Zero Areas

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2012.01.21
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カテゴリ: 取り敢えずの記
最近、繋辞伝からスタートして少し易経関係を読んでいてフと想ったんだけど、
「結局、易経って物事をありのままに自分で観て感じたままに行動しなさい」
って、繋辞伝も含めて何度も何度も繰り返し言ってるだけのような気がする。

「ありのままに自分で」というのは、馴染んだ言葉で言えば「赤心」、赤子のような心ということだ。
誠に言うは、いと易し・・・(爆)。



で・・・なのだけど、赤ちゃんが「こうなるから、ああなるから、こうしよう、ああしよう」とか考えてるんだろうか?
多分、そんなことはなくて、日々、文字通りの赤心にて「生きているだけ」だろう。
そこにナニカあるとすれば、それは我則天、天則我の、ありのままの自分であること・・・?
例により難しい事は分からん・・・(==;

ただ「自分で観て、感じたままに・・・」という所は分かるような気がする。
言葉というのは厄介なもんで、往々にして発した途端に嘘になる。
正しく言葉を使うというのは言霊を発するに等しく、本当に難しいことだ。

だから稽古の時も、
「どうしても頭でも理解したくはなるでしょうから、その時は私の言葉はアテにせず、
自分自身の都合の良い(つまり納得出来る)言葉・表現に変えて理解して、語って下さい。」
といつも言うんだけど、私と私以外の人では、たった一つの言葉の意味すら本当に異なる。
だから、言ってる言葉なんてのは、全然、違って構わないのだ。
稽古では「(そこで)起きてる事」を共通体験として持ち得れば十二分に過ぎて、そのキッカケとなる以上の役割を言葉に課す必要はないと言い切っていい程だと想う。



で、易経から更に一歩、進めて(易)占でも同じじゃないだろうか?
ちなみに私は、占いは信じる方だ。
当たる占いは当たる(当たらない占いは当たらない 爆)。
そこには確かに、浅はかな人智では蘊奥の果てを汲み取り得ぬ言葉がある。
それと、どう向き合うかは易経でも占じる人でも誰でもなく、他ならぬ自分自身だ。

ただ、単に良い悪い(過去・現在・未来、etc.)を知ったから、その場しのぎに言動を変える・・・というのはどうなんだろう?と想う。
人に占わせたとしても、自分の考えるが如く都合の良いように良いように、と言うのなら違和感が拭えない。
逆に為さねばならぬことは為さねばならぬだけのことで、そこに成る成らないは不要と割り切るのならば、占は頼るに足らない。
あってもなくても自分の為さんことに変わりはないからだ。
また厳として人によって出来ること、出来ないこともある。



毎度の如く訳も分からん間に長文になった。
さて、繋辞伝にはレギュラーな解説では書けない様な超常的なことにも触れられているのだけれど、それは兎も角、初っ端、いきなり「玩(もてあそ)ぶ」 という表現が出てくる。
後に延々と易経の深遠なること、尊く軽んずべからざることを書いているにも関わらずなのだけど、これは文字通り「玩(もてあそ)ぶ」んだろうと想う、「赤心の者」であれば。

凡夫の我々は、先ずもってして、そんな境地は難しいので「自らに由って立たん」という決意こそが立志ということになるのかなあ?などと愚考。
出自が赤心ならぬ言葉は嘘になる・・・そして勿論、私の言葉も全てが嘘八百であって八百万であろうはずがないのだ(爆)。

吉凶に玩ばれるということは、言葉に玩ばれるということに等しい。
私達は、むしろ言葉のない世界にこそ、そのホトンドを委ねているという事実に謙虚になるべきだ。





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Last updated  2012.01.21 23:52:45
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まっく  @ Re[1]:昨日が春分の日だったのですねw(02/05) 【亞】2さん >まっくさん、ご無沙汰して…
【亞】2 @ Re:昨日が春分の日だったのですねw(02/05) まっくさん、ご無沙汰してます。 亞です。…
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