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<昨日の続きです> ココで、今回のルートマップを紹介させて頂きます。(出発点到着点は任意です~) 阿弥陀ヶ原滝を散策後、やはり気になる「正ヶ洞の棚田」って事で、チョット戻ってみますと、「正ヶ洞棚田展望地」なる看板が示す矢印のある細い道に入りました。(この道は、かなり急傾斜の車道1車線で、途中Uターンするのも大変な道でした~) 結局、その展望地なる所とは、狭い道の三叉路にあり、看板だけ立っています。(まぁ~周りは棚田がありますが~)正ヶ洞棚田展望地(看板をよく読むと~) 「向かいの山裾が、正ヶ洞棚田です」 でもって、谷の反対側の山裾を見ますと(なんてこったい~ターゲットは、反対側じゃ~) 結局、ココでバイクを降りて、おっちらと方向転換して、K314に戻ります。(パッしょん不足の山は緑、反対側での道を探すことなく、先へ進むことにしました~) K314を北西に進むと山間の切れ間から、真っ白い中、ごま粒大の人が大勢見えた所が一瞬ありました(多分、夏でもスキーが滑れるサマーゲレンデなんだろう~ で~その出入り口であろう場所に差し掛かったところ、いきなり道路の真中でUターンを始めたクルマが一台、真横になって、行く手を塞いでいました。(危ない~急制動です~ もう~何が起こるか判らん~) まぁ~大事なかった事で先を進み、石徹白にはいり、K127へと道は変わります。(このK127は、車道1車線で、クルマでのすり替えは困難と思しき、またブラインドコーナーもあり、決してオススメいたしません~) ともあれ、石徹白川の流れに沿って、道を下ります~(マジ、見通しの利かないコーナーは徐行~) それでも2km位で、2車線道路に出ました~(ホットした所で~) 石徹白ダム (小ぶりで、形の良いアーチ式ダムです~) 下流側まで行くと(とても、美しい~ダムでした~) 後は、R158に入り、九頭竜湖の道の駅で一服だ~という気持ちを遮るような、クルマクルマのオンパレードに遭遇。道の駅の駐車場は一杯、人もいっぱい。(なんてこったい~) 道の駅での休息を諦め、すぐさま駅の裏側のとある銅像めがけて、侵入~ そう~ 悪源太義平とおミツの像~(多分~ココは駐停車禁止なんだろうなぁ~ メンゴです~) 一昨年、11月末、逆周りツーしたときには、冬ごもりで、見る事が出来なかった銅像でした。 「悪源太義平」は、私的に興味が持てます、義朝の嫡男で頼朝や義経の兄です。(義仲の父を殺めた人物) 悪源太とは、猛々しい源氏の跡取り息子と言う意味合いらしいです。(悪徳商人が頼りにする悪代官みたいに頼れるぅ~) 義朝の子供で、父親存命中に元服し、源氏ゆかりの「義の付く名前」はこの人一人です。(義経は自称ですし~たぶん~) 父、義朝から他の兄弟とは異なる期待があったと言うより、兄弟で争いが多かった源氏であるが故じゃないかとかってに思っています。 おミツは、義平の子供を身ごもったらしく、その子の誕生まで義平は生き残ることはありません。父義朝が捕縛されたという知らせに、京へ戻る事になり、別れに、「青葉の笛」を手渡す所を表現した像だそうです。(結局、生まれた子供は女の子だったそうですが~男の子を期待していたらと思う義平が渡したのは太刀か小太刀だと思うんだがなぁ~) まぁ~、昼餉の時間も過ぎているため、大急ぎで勝山にあるお目当ての食事処を目指すことにします。 う~ん ~R158は、渋滞~。(45分後) 勝山市内のとある食堂前で、ヘルメットを脱ぎ、身支度をして、お店の前に入ろうとした所、「只今、準備中です」の看板を見つけた時は~ぐれてやろうか~と思いました~(笑) 結局、R157を北上し、50分後、「一向一揆の里」で、そばをカッ食らったのでした。(本日、バイク以外に座った最初~) 17:10頃、帰宅。(でめたし、でめたしの一日でした)
2011.10.30
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最近、よく眠れます(笑) なかなか、早起きはできません。 「石徹白」と書いて「いとしろ」と呼まれるそうです。社会人になりたての頃、この名の名刺を貰いましたので、私は、読めます。大阪の方でしたが、その方が、 「親父の郷里がものすごい山ん中だ」 「珍しいと小さい頃から言われ続けてきたが、一度連れていかれた時、石徹白という名前の表札ばかりで他の名が無かった~」と話してくれたことを思いだしました。(伊東四朗ではありません~) 朝、9時過ぎに出発。(寒そうなのでセーターを着こむ~) いつもの如く、R156を南下、最初の目的地は、「白山道の駅」です。今日は、お日柄もよく、バイクツーの方を多く見かけます。(白川郷付近渋滞~) 土曜日なのに、やはり出かける人が多いんだなぁ~とのんびり?前の車の後を走る。(いつの間にか、山は紅葉してるじゃんかぁ~) 牧戸で荘川(R158)へ行くクルマが多いぞ(らっきー) 道の駅・白山で、お茶を求め一口&一服です。 とりあえず、「ひるがの分水嶺公園」によって見ることとする。(この公園前には、10台分ぐらいの駐車場あり) これが分水嶺じゃぁ~(~って、なんのことはない~) 要は、日本海側へ流れる水と太平洋側へと流れる水がココで、南北に行く方を決定する~って所らしい。 期待以上でもなく、それ以下でもなかった分水嶺を後にし、「道の駅・大日岳」へ入る。(昨年来た時には、閉鎖されていたので~今回初です~)道の駅「大日岳」とツーショット~(看板がハンドルにかかって~見えんのじゃ~) 「高山ラーメン」と書かれた緑ののれんをくぐり、中に入ると、そこは「ラーメン屋さん」でした~(まぁ~いいかぁ~) お昼にも近いが、行く宛があるんで、そそくさと出発~。 程無く、K314にはいる(石徹白の山里へ向かう道)と、クルマの量が一気に減るかとおもいきや、殊の外多い。(観光地化しているんかぁ~) この辺に、正ヶ洞の棚田(百選棚田の一つ)がある筈なんだが~と思いつつ、走らせていくと、「阿弥陀ヶ原滝」の看板あり。(過ぎちまったゼェ~ ま、いいか) 阿弥陀ヶ原滝へのルートは、下り後、上り。夏は「流しそうめん」などが盛況らしいが、今はもう秋。閑散としているかとおもいきや、ココでも人・クルマが結構、いらっしゃいました~ 頭から入ると、バックできそうにない駐車場へ、スイッチバックしてバイクを止める。(足付きは大切だァ~) バイクを降りて、歩くと、結構な渓流がある(釣りは出来んようだ) 阿弥陀ヶ原滝入口 その石畳な道 (右に看板あり~) (歩きやすい?) 入り口から、石畳の道を歩くこと約10分~ ターゲットに到着~(真ん中に滝を持ってくるべきだが、左の岩肌が気になる!) 滝壺からの下流には、三脚が置けるような岩とか、座れるような石、そして対岸への行けるようになっている。(落差約60m 日本の滝 百選の一つ) また、お宮らしきものも建てられています。 上のパチリ、よく見ると、青いヤッケを着た人の右上に注目すると~(ズームです~三脚忘れてきました~) パチリの色具合が悪いっちゃ(辺りを飛び交う、滝の飛沫のせいか?)で~まだまだ、奥がある~って、見ると、滝の裏側に人がいます~でもって、飛沫で濡れた滑りやすい石畳道を登る滝の裏側に入って中をパチリ(ちと~薄気味悪い~) まぁ~周りに人が大勢いるからいいようなものの、さすがに一人だけだったりしたら、かなり気色悪いところだなぁ~ おまけに、滝の裏側からの滝です~(岩屋になっています~) この岩屋に入る時は、間口の上から滴り落ちる水の洗礼を浴びて濡れちゃいます~って~なかなか 奥深い滝でした~今日はこのへんで~
2011.10.29
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お昼を食べて出かける(気温20℃) 20℃を切ると、さすがにチト肌寒い、足元もブーツとなる。 中島閘門(なかじまこうもん) (場所)(クリックして大きな画像で読めます~たぶん~) 今から80年ほど前、昭和初期の時代の、富山湾から富山駅近くまでの運河にある、閘門です。前後のゲートを閉めて、水位を上げ下ろしすることで、船が行き来できるようにしたものですが~ 下流から、遊覧船が入ってこようとしています~ 船が入って、下流側ゲートを閉めようとしている~ 注水完了~ てな~感じで、高低差のある運河を、船が往来していた時代があった~って事です。 ついでに、上流側~ (手前の下から、水が湧き出るように出ています~) (でもって、ゲートを開いている途中~) 今では、遊覧船が往来するだけですが、その時代には、専属の作業員が、仕事場兼居住建家に住込みで働いていたようです。ゲートを開閉する、操作建家がそばにあり、昭和初期の生活を垣間見ることができます。 8畳一間で床の間&押入れが各1畳の起居する畳部屋。後は土間の台所・風呂場・便所・物置部屋があるだけの、誠に質素な社宅?と同じ建屋に、立派な制御室が設けてあります。 チョット小さいけど~(右下の間取りを見てください~) 台所は、居間から1段下の土間で、かまどみたいなものは復元されておらず、蛇口があるだけです。また、浴室がありますが、ボイラー設備もないのに、どうやって湯を沸かしたのか~っていうツッコミを入れたくなるようなタイル地の湯船。(せっかくの復元なら、昭和初期の生活感も是非~とお願いしたいところです) せっかくだから 浴室パチリ(結構広いのか? でも 1坪の広さ) 大人一人が、身を屈めて入るだけの湯船でした~(日本も進歩したんやなぁ~)
2011.10.01
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