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2022年3月9日.ブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」累計190万アクセス突破。(今回の写真は、リュウちゃん行きつけの馬見丘陵公園で3月初旬に撮影した蝋梅、河津桜、梅の写真です)2022年3月9日、ブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」の累計アクセス数が190万回を突破しました。例に寄りまして、開設以来のブログデータを書いてみます。★開設日:2009年6月5日(開設以来12年と277日)★開設日数:;4660日★総アクセス数:190万アクセス、★ブログ記入数:703回、★ブログ記入率:14,7%、★1日平均アクセス数:408アクセス★ブログ1回当たりのアクセス数:2703アクセス、因みに、180万~190万アクセスの間のデータは以下です。★達成日数:194日、★総アクセス数:100000アクセス、★ブログ記入数:17回、★ブログ記入率:8,8%、★1日平均アクセス数:502アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数:5882アクセス、また。170万~180万アクセスの間のデータは以下です。★達成日数:216日、★総アクセス数:100000アクセス、★ブログ記入数:21回、★ブログ記入率:9,7%、★1日平均アクセス数:463アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数:4762アクセス、前回の170万~180万アクセスの時は、達成に216日も掛かってしまいましたが、今回の180万~190万アクセスでは、194日と、少しだけですが達成日数が短くなりました。しかし、ブログ記入率は、とうとう9パーセントを割り込んでしまいました。身内の不幸にオミクロン株の蔓延、記入率の減少もしょうがないか?リュウちゃんは、2月13日に3回目のワクチン接種を受けました。1~2回目はファイザー、3回目はモデルナ、いずれも副反応無し、リュウちゃんは新型コロナに強い!?リュウちゃんは新型コロナ禍の中で、他県への遠足を自粛していましたが。昨年6月に2回目のワクチン接種を終えた時点から公共交通を使って奈良や京都に遠足に行くことを解禁しました。あと半年くらいは、新型コロナに対し、免疫が出来た!?なので、今年の夏頃までは、以前のように、奈良県はいうに及ばず、京都、大阪などの近県へも、積極的にお出掛けして、「お散歩ブログ」を更新して行きたいと思っています。もちろん、マスク着用でお出掛けする予定です。乞う、ご期待!?-------------<特報>将棋の藤井聡太5冠、待望のA級昇級、いよいよ名人位挑戦の年が始まる!(藤井聡太5冠)3月9日、藤井聡太5冠は、B級1組順位戦最終局に臨み、見事に佐々木勇気七段に勝利し、見事、来期のA級入りを果たしました。これで来期の名人位挑戦への道が開けた!現在、将棋には、8っつのタイトル戦があります。「八大タイトル」の内、名人位を除く7つのタイトルは、運が良ければ1年で獲得することが出来ますが、「名人」だけは、新しく四段になってから毎年、順位戦を戦い、C2~C1~B2~B1と昇級を重ね、最短で4年かけてA級に昇段、10人のA級棋士総当たりのリーグ戦を1年かけて戦い、そこで優勝した棋士が、名人戦七番勝負に挑戦することが出来、先に4勝した棋士が「名人」になるというシステムになっています。(将棋・順位戦の階層図)藤井5冠は14歳の時に初めて順位戦C級2組に参加、以後、C級1組で1年間足踏みをしましたが、以後、順調に昇級を重ね、今年4月から、晴れてA級棋士となります。佐々木勇気七段との順位戦で、今年度(令和3年4月1日~令和4年3月31日)の対戦は全て終了しましたが、この1年の藤井5冠の対戦成績は、52勝12敗、勝率8割1分3厘となり、棋士になってから6期連続勝率8割をキープしました。一昨年、「王位」を木村一喜九段から、「棋聖」を渡辺朗名人から奪取、「2冠」となり、昨年から今年には「王位」、「棋聖」の防衛に加え、新たに、「叡王」、「竜王」、「王将」を奪取し、「5冠」になりました。★「棋聖戦5番勝負」(挑戦者:渡辺 明名人)→3連勝で防衛、★「王位戦7番勝負」(挑戦者:豊島将之2冠)→4勝1敗で防衛、★「叡王戦5番勝負」(藤井2冠が豊島将之叡王に挑戦)→3勝2敗で奪取、★「竜王戦7番勝負」(藤井3冠が豊島将之竜王に挑戦)→4連勝で奪取、★「王将戦7番勝負」、(藤井4冠が渡辺 明王将に挑戦)→4連勝で奪取、以上、5大タイトル戦の藤井5冠の通算成績は18勝3敗、勝率:8割5分7厘!7回の番勝負の勝率は100%!藤井5冠は、1回の勝負では負けることがあるが、番勝負は「敗け知らず」なのだ!昨年の藤井5冠の対局のハイライトは、何といいましても、豊島将之九段との「タイトル戦19番勝負」でしたね。「王位戦」が始まる前には、藤井2冠は、対豊島将之竜王との対戦成績が1勝6敗と、殆ど「歯が立たない」状態で、「王位戦」も苦戦が予想されていましたが、「王位戦」を4勝1敗で防衛してからは、完全に苦手意識を克服、3っつのタイトル戦19番勝負を11勝3敗、勝率7割8分6厘で乗り切り、豊島2冠を無冠にしてしまいました。(豊島将之九段)渡辺 明名人とは、「棋聖戦」を戦う前から勝率は高かったのですが、「棋聖戦」と「王将戦」で、連続ストレート勝ち、時の名人にタイトル戦7連勝!前々期の棋聖戦から通算すると、タイトル戦8連勝!大山・升田時代だったら、「指し込み」だ!(※)「指し込み」とは、王将戦7番勝負で、一方の棋士が3連勝した場合、4局目は3連勝した棋士が「半香落ち」という「駒落ち戦」を戦う、という制度です。昭和26年の第1期王将戦で当時の升田幸三八段が木村義雄14世名人を指し込みましたが、升田八段は「香落ち対局」を拒否しました(陣屋事件)また、昭和30年の第5期王将戦では、やはり升田幸三八段が、大山康晴王将・名人を指し込みに追い詰め、「香落ち対局」にも勝利して王将位に就きました。「名人が香を引かれて負ける」という「事件」が実際に起こった訳ですが、大山名人はこの屈辱をバネにして、大名人に成長して行ったようです。現在はこの制度は無くなっているのです。今期A級順位戦は、斎藤慎太郎八段(28歳)が8勝1敗の好成績で優勝を果たし、昨年に続き名人戦7番勝負の挑戦者になりました。奈良市出身の棋士、斎藤八段、好漢だ、イケメンだ!(斎藤慎太郎八段)斎藤八段は4月から渡辺 朗名人と名人戦7番勝負を戦うことになります。若し、来年3月に藤井5冠がA級で優勝し、名人挑戦者になったとすれば、対戦者は、渡辺 明現名人か斎藤慎太郎八段のどちらかと名人戦7番勝負を戦うことになります。来年3月の時点で、どちらが名人だったとしても、藤井5冠が名人になる確率は8割位はありそうだ?<森林限界>藤井4冠が「王将戦」をストレート勝ちし、「藤井5冠」となった時、記者会見で、記者の「富士山に例えれば何合目まで登っているイメージか?」との問いに対し、藤井5冠は以下のように答えました。「どこが頂上なのか全く見えませんが、未だ頂上が見えない意味では、森林限界の手前、まだまだ上の方には行けていないと思います」このコメントは、注目を集め、「森林限界」という言葉がトレンド入りしました。(富士山の森林限界は何合目?)ここで藤井5冠のいう「森林限界」という言葉のリュウちゃんの解釈を書いて見ます。「森林」とは、将棋のプロ棋士全員のことです。「限界」とは、渡辺 明や豊島将之、永瀬拓矢、斎藤慎太郎、それと、今やレジェンドになった羽生義治らのトップ棋士のことを指していると思われます。「自分は、渡辺 明、豊島将之らのトップ棋士に勝ち抜き、「森林限界」の頂上に辿りついた。しかし、将棋の真理には、まだ余りに遠く、頂上は見えない、これからも、将棋の真理を求めて、「森林限界」を超えて、未踏の頂上を目指していきたい」と、リュウちゃんは解釈しました。現在、藤井5冠のレーティングは、2066点です。<棋士レーティング一覧>藤井5冠の2066点というレートが如何に飛びぬけた数字であるかということは、レジェンドである羽生善治九段の全盛期のレート数と比較すると、一目瞭然です。羽生九段の最高レートは、2014年7月に記録した1999点、この点が従来の「森林限界」だったのだ!現在、藤井5冠は羽生九段が7年前に記録した「森林限界」を遥かに突き抜けて、前人未到の頂上へ挑戦を始めています。「森林限界」の上に待つのは将棋の真理、もはや「限界森林」に住む他の棋士との勝負は眼中には無い。名人位獲得も頂上に到達する一つの過程に過ぎない!藤井聡太5冠19歳、これからの飛躍に、目が離せないのだ!
2022年03月11日
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正に深山幽谷、赤目四十八滝はコロナ禍とは無縁の桃源郷なのだ!(布曳滝)8月20日、この日の斑鳩町の最高気温は38℃、出来ることなら一歩も外出したくない灼熱日でした。ここのところ、奈良は連日37~38℃、老齢リュウちゃん、息も絶え絶え、そうだ、赤目四十八滝に避暑に行こう!例によりまして、女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製の缶ビール(2缶)をリュックに詰めて、午前9時、女房殿の運転する車の助手席に乗って法隆寺の自宅を出発、午前10時過ぎに赤目四十八滝の入り口に到着、下の写真は、滝の入り口近くの駐車場と茶店です。「みたらい渓谷と」違い、駐車場も茶店もいっぱいあるのです。以下は「赤目四十八滝」の散策MAPです。「赤目四十八滝」大好き人間のリュウちゃん、本ブログでも何回も登場するのですが、2018年に2回に分けて更新したブログでは、全ての滝を探索してみました。参考のためにそのブログを貼り付けます。 <2018年赤目四十八滝夏紀行(1)> <2018年赤目四十八滝夏紀行(2)>午前10時半頃、赤目四十八滝の入り口である「日本サンショウウオセンター」に入場。ここから赤目渓谷が始まっているのですが、アチャ~、渓谷は干上がっている!上流の滝も干上がっているのか?ここのところ、10日余りの日照り続きで、渓谷の水量が異常に減っているようです。 水の少ない赤目四十八滝、ちょっと心配、<遊歩道>赤目四十八滝は入り口の「日本サンショウウオセンター」から出口の「出会」まで、約4,3キロに渡って渓流沿いに遊歩道が設けられています。「みたらい渓谷」の遊歩道は渓流から約50mの所、「赤目の遊歩道」はずっと渓流に沿っている。今回の赤目散策では、ずっと女房殿に先行して歩いてもらいました。以下、その遊歩道の写真を何枚か貼り付けてみます。下の写真でお判りのように「赤目の遊歩道」は、2/3くらいがコンクリートで舗装され、渓流沿いには鉄製や木製の柵が取り付けられた平坦な道で、高所恐怖症のリュウちゃんでも、スイスイ歩いていける立派な遊歩道になっています。遊歩道の残りの1/3は滝の下から上に登って行く急な登り坂です(帰路は急な下り坂になります)。急坂の途中の写真は高所恐怖症のリュウちゃん、殆ど撮れなかったのですが、それらしい写真を幾つか紹介してみます。 急坂の恐怖感、リュウちゃんの写真では全然出ない。尚、赤目四十八滝の遊歩道は、2002年に「遊歩百選」に認定されました。赤目四十八滝は他にも「森林浴の森100選」、「日本の滝百選」、「平成の名水百選」に選定されています。 尚、赤目の遊歩道は、2004年に選定された「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の名でも選出されているのです。2018年に赤目四十八滝に行った時には、「赤目四十八滝というが、本当に48の滝があるのだろうか?、本当は幾つの滝があるのだろうか?」ということがテーマで、全ての滝を踏破する旅だったのですが、今回の目的は「ひたすら避暑」、森林浴、渓谷美を堪能する、滝と渓流の水の涼しさを堪能する、という気楽な旅だったのです。それでは、これから滝と渓流を順に紹介させて頂きます。<霊蛇滝>赤目の道で、最初に出逢う大きな滝壺(淵)のある滝です。落差6m、滝壺の深さ7m、滝の流れが、さながら白蛇が遡上する趣きがあるので、この名が付けられたようです。案の定、滝の水量が少ない、滝壺の水も少し濁っている(残念!)<「赤目牛」の像> 「霊蛇滝」のすぐ上に、赤目5瀑の一つである「不動滝」があります。「霊蛇滝」から「不動滝」に登る遊歩道の横に、「赤目牛」の像が置かれています。(赤目牛)「赤目牛」の像の横に、以下のような文章が書かれた看板がありました。「古くから伝えられている赤目の由来は、「役の小角」(えんのおづぬ、伝634~701年)がこの地に来た折に、滝に向かって行を修めると、不動明王が牛に乗って出現、その牛の目が赤かったので、この地を「赤目」と名付けた。そして小堂を建て、不動明王をまつったのが、今の不動院と伝えられる。また、この不動院の本尊である不動明王の目が赤く輝いている所から、「赤目」の名が付けられたともいわれる。藤堂藩二代目藩主・高次の治りがたい眼病が、赤目不動尊の宝剣で完治し、藤堂藩の祈願寺として保護され、以来、延寿院は目の神様として親しまれ、この「赤目牛」を撫でることにより御利益があると伝えられています」フ~ン「赤目牛」を撫でると目が良くなるのか、目の悪いリュウちゃん、これからいっぱい撫でてみよう!<不動滝>「霊蛇滝」のすぐ上に、遊歩道唯一の「不動橋」が架けられていて、その下に最初の「赤目5瀑」である「不動滝」があります。落差15m、幅4mの堂々たる滝です。滝の名称は、不動明王に因んで名づけられたようです。幅4mと言われているが、本日は幅1mくらいだ、ちょっと残念!<滝参り> 「赤目四十八滝」は「役の小角」の時代から「山岳信仰の聖地」とされ、修行者のみならず一般民衆の間にも「滝参り」という風習が定着していました。しかし、明治時代の中期頃まで、「不動滝」の上は、深山幽谷の原生林で、修験者しか入山が許されていなかったのだそうです。従いまして、昔の「滝参り」とは、「不動滝に参る」ということになっていたようで、毎年、春になりますと「霊蛇滝」の滝壺の前で、入山者安全祈願法要が行われるようです。(滝参り、入山者安全祈願法要=この写真はネットからお借りしました)<水遊び>「不動滝」の上の岩場で、若い人達が渓流の中で水遊びをしていました。水遊び、懐かしい!水遊びをしなくなって、もう何年経つのだろう?青春は遠い彼方になってしまった。<千手滝(せんじゅたき)> 下から2番目の赤目5爆です。高低差15m、幅4m、滝壺の深さ20m、複雑な水の流れが、まるで千手観音の手のように見えるところから、この名前が付きました。でも、今日は水量が少ないので、百手滝くらいなのかな?<千手茶屋> 千手滝の滝壺の前に、今では赤目唯一の存在になってしまったお店「千手茶屋」があります。以前はもっと上の「百畳岩」の傍にも「お店」があったのですが、何しろ商品の搬入は全て人力、すなわち、荷(商品)を背中に担ぎ、渓流の麓から徒歩で登らなくてはいけない、大半の商品は、お茶、ジュース、ビール、氷などの「重い水物」で、体力がないと、とても出来ない重労働なのです。おまけに電気が使えないので、お茶やビールを冷やすのは渓流の水、冷蔵庫で冷やすことに慣れている現代人にとりましては、その「冷え具合」はちょっと物足りないのです。千手茶屋の皆様、お疲れ様です。何時までも店を開けておいて下さいね!<布曳滝(ぬのびきたき)> 下から3番目の赤目5瀑、落差30m、滝壺の深さ30m、断崖の上から一条の白布を垂らしたように流れ落ちる優美な滝です。全国には布曳滝(布引滝)と称する滝が20余りありますが、赤目の布曳滝は、その代表格と言われています。優美な布曳滝とそれを囲む柱状節理の深山幽谷、リュウちゃん、赤目の滝の中では一番好きな滝なのだ!<竜ヶ壺> 布曳滝のすぐ上にあります。落差2m、「滝」とは言えない小さな流れですが、一千万年以上に渡って流れの下の岩盤を石臼のようにくり抜き、この淵の深さは50m以上と言われています。古くからこの淵には「竜が棲む」という伝説があり、そのために「竜ヶ壺」と命名されました。 <陰陽滝(いんようたき)~赤目の玄武>この滝も落差2m位の小さな滝ですが、滝の横にある岩盤の形が「巨大な亀の頭」に似ています。この巨大な亀の姿が、奈良のキトラ古墳の壁画にある四神の一つ、「玄武」に似ているところから、リュウちゃんは勝手にこの岩盤を「赤目の玄武」と名付けたのです。千古の昔からここに眠る赤目の玄武、悠久の夢を見ているのだろうか?<渓流の魚> 陰陽滝から少し登って行ったところに、名もない「淵」があります。ここは赤目の渓流で、唯一、遊歩道から魚が見られるスポットなのだ。鮎でもない、岩魚でもない、この魚、何なのだろう?ハヤかな?モロコかな?家に帰ってから下記の図鑑でちょっと調べてみました。 <淡水魚図鑑(大阪府立農林水産総合研究所)>上記「図鑑」の中で、赤目の淡水魚に一番姿・形が似ているのは、イトモロコです。赤目の魚、イトモロコなのかな?<百畳岩~昼食>ジャスト正午、百畳岩に辿りつきました。下の写真の右手にある小屋が、以前にあった「茶店」の址なのです。渓流沿いのベンチで昼食、 プファ~、ビールが旨い!森林と清流のオゾンが心地良い!暫くマッタリと昼食休憩、 「百畳岩」は入り口の「日本サンショウウオセンター」から1,8kmの所にあります。全4,3kmの赤目遊歩道の、まだ中間点にも辿りついていないのですが、今日は「滝を求める旅」ではなく、「涼を求める旅」でしたので、「百畳岩」から約800m上にある「荷担滝」まで行って、引き帰す計画です。で、午後1時、「百畳岩」を出発、<赤目の柱状節理>赤目渓谷の周囲は、50~100mの柱状節理の断崖に囲まれています。赤目の柱状節理は、約1500万年ほど前の「室生火山群」の活動によって形造られました。以下、「百畳岩」から「荷担滝」までの「柱状節理」の写真を何枚かピックアップしてみます。赤目渓谷の柱状節理の景観、正に「太古の人外魔境」なのだ!以下の2枚の写真は「雨降滝」です。イースター島の謎の巨石像「モワイ」を思わせる柱状節理の断崖の上から、雨が降るように滝の水が落ちるという滝です。 本日は水量が少なかったためか、雨は降っていませんでした。柱状節理の続きです。<荷担滝(にないだき)> 本日の最終目的地です。落差8m、滝壺の深さ10m、2筋に別れて流れ落ちる滝の景観が、荷を担いでいるように見える所から、この名称が付けられたようです。赤目5瀑の内、4番目の滝で、最近では赤目の観光ポスターに使われている名滝なのです。水量が少なく、荷が軽い(苦笑)もう午後2時、そろそろ引き帰そう!往路はずっと上り坂、帰路はずっと下り坂、普通に考えれば帰路のほうが楽々の筈なのですが、老齢リュウちゃん、今回は、行きはよいよい帰りは怖いだったのです。ビールの酔いが抜けなかったのか?目の悪さからくる「足元不如意」が進行したのか?予想以上の気温の高さが影響したのか?多分、上記の3っつの要因が重なったものと思われますが、健脚自慢だっらリュウちゃんと致しましては、ちょっと衝撃的な出来事で、フラフラになりながら午後4時ちょっとまえ、やっと入り口の「日本オオサンショウウオセンター」に辿りつくことが出来ました(やれやれ)駐車場の傍の茶店に入り、カキ氷を注文、プファ~、カキ氷が旨い!散策の疲れが洗い流されるようだ!と、一瞬感じたのですが、帰路の車の助手席では、足がツッて、惨憺たる状態になってしまったのです(トホホ!)もう体力の限界なのか?ちょっと情けない赤目行きになってしまいました。「赤目四十八滝」は「みたらい渓谷」と同じように「紅葉の名所」のようです。今年の秋には、紅葉の赤目に行ってみよう!秋には体力の限界を取り戻せますことやら?
2020年09月03日
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2020年7月2日、ブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」、160万アクセス達成(クジャクサボテン=5月)(今回写真は、全てリュウちゃんの家の庭で撮った花です)7月2日、ブログ「リュウちゃんのい懐メロ人生の累計アクセス数は160万を突破しました。例によりまして、開設以来のブログデータを書きます。開設日:2009年6月5日(開設以来11年と27日)、開設日数:4046日、★総アクセス数:160万アクセス、★ブログ記入数:646件、★ブログ記入率:15,5%、★1日平均アクセス数:395アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数:2477アクセス,(サボテン=5月)う~ん、今回も「1日平均アクセス数」が400アクセスを超えることができなかった。ちょっと残念!次回の170万アクセス達成の時には超えられそうだ!?(クリスマスローズ=3月)因みに、150万~160万アクセスの間のブログデータは以下です。★達成日数:176日、★総アクセス数:100000アクセス、★ブログ記入数:16回、★ブログ記入率:9,1%★1日平均アクセス数:568アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数::6250アクセス、(水仙=3月)今回は前回と比べ、ブログ記入数が16回と増えましたが、記入率が9,1%、大体、11日に1回の更新ペースです。やはり相当なスローペースですね。何とか週1回(記入率:14%)にしたいと思っていますが、現状ではちょっと難しそうです。(白木蓮=3月)更に前回の最新データであった140万~150万アクセスの間のデータを以下に貼り付けます。★達成日数:174日、★総アクセス数:100000アクセス、★ブログ記入数:11回、★ブログ記入率:6,3%★1日平均アクセス数:575アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数::9090アクセス、(ハナミズキ=4月)今回の150~160万アクセスは新型コロナウィルス禍でのブログ更新の結果です。新型コロナウィルスの世界的大流行は私達の日常生活を一変させてしまいました。連日、テレビや新聞などで感染者の情報が大きく報道され、私達はその渦中でどう行動すべきか、右往左往するばかりです。「インフルエンザには絶対感染しない」と自負するリュウちゃんも、「3密」を避けるため、今年の3月から公共交通には乗らない、好きな映画も観に行かない、好きなカラオケにも行かない、書店や図書館にも行かない、買物に行く時には、大嫌いなマスクを着用する、といった不自由極まる日常生活を強いられています。(山吹と隣家のサクランボ=4月)(モッコウバラ=4月)新型コロナウィルス禍での日常生活、何を拠り所にすればいいのか?と悩んでいた時に、IPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が、令和2年3月19日に、「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げました。<「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」~7月3日更新>→ここをクリック 以下に3月19日に開設された時の最初の「まえがき」を貼り付けます。「新型コロナウィルスとの闘いは短距離走ではありません。1年は続く可能性のある長いマラソンです。日本は2月末の安倍首相の号令により多くの国に先駆けてスタートダッシュを切りました。しかし最近、急速にペースダウンしています。このままでは、感染が一気に広がり、医療崩壊や社会混乱が生じる恐れがあります。一人一人がそれぞれの家庭や仕事の状況に応じた最速ペースで走り続ける必要があります。国民の賢い判断と行動が求められています。この情報発信が、皆様の判断基準として少しでも役立つことを願っています。尚、本活動は個人の責任で行っており、京都大学やiPS細胞研究所は関与しておいりません」様々な「行動指針」が交錯する中で、リュウちゃんは山中伸弥教授のサイトを拠り所にして行きたいと思っているのです。(山中伸弥教授)<ブログ管理画面の「アクセスレポート」から>今回も前回と同じように、ブログの「アクセスレポート」から、よく読まれているブログを幾つか挙げてみます。(1)2017年6月29日更新「<将棋>藤井聡太四段へのオマージュ、西山朋佳奨励会三段へのオマージュ>→ここをクリック(以下同じ)将棋の藤井聡太七段、今年6月から始まった2020年のシーズンで快進撃が止まりません。藤井七段につきましては、本ブログの最後に<特報>としてまとめてみますので、興味のあるお方は、そちらをご覧くださいね。 (2)<2020年4月6日更新<NHK朝ドラ「エール」のモデルになった古関裕而の歌(1)~戦前偏>(3)<2020年4月14日更新<NHK朝ドラ「エール」のモデルになった古関裕而の歌(2)~戦後編」>NHKの朝ドラ「エール」は、ご承知のように、「長崎の鐘」、「六甲おろし」、「君の名は」、「オリンピックマーチ」などの作曲で有名な古関裕而をモデルとするドラマです。3月30日から6月26日まで、これまで計65回放送され、平均視聴率は20,6%、最近の朝ドラの中では、かなり高い視聴率を出しているようです。新型コロナウィルス禍のため、66話以降の収録が中断していて、6月29日から再放送に入っていますが、現在のところ、7月20日から66話がスタートするようです(確実な情報ではありませんが、、、)「エール」では、、これまでの所、昭和10年に作曲された「大阪タイガースの歌」(六甲おろし)」の時点で止っていますが、66話以降、どのような歌が紹介されるのかという点に興味がおありのお方は、是非リュウちゃんの上記ブログをご覧くださいね。 (4)<2014年3月17日更新<テレビ朝日「玉川徹のそもそも総研」で知った「コアキャッチャー>前回のブログでも紹介させて頂きましたが、リュウちゃんのブログの中ではダントツに読まれているブログで、もうすぐ「累計アクセス数が10000アクセス」になろうといしています。玉川 徹氏は、TVのニュースショウでは、今や数少ない「歯に衣を着せぬ辛口コメンテーター」としてテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」にレギュラーで出演しています。(玉川 徹)新型コロナウィルス感染に関して玉川は、2020年5月18日放送の「モーニングショー」で、内閣支持率が減少したとの調査結果を踏まえ、「新型コロナウイルス感染がどんどん減ってきているのは、政府の対策が良かったんじゃなくて、日本人が素晴らしいんですよ」などと発言し、一部の「政府寄り」のマスコミから批判を浴びましたが、リュウちゃんは断然、玉川氏の発言を支持します。同じ「羽鳥慎一モーニングショー」にほぼレギュラーで出演していた政治ジャーナリスト・田崎史郎が最近、出演しなくなっているようです。(田崎史郎)田崎史郎氏は、ちょっとニュースショーに興味がある人であれば誰でも知っている安倍政権の御用ジャーナリストです。テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」を始め、TBSの「ひるおび」、フジテレビの「とくダネ」、日本テレビの「ウェークアップぷらす」などのニュースショーに出まくっていて、安倍政権擁護に余念のない、リュウちゃんに言わせれば「似非ジャーナリスト」なのです。リュウちゃんが田崎氏の発言に唖然としたことは何回もあるのですが、一番印象に残っていますのは、2年ほど前、「森友問題」が世間を賑わしていた頃、TBSの「ひるおび」で、「森友問題はもう飽きた!」と発言したことです。案の定といいますか、田崎の「森友問題はもう飽きた!」の発言以降、TBSに限らず、他のテレビ局も森友問題に関する報道はピタリと止まってしまったのです。これにはリュウちゃんも再び「唖然!」としてしまいました。安倍政権擁護の御用ジャーナリストである田崎氏の一言で、日本のマスコミは安倍首相批判を殆ど停止、思考停止してしまった。日本のマスコミは、安倍政権の下で、完全に政権批判という最低限のマスコミとしての使命を放棄してしまった。と、リュウちゃんは忸怩たる思いに駆られたのでした。以下に田崎史郎氏批判の急先鋒である「リテラ」の幾つかの記事を挙げて見ます。(1)<御用ジャーナリスト大賞2017年>→ここをクリック(以下同じ)(2)<テレビで安倍擁護連発、田崎史郎に自民党から金!しかも国民の血税「政党交付金から>↑これは重大です!(3)<田崎史郎が黒川検事長と賭け麻雀を正当化!コロナでも麻雀に誘われたら「行く」と即答>(4)<田崎史郎が「モーニングショー」から消えた!玉川徹にツッコまれるのを嫌がり降板説、、、>似非政治ジャーナリスト、田崎史郎が「羽鳥慎一モーニングショー」から消えたのは、本当に(4)のように玉川徹氏からボコボコに反論されることを恐れたためなのか?リュウちゃんは興味津々なのです。ーーーーーーー<特報>藤井聡太七段、快進撃止らず!王位戦七番勝負第1局、快勝!(新しい和服で王位戦に登場した藤井聡太七段)7月1日~2日、藤井聡太七段は将棋の8大タイトルの1つ、「王位戦」の第1局に望み、「中年の星」木村一基王位(47歳)に挑戦しました。(木村一基王位)(王位戦第1局開始の様子)木村一基王位は、上の写真のように、一見、「飄々とした何処にでもいそうな中年のオジサン」、解説者としての彼は、軽妙でユーモアたっぷりで素人にも非常に判り易く、「解説名人」とも云われています。しかし、棋士としての成績は超一流、通算成績は658勝381敗、勝率6割3分3厘、1000局以上対局して勝率6割以上を保っている棋士は、★羽生善治九段(7割5厘)、★谷川浩司九段(6割6厘)、★佐藤康光九段(6割1分9厘)、★森内俊之九段(6割1分2厘)、★郷田真隆九段(6割1分5厘)、★深浦康市九段(6割2分8厘)、★久保利明九段(6割1分3厘)、★行方尚史九段(6割8厘)、それと木村一基王位の計9人だけです。木村一基王位は1000局以上対局している棋士の中では、羽生善治九段に次ぎ、勝率第2位なのだ!棋風は強靭な「受け」と「粘り」、相手のどのような鋭い「攻め」も2枚腰、3枚腰の粘りで受け切り、逆転勝ちに持ち込む「受け潰し」を得意としていて、「千駄ヶ谷の受け師」という異名を持っています。その「受け潰し」の棋風は王位戦第1局でも遺憾なく発揮されました、以下は<王位戦第1局のAIによる一手づつの形成判断棋譜>です。<王位戦第1局のAIによる一手づつの形成判断棋譜>この将棋は、2日目の木村王位の封じ手(54手目)「2―九角成」から藤井七段が一方的に攻めるという将棋になりました。ヘボアマチュア二段のリュウちゃんが見た限りでは、「この将棋は藤井七段の圧勝、2日目の午前中には終わるな」と思われたのですが、そこから延々と攻防は続き、結局、95手で木村王位が投了しました。藤井七段の55手目、「6二と」から、一方的に攻めたようにリュウちゃんには思われたのですが、解説によりますと随所に「恐ろしい逆転の罠」が仕掛けられていて、藤井七段がちょっとでも「緩い手」を指すと「即逆転」になったのだそうです。PCのアドベンチャーゲームのように至る所に仕掛けられた「恐ろしい罠」を掻い潜って完勝、藤井七段、凄い!木村王位は現在47歳、昨年、46歳の時に初めて「王位」のタイトルを獲りました。史上最年長でタイトルホルダーになったのです。トップ棋士と云えども、年齢の壁は非常に厚いのです。19歳で初タイトル(竜王)を獲得し、以後、タイトル獲得99回というとてつもない大記録を残した「平成の大棋士」、羽生善治九段も、初タイトル獲得から27年後の46歳の時、竜王戦防衛に失敗し「無冠」になってしまいました。以後1年8ヶ月間、「無冠」の状態が続いています。トップ棋士の全盛期は、大体45歳位までなのだ!(羽生善治九段)藤井聡太七段の通算成績は、王位戦第1局終了時点で、180勝33敗、勝率は8割4分5厘です。33敗の内、(対局当時)45歳以上の棋士に負けたのは、深浦康市八段(当時45歳)、井上慶太九段(当時54歳)、三浦弘行九段(当時45歳)、の「僅か3人3敗」にしか過ぎません。以上のことから考えますと、今回の王位戦で、47歳の木村王位は、1勝挙げれば上出来、と云えるのではないでしょうか?藤井七段は来週も2局の対局が控えています。★7月6日(月)、B級2組順位戦第2局、(対局者)橋本崇載(たかのり)八段(37歳)順位戦は名人への長い道のりです、他の棋戦は例え初参加でも、連勝を続ければタイトルホルダーになることが出来ますが、名人位に繋がる順位戦は、下からC級2組→C級1組→B級2組→B級1組→A級と、全てトーナメント制で同じクラスで1年間かけて対戦し、A級の優勝者が晴れて名人戦の挑戦者になるという仕組みです。藤井七段は現在B級2組です。これからA級まで順調に昇級するとしても、名人戦に挑戦出来るのは3年後の2023年になります。橋本八段とは初手合い、どのような将棋になるのか、楽しみです。★7月9日(木)、「棋聖戦5番勝負第3局」、(対局者)渡辺 明3冠(36歳)いよいよ第3局です。第1~2局を連勝していますので、この1番に勝てば、待望の最年少タイトル獲得が実現します。現在、将棋界の第一人者の渡辺3冠としましては、3タテを食わされることは屈辱的ですので、必死に勝ちを狙ってくる筈、きっと、これまでにない白熱した対局になる筈です。★「竜王戦決勝トーナメント」(対局日未定)6月20日、藤井七段は師匠の杉本昌隆八段と「竜王戦3組ランキング戦」の決勝戦を争い、見事勝利して決勝トーナメントに駒を進めました。以下の図は今年の<決勝トーナメント対戦組み合わせ表です>上図で、藤井七段が「竜王戦七番勝負」の一つ前の「挑戦者決定戦三番勝負」に勝ち進むためには、先ず第1戦で丸山忠久九段に勝ち、第2戦で佐藤和俊七段に勝ち、第3戦で、久保利明九段と佐々木勇気七段の勝者に勝つ必要があります。 この対戦予定メンバーで一番の難敵は、久保利明九段(もうすぐ45歳)です。これまで藤井七段は久保九段と5回対局していますが、結果は藤井七段の2勝3敗、藤井七段の数少ない負け越している棋士です。久保九段も、もうすぐ45歳、急成長の藤井七段に勝てるかな?「挑戦者決定戦3番勝負」に先に2勝すると、晴れて「竜王戦7番勝負」、豊島将之(名人・竜王)に挑戦することになります。実は現在のところ、藤井七段は豊島竜王に0勝4敗、藤井七段が2回以上対戦して、まだ一度も勝てない唯一の棋士が豊島竜王なのです。恐らく流れから見て、現在挑戦中の「棋聖」、「王位」の2冠は獲得出来そうですが、「竜王」獲得はまだ何とも言えない状況です。秋の竜王戦に勝利して、藤井3冠を達成して欲しい!と願っているリュウちゃんなのです。<abemaTV将棋チャンネル>藤井七段の対局は全てインターネットテレビの「abemaTV将棋チャンネル」で開始から終りまでライブ中継されています。「abemaTV将棋チャンネル」リュウちゃんも藤井七段の対局がある日は朝から夜までPCに釘づけになります。来週6日(月)と9日(木)はPCに釘づけなのだ!<西山朋佳奨励会三段の新情報>(西山朋佳奨励会三段)女性初の将棋プロ棋士を目指す西山朋佳奨励会三段、6月から今期の「三段リーグ戦」が始まりました。現在、奨励会三段リーグには31人の「棋士の卵」が在籍していまして、この31人が9月末迄に18戦対局、上位のたった2人だけが晴れて一人前の棋士である四段に昇段出来るという、倍率1/15の超狭き門なのです。西山さんは前期に14勝4敗という好成績を挙げたのですが、順位の関係で惜しくも第3位(1位。2位も同じ14勝4敗)に終わり、あと一歩の所で四段昇段を逃してしまいました。今期6月の成績は2勝2敗、ちょっと出足不調ですが、これからエンジンが掛って来ると期待しています(2016年9月に藤井聡太現七段が四段に昇進した時の三段リーグの成績は13勝5敗、前期の西山さんより成績が悪かったのですね。当時の藤井三段は、最終の第18戦で西山さんに勝ち、四段昇段を決めたのでした)西山朋佳さんは今期、奨励会三段リーグ以外にも活躍しそうです。(1) 竜王戦6組、準決勝で敗退(惜しい!)今期竜王戦ランキング戦6組は65人のトーナメント制で行われました。西山さんは「女流枠」で参加、小林宏七段、田中寅彦九段、青野照市九段の古豪3棋士を連覇し、見事にベスト4まで進出しました(準決勝で敗退)(2) 新人王戦、ベスト8に進出、六段以下の若手棋士と奨励会三段の順位上位者及び女流棋士、アマチュア棋士、計40人がトーナメントで争う棋戦です。現在進行中ですが、西山さんはベスト8まで進出して来ました。女性初の新人王誕生か?(3) NHK杯戦今期NHK杯戦は、唯一人の女流枠で、西山さんが出場することになりました。NHK杯戦は全50名(内、女流棋士1名=西山さん)が1年間かけてトーナメントで争う人気棋戦です。女流棋士は殆ど1回戦で敗退してしまうのですが、2003年のNHK杯戦では、中井広恵女流六段が1回戦で畠山鎮(まもる)六段(当時、現八段)、2回戦で青野照市八段(現九段、当時バリバリのA級棋士)を連覇しました(3回戦で中原 誠15世名人に敗退)、中井さんは翌年にも1回戦で勝ち、2回戦で、トップ棋士の一人であった佐藤康光棋聖(当時、現九段)を99%勝てる所まで追い詰めたのですが、最終盤に痛恨のミスが出て、残念ながら2回戦敗退となりました。(中井広恵女流六段)今期NHK杯戦では、藤井聡太七段と西山さんは同じブロックに所属しています。若し西山さんが3連勝すれば、4回戦で藤井七段と対局する可能性があります。藤井聡太VS西山朋佳、令和時代のドリームカードだ!
2020年07月04日
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千葉から来た孫姫4姉妹元気いっぱいです!昨年12月26日、千葉から孫姫4姉妹が来襲しました。改めまして上の写真の4姉妹を紹介させて頂きます。 ★孫姫1号→中学校1年生、13歳、★孫姫2号→小学校4年生、10歳、★孫姫3号→幼稚園年長組、5歳、★孫姫4号→もうすぐ幼稚園、3歳前年はやはり12月26日に来襲、1月2日まで7泊8日の長期滞在だったのですが、今年は元旦までの6泊7日の滞在、前年より1日少ないとは云え、どんなイベントで孫姫ちゃんたちを喜ばせようか?毎回、リュウ爺ちゃんは頭を捻るところなのです。当初のリュウ爺ちゃんのイベント予定は以下でした。★12月26日:近所の外食店でしゃぶしゃぶ食べ放題の夕食(リュウ爺ちゃんはビール飲み放題)★奈良公園で鹿と遊ぶ(前年、奈良公園に行った時、「鹿せんべい」を買い過ぎて、余っていましたので、これを消化しなければならないという事情がありました)★ディズニー・アニメ「アナと雪の女王2」を観に行く。★家で「お餅つき」を開催する。このリュウちゃんの提案に対し、来襲した孫姫3号の反応は、奈良公園、嫌だ~「アナ雪2」、観たくない!「すみっこぐらし」が観たい!孫姫3号、只今、反抗期なのです(苦笑)孫姫1~2号は、相変わらず韓流アイドルグループ「TWICE」にハマっています。昨年秋には幕張メッセで開催されたツアー・コンサートにそれぞれ1万円もするチケットを買ってママと3人で行ってきたのだそうです。(TWICE)<アルバイト>各1万円のチケット代は貯めていた「お年玉」を取り崩してママに支払ったようですが、貯えが少なく、まだママに借金している状態、なので2人共、リュウちゃんの家で、皿洗いのバイトをする!ということで、以下の写真のように毎食後の皿洗いのバイトに励んだのです。例年のお年玉にバイト代上乗せ幾らお年玉をあげたらいいのか?リュウちゃん夫妻、戦々恐々!27日は前年と同じように、タワー・レコード橿原店に「TWICE」グッズ購入のために孫姫一家だけで行って来ました。前回はリュウちゃん夫妻も同行したのですが、今回はパス、何故パスしたかと言いますと、前回、メチャ高いグッズ代を支払わされたことに懲りたからなのです。<馬見丘陵公園の大型すべり台>28日、本当は奈良公園に行く予定だったのですが、孫姫3号の強硬な反対に遭い、やむなく「馬見丘陵公園」の一角にある大型遊具(すべり台)で遊ぶことにしました。下の写真は、公園の中央入り口で撮ったスナップです。反抗期の孫姫3号です。ママに髪を直してもらっている孫姫4号、昨年は髪の毛が少なく、男の子のようでしたが、今年は髪の毛も増え、女の子らしくなって来ました。馬見丘陵公園は、総面積約60ヘクタール(60万平方メートル)と広いので、公園の中央入り口から遊具のある場所までは、大人の足で徒歩10分位掛ります。年末だというのに、バラ園のバラは、まだ相当咲き残っていました。大型遊具のある場所に近い北エリアの「集いの丘」、春には一面に艶やかなパンジーの花で埋め尽くされるのですが、この時期はパンジーの植え付けが始まったばかり、少し荒涼とした風景なのです。 ジャジャジャ~ン!超大型すべり台!この大型すべり台、地上から最上部まで約10メートルもある。高所恐怖症のリュウちゃんは苦手だ!地上から最上部まで登るためには、下の写真のような「ロープのつり橋」を渡って行きます。 孫姫4号、おっかなびっくりでつり橋を渡ります。孫姫3号、さすがお姉さん、スイスイとつり橋を渡りました。しかし、最上部に着きますと、その「高さ」にビビったのか、中々滑ろうとはしませんでした。結局、年少組の2人の初滑りは、お姉さんの孫姫1号と一緒に滑ることによって無事に果たせたのでした。初すべりの後、然孫姫3号はハッスル!一人で何回も滑ったのです。もうお昼だ、お腹が空いた! でも、孫姫3号はすべり台に夢中、「お昼を食べてから、また来ようね」と言っても納得せず、延々と滑り続けたのでした。後で、すべり台のどこが良かったのかを聞いたところ、面白過ぎる!との答え、孫姫3号ちゃん、今度奈良に来た時も、またここへ来ようね!<お餅つき>29日の朝に「お餅つき」をしました。「お餅つき」といいましても、臼と杵でつくのではなく、電動餅つき機を使っての「お餅つき」、孫姫ちゃん達は「お餅丸め係」担当です。孫姫3号ちゃん、「お餅丸め係」、頑張ったね!<映画> 29日は地元のシネコンに映画を観に行きました。映画を観に行くメンバーは、リュウちゃん、孫姫のママ、孫姫4姉妹の計6人です。当初は全員で「アナと雪の女王2」を観に行く予定だったのです。(アナと雪の女王2)しかし、反抗期の孫姫3号が「すみっこぐらし」が観たいというので、2グループに別れて観ることにしました。(アナ雪グループ)ママ、孫姫2号、孫姫4号(すみっこグループ)リュウちゃん、孫姫1号、孫姫3号、(本当は「アナ雪」が観たかった孫姫1号でしたが、孫姫3号に付き合ったという次第、さすがお姉さん!、でも、翌30日にお婆ちゃん(リュウちゃんの女房殿)と2人で観に行って来たのです。めでたし、めでたし)(すみっこぐらし)<いきなり!ステーキ>昨年末、リュウちゃんの家から徒歩1分のところに、外食チェーン「いきなり!ステーキ」がオープンしました。で、29日の夜に食べに行って来ました。お肉大好きな孫姫ちゃん達、大満足!!!リュウ爺ちゃんは、プファ~、ビールが旨い!肉よりも孫姫ちゃんの笑顔が絶好のおツマミなのだ!<猫の「チビ」> 孫姫1号と同い年の「チビ」、今回も孫姫ちゃんが居間にいる時は殆ど2階に雲隠れしていましたが、上の孫姫2人だけが居間にいる時だけは時々居間に顔を出すようになりました。臆病者のチビ、下の2人の孫姫が苦手なのだ。一度だけ、階段の途中に姿を見せました。慌てて写真を撮りましたので、ちょっとピンボケになってしまいましたが、以下に「チビ」の写真を3枚貼り付けます。チビちゃん、高齢になったが全然元気なのだ!<元旦・通知表・お年玉> 元旦の朝はおせち料理とお雑煮で朝食、朝食の後、「お年玉」をあげました。 今回のお年玉の内訳は以下です。★孫姫3・4号:基本額、★孫姫1・2号・基本額+皿洗いのバイト代+勉強頑張ったで賞、中学1年生の孫姫1号の通知表を初めて見せてもらいました。「保健体育」の「4」を除いてオール「5」!聞けば、通学している中学校で、首席の成績との事、孫姫1号ちゃん、凄い!小学校4年生の孫姫2号ちゃんの通知表は見せてもらえなかったのですが、ママの話によてば、「かなりいい成績」とのこと、なので2人に「勉強頑張ったで賞」をあげたという次第です。孫姫1・2号ちゃん、「勉強頑張ったで賞」でTWICEの前借りチケット代ママに返せるかな?<出発>元旦の朝食が終わると、孫姫一家は、パパの実家がある大阪へ旅立ちですす。名残惜しい! 可愛い孫姫ちゃん達!また奈良に遊びに来てねまた大型すべり台でいっぱい遊ぼうね!
2020年01月24日
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初めて千葉県から来た孫姫4姉妹4人揃って元気です!(奈良県庁のロビーにて)4月27日、10連休の最初の日、千葉県から孫姫4姉妹が奈良に遊びにきました。あれ、リュウちゃんの孫姫ちゃんは群馬に住んでいる筈?以前からリュウちゃんのブログをお読み頂いている皆様は、?、と思われた筈ですが、実は孫姫一家は今年の3月末に群馬県から千葉県に転居したのです。転居の理由はパパの転勤です。パパは某・大手農産品メーカーの付属農場に農産物の育種、改良を担当する技師として勤務しています。農場は関東各地に点在していて、パパのような技師はローテ―ションで各地の農場に順々に勤務していくようなのです。千葉への転勤は一年前から知らされていましたので、一年かけてじっくりと転居先を探したようですが、千葉勤務も3年と決められているようで、3年後には、また元の群馬勤務に戻るようです。3年先の転勤が予告されている、勤務する社員にとっては、いい会社だ!さて、上の写真から、改めまして孫姫4姉妹を紹介させて頂きます。(写真の後列左)孫姫1号:12歳、4月から中学1年生、(写真の後列右)孫姫2号:9歳、4月から小学校4年生、(写真の前列右)孫姫3号:4歳、4月から幼稚園年中組、(写真の前列左)孫姫4号:2歳、おむつ組、また、孫姫1号と2号は「年長組」、3号と4号は「年少組」と呼んでいるのです。今回の奈良逗留は5月3日まで、6泊7日の長逗留、いい季節だし、どこへ遊びに行こうかと思い、孫姫ちゃんたちに、「どこへ行きたい?」と聞きましたところ、孫暇1号から3号の3人が声を揃えて、「いちご狩り!」<信貴山のどか村のいちご狩り>で、4月29日、近所(リュウちゃんの家から車で20分)の「信貴山(しきさん)のどか村」に「いちご狩り」に行って来ました。午前9時ジャスト、孫姫4姉妹のママの運転する車でリュウちゃんの家を出発、午前9時20分、「のどか村」の入り口に到着、以下に「のどか村」のHPを貼り付けます。<農業公園信貴山のどか村> 「のどか村」の入り口から「いちご狩り」会場までは徒歩5分くらい掛ります。「いちご狩り」の会場の会場に到着、 ありゃ、入場を待つ長蛇の列が出来ている!何時間待ちで入場出来るのかな?こんなに大勢で入場して、いちご狩りが出来るのかな?入場を待つ列に並ぶ孫姫ちゃん達、ちょっと退屈、何時になったら入場出来るのかな?幸いにして、午前10時30分ころ、入場すること来ました(やれやれ!)入場者は、数列に並んで、「いちご狩り」の説明を受けます。制限時間30分!、渡された「水の入った紙コップ」で採ったいちごを洗い、食べる、いちごの場外持ち出しはNG。これじゃ「満員電車」だ!こんなにいっぱい入場して、まわりに「狩れるいちご」が十分にあるのかな?しかし、心配は無用だったのです。あの狭い領地の中には、十分ないちごが実っていたのです!群馬のいちご狩りでは、いちごのヘタの数から食べたいちごの数が判ったのですが、このいちご園では、ヘタはまとめて捨てますので、食べた数はカウントできませんでした。 しかし、孫姫ちゃん達、大満足!「いちご狩り」を終えて、「のどか村」の村内を散策、<鶏園>ここでは、園内に入って、烏骨鶏(うこっけい)の「卵狩り」が出来ます。 <山羊・羊牧場>「牧場」と謳いながら、この日は黒山羊さんが1頭しか居ませんでした。<遊園地>ここで孫姫ちゃん達、大はしゃぎ!もうお昼、お腹が空いた! で、村内の野外ピザ・ショップで焼き立てのピザ(3枚)で昼食、プファ~、ビールが旨い!焼き立てのピザが芳ばしい! <不思議な猫ちゃん>村内で不思議な猫ちゃんに2度出逢いました。1度目は、いちご園に行く道の真ん中に寝ていました。2度目はビザ店の近くの自販機の前で一度目と同じポーズで寝ていました。2度共、同じ姿勢で寝ていたのですが、体に触れても、殆ど反応せす、嫌がりもせず、同じ姿勢で佇んでいたのです。 何やら不思議な猫ちゃんだ???<平成から令和へのカウントダウン>4月30日、平成最後の日です。中学1年生の孫姫1号、「今夜は12時まで起きていて、平成から令和へのカウントダウンに参加する」と宣言。リュウ爺ちゃんは、午後9時に寝てしまいましたが、孫姫1号は宣言通り、カウントダウンに参加したようです。5月1日、令和元旦、おめでとう!<奈良公園で鹿と遊ぶ>5月2日、今日はリュウ爺ちゃん待望(苦笑)の「奈良公園」へ行って来ました。リュウちゃんの家から奈良公園までは車で行くと通常は50分くらいなのですが、なにしろゴールデンウィークの真っ只中、きっと大渋滞になるぞ、駐車場も満車になりそうだ。という訳で、電車とバスを使い、奈良公園に行くことにしました。以下の写真は、奈良公園に向かうバスの車中でのスナップです。奈良公園に行く前に、奈良県庁に立ち寄りました。 庁舎の1階ロビーでいち早く鹿さんとご対面、庁舎の屋上からは、奈良市が一望出来ます。屋上でも鹿さんとご対面、 家を出るのが遅かったので、時間はもう正午、タップリ鹿さんと遊ぶため、奈良公園の手前で「鹿せんべい」を10束買いました。 1束150円、10束1500円!しかし、殆どの鹿は、せんべいをあげても見向きもしない!考えてみますと、人間の「お昼時」は、奈良の鹿さんにとりましては「食後の休憩時間」だったのですね。ありゃ、10束の鹿せんべい、無駄になったのかな?やっと「飛火野エリア」で、「昼食前」の鹿さんに出逢うことが出来ました。結局、鹿せんべいを食べてくれた鹿さんは、この「小さな一群」のみ、今日は観光客の数が鹿さんの数よりずっと多かったため、午前中に殆どの鹿さんは「満腹」になったようです。 鹿せんべいが6束も余ってしまった(トホホ!)飛火野エリアの「巨大クスノキ」の前で昼食、プファ~、ビールが旨い、巨大クスノキの下のピクニック、最高!翌日の5月3日、孫姫ご一行は大坂にあるパパの実家に移動、6泊7日の「長逗留」もあっという間に終わってしまいました。可愛い孫姫ちゃん達、また奈良に遊びに来てね!リュウ爺ちゃん達も一度千葉に遊びに行くよ。その時は千葉の海で遊ぼうね。<「次回は、「2019年の桜行脚(6)~大阪造幣局の通り抜けの桜(3)」に戻ります>
2019年05月26日
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手塚治虫記念館の2Fライブラリー室、こここそリュウちゃんが行きたかった場所なのだ!(宝塚市立・手塚治虫記念館訪問(1)の続きです)記念館の2Fに上ります。以下の図は、2Fのイラスト画像です。2Fには、以下のような施設があります。<単行本展示棚>ここには、手塚治虫の単行本の初版本(多分?)がガラスケースに収納されて展示されています。手に取って読むことは出来ませんが、手塚ファンにとりましては興味津々のコーナーです。以下、幾つかの写真を貼り付けます。★「スーパー太平記」:残念ながら、リュウちゃんは未読です。★「ライオンブックス」:昭和31年~昭和32年にかけて、集英社発行の月刊漫画雑誌「おもしろブック」の別冊付録として刊行された作品です。「狂った国境」、「恐怖山脈」、「白骨船長」、「複眼真人」、、皆、リュウちゃんが小学生の時に読んだのだ!★「双子の騎士」(リボンの騎士)★「鉄腕アトム」リュウちゃん、中学校の時にこの単行本を15冊ほど買って読みました。★「来るべき世界」、「前世期」初期のSF漫画です。リュウちゃんは未読です。★「陽だまりの樹」小学館より発刊されている青年向き漫画雑誌「ビッグコミック」に昭和56年から6年間にわたって連載された手塚治虫の代表作の一つです。<アニメ検索機>・手塚治虫の情報や2000年までに製作された手塚関連のテレビアニメ・劇場版アニメ・オリジナルアニメの一部作品が全編全話視聴可能<ライブラリー室>ご覧のように、ここは来場者で溢れています。ここには手塚治虫に関する漫画・書籍が約2000冊、オープン書架に所蔵されていて、来場者は自由に手塚治虫の漫画を読むことが出来るのです。ここに通えば、手塚治虫の漫画を全部読める筈だ。このライブラリー室を見ることが今回の手塚治虫記念館訪問の一番の目的だったのだ!実はリュウちゃん、今年の6月に地元の図書館で、まだ読んでいなかった手塚治虫の漫画「ブッダ」(潮出版社刊・愛蔵版全8巻、A5販サイズ)を読んで感激しました。手塚治虫の「ブッダ」案の定、凄い漫画だ!何故、今になってリュウちゃんが「ブッダ」を読んだのかといいますと、★仏教の聖地・法隆寺の傍に住んでいるにも関わらず、全く無信心、仏教音痴人間、以前から仏教、特に仏教の開祖である釈迦(本名:ゴータマ・シッダッタ、尊称:ブッダ)の思想について知りたいと思いながら、これまでいい本に出合わなかった。★58歳で視力障害者になったリュウちゃん、字の小さい本は殆ど読めなくなってしまったが、漫画なら何とか読める(最近は少し回復し、比較的大きい活字の長編小説などは、かなり時間をかけて読めるようになった)★以前から手塚治虫の思想的な漫画作品には信頼を置いていたので、安心して読み始めた。いざ読み始めてみますと、読む前の予想を上回るダイナミックで深い漫画作品だと感じました。ここで手塚治虫の「ブッダ」について少し紹介してみます。<あらすじ>~ウィキペディアの引用です。舞台は今から2500年前のインド。人々はカーストと呼ばれる4段階の身分<バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(奴隷)、更にスードラ以下とされカーストにすら含まれないバリア(賤民)>のもと暮らしていた。カピラヴァストウ(カピラ城)の王子ゴータマ・シッダルタはクシャトリヤの身分として、何不自由のない生活を送っていた。やがては結婚し、息子誕生と共に王位に就くことになる。しかし、幼い頃よりシッダルタは、「なぜ人は死ぬのか」「同じ人間なのになぜ身分があるのか」などの疑問を常に抱えていた。そして、息子が生まれた日、シッダルタは遂に僧としての道を歩み始めた。数々の苦難を乗り越えた末に、悟りを開いた彼はブッダとなる。シッダルタことブッダは生涯をかけ、人々を諭し、共に悩み苦しみながら進んでいく。この膨大な漫画、リュウちゃんは随所で感激したのですが、一つだけ感激したエピソードを挙げてみます。作中、「三つ目がとおる」の主人公・写楽保介のキャラで登場する釈迦の修業時代の仲間「アッサジ」(仏典上の実在の人物です)、彼は熱病で生死の境をさ迷った結果、予知能力を持つようになり、自らの臨終の日も予知します。予知したその日に自分の体を狼に食べさせ、従容として死んでいくのです。アッサジの死に様、まさにショック!「ブッダ」を読了の後、以前から気に掛っていた作品、今回、図書館で初めて知った作品を次々に読んでいます。以下、ここ3か月で読んだ作品をランダムに挙げてみます。★「どろろ」★「バンパイヤ」★「七色いんこ」★「旧約聖書物語」(この作品は手塚治虫直筆の漫画ではなく、虫プロ製作のアニメの絵を転用した作品です)キリスト教の神は残酷だ!★「ブラックジャック」(まだ全部は読んでいません)★「きりひと讃歌」★「人間昆虫記」★「ジャングル大帝」★「W3(ワンダースリー)」★「MW(ムウ)」★「ノーマン」★「奇子(あやこ)」★「海のトリトン」★「ザ・クレーター」★「日本発狂」★「空気の底」★集英社販「手塚治虫名作集」(全10巻中の4巻)(第1巻):★ゴッドファーザーの息子、★ゼフィルス、★1985への出発、★紙の砦、★すきっ腹のブルース、★いないいないばあ、★悪右衛門、(第2巻):★雨ふり小僧、★るんは風の中、★モモンガのムサ、★四谷快談、★山太郎かえる、★ミューズとドン、(第3巻):★百物語、★安達が原、★荒野の七ひき、(第4巻):★マンションOBA、★春らんまんの花の色、★ころすけの橋、★モンモン山が泣いてるよ、★でんでけマーチ、★はなたれ浄土、★二人のショーグンあれ?「鉄腕アトム」がないぞ?少々長いブログになってしまいますが、ここでリュウちゃんの手塚治虫遍歴史を書いてみます。<リュウちゃんの手塚治虫遍歴史>(1) 幼年・小学校時代リュウちゃんが生まれて初めて読んだ手塚治虫の漫画は、以下の写真の「ジャングル大帝」だったと思います(表紙の記憶は今でも鮮明に残っています)が、内容は殆ど記憶にありません。といいますか、当時アフリカのジャングルを舞台にした作品としましては、山川惣治の絵物語「少年王者」「少年ケニヤ」にハマっていましたので、子供心にも擬人化の強い「ジャングル大帝」は物語の世界に入れなかったのだと思います。(集英社刊「少年王者」第1巻)「少年王者」は月刊漫画雑誌「おもしろブック」に連載されていました。リュウちゃんは小学校時代は「おもしろブック」の愛読者だったのだ。この頃、月刊漫画雑誌「漫画王」(秋田書店刊)に手塚治虫の「ぼくの孫悟空」という「西遊記もの」の漫画が連載されていて、リュウちゃんも時々読んでいました。(ぼくの孫悟空)しかし、「西遊記もの」では、同時期に「おもしろブック」に連載されていた杉浦茂の「少年西遊記」にハマっていましたので、当時はこちらに軍配を挙げたのです。(杉浦茂「少年西遊記」)当時、「おもしろブック」には手塚治虫の連載はなかったのですが、唯一「おもしろブック」で手塚治虫の漫画で今も鮮明に覚えていますのは、昭和31年~32年にかけて「別冊付録」の形で発行された「ライオンブックス」シリーズです。(手塚治虫「ライオンブックス」)「狂った国境」、「恐怖山脈」、「白骨船長」、「複眼魔人」、、、皆、懐かしい題名です。今、オリジナルのライオンブックスを持っていたら、まさしく「お宝」だったのに!(2) 中学・高校時代この時期にカッパ・コミックスで刊行されたB5版サイズの「鉄腕アトム」を15冊位購入、この時期はリュウちゃんの「鉄腕アトム時代」なのです。<カッパ・コミックス版「鉄腕アトム」(全32冊)>(「鉄腕アトム」のテレビアニメ)リュウちゃんが高校2年生の時(昭和38年)、「鉄腕アトム」が日本初の国産連続テレビアニメとして放送が始まりました(モノクロ・30分番組)、毎週連続のアニメの30分番組は、世界でも初めての試みだったようです。当時、「鉄腕アトム時代」だったリュウちゃん、期待して第1回を観たのですが、殆ど口だけしか動かない、動画とはとても言えない画像にガッカリ!テレビのアトムは、「ポパイ」や「ウッドペッカー」のような動画ではなく、「静画」だ!「鉄腕アトム」のテレビアニメは週1回放映なので、制作する時間の制約が大きく、「ポパイ」などのフル・アニメーション(1秒間に24枚のセル画を使い、スムーズな動きにしたアニメ)ではなく、リミテッド・アニメーション(1秒間にセル画8枚、しかも口以外は殆ど動かない同じセル画を使用したアニメ)にせざるを得なかったようですが、以後、リュウちゃんは日本のテレビアニメとは断絶してしまったのでした。リュウちゃんの「鉄腕アトム時代」は、テレビアニメ放映開始で終わったのだ!(3) 大学時代リュウちゃんが地方の国立大学に入学したのは昭和40年です。この頃は学生運動が盛んな時代で、リュウちゃんは入学の前年に発刊された青年向き月刊漫画雑誌「ガロ」にハマていました。中でも、看板作品だった白土三平の「カムイ伝」にべったりハマったのです。白土三平の「カムイ伝」、手塚治虫の「ブッダ」によく似ている!(白土三平「カムイ伝」~「ガロ」昭和41年1月号表紙)手塚治虫は「ガロ」に対抗する形で、「ガロ」創刊の3年後の昭和42年に月刊漫画雑誌「COM」を創刊しました。「ガロ」の看板作品は「カムイ伝」だったのですが、「COM」の看板作品は手塚治虫の代表作の一つとされる「火の鳥」だったのです。でも、学生時代のリュウちゃんは圧倒的に「ガロ」派で、「COM」は殆ど読んだ記憶が無いのです。「火の鳥」を通読したのはずっと後年になってからのことですが、気の遠くなるような輪廻転生の物語なので、未だに全容が掴めないのです(トホホ!)(手塚治虫「火の鳥」)(4) 青年時代昭和41年、週刊少年漫画誌「少年サンデー」に「バンパイア」連載開始、(バンパイア)昭和42年、週刊少年漫画誌「少年サンデー」に「どろろ」連載開始、(どろろ)昭和48年、週刊少年漫画誌「少年チャンピオン」に「ブラックジャック」連載開始、(ブラックジャックとアイドルのピノコちゃん)昭和49年、週刊少年漫画誌「少年マガジン」に「三つ目がとおる」連載開始、(「三つ目がとおる」~主人公の写楽保介とヒロインの和登千代子さん)以上の4作品、リュウちゃんの見立てによれば、膨大な手塚治虫の作品の中でも、屈指の傑作だと思っています。初期の「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」などと違い、人間のダークな側面やエロスの側面もきっちりと描いた青年・大人向けの作品に仕上がっています。(5)40代~60代この時代、大人向けの漫画に少しハマりました。★「アドルフに告ぐ」昭和58年~60年、「週刊文春」に連載、「ヒトラーがユダヤ人の血を継いでいる」という機密文書を軸に展開する第2次世界大戦中の巨大な歴史の渦に翻弄される人々の姿を描いた歴史ドラマです。 ちょっと趣きは違いますが、この頃読んだ連城三紀彦の歴史ミステリー「黄昏のベルリン」を彷彿しました。 ★「陽だまりの樹」小学館発行の大人向け漫画雑誌「ビッグコミック」に昭和56年から5年間にわたって連載された長編幕末時代劇漫画、主人公の一人は手塚治虫の曽祖父で、蘭学者・医師であった「良庵」(手塚良庵)、良庵は幕末に緒方洪庵の「適塾」に入門、福沢諭吉らと親しい関係を持ったそうです。明治維新後は大日本帝国陸軍軍医として活躍、西南戦争に従軍、従軍中、赤痢に罹り、明治10年、従軍先の長崎陸軍病院で病死しました。「陽だまりの樹」のウィキペディアによれば、この作品は前述の「アドルフに告ぐ」とい並び、手塚漫画の中で最も「綿密に作られた作品」とのことです。リュウちゃん、未だにこの作品は半分しか読んでいない!(余談)手塚良庵は西郷隆盛とほぼ同時代の人物です。今、NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」が放映されていますが、視聴率は10パーセントの前半で推移しており、この調子で行きますと、歴代視聴率ワースト1位の「花の乱」(平成6年放映、平均視聴率14,1%)を下回る勢いです。ヘソ曲がりのリュウちゃん、大河ドラマは大学卒業以来殆ど観たことがありません。幕末の歴史を知りたいのであれば、NHK大河ドラマよりも「陽だまりの樹」を読んだほうが良さそうだ。★「ルードウィヒ・B」潮出版社のコミック雑誌「コミックトム」に昭和62年から2年間連載、平成元年2月9日の手塚治虫の死去により未完となりました。クラシック音楽ファンだった手塚治虫が独自の視点で描いた楽聖ベートーベンの伝記漫画です。手塚さんと同じくクラシック音楽ファンのリュウちゃん、この漫画は感動したが、未完に終わったのは残念なのだ!(6)そして現在72歳上述しましたように、72歳の誕生日を迎えた今年6月に偶々地元の公立図書館で「ブッダ」を借りて読んでから、生涯6度目の、そして多分生涯最後の「手塚治虫期」に入ったという次第なのです。上掲の「今年読んだ手塚漫画」で、「ブッダ」以外で特に良かった作品を以下に挙げて観ます。 ★「どろろ」時は戦国時代、戦国武将の一人であった醍醐景光(架空の人物)は、48体の魔人像(妖怪)に天下取りを祈願、そのために生まれたばかりの息子の体の48カ所を生贄として捧げます。48カ所の体の部分を欠落して生まれ落ちた肢体不自由児の主人公「百鬼丸」は、生まれるとすぐに川に捨てられます(このプロローグ、「十戒」のモーゼの出生のエピソードに似ています)が、名医・寿海に拾われ育てられます。寿海は百鬼丸のために、義眼、義耳、義手、義足などを作り、百鬼丸は一見すると常人と変わらない姿と行動が出来るようになります。やがて百鬼丸は妖怪退治の旅にでます。妖怪一体を倒す度に、欠損した体の一部分が再生するというストーリーです。(百鬼丸とどろろ)48匹の妖怪を退治すれば、欠落した体のパートが全て再生し、物語が完結する筈だ。百鬼丸は妖怪退治の旅の途上で、みなしごになった腕白小僧(?)で自称・大泥棒の「どろろ」に出逢い、二人で旅を続けます。(どろろ)この作品は、「ガロ」に連載された妖怪漫画作家の水木しげるの影響を強く受けたとされていますが、「ゲゲゲの鬼太郎」が全体的にはユーモラスが漂う作品であるのに比べ、遥かに陰惨な物語です。実写時代劇では、黒澤明の「羅生門」を彷彿させます。また、白土三平の「カムイ伝」のように、時代に虐げられた庶民の惨状を正面から描いた稀有な漫画だとリュウちゃんは思いました。★「奇子(あやこ)」小学館発行の大人向け漫画雑誌「ビッグコミック」で、昭和42年から翌年まで連載、ある事情から幼児期から20年以上も実家の蔵に閉じ込められた少女の数奇な物語、まるで江戸川乱歩か横溝正史のような暗く、おどろおどろしい物語です。この漫画の見所の一つは、昭和24年に発生した戦後の未解決事件の一つ、「下山事件」を下敷きにしていることです。ここで手塚治虫は、終戦直後のGHQの日本の政治への介入を暗に批判しているように感じました。もう一つの見所は「手塚治虫のエロス」を集大成したような漫画だということです。下の図は、土蔵に幽閉された奇子が初潮を迎えるシーンです。土蔵の中の奇子は、このシーンに限らず、殆ど全裸で描かれるのです。<手塚治虫のエロティシズム>上掲の「奇子」に限らず、手塚治虫の大人向けの漫画には美しい女性のヌードがふんだんに登場します。大人向けの漫画に限らず、「ブッダ」でも、登場する女性の殆どは上半身裸なのです。リュウちゃんが大好きな「三つ目がとおる」でも、ヒロインの和登千代子さんは清潔なエロティシズムを振りまいているのです。(和登千代子さんのエロス)以下、幾つかの「手塚治虫のエロティシズム」の絵を貼り付けます。手塚治虫のエロス。猥雑ではなく、ひたすら美しい!★「紙の砦」昭和49年、週刊漫画雑誌「少年キング」に掲載、読み切り短編漫画、これは手塚治虫の太平洋戦争末期に体験した半自伝的漫画です。昭和16年、手塚は旧制北野中学(旧制中学校は5年制、北野中学は橋下徹などを輩出した名門・北野高校の前身です)に入学、軍事色が強くなっていた時期で、隠れて漫画を描いているのを学校教練の教官に見つかり、ブン殴られます。昭和19年の夏、体の弱い学生が入れられる「強制修練所」に入所、9月からは軍需工場に駆り出されました。昭和20年3月、戦争中の修業年齢短縮により4年で卒業、6月、勤労奉仕で櫓の上に登り防空監視をしていた時に大阪大空襲に遭遇、九死に一生を得ました。漫画の中の手塚治虫は京子ちゃんという女学生に淡い恋心を抱きます。でも、大阪大空襲で、京子ちゃんは顔に大怪我をしてしまうのです。漫画の中の手塚治虫は、京子ちゃんの顔の怪我を治すために、医者になろうと決心するのでした。この戦争体験が後の手塚漫画のテーマとなった「反戦」、「反権力」、「ヒューマニズム・庶民目線」に繋がっていったのだとリュウちゃんは感じました。以上、長々と書いてしまいましたが、キリがないので、この辺でやめます。最後に、現在72歳のリュウちゃんがこれから読んでみたい手塚漫画を幾つか挙げてみます。<リュウちゃんがこれから読みたい手塚漫画>★「ブラックジャック」の完読★中途半端に終わった「火の鳥」、「陽だまりの樹」、「グリンゴ」の完読、★全く読んだことのなかった「ぼくの孫悟空」、「シュマリ」、「ネオ・ファウスト」、「メタモルフォーゼ」、「一輝まんだら」などを読む。現在72歳のリュウちゃん、まだまだこれらの漫画を読む時間はいっぱいあるのだ!約2時間ほど記念館を散策し、外に出ました。手塚治虫記念館のすぐ近くにある武庫川に架かる「宝塚大橋」に出てみました。下の写真は橋の上から眺めた「宝塚音楽学校」です。この学校で手塚治虫が憧れた淡島千景や月丘夢路、リュウちゃんが憧れた八千草薫様が学んだのだ!同じく、橋の上から眺めた「宝塚大劇場」です。音楽学校と大劇場は隣接しているのだ!阪急宝塚駅から音楽学校までは「花のみち」という散策路で繋がっています。途上には、「ベルサイユのばら」の彫像がありました。宝塚大劇場の入り口に近い途上に、宝塚歌劇団の創始者・小林一三翁の銅像が建てられていました。小林一三と手塚治虫宝塚市の「お宝」なのだ!
2018年09月25日
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リュウちゃん、昨日、日帰りバスツアーで、兵庫県北部にあります、湯村温泉、いわゆる[夢千代の里]に行って来ました。湯村温泉の住所は、兵庫県美方郡新温泉町字湯、町名が「温泉町」字(あざ)名は「湯」、正に温泉づくしの町なのです。湯村温泉は、西暦848年(平安時代)、慈覚大師が開祖したといわれる、古い歴史を持った温泉、春来川の辺りにあります「荒湯」という源泉が、町の中心部にありまして、この源泉の温度は摂氏98℃、これは、日本一の高温なのだそうです。「湯村温泉」には、このような源泉が約60箇所もありまして、総湧出量は、毎分2300リットルに及ぶそうです。その為、約500戸余りある町内の家庭にも温泉が引かれていまして、風呂はいうに及ばず、野菜を洗ったり、洗濯したりと、町民は、この源泉をふんだんに使えるそうです。何とも羨ましい限りですね。山陰の鄙びた温泉に過ぎなかった湯村温泉が、一躍、全国的に脚光を浴びるようになりましたのが、昭和56年2月から始まりましたNHKドラマ「夢千代日記」のロケ地になってからです。「夢千代日記」は、昭和56年2月15日から昭和59年3月18日まで、全20話のドラマとしてNHKで放映されました。吉永小百合演じる主人公の夢千代さんは、温泉街にある置屋「はる屋」の女将、広島の原子爆弾投下で胎内被爆した「被爆二世」、ドラマの最初の設定では、白血病で余命2年とされています。神戸の病院に原爆症治療に通う帰りに、列車が余部(あまるべ)鉄橋にさしかかるところから、ドラマは始まっていました。下の写真は、「荒湯」から春来川を隔てた川の対岸にあります「夢千代像」です。この「像」のモデルは、勿論、吉永小百合さん、多分、この「像」は、吉永さんの等身大サイズで作られたのではないかと考えられます。「像」の下に付けられています「祈恒久平和」のプレートは、夢千代さんの被爆地・広島市から寄贈されたものだそうです。「夢千代像」の手前にあります、吉永小百合さんの手形、小さくて品の良い手形ですね、「夢千代像」から、徒歩2分くらいの「荒湯」にもどり、そこから春来川に架かっている橋を渡って1分くらいのところに、ドラマの舞台となった昭和20年代の湯村温泉の町並みや、ドラマに登場した置屋「はる屋」などが再現されています「夢千代館」がありました。入場料は一人300円、「夢千代館」の裏手に、足湯「アオギリの湯」があります(写真右手の傘の下)この足湯の傍らには、広島の原爆投下で焼け爛れながらも、けなげに新芽を噴出し、周囲の人々に感動を与えた「被爆アオギリ」の木の子孫が植えられています。この足湯は、入湯無料です。「夢千代館」の裏手の橋を渡りまして、すぐのところに、公衆浴場「薬師湯」があります。ここの入場料は、町民150円、町外者400円、内部は大きな主浴室を始め、露天風呂、サウナ、介助風呂などがあります。これで入浴料400円は、非常に安い!下の写真は「荒湯」の場所から、駐車場に向かう道の階段です。何となく、群馬県の伊香保温泉の階段を彷彿させますね、「夢千代の里」を出まして、バスで15分くらいの浜坂の海岸べりある料理宿で昼食、本日のバス・ツアーのセールスポイントである「カ二・甘海老食べ放題」に挑みました。リュウちゃんと致しましては、「おいしい肴で、ビールを美味しく飲む」という事が「人生の至福」なのでありますので、あまりガツガツと焼きガ二をお代わりすることなく、ゆったりと構えて、ビールを飲んでいたのです。とは云え、やはりカニを食らうのは、まさに戦争です。カニの身をほじくる作業だけで、リュウちゃん、くたくたになり、お陰様で、ビールは中瓶2本しか飲めませんでした。カニ・甘海老の量からすれば、中瓶3~4本がリュウちゃんのベスト・バランスですからね。下の写真は、料理宿の前から撮った浜坂海岸です。本日の天候は、雨、時々雪、時々霙、山陰地方は、温暖(?)な奈良と比べますと、やはり冬の寒さが少し厳しいようでした。次回から、本来の「歌ブログ」に戻ります。昭和3年にスタートした「歌謡曲」を遥か遡って、唱歌・童謡・抒情歌の世界に暫くドップリ浸かりたいと思います。
2010年02月17日
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十六の 春が来るのに 匂うのに 八坂の鳩と たわむれて 夢はかいなく 棄てさりました 朱(あか)いおこぼの 京人形上記の歌詞、菊池章子さんの、昭和24年のヒット曲「春の舞妓」(詞:萩原四朗)の3番の歌詞です。リュウちゃん、この歌が大好きで、カラオケでもよく歌っています。昨年暮れ頃から、この歌詞の「八坂の鳩と たわむれて」というフレーズが何度もリュウちゃんの頭を過りました、「「八坂の鳩とたわむれて、八坂の鳩と、八坂の鳩と、八坂の・・・」、「よし、来年の元旦は、八坂神社に初詣に行き、八坂の鳩とたわむれよう!舞妓さんも一緒にたわむれているかも知れないし、、、」という訳で、元旦に、奥方共々年末に帰郷していました息子の車に乗り、奈良から一路京都祇園にあります八坂神社に向かいました。八坂神社があります祇園は、京都一の繁華街、四条河原町から四条大橋を渡り、途中、祇園の通りを経て、(大橋から)徒歩5分位のところにあるのですが、やはり元旦という事で、初詣に向かう善男善女でごった返していまして、神社の鳥居まで10分ほど掛かりました。繁華街のド真ん中という事で、駐車場の駐車料金も、30分500円と、非常に高いのです(あッ、信貴山のブログで、「駐車」とするところを、「注射」としてしまいました、謹みまして「駐車」に訂正致します)リュウちゃん、実は八坂神社の境内に入るのは生まれて初めてです。いつもは、八坂神社を素通りしまして、裏手にあります清水寺に直行するのでありますが、本日は、八坂の鳩とたわむれ、出来れば舞妓さんとたわむれる(これは無理ですが、舞妓さんが初詣に来ている可能性もありますしね)のが、目的ですから、わき目の振らずに八坂さんに向かいました。やはり境内は大混雑、現役をリタイアし、田舎暮らしのリュウちゃんと致しましては、久し振りの「都会の味わい」でありました。境内には、例によりまして、おみくじ売り場がありまして、善男善女の皆様が今年の吉兆を占っていましたが、「吉兆は、あざなえる縄の如し」が信条のリュウちゃんは、素通りしました。残念ながら、大混雑のためか、「八坂の鳩」は、どこかへ避難していまして、たわむれることが出来ませんでした。舞妓さんも、どこかへ避難しているのか、お目にかかる事が出来ませんでした(こちらのほうが、より「残念!」なのです)30分程で八坂神社を出まして、裏手にあります清水寺に向かいました(こちらも、かなりの混雑でした。あまり神仏を拝む習慣の無いリュウちゃん、早々に清水さんを出まして、参道のお店を探索しました。下の写真は京都名物「八ツ橋」のお店、何と、数十種類もある「八ツ橋・おたべ」が全て試食OK!まるでバイキングのように試食品が並んでいます。甘辛両刀使いのリュウちゃん、何と2往復もしまして、「八ツ橋・おたべ」でお腹一杯になりました。下の写真は同じ参道にあります、京都ならではの扇子専門店、ひょっとして、「春の舞妓」さんが、大挙訪店しているかな、という期待がありましたが、ここでも残念ながら、舞妓さんには逢う事が出来ませんでした(返す返すも、残念至極!なのです)最後に、これもリュウちゃんの大好きな「祇園小唄」(詞:長田幹彦)で、このブログの「〆」と致します。月はおぼろに東山霞(かす)む夜毎(よごと)のかがり火に夢もいざよう紅桜しのぶ思いを振袖(ふりそで)に祇園恋しや だらりの帯よ
2010年01月04日
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新年おめでとう御座います。普段は不信心のリュウちゃんではありますが、正月3ヶ日だけは、「初詣に行かにゃー!」と、血が騒ぐのです。まあ、正月にダラダラと。炬燵のなかで、おせちにビールでは、身体がなまってしまいますからね。今年は、元旦に京都の八坂神社、2日に地元奈良にあります信貴山の毘沙門さんに行って来ました。信貴山の毘沙門さんといえば、「寅」がシンボルとなっていますお寺さん、12年に一度の「寅年」に因みまして、「今年の奈良人の初詣では、ここしかないじゃないか!」という訳です。例によりまして、奥方運転の車の助手席に乗りまして、国道25号線の斑鳩町の三室山公園の少し手前で右折し、一路、信貴山に向かいましたが、通常は、国道25号線を右折してから約10分で入り口である駐車場に到着するのですが、何しろ12年に一度の「寅年」の新年、至る所で交通規制をしていまして、結局、近くの駐車場にたどり着くまでに、約1時間もかかってしまいました。しかも、注射料金が何と、1000円!たっ、高い!(普段は確か無料?)駐車場を出て、入り口の山門に向かいましたが、ここでも入場規制があり、山門に入る前に2列で整列して、20分位待たされました。山門から本堂に至る、約1kmの参道でも、随所に規制があり、リュウちゃん達善男善女は、大人しく規制に従って何度も立ち止まり、ゆっくりと本堂に向かうのでした。ジャーン!出ました。世界一の「大福寅」、これを見る為に今日は苦心して初詣に来たのだ!これは、樹齢1500年になるといわれる榧(かや)の木、本、毘沙門さんの御神木だそうです。本堂の手前にある弁財天の門柱の上に鎮座されています「金の寅」、これは新しく造られたものですが、何かユーモラスな「寅さん」です。本堂の参拝風景、この舞台から眺める大和の風景は、まさに絶景なのです。本堂からの帰り道に、約60メートルの「寅のトンネル」があります。まるで、「となりのトトロ」の「猫バス」ですね。これは、寄進された「虎」の石像」、張子の「寅」はユーモラスですが、この「虎」はリアルで厳しいですね。やっと初詣のお参りを済ませ、山門近くの茶店で一休み、ここの名物「寅まんじゅう」に人気が集中していました。これは「紅葉まんじゅう」の変形のようです。もっとも、どちらがオリジナルかは、リュウちゃんは良く判りませんが、、信貴山の「毘沙門さんは、正式名称を朝護孫寺(ちょうごそんじ)といいまして、信貴山真言宗の総本山のお寺です。聖徳太子が物部氏討伐の出征の折り、この地で戦勝祈願したところ、そこに毘沙門天が現われた、それが、寅年、寅の日、寅の刻であった事から、ここに毘沙門天を祀る寺院を建立したのだそうです。また、この山は、「信じるべき、貴ぶべき山」という事で、信貴山(しきさん)と名付けられたそうです。尚、毘沙門天は、仏教では、持国天、増長天、広目天と共に、四天王の一尊、インドでは財宝神のようですが、日本では、戦闘神の性格が強いようです。越後の上杉謙信は、自らを毘沙門天の生まれ変わりだと信じていましたようで、軍の旗印に「毘沙門天」の「毘」の文字を使っていましたね、リュウちゃんの大好きな「男はつらいよ」の柴又の「寅」さんは、「帝釈天で産湯を使い、」だったのですが、帝釈天はインドの神のようで、毘沙門天など四天王を配下にし、阿修羅とも戦った戦闘の神だったようですが、リュウちゃん、この辺りの詳細につきましては、何回調べてみましても、よく判りませんので、俄か薀蓄はこれくらいで止めておきます。普段の信貴山は、春は桜、秋は紅葉、一年を通しまして、絶好のハイキング・コースです。
2010年01月03日
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11月18日~20日にかけて、リュウちゃんと奥方二人で湯布院旅行に行って来ました。普段、あまり温泉などには興味の無いリュウちゃんではありますが、湯布院という地名は、映画祭や音楽祭の開催もありまして、何となく昔ながらの温泉地とは一味違った文化的な香りがする感じがしていました。「湯布院温泉は、別府温泉、草津温泉。登別温泉などと違って、何か文化的な香りがするな、軽井沢のように若い女性にも人気があるようだし、どうせ温泉に行くのなら、湯布院にしよう」という漠然とした理由で、湯布院行きを決めました。関西方面から湯布院に行くには、伊丹空港から大分空港まで約1時間の空の旅、大分空港からシャトルバスで約1時間で湯布院駅着となります。11月18日は午前6時40分に家を出発、伊丹発9時10分の大分空港行きに乗り、10時10分大分空港着、そこからシャトルバスで、11時30分にJR湯布院駅に到着しました。シャトルバスに乗り込んで暫くいたしますと、車窓左前方に一際目に付く山が見えてきました。この山が湯布院町のランドマークであります由布岳(標高1584m)です(下の写真)盆地の中にある小さな町に、偉容を誇る屹立した独立峰、はて?どこかで見た風景に似ているな、そうだ!以前スイス旅行の時に見たマッターホルンの麓の町、ツェルマットにそっくりな町だ!以前のブログでも、曽爾高原を「日本のザルツブルグ」と勝手に命名いたしましたように、キャッチフレーズを付ける事が大好きなリュウちゃん、早速、湯布院町を「日本のツェルマット」と命名致しました。湯布院町到着初日は、湯布院駅から金鱗湖までの、お洒落な雑貨店や土産物店、喫茶店、レストランなどが並ぶ「湯布院銀座」(これもリュウちゃんの命名です)をゆっくり散策しました。この日はウィークディにもかかわらず、何と人出の多いこと!、軽井沢と同じように、若い女性のグループも相当目に付きました。それと、大陸に近いせいか、韓国語、中国語が街中に飛び交っていました。数多くある物産店は、ほぼ全店、試食販売をやっていまして、ひととおり真面目に試食致しますと、それだけで満腹になります。リュウちゃんのような飲兵衛には、地酒の試飲コーナーが一番楽しいスポットでした。下の写真は途中で休憩したレストラン兼喫茶店の内部、ここはオープンして20年ほどの店だそうですが、建物に使用した木材は、古木の感じがでるように加工して、古めかしい感じを出しているそうです。落ち着きのある店内には、イギリスのクラシック&ポップシンガー、サラ・ブライトマンの静かな曲が流れていました。それにしてもホットコーヒー一杯が600円!貧乏性のリュウちゃんといたしましては、都会のドトールコーヒーが少し懐かしくなりました。金鱗湖付近には、若干紅葉の盛りの場所がありました。この辺りには、「マルク・シャガール美術館」や、かの裸の大将、「山下清美術館」などがありました。宿泊した旅館から真正面に、由布岳が聳えています。スイスのツェルマットに2連泊した時にも、マッターホルンが正面に聳えていまして、リュウちゃんの終生忘れられない絶景の一つなのです。この旅館の庭には、何と、能舞台がありまして、ここで1年に一度だけ「由布能」が催されるそうです。入場料が何と1人5000円、高い!1年にk一度だけ、モッタイナイ!下の写真は、早朝、旅館の部屋から撮影した由布岳、霧がかかっていました。湯布院町の標高は大体500m位、霧の町でもあるのです。最後に、リュウちゃんの撮った由布岳のベストショットを入れておききます。由布岳は、かの深田久弥が「日本の百名山」に選定しなかった事を悔やんだ山ですが、湯布院町の景観と見事にマッチしていて、当然、百名山に入るべき名峰であると、リュウちゃん、強く感じました。次回は、11月19日に行きました阿蘇の雄大な風景をお見せしたいと思っています。阿蘇のリュウちゃん流キャッチフレーズは、既に考えていますので、次回のお楽しみと致します。
2009年11月22日
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11月15日の日曜日、新聞の紅葉情報によりますと、奈良公園の紅葉は「見頃」、前回、阿修羅を観に行った(?)日には、まだほんの一部が紅葉(こうよう)したいただけでしたので、「よし、今日こそは、綺麗な紅葉が見られるぞ」と思いまして、勇躍、奈良公園に繰り出しました。確かに、かなり色づいてはいますが、まだ桜に例えれば三分咲きといったところ、紅葉よりも銀杏の黄金色が美しい!前回、休憩しました「水谷茶屋」の前の紅葉(もみじ)も、まだ緑色が優勢な状態でした。本日は、「水谷茶屋」を起点にしまして、春日野遊歩道を若草山の頂上まで登りました。「水谷茶屋」から、約200メートル位登った休憩所で、例によって奥方手作りのおにぎりと、冷えたビール2缶で昼食、ブルル!風が強い、寒い!若草山山頂は、常々リュウちゃん、現世で「天国に一番近い所」と考えている場所、桜の季節や、初秋の晴れた日に、ここの芝生の上でビールを飲んで寝そべっていると、正に天国で遊んでいるようないい気分になれるのです。しかし、本日は風が強く、「天国」というよりは、少し「煉獄」のようでありました。下の写真は、若草山頂上から見た世界遺産「春日野原生林」です。「春日野遊歩道」は、この原生林の中を通っている道なのです。この原生林は、恐らく街から最も交通の便のいい「世界遺産原生林」と云えるのでしょうね。若草山を下山、奈良公園を後にしまして、一度行ってみたいと思っていました「ちちろ」という喫茶店に足を運びました。「ちちろ」は、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞した河瀬直美監督の映画「殯(もがり)の森」で、主役のアルツハイマーの老人役を好演した「うだしげき」氏が経営する古書店&喫茶店です。築90年の古民家に少し手を加えて改造したもので、細長い畳敷きの客席は、15人も来客があれば満席になります。奈良女子大学の学生さんと思われるような長身・色白の若い女性が、接客を一人でやっています。リュウちゃんが入店した時には日曜日の為か、既に3組のお客さんが来ていまして、LPレコードによりますグレン・グールドのバッハの「平均律クラヴィーア曲集」が静かに店内に流れる中、お客様達は、ほとんど無言で、客席の後にある古書を読んでいるか、声をひそめて静かな会話を楽しんでいました。店主の「うだしげき」さんは、映画「殯りの森」に主演する以前から河瀬直美さんとは知り合いだったようで、河瀬さんと共同で「組画&ならまち文庫新聞」を発行しています。この新聞は季刊で、本日、リュウちゃんが頂いた新聞の日付けは、2009年8月20日となっていました。一面には、河瀬さんと、女優・中村優子さんとの対談、2・3面には、河瀬さんとうだしげきさんの共同執筆による連載小説が掲載されています。また、月刊大和路「ならら」という奈良の情報誌も店内で販売していまして、リュウちゃんも3冊購入しました。その中の2008年9月号「若草山大解剖」の記事を読んでビックリしました。何と、現在の若草山は、江戸時代までは三笠山だったのだ!ということは、「天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも」と安倍仲麿が詠んだ「三笠山」は、現在の「若草山」のことだったのだ!それじゃ、現在の「三笠山」の立場はどうなるのだ???この「ちちろ」には、河瀬直美さんもよく来店されるそうです。今度訪店する際には、しっかりと河瀬作品を観て、河瀬さんと映画談義をしたいなと考えているミーハーなリュウちゃんなのでありました。リュウちゃん、今週は奥方と二人で九州の湯布院・阿蘇山に2泊3日の旅行に行って来ました。明日にでも、その様子をフォトブログで更新したいと思っています。フォト・ブログファンの方、乞う、ご期待!です。
2009年11月21日
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今年の秋も深まり、紅葉の季節が到来しました。奈良県民のリュウちゃんと致しましては、春の桜と共に、県民魂とでもいいますか、血が騒ぐのです。紅葉見ずして、年は越せないのです。奈良の紅葉の名所として、先ず第1にリュウちゃんの頭に浮かびますのが、桜井市の多武峰(とうのみね)にあります談山神社です。よし、談山神社の紅葉を見に行こう、いつもは、車で桜井市側から多武峰に入るのですが、今回は、夏に行った明日香村の石舞台からハイキングを兼ねて、徒歩で登ろうという事で、例によって奥方手作りのおにぎりと、保冷袋に入れた缶ビール2本を用意し、奥方運転の車の助手席に乗り、石舞台に向かいました。下記の写真は、石舞台古墳です。9月25日のブログでは、写真を挿入できませんでしたので、ここに入れておきます。この石舞台から談山神社までは、4キロ弱、徒歩で1時間半の行程、開通直前の談山神社までの舗装された車道を2キロほど遡り、そこから山道(小道)を登り、正午過ぎに談山神社に至る。神社の向かいの紅葉の林の中に陣取り、早速、冷えたビール2本と、おにぎりで昼食、下の写真は、談山神社のポスターに必ず使われる定番の撮影スポットで撮った写真、例年なら11月上旬は紅葉の盛りなのですが、気候温暖化の影響で、まだ色づき始めの状態です。昼食後、入場料1人300円を払い、談山神社境内に入る。談山神社は、藤原氏の祖であります藤原鎌足を祭る神社で、鎌足の長男の僧・定恵(じょうえ)が678年、この地に十三重塔を建立したのが発祥のようです。元々はお寺だったのですが、明治維新以降、神社となったようです。「談山」の名前の由来は、大化元年(645年)に、藤原鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が、この地で「大化の改新」について打ち合わせ(談合)を行ったことで、後に「談(かたらい)山」と名付けられたようです。下の写真は、談山神社のシンボルであります十三重塔です。桧皮葺きの屋根が苔に覆われていて、独特の味わいがあります。これが周辺の紅葉の紅(あか)と見事にマッチし、他に類の無い景観を作っているのですね、談山神社の十三重塔は、七重塔以上のもので、唯一現存する木造塔だそうです。この談山神社には、江戸時代に制作された「多武峰縁起絵巻」が所蔵されていまして、これには、「大化の改新」前夜に、蘇我入鹿が中大兄皇子らによって、斬殺される、いわゆる「乙巳(いっし)の変」がショッキングに描かれています。現在は美しい佇まいを見せている談山神社ですが、このような血腥い権力闘争が往時には繰り広げられたのですね、蘇我入鹿の首塚が明日香村の甘樫丘の近くにあります。祖父の馬子の墳墓とされる石舞台の豪壮さに対して、小さい首塚、歴史の無常を感じますね、以前来た時には、「多武峰縁起絵巻」が展示されていたのですが、今回は見ることが出来ませんでした。談山神社を後にして、今度は、まだ開通していない舗装された車道を、ゆっくりと、石舞台に戻りました。下の写真は、その道すがらの明日香村の景観です。リュウちゃんと致しましては、この明日香村も、曽爾高原のある曽爾村と並んで、「日本の一番美しい村」に強く推薦したいと思います。これも、帰りの道すがらで撮ったもの、明日香村も柿の名産地です。道の脇に、柿の無人販売所が何箇所か設置されていまして、そこで富有柿5個と次郎柿6個を買いました。〆て金200円也、安い!今年、リュウちゃんの家の庭の富有柿は50個近く実りましたが、この販売所に持ってくれば、僅か1000円にしかならない!なんだか、情けない気持ちになったリュウちゃんでありました。最後に、まだ盛りのススキ越しに見た石舞台の写真です。例によって、帰途での車の中では、「柿の国」奈良に因みまして、島倉お千代さんの「柿の実ひとつ」を聴きました。この曲、お千代さん61歳の時の曲、信じられない!、昔とちっとも変わっていない!お千代さん、やっぱり永遠の少女なのです。以下に一番の歌詞(詞:石本美由起)を挙げます。今年の秋も 終わりやら柿の実ひとつ 青い空峠を越えて あの人も旅へ出たきり もどらない柿の実ひとつ 待ちぼうけいいえ私も 待ちぼうけいいえ、今年の秋は、まだ始まったばかりなのです。
2009年11月10日
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8月19日に更新しました「間奏曲~リュウちゃん尾瀬に行く」ですが、当時は、ブログに写真を入れることが出来ませんでしたので、文字だけの日記になってしまいました。やっと最近、日記に写真を挿入できるようになりましたので、遅ればせではありますが、「尾瀬の写真を公開します。 夏が来れば想い出す 遥かな尾瀬 遠い空 霧の中ニ浮びくる 優しい影 野の小径 水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている水のほとり 石楠花色にたそがれる 遥かな尾瀬 遠い空 (詞:江間章子)昨日のブログで、リュウちゃんの家に実った柿の実の再公開が抜けていましたので、今週のフォトブログの最後に入れておきます。
2009年11月06日
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昨日の曽爾高原に続きまして、伊勢路の写真を再公開します。例によって、文章は以前のブログを見て下さい。前回のブログでは、公開した写真は3枚でしたが、今回は再公開スペシャル・ヴァージョンと致しまして、一挙7枚の写真を公開しました。昨日、宇治橋渡り初めがあった筈ですが、リュウちゃんは不参加、奥方のみ、奈良県を代表して(?)、渡り初めに参加しました。明日は、リュウちゃんの散歩道~斑鳩の秋のフォト再公開です。
2009年11月04日
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リュウちゃんブログ、やっと写真を挿入出来たと喜んでいましたら、何故か全て消失してしまいました。そこで、改めまして、このブログで、再度公開いたします。まず、日本のザルツブルグ、曽爾高原の写真です。文章は、以前のブログを見て下さい。伊勢、斑鳩の写真は、追って公開します(まとめて再公開しようと思いましたが、要領オーバーらしいのです)
2009年11月03日
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今年3月末に東京国立博物館で開幕した「国宝 阿修羅展」は、東京。九州の総入場者数、約166万人を集め、一大「阿修羅」ブームになっています。10月17日から地元、奈良・興福寺で、「お堂でみる阿修羅」が始まりましたので、ブームに乗りやすいリュウちゃんと致しましては、「こりゃ、観に行かねば」ということで。デジカメ片手に、例によって奥方同伴で奈良公園に出かけました。興福寺についてビックリ!「阿修羅展」の会場である仮金堂の周囲は長蛇の人の列、関係者のお兄さんに問い合わせましたところ、「入場までに1時間半かかる」とのこと、まるで、パンダ初御目見えの上野動物園か、「モナリザ」日本初上陸時のような様相、セッカチで変わり身の早いリュウちゃん、「こりゃ、今日は諦めて、奈良公園の散歩に切り替えだ」、という事で、奈良公園の散策に向かいました。下の阿修羅像の写真は、会場前のポスターをデジカメで撮影したものです。本物の阿修羅を撮ったものより、いいでしょう、奈良公園に入る前に、公園の近くにある奈良県庁の庁舎の屋上に上がり、撮影したのが、下の写真です。ここは隠れた奈良公園のビュー・スポットなのです。県庁庁舎を出まして、そこから万葉集にも詠まれた浅茅が原を抜け、浮見堂に向かいました。ここは奈良公園の中でも、有数の休息スポット、昔の中国の貴族のリゾート・スポットのような、浮世離れしたところです。浮見堂から、春日大社に向かいました。下の写真は、奈良公園の一角にある飛火野の前の道路から、三笠山を撮った写真です。天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)春日大社は藤原氏の氏神だそうです。下記の写真は、春日大社のご神木です。無宗教者で、神社仏閣にあまり縁のないリュウちゃんといたしましては、ご神木より、春日大社参道脇の椎の木のほうに興味が向かいます。いまだに、椎の実拾いに夢中になれるのですが、奈良公園の落ちた椎の実は、鹿の絶好の餌になっているようで、ほとんど落ちていないのです。少し残念です。春日大社から、若草山の麓に向かいました。目的は春日遊歩道の散策、この遊歩道は、若草山の麓から若草山頂上まで、小一時間の小道、この小道の周りは、世界遺産に指定された春日山原始林の始まる場所、山麓の水谷茶屋から一歩遊歩道に足を踏み入れると、そこは、真夏でもひんやりよした清浄なオゾンが流れている別天地なのです。リュウちゃんにとっては、赤目四十八滝と並び、夏の避暑地の2大定番スポットなのです。しばし春日遊歩道散策の後、これもリュウちゃんの定番であります若草山の麓の「水谷茶屋」(下の写真)で暫し休憩、例によって名物のワラビ餅と、(何故か)アイス・コーヒーで憩いの一時(お茶は無料でサービスされます)水谷茶屋から、修学旅行の生徒で賑わう若草山の麓を抜け、二月堂に行きました。二月堂といえば、リュウちゃんの大好きな映画「男はつらいよ」の記念すべき第1作で、初めてロケ地に選ばれた場所、ここで寅さんは、初代マドンナ、光本幸子扮する御前様のお嬢さん、坪内冬子さんに逢うのです。寅さんの長い長い失恋遍歴は、この二月堂から始まったのです。二月堂を抜け、正倉院に行きました。現在、同じ奈良公園内にある奈良国立博物館で、第61回「正倉院展」が開催されていますので、メインのお宝はそちらの方に引越ししています。正倉院から、東大寺大仏殿の裏手の道で撮ったのが下記の写真、もう少しすると、紅葉(モミジ)の名所でもあります奈良公園全体が紅葉(こうよう)するのですが、現在は、まだ一部が色づいているだけです。興福寺を正午にスタート、奈良公園を散策して、近鉄奈良駅に着いたのが午後4時、その間、水谷茶屋で20分程休息しただけで、約3時間半歩きっぱなしの散策でした。奈良公園は、東西約4km、南北約2kmに及ぶ広大な公園です。一日中遊んでいても、全く飽きるということがありません。また、本格的な紅葉のシーズンに遊びにいく予定です。最後に、懐メロブログにふさわしく(?)吉永小百合さんの「奈良の春日野」に一番の歌詞(詞:佐伯孝夫)で、このブログを締めさせて頂きます。奈良の春日野 青芝に腰を下ろせば 鹿のフンフンフンフン 黒豆や フンフンフン 黒豆やフンフンフンフン 黒まーめーやー
2009年10月31日
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