孫子は人知・人能の極みで「神なるか、神なるか」と神が現象と言う形で顕現するとも言える主張がある。

「神なるか神なるか、無声に至る。故によく敵の司命となる」{孫子・虚実篇より}

死後を神様に委ねるは良いとシテも、生きている間は神仏も練磨していていないと、その「神」「仏」は顕現しないのだが、多くの我等凡夫はどうもその辺のことをサボりがちになるのに、そのサボリを推進するのが宗教と考える宗教者も結構多いようで。

神仏を見たいのなら「懸命に智勇を尽くして生きる」が最良の方法でしょうね。 (2006年12月14日 16時01分43秒)

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年12月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 自分がもし、神様だったと想像してみよう。

 身勝手な人間たちが、我も我もと願い事を、要求してくる。60億人もの人類の数以上の願い事が一遍に押し寄せるのである。多くの願いが、利己主義から発しているだろう。他人より幸せになりたい類のものばかりだろう!戦争しておいて、平和を願う御都合主義の願いばかりだろう。60億人の一人一人のそのような願いをいちいち耳を傾けるだけでも、きっと憂鬱になるに違いない。そんな下らない願いばかり悲鳴のように聞く羽目になる。

  神様は言うに違いない、

 「一体、俺が何をしたっていうんだ!」

 「もう、いい加減にしろや!」

 「少しぐらい手前たちで解決してみろや、アホたれ!!」

 「一体、何のために、神様に似せてお前たち人間をつくったのだろうか」

 「自分たちで願いを叶えるためだろうが、そのために命を与えてあるのだろう」

 と、もし自分が神様だったなら、怒り心頭で、たちまち、五月蝿い困ったハエのような人類たちを滅ぼすに違いないだろう。

 なにしろ、勝手に宗教などというものをつくり、神を信じれば、なんでも叶うなどと、勝手解釈御都合主義の教祖たちは叫ぶのだから、神様だってたまったもんじゃない。一体全体、誰の了承を得て、そんな勝手なものをつくって、商売などしてるんだ!いい加減にしろ!!と怒るだろう。

 信仰こそ救いである。神にとっては傍迷惑千番である!

 勝手に信仰しておいて、自分の思い通りにいかなかったら神の名をも罵る!

 「おいおい、お前たちが勝手に決めて信仰しておいて、いい加減にしろや!!」

 カネなどで、神社や寺、神殿を幾ら作ろうが、神様にとっては、ただただ生命溢れる自然が失われるだけで、痛い思いをしているのに馬鹿な人間は気づいていない。

 人間を生かすために、どれだけ他の生命が失われているか気づいていない。

 どれだけ、たった一人の人間を生かすために、他の多くの生命が犠牲になっているかを、愚かな人間は知りもしない。

 それにも関わらず、馬鹿で愚かな人間は、自分だけが幸せな生活を求める。

 いい加減にしろよ! 

 尋常なる心の持ち主ならば、このような人間をみて、発狂してしまうだろう。

 それでも、神様は怒ったりしないのである。

 もしかしたら、神様などいないのかもしれない。

 だとしたら、神様に願う奴らは、善い面の恥さらしだろう。

 そのような欲深い人間が辱められるならば、神様にとって幸いだろう。

 だから、神様は絶対に姿をお見せにならないだろう。

 そのような愚かな信仰心だけの人間がいる限り。

 人間たちだけで、解決するのを尊重するのである。

 神に祈るな、自分の行動を恥じろ!

 毎日、手前のことは手前でやっているのだろうか?

 自立心をもちえているのだろうか?

 神に祈る前に、自らの行いを反省しろ!

 自らの行いを悔い改めないうちに祈るなかれ!

 人間として恥じろ!

 人間同士で解決しない限りは、神様が手を差し伸べることなどないだろう。

 ただ悪魔により、欲の深さに応じて、罪と罰とが与えられるだけである。





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Last updated  2006年12月13日 21時57分20秒
コメント(7) | コメントを書く


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正直・・・・。  
武侯仁従  さん
>信仰こそ救いである。神にとっては傍迷惑千番である!
>勝手に信仰しておいて、自分の思い通りにいかなかったら神の名をも罵る!
>「おいおい、お前たちが勝手に決めて信仰しておいて、いい加減にしろや!!」
>カネなどで、神社や寺、神殿を幾ら作ろうが、神様にとっては、ただただ生命溢れる自然が失われるだけで、痛い思いをしているのに馬鹿な人間は気づいていない。
>人間を生かすために、どれだけ他の生命が失われているか気づいていない。
>どれだけ、たった一人の人間を生かすために、他の多くの生命が犠牲になっているかを、愚かな人間は知りもしない。
>それにも関わらず、馬鹿で愚かな人間は、自分だけが幸せな生活を求める。

信仰とは「信じる事」というならそのことを生きねばならないけど、それは「無理」と行動しない。「毎日礼拝してます。」や「お金を寄付した」とかいうのは「?」なことです。

イエスを信仰していたら、イエスのに生きるように努力するが信仰でしょうが、「信じている」ということでその努力をしない。それで救われるというのは「虫がいい!」ですは。

>毎日、手前のことは手前でやっているのだろうか?
>自立心をもちえているのだろうか?
>神に祈る前に、自らの行いを反省しろ!
>自らの行いを悔い改めないうちに祈るなかれ!

宗教右派というのが居るようです。彼に良くそういうことを考えて欲しいです。 (2006年12月14日 15時46分25秒)

おまけ2  
武侯仁従  さん

おまけ・2と半  
武侯仁従  さん
藤沢秀行名誉棋聖と米長邦夫永世棋聖の対談で「神様・仏さまだけが絶対で、宗教家とかはその間の仲介者でしかない。神様以外はにせもの」という下りがあります。

宗教は神仏との仲介法・宗教者はその方法での仲介業者。神仏ではない。
荘子が「内編」で「至高のものでも、それを絶対化することで「道」から外れた存在になった。」と言う。
宗教はおよそ、その「愚」を良く起こしている。その個人にとって絶対的での他人は違うことおおい。他と比べるだの是非をつける自体が堕落の始まりでもあろうに。自信が無いから他者と比べる、とくに信心については!

これにて再見! (2006年12月14日 18時57分09秒)

Re:おまけ・2と半(12/13)  
武侯仁従  さん
>その個人にとって絶対的での他人は違うことおおい

でなく
>その個人にとって絶対的でも、他人にとっては違うことが多い

と訂正。 (2006年12月14日 18時59分25秒)

Re:正直・・・・。(12/13)  
5dolphin  さん
どうも現代孔明こと武侯仁従さま
まさしくおっしゃるとおりです。
 信仰するのではなく、信仰のなかに生きることが重要です。キリストを信仰するのではなく、キリストを行えということなのでしょう。鞭打たれ、罵詈雑言を浴び、罪深き十字架を背負って歩かなくてはいけません。
 いまの教祖にこのような覚悟があるでしょうか?否、皆忽ち逃げ出す輩しかいません。教祖たちは、罪深き悪魔の世なのです。
 必ずその報いは、返ってくるのです。馬鹿な人たちです。神の怖さ、畏れを知らない人たちなのです。宗教の教祖であるよりも、ニート、ホームレスであっても善良に生きることこそ、尊いのです。
 神の怒りを知らない人は笑うでしょうが、真実なのです。 (2006年12月14日 20時44分09秒)

Re:おまけ2(12/13)  
5dolphin  さん
 孫子は統治の奥義を知っていたのでしょう。統治の奥義は、モラル=道徳あるのみです。
 それはとどのつまり、真実を探求し、虚偽を排除していくしかありません。真実の探求練磨が、道徳への希求であり、戦略で、虚偽の排除が、武であり軍略で、戦術といえるでしょう。
 文武両道、魂を尽くすと、全ては生命となり、そこに神の存在をみたのでしょう。 (2006年12月14日 20時54分37秒)

Re[1]:おまけ・2と半(12/13)  
5dolphin  さん
 真に神様を信仰していたら、宗教団体なんかつくらないですよ。真に罰当たりを知らない者の行いです。御利益主義の何者でもないです。
 キリストだって、当時のユダヤ教のラビを偽者といっています。それは十戒を信じることで救われるという誤った考え、信じるのではなく、十戒を行わなければ信じた意味にならないといったわけです。
 キリストのいう「信じる」とは、「正しく行う」ということです。だから、正しく行うものは救われるということです。もっといえば、真実を実行するものは救われるということです。

 信じるという意味を取り違えているのです。これは、信じるという言葉が、唯物的になって嘘をつけるからです。霊的に「信じる」といったら、「行為を示す」ことなのです。 (2006年12月14日 21時06分53秒)

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