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昨日紹介したロクマリアケールの羨道墳「 La Table des Marchands(商人のテーブル)」には、ほかにも模様が刻まれた支柱石や天井石が見つかっています。まずは天上の石に刻まれたシンボル。なにか鍵のような、あるいは工具のようなシンボルが描かれています。次は入り口付近になった支柱石。これは線刻文字のようですね。たくさんのクロスが描かれたとも解釈できそうですから、一種の魔除けの効果を狙ったものでしょうか。倒壊した立石「ル・グラン・メニール」にも絵が刻まれていたと書かれていました。真ん中が「ル・グラン・メニール」で、中央上部に奇妙な絵が彫られていますね。これは鋤などの畑を耕すための道具だったのではないかと考えられています。「ル・グラン・メニール」は紀元前4700年に建立された立石だと見られますから、6700年前の農具なのでしょうか。上の写真の左側の立石にも同じものが描かれていますね。この立石も倒壊して三つに割れてしまったようですが、紀元前3300年ごろ、真ん中の石はガブリニ島の羨道墳の天上石に、下の石は「商人のテーブル」に再利用されたと書かれています。ほかにも動物や骨とみられる絵や・・・・・農具とか工具とみられる絵が刻まれた石が見つかっています。
2016.01.31
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ロクマリアケールにはドルメン「平らな石」のほかにも、見応えのある遺跡があります。それが現存する世界最大の立石(メンヒル)とされる「ル・グラン・メニール(巨大メンヒル)」と墳墓の遺跡です。その巨大メンヒルです。かつては全長20メートルの立石でしたが、今では倒壊して四つに砕けています。巨石の右の方に、赤い服を着た「小人さん」が岩の上に立っているように見えますが、あれは遠くを歩いている人をふざけて撮ったものですから、妖精ではありません(笑)。で、この巨石のそばに墳墓があります。この墳墓の内部にある壁面の石に、見事な紋様が刻まれています。それがこちら。これではよく模様がわかりませんが、ライトアップされると模様が浮かび上がります。近くに寄って撮影します。模様だけがわかるようになっている模型も展示されていました。それがこちら。四段の渦を巻く波のような模様が一面に描かれています。波は自由のシンボル、風のエネルギーです。で、4は人間関係のシンボルで、樹木のエネルギーを表しますね。石全体はお結び型の三角形ですから、火のエネルギー、情熱のシンボルとなります。一段目の「波」の数は、右側が9つで、左側が7つ。二段目の「波」は、右側が7つか8つ、左側が6つ。三段目の「波」は、右側が6つで、左側が5つに見えます。一番上の段の「波」は、右が5つで左が4つでしょうか。どういう意味があるのか明確にはわかりませんが、ここにも宇宙の三大原則である、繰り返し、対称性、同質結集のテーマが刻まれているように思います。さらに右下を見ると、丸のシンボルと、知恵の輪の形のような、ループ状シンボルが描かれています。これは刻んだ人のサインのようなものでしょうか。丸やループは天のエネルギーを指します。いずれにしても、羨道(通路)の突き当りに飾られたお結び型の岩に刻まれた岩絵ですから、非常に意味のある大事な紋様石であったことは間違いありませんね。
2016.01.30
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ロクマリアケールから約3キロ東のモルビアン湾に浮かぶ「ロング島」には、非常に面白い岩絵が見つかっています。それがこちら。紀元前3900~3500年、すなわち今から5900年ほど前に建造されたドルメンの支柱石に刻まれたシンボル(レプリカ)です。左右に耳のような出っ張りがあり、上には角のようなものが描かれていますから、日本人なら直感的に「鬼の頭ではないか」と思ってしまいますね。フランスの学者の間では「盾ではないか」とか「紋章ではないか」などの諸説がありますが、その「正体」は全くの謎です。「鬼」に関連して、私にはこの絵には思い当たるものが二つあります。一つは人間のオーラ。オーラがこのように見える場合があるんですね。拙著『異次元ワールドとの遭遇』(第七章のP200)で内田秀男氏のオーラメーターを紹介した際、怒ると人間の頭から角のようなものが「オーラ」の形状として出てくるという話を書きました。それによく似ています。実際に岩絵をよく見ると、このシンボルを取り囲むように、放射状に細かい線が描かれています。実はこれもオーラの特徴ですね。この一つ一つのグラスファイバーのような「光線」の先端に意識を向けると、そこからその人の情報が読み取れるのだと、秋山眞人氏が言っておりました。そしてもう一つの可能性が「異次元ポット」。これも『異次元ワールドのとの遭遇』(第九章のP265~P269)に登場します。秋山氏によると、形は「顔も手も足もない、だけど人型のもの」で、異次元とこの世界をつなぐ「装置」のようなものだといいます。それにも非常によく似ています。その本の中で書きましたが、私の兄は「異次元ポット」とみられる「この世のものではないもの」を神社で目撃しました。兄が書いたイラスト付きのメモをご参考までに挙げておきましょう。この世には時々、信じられないようなものが出現する、ということでしょうか。みなさんはどう思われますか。(続く)
2016.01.29
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ロクマリアケールのJ字形ドルメン「平らな石」はこのような遺跡です。入り口を入って奥へ進むと、途中からJの字のように左に大きくカーブしています。その支柱の石に前日紹介したシンボルが刻まれているわけです(博物館にあるのは確かレプリカです)。その続きで、こんなシンボルもあります。昨日のシンボルやリュファンのシンボルとほとんど同じモチーフです。三重(一部四重)の輪に中の縦線。輪に囲まれた中央のシンボルは複雑で、上二つは二重の同心円です。二列目は、左側が閉じていない、二つの馬蹄形の半円記号に見えます。三列目は、左に馬蹄形の半円記号、右に同心円です。四列目は、一重丸が二つ。ここまで複雑になると、もうシンボルと言うより言語に近い記号と言えます。「平らな石」の支柱には次のようなシンボルも見つかっています。張り出した両肩のある輪が描かれ、その中に二つの輪の構造がありますね。左の輪の中は同心円と見られる丸が3つ、右の輪の中にはそれが4つあります。で、その二つの輪は底の部分で線で結ばれているわけです。何か明確なメッセージが感じられます。昨日紹介した、「平らな石」のもう一つのシンボルも再掲載しましょう。一つの解釈として考えられるのは、このドルメンの三つのシンボルは男、女、子供です。ただの推測ですが、中央の丸は遺伝された形質を表しているのかもしれません。いずれにしても、明確な意図の下に彫られた、三つの意味の異なるシンボルが描かれていることは間違いありませんね。(続く)
2016.01.27
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昨日紹介したリュファンのドルメンから南東に約5キロ離れた、同じくモルビアン県のロクマリアケールにある「レ・ピエール・プラート(平らな石)」と呼ばれるドルメンにも、リュファンのドルメンと同じモチーフが描かれています。こちらをご覧ください。四重の輪が描かれ、その内側に4つの丸、中央に縦線があります。もう一度昨日のリュファンのドルメンのシンボルを見てみましょう。四重(一部五重)の輪に二つの目のような丸。そして中央に縦線。非常によく似ています。でも、明らかに違うものでもありますね。リュファンのドルメンのシンボルは伊勢エビのような形状をしていますが、こちらの印象は四角いパンみたいです。上部の突起みたいなもの(「突き出た肩」と呼ばれています)も、リュファンのは尖っていますが、ロクマリアケールのはなだらかな「なで肩」ですね。エネルギーの強さや動きではリュファンのほうがあり、ロクマリアケールの方はよりずっしりと安定した感じがします。だけど両方ともやはり、繰り返し、対称性、同質結集という宇宙の三大原則に適っています。この宇宙に存在する何かを表したシンボルであることは間違いないですね。これと同じシンボルは、まだほかにもあります。(続く)
2016.01.26
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スコットランド、ウェールズ、アイルランド、それにフランスのブルターニュ地方は独特のケルト文化が残された地方として有名ですが、少なくともケルト人が入って来る2000年前に、そこには巨石文明を築いた人たちがいたわけです。アイルランドではダーナ神族と呼ばれていましたが、フランスのブルターニュ地方では、ケルト人よりも前に暮らしていた「新石器時代の人々」としかわかっていません。その「新石器時代の人々」が巨石に残したシンボルを見て行きましょう。まずはこちら。カルナックの博物館に展示されている巨石で、L字形に支柱石が配列されたドルメンで有名な、「リュファンのドルメン」の支柱石の一つである、と記されていました。紀元前3000年ごろの遺跡。リュファンはカルナック列石から北東に5キロほど離れた、モルビアン県のクラコにあります。この不思議な模様ですが、アイルランドやスコットランドの巨石に刻まれた模様とはちょっと違うシンボルに思われます。何かの生物かエネルギー体を描いたようにも見えます。でも、ここにはちゃんと宇宙の三大原則が刻まれているんですね。宇宙の三大原則って、なんだっけ、と思われる方も多いのではないかと思います。鼎談本『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド1』で秋山眞人氏が紹介している宇宙の三大原則で、繰り返し、対称性、同質結集です。くり返しは円環です。模様を見ると、ちゃんと環になっていることがわかりますね。ちょっとオーラにも似ています。で、全体を見ると対称性があります。ほぼ対称でちょっと違うところがミソですね。完全な対称形だと何も生まれませんが、「対称性の崩れ」があることで、この宇宙が誕生しました。で、同じような形状の環が4重に描かれていることは、同質結集を表しています。実はこれと似たようなモチーフのシンボルが別の場所からも見つかっています。ということは、このようなモチーフと同質のものがこの地域に集まっていたということも言えます。二つの目のような同心円も意味深です。目なら火のエネルギー、丸なら天のエネルギーの象徴となります。他にも意味があるのかもしれませんが、私が今言えるのはこれだけです。それでは次の模様を見てみましょう。(続く)
2016.01.25
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アイルランドの首都ダブリンです。パブはいつも大賑わい。リフィー川。1981年に最初に見たダブリンのイメージがまさにこのリフィー川沿いの風景でした。歴史と伝統のあるトリニティー・カレッジ。ここの図書館の雰囲気は最高です。そして有名な「ケルズの書」。再び外に出ると・・・オバマ米大統領がちょうどダブリンに来ており、大変な騒ぎ。2011年5月23日のダブリンでした。これで巨石とイエイツの故郷を回るアイルランド一周の旅はおしまい。次からはフランス・ブリターニュの巨石模様を紹介しましょう。
2016.01.24
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ダブリンに戻る前に、もう一つだけ遺跡を見に行きました。それが「ロウクルーの羨道墳」です。5500~5300年前の遺跡です。タラの丘、ニューグレンジ、キャロウキール遺跡群、キャロウモア遺跡といった5000年前にはあったとみられる遺跡群と、ケルト神話にたびたび登場する聖なる山ベン・バルベンを結んだ「ベン・バルベンのレイライン」、あるいは「タラの丘のレイライン」と呼ばれるレイライン上にあります。このラインをそのままイギリスの方に延ばして行くと、エイヴベリーの大ヘンジに至ることは既に説明しましたね。そのロウクルーの羨道墳はこの丘の上にあります。羨道墳に到着。写真奥に見えるのが羨道墳です。中には入れませんでしたが、入り口から中の羨道部分を撮影します。左側面の岩にボイン渓谷の羨道墳で見られたと同じような模様が刻まれていることがわかりますね。春分と秋分の日には、この羨道を通って奥の石まで太陽の光が届くように設計されているそうです。ここには羨道墳以外にもいくつもの巨石遺構が配置されています。基準石のようなもの(写真手前)が置かれていることから、やはり天体観測や方位の目印として使われていたように思われます。風よけをしている人が写っていますね。結構、風が強くて寒くなってきたので、遺跡の岩陰に隠れているわけです。この丘は約25個の墳墓が見つかっており、「魔女の山」と呼ばれていました。(続く)
2016.01.23
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ダブリンからスタートして、タラの丘、ボイン渓谷を経て、北アイルランドを通り抜け、北西部のドネゴール地方と詩人イエイツの心の故郷であるスライゴ―を訪問。さらには手編みのアランセーター(フィッシャーマンセーター)で有名なアラン諸島をめぐり、再びアイルランド本島に戻って南下、ケリー州と最南端のコーク州へと時計の反対回りにアイルランドをぐるっと回ってきた旅も、残りはダブリン方面に向かうだけとなりました。その途中で立ち寄ったのが、ブラウンズヒル・ドルメンです。カーロウという町の東3キロの牧草の広がるの丘にあります。緑の牧草は、風が吹くと、一斉に波の伝搬のようになびくので、見ていて飽きません。写真中央の牧草の中にポツンと鎮座しているのが、そのドルメンです。遠くからだと羊のように小さく見えますが・・・・かなり重厚で、幅6メートル、高さ2・5メートルほどの大きなドルメンです。天上の石(キャップストーン)は推定で103トンもの重量があり、欧州最大ではないかと考えられています。推定建造年代は、今から5000~5500年前。ケルト族の人々が流入する2000年以上前の建造物ですね。ダナン神族が造ったのでしょうか。別の角度で撮影。トンネルになっていますね。入口付近には意味ありげな石の配列がありました。ついでに、若かりし日の筆者(といっても約5年前の私ですが)の写真も紹介しておきましょう。滅多に記念写真を撮らないので貴重な一枚です。さあ、さらに先に進みましょう。(続く)
2016.01.22
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ドロムベッグ・ストーンサークルの辺りはアイルランドの最南端に当たる地方です。そのドロムペッグから東北東に約18キロ離れた場所に、別のストーンサークルがあります。それがテンプルブライアン・ストーンサークル。膝のあたりまで生い茂った草原の中にありました。その草原の草をかき分けて、ようやく到着。真ん中の小さな立石を含めると5つの立石が立っています。1743年には9つの立石があったと記録されていますが、今ではそのうち4つが無くなっていました。だから元々どのようなストーンサークルだったかは不明なんですね。5つが残っていただけでも、よかったと考えることにしましょう。(続く)
2016.01.20
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ケリー州から南西端にあるコーク州に入ります。ここで見学したのは、ドロムペッグのストーンサークル。引き続き雨の中での見学となりました。ここのストーンサークルは有名で、ご覧のように雨にもかかわらず見学者も多かったです。このストーンサークルには横に寝かせたような石がありますね。これはスコットランドのストーンサークルに多く見られる構造で、この台形の石の上に登る月を観測して、お祭りをしたのではないかとみられています。見学者の一団が通り過ぎた後、ゆっくりと写真を撮ります。なかなか綺麗なストーンサークルでした。(続く)
2016.01.19
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キラーニーを後にして、さらにアイルランドを南下して行きます。途中立ち寄ったのは、ボナン公園にある遺跡群です。小雨の中、公園の中にある、このような遊歩道を歩いて行きました。最初に見つけたのは、ドロマゴティーン・ストーンサークル。大きな「石の標識」が立っているので、見逃すことはありません。5000年前~4000年前の遺跡だと考えられています。中央の石から見て、夏至や冬至の太陽、それに月の運行を観測していたとみられます。次は、BULLAUN(洗面器、たらい)と名付けられた巨石。ご覧のように、岩の側面に水が溜まるような穴があけられています。側面にあるのは珍しく、冬至の太陽の方角を示しているのではないか、とみられています。日本の「天の真名井」に似ていますね。お次は立石。ちょっと傾いていますが、存在感があり、ちゃんと「標識」の役割を果たしていますね。もちろん、これも天体観測用であった可能性があります。最後はリング・フォート。環状の要塞ですね。写真では全体像がわかりずらいかったので、案内板の絵をご覧ください。このように歩くだけなら30分ほどのウォーキングコースですが、五種類の遺跡を見学することができるので面白かったです。(続く)
2016.01.18
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ディングル半島を一周して宿泊先のキラーニーに戻って来ると、そこで待っていたのは・・・・・・「ヒッチコックの鳥」的な世界。無数のカラスが空を覆っていました。写真に写っているだけでも100羽ぐらいいそうですね。こちらはキラーニーの街中です。アイルランドではパブにもお世話になりました。(続く)
2016.01.17
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ケリー州ディングル半島の続きです。スリーヘッド岬から3・5キロほど東に位置するダンベッグの遺跡。鉄器時代に造られた、崖の上の石の要塞です。アラン島にもありましたが、巨大な崖が後方を守ってくれているわけですね。このような建造物の中に暮らしていたようです。「蜂の巣小屋(beehive hut)」と呼ばれている石造りの小屋です。上の小屋は紀元前1000年ごろ造られたのではないかと見られています。ちょうどケルト族がアイルランドに侵入してきたころですね。果たしてケルト族が造った小屋なのか、それともダナン神族のものなのかは不明です。で、要塞から海の方角をのぞき込んでみると・・・絶景が広がっておりました。(続く)
2016.01.16
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昨日紹介したスリー岬は、アイルランドの最西端でヨーロッパの最西端でもあるディングル半島の先端にあります。冗談でアメリカの隣の地区と呼ばれることもあるとか。キルラーニーのホテルに泊まった時、ディングル半島は綺麗だから是非行くといいと言われ、ほぼ一日かけて半島を一周しました。そのときの風景をご紹介します。海岸。遠くに見える入江と湖沼。小川と渓谷と山。スコットランドのハイランドに似ていますね。公用語は英語ではなく、アイルランド語(ゲーリック)。地元の人はディングル半島とは呼ばず、「コルカ・グウィヴナ(Corca Dhuibhne)」と呼びます。かつてこの半島を支配していたグウィヴナ族のことを意味するようです。この辺一帯は、知られていない巨石群の宝庫でもあります。次はこの周辺を重点的に探検したいと思っています。
2016.01.13
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モハーの断崖を訪れた後、南下してアイルランド南西部のケリー州に入ります。キラーニーに宿泊。キラーニーを拠点にして、既に紹介したダンローのオガム石を見て、さらにそこから周辺の巨石群を見て歩きます。とある海岸の町。アイルランドらしく家の色がカラフルです。そこからしばらく進んで行くと、車窓から立石が四つ並んでいるのが見えます。早速、車を止めて撮影。実は地図にも載っていない立石です。ただし、立石は私有地の中にあり、立ち入れません。仕方なしに反対側に回って、行けるところまで行くことに。そして撮った写真がこれです。やはり近づくことはできませんでした。アイルランドの巨石はこのように、私有地にあったりして、見学できないものも多いです。だから地図にも掲載されないんですね。ということは、まだ知られていない巨石群がたくさん埋まっている可能性もあるわけです。スリー岬の辺りでしょうか。利島や鵜渡根島のように綺麗な三角形の山が見えたので撮影しました。
2016.01.12
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せっかく2011年のアイルランド取材旅行を取り上げたので、2011年9月までのブログで書き切れなかったアイルランドをご紹介してから、次のシンボルマーク(多分フランス・ブリターニュ地方の岩絵)に進みましょう。当時のブログを見ると、アラン島から再びアイルランド本島に戻った後、アイルランド西部にあるバレン高原の「巨人のテーブル」と呼ばれるドルメンを訪問した辺りまで紹介しておりました。こちらがそのバレン高原の巨人のテーブル。手前に立っているのは巨人ではありません。ただの観光客です、念のために。で、その巨人のテーブルと共に、西海岸で人気の観光スポットが、次に紹介するモハーの断崖です。巨人のテーブルから20キロほど南西に行ったところにあります。最大で高さ200mの断崖絶壁が延々と(低いところも入れれば8キロも)続いています。モハーの断崖はアイルランド語で「破滅の崖」の意だとか。くれぐれも破滅しないようにしてくださいね。モハーの断崖は1981年7月にも訪れています。当時は周りに何もない崖でしたが、今はビジターセンターや駐車場などが整備され、まさに観光地という感じに変身しておりました。晴れた日にはゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島やコネマラの谷や丘が見られるそうです。(続く)
2016.01.11
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ダブリンにある国立考古博物館で見つけた紋様もご紹介しましょう。最初はこちら。結構洗練された紋様です。手元に資料がないので正確ではないかもしれませんが、キリスト教が入って来たころのケルト人の作品ではないかと思われます。跳ねるような、軽快なエネルギーの紋様に見えます。続いてこちらは、もっと古い時代の作品でしょう。同心円っぽい丸の中に、多くの小さな穴が彫られています。私には、タラの丘のような城塞を張り巡らせた丘か何かの地図のように見えます。堅固なモノの象徴でしょうか。そしてこちらは、スコットランドでもよくみられる同心円のリングとカップマークと名付けられた丸い穴の組み合わせの紋様。数えたら11重の同心円でした。やはり安定を表わすシンボルでしょうか。ちなみに秋山氏によると、11は霊界旅行のシンボルなのだとか。霊的な旅や悟りと関係があるようです。次も同心円のマーク。左の同心円は欠けているためか、三日月形の船にも見えますね。三日月は口のシンボルでもありますから、何かを伝えたかったとも解釈できます。最後はちょっと変わったシンボル。中央に描かれたのは太陽紋のように見えますが、太陽光線が枝分かれしているところが面白いところです。太陽の丸はリーダーシップや天のシンボル。枝分かれしている光線の部分は人間関係や樹木を表わすシンボルとなります。二つを組み合わせると、リーダーシップ、あるいは支配力の広がりとなるでしょうか。左に描かれた波形、あるいは蛇の紋様は自由を表しますね。その左側には菱形も彫られています。これは寛容の大地のシンボルです。右上も何か削られていますが、これはよくわかりません。何か大きなものに光線の枝がぶつかっているようにも見えます。これは何かの物語を描いた絵なのかもしれませんね。
2016.01.10
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アイルランド南西部にあるキルナルアーンの石柱。何の変哲もない立石に見えますが、この石にもシンボルが彫られています。ただし、これもずいぶん時間を下って、9世紀に彫られたとみられています。見てもわかるように、キリスト教的な絵が描かれています。すぐにわかるのは、両手を挙げている人ですね。祈っているのではないかと説明する人もいるようですが、説教を説いているようにも見えます。下にはキリスト教のシンボルであるクロス。わかりずらいのは上部のマークですが、唐草模様にも見えます。何か紋章のような重要なシンボルが彫られていたのではないでしょうか。
2016.01.08
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時代はずっと下って5世紀。アイルランドにキリスト教が入り込んできた時期に、文字文明に対応するためケルト人が独自に作ったとされるオガム文字をご紹介しましょう。こちらがそのオガム文字が刻まれた石柱です。何やらいろいろな線が刻まれています。別の石柱の側面を撮影します。表の面だけでなく側面にもオガム文字が彫られていますね。もうちょっと近づいて文字を拡大して見ましょう。ただの線に見えますが、実はアルファベットに対応しています。オガム文字を解説した案内板がありました。たとえば、アルファベットとオガム文字には次の関係があります。オガム文字は、「誰々の息子誰々」といった意味の墓碑名に使われる場合が多いそうです。
2016.01.07
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アイルランド・ボイン渓谷にある、ノウス遺跡のお隣のニューグレンジの遺跡から、未紹介のシンボルマークをご紹介しましょう。ニューグレンジの出入り口前にある渦巻き文様は既に紹介しましたね。今日紹介するのはこちらの紋様です。左上には中心に向かって反時計回りの渦巻きが二つ描かれ、そのすぐ右には、ちょっと削れているのでわかりずらいのですが、中心に向かって時計回りの渦巻きか同心円が描かれています。この模様を見ても、時計回りか反時計回りかは偶然ではなく、ちゃんと重要な意味があって意図的に描かれていたことがわかります。この場合は反時計回りの渦巻きを三つ描くと強くなりすぎるので、右に時計回り、あるいは同心円のマークを描き、バランスを取っていたことになるんですね。次に左下のマークを見てみましょう。菱形の紋様が並んでいますね。菱形は正方形と同様に、寛容や受容を表わすシンボルであることが多いです。母なる大地を表しますね。右半分を見ると、同心円が多く描かれています。円は天を表し、リーダーシップのシンボルです。三重の円は太陽を示すこともあります。長方形のような楕円形で真ん中に窪みが三つ彫られた模様は、やはり円のシンボルであると考えられます。すなわち天とかリーダーシップの意味がありますね。三つの穴は火のエネルギーのシンボルでしょうか。ここでも異なる部族が集まって、協調しながら共同生活を営んでいたような印象を受けます。実にバラエティー豊かなシンボルが集まっています。
2016.01.06
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ノウスの古代遺跡にはまだまだ多くの彫刻が施された岩があります。全部は紹介できませんが、最後に3つだけ紹介して次に進みましょう。最初はこちら。面白いですよね。中央に描かれているのは、太陽紋とか日章紋と呼べれているシンボル、いわゆる菊花紋です。上半分がよくわからなくなっていますが、四分の一で8花弁ありますから、おそらく32花弁か33花弁の菊花紋と同じです。右上には中心に向かって時計回りの渦巻き紋があり、その下には単独の円や同心円が複数描かれています。で、中央下には横線のような刻みがあり、その左上にははっきりしませんが、大きな目のようなものが彫られているように見えます。時計回りの渦はエネルギーを集めるシンボルであり、同心円や丸は安定とかリーダーシップを表します。そこに太陽信仰が加わっている。横線を長方形とみれば、それは人間関係を表わすシンボルとなり、目は情熱とか熱意を示します。それらをイメージ的に解釈するとしたら、太陽信仰を持つ人たちが集まって団結して、強力なリーダーシップのもとに安定的に成長、発展しようという熱意を持っているのだ、と読むことができます。二つ目はこちら。非常にはっきりした波紋であり、蛇の紋章です。その右には、中心に向かって時計回りの渦巻き紋が描かれていますね。波形は形に囚われない自由さとか開放のシンボルです。その自由のシンボルの上に、まるで対決するかのように時計回りの渦巻きが彫られているということは、その自由奔放さのエネルギーを取り込むとか弱めるという意味かもしれません。あるいはその逆で、取り込もうとするエネルギーに対抗するために、自由のシンボルを渦巻き紋の上に重ねたのかもしれませんね。いずれにしても、ここには取り込もうとするエネルギーと自由のエネルギーの対比や対立が描かれているように見えます。そうでなければ、重ねて描いたりしないと思うんですね。左上には、波形紋に接して同心円が描かれています。この同心円は、まあまあそんなに対立しないで、仲良くやりましょうよ、という意味があったのかな、などと想像してしまいます。本当のところはわからないですけどね。最後はこちら。結構いろいろなシンボルが描かれています。中央には中心に向かって時計回りの渦巻き紋。その上に、正方形が横一列に並び、その上には波形紋、さらにその上には同心円紋が横一列(ただし同心円紋は途中でわからなくなっています)に並んでいます。正方形のシンボルの意味は、寛容とか受容。大地の母のイメージです。そうすると、これらを部族の象徴だと見れば、寛容で包容力のあるグループと自由奔放なグループ、それにリーダーシップを持つ個性的なグループのエネルギーがこの地に集まって、安定的な発展を成し遂げたのだと解釈することができます。これらのシンボルは、ダナン神族が後世に残したメッセージなのかもしれませんね。アイルランド・ボイン渓谷にあるノウスの岩絵を紹介しました。上の写真はノウスの羨道墳の全景です。
2016.01.04
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ノウスの羨道墳の続きです。ノウスには上の写真の左奥に見られるような17の小さな墓もあります。シンボルの彫刻が施された岩は主に、直径67メートル、高さ12メートルの羨道墳の周囲に配置されています。こちらがその約4500年前に造られた羨道墳です。上に登れるように道が造られています。甲府市の甲斐銚子塚古墳もそうでした。では再び、その岩の彫刻を見て行きましょう。こちらです。これは凄いですね。中央にあるのは、時計の反対回りに中心に向かう渦巻模様。これはエネルギーの開放を意味しているように思われます。その左下には小さな同心円のマーク。そのエネルギーを程よく安定させるということでしょうか。そして渦巻きの両側に、英語のEを左右反対にしたような馴染みのない不思議なシンボルが描かれています。よく見ると、右と左で形が違いますから、異なるエネルギー、たとえば陽と陰のエネルギーを象徴している可能性があります。そうであるならば、男女や陰陽などの異なるエネルギーを合わせて程よく開放するというような意味になります。次はこちら。ちょっとわかりずらいかもしれませんが、中央から左にかけて大小の同心円マークが多数描かれています。そして右側には、同心円の下半分が欠けたようなうろこ状のシンボルが描かれています。このうろこ状のシンボルを風やさざ波のマークと解せば、安定するエネルギーと風のように自由に移動するエネルギーの対比が描かれているように思われます。(続く)
2016.01.03
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海外取材に出かけたとき、取材の記録を兼ねて必ずブログでも旅日記を全部公開するのですが、一度だけ最後まで終わらずにシリーズを中断してしまったケースがありました。それが2011年5月のアイルランドの巨石をめぐる旅のシリーズです。「古代巨石遺構とイエイツゆかりの地を訪ねるアイルランド一周の旅」というタイトルで同年9月にかけて計44回掲載しました。だけどこれは旅の途中で未完成だったんですね。当時は写真掲載の容量も限られていましたので、多くの写真も消してしまいました。で、せっかくアイルランドのタラの丘の話になったので、アイルランドの巨石に刻まれたシンボルを主要テーマとして、消してしまった写真や紹介していない写真を掲載しながら話を進めて行きましょう。まず見てもらいたいのは、この写真です。同心円マークですね。ただし上半分がありません。わざとそうしたのか、あるいは上半分は欠けてしまったのか。私は後者のような気がします。で、このシンボルが刻まれた岩がどこにあったかというと、今から約4500年前に建造されたとみられる新石器時代の羨道墳「ノウス」の縁石として使われていたんですね。ノウスは既にご紹介しましたが、アイルランドのボイン川の渓谷にあるブルー・ナ・ボーニャの古代遺跡の1つです。つまりケルト以前のダーナ神族の遺跡である可能性があるんですね。こちらがその遺跡です。保存するためほぼ全面的に修復されているので必ずしも原型通りだったかどうかは疑わしいですが、おおよそこのような遺跡であったのではないかと考えられます。この縁石に様々なシンボルが彫られているんですね。たとえばこちら。ちょっとわかりずらいですが、これは波型とか蛇と言われているシンボルです。同心円がエネルギーの安定に関係するシンボルだとすると、これはエネルギーの伝達に関係するシンボルではないかと私は考えています。また波は自由に広がっていくシンボルでもあります。このシンボルは後のブログでも登場します。次も面白いシンボルです。三日月、もしくは船と呼ばれるシンボルですね。船は移動のシンボル。三日月はコミュニケーションのシンボルであると見られます。すると、船と波のシンボルの組み合わせで、自由に情報を広げていく、自由に行き来し交流するという意味になるのではないでしょうか。このノウスの発掘で200個以上の装飾を施した石が見つかりました。その数は、西ヨーロッパ全体で見つかっている古代巨石彫刻の総数の3分の1以上になると見る向きもあるそうです。まさに巨石美術の宝庫ですね。次回もノウスの巨石シンボルを取り上げましょう。(続く)
2016.01.02
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新年あけましておめでとうございます今年は初日の出の写真の代わりに太陽の写真で作った「新しい旗」をご紹介しましょう。これが今年から始まる世界の「新しい旗」です。総理大臣はもちろんあなたですね。どのような世界をつくるかもすべてあなた次第。どうぞ、素晴らしい世界を創造してください。本年もよろしくお願いいたします。
2016.01.01
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