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パトラッシュ?ぐっすりと寝ていますね。ということで、私も休憩。しばらくブログはお休みします。
2024.05.16
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正月三が日も明けて、今日は休み明けの買い出しに。思ったよりも混んでいませんでしたが、歩き回ったので結構疲れました。羽根ライン関連のブログは多分明日アップします。
2024.01.05
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再校ゲラが到着。忙しくなるので、久しぶりにほぼ写真だけのブログです。久しぶりに新宿を訪れたら、こんなビルが建っていました。東急歌舞伎町タワー。4月14日開業だそうです。詳しくはこちら。
2023.02.21
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もうすっかりお忘れでしょうが、私が八支部という私立中学校の大会で陸上部デビューした中学3年生の時の話に戻ります。 200メートルを借り物の“纏足シューズ”で見事優勝、私がエントリーした残る種目は走り幅跳びだけです。 それはたぶん1週間後の日曜日だったと思います。場所は前にもお話ししたように、世田谷にある駒沢競技場。1964年の東京オリンピックでも使われた運動競技場ですね。観客もたくさん入ります。 たった一日のために陸上用のスパイックシューズを買う気はまったくありませんでしたから、この日も借り物シューズで臨みます。でも、今度は私と同じくらいの足の大きさのH君から借りたように記憶しています。痛さはそれほど感じませんでした。 さて、走り幅跳びに出場すると言っても、私はまともに練習したことは一度もありません。小学生のときには自分の通う小学校の記録を塗り替えましたが、その後中学生になってから走り幅跳びをするのは年に一回あったと思われる体力測定の時だけです。踏切板でどのように歩数を合わせて飛べばいいかなど知る由もなく、全くテクニックはゼロ。ただ、高く遠くへ飛べばいいとだけ聞いたことがあるだけです。 そこで、見よう見まねで飛ぶわけです。確か全部で3回~5回飛んで争ったように思われます。 一回目は多分どういうわけか、ちゃんとファールせずに飛べました。二回目はファールか、一回目よりも飛んでいなかったかのどちら。で、何回飛んだか覚えていませんが、何と最終回の手前まで私が1位だったんですね。で、最終跳躍で、それまで2位だった人が私を抜いて優勝しました。それでもわけのわからない素人が2位だったのですから、たいしたものです――と自画自賛(本当は負け惜しみ?)。 かくして、私の最初で最後の陸上部デビューは、かけっこが一位で、幅跳びが二位という結果に終わりました。 “本職”は野球なのですが、実は陸上部以外にも借り出された運動部がありました。 それがラグビー部だったんですね。 (続く)
2023.01.20
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今日は人日(じんじつ)の1月7日。五節句の一つで、七草がゆを食べることから七草の節句とも呼ばれていますね。朝、早速七草がゆをいただきました。春の七草はこちら。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種類。ただし、地方によっては七草は異なるそうです。さて、しばらくブログを留守にしておりましたが、別に寝正月を送っていたわけではありません。昨日までは、三月出版予定の本の原稿を書きまくっておりました。ようやく昨日で一段落。完成の目途が立ってきました。また出版の詳細がわかりましたら、告知いたします。今しばらくお待ちください。
2023.01.07
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ゲラの校正も始まったので、盆と正月に加えて、冠婚葬祭が重なったような状態です。何はともあれ、ようやく前が見えてきました。来週の火曜日迄には何とか見通しが立ちそうです。3日前の12月13日には、『世紀の啓示書 オアスペの謎を解く!』の第3刷が送られてきました。アマゾンなどではそれまで4000~5000円くらいの高値で売られていましたが、これで定価2800円+消費税で購入できるようになりました。この本に関連して、1年前にあるパーティーで出会った某国立大学の准教授が今度「オアスペ」の研究会を立ち上げたいなどと話していました。その後どうなったかは存じませんが、「オアスペ」はそれだけ面白い本だと思います。この本もその解説書として、長く読み継がれていくのではないかと思っています。
2022.12.16
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盆と暮れが一度にやってきたような忙しさ。あちらこちらを駆けまわっています。いくら昔かけっこが速かったからと言って、師走でこう走らされては息が上がってしまいます。落ち着いたらブログを再開します。
2022.12.13
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最近、共同通信社記者としての初任地だった富山でお世話になった富山県警本部長の田中浩二氏のことがふと頭に浮かぶようになり、どうしてだろうなと思って今朝調べたら、約2か月前の8月11日にお亡くなりになっていたことを知りました。84歳でした。富山支局時代に私が本当にお世話になった取材先の方が三人いらっしゃいますが、実は田中氏はそのうちの一人です。県警本部長宅に何度も呼んでくれて、冬は魚介類の鍋料理をご馳走になりました。私が取材した人たちのUFO目撃談にも興味を示してくれて、「目撃現場で張り込みをしたらどうですか」と妙な激励をしてくれたのも田中氏。富山支局時代を楽しく過ごせたのは、田中氏のおかげでもあります。田中氏は、熊本県天草の出身で、東大法学部から国鉄に入社したエリートです。新潟鉄道管理局(現東日本旅客鉄道新潟支社)経理部長、新幹線総局(現東海旅客鉄道新幹線鉄道事業本部等)営業部長、監察局監察役兼監察局調査課長を経て、人事交流の一環で1984年に富山県警察本部長に就任したといういきさつがあります。 その後、田中氏は1987年に民営化で発足した九州旅客鉄道株式会社(JR九州)の常務取締役総合企画本部長に就任。九州旅客鉄道(JR九州)第2代社長、第2代会長を歴任し、相談役になっていました。富山支局を離任してからは、お会いしていませんでしたので、いつかまたUFO談議に花を咲かせようと考えておりましたが、それは叶いませんでしたね。その節は大変お世話になりました。ありがとうございました。
2022.10.09
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今日もフランスの旅ブログはお休みして、これまでの「写真まとめ」です。「写真まとめ」と言っても、一枚一枚を紹介するわけでなく、全部を一挙公開するものです。たとえばこちらは水中写真。サメが多いですね。これらは一部にすぎませんが、このようにしておけば、一覧表のように使えて、次に取り出すときに楽なわけです。次は世界の巨石たち。索引、もしくは一覧表として使えます。写真も多すぎて、整理しないと素早く取り出せなくなります。こうした目録を作っておけば、いつでも好きなときに比較的簡単に取り出せるようになるわけです。
2022.01.06
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久しぶりの東京です。東京は既にクリスマス気分が漂っておりました。昨年は風の年、今年は火の年とされていますが、果たして来年は八卦ではどのような年となるのか。風、火とくれば、順番通りだと、地(大地・土)の年となるのですが、順番通りにならないこともあるとか。ただし、私たちは一足早く、土の旅である陶器の旅に出ておりました。それは追々ブログでも紹介するとして、疲れていなければ夜にも1980年のブログを再開いたします。しばらくお待ちください。
2021.11.29
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なぜケント大学を選んだかについて、お話しておきましょう。一つは文学やヨーロッパ文化の比較研究など人文科学系で評判の良い大学だったことです。実はICUでの私の専攻は人文科学のフランス文学だったのですが、英文学も並行して学んでおりました。ベケットも英語とフランス語で創作活動をするノーベル文学賞受賞劇作家で、私の興味とちょうど 合っていたんですね。つまりヨーロッパ全体の中で、イギリス文学を見たりフランス文学を見たりしたかったのです。二つ目は地の利です。ロンドンにもパリにも近い。ということは、劇を見に行きやすいんですね。実際留学中にロンドンやパリには演劇(とくにイオネスコやベケットの不条理演劇)を見に出かけています。私は、1975年にロンドンでミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』を見てその舞台に魅了されて以来の観劇好きです。ベケットを卒論に選んだ理由にもなっています。後にアメリカに留学したときも、しょっちゅうボストンの劇場街やニューヨークのブロードウェイに足を運びました。今でもイギリスに行ったときは、2、3本は観劇の時間をとっています。三つ目も場所に関係しますが、イギリス南部にあるからです。イギリスの冬の大変さは当時からよく耳にしていましたから、なるべく天気が比較的良いとされる南の温暖な土地で暮らしたかったというのも理由のひとつでした。ケント大学ではダーゥイン・カレッジという寮に入りました。クラスも多くが、そのカレッジ寮で行われました。ほかにエリオット、ラザフォード、ケインズなどのカレッジ寮があったと記憶しています。確かラザフォードは理系のカレッジでした。最近知ったのですが、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロもダーウィン・カレッジで学んだ一人です。1974年から78年まで在籍したことになっていますから、私が住む二年前までダーウィンにいたことになります。彼は大学で英語(英文学)と哲学を学んだと同窓生のページに書いてありました。さて、ブライトンの語学学校が八月で終わり、ケント大学の新入生オリエンテーションが始まるまで10日間の空白がありました。これを有効に使わない手はありません。どこかに行こうと思っていたら、クリストファが「スコットランドに行かなければ駄目だ」と言います。どうしてかなと聞くと、「とにかく素晴らしいところだから行ってきなさい。英語は通じないけどね」と彼は言います。なんでも訛りがすごくて、最初は何を言っているのかさっぱりわからない、と言います。クリストファでも意味が分かるようになるまで三日ほどかかったとか。英国人が三日かかるのだから、よほどのアクセントなんでしょうね。この話がきっかけとなって私もスコットランドにすこぶる興味を持つようになり、すぐにこの貴重な10日間をスコットランドを旅することに決めました。ダーウィン・カレッジには日本から持ってきたスーツケースに荷物を詰め込んで郵送。身軽になって、車輪付きのショルダーバッグという当時はヨーロッパでも見かけたことのないような、オシャレな鞄に旅行用品を入れて、9月1日ごろ、ブライトンのホストファミリーに別れとお礼を告げて、スコットランドに向けて旅立ちました。(続く)
2021.08.31
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ブライトンの夏期語学研修は、現在のブライトン大学の前身ブライトン・ポリテクニックという単科大学のキャンパスを使って行われました。参加したのは、文化放送派遣留学制度で来た日本人。確か10人ほどだったと思いますが、社会人の方も多く、東京電力や日商岩井の方も参加していました。東京外語大学の学生もいたように記憶しています。東京電力の方は、私の記憶が正しければロンドン経済大学院に留学されたエリートで、イギリス滞在中、一度だけロンドンのご自宅に遊びに行かせてもらいました。奥様も留学に同行されており、手料理をご馳走になったのを覚えています。その節は、ありがとうございました。日商岩井の方は、確か人事部に所属しており、私が楽しそうにテニスをしていることを聞きつけ、同じテニスクラブに入会。日曜日にはよく一緒にテニスをやりました。テニスクラブでは夏にバーベキューパーティーもあり、地元の人たちと楽しく交流しました。私はまったくの初心者だったのですが、日商岩井の方には、社会勉強だといってゴルフをしにつれていかれたこともありました。語学研修先のブライトン・ポリテクニックで嬉しかったのは、そこの図書館が使い放題だったことです。ビデオ教材なども充実していたので、結構利用させてもらいました。ところで、このイギリス留学の目的は、サミュエル・ベケットの卒論を描くためでした。ですから、図書館ではベケット関係の本を片っ端から読みました。語学教師の「庭師ディック(Dick, the gardener)」さんからもベケットの作品についての興味深い話を聞いており、論文作成のヒントをもらいました。ホームステイ先のホストファミリーは、ファミリーネームは忘れましたが、クリストファーという40歳くらいのサラリーマンの方の家で、奥様はリンダ、12歳くらいの息子マイクの三人家族でした。マイクは父親のことを「クリストファー」とファーストネームで呼んでいるのが、私には衝撃でした。「イギリスでは子供が親をファーストネームで呼ぶのか」とマイクに聞いたら、最近ではそういう家庭も多いというようなことを言っていました。このような会話は夕食時に交わされます。この時も、ファーストネームの話から、当時はやっていた米国のドラマ「ダラス」(油田開発で財をなした大富豪の大河ドラマ)の話に飛び、「彼らはファーストネームで呼びすぎて、不自然だ」という話題になりました。そのクリストファーからは、意外な意見を聞きました。ある晩、BBCでチベットのダライラマの特集をしているとき、輪廻転生の話になったのですが、クリストファーは「輪廻転生はありうる」と言うんですね。西洋人から輪廻転生肯定説を聞くことになるとは意外でした。当時の私はまだ輪廻転生については半信半疑でした。もっともそれから一か月後くらいに、私自身も輪廻転生肯定説を採らざるを得なくなるような体験をするんですけどね。この会話がその「伏線」としてあったわけです。ホストファミリーには私以外にもスイス人の同居人がおり、名前はアンドレアス。私と同じくらいの年齢の若者でした。彼ともすぐに仲良くなりました。時々飲みに行ったり、グラススキー(芝の上でやるスキー)をしに行ったりしたことを覚えています。今は何をしているんでしょうね。そんなこんなで、あっという間に二か月の語学研修期間が終わりました。(続く)
2021.08.30
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誰にも「自分の人生を決めた重要な年」があるのではないかと思いますが、私の場合は1980年から81年にかけての一年が私の人生で大きな意味を持っています。1980年の夏から翌年の夏までの一年間、英国のケント大学に留学していたんですね。ICUの留学制度を使わずに、文化放送の派遣留学制度を使って自分で英国の大学を選んで決めました。時は米ソ冷戦の真っただ中。前年の1979年にはソ連がアフガニスタンに侵攻。以後、米ソ二大大国に翻弄され続けたアフガンは、長くて暗い戦争の時代に突入します。イギリスではサッチャー政権の全盛期で、教育費や福祉予算が大きく削減され、大学など教育機関もどうやって生き残って行くか模索しはじめた時代でもありました。1980年秋の米大統領選では、ハリウッドのそれほど売れていない俳優が当選。12月8日にはビートルズのジョン・レノンが銃で撃たれて亡くなっています。世界情勢も不安定な状況が続いていました。私が渡英したのは、おそらく1980年7月上旬ころでした。その後、約二カ月間、英国南部の都市ブライトンでホームステイをしながら語学研修をして、9月に英国南東部ケント州の州都カンタベリーにあるケント大学に一年間の留学生として入学しています。ICUでも英語やフランス語で専攻科目の講義を受けていましたから、夏の語学研修は英国の生活に慣れるための猶予期間のようなモノでした。早速、夏の間だけテニスクラブに入会。地元の人と交流を始めました。以前も紹介したと思いますが、その時の写真がこちらですね。人生で初めてプレーした芝のコート。キュッと止まる足下の感じが最高でした。晴れているときは毎日のように、語学学校が終わると、テニスコートに駆け付けました。その時から、誰とでもテニスをします。平日は子どもたちともよくテニスをしました。初心者からプロまで誰とでも楽しくテニスができるんですね。当時は滅茶苦茶サーブが速く、コートカバリングも素早かったですから、すぐに一目置かれるようになりました(特に子供たちから)。(続く)
2021.08.29
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幻の五輪マーク?さて、五輪の花が咲くことはあるのでしょうか。
2021.03.28
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昨日はムーが発売された日でした。第73世武内宿禰こと故竹内睦泰氏の追悼原稿が掲載されております。竹内氏との思い出写真として、2011年8月9日に撮影した写真を掲載しておきましょう。二人とも若かったですね。竹内氏44歳、私は53歳だったでしょうか。二人の真ん中で光っているのは、妖精のティンカーベルです・・・・・・というのは嘘で、フラッシュがガラスに反射したものですね。いつもの早稲田のリーガロイヤル東京で、撮影しました。
2021.03.10
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昨日が節分で、今日が立春ですね。昨夜は豆撒きなどされたのでしょうか。「鬼は外」などと言われて、邪見にされる鬼さんですが、こちらの鬼は外で大活躍しておりました。ただの子供の玩具ではありません。名づけて「芝刈り君」。ロボット芝刈り機です。自動掃除機と同様に、自動で芝を刈ってくれる優れものです。センサーで障害物を感知して草を細かく刈るだけでなく、バッテリーがなくなりそうになると自分で充電しに充電ステーションに戻って勝手に充電。充電が完了すると再び勝手に芝刈りに出かけることもできるのだとか。広大な芝生の庭がある家には「一家に一台」欲しいところですね。もちろん私の家は全く関係ありません。いつも芝も雑草も、素手でむしり取っております。
2021.02.03
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「行く年の風景」がもう「過ぎ去った年の風景」となりましたが、12月25日の夕景です。元日の日の出のような美しさですね。もちろん夕陽で、伊豆半島へと沈んでゆくところです。昨日はのんびりしましたが、実は本日2日からは忙しく仕事をしております。昨年12月28日までに、次の本の原稿を出版社に送ったところまでは話したと思いますが、その後、30日までに別の出版社(ヒカルランド)から頼まれていた『オアスペ全訳第3巻』用の巻末付録原稿を書き終えて、それも出版社に送っています。そして年明け2日からは、次の本の図表作成に取り組んでおります。その締め切りは8日です。同時に大晦日からはムー用の原稿(13ページ相当)を書かされています。締切日未定です。このように今年も忙しい年になりそうです。と言っても、先ほどまで大学ラグビーの試合をテレビで観ておりました。天理の展開力の速さには驚かされます。あの明治が、なすすべもなく敗れました。決勝が楽しみですね。
2021.01.02
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『巨石文明 超テクノロジーの謎』の最終校正が終わったのが12月5日。その三日後の12月8日には富士山麓の御殿場に出かけています。あいにくの小雨模様。御殿場市内を望みます。アウトレットでショッピングの日となりました。
2020.12.17
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本に必要な巨石の写真を探さずに、青春の思い出ばかり見つけだしています。今日の写真はこちら。ブライトンで夏期語学コースを受講している間、地元のテニスクラブに一か月間短期入会して週2、3回ほどテニスをしておりました。コートを見ると芝生ですね。そうです、芝のコートのテニスクラブでした。芝のテニスは初体験。芝の上のフットワークは、止まるときはキュッと止まります。クレーコートだとザーッと滑らせて止まるんですけどね。スライスを打つと、本当に弾まずに足首位の高さを滑空してボールが飛んでゆきます。サーブもスライス系にすると、切れること切れること。クレイに比べて、1メートルくらいは横に逃げていきます。でも、夏の間に芝のコートを体験していてよかったです。というのも、ケント大学のテニスチームに選ばれたとき、対外試合では芝のコートでやる場合もあったからです。ダラム大学との試合でした。ダラムに勝って、ベスト8まで進みました。なんか、青春っていう感じですよね。遠い昔の話でした。
2020.07.16
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昨日の続きです。ネス湖畔のユースホステルに泊まった翌日。本気でネッシーの写真を撮ろうと、もう一泊ネス湖の別の場所に泊まることを決断しました。向かったのは、よくネッシーが出るとされるアーカート城です。その時の写真も見つけました。ここで二時間くらい粘ってカメラを構えたのですが、結局何も現れず。キラキラ輝く湖面だけを撮影してこの場所を離れました。夕方近くになっていたので、この城跡から歩いて30分くらいの場所にあるドラムナドロキットに宿泊すべく、B&Bを探しました。当時は今ほど観光地化されていませんでしたから、B&Bは二軒しかありませんでした。最初に尋ねたB&Bに空きがあったので、チェックインします。ここの女将さんがよくしゃべる面白い人で、美しいハイランド地方をみるには、公共交通機関を使わずにヒッチハイクをしたほうがいいと主張して、私にヒッチハイクの仕方を伝授してくれます。で、翌日、実際に試してみたら、意外とすんなりとできてしまったんですね。ここからハイランド地方ヒッチハイクの旅が始まりました。青春の1ページがまた一つ加わったわけですね。
2020.07.15
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『しきたりに込められた日本人の呪力』の最終校正中のため、ブログのアップは不規則になります。カバーが出来たらご紹介します。今日ご紹介するのは、再び我が家の薔薇。黄色いバラです。我が家の玄関のそばで、頑張って咲いてくれています。
2020.06.02
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
2020.01.01
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ずいぶん長いことブログを休んでおりましたが、今日無事帰ってきました。今回はスコットランド18日間の旅。主にアイランドホッピング(島めぐり)をしておりました。疲れが取れたら、ブログで旅の模様などをご報告します。それよりまずは原稿!締め切りが近づいているようです。
2019.06.10
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昨日は、ハーバード大学の同窓生の集まりに参加しました。昨年新任された学長ローレンス・バーコウ氏の歓迎パーティーです。こうした同窓会は、アメリカでは何回か出席したことはあったのですが、日本では初めてでした。学長の講演会が終わった後、振り返ると、パックンがすぐ後ろにいたので驚きました。そういえば、彼も同大卒でしたね。ただ、残念ながら私の卒業した1997年卒の同窓生は一人も見つからずじまい。その代わり、1996年卒と1998年卒の同窓生の方とお話をしました。98年卒の同窓生は私もよく知っていた方だったので、昔話に花が咲きました。実に22年ぶりの再会でした。こういう集まりも、たまにはいいですね。
2019.03.25
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昨日、当ブログの累積アクセス数が200万回を超えました。ご訪問、厚く御礼申し上げます。当初は一日50~70くらいだったアクセス数も、100を超え、200となり、800、1000と増えて行きました。現在では、およそ一日1000~2000アクセスあります。これまで一番読まれている記事は、2010年1月27日に書いた「第三の聴覚と霊的空耳」です。次は2015年5月22日に書いた「イザナギの黄泉の国訪問とオルフェウスの冥界下りは同じ物語だった」でしょうか。ご興味のある方はお読みください。ステュークリーのイラストシリーズもまだまだ続きます。写真は4月8日の富士山と夕焼けです。
2018.04.11
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音楽の謎に迫る前に、宗教の話をしておきましょう。私は常々公言しているように無宗教派です。でもそれは神を否定しているわけではないんですね。神が存在することは分かったうえで無宗教なんです。この話をするとすぐに思い出すのが、クエートの友達のことです。昔イギリスの大学に留学していたとき、クエートから来た留学生のワエルと仲良くなり、よく一緒にテニスをしました。彼は自称クエートのナンバーワンプレーヤーで、確かに腕力は強かったですからパワフルなショットを打つこともありました。でも、どう贔屓目に評価しても、クエートにはもっと強いプレーヤーがいたはずです。というのもワエルは、私と何回試合をしても一セットで一ゲームぐらいしか取れません。大体は私が6-0で勝っちゃんうんですね。そんな彼が一度、自宅に私を招待してくれました。かなりのお金持ちですから、学生なのにイギリスに家を買って、そこで奥さんと暮らしていたんですね。貧乏学生だった私は、もうびっくりです。で、食事をし終わって談笑していたとき、ワエルが急に私の宗教は何かと聞くんですね。私は無宗教だと答えると、ワエルは驚愕して、「お前は神を信じなくて、どうやって生きているのか」と私を問いただします。私が「必要ないからだ」と答えると、ワエルはさらに飽きれて「人は神なしでは生きられない。頼むから、キリスト教でもイスラム教もでいいから、宗教に帰依してくれ」と言います。そこで私は仕方なく、「お前は神を信じるためにどこかの宗教に入れと言うが、神と本当につながる方法は宗教ではなく、自分自身だ。神は外にではなく、自分の中にある。神は信じるものではなく、感じるものなのだ」と持論を展開します。ワエルはその考えを聞いてびっくりしていました。おそらく、このような考えには出会ったことがなかったのではないでしょうか。私のこの哲学をワエルが理解してくれたのかどうかはわかりません。その後もほぼ一年間ずっと仲良くテニスをしました。私はテニスのレギュラー選手に選ばれ、大学のためにずっと試合に出ておりました。一方彼は選ばれず、不満を漏らしていましたが、私から1ゲームしか取れないのでは選ばれるはずはありませんね。留学後はワエルとは音信不通となりました。その後イラクのクエート侵攻から始まって湾岸戦争が勃発しましたが、彼がそのとき生き残ったのか、どうなったかは確認する術もありません。ただ言えることは、彼が留学中にテニスと宗教で強烈なインパクトを受けたのではないか、ということです。それが彼にとって良かったのか悪かったのかは、「神のみぞ知る」ですね。さて、この私の宗教哲学に最も近いのが、実は古神道なんですね。(続く)
2015.09.29
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昔あるところに、嘘つきで稚拙で幼稚で傲慢で頭の狂った畜産家がおりました。その畜産家は、隣の大地主と組んで、自分の飼っている羊を効率的に食肉工場へ送り込むシステムを考案します。まず従順な羊たちに狼の話をします。「狼がお前たちを殺しにやってくる。だからお前たちの安全を守るために、このベルトコンベアーに乗りなさい」というわけです。まさか、そのベルトコンベアーが食肉工場に直行するとは思わない羊ちゃんたちの50%は、「狼に食べられたら大変」と急いでベルトコンベアーに乗り込みます。だけど「何かおかしいな」とベルトコンベアーに乗るのを躊躇している羊もいるんですね。畜産家にとってはけしからん話です。そこで畜産家は羊の目の前に人参をぶら下げます。でもまさか、羊は人参なんか食べませんよね。でも、その人参に釣られて、ベルトコンベアーに乗ってしまう羊もいるんです。不思議ですね。しかし困ったことに、まだベルトコンベアーに乗らない羊がいるんです。そこで畜産家は強行手段に出ます。エサをベルトコンベアーの上で食べさせたんですね。お腹がすいて困った羊はすぐにベルトコンベアーに乗り込みます。それでもまだ、言うことを聞かない羊たちがいます。本当にけしからんですね。羊たちは畜産家に聞きました。「ベルトコンベアーの先には何か良からぬものがあるんではないですか?」畜産家は答えます。「そんなものはありません。バラ色の未来があるだけです。なによりもあなた方は狼から完全に安全になるんですよ。狼は完全にコントロールされます。狼は完全にブロックされるんです。安全は完璧に保証されます」説得された羊はベルトコンベアーに乗りました。だけど非常にけしからんことに、まだ疑う羊がいるんです。とんでもない話です。疑い深い羊は恐る恐る聞きます。「ベルトコンベアーの先は食肉工場ではありませんか?」そうした聞き分けのない頑固な羊に畜産家は落ち着き払って断言しました。「そんなことはありません。あなた方が安全に効率的に暮らせる平和があるだけです。食肉工場など無いと言ったら無いんです。私は総理大臣なんですよ。その総理大臣の私が言っているんですから、そんなことはないんです」さあ、素晴らしい畜産家を信じて、声を上げない従順な羊さんたち! さっさとベルトコンベアーに乗って、大地主に美味しく食べられておしまいなさい。めでたし、めでたし。(続く?)
2015.09.21
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去りゆく時。去りゆく人。
2014.08.29
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師走の夕陽。さて、今年も残すところあとわずか。今日は大掃除の日となりました。蔵から埃の被った本を取り出して整理、蔵を「神殿」にする所存です。
2013.12.29
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元日早々地震があり、珍しくこちらも震度3ぐらい揺れましたが、被害もなく、何事もなかったかのように正月の第一日目が過ぎて行きました。初詣は歩いてゆける近くの神社。祭神はオオクニヌシとなっておりますが、もともとの「ご祭神」は、縄文の山の神であったような気がします。縄文人が神の使いと信じたアメノヒトツメノミコト、つまりサイクロプス、大仁さんですね。犬頭の巨人であるともいわれているようです。その初詣から戻ってきた空には、UFOの母船のような雲が、大きいのが3つ、小さいのを入れると10個くらい空に停泊しておりました。写真は別のブログにアップしておきましたので、ご興味ある方はご覧ください。2012年。本年もよろしくお願いいたします。
2012.01.01
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さて、今年も残すところあと数時間となりました。本当だったら、のんびりと過ごす予定だったのですが、二週間ほど前に急に思い立った取材により、年末年始は執筆活動に明け暮れることになりました。「とにかく早く書いてほしい」と二人の重要な取材先に言われては、早く書かないわけにいきませんね(笑)。皆さん、それではよいお年を!
2011.12.31
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ロンドンに一週間ほど滞在して、次に向かったのはパリ。パリには昨秋のフランス旅行で3日間ほど滞在しておりますが、もちろん3日間ではすべては見られません。実際に前回は、オルセーには行ってもルーブルには行かず仕舞でした。そのパリに初日に泊まったのは、パリ中心部からやや離れた場所にあるゲストハウス風のプチホテルでした。そのフロントです。百科事典や地球儀があって、お洒落な感じがしますね。そのお洒落なフロント(リビング)を守る番人さんがこちらです。寝てばかりいてさぼっているように見えますが、知らない人がそばを通ろうものなら、がバッと起き上がって警報を鳴らします。とてもお利口でかわいい番犬さんでした。
2011.10.26
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台風のほぼ直撃を受けて、家が音を立てて揺れていますが、大丈夫です。そのうちこのような空が広がることでしょう。今日は静かに校閲作業をする日となりました。
2011.09.21
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母はいかなる宗教も必要としていませんし、信じてもいません(その点では私も同じです)。そのためかどうか知りませんが、輪廻転生も死後の世界のことも決して認めません。そこで私が「では死んだら人間はどうなるの?」とたずねます。母は「死んだら真っ暗。何もなくなるのよ」と言います。私はさらに聞きます。「それでは、生まれる前はどうだったの?」母は答えます。「生まれる前も真っ暗。何もなかったのよ」なるほど。巷の脳生理学者が言うように、すべての超常現象が脳の作り出す錯覚や幻想だとしたら、死んだ後や生まれる前に自分と言う魂が存在しているはずはありませんね。魂が不滅であることも認めるわけにはいかないはずです。つまり肉体が滅びれば、すべては「土」に返り、無になるわけですね。「でももし輪廻転生があるとしたら、どうするの?」と私。「そんなの真っ平御免よ。もう十分に生きたわ」と母。まあ、そういう考え方もあるでしょう。そんな母ですが、頭のガチガチな科学至上主義者とは違って、UFOや宇宙人などの不思議な話は大好きなんですね。私がこれまでに取材したUFOや宇宙人の話をすると、目を輝かせて聴いてくれます。母の口癖は「死ぬ前に一度でいいからUFOを見たい、宇宙人に会いたい」です。私がふざけて「宇宙人なら目の前にいるじゃない」と自分を指さしながら言うと、母は「あんたじゃ駄目よ。だって鼻も目も口もちゃんとついているじゃない」と笑います。母にとっての宇宙人は、鼻や目や口が普通についていてはいけないみたいなんですね(笑)。この大宇宙にはどのような宇宙人が暮らしているんでしょうね。夜空に瞬く星々を見上げながら、いつか母にUFOを見せてあげたいな、と私もつい考えてしまうのです。
2011.03.23
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大地震があったこともあり先週の金曜日、母と父の様子を見に東京の実家へと出かけてきました。母は東日本で起きた大地震とニュージーランドで起きた地震をごっちゃにしているらしく、テレビで流れるニュース映像を見て「あら地震があったのかしら。ニュージーランドは大丈夫だったの?」と私に聞きます。そう、母は、私が普段ニュージーランドにいると思っているんですね。そこで、ニュージーランドで暮らしているのは私の姉で、私はいま日本に住んでいること、それに今テレビで報道している地震は、一週間前に日本で起きたことだと伝えます。母は、一週間前に東北・関東地方が大地震と大津波に見舞われたことも忘れてしまったんですね。だからテレビで津波の被害に遭った地域の映像が流れるたびに、初めて知ったかのように驚きます。母との対話を楽しむようになって久しいです。私が母に「お元気ですか?」と聞くと、母からはいつも「生きているよ」と返事が返ってきます。「何か異常はなかった?」と聞くと、母は「あっても忘れたわ」と答えます。私は時々ふざけて「今年で何歳になったの?」と母に尋ねます。今回は「57歳ぐらいかしら」との答えが返ってきました。答えは、その時によって50代や60代、あるいは70代になります。そこで私が「じゃあ、私は何歳だと思う?」と応じると、「さあ、いくつかしら35ぐらい?」と母は答えます。私が正直に52歳であることを告げると、母は驚いて「そんなになったの!? じゃ、私はいくつかしら」と、いぶかります。母はちゃんと生年月日は覚えています。1928年生まれ。そこで私が新聞を見て今年が2011年であることを告げると、母はちゃんと計算して自分が83歳であることを導き出すんですね。母は元気です。それが何より。実家に3泊4日滞在しましたが、その間毎晩、お互いのボケ防止のために(笑)、三人でマージャンをやりました。自分の指を使って牌を並べ、手を使って牌を運び、頭を使ってゲームをするのは、何よりの頭の体操です。もっとも、真剣勝負のマージャンではなく、遊びのマージャン。すべて手の内をオープンにしてワイワイガヤガヤ、ああだこうだ言いながら遊びます。遊べるのが何より。まだまだ青春はこれからですね(笑)。
2011.03.22
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今日は夕方には雨雲に覆われて、皆既月食は見られませんでしたね。代わりに夜は雷雲を観賞。稲光と雷鳴の共演に見入っておりました。稲光の写真はありませんが、代わりに昨日の富士山をご紹介します。冬の間の富士山は本当にきれいですね。結局パソコンは一時的に復旧しましたが、再びフリーズしてダウン。でもちゃんとデータはUSBに保存できましたので、ひと安心です。フランス巨石めぐりの旅のブログも間もなく再開できると思います。
2010.12.21
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今日は久しぶりに新宿に行ったら、空にこんなものが飛んでおりました。現代の天空浮船、飛行船ですね。雲と競争・・・・・・なんて(笑)。私は消してしまいましたが、一説には広告料一日200万~300万円とか。広告の費用対効果はいかほどなのでしょうね。朝方小雨が降る天気も、午後から晴れて、青空が広がりました。夕陽もとても綺麗でした。
2010.11.04
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今日は中秋の名月。時折雲に隠れますが、綺麗な輝きを放っています。雲間から出ると・・・煌々と輝きますね。空に浮かんだお団子では決してありませんよ(笑)。今日はパイプオルガンのリサイタルを聴きに原宿まで。音に魂(エネルギー)が宿ることを実感した日となりました。
2010.09.22
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葉山には御用邸があります。高い塀で囲まれているので、いったいどのような尊い方が塀の向こうに住まわれているかわからなかったのですが、先日御用邸そばの海岸を歩いているときに、ようやく見つけました。木の上で休んでいますね。青サギさんです。さすがに高貴な方。高みの見物をされているんですね。道理で、塀の周りをたくさんの警察官が見張らなければならないわけです(笑)。ありがたや、ありがたや。
2009.12.01
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ゴールデンウィークの真っ最中ですね。ただ人間界と違って、猫界には休日はありません。ご覧ください。 この三虎兄弟君たちはそれぞれ、忙しそうにお仕事?をしていますね。手前から毛舐め、見張り、見張り、と忙しそうです。そこへ遠くからオッドアイちゃんが登場します。 オッドアイちゃんの仕事は、モンローウォークでしょうか(笑)。私のそばに来ると、膝の上に乗りたがります。 膝の上に乗るのも仕事なんですね。こちらではヨガのポーズ。 この子は本当にさっきから忙しそうに働いていますね。私の膝の上から降りたオッドアイちゃんは、こちらへ移動。 船の番をしているんですね。本当にお利口さんの猫ちゃんたちです。人間界に属する私は、ゴールデンウィークは山篭りをいたしますので、次回ブログを更新するのは7日か8日になります。皆々様も楽しい休日をお過ごしください。
2009.05.02
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久しぶりのタローチャンです。 お昼寝から目覚めたばかりという感じですね。山篭り先から帰ってきたばかりの私も、今日はネムネムでした(笑)。
2009.03.31
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いつもの風景。 いつものポーズです。 今日から月曜まで、山に籠っております。
2009.03.27
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いつもの三ニャン組です。 手前の黒白がオッドアイちゃんですね。しゃがんでカメラを構えるとすぐに寄って来ます。 近すぎてピンボケになってしまいました(笑)。
2009.03.13
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下界は一週間近く雨模様の天気が続いていましたが、雲の上はほらこの通り。太陽が燦々と輝いています。 まるで雲上人になった気分です(笑)。天空浮船に乗ってはねとびのぼりゆけば、雲海の上は、いつも晴れ。 目に見えなくても、常にそこにある太陽に感謝。週末ですので、再び山に籠ります。
2009.02.28
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久しぶりに、オペラ座の怪人猫ちゃんことハナちゃんです。 お気に入りの屋根の上でちょこんと座っています。 おや、よく見ると、ハナちゃんの顔のそばに別の猫の顔が・・・!もしかして、猫の心霊写真!??????? ・・・なんてことはありません(笑)。家の中の長老猫三毛ちゃんが、窓から外のハナちゃんを眺めていたのでした。ハナちゃんと三毛ちゃんのツーショット写真でした。
2009.02.25
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すでにご案内したように、週末は山篭りです。山篭りなどと言うと、いったい何をしているのだろうといぶかる方もいらっしゃると思いますので、私が山篭りしているときのイメージ写真をご紹介しようと思います。これが私の山篭り中の姿(イメージ)です。 まあ、だいたいこんな感じでしょうか。こんなことも・・・ そして、こんなこともやっています。 フーっ、毎日大変です。 厳しい修行の毎日でしょうか(笑)。その修行のため、11日までお休みします。
2009.02.07
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オッドアイちゃんを隠し撮りします。 ぺろぺろと毛舐めをしています。えいっ、ヨガのポーズ。 体が柔らかいですね。おっと、気づかれてしまいました。 おや、よく見ると、お鼻が赤くなっています。どうしたんでしょう? 舌でお鼻を舐めていたのでした。「見たな~」という感じでしょうか。 私が写真を撮っていると、必ず寄ってくるのがオッドアイちゃんです。 毛舐めをやめて、いつものように私の方に歩み寄ってきました。
2009.02.06
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昨日はオッドアイちゃんばかりでしたが、今日はオッドアイちゃんのお友達のトラちゃんをご紹介しましょう。 トラちゃんも富士山を背景にくつろいでいます。日向ぼっこをして、暖かそうです。トラちゃんはオッドアイちゃんと比べると落ち着いていますから、写真にもよく収まります。 富士山とトラちゃんのツーショットもこの通りです。ちゃんとポーズを取ってくれます。なんて言っていると、横を向いてしまいました。 こちらの写真は、私のデイバッグの番をしているところです。 お利巧さんですね。トラちゃんがいる場所はこんなところです。 江ノ島も見えていますね。静かな漁港の風景でした。
2009.02.04
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いつものようにカメラを向けるとモンローウォーク?で近づいてくるオッドアイちゃん。 富士山が綺麗ですね。トラちゃんも後に続きます。 どうやら選挙事務所を探しているようです。そして見つけたのはここ。なんと私の膝の上でした。 すわり心地や、寝心地をチェックします。 まんざらでもないようです。 よし、ここにしよう。 私の膝の上ですっかりご満悦な様子です。 ということで、私のひざの上は臨時の選挙事務所になったようです。さっそくお休みになっておられました(笑)。
2009.02.03
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猫です。 誰ですか、トドやアザラシと見間違えたのは? 私は正真正銘の猫です。ほら、この通り。 ちゃんと背中を丸めることができるでしょ。これなら、どこからどう見ても猫ですね(笑)。 ところで明日から毎週末、インターネットを使えない環境の、とある山村に籠ることになりました。そのため週末はブログをお休みしますので、ご了承ください。平日はこれまで通り、ブログを更新しようと思っています。
2009.01.30
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