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世の中のどうでもいい事象に自分なりの考察なり分析を与えてみてそれが当たっているか当たっていないか検証し、その原因がどこにあるかまで突き詰めて考えていれば人生それなりにおもしろいなとここ1年ぐらいで気づきました。今まではそんなどうでもいい話を聞いてくれる人がいたのですが、皆さん去っていかれて仕方ないのでここで。『好き、嫌いについて。』人間の好き嫌いというのは感情によってもたらされるものなので一見、理屈とか理論とかというのはそぐわない気がしますが私が考えるにこれほど機械的なものはないと思います。「○○さんのことが好き」とか「アイツが嫌い」というのは厳密な意味で存在しないと思うのですね。好悪の対象というのは常に”行動”だと思うのです。つまり、「○○は親切。もっと具体的に言えば困っている人がいる時にスっと手を差し伸べられる。」という点をもって人は"好き"とする、でもその後に「親切なのはいいんだけど、それをいつも嬉しそうに自慢するんだよね・・・」という点をもって"嫌い"とするわけです。そして人はそれらをたし算します。そうやって主体(自分)と客体(相手)の間に起こったすべての事象(会話・行動・しぐさ・雰囲気・見た目・・・)を加算して最終的結果がプラスかマイナスか、それとも"ほぼゼロ"なのか。それを判断して相手に対して"好き"、"嫌い"、"どうでもいい"という印象をもつのだと思います。ただ人によってそれぞれの行動に対する採点がまったく違うので同じ人間でも評価がガラっとかわったりするのですよね。余談昔ナイナイの岡村が雨上がりのミヤサコの紹介で知り合った女の子とはじめてのベッドインの時、彼女が岡村がしやすいように・・・って体勢をかえたらそれを見た岡村が「汚れてる!」って叫んで部屋を飛び出していったというのを聞いて「いやいや、それは感謝こそすれ、怒るところじゃないだろう」と思った、というか世の男性の9割はそうだと思うのですが岡村には許せなかったのでしょう。そういう感じで相手によって基準が死ぬほど変わるので気をつけんとね。というお話。 だから嫌われたくなければ行動を変えればいい。嫌われるべく行動をなくして、好かれる行動を増やせば好かれる。「ウチは性格が悪いから」とか「私はダメなんです。」とか言ってるのを聞くと、”それはなんか違うぞ”と思うわけです。人格・性格なんてのは変えなくてもいいし、変わるもんでもないと思うから。というかそれは言い訳だぞ。直すべき行動を放置して直りもしない性格のせいにしている。と私は思うわけです。ただここで問題になるのは「じゃぁ嫌われる行動・好かれる行動って何よ? 」って話ですよね。これに関して含蓄があるのですが私が思っていることそのものズバリを書いてるコラムを見つけたのでそちらで代用。NBonline - 今日の仕事のコツ ver 2.0他人にどう思われているかより、他人を客観的に理解することが大切 常々、私が思っていることそのままで、しかもわかりやすく短く書いてあったので驚いた。要は、相手に関して言うならば「他人の頭の中なんてわかるわけねー」ってのと「他人を分析すればするほど行動がある程度読めてくるよね」ってのと「中身不明でもアウトプット(行動)が読めれば結果は変わんなくない?」ってことだし、、、自分の行動に関して言えば「結局、相手の好き嫌いなんてわかんないんだから、自分の好き嫌いに沿って行動すればいい。」ってのと「それで相手に嫌われて、その理由もわかんないなら"知るか!"と縁がなかったことにして済ませればいい」「理由がわかるならせめてその人の前ではそのように行動すればいい。」「そうすりゃ少なくても自分は自分を嫌いにならない」ってことなんですよね。 だから何にも増して大切なのは「自分の"行動"の間違いを指摘してくれる人物」 そして最も気をつけないといけないのは「話をまとめると"私はアンタ(の性格)が嫌いだ"としか言ってない人物」 特に後者はテンション下がるだけなので「そんなん言われても知らんがな。」か「私はそんなアナタがもっと嫌いです。」と言ってやればいい。そして自分が"好きだ"と思う行動が他人が"イヤだ"というならば、「残念だ」の一言で済ませればいい。 結局これだけのことなんだよねー、好き嫌いって。あくまでも私理論だけど。 追記:だから私に言わせれば人に対しての好き嫌いなんて存在しない。どんな好きな相手でも批判は山のように言えるし、嫌いな相手でも尊敬できる部分・見習いたい部分はいっぱい挙げられる。ただ、どうでもいい人間に対しては情報がないので難しいけど。それなのになぜみんな「好きだ」「嫌いだ」なんて言うんでしょうね。自分が自分に対して「100%好き」であればいいしそれに少しでも近づいていくのが人生だと思うし、それに似ている人を好きになるのだと思う。
2007.10.26
竹中平蔵が大臣になって間もない時期にNEWS23の特集でフリーターや女子大生、サラリーマンなどいろんな人に会って「市井の人の声を聞く」というようなことをやっていました。「どいつもこいつも"もっと弱い人のことを考えてほしい"みたいなありきたりなコトしか言わない」と冷ややかな目で見ていたらこの企画のメインのような扱いで竹中の高校?大学?時代の恩師が出てきて、その言葉に竹中さんが涙を流していたのが印象的でした。「Cool brain, Hot Heart. その言葉をまだ覚えているか?」たくさんの人の人生を左右する経済に関わる人間として絶対に忘れてはならない言葉。一時の感情に流されずどんなに非情であっても最善の判断を冷静に、時に冷徹に判断する頭脳。そして、その一方で他人の不幸を悲しみ、他人の幸福を心から願う熱い心。この背反する2つを持ち合わせる者でなければ経済を担うことはできない。当たり前、かもしれないですが、あの時、人目をはばからず涙を流して泣いていた竹中大臣がとても好きになりました。竹中平蔵と言えば「聖域なき構造改革」をかかげる小泉内閣の経済政策の司令塔として日本経済の再生に尽力した人。竹中プランとも言われるバブル以降の不良債権処理を急がせた彼の「ハード・ランディング路線」は10年以上の長きにわたって日本経済の重しになっていた不発弾を取り除き、それによって企業業績は上向きはじめました。しかし同時に、それまで曖昧だった損失が確定することによって何とかかろうじて生き残ってきた企業による未曾有の大倒産・大リストラが猛威をふるい結果的に多くの失業者と貧者を生み出したことも事実。いわば良くも悪くも小泉改革を象徴する人物です。私はこのTVを見ていなかったら竹中さんや小泉さんのことを今ほど好きではなかったかもしれません。私はすべてにおいて「合理性」「論理性」「正当性」が優先されるべき、と考えます。それによってどのような犠牲が発生しようとも最大多数の幸福が実現するためであればそれは止むを得ないと考えます。「合理性」を優先させれば時に人は冷徹にならざるえません。この凄惨な結果を引き起こす不良債権処理をためらい近視眼的な景気浮揚策しかうってこなかった歴代内閣も含め、これができない人間はただ単に「弱い」だけ「甘い」だけとして私は評価できません。しかし世の中には冷徹な判断をただ「だって、仕方ないでしょ。」の一言で片付ける人間がいます。私はこのような人間がとてもキライです。確かにそうだ、そうするしかないのは自明、私があなたの立場だったらたぶんそうするだろうと思う。でも、もう少し、こう、なにかあるだろう・・・。私はそのような人をを見るといつもこのような、まったく論理的でない「反感」をもっていました。今考えるとこの人たちには「熱い気持ち」が感じられなかったのだと思います。人は役者でもない限りよほどでないと涙は流せません。だから誰かが私のために泣いてくれたり、私が誰かのために泣くことができたりしたとき、私はとても嬉しく思います。あの時、「Cool brain, Hot Heart」の言葉を聞いて、涙を流していた竹中大臣は決して「冷徹な人」ではなく熱い気持ちをもった優しい人だとそのとき思いました。その「優しい人」があのような冷徹な手腕を振るう。彼にとって犠牲になった人たちは決して他人ではなくその人たちを他のどの政治家よりも大切に思っていたと私は信じています。だからこそ、その大切な人たちの生活を奪う彼の心中はいかばかりだったか。「弱い人のことをもっと考えろ」という口ばかりの優しさで彼を非難する人間のいかに底が浅いことか。そして日本全国から轟々たる非難をあびる竹中大臣に連日電話で「絶対に譲るな。信じた通りにやれ。」と励まし続けた小泉総理とその心に人知れず涙したという竹中大臣。いかにこの2人の「熱い」ことか。 私がたとえ犠牲にされる立場であったとしても相手が誰よりもそのことを苦しんでくれているなら「そこまで私のことを考えてくれるあなたのためなら喜んで犠牲になるよ。」と笑顔で言えるでしょう。しかしその相手が「だって、仕方ないでしょ。」の一言で済ませる人だったら私は最後まで抵抗し、最後まで「あんたは最低だ」と非難し続けるでしょう。たとえ相手の答えが正解であっても。「冷徹な判断」は「熱い気持ち」の裏打ちがあってこそ許される。振る舞いは非情であってもその下にある気持ちは優しい。そのことが犠牲にされる側にとっていかに大切であるかを私はとある女性に教えてもらいました。私はまだまだ未熟で非情な振る舞いはできても、結局は甘いところはまだかわっていません。でも、いつか私も彼女のように気高い振る舞いができるようになりたいと思っています。だから私にとっても「Cool brain, Hot Heart.」は最も大切な言葉なのです。
2007.10.24
またフラれたようです。鍵も電話も返してくれました。本当は、私がしなければならなかったのに。嬉しくて悲しくてつらくて、重要な体の一部分を失って、のたうちまわって、誰かにしがみつきたくて叫びたくてしかたない。なぜあんな人の気持ちもわからない薄情な人のためにこんないい子を悲しませなければならないのだろう。確かに言うとおり私はバカだな。ありがとう。本当に。言葉にはできないぐらいにありがとう。
2007.10.21
ニコニコ動画で私が好きな曲『風のゆくえ』が「このところの動画投稿数増加によりサーバ負荷が高まっているため視聴回数が少ない動画は一時的に視聴を停止させていただいております。」というなぞの理由で見れなくなってました。うぅ・・・ マイナーな曲好きに対するイヤガラセか・・・。早めに復活してもらいたいものです。それにしても「僕じゃない何か見てたのは わかっていたから」って歌詞、せつなすぎです。-----------------------その人の"人間性"てのが一番よく出るのは"時間"と"お金"、そして"恋愛"に対しての3つだと思うのですよね。時間は”人生への考え方” お金というのも"社会とのかかわり方"をあらわすし、恋愛というか異性に対しての態度ってのはその人の”人間関係のすべて"と断言してもよいと私は思っています。ということなので私は水商売とか風俗の仕事ってすごく好意的にとらえてるんですよね。いずれも「金」と「色恋」が深くかかわる人間の素が最もでてしまう世界なので弱い人間だったらすぐに飲み込まれてしまう。それはそれで恐ろしいコトなのですが、それでもやっぱり人間をよく知りたいのであればそういう世界こそふさわしいのではないかなぁとかねがね思っていたら、私がよく読んでいる本の作者、元ホストの後藤芳徳氏は現在、「風俗コンサルタント」が本業らしい。才能を生かしたのか、その業界で培った才能が著作に現れているのかよくわかりませんが、なるほどな、と思いました。 ということでなんの話かと言うとマンガの話。 週刊ヤングサンデーで連載中の「都立水商!」というマンガがとてもおもしろいです。ちなみに「とりつ・みずしょー」と読みます。農業や漁業など各種専門技術を教える高校があるなら水商売を教える都立高校があってもいいじゃないか、ということで「フーゾク科」「ホスト科」「ホステス科」から「ゲイバー科」まで兼ね備える水商売専門教育の高校「都立水商」を舞台にした学園コメディー。設定はとんでもないですが、先生、生徒ともに純粋でまっすぐないかにもな青春学園モノ。水商売の専門高校という特殊な状況で繰り広げられる「友情」「恋愛」「バイト」「部活」に加え、水商売の人たちの技術や心意気、プライドなどあらゆるものがうまく描けてとてもおもしろいです。 なんでこんな話を急にしだしたかというと、今週号のヤングサンデーに載ってた『都立水商』の最後のページの黒沢先生の台詞がとても印象的だったから。 簡単に説明すると主役の社会科教師・田辺圭介はフーゾク科を教える吉岡あかねのことが好きなワケです。で、吉岡先生も田辺のことを憎からず思っているのですが過去のこともあって自分だけが幸せになってはいけないと田辺の気持ちを受け入れられずにいる。で、実は田辺先生を好きなのはホステス科の近藤明美も一緒で・・・ 「田辺先生と寝てしまいなさい。」 「大人の恋愛において、どんなに互いに好き合っていても、"関係"がなければ、それは何もないのと同じことです。」 「まさに砂上の楼閣。たった一つのキッカケで、すべて壊れる」 てなことも後藤芳徳氏の本にも違う表現だけど書いてあったなぁと。絵もキレーだし、マンガ喫茶にも置いてあるので(少なくてもモンブランにはあった)少しでもおもしろそうだと思った人は手にとってみてやってくださいな。ってもう気づいたら17巻まで出てるんだな。またモンブランで読み直そうっと。 あと、どうでもいいですけど主役の田辺圭介。主人公。社会科の教師で、水商第一寮長、フーゾク科の担任。前の学校で生徒とのトラブルがあり都立水商へ異動。何でも首を突っ込みお節介な存在。だがいつもそのおかげで都立水商に貢献している。酒を飲むと理性を失くすほど悪酔いし、友人を何人も失くしている。吉岡に惚れており、また他の複数の女性から好意を持たれるものの、超鈍感なために告白を受けるまでそれに気がつかない。 (wikipediaより)他人とは思えないのですが・・・。太字の部分だけですけど。
2007.10.19
やれやれ。どうも私はフラれてしまったようですね。モテる男というのもどうやら昔憧れていたようないいものではないらしい。-----------------------他人への批判というものは基本おもしろいものだと思っていたのだけど、今日ばかりはそうではなかった。というか私に対する皮肉ではないかと思うぐらい身につまされた。大いに反省しよう。-----------------------近所のスーパー『やよい』で美人の店員さんを発見。ファンになったのでこれから通うことにします。なぜか顔を真っ赤にしてましたが(笑) ----------------------- 私はどうも自分が好きでたまらないらしい。実験で使う心理尺度を気まぐれに自分でやってみたら「劣等感」が最低点の8点。ほとんどの学生が最高点である24点近くの20点前後だというのに・・・。また何の気なしに人に「俺ってナルシストかな?」って聞いてみたら迷わず「うん。」て言われた。2人に。でも「顔が好きっていうより自分が好きでたまらない感じ」らしい。でも、昔は自分が嫌いでしかたなかったのですよね。周りにいる人すべての優秀な所、すばらしい所ばかりが目に入って自分に自信などまったくもてなかった。それがこの変わりようはなんだろうと。 今考えるときっかけは塾講師をしたことだろうなと思います。そういえば塾講師している時、私はいつもこんなことを思って授業をしていたような気がしますから。 「どうだ、中学生のSEIJI。お前はこういう男、好きだろう? こんな先生に授業を教えてもらいたいとずーっと思っていただろう?」 私は受験先進国の関西出身で、まぁいいところのお坊ちゃんと言われても仕方ないぐらい教育にはお金をかけてもらいました。だからバイトの兄ちゃんが片手間にやっているのとはレベルが違う、「これぞ、プロの講師!」という人の授業をたくさん受けてきました。というかあの人たちは生徒からの人気で給料どころか明日クビになるかもしれないという激烈な世界を生き抜いているわけですから私が身をおいていたぬるま湯のような世界と次元が違うわけです。しかし、教えるのがうまい先生っていうのは私にとってそう大きなアドバンテージじゃありませんでした。私が好きだったのは、ただひたすら「おもしろく」、ただひたすら「熱く」、そして知らない間に成績があがっている。そんな先生でした。その人たちはまったく授業と関係ない話をしてくれました。彼女と同棲中の家に帰ってきたら中からあえぎ声が聞こえてきた話、六甲山を攻めすぎた話、岩石の研究サンプルにハナクソつけたら世紀の大発見か!と大騒ぎになったお話。また、日本史の先生は、男の生き様を教えてくれました。私がエラソーに人によく話をする石田三成の話も、土方歳三の話も、阿南惟幾の話も、全部一番の大本はその先生に教えてもらったことだったりします。物理の法則より、日本史の年号より、あの先生たちは子どもの私が知らないコトを教えてくれる。それは受験に出る、出ないに関係なく、私たちより一歩先を歩く大人として、いろんなことを教えてくれる。そんな先生に憧れてました。そしてあの時教えてもらった「世界」や「社会」がとてつもなく魅力的で「もっと知りたい!」と思わせるには十分だったからこそ未だにまだまだ「知りたい!」が止まないのかもしれません。言うなればその人たちにあこがれて私は講師の仕事を選んだのです。「熱さ」も「おもしろさ」もあの人たちには決して及ばない。でも私はあの人たちのように「世の中」を教える先生になりたい。で、何年かが経ち、少しはあの人たちのようにできるようになったかな?と思ったとき、授業に立つときはいつも中学生だったころの私を意識していました。 「どうだ? 俺はお前が憧れていた先生に、少しは近づけただろうか。」 いやー 講師してるときは散々文句と陰口言われました。「授業と関係ない話すんな。」とか「授業と関係ないところで人気をとってる」とか。でも、私は一向に気にしませんでした。「中学生の頃の私はきっと私を大好きになってくれるハズ。そして今の私の教え子もきっと・・・」 少なくてもそのあたりから評価基準は他人ではなく自分になりました。「私が他人だったら、私を好きになるか?」それがすべての基準になりました。 昔はホントに女の子と話ができず、女の子相手に軽口をたたいて、笑いをとって、サっとデートの約束をできるような男に心底、あこがれてました。私はそうなれましたでしょうか。つらい時、落ち込んだとき、言葉で慰めてくれる優しい人が一緒にいてくれるとうれしい。でも本当にほしいのは、押し付けではなく本当に自分の考えから言葉を発してくれる友人。私が間違っているときはどんなに落ち込んでいても「それはアンタが悪い。」とハッキリ言ってくれる友達。私はそんな友達でしょうか。ダラしなく、普段はのほほんとしているくせに、たまに世の中の本質を見据え、他人がハッと息を飲むようなとんでもない正論を吐き、信じられない成果を出す”ひろゆき”みたいな男。自分が「正しい」と信じたら何があってもあきらめない、全世界を敵にまわしてもひるまない、狂人だ変人だと言われても意に介さない。そんな小泉さんのような男。私は少しでも近づけたでしょうか。 すべての行動基準は「私が他人であったら、私は私を好きになるか?」 だから他人の批判や嫌われることは意に介さなくなってきました。そして逆に自分の期待にこたえられなかったとき、自分が自分を見損なったとき、心底落ち込むようになりました。 何かの本で読んだ「自分を味方につけた時、恐れるものはなくなる。」という言葉。まだまだその境地には至っていませんが、なんとなくわかるようになってきました。 ということでナルシストのよくわからない文章でした。
2007.10.16
女は自分を笑わせた男しかほとんど思い出さず、男はまた自分を泣かせた女しか思い出さない。(レニエ『生きる過去』)
2007.10.15
大山のみるくの里に行って来ました。バドミントンとフリスビーをやって久々に運動しました。羽子板の要領で何回できるかに挑戦してみたのですが続かない。いい感じの時間になってきたので「20回続いたら帰ろう」となると18・19回目でミス続出。「なんだ! これは帰りたくないがための陰謀か!」とか言ってましたが、最後は32回できました。基本的にデートの場所は人任せ風任せなのでこのように提案してくれると助かります。あと私、女子ども笑わせるの天才。カップルや家族連れが目立つ高原の中でひときわ笑い声が目立つカップルでした。------- 修理が終わったパソコン、すこぶる快調です。まぁ途中、最重要部品であるRAMメモリを「埃とりの邪魔だから」という理由でやなにサラっと取り外されていた時はびっくりした(しかもちゃんとひっつけないから起動できず壊れたかと思ったし・・・)んですが、無事CPUファンの交換を完了したらパソコンがびっくりするぐらい静かになりました。起動してるのかどうかもわからないぐらい。部品交換て偉大ですね。最近の調子の悪いDVDコンポドライブも交換してもらおうかしら。------- ニコニコ動画で最も好きな二つの曲をアーティスト自身が歌っている動画を見つけました。どちらも歌詞・曲とも大好きなのですが、T.M.Revolutionデビュー前の西川貴教じゃない方の歌はあまりにマイナーで実は歌ってる人の顔を見るのもこれがはじめてだったので見つけたときはとても感動しました。ていうか10年以上前なのに超カッケー! なにこのホスト顔! でもこの曲、とある人は聞くと痙攣を起こすそうです。誰かさんからの着信メロディだから(笑)-------Rainy Heart ~ どしゃぶりの想い出の中 浅倉大介 expd 葛山信吾 もう愛さなくてもいいから 君の声をいま聞かせてよ何一つ戻らなくても 君の笑顔ただみつめていたい消えたはずの淋しさが 胸にこぼれて・・・降り続く想い出の中 愛が君をまだ追いかけるどんなに心壊れても 君のために傷つくのならいい"二度と逢えない" それだけで明日が見えない I STILL LOVE...-------Black or White ? 浅倉大介 expd 西川貴教 傷ついても止まらない 情熱を抱きしめて振り向けば遠くなる 夢でも追いかける結果だけがすべてと 笑えたらそれでいい置きに行っちゃいられない 女神よ手を貸せ BLACK OR WHITE!傷ついても止まらない 情熱を抱きしめて気まぐれな現実を この手につかみ奪る自分以外の誰かを 愛さずにいられない一人きりの夜明けを 越えれば未来(あした)は BLACK OR WHITE???-------って思ったら私、今年の1月の終わりにもRainy Heartのコトを書いてますね。よっぽど好きなのだな。この歌。でもちょっと引用する場所が変わってるのがミソ。そういえばこの2曲(浅倉大介の曲も入れれば3曲)が入った『エレクトロマンサー』のCDは最初の彼女にあげた気がする。その辺もあってこの曲のことが忘れられんのだろう。-------ということでたまには男の日常を書いてみるテスト。
2007.10.14
デスクトップの修理完了。部屋の整理と相まって本調子になって参りました。手伝ってくれたやな、ありがとう。 ちょっと考えてみました。私はなぜこのblog書いてるんだろうって。最初、URLを自由に決められるのに困って「じゃぁ今日の日付で」としたのでもう3年以上経っていることがわかります。まぁかわいい女の子じゃあるまいし男の日常なんて書いても読んでもつまらないだろうと思ってなんか日々思いついたことを書いていたらえっらい「俺の話を聞け!」的なオピニオン臭の強いblogになってしまいました。 よく男は自分を「大物だ」「デキる奴だ」と思わせるために堅い話や難しい話をする、という話を聞いたことがあるのですが、私はどうもそれではないようです。だって見られたくないですもの。こんな文章。だからなんか知ってる人に読まれるようになってから堅いコトが書きづらくて仕方ない。私はバカなことをいつも言ってて、いつも聞いててそして「ウッヒャッヒャッヒャ」と笑っている、そういうつまらない冗談と軽いセクハラをこよなく愛する人というのが私の望む姿ですがここのテンションとあきらかに違う。それが恥ずかしくて仕方ない。 なのに、なぜ書いてるんだろうかと。 それを以前、放送部通信で書いた時に気づいたんですよね。「ああ、俺がblog書いてる理由はコレだって。」 私、何度もいいますが常に何かを知っていないと気がすまないのですよ。文字情報もそうですけど日常であったあらゆる出来事や風聞に勝手な分析や解釈を加えて一人で勝手に何か学んだ気になっている。そういうように私は毎日何かを知り続けてなければ、学び続けてなければ、という変な脅迫観念があるのですよね。だから、いうなれば私の日常はインプット過多。んでたまに長距離のドライブしながら考えゴトするわけです。一人で。そうすると外から入ってきた膨大な量の情報が今度は自分なりの解釈と思想のもと再構成されてくる。すると今度はどこかに出したくて仕方なくなるわけです。 だから私が心許す人とドライブしているときは私はしゃべりたくります。ぜったい嫌われるのでやめようやめようと思うのですがそれでも一人でしゃべり続けます。たぶんいろんなこと、あふれんばかりの情報や思想を外に出したくて仕方ないのでしょう。いつもしゃべりすぎて自己嫌悪になるぐらいしゃべります。ただ、そうやってしゃべってる時いつも思うわけです「ああ、私はこの人に話してるわけじゃないな。」「自分で言って、自分に言い聞かせてるだけだ。」 人に話すときは思いついたことをその順にいい散らかすだけでは当然伝わらないのである一定の論理性を必要とします。それは頭の中で考えてるときより何倍・何十倍のしっかりとした校正が必要となります。すると今度は自分でしゃべっていて自分が納得するわけです。「ああ、なるほど、そういうコトだったのか。」って。なので人と話してるとき、私が一番勉強になってたります。んでそこまで言ってようやく自分が相手をおいてけぼりにしてることに気づくのですよね。「あ、ごめん。今、自分に向かって話してた」って。(冷静に省みると相当な変人ですね・・・。私。) で、そういう役割をこのblogが担ってたんだなって。誰かに見せるわけではない。でも誰かに見せる文章を書く、誰かに理解してもらうためにはある程度の論点整理をしなければならない。その中で気づくことも多いし、なにより自分で読み返して「うむ、そうだ。私は正しい。」と自分の理念の強化につながります。そうやって確たる考え、強い信念が生まれる。だからこそこうやって続けてこれたのだなって。 よく考えてみればこの3年、人の意見に左右されることは少なくなりました。「私は私なのだ。」と強く言えるようなった。これもこのブログの影響なのかもしれません。まぁ人の言うことを聞かなくなったとも言いますが。 ということでこれからも人に話す体を続けながら自己満足の文章書き続けますのでヨロシク。それじゃ。
2007.10.13
政治のことを書くと確実に思想的に異なる人に嫌われるのであまりやりたくないのですが、ちゃんと考えてみることは大切だと思うので挑戦。2ちゃんねるのまとめサイトでこんなのみつけました。 ニュー速クオリティ-まじめに安倍の何が悪かったかを議論するスレ22 :無党派さん :2007/09/13(木) 00:44:55 ID:m8rAXcxp俺的には、郵政民営化反対議員を復党させた時から「違うんじゃねえ?」「甘すぎる」と思い始めたよ。郵政の是非は別にして、政治家としての冷徹さも必要だ。 私はこの人と同じように安倍普三失墜の原因は郵政造反組復党にあると思っています。最も、甘いとか冷徹とかそういう話じゃなくて。 話は全て、「安倍さんはなぜあのように派閥横断的に圧倒的支持の元、総理大臣になれたのか?」という問いからはじまります。答えは簡単。「小泉純一郎の後継者だから。」国民の圧倒的な支持のもと5年という長期政権をやり遂げ、さらに余力を残したままの総理退陣。その長期政権で幹事長・官房長官として小泉純一郎の正当後継と国民にみなされ、それゆえに「自民党の選挙の顔たりえる」と自民党所属の国会議員に判断されたのが安倍晋三、総理総裁就任の最大の原因です。そして小泉政権の高支持率の源から安倍凋落の原因を日経新聞のNET EYE プロの視点では「小泉が3大マニフェストを実現したのはいずれも政権最後の1年だ。有権者は5年5カ月間、小泉の苦闘の物語を共有し、支持にせよ不支持にせよ一貫した評価基準を持てた。「小泉劇場」のもう一つの側面だ。安倍にはそれがない。だから、顔が見えない。」としています。 つまり、自らの進む道に立ちふさがる敵を「抵抗勢力」とし、それと戦う姿を国民に絶え間なく見せ続けることで共感をよびそれを突破力とする。それが小泉純一郎の政治スタンスでした。そして最後の1年、その物語が最も劇的に盛り上がったのが郵政解散です。5票という僅差の衆院可決、圧倒的な大差での参院での否決。できるはずがないと言われていたまさかの郵政解散。郵政造反組は公認せず、全選挙区に刺客候補擁立。結果、与党による2/3獲得という歴史的大勝利。そして悲願の民営化法案成立。この物語はあまりに劇的でした。そして主役・小泉純一郎の最後にして最大の敵とされたのが郵政造反組。戦前には主役を見くびり鼻でせせら笑っていた悪役が戦後大敗で命からがらひざまずき主役に許しを請う姿はまさに悪役にふさわしい姿であり、それを見た国民は少なからずカタルシスを感じたのでしょう。 そして、大望を成し遂げた主役は表舞台を去り、若きが率いる新時代へ。 完璧な脚本でした。ただ残念なことに次代の主役は自分に与えられた劇中の役割をよく理解してなかったようです。戦うべき敵も見つけられず目立つのは足を引っ張る身内ばかり。そして最大の悪役たる郵政造反組を友誼心から許し迎え入れてしまったことが観客の興を損ねた原因だった気がします。小泉純一郎は主権者たる国民を味方につけるべく常に最大の演出・脚本を考えていた。それゆえに一見無茶ともいえる改革を遂行できたのです。それに対して安部さんは観客を喜ばせる工夫もせず、小泉さんと同じようにあちこちにケンカを売る。それでは長続きできるはずもありません。以前、「福田にしろ安倍にしろ3年持たない」と言ってましたが1年持たないとは・・・。ただあれほどの名演を見せられたら誰が後でも霞むなぁと思っていたのですがやっぱりでした。あと麻生さんが善戦したとは言え6年前小泉さんが見せた「奇跡の大逆転」を起こせなかったのは「クーデター説」のせいとかではなく小泉政権を評して「改革の負の部分を今から癒していかなければならない」とか興を損ねることを言っていたからでしょう。5年という長い間、スリリングでエキサイティングな演劇を見せ続けられた私たちは予定調和の三文芝居ではもう満足できないと思います。福田総理の安定? あんなものは新聞が作ったまやかしだと私は思います。よってこれも長続きしません。観客が求めるのはもっと大きな刺激。そう、政権交代のような。この前の参院選の深層だったりすると思うのですが。政治に刺激を求めることがいいかどうかは知りません。ただ、少なくてもその傾向があるのではないか?という仮定で政治を見るようにしています。ということでまとめ。 ・小泉再登板がなければ政権交代・でも結局小泉劇場ほどの派手さは演出できない。・政権奪回のために周りが小泉さんひっぱりだす。 という流れ希望。
2007.10.11
車の中のCD入れあさってたらすっごく古いCDがわんさか出てきて聴いてたら、アタマから離れなくなった。ということで今はなんか鈴木あみの「alone in my room」が流れてる。YouTube - alone in my room特に00:58ぐらいのところと02:30ぐらいのところ、前のシンセサイザーの音とあいまってすごく印象に残る。また今年も一人ぼっち楽しい夏過ぎ去ってそろそろ窓の外の雲季節の変わり目を教えて 昨日の事 忘れていいよね?だってつらいだけだから・・・明日が見えなくてもいいよね?小さな手ぐっと握り締めてそういえば半年前の『風のゆくえ』もそうだけど、季節や心情にあった曲みつけるとそれしか聴きたくなくなりませんか。alone in my room寒くなってきたね窓辺に座って星を眺めてる秋ですね~。星は眺めてないけど。長袖出さなきゃ。
2007.10.11
ノートの不調の原因はわからないまでも、ある程度は何が起こってるかは目星がついていたのですよね。HPを読み込む際にCPU使用率が100%近くになる。つまり与えられた計算にCPUがついていっていない、ゲームでいう処理オチという奴ですかね。IE以外ではそのような症状は見られないので、・IEのソフトウェア的な問題・ウィルスの2つの原因が考えられたので昨日は寝る前にIE7へのバージョンアップとシステムのウィルス完全スキャンをやって寝ました。 で、朝、直ってました。さすが私。IEが勝手に再起動していたのでウィルスチェックは終わったかどうかわからないのですがこのサクサク感はIEの不調が直った印象がします。もしIEがありえんぐらいに遅い場合はバージョンアップをオススメします。起きたら咳も少なくなってるし、ラクになった。新しい1週間ガンバロー。
2007.10.09
ちょっと前になりますが、実家に帰ってる間中、電話の調子が悪かったのです。9月の話です。私の電話はWindows Mobile 5.0搭載の、まぁパソコンのちっちゃいような奴なんですが、これって「電話に簡易Windowsをつけた」というより「簡易Windowsに電話機能をつけた」という方が適切で、要は電話としての機能はまだまだだったりするのですが、一番困るのがWindowsの伝統「すぐ動作が不安定になる。」というのがそのままついてたりして、その解決法は全てを消去する「フォーマット」という荒療治しかなかったり。ということで先週ようやく3週間ぶりに電話直したのですよ。数時間かけてバックアップしてフォーマットして。それまで着信音はならない、勝手に留守電に切り替わる、1日3回程度のリセットが必要というヒドい有様だったので直ったときは「やったー やったよー」とか大喜びしてたのですがその喜んでる最中に今度はデスクトップPCが「パチン」て消えました。最初何が起こったのかわからなかったのですが、いろいろ調べるとどうもCPUファン(熱を逃がす換気扇)が壊れて筐体内の温度が上がって熱暴走防止機構が作動して止まったようです。通販PCなのでCPUファンとりよせんといかん。ということでしばらくはノートPC使ってたんですが今度はこっちのIEがものすごく重たい。何があったんだってぐらい重たい。しかもこっちは原因不明。あまりにトロいのでこの日記も熱暴走におびえながらデスクの方で書いてるぐらいネットは使い物になりません。あまりにデジタルモノの不調に悩まされるもので「この1ヶ月ぐらいは2進数の神様か何かの呪いでもかけられたか」とおもってたら今度は体調まで悪くなってきた。咳がとまらない。というかたぶん淞風祭ステージ司会のうちあわせとかでよく話してたやなの風邪をうつされたクサい。「太ってる人間は細い人間から風邪はうつされない(免疫力が違うから)」という私の勝手法則にかなりの自信があったので、今回はやなに続いて風邪をひいたのがわかった時はその持論の崩壊にかなりショックをうけてました。といってもいうても他人の風邪なのでそう重くはなく(私の風邪特有の涙・鼻水・高熱の症状がない)咳だけなのは不幸中の幸いなのですが、そんな調子で淞風祭のステージの司会やったので聞き苦しくなかったか心配です。(まぁああいう場に出るとテンション上がって自分が体調悪かったり疲れてることすら忘れるのは毎度のことなんですが)ということで、なんかいろいろ困ってます。風邪はほっときゃなおるだろうけど、CUPファンを注文して・・・ ノートをクリーンインストールして・・・ うぅぅぅ・・・
2007.10.08
御剣検事のテーマ曲は『大いなる復活~御剣怜侍』だったりします。「成歩堂、この1年の旅で私がたどりついたコタエ‥‥ この事件が終了したとき、キミもそれを知るだろう。」
2007.10.03
放送部通信で少しだけ「燃えよ剣!」について書いたらなんか思い出して書きたくなったので書いてみることにします。「私はお二人と一緒なら地獄にだってお供しますよ。もっとも地獄は嫌ですけどね。」このセリフはダントツで私が好きなセリフNo.1です。沖田の近藤・土方に対する無条件の信頼や愛情がよくあらわれたセリフだと思いますし、沖田が本当にこの二人が"好き"だったのがよく伝わりますよね。でも他にもあるんですよ。私が「ああ、これが魅力的な男と言うのだな」と思うセリフが。 ----- 市村鉄之助という人(実在)が登場します。慶応3年(1867年)、いよいよ江戸幕府の先行きが怪しくなってきたという折の新選組隊士募集に兄と共に応募してきた14歳の若者です。採用の土方も一目見て「コイツぁ若すぎる」と思ったものの、いよいよ薩長との決戦「鳥羽伏見の戦い」を目前に控えており猫の手も借りたいという事情から土方は自分を納得させる理由として市村に何の気なしにこう言ったのです。「君は沖田に似ている。齢は少々若すぎるようだが総司に免じて採用するとしよう。」 私は沖田先生に似ている。これが市村生涯の自慢になりました。そしてこの一言が市村鉄之助の人生を左右することになります。 言わば沖田のおかげで採用されたようなもので、入隊後の市村は沖田総司を大層恩に着て大坂城から、江戸に敗走する途上の富士山艦の中、そして江戸潜伏中に至るまで病床の沖田をつきっきりで介抱をすることになります。さらには江戸につき形勢不利と知るや一緒に脱走しようと誘ってくる兄に対して「私は沖田さんの介抱を仰せつかっていますから」と断ってしまいます。"だって私は沖田さんに似ているのだから。"と心の中でつぶやきながら。 大坂城ではじめて会った沖田総司はひどく照れ屋で市村のような若僧に対しても敬語を使い、しかも自分から用事を言いつけることは一度もありませんでした。富士山艦の中でも「市村君。僕は元気なんだ。そう病人あつかいしないでくださいよ」と言い、咳の出る夜など市村が徹夜で看病する気でいると「市村君は、僕を病人にするために入ってきたんですな。あんたがそこにいると、だんだん病人みたいな気持ちになってしまう」と言って追い払い、江戸についてからの療養所でも「市村君。あんたは男の子でしょう、人の看病をするために入ってきたのではないはずですよ」と邪険に扱うのです。 そして沖田は土方にも言いました。 「あのひとを、寄せつけないでくださいよ。どうも伝染(うつ)しそうな気がして、気が気でならない」 土方は沖田のその言葉を市村鉄之助にそのまま伝えました。鉄之助は感激し、声をあげて泣きました。沖田ほどのひとが、それほど自分の身を想っていてくれたのか、と。「あれはあいつの性分なのさ」と土方が言うも年若な市村鉄之助にとってはそうは思われない。(自分を・・・)と、身がふるえる思いで。 士はおのれを知る者のために死す、と言いますが、この後、労咳の悪化で戦線を離れた沖田の代わりになるかのように市村は新選組の最後まで土方に付き従うのです。 -------- 「あれはアイツの性分なのさ」 京都では誰よりも多く人を斬ってきた、人斬りの鬼と呼ばれた沖田総司が誰よりも自然に人をおもいやれる。道徳として行動規範として思いやる、というのと、性分として、人として、人をおもいやれる、というのは天と地ほども違います。うつさないようにする、ということがどうこうではなくて・・・ 自分で言っててもよくわからなくなってきた。ただ、初めてこの『燃えよ剣!』を読んだ中学生の頃から今まで、土方に「これがアイツの性分なのさ」と言われるような男になりたい、そして土方のようにそれを想われてる人に伝えられる男になりたい。と思って生きてきました。まったくなれてませんが、それが私の望む男の姿だったりします。 それにしてもサラっと沖田の言葉を伝える土方ってダンディだと思いません? やっぱ主役だなぁと思います。役所広司の2時間映画は微妙だったけど。 ちなみに市村と土方についてはまだあるのですが、また後日。
2007.10.01
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたったの10分で願い事が叶ったそうです。 このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を貴方にもたらすでしょう。 約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。たったの3分ですから、ためす価値ありです。 まず、ペンと、紙をご用意下さい。先を読むと、願い事が叶わなくなります。 1)まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。 2)1番と2番の横に好きな3~7の数字をそれぞれお書き下さい。 3)3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味のある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同性の名前をかく) 必ず、1行ずつ進んで下さい。先を読むと、なにもかもなくなります。 4)4、5、6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。 まだ、先を見てはいけませんよ!! 8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。 5)最後にお願い事をして下さい。 さて、ゲームの解説です。 1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。 2)3番に書いた人は、貴方の愛する人です。 3)7番に書いた人は、好きだけど叶わぬ恋の相手です。 4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。 5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。 6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。 7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。 8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。 9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。 10)そして11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。 これを読んでから、1時間以内にブログに貼り付けなさい。 すげーーー 大当たりだ。あんまりこういうのは信じないのだが当たってる以上認めざる得ない。ということで従ってみる。
2007.10.01
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