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二週間前にアイルランドから帰って来たばかりだと言うのに、ほとんど休む間もなく七泊八日の北海道縄文遺跡探訪取材に出かけ、昨夜遅く帰って来ました。かなりの強行軍ですが、何とかこなすことができました。その北海道取材の感想はというと・・・・・北海道はまるでアイルランドのようであった、ということでしょうか(笑)。北海道の美瑛辺りの牧草地は特にアイルランドの牧草地と似ています。家畜の臭いと、一面に広がる緑、それに青い空。湿度などの気候もアイルランドに似ているように思いました。ただし、アイルランドの方が間違いなく雨が多いです。その代り、北海道の方が雪が多いですよね。高い山が多いですから。そして肝心の古代遺跡ですが、北海道の縄文遺跡も負けてはいません。既に紹介した鷲の木遺跡のストーンサークルや、垣ノ島遺跡の盛り土遺構、キウス周堤墓群の周堤は、アイルランドのヘンジやストーンサークルと似かよっています。で、今回は、深川市の音江環状列石や洞爺湖町の入江・高砂貝塚、全長139メートルの環濠を持つ静川遺跡などを調べてきました。5000年前の地球には、既に共通の文明があったとする持説を補強するための取材です。その北海道取材の報告もいずれブログで紹介することにいたしましょう。次回のブログは、再びアイルランド見聞録に戻ります。
2016.06.30
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タラの丘の後に向かったのは、ボイン渓谷にある古代遺跡群「ボインの宮殿(ブル・ナ・ボイン)」です。ここには、大きく分けて三つの古代遺跡があります。ニューグレンジ、ノウス、ダウスという三つの羨道墳です。ポール・フランシスの「ノウスとボインの宮殿」という冊子に、この三つの羨道墳の位置を示した地図が載っていましたので、それを紹介しましょう。地図の上が東で、アイルランド海が描かれています。その海から15キロほど内陸に入った、ボイン川とその支流のマトック川が流れる渓谷に「ボインの宮殿」があるわけです。もう少し詳しい地図はこちら。こちらは、「ボインの宮殿」のオフィシャルガイドブックに掲載されておりました。大体の場所と遺跡群の位置関係がわかりますね。三つの遺跡の配置にも、何か規則性か法則性がありそうです。で、この日は遺跡見学のためにビジターセンターに午前10時ごろ着いたのですが、思いがけないプレゼントがありました。ニューグレンジとノウスの遺跡を見るには、ガイド付きの有料ツアーに参加します。二つの遺跡を見ると、10ユーロ以上かかります。ところが、この日は月に一度の無料開放日ということで、ガイド付きのツアーが無料だったんですね。早速、ノウスのガイドツアーに参加します。ビジターセンターからボイン川を渡って、対岸へ。そこから専用バスに乗ってノウスに向かいます。これがノウスの遺跡です。5年前のツアーでは、ノウスでは雨が降って、あまりいい写真が撮れませんでしたが、この日はまずまずの天気です。ガイドの説明が始まりました。(続く)
2016.06.21
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タラの丘は、5000年以上前に造られた羨道墳を含む古代遺跡の宝庫です。案内板の写真を使って説明しましょう。写真の下から上に向かって坂を上る感じになっています。写真上のやや中央左より辺りが丘の一番高いところです。写真左に車を止める場所があり、そこから写真左上にある教会に向かってなだらかな斜面を登り、教会の墓地を抜けるとタラの丘の頂上付近に出ます。そこで最初に目にする、はっきりとした遺跡がこちらの羨道墳。上の写真の教会やや右上に見える小さなマウンドがそれです。「人質たちの小山」と呼ばれていますが、後代のケルト族の伝説的な歴代の王が各地の王(豪族)から人質を取っていた習慣があることから便宜上そう呼ばれているだけで、実際は紀元前3350年ごろのケルト族よりもはるかに古い時代の王の墓であったのではないかとみられています。つまりケルト神話で言うところのダナン神族の王の墓であった可能性があるわけですね。この羨道墳の中には入れませんが、案内板の写真を見ると、入り口の側の壁面には同心円のシンボルが描かれていることがわかります。この塚の先の丘の上には、ダナン神族が造ったのではないかとされる、有名な石柱が立っています。ケルト神話で「運命の石」と呼ばれる立石です。この立石は、元々は先ほど紹介した「人質たちの小山」、すなわち「ダナン神族の王の塚」のすぐ北側に立っていたとみられています。しかし、1798年に起きたイギリス軍とアイルランド反乱軍の戦いである「タラの戦い」の後、その戦闘で敗れて死んだ400人の反乱軍戦士の墓碑として現在の場所に移されたということです。つまり、立石が立っている土台の部分は近代になって造られたことになります。ちなみにケルト神話によると、正統な王がこの石に触れると、石は叫び声を上げるそうです。最後に紹介するのは、「大宴会場」と呼ばれる盛り土構造を持つ巨大な土木遺構です。一番上の写真で言うと、写真の中央を斜めに横切っている巨大な盛り土遺構がそうです。全長200メートル以上あります。5000年前に造られたと考えられています。近くで見ると、こんな感じです。左右に土手が築かれ、まるで王の戴冠式のための参道のように見えます。実際、この「参道」は最初の写真を見ればわかるように、「人質たちの小山」こと「ダナン神族の王の塚」を明確に指し示していますね。おそらく5000年前のダナン神族の王たちは、この「大宴会場」と呼ばれる参道を通って、「運命の石」に触り、そして王位に正式に就任したのではないでしょうか。(続く)
2016.06.20
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アイルランドは2011年以来、5年ぶりの訪問です。ロンドンのヒースロー空港経由でダブリンに着いたのは、5月31日午後7時ごろでした。早速、レンタカーを借りるために、シャトルバスでレンタカー会社へ。借りたのは、フランスのプジョー車。マニュアル車で、ナビは自分の携帯用を使います。12日間延べ2500キロにわたり、お世話になりました。ホテルの住所がナビに出ないなど若干のトラブルはありましたが、空港近くのホテルに午後8時ごろ無事にチェックイン。この日はすぐに就寝します。翌6月1日。ホテルで食事を済ませた後、出発です。アイルランドは南北に約500キロ、東西に約300キロ、面積は84、421キロ平米(イギリス領である北アイルランドを除くと面積は70、282キロ平米)の島です。ですから、おおよそ北海道(78、073キロ平米)やスコットランド(78、772キロ平米)とほぼ同じ大きさということになります。つまり北海道を2週間かけて旅をするようなものですね。で、最初に向かったのは、前回と同じタラの丘。アイルランド人の精神的な中心地として知られる丘です。映画『風と共に去りぬ』でもビビアン・リーが扮するスカーレット・オハラが最後に自分の住んでいた「タラ」のことを思い出しますが、その名前はこのタラの丘に由来しています。タラの丘は多くのアイルランド人にとって非常に愛着のある場所でもあるんですね。そのタラの丘が見えてきました。アイルランドでは珍しく晴れです。旅は幸先よく好天で始まりました。(続く)
2016.06.19
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アイルランドの首都ダブリンの街中では、1916年のイースター蜂起100周年にちなんだイベントや展示会が多く開催されていました。お土産のチョコレートにも、イースター蜂起を取り上げた特別なデザインが施されています。こちらがその「アイルランド共和国」のチョコレート。Limited edition。期間限定販売ですね。左上に1916、2016と書かれています。そして裏面には、イースター蜂起で主導的な役割を果たし、最後は降伏して処刑されたジェームズ・コノリーの説明が記されています。処刑された16人の一人で、既に足に重傷を負って歩くこともできなかったコノリーは、椅子に縛り付けられて銃殺されたそうです。16年の蜂起と16人の処刑とは、アイルランド革命には16という数字が付きまといます。他のリーダーたちの写真と説明のついたチョコレートも売られておりました。この処刑や英国軍の非情な行為によって、アイルランド人の英国に対する反感は一気に高まり、1919年から1921年にかけてのアイルランド独立戦争へと向かって行くんですね。
2016.06.17
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海外で取材をしていたので、長らくブログを休んでおりましたが、本日日本に戻って来ました。今回の取材先は5年前にも訪れたアイルランド。17日間(現地14泊15日)ほどの旅行でした。全く意図しておりませんでしたが、今年は1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起「イースター蜂起」の100周年。結果は反乱軍の無条件降伏により指導者が処刑されました。今では処刑された指導者は英雄として語られています。ということで、「5000年前の古代人の完璧な測量技術」シリーズはしばらくお休みして、アイルランドをリポートいたしましょう。
2016.06.16
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