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母鮭の四十九日も明けないうちから、日々がすっかり日常化しつつある鮭です(^^ゞ 母ちゃん許してね。鮭はやっぱり鮭なのぢゃ。昨夜、難波のBE・ROXYという、多分老舗のジャズバーで、トランペット奏者日野テルマサ氏率いるバンドのライブに行ってきました。サックスはスー様です。日野さんの音楽は、随分昔、テレビで放映されていた、大きなホールでのライブで聴いた位で、正直とっても不勉強な状態でっした。我らの師匠のパワーで、当日参加の師匠プラス門下生計8名は、通しチケットを予約購入して、横並びの最前列。マイク無しの生音を2m程の至近距離で堪能してきました。スー様の生音はひさしぶり(っていっても正月明けに一回聴いてるんだけどねw)でしたので、深呼吸をするが如く、耳の深いところまで音を入れてきました←ホンマか! 2セットの入れ替え制だったのですが、ありがちだけど正直、2セット目のほうが断然面白かったです。どちらのセットにも、ベースの西山さん(70歳を越える御歳ですが、まだまだ現役でいらっしゃる)が育てているらしき若手のミュージシャン(タマゴ君)たち(中には、テレビにも出てる、7歳のドラマーも!)が、ステージにあげてもらって、ビッグバンドの一流ミュージシャンとのバトル演奏をする という、大御所のライブではちょっと考えられないプログラミングでした。が、それが面白かったのよ!ワカゾー君たちがもう、頑張る頑張る! 思いがけない粋なフレーズも飛び出して、お客さんもヤンヤの喝采です。特に2セット目のセッションは、間もなく七回忌を迎えられるのだという、日野さんの弟さんの書かれた曲で、時間にして40分くらいのロングサイズだったんですが、ホンマ、面白かったです。以前の鮭なら考えられなかったですよ。延々、30分を越えるインストの曲を聴いて、手ぇ叩いて喜ぶなんて(●^o^●)日野さんのパーカッションも良かったですよ~。マラカスを皮切りに、色んな民族楽器を操って、世界各国のリズムを聴かせて下さいました。鮭はリズムを刻む打楽器系が大好きなので、さっそくマラカス修行がしたくなりました。関係ないけど、スチールドラムとかやってみたいんだよね~ 残念ながら、近くに教室がないんだけど(T_T)日野さんが朗読の形で表現された、世界中の武器を楽器に変えたい というメッセージは、きっとその場にいたオーディエンスの心に響いたと思います。そのすぐ後の「オヤジギャグ」もいい味出してはりましたw気取らないMCは、彼は本当に世界の日野テルなの? って感じで、ただただ音楽が大好きなおっちゃん って感じで、鮭はすっかりファンになってしまいました。ジャズミュージシャンは、言葉を反対にしてしゃべるっていうのが定説だけれど、彼が、自分と西山さんを指して「ちゃんじー」と言ったのがウケましたw ちなみに、聴いてる客は「ちゃんばー」が多いけど だってw 鮭はまだ、辛うじて「ちゃんねー」と言ってもらえるかしらヽ(^o^)丿今、外はえらい強い風が吹いているみたいで、ひょうひょう音がしています。まだ、春一番やないわな。巷では風邪も流行しているようで、先週のクィーンズの練習(これも1回休んだだけですぐ復帰したw)風邪ひき欠席のメンバーがいました。ぼちぼち花粉も飛び始めている様子。鮭は今年通販で、パーソナル空気洗浄器なるものを購入してみました。首からぶら下げる、ジッポーライターより少し大ぶりの機器で、マイナスイオンを発生させることで効果があるのだそう。まあ、あんまし期待はしてないんだけどねw母鮭の葬儀の際、母鮭が大好きだったという歌を歌って送ってくださった、母鮭が10余年属していた年コーラスの指導者の先生から、昨日、とても素敵なお花を頂戴した と、昨日父鮭から電話がはいっていたので、今日、お礼の電話をさせていただきました。母鮭は、とある合唱際で、その先生の指揮と、率いるコーラスとに惚れ込んで、みずから所在を探し当てて入団したのだと、生前話を聞いていたので、お礼のかたがたそんな話もさせて頂いたのですが、先生曰く、まだほんの駆け出しだった時代に、初めて指揮者としての私を大好きだと言って、心から応援してくださったのがお母様なんです とのことでした。途中、団が分裂する形で袖を分かつことになった時、母鮭は迷わず先生についていったわけなのですが、その際新しくつけられた団の名称をつけたのが母鮭だったのだそうで、大切にこの名前を残していきたいんです と仰ってくださった先生の言葉に、涙が出そうになりました。棺には、黒地に金の文字で団の名前が刺繍されたユニフォームのTシャツをいれておいたので、それを着て空から練習場にお邪魔することもあるかもしれません。その時は少々調子っぱずれでも仲間に入れてやってくださいね。参列してくださった先生や、団の皆様御ひとりづつに、本当はお手紙を差し上げたいのだけれど、ぐうたらな鮭のこと、みなさんの分を書き上げるには半年位かかってしまいそうな予感がするので(^^ゞ お礼はまとめてさせて頂こうと思っています。母鮭が愛したであろう、コーラス団名をプリントした、楽譜挟みの台紙にしようかなと考えて、今日、会社で紙をチョイスしてました。宝くじが当たるか、パチンコで大勝したら、プリントは箔押しに変わる予定ですw ってせこすぎ?
2006.02.25
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前回思い切り「続く」でひっぱたくせに、その後音沙汰なし・・・不義理をお詫び申し上げまする。母鮭が急逝して、早いものでもう15日が経ちました。一人暮らしも間もなく5年を数えるせいでしょうか、日常に母鮭がいない事に違和感があまりない鮭の生活は、週末、父鮭のヤモメ修行に加勢しに実家に戻っていることを除けば、以前とほとんど変わりません。本当に、私ってもしかしてめっちゃ薄情? と自問してしまうくらい、不思議に、悲しみと無縁です。何て言ったらいいのかなあ。その時期は想定外だったろうけれど、間違いなく、限りなく母鮭自身が望んだ逝き方だったろうという確信があるからだと思います。実は、鮭、葬儀の日に、思いもよらなかった母鮭の出生の事情を、母方の従姉から聞かされました。以前、鮭が日記の中で書いたことのある、スイスのように中立の人母鮭 のひととなりの根っこの部分について、ああ、そうだったのか と思える事実でした。今となっては当事者が皆鬼籍の人なので詳しいことは確かめようもないのですが。そのあたりについては、また機会があれば記してみたいと思います。さて、では、前回の日記の続きと参りましょうwおさらいからしておきますと・・・自宅から、通夜・葬儀を行う会場へ、母鮭の遺体を運ぶ時間が迫ってきた鮭家では、前日から泊りこんでくれていた叔父・叔母、そして父鮭・鮭の4人が、其々に移動の準備を始めました。父鮭以外は皆、そのための荷造りをしてきているので、簡単な着替えをする程度。鮭はと言えば、棺に入れる母鮭の愛用品などをより分ける作業をしていたため、正直父鮭の荷造りに関しては気がまわりきっていませんでした。ですから、父鮭に「喪服やら、ワイシャツの場所わかってるん?」の鮭の質問に、父鮭が実際、その場で自分のタンスを探って、合服と冬服の2種類の喪服から冬物を選びだし、着替えの肌着と、ワイシャツ2枚をボストンに詰めた様子を見届けたことで、安堵していたのです。そうしているうちに、お迎えの車がやってきました。父鮭は、鮭に、母鮭と一緒に乗っていくように言いましたが、火の元や戸締りや忘れ物が心配だった鮭は、「喪主さんが一緒に行かんでどうするの」と諭して、父鮭には自分の貴重品だけを持たせました。会場へは車で10分足らず。自宅から国道を真っ直ぐ西下した場所にあるセレモニーホールです。駅からは歩いて15分くらいかかる所にあるその場所は、つい最近徒歩1分の間近にあったコンビニが潰れたばかりで、不便と言えば不便な所。足りないかもしれない飲み物や食料の買出しにいくのが面倒だなあ と思っていたのですが、一度帰宅してから再度駆けつけてくれた叔父が、1人頭どんだけ食うたらええねん(^^ゞ っちゅうくらい沢山、お寿司やおにぎりを買ってきてくれたおかげで、問題はひとつ解決しましたw通夜は7時からでしたが、母鮭の遺体が運ばれたのは3時頃。時間があったので、親族はそれぞれ、仮眠をとったり、母鮭の線香守をしながら過ごしました。鮭は色々段取りに追われてバタバタしていたので、疲れを感じる間もなかったのですが、持病持ちの父鮭には、やはり不眠は堪えるらしく、初めは渋って母鮭の棺の側に居たがったものの、しばらくして控え室に戻ってくると、ごろんと横になったきり、寝息をたてて眠ってしまいました。そうこうするうちに時間は6時少し前になり、当日受付をお願いしていた団地の方が参列者に先駆けて到着されました。鮭も、交通事情などで早めに到着する人もいるはずだから、そろそろ着替えておいた方が良いだろうと思い、父鮭を起こして着替えを促しました。父鮭は、白のワイシャツを2枚、ボストンから出していました。一枚はタンスの中にあった、ハンガーにかかった状態の物。これは本人曰く通夜の晩に着る予定で持ち込んだもので、もう1枚は、クリーニング屋からひきとってきた、パッキングされたままの物でした。父鮭と鮭を除く他の親族はみな、喪服に着替え終わっていましたので、皆、見るとはなしに、父鮭の着替える様子を目の端に入れていたようです。父鮭も、他人様(受付の女性)がいるにも関わらず、部屋の隅に行くでもなく、大きな食卓机の上座で仁王立ち状態で着替えていました。鮭は、必死で、焼香順位の記入や、弔電の読み上げ順を整理する作業をしていたのですが、会長に確認したいことがあり、電話をかけるために控え室の外に出ました。そして話を終えた鮭が控え室に戻ろうとした時、部屋の中から爆笑が起こりました。直感で「父鮭や!」と思い、まろぶように部屋に駆け込んだ鮭の目に真っ先に入ってきたのは、警察OBで強面の叔父が、斜め45度に顔を伏せて笑いを堪える姿でした。笑い上戸の叔母をはじめとしたご婦人方はみな、仰け反って笑っておられました。いつも穏やかな笑顔のもう1人の叔父もの顔も、いきなりの笑いの波の襲来にか、真っ赤になっていました。そして、鮭の目がようやく捕らえたのは・・・袖を通し、襟元のボタンを留めたものの、持病が原因の運動不足によって、急激に、自らの予想を遥かに上回る出っ張り具合を醸し出してしまった腹を、覆うことがどうにも不可能な「チビY」シャツを、それでも何とか着ようと試みたものの果たせず、脱ごうとしている父鮭の姿でした。後で叔母から聞いたところによると、目の端に入ってはいたものの、注目していたわけではない父鮭の着替え風景は「あれ? あれ? えらいこっちゃ。入れへん」という父鮭の言葉で、皆が注目するそれに成り代わったというのですw いわく、首をかしげながら指先丸めて必死でボタンを留めようとしている姿が、ドラえもんみたいやったそうですw残念ながら、鮭は、一発目の決定的瞬間を見ることはできませんでしたが、部屋中に残る笑いの余韻には充分感化されかけていました。心情的には、お父ちゃん、やっぱりやらかしてくれたわヽ(^o^)丿って感じです。ええ。以前にも父鮭は、その手のボケっぷりを披露してくれていましたのでw「なんや、最近着たことあるシャツとちゃうかったんかいな。しゃあないやん、明日着るつもりやった方のシャツ着ときいな。もし皺になったら、明日の朝家帰って代わりとってきたらええやんか」の鮭の一言で一旦引き潮と化した笑いの波は、しかしほどなくして、さらなるビッグ・ウェーブとして、鮭家控え室を襲ったのでした。しぶしぶ脱いだ「チビY」シャツを無造作に丸めてボストンに詰め込んだ父鮭は、代りに、本来葬式の当日に、正装として着るために用意してきたYシャツの、クリーニング店のパッケージを無造作に破りました。そして一言つぶやいたのでした。「あかんわ、半袖やわ」なんかね、もう、その場にいたみんな、ネジ飛びましたヽ(^o^)丿で、当の父鮭はといえば、着ていた肌着が白であったことに名案を得たりとばかりに、そのまま半袖のワイシャツを肌着の上に羽織り、皆に向かって「これでええやんな?」とのたもうたのですw でもね、さほど広くもない会場です。まして、焼香してくださる方をお見送りする立礼では、皆さんが目の前を通られるのです。例えそれが白であっても、ダブルの上着から見えるカフスが「リブ編みゴム」なのを、いったい何人が見過ごしてくださると言うのでしょうw 父の服装にはわりと口やかましかった母鮭の気持ちを思うと、最後の最後に私に恥かかさんといてよお父さん という声が聞こえてきそうだったので、鮭はすかさず「あかんて!」と却下しました。すると父鮭はもう1枚持ってきていた格子柄のシャツをおもむろに取りだし、「柄もんはあかんのか?」とw どこの葬式で喪主が柄もんのシャツ着るとこあるねんなヽ(^o^)丿家に取りに帰ることも考えましたが、チビYや半袖の二の舞ならぬ「三の舞い」になる可能性がないとも言えず、結局は駅前のダイエーで衣料品を扱っていることを確認した上で、叔父に運転を頼んで買いに走りました。万が一のことも考えて、指定された寸法と、若干大きな寸法の2枚を買って会場に帰りついたのは6時半を少し回った頃でした。通夜まで30分を切り、さすがに鮭ももう、人のことを構っていられる時間ではありません。自分の着替えを持ってバスルームに行こうと立ち上がりました。が、 ほぼ同時に、膝から崩れ落ちました。卓の下座にいた鮭が立ち上がりかけたのは、上座で仁王立ち状態で喪服のズボンを穿いた、いや、正確には穿こうと「やっき」になって腹をゆすりながら、軽い「屈伸」をする父鮭の正面でした。そうです。父鮭のズボンのチャックは、父鮭本人の強い意思に屈することなく、頑なに、口を閉ざすことを拒んでいたのです。鮭が崩れ落ちる様子と、またしても「あれ?」の声を発した父鮭を瞬時に確認した鮭家親族一同のその時の様子は、きっとご想像に難くないと思いますw2度襲われた「シャツ」の波では斜めに俯いてなんとか笑いを堪えた叔父も、顔を真っ赤にしていた叔父も、揃ってメガネはずしてチョチョ切れる涙を拭いていました。鮭と叔母はそれぞれ、「お父ちゃん、それはアカンて~」「兄ちゃん、堪忍してえな~」とその場でもんどり打ちました。受付のために早めに来てくださっていたお二人も、そこがお悔やみの場であることを放棄されたようでした。 ベルトでずり落ちるのを防いではいるものの、チャックは正直「全開」です。黒いズボンの股間だけが、ぱっくり三角に白いのです。鮭の頭には一瞬、喪章をあててみたらどうなんだ? という考えがよぎりましたが、ナンボなんでも股間に喪章はいかんやろう という結論に達しました。時間はもう、10分そこそこしか残っておらず、去年の秋口に着たときには着れた という合服を、家に取りに帰る余裕もありませんでした。上着を着ても見えるのか心配になって、上着を着せてみたところ、こちらも、前のボタンがパッツンパッツン。それこそ大きなくしゃみでもしたら、はじけとんでしまいそうな勢いです。でもまあ、動きを避ければ、隠れるだろう というところでしたので、とにかく通夜はなんとかそれで行こう という話になったのでした。で、通夜の最後、予定では聞かされていなかったので手違いだったのかもしれない「喪主挨拶」のアナウンスに促されて祭壇の前、中央に置かれたスタンドマイクに向かって話しだした父鮭の手は、ちょっと不自然に股間を覆っていたのでしたwでもね、お父ちゃんの、ヤモメの悲哀をも吹き飛ばす天然なボケっぷりが、お母ちゃんの葬儀に、ちかしい人の笑顔をつれてきて来てくれたことに、鮭はとっても感謝しました。勿論、これは心の中での話で、実際は立ち上がれんぐらい腹捩って笑ったんやけどねwちなみに、葬式当日は、朝のうちに家に戻って、合服を持ってきました。小さめではあったけれど、なんとかチャックも2/3まであがりましたw
2006.02.21
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母ちゃんが星になってしまったので、父ちゃんがもれなくヤモメになった。葬儀屋との打ち合わせ(短時間に色んな事を決めなくちゃならなくて、喪主は結構忙しいのだ。が、父鮭はそのほとんどを鮭に任せっきりだったw)で、葬式の日の喪主挨拶は葬儀屋にまかせたし、通夜の席では喪主の挨拶はないと聞かされていたので、突然、司会者から「それではこれより、喪主のご挨拶を・・・」と振られた時、おそらく親族の誰もが「聞いてないでそんなん!」と心の中で突っ込んだと同時に、父鮭がちゃんと挨拶できるのか心配になったはずだ。だって、通夜の席では挨拶しなくていい ってきいてたから、下書きは勿論、どんなことを話そうかなんてことも、全く考えてなかったと思うんだよね。でもね、父鮭は、涙に咽ぶこともなく、飾りのない自分の言葉で、とつとつと、母鮭との別れの様子を話し、連れ合いをなくした寂しさを、素直に表現してました。ちょっぴり長くはあったけれど、きっと皆さん、父鮭の心情を理解してくださったと思います。父鮭らしい挨拶だったと思うけど、逆に、振られたその場でちゃんとスピーチする姿が意外だったりしました。父ちゃん、なかなかやるじゃんって感じw 後で叔母が「兄ちゃんは中学の時、弁論大会に出る予定で練習しとったんやで」と、若かりしころの父鮭のエピソードを披露してくれたのですが、大会に出た という一言はなかったので、ひょっとして予選落ちとかだったのかしら と思いつつ、突っ込みはしませんでしたwそんな、オトコマエな面とは裏腹に、正直、ヤモメとしての前途はかなり厳しいようです。というのは、鮭の両親は、対外的なことは父、家の中のことは母 という役割分担だったので、父鮭は家事が全くといっていいほど出来ないんですよね。まあ、父鮭たちの世代では珍しくもない状況なのだけれど、風呂の種火はつけられない、洗濯機は回せない、電子レンジもダメ・・・ 唯一できると言い張ったのは「ご飯焚き」だけ。まあね、ご飯さえ食べれれば、取りあえずなんとかなるっちゃあ何とかなるんでしょうがw 母鮭がどちらかというと料理下手なひとだったので、口が肥えてないのはよかったかもしれません。塩鮭があれば十分、粗食でOK! な人なのです。但し、好き嫌いが多いので、大好きな天ぷらばっかり買ってきて食べるのは困るなあ。野菜も嫌いなので、週末に家に帰る時に、飲みやすい野菜ジュースを買って帰って「薬やと思って飲んでみ」と命じたんですが、一口飲んだ瞬間、苦い薬を飲んだ子供のような顔をしやがったw トマト臭くもない、林檎とにんじんの甘味が表にでてる、ほんとに飲みやすい味なのにね(^。^) 薬を飲むのは嫌いじゃないようなので、いっそサプリメントで飲むように仕向けるべきかなあ。鮭の実家は築30年を越える府営の団地で、建物が出来たと同時に引っ越した、鮭ん家と同時期入居のお家でも、ほとんどご夫婦のどちらかが亡くなっておられる。数からすると、圧倒的に、奥さんが健在なので、ヤモメの先輩は極々僅かのようなのだけれど、お隣の階段にひとりいらっしゃる方が、心配して早速様子を伺いに来て下さっていました。実は母鮭がなくなった当日、到着したもののなかなか患者が運ばれてこない救急車が、鮭の家にきているものだと知って、ほとんどの人は「ご主人、亡くなりはったんやろか」と思ってたらしいんですよね。というのも、これまでに2回ほど、父鮭が救急車で運ばれたのを皆さんご存知だし、団地の中や階段の入り口で息を切らして座り込んでいる姿も見かけられたりしているものだから、鮭家に救急車→又、父鮭か?→中々出てこない→ヤバイんじゃないか!? という図式が成立していたようなのです。だから、本当に、みなさん、母鮭が亡くなったことに驚いておられました。自宅で亡くなったので、警察がきて検死をしている間にも、話を聞いて何人かの人が様子伺いに訪ねて来てくださったのだけれど、先の先輩を含めて、皆さん一様に、ヤモメの父ちゃんを案じてくださっていた。すごくありがたかったな。父鮭は、鮭家親族のアイドルでもあります。親族が集まると、父鮭の兄弟による物真似大会になったりもするんだけれど、何ていうのかなあ、自分が笑われても、決して気分を害したそぶりを見せない人なんだよね。一緒になって笑ってることもあるけど、大抵はきょとんとしてる っぽいかなw 本人はいたって真面目なのに、ハタから見ると大爆笑のタネになっていることが多い、いわゆる、天然な人。母鮭に対する口調などは結構「偉そう」だったけど、間が抜けた部分が多いお茶目な人なのだな。先日の日記にも書きましたが、実は母鮭の通夜の式が始まる少し前、親族控え室は爆笑の渦中だったんです。そこには受付をお願いしていた「他人」さんもいましたが、他家の通夜の席で笑うのは不謹慎だ などという深慮の防波堤をも簡単に打ち砕くビッグウェーブを、父鮭はおこしてくれていたわけです。早めに来てすぐ隣の会場で待っていて下さった方もいらしたみたいで、きっとその方たちには、なんて親族なの! って思われてたかもしれません。鮭と、笑いのツボが同じな叔母(父鮭の妹)など、本気で泣いてましたw それぞれ「お父ちゃんーーそれはアカン~」「兄ちゃん、勘弁してえな」と絶叫しながらw遡ること、その数時間前、遺体を葬儀会場に運ぶ予定の時間が近づいてきたので、鮭の実家に泊ってくれていた叔父・叔母と鮭と父鮭は、其々が自分の身支度を始めました。父鮭以外は、初めから葬儀用の一式を揃えて荷造りしてきていますから、簡単な着替えだけして自分の荷物を運べばよいだけのことで何の問題も起きませんでした。鮭はといえば、棺にいれる品物のチェックなどをしていました。父鮭には予め「喪服のあるところは解かってるの?」とたずねていて、実際、自分の部屋の洋服ダンスから冬物の喪服を取り出し、ワイシャツも2枚、着替え用の肌着と一緒にボストンに入れる様子を見ていましたし、いざとなれば車で10分足らずの近場の葬儀会場のこと、取りに戻ってくればいいわと考えていました。どちらかというと落ち着きすぎていて、ともすればルーズの域に入りがちな鮭とは正反対に、父鮭はせっかちのあわてんぼう。家族で出かけるときなどは、いつも一番に支度を整えて、鮭たちをせかしている人なのに、通夜の晩はやはり気が抜けてしまっていたのか、動きも鈍かった。受付をお願いした方達が会場にみえたのが通夜の始まる40分前。通夜の後すぐに締め切りになる、精進料理の数のチェックや、会社関係の弔電の整理に追われていた鮭も、さすがにぼちぼち着替えとかなあかんと思って、取りあえず父鮭を促しました。と、ここまで書いたところで眠気がピークに。すみませんが続きは明日以降に・・・。
2006.02.14
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皆様からの暖かいメッセージひとことひとこと鮭の心に刻ませていただきました本当に、本当に、有難うございますおかげ様で本当にいいお葬式をさせて頂いて、今はとてもすがすがしい気持ちでおります。いろいろと書きたいことはあるのですが、この連休も実家で寝泊りしたこともあり、いかんせん寝不足気味なのです(枕が替わると眠れないのよ。繊細なもんでw)。日常のペースを取り戻したら、通夜の直前に親族全員で腹捩って笑いこけた(これ、ほんとw)父鮭(ついに父にも鮭の冠がw)のエピソードなどもお披露目いたします。土曜日、実家に向かう途中、JRの駅貼りポスターが目につきました。淡路島の水仙郷の観光ポスターです。本当ならこの土日、鮭家3人と叔母夫婦で、淡路島の温泉旅館に一泊二日の小旅行の予定でした。花の好きな母を喜ばせようと、叔父が水仙郷を、観光ルートに組み込んでくれていました。父鮭の話ではそれは楽しみにしていた様なので、なんであと、一週間生きていてくれなかったかなと、それだけは残念に思います。本来宿泊予定だった宿は掲載されていませんでしたが、淡路島のパンフがあったので、持って帰りました。駅でバスの待ち時間があったので、バス停前の花屋も覗いてみました。水仙の切花があったら買っていこうかと思って。あいにく切花は売り切れでしたが、サービス品という札がささった、ミニ水仙の鉢がありました。根ものはよくないということを聞いたような気もしましたが、細かいことは気にしない~ な母鮭のこと、許してくれると勝手に決め付けて、買って帰りました。経机の前に水仙の鉢を、遺影の横に旅行のパンフを置きました。「お茶濁しで悪いけど、行ったつもりになっといて」と言い訳してwけど、考えたら母鮭はもう、それこそ自由に空を飛んで、行きたい時に行きたい場所に行けるんですよね。昨夜、母鮭の部屋の整理をしていたら、電気がパチンと音をたててフラッシュしました。いわゆるラップ現象というやつでしょう。溜め込んであった、古い領収書等を整理していた時でした。世話かけるね と言いたかったのか、あんまり早く片付けせんといて というお願いだったのか、メッセージを聴く能力がない鮭には解かりませんでしたが、母鮭が居ることはわかりました。ちゃんと姿まで捉えることができる叔母の元には、金曜の日に訪れたそうで、叔母曰く、「お母ちゃん、この世に変な未練残してないよ」とのことで、送った側とすれば一安心です。何だかんだいって、結構書いてるwクィーンズの皆も心配してくれて有難うね。早ければこの木曜から練習復帰します。今月いっぱいお休みするつもりでしたが、母鮭の葬式を歌で締めくくったことで、やっぱり鮭は歌ってナンボと自覚しましたのでw 最後にもう一度、みなさま、本当に、暖かいメッセージをありがとうございました。
2006.02.12
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2月6日母鮭が急逝しました。日曜の晩いつもと同じように父にお休みを言って朝には彼岸の人になっていました。それはそれは穏やかな死に顔でした茹でたてタマゴのようにツルツルの肌だったので、お化粧は紅だけにしました。とびきりのべっぴんさんに仕上がりました。慌しく葬儀、骨あげ、初七日法要まで済ませてさっき帰宅しました。本当にあっけないさよならだったのでこれから時間をかけて、少しずつ色んなことを思い出していこうと思います。埋葬の時にも言ったけどお母ちゃん、今まで いっぱい ありがとね
2006.02.09
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今日は大当たりに縁の多い一日でした。その1:組合の新年会でのビンゴゲームでエエモン当てたその2:組合の当番班の班長に当たったその3:シートに記入していたのに時間がなくて買えなかった「ナンバーズ3」で、買うつもりだった数字がボックスで当たってたその4:新年会の帰りに寄ったパチンコで、当たりを逃した宝くじの当選金を上回る大当たりを出したといった具合です。まずはその1普段、くじ運があまりよくない鮭。今までビンゴで引き当てた商品は、ぶっちゃけ日用雑貨程度のものばかり。特賞のハワイ(羽合かw)旅行なんて、夢のまた夢。今日も正直全然期待してませんでした。当番幹事さんを除く40名ほどのゲーム参加者の中で、いの一番にビンゴしたのは、なんとウチの会長でした! おお、会長、今年から大殺界やいうてたわりにめっちゃ縁起ええやん! という勢いのあるものでしたw で、持ってかえってきたのは「小さいつづら」 これは、司会者が、小さい包みにもいい商品があります! と言ってたのに賭けたようでした。中身はというと・・・ 香水のミニチュアボトルでした。売価2000円~3000円くらいのものでしょうか。鮭は10番目位にビンゴしました。初めの8球くらい一個も当たり数字がなかったので、すっかり諦めモードに入って食べることに専念していたのですが、その後はわりと、とんとん拍子にリーチ~ビンゴでした。コメントには「会長も私も早めに当たって、今年はいい年になりそうです」と答え、振り返った場所にあった、数個の、大きくも小さくもない包みの中から、半透明のギフト用PP袋から透けて見えてたピンクのパッケージに惹かれて、じゃあ、このピンクっぽいやつを頂戴します~ といってもらってきて着席しました。周囲の視線を浴びつつ、袋に半分顔を突っ込んで中を覗くと、箱がむき出しの状態で入っていました。箱の側面の字を読んでみるとD-snap Audio と読めました。その横にはpanasonic そしてSD Audio player。そこでハタと気付いたのです。これって、ひょっとして「あゆ」が宣伝してなかったっけか? そこで心拍数は一気に跳ね上がりましたが、何が入ってたの? の周りの声には、「なんか、パソコンから音楽をダウンロードできるウォークマンのちっこいやつみたいな感じです」と、あまり興味の範疇の品ではないそぶりをしてしまいましたw いや、だってね、周りの方が選んでこられた品物は、正直、いつもの鮭が当ててる系だったんですよ。あまり「1万円ぐらいの商品当たりました!」とコブシをかざせる雰囲気ではなかった(^。^)さっき楽天で検索かけたら、9900~14000の売値がついてました。直感&無欲の勝利ってやつでしょうかwその数十分後、会もお開きの直前、新しく就任された支部長から、今年度の当番班のメンバーを紹介します という案内があり、こちらは鮭が、いの一番に呼ばれました。低くはあれど、一応、壇上に担当班の皆が上がり、同班の中で、支部の重鎮でもある会社の社長にマイクが渡されたのですが、その時点では未決だとアナウンスがあったばかりの「班長」が、鮭に決まりました。いわゆる、鶴の一声です。1年間、小間使いとして奔走することになりそうです。願わくば、大きな行事が、クィーンズのコンサートやコンテストとバッティングしませんように(T_T) 30分ほどの間に、万歳!の当たりと、えらいこっちゃ~ な当たりをひいてしまった鮭でした。そして、寒風吹きすさぶ夜の大阪城公園外周を、足漕ぎベンツこと、愛車「銀鮭号」で疾走しながら携帯の画面を操り、宝くじの当たり番号をチェックしてみると・・・ 「あっちゃー やっぱり当たってるやんか」な展開に。今日のナンバーズ3の当たりは「920」だったのですが、鮭が今日、新年会の行きしなに玉造駅で買うつもりだった(会社を出るのが少し遅れて、総会に遅れそうになったので、寄り道できなかった)10組(出資金2000円)の番号の中に「902」があったんですよ。鮭はいつもセットで買うので、今日だと、セットのボックスが当たってたはずなのです。ちなみに当選金は10500円くらいでした。前にも何回かあったんだよね。当たりそうな予感がすごくするのに買えなかった時に限って当たるってのが。ん? ってことは今日も、買ってりゃ当たってなかったのか? ヽ(^o^)丿念のために申し上げておきますが、毎日買ってるわけではないんですよ。ナンバーズ。そんな余剰金はありませんw 予想するのは楽しいので、気が向けば毎日でも予想はしますが、買うのは基本的に、鮭の家族3人の誕生日の数字が当たり数字になりそうな時なんです。だから買う時は、その3組プラス、他にこれも来そうかな~ というあたりを多めに7組。計10組で、資本金2000円です。平均月に2~3回買って、当たるのは5~10回に1回くらいかなあ。金額はまちまちだけど、残念ながら、ストレートは当たったことなし。あんまり確率は良くないですよねw でも、自分で考えて予想して買った番号が当たるのはすっごい気持ちいいのよ!そんな具合に、寒風に無念の涙をちょちょ切らせながら、鮭の健脚が自然と目指したのは、帰り道にある行きつけのパチンコ屋。ここらが博才のないギャンブラーの浅はかさか、ビンゴでエエもんゲッチューできたんやから、買ってなかったとはいえ買う予定やったナンバーズが当たってたんやから、きっと今日の鮭にはツキがあるはず! ってなもんで、これまた何の「当たり保障」もないものに向かってしまうw まあ、今日は、予感が当たって宝くじで当たるはずだった金額プラス数千円分のお小遣いを貰って帰りましたけど、こちらも年間通せば明らかに「ご奉仕」させてもらってますからねえw 今日は節分。巻き寿司は食べたものの、豆まきをすっかり忘れて日記書いてしまいました。もう、4日になってるし・・・ 今から形だけでもやっとこう。w暦の上では春とはいえ、週末はまたえらく寒くなるようです。インフルエンザにかかる人も、周囲でチラホラ出始めました。鮭は予防接種してるので、一応、かかっても大したことなく済むはずなんですが、年末から1月半ばまでひきっぱなしだった普通の風邪でもう「充分」なので、うがい、手洗いはしっかりやっておこうと思います。昨日はクィーンズのレッスン日ではなかったのですが、3人ほどで自主練しました。今度の新曲はねえ、めーーーーーっちゃカッチョエエ曲なんです。但しちゃんと歌えればヽ(^o^)丿 でね、めーーーっちゃ早口なんです。完璧主義のNちゃん曰く「口が思うようにまわらんことにいいーーっとなって、ひやきおーがん飲みたい心境やった」そうな。昨日の時点ではもう、すでにその段階はクリアしてて、まだ何箇所か、かみまくりの部分がある鮭は、さすがや~ と感心することしきりでした。ちょうど3人だったので、部分的にフューチャーされる、トリオで歌う部分を重点的に練習しました。みっちり2時間やったので、鮭も最後の方は何とか80%くらいまで早口を克服。でも、来週までキープできるかどうかはわからないw来週末は、叔母夫婦と鮭家族で淡路島の温泉に親族旅行。父の体調のこともあるので、もう少し暖かくなってくれるといいんだけど・・・みなさんも風邪ひきには充分にお気をつけて!
2006.02.03
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