるか分かりません。たとえ公園でもちゃんとしようそしてあらたにダイエットを決意した私であった。
May 28, 2007
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日曜日のことだんなが休み明けだったのと晴天だったので親子3人で始めて動物園に行ってきた。今まで友人や子持ちのママ友と行って来たことは何度かあるが親子3人で出かけていったのは初めてである。地元の橋本駅まで自転車で20分。長い距離だ。運動にはちょうどいいが途中でお菓子を買おうといってスーパーに寄った。何で?コンビニでいいやろうとだんなが言うが主婦の私は節約に走る。が、財布を忘れていたことにレジで気づきダンナのサイフですべてをまかなうことに。見たら5000円しか入っていない。電車代、バス代、入園料、帰りのおいしいラーメン代を考えたらギリギリ。なので少しずつケチることに。駅に着き一日乗車券を買い動物園最寄の駅で降りた。ここから乗ると180円で二人で360円次のバス停から乗ると100円だからふたりで200円よし、160円節約。バスが来るまで1分しかないにセイイチロウを抱っこして走る。しまいにはぶら下がった状態になっていたにもかかわらず値段は変わらなかった。動物園に行くとたくさんの子供連れ。どこ見ても家族連れ。行き当たりばったりの私と違い、だんなはリーフレットを見て計画的に回るタイプ。それは初デートのころからそうだった。しかも私が回る順番とは逆に回っていく。セイイチローはなかなか歩こうとしないのでこの坂が多い動物園では疲れ果ててしまうと思い、いまさらながらベビーカレンタル。「2歳までですよ」といわれても軽いですからと無理やりかりる。¥200円。こういうところに行くと行く相手とでいろいろな楽しみ方があると思う。女友達と行くと「かわいいねえ」とか「わあ、すごいね」がコメントになるのだがだんなと行くと同じ物を見るにしてもコメントがギャグに変わる。サイがいた。じっとしていて動かない。まずは「仕事してないね」ダンナの一言。そこからいろんなコメントがお互いに始まる。振り返った顔がイカリヤ長介だねとか中国の鹿のキョンがいたら小泉今日子が椅子に座って「何?」って言ってるだろうとかそんなコメントが永遠に続く。マントヒヒがいた。真っ赤なお尻をしていて何度も何度も同じ行動を繰り返す。行っては戻り、また来てはくるっと向きかえり後ろに戻る。しかも必ず時計周りに繰り返す。歩き方はまさしくモデル。人に見られるのが好きなようだ。年齢を見るとかなりの高齢。ああ、ベテランなんだ。その様はファッションモデルさながらであると思っていた瞬間ダンナも「パリコレ」と言い出した。それはすぐに「サルコレ」に代わる。それにしてもずっと同じ行動は習性なのか行っては戻り、行っては戻り。そして仲間のマントヒヒがついに期待していた行動を。一匹がもう一匹の腰に手を。。と思った瞬間すぐ離れた。ダンナが今期待したやろと言った。隣の客が「小泉さんソックリだ」と真顔で言っていた。まさしくその通りだった。盗み聞きがばれないよう静かに笑った。隣のオリでキャッキャとかわいくサルが遊んでいるのをセイイチロがはしゃいでいた。その横でずっと私とダンナのモントウは続く。鹿のような生き物がいた。名前を忘れた。その生物はじっとしていて集団で固まっていた。まっすぐ、私たちを見下ろしている。羊の仲間なのに目がヤギのようで悪魔の象徴のようだとダンナが言う。まるでヤクザだ。目つきそのものがやばい。何も言わずじっとこっちを見ている。そのうち係りの人が水をやり始めた。驚くことも動くこともなくやはり何の変化もなく集団でじっと立っている。黒服のように。動物園にはいろんな動物がいてその習性は様々で感動したり笑ってしまったりするがすべてをコントにしていたのは私たちだけであろう。最後にセイイチロウが好きなライオンやゾウを見て動物園を出た。だんなは夜勤なので本当は寝る時間なのに無理してつき合わせていた。だがもう5時になろうとしている。だけど、どうしてもこの六本松(福岡市)の駅前のラーメン屋「壱屋」に連れて行きたかった。画像がなくてスミンマセン福岡市中央区六本松2-6-6 1FTEL : 092-738-1841ここはマジでうまい。スープに野菜だしやあごだしが使われていて本当にうまい。その日はとんこつ醤油で頂いたが醤油味もウマイ。味も麺も満点である。気のいいおばちゃんたちがまたいい感じである。そのラーメンを食べて地下鉄にまた乗る。この日はセイイチロウがお昼ねしてないのでそのままかえって寝かすつもりが電車で寝られてしまった。どんなに寒くても自転車に乗せても起きない。もうこのまま寝かせようと思っていたのに最悪なことにその日は九時くらいにお目目パッチリ「おなかすいた」この一言で夜中12時までこの3才になろうとしている息子は元気満点だった。
February 7, 2007
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26日は私の誕生日である。(日記は翌日書いていますが)朝から前日からダンナがどこか好きなところに連れて行ってくれるということだったのでどこに行こうか考えていた。最近疲れているから癒し系に行きたいけどそれは独りで行くのものだし、美味しいものも食べたいけど最近仕事にも煮詰まってきてるしそうだ!ジェットコースターに乗りたい。タイタンにのりたい、やっぱりスペースワールドでしょう。と思い、朝からバタバタ仕事を片付け当然、セイイチローがいると乗れないので託児所にいつもどおり預けてきた。何も知らないセイイチロー、ごめんよ、君の誕生日はちゃんと3人で祝うからね。子を置いてきたバツなのか、それとも天気予報を見ず、スペースワーールドの情報をよく確認しないのが悪かったのかここから不幸が始まる。駅に付く前に仕事が入らぬよう予防線をはろうと思い仕事パートナーのMさんに電話を入れた。彼はこころよく応じてくれ、「おめでとうございます!」といってくれた。これで今日は心置きなく遊べるハズだった。地下鉄にのり、ダンナにメール。夜勤明けの彼は途中の駅から同じ車両に乗ってきた。久しぶりの博多駅はビジネスマンやら旅行者やらで賑わっていた。チケットセンターでスペースワールドのフリーパスチケットを購入。「お二人様で11000円です」うう、高い。高いけど誕生日。しかし、財布にお金が・・・、銀行に行くのを忘れていた。仕方なくクレジットで。仕事がえりのダンナがコインロッカーに荷物を預けにいったまま帰ってこない。その間、ビールだのおつまみだの買い置き。ダンナが帰ってきた。すごくプリプリ怒っている。どうしたのかとたずねるとコインロッカーにお金を入れても開かないから業者呼んで開けさせたけど気づいたら肩にバックかけたまま鍵閉めていた。と怒りをどこにぶつけてよいか分からない状態だった。仕方なくもう300円渡す。そしてようやく特急ソニックに乗って窓から滴る雨に気づいた。不安な30分をここですごす。ビールを片手に大丈夫着くころには晴れてるさとダンナはいう。黒崎で乗り換え八幡に到着。雨は勢い続けている。スペースワールドを目の前に電話すると乗りたいものはすべて悪天候により運行休止だといわれた。しかもタイタンは3月まで運行停止といわれた。ああ調べるべきだった。JRに確認するとスペースワールド分は払い戻しできるでしょうといわれた。改札口をでずに引き返した。が、快速に乗っていけば切符を確認されないだろうけど時間がもったいないから特急で帰ろうとダンナが言うのでふたりでどんよりと帰る。ああ、行きがけはなんてくそ不味い酒飲まされるし北九州なんかクソだとダンナが怒っていた。しかも意味のないコインロッカー代600円、お酒やおつまみなども買い込んでいたのに。すると窓から明るい光。ねえねえ、なんか晴れてるんだけど「いや、あれはハロゲン球だよ」と太陽をさしてだんなが言う。いやいや、M君のお顔が明るく照らされてるんだけど「違うよ、あれはハロゲン球だよ」とそういう会話が続く。前から車掌さんが来た。途中下車ですけどとダンナが説明しても帰りの切符もようしゃなくきられた。電車に乗っただけ、降りないままのっただけで5000円。ああ、それならばバイキングに行ってもおつりが返ってきたのに。だが私は諦めなかった。「絶対無理だよ、諦めなよ」と言いながら行きの切符を捨てるという彼を止め、その証拠の切符を持って窓口に行った。切なげな表情で全ての不幸の事情を話すと「改札口から出られたんですよね?」と受付のお姉さんは確認をして上司に相談に行ってくれた。親切な窓口のお姉さんが帰ってきた。「全額11000円払い戻し致します」「えー!!いいんですか?」「はい」JR様様である。JRバンザイ。素晴らしいシステム。行きの運賃は完璧に諦めていたのに全額戻るとは驚いた。ダンナもかなり驚いていた。彼は切符を捨てようとしていたからだ。その後ウキウキで中洲に行き、個室でカラオケつきのバイキングの店に行って散々食べ、飲み、歌ってスッキリとして楽しんだ。こうやって二人でデートするのは久しぶりだねと今日は結局ラッキーだったと言いながら前半の悪夢が嘘のようにニコニコして帰りの地下鉄に乗った。疲れたのか彼は眠っていた。今日の締めくくりの不幸が待ち受けてるのも知らずに地下鉄を出るとどしゃぶりだった。しかも強風でふきとばされそうだった。別々の場所に自転車を止めていたのでお互いに気をつけてねと言って別れ土砂降りと強風の中自転車をとりに行った。私は区役所に自転車をとめていた。あまりのすごさに区役所へ逃げ込んだ。するとなんと貸し出し用の傘があるではないか。ラッキー!!と思い帰ろうとするとすごい強風で自転車に乗れない。仕方なく押しながら帰っていくと風がやんだようなので自転車に乗っていこうとしたその瞬間。ものすごい風が私に体当たりしてきて傘は骨だけになった。傘のビニール部分が見当たらない。どこかに飛ばされたようで跡形も無かった。こんな骨だけの傘、処理に困るのに人が良い私はどこにも捨てれず前かごにさしたまま強風の中自転車を押し続けた。ものすごい雨と強風の向こう、あと50メートル位のとこに我が家はあるというのになかなか帰れない。すると信号の向こうから、さす傘も意味もなくなる位風に遊ばれながら必死で向かってくる男の姿が。ダンナだ。ダンナが迎えに来てくれていた。ありがとう!!という間もなく彼の傘も一瞬にして骨だけになった。ええい、くそ!!と彼は怒り、骨だけの傘2本を容赦なくマンションのごみ置き場に投げ入れた。「ここは捨てたらいかんちゃないと??」私の博多弁も風に飲み込まれる。家についたころには二人とも濡れ鼠のようだった。彼のレザーのジャケットははずぶ濡れ。私の色あせたスエードのコートは濡れて新品のような色になっていた。散々な一日だった。ちなみにセイイチロウを迎えにいく時間だけはなぜか風も雨もやんでいた。
January 26, 2007
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11/26に姉たちのライブが行われた。当日旦那がいけなくなったので一人で行こうかセイイチロウもつれて行こうか迷ったが母も来ると連絡があったので連れていくことにした。ぜひともセイイチロウには見て欲しかったのだ。でも写真が取れなくなるから困っていたところ助けられた。それに加え、小学校からの古い友人がこのブログを見て、予定があいてるのでぜひ見に行きたいと連絡が入り、友人の純子と行くことになった。それはとても有難いことだった。純子よ、サンキュー。ライブ会場はTHE DARK ROOMといいうクラブだった。こういう夜の空間に来たのも久しぶりでなんだか興奮してきた。はじめにCUT FLOWERSといアコースティック系のバンドが出演されていて、とても歌声がキレイで素敵なバンドだった。次にいよいよ、姉たちの番になった。レイカ姉はクルクル巻髪をきれいにアップし豹ガラのキレイなドレスで身を包みすごく輝いていた。apianもすごくドレスアップして綺麗だった。セイイチロウは母が見ていて曲にあわせてリズムをとったりしていてなかなかやるじゃないか、私の息子。といっても私は実はみてなくて母から聞いた話。私は、写真に集中していた。といのも暗くてなかなか思うように写真がとれなかった。ボケるし、ぶれるしそれでも苦心しながらとり続けた。もちろん、聞きながら。レイカ姉の歌声を聞くのは15年ぶりくらい。当時はメタル中心だったが、その日の彼女はしっとりとジャズを中心に歌いこなしていてその姿に身内ながらもうっとりとした。会場にはたくさんの友人、知人の皆様が来てくださっていてとても嬉しかったし、感激だった。姉のセリフの中で「私は皆さんがご存知のとおり、レベル4のガンになりました。神様は私から何もかも取り上げました。ロンドンで暮らすことさえも。だけど歌うことだけは残してくれました。だから今日のライブは皆さん楽しんで行ってくださいね」といったセリフにジーンときてウルウルになった。ステージでの彼女はとても病気とは思えないほどキラキラと輝いていた。歌うことが本当に好きだと思った。そしてそれを支えるバンドのメンバーひとり、ひとり個性的ですごく上手だった。一番上の姉、apianもキーボートを弾いていたがいつもにましてすごくノリがよく、ソロもカッコよく弾きこなしていた。ベースのTIMもカッコよく、ベースの腕もすばらしい。パーカッションのヘクターも迫力あって素敵だった。パーカッションを目の前で聞いたのは初めてでこれが加わるとこんなに音が広がるんだと感動した。本当はじっくり聞きたかったのだが頼まれてもない写真撮影に私は夢中になり長いすの上に登って写真をとっているときに息子のセイイチローが私を見つけよじ登ろうとしていたので母が必死で止めていた姿を覚えている。最後にもうすぐ誕生日のレイカ姉にケーキが贈られた。姉はとても嬉しそうに火を消していた。その姿が今でも目に焼きついている。会場には小さい子が3人いたがみんなちゃんと聞いていた。姉の友人のまこさんがしーしー(子供さん)を抱っこしながら踊っている姿が印象的ですごくカッコいいなーと思った。すごく素敵なママだなと思った。泣いて聞いている人、踊っている人、皆さんでこのライブを盛り上げてくださってありがとうございました。ほかにもわざわざ来てくださったご友人方がたくさんいて東京から来てくださったご友人もいてすごく感謝。皆さん、本当にありがとうございました。
November 28, 2006
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昨日は祝日で託児所もお休みだったので、お天気もいいし久しぶりにセイイチローを連れて、近くの公園へ。ここは私があまり来ないのだけど、時々買い物ついでに立ち寄ることはあった。適度に広く、遊び場や砂場もあるし。ひとたか遊んでいると、すごく目がクルクルして髪の毛もクルクルの超カワイイ男の子が近づいてきた。え?ハーフ?黒人のハーフ?超カワイイ!!どんな方がママなのか興味シンシンで周りを見渡すと遠くに、赤ちゃんを抱っこした若いママが一人。よく見るとその赤ちゃんもハーフだった。(当たり前か)そのお母さんが近づいてきたので思わず「ハーフですか?」と聞いてしまい、話しているうちにその方がお仕事されていると聞いて思わず「何のお仕事をなさっているんですか」と失礼にも聞いてしまった。するとその方はセクシー系ランジェリーのネット販売をなさっているという。そしてとてもノリがよい方で、ここでちょっと待っててくださいとお店のチラシをとりに帰られた。やはり、お仕事されているママは違う!行動力が違う。見習わなければといいつつ、私もしっかり宣伝。お互い、名前も知らぬうちに、連絡先やメルアドの交換。公園ママナンパというべきか。しかし、私はよくそうやって公園ママナンパに遭遇するので面白い出会いだなあと改めて思った。その方も私たちって図々しいですよねと笑いながらアドレスを交換した。あとで年齢聞いてビックリ!!!私より上でしかも40ぐらいだという。ものすごく若かった、私より下かと思った。20代にも見えるその若さ。で、最初から聞きたかった言葉を「あの、こういうセクシー系を身につけてらっしゃいますか?」「ええ、好きなんですよ」なるほど、若さのヒケツだわ。やはり女は美しいものを中から身につけることで若さや輝きを放つものなのね。聞くと一番上のお子さんは中学生らしい。しかも4人の子持ち。びっくりの連続だった。3歳くらいのハーフの息子さんは博多弁のイントネーションで「ねえ、ねえ、それなん(何)?見せてよ。」と普通に言われてました。それもカワイイ。その方が帰られる間際に周りを見渡すとビックり。普段ガラガラだった公園、いつの間にか人がわんさか。きっと私たちの出会いって何かあるのかしらと不思議な出会いをうれしく思った。その女性のランジェリーショップはココゴージャス系アイテムなら・・・Audreyぜひ、のぞいてみて。
October 10, 2006
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レイカは無事ロンドンにつき、本人からもコメントありで自分のブログもかけているようなので一安心。今日は別の話題に。一度ブログまじめにつけ始めると日課になっちゃいますねー。ところで昨日はついてなかった。最近、ある広告代理店さんからお仕事をもらっていた。その仕事もおちつきはじめたころ、ある派遣会社から前いったことがある印刷会社からご指名で1週間くらい来てもらえないかと依頼を頂いてますと連絡が入った。1週間もあけれないから断ったけれど再度かかってきてせめて2日くらいお願いしますといわれ予定を調節し、なんとか二日あけた。そのつもりで考えていたのに突然キャンセルの電話が。なにやら予定していた選挙の仕事がとれなくなったらしい。えー、私、自分の仕事キャンセルして派遣いれたのに。むかついてそのままセイイチローを迎えにいこうとチャリに乗るとパンクしていた。昼はぱんくしてなかったのに、しかも一ヶ月前、パンク修理したばかり。あーあ、おかげで託児所は遅刻。1分から容赦なく延長代とられるっつに5分以上遅刻し、3軒さきの自転車屋にいけばタイヤがもう悪いからということでタイヤ交換に4200円。そしてその旨伝えていた広告代理店さんからメールがきた。「おしかったっすねー。その間にデカいのきてたんですけど」(他のデザイナーにまわした)あーあ、なんだろね。そんなの契約違反とちゃうの?とだんなも怒っていた。その依頼した会社はちゃんと仕事とれてから依頼しろよ。予定で頼むな。友達も、制服のサイズまで教えていてあさってから働きますってとこの派遣先から突然キャンセルされたって前、いってたし派遣社員だって生活あるし、スケジュール調整してその仕事に向かうのだから、依頼側の会社もドタキャンなんてやめてほしいわ。派遣会社の方は申し訳なさそうに、長期の話を持ってきたけど、長期はできない。私にはデジタルバランスがあるのだし。なんかついてない1日だったが、悔いても仕方ない。ひとつひとつ今ある仕事を、どんなに小さな仕事でもこなしてがんばっていこうと前向きに思うことにした。
October 7, 2006
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Present by marry中学時代のクラスメートだった友人marryさんとは20年近くのつきあいである。彼女のご主人のお仕事の都合で沖縄に転勤になったけどブログやネットを通して連絡を取り合っている。お盆に彼女が帰ってきたときは台風のせいで会えなかった。彼女は雑貨が大好きでいつもお洒落な雑貨やインテリアに囲まれて暮らしていてすごくうらやましい。そんな彼女のナチュラルテイストが私も好きで彼女が作る作品をほしいといったら今回、上記写真の作品をプレゼントしてくれた。なべしき、鍋つかみ、毛糸のコースター、小物入れ、キッチンマット。それら全部彼女の手作り。ひとつひとつが丁寧に縫われ、心こもった温かい作品。実用で使えるものばかりだけど汚れるのがもったいのでしばらく飾っている。それに木のスプーンや糸巻き。カワイイ雑貨が届いた。届け方もかわいくラッピングされていて目からウロコの思いだった。雑貨センスがあるのって本当に素敵。marryさん本当にありがとう。彼女の素敵なブログはコチラです。marry's note私のデザインワークのHPはコチラ↓
September 7, 2006
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タイトルが長くなった。というもの朝から征一朗の機嫌をそこねたようで、とりつくろうように午後の暑い中、室見川のほとりへ遊びに行った。おにぎりを二つもっていったけど、たぶん足りないだろうからスーパーで手巻き寿司を買った。それがヒットしたのか彼のご機嫌はよくなり、それまで口数少なくなっていた彼の重たい口も開き、ご機嫌モードになり、それがヒートアップして事件は起きた。100均で買ったビニール製のピンクのボールが彼のお気に入りでそれを大きな川のほとりで遊ぶこと自体がそもそも無謀なのかもしれない。気をつけていれば大丈夫だと思っていたのだが彼がヒートアップして投げたボールは案の定川へ。あーあ、ここから3M下の川へ飛び込む勇気はない。100円だし、また買えばいいし、私はそれくらいの気持ちだったが征一朗は本当に悲しそうで「また買ってあげるよ」といってもそんな子供だましの言葉はもう、彼には最近通用しないというか信用されていないようでものすごく悲しそうだった。ボールはゆっくりと海へ向かって流れていく。どんどん岸から離れていってるし、しかしよく見ると降りる階段があるではないか。それを見つけたとたん、ボールは岸の方へとゆっくり近づいてきた。階段付近から何メートルか先まで靴の底が濡れる程度の浅瀬。これならもしかして拾えるかも。しかし。その階段あたりから5M先くらいの場所に揺ら揺らとボールは流れてきていたが、勇気が出なかった。もし、足を滑らせて深いほうへ落ちたらどうしようとか、征一朗がついてきたらいけないしとか躊躇してる間に、またボールはゆっくりと流れ始めた。そしてさらに移動し、とりに行くまでに途中で深くなってるところさえある。ああ、もうだめだよ、諦めようといったが彼はじっと私をみつめ、悲しそうだった。そのとき私は思った。これは、この出来事は今の私の生き様をあらわしているのではないかと。自信や勇気がないためにどれだけチャンスを逃しただろうか。ええーい、チャンスの神様は前髪しかないと言われるけれどもここで諦めたらそれまで。私はそのまま、ボールの行方を追った。そのまま歩いていくと先ほどから100m以上離れたあたりに階段があった。しかし、川岸から離れつつあるボール。私はじっとみつめ念じた。「こっちさぁ、来い」と漫画・昔話を語る市原悦子の語りかけのように私はボールに向かってそういっていた。すると、川岸から離れていたボールは不思議と方向を変えた。そして待つこと5分。ゆっくりとボールは私の思惑通り、私の足元までやってきた。それを拾い上げ、階段の上から見つめる征一朗へ見せると彼はものすごく笑顔になった。ボールを川から取り返した彼は学習したのか二度と川のほうへボールを投げることはしなかった。それから先、彼は私を信用してくれたのか今日は本当にいい子だったし、早く寝てくれた。どうやら、一昔、いや、ふた昔前のヤンキーのように後ろ髪を1本だけ伸ばした神様もおられるようだ。私はその神様の1回だけのチャンスをわしづかみにしてやったのだ。なんだかとっても気分が良かった。これからもその精神を仕事、子育て、趣味とあらゆる方向へと生かしてやろうと思った。今、癌が消えかけている姉のように・・。
May 30, 2006
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昨日、休みが取れず3週間はたらきづめでやっと休みがとれた旦那を力づけようと(自分も楽しようと)近くの評判の焼肉を食べに行った。夫は、私が作る料理は何もいわず、おいしいと無理してでもいってくれるすばらしい旦那なのだが焼肉のこととなると譲れないらしく焼肉奉行様である。メニューからすべて仕切られてしまう。安い肉を大量に焼くのを一番に嫌う彼は支払える範囲での一番いい肉を少量食べる。その辺の感覚は私も同じなのだが、問題は焼き方。彼は焼き過ぎないように、丁寧に一枚一枚焼く。焼きすぎは断じて許されない。中がまだ赤いぐらいで、はいどうぞと仕切られてしまう。二枚以上乗せることは断じてならない。なので焼肉に関しては付き合い当初から欲求不満になりながら焼けるのをじっと待って食べるのでかなり美味しく感じ、焼肉独特のもう、いい、しばらく肉はいい・・という感じにならずまた食べたいになる。普段、健康のために肉料理をかなり減らしているのでこういうときこそ彼は張り切る。久々に美味しい焼肉をたべ、大満足で帰り、しかも私はその後一人で買い物にいったので久々にビートマニアをしにゲーセンにいったりして若かりし20代を思い出しながら楽しんで帰宅したら彼も征一朗も寝ていてああ、ひさびさにゆっくり風呂に入れると思ってゆっくりした。しかし、征一朗にウインナーを食べさせたのが悪かったみたいでその日の夜中から朝方にかけ、征一朗の夜鳴きが永遠と続き親子三人ぐったりとしてしまい力をつけるはずの焼肉が逆に夫の力を奪ってしまったようだ。朝起きてみると征一朗の顔がはれていてアレルギー反応だったことを再確認した。
May 30, 2006
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征一朗は母乳指導の先生がいうところ魚の油が多いとアレルギーに反応してしまいブツブツが出る。というかすぐ出るのであ、魚かな、肉かなとか思うのだが一応油抜きは欠かさないようにしてるけど急ぎでついついそのまま出してしまうことが時々あってそれが天然ものだとブツブツ程度で済むけれど養殖の鯛なんかあげた日にはかゆがって泣きわめく。そのときに思った。私は養殖の魚にはなりたくない。養殖の魚は何も苦労せず、餌は貰えて大きな魚からは食べられることなくのほほんと生きていける。だから余計な脂肪をたくさんつけるのだ。天然の魚は自分で苦労して餌を手に入れる。そして毎日がサバイバル。いつ大きな魚に食われるか殺されるか。そして自分も餌を食わねば餓死してしまう。そしてそんな苦労が努力が経験が引き締まったボディを作ってくれて私たちに美味しい身を提供してくれるのだ。人間だって同じではないか。用意されたレールを当たり前のように生きていき自分では何も苦労してないのに人ばかり羨ましがって常に文句ばかりいっている醜い脂肪の塊のような周りに悪影響を与えるそんな人間にはなりたくない。天然の魚のように努力して、いろんな経験を得て優しくなった人間はどれだけ魅力的か。私は天然の魚のように身も心も(特に身)引き締まった人間になりたいと、ふと思った。今日、そんな天然の魚のような素敵なお友達が4月にカナダで超カッコイイパティシエと結婚すると聞いた。興味がある人はチェック→marinanariさん彼女は最大限努力して英語を身につけお金をためてカナダに留学していった。そして1年もたたない今、結婚が決まった。私が知っているところの彼女は恋愛でも仕事でも私からするとすごい経験をしてる女なのだが彼女はそのいやな経験もすべて「幸せで記憶がない」と言っていた。彼女こそ、天然の魚的女である。苦労や努力をたくさんしているはずなのに本人的には気にもとめていない。それに加え、タイミングや運をつかむのがうまい。私は彼女に出会って、彼女のような生き方の人間に出会えたことがとても嬉しい。そして心からおめでとうと言いたい。
March 8, 2006
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貯金を下ろしに行って、先日のお仕事の入金確認もし、これをどの通帳に入れようかなど考え事をしていたせいか、あれ、一冊足りない。落とした?うそーん家に帰ってもない。頭の中をぐるぐる回る。機能をとめるのが先か探しにいくのが先か。でもふと、ありえないだろうけど、落としただろうキャッシュコーナーの銀行へ電話した。「あの、通帳の落し物ありませんでしたか?」「お名前は?」「○○です。」「お待ちください」「ありますが、身分証明書をお持ちください」ええっつ??あったの、びっくり。この通帳は貯金用なので微々たる物でも私にしては大金・・・どうやら親切な方が拾って届けてくれたらしい。信じられない、この世のなか、そんなイイ人ちゃんといるんだね。(もち、私も届けるけれど)身分証明をしてありがたーく受け取り、念のため確認したがちゃんと入っていた。怖い怖い、ぼーっとしてたみたいで。。気をつけよう。それにしても運が良かった。ありがたやありがたや。
March 2, 2006
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先日悩まされていたお仕事もひと段落。ある、リハビリ専門学校の校章マークをデザインしていたのだが依頼者の要望と作り手の願望が一致するまでに手惑い、苦悩の末、最後に提出したものでやっと採用が決定した。一安心。ってことで少し自由な時間が戻ってきたのだ。そこで友達から以来があり、友達の子を数時間預かることに。友達と今、託児所ごっこみたいなものをしていて一般の一時預かりの高さになかなかゆっくり子供を預けれないので通常より半額くらいの値段で引き受けることにしている。しかも食事やおやつ付き。私はまだ友達に預けたことはないけどこのシステムなら預けてもいいかなと思う。もともとお金とかいただかなくても預かっていたけど友達が気を使わずに預けたいらしくこの話を持ち出してきた。ただ、家の中にいても飽きてくるのでお外に出したときが通常の倍、目をみはらせなければいけないからものすごく気を使う。だって、もしものことがあったらゴメンナサイではすまなくなるから。このお外に出る時、2歳になる征一朗をだっこひもで前にぶら下げさらにベビーカーで友達の1才半になるイケメンの男の子をゴロゴロと押していく姿を通りすがりの人々は哀れみか温かみに満ちた視線を私に投げるのであった。それにしても友達の子・たっくんは顔がいいだけではなくとても賢く、じゃあ行こうかというと自分でベビーカーに乗って待機してくれる将来有望なイケメン1歳半である。二人をお外で遊ばせ、電車を見に行き、神社で遊びさらに公園でおやつを与えそしてまた征一朗をぶら下げベビーカーを押して帰ってきた。公園では双子さん?とおじいさんに言われ通りすがりの二人目を抱っこしたママからはお互い大変ですねという視線を投げられながら帰ってきた。腰痛のため整骨院、温泉施設へ行ってきた友達はありがとうといって喜んでお代金を置いていってくれた。毎度!でもお外へ行くのはちょっと今回だけにしておこうかと思う。人様の子を預かるって本当に神経使うなあと思った。一般の託児所が高いのはよくわかる気がする。そしてまた別の友達から再来週に頼まれてしまった。人生とは自分が思わない方向に進んでしまうものだろうか。いつのまにか保母さんになっていたりして。
February 11, 2006
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前回の日記でテレビ放送のことを書いたがその放送日が今日1/31だった。前日によか風http://www.yokakaze.com/の中島さんより時間帯のお知らせメールが届いた。FBS福岡放送 めんたいワイド (15:50~17:50)http://www.fbs.co.jp/mentai/という番組。なぜ、この番組に出たかというと、2年前の出産した時に命名の掛け軸を中島さんに書いていただいて、その掛け軸が今回、上記番組の「世界にひとつだけの贈り物」といタイトルで中島さんが取り上げられていてその後の征一朗の成長振りとともに撮影されるといういきさつであった。それに便乗して家族三人映ったという話。コメントもさせて頂いたのだ。番組放送終了後に友達やら知り合いの方々から次々に「メイクがバッチリだった」「部屋が片付いていてた」などのあたたかいコメントがメールに送られてきた。自分で見た感想。「緊張で言葉がなまっている」超恥ずかしかった。私ってああなん。最後に出産後まもない膨れた私の笑顔の写真が数秒間画面を占めていたので、うわーやめてくれっと思いながらも田舎出身者の私にとって初めてのテレビ出演の嬉しさのあまり数回もビデオを巻き戻しして見た私であった。でも家族そろっていい記念になった。征一朗が大きくなって見せてあげたい。今時点で見せたら分かっているのか征一朗の顔がアップになると彼は「うおーっ」と興奮していた。ご紹介いただいた中島さん、この場を借りてお礼を言わせてもらいます。本当にありがとうございました。この記事は↓これから見れます。1/31のよか風のブログhttp://yaplog.jp/yokakazeです。
January 31, 2006
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今日で34歳になった。気持ちだけはまだ10代から止まっているのに外側だけが年齢を重ねるからやっかいだ。気持ちと見かけのアンバランス。今日は誕生日。偶然なのか、知り合いの書家書家・中島広輝さんのテレビ出演に私達一家も出ることになった。かなり緊張。10秒くらいの枠と聞いたから油断していただけにいきなりのインタビューにとまどった。玄関から入ってくるシーンをとっているのにどうやら緊張して私が鍵をかけたらしくレポーターさんがドア開けようとされた時に「○○さーん、鍵が!!しまってます!!」と言わる。そんなアクシデントから撮影は始まった。ものすごく緊張。でもしだいに慣れてきて、そのうち、口はぽかんと開いてないか、姿勢は悪くないかとか気になってきた。友達は私の口が普段あいているので心配してくれていたらしい。早く言えよ。でも自分では気をつけていたからたぶん大丈夫。撮影の間、カメラが回っているのに征一朗がおっぱいをほしがって胸元に手をつっこんできたのには参った。はー、かなり緊張。でも思い出の誕生日となった。
January 26, 2006
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昔のジーンズをはいてみた。このリーバイス、今より10kg近くスリムな20代のころ難なくはきこなしていたはずだった。腹筋運動は続けているのでそろそろはけるかなと試してみた。確かに、前はボタンさえかからなかったけどやっとボタンはかかるようになった。しかし、腹が服のようになっている。これには悲しい通りこして大笑い。旦那も苦笑。でも何とかきつきつはいていた。しかも、前かがみになるとジーンズに殺されそうになる位苦しい。「苦ひい、ジーンズに殺されそう・・」私の悲痛の声に反するように旦那が嬉しそうに「ジーンズ殺人事件」と名づけていた。これ、「姿勢が良くなるよ、だって前かがみになると肉がはさまって殺されそうになる」と言うと「京都、ジーンズ殺人事件」と旦那。「警部、ガイシャはジーンズに挟まって死亡したもようです」と私。などと言い合いながら朝から昨日の残りの高カロリーのカレーを食べている私と旦那であった。
January 16, 2006
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先日の7,8,9に大型のフリマが福岡のyahooドームで開催された。私が行ったのは8日でたくさんの人でにぎわっていた。出展するのに5000円、入場に500円(当日700円)主催者は大もうけだろうなと思われる程の賑わい。私は今日は客側で。友達のすこかなさんに誘われ、そのお友達とちびっ子2人の六人で。はじめにスタバで待ち合わせ。初顔二人の独身女性たちと軽く会話を楽しんだ後、いざドームへ。前日から準備していた久しぶりに使う抱っこ紐を装着。かなり並んでいざ入場。ドアを抜けると球場に広がる店舗数のなんと多いことか。これが大型フリマなのか。階段を一歩降りるごとに期待が増す。ついでに背中の征一朗の重みも増す。球場に降り立つとみんな一斉に各店舗を回りはじめた。私もすこかなさんも背中に赤ちゃんでもない微妙な年齢の重たい幼児をしょって掘り出し物を探し始めた。重たい。本当に重たいのだが、けっこう大人しくしているぶんましなのかもしれない。私は今度の友達の披露宴で着る黒いドレスにふさわしいコサージュとアクセサリーを買った。4200円→500円のコサージュ13500円→2000円さらに値切って1300円のピアスとネックレス4800円→2000円値切って1500円のネックレス全部新品。はじめについてる値札は言い値だからあてにならないが全部気に入ってこんな値段ではフリマ以外では買えないだろう。あと500円のセーターを300円。新幹線を300円で買った。征一朗は新幹線に夢中でそれを狙って買ったんだけどいつもは譲らないんだけどこの日ばかりはシュンちゃんに一列あげていた。あまりかっこよくなかったのだろうか。途中で知り合いの書道家・中島さんに会った。彼は出展していたので一筆書いてもうらうことに。何を書いてもらおうかと思い、ちょうどぶら下げる額だったので表札っぽく「○○家」って書いてもらえますか?というと「喪中みたいですね」と言われた。それもそうだ。じゃあ、トイレの前にぶら下げようと思い、「じゃあ厠って書いてもらえますか?」え?かわやですか?ちょっと不満そう。周りにどんどん人が集まってきた。分けがわからなくなってきた私は「1%にかけろ」とか言っていたので中島さんは不思議そうにしていた。それ、私の座右の銘なんです。「はあ」きっと早く決めろって思っていたに違いない。結局、あまり変なことを書かせるのも悪いので普通に「笑顔」と書いてもらった。でもかなりお気に入りである。そんなこんなでいろいろ買って、大満足のフリマだった。帰りに天神で自然食ランチをしてきた。おいしかった。フリマで掘り出しものを探すのって楽しい。征一朗を背中にしょっていけるのももうあとちょっとかな。。
January 8, 2006
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実家からもらった、近所のおばちゃんが作ったという大根なんかえろい見た瞬間に笑いがとまらなかったが旦那も噴出した。いい目覚めになった。あまりにも面白いので今でも調理できないでいる。情がわく前に調理しなければ。
January 8, 2006
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元旦は7時に仕事が終わる旦那と天神で待ち合わせし、そのまま警護神社へ参拝。今まで愛宕神社という小高い丘の上にある神社にいっていたが階段が多いため、今年は征一朗を連れていくの大変だから平地にあって旦那の職場に近いところを選んだ。そこでおみくじをひいたが旦那は大吉。私は中吉。旦那は引く前に大吉をひくような気がした。あ、私は非常に勘がいいのだ。あまりにも勘がいいのでよく気味がられたりすることもある。友達の突然の離婚宣言も会う前から分かっていたし。でその大吉を引いたとき、わー大吉当たったと旦那が喜んでいたそのそばでセイイチローが「ダイキチ(チは聞こえないくらい)」と言い出した。それから意味もなく縁起がいいのでずっとダイキチと言わせている。二日目はゆっくり過ごし、三日目は仕事をしてセイイチローと昼ごはんを食べに行った。近くのパスタ屋なのだがおせちにあきた人々がズラリ。店員は忙しいのか愛想がないし、ジュース持ってきてくれてもお待たせいたしましたも言わないし、メニューを決めてアレルギー物質のこと確認したらはじめの店員は醤油味とトマト味には入ってませんって言ったので安心して頼もうとしてメニューを取りに来た店長っぽい男性にもう一度確認したら「当店はオイルにバターを組み込ませてるからすべてに入ってます」と言った。ええっさっきの店員は入ってないっていったのに。危ない、危ない。えっじゃあって他のメニューを探そうとしていたら「すみません、先にいいですか」といって忙しそうに違うとこに行くしこのまま帰ってやろうかと思った。だいたい、世間の外食産業はアレルギーと無縁の世界。アレルギーの子は三人に一人いるっていう統計が嘘なのかどこにいってもアレルギー対応は非常に少ない。そもそも洋食屋に行くほうが間違いなのか。ひとつ位は用意しとけよって腹がたつのだ。いつも。でもここにきた以上、引き返せないからとりあえず醤油味でベーコンとあさりをを頼む。しかし、家でも作れそうなのになんだこの値段。でおそるおそる食べさせたら顔の周りが赤くなったものもセーフ。良かったー。その日はそのまま散歩に出かけゆっくりと公園で遊んで帰ってきた。のんびりとしたお正月だった。
January 4, 2006
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もう、2005年もあと2日をきってしまった。先日のクリスマスはローストチキンとピザを2種焼いた。フルーツの盛り合わせとサラを用意、ケーキを焼いたけど料理に1日かかった。こんどはおせちだ。2日がかりになりそう。私は、頭が悪いので、何を作るかメモらないと分からなくなる。その考える時間さえ、征一朗が許さないので何かを考えたり一息入れたいときは地元のファミレス「ロ○○ルホスト」へいく。ドリンクバーで飲み放題にお世話になりながら、征一朗のおもちゃも貰い、お子様ポテトとジュースを与えて1時間近く、一息つく。ポテトやジュース、おもちゃに夢中な征一朗はこのときばかりは私に休息を与えてくれる。まさにここは私の休息の場所なのかもしれない。今日はおせち料理について何を作ろう、材料は何をかってこれはいつ作ろうとかそんなことをココアを飲みながら手帳に書いていた。征一朗はこの店に入る前からマンマンマと楽しそうに笑っていた。いろいろ考えていたら、結構な種類とお金もかかるなと思いながら、でも実家がそうだったようにお正月料理はビシッと決めたい。何を作るかはまた年あけてから写真でもとるとして今日からがんばってみる。年賀状も済んだし、大掃除も少しずつやっていてもう少しかな。去年は元旦から征一朗が水疱瘡にかかりだんなが風邪をひいたりで大変だったから今年はっゆっくり迎えたい。しかも出会って初めて一緒に年を越せるのだ(今まで夜勤だったから)しかし元旦から仕事らしいのでゆっくりとした時間は一緒に過ごせないけどまあ、家族そろって年越しが一緒に出来るのは大事だし嬉しいことだ。
December 29, 2005
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ブログがとっても可愛い、もうすぐ出産予定のkana367さんから『さよなら2005年、こんにちわ2006年バトン!』を受け取りました。1.2005年で一番うれしかった出来事は?旦那の仕事場が変わり、夜勤から常勤になったことで生活が一変し、普通の生活が送れるようになったこと。おかげで征一朗がのびのびしてること。2.2005年で一番悲しかった出来事は?5kg太った3.2005年で一番悔しかった(むかついた)出来事は?覚えていないがパンで失敗する度に腹がたつ。4.2005年で一番恥ずかしかった出来事は?妊婦に間違えられたことが2回以上ある。5.前年度末に決めた2005年への抱負は何だった?征一朗をしっかり育て、旦那様とも仲良く。パンがもっと上手くなりたい。6.5の抱負は2005年度内に達成された?はい。7.2006年度の抱負は?仕事を少しずつ増やし、両立が出来るようになりたい。征一朗を伸び伸び育てたい。7kgやせたい。8.7の抱負を達成させる自信のほどは?がんばる。9.バトンを回す方3名ご指名。お料理がとっても上手な ■゜・*:綾乃☆゜・*:■乃 さん彼とラブラブでかわいい現場監督のともちぃさん知識豊富でセンスが香る沙織さん興味あるのでよろしくお願いします。忙しいところすみません。
December 23, 2005
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